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暮らしを海と世界に結ぶみなと――国と地域の

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暮らしを海と世界に結ぶみなと――国と地域の
暮らしを海と世界に結ぶみなと――国と地域のパートナーシップによるみなとづくり
2
海を渡り届けられる貨物。
そう聞くと海外からの輸入を連想することが多いが、
国内のモノの移動
においても、
港はなくてはならない拠点として位置づけられている。
コストを抑え、
確実に大量のモノを運ぶことのできる海上輸送は、
高速道路などを利用した陸上交通と連携をしながら、
物流の面で
私たちの暮らし全般を支えている。
今回の特集は、
国内物流ネットワークに着目。
そのなかで海上輸送が果たしている役割と今後の可能性を、
改めて紹介してみよう。
3
広 島 県
広島港
四 国
人口約114万を擁する中国・四国地
能の充実していることが、広島港の特
方屈指の都市・広島。厳島神社や平和
徴です」と広島県空港港湾局空港港湾
記念公園が世界遺産に指定されている
総室港湾振興室の加藤圭亮さんは言う。
など、地域の社会・文化の中心である
同港のコンテナ取扱量は、平成16年
とともに、全国有数の工業地帯として
の輸出・移出および輸入・移入合計で
も名を馳せる。その広島を支える物流
21万4,424TEU。そのうち輸出・移出
拠点が、特定重要港湾・広島港だ。
は10万7,014TEUとなっている。さら
「産業集積が高いため、港での取り扱
に貿易額でみると、平成16年の輸出・
いは機械、電機機器類が多数を占めま
輸入合計約7千551億円のうち、約5千
す。移出・輸出など、
『送り出す』機
921億円が輸出で占められている。
加藤さんの言葉通り、輸出・移出の
のは、マツダ株式会社車両物流部車両
沿岸部に隣接する国内流通センター
比重が大きいことがうかがえる。なか
物流計画グループリーダー・中道康行
10拠点に届けられる。
「おそらく、当
でもマツダ株式会社の完成自動車は、
さんだ。
社の自動車専用船利用比率は、国産メ
同港が「送り出す」モノの象徴とも言
同社の場合、広島港に隣接する工場
ーカー中で最も高いと思います」とマ
える存在だ。
でラインオフした車両は、トレーラー
ツダ・中道さんは続ける。
「当社の生産拠点は広島と防府(山口
などで陸送されることなく、そのまま
「海上輸送のメリットは、安定的な輸
県)です。輸送協力会社の9隻の自動
プライベートバースへ移動。接岸した
送能力の確保ができること、陸送と比
車専用船を利用して、国内向け完成車
自動車専用船に積み込まれる。
べて輸送費用が安価なこと、船倉に保
の9割を海上輸送しています」と話す
広島港には毎日2∼5隻が配船され、
管されて輸送されるのでキズや汚れな
4
国内向け完成自動車の自動車専用船への積み込み作業(上左)。
広島港は、山陽自動車道から約30分ほどでアクセスできる(上中)。
マツダ株式会社の広島港プライベートバースに接岸する自動車専用船(上右)
。
海上輸送と陸上輸送の有機的な連携が、国内物流ネットワークを支える。
写真は広島港に架かる橋のひとつ、広島大橋(下)。
どのリスクが低いことなどです。なに
する機会が少なく、あまり知られてい
「さらに近年では、業界団体である日
より海上輸送は、二酸化炭素の排出抑
ないことも事実だろう。
本自動車工業会などで話し合いがもた
制につながる点を重視しています。企
すでにマツダは、生産拠点から国内
業として、社会的責任を果たす必要が
流通センターまでの太い流れ(ハブ)
同利用も積極的に行われつつあります。
あると考えるからです」
を海上輸送に、流通センターから各地
船のスピードが速くなり、タイムリー
現在、地球環境問題に対する自動車
への網羅的ライン(スポーク)を陸上
な製品供給が可能となっていることも、
産業界の取り組みは、半ば当然視され
輸送に担わせる、ハブ&スポークの輸
こうした流れを後押ししています」と
るようになっている。しかし、製品輸
送コンセプトを確立。システムとして
中道さんは語る。
送面での取り組みは、ユーザーが目に
定着させている。
5
れ、メーカー間での自動車専用船の共
「フェリーの就航率は99%です。年を
通じて休みなく24時間稼働しています。
まさに八幡浜港はフェリーの基地で
す」と八幡浜市役所水産港湾課の上甲
眞喜課長は言う。
同港のフェリーは定時性・確実性に
八幡浜港は、愛媛県の西、佐田岬半
予地方最大の商港に発展した。
おいて、高い信頼を得ており、現在で
島の基部に位置する港だ。豊予海峡を
現在、同港の年間貨物取扱量は平成
は四国と九州を結ぶ物流の重要な幹線
隔てて大分県と相対していることから、
16年(2004年)で1,094万トンに達し、
に位置付けられている。そのためフェ
九州と四国を結ぶ海上交通の要衝とし
うちフェリーが98%を占める。フェリ
リー利用の車両はトラックが50%を占
て古くから栄えてきた。
ーは、一日に別府航路6便、臼杵航路
め、輸送品目も宅配便などの雑貨類か
戦国時代にはすでに埋立工事が行わ
14便が運航。平成16年の一年間で車両
ら紙製品、農産物、活魚、水産加工品、
れていたと伝えられており、明治期に
約33万台、ドライバーを含む約47万人
飼料、コンクリート製品、みそ、しょ
は大阪を結ぶ運輸業が確立。以降、南
が同港のフェリー航路を利用した。
う油など多岐に渡る。
九州からのトラックは、概ね熊本以
ます」
ー経由で橋を渡る方が、陸路で九州北
北が別府港を、熊本以南が臼杵港を利
とくに九州南部と岡山以東の関西
部・中国地方を経由するより約300キ
用して同港に入ってくる。八幡浜港は
経済圏を移動する場合、同港のフェリ
ロも走行距離を短縮できるという。ま
まさに四国の西の玄関口として機能し
た港から車で30分ほどの距離に、四国
ており、2,500トンクラスのフェリー
北部を横断する松山自動車道のインタ
が高い頻度で行き来する航路は、全国
ーチェンジがあることも、海上輸送と
でも珍しい。
陸上輸送の効率的な連携を支えている。
「九州・四国間の貨物の3分の2が、八
「山々に囲まれた八幡浜市は、陸路で
幡浜港を経由している計算になります。
のアクセスが四国の中でも厳しいとさ
さらに四国と本州を結ぶ西瀬戸自動車
れる地域です。そのため古くから海に
道、瀬戸中央自動車道、神戸淡路鳴門
自動車道の『四国三橋時代』を迎えて
からは、航路の利用は順調に伸びてい
八幡浜港発着のフェリーは主に宇和島運輸株式会社と
九四オレンジフェリー株式会社が運航を担当している。
写真は九四オレンジフェリー(株)の「ニュー四国」
。
(写真提供・九四オレンジフェリー(株)
)
6
輸送手段を求めていました。今でこそ、
高速道路や幹線国道などが整備されて
はいますが、それらは海上輸送と競合
愛 媛 県
別府港
八幡浜港
臼杵港
八幡浜港でフェリー乗船を待つ車両の列(左)。
八幡浜港に入港する九州からのフェリー。同港のフ
ェリーは、ほぼ24時間運航されている(中央)
。
フェリーから降りたトラックは、瀬戸中央自動車道
や神戸淡路鳴門自動車道などを通り、関西方面まで
行くケースもあるという(右上)
。
八幡浜港は、四国の西の玄関口としての役割をはた
している(右下)。
するものではありません。この地域で
は、高速道路はむしろ港湾機能を補強
してくれる力強い味方なのです」(上
甲さん)
同港では平成12年(2000年)の特定
地域振興重要港湾指定を受け、平成13
年(2001年)
、
「八幡浜港(港湾・漁港)
振興ビジョン」を策定。今後は物流拠
点機能の一層の拡充とともに、フェリ
ーターミナル関連施設や観光魚市場の
整備といった、フェリー利用客にとっ
て、より魅力あるみなとづくりを進め
ていく予定だ。
JR九州が運航するビートルのダイヤは、
最大で1日5便だ。
7
北 海 道
釧路港
わずか4時間の停泊時間に、最盛期にはミルクタンク
車他200台以上のトラック、トレーラーが積みおろし
される。このスピーディさこそがRORO船ならではの
メリットだ。
日立港
茨城県
8
北海道東部の中心都市、釧路は古く
そんな釧路港で近年注目を集めてい
ラーが船内から次々と姿を現してくる。
から石炭と製紙、水産で栄えてきた町
るのがRORO船による生乳の輸送であ
現在、釧路港と茨城県の日立港を結ぶ
で、港湾もこれらの産業とともに発展
る。
航路には、ほくれん丸と第二ほくれん
してきた。開港は明治32年(1899年)
、
濃霧の立ちこめる釧路港にRORO船ほ
丸という2隻のRORO船が就航してい
昭和26年(1951年)には重要港湾に指
くれん丸が接岸したのは定刻通りの午
る。釧路・日立間の所要時間は20時間、
定され、現在の総取扱貨物量は年間
後2時。ランプウェイが降ろされると、
それぞれの港における停泊時間は4時
2000万トンを超えている。
巨大なミルクタンクを搭載したトレー
間。午後2時入港、午後6時出港という
まるで魔法瓶のような構造をも
つミルクタンク車。100ミリ厚
のウレタンで断熱保温されてい
る。1台の容量は17トン(左)
。
現行のほくれん丸は全長9メー
トルのトレーラーを最大134台
積載することができる(右)
。
生き物を相手にする酪農家に休
日はない。それだけに毎日運航
されるRORO船は生乳の輸送に
不可欠の存在となっている
(左)
。
ホクレンのミルクステーション
では、回収時と出荷時の2度に
わたり厳しい品質検査が実施さ
れる
(右)
。
運航スケジュールで毎日ピストン輸送
集められる。ここで厳しい品質検査を
要とせず、陸上でもトラック輸送のメ
を繰り返しているのだ。
受けたあと、一気に2℃以下まで冷却
リットを最大限に生かすことができる
「この道東エリアは北海道有数の大規
され、魔法瓶構造をもつミルクタンク
ため、効率面でもコスト面でもかなり
模酪農地帯で、きわめて質のいい生乳
車に積み換えられて釧路港へと向かう。
有利な存在といえるでしょう」と国土
の生産地として知られています。ただ
その日の朝に絞ったばかりの生乳を、
交通省北海道開発局・釧路港湾事務所
し、このおいしい北海道の牛乳を首都
翌日の夕方には首都圏の牛乳工場へ届
の金田充第一工事課長もいう。
圏の消費者に届けるには何よりも鮮度
けることも可能だ。
今年の夏にはさらに大型化、高性能
が大切であり、そのためにはRORO船
このRORO船は、もともと生乳を運
化された新造船の投入も予定され、道
はなくてはならない存在なのです」
ぶために就航したものだが、最近は他
東と首都圏を直結する海の道として大
こう語るのはホクレン・釧路クーラ
の農産物、さらには首都圏からの飼料
いに期待されている。
ーステーションの久保信一所長である。
や、古紙などの輸送にも利用されてい
釧路近郊の牧場で絞られた生乳は、ま
る。
ず回収車両でクーラーステーションに
「RORO船はクレーンなどの施設を必
9
※ RORO(Roll on Roll off)
貨物の積み込みや積み卸し
をスピーディに行うため、クレーンを使わずに、貨物を
ランプウェイからトラックやトレーラー等で船に運び込
み、シャーシやトラックごと海上輸送をする方式。
神戸港で行われた「内航フィーダー輸送社会実験」
。
スーパー中枢港湾と内航フィーダーを密接に連携さ
せ、港湾間における物流を一層スムーズに行うため
のシステム構築を目指す(左)
。
バージから陸揚げされるコンテナ。港湾間のバージ
(はしけ)によるコンテナ輸送の実験の様子だ(下)
。
輸監理部並びに神戸港社会実験WGで
は考察している。
この日の実験ではバージに積まれた
20フィートコンテナ28本、40フィート
コンテナ18本が、神戸港ポートアイラ
ンド(第2期)の次世代高規格コンテ
ナターミナル・PC-18に陸揚げされた。
本実験の神戸港WG座長として推進役
を務める岡山大学経済学部の津守貴之
兵 庫 県
助教授(世界経済論・物流政策論担当)
は、
「瀬戸内に点在している荷主に、
神戸港
安定的な物流システムを提供すること
で、地域全体の効率化に役立てたい」
と話す。
「神戸港はスーパー中枢港湾に指定さ
れていますが、指定されたからといっ
てハブ港湾になれるわけではありませ
大阪港とともにスーパー中枢港湾に
「実験の目的は、物流におけるコスト
ん。どこと、どのように連携をしてい
指定され、外航基幹航路が就航する物
の低減と接続の効率化の検証です」と
るのかが大切であり、そうしたシステ
流の要衝、神戸港。ここで平成18年2
国土交通省神戸運輸監理部海事振興部
ムがあるからこそ、ハブ港湾たりえる
月、港湾間を結ぶ新たな海上輸送の試
貨物・港運課の丸尾洋一課長は言う。
のです。個々の港湾単位での部分効率
みが行われた。
とくに二つめの実験であるバージによ
の追求ではなく、国内複数港湾間での
この「内航フィーダー輸送社会実
る内航フィーダー輸送は、これまでに
役割分担とそれにもとづく相互補完関
験」は、スーパー中枢港湾と内航フィ
ない試みを含むものとして各方面の注
係を内航フィーダー輸送によって構築
ーダーを密接に連携させ、港湾間にお
目を集める。
し、瀬戸内あるいは西日本といった広
ける貨物の集約、配送を一層スムーズ
内航フィーダコンテナ船には、業界
域での物流の全体効率を高めることが
に行うためのシステム構築を目指すと
の自主規制としての寄港数の制限があ
求められています。そしてこのことに
いうもの。
る。そのため、現在のフィーダー輸送
よって西日本といった広域エリア全体
実験は二種類。一つは、外貿本船が
は限られた港湾間を結ぶことのみがほ
の産業再生を図ることが必要です。港
集中するバースに隣接して内航フィー
とんどだ。曳舟によるバージ利用のフ
湾経営を一つの港のみで捉えるのでは
ダー船を接岸させ、直付けによるコス
ィーダーなら、この制限はなく、多く
なく、各々の港湾は相互補完関係にあ
ト削減と内航フィーダー船運航効率向
の港に寄港することができる。
ると改めて捉え直し、瀬戸内や西日本
上の検証。二つめは、瀬戸内地方港湾
神戸港を起点に、数日をかけて水島
といったエリアで経営を考えていく必
間の内航バージ(はしけ)輸送による
港や徳山港など瀬戸内海の港に寄り、
要があるでしょう。たとえ港湾機能が
コンテナ貨物の集荷、空コンテナの調
空コンテナを置いて回る。そして次の
集中している場所から離れていても、
達・返還システムの効果の検証だ。
ラウンドで、今度は荷物の入ったコン
それが必ずしも不利とはならないシス
テナを各港から回収するというシステ
テムの構築が、効率的な物流につなが
ムイメージだ。
っていくのです」
「分かりやすいイメージは、毎朝定期
的に、空き瓶を回収しつつ新たな牛乳
が届けられる『牛乳配達』で、必ずし
もホットデリバリーではなくとも、寄
港の日時が決まっており、コストが抑
※内航フィーダー輸送:主要港湾と各地の港湾を船(内
航船)で結び、主要港湾に到着した外貿コンテナなどを
各港に輸送したり、各港のコンテナなどを主要港湾に輸
送すること。
※バージ(はしけ)
:ここでは非自航式の平底の荷船の
ことで、艀船(はしけぶね)ともいう。主に停泊中の船
と陸地との間を往復して、人や荷物を運ぶために使われ
るが、港湾間の輸送にも使用される。
えられ、本船に積まれることが約束さ
れていれば、ニーズはある」と神戸運
10
(文/佐々木節・太田昌宏 撮影/薈田純一・相澤正)
バブル期以降、アジア諸国が港湾の
める必要がありません。コストが低く、
強化に乗り出し、日本の港の相対的地
しかも便利なこの港に、基幹航路が集
位の低下が始まりました。90年代に入
中するのは当然の流れでした。
ると、とりわけシンガポール港がハブ
ハブ港湾や巨大港湾といったものが
として著しく成長しました。
成立できるのは、フィーダーネットワ
一方、国内ではバブル崩壊以降、唯
ークが最初から組み込まれているから
一気を吐いていた神戸港が、本当に不
なのです。シンガポール港のみならず、
幸なことに震災に見舞われ、多くのコ
中東のドバイ港など、成功している港
ンテナが釜山港などに移ってしまいま
湾は施設整備を上回る速度で、このフ
した。
ィーダーネットワークの拡充が進んで
こうした状況への危機意識は、90年
いました。
代後半になり、ようやく高まりを見せ
コスト以外にも、物流のニーズはある。定時
性・定期性を重視するニーズに、確実に応え
ることのできる国内海上輸送ネットワークづ
くりが急務としてあげられている。
ます。スーパー中枢港湾などの取り組
みも、国際競争力を高める重要な柱と
して位置付けられることになったので
す。
を集め、利益を上げるためには、必ず
しかし、港湾経営には難しい面があ
しもハブ港湾である必要はないという
ることも事実です。種々の取り組みを
発想で港湾経営を進め、結果、多くの
進めているにもかかわらず、依然とし
貨物が集まる港として認知されるよう
てアジア諸国のハブ港湾に居並ぶこと
になり、基幹航路が就航するようにな
ができないのはなぜか。その理由を当
りました。
初はコストの問題と捉えていたのです
日本の港湾も、こうした考え方で国
が、それのみではないらしいというこ
内の他港湾との連携を強化すべきだと
とが、次第にわかってきました。
思います。港はあくまでサービス産業
カギを握っていたのは、実は内航フィ
です。外貿内貿を問わず貨物を集め、
ーダーの存在だったのです。
利益を上げる努力をしているところに、
国も支援を集中させていくべきではな
*
成長期のシンガポール港は、リージ
いでしょうか。
ョナル・コンテナ・ラインのネットワ
あくまで低廉なコストを追求する場
ークが重要な役割を果たしていました。
合、その貨物は本船指定なし、つまり
リージョナル・コンテナ・ラインは、
空いている船のどれかに積まれるとい
日本で言えば内航フィーダーに相当し
*
った、時間的な厳密さが希薄化される
ます。
残念ながら、これまで日本ではフィ
扱いになることが一般的です。しかし、
シンガポール港は、数百∼1千TEU
ーダーネットワークが十分に成熟して
ニーズはコストだけではありません。
といった中小規模の船によるフィーダ
きませんでした。その理由のひとつに、
コストも大切ですが、ジャストインタ
ーネットワークを組み、近隣の貨物を
意識の問題があると思います。
イム(定時性・定期性)を最優先に求
徹底的にシンガポール港へ集めたので
日本各地の港湾は、もちろん濃淡は
める荷主もいるのです。
す。現地の関係者も「網の目のように
ありますが、いかに自分の港へ外貿貨
国内の港湾が連携してフィーダーネ
張り巡らされたフィーダーネットワー
物を集めるかに関心を寄せる傾向があ
ットワークを充実させれば、日本のど
クが、シンガポール港発展の真の立て
ります。裏を返せば、フィーダー化に
この港からでも、またどこの港へも、
役者だ」と認めています。
は消極的な面が見受けられるのです。
時間通りにきちんと国内外の貨物が届
基幹航路の船会社にとっては、シン
ヨーロッパの主要港湾のひとつにあげ
く。日本の港湾の発展のカギは、この
ガポール港を利用すれば、付近の貨物
られるオランダ・アムステルダム港は、
ジャストインタイムにあると私は考え
が全て集まっており、独自に貨物を集
もともとはフィーダー港でした。貨物
ています。
11
私の「故郷」は神奈川県葉山町です。今も私はここに
1964年につくられた葉山マリーナの写真を見て、ずいぶ
住んでいるのですが、当時は祖母の家があり、子どもの
ん様変わりしたものだなあと驚きました。
頃はしばしば、あぶずり(鐙摺)港へ遊びに行きました。
ドイツでは、父が大の犬好きだったことから、ポイン
戦後、米国軍人だった父がGHQの仕事で日本に来てい
ターの一種でワイマラナーという犬を番で飼っていまし
たとき、あぶずり港に日本で最初のモーターボートを置
た。ドイツからアメリカへ帰ることになったとき、ちょ
いていました。週末になると東京から葉山を訪れ、船に
うどワイマラナーのお腹に子犬ができていたのです。本
乗って遊んだものです。
来なら飛行機で移動するところですが、父は頑として
泳ぎを覚えたのも、この海でした。近くの漁師さんた
「犬を一緒に連れて行く」と譲りません。結局、飛行機
ちとも仲良くなり、父がアワビやサザエなどを少し捕ら
に犬を乗せることはできませんから、2週間をかけて船
せてもらったりもしました。あぶずり港の当時の美しい
で行くことになりました。
風景は、印象深い思い出です。
ドイツ・ブレーメルハーフェン港を発った時のことは、
その後、父の仕事の都合でドイツに渡りましたが、
子ども心に鮮明に覚えています。大きな船が汽笛を鳴ら
PROFILE
(MARI CHRISTINE)
日本生まれ。父は元米国軍人、母は日本人。国籍は日本。4 歳まで日本で暮らし、
その後父の仕事に伴いドイツ、アメリカ、イラン、タイ等諸外国で生活。1970 年に単身帰国。
上智大学国際学部比較文化学科を卒業。大学在学中に芸能活動を開始。数カ国語に精通し、国際会議、
オーケストラコンサートなどの司会、多数のテレビ・ラジオ番組出演、講演活動を行い、異文化のパイプ役として活躍する。
1994 年、東京工業大学大学院修士課程修了(社会工学)し、現在も都市計画の研究を継続。1996 年、女性と子どもの人権保護と
自立を支援するボランティア団体「アジアの女性と子どもネットワーク」
(AWC)を設立。2000 年、国際連合人間居住計画(国
連ハビタット)親善大使に就任。2002 年、
「2005 年日本国際博覧会(愛知万博)
」広報プロデューサーに就任。2003 年、
「観光立
国懇談会」委員就任。同年、
「福岡空港調査委員会」
(福岡県・福岡市)委員就任。
著書に「人を素敵と思う朝=私と地球の熱い関係」
(立風書房)
、
「自分をいかす人見失う人」
(海竜社)
、
「お互い様のボランティア」
(ユック舎)
、
「ありがとう愛・地球博」
(ユック舎)などがある。
香港で
12
し、岸壁にいる人々からたくさんのテープが投げ込まれ
丸を見に行きましたし、愛知万博をPRするためドイツ
る…。これから旅に出るんだといった、とてもロマンチ
から海上輸送された飛行船「ツェッペリンNT号」の神
ックな気分になりました。
戸港到着にも立ち会いました。
この2週間の船旅では、毎日船内のプレイルームで水
港は、異国に想いを馳せる場所だと私は思っています。
兵さんたちに遊んでもらったり、朝の訓練に参加させて
海で世界と繋がっている、そんな感覚を味わうことがで
もらったり、またデッキを犬と一緒に走り回ったりと、
きるのです。でも一般論として日本人と港との関係に目
とても楽しかったです。ニューヨークに入港する際に船
上から見た「自由の女神」は、忘れられません。
幸い、これまで私はたくさんの港を訪れる機会に恵ま
れました。イランやタイ、ベトナム、カンボディア、香
港などなど…。もちろん日本の港にも行っています。例
えば横浜港には、入港するクイーンエリザベス2や氷川
北欧の国、スウェーデンで
アメリカ・ニューヨークで
を向けると、少し残念な面があるようにも感じます。
『あの船がいた国は、どんなところなんだろう』『海の
地方の小さな港などには、近くに暮らす人々が魚や品
向こうには、何があるんだろう』…。港の景色には、想
物を買いに港を訪れるといった日常的な親近感がありま
像力をかき立てる力があるのです。
す。しかし都市部など港の規模が大きくなると、一般の
私の友人に、沖縄の離島出身の人がいます。島の港に
人々が水際まで近づける距離感ではなくなってしまうの
人々や荷物を乗せた船が着くと、その人は「都会の風を
です。普段の生活の中で、港に接する機会を増やす環境
運んでくれる」と感じていたそうです。島を訪れる人々
づくりを、もっと進めてよいのではないでしょうか。
の服装や、おみやげのショートケーキ。都会の文化や味
親子で港に出かけると、コンテナや船などを眺めな
に触れる度、いつか都会に出たい、海の向こうの世界に
がら子どもはきっと「あれは何?」
「どこの国から来た
行ってみたいと強く想うようになったといいます。
の?」と尋ねてくるでしょう。そんなとき、コンテナや
今、その友人は国際関係の仕事に就き、世界を巡って
船籍のことなどを教えてあげられれば、子どもの想像力
います。
子どもの頃に受けた刺激によって、
好奇心は育ま
は豊かにふくらむはずです。
れます。
港は、
そんな役割も担っているのだと思います。
13
300名分の整理券が約20分で完売(!?) となった“おーろら” の無料体験乗船。 約1時間の短い航海ながら、 参加者たちは船旅の魅力を満喫していた。
区港湾施設用地でひとつの社会実験が
が正午の開場からわずか20分でなくな
実施された。
ってしまうほどだった。
北国とはいえ日中の陽差しにどこと
『みなとにぎわい広場』と名付けられ
お隣の北見市からやってきたという
なく春の息吹を感じさせる3月最初の
たイベント会場には、市内はもとより
熟年世代の夫婦は、網走名産“ます山
土曜日、網走市中心部の網走港川筋地
近郊の市町村からも、関係者の予想を
漬け”の入った大きなビニール袋を手
まち全体の活性化を図る社会実験
はるかに上回る大
に笑顔で話してくれた。
勢の人が集まって
「私たちの住む北見は内陸の町なので、
いた。特産の海産
今日は海の幸をたっぷり味わおうとや
物を格安で販売す
ってきました。ふだんは網走に遊びに
る出店や試食コー
来ることは滅多にないのですが、こう
ナーには長蛇の列
いうイベントがあると『ちょっと出か
ができ、夕方から
けてみようかな……』という気なるか
予定されていた流
らいいですよね」
氷観光砕氷船“お
ーろら”のサンセ
例年なら1月下旬から3月下旬頃まで、オホーツクの海は流氷に覆いつくされる。
(写真提供・網走市観光協会)
14
みなとから始まる網走のまちづくり
ットクルーズ無料
今回のイベントを主催したのは『網
体 験 乗 船 も、300
走港みなと観光交流促進協議会』
。網
枚用意した整理券
走市の港湾課が事務局となり、観光協
人やモノを運ぶ物流の拠点である港湾が、いま新たに観光振興やまちづくりの発信源として注目を集めてい
る。ここ北海道の網走港では、国の「みなと観光交流促進プロジェクト」に選定されたのをきっかけに、
さまざまな分野の人々が集まる協議会を設立。活発な意見交換や社会実験を通じて、
みなとが地域社会に果たす大きな可能性も見えてきた。
流氷観光砕氷船“おーろら”はとても人気が高く、この観光船の就航によって1年を通じて観光客が網走を訪れるようになっている。奥に見えるのは、知床の山々。
オホーツクの海の幸をたっぷり使った名物料理の数々。いくら
丼や焼鱒鮨といったポピュラーなものから、ほっけバーガーと
いった独創的なものまでメニューはいろいろ。今回の『みなと
にぎわい広場』ではこれらが格安で販売されたほか、地元の料
理研究家が大衆魚“ちか”で作った創作料理などの無料試食コ
ーナーも用意された。
15
天候に恵まれたせいもあって、会場は子どもからお年寄りまで大勢の人でにぎわっていた。
会や商工会議所、ホテルや商店街の組
観光振興だけにとどまらない。みなと
漁業の衰退、さらに市場をはじめとす
合、交通会社や市民団体の代表ら22名
や水辺と一体化した網走のまちづくり
る漁協関連施設が市街地からやや遠い
の委員で構成されている。
全般についても積極的に取り組んでい
新港地区へ移転したことで、以前の活
この協議会は、平成17年度に網走港
るのだ。
気はすっかり失われてしまった。川筋
が国土交通省港湾局の『みなと観光交
流促進プログラム』モデル港に選定さ
河口の海辺を人の集まる憩いの場に
地区の再開発は、港湾関係者だけでな
く、町全体にとっても大きな課題とな
れたことを受けて発足したもので、オ
そもそも網走市は、網走川河口の港
っていたのだ。
ホーツク海の流氷や知床半島の美しい
を中心に発展してきた町である。なか
「かつての網走市民にとって、市街地
景観など、周辺の観光資源を活かしな
でも川筋地区は、かつて「船づたいに
の真ん中を流れる網走川は、ある意味、
がら、みなとを拠点とする観光振興を
網走川の向こう岸まで渡れる」といわ
邪魔な存在でした。しかし川の魅力が
図ることを目的としている。ただし、
れたほど多くの漁船が係留され、賑や
見直された現在、川筋地区を人が自然
さまざまな業種の人々が自由に意見を
かな港町の中心となっていた。ところ
に集まる憩いの場として再開発するこ
交換できる場だけに、会議のテーマは
が200カイリ漁業水域導入による遠洋
とにより、まちづくりの中核にしてゆ
会場には網走沖で採取された流氷を展示。神秘的な青みを帯びた氷の塊を誰
もが手で触れられるようになっていた。
大学の卒業旅行で大阪からやってきたグループ。流氷こそ見られなかった
が、おいしいオホーツクの味覚と出会えて大満足。
16
こうと考えているのです」
て流氷は沖合に流されてしま
協議会で事務局をつとめる網走市役
っていたが、それでもこの日
所港湾課の石川裕将計画係長はこう語
最後に実施されたサンセット
る。そして、今回開催された『みなと
無料体験乗船は海の楽しさを
にぎわい広場』は、将来的にプロムナ
満喫させてくれるものだった。
ードや親水公園などとして川筋地区港
市内から子連れでやってきた
湾用地を再開発していくうえでの貴重
若い母親も満足そうに話していた。
な情報収集の場となるのだ。
地域の魅力を地元の人が共有する
「地元に住んでいるのですが、じつは
“おーろら”に乗るのは初めてなんで
すよ。子どもたちもカモメにエサをや
美しい知床の山なみ、オレンジ色に
ったりして大喜びだったし、あらため
染まっていく海、そして、デッキの上
て網走という町の魅力を再発見できた
を乱舞するカモメの群れ……。残念な
ような気がしました」
がら1週間ほど前に吹いた強風によっ
協議会で座長をつとめる東京農業大
学の美土路知之教授も、多くの来場者
たちとイベントを楽しみながら、まち
づくりへの確かな手応えを実感したよ
うだった。
「このプロジェクトは、みなと観光を
入口にして、地域全体の生活や産業、
文化にまで広がりをもたせていこうと
いう遠大な計画です。まずは『網走の
港はこんなにいいところなんだ、こん
素晴らしい夕陽に恵まれた“おーろ
ら”のサンセットクルーズ。
(写真上)
エサを求めるカモメがデッキの乗客の
間近を乱舞する。
(写真下)
なに美味しいものがあるんだ』という
ことを地元の人たちが共有し、それを
多くの方に伝えてゆきたいですね」
みなとを拠点とする新たなチャレンジ
が、いままさに始まろうとしている。
(文/佐々木節 写真/薈田純一)
『みなと観光交流促進協議会』で事務局役をつとめ
る網走市港湾課の石川裕将計画係長。みなとを起
点とするまちづくりに取り組んでいる。
(写真上)
網走川河口にある川筋地区の港湾用地。町の中心
部に位置するだけに、今後の再開発はまちづくり
全般に大きな影響を与えることになる。
(写真下)
イベント前夜に開催された第3回の『みなと観光交流促進協議会』
。異業種の代表者たちが集まる機会は少ないので、貴
重な意見交換の場にもなっている。
17
ヨーロッパ有数の石油化学工業地帯でもあるロッテルダム港では、石油、化学薬品、
鉱石などのバルク貨物が、積み替え貨物の中心を占めている。
通関手続きやコンテナヤードでの荷捌きに至るまで、専門業者によるサービスを提供
し、迅速に処理できる体制を実現している。
北海
イギリス
ロッテルダム港
オランダ
ロッテルダム港
(オランダ)
ベルギー
北海への玄関口として、ニシン漁基地から発展してきたロッテルダム港は、
通称「ユーロポート」と呼ばれる欧州を代表する港だ。貨物取扱量では世界第3位、
世界最大の石油化学工業地帯としても充実した設備を誇っている。
石炭の集積地として工業化が進む
シン漁の基地として利用されるように
からの再建を経て、65年には世界一の
なり、1600年代にはタバコやスパイス
貨物取扱港として復活を遂げた。2004
オランダは北海に接し、ライン川の
を積んだ南米や西インド諸島からの商
年以降は、上海港とシンガポール港に
支流や多くの運河が流れる「水の国」
船が行き交う商業の町として繁栄した。
トップの座を譲り、世界第3位となっ
だ。干拓や埋め立てによって築かれて
工業港として活況を呈してきたのは19
ているが、欧州地域では最大の港であ
きた国土は、その4分の1を海抜よりも
世紀。産業革命の影響で大規模製品の
ることに変わりはない。
低い土地が占めている。オランダの国
運搬が必要になり、初めての人工港が
づくりは、水と闘い、水を生かすため
造成された。ドイツのルール地方の工
の堤防建設や治水技術の活用とともに
業化とともに、鉄鉱石や石炭などがラ
ロッテルダム港の総面積は1万500ヘ
発展してきたともいえる。
イン川を遡上し、逆にルール地方で生
クタール。ハリンハーフェン、ヴァー
ロッテルダムはアムステルダムに
産された工業製品がライン川を下って
ルハーフェン、メールヴェハーフェン、
次ぐ国内第2の都市で、ロッテ川に面
海外へと向かうようになる。いずれの
エーンハーフェン、ボトレック、ユー
する小さな集落として誕生した。1250
経由地となるロッテルダムは、重要な
年頃、上げ潮による海水面の上昇で塩
運搬拠点としての役割を果たすように
水が内陸に入るのを防ぐため、新マー
なった。さらに、1868年のマンハイム
ス川からロッテ川を仕切る堰が造られ
条約で各国の船舶が自由にライン川を
た。ロッテ(Rotte)川の堤防(dam)
航行できるようになったことが、港町
という意味が、そのままロッテルダム
としての発展に拍車をかけた。
(Rotterdam)の由来となっている。
パイプライン網の活用で利便性を図る
20世紀に入ると、西欧における石油
堰の設置により、両方の川を行き来
の陸揚げ港としての役割も加わるよう
するには荷物の積み替えが必要とされ、
になり、埠頭を増設。第二次大戦時に
これが結果的に交易の場として発展す
ロッテルダムは大きな攻撃を受け、港
るきっかけとなった。北海におけるニ
も壊滅状態となったが、1940年代後半
18
港の周辺には、地上 100m に展望台があるユーロマスト(高
さ185m)
、オランダ海運の歴史を展示する海洋博物館などの
施設がある。
ロポート、マースフラクテの7地区か
輸入している石炭や農作物の3分の1
2004年が828万TEU(世界第7位)と、
らなる大型港だ。
が同港で陸揚げされており、2∼3日
欧州の港では群を抜く。外航貨物は
港内には4カ所の石油精製施設、3
で目的地へと出荷されていく。粉砕、
マースフラクテ地区、内航貨物はヴァ
カ所の工業用ガス製造施設があり、40
混合、洗浄といった付加価値サービ
ールハーフェンとメールヴェハーフェ
社以上の関連企業が拠点を構え、欧州
スも提供している。5週間に1度入港
ンの両地区にターミナルがある。陸揚
最大の石油化学工業地帯を形成してい
する世界最大のドライバルク船「ベル
げされた貨物の25%は運河網を利用し
る。2つの石油ふ頭を持つメールヴェ
ゲ・シュタール号」
(364,767DWT)の
た内陸水運で各地へ運ばれており、最
ハーフェン地区には、エクソンモービ
積み下ろし作業をわずか4日間で実施
大500TEU程度の運搬船が日々せわし
ル、シェル石油などの石油化学コンビ
するなど、鉄鉱石陸揚げ港としての設
なく水路を行き交っている。信頼性と
ナート、ボトレック地区にも信越化学
備も世界最大級を誇っている。
費用対効果が高い内陸水運は、同港の
やエッソなどが立地。ユーロポート地
区は第1から第7までの石油ふ頭を有
コンテナ輸送の25%は内陸水運を利用
アピールポイントだ。ターミナル内に
ある「鉄道サービスセンター」
(RSC)
しており、欧州最大規模のネレフコの
温室栽培を主体とする園芸地帯の中
では迅速な荷捌き作業が行われ、直結
製油所をはじめ、クウェート石油、ラ
心に位置するロッテルダム港は、農産
するシャトル列車が目的地に向かう。
イオンデルケミカル、ヴォーパックな
物の物流拠点でもある。園芸関連の大
現在はプラハやミラノなど約30都市へ
どがある。いずれの地区とも、数多く
手企業やサービス業者、食品、大手ヘ
の直行便が運航しており、欧州の工業
の石油化学工業関連企業に利用されて
いる。
その背景は充実した設備にある。リ
キッドバルク全体の貯蔵能力は3,000
万立方メートルに達し、原油のほか、
ガソリンやディーゼル燃料など石油精
製品、各種の液状化学薬品、植物油、
油脂などを取り扱う。港内の立地企業
間の輸送には、1,500キロメートル以
上に及ぶパイプライン網が重要な役目
を果たしている。一部はオランダ、ベ
ルギー、ドイツなどの客先との間にも
敷設されており、このパイプライン網
を経由して運搬される石油・化学製品
は年間6,000万トンに達する。
ボトレック地区にあるヴォーパック
とオドフジェルの両タンクターミナル
には、「鉄道ケミカルセンター」が併
設されている。備蓄タンクの液体貨物
を直接タンク車に注ぎ込み、そのまま
コンテナ貨物の取り扱いは、おもにマースフラクテ、ヴァールハーフェン、メールヴェハーフェンの各地区で行われて
いる。各ターミナルでは、一度に大量の貨物の荷揚げ、荷卸し作業に対応できる岸壁を備えている。
欧州各地の目的地に輸送する。この施
設では、5時間で25台のタンク貨車を
ルス製品チェーンなどが基地を置き、
地帯と結ばれている。小規模な貨物は、
満載にすることが可能だ。
港内には流通集約拠点となる「ロッテ
欧州全域にまたがる高速道路網を利用
一 方 ド ラ イ バ ル ク 貨 物 も、 年 間
ルダム・フードポート」が設けられて
して運搬されることが多い。
8,500万トンが通過している。西欧で
いる。生鮮フルーツ、野菜、濃縮果汁
EUへの統合によってヨーロッパの
を扱うターミナルでは、冷蔵・冷凍倉
経済活動の国境線は消失し、あらゆる
庫との間で迅速に荷捌きを行い、貯蔵
産業分野で経済効果がみられるように
ができるようになっている。ヴァール
なった。ロッテルダム港では、2008年
ハーフェン地区、エーンハーフェン地
と2010年に相次いで新ターミナルが開
区、マースフラクテ地区には専用冷凍
設され、将来的にはコンテナ貨物取り
倉庫があり、生鮮食品、冷凍水産物、
扱い能力は年間1,600万TEUに向上す
畜産物などを取り扱う。財務処理から
る計画だ。同港が果たす欧州全域の物
検疫、通関手続きまで、物流プロセス
流集約拠点としての役割に、いっそう
に関する業務を一括して請け負う顧客
期待が高まっている。
近代的な町並みが続くロッテルダム市内。遊覧船やボートを
利用すれば、運河でのクルーズも楽しめる。
サービスも提供している。
ロッテルダム港のコンテナ取扱量は
19
(文/小野寺明子 写真提供 PANA通信、JTBフォト)
那覇港
(沖縄県)
奥に見えるのが、
泊ふ頭にあるマリンターミナルビル
「とまりん」
。
座間味島、
渡嘉敷島、
粟国島、
久米島、
伊江島など周辺諸島に向かうフェリーや高速船が発着している。
日帰り観光の拠点だ。
ビング、久米島や伊江島も海水浴やマリンスポーツが楽し
周辺諸島観光やクルーズの玄関口
めるとあって、ほぼオールシーズンを通して観光客に人気
泊ふ頭にあるターミナルビル「とまりん」は、周辺諸島
の高い島々である。取材に訪れた2月下旬でも、晴天日の
へのアクセス拠点だ。フェリー待合所、土産物店や沖縄料
那覇の最高気温は25℃とすでに初夏の陽気。半袖で過ごす
理店などがあるショッピングセンター、イベントホールの
にも十分だ。
「この時期、喜んで海に出て行くのは本土の
ほか、6∼15階にはリゾートホテルが併設されている。1
人だけ。今時分沖縄の人で海に入るのは漁をする人ぐらい。
階のフェリーターミナルからは、渡嘉敷島・座間味島・阿
まだ寒いよ」と地元の人は笑っていたが、年中温暖なこの
嘉島など慶良間諸島、久米島、伊江島、粟国島、北大東島・
南国的気候や風土が本土の人間を惹きつけるのだろう。
南大東島に定期便が出ている。
フェリーで渡嘉敷島へは1時間10分、座間味島へは1時
慶良間諸島はホエールウォッチング(1∼4月)やダイ
間50分だが、高速船を使えばそれぞれ35分と55分で到着す
管内離島航路図
久米島
伊是名
伊平屋
伊江
渡名喜
琉 球 諸 島
与那国
粟国
古宇利
座間味
渡嘉敷
鳩間
西表島
波照間
黒島 竹富
石垣島
伊良部
来間
沖縄島
津堅
久高
池間
多良間
小浜
那覇港
大神
宮古島
北大東、
南大東へ
20
那覇市と浦添市にまたがる那覇港は、
那覇ふ頭
(那覇港)
、
泊ふ頭
(那覇泊港)
、
新港ふ頭
(那覇新港)
、
浦添ふ頭と4つの港区に分かれている。
国内でもトップの人気を誇る観光地を背後にもつ港として、
周辺離島へのフェリー基地である
マリンターミナルビルが整備され、
東アジア物流の要衝となるコンテナターミナルの拡張も進められている。
久米島発のフェリーから降り立つ乗客たち。
観光だけでなく、
物資を運搬する生活航路としても重要な役割を担っている。
(写真左)
沖縄の市場では、
亜熱帯ならではの魚介類が売られている。
(写真右)
る。これら慶良間諸島より
漁港地区があり、漁連鮮魚卸売市場の場内や併設された直
先にある久米島でも高速船
売店ではとれたての魚や海産物が安値で販売されている。
を使えば1時間45分と、い
市場では水揚げした大きなマグロが解体されていた。ここ
ずれの島々も2時間以内で
に上がるのは、キハダやメバチなど南洋でとれるマグロだ
アクセスすることが可能だ。
という。近海物では、沖縄の大衆魚としておなじみのグル
北大東島・南大東島以外は、
クン、イラブチャーなど、赤や緑といった原色のウロコを
1日1∼3便が運航されて
まとった亜熱帯ならではの魚が並んでいる。色や模様だけ
おり、那覇を拠点とする日
でなく名前もユニークで、見ているだけで楽しい。
帰りから1泊の離島観光に
海洋交易で栄えた琉球王朝時代
も最適なロケーションとな
っている。さらに遠方にあ
14∼15世紀の沖縄は、首里・浦添周辺を領地とする「中
る先島諸島の石垣島・宮古
山」
、今帰仁周辺を領地とする「北山」、糸満周辺を領地と
島へは、新港ふ頭から週1
する「南山」という三つの政権が争う戦乱の世にあった。
∼3便の定期航路があり、
現在も、今帰仁城跡(なきじんじょうせき)
、中城城跡(な
約10∼16時間で結ばれている。
かぐすくじょうせき)
、座喜味城跡(ざきみじょうせき)
東アジア物流の要衝となるコンテナターミナルがある
など、当時の城跡が各地に残されている。
新港ふ頭は、東京、名古屋、大阪、呉、小倉、博多、鹿
1429年に沖縄本島を統一して琉球王国をつくったのは、
児島の各方面との間で、貨客船、フェリー、一般貨物船、
南部出身の尚巴志(しょうはし)で、国の基本を貿易と農
RORO船などが日々出入港する本土への輸送拠点だ。那覇
業に置くため、旧那覇港を門戸とする首里城に居を移した。
ふ頭は鹿児島方面へ向かう定期フェリーが出ているほか、
観光船やクルーズ船の出発場所ともなっている。
那覇ふ頭から1日6便(所要1時間)運航されている「オ
ルカ号」は、周辺海域を観察できる大型水中観光船だ。1
階と2階のオープンデッキにはバーベキュー設備があり、
大型特殊ガラスを設置した船底の水中展望室からは、海の
状態がよければスズメダイなどの熱帯魚を見ることができ
るという。夜はレストランシップ「モビーディック号」を
運航し、石垣牛や琉球黒豚など地の食材を使った本格的
なディナーを提供している。
「シェフが作った料理をすぐ
新港ふ頭地区に立地する公
共国際コンテナターミナル。
今年1月には水深15mの新し
い岸壁が完成し、
2基のガン
トリークレーンによって荷
役作業が行われている。
に食べていただけるように、船内に厨房設備を設けていま
す」と、主催会社ウエストマリンの入稲福さんは話す。那
覇港の夕景や夜景も見物できる。
一方、庶民的な佇まいを感じさせるのは泊ふ頭周辺だ。
21
に首里城を訪れ、那覇港を拠点として、小笠原諸島、浦賀、
函館などに向かったという。国際化の歴史において沖縄は、
本土よりも一歩先を進んでいたわけだ。
東アジアのコンテナ積み替え港を目指す
隣国・中国のコンテナ貨物取扱量は、数年来20 ∼ 30%
台で増加を続けている。そのニーズに対応するべく那覇港
では、上海に近く、釜山と高雄のほぼ中央に位置する立地
を活かし、北米や欧州からの貨物を中国沿岸諸港に輸送す
る積み替え拠点となる方向性を目指している。現在はコン
テナ輸送機能を強化するため、
「国際コンテナターミナル
プロジェクト」を実施中だ。
コンテナ貨物を取り扱う新港ふ頭地区には、1997年か
ら水深14m岸壁の国際コンテナターミナルが稼働している
が、今年1月には隣接するふ頭に水深15m岸壁が完成し、
2つのターミナルによる運営が始まったばかり。取り扱
夏は海水浴客でにぎわう波の上ビーチ。崖の上にある波上宮は、航海安全、豊漁・
豊穣、家内安全、子孫繁栄、延命長寿などの祈願成就の神として崇められている。
中国との交易船の出発地点として開かれたのが、本格的な
沖縄で没した外国人の墓石が並ぶ泊外人墓地。敷地内には、ペリー提督一行の上陸記
念碑が建てられている。
港の始まりといわれている。琉球王朝は、中国の王朝に馬
い可能な貨物量は、年間45万TEUになる予定だ。この国
や火薬の原料となる硫黄を輸出し、反対に絹織物、陶器、
際コンテナターミナルでは、フィリピンに本拠地を置く
鉄器を輸入した。朝鮮や大和(日本)のほか、シャム、マ
ターミナルオペレーター ICTSI(International Container
ラッカ、スマトラ、ジャワなど東南アジアを含む広い地域
Terminal Services inc.)に10年契約で施設を貸し付け、
と交易を行い、海洋貿易の中継地点として繁栄したのであ
豊富な国際経験に基づいた運営を進めていく方針である。
る。琉球王朝のシンボル・首里城は、今や代表的な観光地
また、那覇港には「飛鳥」や「ダイヤモンド・プリンセス」
で、守礼門の前は定番の記念撮影スポットとなっている。
など大型クルーズ客船の寄港が増えていることから、泊ふ
泊ふ頭の近くには、交易や布教を目的に訪れ、沖縄で亡
頭の若狭地区では、クルーズ・旅客船バースの整備も計画
くなった人々が眠る泊外人墓地がある。その敷地内には、
されている。
ペリー提督が立ち寄ったことを示す記念碑が建てられてい
那覇ふ頭から泊ふ頭方面へは、波の上橋と泊大橋によっ
る。一行は1853年、開国を求めて日本に上陸する3カ月前
て結ばれている。波の上橋の眼下には、人工海浜「波の上
ビーチ」が広がり、小高い断崖の上に波上宮(なみのうえ
ぐう)を見ることができる。別名「なんみんさん」と親し
まれている沖縄総鎮守の神様だ。琉球王朝の時代から、交
易のため那覇港を出入りする船は、崖の上の神殿をのぞみ
ながら、行きは航海の安全を祈り、帰りは航海無事の感謝
を捧げたのだという。
歴史の流れとともに、那覇港を往来する交易船も帆船か
ら蒸気船、そして大型貨物船やコンテナ船へと移り変わっ
てきた。近代的な港湾に規模や姿は変わっても、港が果た
す基本的な役割は昔からそう大きく変わっていないのかも
観光客の多くが足を運ぶ首里城。正殿のある奉神門(写真)に至るまでは、守礼門を
はじめ、歓会門、瑞泉門、漏刻門、広福門などいくつもの門が設けられている。
しれない。
(文/小野寺明子 写真/坂本政十賜)
船舶給水スタッフ
ういう船では作業は2日がかりになってしまいますね」
横浜はしけ運送事業協同組合 船舶給水営業所 主任
横浜港での船舶給水はペリーの黒船以来という長い歴史があ
鈴木良幸さん り、水道を使った岸壁での直接給水も1894年から始まってい
る。また、富士山に源を発する道志川を水源とする水は最高レ
客船やフェリーに乗ったとき、蛇口をひねればいつでも水が
ベルの水質を誇り、世界じゅうの船のりたちから「赤道を越え
出てくることを不思議に思う人はいないはずだ。しかし、海の
ても腐らない水」として高く評価されてきた。
上をいく船に水道管がつながれていないのは当然で、飲料水や
「私たちの商売は水を売ることですが、常に安心と安全を売る
生活水は船内のタンクに貯めておかなければならない。そして、
この大切な水を港で補給するのが船舶給水の仕事なのである。
「私たちが受け持っているのは、大黒や本牧、山下や大桟橋な
ど、横浜港すべての埠頭に接岸する船で、多いときには1日に
15隻ほどから注文があります」
こう語るのは横浜はしけ運送事業協同組合・船舶給水営業所
の鈴木良幸主任だ。
鈴木さんたちは2人一組で船を回っていく。まず岸壁まで引
かれた水道の給水栓を開いて溜まり水を放出。この「捨て水」
のあいだに1人が残留塩素の検査、濁りや色のチェックを行な
い、もう1人が
船内にホースを
引き込んでタン
クの注水口に接
続していく。
「横浜港の給水
能 力 は 毎 時100
という気持ちで従事しています」
トンと高いので、
最近では船舶の高速化や自動化にともない、水の消費量は減
ふつうの貨物船
少傾向にあるという。しかし、どれだけ時代が移り変わっても、
なら1時間半ほ
人は水なしには生きられない。港における船舶給水は欠かすこ
どで作業は完了します。ところが、大型のクルーズ船になると
とのできない仕事なのだ。
一度に2000トン以上の水を補給することもあるんですよ。そ
(文/佐々木節 撮影/横山正次)
●北海道稚内市 武田素子さん
最北の礼文島。香深港に響き渡る「いってらっしゃーい!!」の声は、フェリーが遠く沖に出て見えなくなるまで続きます。
私が初めて礼文を訪れた頃からくらべると、港もフェリーも大きくなりましたが、港での心のこもった「お見送り」の風景は
変わりません。民宿やユースホステルのスタッフや連泊者による唄や踊りに、最初は目を丸くして眺めている船上の人々も、
次第に笑顔になって「ありがとう!」と叫びます。そんな様子を見ると、心があたたかくなるような気がします。
港では出会いと別れが繰り返され、十月にもなると観光で訪れる人もまばらになります。
また来年、と心のなかでつぶやきながら、最終便で稚内に向かうフェリーの上で、礼文島を見つめているひとりの時間。さ
まざまな想いに静かに身をゆだねながら、甲板で風に吹かれる時間が好きです。
さて日常に戻ろう。そして、次の夏の港の日差しを夢に見よう。
応募要領
募集テーマ:
「みなとの思い出」
「みなとでの出来事」
「大好きなみなと」
「みなとの食」等々、みなとにまつわる話ならなんでも結構です。
400∼600字程度の文章を原稿用紙にお書きください。ワープロ等の場合はA4普通紙でもかまいません。住所・氏名・年齢・電話番号・
匿名希望の有無を書いた紙を同封し、下記宛先まで封書でお送りください。
掲載は氏名および主だった市町村名等のみ。頂いた文章の趣旨が変わらない範囲で編集させていただく場合がございます。
また、E-mailでの投稿もお待ちしております。E-mail:[email protected]
〒 107-0052 東京都港区赤坂 3-3-5 国際山王ビル 8 階 社団法人 日本港湾協会内 みなとだより編集部宛
■発行 社団法人 日本港湾協会 印刷 凸版印刷株式会社 ■編集協力 国土交通省港湾局 TEL03-5253-8670
プッシャーバージとはなんですか?
編集協力/国土交通省港湾局
発行/ (社) 日本港湾協会
ホームページhttp://www.phaj.or.jp
バージとは、停泊中の船と陸地との間を往
復して、人や荷物を運ぶためなどに使われ
る荷船のことです。バージは自分で航行する能力
はありません。バージにコンテナなどの貨物を積
載する機能を持たせ、押し船で航行します。この
システムをプッシャーバージといいます。
もともと海上輸送は、他の輸送手段にくらべて
エネルギー効率が良く、環境への負荷が低いとさ
れています。とくに四方を海に囲まれた日本は、
都市間を結ぶ貨物の輸送ルートとして、海と陸の
どちらでも選択できるケースが比較的多く見受け
られます。
そこで近年では、他の輸送手段から海上輸送に
変更するモーダルシフトが積極的に取り組まれる
とともに、近接する港湾間での貨物輸送方法とし
て、バージを利用した海上輸送実験なども行われ
ています。
これからは港でプッシャーバージを目にする機
会が、より多くなるかもしれません。
(写真:プッシャーバージによる京浜港間の海上コン
テナ輸送実験 撮影/土田仁)
大いに 良くなれみなと
0120-497-370
受付時間
9:00∼12:00と13:00∼17:00
(土・日・祝祭日を除く)
●表紙の写真
広島港の自動車専用バースに着岸した自動車専用
船。海上輸送は、低コストで安定的な輸送能力が
確保できることから、国内向け完成自動車の移送
にも利用されている。
写真/相澤 正
Fly UP