...

知 ら

by user

on
Category: Documents
30

views

Report

Comments

Description

Transcript

知 ら
れ
ぎ
る
版
本
r¥
の出会い、後者の主宰した雑誌﹁法螺
でむ
課員
員﹂
﹂を
をめ
めぐ
ぐる
る交
交流
流や
や、
、そ
その
の
ラサコンタ
後の友情の決裂をはじめ、十九世紀末の無視できぬ文学史的な事実
のひとつとして喧伝されるわりには、その
り実
実際
際に
につ
つい
いて
ては
は意
意外
外な
なほ
ほ
ど不
不明
拐な
な点
点が
が多
多い
い。
。そ
そう
うい
いっ
った
た研
研究
究現
現状
状を
を認
認識
識す
する
るた
ため
めに
にも
も、
、ご
どくく
大
作
をを
ふふ
りり
かか
ええ
大ざ
ざっ
っぱ
ぱな
なか
かた
たち
ちな
なが
がら
ら、
、こ
これ
れま
まで
での
の代
代表
表的
的な
な関
関連
連著著
作
視
研
究究
かか
らら
もも
しし
ばば
しし
ばば
批批
判判
をを
浴浴
視点
点か
から
らの
の研
研究
究と
とは
はい
いい
いが
がた
たく
く、
、後
後続続
訴
とづ
つく
くも
もの
のだ
だっ
った
たた
ため
めに
に、
、成
成り
りム
立立
ちち
に
お
のみにもと
に
おい
いて
てす
すで
でに
に公
公平
平な
な
た。し
しか
かし
しこ
これ
れは
は、
、ジ
ジッ
ッド
ド自
吉身
身が
が選
選別
別の
のう
うえ
えで
で提
提供
供し
した
たル
ルイ
イス
ス書
書簡
簡
見
描
をを
ここ
こと
ろろ
みみ
見た
たア
アン
ンド
ドレ
レ・
・ジ
ジッ
ッド
ドの
のデ
デビ
ビュ
ュー
ー﹄
﹄で
で両
謁者
者の
の関
関係
係の
む素素
描
ま
.
ール
ル・
・イ
イズ
ズレ
レi
ール
ルが
が﹃
吋ピ
ピエ
エー
ール
ル・
・ル
ルイ
イス
スの
の
ポポ
i
まず
ず一九三七年に、、
るこ
めめ
たた
いい
。。
.
る
こと
とか
から
らは
はじじ
¥
.
.
.
/
μ 井 亮雄
吉士一 井
7己
=r
雄
3g
38
お
。た
たと
とえ
えば
ば、
、ロ
ロベ
ベー
!ル
ル・
・フ
フ
の分野でも事官
情は同様といってよかろう。
う
は
少少
なな
いい
。。
ルル
イイ
スス
研研
究究
うで
で、
、い
いわ
わゆ
ゆる
るジ
ジッ
ッド
ド学
学者
者に
によ
よる
るア
アプ
プロ
ロー
ーチチ
は
以降
降も
も、
、ル
ルイ
イス
スと
との
の関
関係
係は
はけ
けっ
っし
して
て扱
設い
いや
やす
すい
い主
主題
題で
では
はな
なか
かっ
った
たよ
よ
以
登
0年年代代
登場
場に
に刺
刺激
激さ
され
れて
てジ
ジッ
ッド
ド観
研究
究が
が飛
飛躍
躍的
的に
に発
発展
展・
・多
多様
様化
化し
した
た七
七〇
驚異的な学識を誇るク鷺ー
ンン
第第
二ニ
大大
学学
教教
授捜
︶﹀
のの
ロド
ー・
ドマ
・ル
マタ
ルン
タ︵
ン現
ハ夢
現繋
リヨ
れば
ばな
なる
るま
まい
い。
。
れ
ズレ
レー
ール
ルと
と同
同じ
じく
く、
、ジ
ジッ
ッド
ド側
側か
から
らの
の記
記述
述に
にな
なっ
った
たこ
乙と
とは
は認
認め
めな
なけ
け
イズ
の麦もし死なずば﹄などの自
む
自伝
伝的
的著
著作
作の
の援
援用
用に
によ
よっ
って
て、
、結
結果
果的
的に
には
は
おい
い。
。け
けっ
っし
して
て著
著者
者の
の意
意図図
ろが
う.
が﹃
﹃一
一粒
粒
お
すす
るる
とと
ここ
ろろ
でで
はは
なな
かか
っっ
たた
だだ
ろう
さ
され
れて
てい
いる
るだ
だけ
けで
で、
、資
資料
料が
が総
総体
体的
的に
に活
活用
用さ
され
れた
たと
とい
いう
う印
印象
象か
から
らは
はと
と
i
ージを割いたが、ジッドの
む同
向者
者宛
宛書
書簡
霞は
は十
十五
五通
通ほ
迂ど
どが
が部
部分
分的
的に
に引
引用
用
﹃ジ
ジ
ッ
九六
五六
ルイ
イス
スと
との
の交
交友
友に
にも
もぺ
ペ
五五
七七
年年
﹀︶
のの
なな
かか
ででル
﹃
ッ
ドド
のの
青青
春春
﹄﹄
︿︵
一一
九五
i一
とに
にな
なっ
った
た。
。つ
つづ
づい
いて
てジ
ジャ
ャン
ン・
・ド
ドレ
レ⋮
!が
が、
、そ
その
の記
記念
念碑
碑的
的大
大著
著
びる こ
ζと
ー
ッッ
ドド
ののルルイイスス宛
l⋮i
iー
lジジ
宛書
書簡
簡集
集一
ら
アン
ンド
ドレ
レ・
・ジ
ジッ
ッド
ドと
とピ
ピエ
エー
ア
ルル
イイ
スス
とと
のの
関関
係係
はは
、、
アア
ルル
ザザ
スス
学学
院院
iルル・・
知
情﹂
﹂を
を描
描い
いて
て興
興味
味ぶ
ぷか
かい
いも
もの
のの
の、
、ジ
ジッ
ッド
ドへ
への
の言
言及
及はは
数
情
数
ええ
るる
ほほ
どど
でで
ああ
妙な
な友
友情
情﹄
﹄︵
(一
一九
九七
七三
三年
年︶
)は
は、
、対
対象
象と
とな
なっ
った
た二
こ人
人の
のま
まさ
さに
に﹁
﹁奇
奇妙
妙な
な友
友
妙
ル
ルl
ーリ
リ!
ーの
の﹃
﹃
ピ
ピ
エエi
ール
ル・
・ル
ルイ
イス
スと
とジ
ジル
ルベ
ベi
ール・ド・ヴォワザン、奇
研
いい
るる
。
研究
究の
の踏
踏襲
襲に
にと
とど
どま
まっ
ってて
。
少
関関
係係
にに
かか
ぎぎ
れれ
ばば
先先
行行
少な
なか
から
らぬ
ぬ新
新規
規情
情報
報を
を提
提出
出し
した
たが
が、
、ジ
ジッ
ッド
ドと
とのの
め
めら
られ
れた
た一
一生
生﹄
﹄︵
︿一
一九
九八
八八
八年
年︶
﹀が
が、
、ル
ルイ
イス
ス評
評伝
伝と
とし
して
ては
は細
細部
部に
にお
おい
いて
て
ピー
ル
・
lタター
l・・
l・
l・・
る。
。ま
また
た、
、パ
ハリ
リー
る
ピ
クク
ララ
イイ
ヴヴ
のの
伝伝
記記
的的
研研
究究
﹃﹃
ピピ
エエ
ール
ルイ
イス
ス﹄
﹄︿
︵一
一九
九七
七八
八年
年)
︶で
でも
も未
未刊
刊資
資料
料の
の提
提出
出は
は少
少な
なく
く、
、ジ
ジッ
ッド
ドと
との
の関
関
ル
係
係に
にか
かぎ
ぎっ
って
ても
も新
新規
規情
情報
報に
に乏
之し
しい
い。
。
ルル
・イ
ルイ
そ
ーー
ドド
ンン
・・
ミミ
ララ
ンン
にに
よよ
るる
﹃﹃
ピピ
エエ
ール
スス
、、
そう
うい
いう
う意
意味
味で
で、
、ゴゴ
1・
あ
ある
るい
いは
は友
友情
情の
の崇
崇拝
拝﹄
﹄︵
(一
一九
九七
七九
九年
年︶
﹀が
が、
、過
過度
度に
に戯
戯画
画化
化さ
され
れて
て伝
伝え
えら
ら
れが
がち
ちだ
だっ
った
たル
ルイ
イス
スの
のイ
イメ
メー
ージ
ジを
を、
、豊
豊富
富な
な未
未刊
刊資
資料
料に
によ
よっ
って
て大
大幅
幅に
に
れ
修正
正し
した
た功
功績
績は
はた
たし
しか
かに
に否
否定
定で
でき
きな
ない
い。
。だ
だが
が、
、少
少な
なく
くとと
修
もも
ジジ
ッッ
ドド
とと
の
は実
実証
証的
的な
な詰
詰め
めが
が甘
甘く
く、
、ま
また
たそ
その
の熱
熱意
意の
のあ
あま
まり
り、
、﹁﹁
ジ
の関係については
ジ
ルル
ルル
・・
の対象からは外れ
れる
る壮
壮年
年期
期以
以後
後の
のフ
フラ
ラン
ンシ
シス
ス・
・ジ
ジャ
ャム
ムや
やシ
シャャ
︵同
同著
著二
二六
六一
一頁
頁)
︶に
には
は確
確た
たる
る裏
裏づ
づけ
けが
が認
認め
めら
られ
れな
ない
い。
。ジ
ジッ
ッド
ド的
的な
な性
性愛
愛
(
にたいするジッドの同性愛
愛的
的な
な固
固着
着に
に起
起因
因す
する
ると
とい
いう
うミ
ミラ
ラン
ンの
の主
主張
張
りの
の倫
倫理
理的
的な
な発
発言
言が
がめ
めだ
だつ
っ。
。な
なか
かで
でも
も二
二人
人の
の友
友情
情の
の決
決裂
裂が
が、
、ル
ルイ
イス
ス
り
乙
ころ
ろで
であ
ある
る。
。じ
じつ
つを
をい
いえ
えば
ば、
、ジ
ジッ
ッド
ドリ
Hル
ルイ
イス
ス往
往復
復書
書簡
簡集
集出
出版
版の
の計
計画
画
け
るる
とと
けあ
あた
たう
うか
かぎ
ぎり
り遺
遺漏
漏の
の少
少な
ない
い往
往復
復書
書簡
簡集
集の
の公
公刊
刊が
がま
まち
ちの
のぞ
ぞま
まれれ
脈の
のな
なか
かに
に正
正し
しく
く位
位置
置づ
づけ
ける
るた
ため
めに
には
は、
、未
未発
発表
表の
の関
関連連
脈
資資
料料
、、
とと
りり
わわ
者の
の関
関係
係を
を総
総体
体的
的に
にと
とら
らえ
えな
なお
おし
し、
、さ
さら
らに
にそ
それれ
者
をを
文文
学学
史史
のの
大大
きき
なな
文文
いず
ずれ
れに
にせ
せよ
よ、
、け
けっ
っし
して
て十
十分
分に
に検
検討
討さ
され
れて
てき
きた
たとと
は
い
は
いい
いい
がが
たた
いい
両両
ッド
ドの
の容
容認
認し
しが
がた
たい
い過
過ち
ち﹂
﹂﹁
﹁残
残念
念な
な行
行為
為﹂
﹂な
など
どと
とい
いっ
った
た、ルイス寄
ッ
デュ・ボスら
らと
との
の関
関係
係に
にお
おい
いて
ても
も、
、愛
愛着
着と
と離
離反
反の
の共
共存
存す
する
る類
類似
似の
の感
感
よって着手
手さ
され
れて
てい
いた
た。
。ナ
ナヴ
ヴィ
ィル
ルは
は、
、パ
パリ
リ大
大学
学附
附属
属ド
ドゥ
ゥー
!セ
セ文
文庫
庫の
の
、ジ
ジッ
ッド
ドの
の没
没後
後ま
まも
もな
ない
い五
五十
十年
年代
代半
半ば
ばか
から
らジ
ジャ
ャッ
ック
ク・
・ナ
ナヴ
ヴイ
ィル
ルに
に
は、
膨
めめ
のの
組組
織織
﹁﹁
ジジ
ッッ
ドド
委委
膨大
大な
な﹁
﹁ジ
ジッ
ッド
ド・
・コ
コレ
レク
クシ
ショ
ョン
ン﹂
﹂を
を管
管理
理す
する
るたた
情
むむ
しし
ろろ
こ乙
れれ
はは
ジジ
ッッ
ドド
特特
情表
表出
出が
がた
たび
びた
たび
び認
認め
めら
られ
れる
るこ
乙と
とを
を思
思え
えば
ば、、
Pierre Louys, 1892.
P
i
e
r
r
e Louys,1
8
9
2
.
1
有
たた
有の
の両
両義
義的
的メ
メン
ンタ
タリ
リテ
ティ
ィー
ーの
のあ
あら
らわ
われ
れと
と見
見る
るべ
べき
きで
では
はな
ないか。洩4
最近
近で
では
は、
、ジ
ジャ
ャン
ンuu
最
ポポ
ーー
ルル
・・
ググ
ーl
ジジ
ョョ
ンン
のの
﹃﹃
ピピ
エエ
ール
スス
ヤ、
﹂
l・
ルル
・イ
ルイ
、秘
秘
知ら
られ
れざ
ざる
る版
版本
本
知
39
3
9
名
名︶
﹀に
につ
つづ
づい
いて
てつ
つと
とめ
めた
た人
人物
物で
で、
、同
同文
文庫
庫所
所蔵
蔵の
のジ
ジッ
ッド
ド宛
宛二
二八
八六
六通
通︵
(オ
オ
ジッ
員
表表
をを
父父
アア
ルル
ノー
愛(
書
家
ジッ
ド書
でで
著著
員会
会﹂
﹂の
の代代
ノル
ド誌
書誌
l︵ル
愛
書的
家記
的述
記の
述充
の実
充し
実た
した
略
刷刷
テテ
クク
スス
トト
のの
部部
略述
述し
した
たう
うえ
えで
で、
、補
補説
説的
的な
な注
注釈
釈を
をま
まじ
じえ
えな
なが
がら
ら、
、印印
されるこ
とと
とに
にな
なる
るだ
だろ
ろう
うが
が、
、そ
それ
れに
に先
先だ
だち
ち本
本稿
稿で
では
は、
、版
版本
本の
の外
外観
観を
を
前出のマ
マッ
ッソ
ソン
ン︶
)に
には
はす
すで
でに
に情
情報
報を
をお
おく
くっ
つた
たの
ので
で、
、い
いず
ずれ
れ同
同誌
誌に
に掲
掲載
載
ジッ
ッド
ドの
のルイス宛書簡集
ジ
ル﹀
︶お
およ
よび
びル
ルイ
イス
ス宛
宛一
一八
八七
七通
通(
︵コ
コピ
ピー
︶を
を中
中心
心に
にす
する往復書簡
l)
簡
リジナル
分
いい
。。
分訳
訳・
・要
要約
約に
によ
よっ
って
てこ
との
の小
小書
書簡
簡集
集の
の内
内容
容を
を紹
紹介
介し
したた
年
らず
ず、
、こζ
のの
版版
本本
のの
存存
在在
はは
、、
筆筆
者者
のの
年近
近く
くが
が経
経過
過し
しているにもかかわら
く
すす
でで
にに
七七
くは
は特
特殊
殊な
な出
出版
版形
形態
態と
と部
部数
数の
の僅
僅少
少の
のた
ため
めで
であ
あろ
ろう
う、
、上
上梓
梓後後
簡八
八通
通﹂
﹂と
と題
題す
する
る限
限定
定私
私家
家版
版を
を入
入手
手すす
簡
るる
機機
会会
にに
めめ
ぐぐ
まま
れれ
たた
。。
おお
そそ
らら
と
ピピ
エエ
ーー
ルル
・・
ルル
イイ
スス
宛宛
書書
とこ
ころ
ろで
で筆
筆者
者は
は最
最近
近、
、偶
偶然
然に
にも
もジ
ジッ
ッド
ドの
の﹁﹁
と
と聞
聞く
く。
。
り
にに
包包
まま
れれ
るる
。。
頁頁
付付
はは
り方
方形
形紙
紙片
片が
が、
、白
白色
色紙
紙を
をも
もち
ちい
いた
た型
袖つ
つき
きの
の表
表紙紙
賛沢
沢版
版で
でと
とら
られ
れる
る方
方法
法。
。断
断裁
裁さ
され
れた
た八
八葉
葉の
の二
二つ
つ折
折
のためにしばしば贅
便
を
は
ぶぷ
きき
、、
まま
たた
そそ
のの
作作
業業
のの
ささ
いい
のの
損損
傷傷
のの
危危
険険
をを
ふふ
せせ
ぐぐ
︶)
便︵
(仮
仮綴
綴じ
じを
を解
解く
く手
手間聞
を
は
の状態である。こ
乙れは、版本じ
じた
たい
いが
が薄
薄い
いせ
せい
いも
もあ
あろ
ろう
うが
が、
、装
装丁
丁の
の
縦長
長な
な変
変型
型大
大型
型版
版で
で、
、仮
仮綴
綴じ
じは
はさ
され
れず
ず、
、各
各紙
紙片
片バ
バラ
ラバ
バラ
ラ
チのかなり縦
まず
ず、
、書
書誌
誌学
学的
的な
な側
側面
面か
から
らl
。二
縦十
二八
十・
八五
・五
ま
一l
。縦
××
横横
十十
四四
・・
五五
セセ
ンン
活
算算
写写
植植
オオ
フフ
セセ
ッッ
トト
印印
刷刷
でで
ああ
活版
版で
では
はな
なく
く、
、例
例に
によ
よっ
って
て今
今日
日全
全盛
盛の
の電電
奥
頁頁
ああ
たた
りり
三三
十十
一一
行行
。。
印印
刷刷
はは
奥付
付を
をふ
ふく
くめ
めて
て二
二十
十七
七頁
頁、
、本
本文
文の
の組
組版
版はは
館を
をは
はじ
じめ
めと
とす
する
るフ
フラ
ラン
ンス
スの
の大
大手
手の
の図図
館
書書
館館
にに
もも
収収
めめ
らら
れれ
てて
いい
なな
いい
よよ
(略
略標
標題
題は
はな
なし
し︶
)に
には
は﹁
﹁初
初版
版﹂
﹂と
と記
記さ
され
れた
たう
うえ
え
る。表紙および標題紙︵
報告
告さ
され
れた
たこ
とと
とが
がな
ない
い。
。ま
また
た現
現在
在の
のと
とこ
乙ろ
ろ、
、パ
パリ
リ国
国立
立図
図書
書
で一度も 報
うで
であ
ある
る。
。斯
斯界
界の
の主
主要
要研
研究
究誌
誌﹁
﹁ジ
ジッ
ッド
ド友
友の
の会
会会
会報
報﹂
﹂︵
(現
現編
編集
集責
責任
任者
者は
は
う
承
はは
今今
日日
にに
いい
たた
るる
まま
承知
知す
する
るか
かぎ
ぎり
り、
、少
少な
なく
くと
とも
もジ
ジッ
ッド
ド研
研究
究の
の分
分野
野でで
まっ
った
たく
く新
新規
規に
には
はじ
じめ
めら
られ
れた
た準
準備
備作
作業
業も
もす
すで
でに
にか
かな
なりり
ま
すす
すす
んん
でで
いい
るる
らわれる︶
委委
ね
マッ
ッソ
ソン
ンにK
lルル・・マ
ねら
られ
れ、
、
﹀と校訂はナント大学教授ピエー
後
や
古
書
市
場場
にに
ああ
後散
散逸
逸し
した
たも
もの
のが
が多
多く
く、
、現
現在
在で
でも
もオ
オリ
リジ
ジナ
ナル
ルが
がと
とき
きお
おり
り競
競売売
や
古
書
市
ジッ
ド簡
書の
簡ほ
のう
ほは
う、
は、
な
料料
収集
くと
に
ジッ
ド書
ルル
イイ
スス
のの
死死
なっ
った
た。
。そ
その
のの
のち
ち、
、資資
収︵
集と(
くに
︶、ついに計画を完遂するにい
る﹀
いた
たら
らず
ず、
、一
一九
九八
八六
六年
年に
に惜
惜し
しく
くも
も亡
亡く
く
ルイ
イス
ス宛
宛二
二十
十四
四通
通が
が公
公表
表会
きれ
れる
るな
など
ど、
、そ
その
の特
特権も絶対的なものではなくな
ル
な
︵た
ていたが(
ただ
だし
し後
後半
半に
にな
なる
ると
と、
、ミ
ミラ
ラン
ン前
前掲
掲書
書に
に部
部分
分的
的な
な引
引用
用も
もふ
ふく
くめ
めて
て
集
ザザ
ーー
ブブ
﹂﹂
しし
集の
の公
公刊
刊を
をめ
めざ
ざし
し、
、ほ
ほぼ
ぼ三
三十
十年
年に
にわ
わた
たっ
って
て閲
閲覧
覧権
権を
を﹁
﹁リリ
40
40
ポ」
購“
ーー
トト
ゥゥ
イイ
ユ、
で、
、版
版元
元と
とし
し
モン
ンモ
モラ
ラン
ンシ
シl
i、
、オ
オ
ユ、一九
で
てて
﹁﹁
在在
、ヴ
ヴィ
ィラ・モ
、し
しだ
だい
いに
に旅
に快
快適
適な
な居
居住
住空
空間
聞に
には
はほ
ほど
どと
とお
おく
く、
旅行
行と
と旅
旅行
行
設計のために
番地
地に
に建
建て
てさ
させ
せた
たも
もの
のだ
だが
が、
、建
建築
築家
家ル
ルイ
イ・
・ボ
ボニ
ニエ
エの
のあ
あま
まり
りに
に奇
奇抜
抜な
な
番
八六年
六年
年十
十一
一月
月七
七日
日、
、オ
オl
ートゥイユのヴ
年﹂
﹂、
、ま
また
た奥
奥付
付に
には
は﹁
ご一
九九
八八六
ッ
ァノ
ノ
︶そ
、れ
それ
にい
いた
た
ッ
ドド
はは
ずヴ7
街街
のの
アア
パパ
ルル
トト
ママ
ンン
にに
居居
をを
定定
めめ
るる
)、
以以
後後
はは
現現
在在に
1ー
になってしまい
い、
、一
一九
九二
二八
八年
年五
五月
月に
には
はつ
つい
いに
に売
売却
却さ
され
れ︵
(同同
年
年
八八
月月
、、
ジジ
の
ラン
ンク
クだ
だけ
けが
が置
置か
かれ
れる
る﹁
﹁主
主人
人な
なき
きヴ
ヴィ
ィラ
ラ﹂
﹂
のあ
あい
いだの仮泊の場、トラ
ル・
・ル
ルイ
イス
ス宛未刊書簡八通か
ル
から
らな
なる
るこ
乙の
の非
非売
売版
版は
は、
、す
すべ
べて
てア
アル
ルシ
シュ
ュ
るまで他人の手にわたっているからで
であ
ある
る。
。
いっ
っぽ
ぽう
う、
、﹁
﹁ユ
ユゼ
ゼス
ス新
新教
教徒
徒愛
愛書
書家
家の
の会
会﹂
﹂と
とい
いう
う組
組織
織はは
い
筆筆
者者
にに
はは
初初
耳で
であ
あり
り、
耳
、は
はた
たし
して
て実
実在
在す
する
るも
もの
のか
か否
否か
かも
も未
未確
確認
認だ
だが
が、
、南
南仏
仏ガ
ガー
ール
ル
県
lルルのの出出身身地地ととししてて、
県の
の小
小都
都市
市ユ
ユゼ
ゼス
スじ
じた
たい
いは
は父
父ポ
ポー
、こ
乙れ
れま
また
たジ
ジッ
ッ
な
ずず
ばば
﹄﹄
にに
はは
、、
ドにはたい
いへ
へん
ん縁
縁の
のふ
ふか
かい
い土
土地
地で
で、
、﹃
﹃一
一粒
粒の
の麦
麦も
もし
し死死
な
夏
がが
綴糠
らら
れれ
てて
夏の
の休
休暇
暇な
など
どに
に同
同地
地で
で過
過ご
ごし
した
た幼
幼少
少年
年期
期の
の甘
甘美
美な
な思
思い
い出出
ッッ
ドド
記記
念念
室室
﹂﹂
いる。それを
を記
記念
念し
して
て現
現在
在は
は、
、市
市立
立図
図書
書館
館の
の一
一室
室が
が﹁
﹁ジジ
にあてられ 、関係者から寄贈
贈さ
され
れた
た作
作家
家ゆ
ゆか
かり
りの
の品
品々
々が
が二
二百
百点
点ほ
ほど
ど
展示
示さ
され
れて
てい
いる
る︵
(ち
ちな
なみ
みに
に﹁
﹁ジ
ジッ
ッド
ドと
とユ
ユゼ
ゼス
ス﹂
﹂に
にか
かん
んすす
る
邦
語
文
展
る
邦
語
文
献献
とと
しし
てて
らか
かで
でも
もジ
ジッ
ッド
ドの
の伝
伝記
記的
的研
研究
究を
を参
参照
照し
した
たこ
乙と
との
のあ
ある
る者
者に
には
は馴
馴染
染み
みのの
ら
(ているが、乙
版
シl
i﹂とな︵
これはいく
く
4ラ
ラ・
・モ
モンモランシ
版元
元が
が﹁ヴィ
とこ
ころ
ろで
で、
、こ
この
の大
大悲
悲劇
劇詩
詩入
人が
が青
青年
年期
期に
に一一
と
時時
滞滞
在在
し
、
し
、﹁
﹁ユ
ユゼ
ゼス
ス書
書簡
簡﹂
﹂を
を
はまた、
ヌの
の母
母方
方の
の伯
伯父
父ア
アン
ント
トワ
ワー
は
、ラ
ラシ
シl
ーヌ
・・
ス
コ
lヌヌ
ス
コナ
ナン
ンの
の家
家が
があ
あっ
った
た
語
語フ
フラ
ラン
ンス
ス文
文学
学論
論集
集﹄
﹄第
第二
二十
十六
六号
号所
所収
収、
、が
が周
周到
到に
にし
して
て興
興趣
趣に
に富
富む
む︶
)。
。ユ
ユゼ
ゼス
ス
は、
、中村栄
栄子
子﹁
﹁ア
アン
ンド
ドレ
レ・
・ジ
ジー
ス
は
lド
ドの
の父
父の
の国
国ユ
ユゼ
ゼス
ス﹂
﹂、
、西
西南
南学
学院
院大
大学
学﹃
﹃フ
フラ
ラン
ンス
場
場所
所で
であ
ある
るだ
だけ
けに
に、
、か
かえ
えっ
って
て奇
奇異
異な
な印
印象
象を
をう
うけ
ける
る。
。な
なぜ
ぜな
なら
らば
ば、
、こ
乙の
の
執
。。
余余
談談
なな
がが
らら
、、
十十
年年
ほほ
どど
前前
にに
筆筆
者者
がが
訪訪
執筆
筆し
した
た地
地と
とし
して
ても
も知
知ら
られ
れるる
知
知ら
られ
れぎ
ぎる
る版
版本
本
41
4
1
ヴ
〇六
ユユ
大大
通通
りり
のの
アア
六年
年に
に、
、そ
それ
れま
まで
での
のう
ラス
スパ
パーl
ヴィ
ィラ
ラは
はジ
ジッ
ッド
ドが
が一
一九
九O
り
り、
、第
第五
五番
番。
。
り﹂
﹂と
とあ
ある
る。
。ち
ちな
なみ
みに
に筆
筆者
者所
所有
有の
のも
もの
のも
も手
手書
書き
きで
で記
記事
番さ
され
れて
てお
お
用なり
産
書書
家家
のの
会会
専専
産ヴ
ヴェ
ェラ
ラム
ム紙
紙を
をも
もち
ちい
いて
て五
五十
十部
部刷
刷ら
られ
れ、
、ユ
ユゼ
ゼス
ス新
新教
教徒
徒愛愛
1
ィラ
ラ・
・モ
モン
ンモ
モラ
ラン
ンシ
シl
ーの
の木
木蔭
蔭で
で刷
刷了
了の
の、
、ア
アン
ンド
ドレ
レ・
・ジ
ジッ
ッド
ドの
のピ
ピエ
エー
イ
九
れ
のの
穴穴
場場
とと
しし
てて
注注
目目
れた
たと
とき
きに
には
は、
、ま
まだ
ださ
さほ
ほど
ど世
世俗
俗化
化し
して
てい
いな
ない
い観
観光光
(中庭から)
(中庭から)
1トトゥゥイイユユののシシココモモーl
ルル
通通
りり
十十
八八
.
パルトマンから
ら転
転居
居す
する
るた
ため
めに
にオ
オー
ヴィラ・モンモランシー
ヴィラ・モンモランシー
な評
評説
価を
告抱
抱い
いて
てい
いる
るこ
こと
とは
は確
確実
実だ
だと
とし
して
ても
も、
、ル
ルイ
イス
スに
につ
つい
いて
ても
も十
十分分
然で
で、
、学
学制
術倒
的的
にに
はは
無無
価価
値値
とと
呼呼
ぶぶ
ほほ
かか
なな
い
。
ジ
理解が瞭然
い
。
ジッ
ッド
ドに
に否
否定
定的
的
︶による二頁強の記述は、
して)
、今
今日
日の
の研
研究
究水
水準
準に
にた
たい
いす
する
る無
無知
知・
・無
無
はなにひとつ情
矯報をもっていない。だが、彼女︵
(署
署名
名が
が実
実名
名で
であ
ある
ると
と
された序
序文
文が
が冒
自に
には
はい
いる
る。
。こ
乙の
の人
人物
物に
にか
かん
んし
して
ては
は、
、残
残念
念な
なが
がら
ら筆
筆者
者
さ
署署
名名
さて
て、
、標
標題
運紙
転を
をめ
めく
くる
ると
と、
、つ
つづ
づい
いて
てモ
モニ
ニッ
ック
ク・
・カ
カザ
ザシ
シュ
ュス
スとと
忘れら
が、今でも志
られ
れな
ない
い。
。
実
りり
をを
放放
つつ
よよ
うう
にに
ゆゆ
れれ
てて
いい
たた
のの
実を
をつ
つけ
ぜた
た桜
接桃
誌の
の木
木が
が初
初夏
夏の
む風
嵐に
に香香
同
じじ
るる
自自
動動
車車
道道
のの
両再
側側
にに
沿沿
っっ
てて
つつ
づづ
くく
果果
樹樹
畑畑
でで
、、
たた
わわ
わわ
に
日市
間に
帯つ
にう
つう
に
を
て
いい
るる
だだ
ろろ
うう
。。
をあ
あつ
つめ
めは
はじ
じめ
めて
てい
いた
たよ
よう
うだ
だが
が、
、そ
その
の後
後は
はど
どう
うな
なっっ
て
のう
うえ
え
た側面をことさら強調しようとしたもので
と告
を、
、こζの
であ
ある
ること
とい
いっ
った
た側
側面
面、
、ジ
ジッ
ッド
ドが
がし
しま
まい
いに
には
は愛
変想
恕を
をつ
つか
かし
した
た困
関り
り者
者と
とい
いっ
っ
と
レー
!ル
ルの
の研
研究
究が
が吋
﹃ア
アフ
ブロ
獄ヂ
ディ
ィi
⋮テ﹄の作者の子供つ
っぼ
ぽく偏執
執狂
狂的
的
レ
公に
にさ
され
れた
たが
が、
、入
入念
念に
に選
選択
択さ
され
れた
たも
もの
ので
であ
ある
るに
にち
ちが
がい
いな
ない
い。
。イ
イズ
ズ
公
あ
ある
るも
もの
むは
はイズレー
iル
ルに
によ
よっ
って
て、
、ま
また
たあ
ある
るも
もの
のは
はジ
ジッ
ッド
ドに
によ
よっ
って
て
づけている。ル
ルイ
イス
スの
の書
書簡
語は
はほ
誌と
とん
んど
ど数
数通
遥し
しか
か知
知ら
られ
れて
てお
おら
らず
ず、
、
書簡
簡の
の出
出版
版を
を拒
拒み
み、
、必
必要
要が
があ
あっ
って
てそ
それ
れを
を閲
器覧
覧す
する
るこ
こと
とさ
さえ
え禁
禁じ
じつ
つ
書
続
続人
人た
たち
ちは
は、
、称
称賛
賛に
に値
値す
する
る一
一貫
貫性
性を
をも
もっ
って
て、
、彼
彼が
がル
ルイ
イス
スと
と交
交わ
わし
した
た
たら
らな
ない
い
一i
1書
書語
簡集
集が
が出
出張
版さ
され
れて
てい
いる
ると
とい
いう
うの
のに
に、
、彼
彼の
の遺
遺産
産相
相
にた
i
ドに
につ
つい
いて
ては
は、
、四
四十
十年
年法
ほ
しば
ばし
しば
ばとる
ジッド
どど
詰前
かか
らら
数数
多多
くく
のの一し
ドのデビュー﹄をい
いや
やで
でも
もそ
そこ
こに
にく
くわ
わえ
えざ
ざる
るを
をえ
えな
ない
いの
ので
であ
ある
る。
。
ジ
クッ
ヴド
ずの
のル
ルイ
イス
ス宛
宛書
書簡
嵩集
集
な学力をそなえた擁護者であるとはとうてい
たた
とと
ええ
い儒
借じ
じが
がた
たい
い。。
喚起する必要があるだろうか。
ポ
ポール・イズレー
iル
ルの
の﹃
﹃ピ
ピエー
iルル・・ルルイ
イス
スの
の見
見た
たア
アン
ンド
ドレ
レ・
・ジ
ジッ
ッ
そそのかされたの
Cで
では
はな
ない
いと
とし
して
ても
も、
、彼
彼の
の序
序文
文を
を付
付し
した
た聖
聖人
人伝
伝、
、
な
ジだ
だけ
けで
であ
あり
り、
、ジ
ジッ
ッド
ドに
に
lジ
なず
ずば
ば﹄
﹄の
のな
なか
かで
でル
ルイ
イス
スに
に割かれたペ
ぺー
う
もも
しし
死死
うが
がよ
よい
い。
。じ
じじ
じつ
っ、
、わ
われ
れわ
われ
れが
が利
利用
用で
でき
きる
るの
のは
は﹃
﹃一
一粒
粒の
の麦麦
だけ、
、つ
つま
まり
ちジ
ジッ
ッド
ド自
自身
身に
によ
よっ
って
てし
しか
か書
書か
かれ
れて
てい
いな
ない
いと
とい
いっ
った
たほ
ほ
こと
とはあるまい。あるいはむしろ、書かれ
こ
れは
はし
した
たが
が、
、一
一方
方向
向か
から
ら
ジ
スとの交流史
史は
は、
、お
おそ
そら
らく
く今
訂す
すぐ
ぐ品
書脅
かか
れれ
るる
とと
いい
うう
ジッ
ッド
ドとルイ只
iヌ
ヌ・
・ジ
ジッ
ッド
ド女
女史
史
乙
人﹂カ
カト
トリ
ヲー
ことながらジッドむ
の﹁唯一の遺産相続入
ぅ。
。こ
との
の非
非売
売版
版に
に印
印覇
挺さ
され
れた
た未
未刊
利書
害簡
蕎の
の知
知的
的財
財産
産権
権は
は、
、と
とう
うぜ
ぜん
んの
の
う
解に
に苦
苦し
しむ
むの
のは
は、
、ジ
ジッ
ッド
ドの
む﹁
﹁遺
遺産
産相
語続
読人
人た
たち
ち﹂
﹂に
にか
かん
んす
するる
記
解
記
述述
だだ
ろろ
判を
をつ
つづ
。け
つて
けも
ても
理
判
得得
るる
とと
ここ
ろろ
は誌
なな
にに
もも
ああ
るる
まま
いい
。。
だだ
がが
、、
なな
にに
よよ
りり
もも
理
い方にはなるが、このような
な怠
怠慢
震な
な知
知性
性に
によ
よる
る言
言説
説を
をと
とり
りあ
あげ
げて
て批
批
以後
後の
の研
研究
究成
成果
果を
をフ
フォ
ォロ
ロー
ーし
して
てい
いな
ない
いこ
こと
とは
はあ
あき
きら
らか
かだ
だ。
。乱
乱暴暴
以
なな
言言
カザ
ザシ
シュ
ュス
スが
が、
、先
先述
述の
のよ
よう
うに
にそ
それ
れぞ
ぞれ
れ不
不備
嬬は
はあ
品る
るも
もの
のの
の、
、ド
ドレ
レーl
カ
ii
ば
、第
第一
落i
1
ば、
段段
落i
42
4
2
や配布
布対
対象
象、
、あ
ある
るい
いは
は版
援権
権に
にか
かん
んす
する
る記
記述
述の
の欠
欠如
如な
など
どを
を思
思い
いあ
あわ
わせ
せ
な
ない
い序
序文
文の
の論
論調
調、
、こ
こと
とさ
さら
ら作
作家
家の
の伝
伝記
記的
的事
事実
実に
記縁
縁づ
づけ
けた
たよ
よう
うな
な版
版元
元
ていないので速断はつつしむべき
きだ
だが
が、
、不
不可
可解
解と
とし
しか
か形
形容
容し
しよ
よう
うの
の
だからで
であ
ある
る。
。こ
この
の非
非聖
売霊
販に
につ
つい
いて
ては
はま
まだ
だジ
ジッ
ッド
ド女
女史
史の
の確
確認
認を
をと
とっ
っ
ド研
研究
究に
にか
かぎ
ぎっ
った
たこ
こと
とで
では
はな
な
く
ド
く
、、一般
般に
にし
しば
ばし
しば
ばお
おこ
こな
なわ
われ
れる
るこ
こと
と
定
間、
、特定の研究者に優先的に便宜をあたえるのの
はは
、、
なな
に
定期間
にも
もジ
ジッ
ッ
は
、
はな
なく
く、
、で
で溜
きる
るだ
だけ
け包
住括
接的
的・網羅的な資料体の提繊をねらって
って
、一
がらで
では
はな
ない
い。
。無意味な競合をさけ、ま
また
た部
部分
分的
的・
・分
分散
散的
的な
な発
発表
表で
で
も
閲覧
覧権
権の
の
ここ
とと
も、閲
はリ
ノザ
ザー
iブ
ブは
はけ
けっ
っし
して
て遺
遺産
産相
招続
続人
人が
が責
賞め
めを
を負
負う
うべ
べきき
う
うい
いっ
った
た事
事情
情さ
さえ
え知
知っ
って
ては
誌い
いま
まい
い。
。ま
また
た、
、た
たと
とえ
え知
知っ
って
てい
いた
たと
とし
して
て
リザー
ーブ
ブし
して
てい
いた
たこ
こと
とは
はす
すで
でに
に述
述べ
べた
たが
が、
、お
おそ
そら
らく
くカ
カザ
ザシ
シュ
ュス
スは
はそ
そ
のの
関関
係係
書書
簡簡
のの
閲関
覧
セ文
文庫
章所
一蔵
助蔵
覧権
権を
を
ナヴィルが長期間にわたりドゥー
iセ
も
さ
ええ
うう
かか
がが
わわ
れれ
るる
。。
もと
とつ
づく
く憤
憤り
り、
、あ
ある
るい
いは
はな
なに
にか
か私
忍怨
怒め
めい
いた
たも
ものの
さ
なのに、カ
カザ
ザシ
シュ
ュス
スの
の序
厚文
文は
はむ
むし
しろ
ろ逆
逆に
に感
感情
官的
的・
・攻
攻撃
撃的
的で
で、
、誤
誤解
解に
に
許
はは
なな
いい
ほほ
どど
許可
可を
をあ
あた
たえ
えた
たは
はず
ずの
の彼
彼女
女へ
への
む謝
語辞
辞窮
があ
あっ
って
ても
も不
不思
思議
議でで
に属する。したがって、作家にた
たい
いす
する
る評
評緬
留は
はど
どう
うで
であ
あれ
れ、
、出
出版
版の
の
ょ
,
っ
。
よ
う。
れの
のコ
コン
ンテ
テク
クス
スト
トを
を簡
簡略
略に
に示
示し
しな
なが
がら
ら、
、各
各書
書簡
簡を
を紹
紹介
介す
する
るこ
こと
とに
にしし
れ
は
はつ
つか
かみ
みに
にく
くい
い。
。し
した
たが
がっ
って
て以
以下
下で
では
は、
、既
既刊
刊の
の資
資料
料に
によ
よっ
って
てそ
それ
れぞ
ぞ
類い
いも
もい
いっ
っさ
さい
いな
なく
く、
、一
一読
読し
した
ただ
だけ
けで
では
は記
記述
述内
内容
容の
の正正
確
類
確
なな
イイ
メメ
ーi
ジジ
はは
ココ
ピピl
ナルハ
︵あ
ある
るい
い
ー
らの
の出
出版
版と
とい
いう
う印
印象
象を
をぬ
ぬぐ
ぐえ
えな
ない。付注の
﹀︶
かから
の
になにか一定の基準が
があ
ある
ると
とも
も思
思わ
われ
れず
ず、
、た
たま
また
たま
ま入
入手
手し
した
たオ
オリ
ヲジ
ジ
ごく一部をなす
で交わされた書簡のど
ずに
にす
すぎ
ぎな
ない
い。
。さ
さら
らに
に、
、そ
その
の選
選択
択
って
てよ
よい
い。
。し
しか
かし
し、
、と
とう
うぜ
ぜん
んな
なが
がら
ら数
数議
量的
的に
には
は、
、ル
ルイ
イス
スと
との
のあ
あい
いだ
だ
っ
悶録
錬の
の採
採録
鈍か
から
らは
は漏
漏れ
れて
てい
いた
たも
もの
ので
で、
、そ
その
の意
意味
味で
でも
も貴
養璽
護な
誌も
もの
のと
とい
い
園
総年
年嚢
表﹄
﹄︵
ハ金
金六
六冊
冊︶
﹀と
とし
して
て公
公刊
刊さ
され
れて
てい
いる
る。
。今
今園
踏の
の八
八通
道は
はい
いず
ずれ
れも
も岡
掲
総
でに数年前にその暫定
定的
的な
な成
成果
果報
報告
告が
が寄
目託
録﹃
﹃ア
アン
ンド
ドレ
レ・
・ジ
ジッ
ッド
ド書
書簡
欝
の確認された書簡を網羅的にリス
スト
トア
アッ
ップ
プし
しょ
よう
うと
とす
する
る試
試み
みで
で、
、す
す
いる。これは、既刊・未刊や、文
い
文通
通者
者の
の有
有名
名・
・無
無名
名を
を問
関わ
わず
ず、
、存
存在
在
責
責任
任者
者と
とす
する
る国
国立
立科
科学
学研
研究
究所
所内
内の
の共
共同
同研
研究
究班
瑳に
によ
よっ
って
てす
すす
すあ
めら
られ
れてて
簡
・・
ママ
ルル
タタ
ンン
をを
統統
轄轄
簡集
集﹂
﹂の
の出
出版
版に
にむ
むけ
けた
た基
基礎
礎的
的な
な作
作業
業が
が、
、ク
クロ
ロ⋮
ードド
0
0一一年年ままでですすででにに余余すすととこころろ十十年年をを切切っったた今今濤日、、将持来来のむ﹁﹁総総合合書書
〇〇
死後
後出
出版
版を
をの
のぞ
ぞく
くジ
ジッ
ッド
ドの
の既
既刊
刊テ
テク
クス
スト
トの
の版
版権
権が
が消
活滅
援す
する
る西富
死
暦農
二二
J
るならば、出版の合法性じたいかなわ
り怪
罷し
しい
いの
むで
では
はあ
ある
るま
まい
いか
か︵
(本
本
稿
稿で
では
は掲
掲載
載テ
テク
クス
スト
トの
の直
直接
接的
的な
な引
京用
患を
を極
語力
力お
おき
さえ
え、
、研
研究
究上
上の
の慣
慣行
行に
にし
した
たが
がい
い
﹁バ
パラフ
フフ
レレ
ーー
ズズ
﹂﹂
をを
中中
心心
にに
しし
だた
各各
[書
書霞
簡む
の売
内容
容紹
紹介
分に
にと
とど
どめ
める
るの
のは
は、
、こ
この
の点
点を
を
﹁
*
*
*
43
43
危
した
たた
ため
め﹀
︶。
。
危惧
慎し
知
知ら
られ
れざ
ざる
る版
版本
本
*
**
Fly UP