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<日記>:自己との対話メディア 情 02-0066 上田香菜 指導教員 加藤

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<日記>:自己との対話メディア 情 02-0066 上田香菜 指導教員 加藤
情 02-0066
上田香菜
2005 年度
卒業研究
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<日記>:自己との対話メディア
情 02-0066
上田香菜
指導教員 加藤雅人教授
序論
日記。それは普通、自分だけが読み返すことを前提に書かれ、自分以外の誰にも見せるもの
ではないものである。しかし、その日記をウェブ上に公開し、プライベートを晒すウェブ日記
の公開者がこの数年で爆発的に増えている。この矛盾はどこから起こり始めたのだろうか。一
体、日記とはどういうものなのだろうか。そもそも何故日記が生まれたのかに興味を抱き、
「日
記」というものについて調べる事にした。
本論
第 1 章「日記とはなにか」では、日記の起源から変遷について考察した。まず日記は内容や
指向性によって、自分自身へ向けた事実の記録(備忘録)、自分自身へ向けた心情の記録(狭義
の日記)、他者・他者関係へ向けた事実の記録(日誌)、他者・他者関係へ向けた心情の記録(公
開日記)の4種類に分類することができる(1.2.1)。また、日記には読み書きのスタイルが大
きく関わっていることがわかった。読み書きの形式が転換する時期、日本においては明治期に
起こった小学校教育の開始に伴ったリテラシーの向上や、筆記用具の変化、読書スタイルの変
貌が、日記の広まりに大きな影響を与えたのである(1.2.2)。
第 2 章「日記の心理的効果」では、日記に期待される心理的効果を考察した。心理治療にお
いて第一に重要な事は、
「かたる」ことであり、語ることで実践されるカタルシスが心の安定に
繋がる(2.2)。しかし、
「かたる」事以上に「書く」という行為は心の中の無意識を具体化する
ことに役立ち、心の中のしこりを排出することに繋がることが期待される(2.3)。つまり、心
の中の曖昧なものは語ったり書いたりする事で外に排出できるのである。また、人は日記を書
くということに心の癒しを求めており、その傾向は年齢が高くなるにつれて高くなる(2.4)。
自我が形成される青年期には、自分のありのままの心の内、特に自分の価値を低下させるよう
な意見は抑制され、その溜まったものを日記に綴ることによって外へ排出しているようだ。
第 3 章「日記指導の目的と課題」では、日記指導について調べた。日記指導は子どもの思考
力・観察力を培う為に有効であると考えられて実施されてきたが、継続性に問題が起こるとい
う。その問題を解決するためには、児童の継続意欲を保つ為の指導者側の指導体制が重要であ
る。より長く日記指導を継続させる為には、より早い時期から日記指導を開始すること、そし
て、指導者が書き手に書く意欲を失わせない努力をする事も必要なのである(3.2)。ただ日記
を書かせるのではなく、読み手が適切なレスポンスを続ける事で初めて日記「指導」の意味を
成すのだ。そして、児童側の継続意欲を高める為には、Web 日記などの情報機器は有効になる
と思われる(3.3)。インターネットを利用するという上での良い点・悪い点のバランスをとっ
ていけば、今後の日記指導は変化していくのではないかと考える。
第 4 章「日記とウェブ日記」では、従来の「日記」とインターネット上に公開される「ウェ
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卒業研究
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ブ日記」の違いについて調べた。双方日々の出来事を綴る「日記」であるが、それぞれ書き手
の意識が異なると言える。ウェブ日記は CMC という今までとは異なったコミュニケーション
形態が生み出した、新たな自己表現である(3.2)。そしてウェブ日記では、視覚効果を狙った
特徴的な表記方法を用い、より多くの人々の注目をひこうという努力が多く見られる(3.3)。
こういった特徴に加えて、インターネットの「匿名性」も影響を与えている。匿名性によって
羞恥心を希薄化しながら自己顕示欲を満たす事が出来る事が、ウェブ日記の最大の魅力であろ
う(3.4)。結論として、私は今まで「何故、人に見せるものではない日記を公開するのか?」
という疑問を抱いていたが、そうではなく、
「ホームページが日記に似たコミュニケーション形
態を取るようになった」という考えに至った。つまり、2つは源が異なるという事である。や
はり日記とウェブ日記は全く異なったものであるということが答えではないだろうか。
文献表
・ 遠藤由美「過去記憶と日記、そして自己」
『現代のエスプリ 391』、至文堂、2000 年、pp.84-97
・ 大熊徹「日記指導の課題に関する史的考察」
、
『日本語学』Vol.22、No.6、2003 年、pp.28-36
・ 押見輝男「自己との対話?日記における自己フォーカスの効果?」
『現代のエスプリ 391』、至
文堂、2000 年、pp.129-141
・ 河野昌広「個人ホームページにおける自己呈示−ハンドルネームの使用と匿名性」『社会学
年誌』44、早稲田大学社会学会、2003 年、pp.107-120
・ 岸本千秋「インターネットと日記」『日本語学』Vol.22、No.6、2003 年、pp.38-48
・ 古寺雅男『日記―自己形成の試み―』法律文化社、1978 年
・ 小林多寿子「自己のメディアとしての日記」『現代のエスプリ 391 』、至文堂、2000 年、
pp.73-83
・ 鈴木晶『フロイトの精神分析』、ナツメ社、2004 年
・ 総務省「情報通信白書平成 17 年度版」
(http://www.johotsusintokei.soumu.go.jp/whitepa
per/ja/h17/index.html)(2005.9.14 閲覧)
・ 田中美帆「ネット上の自己と普段の自己」
『電子メディアのある「日常」』酒井朗・伊藤茂樹・
千葉勝吾編、学事出版、2004 年、pp.153-171
・ 永井徹「心理治療と日記」
『現代のエスプリ 391』、至文堂、2000 年、pp.142-152
・ 「日刊スポーツ」(http://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-041007-0026.html)
(2004.10 閲覧)
・ 日本ウェブログ学会(http://www.akaokoichi.net/weblog/)(2005.10.25 閲覧)
・ 「博文館新社サイト」(http://www.hakubunkan.co.jp/)(2005.12.20 閲覧)
・ 松岡靖子「ウェブ日記で若者は自分をどう表現しているか?」
『電子メディアのある「日常」』
酒井朗・伊藤茂樹・千葉勝吾 編、学事出版、2004 年、pp.133-150
・ 山下清美「 WEB 日記は、日記であって日記でない」
『現代のエスプリ 391』、至文堂、2000
年、pp.166-180
・ 山下清美・川浦康至・川上善郎・三浦麻子、『ウェブログの心理学』、NTT 出版、2005 年
・ 山脇高史「小学校における情報機器を利用した日記指導の考察」
(2002 年 11 月)
(http://yam
achin.com/)(2004.10.29 閲覧)
・ 依田明「青年の日記行動」『現代のエスプリ 391』、至文堂、2000 年、pp.114-115
・ 依田新「青年の心理?日記」『現代のエスプリ 391』、至文堂、2000 年、pp.98-113
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