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知 ら

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知 ら
れ
ぎ
る
版
本
r¥
の出会い、後者の主宰した雑誌﹁法螺
でむ
課員
員﹂
﹂を
をめ
めぐ
ぐる
る交
交流
流や
や、
、そ
その
の
ラサコンタ
後の友情の決裂をはじめ、十九世紀末の無視できぬ文学史的な事実
のひとつとして喧伝されるわりには、その
り実
実際
際に
につ
つい
いて
ては
は意
意外
外な
なほ
ほ
ど不
不明
拐な
な点
点が
が多
多い
い。
。そ
そう
うい
いっ
った
た研
研究
究現
現状
状を
を認
認識
識す
する
るた
ため
めに
にも
も、
、ご
どくく
大
作
をを
ふふ
りり
かか
ええ
大ざ
ざっ
っぱ
ぱな
なか
かた
たち
ちな
なが
がら
ら、
、こ
これ
れま
まで
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の代
代表
表的
的な
な関
関連
連著著
作
視
研
究究
かか
らら
もも
しし
ばば
しし
ばば
批批
判判
をを
浴浴
視点
点か
から
らの
の研
研究
究と
とは
はい
いい
いが
がた
たく
く、
、後
後続続
訴
とづ
つく
くも
もの
のだ
だっ
った
たた
ため
めに
に、
、成
成り
りム
立立
ちち
に
お
のみにもと
に
おい
いて
てす
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公平
平な
な
た。し
しか
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これ
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は、
、ジ
ジッ
ッド
ド自
吉身
身が
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選別
別の
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うえ
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ルイ
イス
ス書
書簡
簡
見
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ここ
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見た
たア
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ンド
ドレ
レ・
・ジ
ジッ
ッド
ドの
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デビ
ビュ
ュー
ー﹄
﹄で
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謁者
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の関
関係
係の
む素素
描
ま
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ール
ル・
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イズ
ズレ
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ール
ルが
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ピエ
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ール
ル・
・ル
ルイ
イス
スの
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ポポ
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まず
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μ 井 亮雄
吉士一 井
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ル・
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の分野でも事官
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なな
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ルル
イイ
スス
研研
究究
うで
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いわ
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ゆる
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ジッ
ッド
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学者
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は
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も、
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ルイ
イス
スと
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関係
係は
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設い
いや
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主題
題で
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なか
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0年年代代
登場
場に
に刺
刺激
激さ
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ジッ
ッド
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研究
究が
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飛躍
躍的
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展・
・多
多様
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驚異的な学識を誇るク鷺ー
ンン
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教教
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同じ
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く、
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ジッ
ッド
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記述
述に
にな
なっ
った
たこ
乙と
とは
は認
認め
めな
なけ
け
イズ
の麦もし死なずば﹄などの自
む
自伝
伝的
的著
著作
作の
の援
援用
用に
によ
よっ
って
て、
、結
結果
果的
的に
には
は
おい
い。
。け
けっ
っし
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て著
著者
者の
の意
意図図
ろが
う.
が﹃
﹃一
一粒
粒
お
すす
るる
とと
ここ
ろろ
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かか
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れて
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いる
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だけ
けで
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資料
料が
が総
総体
体的
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活用
用さ
され
れた
たと
とい
いう
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印象
象か
から
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はと
と
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ージを割いたが、ジッドの
む同
向者
者宛
宛書
書簡
霞は
は十
十五
五通
通ほ
迂ど
どが
が部
部分
分的
的に
に引
引用
用
﹃ジ
ジ
ッ
九六
五六
ルイ
イス
スと
との
の交
交友
友に
にも
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五五
七七
年年
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ドド
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春春
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ジッ
ッド
ドと
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ルル
イイ
スス
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係係
はは
、、
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ルル
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スス
学学
院院
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情﹂
﹂を
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描い
いて
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興味
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かい
いも
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の、
、ジ
ジッ
ッド
ドへ
への
の言
言及
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情
数
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妙な
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友情
情﹄
﹄︵
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一九
九七
七三
三年
年︶
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とな
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った
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人の
のま
まさ
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に﹁
﹁奇
奇妙
妙な
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友
妙
ル
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ール
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ルイ
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スと
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ルベ
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いい
るる
。
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究の
の踏
踏襲
襲に
にと
とど
どま
まっ
ってて
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係係
にに
かか
ぎぎ
れれ
ばば
先先
行行
少な
なか
から
らぬ
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新規
規情
情報
報を
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提出
出し
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たが
が、
、ジ
ジッ
ッド
ドと
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られ
れた
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一生
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﹄︵
︿一
一九
九八
八八
八年
年︶
﹀が
が、
、ル
ルイ
イス
ス評
評伝
伝と
とし
して
ては
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細部
部に
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おい
いて
て
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ル
・
lタター
l・・
l・
l・・
る。
。ま
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た、
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ハリ
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クク
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究究
﹃﹃
ピピ
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ール
ルイ
イス
ス﹄
﹄︿
︵一
一九
九七
七八
八年
年)
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未刊
刊資
資料
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の提
提出
出は
は少
少な
なく
く、
、ジ
ジッ
ッド
ドと
との
の関
関
ル
係
係に
にか
かぎ
ぎっ
って
ても
も新
新規
規情
情報
報に
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之し
しい
い。
。
ルル
・イ
ルイ
そ
ーー
ドド
ンン
・・
ミミ
ララ
ンン
にに
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るる
﹃﹃
ピピ
エエ
ール
スス
、、
そう
うい
いう
う意
意味
味で
で、
、ゴゴ
1・
あ
ある
るい
いは
は友
友情
情の
の崇
崇拝
拝﹄
﹄︵
(一
一九
九七
七九
九年
年︶
﹀が
が、
、過
過度
度に
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画化
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れて
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伝え
えら
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った
たル
ルイ
イス
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メー
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刊資
資料
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って
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大幅
幅に
に
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修正
正し
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功績
績は
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否定
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い。
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少な
なく
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修
もも
ジジ
ッッ
ドド
とと
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は実
実証
証的
的な
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詰め
めが
が甘
甘く
く、
、ま
また
たそ
その
の熱
熱意
意の
のあ
あま
まり
り、
、﹁﹁
ジ
の関係については
ジ
ルル
ルル
・・
の対象からは外れ
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壮年
年期
期以
以後
後の
のフ
フラ
ラン
ンシ
シス
ス・
・ジ
ジャ
ャム
ムや
やシ
シャャ
︵同
同著
著二
二六
六一
一頁
頁)
︶に
には
は確
確た
たる
る裏
裏づ
づけ
けが
が認
認め
めら
られ
れな
ない
い。
。ジ
ジッ
ッド
ド的
的な
な性
性愛
愛
(
にたいするジッドの同性愛
愛的
的な
な固
固着
着に
に起
起因
因す
する
ると
とい
いう
うミ
ミラ
ラン
ンの
の主
主張
張
りの
の倫
倫理
理的
的な
な発
発言
言が
がめ
めだ
だつ
っ。
。な
なか
かで
でも
も二
二人
人の
の友
友情
情の
の決
決裂
裂が
が、
、ル
ルイ
イス
ス
り
乙
ころ
ろで
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ある
る。
。じ
じつ
つを
をい
いえ
えば
ば、
、ジ
ジッ
ッド
ドリ
Hル
ルイ
イス
ス往
往復
復書
書簡
簡集
集出
出版
版の
の計
計画
画
け
るる
とと
けあ
あた
たう
うか
かぎ
ぎり
り遺
遺漏
漏の
の少
少な
ない
い往
往復
復書
書簡
簡集
集の
の公
公刊
刊が
がま
まち
ちの
のぞ
ぞま
まれれ
脈の
のな
なか
かに
に正
正し
しく
く位
位置
置づ
づけ
ける
るた
ため
めに
には
は、
、未
未発
発表
表の
の関
関連連
脈
資資
料料
、、
とと
りり
わわ
者の
の関
関係
係を
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総体
体的
的に
にと
とら
らえ
えな
なお
おし
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、さ
さら
らに
にそ
それれ
者
をを
文文
学学
史史
のの
大大
きき
なな
文文
いず
ずれ
れに
にせ
せよ
よ、
、け
けっ
っし
して
て十
十分
分に
に検
検討
討さ
され
れて
てき
きた
たとと
は
い
は
いい
いい
がが
たた
いい
両両
ッド
ドの
の容
容認
認し
しが
がた
たい
い過
過ち
ち﹂
﹂﹁
﹁残
残念
念な
な行
行為
為﹂
﹂な
など
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とい
いっ
った
た、ルイス寄
ッ
デュ・ボスら
らと
との
の関
関係
係に
にお
おい
いて
ても
も、
、愛
愛着
着と
と離
離反
反の
の共
共存
存す
する
る類
類似
似の
の感
感
よって着手
手さ
され
れて
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いた
た。
。ナ
ナヴ
ヴィ
ィル
ルは
は、
、パ
パリ
リ大
大学
学附
附属
属ド
ドゥ
ゥー
!セ
セ文
文庫
庫の
の
、ジ
ジッ
ッド
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の没
没後
後ま
まも
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い五
五十
十年
年代
代半
半ば
ばか
から
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ジャ
ャッ
ック
ク・
・ナ
ナヴ
ヴイ
ィル
ルに
に
は、
膨
めめ
のの
組組
織織
﹁﹁
ジジ
ッッ
ドド
委委
膨大
大な
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﹁ジ
ジッ
ッド
ド・
・コ
コレ
レク
クシ
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ョン
ン﹂
﹂を
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管理
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むむ
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こ乙
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はは
ジジ
ッッ
ドド
特特
情表
表出
出が
がた
たび
びた
たび
び認
認め
めら
られ
れる
るこ
乙と
とを
を思
思え
えば
ば、、
Pierre Louys, 1892.
P
i
e
r
r
e Louys,1
8
9
2
.
1
有
たた
有の
の両
両義
義的
的メ
メン
ンタ
タリ
リテ
ティ
ィー
ーの
のあ
あら
らわ
われ
れと
と見
見る
るべ
べき
きで
では
はな
ないか。洩4
最近
近で
では
は、
、ジ
ジャ
ャン
ンuu
最
ポポ
ーー
ルル
・・
ググ
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ジジ
ョョ
ンン
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﹃﹃
ピピ
エエ
ール
スス
ヤ、
﹂
l・
ルル
・イ
ルイ
、秘
秘
知ら
られ
れざ
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る版
版本
本
知
39
3
9
名
名︶
﹀に
につ
つづ
づい
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めた
た人
人物
物で
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文庫
庫所
所蔵
蔵の
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ッド
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宛二
二八
八六
六通
通︵
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ルル
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書
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会﹂
﹂の
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ノル
ド誌
書誌
l︵ル
愛
書的
家記
的述
記の
述充
の実
充し
実た
した
略
刷刷
テテ
クク
スス
トト
のの
部部
略述
述し
した
たう
うえ
えで
で、
、補
補説
説的
的な
な注
注釈
釈を
をま
まじ
じえ
えな
なが
がら
ら、
、印印
されるこ
とと
とに
にな
なる
るだ
だろ
ろう
うが
が、
、そ
それ
れに
に先
先だ
だち
ち本
本稿
稿で
では
は、
、版
版本
本の
の外
外観
観を
を
前出のマ
マッ
ッソ
ソン
ン︶
)に
には
はす
すで
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に情
情報
報を
をお
おく
くっ
つた
たの
ので
で、
、い
いず
ずれ
れ同
同誌
誌に
に掲
掲載
載
ジッ
ッド
ドの
のルイス宛書簡集
ジ
ル﹀
︶お
およ
よび
びル
ルイ
イス
ス宛
宛一
一八
八七
七通
通(
︵コ
コピ
ピー
︶を
を中
中心
心に
にす
する往復書簡
l)
簡
リジナル
分
いい
。。
分訳
訳・
・要
要約
約に
によ
よっ
って
てこ
との
の小
小書
書簡
簡集
集の
の内
内容
容を
を紹
紹介
介し
したた
年
らず
ず、
、こζ
のの
版版
本本
のの
存存
在在
はは
、、
筆筆
者者
のの
年近
近く
くが
が経
経過
過し
しているにもかかわら
く
すす
でで
にに
七七
くは
は特
特殊
殊な
な出
出版
版形
形態
態と
と部
部数
数の
の僅
僅少
少の
のた
ため
めで
であ
あろ
ろう
う、
、上
上梓
梓後後
簡八
八通
通﹂
﹂と
と題
題す
する
る限
限定
定私
私家
家版
版を
を入
入手
手すす
簡
るる
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会会
にに
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ぐぐ
まま
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たた
。。
おお
そそ
らら
と
ピピ
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ーー
ルル
・・
ルル
イイ
スス
宛宛
書書
とこ
ころ
ろで
で筆
筆者
者は
は最
最近
近、
、偶
偶然
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にも
もジ
ジッ
ッド
ドの
の﹁﹁
と
と聞
聞く
く。
。
り
にに
包包
まま
れれ
るる
。。
頁頁
付付
はは
り方
方形
形紙
紙片
片が
が、
、白
白色
色紙
紙を
をも
もち
ちい
いた
た型
袖つ
つき
きの
の表
表紙紙
賛沢
沢版
版で
でと
とら
られ
れる
る方
方法
法。
。断
断裁
裁さ
され
れた
た八
八葉
葉の
の二
二つ
つ折
折
のためにしばしば贅
便
を
は
ぶぷ
きき
、、
まま
たた
そそ
のの
作作
業業
のの
ささ
いい
のの
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傷傷
のの
危危
険険
をを
ふふ
せせ
ぐぐ
︶)
便︵
(仮
仮綴
綴じ
じを
を解
解く
く手
手間聞
を
は
の状態である。こ
乙れは、版本じ
じた
たい
いが
が薄
薄い
いせ
せい
いも
もあ
あろ
ろう
うが
が、
、装
装丁
丁の
の
縦長
長な
な変
変型
型大
大型
型版
版で
で、
、仮
仮綴
綴じ
じは
はさ
され
れず
ず、
、各
各紙
紙片
片バ
バラ
ラバ
バラ
ラ
チのかなり縦
まず
ず、
、書
書誌
誌学
学的
的な
な側
側面
面か
から
らl
。二
縦十
二八
十・
八五
・五
ま
一l
。縦
××
横横
十十
四四
・・
五五
セセ
ンン
活
算算
写写
植植
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旅行
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念念
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収、
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執筆
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地と
とし
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知ら
られ
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知
知ら
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版本
本
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4
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大大
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筆者
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書き
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番さ
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書書
家家
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専専
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れた
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世俗
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(中庭から)
(中庭から)
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。
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ドに
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否定
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研究
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無
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矯報をもっていない。だが、彼女︵
(署
署名
名が
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実名
名で
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ると
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序文
文が
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自に
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名名
さて
て、
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標題
運紙
転を
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くる
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と、
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シュ
ュス
スとと
忘れら
が、今でも志
られ
れな
ない
い。
。
実
りり
をを
放放
つつ
よよ
うう
にに
ゆゆ
れれ
てて
いい
たた
のの
実を
をつ
つけ
ぜた
た桜
接桃
誌の
の木
木が
が初
初夏
夏の
む風
嵐に
に香香
同
じじ
るる
自自
動動
車車
道道
のの
両再
側側
にに
沿沿
っっ
てて
つつ
づづ
くく
果果
樹樹
畑畑
でで
、、
たた
わわ
わわ
に
日市
間に
帯つ
にう
つう
に
を
て
いい
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だだ
ろろ
うう
。。
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あつ
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めは
はじ
じめ
めて
てい
いた
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の後
後は
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どう
うな
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て
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った
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側面
面、
、ジ
ジッ
ッド
ドが
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まい
いに
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変想
恕を
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たあ
ある
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よっ
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ルイ
イス
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語は
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遥し
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ず、
、
書簡
簡の
の出
出版
版を
を拒
拒み
み、
、必
必要
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って
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それ
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を閲
器覧
覧す
する
るこ
こと
とさ
さえ
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禁じ
じつ
つ
書
続
続人
人た
たち
ちは
は、
、称
称賛
賛に
に値
値す
する
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一貫
貫性
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て、
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彼が
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ルイ
イス
スと
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交わ
わし
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た
たら
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い
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書語
簡集
集が
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いう
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彼の
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産相
相
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i
ドに
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つい
いて
ては
は、
、四
四十
十年
年法
ほ
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しば
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ジッド
どど
詰前
かか
らら
数数
多多
くく
のの一し
ドのデビュー﹄をい
いや
やで
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もそ
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こに
にく
くわ
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えざ
ざる
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ので
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ある
る。
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ジ
クッ
ヴド
ずの
のル
ルイ
イス
ス宛
宛書
書簡
嵩集
集
な学力をそなえた擁護者であるとはとうてい
たた
とと
ええ
い儒
借じ
じが
がた
たい
い。。
喚起する必要があるだろうか。
ポ
ポール・イズレー
iル
ルの
の﹃
﹃ピ
ピエー
iルル・・ルルイ
イス
スの
の見
見た
たア
アン
ンド
ドレ
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・ジ
ジッ
ッ
そそのかされたの
Cで
では
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いと
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ても
も、
、彼
彼の
の序
序文
文を
を付
付し
した
た聖
聖人
人伝
伝、
、
な
ジだ
だけ
けで
であ
あり
り、
、ジ
ジッ
ッド
ドに
に
lジ
なず
ずば
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﹄の
のな
なか
かで
でル
ルイ
イス
スに
に割かれたペ
ぺー
う
もも
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死死
うが
がよ
よい
い。
。じ
じじ
じつ
っ、
、わ
われ
れわ
われ
れが
が利
利用
用で
でき
きる
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のは
は﹃
﹃一
一粒
粒の
の麦麦
だけ、
、つ
つま
まり
ちジ
ジッ
ッド
ド自
自身
身に
によ
よっ
って
てし
しか
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書か
かれ
れて
てい
いな
ない
いと
とい
いっ
った
たほ
ほ
こと
とはあるまい。あるいはむしろ、書かれ
こ
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はし
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たが
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一方
方向
向か
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ジ
スとの交流史
史は
は、
、お
おそ
そら
らく
く今
訂す
すぐ
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書脅
かか
れれ
るる
とと
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うう
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ッド
ドとルイ只
iヌ
ヌ・
・ジ
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ッド
ド女
女史
史
乙
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印覇
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れた
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蕎の
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財産
産権
権は
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ぜん
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記
解
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述述
だだ
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言説
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以後
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以
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シュ
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論調
調、
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こと
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伝記
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事実
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縁づ
づけ
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版元
元
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、特定の研究者に優先的に便宜をあたえるのの
はは
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にも
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、
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く、
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接的
的・網羅的な資料体の提繊をねらって
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い。
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また
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覧権
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う
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文庫
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文は
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むし
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的・
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攻撃
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誤解
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いい
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で交わされた書簡のど
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道は
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定的
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果報
報告
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0一一年年ままでですすででにに余余すすととこころろ十十年年をを切切っったた今今濤日、、将持来来のむ﹁﹁総総合合書書
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