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ルーファス・M・ジョーンズの宗教思想
ルーファス・M・ジョーンズの
宗教思想
自己意識と意識する神 Rufus M. Jones’ Religious Ideas:
Self-Consciousness and God Conscious
中野 泰治
Yasuharu Nakano
キーワード
自由主義クエーカー思想(リベラル・クエーカリズム)、ルーファス・M・ジョーン
ズ、自己実現、自己完結的、良心、自己意識
KEY WORDS
Liberal Quakerism, Rufus M. Jones, Self-Realization, Self-Complete, Conscience, SelfConsciousness
要旨
本稿は、1947年にノーベル平和賞を受賞したクエーカーの平和団体、アメリカ・フ
レンズ奉仕団(The American Friends Service Committee)の中心的指導者であり、
20世紀来の自由主義クエーカー思想(リベラル・クエーカリズム)に「集団神秘主義
(group mysticism)」という神学的定式を与えたクエーカー神学者ルーファス・M・
ジョーンズの宗教思想について概観し、その思想的特徴を明らかにする。本稿は、新
へーゲル主義から大きな影響を受けたジョーンズの思想には、神の自己意識の展開と
しての世界、神の運動の一部としての信仰、神における人間の完成といった壮大な信
仰世界が提示されていながらも、結局のところ神信仰が「自己」信仰へと収斂し、神
や他者を「自己」の内に一元的に還元することでそれらとの関係を抹消し、最終的に
「自己」さえも喪失する可能性があることを指摘する。そして自己充足的な傾向を持
つ現代クエーカー思想の積極的意義と消極的意義について考察する。
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基督教研究 第76巻 第1号
SUMMARY
The aim of this paper is to examine the religious thoughts of Rufus Matthew Jones
and to clarify their ideological features. Jones was a leading Liberal Quaker
theologian, giving a definition of Quakerism as “group mysticism,” and he was also
generally known as a founder and leader of the American Friends Service
Committee, which won the Nobel Peace Prize in 1947. What the paper shows is that
although Jones’ theology with Neo-Hegelian influences offers grand visions, such as
the world as the developing process of God’s consciousness, faith as a part of God’s
movement, and the completion of humanity in God, his faith and every other
religious matter converge with faith in “self.” Consequently, his religion shows the
possibility of losing “self” by eliminating relations with God and others. Furthermore,
the paper points out the positive significance as well as the negative issues of
Liberal Quakerism today, which is viewed as a sort of self-complete religion.
はじめに
本稿は、1947年にノーベル平和賞を受賞したクエーカーの平和団体、アメリカ・フ
レンズ奉仕団(AFSC)の中心的指導者であり、20世紀以来の自由主義クエーカー思
想(リベラル・クエーカリズム)に「集団神秘主義(group mysticism)」という神学
的定式を与えた指導的神学者ルーファス・M・ジョーンズ(Rufus Matthew Jones,
1863-1948年)の宗教思想について概観し、その思想的特徴と構造を明らかにするこ
とを目的とする。19世紀末から20世紀初頭における自由主義クエーカー思想の発生と
ほぼ同時期に展開され始めたクエーカー(フレンド派)に関する学術研究(クエー
カー研究)では、ジョーンズがその研究の主導者となり、彼の友人ウィリアム・C・
ブレスウェイト(William Charles Braithwaite, 1862-1922年)らとともに、クエーカー
派内における自由主義思想の確立と正当化を第一目標とした歴史叙述、歴史研究が主
として行われた。彼らの歴史研究の軸概念となったのは「(集団)神秘主義としての
クエーカー」という考え方であるが1、その影響力は多大で、その後半世紀以上に
亘ってクエーカー研究の方向性と枠組みを大きく規定したといっても過言ではない2。
神秘主義としてのクエーカーというイメージについては、20世紀半ばから Geoffrey
Nuttall や Christopher Hill といった様々な歴史研究家から反駁され、彼らの研究を通
して初期クエーカーが17世紀半ばのイングランドの社会状況の中に位置づけられ、
ピューリタニズムの一担い手としての評価が与えられるようになった3。しかしなが
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ルーファス・M・ジョーンズの宗教思想
ら、クエーカーに関する研究自体がまだまだ発展途上の段階にあるため、依然として
ジョーンズ的な考え方(ジョーニズムとも言われる)が、研究活動のみならず、ク
エーカー教徒自身の自己理解においても影響を持ち続けているのも事実である。もち
ろん、自由主義クエーカーには決まった信仰告白や教義が存在しないため、個々人の
レベルで見れば、その信仰内容の幅は非常に大きく、多様性に満ちたものとなってい
る。だからこそかつて主流をなし、客観的な歴史研究という旗印において提示された
ジョーニズム的クエーカー理解が根底的な共通認識として機能し続けているとも言え
るだろう。
ジョーンズが主導したクエーカーの歴史研究に対する学問的批判は、上述の
Nuttall や Hill によるものを筆頭として数多くあるが、ジョーンズの思想自体に関す
る研究はあまり存在しない。数少ない例としては、英国バーミンガム大学の Pink
Dandelion によるジョーンズ思想の解説4、アルバータ大学の Stephen A. Kent による
ジョーニズムとジェームズ心理学との関係性についての研究5、ヴァージニア大学の
Matthew S. Hedstrom によるアメリカの大衆神秘主義(ひいては公民権運動)を可能
にした人物としてのジョーンズ研究6が挙げられる。本稿は、これまで直接的に取り
上げられることがなかったジョーンズの宗教思想とその構造に着目し、彼の思想に
は、神の自己展開としての世界、神の自己運動の一部としての信仰、神における人間
の完成といった壮大な信仰世界が提示されていながらも、結局のところ神信仰が「自
己」信仰へと収斂し、神や他者を「自己」の内に一元的に還元することでそれらとの
関係を抹消し、最終的に「自己」さえも喪失する可能性があることを指摘する。本稿
における研究成果が、現代クエーカー7の一般的な思想傾向や彼らの社会活動の特性
について知る一つの手がかりとなることを期待する。
1.自己実現としてのキリスト教信仰
ジョーンズによれば、キリスト教信仰はある特定の人格(personality)における神
の愛の啓示から始まったものである。「キリスト教は、人間の状況に語りかけること
ができるように純粋に人間的な存在であり、かつ神の啓示となるように純粋に神的な
存在の顕現から始まった。」8キリストにおける神の啓示もしくは受肉は、人間が神の
像(the Divine image)において生きるべきことを示しており9、人間が神の無謬の像
に与ることこそがキリスト教の真の目的である10。人間の魂には、真理を認識し、愛
に 応 え、 正 義 に 同 意 す る 能 力 が 備 え ら れ て い る11。 そ の 能 力 と は 人 間 の 意 識
(consciousness)の働きであり、意識こそが宗教的確信と信仰の基盤である12。それ
故、完全なる神の像に与るために人間が歩むべき最初の一歩は、神の御業に対して人
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基督教研究 第76巻 第1号
間の魂もしくは意識が応答することであると、ジョーンズは論じる13。神は人間を神
の 子 の 地 位 に 迎 え 入 れ、 神 と 和 解 す る よ う 慈 悲 深 く 手 を 差 し 伸 べ て お ら れ、
“Emmanuel God”(共にある神)として傍におられる方である14。従って、神の真理
に導かれ、神の救いの力に与れるかどうかは、人間の態度次第である15。「すべての
人間は運命の鍵を自ら握っており、個人的な選択(choice)が何よりも重要なもので
ある。」16「もし人間が己の顔をキリストに向け、キリストに従い、そして己の内なる
光に従うならば」17、またもし神が人間と繋がりのある実在であるとの確信を抱くな
らば18、人間の心の内には新しい人が生み出され、この新しい生の力において人間の
罪が克服されるのだという19。
ここで注目すべき点は、神に対する人間の信仰的選択が真の自己(the true self)
の完成に至るための決断でもあるということである。
It[the message of Quakerism]declares that men were meant for God and that a
man can never be his true self until God possesses him. That his darkness is made
like that of the earth, because he lives in his own shadow. Wheel about and the
light fronts you, and has been shining all the time. You made your own darkness.20
(「クエーカー信仰は人間が神のためにあること、人間が神によって捉えられるま
で、彼らは真の自己になることはできないことを宣べ伝えている。人間が陥る暗
闇は地上の暗闇のようになるとも伝えている。というのは、彼らは彼ら自身の影
の内に生きるからである。後ろを振り返れば、光はあなたの前にあり、常に輝き
を放っている。しかし、あなたがあなた自身の闇を作り出したのである。」)
このようにジョーンズの議論においては、キリスト教信仰の目的である神の像に与
ることは、人間が真の自己(the true self)となり、もしくは真の自己を獲得するこ
とをも意味する21。なお、こうした信仰観に基づき、それぞれの人において全なる自
己(the whole self)が達成される時、それが全世界(the whole world)の完成へと繋
がり、すなわち神の国の実現に至ると、ジョーンズは考える。
Our Quakerism must believe in and proclaim a Christ who can completely save
individuals and who can establish His Kingdom …by changing their natures and by
ruling and governing their lives; and because I believe that, I feel the tremendous
obligation upon every Christian to become a centre of force for the transformation
of our now imperfect society.22(「我々クエーカーは、人間の性質を変化させ、彼
らの生を統べることによって個々の人間を完全に救い出し、そして神の国を創り
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ルーファス・M・ジョーンズの宗教思想
上げるキリストを信じ、そうしたキリストについて宣べ伝えなければならない。
私はそう信じるが故に、今は不完全であるこの社会を変化させていく力の中心と
なるよう、すべてのキリスト者に対して重大な責任を負っていると感じてい
る。」)
ジョーンズの言葉には、「神」、「啓示」、「神の国」といったキリスト教の用語やク
エーカー思想に特有な「光(light)」といった語句が見られることから、彼の思想は
伝統的なキリスト教信仰の枠内、また伝統的なクエーカー信仰の枠内にあるように思
われるが、すでに見た通り、彼にとってのキリスト教信仰の基盤は、神の恩寵でもな
く、また神からの働きかけとしての「光」(伝統的なクエーカー信仰では、「内なる光
(inward light)」)でもなく、人間の意識とその意志決定に置かれている。その点で、
彼の思想は意識を真理認識の基盤とした近代思想に近いものとなっている。また彼の
思想には、「堕落」、「贖罪」、「義認」、「聖化」、「神の審き」といったキリスト教的な
モチーフはあまり見られず(あるとしても、彼の思想の中心要素ではない)、伝統的
な意味での救済論の枠組みは存在しない23。というのも、神に対する人間の信仰は、
内に備えられた人間自身の能力による選択・決断から始まるのであり、神の働きかけ
や恩寵によって可能とされるものではないからである。神は、この意味で、キリスト
教信仰の主体ではなく、真の自己に至るための決断を下す人々をただ迎え入れるだけ
の受け身的な存在となっているのである。
またジョーンズにとって、「罪(sin)」とは、人間がより高次の自己(the higher
self)を正しく認識・把握できないことを意味し24、人間存在そのものに伴う本質的
条件(原罪)とは見なされてはいない。従って、救いとはそうした破滅的な状態から
免れることではなく、単に真の自己へ発展すること、つまり自己実現・自己完成を達
成することにすぎない。もしある人が自らの道を歩まないことを選択したとしても、
伝統的なキリスト教信仰や従来のクエーカー信仰において信じられていたように、永
遠に彷徨える状態に落込み、神の領域から永遠に放り出されることを意味するのでは
なく、それは神と分離された状態を選ぶことで真の自己を実現できないことを意味す
るだけである25。
2.「自己」と「大いなる自己」の一致
ジョーンズの宗教思想の特徴は、前章で見た「自己実現としての信仰」に限定され
るわけではない。その根本的な特性は、「自己」から始まり「大いなる自己」で終わ
る自己回帰的な発展運動を伴う信仰に見られる。
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基督教研究 第76巻 第1号
ジョーンズによれば、キリスト教には信仰と生活に深く関わる三つの活動領域が存
在するという。一つは、真理の探究。二つは、美の価値を把握し、見極めること
(ジョーンズにとって、美は善と密接な関係がある)。三つは、他者(others)、もし
くはより大いなる自己(the larger self)に対する愛と献身である。これら三つの活動
に関するジョーンズの思想は、「自己と大いなる自己の最終一致」という信仰を基調
としており、それぞれに自己充足的・自己回帰的な構造が見られるものとなってい
る。
第一に、真理の探究は人間の本能に属することであり、人格が持つ根源的な特徴で
ある26。人間には、単なる事実の集積で満足することはできず、通常の経験の範囲内
で把握できる事柄を超えて真理を求めようとする傾向がある27。人間は、より大いな
る全体(the larger whole)に至るまで探求を続ける。そして世界の事柄すべてに意
味を与え、それらの事柄の根拠づけの役割を果たすのがこの真の全体(the true
whole)である。この「真なる全体」
、「大いなる自己」はいわゆる神的存在の別称で
ある。
The rational pursuit of truth is thus the method of discovering the meaning of some
fragment of experience by setting it into its place in the larger whole which explains
it. …There is obviously no place to stop in this process until one has arrived at that
One Highest Nature of Things in which all things and we ourselves are -that true
whole in which all finite bits and fragments have their meaning.28(「真理の合理的
な探求とは、経験から得られた断片的な事柄をより大きな全体(その全体が個々
の事柄に説明を与える)に位置づけることによってその事柄の意味を発見するこ
とである。…この探求は最も高次の一つの本質に到達するまで続けられる。この
最も高次の一つの本質において、すべての事柄は存在し、我々も存在する。つま
り、この真の全体において、すべての有限な部分や断片に意義が与えられるので
ある。)
キリスト教信仰と生活における第二の活動領域は、美の把握である。美の把握は、
「人に最も活力を与え、人に最も解放感を与える活動の一つである。」29ジョーンズに
よれば、「美に対する愛は、善と大きな関係がある。美を把握する力を涵養すること
は、…人間の性格の良き理想を形成するに一番確かな道の一つである。」30また美に対
する情熱を持つ人は、美に対する情熱を持たない人よりも道徳的に健全である。とい
うのは、美の感覚は人々を彼ら自身の利己的な興味から引き離すからである31。
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ルーファス・M・ジョーンズの宗教思想
「我々が美を把握する時、我々はある物事を分割できない全体(an indivisible whole)
として把握しているのであり、部分の集合体として理解しているのではない。」32こう
した美の理解が、多様性における調和的一致を認識せしめるのであり、「そうした調
和的一致は、あるべきものとして我々の眼前に現れるのである。…すべての観点は、
統合的な全体(integral whole)を生み出さなければならず、それと調和するもので
なければならない。」33そしてそうした理想を追求することで、人間の魂は調和へとも
たらされ、「この調和において、生における対立や矛盾が克服され、消え去る」34ので
あり、魂は拡大され、有限の世界から解放され、無限へと至るというのである35。
第三の信仰と生活の活動領域は、「奉仕の精神であり、社会的大義を促進すること
であり、そして他者の生のために献身的に働くことである。」36ジョーンズにとって、
この第三の活動領域もまた、人間の根本的な本能と感情に基づくものであり、存在の
意義を求めて自己探求する人間の性質にとって根源的な要素である37。個々の自己
は、他者との関係なくしては、実在に与りえない。ジョーンズが語るところでは、
「社会的関係がはぎ取られたならば、人間はすぐに無に帰する。」(ʻStripped of social
affiliations, a person shrinks at once to zero.’38)「我々人間は、人類の生の深層部分に
おいて結びつけられた存在であり、我々は自身をばらばらにすることはできないので
ある。」39それ故、他者のために働くこと、他者の利益のために働くことは、我々自身
にとっても理に適うことであり、愛はそうした感情の最も崇高な形であるという40。
愛は我々の生を押し広げ、我々を非利己的な善へと導くものである41。アメリカの新
ヘーゲル主義者ジョサイア・ロイス(Josiah Royce, 1855-1916年)の言葉を用いて、
ジョーンズは次のように語る。
By loyalty he[Josiah Royce]meant willing and thorough-going devotion to a cause
which unites many selves into one organic community-self. …The highest form of it,
its consummate stage, is love. …The “me” and the “mine” are swallowed up in the
“us” and “our.” …It is …a way of completion and fulfillment[of the self].42(「ロイス
にとって『忠誠』という言葉は、多くの自己を一つの有機的な自己へ結び付ける
大義への意志的で徹底的な献身を意味した。…忠誠の最も崇高な形、最も完成し
た形は愛である。…そこでは『私』や『私のもの』は『私たち』、『私たちのも
の』へ吸収される。…それが自己の完成、自己の充実への道である。」)
キリスト教信仰と生活における重要な三つの活動領域、言い換えれば、知的領域
(真理の探究)、理念的な領域(美の把握)、行動的な領域(社会活動)における
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基督教研究 第76巻 第1号
ジョーンズの議論について見てきたが、それぞれの領域における彼の思想の背景に
は、「自己と大いなる自己との最終一致」という信仰が存在している。もちろん、「自
己と大いなる自己の一致」という信仰もしくはそうした考えは、キリスト教の歴史の
中でも、特にプラトンなどのギリシア哲学や形而上学に影響を受けた神学思想や神秘
主義においても見られるものであるが、注意すべき点は、この「自己と大いなる自己
の一致」の成就の可能性が、次章で見るように、人間の内にある性質における「神と
人との継続的同一性」によってもとより担保されているということ、そしてそれは人
間の側の理性的・主体的な努力によって達成されることである。
…we should look for Him very much closer home, as the God in which we live and
move and are; the immanent, and, at the same time, transcending, Spirit in
immediate junction with our own souls. He is, thus, as Thomas Hill Green used to
say, as near to us as our own conscience is. The Beyond is within, or, as William
James puts it, the inner self is “conterminous and continuous with a More of the
same quality, which is operative in the universe outside of him,” a Wider Self
through whom saving experiences come. 43(「…我々は、大いなる自己(Him)を
探し求め、それに近づかねばならない。つまり、我々が生き、働き、そして存在
するところの神を求めねばならない。その神は内在し、同時に超越する霊であ
り、その霊は我々の魂と直接的な結びつきを持つものである。大いなる自己は、
トーマス・ヒル・グリーンがかつて語っていたように、我々自身の良心と同じく
らい近くに存在する。超越は内在する、もしくはウィリアム・ジェームズが表現
するように、内なる自己は『彼の外側の宇宙で働くものと同一性質であるもっと
大なるものと、接合また連続せるものである。』すなわち、それは広大な自己で
あり、彼を通して救いの経験が到来するのである。」44)
3.神との継続的同一性:良心と理性の神的性質
これまでの引用からも分かることであるが、ジョーンズの信仰は、彼と同時代の
ジョサイア・ロイス45、トーマス・ヒル・グリーン(Thomas Hill Green, 1836-82年)46、
ま た ジ ョ ー ジ・ ハ ー バ ー ト・ パ ー マ ー(George Herbert Palmer, 1842-1910年 )47と
いった英米の新ヘーゲル主義思想家から大きく影響を受けたキリスト教信仰である。
新ヘーゲル主義というのは、G・W・F・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel,
1770-1831年)において完成を見たドイツ観念論の再興を目指した学的運動であり、
英米圏でも20世紀の世紀転換期に思想潮流の一つとなったものである。新ヘーゲル主
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ルーファス・M・ジョーンズの宗教思想
義は、西ヨーロッパおよび北米における産業化・近代化の進展と、それに伴う社会の
世俗化および個人主義化に対する深い懸念を背景に登場したもので、社会的一致を重
視し、個人の社会的責任を喚起しようとする一種のカウンター・イデオロギーであっ
た48。
新ヘーゲル主義における宗教観は独特である。新ヘーゲル主義者にとって、宗教は
神の自己展開の過程の一部である49。神はこの世界に内在する神(immanent God)で
あり、神と人間はこの世界において霊的に一致し、人間相互も神において一致すると
いう。新ヘーゲル主義者が担った当時の社会改革活動や道徳向上運動は、神における
人間相互の一致と個人の社会的責任というこうした宗教的見方に深く関連している50。
自由主義クエーカーの思想家ジョーンズも新ヘーゲル主義の宗教思想にほぼ沿う形
で、19世紀初頭から分裂したクエーカー諸派、つまりヒックス派(内なる光の権威の
みを主張)、正統派(福音派クエーカー)、保守派クエーカーの再統合・一致を目指し
て51、人間における神の内在性、および神と人間との継続的性質(conjunct nature)、
そして全体における一致を強調し、神に対する人間の主観的(subjective)
・主体的
(voluntary)行動の重要性を主張したのであった。ジョーンズの次の言葉には、神の
自己展開としての世界、自己と神の自己の最終一致という新ヘーゲル主義的テーマが
随所に見いだせる。
We feel ourselves a part of the entire process of truth.52(「我々は、我々自身が真
理の全体的な過程の一部であると感じる。」)
The inevitable process of our world leads up to a being who is self-conscious, who
has experience of values, and who reveals moral preferences.53(「この世界が必然
的に進展する過程は、自分自身を意識し、価値を知り、道徳的な善悪について開
示する存在へと至る過程である。」)
It[faith]is the soul’s grasp of divine reality, and therefore it implies both vision and
obedience to it. In a word, it is dynamic -it is the movement of the whole self toward
the goal which it sees.54(「信仰とは人間の魂が神性な実在を把握することであ
り、それ故、信仰は神性な実在に対する洞察とその実在に対する服従を含む。一
言でいえば、信仰はダイナミックなものである。つまり、それは全体的な自己が
その目標へ向かう運動である。」)
「大いなる自己(the larger self)」という言葉は、もともとジョーンズにとって
55
基督教研究 第76巻 第1号
「完成された自己(fulfilled human self)」を意味するものであったが、これまでの議
論で確認されるように、「神性な実在」、「神」を表す言葉としても互換的に用いられ
ている。人間の信仰は、全体的な自己がそれ自身の目標へと展開する運動の一部であ
るというが、そこでは人間の自己実現が神の自己展開の過程と同一視され、また神の
運動と人間の信仰とが入れ子状態的に考察されている。
このように新ヘーゲル主義思想からの影響を受けた「神と人間の継続的同一性」と
いう考えは、ジョーンズの良心および理性に関する見解においても明らかである。彼
にとって、人間の良心は神の働きに属するものである。「良心は神的なものであり、
同時に人的なものである。良心は、もともと神御自身の道徳的性質そのものにまで遡
るものである。…我々の存在の深みにおいて、我々は神と決して切り離されない。」55
彼は、人間の良心の働きを「全体的・統合的な自己(the whole integral self)」とも
語り56、いわば、良心は「全体的自己」と同一のものとされる。こうしたジョーンズ
の「良心」概念に関して特筆すべき点は、「良心(conscience)」という言葉が思惟作
用(reasoning)としての「自己意識(self-consciousness)」の同義語として用いられ
ていることである57。ジョーンズが語るには、「良心は、理性自体以外に帰すところ
のない事実である。…良心は、理性の性質自体と結びついている。」58もし良心が神的
かつ人的なものであり、そして良心は人間の思惟作用と結びつくと考えるのであれ
ば、人間の理性や意識の働きさえも神的な性質を帯びることになる。つまり、その程
度問題は別として、人間の理性や意識(つまり考える私)は神的(deified)なものな
のである。
さらにジョーンズは、神を人間の潜在意識(sub-consciousness)に密接に関係づ
ける。ドイツ観念論の影響を受けたスイスの哲学者アンリ・フレデリック・アミエル
(Henri Frédéric Amiel, 1821-81年)59の言葉を借りて、ジョーンズは次のように語る。
「『意識よりも更に深い部分に、存在、すなはち我々の實體そのもの、我々の本性があ
る。』…我々が意識する自己は、本当の自己の一部にすぎない。…我々は、潜在意識
のレベルで知り、行うことがない限り、何事についても絶対的に確信することはでき
ない。」60
以上のように、良心のレベル、および(潜在)意識のレベルにおいて、ジョーンズ
は神と人間との親密性・近接性(intimacy)
、もしくは継続的同一性(conjunction)
を強調し、神は人間から隔絶した存在ではないと主張する。我々人間は内なる良心の
働きにおいて、また理性の働きにおいて神と繋がっており、ある意味で我々の心や精
神は神的なのである。だからこそ、神に対する信仰は自己に対する信仰に容易に置き
換 わ る。 な お、 ジ ョ ー ン ズ に よ れ ば、 人 間 が 真 の 人 間 と な る た め の 必 要 条 件
56
ルーファス・M・ジョーンズの宗教思想
(necessary condition)が神の存在である。「人間がより完全でより真実の人間になる
ことは、神に近づきつづけることである。
」
(ʻTo be fully and truly human is continually
to approximate God.’61)つまり、人間は本来の自己に到達しない限り、完全な人間で
はないのである。また彼は、自己はキリストの模範に忠実に従うことでより高次の自
己に到達するとも語っている。いずれにせよ、こうして人間の本性が完成する時、人
間は王(king)のごとく誤りのない確実な権威を持つことができるのだという62。
4.教育による自己拡大と信仰の実用性
最後に、良心もしくは意識の権威の限界性に関するジョーンズの議論、および宗教
的事柄を巡る検証の必要性に関する彼の議論について吟味する。前章の終わりで見た
ように、ジョーンズは人間の良心の権威的性格について論じているが、こうした良心
の権威性・優越性はあくまでそれぞれ個々人の領域に限定されるものである。「キリ
ストを信じる人々は、一つの有機体を構成する。それは気高い祭司の一団である。そ
れぞれの人は自らの領域において権威を持つが、全体を支配したり、全体を破滅に引
き込むことはできない。」63そして「すべての個々人は、自らの霊的な範囲に限って、
王であり、祭司である。」64その理由は、「良心(conscience)は、始まりから終わりま
で、そして常に個人的な事柄」65だからであり、また「心理学の対象となる意識
(consciousness)だけが個人の心を動かす意識」66だからである。
ジョーンズが個々の良心や意識を宗教的な基盤に据えた結果として生じる事態は、
近代哲学が陥ったのと同様の問題に対処せざるをえなくなるということである。つま
り、独我論(solipsism)をどのように克服するのかという問題である。近代哲学
は、個人の意識に認識基盤を置き、主観(subjectivity)の働きによって把握され、措
定された存在・現実のみをその考察の対象としてきた。その際、主観性や理性の働き
に現前(present)せず、経験することが困難な事柄、たとえば他の人々の心につい
て、どのようにして認識するのか、またその認識内容の真偽判断をどのように行うの
かということ(いわゆる「他我問題(Problem of Other Minds)」)が長らくの課題と
なってきた67。確かに、ジョーンズの宗教思想も、「自己」の決断から出発し、良心
や(潜在)意識における神との内的な連続性を通して「大いなる自己」へ到達、そし
て最終的に「本来的で完全な人間性(全体的自己)」の回復で終わるという構造を持
つ、他者不在の自己充足的・自己完成的・自己回帰的な宗教となっている。そこで、
他我問題、大きく言えば自己と他者との関係を巡って、彼が提案するのが教育指導に
よる自己の知識の伝達とそれによる自己領域の拡大である。
57
基督教研究 第76巻 第1号
ジョーンズによれば、キリスト者の権威性は「知識の修得を志す生徒に対して教師
が持つ権威のようなもの」68であるという。キリスト者の職務は、神の真理について
はっきり認識できない人々にそれを解釈して伝え、それらの人々が真理を理解できる
ように手助けすることである69。教育こそが真理を広める第一の宣教的手段であり、
教育が教会の発展を促し、この世において神の国が実現するように社会の変化を促す
のである70。つまり、他我問題はキリスト者が知識の不足する他の人々に教え伝え、
知識を共有・伝達することによって解決され、大いなる自己における自己と他者との
一致(その最終一致形態が神の国)の内に解消されるというのである。人間の教育活
動によって実現される神の国というジョーンズのこうした考えは、彼が生まれ育った
正 統 派 ク エ ー カ ー( 福 音 派 ク エ ー カ ー) に 見 ら れ る 後 千 年 王 国 説(postmillenarianism)に関係があるが71、彼の神の国に関する見解は伝統的なクエーカーの
それと比して非常に人間中心的(human-centric)である。17世紀の初期のクエー
カー思想では、神の国は歴史の主なる神(およびキリスト者の働き)によって実現さ
れると信じられていたが、ジョーンズの思想では、キリスト者そのものが御国実現の
ための社会変革の主体と見なされているのである72。そして極めて重要な点は、教育
や社会活動を通して歴史を創り上げる者としての彼らの活動の正しさは、上で見た
「神と自己の継続的同一性」という構図、そして人間の良心や理性(思考)の神的性
質という考えによって根本的に保証されているということである。
ジョーンズ神学の人間中心的な性質は彼の別の議論においても見られる。つまり、
信仰の検証の必要性という議論である。神の真理や聖書といった宗教的な事柄は、科
学的検証と同レベルで日常の中でその有用性(usefulness)と効果(effectiveness)
の観点から検討・評価されねばならないという73。こうした宗教的見解は、ウィリア
ム・ジェームズ(William James, 1842-1910年)のプラグマティズム(実用主義)から
影響を受けたものである74。ジョーンズは次のように語る。「我々は、キリストおよ
びキリスト教の教義について、経験に基づく検証をもって取り扱わねばならない。」75
「我々が信仰を持ちうるのは、我々の生活においてキリストの生命の力が実証できる
からである。…信仰者の生活を霊的なものとし、変容させるキリストの教えは、重力
の法則と同様に厳密に検証することが可能なものである。」76
もちろん、心に安らぎを与えたり、気持ちを強めたりといった機能は宗教が果たす
べき大切な役割の一つであろうが、ジョーンズにとっての宗教はあくまで個々の経験
に還元でき、また個々の経験の枠内に収まるものであり、信仰は生活における有用
性・実用性という観点から検証されるものである。従って、個人の現在の経験の領域
から外れた事柄(自己に現前しない事柄)、もしくは実用性の外部にある事柄につい
58
ルーファス・M・ジョーンズの宗教思想
ては、彼の考察の対象および信仰の対象にはならない。具体的に言えば、ジョーンズ
の思想には、個の経験を超える「創造(Creation)」、「原罪(Original Sin)」、「贖罪
(Redemption)」「終末(Eschatology)」といったキリスト教にとって重要な多くのモ
チーフが欠落してしまっているのである。
結び
ジョーンズの著書を読むと、そこにはキリスト教の用語や伝統的なクエーカー思想
の語句が散りばめられており、ジョーンズの思想は伝統的なキリスト教や従来からの
クエーカー思想と同じであるとの印象を受ける。ジョーンズによれば、人間は神の姿
においてあり、生まれながらに真理を認識し、愛に応答し、正義に同意する能力が与
えられている。その能力とは人間の意識の働きであり、それこそが信仰と宗教的確信
の基盤である。神は、「共にある神(Emmanuel God)」として常に人々を和解へと招
いている。もし人々が神に顔を向け、神を信じるならば、彼らは新しい生の力によっ
て罪を克服し、真の自己に至ることができる。信仰は人間の選択の問題なのである。
こうしたジョーンズの信仰は、伝統的なクエーカー思想とそれほど異ならないよう
に見えるが、しかし実際には、ジョーンズは宗教の基盤を神からの働きかけとしての
「内なる光(inward light)」から人間の意識へと置き換え、宗教的事柄すべてを人間
の理性と自発的意志との関連で捉える(なお、自由主義クエーカー思想ではこの内な
る神の性質のことを “That of God in everyone”77もしくは “inner light”(内なる光)と
呼ぶ)。そこでは信仰は、人間の主体的行為として意識決断に関わるものに変化して
いる。そして決断した自己は、神の自己展開の一部としての信仰を通して、もしくは
模範たるキリストに従うことによって、大いなる自己へと到達する。大いなる自己に
おいて真なる自己、完成した自己となった人間は、教育や社会事業を通して御国の実
現のために働きをなすが、その教育や社会活動の正当性は、「人間の神との継続的同
一性」という構図、自己の良心と理性(思考)の神的性質という考えによって保証さ
れており、その是非は問題となることはない。またさらにジョーンズは、プラグマ
ティズムの影響から、宗教的事柄の価値を生活と経験における有用性や効果という観
点から判断する。実用性や有用性といった観点の外にある宗教的事柄は、彼の考察、
もしくは信仰の対象とはならない。
こうした「自己」概念を中心として構成されたジョーンズの信仰は、一言で表現す
れば、自己で始まり、自己の枠において進展し、自己で終わる自己充足的な信仰であ
り、たとえ言葉や概念として「神」や「世界」や「他者」といったものが存在すると
しても、そうした事柄も最終的には「自己」概念に一元的に収束され、残されるのは
59
基督教研究 第76巻 第1号
飽満した「自己」だけである。ジョーンズの一元的宗教観がもたらした積極的要素、
つまり分裂傾向にあった当時の世界において根底的同一性を強調し、そして実際にク
エーカー派の分裂のみならず、対立する世界に和解の道筋をつけたことは忘れられる
べきではないだろう。また良い意味でも悪い意味でも独善的であるが故に、自己の理
念へ力強く邁進できるということを示す例なのかもしれない。しかしながら、ジョー
ンズ自身の言葉、「社会的関係がはぎ取られたならば、人間はすぐに無に帰する。」
(ʻStripped of social affiliations, a person shrinks at once to zero.’)という言葉を思い出
す時、ジョーンズの思想自体がそれを裏切ることになっていないか、またそうした一
元的宗教観が意図する「一致」の理念をそれ自体が困難にしている側面がないかどう
か、そしてどのようにその困難を解決するシステムを思想の中に組み入れるのか、現
代の自由主義クエーカーはこれらの問題を厳密に考察していく必要があるだろう。
注
1
現代のクエーカー信仰では、自由主義と神秘主義は、伝統、制度的組織、聖書といった外的権威では
なく、自己の(神性な)意識や理性を宗教の基盤と考える点で親和性を持つ。
2
ジョーンズ、および彼の同労者 W・C・ブレスウェイトらの手による長大なクエーカー史著作群
(the Rowntree History Series)に見られる特定の思想的性格、およびその学問的影響については、拙
稿「クエーカー研究における新ヘーゲル主義的前提について―self 概念を巡る Barclay 神学の評価
―」、『ピューリタニズム研究』、第6号、[2012]: 27-39を参照。
3
クエーカー研究の最新動向については、Pink Dandelion, An Introduction to Quakerism(Cambridge,
Eng.: Cambridge University Press, 2007), pp. 2-4を参照。
4
Dandelion, An Introduction to Quakerism, pp. 119-124 and 129-153.
5
Stephen A. Kent, “Psychological and Mystical Interpretations of Early Quakerism: William James and
6
Matthew S. Hedstrom, “Rufus Jones and Mysticism for the Masses,” CrossCurrents, 54-2[2004]: 31-44.
7
現代日本のクエーカー(フレンド派)も、沈黙の礼拝を行うリベラル派のクエーカーである。
8
Rufus M. Jones, The Message of Quakerism: Two Addresses(London: Headley Brothers, 1901), p. 8.
9
Ibid., p. 8.
10
Ibid., p. 14 and 21; Rufus M. Jones, A Dynamic Faith, 3rd ed.(London: Headley Brothers, 1906), p. 67, 72
Rufus Jones,” Religion, 17-3[1987]: 251-274.
and 81.
11
12
Jones, Dynamic Faith, p. 6.
「意識に訴えること以外に人に確信を抱かせるような権威は存在しない。意識に訴えることは、確信
に至らしめ、同意を引き出す。というのは、人間の精神には真理を求める能力が備わっているからで
あり、人間の意識は真理そのものである神とその性質において全く異なるものではないからである。」
(Ibid, p. 6.)
13
Jones, The Message, p. 8; Jones, Dynamic Faith, p. 6.
14
Jones, The Message, p. 8 and 21; Rufus M. Jones, Religion as Reality: Life and Power(Philadelphia, PA.:
Walter H. Jenkins, 1919), p. 33 and 39.
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ルーファス・M・ジョーンズの宗教思想
15
Jones, The Message, pp. 13-14.
16
Rufus M. Jones, Quakerism: A Religion of Life, 2nd ed.(London: Headley Brothers, 1908), pp. 31-32.
17
Jones, The Message, p. 13.
18
Jones, Quakerism, p. 18.
19
Jones, The Message, p. 12 and 14.
20
Ibid., p. 12.
21
Jones, Dynamic Faith, pp. 4-5.
22
23
Jones, The Message, p. 24.
「クエーカー的な手法は、救いの計画を示すことではなく、救いの力を示すことである。」(Ibid, p.
22.)
24
Jones, Dynamic Faith, p. 5.「この世における重大で完全な罪は、人間の気まぐれな性質、偏った個人
主義、強情さといった傾向、そしてより高次の統合的な意志と目的(the higher unifying Will and
Purpose)に関する認識不足という傾向から生じる。」(Jones, Religion as Reality, p. 38.)
25
自由主義クエーカー信仰における救済論の意義は低い。Ben Pink Dandelion, et al. Heaven on Earth:
Quakers and the Second Coming(Birmingham: Woodbrooke College, 1998), pp. 185-186を参照。
26
Jones, Religion as Reality, p. 12.
27
Ibid., p. 12.
28
Ibid., pp. 13-14.
29
Ibid., p. 17.
30
Ibid., pp. 17-18.
31
Ibid., p. 18.
32
Ibid., p. 19.
33
Ibid., pp. 19-20.
34
Ibid., p. 20.
35
Ibid., p. 21.
36
Ibid., p. 22.
37
Ibid., p. 23.
38
Ibid., p. 24.
39
Ibid., p. 24.
40
Ibid., p. 25.
41
Ibid., pp. 25-26.
42
Ibid., pp. 24-26.
43
Ibid., pp. 36-37.
44
引用中の二重括弧内の和訳は、以下の文献を参照した。ウィリアム・ジェイムズ『宗教経験の諸
相』、比屋根安定訳、誠信書房、1957年、522頁。
45
ジョサイア・ロイスは、アメリカの絶対観念論者である。John K. Roth によれば、ロイスの思想は以
下の三点に集約できる。(1)人間は現実についての基本的な構造を知ることができる、そうした基本
構造について叙述し、明確化し、そして証明することができる。(2)現実は、永遠で絶対的な精神と
意志である。その永遠で絶対的な精神と意志は、有機的・社会的に関連する個々の存在から成るこの
世界において自らを開示する。その永遠で絶対的な精神と意志は、この世界における自己開示として
の諸々の出来事を「完全な善なる全体、意義ある全体」として統一し、それを意識する。(3)人間の
61
基督教研究 第76巻 第1号
生はそうした絶対的なものの現れの一つであり、すべての人は、絶対的なものによって知られ意志さ
れる宇宙的な共同体を構成するのに欠かせない要素であるという点で自らの存在の重要性を確信す
る。(John K. Roth, ed. The Philosophy of Josiah Royce, reprinted ed.(Indianapolis, IN.: Hackett
Publication Co., 1982), pp. 4-5.)
46
トーマス・ヒル・グリーンはイギリスの絶対観念論者で、彼の思想は単に哲学の分野のみならず、社
会・経済の分野にも影響を及ぼした。彼の思想は、次の言葉に要約される。「我々の思考に類比でき
るような何らかの意識的な原理が存在するに違いない。その原理はこの世界自体を基礎付け、そして
統 一 す る も の で あ る。」(Maria Dimova-Cookson and William J. Mander, eds. T. H. Green: Ethics,
Metaphysics, and Political Philosophy(Oxford: Clarendon Press, 2006)
, p. 7.)
47
以下の文献の項目 “Palmer, George Herbert” を参照。Paul Edward, ed. The Encyclopedia of Philosophy,
vol. V(London: Macmillan, 1967). ジョーンズは、このパーマーから、“conjunct self”(共同の自己)
と い う 概 念 を 受 け 継 い だ(Elizabeth Gray Vining, Friend of Life: The Biography of Rufus M. Jones
(Philadelphia: Lippincott Company, 1958), p. 86)。
48
David Boucher and Andrew Vincent, British Idealism and Political Theory(Edinburgh: Edinburgh
University Press, 2000), p. 14, pp. 21-22.
49
Ibid., p. 9.
50
Ibid., p. 9.
51
以下の文献の項目 “Jones, Rufus Matthew(1863-1948)” を参照。Margey Post Abbott, et al. The A to Z
of the Friends (Quakers)(Lanham, ML.: The Scarecrow Press, 2006)
52
Jones, Dynamic Faith, p. 88.
53
Rufus M. Jones, The Nature and Authority of Conscience(London: The Swarthmore Press, 1920), p. 17.
54
Jones, Dynamic Faith, p. 16.
55
Jones, The Nature and Authority, p. 66.
56
Ibid., p. 25 and 66, pp. 52-53.「この道徳的な能力は、我々の起源となり、我々が依然として繋がって
いる霊的な領域の連続性を徴づけるものである。超越は内にある。我々は、我々の有限な働きの限界
よりももっと大きな意識に組み込まれている。」(Ibid, p.56.)
57
Ibid., pp. 45-46, 56-57 and 67-68.
58
Ibid., p. 54.
59
Humphly Ward, trans. Amiel’s Journal Intime of Henri-Frédéric Amiel(London: Macmillan, Co., 1889)
の “introduction” を参照せよ。
60
Jones, Dynamic Faith, pp. 51-52. 引用中の二重括弧内の和訳は、以下の文献を参照した。アンリ・フ
レデリック・アミエル『アミエルの日記 上巻』、土居寛之訳、シエレル版、創藝社、1950年、135
頁。
61
Jones, Religion as Reality, p. 30.
62
Jones, The Nature and Authority, pp. 64-67; Jones, Dynamic Faith, p. 38 and 77.
63
Jones, Dynamic Faith, p. 38.
64
Ibid., p. 37.
65
Jones, The Nature and Authority, p. 67.
66
Ibid., p. 67.
67
以 下 の 文 献 の 項 目 “Other Minds” を 参 照。Ted Honderich, ed. The Oxford Companion to Philosophy
(New York: Oxford University Press, 1995)
62
ルーファス・M・ジョーンズの宗教思想
68
Jones, Dynamic Faith, p. 38.
69
Ibid., p. 78.
70
Jones, The Message, p. 15 and 24.
71
Pink Dandelion, The Liturgies of Quakerism(Aldershot: Ashgate, 2005), p. 59.
72
Dandelion, Heaven on Earth, p. 186.
73
Jones, Dynamic Faith, p. 94.
74
Kent, “Psychological and Mystical Interpretations,” pp. 253-255.
75
Jones, Dynamic Faith, p. 94.
76
Ibid., p. 95.
77
Dandelion, An Introduction to Quakerism, p. 132; Martin Davie, British Quaker Theology since 1895
(Lampeter: The Edwin Mellen Press, 1997), pp. 140-141.
63
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