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H24敬老作文

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H24敬老作文
最優秀賞
小学生の部
おいしかったです。おにいちゃん
してたべたふきのとうは、すごく
らにしてたべました。てんぷらに
二人でとったふきのとうをてんぷ
をして、たいせつにとりました。
たしもみち子おばあちゃんのまね
うちに行ったら、大すきなおばあ
です。このつぎおばあちゃんのお
は、みち子おばあちゃんが大すき
て く れ る お ば あ ち ゃ ん。 わ た し
ちゃん。お手だまをやさしく教え
ん。 お り ょ う り の 上 手 な お ば あ
春さがしの上手なおばあちゃ
井川小2年 土肥 更紗
やさしいみち子おばあちゃん
やお父さんやお母さんも
ちゃんのお手つだいをいっぱいし
は、 い っ し ょ に く ら し て い ま せ
な。わたしとみち子おばあちゃん
みち子おばあちゃんに会いたい
ぐ教えてくれました。わたしのお
ます。みち子おばあちゃんは、す
ちゃんにそうだんしたことがあり
だまがやりたくてみち子おばあ
井川小2年 湊 菜摘
野さいはかせのおばあちゃん
優 秀 賞
たいです。
「おいしい、おいしい。
」
と言ってたべてくれました。
また、
春になったらみち子おばあちゃん
といっしょにとりに行きたいと思
います。
ん。みち子おばあちゃんは、とお
ねがいをすぐにかなえてくれま
一年生のころ、わたしは、お手
くにすんでいます。なかなか会う
す。いち・に・いち・に心の中で
には、わたしとみち子おばあちゃ
しいごはんを作ってくれます。春
に行くとわたしたちにいつもおい
みち子おばあちゃんは、あそび
うをがんばっています。
このつぎ、
なってきました。今でもれんしゅ
んしゅうしたら、どんどん上手に
子おばあちゃんの言うとおりにれ
ごらんと教えてくれました。みち
わたしの大すきなきゅうり。そし
をうえたいとすぐに思いました。
だてることになった時、きゅうり
生かつかのべん強で野さいをそ
リズムをとってお手だまを上げて
んとで、山へふきのとうをとりに
おばあちゃんに会えた時には、上
て、おばあさんが上手に作るきゅ
の応募をいただき、 小 ・ 中 学 生 の
優秀賞2点、優良賞 2 点 の 計
の入賞作品が決まり ま し た 。
入 賞 さ れ た 方 々 の 敬 老 作 文 を、
10
うりをうえることにしたよ。
」
「おばあさん、
わたし学校できゅ
部 そ れ ぞ れ よ り、 最 優 秀 賞 1 点 、
行きました。みち子おばあちゃん
手になったお手だまを見せてあげ
を対象として、合わ せ て 1 1 6 点
点
は、春のおくりもののふきのとう
うりだからです。
会いたいと思っています。
ことができないので、いつも早く
更紗さん
(さくら)
たいなと思います。
並びに5年生、井川 中 学 校 2 年 生
例年同様に、井川 小 学 校 2 年 生
で行なわれました。
の朗読発表が、今年 も 敬 老 式 会 場
彰と最優秀賞を受賞 さ れ た 方 か ら
敬老作文コンクー ル 入 賞 者 の 表
敬老作文集
をたいせつにとっていました。わ
ご紹介します。
1
菜摘さん
(坂 本)
平成24年
さいがうえてありま す 。 お ば あ さ
さんのはたけには、 い ろ い ろ な 野
ことを教えてくれま し た 。 お ば あ
こと、きゅうりは水 を 朝 に あ げ る
ニトマトはわきめを し っ か り と る
さいのことを教えて く れ ま す 。 ミ
のものしりはかせで す 。 い つ も 野
わたしのおばあさ ん は 、 野 さ い
もおいしそうでした。
ふたりで作ったサラダは、とって
りをふたりでサラダにしました。
と言ってくれました。そのきゅう
は、「おいしそうなきゅうりねっ。
」
もってかえったらおばあちゃん
学校でとれたきゅうりをいえに
たしもうきうきしてしまいます。
ますますにこっとしてくれて、わ
ます。
グランドゴルフと野球をやってい
球、すもう、をやっていて、今も
昔は、ゴルフ、バスケット、野
いさんも満足してくれます。
すごく楽しがってくれるし、おじ
れます。
友達が遊びに来た時には、
行っている間、休まずに続けてく
てくれて、それを私たちが学校に
ばかりです。これからも、めいわ
います。作った物は健康にいい物
理を作ってくれてありがとうござ
仕事に行っている間、おいしい料
あげたいです。
らもできることがあれば手伝って
べられて、私は幸せです。これか
でおいしいお米が毎日のように食
ラダができてしまい そ う で す 。 そ
んそうだからわたしができるお手
おばあちゃんは、いつもたいへ
いで続けていて私は、そんなおじ
このように、仕事をあきらめな
くめいわくをかけないようにした
おじいさんやおばあさんになるべ
く を か け る と 思 い ま す が、 私 は、
おばあさん、いつもお母さんが
んのはたけに行くと す ぐ 野 さ い サ
の 中 で も き ゅ う り は、 い っ ぱ い
いさんがかっこいいなぁと思いま
いながらぜんぶたべ ま す 。 た べ て
らず「おいしい、お い し い 」 と 言
ぼのことなら、ほとんど知ってい
ていてとっても力持ちです。田ん
私のおじいさんは、農業をやっ
きづかってあげたいと思います。
て育てられたので、私は今度から
あさんにはたくさん愛情をもらっ
このように、おじいさんとおば
井川小2年 今野 珠希
やっぱりすごい、おばあさん
優 良 賞
ろしくお願いします。
あさん大好きです。これからもよ
いと思います。おじいさん、おば
作ってくれます。
送ってくれたり、おいしい料理を
おばあさんは、習い事や部活に
した。
つだいをがんばります。
おじいさん、おばあさん
優しくしてくれる
なっています。その き ゅ う り を わ
たしは、たくさんた べ て い ま す 。
この間、はたけからとってきた
きゅうりをお花のよ う に 切 っ て 作
井川小5年 伊藤 李紗
そして、私たちには、卓球のラ
りました。作った時おばあちゃん
を見たらにこっとわ ら っ て く れ ま
ケットの打ち方や、少しだけどピ
おばあさんは、昔、卓球の試合
アノを教えてくれます。
した。おばあちゃんのわらった顔
を見ると何だかうれしくなります。
おばあちゃんは、 お 母 さ ん と 同
で 何 回 も 優 勝 し て い て、
「すごい
い る わ た し を 見 て お ば あ さ ん は、
ます。冬には、毎年、雪で大きな
おじいさん、いつもいつも農業
ところがたくさんあります。
わたしのおばあさんは、すごい
珠希さん
(小竹花)
じくらいおいしいり ょ う り を 作 っ
うれしそうにしてく れ ま す 。 だ か
大きな坂を作ってくれます。時に
のことをがんばっていて、おかげ
なぁ。
」と思いました。
らもっともっとおい し い 顔 を し て
は、大きな大きなかまくらを作っ
てくれます。わたし は 、 一 つ の こ
たべます。するとお ば あ ち ゃ ん は
李紗さん
(上 村)
2
るすがたを見ました 。 そ の か お は
あるへやでしごとを し た り し て い
人のおせわをしたり 、 パ ソ コ ン の
た。よぼうちゅうし ゃ を し に き た
でほけんしのしごと を し て い ま し
けれど、まえにけん こ う セ ン タ ー
おばあさんは、も う や め て い る
んばっていこうと思います。
のことばをたからものにして、が
日は、しあわせの日」わたしはこ
せ が と ど く 気 が し ま す。
「たん生
チーズケーキがとどくと、しあわ
なチーズケーキです。たん生日に
どけてくれます。わたしの大すき
大きなチーズケーキをおうちにと
に、 お ば あ さ ん の 作 っ た も の は、
見ているとわくわくします。それ
ことを考えておしご と を が ん ば っ
おばあさんは、井川 町 の 人 た ち の
は、すごいと思いま し た 。 き っ と
くまでがんばってい る お ば あ さ ん
てきてもしごとをし て い て 、 お そ
ようにしました。わ た し が か え っ
だからわたしは、じ ゃ ま を し な い
て い る の だ な。」 と 思 い ま し た。
店を開いておばあさんにわたしが
とゆめへと近づいて、すてきなお
たら、と思っています。
いつかきっ
思いが伝わるようなふくがつくれ
とどけたいです。たくさんの人に
わたしがつくったふくをみんなに
さ ん に ま け な い よ う に ど 力 し て、
なりたいと思っています。おばあ
しょうらいわたしは、ふくやに
たです。
すっぱかったけれど、おいしかっ
す。この前、食べてみたら、少し
では、いちごを作っているようで
して田んぼに行きます。畑の仕事
す。おばあさんは、いつも早起き
ぼの仕事は大変だなぁ、と思いま
は、田植えをしたので改めて田ん
の仕事です。特に、私たち五年生
ていることは、田んぼの仕事と畑
そんなおばあさんが、がんばっ
ま す。 で も、 も う 五 年 生 な の で、
くれるおばあさんには感謝してい
が出ません。いつもかくにんして
宿題、というのはなかなかやる気
す。でも、習い事が終わってから
で、 し ぶ し ぶ や る こ と が 多 い で
ゴロしている日がほとんどなの
んしてくれます。家に帰るとゴロ
「 宿 題 は 終 わ っ た の?」 と か く に
私 が、 学 校 か ら 帰 っ て く る と、
です。
は、おばあさんの作る物が大好き
給 食 ぶ く ろ な ど が そ う で す。 私
ズ ッ ク ぶ く ろ に、 お 道 具 ぶ く ろ、
学校でもたくさん使っています。
と て も し ん け ん で、「 し ゅ う 中 し
ているのだなと思い ま し た 。 今 は
つくったふくをとどけてあげたい
は、お花がいっぱいあります。私
は、お花づくりです。家の周りに
おばあさんが送りむかえをしてく
菜、お花が大好きです。習い事も
私は、おばあさんの作る物や野
んばります。
私も自分で自己管理するようにが
やめてしまっている け れ ど 、 お し
です。いろいろな人にたのしんで
が一年生の時にもらったブルーベ
ちなみに、おばあさんのしゅみ
ごとをしているとき の お ば あ さ ん
ふくをきてもらいたいです。
私のおばあさん
のしんけんなかおは 、 今 も 、 わ た
しはおぼえてて、お も い で に な っ
ています。
れるので感謝しています。これか
いもうとのことを大 じ に し て く れ
いつも元気です。友達の家に遊び
私 の お ば あ さ ん は、 明 る く て、
ります。それは、何かを作ること
おばあさんには得意なこともあ
さんしたいです。
作ってあげたり、お手伝いをたく
らは、家庭科で習った料理などを
リーも大切に育ててくれていま
ています。わたしを 大 じ に し て く
に行く時や、習い事の送りむかえ
です。おばあさんの部屋には布が
井川小5年 二田 那優
れている気もちは、 わ た し の た ん
などは、ほとんどおばあさんが運
何十種類もあって、私は、それを
そ し て、 わ た し や お ね え さ ん 、
生 日 に な る と、 と て も わ か り ま
転してくれます。
す。
す。たん生日になる と 、 朝 早 く に
3
那優さん
(寺 沢)
中学生の部
最優秀賞
ごめんね、ありがとう
井川中2年 佐々木 花津
でも、おばあちゃんは怒るわけで
もなく、
おばあちゃん、いつも、いい子
も、何も言わずに、笑顔でとなり
でも、いつも元気なおばあちゃ
にいてくれます。
おばあちゃんは、
惑かけて、ごめんね。謝らなけれ
んも、おじいちゃんが亡くなった
にしていられなくて、ごめんね。
た?。」
ばいけないことがいっぱいあるけ
ときは、とても大変でした。元気
とても人の心が分かる人です。
と、聞いてくれました。私だった
ど、謝れなくて、ごめんね。でも、
がなくて具合が悪くなり、笑顔が
素直になれなくて、ごめんね。迷
ら絶対に怒るはずなのに、逆に心
私はおばあちゃんのこと、大好き
「 ど う し た の? 学 校 で 何 か あ っ
配してくれるおばあちゃんが不思
少なくなりました。見かねて
と答えるものの、すごく無理をし
「大丈夫だよ」
と私が聞くと
「おばあちゃん、大丈夫なの?」
だよ。そして・・・ありがとう。
元気なおばあちゃん
優 秀 賞
議でなりませんでした。
「どうしてそんなに人に優しくで
きるの?。」
と聞いた私に返ってきたのは、
「花津ちゃんが頑張っているのが
ました。時間がたって、いつもの
ているのは子どもながらも分かり
という言葉でした。おばあちゃん
元気が少しずつ戻り、再び笑顔が
井川中2年 小玉 彩乃
私は、おばあちゃ ん が 大 好 き で
が、いつもこんな風に考えていて
分かるから、
私も頑張れるんだよ。
」
す。大好きなおばあ ち ゃ ん に 「 あ
見られるようになったときは、本
くれたのかと思うと、胸がいっぱ
で考えて料理してく れ る し 、 私 に
食べたいと言うと、 作 り 方 を 自 分
す。私がテレビや本 を 見 て こ れ を
つくほどお人好しで 、 優 し い 人 で
私 の お ば あ ち ゃ ん は、「 大 」 が
ても悲しかったのですが、おばあ
おじいちゃんが亡くなって私もと
しまったときのことです。優しい
れは、おじいちゃんが亡くなって
いる姿を見たことがあります。そ
が、一度だけ、ものすごく泣いて
いつも笑顔のおばあちゃんです
く理解してくれている人の一人
おばあちゃんは、私のことをよ
ます。
したりと、毎日毎日よく働いてい
気です。家事をしたり、畑仕事を
私のおばあちゃんは、とても元
祝いごとには、その人の好みに合
にいてくれたり、誕生日などのお
は助言してくれたり、黙ってそば
当にほっとしました。
困ったことがあると 、 笑 顔 で そ っ
ちゃんがおじいちゃんをこんなに
で す。 私 が た ま に 会 い に 行 く と、
いになりました。
と背中を押してくれ る そ ん な お ば
大切に思っていたんだと、改めて
がすごく嫌な思いをしているとき
「彩乃来たぁ~。
」と言います。私
文武両道が達成できるように、頑
な り、 勉 強 も 難 し く な り ま し た。
私は中二になり、部活が忙しく
れません。
たくさんあって、ここでは書きき
わ せ て プ レ ゼ ン ト し て く れ た り。
ています。私が悩んでいるときに
おばあちゃんにはとても感謝し
私は以前、学校か ら 疲 れ て 帰 っ
知り、二人のことがますます大好
あちゃんです。
てきて、おばあちゃ ん に 冷 た く あ
きになりました。
彩乃さん
(街 道)
たってしまったこと が あ り ま す 。
この作文を書きまし た 。
りがとう」の気持ちを伝えたくて、
花津さん
(横 岡)
4
で改まってその言葉 を 口 に し た こ
感謝の気持ちはあ る の に 、 今 ま
飛ばしたいです。
んの元気な姿を見て 、 辛 さ を 吹 き
あちゃんの家に行き 、 お ば あ ち ゃ
辛くて息抜きしたい と き は 、 お ば
が僕は大好きです。
ます。そんな優しいおばあちゃん
といつも、何かごちそうしてくれ
になりません。おまけに、終わる
のお手伝いは、不思議なことに苦
な感じがしますが、おばあちゃん
手伝い。自分の家の手伝いは面倒
行くとたまにやらされるのがお
うけど、お前ならきっとなんとか
「一人しかいないから大変だと思
いちゃんは
かったのです。そんなとき、おじ
ムを作っていかなければならな
人の一年生の力を借りて、新チー
ケット部員は僕一人で、あとは七
の こ と で す。 実 は 二 年 生 の バ ス
張 り た い と 思 っ て い ま す。 で も、
とはありません。で も 、 こ れ か ら
と言ってくれました。それ以来、
できる。
」
にもあります。それは、疲れてい
その言葉を思い返して頑張ってい
おばあちゃんが好きな理由は他
の気持ちをたくさん 伝 え て い き た
る僕に、元気をくれることです。
は、あばあちゃんに「ありがとう」
いです。
優 良 賞
ずっとずっと長生きして
井川中2年 菅生 颯太
おばあちゃんが、田んぼと畑の仕
僕 の 家 で は、 お じ い ち ゃ ん と、
こ ん な お じ い ち ゃ ん、 お ば あ
事のほとんどを頑張ってくれてい
ます。
ち ゃ ん に、 僕 は ず っ と お 世 話 に
ました。
あちゃんのあの笑顔は僕の宝物で
なってきました。今まで本当にあ
亡くなってしまい、おばあちゃん
が昨年から施設に入ってしまいま
す。
おじいちゃんは仕事でいないこ
りがとう。そしてこれからもよろ
疲れを吹き飛ばしてくれる、おば
明るいおじいちゃん
おばあちゃん
とが多く、おばあちゃんに比べる
しく。
しかし、おじいちゃんが二月に
と、会う機会はそう多くはありま
せんが、僕を田んぼや山に連れて
した。僕はこれからどうなってし
また、今、僕はバスケット部の
よって不安が消えたからというこ
そ れ は、 じ い ち ゃ ん の 決 断 に
んなにうれしかったか。
ことになりました。その一言がど
と言って畑のことをやってくれる
「よし、やろう」
んでいるおじいちゃんが、
そんな時、僕の母方の新間に住
行ってくれます。山に行くと一緒
んは、隣の町に住ん で い ま す 。 月
主 将 を 務 め て い ま す が、 僕 が 頑
photo
井川中2年 八柳 優星
颯太さん
(井 内)
まうのだろうかと思いました。
5-2
に 山 菜 を 採 り ま す。 僕 は お じ い
ちゃんに教えられて、山菜を採る
に三回くらいのペー ス で 会 い に 行
張っていられるのは、おじいちゃ
のが好きになりました。
くのですが、僕はそ れ を 楽 し み に
んのおかげだと思っています。六
僕のおじいちゃん 、 お ば あ ち ゃ
しています。僕が行 く と す ご く 明
月の郡市総体で負け、三年生から
二年生にバトンタッチされたとき
るい笑顔で「お、来 た な 」 と 言 っ
て迎えてくれるから で す 。
5
優星さん
(街 道)
じ い ち ゃ ん の 力 は す ご い な あ と、
う に 感 じ た か ら で す。 や っ ぱ り、
族が前よりもさらに ま と ま っ た よ
ともありますが、そ の 一 言 で 、 家
思います。
ずっとずっと長生きしてほしいと
くなりました。三人には、本当に
んと二人のおばあちゃんしかいな
かったのを覚えています。
し く 接 し て く れ て、 と て も 楽 し
のですが、おじいさんはいつも優
幼かったので少々ワガママだった
で住みたいです。そして、おばあ
するのはとても楽しかったので、
です。おばあさんと一緒に家事を
やってしまうため、なんだかヒマ
寂 し い で す。 家 事 も 全 部 父 母 が
僕も部活がないと き な ど 、 た ま
す。連休のときなど 家 族 が 神 奈 川
ちに本当に優しく接してくれま
段のじいちゃんは井 川 に い る 僕 た
ん。だからかもしれ ま せ ん が 、 普
とはなかなか会うこ と が で き ま せ
川に帰ってからは、 神 奈 川 の 家 族
族が神奈川で暮らし て い ま す 。 井
が、 ち ょ く ち ょ く 遊 び に 行 っ た
緒に住んではいなかったのです
はおじいさんやおばあさんとは一
読んだりしていました。当時、私
リの世話をしたり、居間で新聞を
いて、そのころ飼っていたニワト
ているおじいさんは、いつも家に
お じ い さ ん は、 昔 は 田 ん ぼ を
やっていたそうですが、私が覚え
私のおじいさんは、私が小学校
三年生のときに亡くなりました。
す。会社と家はすぐ近くなのです
父母のもとに戻って住んでいま
今、家を新しく建て直している
ので、おばあさんは会社に、私は
ど、すごくよく働きます。
仕事が終わってからも畑に行くな
さんよりも元気な感じがします。
います。建設会社の社長で、お母
おばあさんは現在、もう七十歳
を超えていますが、元気に働いて
との生活を続けてきました。
て来たのですが、僕 の い と こ の 家
早く家を建ててもらい、また二人
おじいさんが亡くなって、私は
おばあさんと一緒に住むことにな
さんには、ずっと長生きしてほし
改めて思いました。
私の祖父と祖母
りました。父母と離れて暮らすと
に畑の手伝いをして い る と 、 僕 も
井川中2年 武田 奈々
いと思います。
ばよかったなあと思いました。あ
いさんが亡くなる前に来てあげれ
してみて、私はもっと早く、おじ
きなかったからです。実際に暮ら
したが、おばあさんを一人にはで
いうことには多少の不便もありま
じいちゃんの、そし て 家 族 の 役 に
立つことができるの だ と い う 達 成
感がわいてきます。
また、じいちゃん は 、 当 た り 前
のことかもしれませ ん が 、 家 族 を
とても大事にしてい ま す 。 新 間 の
から帰って来ると、 必 ず 一 緒 に ど
り、泊まりに行ったりしていまし
が、なかなか会いに行けません。
れから四年以上、私はおばあさん
こかに出かけたりし て い ま す 。
た。そんなとき、いつもおじいさ
おばあさんと離れると、やっぱり
お じ い ち ゃ ん と お ば あ ち ゃ ん は、
八月には、ひいお ば あ ち ゃ ん が
んは遊んでくれました。私はまだ
神奈川に住んでいて 八 年 前 に 帰 っ
亡くなり、僕には今 、 お じ い ち ゃ
奈々さん
(さくら)
6
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