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Instructions for use Title 英国におけるエスニック
Title Author(s) Citation Issue Date 英国におけるエスニック・デュアリズムと市民権 樽本, 英樹 北海道大學文學部紀要 = The annual reports on cultural science, 45(3): 273-296 1997-03-28 DOI Doc URL http://hdl.handle.net/2115/33688 Right Type bulletin Additional Information File Information 45(3)_PL273-296.pdf Instructions for use Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP 北大文学部紀要 4 5 3 ( 19 9 7 ) 英国におけるエスニック・デュアリズムと市民権 樽本英樹 1.問題の所在 2 . エスニニック・デュアリズムと市民権 3 . I帝国」の時代 4 . r隠民思議 j への接近 5 . 「ヨーロツノ七を毘錯して 6 . 考察と展望 問題の斯主 戦後の嗣際人口移動によって, は多くの移民を内包するように なった。特に石油成機以後,先進諸国内での移民の滞在は常態となった。そ 移民 れに持い社会学においては,エスニシティ論という分野が確立する等 r の社会学」がまま場したのである。 「移民の社会学jには 2譲類の窓畿がある。第 1に,移民を巡る諸問題を分 析し,で怒れば紋策提言そしてほしいとする「一般社会J からの要識である。 周郊のように日本では r 外関人間組」という諜題で主購化されていることに 近い。 第 2に,これまでの社会学のパラダイム を追っている点である。 会学の「正統訴しの議論によれば,近代化という社会変動を経験し スニシティ等の瀦性に関わる横々な 格禁 J は消滅し, i な「格差」だけが残ると「予言」されていたのである。しかしエスニシティ を巡る落差はいまだ残存している。社会学の「予言 J は「裏部られた j とさ 273 北大文学者i l 紀姿 れ rそれはなぜか」という関いが後に残された。 エスニシティを巡る「格差j のうち社会措麗的「格差J を「エスニック・ アリズと概念化できる。すなわち「ょにスニック・デュアリズム J と は , としてのエスニック・マイノリティカちホスト おい も報酬的にも政 してしまい,そこから逃れられず滞留してしまう J とい 治的にも ことである沿(樽本 つ に従つ 1 9 9 5, 1 9 9 6 )。本舗は,エスニック・デュ しようという アリズムの形成・ ワンスう' j "ツプ るO このよう く そこ イングランドラウぷ…ノレズ,スコット ランド, された「連合五関 ( t h eUr 泌総dK in 制。m)J と据えておく。 して 5 きた設な移民は, 1 9 5 0年代初めから してきたジャマイカ,モントゼラット等からの践インド ばから流入してきたインド・パキスタン・バングラデシュ 1 9 6 0 ジ ら 1 9 9 6 ) 0 これら指いわゆるカラ てきた。カラード移認は 1 9 5 0年代から たびた とし ( r a c i a lr i o t s )J を揺こしてきたとされ,その原閣の 1つ ぜら才Lてきたのである ( Scarman 1 9 81 )" 2に,エスニック・デュアリズムの影成・維持・変容の l として法 純度の中丹市畏権様変に法目する。 7 官民壊叡j 度は,移民の入国・ を管理 ずる様誕になると共に,移民の社会諮層的地位にも大き ている と諒定される。にもかかわらず,ヱスニック・デュアリズムに対する市民権 制度の影響を考察した窃究はまだほとんどない。 したがって,以下ではまず,ヱスニック・デュアリズムの形成・維持・変 -274- 英国におけるよじスニック・デュアリズムと市民権 容に市民議制度一般が与える影響を理論的に考察する。次に,その結果得ら れた読角から,英国市民権制度の変遷について検討会加える。最後に,将来 予測される笑富市民権制度の変化が移民にもたら ついて示唆が与え られる。 2 ヱスニック・ヂュアリズムと帯民擁 2 . 1 市民権概念の定義 まず X_スニック・デュアリズムと市民権との関係者を考察しておかなくて はならない。 c i t i z e n s h i p )の定義をしておこう九 古典的市畏犠輸に従って市民機 ( 的定義を行うと,市民権比九三民的権利 ( c i v i lr i g h t s ),政治的権料 ( p o l i t i c a l r i ゆt s ),社会的議軒 ( s o c i a lr i g h t s ) で構成される諮権轄の構成体」となる。 公認的権利は{国人的自由を穎濯に採用し,理法叡j 度を中心として岳密機を確 探していくもの?ある。政治的権利は政治的自由を原種として政治参加を可 能にしようという意園を内包している。社会的権料は経済的福祉や安全か弘 社会的趨産の享受や文化的生活までの広頼な内務を持っている ( M a r s h a l l 1 9 5 0→ 1 9 9 2ニ 1 9 9 3 :15-6)。 市民権の内廷的建議は r ある共i 司社会 ( c o m m u n i t y )の完全な成員に与え られる法的地位Jである九こ給地位を持っているすべての人々は,その地位 身分に付与された権科と義務において平等であるとされる ( M a r s h a l l 1 9 5 0 叶 1 9 9 2ニエ 1 9 9 3 :3 7 )。 市畏檎のこのような定義マは,次の 3点が開題として残されている。 11 :,合典的市民権論においては,外説的定義を構成する 3つの鰭権利 は近代化という長期的な社会変動過控において 1践に付加怒れたと考えられて いる。つまり,ニモデルである英臨では 1 8t 世紀に公認的権利が達成おれ, 1 9 紀には政治的権利が確保され, 2 0世紀には社会的機利まで駐大されたという 史実的な鑓揮が克られるとされる ( M a r s h a l l 1 9 5 0→ 1 9 9 2ニ 1 9 9 3:16- 3 5 ) 0 しかし,先進路留の移民に関してはそのような順序は当てはまらない。 -275 北大文学部紀要 多いとされるのは,まず公民的権利が与えられ,次に社会的権利が確保され, Layton最後に政治的権利が付与の是非を議論されるという順序である ( Henry 1 9 9 0 :1-2 6 )。このことから,古典的市民権論の「発展段階説」的含 意は,移民に関する限り捨象される必要がある。 第 2に,内延的定義の中には「共同社会」という未定義語が含まれている。 果たして,市民権付与の対象となる「共同社会」にはどのような範囲の人々 が含まれているのだろうか。移民と市民権の関係を考察する際に,この点は 重要である。「共同社会」が未定義語であるがゆえに,そこには歴史的・社会 的に様々な「定義」が用いられ,それに応じて市民権の付与・享受の対象者 が変わってしまうのである。そこで,市民権付与の際に準拠枠とされる「共 同社会」のことを「準拠共同社会」と呼び,戦後英国という限られた期間, 限られた社会における準拠共同社会の変化を見ていくことにする。 第 3に,古典的市民権論は形式的市民権と実質的市民権を同一視する傾向 にあった。形式的市民権とは,ある準拠共同社会に帰属する成員資格のこと である。この概念は,準拠共同社会の成員になれるか否かを問題にしている。 実質的市民権は,政府の管轄事項への何らかの参加を含んだ,一連の市民的, 政治的,社会的な諸権利の享受を指す。この概念は,付与された市民権を実 Bottmore 1 9 9 2=1 9 9 4:1 5 4 際に享受しているか否かを問題にしている ( 5 ,B rubaker 1 9 8 9 :3,1 9 9 2:36-8)。市民権は,このような形式的市民権 と実質的市民権の聞の緊張関係の中に成立しているのである。しかし本稿は, 市民権制度の変遷に注目するという目的を持っているため,形式的市民権に 注目していくことになる。したがって,実質的市民権を直接確保しようとす 9 6 5年 , 1 9 6 8年 , 1 9 7 6年人種関係法 ( R a c eR e l a t i o n sA c t ) る法制,例えば 1 等に言及する余裕はない。 n a t i o n a l i t y ) との関係につい 最後に,以上に定義された市民権と,国籍 ( て簡潔に述べておこう。特に非移民国である日本においては,市民権と国籍 は混同される傾向にある。市民権がギリシア・ローマ時代に遡る理念である とされるのに対して,国籍とは「ある国民国家の成員性」を意味し,国民国 家の誕生に伴って生まれた近代的理念である。したがって,近代以降は国籍 2 7 6 英国におけるヱスニック・デ、ュアリズムと市民権 を所有していることで市民権を新有・ きると晃なされることが通奮と なった。しかし市民議と儲籍はそもそも区別されるべき理念である。わかり やすい例で仇ある種の犯鐸者や未成年者は,国籍を持っていてもTt:i民経を 持っているとは言えない 1 9 9 6:1 3 7 )0 ,1:),、下では,まさに市長握と国籍 が一致していく過程と離反していく過程が英国のカラード事民の観点から i 遣されるととになる O 2 . 2 社会的閉鎖の対象・道具としての市民権 市民権は,こにスニック・デュアリズムの形成・維持・変容とどのような関 係にあるのだろうか。各社会築関が社会的資総への接近やその接近の機会を 制限する ζ とによって,報酬を最大生しようとする過課を社会的期鎖 ( s o c i a ! c !o s u r e )と概念化できる O そして 1つの見方として,この社会的鶴鍛を通じ て帯成された援劣鍔係が社会階層であると捉えるととができる (Murphy 1 9 8 8, Parkin 1 9 7 4,1 9 7的。饗劣関係がエスニック集団関に存在するとき, ヱスニック階j 穫は彰戒される。また,ある特定のエスニック集簡が長期にわ たり おかれるというエスニック こそが,エスニック・デュ アリズムである。 市民権は,移民の社会的資譲への接近および、その接近の機会を制御ナるた め,社会的閉鎖の対象でありかつ道具ともなる。社会的鰐畿の対象としての 市民権は,市民権自体へのアクセスを許すか密かという局面で現れる。 立号需鎖の道具としての市民権は,様々な機会・資源へのアクセスを m l とされ る根拠として市民緩の所持・不所持が関われるかそぎかという昂面で現れるの である(Br ubaker 1 9 8 9,1 9 9 2 )0 Gたがって,市員権はエスニック 成・維持・変容の強力な 1嬰閣として作用するのである。 以下では,カラード移民との関連を中心』こして,英樹の時代的島語ごとの 準拠共同社会奇襲念化していくことにしよう。 2 7 7 北大)(伊都紀要 3 r帝悶 J の碍1 t 3 . 1 第二次大戦以前における英国移民政策 基本的に新大陸等へ移民が流出していく った。 1 9 の段階ではアイルランド系移設が館内に居住していたものの,移民政策は皆 蕪に等しかった。英国が本多民政策を「意識J したのは, 1 8 8 1年アレクサンド ル2 t 廷の蟻殺にあったアシュケナージと呼ばれるユダヤ系ロシア人が流入し て以来である。 1 9 0 5年外国人法 ( A l i e n sA c t ) を認めとして, 1 9 1 4 制限法 { A l i e n sR e s t r i c t i o nA c t ),1 9 1 9年外国人鱗誤(改正)法 ( A l i e n s ミ e s t r i c t i o n( A r n e n d r n e n t )A c t ), 1 9 2 0年外国人規定 ( t h eA l i e n sO r d e r ) E が銭定された。これらの法では,移民に対する入国制限,陸外退去,岩住地 域 苦 手i 穏な行う権限を移民審査官,内務省,警察等に与えた。移民がそのよう な権限に壊さなくてはならないのは,金計維持ができない場合である。 1 9 2 0 年外悶人規定によれば,外国人が「鹿分や自分の扶議番号生計を繰持できる ないときには入罰の許可は与えられるべきで、ないとした{第 1条 ) 。 さらに,入国後 1 2カ月以内に,計維持のそ予設がはっきりせず,教室の救 済」を受り「放浪していた」と裁判所が認めた場合には,間外退去の対象に なるとした{第 1 2条)のである (Gordon and Newnharn 1 9 8 5 :6-7, Macdonald 1 9 8 3 :7 )。 ことは,これらの j 去における「外国人ねl i e n )J とは I B英連邦 ( t h e O l dC o r n r n o n w e a l t h ) の外務の人々を指すのであり, I 司英連邦の内部 t こ含ま れ戦後流入してくるはずのカラード挙民は「外悶人J ではなかった。このよ うな意味で,第二次大戦以前の英露は出英連邦であった f帝醤 ( e r n p i r e )J と いう政治領域を準拠共持社会にしていたと言える。 3 . 2 ヨーロッパ難民という「労働力 J の導入 「帝国」に準拠しつつも,第二次世界大戦終結前後には,英鵠移民政策 連邦外部の非市民の入箆を完全に排除したわけではない。むしろ讃極的に移 278- 楽図におけるヱスニック・デュアりズムと常災機 畏出導入 た面もあるむ この時期英躍致時は,ポーランド人再定住法(t he P o l i s hR e s e t t l e m e n t l u n t e e rW o r k e r s,EVW s )許 A c t ) とヨーロッパ志願労働者 (EuropeanVo した。ポーランド人再定住法では,英盟主誌に加わって戦ったポーラ ンド系元兵士とそめ家族が総計で約 1 3 0, 0 0 0入 や っ て ぢ た と 提 定 さ れ る (Tannahi l I 1 9 5 8 :4-7)。ドイツの敢戦後,故国に帰れない,または帰りた くない難民がいくつかのキャンプをつくっており,英国労イ動党教権は彼らを 労働者として募ろうとした。ヨーロッパ志願労(勤者としてやってきたのは, バルト三国,ウクライナ,ユーゴスラヴィア,チェコスロパキア や,ズデーテンのドイツ系,アフリカ等のポーランド系といった人々約 8 0, 0 0 0人とされる〈すa n n a h i l l 1 9 5 8 :5-ふ 3 0一針。 表 .:移畏に織する英国の主義な法制 (AI i 合n sR e s t r i c t i o n (Am をn d m e n t )A c t ) ( t h eA l i e n sOrd 母r ) 1 9 必 i 英富国籍法 ( B r i t i s hN a t i o n a l i t yA c t ) 1 号6 2i 英連邦移民法 (Commonw 巴a l t hI m m i g r a n t sA c t ) 1 9 6 5I 人穏関係法 ( R a c 日R e l a t i o n sA c t ) 1 9 6 6 糾│地方政府法(仏 Lo 侃c 必 a1Go 柁 v εE T ‘ 溜 E 1辺96 邸81~ 英定連邦移民法 (Co 主 滋 m 1 m τ n o n w 苛台鵠 a l 比 t hI m r m 江 n 工 i 滋 g r 問器 f 捻 1 t 総 sA c t ) 詩 含 諮 8 飴81人種関係法(ほ 促εR 邑 e l a 抗t i ぬ o nA c t ) l R呂C 1 9 6 9I 移民上訴法 ( l m m i g r a t i o n 設I sA c t ) 1 9 7 1I 移民法 C I m m i g r a t i o nA c t ) 1 9 7 6I 人種関係法 ( R a c eR e l a t i o nA c t ) 出典:M acdonald ( 1 9 8 3→ 1 9 8 7 ),Solomos ( 19 9 3 ) より作成 -279 北大文学部紀委 ζ のように英国は r 帝O O Jという準拠共毘社会の rで非市民であった東 ヨーロッパの人々を移畏として導入した。確かに芙冨致癒は,戦後処理に伴 う難民救済を行わねばならないという道義的費告を持っていた。しかし,そ の背後には,東ヨーロッパからの移民を導入することで未熟練労働を中心と した労髄力不足の解講を仔おうという「動機j が存在したのである。実際彼 ホテルの絵仕,最後維工業労働者と らが得た草案は, u いった,労{動力不足が探亥 になっていた産業の未熟練の仕事口においてだっ たのである。また彼らは,車三犠等に関して法捧の拘束を強く受けていた ( 寸a n n a h i l l 1 9 5 8 :123-8)0 4 r閤民館家 J への接近 4,1 r 帝儲」の解体カテゴリー先・本土出生・旅券所持 2 1)0 * 1948 という準拠共持社会は解体していくことになる 年 英 関 躍 霧 該 部r i t i s hN a t i o n a l i t yA c t } が制定され, る人々が以下のカテゴリ…に分けられた。 j e c t s )J ( B r i t i s hP r o t e c t e d ( a l i e n s )Jの 4カテゴり は,後的入期規制の導入により る 。 o f t h e r 莱諮およ nb 、 ' A しゃ品 は「英調自民 J というカテゴリーの う下位カテゴリーへと「カテゴリ 患の人々と カラード移民を1 階では, ' b 対t h o u tc i t i z e n s h i p ) という 3つ s u b j e c t s¥ 〆2 o fi n d e p e n d e n tCommonwealth 川ラと; 胎カ 、 、 ・ りn i t e dKingdomandC o l o n i e s ,CむKCs)J しかしこ を規揺されるのは だ た5 )( Macdonald 1 9 8 3 :72-3)。 解体の第 2設賠は 1 9 6 2 (Commonwealth I m m i g r a n t s 9 5 0年代西インド A c t )である。 1 し , 1 9 5 0年代後半いわゆる「人 -280 英悶におけるエスニック・デュアリズムと市民権 種騒乱 ( r a c i a lr i o t s )J したことを受けて,英国史上初めての移民法が 部定された。この移民法は.1 9 4 8年国籍法のカテゴリーの舟, 「 英 儲保護領民 J rアイルランド共和]臨市民」の中で,次に該当し そ出入国 とした。出入国管理の対象とならないのは, LHM ) a) 笑援本土で出生した者, ょっ 邦諸地域の設詩ょっ れた英醒旅券を有する者。様民地設府や英連 れた諌券を有する者は捺かれる。 c) 上 の 幻 ま た は b) の理惑でよ詩入国管理の非対象者となった殺の旅券 に記載されている者 ( M a c d o n a l d1 9 8 3 :1 0 2 )。 と所持する旅券の種類を新たな条件とするこのような内容は, 達邦独立競関市民であったカラード移民 うするものである。カラード移民の多く 出入鹿管理の対象にしよ a) b) c) にはあてはま らなかった。 4 . 2 パウチャー鶴農という労働力議選方法 しかしまだこの設踏ではカラード移民は持全に入冨を提否おれたわけでは ない。諾否きれなかった lつの夜カな理由は,戦後の擾興のために多くの労 働力が必要であったことである。そこで,カラード移民を出入国管現の対象 としつつも,彼らを「労犠力」と させる制度が工夫された。パウチャー る 。 英連邦議立諸国市民は,英照へ入国し るために,英国労種雇淘食 ( e m p l o y m e n tv o u c h e r ) を務持する必要があるとされた。 麗沼証明書は,仕事口に必要とされる技議に応じて,カテゴリー A. B .C と 3稀類に分けられた。パウチャ…斜震は,技能の難易度の観点から労(動力 きるため,移民管理と労機力調瀧を同時に可能にする制度と考えら れた。しかし結果的には,未熟嬢労働者を許容するカテゴリー Cを者用して インド,パゴやスタン出身の南アジア系移民が多数流入したため,数々の議論 の末. 1 9 6 5年労畿党政権によってカテゴリー C 1 9 8 3:1 9 3 )。 2 8 1 された ( M a c d o n a l d 北大火祭部紀要 4 . 3 東アフリカからの南アジア系移民:出会主・獲子縁組・帰化・登録 1 9 6 0年代後半に,タンザニア,ケニア,ウガンダ,マラウィといった東ア フリカ諮問でアフリカ民藤主義運動が高識し,それら諮問で農往して アジア系の英国旅券鋸持者が 1 9 6 5年明から英国へ読入して会た。これに対し キャンベーンが繰り広げられ, 1 9 6 8年英藤邦移民法 (CommonwealthI m m i g r a n t sA c t )が制定された ( L a y t o n-Henry 1 9 8 5 : 1 0 4,1 9 9 2:5 1 。こむ移民法は,本人,父母,祖父母の少なくとも 1人が, 出生,幾子縁組,帰化,議鎌で英国市民になっていなければ,長1入冨管閣の 対象とした。つまり,英間的旅券を持っているだけでは,自由に入障するこ とはできなくなった。市民権的取?導者本人または市民権敢得者の子か孫であ ることが,自由な出入居の条件となり r 帝国」は dらに解体さFれたのである (Macdonald 1 9 8 3 :1 0一 日。 4 . 4 パトリアルという縫念(]) r発明 J 血縁と婚嬬 nochPowell)器会議員による 1 9 6 8年「血の判 ( r i v e r s イノック・パウヱル(E o fb l o o d )J演説を契議として,英閣の反移畏キャンペーンが最高額に逮した。 いわゆるパウエリズムである。異なる文化的背空襲を持った移民を容認するこ とは人穣襲間関の緊張を号 i 券経こしてしまうので,強制送還も含めた強い措 置な移民に対してとるべきだ,といった政治的風潮が生まれた ( Layton- Henry 1 9 9 2 :7 8…部, Solomos 1 9 9 3 :70-4)。この政治的義潮そ受けて, 1 9 7 1年移民法が制定された。 1 9 7 1年移民法(ImmigrationA c t ) は英悶の現在の出入国管理の基本を定 めているものである。 1 9 7 1年移民法の最も大きな持魚は r パトリプル ( p a t r i aI )J および「パトリアリティ ( p a t r 匂l i t y )J という理念を「発明J した ことにある。パトリアルとは,ラテン語の「父 j や「組問・故郷J に出来し, と「密接な関係を持つ者J を合意する o 法的な内容としては,下街患に英 国内で居f 主ずる撲初 ( r i g h to f泊。d e ) を持つ者」を揺すという合;習が与えら れた。英悶の場合 r 態告できる」ということは市民権を構成するその他の諮 権制をも享受できるということを基本的には意味していた G 282- 英国におけるエスニック・デュアヲズムと市民権 パトリアルトこなれるのは i英連邦猿立藷富市民j の場合, a) 父母,椙父母の少なくとも 1入が出生により英国市民になっていた者 b) または,パトリアルと題懇爵察にある女性 に限られる O つまり,父母,組父母,夫がパトリアルであるというように血 縁または婚姻を媒介することが,語f 主権を薄るための必讃条件となった。同 時に,パウチャー制度は完全に廃止され,従来外調人を対象としていた労働 も自室ずることになった ( Macdonald 1 9 8 3 : 1 9 3… 2 0 3 )。 このようにし るカラード移民はIfIl.議・婚姻館理を されることでさらに「外語人1 l じされたのである。 4 . 5 への最接近湾カテゴリー化 1 9 7 1 と「欝接な関係 J を は不難底とされた。 ょうとし していな てしまってい たからである。 1 9 7 9 ガレツト・サッチャー ( MargaretT h a t c h e r う る 出して と し よる市深権力ラルゴリ… ( Ir i s hc i t i z 告n s ) 出典:M acdonald ( 19 8 3 :85-7 ) より作成 -283 た 北大3 た学部紀要 も重要な語的行為が 1 9 8 1年茶慰問籍法 ( B r i t i ぬ Na t i o n a l i t yA c t )である。 r 連合三五国および英領櫛民地市民 ( c i t i z e n so ft h eUK この国籍誌によって andC o l o n i e s,CUKCs)J という既存のカテゴリーは 3つに分けられ, 民 ( B r i t i s hc i t i z e n s ),英図属鎮市民 ( B r i t i s hDependentT e r r i t o r i e sc i t i 欄 z e nぉ),英冨露外市民 ( B r i t i s hO v e r s e a sc i t i z e n s ) という新たな市民権カテ ゴリーがつくられた。市民権カテゴリーは,英瀦歩~独立藷富市民と外国人等 も含めて全部で 8つのカテゴリーにまとめられたのである(表れ G この「碍 カテゴリー化」の結巣,経住離を与えられるのは基本的に英闇市民だけになっ た C ¥ 1acdonald 1983:85-6)。保守党政権は,この溜籍法で市民権カテゴ リーと賠住権を合期的かっ一貫したものにするのだ,と主張して 関籍法は,英謹邦独立諸国市民であるカラ…ド移民に対して,どのような 影響をもたらしたのだろうか。 第 uこ,法の施行前には英盟舟で出生した離を持つ英連邦独立諸富市民に は居住権が喜動的に与えられていた。しかし,法の議官後に誕生 しでは英国市民にならなければ題住権は与えられなくなった。そし なるためには鼠縁を媒介にしなくてはならなかったのである九英国国 外で出生した者に関しては,互設畿による英韻市長謹の取得は1f t 絞りとなっ た ( Macdonald 1 9 8 3 :9 9 )0 いわゆる市生地主義(ju ss o l i ) を修正したの である。 2に,法の路行設に英国市民と婚掘した英連邦独諮冨事畏である女性 は,自動的には謄{主権を取得できなくなった。婦イじすることによって英垣市 民になることが求められたのである ( Macdonald 1 9 8 3 :9 9 )0 第 3に,既に芙毘器内に j 百枚している英連邦諸信吉民が自動的に登録され ることはなくなり, 1 欝{ヒを要求されることになった。その結果と, た 2つの事柄の影響により,英国市民になるための帰化と登誌の した。婦化の条件には, ;)年黙の殿内居住の f 也素行の善良さ, 英国国内での された ( L a y t o n-Henry ま7 こは 1 9 9 2 :194-5)。 ような 1 9 4 8 ら1 9 8 1年盟籍法までの過程は 284- r 帝崩 J とい 英国におけるエスニック・デュアリズムと市民権 う準拠共同社会の解体過程である。「カテゴリーイ七 j, r本土出生・旅券 j, r出 生・養子縁組・帰化・登録j, r血縁と婚姻 j, r再カテゴリーイ七」によって行 われてきたのは,市民権を巡る 2種類の限定である。第 1に,ブリテン島お よびその周辺と想定された「英国本土」という「想像の共同体」やそこに古 くから居住してきた(と想定される)住民と r 密接な関係」を持った者に市 民権付与を限定することである。第 2に,市民権を実際に享受できる対象者 を英国市民権の取得者に限定していくことである。古典的市民権論の形式的 市民権と実質的市民権の区別に照らし合わせると,第 lの限定は,市民権の 「形式的限定」と呼べる。第 2の限定は,市民権の「実質的限定」と呼べるで あろう。 これら 2つの限定は,あるタイプの「準拠共同社会」を採用し,また実現 しようとしていたと言える。市民権の形式的限定は,出生地原理 ( j u ss ol i ) , 血縁原理(ju ss a n g u i n i s )等様々な条件を根拠にしながら r 英国文化を共有 した密接な関係」を持った者を英国市民にしようと試みている。「文イ七」が直 接には法的に定義できないがゆえに,様々な「擬似的」条件が提出されてい るのである九つまり,文化領域を優先しようとしている。一方実質的限定は, その「文化を共有した密接な関係」を持った英国市民だけが市民権を享受で きるようにする試みである。換言すれば,そのように文化的に限定された英 国市民が政治領域を形成することになる。したがって戦後の英国は,政治領 域と文化領域を一致させることを希求したと考えられる。すなわち,政治領 域と文化領域が一致した近代的意味での「国民国家 ( n a t i o n s t a t e )j を準拠 共同社会として採用し,その実現を目指したのである。ただし,帝国の伝統 が完全な「国民国家」への移行を妨げはしたが 9)。 5 rヨーロッパ」を目指して 5 . 1 ヨーロッパ統合への国家間協力 「国民国家」へ接近する英国の動きは,別の動きへと転回することになった。 その理由は,ヨーロッパ統合である叩 )0 1 9 5 7年のローマ条約 (RomeT r e a t y ) 285- 北大文学部紀要 が「人の自由な移動」の原則を提出し(宮島 1 9 9 1 :56-9),その後の 1 9 8 7年 単一ヨーロツノ f議定書 ( S i n g l eEuropeanA c t ) は,法的手段の制定の際の B a l d w i n 全会一致の原則, EC委員会の手続き決定の権限等を定めていた ( 9 91 ) 。 Edwards 1 9 9 1,Buynan 1 1 9 8 0年代後半以降になると,ヨーロッパ統合は急速に進行し,ヨーロツノ f 共同体(E C ) 域内,後のヨーロツパ連合 (EU) 域内でのモノ・サービス・資 本・人の自由な移動を実現しようとする動きが高まった 1九「人の自由な移動」 を追求するその過程で,移民労働者,難民,ビザ応募者への対応を加盟国聞 で共通にしようという試みが生じた ( B a l d w i n-Edwards 1 9 9 1,Buynan ) 。 1 9 91 熱心であったのは, ドイツ,フランス,ベルギー,オラン夕、,ルクセンブ ルグといった諸国であり,内的障壁を廃止して人の自由移動を可能にするた 9 8 5年にシェンゲン協定 ( S c h e n g e na g r e e m e n t ) を締結した。この めに, 1 協定はビザ応募者,難民,上記諸国以外の外国人に関する外的国境について の共通政策,犯罪者やテロリストを統制する法的手段についての共通政策を も含んでいた。 一方で,基本的に北ヨーロッパ諸国は,南ヨーロツパ諸国の国境警備に不 信感を抱いていた。特に英国は,国家の安全保障,国家アイデンティティ, 文化を EUおよび EU委員会に委ねることに属躍し,人の域内移動自由化に 抵抗を示した。そこで英国は独自に, 1 9 7 6年 に ト レ ビ グ ル ー プ ( T r e v i 9 8 6年に移民に関するアドホックグループ (Ad Hoc Group on Group),1 I m m i g r a t i o n )の形成に主導権を発揮し,難民を含む人の自由移動に伴う警備 と安全保障の様々な問題を検討したのである。 しかし結果的には,シェンゲ、ングループ, 1 レープといった国家間協力は, トレビグループ,アドホックグ 1 9 9 3年 1月 1日の EU内の内部障壁撤廃を成 功に導いた主要因であったと言える。 1 9 9 2年に調印されたいわゆるマースト リヒト条約 ( t h eM a a s t r i c h tT r e a t y )は , EU諸国内の「人の移動自由イ七」 をふまえて rヨーロッパ連合市民権 ( E u r o p e a nUnionC i t i z e n s h i p )J を定 めた。 EU諸国市民である労働者および自営業者とその家族は,自国からの出 2 8 6 英国におけるエスニツク・デ、ュアリズムと市民権 EU諸国への入国の権利,他の EU諸国での居住権および永 住権が認められた。また,他の EU諸国に滞在中でも地方選挙権と欧州議会 選挙権を行使できることにもなった(林 1 9 9 5,竹中 1 9 9 5 )。特に社会的権 利に関しては,構成国間での「連携化 C C o o r d i n a t i o n )J が模索され,内外人 国の権利,他の 平等原則,資格期間の各国間通算,給付の国外支給が EU規則で取り決めら れた。これらは「域内移動」を促進する試みである。特に, EU裁判所の法解 釈は「労働者の自由移動の促進」という政策目標を最優先しようとする目的 論的なものであった(竹中 1 9 9 2 )。 5 . 2 英国移民政策の対応 EUに参加している以上,国内移民政策上ヨーロッパ統合の動きを 無視することはできなかった。そこで新たに 1 9 8 8年移民法 C I m m i g r a t i o n A c t )を制定した。 EUの諸権利を行使する人々と EU諸国市民に関しては, H a l s b u r y ' sS t a t u t e s 1 9 9 4 :2 0 3 9 )。 以下のように定められた 12) ( 英国も 1 ) ECの権利と 1 9 7 2年 EC法の規定によってなされる場合には, 1 9 7 1年 移民法の下では英国への入国および滞在の許可は必要ない。 2 ) 1 )に該当しない場合でも,政府は法的命令によって EC諸国の国民に 限られた期間の入国を許可することができる。 3 )1 9 7 1年移民法で限定的許可へ言及することは, 2 )での命令によって 与えられる許可を言及することを含む。そのような命令によって許可を 持った人は,附記 2の条項 6( 1 )で特定された期間に移民審査官によって 与えられた通告による許可に与えられるのと同じ扱いを受ける。 EU諸国市民は 1 9 7 1年移民法の下で必要とされた英国への入国および滞 在の許可は必要なくなった。つまり, EU諸国市民に対して英国市民に近い法 的地位を与えることになったのである 13)。 英国は EUの中では異端である。マーストリヒト条約の付帯決議である「社 会政策に関する議定書(プロトコノレ ) J は1 1か国での合意であり,英国は含 まれていなしユ(稲上 制度は 1 9 9 2 )。しかし,移民法の動きを見ると,英国の市民権 rヨーロツノ {Jを準拠共同社会とし始めている。カラード移民の観点 2 8 7 北大文学部紀要 からは,英菌はカラード移民よりも文色的に近い「ヨーロッパ」を準拠共同 社会として採用し, EU諸富市民を「包主要」しカラード移民を f排除」しよう としていると言えよう同i g L 6 考察と展望 以上のように,英閣の市民握鎖授の準拠共同社会は,帝国,調民厩家,ヨー ロッパと変牝してきた。主義書すれば,英原市民権付与の摂瓢は,帝国の一員 であること(帝国帰属ニニ e m p i r e h o o d ) を示すものから,国民国家のー ること(詞民滞繕;ニ部t i o n h o o d ) を示すもおへと変化し,さらにヨーロッパ ること(ミヨーロッパ錯譲二二 Eぽ o p e h o o d )を示すものへと変化して きたのである。どのような饗器がこのような変イとを決定してきたのであろう か 。 と文{じという 2つ 11 こ , ( n a t i o n-s t a t e ) れる O と た人々豪政治的な構成 を ヰ にしようとする る。しかし, ら れるように, るO したゑまつ う るか,ぞれとも るか,という る 。 2に:3ーロッ パ統合は, 2 に5 ヨ…ロツ して 5 ヨーロッパ る しではならない j という また,縄めで繰られた f: 3 れたことも事実であろう{車場 U る の ツパ営環j という人JlI誌によって統合が進めら 1 9 9 2,Wallace 1 9 9 0=1 9 9 3 ) しかし,より 0 「現実的な j理指として,アメリカ合衆醤や号本に対して経諦的に対抗する必 ぎたことが挙ぜられる。この必接投の背後には,世界的に経済体制 が変化してきたという事詩がある。 1 9 7 0年f -tまでの経済体制は, -288- は , 英国におけるエスニック・デ、ュアリズムと市民権 製造業を中心にし生産・商品・金融・労働市場が限定的領域にしか展開して いないいわば「ローカル資本主義」の性格を引きず、っていた。ローカル資本 主義の下では,各種市場を拡大するためには,世界大戦時に見られるような 帝国主義的進出を行うしかなかったのである。しかし経済体制は戦後しだい に変化し,サービス産業が優位になり企業や各種市場がグローパル化してい く新たな経済体制が 1 9 8 0年代以降特に顕著になった。この新しい経済体制を 「グローパル資本主義」と呼ぶ、とするならば,英国はグローパル資本主義に適 応せねばならず,そのためにヨーロッパを準拠共同社会として選択し,超国 家的「社会的空間 J (稲上 1 9 9 2 ), ,-国境なきヨーロツノ {J (梶田 1 9 9 3 )を つくろうとしたと言える。 したがって,市民権付与の準拠共同社会は 2種類の二項対立的要因で決定 されているのである。 1つは,市民権付与・享受対象者を政治領域に求める か,それとも政治・文化統合領域に求めるかという二項対立である。もう 1 つは,適応すべき経済環境がローカル資本主義か,それともグローパル資本 主義かというこ項対立である。帝国が準拠共同社会であった時期は,ローカ ローカル資本主義 国民国家 帝国 文化 政治 ヨーロッパ 人(パーソン) グローパル資本主義 国 1 ・準拠共同社会の変動 2 8 9 北大文学部紀要 ル資本主義の下で政治領域を優先した結果である。しかし,政治・文化統合 領域が優先された結果,国民国家が準拠共同社会となった。さらに,経済環 境がグローパル資本主義になった結果,英国は準拠共同社会として「文化的 に近い」ヨーロツパを採用したのである。 このような準拠共同社会の変動過程は,英連邦諸国市民であるカラード移 民の視点からは,市民権取得・享受の権利を奪う「権利剥奪過程」であった。 EU諸国市民が「優遇」されていく中で,彼らは「排除」されていったのであ る 。 E u r o p e h o o d )の次の段階があるとするならば, それでは,ヨーロッパ帰属 ( 準拠共同社会と市民権付与根拠はどのようになるのか。特に,カラード移民 の法的地位という観点からどのような方向性があるのか。 第 1に考えられるのは I国民国家」内部に存在するイングランド,スコッ トランド,ウェ - Jレズ,北アイルランドがそれぞれ独立に準拠共同社会とな り,相互に排他的な市民権領域を形成することである。このような「英国の 解体」は, 1 8世紀から常に可能性を持ち続け,ヨーロッパ統合の進展と共に 現実味を帯びてきた(一保 社会となり 1 9 9 5 )。この場合 I地方 ( r e g i o n )J が準拠共同 I地方の一員であること(地方帰属= r e g i o n h o o d )J が市民権付 与の根拠となる。しかしこれら諸地域が準拠共同社会として機能するために は , EUに政治的経済的に強く依存する必要があり,ヨーロッパ帰属と矛盾し てしまう。また,それら諸地域には属さないカラード移民の法的地位が上昇 する契機は直接にはもたらされない。 第 2に,もしも非常に強力で広大な政治領域が確保される程,国家間協力 がグローパルレベルで可能になるとすれば となり I人 ( p e r s o n )J が準拠共同社会 I人であること(人間帰属= p e r s o n h o o d )J が市民権付与根拠として 採用されるであろう ( S o y s a l 1 9 9 4 )。いわば「パーソン市民権制度」が形成 されるということになる。「人であること」を根拠とするだけで市民権が付与 される制度は絵空事のように思われるであろう。しかし 1つの例として, 他国の市民権を保持したまま先進諸国間で,長期にわたって滞在するデニズ ン( d e n i z e n )の存在が最近議論にのぼっている。このようなデニズンまたは -290- 英国におげるエスニック・デュアリズムと市民総 デニズンシップ ( d e n i z e n s h i p ) という理念 (Hammer 1990) は,ノ¥-ソン 市長権制度そ希求する重要な 1 段階である。もちろんパーソン市認権制度が るためには,移民のためぬ合的・私的な共通社会基盤が格自糖度用意 される必要がある。移動,滞在, f 警報格蕪縮小等を諮った共通社会基盤は, 人の移動のグローバルイちを艶進し,かつ文化的背景を具にする移民が生み出 すローカリズムに関わるコンブリクトを解摘するため なのであ る(町村 1996)。特に, 1990年代後半以誇ヨーロツパ統合が加盟関を増やし, また加盟留以外へと影響を及ぼして,パーソン市民権寄せ震への道を拓くかど うか,訪日する必擦がある。 ら,国民間室長,そしてヨーロッパへと準拠共同社会が変色していく 過程で,英連邦独立諮問市民であるカラード移民は市民握攻得の擢利を剥奪 されていっ もしもパーソン市民糧制度が英閣で実現すれば,カラード移 に対するその権利は復活することになり,エスニック・デュアリズムに対 する市民権制度の態響はなくなると歯ってよいであろう。しかし注意しなく てはならないのは,影響の消失はnJf 送機という限られた抜親愛に関する 的な側鴎についてだけなのである o これからの課題として,市民権以外の法 制震む影響,特に現実の法運営等の実質的な霊長轄についての考禁容が不可欠と されている 16)。 i 主 1)本穏では触れられないけれども,エスニック・グュアリズムは{主主主総溺の緩点からも 把握される。事警本 ( 1 9 9 7 ) を参照。 2) c it iz e n s h ipを「シティズンシップj のようにカタカナ器使記することもある。ヌド稿では 社会学におげる先行研究を参考にして「市民機」という訳諮を採用することにする o 江 成(19 9 4 ),伊藤るり(19 8 9 ),伊藤周平 ( 1 9 9 6 ),者手(1き9 5 ) 労務照。 3) c ommunityを「共同体 j ではなく「共同社会」と訳しておく。社会考会において γ芸名肉 体」概念仇「市民社会一j I こ対比谷れる社会を拐すのに通常使用されており,市民権の問 題構成を狭く解釈される危険があるためで、三うる。 4 )r 市民権のない英関自民 J とは, 1 9 4号1 三以前;こ生まれた英連邦独立諸国感絞殺'L',茶思 および緩民主也市民争後者を取得しなかった爽潟隆良を主に指す{泌総d o n a l d 1 9 8 3 :8 0 )。 291-- 北大文学部紀要 5)アイルランド共和国市民には,歴史的な経緯から無制限の入国と居住の権利が与えら れた。 6) 1 9 7 1年移民法までは, 1 9 1 4年と 1 9 1 9年の外国人制限法および同法の細則による外国 人管理が続いていた。労働許可による雇用は l年に限定されていたけれども,雇用主は 延長することできた。外国人は 4年従事すれば内務省に雇用と滞在の条件をなくすよう 9 6 0年から 1 9 6 8年までには 1 5, 0 0 0人から 2 0, 0 0 0人が毎年認 請求することができた。 1 r y 1 9 8 5 :1 0 4 )。 められてきた (Layton-H巴n b es e t t l e d )J 7)厳密に言うと,英国市民権取得のためにはもう 1つ手段があった。「定住 ( である。「定住」は法律上暖昧にしか規定されていなかった。結局 4年間滞在の末「無 d e f i n i t el e a v et or e m a i n )J を得るカラード移民が後に出てくること 制限滞在許可(in Brubaker 1 9 8 9b:1 51)。このことは,市民権カテゴリーの「合理化」の不 になった ( 徹底を示している。 8)上述した帰化の条件はまさに「文イL 的要件を主としている。 9)市民権付与は「帝国の伝統から国民的定義へ J (Dummett 1 9 9 4 )と完全に移行した訳 ではないのである。 1 0 ) 以下では,ヨーロッパ統合と「人の自由移動」との関係に関して最小限の記述しかで きない。詳しくは別稿を準備中である。 11)以下では煩雑さを防ぐために,ヨーロッパ連合 (EU) という名称に統ーしておく。 1 2 ) 以下の条文の部分は,原文通り ECのままにしておく。 1 3 )1 9 8 8年移民法の規定で,カラード移民に対して重要だと思われることに,一夫多妻制 (複婚)についての記述がある。既に 1人,妻か未亡人が英国内に居住しているときには, 他の妻または他の未亡人が居住権の行使で英国へ入国することは認められないとされた (Ha l s b u r y ' sS t a t u t e s 1 9 9 4 :203-4)。 1 4 ) EUがヨーロッパで、あるという見方は英国独特のものである(一係 1 9 9 5:2 4 9 )。これ から EUに加盟しようとしている東ヨーロツパ諸国は省かれているのである。 1 5 ) ヨーロツパ外という意味では,カラード移民と近い立場である返還間近の香港の市民 9 9 0年英国国籍(香港)法(Br i t i s hN a t i o n a l i t y(Hong に関しでも法整備がなされた。 1 Kong)A c t ) で英国市民権取得のために登録が有効である期限を 1 9 9 7年 7月 3 0日まで H a l s b u r y ' sS t a t u t e s 1 9 9 4 :209-14)。また, 1 9 9 3 と定められる等規定が設けられた ( 年難民移民上訴法 ( AsylumandImmigrationAppealsA c t ) では,難民申請の手続き, 申請中の住居や財政的支援,難民認定を拒否された場合の上訴等について詳細に定めら H a l s b u r y ' sS t a t u t e s 1 9 9 4 :215-32)。これらの法制は,市民権の準拠共同社会 れた ( をヨーロッパに限定する試みと言えよう。 1 6 ) 最も新しい法制として, 1 9 9 7年 1月 2 7日に 1996/1997年難民・移民法 ( 1 9 9 6 / 1 9 9 7 AsylumandImmigrationA c t ) が施行された。不法移民を雇った雇用主に対して罰金 を科す法律である。詳細は別稿に譲りたい。 爽関におけるヱスニツグ・デ江アリズムと r 移民権 参照文献 B a l d w i n E d w a r d s,M a r t i n1 9 9 1I m m i g r a t i o na f t e r1 9 9 2,P o l i c yandPo/ i - t i c s1 9 ( 3 ) :1 9 9 2 11 . Brubaker ,W i l l i a mR o g e r s1 9 8 9 aI n t r o d u c t i o n, W i l l i a m1 ミ o g e r sBrubaker ( e d . )1 9 8 9I m m i g r a t i o nαndt h eP o l i t i c s0 1Citizenshipi nE u r o p eand :U n i v e r s i t yPre 話so fA m e r i c a :1 2 7 . N o r t hAmerica,Lanham,法d 1 9 8 9 bMembershipw i t h o u tC i t i z e n s h i p,W i l l i a m丑o g e r sB r u b a - m m i g r a t i o nandt h eP o l i t i c s0 1Citizenship仇 Europe k e r( e d . )1 9 8 9I Md:むn i v e r s i t yP r e s so fA m e r i c a :1 4 5… andN o r t hAmerica,Lanbam, 6 2 . 一一一一- 1 9 9 2C i t i z e n s h i p側 dN a t i o n h o o d的 F r a n c e and Germany, Cambridge,M a s s . :HarvardU n i v e r s i t yP r e s s‘ Bunyan, Tony1 9 9 1TowardsanA u t h o r i t a r i a nEuropeanS t a t e,R a c eαnd , z cωs3 2 ( 3 ) :1 9 2 7 . 号t t,Ann1 9 9 4TheA c q u i s i t i o no fB r i t i s hC i t i z e n s h i p :FromI m p e r i a l Dumm T r a d i t i o nt oNa t i o n a lD e f i n i t i o n s ,R a i n e rBaubock( e d . )1 9 9 4From 1Imm~与rrants i nE u r o p e, A l i e n st oC i t i z e n s :R e d e l i n i n gt h eS t a t u s0 A l d e r s h o t :A v e b u r y . 江成吉宗 1 9 9 4 '市民権とメキシコ メリカ合衆閣の事例i から j 4 5( 1 ):6 1 7 6 . Gordon ,P a u landAnneNewnham1 9 8 5R部、ψo r tt oB e n e f i t s ? :R a c i s mi n 必1S e c u r i t y,L o n d o n :C h i l dP o v e r t yA c t i o nGroupandTheR u n S o c t . nymedeTrus H a l s b u r y云 S t a t u t e s0 1EnglandandV ぬよね 4 e d .Volume3 11 9 9 4L o n d o n : B u t t e r w o r t h s . 9 9 0D e m o c r a c y and t h e N; αt i o n a lS t a t e,A l d e r s h o t : Hammar,Tomas 1 G o w e τ . -293 北大文学部紀要 林瑞枝 1 9 9 5 'ヨーロッパ統合のなかで外国人は一国家と EUのはざまで」 西川長夫・富島喬編著 1 9 9 5 ~ヨーロッパ統合と文化・民族問題ーポス ト国民国家時代の可能性を問う』人文書院 : 70-105. 一候都子 1 9 9 5 'イギリスの解体? マルチ・ナショナル国家イギリスと EUJ 西川長夫・宮島喬編著 1 9 9 5 ~ヨーロツパ統合と文化・民族問題 ポ 1 . スト国民国家時代の可能性を問う』人文書院:234-5 稲上毅 1 9 9 2 '域内市場統合と社会政策ーヨーロッパの r 社会的空間』の ゆくえ J ~季刊社会保障研究~ 2 8( 2 ):1 1 4 2 5 . 伊藤るり 1 9 8 9'く新しい市民権〉と市民社会の変容移民の政治参加とフラ ンス国家」宮島喬・梶田孝道編 1 9 8 9 ~統合と分化のなかのヨーロツノ\~ 有信堂. 伊藤周平 1 9 9 6 ~福祉国家と市民権一法社会学的アプローチ』法政大学出版 局. 梶田孝道 鴨 武彦 近藤敦 1 9 9 3 ~統合と分裂のヨーロツノ \-EC ・国家・民族』岩波書庖. 1 9 9 2 ~ヨーロッパ統合』日本放送出版協会. 1 9 9 6n外国人」の参政権 デニズンシップの比較研究』明石書届. Layton-Henry ,Z i g1 9 8 5G r e a tB r i t a i n,TomasHammar( e d . )1 9 8 5E u r - 。 ρeanImmigrationP o l i c y,CambridgeU n i v e r s i t yP r e s s : 8 9 1 2 6 . 一一一一ーー 1 9 9 0TheC h a l l e n g eo fP o l i t i c a lR i g h t s,Z i gLayton-Henry( e d . ) 1 9 9 0 TheP o l i t i c a lR忽h t s0 1Migrant Workers i nW e s t e r nE u r o p e, London:SageP u b l i c a t i o n s :1 2 6 . 一一一一一 1 9 9 2TheP o l i t i c s0 1Immigration:Imm忽r a t i oη,R a c e 'αη dR a c e ' Rel,σ 'a tiめ ~01η1S 仇 η Post-ωσr Br げ i α ω 品z 弘 1? Macdonald,I a n1 9 8 3→ 1987Imm 信r a t i o nLawandP r a c t i c ei nt h eU n i t e d Kingdom,London:B u t t e r w o r t h s . 町村敬志 1 9 9 6 'グローパル化の都市的帰結移動者視点から見た都市」井 上俊・上野千鶴子・大津真幸・見田宗介・吉見俊哉編『岩波講座現代社 8巻 都 市 と 都 市 化 の 社 会 学 』 岩 波 書 庖 :1 8 9 2 1 1 . 会学第 1 M a r s h a l l,T.H.1 9 5 0→ 1 9 9 2C i t i z e n s h i pandS o c i a lC l a s s,T .H.M a r s h a l l -294- 英国におけるエスニック・デュアリズムと市民権 andTomBottomore,C i t i z e n s h i pandS o c i a lC l a s s,P l u t oP r e s s .=1 9 9 4 岩崎信彦・中村健吾訳「シティズンシップと社会的階級JWシティズンシツ プと社会的階級近現代を総括するマニフェスト』法律文化社. 宮島 喬 , 1 9 9 1 W国境なきヨーロツノ ¥J と移民労働者 EC統合下の問題の ゆくえ」宮島喬・梶田孝道編 1 9 9 1 Ii統合と分化のなかのヨーロツノ勺有 信堂高文社. Murphy,Raymond1 9 8 8S o c i a lC l o s u r e : The T h e oη 0 1Monopolization andEx c l u s i o n,O x f o r d :C l a r e n d o nP r e s s .=1 9 9 4辰巳伸知訳『社会的閉 鎖の理論一独占と排除の動態的構造』新曜社. P a r k i n,Frank1 9 7 4S t r a t e g i e so fS o c i a lC l o s u r ei nC l a s sFormation,i n FrankP a r k i n( e d . )T heS o c i a lA n a l y s i s0 1C l a s sS t r u c t u r e,London: T a v i s t o ck . 一←一一一 1 9 7 9MarxismαndC l a s sT h e oη:A B o u r g e o i sC r i t i q u e,London: T a v i s t o ck . 李 光一 1 9 9 5 'デニズンと国民国家一西欧諸国における定住外国人のシチ ズンシップJ I i 思 想 J 854:47-62. Scarman,Lord1 9 8 1T heB r i x t o nD i s o r d e r s ,1 0-12Aρ r i l1981,R e p o r t0 1 anl n q u i η b yt h eRιH o n o u r a b l et h eLordScarman ,OBE ,Cmnd 8247,L o n d o n :HMSO. ohn1 9 9 3RaceandR a c i s mi nB r i t a i n,London:Macmi 1 1a n . Solomos,J S o y s a l,Yasemin Nu h o g l u1 9 9 4L i m i t s0 1C i t i z e n s h i p :M i g r a n t s and P o s t n a t i o n a lM e m b e r s h i pi nE u r o p e,C h i c a g o :t h eU n i v e r s i t yo f ChicagoP r e s s . 竹中康之 1 9 9 2'ヨーロッパ統合と社会保障 『社会保障の連携化』に焦点を 社会保障研究 J 2 8( 2 ):143-52. あてて J W季干u 竹中康之 1 9 9 5 '人の自由移動 出入国,居住の権利を中心にして」金丸輝 男編 WECから EUへ 欧 州 統 合 の 現 在 』 創 元 社 :206-11. T a n n a h i l l,J . A .1 9 5 8E uro ρe a nV o l u n t e e rW o r k e r si nB r i t a i n,Manchester: ManchesterU n i v e r s i t yP r e s s 2 9 5 北大文学部紀要 樽本英樹 1 9 9 5,-デュアリズムからの脱却の可能性ーエスニック階層論の展 開J ~ソシオロゴス~ 1 9 :5 1 6 3 . 一一一一一 1 9 9 6,-エスニック・デ、ュアリズムの存続と変容-1970年代英国にお 7 ( 2 ) :3 0 4 3 . けるエスニック階層変動 J ~社会学評論~ 4 一一一一一 1 9 9 7,-英国都市部における移民の住宅階層 J ~都市問題~ 1 9 9 7年 1 月号:7 9 8 8 . Wallace,W i l l i a m1 9 9 0TheTranゆ r m a t i o n0 1W e s t e r nE u r o " μ ,L o n d o n : t h eRoyalI n s t i t u t eo fI n t e r n a t i o n a lA f f a i r s "=1 9 9 3 鴨武彦・中村英俊 訳『西ヨーロッパの変容』岩波書庄.