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(ヴァナキュラー建築)と(未来の森)からみえるこれからの建築

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(ヴァナキュラー建築)と(未来の森)からみえるこれからの建築
(ヴァナキュラー建築)と(未来の森)からみえるこれからの建築
広島工業大学 環境デザイン学科 C112081 向井
広行
1.はじめに
ヴァナキュラーとは日本語に訳すと「風土的」とされる。バーナード・ルドフスキ
ーによると、近代におけるヴァナキュラーの概念はカタログ「建築家なしの建築」か
ら始まり、その土地や地域の固有の気候風土の中で培われてきた建築である。そして(未
来の森)とは建築家である藤本壮介の目指す建築、これが示唆するのは、いかに自然の
ような複雑で多様なものを、直接的な模倣でなく、人間が作ることができるのか、と
いう問いである。建築家なしの建築ができるかもしれない可能性のある建築だ。
2.目的‐現代建築の問題と向き合う
1.であげた建築から現代建築の二つの問題と向き合いたい。まず一つ目は街路の
機能として駐車場や高速道路によって侵されている現状である。街路の有効的な利用
方法をみつける。そして二つ目の問題、近年では街全体をビル群で埋め尽くされよう
としている。同じような建物ばかりで殺風景だ。ルドフスキーは「驚異の工匠たち」
終章にスクラップアンドビルドを批判する、近代建築家は積木(ビル)を弄ぶと、建
築家の想像力、主体性がなくなってしまうと述べている。この現代建築の二つの大き
な問題を対象にし、解決策をみつけたい。
3.(ヴァナキュラー建築)と(未来の森)
3-1.あいだの建築とアーケード:街路の機能
藤本は「建築はひとつの空間ではない、それ自体は存在せずとも、何かと何かをつ
なぐ〈あいだ〉が建築として成立する。関係性の建築には予期しない他者を許容する
力がある。
」と(未来の森)の建築の特徴の一つとして〈あいだの建築〉をあげている。
これは建物だけが建築ではなく、通路やエントランスも建築の一つの空間であり、〈あ
いだ〉はコミュニケーションを育む場所として有効ということだろう。ルドフスキー
は「建築家なしの建築」から〈アーケード〉に感動している。自然力や交通の危険か
ら守るだけでなく街路の景観の統一感、古代の広場の役割を果たし、市民的一体感の
具体的表現となっていると述べ、あいだの建築とは〈アーケード〉のことであり、現
代建築の問題である街路の使用を今より有効にできるのではないかと考える。ルドフ
スキーが〈アーケード〉の例としてあげているボローニャの街路を載せておく。
・ボローニャの街路
私有地の一部を所有者が自発的に供出
し、街路に対して開放した柱廊で、建物
内部と街路とを繋ぐ役割をになうもの。
3-2.不自由さの建築と無学の工匠たち:スクラップアンドビルド
不自由さの建築とは、人間にとっての〈自然〉のような、行動を喚起する、快い異
物の不自由さであると藤本は述べている。「建築家なしの建築」の主役である無学の工
匠たちはこの不自由さ、
〈自然〉を征服するのではなく、地形のけわしさを受け入れ、
起伏の多い土地に魅力を見出す。現代は土地の凸凹をブルドーザーによって平坦にし
てしまうことで同じような場所に同じような建物ができている。ルドフスキーは「私
たちの空虚な都市は抑制も受けず成長して、今や、いわばどんな治療もほどこしよう
もない建築的湿疹と化してしまった。」と述べており、建築的湿疹とは現代の建築でい
うマンションやビル群のことではないかとおもう。既存の建物を壊すことは容易では
ない、建築家の想像性、主体性がなくなってしまうのも問題で、これからはどのよう
に土地を活かすか、建築家をどう活かすかにより、建築からできる都市の未来も変わ
ってくるかもしれない。
左写真‐マチュピチュ
右写真‐アトス山のシモノペト
ラ修道院
無学の工匠たちが選んだ場所は
文字通りの深山幽谷である。
3-3.解決策
上記二つの考えから、現代建築の問題を、私個人の解決策として提案すると、
「街で
あり、同時に家であるような」空間をつくることではないか、街と家の境界をつくら
ないこと。
〈アーケード〉をもう一つの生活空間として利用する。人工物と自然物の〈あ
いだ〉をもって有効的に人が利用できる街路空間をつくること。ルドフスキーはスク
ラップアンドビルドを批判しているが単位的建築(同じ型の建物を採用しても単調に
なるとは限らない)という考えもあり、ビルにも配置や外、内装を変化させるだけでデ
ザイン豊かなビルができる可能性がある。既存の建物にも言える。
4.おわりに
以上より、(ヴァナキュラー建築)と(未来の森)という二つの建築から現代建築の問題
に対する解決策の一端が明らかになっただろう。具体的な解決策は見つからなかった
が、藤本壮介という建築家の目指している建築、(未来の森)はルドフスキーの「建築家
なしの建築」を人間が作ることができるかもしれない可能性のある建築だと証明でき
ただろう。
【注】
1.
『建築家なしの建築』鹿島出版会(1983)
2.
『建築が生まれるとき』王国社(2010)
3『驚異の工匠たち‐知られざる建築の博物誌』鹿島出版会(1981)
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