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丸木スマと大道あやの 「絵画世界」
◇ 特集〈広島/ヒロシマ〉をめぐる文化運動再考 小沢 節子 丸木スマと大道あやの 「絵画世界」 は じめ に だいどう 丸木スマ (一八七五~一九五六)とその娘・大 道あや (本名・ア は り「 専 門 的 な 美 術 教 育 と は 無 縁 な ま ま に 自 ら の 絵 画 世 界 を 展 開 した画家」として二人を位置づけ、以下に述べるような視点から、 原 爆 の 絵 画 的 表 現 につ い て 考 え て みた い 。 な お 、 本 論 で は 彼 女 た ち の 絵 画 を め ぐ る 「 表 現 」を 総 称 して 「 絵 画 世 界 」 と 呼 ぶ こ と と する 。 ま ず、 原 爆 を 描 い た 絵 画 につ い て、 二通 りの 区 分 を考 え て み よ 作 品 と して の 評 価 を求 める こ と な く 、 被 爆の 記 録や 体 験 の う 。 第 一 は 体 験 / 非 体 験 に よ る 区 分 で あ り、 第 二 は 無 名 性 / 作 家 性 ― ― とい う 区 分で あ る 。 第 一 と 第 二 の 区 分 は 必 ず し 継 承 の た め に 描か れ た 一 般 の 人 び と の 絵 画 と、 作 品 と し て 描 か れ も同義ではないのだが、一般には両者が漠然と重ねられることで、 た 作 家の 絵 画 家)の絵 画」 という 二分法が 成立 してきた。だが、入 市被爆とは 「 体 験者 (で ある 普 通の人 び と)の絵画」 と「 非体験者 (である 作 い り 丸木位里の母であり妹である (以下 、本論ではスマ 、あやと記す ) 。 い え 原 爆 を 体 験 し、 そ れ を 絵 画 作 品 と し て 発 表 し た 丸 木 夫 妻 は 、 に 対す る あ や の 批 判 に つ い て 紹 介 す る こ と と した い 。 ルとして喧伝した一九五〇年代の国民美術論、そして《原爆の図》 169 《原爆の図 》の作者として知られる日本画家・ ヤコ一九〇九~ )は、 ( 赤 松 俊 子 )と と も に 描 い た 《 原 爆 の 図 》 の 初 期 作 品 と絵 本 『 ピ よ う な 枠組 み に 容 易 に は 収 ま り そう も な い 。 本論 で は、 直 接 体 験 実 は こ の 二 分 法 の 例 外 的 な 存 在 で あ り、 ス マ と あ や も ま た 、 こ の 広 島 市 の 郊 外 三 滝の 自 宅 で 被 爆 し た 二 人 の 体 験 は 、 位 里 が 妻 ・ 俊 女 た ち は 《 原 爆 の 図 》 の 情 報 提 供者 = イ ン フ ォ マ ン ト だ った だ け ま た 、 本 論 で は 、 ス マ と あ や の 表 現 を 通 し て 「《 原爆 の 図 》 の よう な 認 識に つ い ても 改 め て 考え てい きた い 。 二 人 の 絵 画 世 界 を 辿 る こ と で 、 原 爆 を 描い た 絵 画 を め ぐ る 上 記 の 者 で あ り つ つ 、 原 爆 体 験 を 経 て 画 家 と し て の 自 己 実 現 を 果た した カ ド ン 』( いず れ も 一 九 五〇 年 )に 色 濃 く 反 映 し てい る 。 だ が 、 彼 で はな く 、 自 ら も 原 爆 体 験 を 描 い た 表 現 者 だ っ た 。 も っ とも 、 一 般 に は、 ス マ とあ や は 老 年に な っ てか ら絵 筆 を と 介 さ れ る こ と が多い 。 親 族 に 画 家 が い た とは い え 、 画 塾 や 美 術 想 と 運 動 に つ い ても 触 れ てい く 。 具 体 的 に は 、 夫 妻 が ス マ を モ デ 社 会 化 」 の 問 題 、 言 い 換 え れ ば 、《 原 爆 の 図 》 や 丸 木 夫 妻 の 思 り、 身 の 回 り の 自 然 や 生 き も の を 色 彩 豊 か に 描 い た 画 家 と して 紹 も不自由 だったことか ら、ナイーブアート (素朴 派) 、 あるい は 学校 で技 術 を習 得した わけで はな く、 スマ に いた って は読 み書 き ら れる こともある。 本 論で はそうした用 語は 使わないも のの、や ア ウト サイ ダー ア ー ト/ ア ー ル ブリ ュ ッ トの 画 家 として と り あげ (2) (1) ― 一 . スマ の場 合 描か れ た 原 爆 体 験 《 ピ カ の とき 》か ら「 命 の 曼 荼 羅 図 」 へ 《原爆の図》第一部「幽霊」の人物像とよく似た人物デッサンは、 前述のような《原爆の図》の制作現場で描かれたものかもしれない。 、彩色の小さな絵《ピカ (図版2) ― 三滝 三滝の橋》は、スマ自身 一方 、《 原爆の 図 デッサン 1 》( 図版 1 ) 、《原爆の図 デッサン2 》 ― の 体 験 を 描 い た も の だ ろ う 。《 デ ッ サ ン 1 》 と 《 ピ カ 行 列、 毛 布 を か ぶ っ た 兵 隊 た ち 、 水 を 求 め て 川 に 群 が る 人 び との の 橋 》 に は 橋を 渡 っ て 市 内 か ら 三 滝 の 山 へ と 逃れ てく る 人 び と の 原 爆 に よ り親族 を 失 った スマ は 、 老 後の気 晴 ら しに と俊 に 勧 め ら れ 絵 を 描く よ う に な った とい う 。 一 九 四 八 年 頃 か ら は 《 原 爆 とから、三滝にたどりついた被災者たちを描いたものと思われる。 姿 が 描 か れ て い る 。《 デ ッ サ ン 2 》 で は 川 や 橋 を 識 別 で き な い こ にも見えるそれら 駆ける動物のよう うにも、四つ足で 地面を這う鳥のよ メ ー ジ が目 を 引 く 。 かれた不思議なイ では、画面右に描 ず《デッサン2》 比べてみよう。ま と き 》( 図 版 3 ) を こ の 《 デ ッサ ン 2 》 と 、 そ れ を 下 絵 と して 完 成 さ れ た 《 ピカ の し 、 家 事 を こな しな が ら、 被 爆 直 後 の 様 子 を 語 り 、 と き に は 絵 の の 図 》 制作 に と りか か り は じ め た 息 子 夫 婦の も と に し ば し ば 滞 在 (6) モ デ ル とな っ た 。 位里 と俊 が 若 い 画 家た ち と と も に 人 物 デ ッ サ ン を 積 み 重 ね 、《 原爆 の 図 》 を 構 想 し て い く 過 程 を 間 近 で 見 て い た スマは、や がて 彼ら に触 発されるか のよ うに被爆当時の記 憶 を 描 き、 それ を一 枚 の絵 として完成さ せ た。 一九五 〇年頃、ス した数枚の水墨のデ ぶった兵隊たちに ー キ 色 )の 毛 布 を か 間や緑色 (軍隊のカ では倒れている人 は 、《 ピ カ の と き 》 19.4×27.3cm マは原爆をテーマに ッ サ ン と 彩 色 の タブ ロー (完成作品)を描 いている 。体験者 (4) 最も早い事例だが 、 丸木スマ《原爆の図デッサン2》制作年不詳、 図版2 19.4×27.3cm の絵画表現としても (5) 丸木スマ《原爆の図デッサン1》制作年不詳、 図版1 170 (3) 姿を変えている。ま と の 未 分化 の 状 態 へ と 旅 し た ミ シ ョ ー に 対 して 、 ス マ は そも そも る こ とで あ り、 そ こで は 、「 言葉 の 重 み 」(瀧口 )を振 り払おう と が 原 爆 体 験 と は、 言 語 世 界 の 崩 壊 の な か に 否 応 も な く 放 り 込 ま れ した ミ シ ョ ー が 何 か の 「 出 現 」 を 待 っ て 降 り てい った よ う な 世 界 自 分 の 見た モ ノを言葉 ( 文字 )で 書き表す 術 をもた なか った 。だ るような、かすれが が 、 想 像 を 絶す る 形 で 暴 力 的 に 開 示 さ れ た と も い え る か も し れ な た、描き手の身体の ちに、ときにはリズ い 。 ス マの デッ サン のな か の 、 まる で 象 形 文 字の 生 成 現場 を 思わ 運動の痕跡ともいえ や点は、《ピカのとき》 ミカルに描かれた線 は、彼女の見 絵 のな か を 駆け め ぐ り 這い 回 っ てい る、 人 間な の か 動 物な の か 、 幻 や 幽 霊 ・ 妖怪 な の か さ え お ぼ つ か ない せるような「記号」 ― 山の木々となる。 では大きな黒い鳥や ― も の た ち の 、 た だ な ら ぬ「 気 配 」 や 「 身 振 り 」 り「 イ メ ー ジ 」な の で は な い だ ろ う か 。 た 原 爆 投 下 後 の 世 界 を 、 一 瞬、 私 た ち に 垣 間 見 せる 「 言 葉 」 で あ 初めてこのデッサン 代のフランスの画家で いられなかった。 「(ミショーは~小沢)それらのデッサンは彼にとっ もの」について語った瀧口修造の次のような言葉を思い出さずには 怪のようなもの」 「人間とも動物とも、およそ境界のさだかでない 的なデッサンを、そしてミショーの描く「ファントムのような、妖 九 ~ 一 九 八 四 )の 実 験 リ ・ミシ ョ ー ( 一 八 九 に も 共 通 し、 優 れ た 色 彩 感 覚 を 表 わす も の と し て し ば し ば 言 及 さ 合 う 」 と語 った この手法 は、 花や動 物を 描い た 彼女の 他の作 品 に 分割 さ れ てい る こと にす ぐに 気づ くだ ろう 。 ス マ が「 色 が 張 り は色 使い にもよるのだ ろうが、 見る者 は画面の 背景 ( 地 )が三色 夢 の な か の 出 来 事 を 描い た よ う な 素 朴 な 絵 で あ る 。 「素朴な印 象 」 こ の デ ッ サ ン を も と に 再 構 成 さ れ た 《 ピ カ の と き 》 は 、 一 見、 あり詩人であるアン を見たとき、私は同時 55.0×80.0cm 状態にあるもの」だとも書いている。しかもすべてが人間にか、人 て、「生まれたばかりのもの、生まれつつある状態、無心と驚きの ン に は 多 く の 人 が傷 つ き 倒 れ てい る 。 な か に は、 ほ と ん ど 人間 の 害の 状況 その も の に ほ か な ら ない 。画 面の 半 分 を 占 め る 黒 の ゾ ー れる 。だ が、 この 絵の なか の 三色 の 分 割が 表 現する のは、 原爆 被 いえ、一人ずつしっかりと立ち、衣服もはっきりと描かれている。 数 人が 、 な す す べ も な く 眺め て い る 。 彼 ら は 血を 流 し てい る とは 姿 を 留 めて い な い も の も い る 。 そ れ を画 面中 ほ ど の 青 のゾ ーン の も ち ろ ん、 ミ シ ョ ー は 現 実 世 界 の 具 体的 な 何 か を 再 現 し 描 写 し さもなければ、何に似ることができるだろう?」 。 間をよそおうものに見えてくるのは不思議であった。 ― しかし、 (8) よ う と して い る の で は ない 。 ま た 、 幻 覚 剤の 力 を 借 りて 絵 と 文 字 (7) 171 丸木スマ《ピカのとき》1950年、 図版3 面 の 上 部 は 赤 の ゾ ー ン とな っ て お り、 左側 に は 燃 上 が る 赤 い 空 に 子 ど も の 手 を ひい て 杖 を 持 った 老 女 は ス マ 自 身 か も し れ な い 。 画 こ と につ い て も 補 足 し て お き た い 。た とえ ば「 市 民 が 描 い た 原 爆 お い て 忘 却さ れ 見 失 わ れる もの が 、 し ば し ば無 意 識 的 に 残さ れる ま た 、 前述 の 客観 的 ・ 記 録 的 な 絵 画 の な か に、 その 後の 歴 史 に 焼き つ け て い た の だ ろう 、 俯 瞰 的 かつ 子 細 に 描か れた 被災 時 の 風 の 絵 」 の な か に は 、 ま る で カ メ ラ の 眼 の よ う に 見た も の を 脳 裏 に 黒 い 死 の 世 界 に 閉 じ こ め ら れ た 人 び と と、 水 の 色 を 思 わ せ る 青 放 り 出 して 倒 れ た 「 ハ ク ハ ツ ノ チ ョ ーセ ン ノ 老 人 」 が 、 橋 の 欄 干 景 の な か に 、 河 原に しゃ がみ 込 む 「 南方 留 学 生 」 や 橋 の 上 に 杖 を よう にも みえ る大 き な黒 い 塊 が 描かれ てい る 。 立ちのぼる黒い雲のようにも、木の枝に止まった巨大なカ ラスの い 生 の 世 界 で 生 き 残 った 人び と ( 彼らは 太 田川 の流れ に沿って 立っ に 針 金? で 首 を 留 め られ た 「 あめ り かの 兵 」 が 記 録 され る 。 一 ている のかもし れず、また三滝の山を表わすと思われる木 々も水色 に い く 。 体 験 の 深 み か ら 次 々 と 湧 き 上 が っ て く る 生 々 しい 記 憶 を 捕 ら れる こと で 、 混 乱す る世 界は 秩 序 を 与 えら れ 、 意 味づ けら れて の 証 言 を 元 に こ の 絵 を 描 き な が ら も 、「 被 爆 した の は 日 本 人 だ け 手 錠 を か け ら れ た 米 兵 捕 虜 の 姿 が 描か れ て い る 。だ が、 多く の 人 爆の図》のなかでも、 《原爆の図》第四部「虹」(一九五一)には、 方、こうした無名の人びとの絵とは対極にあると思われている《原 。 そ して 燃 上 が る 赤 い 空。 三色 の ゾ ーン に 描 き 分 け 描か れ て いる ) その 体 験 を 他 者 に 伝え 得 る 表 象 と して 残 そ う と す る 作 業 が 行な わ 捉 し 、 か た ち と し て 留 め よ う と し た デ ッサ ン に 対 し て 、 ここ で は 意 味 が 後に 再 発 見さ れる 「 歴 史 的 記 録」 の絵 画 と い え るか も し れ 七 〇 年 代 を 待た な け れ ば な ら な か った 。 とも に、 描か れ た も の の で は な か った 」 とい う 事 実 の 意 味 に 丸 木 夫 妻 が 気 づ く の は 、 一 九 も っ とも 、 他 人 に 見 せる こ と を 前 提 と し ない 「 下 絵 」 に「 記 憶 れている 。 の 深層 」 が 表 出さ れる こ とや 、作品 が 完 成されてい く過 程で、 れ てい る わけ で は ない が、 緑 色 の 兵 隊た ち の 悲 惨 は 、 改 め て 強い ス マの 原 爆 の 絵 の な か に は 、 こ の よ う な 忘 れ ら れ た 存 在 が 描 か ない。 的に」見渡される/見下ろされることは、体験者の表現において、 決 して 珍 しい こ とで は ない 。 個 人 の ト ラ ウ マ 的 記 憶 を 直 截 に 感 、 二 軒 の 家 と 、 そ の 前 に 集 ま っ た た く さ ん の 黒 い 鳥 の よ う に も み える ) 印象を残す。そしてカラス。これがカラスならば(デッサンでは、 九七二 )を先取りしたかのような不思議な感覚さえ生じる。だが、 まるで、二十年後に描かれる《原爆の図 》第十四部「からす」(一 じ さ せ る 絵 画 ( あ る い は デ ッ サ ン )と 、 歴 史 的 な 記 録 資 料 と み な 絶 し た 表 現 で は な く 、 あ る 出 来 事 か ら 派 生 した 共 通 性 と差 異 が 織 改めて考えてみれば、むしろ丸木夫妻が四半世紀の年月をかけて、 りな す グ ラ デ ー シ ョ ン の な か に あ る の だ と も い え よ う 。 記 憶の 重 層的 な 構造 か ら 表 現 が生 まれ る 様 を 如実 に 伝 える スマ の デ ッサ ン 直 接 体 験者 た ち の 世 界 へ と 近 づ き つ づ け て い った とい う べ き な の か も し れな い 。 と タブ ロ ー も ま た 、 その な か に 位置 づ け ら れ る も の で ある 。 172 (11) 画 面の 外 部 や 上 空か ら の 視 点 に よ っ て 「 出 来 事 」 の 全 体 が「 客観 (9) さ れ る よ う な 一 見 客 観 的 に 再 構 成 さ れ た 絵 画 は 、 決 して 別 個 の 隔 (10) 寿ぐ 。そして、俊が「(スマの)生涯の曼荼羅図」と名づけた《簪 》 こ と も な か った 。 そ の 後 、 ス マ は 亡 く な る ま で の 数 年 間 に 七 百 点 った 。 ま た 同 作 品 は 、 な ぜ か ス マ の 生 前 に は 展 覧 会 に 出品 さ れ る 《 ピ カ の と き 》 を 描い た 後 、 ス マ は 原 爆の 絵 を 描く こ と は な か 年 の 絵 画 は 現 代 的 な 魅 力 に 満 ち てい る 。 も っ とも 正 規 の 美術 教 育 上 の 文 脈 と は 関 係 な く こ う し た 言葉 を 思 い 出 す ほ ど に 、 ス マ の 晩 と は 、 元々 は抽 ( all-over )な表現といえるかもしれない。 all-over 象表 現 主義 の絵 画 に つい て 語 られ た 現代 美術 の用 語だ が、 美術 史 の絵画であり、地と図の区別も判然としないオールオーヴァー 大 画 面を 埋め 尽く して い る 。 焦点 の な い 、 言い 換 え れ ば 、 多 中 心 ( 一 九 五 五 ・ 図 版 5 )で は 、 様 々 な 花 や 鳥 、 虫 や 蛇 や 動 物 た ち が した。 明る く 伸びやかな 作品 は 、七 十五 歳を 越え ても 様々 な 技 法 あ ま り の 絵 を 描 き、 女 流 画 家 協 会 展 や 院 展に く り 返 し 入 選 を 果 た を 受け てい な い ス マは 、 ポ スト ・ル ネ サ ン ス 的 な 写 実 主 義の 技 法 ス マ の 原 爆認 識 を 試み 、 色 彩や 構図 を 工夫 し、 自ら の絵 画 思 考 を 鍛え 上 げて い っ ― た 精 進 の 賜 物 で あ り、 そ れ と と も に 、 そ こ か ら は 彼 女 が 強 い 思い らな い と考 を 知 ら ず 、 そ も そ も画 面に 三次 元の イ ル ー ジョ ン を つ く ら ね ばな ユ ー ト ピ アの 裏側 で (12) で 描き 出 そう と し た 世 界の 姿 が 伝 わ っ てく る 。 一粒の種が万倍 える ことも な か った だ した経 歴故 ろう 。 そ う 彼 女が 最も に 、 そ して 近くで接 し 絵画 が《 原 た大画面の 爆の 図 》 で あった故 に、 こ の よ う な表 現に た どりつい 173 に増えて、不思議 な装束の人びとが 花を蒔いて喜び合 う 《 百 粒 万 倍 》( 一 。鎌倉時代 九五〇) から伝わる広島・ 壬生の華やかな田 思われる最晩年の 植踊りを描いたと 《田楽 》 (一九 五六 ・ 図 版 4 )で も 、 美 しく着飾った人び とが耕し育み働く ことを心から喜び 丸木スマ《簪》1955年、175.0×182.0cm 図版5 丸木スマ《田楽》1956年、90.0×90.0 cm 図版4 の 地 獄 絵 、 モ ノ ク ロ ー ムの 死 の 世 界 を 反転 さ せ た よ う な 色 鮮 やか た の か も し れ な い 。《 簪 》 に 描 か れ た の は 、 初 期 の 《 原 爆 の 図 》 に 対 す る 深い 洞 察 力 を も って い た 。 そ れ は また 、 前 述 の デ ッサ ン れた 言葉 とも いえ よう 。ス マ は「 学 問 」な どな く と も、 モ ノゴ ト た の だ っ た 。 原 爆 天 災 論 を 体 験 し 突 き 抜け た と こ ろ で 見 つ け 出さ は 人 間 が こ の 世 に 作 り 出 し た 地 獄 だ とい う 認 識 を ス マ は 打 ち 出 し か ら タ ブ ロ ー へ の 制 作 過 程 で も み た よ う に 、「 経 験 」 を 単 に意 味 《 ピ カ の とき 》 を 描 い た 後、 ス マ は 自 然 と 人 間 が 調 和 して 生 き る 豊 か な 営 み を 思い 描 き 、 あ ら ゆ る 生 き も の 、 す べ て の 命 が 等 し え る だ ろう 。 づ け る とい う 以 上 に 、 自 ら 意 味 を 組 み 替 え 、 再 構 成す る 力 と も い な 生 命 の 風 景だ が 、 両者 の 多中心 的 な 描 き 方は よ く 似 て い る 。 そ れ は まる で、 原 爆 に よ る 破 壊 を 覆 す 世 界 を 、 自 ら の 絵 筆 で 描き 「絵は誰でも分かる」、「絵は誰でも描ける」という両輪からなる ケ ル 』 の な か で 、 俊 は 数 々 の 興 味 深い エ ピ ソ ー ド を 上 げ な が ら 、 一 九 四 七 年に 真 善 美社 か ら 出版 さ れ た 赤 松 俊 子 『繪 ハ 誰 デモ 描 国 民美術論 と スマ く自足し肯定される「曼荼羅図」のような世界を希求しつづけた。 出 そ う とす る か の よ う で も あ っ た 。 そ し て 、 ス マ が は る か に 見 渡 し て い た ユ ー ト ピ ア 、 その 「 ど こ に も な い 世 界 」の 裏 側 に あ った 「 現世 の 地獄 」 に つ い て、 彼 女 自 身 の 語 っ た と い う 言 葉 が 残 さ れ 「ピカは山崩れた―あちがう、人が落とさにゃ落ちてこん。」 てい る。 も あ り 、 こ の 本 が戦 後の 文 化運 動の 高 ま りを 背景 に 執 筆 され た も ン ヴ ァ ス 」 とい う 章 で は 、 同 時 代 の サ ー ク ル 運 動 につ い て の 言 及 ば具 体的 な 画材 の 使 い 方 を述 べた 「 エ ン ピツ ・紙 ・筆 ・ペ ン ・ カ 芸術 論 を 展開 し た 。 内 容 を 詳 しく 紹介 す る 余 裕 は な い が、 た と え ママ 「 ま る で 地獄 じ ゃ、 ゆ う れい の 行 列 じ ゃ、 火 の 海 じゃ 。 鬼 の と も に 、 丸 木 夫 妻の 絵 本 『 ピ カ ド ン 』 に 紹介 さ れ た ス マの 言 葉 で の で あ る こ とが 伺 える 。 姿が見えぬから、この世のことと わ 思うたが。」 爆 天 災 論 の 批 判 、 加 害 者 の 存 在 = 投 下 責 任 を 指 摘 す る 言 葉 と して あ る 。 と り わ け 前 者 は 、《 原 爆 の 図 》 が 社 会 化 し て い く な か で 原 七 年 後 、 位 里 と の 共 著 『 絵 は 誰 で も 描 け る 』( 室 町 新 書 )と し と し た 旧 版 に 対 し て 、 ス ケ ッ チ を す る ス マ と背 後か ら 見 守 る 丸 木 て 再 刊 さ れた 同書 で は 、 新 古 典 主 義時 代の ピカ ソ の 母 子 像 を 表 紙 紹介され、現在にいた るまでく り返しとりあげられる。 だ が 、 原 爆が 天 災 の よ う に 語ら れ る の は何 故か 。 原 爆 投 下時 の 夫 妻 の 写 真 が 口絵 に 掲 げ ら れ た 。 この 写 真 が 示 す よ う に、 そ し て 一元的かつ一瞬の大量死の経験とは、それを被った者にとっては 、 上 空 一 万 メー ト ル の 「 敵 」の 姿 を 想像 す る 暇 も な く 天 か ら 降 っ て か 自 分 た ち の 母 が、 姑 が そ れ を 実 行 し て く れ よ う と は 思い も よ り ま せ ん で し た 」( あ と が き )と あ る よ う に 、 新 版 は 《 原 爆 の 図 》 「 〝絵は誰でも描ける 〟と言いつづけ、信じてきましたが、まさ の 作 家 と し て 社 会的 知 名度 を 上 げた 丸 木 夫 妻 が、 や は り 当 時 、 注 き た 災 厄 だ った の で あ り 、 手 持ち の 言 葉 で 表 現 し よ う と す れ ば 、 出 現 し た と しか 言 い よ う が な か った だ ろ う 。 多く の 人 び と が 実 感 「 こ の 世 の 地 獄 」、 本 来 あ の 世 の も の で あ る べ き 地 獄 が こ の 世 に と して とら われ た こ の よ う な 原 爆天 災 論 の な か か ら 、 だ が、 これ 174 (13) 旧 版 の 「 子 ど も の 絵 」 とい う 一 般 論 以 上 に 、 ス マ と い う 具 体 的 な 目 を 浴 び つ つ あ っ た ス マ に つ い て 語 った 本 で も あ っ た 。 そ こ で は つ つ 、 政 治的 に打 ち 出 され た も の だ った の だ ろ う 。 コ ミ ン フォ ル ム の 批 判 に よ る 日 本 共 産 党 の 民族 主義 路 線 を意 識 し れ、 次の よう な日 本 人論 へ と 展開 す る 。 存 在 に よ って 「 絵 は 誰 で も 描 け る 」こ とが 強 く 読 者 に印 象 づ け ら お ば あ ち ゃ ん は 、 マ チ ス も 知 ら ず ピ カ ソ も 知 ら ず、 ルソ ーも 「 絵 は 誰 で も 分か る 、 誰 で も 描 け る 」 とい う 提 起 自 体 は 、 芸術 享 受 と創 造 の 民 主 化 、 閉 鎖的 な 画 壇 ・ 美術 界 を 国 民 大 衆 に 開 放 す る と い う 妥 当 性 を も つ 。 大 衆 は 新 しい ナ シ ョ ナ ル な 文 化 を 享 受 す か 、 言 い 換 え れ ば 、 ス マの 表 現 の 根 源 に ある 原 爆体 験に 、 ど こま あふれる輝か しい作品を人生の最後に爆発的に描きつづけたの だ が、 そう 考 え た 丸 木 夫 妻、 特 に 俊 は 、 な ぜ ス マ が 、 生 命 感 る だ け で は な く 、 新 しい 文 化 を 生 み 出す 主 体 とな ら ね ば な ら な い 十 年 を 経 た 日 本 の お ば あ さ ん な の で す 。〔 中 略 〕 お ば あ ち ゃ た こ と さ え な く 、 百 姓 と し て 生 ま れ、 生き 、 働き つ づ けて 八 で自覚的だったのだろう。そして、果たして「絵は誰でも描ける 」 ― ん はパ リ も 知 ら な い 、 ニ ュ ー ヨ ー ク も知 らな い 。 この 日 本 の せる のか 」こ そが 問わ れ るべ きで はな か った の か 。 こ れは 、た と の か 。 む し ろ 、「 何 故 、 人 は 絵 を 描 くの か 」、「 何 が 人 を し て 描 か 何 も 見 た こ と がな い の で す 。 字 も知 ら ず、 絵 を 描こ う と思 っ ゴ ッ ホ も ゴ ーギ ャ ン も 、 立 体 派も 超 現 実 派 も、 何 も 知 ら ず、 だ けな ので す 。 〔中略〕ピカソも立派だしマチスも偉大です。 小 さ な 島 に 生 ま れ 、 小 さな 国 の 貧 しい 女 の一 生を しっ て いる との 手 に な る 大 量の 詩 歌 や版 画 作 品 等 に つ い て 考 え る 際 に も、 共 え ば 、 同 時 代 の サ ー ク ル 運動 の な か で 生 み 出さ れ た 、 一般 の 人 び 通 す る 問い で あ る よ う に 思 わ れ る 。 け れ ど 、 この 島 国 の こ の 日 本 人 、 こ の 私 た ち は どう な の で し 覚 や 素 質 に つ い て 、 伝 統 に つ い て 考 え 直 さ ねば な ら ぬ時 な の ょ う 。 も う 一 度 、 日 本 人 に つ い て 、 日 本の 芸術 につ い て 、 感 さ ら に 、 旧 版 の 「 エ ン ピツ ・紙 ・筆 ・ ペ ン ・ カ ン ヴ ァ ス 」 に あ 中 の 丸 木 夫 妻 の 留 守 宅 で 殺 害 さ れ た 。《 原爆 の 図 》 の 作 家 と して 一 九五 六 年 十 一 月 、 ス マは 《 原 爆の 図 》 世 界 巡 回 展 のた め 渡 欧 ではないでしょうか。(一〇~一一頁) た る最 終章 は「 民族の誇 り 」と改称さ れ、 安易な 西 欧 ( 美 術 )追 留 守 宅を 守る ス マ の「 反戦 平 和 の 言葉 」に つ い て 伝 え て い た 『 ア した党地区委員会の謝罪を掲載した 。そもそも一九五六年とは、 カハ タ』 は、 事件 後 に は 、 投 身 自 殺 体 で 発 見さ れた 容 疑 者 が所 属 活 躍 す る 丸 木 夫 妻 は、 党に と っ て も 大 きな 存 在 だ っ た の だ ろ う 。 う 主 張は 、 当 時 の 日 本共 産 党 に よ る 近 代 主 義批 判 の 反 映 と もい え 主 張 さ れ る 。 民 族 的 で あ る こ と こ そ が 世 界 性、 国 際 性 を も つ と い る が 、 こ こ で は ス マ につ い て 加筆 さ れ た 冒 頭 部 分 と こ の 最 終 章 が 同 時 期 の 国 民文 学 論 や 国 民 的 歴 史学 の 運 動、 よ り 直 截 に い え ば、 呼 応 す る こ とで 、 ス マの 画 業 こ そ が 新 し い 国 民 美 術 創 造 の 可能 性 年 で あ り、《 原 爆 の 図 》 世 界 巡 回 展 に も 一 九 五 三 年 の ス タ ー リン よ る 議 会 進 出 路 線 へ と 転 換 し た 六 全 協 ( 第 六 回 全 国 協 議 会 )の 翌 日 本 共 産 党 が 武 装 闘 争 路 線 を 極 左 冒 険 主 義 と し て 放 棄 し、 選 挙 に 175 (14) 随 で はな い 、 民族 の 誇 りに あ ふ れ た 日 本 人 の 芸 術 を 創 造 しよ う と (15) を証しするものとして位置づけられる。夫妻の国民美術論自体が、 (16) っ て い る 。 原 爆 か ら 生き 残 っ た 家 族 は、 よ う や く 恵 ま れ た 暮 ら こ と だ が 、 位里 の 運 動 に 対す る 気 持ち も ま た 、 こ の と き か ら 萎 え 術論 は急 速に 立 消 え てい く 。 夫 妻 の 党 から の 離 脱 は 一 九 六 四年 の のな かで のス マの 死と とも に、 彼 女を モ デ ル とする 夫 妻の 国民 美 キ ャ ン ペ ーン の側 面が あった と 思 われ る。 その よう な内 外の 状況 めて 絵 を描くよ うに なる 。 く 人 じ ゃ か ら 、 あ ん た も 描い て み た ら 」 と 友 人 に 勧 め ら れ て 、 初 泣 き 暮 ら し て い た あ や は 、「 あん た の 兄 さ ん も お 母 さ ん も 絵 を 描 金光教の教会に通い夫の「御魂 (みたま ) 」の救い を祈 りながら し を 手 に した とみ え た 途 端 に 、 無 残 に 崩 壊 した の だ った 。 毎 日 、 の死、冷戦下の「雪解け」、「平和共存」路線における文化的反米 て い っ た よ う で ある 。 彼 は「 旅 の い け に え と な っ た 母 」 と い う 言 夫 の 一 周忌 が 過 ぎた 頃、 六十 歳 を 越 え た あ や は 兄 夫 婦 の 暮 ら す 展 覧 会 入 選 を め ざ して 身 近 な 動 物 や 草 花 を 描 い た 。 だ が 、 三 人の 埼 玉 県 東 松 山の 丸 木 美 術 館 へ と 移 り 、 畑 仕 事 や 家 事 を し な が ら、 画 家が 一 つ 屋 根の 下 に 暮ら す こ とは 容 易で はな く、 戦 前 か ら つ づ ぎ 留 め よ う とす る か の よ う に 、 ス マ の 跡 継 ぎ に な る と 宣 言 し て 赤 の 共 同 制 作 を 介 し て社 会的 な 運 動 を 展 開す る の は、 一 九 七 〇 年 代 その 後 二 〇 〇 三 年 に 広 島 に戻 る ま で の 三 十 年以 上を 、 あ や は 栃 木 く 兄 嫁 俊 との 確 執 も あ り、 数 年 後 に は 兄 の 家 を 出る こ と に な る 。 こ う し た 経 験の な か か ら 絵 を 描 き は じ め た あ や は 、 「描く 喜び 」 して 過ご した 。 県下 都賀 、 埼 玉 県 越 生 と 移 り 住 み な が ら、 画 家 と して 絵 本 作 家 と あ やの 戦 後 は苦 難 に 満ち た もの だ っ た 。 戦 中 か ら 美容 師 とし て を 語 っ た ス マ と は 対 照 的 に 、「 母 は 心 か ら 楽 し ん で 絵 を 描 き な す 表 現 とい う 闘 い 一 家 を 支 え てい た あ や は、 一 九 四 九 年 に 夫 が 花火 工 場 を 開 く と自 った が、 私は絵を 描くのがす き じゃない ん じゃから 。〔 中略 〕 辛 ― ら も火 薬 類取 扱責任者 の資 格を とって新 しい 家業に 精を 出した。 語 っ た 。 た と え ば 、 夫 を 奪 っ た 花 火 を 美 しく 華 や か に 表 現 し た う て 辛 う て し ょう がない 」 と「 描く 苦 しみ 」につ い てく り返し 大 作 「 し か け 花 火 」( 一 九 七 〇 )( 図 版 6 )に は 、 描 く 苦 し み そ の つろ 花 火 師 の 仕 事 は あ や の 気 質 に も 合 い 、 工 場 の 経 営 も 軌 道 に 乗 った 症が 残る 。さ らに そ の翌 年に は夫 が 工 場の 火災 によ っ て 爆 死す る は 別 に し て 、 画 面い っ ぱ い に 広 が る 花火 の 下 、 川 の 中 に ひ し め く せ ず に は お か な い 。 ま た 、 一 枚 一 枚 の ド ク ダ ミ の 葉 を 緻 密 に 描い 大 量の 魚 た ち の 姿 は 、 一 九 四 五 年 八 月 六 日 の 広 島 の 川 面を 連 想さ もの が込 め られ てい る よ うだ 。 同時に、 あ や が意 識したか どう か れ て、 脳 味 噌も ド ロ リ と 落ち 」 た の を「 こん な と こ ろ に 一 滴 で も とい う 不 幸 がつ づ く 。 燃 え 盛 る 焔 の 中 か ら 黒 焦げ にな った 夫 を 運 つろ も の の 、 一 九 六 七 年 に は 息 子 が 花 火 製 造 中 に 事 故 に 遭い 重 い 後 遺 描 く 苦 しみ 二.あやの場合 の ア メ リ カ 展 以 後 の こ と だ った 。 松 姓 を 捨 て 丸 木 俊 子 と 名 乗 り は じ め る 。 夫 妻 が 再び 《 原 爆の 図 》 葉 を 残 して 共 同 制作 か ら も 遠 ざ か り 、 俊 は そ の よ う な 位里 を つ な (18) お い て はい け ん 思う て 、 み んな 手 で す く う て 」 持 ち 帰 っ た と も 語 176 (17) び 出 す とい う 凄 惨 き わ ま りな い 経 験 を 、 あ や は 「 頭 が パ カ ッ と 割 (19) な 猫 や 犬、 鶏 や 蛙 は、 絵 本 に 限 ら ず 「 擬 人 化 」 さ れ て い る よ う に れる物語の内部へと読者を誘う。一方、スマの描く生きものには、 み え る が 、 そ れ が 対 象 へ の 感 情 移 入 を 容 易 に し 、 次 々 と 紡 ぎ 出さ おの そう した 意味 での 「 表 情 」は ま った く ない 。 彼 らは 人 のよ う に 振 ずか ら 存 在 して い る か の よう で あ る 。な お、 あや が絵 本を 手 が け る舞うことも、個別の物語も必要とはせずに、自然に、まさに 自 る よ う に な った の に は、 絵 本 作 家 と して の 俊 の 存 在 が 影 響 を 与え 爆心地の 風景 ていると思われるが、私見では、二人の絵本の世界は異質である。 ― ス マ と あ や の 絵 を 描 く 喜 び と 苦 し み は 、 彼 女た ち の 原 爆 の 表 現 憤 りの 意 味 ― 長 い 間、 原 爆 を 描 こ う と は し な か った 。 そ 《 し か け 花火 》 とい う 「 隠 れ た / も う 一つ の 」 原 爆 の の タ イ ト ル は つ け ら れ て い な い )の な か に は 、『 ピ カ ド ン 』 の な か ラ 社 二 〇 〇 二 年 )と い う 絵 本 と し て 刊 行 さ れ た 。 九 枚 の 絵 ( 個 別 177 とも無縁ではなかった 。スマが原爆の絵から出発したのに対して、 ― あや は 原 爆 を 描 く 」 とい う N H K の 番 組 映像 の あ や が 九 十 歳 を 越 え て 原 爆 の 絵 を 描 く 姿 が 、「 人 間 ド キ ュ メ ン 絵 は ある と はい え 歳の おて んばさん ま わ って きた 」 と 思 っ た の か ど う か は 定 か で は ない が、 あや は外 シ ョン が 語る よ う に、 兄夫 婦 が 亡く な っ た 後「 今度 は 自 分の 番 が から 促さ れる よう にして、 五 十五 年を経て 原爆の記 憶に 向 き合 っ た 「 薬 草 」( 一 九 八 一 )か ら も 、 表 現 す る こ と へ の 並 々 な ら ぬ 執 れ た 大 画 面 は 、 一 見、 そ の 過 剰 さ ゆ え に 見 る 者 を 圧 倒 す る が、 よ あ や が 番 組 の な か で 描い た 絵 は、 その 後、 被 爆 時 の 記 憶 を 語 る たのだった。 ま た 、 絵 本 作 家 と し て の あ や に は、 絵 の 中 の 動 物 た ち と と も に 彼 女 の 言 葉 と と も に 『 ヒ ロ シ マ に 原 爆 が お と さ れ た と き 』( ポ プ 物 語 を 生 き る 喜 び が あ った よ う に 思 われ る 。 あ や の 描く 表 情 豊 か やの 姿 のよ うで も あ る。 猪 (?)は、 作品 に没入す る ことによ って自由と 解放感 を 得たあ く 見 れ ば 、 ド ク ダ ミ の 群 生 = 「 薬 草 」 の 癒 しの 中に 埋 も れ た 猫 や 着 が 伝わ って く る 。細 部へ の こ だ わ り が自 己 完 結的 に 積 み重 ねら として残されてい る (二〇〇〇 年十月十九日 放映 ) 。 番組の ナレ ー ト 91 大道あや《しかけ花火》1970年、180×180cm 図版6 の 洗 濯 物 を 干 す あ や の 姿 や 、 俊 が 語 った 橋 の 下 に う ず く ま っ た ま 場 面だった。 て 、 原 爆 体 験 を 表 現す る こ との 本 質 的 な 困 難 が 露 呈 した 衝 撃 的 な 重な っている 。 こ の あ や の 憤 り は 、《 原 爆 の 図 》 に 対 す る 次 の よ う な 批 判 と も ま 息 絶え てい た 人 の エ ピソ ード 、 そ し て な に よ りも ス マ の 描 い た 《 原 爆の 図 》 や 『 ピ カ ド ン 』 が あ やの 証 言 に 基 づい て い る か ら と 毛 布 を か ぶ っ た 兵 隊 た ち の イ メ ー ジ と 重 な る 図 像 が 多い 。 そ れ は や じ ゃ か ら 、 来 て も ず っ と 見 ず に お っ た んで す 。 畑の 草 引 き が 終 わ った と こ ろ で 、 や っと「 原 爆 の 図 」 を 見た んで す 。 ち 「 原 爆 の 図 」 が あ る い う て も 、 原 爆 の こ と は 思 い 出す の も い 記 憶が あや の 原 体 験 と 渾 然 と 一 体化 して い る た め とも 思 わ れ る 。 ね 。 広 島 の 原 爆 記 念 館 に あ る 絵 描 き じ ゃ な い 人た ち が 描 い た い と ち が う な あ 思 い よ り ま した よ 。 で も 、 あ れ は 絵 じ ゃ か ら いう だけ で はな く、 五十 年後のあやの 表 現の なか に《 原爆の図 》 し か し 、 そ の な か の 一 枚、 鉛筆 と 黄 色 い ク レ ヨ ン の 上 か ら 全 体 や 『 ピ カ ド ン 』、 そ し て ス マ の 絵 が 流 れ 込 み 、 彼 ら の 語 り 描い た に 薄 く 墨 を 塗 っ た 爆 心 地 付 近の 風 景 ( 図 版 7 )は 、 丸 木 夫 妻と も を塗り潰す ように、あ 報源となったと考えていた。そのあやの言葉について、私は以前、 様 を 語 っ た の は 自 分 で あ り、 そ れ が 《 原 爆 の 図 》 制 作 の 主 要 な 情 あ や は 、 八 月 六日 の 直 接 体 験 者 で はな い 兄 夫 婦 に そ の 日 の 有 り が 痛 う な る ん で す 。 私 は あ りの ま ま を 見 とる ん で す から 。 絵を見ると、 〈ああ、これじゃ、このとおりじゃ〉と、私は胸 やが画面を 鉛筆で書き 「 あや は、 夫 妻が 直接 体験者で ある自 分 ( た ち )の 体 験 をい わ ば ち」の体験を描くこと た 批 判 は 、 あ や の み な ら ず 、《 原 爆 の 図 》 に 対 す る 体 験 者 の 側か る 。 そ れ は、 番 組 製作 な ポ ジ シ ョ ン を 保証 す る も の で は な い 。 な ぜ な ら 「 体 験 」の 中心 ず が な い 」 とい う 批 判 は 、 そ の 言 葉 を 発 す る も の に な ん ら 絶 対 的 が 、 む ろ ん 、「 体 験 し て い な い も の が 語 る / 描 く こ と が で き る は ら 発 せ ら れ た 典 型 的 か つ 根源 的 な 批判 で あ り、 抵 抗 と い え る 。 だ 者たちの意図を越え 憤りをカ メラにぶつけ などできない と激しい (21) 178 たんは完成したこの絵 ている 。描くにつれて なぐった ことを記録し 底 にあるのも、 自らの 体験 の 絶対化、す な わち 見た ( 体験した) 占 有 し 、 再 構 成 し て 芸術 作 品 と し て 提 出 した こ と に 異 議 を 申 し立 た この絵を前に、生き よ る 表 象 へ の抵 抗 だ とい え よう 」 と 解 釈 した 。つ ま り、 こう し も の に し か わ か る はず はな い と い う 痛 切な 絶対 化で あ り 、 他 者 に て て い る の で あ る 。〔 中 略 〕 大 道 あ や の 兄 夫 婦 に 対 す る 思い の 根 残 った自 分が 「 生きな あやは、自ら未 完とし がら死んでいった人た 甦 る 記 憶 に 圧 倒 さ れた 2000年、31.5×45.5cm (20) ス マの 絵 とも 異な る あ や の 原 爆 の 表 現 だ っ た 。 番組 映像 は、 い っ 大道あや《爆心地付近の風景》(仮題) 図版7 に い る の は 死 者 で あ り 、 死 者 の 体 験 は 誰 も それ を 語 る こ とは で き う。 入 手 し て 心 を 動 か さ れ た い とい う 受 け 手 の 側 に こ そ あ る とい え よ つ ま り、 受 け 手 に 求 め ら れ て い る の は 、 体 験者 の 絵 画 を 芸 術 の な い の だ か ら 。 あ やも また 、 そ の こ と を「 理 解 」 し てい る か ら こ コ ン フ ォ ル ミ ズ ム に 押 し 込 め る こ とな く、 一 枚 一 枚 の 絵 画 と し て そ、 言 い 換 え れ ば 、 自 ら が 死 者 の 体 験 を 表 象す る こ との 暴 力 性 を 自 覚 す る か ら こ そ 、 爆心 地の 絵 を 完 成 さ せ る こ とが で き な か っ た 考 察 す る こ とな の で はな い だ ろ あや の「 市民 が描いた 原爆の絵 」への 共感 もま た、 一方 で こ れ れる。 一 般 化 とは 異な る 、 内 実 を 伴 う 分析 の 可 能 性 に も つ な が る と 思 わ も の を 一つ の 「 経 験 」 と して 作品 その の 可 能 性 を 引 き 出す た め に も 、 個 々 の 表 現 に 即 し て ― ので ある 。 う か 。 それ はま た、 い わ ゆる 「 心 の 傷 」 論 や ト ラ ウ マ 論の 安 易な ― 「 市 民 が 描 い た 原 爆 の絵 」へ の 共 感 前 述 の あ や の 言 葉 の な か で 、《 原 爆 の 図 》 批 判 と と も に も う 一 点 、 注 目 さ れ る の は 、「 原 爆 記 念 館 に あ る 絵 描 き じ ゃ な い 人 た ち ら の 絵 を 本 当 の 体 験を 伝 え る も の と し て ひ とま とめ に とら え、 他 が 描い た 絵 」 に 寄 せ る 彼 女 の 深 い 共 感 で あ る 。 あ や が 言 及 し て い 民 が 描 い た 原爆 の 絵 」 を 指 す の だ が 、 彼 女の 共 感 の 意 味 に つ い 方 で 《 原 爆 の 図 》は 本当 の 体 験で はな い と す る ス テ レ オ タ イ プ な るの は 、 「原爆の絵 」として近年、広く知られるようになった「市 て 考 え る た め に も、 これ ら の 絵 画 の 現 在の 受容 の さ れ 方 に つ い て だ ろう か 。 も ち ろん 、 こ れ は《 原 爆 の 図 》に は表 現の 苦 しみ がな 体 験 」 を 表 現で き な い こ との 苦 しみ に こ そ、 向 け ら れ て は い な い 批 判 と 裏 表 の よ う に も 思 わ れ る 。 だ が 、 彼 女 の 共 感 は 、「 本当 の か った とい う こ と で は な い 。 あ や の 見 た 絵 画 が ど の よ う な も の だ 第 一 に 、 こ れ ら の 絵 「 だ け 」 が 「 本 当の 」 原 爆 体 験の 表 象 だ と 三 点 ほ ど 問 題 点 を あ げて お き た い 。 ね な い こ と へ の 危 惧 。 第 二 に 、 ま た そ れ 故 に 、「 本 当 の 体 験 だ っ た の か は 分 か ら な い が 、 彼 女 は そ こ に 、《 原爆 の 図 》と 共 通 す い う 規 範 が 知 ら ず 知 ら ず の う ち に 形 成さ れ、 他の 表 現 を 排 除 しか けが与え得る感動」が最初から想定されてしまうことへの懸念 。 じ と った よ う に 思 え て な ら な い 。 る 「 表 現 の 苦 し み 」 以 上 に 、「 表 現 で き な い こ と の 苦 し み 」を 感 本 論 で は 、 直 截 な ト ラウ マ的 記 憶 の 表 現か ら、 一 見 、 客 観 的 ・ 容易 にな りイ メー ジが 拡散す る一方で、三 千点を越す個 別の表 現 が絵 画 と して 論 じ ら れ な い こ とへ の 疑 問 。 い ず れ も 「 原爆 の絵 」 に 使 っ た が 、 限 りな く 完 成に 近く 見 え る 《 原 爆の 図 》 の よ う な 作 記 録 的 な 絵 画 ま で の 、 表 現 の 「 グ ラ デ ー シ ョ ン 」 とい う 言 葉 を 先 で、原爆体験の絵画的表現の幅は広い。 「 市 民 が 描 い た 原 爆の 絵 」 品 か ら 、 あ や の 爆心 地の 絵 の よ う な 「 表 現の 拒 否 」 と い う 表 現ま 「特権化」され、画一化、 均質化されて受け ない表現ではあるが) 止 め ら れ か ね な い こ と へ の 不 安 で あ る 。 も ち ろ ん 、「 受容 の さ れ という一般的な呼称のもとで、これらの絵画が (誤解 を招きかね 方 」 と 断 わ っ た よ う に 、 問 題 の 所 在 は 、「 本 当 の 体 験 」を 容 易 に 179 (22) 第 三 に、 印 刷 物や パ ソ コン 画 面 を 通 し て「 画 像 」へ の ア クセ スが (24) (23) あ や は 「 死 者 の 体 験 」 を も 視 野 に 入 れ な が ら 、 そ う した 表 現 の 世 後には同じくらいの濃淡の「沈黙」のグラデーションが存在する。 の 個 々 の 作 品 も ま た 、 その 広が りの な か に あ り 、 そ して 、 そ の 背 爆 の 図 》 を 見 比べ る な ら ば、 そ こ に は 無 名 性 / 作 家 性 とい う 枠 づ 同 時 に、 ス マ の 絵 、 あ や の 絵 と「 市 民 が 描 い た 原 爆 の 絵 」 や 《 原 け 一 枚の 絵 の 深さ や豊 か さ を あ き ら か にす る か を 示 唆 し てい る 。 け 離れ てい る か、 表 現 の 個 別 性 に 即 して 分 析す る こ とが 、 ど れ だ がイ メ ー ジ として表 現され ることに ( あ る い は 、表 現 の 葛 藤 や 困 難 け を 越え て 、 情 動的 、 感 情的 な、 また 知 的 な 認 識 にお ける 共 通 性 界を 見ている のだ ろう。 あや は、 原 爆 体 験を 表 現 す る こ と の 困 難 を 、 甦 る 記 憶 に 苦 しみ に)気 づく 。こうした共 通性に着 目 しつ つ、 表現の連 続性のなか つ づ け る 人 の 生 身 の 姿 と し て 私た ち の 目 の 前 に 示 した 。 そ し て 原 爆 の 絵 に 限 ら ず 、 あ や が 六十 歳 を 越 え て 描い た す べ て の 絵 画 は、 越 え て 、「 原 爆 を 描 い た 絵 画 」、「 原 爆 体 験 の表 現 」 を と ら え 返す に 個 別 の 作 品 を 位置 づ け て い く な ら ば、 や が て は 実 体 験 の 有 無 を あや の 憤 りの よ 彼 女自 身 が 語る よう に 辛さ や苦 しみ と無縁で はな いだ ろう。 彼女 こ とも で きる よう にな る か も し れ な い 。 原 爆 の 、 あ る い は 戦 争 の 表 現 は 、 とき には ― の 人生 に 対 し て 想 像 力 をも つ こ とで 、 私 た ち は 彼女 の絵 画 世 界の 全 体像 を 引き 寄 せ る こ とは で き る が 、 しょ せん 、 苦 しみ の 核 心 に は触 れ 得 ない ので あり、 残 され た 作品 だけ が他者へ 向っ て開 か れ されたもの、また私たち自身を脅かすものとして存在する 。だが、 うに 近づ く こ とさ え 激 し く 拒 む よ う な 閉 ざ さ れ た も の 、 隔 絶 り 離 す こ と は で きな い が 、 彼 ら の 人生 を知 らな く て も 、 絵 画 は 一 個 別 性 と共 通 性 を手 が か りに 「 体 験 者 の 表 現 」 を 読 み 解 い てい こ う とす る な ら ば 、 そ う し た 表 現 も ま た 、 開 か れ た も の 、 連 な っ て い く も の と して の 相 貌 を 見 せて く れ る の だ と 思う 。 スマ とあ やの経 歴と 作 品に ついては、そ れぞ れの展 覧 会の図録 を けと ば し 山 の お て んば 画 家 大 樹・花・生きものを謳う』埼玉県立近代美術 家」と 紹介される ことも多く 、本論でと りあげる作 品も紙 に 墨や水 180 て い る 。「 市民 が 描い た 原 爆 の 絵 」 も ま た 、 描い た 人 の 人 生 と 切 ― つ の 経 験 と な っ て 立 ち 現 れ、 読み 解 か れ る こ とを 待 っ てい る 。 お わりに 画家人生のはじまりにあたって原爆の絵を描きながら、その後、 注 つ つ 、 画 家 人 生 の 最 後 が 近 づ く な か で 原 爆 の 絵 を 描 こ う と した あ 館 二 〇 〇 八 年 、『 生 誕 1 0 0 年記 念 参 照 。『 丸 木 ス マ 展 原 爆 を テ ー マ にす る こ との な か っ た ス マ と 、 原 爆の 記 憶 を抑 圧 し や 。 同 じ 場 所 で 一 緒 に 被 爆し た 母 と娘 で あ って も、 そ れ ぞ れ の 人 彩 絵 の 具 、 と き に は ク レ ヨ ン や 鉛 筆 で 描 か れ 、 大 作 は二 曲 一 双 の屏 道あや展 』渋谷区立 松濤美術 館二〇〇八 年。なお、二人は「日本画 彼 女た ち の 絵 画 は、 私た ち の 前 に 残 さ れ て い る 多 く の 表 現 を 一 くく 概に「体験者の表 現」として 括 ることが、いかに現実の生とか り よ う は こ れ ほ ど ま で に 異な って い る 。 生 の 軌 跡 と も あ い ま って 、 二 人の 絵 画 世 界 、 原 爆 体 験 の 表 現 の あ 1 風に仕立てられている。そ れらの作品が「日本画」という視点から ス マ 没 後 に丸 木 夫 妻 が 命 名 し た も の と 思 わ れ る と い う。 瀧口修造「アンリ・ミ ショー、詩人への私の近づき」『コレクショ どのように位置づけられるかについては、改めて考察したい。 一 九 五 一 年 に 発 表 さ れた ミ シ ョ ー の 詩 画 集『 ム ー ブ ヴマ ン 』 に つ い ン瀧口修造 』第2巻 、みすず書房一九九一年 、二一七頁 。引用文は 、 田中 禎 昭「絵 に刻 む記 憶 「南方留学 生」や「朝 鮮人の老人 」について は注 」『歴史評 でとりあげた ― 丸 木 位 里・ 赤 松 俊 子『絵 は誰で も 描 ける 』室 町 新 書 一 九 五 四 年 、 て瀧 口 が述 べ た 部 分 。 三七頁。 絵本『ピカドン 』(平和を守る会編・ポツダ ム書店)には、兄妹同 章を参 照。 然 に 育 っ た 従 兄 と 姪 を 亡 く し た ス マ が 、 夫 金 助 と と も に 二 人 を荼 毘 論 』二〇〇七年二 月号〈 六八二号〉 を参 照。 東京 空襲の体験画から に付し たこと、そ の金助も翌 春 には病 死したこと が描かれて いる。 ― また 、あやの被 爆当時の回 想について は、大道あ や『 へくそ 花 も花 前 掲 小 沢 「 原 爆 体験 の 表 象 / 表 現 」 を 参 照 。 小林岩吉さん(一九七四 年当時 、七 十 七 歳 ) の 作 品 を 、 米 兵 捕 虜 の 絵 の 中 に 「 て ん か く 」( 田 楽 )、「 ち よ ち か ね 」( 手打 鉦 ) と い っ た 文字も読みとれる ことから、スマが全く読み書きができなかったわ で 「 タ ブ ロ ー 」 と い う 語 を 用 い 、「 デ ッ サ ン 」 と 対 比 す る こ と と し た。 めぐ っ て 」 前 掲 『 丸 木 ス マ 展 』 を 参 照 。 一 九 六 四年 の 離 党( 除 名) に いた る ま で 、夫 妻 は 党 の打 ち 出す と 丸木スマの絵画を けで は ないこと も 伺 える。ス マ は自 宅に 届いた 郵 便物を見て 、誰に ― た と えば 、岡 村幸宣「 生命 の「 曼荼羅図」 は、ある程度識別できたのかもしれない。 / 誰 か ら の も の か を 判 断 し た と も い う 。 普 段 よ く 見 る 文 字 に つ いて 例外的に深水経孝が被爆の翌年に描いた《崎陽のあら志 長崎物 研 究 の 現 状 と 課 題 」( 長 田 謙 一 編『 国際 シ ン ポ ジ ウ ム 戦 争 と 表 象 / 美 術 2 0 世 紀 以後 記 録 集』 美学 出 版二 〇〇 七年 )を参 照。 ま た『アサヒグ ラフ』一九 五二年八月六日の原爆特集号には、似島学 園 の 原 爆 孤 児 を は じ めと する 六 人 の小 中高 校 生 の絵 が 掲 載 さ れて い きどきの文化路線か ら大きくは ずれることは なかっ た。 だ が、彼ら と 党 の関 係 はそ もそ も政 治 理 論 と い う よ り は 、人間 関係 に大 き く拠 流派) の人びとと も、志賀 義雄ら国際 派(非主流 派)の人び ととも っていたと思われる 。一九五〇年前後の夫妻は徳田球一ら所感派(主 歳で花開いた天真 に所収 。 なお、岡 村氏によ れば 、これ らのデッサン のタイト ルは、 爛漫な自然賛歌 』原爆の図丸木美術館二〇〇五年(改定二〇〇九年 ) デッサン類は、岡村幸宣『丸木スマの絵画 る。 13 14 ― 語》がある。深水については、小沢節子「原爆体験の表象/表現 12 ここで は、問題の所 在をク リアにする ために 、「完成作品」の意味 庫判 に 拠 る 。 五年 /福音館 文庫二〇〇 四年)を参 照。以下、同書からの引用は文 盛 り 大 道 あ や 聞 き 書 き 一 代 記 と そ の絵 の 世界 』( 福音 館 書 店 一 九 八 8 11 10 図像 に つ い て は 片 桐 サ ワ ミ さ ん ( 同 、 七 十 三 歳 ) の 作 品 を 参 照 。 10 「《 原 爆 の 図 》 の 社 会 化 」 に つ い て は 、 小 沢 節 子 『「 原 爆 の 図 」 描 か れ た 〈 記 憶 〉、 語 ら れ た 〈 絵 画 〉』( 岩 波 書 店 二 〇 〇 二 年 ) 第 三 7 9 75 181 2 3 4 5 6 た。 巡回展がスタートしたことも、今回 の研究会で あらためて 確認され の文 学者たち、 山代巴や 峠三吉らと の繋がりに よって《原 爆の図》 交流を持っていたようであり、また国際派の拠点となって いた広島 使 わ れ て い る こ と も 教示 さ れ た 。 こ う し た 呼 称 の意 味 す る と こ ろ に らは、東京大 空襲の体験者の絵画に ついて「体 験画」とい う呼称が に遡っての呼称 である。 また、報告 コメン テー ターの山本 唯人氏か 手で 原爆の絵を 残そ う」と いう一九七 四年のNH K広島の呼びかけ ついて は 、 今 後 と も 考 え て い き た い 。 なお 、「被爆者」と いう言葉 の歴史と、 国家による「原爆被害者」の 報告 後 の討 論の なかでも 、サークル運動と「市民が描いた 原爆の 絵 」 や 「 東 京 大 空 襲 の 体 験 画 」 に も 共 通 す る 問 題 と し て 、「 群 れ 」 分断の言説、及び トラウマ論 から原爆被 害の心の傷 を考察すること 」( 三 谷 孝 編『 戦 争 と 民 衆 戦 争 体 験 ト の意味 について は、直野 章子「原爆被害者と「こころの傷」 ― と し て 出 て く る 大 量 の 表 現 を ど の よ う に 位 置 づ け る か 、「 作 家 」 と ラ ウマ 研究 と の 対 話的試 論 楠 見 清 「 ピ カ と ドン ― の 対 話 か ら 」( ↑ ・ 阿部謙一編『なぜ広 島の空をピカッ Chim Pom とさせて はい けない のか』河出書房新社二〇 〇九年)が 、そ のよう 閃光と爆音 あの雲について、蔡國強と を 問 い 直 す 』 旬 報 社 二 〇 〇 八 年 ) を参 照 。 前掲小沢『「原爆の図」』第三章を参照。 な 視 点 か ら 「 市 民 が 描 いた 原 爆 の 絵 」 に つ い て も 触 れ て い る 。 同 三 二 一 ~ 三二 二頁 。 術 的 に も プ ロ の 画 家 の作 品 と 見 紛 う ば か り の 絵 も 存 在 す る 。 なか には、丸木 夫妻同様 、入市被爆者の手になる絵も多く 、また技 きた「不幸」と裏表だろう。実際には「市民が描 いた原爆 の絵」の は「市民 が描いた原爆の絵」という言葉 を使った。 これは「市民の だ き ま した 。 記 し て 感 謝 し ま す 。 本稿 執筆 にあ た って 岡 村 幸宣 氏 、 大道 眞由 美 氏から ご 教示をいた 今回 の研究会 に際し て 、私 が前掲「原 爆体験の表象/表現」で 使 用した「被爆市民の絵画」という言葉について 、直野章子氏から「被 前掲小沢『「原爆の図」』八五頁。 家 の 作 品で あ り 「 本 当 の 体 験 」 を 伝 え る も の で は な い と 排 除 さ れて 「本当の体験」という「感動」と「 受容」が最初から想定される 「 不 幸 」 は 、 同 じ 「 体 験 者 」 の 絵 で あ り な が ら 、《 原 爆 の 図 》 は 作 前 掲大 道 『 へ くそ 花 も 花盛 り 』二 七八 頁。 あ やの 信仰 へ の 言及 は『 へ くそ 花も 花盛り 』 のなかで も 目を引 く のだ が、そのこと の意味 については改 めて考 えてみたい。 前 掲 大 道『 へ くそ 花 も 花 盛 り 』 三 一 三 頁 。 るのだ ろう。 人はなぜ表現するのかと いう芸術論と運動論が斬り結ぶ可能性もあ 時に 、そ うした 難しさのなかにこそ 、これらの作品の魅力 があり、 ― を 「 作 品 論 と し て 切 り 取 る こ と の 難 し さ 」 が 議 論 さ れ た 。 だ が 、同 「作品」と「批評」という安定した座 標軸のなかでは語れない表現 * 23 24 爆市民」 という概念 の問題性が指摘された。 指摘を 受けて、本論で 182 15 18 17 16 22 21 20 19