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ペシタを中心とした音訳語の問題
Title Author(s) Citation Issue Date ペシタを中心とした音訳語の問題 加藤, 邦雄 基督教学 = Studium Christianitatis, 2: 42-47 1967-06-30 DOI Doc URL http://hdl.handle.net/2115/46210 Right Type article Additional Information File Information 2_42-47.pdf Instructions for use Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP 研究発袋誓巳 ペシタを中心とした音訳語の問題 β ≠ 雄 ︵2︶ れるので、ここでは問題としない。︶ や語は恐らく次の如きものであろう。 ︵ラテン語の中には思想約意味をもつと判断されるものがほとんどないと思わ れば、僅か三パ⋮セントに過ぎないが、その中で、その宗教恩想の内容にいくらかでも触れていると思われるギジシ シリア語新約聖書の中にそのまま音訳されたギリシャ語やラテン講の数はペシタ肉体に用いられた語の総数から見 また、ローマ帝羅の政治機構やその軍事的統治をそのまま反映するラテン語やギリシャ語も多い。 った。それらのギリシャ語に由来する語を一読すると、ギリシャ・ローマの文化生活を反.映する生活用最の名が多い。 を少過ぎた頃、現行のような二七巻を含むものとして完成された。その時、ギリシャ語からの音訳語は一一〇位にな ず、ペテロ第二書、ヨハネ第一一書、ヨハネ第三書、ユダ書、ヨハネ黙示録を除いた一三巻として結集され、六〇〇年 語、サンスクリト語からの音訳語も少しつつあるが、ここではギリシャ語からの音訳語を問題としたい。ペシタはま 語であるにも拘わらず、 一〇〇余りギリシ冷語からの音訳語がある。ラテン語、ペルシ4・語、アラビア語、アシリヤ ユ 紀元照○○年より幾分遅れて意訳された、シリア語新約聖書︵ペシタ︶を見ると、それは元来セム語系統に属する 藤 一、①環。プ⇔凱。。二勉はαq轟費凄白霧瓢○あるいはび①コΦ象9δとく三磯回鐙で訳されたように本来は﹁感謝しすることを意 42 加 味するが、使徒行雨二章四二および二〇章七では﹁パンをさくこと﹂の意味に用いられているので、早くも聖餐とし ての国9ゲ震蓉に近い用法があったことを示す。ただし、言うまでもないことではあるが、日錠αq戸隠にその語は用い られていない。これはキリスト教用語となった。 二、①墨ごαq①ぎ口は①βき晦㊦嵩β営とラテン語にも音訳されたが、 これも当然のことながら8鍵αq煽ヨにはない。 これ もキリスト教会独自の用語であった。ただし、2碧ひq魯05一つの訳語に統一されてはいないで、マタイ四章二三、九 章三五、ロマ一〇章一六などでは、ωぴ碧夢帥なるヒブル語のび.ωo鑓げと同じ系統の語が用いれらている。 三、。。8ざプΦ鑓はラテン語でΦδ筥三審と一括して訳されたが、その内容はいささか多岐にわたっている。ガラテや 書において、それはこの世の﹁もろもろの霊力﹂と口語訳ではあらわされたものである。コロサイ書でも同じ語に訳 されているが、﹁むなしいだましごとの哲学﹂と関連して用いられている。ω8貯げ①冨の内容についての解釈上、問題 があろうが、ギリシャ・ローマの哲学による世界観に触れた時にパウロがこの語をそのまま用いたことは当然であっ て、この語の導入によって℃Φω讐叶雛の中に語られている福音の理解に変化は生じなかったと言ってよかろう。 四、①嵐ωoo℃oωが、そのままく紀αq鋤3でも嘗の8窟のと訳されたように、教会用語として℃Φωぼ茸㊤にも使用された ことは、当然であろう。 五、興。ま嵩の語義は必ずしも単純ではない。マタイ九章︸八では会堂司、使徒行軍四章 では宮守がしらの意味に 用いられたが、ルカ=王氏五八では役人と訳されている。さらに、エペソ一章二一やコロサイ一章一六では天使を意 味する﹁支配﹂と訳ざれている。g。零げ9はすでに日農αq螺舅の中にも用いられているが、大体において民族の指導者、 町の支配者、王の側近などの意味に用いられているようである。すると、この語は本来、政治の世界で至剛σq聾轟εω として用いられたものであったので、それがそのままシリア語やアラム語の中にも音訳されたに過ぎなかったと理解 したい。したがって、この語がシリア語に音訳されたことによって直接的に、特定の宗教的世界観としての天使像が 一 43 一 導入されたとは必ずしも断定できないようである。 六、振鉾げα溶がく三αq償蜜で8。。$B①⇔εヨと訳され、これが聖書の書名となったことについては、正確な事情を知 らねばならぬ。新約原典において岳簿ゲ穿αは本来は旧約においてぴ、葺げなる語によってあらわされた内容を意味し ていたが、新約でもそれ以外にガラテや三章一五、一七の例のようにおω留導撃ε準の意味にも用いられたこともあっ た。↓錠σq嬬鱒に白豆涛餌なる盛夏ゲα犀αからの音訳語があるが、その用法を見ると3ω窮ヨ象εヨよりは依然として旧 約のび。葺ゲと大体同意義に使欄しているようである。笑は、アラム語にしても、シリア語にしても、ヒブル語のσ。匿げ と同じ系統の語は姿を消している。したがって、アラム語で感魯降簿と訳し、 シリア語で島酢匿匹と訳したにして も、そのことによってぴ。簿プが8ω薄白。ロ窪白の意味に置きかえられたのではなくて、黛碧冨訂を用いてもぴ。葺ぴの 意味に理解していたと考えられよう。さらに、パウロになると幾分語義の領域が拡大されて、島讐冨冨の語の中に 8簿ヨ①p鍵導の意味も含めながら、これを用いることによって、び.葺びより広い領域の語義を意識していたのであろ う。勿論、ぴ.葺げが本来もっていた語義をパウロなどは鶴舞ぴ0額なる語によって表現しようとしたのであったが、 無象財α犀αなる語そのものはげ。顕爵より静霧¢ヨ①コ9ヨにきわめて近く類似しているので、単に盛帥浮α︸融と書えばヒ ブル的の背景を知らない人々にとって、それは冨簿鑓露窪ε旨に外ならぬと受け取られたであろう。 七、冨蔓。・ω①ぎはく巳σq舞餌で単に巻雲象$冨と訳されたが、犀似曙ωω鉱鵠は衆知のごとく冨q×に由来する。藏曙× は特に法廷用語として用いられたので、6錠讐ヨでも、早くから、この語がそのまま音訳された。8碧σqニヨにおいて ぽ蔓×にしても由仁。。ω。ぎにしても、それは当時の政治機構をそのまま反映するような意味に用いられていて、新約 神学において現代鎌魯。ぽと葱曙αq旨ゆとがいかなる関係にあるかなどと論じられるような神学的側面は意識されて いなかったらしい。 八、諮。ヨ。ωはく巳σq簿欝では全く機械的にδ×と訳された。8旨。ωは本来旧約のa感げの訳語であるが、シリア語 44 一 において、それはa誌びと同じ系統の語であるO自傷冨も用いられている。マタイ一一章一三、一二章五、二二章四 〇などはその例である。アラム語でも、α感同強陣あるいはα感匪斜なる語となっている。いずれも﹁教示する﹂を意味 する動詞に由来するが、q巨峯菰にしても01感跨鋤にしても、﹁教え﹂ピ①ξ①﹁教示﹂じdΦ冨託言αq﹁律法﹂○Φω①霞を意味 するので、旧約の&鼠げと全く岡義である。シリア語にしても、アラム語にしても、a鐵ぴと全く周義のα鼠一夢鋤や 。感冒剛があるにも拘わらず、口○ヨ。。。の音訳であるシリア語の強盛αωや鼠ヨ。ωp、アラム語の巳旨α劉や物影曲。・似が なぜ用いられたのか。8p。Hσq皿巴の中にアラム語の鼠欝O。。鋤も鎌講論鋤もすでに用いられている。ただし、その用法を 見ると依然として旧約の8α鼠げそのままの意味であって、ギリシャ語の8露。ωやラテン語のδ留のごとき語義の広 さにおいて用いられてはいない。すなわち、↓費σq煽葺において鐵日α路あるいは昌冒Oω倒は、第一義的には神の命令 としてのa鼠ぴすなわち律法であるが、第二義として、ものの﹁仕方﹂つく①勝ΦVの意味にも用いられて、たとえば祭 司が祭りを執行する時の﹁仕方扁にも用いられ、さらに人々の日常生活にある習慣の守り方などにも用いられている。 しかし、ギリシャ・ローマの人々がづ。ヨ○ωやδ図をともすれば♂渥感冒鑓Φの方向へもって行こうとするような考 え方はなかったと償えよう。勺Φ。・ぼ簿鑓においてロ。ヨ。。。はほとんど畠80路と訳されているが、それ故に、シリア語 やアラム語の中に8ヨ。ωやぎメそのままの用法が一〇〇パーセント輸入されていたとは言えないようであって、シ リア語やアラム語を用いていた地域の人々は依然としてそれを、少なくとも宗教用語として用いた限りでは、a鐡ゲ と書うヒブル的の発想法から離なれてはいなかった。パウロにおいて、鵠。ヨ。のは基本的には、δ贔悶のギリシャ訳で ︵3︶ あったにも拘わらず、ギリシャ語本来のゆOBoωの意味をも含めて、原理や原則の意味にも用いた。 九 、 唱 ぽ ざ ω ◎ ℃ ぴ ◎ の 十、眉ぼδの。やゲ冨 この二つの語が、℃Φも。ぼ暮鎖の中にそのまま音訳されたことは当然と言えば当然であって、他の語にあえて訳せばそ 一 45 の内容を伝えなかったであろう。ついでながら、これらの語は日9。居σq賃ヨの中に用いられていない。 十一、℃餌強味聾○ω、これは、ヨハネ一四章から一六章まででは、<乱σq勉鼠において、そのまま℃鴬語澤蕊と音訳さ れたが、ヨハネ一書二章一では僅か一語の例ではあるが、五星○白話ωと訳された。8舞αq¢箪において早くもこの語は そのままアラム語に音訳された。しかし、ヨハネ伝一四章∼一六章に、聖霊について用いられたような特定の内容を もった用い方は、6舞αq餌ヨの中にない。それは6銭αq‘欝では基本的には、弁護.者であり、助ける者である。ただ人間 を弁護したり、助けたりする者として天使にこの語が用いられている例がある。もし、聖霊を評鑓江摩8と呼ぶ呼 び方への、いくらかの橋渡しであった、とあえて解釈すればできないこともないが、特に鍵霊を勺銭算憂8と呼ぶ呼 び方はなかった。むしろ、アラム語でもシリア語でも弁護人と言うような法廷用語に由来するギ夢シや語がそのまま 46 一 このような国語の中に持ち込まれたのであって、神学露語ではなかったと解釈されよう。 以上、僅か一〇余りのシリア語をアラム語やその飽の語と比較しながら検討したが、結論として次のようなことが言 えよう。すなわち、℃霧躍簿節の中に一〇〇以上のギリシャ語がそのまま音訳されて用いられていた。しかし、その大 多数はシリア語を燭いて生活していた人々が鼠常生活で知っていた語であったと言える。そのギリシャ語の中に、キ リスト教信仰の本質に関連をもつと考えられるいくつかのギリシャ語を検討して見たが、シリア語の中にこのような 語が用いられたことによって、シリア語を語るキリスト者が特にその考え方においてギリシャ化していたとは余り考 えられない。かれらは、ギリシャ語をある程度用いていたとしても、かれらの考え方は大体において依然としてヒブ ル的であったと言ってよいであろう。 る ω≧笥。焦レ魯βい①ξσ餌。7︵圃費U。ぴqヨ窪σq霧∩謀。疑ρ酌量山轡ωQ。.8∴8■ヒブル語、ギリシャ語、アラム語、ラテγ語の表現 注 と思想内容との関連を論じている。 ② シリア語については、何よりも﹄2嵩ぎαQ5・“ω博通02。日■ぴ⑦涙80Pによった。 ㈲ 窯○巳。ωについてはρ缶。Oo儀96財①じご8δ9旨臣陸7①OH①①﹃唱や鴎α−激に詳しい研究がある。 bσO①を参照した。 ゆ ギリシャ的表現とヒブル的表現との問題については、主としてじd費び8ぴΦω①確認鵠隊6ωo臨bd一び副。貼い磐σQ舞σQ①こ 署と ●に 漣や 一 47 一