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(東北大学名誉教授)「津波とともに50年」

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(東北大学名誉教授)「津波とともに50年」
慶應義塾大学大学院経営管理研究科
グローバル・ビジネス・フォーラムによる日本のグランド・デザイン策定を行う融合型実践教育
(慶應義塾創立150年記念事業未来先導基金プログラム)
第5回フォーラム
2011
9.25
Grand Design by Japan
-The 2011 Quake and Tsunami Project-
2011東日本大震災の危機対応(6)
科学・芸術・地域
[講演録]
Newsletter
津波とともに50年
首藤 伸夫 東北大学 名誉教授
日本の国土と自然条件
という逞しさがありました。また、大井川(静岡県)の扇状
地では、舟の舳先の形をした築山を造って、上流からの水を
日本は、国土38万km2のうち4分の1の面積にしか人が住めず、
約10万km
2 に1億2千万人が住んでいるという狭苦しい国です。
切り分けて住んでいます。「輪中」もそうです。高潮や津波
の危険がある場所に住むのは、実入りがいいからです。臨海
米国は住める土地が700万km2あり、人口は約2億8千万人、人口
工業地帯など、湾岸に工業地がたくさんあるのもそうです。
密度は30倍の差があります。例えば、崖が浸食の危機に晒さ
昭和28年の筑後川(福岡県)の大水害では、筑後川が26カ
れたとき、米国では、200年経っても大丈夫そうな、海から離
所切れ、夜明(大分県日田市)から下流の平野はほとんど漬
れた土地に住めますが、日本では200年後には海になってしま
かりました。朝倉(福岡県)では堤防が600mほどなくなりま
うような崖の近くに家が建っています。そういう差があるた
した。九州地方建設局の局長が国会に召喚され、「なぜ九州
め、米国を真似て「ダムをやめる」などと短絡的につなげる
一の川がずたずたに切れたのか」と吊るし上げられましたが、
ことは大変危険です。日本は南北に細長く、海岸線が約3万km
「戦後、少ないお金で、どこにも不公平が及ばないように手
ですが、片側だけで1万5千kmあるので、平均幅30kmの狭い国
当をしてきたから、切れるときはどこもずたずたになって当
です。しかもその真ん中には、3kmほどの高さの山が連なって
たり前です」と答え、終わりました。
います。
どれほどお金がなかったかは、私も体験しています。中学
日本はまた、台風が頻繁に来て、梅雨や霖雨など前線性の
生のころ、当時まだ舗装されていなかった国道10号線の路面
雨も多く、日本海側では雪もたくさん降ります。そのため、
を整備するのは、沿道の住民の仕事でした。村ごとに受け持
山地が削られていく速度は世界平均の10倍です。そして、削
ちを決めて、県の道路工夫が村人を指図して道を平らにさせ
られた土が山から下りて、土砂を落としてできた平野にわれ
ます。その仕事で日当がもらえるどころか、逆に、出ないと
われが住んでいるというわけです。その土地をつくったのと
「出不足」を徴収されるのです。私も仕事に出ましたが、大
同じような雨が明日降らないという保証はなく、それだけの
人ではないという理由でいつも出不足を半分取られていまし
心構えをしなくてはいけません。故郷の九州の町では、年に2
た。中学生の私は「大人よりよく働くのに」と悔しい思いを
~3回洪水があります。古くから住んでいる人たちは絶対に浸
したことを覚えていますが、それほどお金がなかったのです。
水しません。たった50~60cmですが、やや高いところに家を
私は1957年に大学を卒業し、資源調査会副会長の安芸皎一
構えているからです。後から来た人は水に漬かっています。
氏にお会いしました。当時、急速にダムを建設中で、安芸さ
昔の人はうまく水と付き合ってきています。例えば北上川
んに「あんなにダムを造ると砂が溜まります。そうするとい
(宮城県)下流では、洪水になると水山(2m程度の微高地)
ずれ海岸が減ってくるので、ダムの電力を売って得られるお
に一時的に避難します。水が引き始めると、水山に用意して
金の0.1%でもいいから、今から川や海辺がどう変わるかとい
ある舟で家に戻り、洪水の水を使って家の汚れを洗い落とす
う調査に使った方がいいのではないですか」と言いましたが、
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2011東日本大震災の危機対応(6)
「1億の民を食わせていくためには工業をやらないといけない。
れ、施設の新設や改良が明言されましたが、チリ津波級であ
工業には原材料、エネルギー、労働力の3つが必要なのに、日
れば高さ5mほどの防潮堤を造れば被害が防げるので、構造物
本にあるのは労働力だけだ」と返されました。
以外の防災はほとんど行われませんでした。
日本が輸出できる原材料は石灰石、水、空気の3つで、エネ
大船渡(岩手県)にも津波防波堤ができました。年に2~3
ルギーは全部買わなければいけません。その費用を払うため
回洪水に遭うのが普通の当時、初めて見る構造物に、誰もが
には、いい製品を安く仕上げてより多く利益を上げるしかあ
「これで本当に自然を制御できるのだろうか、自然に吹き飛
りませんから、輸送費を浮かすために臨海工業地帯を造り、
ばされはしないか」と思いました。チリ津波の記念誌『三陸
危険な場所に住んだのです。当時は石炭火力発電で、電力で
津波誌―チリ地震津波記念』(チリ地震津波気仙地区調査委
いうと現在の東北電力の総電力量くらいです。原子力や火力
員会, 1961年)には「人は自然を制御するか? 自然は人を
での発電をすべてやめると、電力は今の10分の1になり、1955
嘲笑するか?」というタイトルの写真が掲載されています。
年ごろの生活水準になります。白黒テレビが普及し、電気洗
昭和42年度の完成直後に十勝沖地震津波(1968年)が来ま
濯機と電気冷蔵庫が欲しかった時代です。雨が降れば水力は
した。構造物が完全に働き、「津波は構造物で防げる」とい
手に入りますが、1955~1960年ぐらいの生活しかできません。
う考えが一気に広がりました。一方で、津波で研究費を取る
原発反対を叫ぶには、そういう生活水準になることを考える
ことは極めて難しくなりました。日本には「教授1人につき1
必要があります。
年いくら」という研究費があったお陰で私たちは研究を維持
そこへ、伊勢湾台風(1959年)が来ました。死者5千人、被
でき、人材育成もできました。米国では1960年代半ばごろか
害額は国家予算の9%です。建設省(当時)に勤めていた私は、
ら津波に関する研究費はゼロになり、研究者は海洋開発分野
この台風を機に省内の土木研究所(現(独)土木研究所)に
に移ったりしました。ですから今、米国には津波研究をする
異動し、海の仕事をすることになりました。1960年は世の中
人材がいません。いろいろなことが起きて慌てていますが、
の節目の年でした。安保闘争があり、当時、東京大学の学生
研究は人がやるもので、人がいなくては何もなりません。
だった樺美智子さんが亡くなり、岸内閣が退陣して池田内閣
空白の1970年代ですが、大きな変化が起きました。1つは、
が誕生し、所得倍増計画が打ち出されました。三井三池炭鉱
地震の情報から初期波形を推定する「Mansinha and Smylie
の争議があり、石炭から石油へとエネルギーが転換しました。
(1971年)」という方法が確立されたことです。さらに、電
最初に配属されたのは、遠賀川(福岡県)流域の炭鉱町、直
子計算機が急速に高速化・大容量化されたことで、出発点の
方(福岡県)です。戦時中の乱掘で、ある日突然落盤するよ
波形から津波を計算する数値計算技術が開発されました。数
うな場所です。インフラの材料も、土・石・木から鉄やコン
値計算というのは、単に計算しても正しい答えが出るとは限
クリートになりました。こうした変化が人々の感覚にさまざ
りませんし、たとえ答えが出ても連続解を得ることはできず、
まな作用を及ぼしています。
飛び飛びにとらえられる格子点でしか値が出ないため、ぎく
同じ年にチリ津波(1960年)が起きました。地球の反対側
しゃくしたものになってしまいます。そうならないようにす
で発生した津波が日本にやってきます。北海道から沖縄まで、
ると計算が非常に複雑化します。それでもわずかな誤差が出
最大6m、平均2~3mの津波が襲来しました。被害は国家予算の
て、それが積み重なると結局は使い物にならなくなります。
約2%です。伊勢湾台風、チリ津波を踏まえ、構造物で対処す
「答えが出たからいい」では済まず、信頼に足る、実用に適
ることになりました。
したものでなくてはいけません。また、第一波が引き潮とぶ
つかると、それが原因で計算全体が崩れてしまいます。これ
主な津波対策の変遷
らすべてを制御しなくてはいけないわけです。
例えば、安政東海地震津波(江戸時代後期)が、伊豆半島
1896年の明治の津波(明治三陸大津波)では、国などでは
を回り込んで現在の静岡県下田市付近でどうなったかを計算
なく、自己負担で高台移転しました。1933年の昭和三陸大津
してみます。大きな格子では点線のように津波が進み、小さ
波では、国や県が資金を用意して高台を開発しました。しか
い格子では実線のように急速に下田に回り込みます。格子を
し釜石(岩手県)や田老(岩手県宮古市)などの5カ所は場所
小さくすればいいのです。格子の寸法が800mでは分析と数値
がなく、防潮堤を造りました。チリ津波の後、津波対策の特
計算結果が異なるので、400mにしました。しかし、100mにす
別措置法(「津波対策事業に関する特別措置法」)が制定さ
るとまた符合しません。原因はわかりませんが、こういうこ
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とが起きます。下田のように実測値があるものを再現するに
があったというモデルが出ました。このモデルが最も現象を
は、結果がよく合うものを取って、津波対策ができます。
説明しているとしてあちこちで使われていますが、岩手県北
400mが一番いい解を与えるなら、それで対策を立てるという
部を検証すると、このモデルでは断層の滑り量を3倍にしない
わけです。こうして津波を再現して対策を取っても、出た結
と合いません。このように、地震の情報だけ本当に起きたこ
果が本当に使用に耐えるものかどうかの確定は難しいもので
とを正確に調べるのは極めて難しいのです。
す。誤差を抑えるための数値計算は私どもが開発したプログ
東京大学地震研究所による昭和三陸大津波(1933年)につ
ラムが基礎になっていますが、使用条件がいろいろあります
いての宮古湾(宮古市鍬ケ崎地区)の調査結果で、「3~4mま
から、それを満たさなければ信用に足りません。
で浸水した」ところも、詳細に調べると、約120~130m離れた
ところでは、7.2~7.3mにもなります。津波では水がものすご
津波を測定することの難しさ
い勢いで走り込み、河川や道路のような部分はスッと通り過
ぎられますが、障害物があればぶつかって水位が上がるので、
津波はすべて違い、同じ津波でも見方で変わります。人の
2~3m違って当たり前です。津波予報でも、初期波形で大分違
顔が、一生懸命勉強している顔、飲み屋での顔、家庭での顔
うかもしれないし、自分のいる場所だけが運悪く周囲と比べ
が全部異なるのと同じです。人間の一生を50年、地球は50億
て2~3m違うかもしれないと思っていた方がいいと思います。
年、地震予知に予算が付いて25年ですが、人間の一生にする
津波予報が3mだから5mの堤防に行っても、運悪くそこだけ8m
とわずか10秒です。それだけの知識しか持っていません。今
になるかもしれないということです。そういう危険性がある
回の津波は、貞観津波から見て「1000年に1回」と言われます
のです。
が、再来年に1万年に1回の地震が起きないという保証はあり
津波は、深い場所では数百kmで起こり、高さが10mです。岸
ません。
岩手県山田町では、慶長の津波(慶長津波:1611年)、明
治の津波(明治三陸大津波)、昭和の津波(昭和三陸大津波)
がありましたが、今回の津波より慶長の津波の方が少し奥に
入り込んでいます。仙台平野では今から約1000年前に貞観津
波がありましたが、少し掘ってみると、2000年前の弥生時代
の堆積物がありました。三陸全体では6000年間に6回も津波が
ありました。Mansinha and Smylieの理論を用いて、地盤の動
きを基に津波が広がっていく条件が推定できますが、地盤が
計算のようにきれいに動くはずがなく、それを正確に推定す
る手がなかなかありません。例えば、1993年の北海道南西沖
津波では、ハーバード大学が出した波形、菊池正幸氏(横浜
[スライド]空間格子の寸法で異なる解
市立大学)が出した波形、地震の情報、津波、地盤の変位を
それなりに満たして私たちがたどり着いた波形など、1つの津
波に対していくつもの解が出されました。
そんな中、1964年のアラスカ地震の津波は、唯一実際に起
きた地盤変位を測ったものです。A―A‘断面を見ると突起が
確認でき、緩やかなものは長さが450kmぐらいです。これは地
震の情報からMansinha and Smylieで計算できます。ところが
下幅30kmほどの小山は地震の情報からはまったく算出されま
せん。非常に小さいので、地震に対する影響はそれほどでは
ありませんが、津波はいきなり2倍になります。
さて、今回の地震を藤井・佐竹モデル(藤井雄士郎・佐竹
健治氏)で見ると、太平洋プレートが大きく動いて、ヘコミ
[スライド]様々な初期波形
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2011東日本大震災の危機対応(6)
に近づくと高くなります。津波の形は、潮汐が速く行ったり
の振動になります。ですから、その湾で起こりやすい振動の
来たりする形、前がどんどん砕けてそれが続く形、海面で段
周期とちょうど同じような津波が一波、二波、三波と来ると、
ができて約10秒の普通のさざ波がでて、それが自分で成長す
どんどん大きくなります。
る形の3つがあります。津波エネルギーの速度は水深×10の平
アリューシャン津波(1946年)は、高さが30mありました。
方根で、太平洋は4千m×10で4万、その平方根が200です。1秒
砕波段波型津波なので、後ろは低くなっていません。高さ10m
間に200m、1時間720kmも進みます。「水深が4分の1になると
の地盤にある高さ18mの灯台が、唯一、鉄筋コンクリートであ
速度は半分」という法則です。一方が浅く、もう一方が深い
りながら倒壊しました。3.11では宮城県女川町で6軒、宮古湾
と、屈折して進みます。リアス式海岸は浅いところがあるた
奥の岩手県宮古市赤前で2軒の鉄筋コンクリートの建造物が倒
め、津波が曲がり込みます。秋田県男鹿では津波が跳ね返さ
壊しました。倒壊理由をきちんと把握しなければ、建物を津
れて浅い能代沖に回り込んだため、男鹿では2回なのに、能代
波避難場所として使うことは危険でしょう。
沖には7回津波が来ました。
波状段波型では、波が2つ、3つできたりします。自分で背
浅水効果というものもあります。1つの波の長さが数十kmあ
が高くなる厄介な波で、砕波段波と波状段波とが並んで動く
り、後ろは深く前は浅くなっている場合、なかなか進まない
こともあります。波状段波の衝突は、我われが開発した数値
ため、後ろが追い付きます。間のエネルギーが保存され、背
計算技術でも扱えません。東京電力福島第一原発でもものす
が高くならざるを得ません。前部は走り込んできた水の勢い
ごいしぶきが上がりましたが、それがその例です。「CADMAS-
で駆け上がり、陸の高さよりもまだ奥まで行きます。
SURF(数値波動水路プログラム)」という数値計算技術でも、
リアス式の海岸では集中効果もあります。広幅の波が深い
例えばビルに当たって這い上がるものは計算できません。
ところに入り込む場合、浅くて幅の狭い場所でどんどん背を
「津波はこの高さまでなので大丈夫」と言われる津波避難ビ
高くします。岩手県大船渡市綾里白浜では、明治三陸地震の
ルの高さは、陸側の高さで決まっていますから、津波避難ビ
津波が38.2mまで駆け上がり、観測史上最高だと言われました。 ルの海側ではなく陸側の部屋に入る方が安全です。ものすご
津波を大きくするもう1つの効果が共鳴・共振現象です。水
い量のしぶきと一緒に木材などが入ってくると命を落として
を器に入れてこぼさないように運ぶのは難しいことです。入
しまいます。
れ物の中の水がちょっとした刺激で揺れるからです。その揺
れやすさを調べる実験をしました。たらいに水を張って、こ
津波防災対策の変遷
れを落とすと水面が傾きます。すると、水は高い方から低い
方に流れて、次の瞬間、高かった方に戻ります。これを繰り
1970年代には津波の研究費はなかなか認められませんでし
返されます。これが、たらいの中で一番起こりやすい振動で
たが、東海地震が叫ばれるようになると建設省河川局(当時)
す。普通の湾は、湾口から湾奥までの振動が起こりやすいと
と水産庁とが共同で津波対策を考え直すことになりました。
いえます。湾口から湾奥までが短い湾では、その半分の長さ
防潮堤の建造です。チリ津波地震対策以降も岩手県だけは津
波対策で堤防を改良し、高さを5~6mから10mまで嵩上げして
います。
建設省河川局などは、複数の津波防波堤を造るべく、委員
会を設置しました。私はその委員会の幹事長として「津波対
策は、防災施設だけではなく、“いざとなったら逃げる”、
“津波に強い地域にする”も組み合わせよう」と言いました
が、激しく抵抗されました。また、記録から判断して「25mの
堤防」という話になっても不可能です。そこで「30年か50年
に1回かもしれない津波を防ぐことを想定し、もし計画対象の
津波がそれを乗り越えてもいいことにしよう」と言うと、ま
た大反対されました。何とか押し切りました。
そうした折、1990年代に日本が提案(モロッコが共同提案
[スライド]砕波段波型津波
国)した活動「国際防災の10年」が始まりました。世界中の
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2011東日本大震災の危機対応(6)
津波研究者が私と同じように研究費の取得に苦労しており、
は“命の安全を確保するもの”ではなく、“資産の減少を抑
ハザードマップを作ろうにも資金も技術もない状況でしたか
えるもの”と位置付けます。今回の津波後の議論では、この
ら 、 私 ど も の 技 術 を 無 償 提 供 す る TIME 計 画 ( Tsunami
「多くの資料を持つ」という部分を削除しそうな気配です。
Inundation Modeling Exchange)を策定したのです。条件は、 「大きなものを対象にする」と言うのは簡単ですが、対策の
①営利目的に使わないこと、②成果品を発表する際にはアー
立案に必要な数字を揃えられるのか、大きな課題でしょう。
ト・マネジメントにTIME計画でもらったプログラムで作った
3.11の前に、国の中央防災会議は、三陸地方に対して、三
と明記すること、③使用してみて問題が生じたら、自分たち
陸沖地震、明治三陸地震、宮城県沖の地震レベルの地震に備
だけで解決せず一緒に解決すること、の3つです。この使用条
えるように言っていました。それは、図1の紫・青・赤の部分
件で信頼性を確保しました。現在、約30カ国60機関が同プロ
で発生するというものです。この手引きでは、過去最大の津
グラムを使用し、国連の標準指標になっています。
波に加えて、最近の理論や観測結果で「起こる」と推定され
1993年に北海道南西沖地震津波が奥尻島(北海道)を襲い
る最大の地震による津波についても考えました。「三陸地方
ました。津波は11mでした。青苗5区は高さ4.5mの堤防で守ら
では、図の赤囲みの区域が1つのブロックとして動き、最大マ
れていましたが、堤防だけが残り、全戸が流出してしまいま
グニチュード8.6ぐらいの地震が起こる」として、それを対象
した。この事実から、7省庁が同じ基準での津波対策に合意し、 に対策を立て、防災施設、防潮堤や防波堤などを造りました。
「防災地域計画」を「津波に強いまちづくり」に言い換え、
しかし、3月11日、ブロックは3つ一緒に動いてしまいました。
「いざとなったら逃げる」ということにしました。
この地域で一番大きいと言われた明治三陸大津波をはるかに
この10年での大きな変化というと、対象の津波です。以前
上回ってしまいました。
は、「信頼できるデータを多く得られるものの中で一番大き
防潮堤のはしりは、『稲むらの火』で有名な濱ロ梧陵が築
なもの」でしたが、「それと予想される最大地震による津波
いた土の堤防です。石の堤防に防潮林と土の本堤防がある
とを比べ、大きい方を対象にする」ことになりました。基本
“三段構え”です。1854年の津波後、4年掛けて完成しました。
的には資料のある世界最大の津波を相手にするので、構造物
効果を発揮したのは、それから約90年後です。「大きい防潮
堤を造ろう」という動きがありますが、90年後、150年後に役
立つ強度と機能を維持できなければ何にもなりません。太田
名部(岩手県)の防潮堤は今回の津波より高く、効果があり
ました。
ここで、これから解明せねばならないことが起きました。
津波は、漁港の中では周りに比べると半分になるのです。太
田名部でも黒崎でもそうでした。水をためるポケットがそれ
ほど大きくないのに、なぜ半分になったか、不思議なのです。
[スライド]図1:防災対策の検討対象とする地震
[スライド]津波太郎:田老の防潮堤
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2011東日本大震災の危機対応(6)
あり得ないことではありませんが、これからの大きな研究課
も、1700年代に集落が平ノ段という高地に移り、その後は津
題です。
波に遭っていません。集落の入り口にある南海津波の祈念碑
岩手県は、明治三陸大津波での防潮堤の働きのシミュレー
には「これより下には家を造らないようにしよう」とありま
ションを県のWebサイトで一般公開していましたが、それは防
す。
潮堤も普代の水門も越えるものでした。大船渡の津波防潮堤
唐丹町本郷地区(岩手県釜石市)では、明治三陸大津波で、
もなくなりましたが、津波を半分ぐらい逃がしてくれたらし
166軒のうち1軒だけが生き残りました。そこで、一旦は高い
いと言われています。
場所に移りますが、浜が遠過ぎて、結局10年も経たないうち
他方、構造物は波が当たる場所に置かれていますから、波
に下りてきます。そして昭和に再びやられます。また移動し
に削られて浜が痩せると、その隣が突然地盤沈下することが
ますが、2003年には低い場所に家が建ち始めます。チリ津波
ありますから、造るだけでなく手当をしながら維持する必要
対策で約5m、岩手県の増築で11mの堤防ができたこと
があります。例えば、久慈・久喜(岩手県)の防潮堤は建造
もあり、低い場所にどんどん家が建ちました。
から20年で陥没しました。
昭和の津波を経験したある年配の女性は、地震とともに、
田老(岩手県)では、昭和三陸大津波の後に防潮堤を造り
とにかく逃げました。そうした経験を訊かされて育った娘さ
ました。古いものと新しいものでちょうどX字型です。ここは、 んもすぐ逃げました。ところが、40代のお孫さんは「来るわ
昭和三陸大津波が10m、明治三陸大津波が15m、防潮堤は10mで、 け無い。堤防もあることだし」と逃げ遅れ、津波に捕まりま
明治の津波は防げませんが、もし来たらどうなるかを岩手県
した。幸い、命は助かりましたが、大怪我をしてしまいまし
が作成して公開しています。それを見ると、地震が起きて28
た。
分後に津波が襲来し、10mの堤防を簡単に乗り越えます。今回
の津波も同じです。この防潮堤が壊れなければ、沿岸には水
<防浪地区>
深6~7mの大海水プールができ上がるはずでした。ところが、
津波に強い建物を造る対策があります。イタリアでも、3m
地盤沈下で建造から27年後に亀裂が入り、そこから草が生え
程度の津波を防いだ例があります。しかし、問題は木材や船
ていました。壊れるのは当然のことです。
などの漂流物です。チリ津波の際にも流されてきた船がガレ
キの上に放り出されました。米国でも防潮林や強い建築物で
津波に強いまちづくりの事例
凌げると考えました。今回、宮古市鍬ケ崎でも丈夫な冷蔵設
備が背後の家々を守りました。
<高台居住>
こうしたことも現在は数値計算で確認できます。例えば、
津波に対しては、とにかく高いところに住むのが一番です。 鍬ケ崎のモデルはかなりよくできています。このモデルでは、
山田町山ノ内地区(岩手県)は奈良時代に浜から移って以来、 壁のある建物と魚市場のような壁のない建物と津波の通り方
津波に脅かされていません。足摺岬に近い竜串(高知県)で
の違いきちんと表現されています。津波が壁のない魚市場を
どう通り、その後どうなるかを知ることができます。
以前、その鍬ケ崎で行った津波のワークショップでは、事
前にこのモデルを使って作成したCGを見せたところ、ある年
配の女性が「津波が怖いというのは今まで常々親からも聞い
ていたけど、このCGを見たら本当に怖いのだと思い出して、
よく眠れなかった。今日は一生懸命やります」と言っていま
した。
3.11の地震では丈夫なはずの津波避難ビルさえも倒壊しま
した。例えばマリンパル女川(宮城県女川町)は津波には耐
えましたが、背後の住宅は守れていません。次の瞬間、水の
中で火の手が上がりました。かつて、私が消防の方々に「津
波で火事になる」と言ったときには大いに笑われましたが、
[スライド]2回に分けて建設された唐丹本郷の防潮堤
1996年の奥尻の津波では本当に火事が起きたので、以降は信
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2011東日本大震災の危機対応(6)
用してもらっています。今回も火が出ました。
第一種区域の建物は耐水構造として木造を禁止し、第五種区
域でもいざというときに逃げ込める部屋を造ることを定めま
<防潮林>
した。
防潮林は3m以上の津波には効きません。5mでは樹木そのも
昭和三陸大津波の後、宮城県も「指定場所に住んだら罰金
のが折れます。
か勾留に処す」という罰則付きの土地利用規制を行いました
陸前高田市では、昭和三陸大津波やチリ津波に比べても、
が、戦争直後に消えてしまいます。
3.11の津波はかなり奥まで入りました。有名な高田松原の7万
ここで注目しておきたいのは、規則の日付が6月30日。昭和
本の松は1本しか残りませんでした。砂州も大きく削られて地
三陸大津波は3月3日ですから、4カ月も経たずに設けています。
下水の塩分濃度が高まり、これが枯れることが心配され話題
1週間も経たない3月8日には岩手県出身の代議士たちが復旧・
になりました。
復興についての提案をします。それは、今回の復興会議とほ
ぼ同様の内容です。「3月3日を記念日にして経験を永年伝え
<土地利用規制>
る」というソフト対策まで盛り込みました。3月30日には大蔵
土地利用規制は「危険な場所に住まない方がいい」という
省(当時)の預金部が宅地造成の利子補給の財源を公表しま
ものです。名古屋市は伊勢湾台風で大規模に浸水しましたが、 した。4月半ばには、県議会などが具体的な復旧・復興策を次々
浸水地は人間が1600年代から長年干拓してきた土地と符合し
決め、6月10日に震災予防評議会が対策を提案します。6月30
ます。元の海に戻ってしまったのです。今年の台風15号も伊
日には宅地の土地を決め始めました。そういうスピード感で
勢湾台風とほぼ同規模でした。そこで同市は利用規制を掛け、 す。
明治三陸大津波で被害を受けた宮城県雄勝町でも移転用の
土地を開発しました。20年年賦(当時)で借り入れして家を
建て、初めは大変でも、終戦後はインフレもあり昭和29年に
完済したそうです。ところが終戦で前述の県令が消失し、危
険地帯に再び家が建ちました。そして3月11日、完全にやられ
てしまいました。
<危険物対策>
津波では、火事が油とつながると大変です。世界には5例あ
り、1番軽いのが新潟地震(1964年)による新潟県の例です。
それでも、石油タンクのパイプが破損して油が流出し、津波
の水の上を広がりました。5時間後に火がつきます。油だけが
[スライド]宮城県雄勝町相川:宅地造成と建築禁止区域
広がった地域もありました。第1の火の5時間後に第2の火が出
て、次から次に約100基を誘爆しました。その結果、約300軒
が焼失しました。タンクは地下埋蔵する必要があるのです。
<防災体制>
津波予報がない場合も注意が必要です(#18)。実は、20cm
以下の津波がある場合も「若干の海面変動があるかもしれな
いが、被害の心配なし」となります。ですから、この予報で
も絶対に海に入ってはいけません。“引く”ときにどこかに
まとまって流れることもあり、“来る”津波は大したことは
なくても、そこにたまたまいると命を失う危険が高いのです。
とにかく地震のときは海岸に近寄ってはいけません。1983年
[スライド]相川:造成地と旧集落位置
の日本海中部地震では、津波の高さはわずか70cmでしたが、
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2011東日本大震災の危機対応(6)
海岸にいた9人中3人が亡くなりました。とにかく逃げなくて
れるな」「その状況の中でベストを尽くせ」「率先避難者た
はいけません。逃げるかどうかで死亡率は3桁違います。同じ
れ」の避難3原則の防災教育をされたからです。一方、浸水区
津波の高さでも、1万人中6千人亡くなることもあれば、ほと
域外の大人たちは高い死亡率でした。この教育の初期、地図
んど死なないこともあるのです。
を配ると小中学生が「おれの家は浸水区域の外だ。ラッキー」
「強い地震の後には津波が来る」、これが第1法則ですが、
と喜ぶのを見て、「それにとらわれては駄目です。自分の目
日本近海では例外が10%程度ありため、弱い地震でも警戒が
で外の状況を見なさい。見て危なければ逃げなさい」とまず
必要です。その代表例が明治三陸大津波です。地震は弱かっ
初めに教えたそうです。3.11で小中学生が逃げたのは、先生
たのに津波は大きく、2万2千人が亡くなりました。
が「逃げろ」と言ったからではありません。中学生が「先生、
「海が引いたら逃げよう」と思うかもしれませんが、それ
危なそうだから逃げよう」と言ったのです。また、「率先避
も例外があります。漁港の中はとても静かで、外に渦が1つ巻
難者たれ」というのは、人が逃げたから自分も逃げるのでは
いていました。そして、3m以上の防波堤を津波が越えて来ま
なく、「危ないと思ったら率先してすぐ逃げろ」と教えてい
した。釣りに行くには救命胴衣の着用が鉄則です。漁業者も
たのです。今回、中学生が逃げました。それを見た小学生も
乗船時は救命胴衣の着用が法的に義務付けられています。船
逃げました。小中学生は100%助かりました。
上では、地震に気付きにくく、引き潮がある津波だと糸が引っ 吉里吉里(岩手県大槌町)でも県が浸水区域を配っていま
張られ、釣り人は「大物が釣れた」と勘違いするほどです。
した。ここは昭和三陸大津波で高台移転された方々でしたが、
非常に危険です。
現実には死亡率が高くなってしまいました。小中学生は、現
よく「ここで○○が起きる確率は何%」という情報があり
場の状況を見て危ないと思って逃げたのに、なぜ大人は逃げ
ますね。米国では1988年、「30年以内の地震発生確率はサン
なかったのか。実は直前の3月3日の地域防災訓練で、参加者
ノゼで30%、パークフィールドでは80%」と言われていたサ
にお年寄りが多かったため、高いところまで非難するのは気
ンノゼ市で、1989年にロマ・プリータ地震が起きました。パー の毒だということで、本来の避難場所より下の防災センター
クフィールド地震は2004年です。進行する地球物理学的な現
のようなところを避難場所にしたそうです。3.11では、状況
象と確率とは、直接の関係はありません。
を見ずに、そこに行ってしまったといいます。
インドネシアのシムル島では1907年の大津波の教訓が100年
大人が自然を見なくなっています。昔は、「水が来るよう
近く言い伝えられ、スマトラ島沖地震による津波(2004年)
なところは危ない」と言ってわずかな高地を探して住んでい
でも大多数の住民を救っています。
ました。それだけ自然を見ていたのです。ところが、堤防が
鵜住居(岩手県釜石市)では、県が津波浸水区域を配りま
できて「もう大丈夫だ」と思い込んでしまっているところも
した。3.11のとき、小学生たちはこの浸水区域外にいました
あるのです。
が、状況を見てみんなしっかり逃げました。片田敏孝氏(群
馬大学広域首都圏防災研究センター長)が、「想定にとらわ
過去を忘れないために
人間は忘れるものです。8年経つと、行政に災害対策を要望
する声はほとんどなくなります。10年経つと、本当に十年一
昔です。15年経つと、どんなにひどい災害を経験した地でも、
家族で落ち合う場所を打ち合わせる多くがその地震を経験し
ていない人たちです。30年経つと、亡くなられた方を知って
いる人がおらず、世代が代わるために経験がつながりません。
ただ、6年経ってもひどい経験を忘れられないと、心がダメに
なります。
忘れても、忘れなくても困りますが、経験をつなげないと
いけません。経験をつないでいる好例が、伊勢神宮式年遷宮
です。20年ごとに造り替えるのです。木造だから柱が腐ると
[スライド]津波予報の種類
いう理由ですが、実際には柱はほとんど腐っておらず、本当
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2011東日本大震災の危機対応(6)
は、神様へのお供え物です。一度神様に供えると、作り直す
で基金の募集をしています。住民には「見たくもない」とい
ときでさえ人間が手を触れることは許されませんが、20年目
う思いもあるでしょう。しかし、残さないと記憶は薄れ、つ
ならまだ世代も完全には代わっていないので、染料の原料や
ないでいけません。青森県や和歌山県などでは津波祭パレー
染め方など、1300年前のものをそっくりそのまま伝えること
ドを実施して自分たちが低地に住んでいることを確認してい
ができます。災害に対してこれと同じ効果を持つものは何で
ます。
しょうか。
また、さまざまな資料を「津波ディジタルライブラリ」に
田老では、防災訓練の参加者が、伊豆大島近海の地震
収めています。そういうものを見ながら、「あれから150年経っ
(1978年)の後には増えましたが宮城県沖地震(1978年)や
て町がこう変わっている。もしここへ津波が来たらどうなる
日本海中部地震(1983年)では増えませんでした。三陸沖地
か」と対策を取っていただきたいのです。「想像力にお金を
震、北海道南西沖地震、東方はるか沖地震では警報が出まし
払えますか」と言う人を納得させるのは難しいことです。そ
た。十勝沖地震では警報が出たのに参加者が上がりませんで
れでも、この津波ディジタルライブラリに入っているいろ
した。震災があると注意が上がりますが、お年寄りが亡くな
いろなデータをご覧いただければと思います。
り、昔の津波のことが若い人に伝わっていないことが参加者
の減少に影響していると思います。
質疑応答
そういうものをつなぐために、女川町では倒壊ビルをメモ
リアル施設として残すことになりました。町のホームページ
(Q1)岩沼市(宮城県)で、ガレキで海浜部を埋め立てて大
きなマウンドを造り、そこを防災拠点にしようという話があ
ります。それは1000年耐えられるのか、その周辺の市町村に
波の反射等で被害を及ぼさないか、ご専門の立場からお願い
します。
(首藤)海浜部にいくつか点在させるなら、マウンド間の距
離が問題です。距離が小さければ、入って来る津波の水量は
減るので、だいぶ役に立つと思います。
マウンドの高さも問題になります。津波より低ければ簡単
に水が入りますから、マウンドをどういう形で被覆するかに
かなり気を遣わないと、風で吹き飛ばされたりもします。植
生で覆うと思いますが、人工的に造るわけですから、雨にし
か頼れません。溜まった地下水を保存して植生が育つ処置を
[スライド]女川町の災害遺構~未来に記憶をつなぐ~
しないと、覆っていたものが徐々に失われていくことになり
ます。
防潮堤などの人工構造物に比べれば地盤沈下などの影響は
小さいと思いますが、高さが維持されているかどうかを
時々チェックした方がいいと思います。
(Q2)計算精度ですが、波高や流速はどの程度ありますか。
また、マスコミではなく、世界の学者は今回の震災に対して、
世界をリードする首藤先生にどのような質問をしてきていま
すか。
(首藤)数値計算では、昔の津波を再現しても、全部が合う
[スライド]津波ディジタルライブラリ
わけではありません。誤差の評価方法には、相田勇氏の「K、
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2011東日本大震災の危機対応(6)
κ」があります。「Kは1に近い方がいい、κは1.4以下にする」 いのでしょうか。
という基準を満たすように行います。
予測での最大の問題は「初期波形が本当にこれで正しいの
(首藤)石炭なども流れないので、置いておけば一時的な堤
か」ということです。2番目は、「それに使っている海の中の
防の役割を果たしてくれます。その大量のチップがなぜ流れ
地形が本当に正しいか」です。
なかったのかはわかりませんが、興味深いですね。ただし、
日本では、日本海中部地震津波の後で克明に測り、海の基
木材置き場はダメ、防波堤代わりは難しいでしょう。流れ出
本測位も出していますから、日本の場合はかなり大丈夫です。
ないようにしても、囲いをどんな力で破るか・破らないかが
他国は、水深50mよりも浅い場所が軍事機密の国も多く、例
問題です。例えば北海道では、流出を防止する柵を設けてい
えばインドネシアの津波の後始末では、インドとバングラデ
ます。チップがなぜ流れなかったのかを調べるのはとても興
シュの境界付近の地形図は、インドの学者にさえ渡されませ
味深いことです。
ん。津波は地形によって曲がっていくので、初期波形と地形
地下の話ですが、70年後の津波でもそこへ潜る覚悟がある
で誤差が出るのです。数値計算技術そのものはかなり確立さ
かということ以外に、そういう場所を、その目的のために70
れていますから、大型実験の結果の再現では水がどこまで来
年、100年と維持できるかが問題です。ちょっとした亀裂でも
たかを測れるので、数値計算ははっきりできます。
本当にこまめに修理するか。普段は大きな“空き部屋”です。
世界の学者が一番驚いているのは、防潮堤がかなり破壊さ
そのうち、「空いているからちょっと物を入れておきましょ
れたことでしょう。しかし、壊れるべくして壊れたのです。
う」となり、「倉庫に使っているようだから、自分もこれを
例えば、田老の防潮堤も大きな亀裂が入っていましたから、
入れよう」となって、いざとなったときには人間は入れない
「乗り越えたら壊れるだろう」と何度も申し上げてきました。 ということになりはしないでしょうか。
防潮堤は、建設時は国の補助が出ますが維持する財源が地方
それがやや低い場所にあったとしたら、津波本体は引いて
にはありません。そのシステムを変えない限り、大きなもの
も近くに水たまりができ、地下水の量を多くしたら大変です。
を造って安心はしても、また20年で壊れるかもしれません。
従って、地下はあまりお勧めしたくありません。地上にいざ
津波対策の構造物の維持を子や孫の世代まで本気でやらない
というときのための密室を用意した場合ももちろん、常に
限り、意味がないということです。
“空いている”状態にしておかなくてはいけません。ビルの
外国の学者からは、「とにかく現場を見たい」と言われま
非常階段でさえも20年、30年経つと事故の原因になりますか
す。みな驚いていますが、私は「あの程度のものが来たらこ
ら、そうしたことが起きないよう、避難場所として50年、100
のようになるだろう」ことは想像していました。女川町の復
年継続して確保できる保証がない限り、私はお勧めできませ
興計画にかかわった際、職員が「ここは津波で有名になる。
ん。
倒壊ビルを残しましょう」と言っていましたが、「避難ビル
実はそういう事例が、3.11でもあるはずでした。岩手県宮
をどういう条件で造れば大丈夫か」という問題を解決せずに
古市のタラソテラピー施設「シートピアなあど」は、もし津
津波被害ビルを設置するのは、かえって危険かもしれません。 波が来たら、利用者にはその3階の部屋を避難場所として提供
町全体で検証して造ることが大切です。海外では、構造物で
する予定でした。3.11では「なあど」も浸水しましたが、倒
はなく津波避難ビルがほとんどです。津波避難ビルの女川モ
壊はしませんでした。そこを見に行くと、3階建てではなく2
デルを造り、それを世界中に造れば、多くの国で命が救える
階建てでした。工事費が嵩んだ結果なのだそうです。「もし
と思います。
計画通り3階があったら、密室の避難場所がどんな作用をした
か、世界初の事例だった」と悔やんでいました。今もそうい
(Q3)宮城県の製紙工場で、紙パルプの原材料(チップ)が
う部屋のアイデアはあります。
流されなかったという説明を聞きました。かなり大きな材料
一方で、女川町のビルの倒壊は、浮力が効いたからだとい
が、山盛りになっていました。そういうものであれば、防波
う説がありますから、その説の賛否は別として、密室ではそ
堤などの防災構造物の材料になりはしないかと、素人ながら
れこそ浮力が働くため、そういうことを解決する必要がある
思いました。
と考えています。
また、燃料を地下に置くという発想があるならば、コスト
の関係もありますが、人の命を地下に逃がすという考えはな
(Q4)社会基盤工学、津波工学、防災工学など、工学を統合
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2011東日本大震災の危機対応(6)
していく構想はありますか。
庁が決めたやり方よりも、対象となる津波が少し大きくなる
ようなやり方を推薦しました。地震地体構造論では、「マグ
(首藤)残念ながら私にはありませんが、東北大も3.11を契
ニチュード8.6の地震が起きるとどんな津波が起きるか」を、
機にいろいろな試みを考え、人材を育成するそうです。津波
同じ8.6でも、真上に上がるのか、斜め上に上がるのか、標準
だけでなく、異分野で協働しようとしているようです。
的なもののところを少しずつ変えてみて、それにパラメータ
を与えて調整する「パラメータスタディ」を使います。する
(姉川)9月20日の日本原子力学会で首藤先生が基調講演され、
と、国のやり方に比べて、津波の高さが、多いところで倍ほ
NHKニュースでも大々的に取り上げらました。そこでは原子力
どになります。こういうデータを採用しようと決めました。
発電所の災害と津波関係の質問が相次ぎましたが、それに関
次に、津波の確率です。確率の過信はいけませんが、例え
してコメントをお願いします。
ば「1000年に1回、2000年に1回の確率のものならこうなりそ
うだ」と想定し、「それが起きたときにどう水の力が掛かる
(首藤)20年以上前、「原子力施設には危険があるので、備
か」を想像するのです。水が来ると砂が動きます。砂が動く
えが必要なのではないか」という私の意見が電力関係の雑誌
と、原発では取水口や放水口が詰まって使えませんから、砂
に掲載されると、数年は、私の評判は電力会社の中ではとて
の動き方は重要です。「確率的な津波の評価」「水の力の算
も悪かったそうです。科学技術庁長官(当時)の江田五月氏
定」「砂の動きの想定」の3本柱の研究を続け、昨年度でよう
のブレーンの御1人から電話があり、原発を考えるワーキング
やくほぼ答えが出ました。
グループへの参加を打診されました。「あなたは原発に反対
そこで2011年2月に、土木学会のその部会の幹事長と、「こ
なのでしょう」と言うので、「僕は原発賛成です。しかし、
れだけ想定が揃ったから、来年度は津波学者、原発の機械や
備えをしないと大事故になると思っています」と言うと、そ
電気の専門家と共に、どんな津波にも耐えうる原発のシステ
れきりでした。
ムの設計方法を作ろう」と言っていた矢先、3月11日に地震が
その後、奥尻の津波ののち、7省庁合同の津波対策の手引き
起きてしまいました。あと10年あれば福島第一原発の事故は
が公表されると、直後に電力会社から土木学会に津波評価法
起こらなかったでしょう。5年でシステムを設計し、5年で対
検討の申し込みがあり、私が主査を務めました。過去の事例
処すればうまくいったのだと思いますが、実際には間に合わ
から想像力を持って考えることが大切ですが、原発事故の先
なかったというのが事実です。
例はありません。福島第一原発を改良するには数十億か百億
ぐらいの資金が必要ですが、根拠がないと株主総会を通る可
能性はありません。とにかく今、「なぜあんな地震が起きた
のか」と地震学者が頭を抱えているのです。もちろん何人か
は「津波が起こる」とおっしゃっていたようですが、「なぜ
対処しなかったのか」と責める方々に申し上げたいのは、
「それが100億円の支出の根拠になるでしょうか、株主総会を
通るでしょうか」ということです。
現政府でさえ、2百年に1度の洪水から東京を守る堤防を、
「ムダ遣いだ」と仕分ける世の中です。こちらは千年に一度
の津波より発生することに誰も異見は無いのですが。
こうした状況で、原発の津波対策に予算を通すには、証拠
が必要です。電力会社から話が来たとき、土木学会では、7省
[スライド]津波に強いまちづくりの例
映像記録
[ http://www.ustream.tv/channel/keio-grand-design ]
[ http://www.ustream.tv/recorded/17489265 ]
この講演については、右記にて視聴いただけます。
平成24年3月14日発行
発行人■姉川知史
編集■中島薫 発行■慶應義塾大学大学院経営管理研究科「グローバル・ビジネス・フォーラムによ
る日本のグランド・デザイン策定を行う融合型実践教育 Grand Design by Japan-The 2011 Quake and Tsunami Project-」事務局
〒223-8526 神奈川県横浜市港北区日吉4-1-1 慶應大学日吉キャンパス 協生館5F E-mail [email protected]
URL http://anegawa.kbs.keio.ac.jp/Grand_Design_Project/index2.html
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