Comments
Description
Transcript
42熊野筆の性格とその実態
0 熊野筆の性格とその賓鞍 一般に特殊産業といわれるものは、その土地にその産業に必要な原料や資材が得られない所に発達してい ることが多い。熊野筆ほこの点でほ正に典型的といつてもよく、その発達の歴史や毛筆業そのものに特殊性 が結びつくのである。 熊野筆の由来については前項で述べたところであるが、その発祥については勿論毛肇二刀祖と言われる先覚 町には1京毛の店あり、軸のJ吉あり、家内工業として作業 を進める。把で無雑作にしばった軸の山に外来者は先ず 金で働くことができ、随 戟的生活様式が低く低賃 一、山間の地である為に比 のを列挙すれば 今その特色と思われるも である。 野の土地柄が見出されるの 化してもいるが、そこに熊 したとしても、実際は専業 て発達した毛筆禦が専業化 のであり、たとえ副業とし んなところからひき出せる すなわち熊野筆の特色ほこ 者の労にまたなくてはならないが、われゎれはこの毛筆元祖を生み出し、それを受け入れることのできた社 酷かされる0 会的基盤を忘れてほならないのである。 熊野筆の全貌を紹介した﹁筆の都 熊野﹂が発刊されたのは昭和二十三 年であるが、その頃の熊野町の戸数 ほ千七十五戸で、耕地面積五反未満 が八百十五戸、五反−一町が二百四 十九戸、一町以上十一戸であり、一 反当り二石の収穫としても、一石を 一万円として一年に十万円以上の牧 人のある家は四〇パーセントの二百 六十戸しかない。この十万円から必 要経費を差引いた額が五人家族の生 計費であるとすれば、熊野町に毛筆 業が発達した理由はわかるであろう 軸 の 山 って品質の良い毛筆を低廉、多量に生産することができる。 二、製産技術がち密で、熟練を必要とするから、特別な条件が備らない限り他町村に伝わらない。独占事業 たる所以である。 三、毛筆業が家内工業である関係上、本町の人は幼少より毛筆生産に親しんでいるから、成人しての技術習 得も速く、いわゆる技術者に事欠くことはない。熊野筆の基盤の固さほこ1にある。 四、簡単な設備で作業ができるから副業に最適である。特に筆の穂︵毛の部分︶を造ることほ女性に恰好の 作業である。 五、機械化にょる分業のできるところもあるが、筆の稚を造ることほ正に名人芸でなけらねばならぬところ に、熊野筆の工夫と真価がある。 本全土ほ勿論台湾、北米等 にも輸出されている。画筆 についてもその品質ほ世界 の商品の間に伍して勝ると も劣らない成績を収めてい る。特に油絵筆の優秀さは ドイツ、フランス、イギク (102) 六、多数の業者が密集しているので大量注文にも容易に応じることができる。 七、熊野筆ほ熊野町の生きる力であり、その実績の上からも、進歩と改善に不断の努力を重ねている。そし て書 道教育に即して、また社会の進展に応じて、獣毛を生かすことを知つている。 毛筆業は今述べたように家内工業として成立しており、各家庭内に於て、筆の穂を造る者、軸を加工する 者、糊入れをする者、ネームを彫刻する者等に分れ、それらの分業によつてできあがつた製品が当地で問屋 と呼ばれる卸売商人の手によつて完成する。勿論これらの或る部分を一貫して作業し、卸売人に売却する場 合も当然あるわけである。また販売方法としてほ卸売商人から東京等の大都市の業者に販売する方法もあ り、各地の文房具店、学校等に直売する仕方もとられる。こ1に行商人の活躍する分野がある。 毛筆生産量ほ全国で九別掲を占めるが、その数量を年代を追うて見ると表のようである。画筆の生産も古 生産数量についての数字ほ適確には捕えにくい く明治末期頃から本町では立道民らの手によつて行われていたが、量産に入つたのほ戦後である。︵現在、 備考 大正6年の数は芸備日々新聞(大正7・10・1)新政、大正8年とユ5年の数は熊野 商工案内所闇.その他ほ「輩の都庁琶野」及び宅整事業協同組合の螢斜に依る 全国の六割︶刷毛については後に述べる。 画筆生産数量 が、生産能力ほ年産毛筆一億二千万本、画筆七千万 本と一応推定している。生産量の各年度による消長 は、その社会的な背景を考えるとうなづけるわけで ある。また一年間の生産数を見ると、一月から三、 四月の間が多いが、これは新学期に準備した出荷が 多いことと、農閑期に於ける作業量の増大をもの語 つている。 なお毛画筆の価格についても材料のよしあし、技 術の程度等によつて異り熊野町全体の数字はわから ないのが実際であろうが、およその数字を示すと次 のようである。たゞし、この数字は一本の価格見積 格 百 OU(⊃○五(⊃ (103) ︵単位万太︶ セヨ:一卜」 ヽ ヽ ヽ ︵単位万太︶ 五≡三 毛筆生産数量 備考二篭笠協同組合の資料によ る 00(⊃00C 本 りに誤謬があるかも知れない。現在の販路は戦所より縮小されたが、なお日 筆 考 宅 備 ク 画〃ク 〃 整 代 ○(つ感三dd円 000=二≡ (⊃00(〕五五 :毛 0000二王 六○(⊃二一= 価 毛画筆生産価額 〃〃ク賢〝歪 年 一六九六五入 年年年年年年 盈 入≡0000000C)00000000000≡五七○ 数 一一 =≡四五四四五六七六六四≡己∃王匹 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 正 昭 大 和 年 一○九八七大五四三二九八七大五四≡二一六四五入六四 宅 入≡二000五00五五五五五五00000五五五○ 0000000000000〔)On00 整 000000 画 月召 ≡i年 九八七大冤四=−∴ニーー○九入七大五四ニー」 月 毛 画 言88胃R88輩 ︵単位万杢 一一叫二三四五四四二=二二一一一≡四∵五:匹≡ 888888看昌8昌8岩0輩 ス等の製品とはきわだつて優秀であると伝えられる。日 L 一卜一一一一−・一一≡:匹=臼≡三≡=二 =:= 月別毛画筆生産数量 00000八=○五五○七○五二入五重五三000六 n000nOn00n0000〔 笠 0000〕00000 本各地の販売先ほ、東京二十パーセント、奈良二十パー セント、大阪十パーセント、愛知十パーセン,♪、その他 九州、四国、東北、北海道等が四十パーセントである。 この各地の需要額にも変遷があり、昭和十六、七年頃は こうした毛筆や画筆を中 心としたいろいろな製作過 程に従事する業者ほ上の表 に示す通りであつて、勿論 毛筆関係の業者が圧倒的に 多数を占めている。然し、 この数字ほやゝ専業化した ものに限られ、外に農閑期 を利用してこの工程に参加 する者は殆ど町民全域に亘 っていることを見逃しては ならない。 (104) 毛、画筆業種調 業業茶業業菜別 昭和≡十二年一月異施された 工業調査による 一一 六j一一四 貢五蓑≡= 京阪神地区が五十パーセントを占めていた。 備考 ・已・ 喜 軸具首 訂製加重撃 作工作 業葉菜 笠ノ削 糊靭美彫管稽紺 画 基 宅 木 金将 月 三し二已匁冬七冬旦旦互三一二二』九入七大玉野_主土 年 昭 ○___ 備考 毛笠事業鯨岡組合の資料に依る