...

「キャプテンの重み」 3年 小谷拓也

by user

on
Category: Documents
21

views

Report

Comments

Transcript

「キャプテンの重み」 3年 小谷拓也
第28回
少年の主張大会
舞鶴子ども育成支援協会会長賞
受賞
「キャプテンの重み」
3年
小谷拓也
僕は今、白糸中学校の男子バレーボール部のキャプテンをしています。引退ま
であと少しとなりましたが、チームの仲間みんなでバレーを楽しみたい。もっと上
手くなって、みんなで優勝を勝ち取りたい。悔いを残したくない。と、強く思ってい
ます。
でも、昨年先輩からキャプテンを引き継いだときには「男子バレーボール部キ
ャプテン」という言葉には誇りを持てず、むしろ恥ずかしいという気持ちさえありました。
僕は小学校3年生の時からバレーボールをはじめました。入団したスポーツ少年団のバレーボールクラブに
は先輩はいましたが、同期生はいませんでした。人数が少なくて、小学校5年生の時には他の学校との合同チー
ムを組まなければならないこともありました。6年生になった頃には自分以外は経験もあさい人ばかりで、自分
一人でバレーをしてしまっていたように思います。孤独で、寂しい気持ちでバレーをしていました。
中学生になったとき、僕はバレー部への入部を決意しました。小学校の時からやっていたのもありますが、何
よりも先輩にあこがれたからです。
試合では全員が大声を出し、6人全員で励まし合いながらバレーをやっていた先輩達に強く心を引かれまし
た。それは孤独な気持ちで「一人バレー」とでもいうようなバレーをしていた僕にとっては憧れでした。
練習中も先輩の姿はとてもかっこよく、「先輩達みたいなバレーがしたい」と強く思うようになりました。
でも、夏の総体が終わると3年生は引退し、2年生が2人と、1年生が僕を含めて5人の合計7人になってしまい
ました。チームの大半を占める1年生は、僕以外は全くの初心者でした。だから、他の1年生を信頼せず、バレー
は6人でするものなのに、2年生の先輩2人と僕の3人でバレーをしていました。それでも市内大会で優勝するこ
とができ、とても満たされていました。
でも、先輩が引退してしまった後は大変な状況になってしまいました。僕達が2年生になったときの1年生部員
はたった1人でした。
人数も少なく、全くやる気の見えない部員達。どうしたら六人バレーが出来るのか分からずに、いろいろな人に
あたってしまうこともありました。そんなチームの「キャプテン」であることが恥ずかしくさえ感じていました。
楽しくもなく、「このままでいいのか」「こんなのが僕が望んでいたクラブなのか」と目の前が真っ暗になって
もうやめようと考えたこともありました。顧問の先生とも何度も話し合いましたが、大きく変わることもなく、そ
のころは仕方なく練習をしていた様な気がします。
でも、やめずにふみとどまれたのは、僕にバレーボールを教えてくれた人達、お世話になった先輩達、相談に
乗ってくれた友達に申し訳ないと言う気持ちがあったからです。また、もう一度みんなで頑張って優勝したい。
あの感動を味わいたい。と言う気持ちが捨てきれずにあったからです。その気持ちを呼び起こせたとき、僕自身
が少しずつ仲間を信じることが出来るようになりました。
今年4月、新入生が4人入ってくれました。また、新しく来られた顧問の先生は技術的にも精神的にもたくさ
んの新しいことを教えて下さいます。時には厳しくしかって下さいます。この事は僕にとっては大きな喜びでし
た。しかし理想の環境が整ったものの、僕達は技術的にも精神的にも甘くて、まだまだです。5月29日の市民ス
ポーツ祭でも、良い結果を残すことはできませんでした。
でも、少しずつ6人バレー、全員バレーが出来るようになったと実感しました。試合は負けてしまったけど、み
んなが心の底から悔しがり、みんなが声をからすまでがんばった試合ができました。本当に楽しかったです。
仲間と頑張ることの楽しさ。素晴らしさをあらためて実感できました。一人バレーではなく、仲間を信頼して全員
バレーが出来るよう、キャプテンとして頑張っていきたいと思うようになりました。僕は今、仲間のいることのあり
がたさ、仲間の大切さを実感しています。
Fly UP