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日本社会保障法の形成過程 働

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日本社会保障法の形成過程 働
15
︿論
説﹀
日 本 社 会 保 障 法 の形成 過 程 ⇔
次
高
尾
橋
崎
(
創価大学非常勤講師)
母 子保 護 法
目
ω
救 護 関 係 の特 別法 の制 定
社会 保障 法前史
医療保護法
労 働 者 災害 扶助 責 任 保 険 法 ・労働 者 災 害 扶 助 法 (以下 次 回 )
②
四
国 民 健 康 保 険 法 の制 定
明治期以前 の救貧制度
伽救 規則 の成立
五
戦 時 災 害 保 護 法 (以 上 本 稿 )
救貧 法案 の提出
社 会 保 障 法 の成 立
船 員 保 険 法 の制 定
第 三章
社 会 保 障 法 の展 開
六
社会保障 法 の形成
第 四章
共済組合 の発達
救護法 の制 定
おわりに
労 働 者 年 金 保 険 法 の制 定 か ら 厚 生 年 金 保 険 法 ま で
軍事救護法 から軍事扶助 法 へ
七
㈲
三
毅保
健康保険 法 の成立 (
以上前号 )
明治政府 の成立と救貧制度
はじ めに
ニ ー
章 六
五
四 三
二
一
第 一章
第
16
↓
(
第 二章
社 会 保障 法 の形成
救 護 法 の制 定
救 護 法 成 立 の背 景
第 一次 世 界 大 戦 後 の 一九 二〇 (
大 正 九 )年 に 発 生 し た 戦 後 恐 慌 以 降 、 一九 二 三 (大 正 一二 )年 の関 東 大 震 災 、 一九
ま る 世 界 恐 慌 、 そ し て そ の世 界 的 な 波 及 の最 中 に濱 口雄 幸 内 閣 が 金
ユ 輸 出 解 禁 (一九 三 〇 (昭 和 五 ) 年 ) の た め に と った 緊 縮 財 政 政 策 な
一 〇〇
ど が 原 因 と な り 、 わ が 国 経 済 は 慢 性 的 不 況 に 陥 った 。 そ の 影 響 に よ
一
二 九九
数
、
三一 五 二 六 九
三 四三
実
九 二 九・ 一 二
、
三 六 二 〇五 〇
四 四六
す る と 、 一九 三 〇
指 数
二 七 (昭 和 二 ) 年 の金 融 恐 慌 、 さ ら に 、 一九 二 九 (昭 和 四 ) 年 一〇 月 二 四 日 の ニ ュー ヨー ク株 式 市 場 の 大 暴 落 か ら 始
次
(
表 一) 失 業者 総数 の推移 (
人)
年
九 三 〇・ 一 二
、
四七 〇 七 三 六
四三 九
(支 払 済 お よ び 支 払 い 見 込 み の あ る
も の 一、 〇 一〇 、 支 払 い 見 込 み の な い も の 二 五 八 、 不 明 の も の =
お よ び 鉱 山 は 、 一、 三 八 四 カ 所
ま た 、 一九 三 二 (昭 和 七 ) 年 次 に 賃 金 支 払 い 遅 滞 が 発 生 し た 工 場
(昭 和 五 ) 年 一二 月 に は 、 三 四 三 と 著 し い 増 加 を
失 業 者 に つ い て み る と 一九 二 五 (大 正 一四 ) 年 一二 月 を 一〇 〇 と
面 さ せら れ た 。
り 多 く の労 働 者 が 、 失 業 、 賃 金 の 不 払 い 、 切 り 下 げ な ど の 問 題 に 直
一
二
、
四 六 三 四 〇三
六一 二
一
九 三一 ・ 一
二
、
〇五
一
九 三 二・ 一
一 九二 五 二 二
一
三 四二
I
、
三六 〇 七五 〇
I
示 し て い る (表 一参 照 )。
lI I
三五 九
・
、
三 七 八 九 二一
三
二;、奪IIIlIIllI
三
九 三 四・ 一 二
九
一
一
一
、
一 九 三 五・ 一 二
三 五一
四六九
三三三
︹
備 考 ︺ 本 表 は 、 内 閣 統 計 局 編 ﹃日本 帝 国 統 計 年
鑑﹄ 東 京 統 計 協 会 の各 年 版 を基 に作成 した 。
(
表 二)
労 働 組 合 員 数 と争 議件 数 の推 移
六 )に達 した。
一 九二 八
一 九二 七
=六
一 〇八
一 〇九
一 〇〇
組合員 数
七・ 五
六・ 八
六・ 三
六・ 五
六 二
組織率
一 九五
一 八二
= 三
八一
九五
一 〇〇
実 収 賃 金 指 数 に つい て は 、 一九 二 八 (昭 和 三 ) 年 を 一〇 〇 と し た 場 合 、
一 九二 九
一 二四
七・ 九
一 七六
(昭 和 一
) 年 九 月 か ら 一九 三 七 (昭 和 一二 ) 年 八
働 強 化 を 行 な った 。 そ の た め 、 満 州 事 変 以 降 は 、 工 場 や 鉱 山 の 災 害 発 生
ま た 、 こ の慢 性 的 不 況 を 乗 り 切 る た め に資 本 家 は、 こ れ ま で 以 上 の労
こ の よ う に 慢 性 的 不 況 に よ り 、 労 働 者 の生 活 は 、 次 第 に 窮 乏 化 し て い っ
月 に か け て は 、 三 八 ・ 一九 % と 上 昇 し た 。
た 。 そ れ が 一九 三 六 (昭 和 =
年 九 月 か ら 一九 三 二 (昭 和 七 ) 年 八 月 に か け て は 、 三 五 ・三 五 % で あ っ
こ れ ら の 他 、 エ ン ゲ ル 係 数 に も 影 響 が 見 ら れ た 。 一九 三 一 (昭 和 六 )
) 年 一〇 月 に は 、 九 一 ・八 ま で 低 下 し て い た 。
き 場 労 働 者 の実 収 賃 金 指 数 を 一〇 〇 と し て 計 算 す る と 、 一九 三 六
一九 三 一 (昭 和 六 ) 年 時 点 で は 九 〇 と な った 。 さ ら に 、 同 年 一〇 月 の 工
一 九三 〇
=二 〇
七・ 八
一
た。 窮 乏 化 は 、 労 働 者 の体 位 の低 下 、 健 康 状 態 の悪 化 を も た ら し た 。 工
争 議 件 数(指数)
一 九= =
=二}二
七・ 五
一 五二
場 労 働 者 の間 で は 、 結 核 が 激 増 し た 。
次
一 九三 二
=二 五
六・ 七
一 四九
年
一 九三三
=二 六
六・ 九
一 九二 六
一 九三 四
一 四四
五一
一 九三五
︹出 典 ︺ 日本 統 計 研 究 所 ﹃日 本 経 済 統 計 集
- 明 治 ・大 正 ・昭 和 1 ﹄ 一九 五 八年 、
日本 評 論 社
率 が 急 激 に 上 昇 し た 。 こ のよ う な 状 況 の 下 に 自 ら の生 存 権 を 確 保 し よ う
ら 下 落 し た 。 ま た 、 出 稼 ぎ そ の他 の農 外 所 得 も 著 し く 減 少 し た 。 さ ら に 、 都 市 か ら は 、 多 く の失 業 者 が 農 村 に還 流 し た 。
ま た 、 慢 性 的 不 況 は 、 労 働 者 の み な ら ず 過 剰 労 働 力 の 供 給 源 であ る農 村 にも 影 響 を 与 え た 。 農 産 物 価 格 は 、 大 幅 に
に 比 例 し 、 そ の発 生 件 数 が 増 加 し た (
表 二参 照 )。
と す る 労 働 者 た ち に よ る 労 働 争 議 が 頻 発 す る よ う に な った 。 労 働 争 議 は 、 一九 三〇 年 代 に 入 り 労 働 運 動 が 高 ま った の
日本社 会保 障 法 の形 成 過 程
17
18
そ の う え 、 租 税 、 公 課 負 担 の重 圧 が の し か か った 。 そ のた め 、 農 村 は 、 窮 乏 化 の 一途 を た ど った 。
フ そ れ は 、 当 時 の農 家 の負 債 額 を 見 れ ば 一目 瞭 然 であ る 。 農 家 の負 債 額 は 、 一九 二 九 (昭 和 四 ) 年 時 点 で 既 に 四 〇 億
(二 九 道 府 県 で 実 施 ) に よ っ て 小 作 農 、 自 小 作 農 、 自 作 農 別 の 負 債 率 を
円 を 超 え て い た 。 そ れ が 、 一九 三 二 (昭 和 七 ) 年 に は 、 六 〇 億 円 に 達 し た の で あ る 。
こ こ で 一九 三 二 (昭 和 七 ) 年 の 農 林 省 調 査
見 て み よ う 。 同 調 査 に よ る と 、 小 作 農 の 七 九 ・三 % 、 自 小 作 農 の 七 八 ・五 % 、 自 作 農 の 七 四 ・八 % が 負 債 を 抱 え て い
ハ ね
た 。 多 額 の 負 債 の た め に 小 作 農 へ と 転 落 す る 自 作 農 が 増 加 し た 。 そ の た め 、 小 作 地 の 割 合 が 上 昇 し た 。 一八 九 七 (明
治 三 〇 ) 年 に 四 一 ・ 一% で あ った も の が 、 一九 二 二 (大 正 一 一) 年 に は 四 六 ・四 % 、 一九 三 二 (昭 和 七 ) に は 四 七 ・
り 五% に達 し た。
一方 、 地 主 は 、 こ の時 期 に地 主 組 合 を 結 成 し た 。 そ し て、 小 作 料 の値 上 げ 、 お よ び 小 作 地 引 き 上 げ を 強 行 し た 。 こ
れ は 、 小 作 農 ら を 追 い つめ る こ と に な った 。
こ のよ う な 危 機 的 状 況 下 にお い て 、 農 民 も 自 ら の生 活 を 守 る た め に農 民 運 動 を 展 開 し た 。 そ の際 、 彼 ら も 争 議 と い
れ う 手 段 に 積 極 的 に 訴 え た 。 一九 三 四 (
昭 和 九 )年 に は 、 五 、 八 二 八 件 の小 作 争 議 が 発 生 し ピ ー ク に達 し た 。
こ う し た 一九 二〇 年 代 か ら のわ が 国 資 本 主 義 の危 機 と 、 そ の下 で の労 働 運 動 や 農 民 運 動 の激 化 を 背 景 に 、 新 た な 救
貧 制 度 の 確 立 が 考 え ら れ る よ う に な った 。 一九 二 六 (
大 正 一五 ) 年 、 政 府 は 、 内 務 大 臣 の諮 問 機 関 と し て、 内 務 省 社
む 会 局 に 社 会 事 業 調 査 会 を 再 度 設 置 し た 。 濱 口内 務 大 臣 は 、 同 調 査 会 に 対 し て 、 ﹁社 会 事 業 体 系 二関 ス ル 件 ﹂ に つき 諮
問 し 、 そ の結 果 、 一九 二 七 (
昭 和 二 )年 に答 申 が な さ れ た 。 政 府 は 、 こ れ を う け て救 貧 制 度 の策 定 に と り か か る こと
に な った 。
こ う し て政 府 が 新 た な 救 貧 制 度 の策 定 に と り か か る よ う に な った 背 景 と し て、 当 時 の政 治 的 事 情 も 考 慮 す る 必 要 が
あ ろ う 。 一九 二 八 (昭 和 三 ) 年 に 実 施 さ れ た 総 選 挙 の結 果 、 与 党 政 友 会 と 野 党 民 政 党 の差 が 一名 と な った 。 与 党 は 、
日本社 会 保 障法 の 形成 過 程
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議 会 運 営 上 、 武 藤 山 治 の率 い る 実 業 同 志 会 と 提 携 せ ざ る を 得 な い 状 況 に あ った 。 こ の実 業 同 志 会 と の提 携 に あ た って
締 結 さ れ た 一六 項 目 に わ た る 政 策 協 定 、 いわ ゆ る ﹁政 実 協 定 ﹂ の な か に 、 血 救 規 則 に か え 新 し く ﹁扶 養 者 な く 一定 の
お 収 入 な く し て 生 活 し 能 は ざ る 老 年 者 、 不 具壌 疾 者 及 び 病 者 の救 濟 方 法 を 設 く る こ と ﹂ と う た わ れ て い た 。 そ の結 果 、
与 党 は 、 救 護 法 案 を 議 会 に 提 出 せざ る を 得 な か った 。
統 計 篇 ) 一九 五 九 年 、 労 働 運 動
一九 二 九 (昭 和 四 )年 の救 護 法 は 、 こ のよ う な 労 働 運 動 、 農 民 運 動 、 政 治 的 状 況 を 背 景 に、 成 立 し て く る ので あ る 。
注
﹁工 場 及 び 鉱 山 賃 金 未 払 状 況 ﹂ 労 働 運 動 資 料 委 員 会 編 ﹃日 本 労 働 運 動 資 料 ﹄ (
第 一〇 巻
(1 ) 池 田 敬 正 著 ﹃日 本 に お け る 社 会 福 祉 のあ ゆ み ﹄ 一九 九 五 年 、 法 律 文 化 社 、 = 二九 頁 。
(2 )
資 料 刊 行 委 員 会 、 四 二 一頁 。
(3 ) 大 原 社 会 問 題 研 究 所 編 ﹃日 本 労 働 年 鑑 ﹄ (昭 和 一二 年 版 ) 一九 三 八 年 、 栗 田 書 店 、 六 〇 頁 。
三 ) }九 九 〇 年 、 川 島 書 店 、 一〇 四 頁 。
(4 ) 大 原 社 会 問 題 研 究 所 編 ﹃前 掲 書 ﹄ (昭 和 一 一年 版 ) 一九 三 七 年 、 栗 田 書 店 、 二 頁 。
現 代 社 会 事業 史 研 究﹄ (
吉 田 久 一著 作 集
(5 ) 吉 田 久 一著 ﹃日 本 貧 困 史 ﹄ 一九 八 四 年 、 川 島 書 店 、 三 三 六 頁 。
(6 ) 吉 田 久 一著 ﹃改 訂 増 補 版
(7 ) 井 上 晴 丸 著 ﹃日 本 資 本 主 義 の 発 展 と 農 業 及 び 農 政 ﹄ 一九 五 七 年 、 中 央 公 論 社 、 三 五 一頁 。
(現 代 社 会 事 業 史 研 究 )﹄ 一〇 四 頁 。
(8 ) 大 原 社 会 問 題 研 究 所 編 ﹃前 掲 書 ﹄ (昭 和 八 年 版 ) 一九 三 四 年 、 日 本 労 働 年 鑑 出 版 部 、 六 六 頁 。
(9 ) 吉 田 久 一 ﹃前 掲 書
(10 ) 安 藤 良 雄 編 ﹃近 代 日 本 経 済 史 要 覧 ﹄ (
第 二 版 ) 一九 七 九 年 、 東 京 大 学 出 版 会 、 一六 頁 。
(11 ) 帝 国 農 会 編 ﹃農 業 年 鑑 ﹄ (昭 和 一二 年 版 ) 一九 三 七 年 、 帝 国 農 会 、 六 ニ ー 六 三 頁 、 六 五 - 六 六 頁 。
(12 ) 社 会 事 業 調 査 会 は 、 一九 二 一 (大 正 一〇 ) 年 に 設 置 さ れ 、 一九 二 四 (大 正 = 二) 年 に 一度 解 散 し て い た 。 そ れ が 、 一九 二
六 (
大 正 一五 ) 年 に 再 度 設 置 さ れ た の で あ った 。
(13 ) 金 太 仁 作 ﹃軍 事 救 護 法 と 武 藤 山 治 ﹄ (
復 刻 版 ) 一九 九 六 年 、 日 本 図 書 セ ン タ ー 、 四 五 九 頁 。
⇒
(
救 護 法 の制 定 過 程
価救規則 (
明 治 七 年 一二 月 八 日
庶 甲 第 一八 九 号
内 務 省 庶 務 掛 課 長 通 牒 )、 ﹁価 救 規 則
太 政 官 達 第 一六 二 号 ) は 、 そ の 制 定 後 、 ﹁窮 民 救 助 米 交 付 前 領 収 人 死 亡 ノ 場 合 ハ
相 続 人 、 遺 族 又 ハ財 産 管 理 人 へ仕 払 ノ 件 ﹂ (明 治 二 七 年 六 月
県 治局 長通 牒 )
、 ﹁憎 救 米 石 代 金 ハ日 当 米 二係 ル分 モ 三 ケ 月 分
県 甲 第 二 一 一号
適 用 二関 ス ル 件 ﹂ (明 治 三〇 年 一月
地 方 局 長 通 牒 ) な ど に よ って そ の運 用 の 改 善 が 図
内 務 大 臣 訓 第 二 六 八 号 )、 ﹁救 助 米 代 ハ府 県 庁 所 在 地 公 定 相 場
地 甲第 五 八号
ヲ前 渡 シ過 度 ハ返 納 ヲ 要 セ サ ル件 ﹂ (明 治 三 二 年 三 月
ヲ 以 テ支 給 ス ル モ支 障 ナ キ 件 ﹂ (明 治 四 一年 八 月
ユ ら れ てき た 。 し か し 、 第 一次 世 界 大 戦 後 の戦 後 恐 慌 以 来 の長 期 に わ た る 不 況 の影 響 によ り 、 生 活 困 窮 状 態 に 陥 る 農 民
や 労 働 者 が 大 量 に 発 生 す る と いう 状 況 下 に お い て は、 も は や 伽 救 規 則 で は 対 応 し き れ な く な った 。 そ の ま ま 放 置 す れ
ば ﹁社 会 不 安 ﹂ を 醸 成 す る 恐 れ が あ る た め 、 政 府 は 、 な ん ら か の打 開 策 を 立 案 、 実 施 す る こ と が 必 要 と な った 。
政 府 は 、 失 業 対 策 事 業 、 職 業 紹 介 事 業 な ど の防 貧 事 業 を 実 施 す る 一方 、 公 益 質 屋 、 公 設 市 場 を 開 設 す る な ど の経 済
現 行 位 救 規 則 は 救 助 及 び 其 の費 用 負 担 の主 体 不 明 にし て被 救 助資 格 甚 だ し く 制 限 的 な り 、又救 助 額過 少 の みな ら ず 救 助 方 法
一般 救 護 に関 す る体 系
そ れ は 、 つぎ のよ う な 内 容 であ った 。
臣 に答 申 し た。
は 、 内 務 省 社 会 局 作 成 の 原 案 を 基 に ﹁一般 救 護 に関 す る 体 系 ﹂ を ま と め 、 一九 二 七 (昭 和 二 ) 年 六 月 一八 日 、 内 務 大
七 月 に は 、 第 一回会 議 が 開 催 さ れ 、 濱 口内 務 大 臣 が ﹁社 会 事 業 体 系 二関 ス ル件 ﹂ の諮 問 を 行 な った 。 社 会 事 業 調 査 会
政 府 は 、 一九 二 六 (大 正 一五 )年 六 月 二 二 日、 閣 議 決 定 に よ って内 務 省 社 会 局 内 に 社 会 事 業 調 査 会 を 設 置 し た 。 翌
保 護 事 業 を 行 な った 。 さ ら に、 著 し く 制 限 的 で あ った 憎 救 規 則 に代 わ る ﹁普 遍 的 ﹂ な 救 済 法 を 制 定 し よ う と し た 。
20
日本 社会 保 障 法 の形 成 過 程
21
に付 き 規 定 す る所 な く 現 下 社 会 の需 要 に適 応 せざ る を 以 って左 の要 綱 に よ り 救貧 制度 を 確 立 す る こ とを 要 す 。
第 一
一、 廃 疾 、老 衰 、 疾 病 、 幼 弱 者 を 以 って救 貧 の客 体 と し 其 の資 格 範 囲 を 拡 張 す る こと 。
二、 救 助 は 原 則 と し て被 救 助 者 の住 所 地 市 町 村 の義 務 と し 国 及び 道 府 県 は 市 町 村 の救 助 費 に対 し 一定 の補 助 を な す こ と。
三 、 救 助 は 居 宅 、 委 託 及び 収 容 救 助 の方 法 によ る こと 。
四、 救 助 は 現 金 、 現 品 給 与 又 は 医 療 とす る こ と。
五、 救 助 の為 必 要 に応 じ 方 面 委 員 の如 き 機 関 を 設 く る こと。
六、 道 府 県 又 は市 町 村 は 必 要 に応 じ養 老 院、 施 療 病 院 、 育 児 院 等 の施 設 を な し 国 は之 が 助 成 の方 法 を 講 ず る こ と。
第二
失 業 者、 労 働 忌 避 者 等 労 働 能 力 あ る 者 は 前 各 号 によ る 救 貧 制 度 よ り 除 外 し 特 別 な る方 法 を 講 ず る こと 。
老 年 、 疾 病 、廃 疾 等 に付 き ては 漸 次 社会 保 険 制度 を 確 立 し 又 は 拡 張 す る こと 。
私 人 又は 団体 の経 営 す る 前 項 の施 設 に対 し て国 又 は 公 共 団 体 に於 て之 が助 成 を 為 す こと 。
第三
き こ の 答 申 を 基 礎 と し 、 か つイ ギ リ ス、 フ ラ ン ス 、 ド イ ツ 、 オ ー ス ト リ ア な ど の 諸 外 国 の 救 貧 立 法 を 参 照 し つ つ ﹁救
護 法 案 ﹂ が 立 案 さ れ た ので あ った 。
救 護 法 案 は 、 一九 二 八 (昭 和 三 ) 年 の総 選 挙 後 の い わ ゆ る ﹁政 実 協 定 ﹂ に従 い、 政 友 会 の 田 中 義 一内 閣 に よ り 、 一
九 二九 (
昭 和 四 ) 年 三 月 一七 日 、 第 五 六 回 通 常 帝 国 議 会 (
昭 和 三 年 一二 月 二 四 日 召 集 、 二 六 日開 院 式 、 昭 和 四年 三 月
二 五 日 閉 会 ) へ提 出 さ れ た 。 会 期 終 了 直 前 の抜 き 打 ち 的 提 出 で あ った 。 そ のた め 、 衆 貴 両 院 に お い て、 多 く の非 難 が
な さ れ た 。 ま た 、 法 案 の慎 重 な 審 議 を 期 す る た め 会 期 延 長 が 求 め ら れ た 。 し か し 、 同 法 案 は 、 三 月 一九 日 に 衆 議 院 、
三 月 二 三 日 に貴 族 院 を 通 過 し た 。 三 月 二 三 日 に成 立 し た ﹁救 護 法 ﹂ は 、 一九 二 九 (昭 和 四 ) 年 四 月 二 日 、 法 律 第 三 九
号 を 以 て 公 布 さ れ た 。 同 法 に は 、 衆 議 院 に お い て ﹁本 法 ハ昭 和 五 年 度 ヨリ 之 ヲ 実 施 スベ シ﹂ と い う 付 帯 決 議 が 付 さ れ
て い た 。 け れ ど も 、 同 法 が 施 行 さ れ た の は 、 財 政 的 な 理 由 も あ り 一九 三 二 (
昭 和 七 )年 一月 一日 で あ った 。
と こ ろ で、 救 護 法 の制 定 理 由 であ る が 、 と き の内 務 大 臣 望 月 圭 助 は 、 救 護 法 案 の帝 国 議 会 提 出 にさ き だ つ 一九 二九
(
昭 和 四 ) 年 三 月 六 日 、 閣 議 請 議 案 のな か で つぎ の よ う に述 べ て い る 。 ﹁朝 近 社 会 経 済 事 情 の変 遷 に 伴 ひ 国 民 生 活 不
安 の度 益 々深 刻 を 加 へ窮 民 の数 著 し く 増 加 の傾 向 に 在 り 之 が 匡 救 の方 途 と し て 一面 防 貧 的 施 設 の普 及 を 図 る べ き は 言
を 侯 た ざ る 所 な る も 他 面 一般 的 救 貧 制 度 の整 備 を 期 す る は 国 民 生 活 の不 安 を 蔓 除 し 思 想 の 動 揺 を 防 止 す る 上 に 於 て 最
も 緊 喫 の要 務 な り と す 然 る に 我 国 に於 け る 現 行 救 貧 制 度 と し て は 明 治 四年 太 政 官 布 告 棄 児 養 育 米 給 与 方 及 明 治 七 年 太
政 官 達 伽 救 規 則 あ る も 何 れ も 其 の 規 定 内 容 不 備 に し て現 下 社 会 の実 情 に適 せず 、 到 底 救 貧 の目 的 を 達 す る こ と 能 わ ざ
る 状 況 に 在 り 依 て 之 が 根 本 的 改 善 の趣 旨 を 以 て別 紙 救 護 法 [
略 ] を 制 定 せ ん と す 是 れ 本 案 提 出 の 理 由 な り ﹂
と いうも
のであ る。
ま た 、 望 月 内 務 大 臣 は 、 法 案 の衆 議 院 へ の上 程 第 一日 目 に、 同 院 に お い て ﹁我 国 二於 キ マ シ テ ハ古 来 ノ美 風 タ ル家
族 制 度 及 隣 保 相 扶 ノ 情 誼 ガ 存 シ テ居 リ マ スノ デ 本 法 案 ハ実 二是 等 ノ淳 風 美 俗 ヲ 尊 重 致 シ マ スト 共 二・ 更 二進 ンデ 現 在
持 のた め と い う こと が 考 え ら れ る 。 換 言 す れ ば 、 わ が 国 の伝 統 で あ る 家 父 長 主 義 的 体 制 の維 持 のた め と い う こ と で あ
る 。 つま り 、 濫 救 を 防 止 し 、 財 源 を 節 約 す る 意 図 だ った の で あ る 。 第 二 に は 、 反 体 制 的 傾 向 の緩 和 、 す な わ ち 体 制 維
そ れ で は 、 な ぜ こ の よ う な 運 用 方 針 に し よ う と し た の であ ろ う か。 まず 、 第 一に考 え ら れ る の は 、 財 政 的 問 題 で あ
す る意 味 を 半 減 さ せ る も ので あ った 。
ら 、 そ の及 ぼ な い 部 分 を 補 う ﹂ と い う も ので あ った 。 これ は 、 ま さ し く 憧 救 規 則 の延 長 で あ り 、 新 し く 救 護 法 を 制 定
ま た 、 同 法 の 運 用 方 針 に つい て は 、 ﹁古 来 の美 風 た る 家 族 制 度 お よ び 隣 保 相 扶 の情 誼 な ど の淳 風 美 俗 も 尊 重 し な が
安 ﹂ の 醸 成 を 防 止 す る こ と で あ る こ とが わ か る 。
これ ら の発 言 か ら 、 救 護 法 の制 定 目 的 は 、 ﹁国 民 の生 活 不 安 の蔓 除 ﹂ お よ び ﹁思 想 の動 揺 の防 止 ﹂ に よ り 、 ﹁社 会 不
ト ス ル ノ趣 旨 二外 ナ ラ ヌ ﹂ と い う 発 言 も 行 な って い る 。
ら 社 会 ノ 実 情 二適 応 セ ル制 度 ヲ確 立 致 シ、 其 及 バ ザ ル ヲ補 ウ テ、 以 テ 国 民 生 活 ノ 不 安 ト 思 想 ノ動 揺 ヲ 防 止 スル ニ努 メ ン
22
る 。 運 用 方 針 に は 、 こ のよ う な 意 図 が 込 め ら れ て い た ので あ る 。
﹁国 民 の生 活 不 安 の蔓 除 ﹂ お よ び ﹁思 想 の動 揺 の防 止 ﹂ に よ り ﹁社 会 不 安 ﹂ の醸 成 を 防 止 す る と いう 目 的 を 持 った
な やり とりが 行 なわ れ 草
⇔
O
﹁今 日 児 童 保 護 ノ 一般 ノ 施 設 ハ最 低 十 四 歳 ヲ 以 テ 限 度 ト シ テ 居 ル﹂ の に 、 ﹁十 三 歳 ト 云 フ ノ ハ ド ウ イ フ訳 ﹂ か 。
﹁老 衰 者 ノ 年 齢 ヲ 六 十 五 歳 卜 云 フ標 準 二依 テ ﹂ い る が 、 こ れ は 、 ﹁年 齢 ガ 山
口
同キ ニ ス ギ ナ イ ヵ ﹂。
ノ デ ハ ナ イ ヵ ﹂。
救 護 機 関 に つ い て は 、 ﹁行 政 機 関 二余 リ ニ重 キ ヲ 置 キ ス ギ ル ノ デ ハ ナ イ カ 、 殊 二市 町 村 二重 キ ヲ 置 キ 過 ギ ル
扶 養 義 務 者 ノ 範 囲 ハ、 直 二採 ツ テ 本 案 二適 用 サ レ ル ﹂ の か 。 ﹁範 囲 ガ 余 リ ニ広 過 ギ ハ シ ナ イ カ ﹂。
﹁救 護 ヲ 受 ク ベ キ 者 ノ 扶 養 義 務 者 扶 養 ヲ ナ ス コト ヲ 得 ル ト キ ハ之 ヲ 救 護 セ ズ ﹂ と あ る が 、 ﹁我 国 ノ 民 法 上 ノ
四
ω
そ し て 、 救 護 法 案 の 問 題 点 の 指 摘 、 お よ び 同 法 案 の 疑 問 点 に つい て の 質 問 を 行 な った 。
し ている。
友 会 ハ、 現 政 府 ハ社 会 政 策 ヲ翻 弄 ス ル モ ノデ ア ル ト 言 ハ レ テ モ何 等 ノ弁 解 ノ 辞 ハ ナ イ デ ア ラ ウ﹂ と政 府 の態 度 を 批 判
ノ 出 来 ル ヤ ウ ニ、 何 故 二準 備 サ レ ナ イ ノ ヵ 、 洵 二不 審 二堪 ヘナ イ ノ デ ア リ マ ス、 (中 略 ) 斯 様 ナ 態 度 デ ハ (中 略 )、 政
ハ ソ レ 程 喫 緊 事 デ ア ル ト 思 バ レ ル ナ ラ バ 、 議 会 ノ 冒 頭 二於 テ 之 ヲ 提 案 シ 、 通 常 一般 予 算 ノ 上 二其 予 算 ヲ 取 入 レ ル コ ト
果 シ テ 社 会 政 策 ヲ 高 唱 シ 、 社 会 政 策 ヲ 本 当 二真 剣 二 遂 行 シ ヤ ウ ト ス ル 者 ノ 態 度 デ ア リ マ セ ウ カ ド ウ カ 、 (中 略 ) 政 府
ハ、 左 様 二窮 迫 シ タ ル 、 切 迫 シ タ ル 所 ノ 此 法 案 ヲ 、 会 期 ガ 将 二終 ラ ン ト ス ル 今 日 、 ヤ ツ ト 菟 二 提 案 ス ル ト 云 フ コ ト ハ、
会 不 安 ヲ 一掃 ス ル タ メ ニ、 最 モ 必 要 ナ ル 喫 緊 事 デ ア ル ト 言 ハ レ テ 居 ル ノ デ ア リ マ ス 、 而 モ 私 ノ ソ コデ 御 伺 シ タ イ コト
松 田 は 、 救 護 法 案 の 議 会 へ の 提 出 が 会 期 終 了 間 際 に な った こ と に つ い て ﹁今 日 二於 テ ハ此 法 案 ハ非 常 ナ ル 今 日 ノ 社
ま ず 、 社 会 事 業 界 出 身 の松 田 千 代 議 員 の質 問 で あ る 。
救 護 法 案 は ・ 帝 国 議 会 で の審 議 に 付 さ れ た ・ 議 会 で は ・ 救 護 法 案 に 関 し て つぎ の 考
日本 社会 保 障 法 の形 成 過 程
23
㈲
㈲
㈹
㈹
(中 略 ) 惰 民 ヲ 養 成 ス ル ト 云 フヤ ウ ナ 結 果 ヲ 生 ズ ル コト ニ ナ リ ハ シ ナ イ カ ﹂。
﹁方 面 委 員 制 度 ガ 今 日 現 存 シ テ 居 ル ノ ニ、 何 故 二 (中 略 ) 救 護 委 員 ヲ 設 ケ ル ノ デ ア ル カ ﹂・ ﹁救 護 ノ 重 複 ヲ 来
シ、 墜 ニ ハ 濫 救 二陥 リ
﹁相 当 二此 救 護 施 設 ﹂ に ﹁重 キ ヲ 置 イ テ 居 ル ﹂ よ う だ が 、 ﹁寧 ロ モ ウ 少 シ 徹 底 的 二個 人 的 ナ ル 救 助 ト 云 フ コト
ニ シ テ 、 院 内 救 助 ヲ 廃 ス ル ヤ ゥ ナ 方 針 ヲ 執 ラ レ ル コ ト ガ 、 今 日 ノ 時 代 精 神 二合 フ モ ノ デ ハ ナ イ ヵ ﹂・
リ
﹁救 護 費 ハ 市 町 村 ガ 半 額 負 担 ス ル ト 云 フ コト ニ ナ ツ テ居 ﹂ る が 、 ﹁面 倒 ナ ル 救 護 ノ 事 務 ヲ 執 リ ナ ガ ラ 其 救 護 費
ヲ 半 分 迄 負 担 ス ル ﹂ と い う こ と に な って は 、 ﹁其 地 方 ノ 市 町 村 ノ 権 力 者 ハ 救 護 ヲ 忌 避 ス ル ト 云 フ 結 果 ニ ナ
ハ シ ナ イ ヵ ﹂。 本 来 な ら 、 ﹁国 家 ガ 大 部 分 其 責 任 ヲ 持 ツ テ 、 自 ラ 之 ヲ 行 フ﹂ と い う こ と に す べ き で は な い の か ・
﹁故 意 二救 護 ノ 任 務 ヲ 怠 ツ タ 者 二対 ス ル 罰 則 ノ ナ イ ノ ハ ド ウ 云 フ 訳 ﹂ か 。
こ れ ら の 点 に つい て 、 長 岡 隆 一郎 政 府 委 員 は 以 下 の よ う な 説 明 を 行 な った 。
ま ず 、 O お よ び ⇔ に つ い て は 、 ﹁是 ハ 程 度 ノ 問 題 デ ゴ ザ イ マ ス ガ 、 格 別 之 二付 テ 数 学 的 基 礎 ハゴ ザ イ マ セ ヌ ケ レ ド
モ 、 先 ヅ 老 者 ニ ア ツ テ ハ 六 十 五 歳 以 上 、 幼 者 ニ ア ツ テ ハ 十 三 歳 以 下 ト 云 フ コト ヲ 適 当 ト 考 ヘタ 次 第 デ ゴ ザ イ マ ス ﹂ と
答 え ている。
口 に つい て は 、 ﹁之 ヲ 民 法 ノ 扶 養 義 務 者 ト 解 ス ル 結 果 、 扶 養 義 務 者 ガ 遠 方 二 居 ル ヤ ウ ナ 場 合 ニ ハ ・ 扶 養 ガ 行 届 カ ヌ
デ ハ ナ イ ヵ ト 云 フヤ ウ ナ 御 懸 念 ガ ゴ ザ イ マ シ タ ガ 、 是 ハ 本 案 ノ 第 二 十 七 条 中 二其 点 ヲ 慮 リ マ シ テ ﹁窮 迫 ノ 事 情 ア ル 場
Aロバ 此 ノ 限 リ ニ ア ラ ズ ﹂ ト 云 フ コ ト ニ致 シ マ シ テ 、 其 救 済 ノ 途 ヲ 開 イ テ 居 ル 訳 デ ゴ ザ イ マ ス﹂ と 答 え て い る ・
四 に つい て は 、 ﹁第 一 ニ ハ 家 族 制 度 、 第 ニ ニ ハ隣 保 相 助 ノ 風 習 ヲ 尊 重 ス ル 、 然 ラ ザ ル 者 ハ 公 費 二依 テ 救 護 ス ル 立 前
ニナ ツ テ居 リ マ ス﹂ と 答 え て い る 。
ノ制
㈲ に つ い て は 、 ﹁本 法 二救 護 委 員 ト 云 フ名 称 ハゴ ザ イ マ セ ヌ ガ 、 特 二委 員 ト 書 イ テ ア リ マ シ タ ノ ハ 従 来 ノ 方 面 委 員
ノ 制 度 ヲ 其 儘 本 法 二取 入 レ ル 積 リ デ ア リ マ ス 。 従 来 保 護 ノ 規 定 ガ ナ イ ニ拘 ラ ズ 相 当 発 達 シ テ 居 リ マ シ タ 方 面 委 員
日本 社会 保 障 法 の形 成 過 程
25
度 ヲ 打 壊 シ テ 、 新 二特 別 ノ 委 員 ヲ 作 ル ト 云 フヤ ウ ナ 意 思 ハ 毛 頭 ゴ ザ イ マ セ ヌ 。 現 在 存 在 シ テ 居 リ マ ス所 ノ 方 面 委 員 二
対 シ テ 、 之 二法 律 的 ノ 根 拠 ヲ 与 ヘ テ 、 其 儘 此 法 案 ノ 中 二取 入 レ タ イ ﹂ と 答 え て い る 。
伝 に つ い て は 、 ﹁居 宅 居 住 ト 云 フ コト ヲ 原 則 ト 致 シ タ イ ト 考 ヘテ 居 リ マ ス。 併 シ ナ ガ ラ 老 人 ガ 児 童 ヲ 虐 待 ス ル 常 習
ノ ア ル 者 即 チ 居 宅 救 護 ヲ 不 可 ト ス ル ヤ ウ ナ 事 情 ノ ア ル 者 二対 シ マ シ テ ハ 巳 ム ヲ 得 ズ 例 外 ト シ テ 院 内 救 護 ヲ 認 メ タ イ ﹂
と答 え て いる。
㈲ に つ い て は 、 ﹁市 町 村 ニ ハ 約 四 分 ノ 一ノ 負 担 ハ 命 ジ テ 居 リ マ ス 。 即 チ 府 県 ト 市 町 村 ト ヲ 加 ヘ ル ト 約 半 額 ニナ リ マ
ス ガ 、 全 額 ヲ 国 ノ 事 業 ト シ テ 、 国 庫 デ 之 ヲ 受 持 ッ ト 云 フ コト モ 一ッ ノ 見 方 デ ハ ゴ ザ イ マ ス ケ レ ド モ 、 併 シ ナ ガ ラ 市 町
村 ガ 之 二付 テ 、 財 政 的 二何 等 ノ 関 係 ガ ナ イ ト 云 フ ヤ ゥ ナ 態 度 二 出 デ マ ス ト 、 (中 略 ) 濫 救 ノ 弊 ヲ 生 ズ ル 虞 ガ ア リ マ ス
カ ラ 、 (中 略 ) 市 町 村 デ 四 分 ノ 一位 ノ 費 用 ヲ 負 担 ス ル コ ト ガ (中 略 ) 濫 救 ト 云 フ ヤ ゥ ナ 弊 ヲ 防 グ 一ツ ノ 理 由 ニ モ ナ ラ
ウ カ ト 云 フ コ ト ガ 提 案 ノ 趣 旨 デ ゴ ザ イ マ ス﹂ と 答 え て い る 。
⑳ に つ い て は 、 ﹁行 政 官 庁 ノ 内 部 ノ 監 査 官 二 依 テ 相 当 二処 理 シ 得 ル 見 込 デ ゴ ザ イ マ ス ヵ ラ 、 特 二制 裁 ノ 規 定 ヲ 置 キ
マ セ ヌ ノ デ ゴ ザ イ マ ス﹂ と 答 え て い る 。
つぎ は 、 内 ヶ 崎 三 郎 議 員 の 質 問 に つい て で あ る 。 こ こ で は 、 と く に 、 O 救 護 法 を 施 行 す る た め の 財 源 に つ い て の 質
問 、 お よ び ⇔ 法 案 審 議 を 慎 重 に 行 な う た め の 会 期 延 長 に つい て の質 問 を 取 り 上 げ る こ と にす る ・
ま ず 、 財 源 に つ い て 、 内 ヶ 崎 議 員 は 、 ﹁徹 底 的 二 此 救 護 法 ナ ル モ ノ ヲ 実 行 ス ル タ メ ニ ハ 、 莫 大 ナ ル 所 ノ 費 用 ヲ 捻 出
ス ル カ ト 云 フ コ ト ニ ナ レ バ 、 或 ハ 軍 備 ノ 一部 ヲ 制 限 デ モ シ テ 、 其 費 用 ヲ 向 ケ ル ヨ リ 外 ハ ナ イ ヵ ト モ 思 フ ノ デ ア リ マ シ
テ 、 斯 ル 重 要 ナ ル 法 案 ヲ 提 出 シ タ ル 政 府 当 局 ハ 、 万 々 一ノ 場 合 ニ ハ 、 軍 備 マデ モ 或 程 度 マ デ 縮 小 シ テ 、 此 法 案 ノ 精 神
ヲ 貫 徹 ス ル ト 云 フ誠 心 誠 意 ア ル ヤ 否 ヤ ヲ 御 尋 ネ シ タ イ ノ デ ア リ マ ス﹂ と 述 べ た 。
こ れ に 対 し 大 口 喜 六 政 府 委 員 は 、 ﹁将 来 行 フ 上 二 於 キ マ シ テ モ 、 地 方 自 治 体 ト 云 フ モ ノ ニ矢 張 重 キ ヲ 置 キ マ シ テ 、
26
日 本 古 来 ノ 歴 史 ノ 上 二美 シキ 風 ガ 残 ツ テ居 ル我 国 ノ 美 風 ヲ何 処 マデ モ存 続 致 シ テ、 地 方 自 治 体 ガ 先 ヅ 隣 保 相 助 ケ ル、
ソ レ ニ向 ツ テ 国 家 モカ ヲ 尽 ス、 即 チ 国 家 ト 自 治 体 ガ 相 侯 ッ テ此 救 佃 ノ制 度 ヲ全 カ ラ シ メ テ 、 英 国 ノ 如 キ 弊 害 ヲ造 ラ セ
タ ク ナ イ ト 云 フノ ガ 我 々ノ 考 ヘデ アリ マ ス﹂。 ﹁ソ レ故 二私 共 ハ只 今 御 引 キ ニナ ツ タ例 ノ如 ク、 大 ナ ル 金 ガ 要 ル ヤ ウ ナ
コト ニ ハナ ラ セ タ クナ イ ノ デ ア リ マ ス﹂ と 答 弁 し た 。
ま た 、 ⇔ 会 期 の延 長 に つい て 同 議 員 は 、 ﹁此 救 護 法 案 ヲ 練 リ ニ練 ツ テ国 民 ヲ シ テ 十 分 二了 解 セ シ ム ル コト ノ 出 来 ル
程 度 二於 テ衆 議 院 及 ビ 貴 族 院 二於 テ慎 重 審 議 スル タ メ ニ ハ、 三 日デ モ 五 日 デ モ延 長 シ テ差 支 ナ イ ト 思 フ ノデ ア リ マ ス
ガ 、 (中 略 ) 何 故 二此 救 護 法 案 ヲ 吾 々ガ 議 会 二於 テ 十 分 二慎 重 審 議 シ ナ ケ レ バ ナ ラ ナ イ カ ト 申 セ バ 、 此 法 案 ガ 動 機 ト
ナ リ マ シ テ将 来 我 国 二於 テ多 ク ノ 社 会 政 策 、 新 シイ 社 会 政 策 ヲ実 行 シ ナ ケ レバ ナ ラ ナ イ ヤ ウ ニナ ルダ ラ ウ ト 思 フカ ラ
デ ア リ マ ス。 (中 略 ) 此 重 要 ナ ル 所 ノ 法 律 案 ヲ 慎 重 審 議 ス ル 暇 ガ ナ イ ト 云 フ ノ ハ要 スル ニ遅 レ テ 出 シ タ ト 云 フ コト ガ
政 府当 局 ノ手落 デ ア (
り )、 (中 略 ) 政 府 ハ斯 ル 重 要 ナ ル 法 案 ヲ 慎 重 審 議 ス ル為 ニ ハ、 (
中 略 ) 会 期 ヲ延 長 シ テ十 分 二
慎 重 審 議 スル (
中 略 ) 決 心 ア リ ヤ 否 ヤ 併 セ テ之 ヲ承 リ タ イ ト 思 フノデ ア ー-・マ ス﹂ と述 べ た 。
こ の質 問 に は 、 望 月 内 務 大 臣 が 答 え た 。 彼 の答 え は 、 ﹁サ ウ 云 フ コト ハ考 ヘテ居 リ マ セ ヌ ﹂ と いう も の で あ った 。
こ れ ら 二議 員 の衆 議 院 に お け る 質 問 に 対 す る 内 務 大 臣 お よ び 政 府 委 員 の答 弁 、 お よ び 救 護 法 案 の議 会 へ の提 出 時 期
な ど か ら は 、 救 護 法 の制 定 、 運 用 に 対 す る 政 府 の 不 真 面 目 な 姿 勢 が 読 み 取 れ る 。
た と え ば 、 救 護 法 案 の議 会 への提 出 は 、 会 期 の差 し 迫 った 三 月 一七 日 で あ った 。 そ の後 、 三 月 一九 日 に 衆 議 院 を 通
過 し 、 三 月 二 三 日 に は 貴 族 院 も 通 過 、 法 律 と し て成 立 し て い る。 こ の よ う な 短 日時 の 間 に 満 足 の い く 審 議 が で き る は
ず が な い。 そ のた め 、 内 ヶ崎 議 員 ら が 政 府 に対 し 、 会 期 を 延 長 し 、 も っと 慎 重 に審 議 を 行 な う よ う に要 請 し た 。 そ れ
にも か か わ ら ず 、 政 府 は 、 内 ヶ崎 議 員 ら の要 請 を 簡 単 に拒 絶 し た 。 そ し て、 形 だ け の審 議 を 行 な った 。 こ れ は 、 議 会
制 民 主 主 義 を 蔑 ろ にす る も の で あ り 、 許 さ れ べ か ら ざ る 行 為 で あ った 。
ま た 、 法 案 の内 容 に つい て は 、 望 月 内 務 大 臣 が ﹁政 府 ト シ テ ハ此 法 案 ヲ得 ル ニ付 キ マ シ テ ハ、 種 々 二調 査 ヲ積
ミ研
究 ヲ 重 ネ タ ノデ アリ マ ス﹂ と 述 べ て い る。 それ にも か か わ ら ず 、 松 田議 員 が 救 護 法 の適 用 対 象 者 の年 齢 に 関 し て ・ 老
衰 者 を 六 五 歳 以 上 、 幼 者 を 一三 歳 以 下 と し た 理 由 を 尋 ね た 際 、 答 弁 に 立 った 政 府 委 員 の 長 岡 隆 一郎 は 、 ﹁是 ハ程 度 ノ
問 題 デ ゴ ザ イ マ スガ 、 格 別 之 ニ ッ イ テ数 学 的 基 礎 ハゴ ザ イ マセ ヌ﹂ と い う よ う な と ぼ け た こ と を 述 べ て い る ・
さ ら に、 同 議 員 が 故 意 に 救 護 の任 務 を 怠 った 者 に対 す る 罰 則 規 定 を 設 け て い な い 理 由 を 質 し た の に 対 し 、 長 岡 政 府
委 員 は 、 ﹁行 政 官 庁 ノ内 部 ノ 監 査 官 二依 テ相 当 二処 理 シ得 ル 見 込 デ ゴ ザ イ マ ス カ ラ、 特 二制 裁 ノ 規 定 ヲ 置 キ マセ ヌ ノ
デ ゴ ザ イ マ ス﹂ と 答 え て い る 。 と いう こ と は 、 救 護 担 当 者 が 故 意 に 職 務 を 怠 っても そ の事 実 が 公 に な ら ず 秘 密 裏 に 処
理 さ れ 、 お ま け に 何 の制 裁 も 受 け な い と い う 可能 性 も 出 て く る。 こ れ で は 、 役 人 の怠 慢 を 助 長 し 、 救 護 の円 滑 な 実 施
を 不 可 能 に す る こ と に な る 。 そ れ に も か か わ ら ず 、 政 府 は 、 制 裁 規 定 を 設 け な い 方 針 で 行 こ う と し た 。 こ のよ う な 政
こ の程 度 で あ る 。 そ れ 以 外 の 者
ニ ニ ハ隣 保 相 助 ノ風 習 ヲ尊 重 ス ル、 然 ラ ザ ル者 ハ公 費 二依 テ救 護 スル立 前 ニナ ツ テ居 リ マ ス﹂ と 答 え て い る・ 完 全 に
そ の 端 的 な 例 が 、 松 田議 員 の質 問 に 対 す る 長 岡 政 府 委 員 の 答 弁 で あ る 。 彼 は 、 ﹁斯 ル 問 題 ハ第 一ニ ハ家 族 制 度 、 第
の考 え 方 が ど のよ う な も の か は 、 推 し て 知 る べ し で あ る 。
ト ニナ リ ハ シ ナ イ カ ﹂ と い う 発 言 を 行 な って い る 。 ﹁
社 会 事 業 家 ﹂ を 語 る 者 の発 言 が
す る 質 問 に お い て は 、 ﹁救 護 ノ重 複 ヲ来 シ、 墜 ニ ハ濫 救 二陥 リ 、 (中 略 )惰 民 ヲ養 成 ス ル ト 云 フヤ ウ ナ 結 果 ヲ生 ズ ル コ
スギ ル ノデ ハナ イ ヵ 、 殊 二市 町 村 二重 キ ヲ置 キ スギ ル ノデ ハナ イ ヵ﹂ と いう 発 言 を 行 な った 。 さ ら に 、 救 護 委 員 に関
議 員 は 、 社 会 事 業 界 出 身 であ った に も か か わ ら ず 、 救 護 機 関 に 関 す る 質 問 に お い て 、 ﹁行 政 機 関 二余 リ ニ重 キ ヲ置 キ
相 当 遅 れ て いた こ と が 読 み取 れ る 。 す な わ ち 、 両 者 と も ﹁封 建 的 ﹂ な 考 え の持 ち 主 で あ った の で あ る 。 と く に ・ 松 田
ま た 、 救 護 機 関 に 関 す る 松 田議 員 と長 岡 政 府 委 員 の や り と り か ら は 、 政 府 お よ び 議 会 の公 的 扶 助 に 対 す る 考 え 方 が
府 の態 度 は 、 松 田議 員 の 言 葉 を か り れ ば 、 ﹁社 会 政 策 を 翻 弄 す る も の﹂ で あ り 、 許 す こ と が で き な いも ので あ った 。
日本社 会 保 障法 の形 成 過程
27
﹁封 建 的 ﹂ な 考 え 方 に基 づ く 答 弁 で あ る。 こ れ で は 、 憧 救 規 則 の考 え 方 と か わ り が な い。 結 局 、 政 府 も 議 会 も ﹁封 建
的 ﹂ 考 え 方 に 支 配 さ れ て い た の で あ る 。 そ のよ う な 状 況 で 救 護 法 案 の審 議 が 進 め ら れ た の であ った 。 完 成 し た 救 護 法
救 護法 の内容
が ど の程 度 のも の か は 、 容 易 に想 像 が つく で あ ろ う 。
⇒
(
救 護 法 は 、 一九 二 九 (昭 和 四 )年 三月 二 三 日成 立 し た 。 そ し て、 同 年 四 月 二 日 、 法 律 第 三 九 号 を も って公 布 さ れ た 。
同 法 に は 、 衆 議 院 に お い て ﹁本 法 ハ昭 和 五年 度 ヨ リ 之 ヲ実 施 ス ベ シ﹂ と い う 付 帯 決 議 が 付 さ れ て いた 。 け れ ど も 、 田
中 義 一内 閣 のあ と を 受 け た 民 政 党 の濱 口雄 幸 内 閣 が 、 救 護 法 を 運 用 す る た め の予 算 を 計 上 し な か った た め 、 同 法 の施
行 は 遅 れ る こ と に な った 。 紆 余 曲 折 の 末 同 法 が 施 行 さ れ た のは 、 一九 三 二 (
昭 和 七 ) 年 一月 一日 の こ と で あ った。
制 定 さ れ た 救 護 法 は 、 以 下 のよ う な 内 容 で あ った 。
第 一章 被 救 護 者 (
第 一条 - 第 二条 )、 第 二章 救 護 機 関 (
第 三条 - 第 五 条 )
、第 三章 救 護施 設 (
第 六条 - 第 九 条 )、 第
四章 救 護 ノ種 類 及 方 法 (第 一〇 条 - 第 一七 条 )、 第 五 章 救 護 費 (
第 一八 条 - 二 八条 )、 第 六 章 雑 則 (
第 二九条- 第 三三
条 ) と いうも のであ る。
同 法 は 、 第 一条 に お い て ﹁
左 二掲 グ ル 者 貧 困 ノ為 生 活 スル コト能 ハザ ル ト キ ハ本 法 二依 リ 之 ヲ救 護 ス﹂ と 規 定 し た 。
こ れ は 、 ﹁公 的 救 護 義 務 主 義 ﹂ に 立 つこ と を 明 ら か に し た も の で あ った 。 し か し 、 要 救 護 者 の ﹁扶 助 請 求 権 ﹂ に つい
ヨ て は 、 な ん ら 規 定 し て いな か った 。 す な わ ち 、 要 救 護 者 は ﹁市 町 村 長 が 救 護 義 務 を 負 う 結 果 救 護 を 受 く べ き 地 位 に 在
る﹂ に す ぎ な か った 。
ま た 、 救 護 法 は 、 典 型 的 な ﹁制 限 扶 助 主 義 ﹂ に 立 って い た 。 同 法 第 一条 に 規 定 さ れ て い る 救 護 対 象 者 は 、 ﹁六 十 五
歳 以 上 ノ 老 衰 者 ﹂、 ﹁十 三 歳 以 下 ノ幼 者 ﹂、 ﹁
妊 産 婦 ﹂、 ﹁不 具 療 疾 、 疾 病 、 傷 疲 其 ノ他 精 神 又 ハ身 体 ノ 障 碍 二依 リ 労 務 ヲ
日本社会保障法の形成過程
29
行 フ ニ故 障 ア ル 者 ﹂ に 限 定 さ れ て いた 。 そ のた め 、 失 業 者 お よ び 労 働 忌 避 者 は 、 救 護 法 に よ って は 救 済 さ れ る こ と は
な か った 。 と く に、 失 業 者 の救 済 は 、 職 業 紹 介 、 失 業 土 木 救 済 事 業 、 失 業 保 険 で行 な う こ と が 適 当 であ る と 考 え ら れ
て い た か ら で あ った 。 し た が って、 慢 性 的 不 況 下 に お い て増 加 し 続 け る 失 業 者 に と って は 、 救 護 法 は 消 極 的 意 味 し か
持 た な か った 。 す な わ ち 、 間 接 的 な 失 業 緩 和 に し か 役 立 た な か った の で あ る 。
第 二 条 で は 、 ﹁前 条 ノ 規 定 二依 リ 救 護 ヲ 受 ク ベ キ 者 ノ 扶 養 義 務 者 扶 養 ヲ 為 ス コト ヲ 得 ル ト キ ハ 之 ヲ 救 護 セ ズ ﹂ と 規
定 し 、 ﹁補 足 性 の 原 則 ﹂ に 立 つ こ と を 明 ら か に し て い る 。 し か し 、 同 時 に ﹁急 迫 ノ 事 情 ア ル 場 合 二於 テ ハ 此 ノ 限 二存
ラズ ﹂ と も 規 定 し て い る 。 こ の点 は 、 血 救 規 則 に 比 し格 段 の進 歩 で あ る 。
第 三 条 で は 、 ﹁救 護 ハ 救 護 ヲ 受 ク ベ キ 者 ノ 居 住 地 ノ 市 町 村 長 其 ノ 居 住 地 ナ キ ト キ 又 ハ 居 住 地 分 明 ナ ラ ザ ル ト キ ハ 其
ノ 現 在 地 ノ 市 町 村 長 之 ヲ 行 フ﹂ と 規 定 し て い る 。 つま り 、 市 町 村 長 が 救 護 機 関 の役 割 を 果 し た の で あ る 。 こ の 市 町 村
長 に よ る 救 護 は 、 ﹁居 住 地 主 義 ﹂ を 原 則 と し 、 補 足 的 に ﹁現 在 地 主 義 ﹂ を 採 用 し て い た 。
第 四 条 で は 、 ﹁市 町 村 長 二救 護 事 務 ノ 為 委 員 ヲ 設 置 ス ル コ ト ヲ 得 ﹂ と 規 定 し て い る 。 そ の ﹁委 員 ﹂ は 、 ﹁名 誉 職 ト シ
救 護 事 務 二 関 シ 市 町 村 長 ヲ 補 助 ﹂ す る も の で あ った 。 ﹁委 員 ﹂ に は 、 方 面 委 員 が 充 て ら れ た 。
第 一〇 条 に 規 定 さ れ て い る 救 護 の 種 類 は 、 ﹁生 活 扶 助 ﹂、 ﹁医 療 ﹂、 ﹁助 産 ﹂、 ﹁生 業 扶 助 ﹂ の 四 つ で あ る 。 こ の 他 に 、
第 一七 条 で は 、 ﹁埋 葬 扶 助 ﹂ に つい て 規 定 し て い る 。
ま た 、 救 護 の 方 法 は 、 ﹁居 宅 保 護 ﹂ と ﹁収 容 保 護 ﹂ に 分 か れ て い る 。 し か し 、 原 則 は 、 ﹁居 宅 保 護 ﹂ で あ った 。 ﹁収
容 保 護 ﹂ は 、 補 足 的 な 手 段 で し か な か った 。
と こ ろ で 、 幼 者 の ﹁居 宅 保 護 ﹂ に 関 し て は 、 第 一二 条 で ﹁市 町 村 長 其 ノ 哺 育 上 必 要 ア リ ト 認 ム ル ト キ ハ (中 略 ) 幼
者 ト 併 セ其 ノ 母 ノ救 護 ヲ為 ス コト ヲ 得 ﹂ と 規 定 し て い る 。 し か し 、 母 に よ る 哺 育 の期 間 は 、 制 限 さ れ て い た 。 これ は 、
将 来 ﹁母 子 扶 助 法 ﹂ の制 定 を 予 期 し て いた か ら で あ った 。
30
扶 助 の給 付 方 法 に つい て は 、 金 銭 給 付 が 中 心 で あ った 。
つぎ は 、 救 護 費 用 に つい て で あ る が 、 第 一八 条 お よ び 第 一九 条 で は 、 ﹁其 ノ居 住 地 ノ 市 町 村 ノ 負 担 ト ス﹂ と し て い
る 。 ま た 、 第 二 一条 で は 、 ﹁市 町 村 ノ負 担 二属 セザ ル場 合 二於 テ ハ (
中 略 ) 道 府 県 ノ 負 担 ト ス﹂ と し て い る。
こ の ほ か 、 国 庫 お よ び 道 府 県 の補 助 に つい て の規 定 も 存 在 し た 。
⇔
O
私 人 の 設 置 し た 救 護 施 設 の設 備 に要 す る 費 用
道 府 県 あ る い は 市 町 村 の設 置 し た 救 護 施 設 の費 用
道 府 県 あ る い は 市 町 村 が 負 担 す る 救 護 お よ び 委 員 に 関 す る費 用
国 庫 補 助 に つい て は 、 第 二 五条 一項 で 規 定 し て い る 。 同 項 に お い て は 、 国 庫 が 、
◎
の 二 分 の 一以 内 を 補 助 す る と な って い る 。
⇔
O
私 人 の設 置 し た 救 護 施 設 の設 備 に 要 す る 費 用
市 町 村 の 設 置 し た 救 護 施 設 の費 用
市 町 村 が 負 担 し た 救 護 、 埋 葬 お よ び 委 員 に 関 す る費 用
ま た 、 道 府 県 の補 助 に つい て は 、 第 二 五条 二項 に 規 定 し て い る 。 そ こ に お い て は 、 道 府 県 は 、
日
の 四 分 の 一を 補 助 す る こ と に な って い る 。
第 二 九 条 は、 救 護 の制 限 に 関 し て 規 定 し て い る 。 同 条 は 、 ﹁救 護 ヲ 受 ク ル者 左 二掲 グ ル事 由 ノ 一二該 当 ス ル ト キ ハ
⇔
O
﹁性 行 著 シ ク 不 良 ナ ル ト キ 又 ハ著 シ ク怠 惰 ナ ル ト キ ﹂
﹁故 ナ ク救 護 二関 スル 検 診 又 ハ調 査 ヲ拒 ミ タ ル ト キ ﹂
﹁本 法 又 ハ本 法 二基 キ テ発 ス ル 命 令 二依 リ 市 町 村 長 又 ハ救 護 施 設 ノ 長 ノ為 シ タ ル 処 分 二従 ハザ ル ト キ ﹂
市 町 村 長 ハ救 護 ヲ為 サ ザ ル コト ヲ得 ﹂ と し 、 つぎ の よ う な 事 由 を 掲 げ て い た 。
口
31
日本 社 会保 障 法 の 形成 過 程
法 律 第 一七 号 ) の ﹁欠 格 条 項 ﹂ (
第 二条 ) に 受 け
本 条 は 、 ﹁不 服 申 立 て﹂ に 関 す る 規 定 の欠 如 と の関 連 で 問 題 が あ る 。 ま た 、 本 条 第 三 号 は 、 救 貧 法 的 色 彩 の濃 い 規
定 で 問 題 が あ る 。 これ は、 旧 ﹁生 活 保 護 法 ﹂ (
昭 和 二 一年 九 月 九 日
継 が れ た が 、 厳 し い批 判 に さ ら さ れ た 。
第 三 一条 は 、 ﹁道 府 県 、 市 町 村 其 ノ 他 公 共 団 体 ハ左 二掲 グ ル 土 地 建 物 二対 シ テ ハ租 税 其 ノ他 ノ 公 課 ヲ課 スル コト ヲ
O
﹁主 ト シテ 救 護 施 設 ノ 用 二供 ス ル建 物 ﹂ の敷 地 、 ﹁其 ノ他 主 ト シ テ救 護 施 設 ノ 用 二供 ス ル土 地 ﹂
﹁主 ト シ テ救 護 施 設 ノ 用 二供 ス ル建 物 ﹂
得 ズ ﹂ と し 、 つぎ の よ う な 建 物 お よ び 土 地 を 掲 げ て い る 。
⇔
た だ し 、 ﹁有 料 ニテ之 ヲ 使 用 セ シ ム ル 者 ﹂ に 対 し て は 、 こ の限 り で は な か った 。
こ の ﹁租 税 そ の他 の公 課 の禁 止 ﹂ に つい て の規 定 の適 用 対 象 は 、 救 護 施 設 と し て 用 い る 建 物 お よ び 救 護 施 設 のた め
に 用 い る 土 地 で あ り 、 被 救 護 者 が 給 付 を 受 け た 金 品 は 、 そ の適 用 対 象 に 含 ま れ な か った と は い え 評 価 に値 す る 規 定 で
あ る 。 こ の規 定 は 、 旧 生 活 保 護 法 に 受 け 継 が れ た 。
第 三 二条 は 、 ﹁詐 欺 其 ノ 他 ノ 不 正 ノ 手 段 二依 リ 救 護 ヲ受 ケ 又 ハ受 ケ シ メ タ ル 者 ハ三 月 以 下 ノ懲 役 又 ハ百 円 以 下 ノ 罰
金 二処 ス﹂ と し 、 不 正 な 手 段 に よ る 救 護 受 給 に対 す る 罰 則 を 規 定 し て い る 。 本 条 は 、 被 救 護 者 の権 利 抑 圧 に 利 用 さ れ
か ね な い。 ま さ に救 貧 法 的 な 規 定 で あ る。 こ の規 定 も 旧 生 活 保 護 法 に 受 け 継 が れ た 。
以 上 、 救 護 法 の概 要 を 見 てき た 。 そ の結 果 、 同 法 に は 、 評 価 す べ き 点 と 欠 点 の 両 方 が 混 在 し て い る こ と が わ か る 。
ま ず、 評 価 す べき 点 であ る。
第 一は 、 第 一条 に お い て ﹁公 的 救 護 義 務 主 義 ﹂ に 立 つこ と を 宣 言 し て い る 点 で あ る 。 こ こ で 、 ﹁公 的 救 護 義 務 主 義 ﹂
と は 、 貧 困 者 の救 済 を 公 的 な 義 務 と す る 考 え 方 で あ る 。 救 護 法 が こ の考 え 方 を と り 入 れ た こと は、 従 来 の救 貧 対 策 が 、
地 域 社 会 の 相 互 扶 助 に依 存 し て い た こ と と や や 異 な って い る 。 し か し 、 救 護 法 も 憧 救 規 則 と 同 じ よ う に、 国 が 貧 民 救
済 に 第 一義 的 な 責 任 を 負 う こと な ど は 明 記 し て い な い。 た だ 、 救 護 費 や 救 護 施 設 に 必 要 な 費 用 の 一部 を 国庫 か ら 補 助
金 と し て支 出 す る 旨 の規 定 が あ る だ け であ る。 こ の点 で は 、 救 護 法 は 、 今 日 的 な 公 的 扶 助 制 度 で は な く 、 公 的 扶 助 へ
の過 渡 的 な 救 貧 対 策 法 であ った と いえ る 。
第 二 は 、 第 一条 に 規 定 さ れ て い る 被 救 護 者 の範 囲 が 、
.ま だ ﹁制 限 的 ﹂ で は あ る が 血 救 規 則 に 比 し わ ず か な が ら 拡 大
し て いる点 であ る。
第 三 は 、 第 二条 に お い て は 、 ﹁補 足 性 の 原 理 ﹂ に 立 つこ と を 明 ら か に し て い る が 、 そ れ と 同 時 に ﹁
急 迫 ノ事情 ア ル
場 合 二於 テ ハ此 ノ限 二存 ラ ズ ﹂ と も 規 定 し 、 ﹁急 迫 ノ事 情 ア ル場 合 ﹂ に は 、 ﹁補 足 性 の原 理 ﹂ に基 づ か ず に救 護 を な す
こ と を 明 ら か に し て い る 点 であ る 。
第 四 は 、 第 三条 に お い て ﹁居 住 地 主 義 ﹂ を 原 則 とす る こ と を 宣 言 し て い る 点 で あ る 。
第 五 は 、 第 二章 (
第 三 条 ∼ 第 五条 ) に お い て 救 護 機 関 に つい て 規 定 し て い る点 であ る。
第 六は 、第 三章 (
第 六 条 ∼ 第 九 条 ) に お い て 救 護 施 設 に つい て 規 定 し て い る点 であ る。
第 七 は 、 第 四章 (
第 一〇 条 ∼ 一七 条 ) に お い て 救 護 の 種 類 お よ び 方 法 に つい て規 定 し て い る 点 で あ る。
第 八は 、第 五章 (
第 一八 条 ∼ 二 八 条 ) に お い て 救 護 費 に つい て 規 定 し て い る 点 であ る 。
第 九 は 、 第 三 一条 に お い て救 護 施 設 に 用 い る 建 物 お よ び 救 護 施 設 のた め に 用 いる 土 地 に 対 す る 租 税 そ の他 の公 課 を
のよ う に 系 統 的 に 説 明 し て い る 。
ムほ こ の制 度 的 不 備 に つい て は 、 一九 二 六 (
大 正 一五 )年 当 事 社 会 局 書 記 官 で あ った 富 田愛 次 郎 は 、 そ の主 な 点 を つぎ
救 護 法 に お い て体 系 的 に 整 備 さ れ た も ので あ った 。
以 上 が 救 護 法 の評 価 す べ き 主 な 点 で あ る 。 こ れ ら は 、 血 救 規 則 に お い て は 、 制 度 的 不備 と し て指 摘 さ れ て いた 点 が 、
禁 止 す る 旨 規 定 し て い る 点 であ る 。
32
救助 資 格 が極 め て限定 的 であ る。
救 助 義 務 者 お よ び 経 費 の負 担 区 分 が 不 明 であ る。
む 救助 額 が非 常 に少 な い。
救 助 方 法 が 明 ら か で な い。
監 督 機 関 、 救 貧 機 関 そ の他 法 律 関 係 が 明 ら か でな い。
第 二 に 、 救 護 法 は 、 ﹁制 限 扶 助 主 義 ﹂ を と って い る 。 そ の た め 、 同 法 第 二 条 に 規 定 さ れ た 者 (﹁六 十 五 歳 以 上 ノ老
き ﹁市 町 村 長 が 救 護 義 務 を 負 う 結 果 救 護 を 受 く べ き 地 位 に 在 る ﹂ に す ぎ な か った の で あ る 。
第 一に 、 救 護 法 は 、 救 護 を 要 す る 者 の ﹁
扶 助 請 求 権 ﹂ に つい て 規 定 し て い な い 。 要 救 護 者 は 、 救 護 法 の規 定 に 基 づ
そ れ で は 、 つぎ に救 護 法 の欠 点 に つい て み る こと に す る 。
う と し て い る 趨 勢 の な か で 、 わ が 国 の救 済 法 の中 心 的 法 律 と す べ く 制 定 さ れ た も ので あ った と いえ る 。
こ れ か す れ ば 、 救 護 法 は 、 ま さ に社 会 事 業 が ﹁恩 恵 ﹂ か ら ﹁権 利 ﹂ へ、 ﹁私 的 事 業 ﹂ か ら ﹁公 的 事 業 ﹂ へ移 行 し よ
あ った 。
わ が 国 の基 本 的 救 貧 法 規 で あ った 憧 救 規 則 が 有 し て いた こ のよ う な 基 本 的 欠 陥 は 、 救 護 法 に お い て是 正 さ れ た ので
(五)(四)(三)(二)(一)
第 三 に 、 救 護 法 第 四条 に 基 づ き ﹁救 護 事 務 二関 シ市 町 村 長 ヲ補 助 ﹂ す る た め の ﹁
委 員﹂ が 設け られ た点 であ る。 こ
救 護 法 に 基 づ く 扶 助 は 受 け ら れ な か った ので あ る 。
同 法 に 基 づ く 救 護 を 受 け る こ と は で き な か った 。 社 会 シ ス テ ムが 原 因 で 発 生 す る 失 業 者 な ど は 、 困窮 状 態 に 陥 っても
ム ル ト キ ハ勅 令 ノ 定 ム ル所 二依 リ 幼 者 ト併 セ 其 ノ 母 ノ救 護 ヲ為 ス コト ヲ 得 ﹂) 以 外 は 、 ど ん な に 困 窮 し て い よ う と も
ア ル 者 ﹂)、 お よ び 第 一二条 に規 定 さ れ た 母 (﹁幼 者 居 宅 救 護 ヲ受 ク ベ キ 場 合 二於 テ市 町 村 長 其 ノ哺 育 上 必 要 ア リ ト 認
衰 者 ﹂、 ﹁十 三 歳 以 下 ノ 幼 者 ﹂、 ﹁妊 産 婦 ﹂、 ﹁不 具 療 疾 、 疾 病 、 傷 疲 其 ノ他 精 神 又 ハ身 体 ノ障 碍 二依 リ 労 務 ヲ 行 フ ニ故 障
日本 社 会保 障 法 の 形成 過 程
33
の ﹁委 員 ﹂ に は 、 ﹁方 面 委 員 ﹂ が 充 てら れ た が 、 公 的 救 済 事 業 に 民 間 の者 が 介 入 し てく る と い う 点 は 問 題 が あ る 。 こ
ハぬ の点 に 関 し て は 、 第 二 次 世 界 大 戦 後 の占 領 期 に お い ても G H Q が 問 題 で あ る 旨 指 摘 し て い る 。 そ し て 、 戦 後 のわ が 国
の社 会 保 障 の基 本 指 針 と も な った 一九 四 六 (
昭 和 二 一) 年 二 月 二 七 日付 覚 書 S C A P I N 七 七 五 一社 会 救 済 (公 的 扶
助 )﹂ に お い ても ﹁公 私 分 離 ﹂ が 求 め ら れ た 。
第 四 に 、 救 護 法 に は、 救 護 金 品 への ﹁公 課 の免 除 ﹂、 お よ び 救 護 金 品 の ﹁差 押 え の禁 止 ﹂ を 規 定 す る 条 文 が 存 在 し
法 律 第 ]号 ) に お い て は 、 救 護 金 品 への ﹁公 課 の免 除 ﹂ が 第 一
め な か った 点 で あ る 。 こ の点 は 、 被 救 護 者 の権 利 の擁 護 と の関 わ り に お い て非 常 に 重 要 で あ る 。 救 護 法 以 前 に制 定 、 施
行 さ れ て い た ﹁軍 事 救 護 法 ﹂ (
大 正 六 年 七 月 二〇 日
七 条 、 救 護 金 品 の ﹁差 押 え の禁 止 ﹂ が 第 一八 条 に す で に 規 定 さ れ て い た 。 こ の こ と か らす れ ば 、 救 護 法 に お い ても 規
定 す べ き は ず の事 項 で あ った 。
第 五 に 、 救 護 法 に は 、 ﹁不 服 審 査 ﹂ に 関 す る 規 定 が 存 在 し な か った 点 で あ る 。 こ の点 も 被 救 護 者 の 権 利 の擁 護 と い
う 点 に 関 し て 非 常 に 重 要 で あ る 。 つま り 、 同 法 が 救 護 の実 施 制 限 に 関 す る 規 定 を 第 二九 条 に 設 け て い る こ と と の関 連
勅令
勅 令 第 二〇 六 号 )
で 、 も し 、 市 町 村 長 の 判 断 の 誤 り に よ り 救 護 を 要 す る 者 が 救 護 を 受 け ら れ な い よ う に な った 場 合 、 法 的 に 救 済 す る こ
と が で き ず 、 そ の者 の生 命 に危 険 が 及 ぶ こ と に な る か ら で あ る 。
こ の点 、 救 護 法 制 定 以 前 か ら 施 行 さ れ て いた 旧 [軍 事 救 護 法 施 行 令 ﹂ (
大 正 六 年 一〇 月 三 〇 日
に お い て は 、 ﹁不 服 審 査 ﹂ に 関 す る 規 定 が 、 す で に そ の第 七 条 (
改 正 軍 事 救 護 法 施 行 令 (昭 和 六 年 一二月 八 日
第 二 八 四 号 ) で は 、 第 一 一条 ) に 規 定 さ れ て いた 。
し た が って、 救 護 法 に お い ても ﹁不 服 審 査 ﹂ に 関 す る 規 定 を 設 け る べ き で あ った 。 し か し 、 ﹁扶 助 請 求 権 ﹂ す ら 規
定 し て い な い 状 況 で は そ れ は 無 理 な こ と であ った 。
め 第 六 に、 救 護 法 に お い て は 、 選 挙 権 お よ び 被 選 挙 権 は 、 被 救 護 者 の み な ら ず そ の世 帯 に 属 す る 者 も 剥 奪 さ れ た 。 こ
日本社 会 保 障法 の形 成 過程
35
れ は 、 救 護 を 要 す る 者 に 対 す る ﹁劣 等 処 遇 ﹂ であ り 、 明 ら か に 救 貧 法 的 な 処 遇 で あ る 。
し か し 、 軍 事 救 護 法 に よ る 救 護 は 、 ﹁他 ノ 法 令 ノ 適 用 二付 テ ハ貧 困 ノ 為 ニ ス ル 公 費 ノ 救 助 二非 サ ル モ ノ ト 看 倣 ﹂ さ
れ (
第 一六 条 )、 被 救 護 者 は 公 民 権 を 剥 奪 さ れ る こ と は な か った 。
以 上 のよ う に、 救 護 法 に は 、 救 護 を 要 す る 者 の権 利 に 関 す る 多 く の重 要 な 規 定 が ま だ 不 足 し て い た 。
こ の 事 実 は 、 救 護 法 が 、 ま さ に 社 会 事 業 が ﹁恩 恵 ﹂ か ら ﹁権 利 ﹂ へ、 ﹁私 的 事 業 ﹂ か ら ﹁公 的 事 業 ﹂ へ移 行 し よ う
と し て い る 趨 勢 の な か で 、 わ が 国 の救 済 法 の中 心 た る べ き 法 律 と し て制 定 さ れ た も の で あ る と は いえ 、 ま だ 近 代 的 な
﹁公 的 扶 助 法 ﹂ と は い い得 な い 、 前 近 代 的 な 救 貧 法 の面 影 を ひき ず った ﹁過 渡 的 ﹂ な 法 律 で あ った と い う こと を 明 ら
かにす るも のであ る。
と こ ろ で 、 い ま 救 護 法 の欠 点 に つい て 述 べ た な か で、 救 護 法 と 軍 事 救 護 法 お よ び 同 法 施 行 令 と の差 に つい ても 言 及
し た 。 そ こ に お い ては 、 軍 事 救 護 法 お よ び 同 法 施 行 令 の方 が 救 護 法 に比 し 救 護 を 要 す る 者 の権 利 に 関 す る 規 定 が 充 実
し て い る こ と を 明 ら か に し た 。 そ れ ら の規 定 は 、 ﹁軍 人 の優 越 的 ・特 権 的 地 位 を 確 保 ﹂ し 、 ﹁士 気 を 奮 い立 た せ る ﹂ た
レ め に設 け ら れ た の で あ った 。 戦 争 を 行 な い多 く の人 間 を 傷 つけ 、 ま た は 彼 ら の命 を 奪 って し ま う 軍 隊 の ﹁士 気 を 奮 い
立 た せ る ﹂ た め に は 法 律 の内 容 を 充 実 し た も の にす る こ と が で き て も 、 人 の命 を 奪 う こ と な ど と は 無 縁 の 一般 の 困 窮
者 のた め に は そ れ を な す こ と が でき な い と は 、 ま こ と に 情 け な い こ と で あ る 。 軍 事 救 護 法 の適 用 対 象 者 も 救 護 法 の適
用 対 象 者 も 困 窮 状 態 に 陥 った 際 の救 済 の 必 要 度 、 お よび 権 利 の保 護 の必 要 性 は 、 ま った く 同 じ であ る。 そ れ に も か か
わ らず 、 両者 の間 に差 別が 存在 す る のは、 明ら か に誤 り であ る。
そ れ で は 、 政 府 が こ のよ う な 差 を 生 じ さ せ 、 ま た そ れ が 当 り 前 と い う 態 度 を と った 根 本 的 原 因 は 何 で あ ろ う か 。 そ
れ は 、 同 法 の制 定 に 関 わ った 当 時 の 官 僚 お よ び 政 治 家 が ﹁封 建 主 義 的 思 想 ﹂ に 支 配 さ れ て お り 、 ﹁真 の福 祉 思 想 ﹂ に
基 づ い た 救 済 施 策 を 立 案 ・実 施 す る こ と が 不 可能 だ った こ と に 起 因 す る 。 ﹁真 の福 祉 思 想 ﹂ と は 、 ﹁自 然 そ のも であ る
36
人 間 が 互 い に 幸 せ に暮 ら し て い く た め に 完 全 に 調 和 し き ろ う と いう 考 え 方 ﹂ を い う 。 こ の ﹁真 の福 祉 思 想 ﹂ に 基 づ か
な い 救 済 施 策 の立 案 ・実 施 は 、 現 代 も 行 な わ れ て い る 。 それ は 、 現 在 の福 祉 行 政 の実 態 か ら も 明 ら か で あ る 。 改 善 し
救 護 法 の施 行 と 方 面 委 員
な け れ ば な ら な い重 要 な ポ イ ン ト で あ る 。
鴎
(
救 護 法 は 、 被 救 護 者 の権 利 保 護 に 関 す る規 定 が 欠 如 し て い る な ど 、 ま だ 近 代 的 救 済 法 と は い え な いも ので あ った 。
け れ ど も 、 当 時 の社 会 情 勢 か ら し て 、 ﹁国 民 の生 活 不 安 の蔓 除 ﹂ お よ び ﹁思 想 の動 揺 の防 止 ﹂ に よ り ﹁社 会 不 安 ﹂ の
醸 成 を 防 止 す る こ と を 目 的 とす る 同 法 の 一日 も 早 い 施 行 が 望 ま れ て いた 。 し か し 、 同 法 の施 行 期 日 に つい て は 、 付 則
で ﹁勅 令 ヲ以 テ之 ヲ定 ム﹂ と し て い る だ け で 、 具 体 的 な 日 に ち は 、 確 定 し て い な か った 。 議 会 は 、 これ に対 し て附 帯
決 議 を 行 な った 。 そ こ で は 、 ﹁本 法 ハ昭 和 五 年 度 ヨリ 之 ヲ 実 施 ス ベ シ﹂ と な って い た 。 そ れ に も か か わ ら ず 、 田 中 政
友 会 内 閣 のあ と を 受 け 、 一九 二 九 (昭 和 四 ) 年 七 月 二 日発 足 し た 濱 口民 政 党 内 閣 は 、 救 護 用 予 算 を 計 上 し な か った 。
こ れ は 、 濱 口内 閣 が 金 解 禁 を 実 現 す る た め に 財 政 の 緊 縮 政 策 を と った 影 響 を 受 け た も ので あ った 。
し か し な が ら 、 一方 にお い て 同 内 閣 は 、 資 本 家 お よ び 地 主 の露 骨 な 擁 護 政 策 も 実 施 し た 。 日 々 の暮 ら し に も 窮 す る
社 会 的 弱 者 の 救 済 のた め に は 予 算 を 使 わ ず 、 労 働 者 や 小 作 農 民 を 搾 取 し て 富 を 貯 え て い る 資 本 家 や 地 主 を 擁 護 す る た
め に は 予 算 を 使 った ので あ る 。
こ の よ う な 状 況 下 に お い て、 救 護 法 の施 行 は 、 延 期 さ れ 続 け た 。 一九 三 〇 (昭 和 五 ) 年 は お ろ か 一九 三 一 (
昭和 六 )
年 に な って も 施 行 さ れ な か った の で あ る 。
救 護 法 の施 行 に つい ては 、 方 面 委 員 な ど の社 会 事 業 関 係 者 を は じ め 各 方 面 か ら 早 期 実 施 が 求 め ら れ て い た 。
一九 二 九 (昭 和 四 )年 一 一月 一四 日 に 開 催 さ れ た 第 二 回 全 国 方 面 委 員 大 会 で は 、 ﹁
我 国 現 下 ノ 状 勢 二鑑 ミ 昭 和 四 年
日本社 会 保 障法 の形 成 過程
37
四 月 法 律 第 三 九 号 救 護 法 ヲ 、 昭 和 五 年 度 当 初 ヨリ 実 施 セ ラ レ ン コト ヲ 要 望 ス﹂ と の建 議 を 行 な う こ と を 決 定 し た 。 さ
ら に 、 同 大 会 は 、 促 進 運 動 を 継 続 し 具 体 的 に展 開 す る た め に、 六 大 都 市 所 在 の府 県 方 面 委 員 に よ って ﹁救 護 法 実 施 促
進 運 動 継 続 委 員 会 ﹂ を 組 織 す る こ と に し た 。 同 委 員 会 は 、 一九 二 九 (
昭 和 四 ) 年 一二 月 二 一
二日 、 中 央 社 会 事 業 協 会 に
お い て打 ち 合 わ せ会 議 を 開 催 し た 。 そ の結 果 、 直 ち に促 進 運 動 を 開 始 す る こ と にな った 。 そ し て 、 さ き の建 議 を 携 え 、
ド 内 閣 、 内 務 省 、 大 蔵 省 、 社 会 局 、 政 ・民 両 党 本 部 を 歴 訪 し 陳 情 に 努 め た 。
ま た 、 方 面 委 員 な ど の 社 会 事 業 従 事 者 は 、 翌 一九 三〇 (
昭 和 五 ) 年 一月 二 一日 の衆 議 院 の解 散 を 機 に 、 ﹁救 護 法 実
施 期 成 同 盟 会 ﹂ を 同 年 二月 一日結 成 し た 。 同 同 盟 会 は 、 政 府 当 局 の動 き を 凝 視 し つ つ強 力 な 活 動 を 展 開 し た 。
こ れ を 受 け た 内 務 当 局 は 、 救 護 法 の 一九 三 一 (昭 和 六 ) 年 一月 か ら の実 施 を 実 現 し よ う と 努 力 し た 。 昭 和 五 年 度 予
算 の編 成 に 際 し て は 、 経 費 約 一〇 〇 万 円 を 大 蔵 省 に 要 求 し た 。 し か し 、 こ れ は 不 承 認 と な った 。 再 度 、 実 行 予 算 の編
成 に 際 し 追 加 予 算 を 求 め た 。 け れ ど も 、 これ も 削 除 さ れ て し ま った 。 そ のた め 、 救 護 法 の 昭 和 五 年 度 か ら の実 施 は 絶
望 的 と な った 。
救 護 法 実 施 期 成 同 盟 会 は 、 こ の よ う な 厳 し い状 況 にも め げ る こ と な く 強 力 な 活 動 を 展 開 し た 。
や が て 、 昭 和 六 年 度 予 算 の編 成 時 期 が 近 づ い てき た 。 一九 三 〇 (
昭 和 五 ) 年 一〇 月 に は 、 救 護 法 実 施 促 進 大 会 が 開
催 さ れ た 。 そ こ に お い て建 議 書 が 採 択 さ れ た 。 そ し て、 陳 情 委 員 が 各 方 面 に派 遣 さ れ た 。 中 央 社 会 事 業 協 会 会 長 渋 沢
栄 一も 同 年 一 一月 、 病 躯 を 押 し て安 達 内 務 大 臣 に陳 情 し た 。
れ ま た 、 同 月 に は 、 全 国 方 面 委 員 代 表 者 会 議 が 開 催 さ れ た 。 そ の会 議 に お い て陳 情 書 が 作 成 さ れ た 。 さ ら に 、 同 代 表
者 会 議 は 、 各 新 聞 社 へ ﹁帝 都 市 民 各 位 に 訴 ふ ﹂ と の傲 分 を 送 付 し た 。
そ し て 、 翌 一九 三 一 (昭 和 六 ) 年 一月 一九 日 に は 、 救 護 法 実 施 期 成 同 盟 会 の実 行 委 員 会 が 声 明 書 を 発 し た 。 そ こ に
お い ては 、 一九 三 一 (
昭 和 六 )年 一月 二七 日を 期 し て 当 局 の 回答 が 得 ら れ な い場 合 は 、 合 法 的 手 続 き で 上 奏 す る と な っ
て い た 。 し か し 、 第 五 九 回帝 国 議 会 開 会 後 (↓九 三 〇 (
昭 和 五 )年 一二 月 二 四 日 召 集 、 同 月 二 六 日開 院 式 、 翌 一九 三
お ロ
一 (昭 和 六 ) 年 三 月 二 七 日閉 会 ) も 実 施 の確 認 を 得 ら れ な か った 。 そ のた め 、 上 奏 を 閃 か し な が ら 政 府 に 対 し 早 期 実
施 を 陳 情 し た 。 け れ ど も 、 政 府 は 、 ﹁財 源 捻 出 中 ﹂ と 回 答 し た だ け で 、 な ん ら 新 し い 動 き は な か った 。 運 動 は 功 を 奏
さ な か った の で あ った 。 万 策 つき た 救 護 法 実 施 期 成 同 盟 会 は 、 つい に 最 終 的 手 段 を と る こ と に し た 。 一九 三 一 (昭 和
六 名 が 連 署 し た ﹁救 護 法 実 施 請 願 の表 ﹂ を 内 大 臣牧 野 伸 顕 を 通 じ て 上 奏 し た 。
お 六 ) 年 二 月 一四 日 に は 、 上 奏 の 止 む な き に 至 った と し て 会 を 解 散 す る 声 明 書 を 発 表 し た 。 そ し て 、 一六 日 、 全 国 の 方
面 委 員 の代 表 者 一、 =
一方 、 議 会 で は 、 救 護 法 施 行 の遅 れ を 追 及 す る 質 問 が 、 太 田正 孝 (
衆 議 院 議 員 )、 安 藤 正 純 (同 )
、 武 藤 山 治 (同 )、
大 田尊 由 (
貴 族 院 議 員 ) な ど に よ って な さ れ た 。
こ こ に 至 って 政 府 は 、 救 護 法 の施 行 に 踏 み 切 ら ざ る を 得 な く な った 。 そ の た め 、 ﹁競 馬 法 ﹂ を 改 正 し て 馬 券 の売 上
ム 金 の う ち 政 府 へ納 付 す る 金 額 を 増 額 し 、 そ の 一部 を も って救 護 法 施 行 の財 源 に 充 て る こ と に し た。 政 府 は 、 こ の方 針
に基 づ き 、 一九 三 一 (
昭 和 六 ) 年 三 月 一〇 日、 第 五 九 回帝 国議 会 に ﹁競 馬 法 中 改 正 法 律 案 ﹂ を 提 出 し た 。 同 法 案 は 、
同 年 三 月 二 六 日、 議 会 を 通 過 、 成 立 し た 。 そ し て、 同 月 三 一日 に は 、 法 律 第 三 三 号 を も って 公 布 、 六 月 一日 施 行 さ れ
た。
ま た 、 救 護 法 実 施 に 関 す る 予 算 案 も 競 馬 法 中 改 正 法 律 案 が 議 会 を 通 過 、 成 立 し た 三 月 二 六 日 成 立 し た 。 か く て実 施
のた め の財 源 を 確 保 で き る 見 通 し と な った 救 護 法 は 、 一九 三 二 (昭 和 七 ) 年 一月 一日 か ら 施 行 さ れ る こ と に な った 。
救 護 法 の施 行 後 、 戦 争 遂 行 の 必 要 上 か ら 、 ﹁母 子 保 護 法 ﹂、 ﹁医 療 保 護 法 ﹂、 ﹁戦 時 災 害 保 護 法 ﹂ な ど 、 貧 困 者 救 済 の
特 別 立 法 が 相 次 い で制 定 さ れ た 。 そ の結 果 、 救 護 法 は 、 そ の対 象 領 域 が 次 第 に 縮 小 さ れ 相 対 的 地 位 が 低 下 し た 。
日本 社 会 保 障法 の 形成 過 程
39
注
(1) 厚 生 省 五 十年 史 編集 委 員 会 ﹃厚 生 省 五 十 年 史 ﹄ (記述 編 ) 一九 八 八年 、 財 団法 人厚 生 問 題 研 究会 、 二五 六頁 。
(2 ) ﹃同 書 ﹄ 二 五 七頁 。
日 本 に お け る 社 会 保 障 制 度 の歴 史 ﹄ 一九 五 九 年 、 至 誠 堂 、 六 九 頁 。
米 騒 動 よ り 日中 戦 争 期 ま で ー ﹂ 大 内 兵衛 ・近 藤 文 二 ・末 高 信 ・大 河内 一男 ・藤
社会保障 m
(3) 小 川 政 亮 ﹁健 康 保 険 と 救 護 法 の時 代
林 敬 三 ・平 田 富 太 郎 監 修 ﹃講 座
﹃第 五 十 六 回 帝 国 議 会 議 事 録 ﹄ (
衆 議院 )
。
(4 ) 柴 田 敬 次 郎 著 ﹃救 護 法 実 施 促 進 運 動 史 ﹄ 一九 四 〇 年 、 巖 松 堂 書 店 、 一七 - 一八 頁 。
(5 )
(6 ) 小 川 政 亮 ﹁前 掲 論 文 ﹂ 大 内 兵 衛 他 ﹃前 掲 書 ﹄ 六 九 頁 。
(7 ) 以 下 で 引 用 す る 議 員 の質 問 お よ び 政 府 の答 弁 は 、 と く に 断 わ り の な い 限 り ﹃第 五 十 六 回 帝 国 議 会 議 事 録 ﹄ か ら の引 用 で あ
﹃救 護 法 に 関 す る 質 疑 応 答 集 ﹄ 一九 三 二 年 、 財 團 法 人 中 央 肚 會 事 業 協 會 肚 會 事 業 研 究 所 、 六 頁 。
るQ
(8 )
(現 代 社 会 事 業 史 研 究 )﹄ 一四 一頁 。
(9 ) 山 崎 厳 ﹃救 護 法 と 方 面 委 員 制 度 ﹄ 一九 三 〇 年 、 一八 - 一九 頁 。
(10 ) 吉 田 久 一著 ﹃前 掲 書
(11 ) 同 右 。
(12 ) 富 田 愛 次 郎 は 、 一九 二 六 (大 正 一五 ) 年 八 月 一六 日 の 社 会 事 業 調 査 委 員 会 に お い て ﹁現 行 救 貧 制 度 の 不 備 と 制 度 確 立 の 必
(
男 ) 一人 一日 一二 銭 、 病 者
要 ﹂ と い う こ と で 述 べ た 。 詳 細 に つ い て は 、 肚 會 局 肚 會 部 ﹃本 邦 救 貧 制 度 概 要 ﹄ (一九 二 七 年 ) の 四 二 頁 - 四 六 頁 を 参 照 の
こ と。
(13 ) た と え ば 、 下 米 相 場 一升 四 〇 銭 で 算 出 し た 救 助 額 は 、 老 衰 者 ・廃 疾 者 一人 一日 二 〇 銭 、 病 者
(G H Q / S C A p ) が 日 本 政 府 に 対 し て 出 し た 覚 書 の総
(女 ) 一人 一日 八 銭 、 幼 弱 者 一人 一日 七 銭 と な り 非 常 に 低 額 で あ った 。
(14 ) S C A P I N (ス キ ャピ ン ) と は 、 連 合 国 最 高 司 令 官 総 司 令 部
称 の こ と で あ る 。 こ の S C A P I N は 、 二 つの タ イ プ に 分 け ら れ る 。 第 一の タ イ プ は 、 G H Q / S C A p の 出 し た 命 令 や 布
告 が そ の ま ま 国 内 法 的 効 力 を 持 つも の で あ る 。 第 二 の タ イ プ は 、 G H Q / S C A p の 出 し た 指 令 や 覚 書 が 、 既 存 の 国 内 法 の
枠 組 み の な か に 移 し か え ら れ て 初 め て 法 的 な 効 力 を 持 つも の で あ る 。 S C A P I N は 、 全 部 で 二 二 〇 四 番 ま で あ る が 、 こ の
番 号 は 最 初 か ら つけ ら れ て い た わ け で は な い 。 つけ ら れ は じ め た の は 、 一九 四 六 (
昭 和 二 一) 年 一月 二 八 日 以 後 で あ る 。 番
号 が つけ ら れ 始 め た 一月 二 八 日 に は 、 S C A P I N 六 五 八 か ら 六 六 七 ま で の 一〇 件 が 発 出 さ れ て い る 。 つま り 、 S C A P I
N 全 体 の 三 分 の 一が 出 た 段 階 で S C A P I N 番 号 が つけ ら れ 始 め た の で あ る 。
40
と こ ろ で 、 ア メ リ ヵ 合 衆 国 国 務 省 編 纂 の ﹃聞O憎Φ一
αq口 国Φ一
9ぴ一
〇昌 Oh ぴ
ゴΦ ¢昌一
ひ
①α ω↑鋤ひΦ
ω﹄ 一九 四 六 年 版 の アブ リ ベ イ シ ョ ン ・
リ ス ト に よ る と 、 S C A P I N は 、 ﹁GQO>勺lH
Zo。目国qO日H
O乞 (指 令 )
﹂ の略 と な って い た 。 そ の た め 、 研 究 者 の 間 で も 長 い
間 S C A P I N は 、 ﹁のO>℃山 Zω日切¢O目 ○乞﹂ (指 令 )﹂ の 略 で あ る と い う こ と に な って い た 。 し か し 、 ﹁ω○﹀勺 H
ZU国×
Zqζ しu国幻 (整 理 番 号 )﹂ と い う 使 い 方 を し て い る 文 書 も 発 見 さ れ た た め 調 査 を 行 な った と こ ろ 、 以 下 の よ う な 事 実 が 判 明
(A G ) の 要 請 に よ り 、 日 本 政
(イ ン デ ック ス ・ナ ン バ ー 二 巳 ①× Zo・) す な
﹀
晦 を つけ る が 、 そ れ 以 外 の 政 策 ・指 令 お よ び 各 セ ク シ ョ
(イ ン ス ト ラ ク シ ョ ン ) に 整 理 番 号
連 合 国 最 高 司 令 官 総 司 令 部 統 計 資 料 局 (S R S / G H Q / S C A p ) は 、 高 級 副 官 部
(デ ィ レ ク テ ィブ )・指 令
S に 提 出 す る こ と。
こ れ ら の 方 針 は 、 S R S ス タ ッ フ会 議 で 決 定 さ れ
ζ ①巳 o ho目 即Φ
8 乙 )、 実 施 に 移 さ れ た 。 巨
Zu国× Zdζ し
d国切 は 、 一九 四 五 (昭 和 二 〇 ) 年
(一九 四 六 (昭 和 二 一) 年 一月 二 六 日 の G H Q 部 局 代 表 者 会 議 で 承
(﹀画5
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く①) と い う 整 理 (分 類 ) 番 号 を つけ る こ と 。 な お 、 こ の各 セ ク シ ョ ン の 行 政 命 令 は 、 コピ ー 二 通 を S R
ン が イ ニ シ エ イ ト す る メ モ 、 す な わ ち 、 直 接 日 本 政 府 に 発 出 さ れ る 行 政 命 令 (セ ク シ ョ ン メ モ な ど ) に は 、 GQO卜勺字
そ の際 、 基 本 的 政策 お よ び 基 本 的 指令 には 、 S C A P I N
わ ち 、 ωO>国 Z 乞o. (ス キ ャピ ン ・ナ ン バ ー ) を つけ る こ と 。
府 宛命令
した。
㈲
㈲
⑥
認 さ れ (同 年 一月 二 八 日 付
九 月 二 日 に 遡 って つけ ら れ る こ と に な った 。
S C A P I N が ωO>℃ H
巳 ①× の略 で あ る こ と な ど は 、 日 本 政 府 外 務 省 記 録 (連 絡 局 連 絡 課 、 一九 四 九 年 七 月 、 リ ー ル 番
号 AI O O 四 六 コ マ番 号 〇 三 〇 二 ) で も 紹 介 さ れ て い る 。
(大 正 六 ) 年 七 月 二 〇 日 公 布 、 一九 一八 (大 正 七 ) 年 一月 一日 施 行 。
S C A P I N に つ い て の詳 細 は 、 竹 前 栄 治 監 修 ﹃G H Q 指 令 総 集 成 ﹄ (
第 一巻 ) (一九 九 四 年 、 エ ム テ イ 出 版 ) の解 説 を 参
照 の こ と。
(15 ) 全 文 一九 条 か ら な る 軍 事 援 護 の た め の 法 律 。 一九 一七
救 護 対 象 者 は 、 ﹁傷 病 兵 ﹂、 ﹁傷 病 兵 の 家 族 も し く は 遺 族 ﹂、 ﹁下 士 兵 卒 ﹂、 ﹁下 士 兵 卒 の 家 族 も し く は 遺 族 ﹂ (第 一条 参 照 )。
(16 ) 前 掲 の ﹃救 護 法 に 関 す る 質 疑 応 答 集 ﹄ で は 、 ﹁主 務 者 に 於 て は 生 活 扶 助 を 受 く る 者 及 其 の 者 の 世 帯 に 属 す る 者 は 総 て 選 挙
一九 一七 (
大 正 六 ) 年 六 月 二 一日 に 召 集 さ れ た 第 三 九 回 特 別 帝 国 議 会 (六 月 二 一
二日 開 院 式 、 七 月 一四 日 閉 会 ) に ﹁軍 事 救
権 及 被 選 挙 権 を有 せ ず と 解 釈 し 居 れ り ﹂ と 述 べ て い る。
(17 )
護 法 案 ﹂ を 上 程 し た 後 藤 新 平 内 務 大 臣 は 、 そ の提 案 理 由 説 明 に お い て 、 ﹁軍 隊 の 士 気 を 奮 い 立 た せ ﹂ る た め と 発 言 し て い る 。
詳 細 に つ い て は 、 ﹃第 三 十 九 回 帝 国 議 会 議 事 録 ﹄ を 参 照 の こ と 。
日本 社 会保 障 法 の形 成 過 程
41
人 間 と は 宇 宙 そ のも のであ り完 全 に 平 等 な 存 在 であ る と い う こ と であ る。
全 国 民 生 委 員 児 童 委 員協 議 会 ﹃民生 委 員 制 度 七 十年 史 ﹄ 一九 八 八年 、社 会 福 祉 法 人 全 国社 会 福祉 協 議 会 、一〇 三- 一〇 四 頁。
﹃同書 ﹄ 一〇 四頁 。
日本 社 会 事 業 の歴 史 ﹄ 一九 九 〇 年 、 勤 草 書 房 、 一八 四 頁 。
吉 田久 一著 ﹃前 掲 書 (現 代 社 会 事 業 史 研 究 )
﹄ 一四 四頁 。
吉 田久 一著 ﹃新 版
一﹄ 一九 八 六 年 、 勤 草 書 房 、 二 三 五頁 。
第 三巻 ﹄ 一九 七 一年 、 財 団 法 人 地 方 財 務 協 会 、 四〇 八 頁 。
日本 近 代 法 発 達 史
大 霞 会 ﹃内 務 省 史
軍 事 救 護 法 から 軍 事 扶 助 法 へ
鵜 飼 信 成 ・福 島 正 夫 ・川島 武 宜 ・辻 清 明 責 任 編 集 ﹃講 座
二
り は 、 一九 〇 四 (
明 治 三 七 ) 年 の ﹁下 士 兵 卒 家 族 救 助 令 ﹂ (明 治 三 七年 四 月 四 日
勅 令 第 九 四 号 ) で あ った 。 同 救 助
軍 事 援 護 に 関 す る 規 定 は 、 古 く は 大 宝 律 令 にま で 遡 る こ と が で き る 。 し か し 、 近 代 の軍 事 援 護 制 度 の法 制 化 の皮 切
ま ず 、 軍 事 援 護 立 法 に つい て述 べ る こ と に す る 。
た のだ ろ う か 。
軍 事 援 護 立 法 の 改 正 も 行 な わ れ た 。 これ ら の法 律 は 、 ど の よ う な 目 的 を も って 制 定 さ れ 、 ど のよ う な 特 徴 を 有 し て い
抑 圧 さ れ る よ う に な った 。 し か し 、 そ の 一方 に お い て、 い く つか の社 会 保 険 立 法 や社 会 事 業 立 法 が 登 場 し た 。 さ ら に 、
ユ 戦 時 体 制 下 に お い て、 国 民 は 、 大 日 本 帝 国 憲 法 下 に お い て認 め ら れ て い た 日 本 帝 国 臣 民 と し て のわ ず か な 権 利 す ら
争 へと 拡 大 し た 。 さ ら に 、 一九 四 一 (昭 和 一六 )年 に は 、 太 平 洋 戦 争 へと 突 入 し て い った 。
年 に は 満 州 事 変 が 、 一九 三 二 (昭 和 七 ) 年 に は 上 海 事 変 が 勃 発 し 、 一九 三 七 (昭 和 一二 ) 年 に は 、 つい に 日 中 全 面 戦
的 に 統 制 す る と と も に 、 戦 争 政 策 を 推 進 し な が ら 国 家 独 占 資 本 主 義 へ移 行 さ せ て い った 。 こ の間 、 一九 三 一 (
昭和六)
恐 慌 下 に お い て わ が 国 資 本 主 義 の再 編 成 が 強 行 さ れ た 。 軍 部 が 天 皇 制 ⋮機構 を 通 じ て政 権 を 掌 握 し 、 日本 を フ ァ ッシ ョ
24232221201918
令 の 適 用 対 象 者 は 、 ﹁予 備 役 ﹂、 ﹁後 備 役 ﹂、 ﹁補 充 兵 役 ﹂、 ﹁国 民 兵 役 ﹂、 ﹁下 士 兵 卒 の 家 族 ﹂ で あ った 。 傷 病 兵 、 遺 族 、
お よ び 内 縁 の 妻 に 対 し て は 、 同 救 助 令 に 基 づ く 救 済 は 実 施 さ れ な か った 。 同 救 助 令 に 基 づ く 救 済 は 、 適 用 対 象 者 が
﹁応 召 ノ 為 生 活 ス ル コ ト 能 ハザ ル ﹂ 場 合 に 限 り 実 施 さ れ た 。 救 助 の 種 類 は 、 ﹁生 業 扶 助 ﹂、 ﹁現 品 給 与 ﹂、 ﹁施 療 ﹂、 ﹁現
金 給 与 ﹂ の 四 種 類 であ った 。
し か し 、 こ の救 済 も 親 族 知 己 お よ び 隣 保 相 扶 に よ る 救 済 が 不 可 能 な 場 合 にお い て し か 実 施 さ れ な か った 。 つま り 、
同救 助 令 に 基 づ く 救 済 は 、 ﹁補 足 的 ﹂ な も の に 過 ぎ な か った 。 そ のた め 、 ﹁出 征 家 族 ﹂ は 、 同 救 助 令 に 基 づ く 迅 速 か つ
的確 な 救助 を受 け られず 、 生活 に困 る者 が多 く存 在 した。
そ の後 、 一九 〇 四 (明 治 三 七 ) 年 に 勃 発 し た 日 露 戦 争 に お い て 、 膨 大 な 傷 疲 軍 人 が 発 生 し た 。 彼 ら の惨 状 は 、 目 を
覆 わ ん ば か り で あ った 。 こ れ は 、 貧 困 問 題 で あ る と と も に 、 軍 の士 気 に も 関 わ る 問 題 であ った 。
こ う し て 、 国 家 に よ る 戦 争 を 原 因 と す る 傷 痩 軍 人 の発 生 や 戦 争 で 一家 の柱 を な く し た 遺 族 の生 活 問 題 が 、 大 き な 社
会 問 題 と な ってき た 。 政 府 は 、 こ の問 題 を 解 決 す る た め に 全 文 一九 ヶ条 か ら な る 軍 事 救 護 法 案 を 作 成 し 、 一九 一七
(
大 正 六 )年 六 月 二 一日 に 召 集 さ れ た 第 三 九 回 特 別 帝 国 議 会 (六 月 二 一
二日 開 院 式 、 七 月 ]四 日 閉 会 ) へ上 程 し た 。 同
法 案 の議 会 への提 案 理 由 の 説 明 に お い て、 後 藤 新 平 内 務 大 臣 は 、 ﹁軍 隊 ノ 士 気 ヲ振 イ タ タ セ﹂ (
第 三九 回帝 国議 会 議事
録 ) と 発 言 し て い る 。 こ の よ う な 意 図 を も って 上 程 さ れ た 軍 事 救 護 法 案 は 、 同 議 会 に お い て 可 決 さ れ 一九 一七 (大 正
勅 令 二〇 六 号 ) も 一九 一七 (大 正 六 ) 年 一〇 月 三〇 日 公 布 さ れ た 。
六 ) 年 七 月 二 〇 日 、 法 律 第 一号 と し て 公 布 さ れ た 。 そ し て 、 翌 一九 一八 (大 正 七 ) 年 一月 一日 施 行 さ れ た 。 ま た 、
﹁軍 事 救 護 法 施 行 令 ﹂ (大 正 六 年 一〇 月 三 〇 日
勅 令 二〇 五 号 ) が 出 さ れ た 。 こ
軍 事 救 護 法 の適 用 対 象 者 は 、 ﹁傷 病 兵 、 其 ノ家 族 若 ハ遺 族 又 ハ下 士 兵 卒 ノ家 族 若 ハ遺 族 ﹂ (
軍 事 救 護 法 第 一条 ) で あ っ
れ に 基 づ き ﹁軍 事 救 護 法 ﹂ は、 朝 鮮 、 台 湾 、 樺 太 、 関 東 州 な ど に お い て も 施 行 さ れ る こ と に な った 。
さ ら に 、 同 日 ﹁軍 事 救 護 法 ヲ 朝 鮮 、 台 湾 及 樺 太 二施 行 ノ件 ﹂ (
大 正 六 年 一〇 三 〇 日
42
日本社 会 保 障法 の形 成 過程
43
た 。 同 法 に 基 づ く 救 護 は 、 ﹁現 役 兵 ノ入 営 、 下 士 兵 卒 ノ 応 召 傷 病 若 ハ死 亡 又 ハ傷 病 兵 ノ 死 亡 ノ為 生 活 スル コト 能 ハサ
ル 者 ﹂ (同 第 五条 ) に 対 し て のみ 実 施 さ れ た 。 救 護 の許 否 は 、 ﹁救 護 ヲ受 ケ ム ト スル 者 ノ出 願 二因 リ 住 所 地 地 方 長 官 二
於 テ 其 ノ 許 否 ヲ 決 定 ﹂ す る こ と に な って い た (軍 事 救 護 法 施 行 令 第 一条 第 一項 )
。 救 護 の種 類 は 、 ﹁生 業 扶 助 、 医 療 、
現 品 給 与 及 現 金 給 与 ﹂ の 四種 類 で あ った (軍 事 救 護 法 第 六 条 )
。 ま た 、 許 可 さ れ た ﹁救 護 ノ 廃 止 若 ハ停 止 又 ハ救 護 ノ
程 度 若 ハ方 法 ノ変 更 ハ住 所 地 地 方 長 官 之 ヲ 行 フ﹂ (軍 事 救 護 法 施 行 令 第 六条 ) と 規 定 さ れ て い た 。
軍 事 救 護 法 に 基 づ く 救 護 の受 給 に 関 し て は 、 制 限 が あ った 。 た と え ば 、 適 用 対 象 者 が 懲 役 ま た は 禁 鋼 に 処 せ ら れ た
ヨ 場 合 に は 、 救 護 が 実 施 さ れ な い か ま た は 一定 の期 間 そ の 実 施 が 延 期 さ れ た (
軍 事 救 護 法 第 八 条 ∼ 第 一〇 条 )
。また、
﹁下 士 兵 卒 ニ シ テ 逃 亡 シ又 ハ陸 軍 懲 治 隊 二収 容 セ ラ レ タ ル 者 二付 テ ハ其 ノ逃 亡 又 ハ収 容 ノ 間 其 ノ 家 族 二対 シ救 護 ヲ﹂
な さ な か った (
同第 = 条 )
。 さ ら に、 ﹁下 士 兵 卒 又 ハ傷 病 兵 ニ シ テ怠 惰 又 ハ素 行 不 良 ナ ル者 二付 テ ハ其 ノ傷 病 兵 拉 其
ノ 下 士 兵 卒 又 ハ傷 病 兵 ノ 家 族 及 遺 族 二対 シ情 状 二因 リ 救 護 ヲ 為 サ ス又 ハ救 護 ノ程 度 ヲ 減 少 ﹂ さ せ る こ と が で き る と し
た (同第 一二条 第 一項 )
。 ま た 、 ﹁下 士 兵 卒 又 ハ傷 病 兵 ノ家 族 又 ハ遺 族 ニ シ テ怠 惰 又 ハ素 行 不 良 ナ ル者 ﹂ に対 し て も 、
情 状 に よ り 救 護 を 為 さ な い か 、 ま た は 救 護 の程 度 を 減 少 さ せ る こ と が でき る と し た (同 第 一二条 第 二 項 )。 こ の他 、
軍 事 救 護 法 に は 、 ﹁国 籍 条 項 ﹂ も 存 在 し た 。 第 = 二条 に ﹁傷 病 兵 ニ シ テ 日 本 ノ 国籍 ヲ失 ヒ タ ル者 二対 シ テ ハ救 護 ヲ為
サ ス﹂ と 規 定 し て いた 。
し か し 、 一方 に お い て 、 救 護 を 必 要 と す る者 の権 利 擁 護 に 関 す る 規 定 も 軍 事 救 護 法 施 行 令 の な か に は 存 在 し た 。 同
施行 令第 七条 は 、 ﹁
第 一条 第 一項 ノ 規 定 二依 リ 救 護 ノ許 可 ヲ 拒 マ レ タ ル者 又 ハ前 条 ノ規 定 二依 リ 救 護 ヲ廃 止 若 ハ停 止
セ ラ レ タ ル 者 ハ六 十 日 内 二内 務 大 臣 二対 シ更 二審 査 ヲ 出 願 ス ル コト ヲ 得 ﹂ (
第 一項 )、 ﹁内 務 大 臣 ハ審 査 ノ 上 必 要 ト 認
ム ル ト キ ハ地 方 長 官 ヲ シ テ救 護 ノ 許 可 ヲ為 サ シ メ 又 ハ救 護 ノ廃 止 若 ハ停 止 ノ 処 分 ヲ取 消 サ シ ム ル コト ヲ 得 ﹂ (
第 二項 )
と 救 護 の措 置 に 関 す る ﹁不 服 申 立 ﹂ の権 利 お よ び 内 務 大 臣 に よ る ﹁審 査 ﹂ に つい て規 定 し て い た 。
こ のよ う に 軍 事 救 護 法 お よ び 軍 事 救 護 法 施 行 令 は 、 一般 救 護 と は 異 な り 軍 事 援 護 の た め に 制 定 さ れ た も の で は あ る
が 、 現 代 の公 的 扶 助 法 の 先 駆 け と も い え る 規 定 が 存 在 し た 。 反 面 、 公 的 扶 助 法 に お い て は存 在 す べ き で は な い 規 定 も
そ のな か に 混 在 し て い た 。 そ れ ら を 簡 単 に ま と め て み る こ と に す る 。
第 一に 、 救 護 は 、 ﹁生 活 ス ル コト能 ハ サ ル者 ﹂ (軍 事 救 護 法 第 五 条 ) に 対 し て のみ 実 施 さ れ た と い う こ と で あ る 。 こ
れ は 、 救 護 法 のよ う な 救 貧 法 の基 準 と 異 な る と こ ろ が な か った 。 第 二 に 、 ﹁制 限 条 項 ﹂ (同 第 八 条 ∼ 第 一二条 ) が 存 在
し た と い う こ と で あ る 。 規 定 さ れ た 要 件 に該 当 し た 場 合 に は 、 救 護 の実 施 が な さ れ な い か も し く は 延 期 、 ま た は 、 救
法 律 第 一七 号 ) の ﹁欠 格 条 項 ﹂ (第 二条 ) に 救 護 法 第 二 九 条 第 三 項 と
護 の 程 度 を 減 少 さ せ ら れ た 。 と く に、 第 一二 条 は 、 第 二 次 世 界 大 戦 後 の 一九 四 六 (昭 和 二 一)年 一〇 月 ↓日 か ら 施 行
さ れ た 旧 ﹁生 活 保 護 法 ﹂ (昭 和 二 一年 九 月 九 日
と も に影 響 を 及 ぼ し て いる 。 旧 生 活 保 護 法 は 、 第 一条 に お い て近 代 的 な 公 的 扶 助 法 の 要 件 の 一つで あ る ﹁無 差 別 平 等 ﹂
主 義 に 立 つこ と を 宣 言 し てお き な が ら 、 そ れ と 相 反 す る ﹁欠 格 条 項 ﹂ を 設 け た た め非 難 を 浴 び た 。 第 三 に 、 ﹁国 籍 条
項 ﹂ の存 在 で あ る 。 第 一三条 に ﹁傷 病 兵 ニ シ テ 日本 ノ 国 籍 ヲ失 ヒ タ ル者 二対 シ テ ハ救 護 ヲ 為 サ ス﹂ と 規 定 し て い る 。
法 律 第 一四 四 号 ) に
これ は 、 大 き な 問 題 で あ る 。 日 本 兵 と し て働 き 傷 病 を 負 った 者 が 、 日 本 国 籍 を 失 った ら 救 護 を 行 な わ な い と い う のは 、
生 存 権 侵 害 に ほ か な ら な い。 ﹁国 籍 に よ る 差 別 ﹂ は 、 現 行 ﹁生 活 保 護 法 ﹂ (昭 和 二 五 年 五 月 四 日
お い ても いま だ に 存 在 す る 。 軍 事 救 護 法 に は 、 こ のよ う な 問 題 点 も 存 在 し た 。
し か し 、 一方 に お い て 、 軍 事 救 護 法 は 、 ﹁
親 族 扶 養 優 先 条 項 ﹂ を 有 し な か った 。 これ は 、 救 護 法 が ﹁親 族 扶 養 優 先
条 項﹂ (
第 二 条 ) を 有 し て い た の と 比 し 進 歩 的 な 点 と し て 評 価 で き る 。 な お 、 ﹁親 族 扶 養 優 先 条 項 ﹂ は、 第 二 次 世 界 大
戦 後 に制 定 され た 旧生 活保護 法 (
第 三条 )お よび現 行 生活保 護 法 (
第 四 条 ) に も 存 在 す る。
ま た 、 軍 事 救 護 法 施 行 令 に は 、 ﹁不 服 審 査 ﹂ に関 す る 規 定 も 存 在 し た 。 こ れ は 、 救 護 を 要 す る 者 の権 利 の擁 護 と い
う 点 に お い て 大 変 重 要 な 規 定 で あ る 。 軍 事 援 護 に関 す る 法 令 に お い て と は い え 、 こ のよ う な 規 定 が 一九 一七 (
大正六)
日本社 会 保 障法 の形 成過 程
45
年 と い う 早 い時 期 に 存 在 し た と い う 事 実 には 重 要 な 意 義 が あ った 。 ﹁不 服 申 立 ﹂ に関 す る規 定 は 、 旧 生 活 保 護 法 に は 、
制 定 当 初 は 設 け ら れ な か った が 、 そ の後 同 法 の施 行 規 則 を 改 正 し て ﹁不 服 申 立 ﹂ に関 す る 規 定 を 設 け た 。 一方 、 旧法
を 全 面 改 正 し た 現 行 生 活 保 護 法 は 、 制 定 当 初 か ら そ の第 九 章 を ﹁不 服 の申 立 ﹂ と し 、 不 服 申 立 て に 一章 を 割 い て いた 。
戦 後 の 旧 生 活 保 護 法 お よ び 現 行 生 活 保 護 法 は 、 軍 事 援 護 制 度 の ﹁正 ﹂ と ﹁負 ﹂ 両 方 の遺 産 を 受 け 継 い で い る の で あ
る。
と ころ で 、 軍 事 救 護 法 は 、 戦 時 体 制 へ の移 行 が 着 々と進 行 し て い た 一九 三 一 (
昭 和 六 )年 三 月 三〇 日 、 そ の 一部 が
法律 第 二七号 )
。 そ れ に あ わ せ て軍 事 救 護 法 施 行 令 も 同 年 = 一
月 八 日改 正 され た (
昭和
勅 令 第 二 八 四 号 )。
改 正 され た (
昭 和 六 年 三月
六年 = 一
月八日
本 法 二於 テ傷 病 兵 ト称 ス ル ハ左 ノ 各 号 ノ 一二該 当 ス ル者 ヲ謂 フ
適 用 対 象 と な る 傷 病 兵 の範 囲 を 兵 役 の全 部 免 除 者 か ら 一種 以 上 の兵 役 免 除 者 へ拡 大 し た 。 (
第 二条 )
軍 事 救 護 法 の主 な 改 正 内 容 は 、 以 下 の と お り であ った 。
O
(
改 正 前 ) 第 二条
前 号 二掲 グ ル 者 ヲ除 ク ノ外 陸 海 軍 下 士 兵 卒 ニシ テ 故 意 又 ハ重 大 ナ ル過 失 二因 ル ニ非 ズ シ テ
タ ル者
一 陸 海 軍 下 士 兵 卒 ニ シ テ戦 闘 又 ハ公 務 ノ為 傷 疲 ヲ受 ケ 又 ハ疾 病 二罹 リ 之 ガ 為 兵 役 ヲ 免 ゼ ラ レ
二
本 法 二於 テ傷 病 兵 ト 称 ス ル ハ左 ノ各 号 ノ 一二該 当 ス ル 者 ヲ謂 フ
戦 地 二於 テ傷 疲 ヲ受 ケ 又 ハ疾 病 二罹 リ 之 ガ 為 兵 役 ヲ 免 ゼ ラ レ タ ル者
(改 正 後 ) 第 二条
前 号 二掲 ク ル者 ヲ 除 ク ノ外 陸 海 軍 下 士 兵 卒 ニシ テ故 意 又 ハ重 大 ナ ル過 失 二因 ル ニ非 ス シ テ
ヲ 免 セ ラ レ タ ル者
一 陸 海 軍 下 士 兵 卒 ニ シ テ戦 闘 又 ハ公 務 ノ 為 傷 痩 ヲ受 ケ 又 ハ疾 病 二罹 リ 之 力 為 一種 以 上 ノ兵 役
二
46
◎
ロ
戦 地 二於 テ傷 痩 ヲ 受 ケ 又 ハ疾 病 二罹 リ 之 力 為 一種 以 上 ノ兵 役 ヲ免 セ ラ レ タ ル 者
(
改 正 前 ) 第 六条
救 護 ノ種 類 ハ生 活 扶 助 、 医 療 、 助 産 及 生 業 扶 助 ト ス
救 護 ノ種 類 ハ生 業 扶 助 、 医 療 、 現 品 給 与 及 現 金 給 与 ト ス
救 護 の種 類 を ﹁生 活 扶 助 ﹂、 ﹁医 療 ﹂、 ﹁助 産 ﹂、お よ び ﹁生 業 扶 助 ﹂ に改 め た 。 (
第 六条 )
(
改 正後 ) 第 六条
救 護 ヲ受 ク ル 者 死 亡 シ タ ル 場 合 二於 テ ハ勅 令 ノ定 ム ル所 二依 リ 埋 葬 ヲ行 ヒ 又 ハ埋 葬
埋 葬費 を給 与 す る ことと した 。 (
第 七条 ノ ニ)
(
改 正前 ) 規 定 なし
(
改 正後 ) 第 七条 ノ ニ
ヲ 行 フ者 二対 シ埋 葬 費 ヲ 給 スル コト ヲ 得
こ の結 果 、 被 救 護 者 数 お よ び 救 護 に か か る 経 費 が 増 加 し た 。 一九 一八 (大 正 七 ) 年 度 の被 救 護 者 数 は 、 約 三 万 四 五
〇 〇 人 、 経 費 は 約 五 三 万 六 〇 〇 〇 円 で あ った 。 そ れ が 、 一九 三 五 (
昭 和 一〇 ) 年 度 に は 、 被 救 護 者 数 が 約 = 万 一五
○ ○ 人 、 経 費 が 約 二九 〇 万 円 に ま で 増 加 し た 。
し か し 、 改 正 に よ り 適 用 対 象 者 が 拡 大 さ れ た と は い え 、 ま だ 救 護 を 受 け ら れ な い 者 も 多 く 存 在 し た 。 こ のた め 軍 事
)年 六 月 、 軍 事 援 護 事 業 の整 備 充 実 に つい て社 会 事 業 調 査 会 に 諮 問 し た 。 社 会 事
援護 事業 のさら な る整 備充 実が 望 まれ た。
内 務 大 臣 は 、 一九 三 六 (昭 和 =
業 調 査 会 は 、 特 別 委 員 会 に お い て研 究 協 議 を 行 な った 。 そ し て 、 同 年 七 月 末 に 政 府 に 対 し 答 申 を 行 な った 。 政 府 は 、
これ を 受 け 直 ち に ﹁軍 事 救 護 法 改 正 法 案 ﹂ の作 成 に着 手 し た 。 同 法 案 は 、 第 七 〇 回 通 常 帝 国 議 会 (一九 三 六 (
昭和 一
一) 年 一二 月 二 四 日 召 集 、 同 二 六 日 開 院 式 、 一九 三 七 (
昭和 = 一
) 年 三 月 三 一日 閉 会 ) に提 出 さ れ た 。 同 法 案 は 、 議
会 に お い て協 賛 を 得 、 可 決 ・成 立 し た 。 そ し て、 一九 三 七 (
昭 和 一二 ) 年 三 月 三 一日 、 法 律 第 二〇 号 を 以 て 公 布 、 同
年 七 月 一日施 行 さ れ た 。
日本社 会保 障法 の 形 成過 程
47
家 族 お よ び 遺 族 の範 囲 を 拡 大 し た 。
う に 範 囲を拡 大 した 。
満 州 事 変 以 来 、 在 営 中 に 結 核 や 胸 膜 炎 に 罹 り 除 役 さ れ る 者 が 増 加 し た た め 、 こ れ ら の者 も 扶 助 で き る よ
傷 病 兵 の範 囲 を 拡 大 し た 。
被 扶 助 者 の範 囲 を 拡 大 し た 。
のと い え る 。
﹁貧 困 ノ 為 生 活 スル コト 能 ハザ ル ﹂ 場 合 (
第 一条 ) を 救 護 の要 件 と し て いた の と 比 し、 救 貧 的 色 彩 を 薄 め た も
に 生 活 不 能 に 陥 る 虞 のあ る 者 で 、 所 謂 極 貧 者 よ り 生 活 程 度 の高 い 者 ﹂ と い う 意 味 で あ る 。 こ れ は 、 救 護 法 が
の こ と で あ る。 ﹁生 活 ス ル コト 困 難 ナ ル 者 ﹂ と は 、 ﹁最 低 限 の生 活 は 辛 う じ て持 績 し 得 ても 、 一朝 事 あ る 時 は 直
﹁生 活 ス ル コト 能 ハザ ル者 ﹂ と は 、 ﹁最 低 限 度 の生 活 を 維 持 す る に 必 要 な 資 料 さ へも 得 る こ と が で き な い者 ﹂
扶 助 要 件 を ﹁生 活 ス ル コト 能 ハザ ル者 ﹂ (
第 五 条 ) か ら ﹁生 活 ス ル コト 困 難 ナ ル 者 ﹂ に緩 和 し た 。
に 改 め た も の で あ った 。
ら これ は 、 軍 事 援 護 と社 会 事 業 と で は 根 本 理 念 が 相 違 す る た め 、 そ の こと を 明 確 にす る た め ﹁救 護 ﹂ を ﹁扶 助 ﹂
法 律 の名 称 を ﹁軍 事 扶 助 法 ﹂ と 改 め た 。
改 正 の要 点 は 、 以 下 のと お り で あ る。
O
⇔
㊨
①
②
実 状 に 即 し た 扶 助 が で き る よ う にす るた め 、 ﹁同 一ノ 家 二在 ル者 ﹂ (第 三 条 ・第 四条 ) か ら ﹁同 一ノ 世 帯
二在 ル者 ﹂ に 拡 大 し た 。
﹁同 一ノ家 二在 ル 者 ﹂ と い う 場 合 の ﹁同 一ノ 家 ﹂ と は 、 ﹁事 實 上 の 世 帯 で は な く て 、 民 法 上 の家 即 ち 同
= 籍 の意 義 ﹂ に解 さ れ た 。 ま た 、 ﹁同 一ノ世 帯 二在 ル 者 ﹂ と は 、 ﹁住 居 及 び 家 計 を 共 に し 、 肚 會 一般 よ り
ハブ 見 て 、 實 際 上 一家 を 構 成 す る 生 活 團 の 一員 ﹂ を 意 味 す る と さ れ た 。
こ のよ う に 軍 事 扶 助 法 は 、 本 改 正 に よ り 適 用 対 象 者 の拡 大 を 図 った 。 こ れ に よ り 、 従 来 、 救 護 法 に よ る 救 済 を 受 け
て い た 者 が 、 同 法 に よ り 救 済 さ れ る よ う に な った 。 そ のた め 、 同 法 に 基 づ く 被 扶 助 者 が 急 増 し た 。 一九 三 六 (昭 和 一
一) 年 に は 、 = 万 七 九 四 三 人 であ った 被 扶 助 者 数 は 、 一九 三 七 (昭 和 一二 )年 に は 、 コ ニ五 万 七 五 五 七 人 と な った 。
さ ら に 、 一九 三 八 (昭 和 一三 ) 年 に は 、 二 一〇 万 七 三 二 六 人 と 急 増 し た の で あ った (
表 三参 照 )
。 軍 事扶 助 法 は、 軍
事 救 護 法 時 代 か ら 救 護 金 品 への 公 課 の免 除 (
第 一七 条 )
、 お よ び 救 護 金 品 の差 押 え の禁 止 (
第 一八 条 ) に 関 す る 規 定
を 有 し た り 、 ま た 、 ﹁親 族 扶 養 優 先 条 項 ﹂ を 有 し な い な ど 、 一般 救 済 法 で あ る 救 護 法 よ り は る か に 進 ん だ 内 容 で あ っ
た。 それ に加 え本 改 正 によ り ﹁
家 ﹂ 概 念 を 越 え て ﹁世 帯 ﹂ 概 念 が 導 入 さ れ 、 さ ら に 近 代 的 な救 済 法 と な った 。
と こ ろ で 、 同 法 の 改 正 は 、 第 二 次 世 界 大 戦 中 の 一九 四 三 (昭 和 一八 ) 年 に も 行 な わ れ た 。 こ の改 正 で は 、 傷 病 兵 に
退 営 お よ び 召 集 解 除 者 中 、 現 役 お よ び 召 集 中 の原 因 に よ る 傷 病 者 を 追 加 し た 。 こ の軍 事 扶 助 法 中 改 正 法 は 、 一九 四 三
(昭 和 一八 )年 三 月 一二 日 に 公 布 さ れ 、 翌 四 月 か ら 施 行 さ れ た 。
こ の よ う に、 軍 事 救 護 法 、 お よ び そ の改 正 法 で あ る 軍 事 扶 助 法 は 、 わ が 国 の軍 国 主 義 化 と と も に そ の内 容 を 充 実 さ
せ て い った 。
と こ ろ で 、 軍 事 扶 助 法 に よ る 救 済 は 、 も とも と 国 家 に よ り ﹁軍 務 行 政 ﹂ の 一環 と し て特 別 扱 い さ れ てき た こと を 忘
れ て は な ら な い 。 具 体 的 に は 、 救 済 基 準 を 救 護 法 よ り 高 く す る 、 扶 助 の開 始 に あ た って は 柔 軟 な 対 応 を す る 、 軍 事 救
護 法 時 代 に は 、 同 法 に よ る 救 護 を も 取 り 扱 って いた 方 面 委 員 を 補 助 機 関 と し な い な ど の方 法 で 行 な わ れ た 。
そ れ ら に つい ても う 少 し 詳 し く み て み る こ と にす る 。 ま ず は 、 救 済 基 準 に つい て であ る 。 こ こ で は 、 居 宅 救 護 に お
け る 生 活 扶 助 の 基 準 を み る こ と にす る。 救 護 法 で は 、 一九 三 九 (昭 和 一四 )年 一〇 月 一日 の限 度 額 引 上 げ 以 前 は 、 ①
六 大 都 市 お よ び これ と 事 情 を 同 じ く す る 近 隣 町 村 で 一人 一日 三 〇 銭 以 内 、 ② そ の他 の市 お よ び これ と 事 情 を 同 じ く す
(
表 三) 軍事扶助法 による被扶助者
の数 の推移 (
人)
被 扶 助 者 数
る 町 村 で 二 五 銭 以 内 、 ③ そ の他 の 町村 で 二〇 銭 以 内 な ど と な って い た 。 そ れ が 、
一九 三 九 (昭 和 一四 ) 年 の引 上 げ 以 降 は 、 ① 六 大 都 市 お よ び これ と 事 情 を 同 じく
す る 近隣 町 村 一人 一日 四〇 銭 、 ② 六 大 都 市 と 事 情 を ほ と ん ど 同 じ く す る 市 町 村 一
人 一旦 二五銭 、 ③ ① お よ び ② 以 外 の市 で ④ に 該 当 し な い 市 お よ び こ れ と 事 情 を 同
次
六 四三
じ く す る 町 村 一人 一日 三〇 銭 、 ④ そ の他 の 市 お よ び これ と 事 情 を 同 じ く す る 町村
年
七一
〇二 三
、
一 九= =
、
九九
=一
九四三
五三 三
、
〇 七 七
=二
九 二
九 九四
七
、
五 八二 一
、
八 〇七
以 上 の市 で 五〇 銭 以 内 、 ③ 人 口 五 万 未 満 の市 で 四 八 銭 以 内 、 ④ 町 村 で 四 三 銭 以 内
と な った 。 さ ら に 、 一九 四 三 (昭 和 一八 ) 年 の改 定 で は 、 ① 六 大 都 市 で 九 〇 銭 以
和 一六 ) 年 一月 の改 定 で は 、 ① 六 大 都 市 で 七〇 銭 な い し 六 五銭 以 内 、 ② 人 口 五 万
万 未 満 の市 で 四〇 銭 以 内 、 ④ 町 村 で 三 五 銭 以 内 で あ った 。 そ れ が 、 一九 四 一 (
昭
京 都 ・神 戸 ・名 古 屋 五 五銭 以 内 )
、 ② 人 口 五 万 以 上 の市 で 四 二 銭 以 内 、 ③ 人 口 五
① 六 大 都 市 で 一人 一日 五 五 銭 な い し 六 〇 銭 以 内 (東 京 ・横 浜 ・大 阪 六 〇 銭 以 内 、
軍 事 扶 助 法 で は 、 一九 三 七 (
昭 和 一二 )年 一二 月 の通 牒 で 改 定 さ れ た 限 度 額 が 、
五銭 とな った 。
(
昭 和 一七 ) 年 の引 上 げ で は 、 ① 五〇 銭 、 ② 四〇 銭 、 ③ 三 五 銭 、 ④ 三 〇 銭 、 ⑤ 二
一人 一日 二 五 銭 、 ⑤ そ の他 の 町 村 一人 一日 二〇 銭 と な った 。 さ ら に 、 一九 四 二
一 九三二
一 九三五
、
一一 七
、
、
一 〇五 七 七 二
一 九三六
、
、
、
一 〇七 三 二 六
五五 七
一 九三 四
九〇五
、
、
九八
一
一 九三三
1
一
一
- II
、lIII
二
、
二
、
三五七
一 九三七
一
九三八
-1
一 九三 九
九 四一
一 九四 〇
一
︹
備考︺ 本表 は、財 團法人中央祀會
事 業協會 肚會事業 研究所 ﹃日本砒會
事業年鑑﹄ の各年版を基に作成した。
内 、 ② 人 口 三〇 万 以 上 の市 で 七 五銭 以 内 、 ③ 人 口 一五 万 以 上 三 〇 万 未 満 の市 で 七
つぎ は 、 扶 助 の 開 始 に つい て で あ る 。 一九 三 七 (昭 和 一二 ) 年 一二 月 二 七 日 改 正 の 軍 事 扶 助 法 施 行 令 で は 、 ﹁申 請
な った 。
〇 銭 以 内 、 ④ 人 口 五 万 以 上 一五 万 未 満 の 市 で 六 五銭 以 内 、 ⑤ 人 口 五 万 未 満 の市 で 六 〇 銭 以 内 、 ⑥ 町 村 で 五〇 銭 以 内 と
日本社会保障法の形成過程
49
50
手 続 を 躊 躇 し 為 に 一層 生 活 困 難 を 招 来 す る が 如 き 虞 あ る 場 合 は 、 当 該 扶 助 者 の衿 侍 を 尊 重 し 扶 助 申 請 を 侯 た ず に 進 ん
で 扶 助 を 行 ふ を 適 当 と 認 め ﹂ る と し て いた 。
つぎ に 補 助 機 関 に つい て み て み よ う 。 軍 事 扶 助 法 の執 行 機 関 は 地 方 長 官 であ り 、 市 町 村 が そ の補 助 機 関 と な って い
た 。 こ れ は 、 ﹁軍 人 遺 族 ・家 族 、 帰 郷 軍 人 、 傷 疲 軍 人 ら は 、 一般 要 保 護 者 と 異 な り 扶 助 を 受 け る 際 に も 国 家 に よ って
り 名 誉 を 保 証 さ れ て い る 。 そ れ に も か か わ ら ず 、 一般 要 保 護 者 を 対 象 とす る方 面 委 員 に取 り 扱 わ せ る のは 侮 辱 で あ る ﹂
へ と い う 意 見 を 反 映 さ せ た 結 果 で あ った 。 し か し、 事 実 問 題 と し て は 、 方 面 委 員 は 、 積 極 的 に 補 助 的 活 動 を 行 な って い
た。
こ のよ う な 国 家 に よ る 特 別 扱 い は 、 軍 事 援 護 事 業 を 大 き く 前 進 さ せ た 。 そ れ が わ が 国 の軍 国 主 義 を 拡 大 さ せ る 一因
と も な った 。
最 後 に、 軍 事 扶 助 法 と 一九 二 九 (昭 和 四 ) 年 の救 護 法 と の関 連 性 に つい て触 れ て お き た い 。 す で に述 べ てき た よ う
に 、 一九 二九 (
昭 和 四 ) 年 の救 護 法 は 、 都 市 お よ び 農 村 部 か ら 発 生 し てき た 一般 的 な 貧 民 救 済 を 背 景 と し て成 立 し て
き た も の で あ る 。 こ れ に 対 し て 、 軍 事 扶 助 法 は 、 国家 の戦 争 遂 行 上 発 生 し てき た 貧 民 を 救 済 す る こ と を 背 景 に 成 立 し
てき た も ので あ る 。 そ の意 味 で は、 両 者 は 、 立 法 精 神 が 大 き く 異 な って い る。 し か し 、 軍 事 扶 助 法 は 、 救 護 法 と 比 べ 、
よ り 今 日的 な 公 的 扶 助 制 度 に接 近 し て い た と いえ る 。 な ぜ な ら 、 軍 事 扶 助 法 で は 、 国 の戦 争 遂 行 に 協 力 し た こ と が 原
因 で 貧 民 に な った 人 た ち を 地方 長 官 が第 一義 的 に 救 済 す る 責 任 を 明 記 し て い た か ら で あ る 。 そ の点 で 、 軍 事 扶 助 法 は 、
け っし て 一般 的 な 救 済 制 度 で は な か った も の の、 そ の後 のわ が 国 の 公 的 扶 助 立 法 の萌 芽 形 態 で あ った と み る こと が で
きる 。
日本社会保障法の形成過程
51
注
(1 ) 小 川 政 亮 ﹁戦 時 社 会 保 障 法 の成 立 と性 格 ﹂ 籠 山 京 編 ﹃社 会 保 障 の近 代 化 ﹄ 一九 六 七年 、 勤 草 書 房 、 二七 一頁 。
(2 ) 小 林 正 金 編 ﹃現 行 感 化 救 済 法 規 類 纂 ﹄ 一九 = 二年 、 九 七- 九 九 頁 (
社 会 福 祉 調 査 研 究 会 編 ﹃戦 前 期 社 会 事 業 資 料 集 成 ﹄ 第
下 士 兵 卒 又 ハ傷 病 兵 六年 未 満 ノ懲 役 又 ハ禁 鋼 二処 セラ レタ ル者 ナ ル場 合 二於 テ ハ其 ノ刑 ノ執 行 ヲ終 リ 又 ハ執 行 ヲ
傷 病 兵 六年 ノ懲 役 又 ハ禁 鋼 以 上 ノ 刑 二処 セ ラ レ タ ル者 ナ ル 場合 二於 テ ハ其 ノ者 拉 其 ノ家 族 及遺 族 二対 シ救護 ヲ為
一四巻 (一九 八 五年 、 日本 図 書 セ ンタ ー ) 所 収 )
。
(3 ) 第 八条
サス
第 九条
下 士 兵卒 又 ハ傷 病 兵 ノ家 族 又 ハ遺 族 六年 ノ懲 役 又 ハ禁 固 以 上 ノ 刑 二処 セ ラ レ タ ル者 ナ ル 場 合 二於 テ ハ其 ノ者 二対
受 ク ル コト ナ キ ニ至 ル迄 ノ間 其 ノ傷 病 兵 及 其 ノ 下 士兵 卒 又 ハ傷 病 兵 ノ 家 族 二対 シ救 護 ヲ為 サ ス
第 十条
シ救 護 ヲ為 サ ス六年 未満 ノ懲 役 又 ハ禁 鋼 二処 セラ レタ ル者 ナ ル場 合 二於 テ ハ其 ノ刑 ノ執 行 ヲ 終 リ 又 ハ執 行 ヲ受 ク ル コト
ナ キ ニ至 ル迄 ノ 間 亦 同 シ
(4 ) 大 霞 会 ﹃前 掲 書﹄ 四 一八 頁 。
(5 ) 本 改 正 前 か ら そ の第 一六 条 にお い て ﹁本 法 二依 ル救 護 ハ他 ノ法 令 ノ適 用 二付 テ ハ貧 困 ノ為 ニ スル公 費 ノ救 助 二非 サ ル モノ
ト 看 倣 ス﹂ と 規 定 し 、 救 護 法 に基 づ く 救 護 と は 異 な る こと を 明 確 にし て いた 。
(6 ) 吉 富 滋 著 ﹃軍 事 援 護 制 度 の実 際 ﹄ 一九 三 八年 、 山 海 堂 出 版 部 、 一二 七頁 。
(7 ) ﹃同 書 ﹄ 一二 三頁 。
(8 ) 堀 田健 男 ﹃救 護 事 業 ﹄ (﹃社 会事 業 叢 書 ﹄ 第 三 巻 ) 一九 四〇 年 、 常 磐 書 房 、 六〇 1 六 一頁 。 財 團 法 人 中 央 祀 會 事 業 協 會 肚
會 事 業 研 究 所 ﹃日本 肚 會 事 業 年 鑑 ﹄ (昭 和 一四年 ・ 一五年 版 ) (
復 刻 版 ) 一九 七 四 年 、 文 生 書 院 、 一六 四 頁。 ﹃同 年 鑑 ﹄ (昭 和
一七年 版 ) (
復 刻 版 )、 一二 四- 一二 六 頁。 ﹃同年 鑑﹄ (
昭 和 一八年 版 )中 央 肚 會 事 業 協 會 肚 會 事 業 研 究 所 、 四 三 頁。 軍事 保 護
院 編 ﹃軍 人 援 護 事 業 概 要 ﹄ (昭 和 一五 年 度 ) 一九 四 二年、 軍 事 保 護 院 、 六 〇 頁 。
(9 ) 中 央 肚 會 事 業 協 會 ﹃前 掲 書 (昭和 一四 ・ 一五年 版 )
﹄ 一六五 頁 。
(10 ) 大 阪 府 ﹃大 阪 府 民 生 委 員 制 度 四 十年 史 ﹄ 一九 五 八年 、 大 阪府 民生 部 社会 課 、 三 一九 頁 。
(11 ) 吉 田久 一 ﹃前 掲 書 (
現 代 社 会 事 業 研究 )
﹄ 二六六頁。
52
三
救 護 関 係 の特 別 法 の制 定
救 護 法 は 、 わ が 国 初 の ﹁公 的 救 護 義 務 主 義 ﹂ に 立 脚 し た 救 貧 法 制 と し て 一九 二九 (
昭 和 四 )年 成 立 し た 。 し か し 、
ユ 法 律 第 七 一号 ) な ど の特 別 法
法 律 第 一九 号 )
、 ﹁医 療 保 護 法 ﹂
同 法 に よ る 救 護 は 、 差 別 的 、 制 限 的 、 か つ劃 制 的 な も の で あ った 。 そ の た め 、 実 際 の要 請 と の間 に は 、 否 定 す べ か ら
法律 第 三 六号 )
、 ﹁戦 時 災 害 保 護 法 ﹂ (昭 和 一七 年 二 月 二 五 日
ざ る 溝 が 存 在 し た 。 そ の溝 を 埋 め る た め に、 ﹁母 子 保 護 法 ﹂ (昭 和 一二 年 三 月 三 一日
(昭 和 一六 年 三 月 六 日
が 制 定 さ れ た 。 こ の救 護 制 度 の分 散 化 に よ り 、 救 護 法 の相 対 的 地 位 が 低 下 し た 。
こ こ で 、 一九 四 五 (昭 和 二 〇 ) 年 時 点 の各 法 律 の 適 用 比 率 を み て み る こ と に す る (
表 四参 照 )
。 救 護 法 ○ ・五% 、
母 子 保 護 法 ○ ・四% 、 医 療 保 護 法 一 ・○ % 、 戦 時 災 害 保 護 法 八 二 ・七 % 、 軍 事 扶 助 法 (
同 法 は 、 救 護 関 係 の特 別 法 で
律
法
人
数
、
九三 三二七
一
な って い る 。 こ の よ う な 適 用 比 率 に な った 原 因 は 、 救 護 法 の
みでは現 実 の要請 に応 え られな いた め、新 た に特 別法 を制 定
し 、 救 護 法 と 特 別 法 に よ って救 済 を 行 な う よ う に な った か ら
と こ ろ で、 こ れ ら の特 別 法 は 、 ど の よ う な 過 程 を た ど って
であ る。
○
一 ・
にす る。
制 定 さ れ た のだ ろ う か 。 そ の こ と に つい て以 下 で述 べ る こ と
五・ 四
八 二・ 七
○・ 四
○・ 五
%
は な く 軍 事 援 護 関 係 の法 律 で あ る が 、 救 済 に関 す る 法 律 で あ る た め 敢 え て こ こ で 比 較 す る こ と に し た ) 一五 ・四% と
護
(
表 四) 法律別救護状 況 (一九四 五年 )
法
救
、
一 九三
五八六
、
八五
三九二
、
、
一 五 九七七
七〇四
医 療 保 護 法
戦時災 害保護法
、
、
二 九 七 九 五六 二
母 子 保 護 法
軍 事 扶 助 法
︹
備 考 ︺ 本 表 は 、第 九 十 回 帝 国 議 会 ﹃生 活 保 護 法 案 資 料 ﹄
中 に記 載 され てる被 救 護 人 員 数 を 基 に作 成 し た。
↓
(
①
母子保 護法
母 子 保 護 法 制 定 の背 景
一九 一八 (
大 正 七 ) 年 の第 一次 世 界 大 戦 の終 結 後 、 わ が 国 は 、 戦 後 恐 慌 に 見 舞 わ れ た 。 つい こ の間 ま で の戦 争 景 気
が 嘘 の よ う に 一転 し て 大 不 況 に陥 った 。 一九 二 三 (大 正 一二 ) 年 に は 、 関 東 大 震 災 が 発 生 し 、 大 不 況 に 追 い 打 ち を か
け た 。 さ ら に、 一九 二九 (
昭 和 四 ) 年 に は 世 界 恐 慌 、 一九 三 一 (昭 和 六 ) 年 に は 、 東 北 、 北 海 道 の大 凶 作 が 続 いた 。
こ のよ う な 状 況 のな か 、 国 民 生 活 は 窮 乏 化 し た 。 そ し て、 親 子 心 中 、 子 殺 し 、 児 童 虐 待 、 農 村 子 女 の身 売 り な ど 多 く
の社会 問題 が 発生 し た。
親 子 心 中 に つい て み て み る と 、 一九 二 七 (
昭 和 二 )年 六 月 か ら 一九 三 〇 (昭 和 五 ) 年 六 月 ま で の 三 年 間 に新 聞 に 出
の策 定 を 求 め る 世 論 に押 さ れ 児 童 保 護 法 制 お よ び 母 子 保 護 法 制 の制 定 に 動 かざ る を 得 な く な って い った 。
政 府 は 、 こ の よ う な 親 子 心 中 、 子 殺 し 、 お よび 児 童 虐 待 な ど の多 く の 深 刻 な 社 会 問 題 を 適 切 に 措 置 す る た め の方 策
人 なら 誰 でも 貧 困母 子世 帯 に対 す る救 済法制 定 の必要 性を 感 じ るであ ろう 。
困 った 母 親 が 、 父 親 よ り 二倍 半 も 多 く 子 供 を 道 連 れ に 心 中 し て い る の で あ る 。 こ の実 状 を 目 の当 り に す れ ば 、 心あ る
で あ った 。 未 遂 に つい て は 、 五 六 〇 人 のう ち 、 女 親 は 、 三 九 四 人 で あ った 。 こ の結 果 を み る と 、 子 供 を 抱 え て生 活 に
ヨ ま た 、 親 子 心 中 を し た 親 の 男 女 別 の 数 字 も 出 て い る 。 そ れ に よ る と 、 既 遂 一、 二 九 八 人 の う ち 、 女 親 は 、 九 五 二 人
が 出 て い る。
和 九 )年 の 間 の親 子 心 中 の統 計 か ら も 明 ら か であ る 。 そ れ に よ る と 、 親 子 心 中 の原 因 の九 〇 % は ﹁貧 困 ﹂ と い う 結 果
た そ の ほ か の親 子 心 中 も 、 そ の主 た る 原 因 は 、 ﹁貧 困 ﹂ で あ った 。 そ れ は 、 一九 二 七 (昭 和 二 ) 年 か ら 一九 三 四 (昭
で 一、 〇 三 九 人 で あ った。 こ の新 聞 に 載 った 三 八 九 件 の親 子 心 中 の主 た る 原 因 は 、 ﹁貧 困 ﹂ で あ った 。 新 聞 に 出 な か っ
た も のだ け で も 三 八 九 件 で あ った 。 そ れ を 人 数 で み る と 、 自 殺 し た 親 四 七 〇 人 、 道 連 れ に さ れ た 子 供 五 六 九 人 、 合 計
日本社 会保 障 法 の形 成 過 程
53
54
②
母 子 保 護 法 の制 定
﹁母 子 保 護 法 ﹂ は 、 一九 三 七 (
昭 和 一二 )年 三 月 三 一日公 布 さ れ 、 翌 一九 三 八 (
昭 和 = 二)年 一月 一日施 行 さ れ た 。
そ の制 定 過 程 を 以 下 に お い て簡 単 に み る こ と にす る 。
太政
太 政 官 達 第 一六 二号 ) な ど は 、 不 遇 児 童 の保 護 に つい て は 規
太 政 官 達 第 三 〇 〇 号 )、 ﹁三 子 出 生 ノ 貧 困 者 へ養 育 料 給 与 方 ﹂ (明 治 六 年 三 月 三 日
わ が 国 に は 、 母 子 保 護 法 の制 定 以 前 は 、 母 子 保 護 法 制 は ま った く 存 在 し て い な か った。 明 治 初 期 の ﹁
棄 児養 育 米給
与方﹂ (
明 治 四 年 六 月 二〇 日
官 布 告 第 七九 号 )
、 ﹁伽 救 規 則 ﹂ (明 治 七 年 一二 月 八 日
定 し て いた が 、 ﹁母 ﹂ に 対 す る保 護 は 、 な ん ら 規 定 さ れ て いな か った 。
大 正 時 代 に 入 って か ら は 、 都 市 への 人 口集 中 や 産 業 の発 達 な ど 社 会 状 勢 が 変 化 し た 。 そ れ に伴 い 、 ﹁貧 困 ﹂ の た め
労 働 市 場 に 参 入 す る 有 子 婦 人 が 増 加 し た 。 そ のた め 、 これ ら の母 子 の保 護 対 策 が 要 望 さ れ る よ う に な った 。 さ ら に 、
戦 後 恐 慌 な ど を 原 因 とす る 深 刻 な 社 会 問 題 の発 生 も 、 政 府 に 母 子 保 護 法 制 の制 定 を 促 す 要 因 と な った 。 政 府 は 、 一九
一九 (
大 正 八 ) 年 一〇 月 二 九 日 、 救 済 事 業 調 査 会 に ﹁児 童 保 護 二関 ス ル 件 ﹂ を 諮 問 し た 。 そ のな か で、 母 子 扶 助 に 関
す る 要 綱 を 参 考 に 掲 げ て いた 。 諮 問 を 受 け た 救 済 事 業 調 査 会 は 、 同 年 一二 月 二 三 日 、 ﹁児 童 保 護 二関 ス ル 施 設 要 綱 ﹂
る を 決 議 .答 申 し た 。 そ こ に お い て、 母 子 保 護 法 制 の制 定 が 急 務 で あ る こ と が 強 調 さ れ て い た 。 政 府 は 、 同 答 申 に 答 え
う て 母 子 扶 助 法 の草 案 を ま と め た 。 け れ ど も 、 経 費 な ど の問 題 が あ り 実 施 さ れ な か った 。
そ の後 、 母 子 保 護 法 制 の制 定 を 求 め る 運 動 が 積 極 的 に 展 開 さ れ だ し た の は 、 一九 二〇 年 代 後 半 以 降 で あ った 。 そ の
時 期 に は 、 一九 二 三 (
大 正 一二 )年 に 発 生 し た 関 東 大 震 災 の影 響 で 、 第 一次 世 界 大 戦 後 の大 不 況 が さ ら に 悪 化 し て い
た 。 ま た 、 世 界 恐 慌 の 日 本 への波 及 の影 響 も 加 わ り 、 わ が 国 の経 済 状 態 は 、 惨 憺 た る も の で あ った 。
母 子 保 護 法 制 制 定 要 求 運 動 の濫 膓 は 、 一九 二 六 (大 正 一五 ) 年 四 月 二 五 日 の ﹁母 子 扶 助 法 制 定 促 進 会 ﹂ の設 立 で あ
ろ う 。 同 会 の発 起 人 で あ る 週 刊 婦 女 新 聞 社 社 長 福 島 四 郎 は 、 一九 二六 (
大 正 一五 )年 一二 月 二 四 日 召 集 の第 五 二 回 帝
国 議 会 (= 一
月 二 六 日 開 院 式 、 一九 二 七 (昭 和 二 )年 三 月 二 五 日 閉 会 ) への 母 子 扶 助 法 案 の提 出 を 求 め 請 願 運 動 を 行
な った ・ し か し ・ ち ょう ど そ の 時 、 若 槻 内 閣 が 同 議 会 に ﹁児 童 扶 助 法 案 ﹂ の提 出 を 目 指 し て い た 。 そ の内 容 は 、 母 子
扶 助 法 と 大 同 小 異 で あ った 。 そ の た め 、 ﹁母 子 扶 助 法 制 定 促 進 会 ﹂ は 、 運 動 を 中 止 し た 。 け れ ど も 、 児 童 扶 助 法 案 の
議 会 への提 出 は ・ 実 現 し な か つ郁 ゲ 結 局 、 母 子 扶 助 法 案 ど こ ろ か 児 童 扶 助 法案 も 第 五 二 回 帝 国 議 会 に は 提 出 さ れ な か っ
た の で あ った 。
そ の後 ・ 一九 二 九 (
昭 和 四 ) 年 四 月 二 日 に ﹁救 護 法 ﹂ が 公 布 さ れ た 。 け れ ど も 、 同 法 に基 づ く 母 子 保 護 は 、 妊 産 婦 、
満 一歳 未 満 の乳 児 哺 育 中 の 母 に 限 ら れ て いた 。 そ れ に 、 同 法 に よ る 保 護 は 、 ﹁憧 救 ﹂ の 域 を で る も ので は な か った 。
む そ の た め ・ 天 三 〇 (昭 和 五 ) 年 に は ・ 社 会 民 衆 婦 人 同 監 )
に よ り 新 た に 苺 子 扶 助 法 制 定 運 動 L が 起 .﹂った 。 同 同
日 、 第 五 九 回 帝 国 議 会 二 九 三 〇 (昭 和 五 ) 年 一二 月 二 四 日 召 集 、 二 六 日開 院 式 、 一
む 国 議 会 へも ・ 片 山 哲 代 議 士 を し て ﹁母 子 扶 助 法 案 ﹂ を 提 出 し た 。 そ し て、 五月 二 二 日 に上 程 さ れ た 。 し か し 、 会 期 切
ま た ・ 母 性 保 護 聯 盟 は 、 一九 三 六 (
昭 和 = ) 年 五 月 一日 召 集 (五 月 四 日開 院 式 、 五 月 二 六 日閉 会 ) の第 六 九 回 帝
助 の法 律 を 制 定 し 、 母 を し て安 ん じ て第 二国 民 の養 育 に専 念 せ し め ら れ ん こと を 望 む ﹂ と 決 議 し て い る 。
ヨ
一九 三 五 (
昭 和 一〇 ) 年 一〇 月 二 六 日、 第 八 回 全 国 社 会 事 業 大 会 は 、 ﹁政 府 は 速 に 救 護 法 と 立 場 を 異 に す る 母 子 扶
律 の制 定 に は な か な か 漕 ぎ 着 け る こ と が で き な か った 。 け れ ど も 、 運 動 は 粘 り 強 く 続 け ら れ た 。
(一九 三 五 (
昭 和 一〇 ) 年 四 月 一九 口 、 ﹁母 性 保 護 聯 盟 ﹂ と 改 称 ) や 社 会 事 業 団 体 に よ って 行 な わ れ た 。 し か し 、 法
そ の後 も 母 子 扶 助 法 の制 定 要 求 運 動 は 、 一九 三 四 (昭 和 九 ) 年 二 月 二 九 日 設 立 の ﹁母 性 保 護 法 制 定 促 進 婦 人 聯 盟 ﹂
さ れ た 。 け れ ど も 、 同 法 案 も 会 期 が 切 迫 し て い た た め 上 程 を 見 る こ と は な か った 。
九三 一 (
昭 和 六 )年 三 月 二 七 日 閉 会 ) に わ が 国 初 の ﹁母 子 扶 助 法 案 ﹂ が 、 社 会 民 衆 党 衆 議 院 議 員 片 山 哲 に よ って 提 出
一九 三 一 (
昭 和 六 )年 三月 =
盟 は 、 ﹁貧 困 母 子 の 経 済 的 扶 助 は 当 然 国 家 の負 ふ べ き 義 務 な り ﹂ と 主 張 し た 。 こ の社 会 民 衆 婦 人 同 盟 の運 動 に よ り 、
日本 社 会保 障 法 の形 成 過 程
55
迫 のた め審 議 未 了 に 終 わ って し ま った 。
そ の た め 、 第 八 回 社 会 事 業 大 会 継 続 委 員 会 は 、 母 子 扶 助 法 案 を 内 務 大 臣 と 大 蔵 大 臣 に 建 議 す る こ と に し た 。 そ の手
月 二 四 日 召 集 (一二 月 二 六 日開
月 = 二日 、 ﹁母 子 保 護 法 ﹂ を 制 定 す る 旨 新 聞 発 表
続 が 終 了 し た の は 、 一九 三 六 (昭 和 一 一) 年 一 一月 一七 日 で あ った の。
け れ ど も 、 政 府 は 、 母 子 扶 助 法 案 の建 議 手 続 き 終 了 に 先 立 つ =
レ し て いた 。 結 局 、 政 府 (
内 務 省 )作 成 の母 子 保 護 法 案 が 一九 三 六 (
昭 和 = ) 年 一二
育 に 専 念 で き る よ う に す る こ と ﹂ に 変 更 し て政 府 に 母 子 扶 助 法 の 制 定 を 要 求 し た の で あ る 。 そ し て、 ﹁母 子 保 護 法 ﹂
子 扶 助 法 の 制 定 目 的 を 単 な る ﹁貧 困 母 子 の 扶 助 ﹂ か ら 、 ﹁戦 争 遂 行 ﹂ に貢 献 さ せ る べ く ﹁母 が 安 心 し て第 二 国 民 の養
じ て第 二 国 民 の養 育 に専 念 せ し め ら れ ん こ と を 望 む め﹂
と述 べ られ ている ことな ど から も 明ら か であ る。す なわ ち・ 母
法 制 定 要 望 に 関 す る 件 建 議 ﹂ に お い て 、 ﹁政 府 は 速 に 救 貧 法 と 立 場 を 異 に す る 母 子 扶 助 の 法 律 を 制 定 し 母 を し て安 ん
そ れ は 、 第 八 回 社 会 事 業 大会 会 長 清 浦 奎 吾 名 で 内 務 大 臣 後 藤 文 夫 お よ び 大 蔵 大 臣 高 橋 是 清 に建 議 さ れ た ﹁母 子 扶 助
遂 行 ﹂ と い う 国 家 目 的 に 従 属 さ せ る こ と に よ り 成 立 さ せ よ う と し た の で あ った 。
こと は で き な い と 悟 った 運 動 推 進 者 達 に よ って要 求 方 法 が 変 更 さ れ た 。 つま り 、 貧 困 母 子 に 対 す る 社 会 扶 助 を ﹁戦 争
こ と を 求 め て始 ま った 母 子 扶 助 法 制 定 要 求 運 動 も 、 当 初 のよ う な 要 求 の 仕 方 で は 政 府 を し て 母 子 扶 助 法 を 制 定 さ せ る
母 子 扶 助 法 制 定 要 求 の影 響 が 多 分 にあ った と いう こ と で あ る 。 け れ ど も 、 当 初 、 ﹁母 と 子 の生 活 を 社 会 的 に保 護 す る ﹂
全 日本 私 設 社 会 事 業 連 盟 (一九 三 一 (昭 和 六 ) 年 七 月 、 中 央 社 会 事 業 協 会 か ら 分 離 )、 中 央 社 会 事 業 協 会 な ど に よ る
こ こ で 忘 れ て は な ら な い のは 、 政 府 が 母 子 保 護 法 案 を 議 会 に 提 出 し、 同 法 案 が 可 決 成 立 し た のは 、 母 性 保 護 聯 盟 、
決 さ れ 、 三 月 三 一日、 法 律 第 一九 号 を も って 公 布 さ れ た 。
九三七 (
昭 和 一二 )年 三 月 二 日 で あ った 。 そ の後 、 同 法 案 は 、 議 会 で の審 議 に付 さ れ た 。 そ し て、 同 年 三 月 二〇 日 可
院 式 、 一九 三 七 (
昭 和 一二 )年 三 月 三 一日解 散 ) の第 七 〇 回 帝 国 議 会 に 提 出 さ れ る こ と に な った 。 法 案 の提 出 は ・ 一
56
の制 定 を 実 現 さ せ た の であ った 。
け れ ど も 、 同 法 は 、 前 述 の建 議 に お い て制 定 を 求 め ら れ た ﹁救 貧 法 と 立 場 を 異 に す る ﹂ 法 律 、 す な わ ち ﹁救 貧 的 な
も の で は な く 普 遍 的 な ﹂ 法 律 で は な か った。 こ の こ と は 、 注 意 し て お か な け れ ば な ら な い ・
か く し て 、 成 立 し た 母 子 保 護 法 は 、 そ の第 一条 に お い て 、 ﹁十 三 歳 以 下 ノ 子 ヲ擁 ス ル 母 貧 困 ノ 為 生 活 ス ル コト能 ハ
ズ 又 ハ其 ノ 子 ヲ 養 育 ス ル コト 能 ハザ ル ト キ ハ本 法 二依 リ 之 ヲ 扶 助 ス﹂ と し 、 さ ら に 、 第 二 条 にお い て は 、 ﹁本 法 ノ適
用 二付 テ ハ十 三 歳 以 下 ノ 孫 ヲ擁 スル 祖 母 ニ シ テ命 令 ノ 定 ム ル モ ノ ハ十 三 歳 以 下 ノ 子 ヲ 擁 ス ル 母 ト看 倣 シ其 ノ孫 ハ其 ノ
子 ト 看 倣 ス﹂ と 定 め て い る。
扶 助 の種 類 に つい ては 、 ﹁生 活 扶 助 ﹂、 ﹁養 育 扶 助 ﹂、 ﹁生 業 扶 助 ﹂ お よ び ﹁医 療 ﹂ が 定 め ら れ て い る (
第 六条 )
。そ の
他 、 ﹁埋 葬 費 ﹂ の支 給 に つい ても 定 め ら れ て い た (
第 八条 )
。
母 子 保 護 法 は 、 = 二歳 以 下 の子 を 有 す る 貧 困 の母 、 お よ び = 二歳 以 下 の 孫 を 有 す る 貧 困 の祖 母 に も 救 護 を 与 え る こ
母 子 保 護 法 の実 施
と に よ って、 救 護 法 よ り 救 護 対 象 者 の範 囲 を 拡 大 し て い る 。 こ れ を 救 護 法 の貧 困 母 子 世 帯 へ の拡 張 と 理 解 す る こ と も
でき る 。
③
第 七〇 回 帝 国 議 会 にお い て 成 立 し た 母 子 保 護 法 は 、 一九 三 八 (
昭和 =一
一
) 年 一月 一日施 行 さ れ た ・
け れ ど も 、 残 念 な こと に 同 法 に は 、 問 題 点 が あ った 。
そ の第 }は 、 適 用 対 象 が 限 定 さ れ て い た こ と であ る。 つま り 、 同 法 の適 用 は 、 ﹁十 三 歳 以 下 ノ 子 ヲ 擁 ス ル母 貧 困 ノ
ル モ ノ ハ十 三 歳 以 下 ノ 子 ヲ擁 ス ル 母 ト 看 倣 シ其 ノ 孫 ハ其 ノ 子 ト 看 倣 ﹂ さ れ た (
第 二条 )
。) で 、 か つ原 則 と し て母 に
為 生 活 スル コト 能 ハズ 又 ハ其 ノ 子 ヲ 養 育 ス ル コト 能 ハザ ル ト キ ﹂ (﹁十 三 歳 以 下 ノ 孫 ヲ 擁 ス ル 祖 母 ニ シ テ命 令 ノ定 ム
日本 社 会保 障 法 の 形成 過 程
57
58
﹁配 偶 者 (届 出 ヲ為 サザ ル モ事 実 上 婚 姻 関 係 ト 同 様 ノ事 情 二在 ル者 ヲ 含 ム )
﹂ が な い場合 に限 られ てい た (
第 一条 )
。
し か し 、 配 偶 者 が い て も つぎ のよ う な 場 合 に は 、 扶 助 を 受 け る こ と が で き た 。 そ れ は 、 配 偶 者 が ﹁精 神 又 ハ身 体 ノ
障 碍 二因 リ 労 務 ヲ行 フ コト 能 ハザ ル ト キ ﹂、 ﹁行 方 不 明 ナ ル ト キ ﹂、 ﹁法 令 二因 リ 拘 禁 セ ラ レ タ ル ト キ ﹂、 ﹁母 子 ヲ遺 棄 シ
タルト キ﹂ (
第 一条 ) で あ った 。 こ れ 以 外 の 場 合 、 た と え ば 、 配 偶 者 が ﹁失 業 ﹂ し て い る 場 合 に は 、 収 入 が な い の は
同 じ で あ る に も か か わ ら ず 母 子 保 護 法 に基 づ く 扶 助 は 受 け ら れ な か った 。
第 二 は 、 同 法 の適 用 は 、 生 活 が ﹁不 可 能 ﹂ な 場 合 に 限 ら れ て い た 。 生 活 が ﹁困 難 ﹂ な 場 合 の適 用 は な か った 。 こ の
点 も 問 題 で あ った 。
第 三 は 、 扶 助 の給 付 額 が 非 常 に 少 な い こ と で あ った 。 す な わ ち 、 同 法 制 定 当 時 の給 付 額 は 、 母 一人 一日 二 五 銭 、 子
供 一人 一日 二 五 銭 で あ った 。 母 が 働 い て い る場 合 は 、 扶 助 限 度 額 か ら 差 し 引 か れ た 。 これ は 、 一九 三 二 (
昭和 七)年
の救 護 法 施 行 時 に 定 め ら れ た 居 宅 に お け る ﹁生 活 扶 助 ﹂ 額 (地 域 によ って三 〇 銭 、 二 五銭 、 二 〇 銭 以 内 の 三 ラ ン ク に
分 け ら れ て いた ) のま ん な か の ラ ン クと 同 じ で あ った 。 こ の 額 で は 、 ﹁適 正 な 母 性 保 護 ﹂、 お よ び ﹁子 女 の健 全 育 成 ﹂
は 、 到 底 期 し え な い も の で あ った 。
こ の 問 題 点 に つい て は 、 そ の後 是 正 措 置 が と ら れ 扶 助 額 が 増 額 さ れ た 。 一九 三 九 (昭 和 一四 ) 年 一〇 月 に は 、 法 施
行 後 の 経 済 状 勢 の変 化 に 対 応 し て、 ﹁生 活 扶 助 ﹂、 ﹁養 育 扶 助 ﹂、 ﹁生 業 扶 助 ﹂、 ﹁埋 葬 ﹂ に つき そ れ ぞ れ 限 度 額 が 引 き 上
②
①
前 記 ① お よ び ② 以 外 の市 に し て後 記 ④ に よ る こ と を 得 な い市 お よ び これ と 事 情 を 同 じ く す る 町村 一人 一日 三
六 大 都 市 と 事 情 を ほ と ん ど 同 じ く す る 市 町 村 一人 一日 三 五銭
六 大 都 市 お よ び こ れ と 事 情 を 同 じ く す る 近 隣 市 町 村 一人 一日 四〇 銭
げ ら れ た 。 ﹁生 活 扶 助 ﹂ な ら び に ﹁養 育 扶 助 ﹂ で居 宅 の場 合 を み て み る と 以 下 の と お り で あ る 。
③
〇銭
⑤
④
そ の他 の 町 村 一人 一日 二〇 銭
そ の他 の 市 お よ び こ れ と 事 情 を 同 じ く す る 町 村 一人 一日 二 五 銭 、
な ど と な って い た 。
そ の後 、 太 平 洋 戦 争 が 勃 発 し 経 済 状 勢 は 、 急 激 に 変 化 し た 。 そ のた め 、 一九 三 九 (昭 和 一四 ) 年 に 改 訂 さ れ た 給 与
限 度 額 で は、 保 護 の徹 底 が 期 し が た く な った。 政 府 は 、 こ のよ う な 状 況 を 考 慮 し 、 一九 四 二 (昭 和 一七 )年 三 月 か ら 、
﹁生 活 扶 助 ﹂、 ﹁養 育 扶 助 ﹂、 ﹁生 業 扶 助 ﹂ の各 給 与 限 度 額 を 引 き 上 げ た 。
た と え ば 、 居 宅 に お け る 保 護 の場 合 を み て み ょ う 。 ﹁生 活 扶 助 ﹂ な ら び に ﹁養 育 扶 助 ﹂ の 限 度 額 は 、 つぎ の と お り
②
①
前 記 ① お よ び ② 以 外 の市 に し て後 記 ④ に よ る こ と を 得 な い市 お よ び これ と 事 情 を 同 じ く す る 町村 一人 一日 三
六 大 都 市 と 事 情 を ほ と ん ど 同 じ く す る 市 町 村 一人 一日 四 〇 銭
六 大 都 市 お よ び こ れ と 事 情 を 同 じ く す る 近 隣 市 町 村 一人 一日 五〇 銭
であ る。
③
⑤
④
現 行 限 度 一人 一日 二 三銭 、 二 二 銭 、 ま た は 一八 銭 の 町 村 に つい て は 、 な る べ く 一人 一日 二 五 銭 と す る よ う に
そ の 他 の 町 村 一人 一日 二 五 銭
そ の他 の市 お よ び こ れ と 事 情 を 同 じ く す る 町 村 一人 一日 三 〇 銭
五銭
⑥
し撃
け れ ど も 、 こ の引 き 上 げ は 、 純 粋 に 母 子 の保 護 を 目 的 と し た も の で は な か った 。 実 は 、 ﹁健 兵 健 民 政策 ﹂ と 深 く 関
第 四 は 、 ﹁欠 格 条 項 ﹂ (
第 三条 ) お よ び 扶 助 の実 施 制 限 を 可 能 にす る条 項 (
第 一〇 条 ) が 存 在 す る こ と で あ る 。 と く
わ って い た の で あ った 。
日本社会保障法の形成過程
59
60
子保護法扶助種類別実施状 況
(表五)母
年
度
扶 助の 種 類
生活扶助
生活扶助
一 九三八
一 九四 〇
養育扶助
埋
埋
療
療
葬
葬
生業扶 助
生業扶 助
医
医
養育扶助
一 九三八
一 九四 〇
一 九三八
一 九 四〇
一 九三八
一 九四〇
一 九三 八
一 九四〇
、
、
七 四一
七二
八三
( 六)
一 二七
( 五)
〇四四
一 二六
四
六 七)
二一
一
一 九五
九)
( =二 〇
)
、
八二 六
、
一 一
一 六九
( 七 三)
六)
六一
(一
入院
四八
(一 一 )
三二 九
〇五 〇
=二 七
〇九
扶 助 金 額 ( 円
)
、
、
三五 八 一
一
、
二
七 〇五
九四
五 三六
三 六三
七 六 八
、
二 一
、
、
三
、
七
四 四一
一
九五八
、
四 七六 〇
、
八
○〇
七
、
五
、
一 八 九)
三九四
四 〇)
二 五一
(一
、
〇二
二 五一
、
二 一
、
二
一
(一
、
八三 三七六
一
、
( 五)
、
二 六 一一一
、
、
五九七
一
九 〇〇
(一
一
(一
、
二
、
六五
、
五九 三六 〇
二一
被 保 護 実 人 員 ( 人)
居宅
入院
居宅
入院
居宅
入院
居宅
入院
居宅
入院
居宅
入院
居宅
居宅
入院
一二 六 四
( 四 〇
)
二五 八
〔備考〕本表 は、『日本肚會 事業 年鑑』 昭和 十 四 ・十五 年版お よび 同昭和十 八年版 に収
録 され てい る母子保 護状況調 を基 に作成 した。表 中 の()内 の数字 は、一人で二
種類以上 の扶助 を受 けた者 の人数 お よびその者 に要 した扶助費用 を示 してい る。
に第 三 条 は 、 救 貧 法 的 規 定 で あ り
問 題 であ る 。
第 五 は 、 ﹁不 服 申 立 ﹂ に 関 す る
規定 が欠 如 し て いる こと であ る。
これ は 、 第 四 の 問 題 点 と も 関 連 す
るも の で あ り 、 被 扶 助 者 の 扶 助 受
給 権 の擁 護 と い う 点 に お い て非 常
に重 要 な 問 題 点 で あ る 。
以 上 の点 か ら す る と 、 母 子 保 護
法 は 、 そ の ﹁母 子 保 護 法 ﹂ と い う
名 称 と は 程 遠 いも の で あ った と い
わざ る を 得 な い。 も と も と 、 同 法
は 、 ﹁救 貧 法 と 立 場 を 異 に す る 母
子 扶 助 の法 律 ﹂ の制 定 、 す な わ ち
﹁
救 貧法 的 なも のでは なく 、普 遍
的 な 社 会 扶 助 法 ﹂ の制 定 要 求 に 対
応 し て制 定 さ れ た も の で あ った 。
そ のた め 、 法 律 の名 称 も ﹁母 子 救
済 法 ﹂ で は な く ﹁母 子 保 護 法 ﹂ と
日本社会保障法の形成過程
61
扶 助 金 額( 円
)
(
表 六) 母子保護法実施状 況の推移
次
扶助実人 員
(人
)
、
二 八五
年
一
、
〇六 九 七 二 六
六六 〇
、
七七 〇
八三
、
二
、
一 九三八
、
九三
四 〇七
、
工 ○ 六 六八
、
、
四 九 八五 三 七 八
一 九 四〇
一
、
= ○
九 四一
一 九四三
、
= ○ 九二 二
、
、
四 九五 〇
= 三
、
〇 四六 六 九二
○} 九
一 九四 四
、
八五 三 九二
、
五
一 九四五
︹
出典︺池 田敬 正著 ﹃日本社会福祉史﹄ 一九八七年 、
法律文化社
な って い た 。 そ れ に も か か わ ら ず 、 そ の内 容 に は 、 不 備 が あ
り ﹁救 貧 法 ﹂ 的 性 格 を 残 す 法 律 で あ った 。
こ こ で 、 一九 三 八 (
昭 和 = 二) 年 度 一〇 月 ∼ 三 月 期 お よ び
一九 四 〇 (昭 和 一五 )年 度 一〇 月 ∼ 三 月 期 に お け る 母 子 保 護
法 の扶 助 種 類 別 実 施 状 況 を 表 五 で み て み る こと に す る 。
こ の表 を み る と ﹁
養 育 扶 助 ﹂ を 受 け た 者 の数 お よ び そ れ に
要 し た 費 用 が 飛 び 抜 け て 多 い 。 ﹁生 業 扶 助 ﹂ は 、 そ れ と は 逆
に 極 端 に 少 な く な って い る 。
っぎ に実 施 状 況 の推 移 を 表 六 で み る こ と に す る 。
こ の表 を み る と 太 平 洋 戦 争 に突 入 し た 一九 四 一 (
昭 和 一六 )
年 か ら 一九 四 四 (昭 和 一九 ) 年 に か け て は、 扶 助 実 人 員 が = 万 人 代 に 増 加 し て い る 。 し か し 、 こ の増 加 は 、 戦 争 の
影 響 に よ る 増 加 と い う に は あ ま り に も 少 な す ぎ る 。 原 因 は 、 一九 三 七 (
昭 和 一二 ) 年 に 軍 事 救 護 法 が 改 正 さ れ ﹁軍 事
扶 助 法 ﹂ と な り 、 適 用 対 象 が 拡 大 さ れ て い た た め 、 本 来 な ら 母 子 保 護 法 の適 用 対 象 と な る べ き 多 く の母 子 世 帯 が 、 軍
法 律 第 七 一号 ) に よ る 扶 助 が 母 子 保 護 法 な ど の救 貧 立 法 に 優 先 し て実 施 さ れ る よ う に な った こ と な ど
事 扶 助 法 の適 用 対 象 と し て吸 収 さ れ た こ と 、 一九 四 二 (昭 和 一七 ) 年 四 月 一八 日以 降 は 、 戦 時 災 害 保 護 法 (
昭 和 一七
年 二月 二 五 日
が考 え られ る。
ま た 、 こ のよ う な 戦 時 体 制 下 に お い て は 、 世 間 の同 情 も 戦 争 に よ って 母 子 世 帯 と な った 世 帯 な ど に 自 然 と 集 ま り 、
母 子 保 護 法 のよ う な 平 時 立 法 の適 用 対 象 と な る 一般 母 子 世 帯 は 、 正 当 な 扶 助 請 求 を 行 な う こ と も 遠 慮 が ち に な って し
ま う よ う な 状 況 が 作 り 出 さ れ て い た と い う こ と に も 原 因 が あ った 。
62
生 活 保 護 法 の解 釈 と 運 用﹄ (
復 刻 版 ) 一九 八 五年 、 全 国社 会 福 祉 協 議会 、 = 頁 。
こ のよ う に 、 戦 時 体 制 下 に お い て は 、 平 時 立 法 で あ る 母 子 保 護 法 に よ る 一般 母 子 世 帯 の保 護 は 、 非 常 に 陰 の薄 いも
の と な って い た の で あ った 。
注
(1 ) 小 山進 次 郎 著 ﹃改 訂 増 補
(2 ) 全 国社 会 福 祉 協 議 会 ﹃民 生 委 員 制 度 四十 年 史﹄ 一九 六 四年 、 全 国 社 会 福 祉 協 議 会 、 一四 八頁 。
(3 ) 同 右 。
(4 ) 厚 生 省 五 十年 史編 集委 員 会編 ﹃前 掲 書 ﹄ 二 七 三 頁。
(5 ) 全 国 社 会 福 祉 協 議 会 ﹃前 掲書 ﹄ 一四七 頁 。
(6 ) 同 会 は 、 週 刊 婦 女 新 聞 社 内 に 設立 さ れ た 。
第 五巻 ﹄ 一九 八 二年 、
(7 ) 金 子 し げ り ﹁母 子扶 助 法制 定 促 進 運 動 史 ﹂ 財 團 法 人 中 央 肚 會 事 業 協 會 肚 會 事 業 研究 所 ﹃肚 會 事 業 ﹄ (
第 二〇 巻 第 一〇 号 )
一九 三 二年 、 財 團 法 人 中 央 肚 會 事 業 協 會 肚 會 事 業 研 究 所 (
社 会 保 障 研 究 所 ﹃日 本 社 会 保 障 前 史 資 料
至誠 堂 、 八 二 一ー 八 二七 頁 所 収 )、 八 二 二頁 。
(8 ) 同 右。
第 五巻 )﹄ 八 二 二 頁。
(9 ) 普 通 選 挙 の実施 に と も な って生 ま れ た 無 産 政 党 の ひと つであ る 社 会 民 衆 党 を 支 持 す る無 産 婦 人 団 体 。
(10 ) 金 子 しげ り ﹁前 掲 論 文﹂ 社会 保 障 研 究 所 ﹃前 掲 書 (日 本社 会 保 障 前 史 資 料
(11 ) 同 聯 盟 は 、 個 人 参 加方 式 の団体 で あ った 。 委 員 長 は、 山 田わ か が 就 任 し た 。 聯 盟 の 目的 は、 聯盟 の名 称 通 り ﹁母 性 保 護 に
関 す る 法 律 の制 定 促 進 ﹂ であ った 。 ﹁母 子 扶 助 法 ﹂ の制 定 は、 ま さ に そ の 目 的 に含 ま れ て いた 。 同 聯 盟 は 、 議 会 、 宣 伝 、 調
査 、 財 務 の 四部 門 に分 かれ て運 動 を開 始 し た 。
(12 ) 中 央 肚 會 事 業 協 會 ﹃前 掲 書 ﹄ (昭 和 = 年 版 ) 四 五 四 頁。
(13 ) 一番 ヶ瀬 康 子 ﹁母 子 保護 法制 定 促 進 運 動 の社 会 的 性 格 に つい て﹂ 一番 ヶ瀬 康 子著 ﹃現代 社 会 福 祉 論﹄ 一九 七 一年 、 時潮 社 、
二 四 五頁 。
(14 ) 厚 生 省 五 十年 史 編 集委 員 会 編 ﹃前 掲 書 ﹄ 九 四 頁。
(15 ) 中 央 肚 會 事 業 協 會 ﹃前 掲 書 ﹄ (昭 和 = 年 版 ) 四 五 四頁 。
(16 ) 中 央 肚 會 事 業 協 會 ﹃前 掲 書 ﹄ (昭 和 一八年 版 ) 一五七 頁 。
⇒
(
医療 保 護 法
医 療 保 護 法 制 定 の背 景
(
表 七 ) 各 種 医療 保護 事 業 実 施状 況
(
昭 和 [四年 度 ) (
人)
法
①
一九 三 七 (
昭 和 一二 )年 七 月 に 日 華 事 変 が 勃 発 し 、 そ れ 以 降 本 格
救護法
、
五
数
一
四
四 五
= 八
、
三 〇 ○〇
人
的 な 戦 時 体 制 に 移 行 し て い った 。 戦 時 体 制 下 に お い て は 、 国 家 の総
母子保護法
、
、
七 五 四七
規
力 を 挙 げ て戦 争 を 遂 行 す る と い う ﹁総 力 戦 思 想 ﹂ が 普 及 し た。 そ し
一
結核予防法
、
二 七 九三
九六 八
癩予防法
、
三 三三五
、
二二
花柳病予防法
、
四
罹災救助基金法
行旅病人及行旅死亡人取扱 法
て 、 ﹁戦 争 遂 行 の た め の人 的 資 源 確 保 ﹂ と い う 観 点 か ら 兵 力 の 増 強
精神病者監護法
、
七 六 九六
お よ び 生 産 力 拡 充 の基 礎 を な す 一般 庶 民 階 層 の健 康 、 疾 病 の 予 防 お
月六日
精神 病院法
、
二 四 〇 三九五
法 律 第 三 六 号 ) は 、 ま だ 制 定 さ れ て いな か った 。 そ のた め 、
と こ ろ で 、 日華 事 変 勃 発 当 時 に は 、 ﹁医 療 保 護 法 ﹂ (昭 和 一六 年 三
よ び 治 療 に 関 す る こ と が 重 要 視 さ れ る よ う に な った 。
医 療 保 護 は 、 当 時 施 行 さ れ て い た 医 療 保 護 関 係 の法 規 、 ﹁時 局 匡 救
軍 事扶助法
五五七
〇五 三
医 療 救 護 事 業 ﹂ な ど に よ って 行 な わ れ て いた ほ か 、 恩 賜 財 団 済 生 会
助 産( 救 護 法
)
、
四 二三七
、
三三三
八四八
︹備 考 ︺ 本 表 は 、 厚 生 省 作 成 の 昭和 一四 年 度 各
種 医 療 保 護 事 業 実 施 状 況調 (
社会 保障研
究所 編 ﹃日本 社 会保 障 前 史資 料 ﹄ 第 二巻 、
一九 八 一年 、 至 誠 堂 所 収 )を 基 に作 成 し
た。 な お、 本 表 に記 載 さ れ て いる 人数 は、
居宅 保 護 と 収 容 保 護 を あ わ せた 実 人員 で
あ る。
総計
助 産( 軍 事 扶 助 法
)
お よ び 各 社 会 事 業 団 体 な ど に よ っても 行 な わ れ て いた 。 当 時 の医 療
保 護 関 係 法 規 に は 、 ﹁救 護 法 ﹂、 旧母 子 保 護 法 ﹂、 ﹁行 旅 病 人 及 行 旅 死
亡 人 取 扱 法 ﹂、 ﹁罹 災 救 助 基 金 法 ﹂、 ﹁結 核 予 防 法 ﹂、 ﹁
癩 予 防 法 ﹂、 ﹁花
柳 病 予 防 法 ﹂、 ﹁精 神 病 者 監 護 法 ﹂、 ﹁精 神 病 院 法 ﹂、 ﹁軍 事 扶 助 法 ﹂ な
ユ ど が あ った 。 さ ら に 、 ﹁助 産 ﹂ も あ った 。 こ の よ う に 医 療 保 護 法 制
よ る 一九 三 九 (昭 和 一四 ) 年 時 点 の 医 療 保 護 の実 施 状 況 は 、 表 七 の
定 以 前 は 、 医 療 保 護 に 関 す る 法 規 が 乱 立 し て い た 。 そ れ ら の法 規 に
日本社会保障法の形成過程
63
よ う にな って い る 。
ヨ ま た 、 時 局 匡 救 医 療 救 護 事 業 の実 施 状 況 は 、 表 八 のと お り で あ る 。 同 事 業 に 対 し て は 、 一九 三 二 (
昭 和 七 ) 年 の事
国
費
道
府
県
費
、
二
一
、
七一 七
、
五七二
三六七
;二 五
三一 二
計
、
三一 七
、
、
三 一 二 八
、
三 七 二 三一 二
○ ○○
、
四二八 三六七
、
六 〇 〇 ○ ○○
○ ○○
、
業 開 始 以 来 、 医 療 保 護 法 に 吸 収 さ れ る 一九 四 一 (昭 和 一六 ) 年 ま で に 、 下 賜 金 、 国 費 、 道 府 県 費 合 わ せ て 一五 、 四 七
○
一
賜 金
、
六 〇 〇 ○○
○
一
下
○○
○
御
、
二 〇〇
○○
一
年 度
一 〇 年 度
一
一
一
=
一 二 年 度
;二 五
、
二 〇〇
、
、
二 〇〇
、
八 年 度
一
、
五 〇〇
九 年 度
、
、
、
〇五 六 八 七 七
○ ○○
、
二
、
八 〇〇
一
、
二五六 八七七
、
、
三七二 一 七二
昭 和 七 年 度(一
月-三月)
〇
区 別
年度
(
表 八 ) 時 局 匡 救 医療 救 護 事 業 各 年 度 支 出 状 況 (
円)
一、 六 四 一円 が 費 や さ れ た 。
Il
○ ○○
、
四 七二 一 七 二
、
一 〇〇
一
、
、
、
三八七 五二 九
五二九
○ ○○
、
四八七
、
一 〇〇
一
、
、
、
四三九 八 四四
八四四
○ ○○
、
五三 九
、
一 〇〇
一
六 四一
、
一 三 年 度
、
、
八五 〇 一 八 三
四 七一
、
二 五 〇 一 八三
六 四一
、
一 五
、
六 〇〇 ○○ ○
、
一 四 年 度
九 〇一
、
六 四 七 一 二二
、
、
二
、
七 七 一 二二
、
、
九 五七 〇
○○○
、
五七 〇 ○○○
、
、
三 ○ ○○
○○
○
一 五 年 度
計
︹
出 典 ︺ 堀 田健 男 ﹃救 護 事 業 ﹄ (﹃社会 事 業叢 書 ﹄ 第 三 巻 ) 一九 四〇 年 、 常磐 書 房
日本社 会 保 障法 の形 成 過程
65
こ のよ う に 、 医 療 保 護 法 制 定 以 前 の医 療 保 護 は 、 乱 立 し て い る 医 療 保 護 関 係 の法 規 お よ び 時 局 匡 救 医 療 救 護 事 業 な
ど によ りば ら ば ら に実施 さ れ ていた。 これは、 医療 保 護 の効率 的実 施 の上か ら問題 とされ た。
る ま た 、 医 療 保 護 の内 容 に も 不 十 分 な 点 が あ った 。 こ の ほ か 医 療 費 の請 求 お よ び 支 払 手 続 が 煩 鎖 に 過 ぎ る 。 医 療 保 護
施 設 が い ま だ 普 及 整 備 の域 に 達 し て いな い の で 、 医 療 保 護 が 必 要 な 者 に対 し て 遍 く 保 護 の手 が 行 き 渡 ら な い な ど 遺 憾
ら ソ
な 点 が 多 々あ った 。
さ ら に 、本 来 、防 貧 を 目 的 と す る 医 療 保 護 が 救 護 法 な ど の救 貧 法 規 に ふ く ま れ る こ と も 問 題 と さ れ た 。 こ れ ら の 問 題
医 療 保 護 法 の制 定
点 を 是 正 す る た め 、 お よ び 民 間 医 療 の適 正化 な ど のた め に新 し い 救 療 法 の制 定 が 関 係 各 方 面 か ら 要 請 さ れ る に 至 った 。
②
一九 四 一 (昭 和 一六 ) 年 に 医 療 保 護 法 が 成 立 し た 。 こ れ は 、 救 護 法 お よ び 母 子 保 護 法 に定 め る 医 療 の扶 助 を 統 一し 、
か つ地 方 公 共 団 体 や 民 間 社 会 事 業 団 体 の実 施 す る 救 療 事 業 を 政 府 が 統 一的 に 管 理 す る も の であ った 。 以 下 、 同 法 の制
定過 程 を み る こと にし た い。
ア 一九 三 七 (
昭 和 一二 ) 年 一二 月 二〇 日 、 全 国 社 会 事 業 大 会 常 設 委 員 会 は 、 会 長 の清 浦 奎 吾 伯 爵 名 で ﹁
救 療 法制 定実
施 方 要 望 に 関 す る 件 ﹂ を 内 閣 総 理 大 臣 近 衛 文 麿 、 内 務 大 臣 末 次 信 正 、 大 蔵 大 臣 賀 屋 興 宣 へ建 議 し た 。 同 建 議 書 に お い
て は ﹁現 下 我 國 救 療 事 業 實 施 の 状 況 は 要 救 療 患 者 敷 四 百 萬 人 の多 き を 算 す る に 拘 ら ず 、 救 護 法 に依 る 醤 療 救 護 取 扱 敷
は 僅 に 四 萬 人 に 満 た ず 、 又 之 を 時 局 匡 救 讐療 救 護 事 業 、 恩 賜 財 團 濟 生 會 、 其 の他 一切 の官 公 私 救 療 事 業 取 扱 患 者 を 合
算 す る も 猶 右 要 救 療 患 者 の半 歎 にも 達 せ ざ る の状 態 にあ り 。 斯 く の如 き は 現 下 非 常 時 局 の 進 展 に鑑 み る も 眞 に 由 々し
き 國 家 の重 大 事 象 ﹂ で あ る と 述 べ 、 政 府 が 速 や か 救 療 法 を 制 定 実 施 す る こ と を 要 望 し て い る 。
ま た 、 建 議 書 と 同 時 に 提 出 さ れ た ﹁救 療 法 制 定 に関 す る 意 見 書 ﹂ で は 、 救 療 法 制 定 要 望 の理 由 と し て つぎ のよ う な
ことを 上げ て いる。
一、 救 療 機 関 の統 制
(イ ) 救 護 法 、 母 子 保 護 法 、 児 童 虐 待 防 止 法 な ど 分 散 包 含 さ れ て い る 諸 医 療 の救 護 を 法 的 に 一元 化 し 、 府 県 市
町 村 そ の他 関 係 諸 機 関 の取 扱 上 の繁 雑 を 避 け る こ とが で き る 。
(ロ) 経 費 の節 減 が でき る 。
(ハ) 患 者 の救 療 上 便 利 にな る 。
(二) 分 散 し て い る 法 律 を 一元 化 す る こ と が でき れ ば 医 療 保 護 の能 率 を 増 進 す る こ と が でき る 。
(ホ ) 救 療 機 関 の監 督 を 徹 底 す る こ と が で き る 。
二 、 救 療 事 業 の積 極 化
(イ ) 生 活 の資 に 窮 す る 者 (救 護 法 の 対 象 ) の み な ら ず 衣 食 住 に は窮 し な いも の の 医 薬 の 資 に窮 す る 者 (施
療 患 者 )、 少 額 自 弁 を な し 得 る 貧 困 病 者 (
軽 費 実 費 患 者 ) な ど を も 含 め 対 象 の範 囲 を 拡 大 す る こ と が で き
る。
(ロ) 救 療 の対 象 者 の拡 大 は、 必 然 的 に救 療 機 関 の拡 大 を 伴 う 。 そ の結 果 、 救 療 施 設 の充 実 が 期 待 で き る 。
三 、 国 民 体 位 の向 上
(イ ) 現 在 (昭 和 一二年 ) に 比 べ よ り 広 範 な 貧 困 大 衆 を 発 達 し た 現 代 医 学 の恩 典 に浴 さ し め 国 民 体 位 の向 上 に
資す る ことが できる。
(ロ) 貧 困 者 は 、 生 活 上 や む を 得 ず 、 病 気 が 進 行 し ど う し よ う も な く な る ま で 放 置 す る のが 現 状 で あ る 。 これ
に対 し (救 療 法 制 定 に よ り ) 早 期 診 療 を 可 能 に し 、 国 民 罹 病 率 を 低 下 さ せ 治 療 の 日数 を 短 縮 す る こと が で
き る。
以 上 の こ と を 実 現 さ せ る た め に 救 療 法 を 制 定 し よ う と し た ので あ った 。
一九 三 八 (昭 和 二 二) 年 六 月 二 一日 か ら 二 三 日ま で の三 日間 にわ た って開 催 さ れ た 、 第 九 回 全 国 方 面 委 員 大 会 では 、
﹁医 療 保 護 制 度 確 立 二関 スル 決 議 ﹂ が な さ れ た 。 そ こ に お い て は 、 ﹁国 民 の疾 病 を 排 除 す る は 勿 論 、 更 に 進 ん で 之 を
予 防 し て 健 康 の維 持 増 進 を 図 り 、 以 て体 位 の向 上 並 に 福 祉 の増 進 に資 す る の方 途 素 よ り 複 雑 多 岐 に し て、 各 般 の施 策
に 侯 た ざ る べ か ら ざ る は 多 言 を 要 せ ざ る 所 な り と 難 も 、 医 療 保 護 施 設 の普 及 充 実 は 最 も 緊 要 な る べ し 。 (中 略 ) 政 府
は さ き に 救 護 法 中 に 医 療 救 護 を 設 け 、 又 今 回 新 に 国 民 健 康 保 険 法 を 制 定 し て時 代 の要 求 に 順応 し つ つあ り と 錐 も 、 救
護 法 の医 療 救 護 は そ の範 囲 著 し く 制 限 せ ら れ 、 社 会 の要 望 に 副 う こ と 甚 だ 遠 く 、 又幾 多 の私 設 救 療 団 体 、 篤 志 家 等 あ
り と 錐 も 、 其 の力 不 十 分 に し て 所 期 の目 的 を 達 す る能 わ ず 、 現 に病 ん で医 療 の途 を 得 ざ る 者 実 に 二 百 四十 万 人 の多 数
に 上 る の実 状 に 在 り 、 (
中 略 )是 等 要 医 療 保 護 者 に 対 す る 医 療 保 護 制 度 の確 立 を 画 策 し 、 そ の実 現 を 図 り 以 て 国 民 生
活 の安 定 並 に思 想 の 平 衡 に 資 せ ん と す る ﹂ と い う こ と が 述 べ ら れ て い た 。
さ ら に 、 厚 生 大 臣 宛 の建 議 書 に お い て は 、 ﹁政 府 は 現 下 我 国 に 於 け る 医 療 保 護 事 業 の甚 だ 不 十 分 な る実 状 に 鑑 み 、
速 に これ を 整 備 す る 法 規 を 制 定 し 以 て 救 護 者 の範 囲 を 拡 大 し 其 の取 扱 を 容 易 に す る と 同 時 に、 遍 く 治 療 を 受 く る こ と
ゆ を 得 し む る 適 当 な る 方 途 を 講 じ 、 万 難 を 排 し 一日 も 速 に之 が 実 現 を 期 せら れ た し ﹂ と 述 べ ら れ て い る 。
こ の ほ か 、 医 薬 制 度 調 査 会 第 二特 別 委 員 会 は 、 一九 三 九 (昭 和 一四 ) 年 九 月 、 ﹁国 民 医 療 に 関 す る 改 善 案 ﹂ を 決 議
し た 。 同 改 善 案 に お い て、 医 療 保 護 法 の制 定 が 必 要 で あ る 旨 述 べ ら れ て い た 。
そ の後 、 厚 生 省 は 、 戦 時 体 制 下 に お い て は 、 ﹁兵 力 の増 強 と 生 産 力 拡 充 の基 礎 を 為 す 一般 庶 民 階 層 の生 活 を 確 保 す
ほ る こと が 極 め て 緊 要 と な る の で あ る が 、 就 中 これ 等 の 者 に 対 す る 医 療 保 護 を 徹 底 し て 貧 困 の最 大 原 因 と も 云 ふ べ き 疾
至 った 。
病 を 治 療 又 は 予 防 し て救 貧 及 防 貧 の実 を 挙 げ 、 進 ん で 人 的 資 質 の増 強 に 資 す る こ と が 焦 眉 の急 務 ﹂ で あ る と 考 え る に
日本社会保障法の形成過程
67
そ のた め の 具 体 策 と し て は、 国 民 健 康 保 険 制 度 を 速 や か に普 及 さ せ そ れ を 利 用 す る こ と も 考 え ら れ 得 た 。 し か し 、
お 実 際 に は 、 同 保 険 制 度 は 、 医 師 会 と の 軋 礫 を 避 け て ﹁任 意 設 立 ﹂ ・ ﹁任 意 加 入 ﹂ 方 式 を 採 用 し て い た 。 そ のた め 、 そ
の普 及 は 、 十 分 で は な か った 。 ま た 、 財 政 的 に も 安 定 せ ず 、 給 付 も 十 分 で は な か った 。
し た が って 、 厚 生 省 は 、 国 民 健 康 保 険 制 度 の こ の よ う な 性 質 上 ﹁医 療 を 受 け 得 ら れ な い者 も 多 数 生 ず る の みな らず 、
組 合 の全 国 的 普 及 を 見 る こと は 可 成 の時 日 を 要 し 、 こ の制 度 に の み 依 存 す る こ と は 現 下 の社 会 情 勢 の下 に 於 て は事 実
ぬ 上 不 可 能 であ る から 、 薙 に 医 療 保 護 に 関 す る 新 な る 法 律 を 制 定 す る こ と が 緊 喫 の 要 務 ﹂ で あ る と判 断 し た 。 そ し て、
一九 四 〇 (昭 和 一五 ) 年 九 月 一六 日 、 中 央 社 会 事 業 委 員 会 に ﹁時 局 下 扶 披 ヲ要 スル 者 ノ 保 護 指 導 方 策 二関 スル 件 ﹂ を
諮 問 し た。 これ に対 し中 央社 会事 業 委員 会 は、 ﹁
方 面 事 業 振 興 方 策 要 綱 ﹂ な ら び に ﹁救 療 事 業 ノ統 合 整 備 方 策 要 綱 ﹂
を 答 申 し た 。 こ の ﹁救 療 事 業 ノ 統 合 整 備 方 策 要 綱 ﹂ で は 、 つぎ の こ と に つい て 述 べ て い た 。
﹁救 療 事 業 の統 合 規 制 ﹂
﹁救 療 事 業 の拡 大 強 化 ﹂
﹁救 療 事 業 の補 助 及 び 特 典 の付 与 ﹂
﹁被 救 療 者 の範 囲 の適 正 化 ﹂
﹁救 療 の種 類 ・方 法 ・程 度 の合 理 化 ﹂
﹁救 療 事 業 連 絡 機 関 の 設 立 ﹂
﹁救 療 法 の制 定 ﹂
(15 )
い て も 十 分 に 考 慮 し た 。 そ の結 果 、 ﹁医 療 保 護 法 ﹂ を 制 定 す る こ と に 決 定 し た 。 そ し て 、 医 療 保 護 法 案 を 作 成 し 、 一
こ の よ う な 中 央 社 会 事 業 委 員 会 の答 申 を 受 け た 厚 生 省 は 、 同 答 申 を 慎 重 に吟 味 し た 。 さ ら に 、 民 間 か ら の要 望 に つ
に つい て で あ った 。
(七)(六)(五)(四)(三)(二)(一
・
﹁被 保 護 者 の 範 囲 の拡 大 ﹂
﹁医 療 保 護 事 業 者 の統 制 ﹂
﹁医 療 保 護 施 設 の拡 充 ﹂
﹁医 療 内 容 の向 上 改 善 ﹂
(16 )
医療 保 護 法 の内 容
﹁戦争 政策 の円滑 な遂 行﹂ と いう 目 的 を 前 面 に 掲 げ て作 成 さ れ た 医 療 保 護 法 案 は 、 議 会 を 通 過 し 、 一九 四 一 (昭 和
③
民 の福 祉 ﹂ は 、 ﹁戦 争 政 策 の 円 滑 な 遂 行 ﹂ と い う ﹁反 民 主 的 ﹂ な 目 的 に 従 属 す る 地 位 に お か れ て し ま った ので あ った 。
目 的 と し て制 定 さ れ た 法 律 で あ る と い う こと に な る 。 そ れ ゆ え 、 同 法 に お い て は 、 本 来 、 究 極 の 目 的 で あ る べ き ﹁国
﹁
健 兵 健 民 ﹂ 思 想 に基 づ き 確 立 さ れ たも ので あ った 。 した が って、 医 療 保 護 法 は 、 ﹁戦 争 政 策 の円 滑 な 遂 行 ﹂ を 第 一の
的 な 医 療 保 護 の実 施 に よ って 確 保 し 、 人 的 資 質 の向 上 に資 す る よ う にす る こ と が 必 要 で あ る ﹂ と い う 考 え方 、 つま り 、
た 。 す な わ ち 、 同 法 は 、 ﹁﹁
戦 争 遂 行 ﹂ のた め に 必 要 な 兵 力 の増 強 お よ び 生 産 力 の拡 充 の基 礎 を 為 す 庶 民 の生 活 を 効 率
し か し 、 残 念 な が ら 医 療 保 護 法 は 、 ﹁真 の 国 民 福 祉 ﹂ の実 現 を 第 一と し て確 立 さ れ た も の と は 言 い難 いも の であ っ
など であ る。
(五)(四)(三)(二)(一
﹁各 種 医 療 保 護 制 度 の統 合 ﹂
こ の趣 旨 説 明 か ら 、 医 療 保 護 法 は 、 つぎ のよ う な 目 的 を も って制 定 さ れ た も の で あ る こ と が わ か る 。
一九 四 一 (
昭 和 一六 ) 年 二 月 六 日、 金 光 康 男 厚 生 大 臣 は 、 同 議 会 にお い て医 療 保 護 法 案 の提 案 趣 旨 説 明 を 行 な った 。
回帝 国 議 会 へ提 出 し た 。
九 四〇 (
昭 和 一五 ) 年 一二 月 二 四 日 召集 二 二 月 二 六 日開 院 式 、 一九 四 一 (
昭 和 一六 ) 年 三 月 二 五 日 閉 会 ) の第 七 六
日本社 会 保 障 法 の形 成 過 程
69
70
一六 ) 年 三 月 六 日 、 ﹁医 療 保 護 法 ﹂ (昭 和 一六 年 三 月 六 日
さ れた 。
法 律 第 三 六 号 ) と し て公 布 さ れ 、 同 年 一〇 月 一日 か ら 施 行
同 法 は 、 ﹁救 護 法 ﹂、 ﹁母 子 保 護 法 ﹂、 ﹁時 局 匡 救 医 療 救 護 事 業 ﹂、 地 方 公 共 団 体 、 恩 賜 財 団 済 生 会 、 各 種 社 会 事 業 団 体
な ど に よ る 医 療 保 護 を ほ と ん ど 吸 収 統 合 し た 。 吸 収 さ れ な か った のは 、 ﹁結 核 予 防 法 ﹂、 ﹁
癩 予 防 法 ﹂、 ﹁精 神 病 院 法 ﹂
な ど の特 定 の 疾 病 を 対 象 と し た 特 別 法 、 ﹁軍 事 扶 助 法 ﹂ お よ び ﹁軍 事 援 護 事 業 ﹂、 ﹁行 旅 病 人 及 行 旅 死 亡 人 取 扱 法 ﹂、
﹁北 海 道 旧 土 人 保 護 法 ﹂ な ど に 基 づ く 医 療 保 護 で あ った 。 こ れ ら は 、 各 法 律 の 性 格 を 考 慮 し 、 別 個 の制 度 と し て存 置
す る こ と が 適 当 と 認 め ら れ た た め 除 外 さ れ た の で あ った 。
そ れ で は 、 こ こ で ﹁医 療 保 護 法 ﹂ の内 容 に つい て述 べ る こ と に す る 。
ま ず 第 一に 、 同 法 に 規 定 す る 医 療 保 護 事 業 の意 義 に つい て で あ る 。 同 法 第 二条 は 、 ﹁本 法 二於 テ醤 療 保 護 事 業 ト 稻
ス ル ハ貧 困 ノ為 メ生 活 困 難 ニ シ テ 醤 療 又 ハ助 産 ヲ 受 ク ル コト能 ハザ ル者 二封 シ醤 療 券 ヲ襲 行 シ テ醤 療 又 ハ助 産 ヲ 受 ケ
シ ム ル 事 業 ﹂ と 規 定 し て い る 。 さ ら に、 第 二〇 条 で は 、 ﹁
事 業 者 ハ第 十 一条 ノ 規 定 二依 リ 嚢 行 シ タ ル 讐 療 券 二依 ル 醤
療 又 ハ助 産 二要 シ タ ル費 用 ヲ負 澹 ス ル モ ノ ト ス﹂ と 規 定 し て いる 。 つま り 、 生 活 が 困 難 で 医 療 ま た は 助 産 を 受 け ら れ
な い 者 に 対 し 医 療 券 を 発 行 し 、 そ れ に よ る 医 療 ま た は 助 産 に要 す る ﹁
費 用を負 担 ﹂す る事 業 と いう こと であ る。
厚 生 省 の説 明 でも ﹁
醤 療 保 護 事 業 の 観 念 に は 現 實 に 醤 療 又 は 助 産 を 為 す 行 為 は 當 然 に は含 ま れ な い の で あ って 、 換
り 言 す れ ば 、 讐 療 又 は 助 産 に 要 す る 費 用 を 負 捲 す る 事 業 で あ る と 云 ふ 事 が 出 来 る ﹂ と な って い る 。
第 二 は 、 医 療 保 護 事 業 の管 理 責 任 に つい て で あ る 。 第 一条 で は 、 ﹁政 府 ハ本 法 二依 リ 醤 療 保 護 事 業 ヲ管 理 ス﹂ と 規
定 し て い る 。 す な わ ち 、 ﹁国 家 ﹂ に よ る管 理 を 規 定 し 、 医 療 保 護 法 に 基 づ く 医 療 保 護 事 業 を 国 家 の意 図 す る よ う に 運
営 で き る よ う に し た の で あ る 。 し か し 、 実 際 の事 業 の 運 営 は 、 国 が 直 接 行 な う の で は な く 、 事 業 者 に委 託 し て 行 な う
と い う 方 法 を 採 用 し て い た 。 国 家 は 、 事 業 者 に 対 し て、 事 業 者 の指 定 ま た は 認 可 (三 条 、 四 条 、 五 条 )
、 医療 保 護 施
設 ま た は 附 帯 事 業 の 経 営 を 行 な う よ う に 命 令 す る こ と (六 条 、 七 条 )、 お よ び 施 設 ま た は 附 帯 事 業 の譲 渡 に関 し て協
議 を 為 す よ う に 命 令 す る こ と (八 条 ) な ど 様 々な 手 段 を 講 じ 、 医 療 保 護 事 業 の 企 画 運 営 そ の 他 事 業 全 般 に 亘 り 管 理 で
き る よ う に し た ので あ った 。
第 三 は 、 医 療 保 護 を 行 な う 事 業 者 に つい て であ る。 第 二条 で は 、 ﹁事 業 者 ト構 スル ハ讐 療 保 護 事 業 ヲ 行 フ者 ヲ謂 フ﹂
と規 定 し て い る。 具 体 的 に は 、 ﹁市 町 村 及 勅 令 ヲ以 テ指 定 ス ル者 ﹂ (三 条 )、 ﹁道 府 縣 及 主 務 大 臣 ノ指 定 ス ル者 ﹂ (四 条 )
、
三 条 お よ び 四 条 に 規 定 す る 者 以 外 の者 で 事 業 者 と し て 主 務 大 臣 の認 可 を 受 け た 者 (五 条 ) で あ る 。
に 三 条 の ﹁勅 令 ヲ 以 テ 指 定 ス ル 者 ﹂ と は 、 恩 賜 財 団 済 生 会 で あ る 。 厚 生 省 に よ れ ば 、 市 町 村 お よ び 済 生 会 は 、 ﹁当 然
活 不 能 ﹂ と 規 定 し て い る の と 比 べ 、 進 歩 し た も の と な った 。
第 五 は 、 医 療 の範 囲 に つい て で あ る 。 ﹁医 療 保 護 法 施 行 令 ﹂ (昭 和 一八年 八 月 八 日
勅 令 第 八 一 一号 )第 三 条 で は 、
と こ ろ で 、 同 法 の ﹁生 活 困 難 ﹂ と い う 規 定 は 、 ﹁軍 事 扶 助 法 ﹂ と 同 じ で あ った 。 ﹁救 護 法 ﹂ や ﹁母 子 保 護 法 ﹂ が ﹁生
場 合 に は 、 ﹁医 療 保 護 法 ﹂ が 補 完 的 な 役 割 を 果 た す こ と が 予 定 さ れ て いた 。
﹁結 核 予 防 法 ﹂ な ど の特 別 法 の適 用 資 格 具 備 者 で も 、 実 際 に 給 付 ま た は 保 護 を 受 け ら れ な い場 合 も あ る 。 そ のよ う な
医 療 ま た は 助 産 を 受 け ら れ る 者 は 、 同 法 の適 用 対 象 か ら 除 外 さ れ た 。 し か し 、 社 会 保 険 制 度 の被 保 険 者 、 あ る い は
者 ﹂ と さ れ 齢バ ま た 、 社 会 保 険 制 度 、 共 済 組 合 制 度 、 ま た は ﹁結 核 予 防 法 ﹂ お よ び ﹁癩 予 防 法 ﹂ な ど の諸 法 令 に よ る
能 ハザ ル者 ﹂ (
第 二条 ) で あ る。 け れ ど も 、 差 し 当 り 被 保 護 者 と な れ る のは 、 ﹁方 面 世 帯 票 に 登 録 さ れ た 世 帯 に属 す る
第 四 は 、 適 用 対 象 者 に つい て で あ る 。 同 法 の適 用 対 象 者 は 、 ﹁貧 困 ノ 為 生 活 困難 ニ シ テ醤 療 又 ハ助 産 ヲ受 ク ル コト
ど であ る 。
な ど で あ る。 五 条 の主 務 大 臣 の 認 可 を 受 け て 事 業 者 と な る こ と の で き る 者 と は 、 特 殊 の公 法 人 、 私 法 人 お よ び 私 人 な
事 業 者 と 為 つて 事 業 者 の根 幹 を 為 ﹂ す 者 で あ った 。 四 条 の ﹁主 務 大 臣 ノ 指 定 ス ル者 ﹂ と は 、 医 師 会 お よ び 歯 科 医 師 会
日本社会保障法の形成過程
71
﹁診 察 ﹂、 ﹁藥 剤 又 ハ治 療 材 料 ノ支 給 ﹂、 ﹁
虚 置 、 手 術 其 ノ 他 ノ 治 療 ﹂、 ﹁看 護 ﹂、 ﹁
患 者 ノ移送﹂ と規定 さ れ て いる。
第 六 は 、 助 産 の範 囲 に つい て で あ る 。 医 療 保 護 法 施 行 令 第 四 条 で は 、 ﹁分 娩 ノ 介 助 ﹂、 ﹁分 娩 前 及 分 娩 後 ノ 虚 置 ﹂、
﹁看 護 ﹂、 ﹁妊 産 婦 ノ 移 送 ﹂ と規 定 さ れ て い る。
第 七 は 、 附 帯 事 業 に つい て で あ る 。 附 帯 事 業 は 、 病 院 系 社 会 事 業 の発 達 と の関 わ り で 注 目 さ れ る 。 医 療 保 護 法 第 七
医 療 保 護 法 の実 施
厚 生 省登 第 一二 九 号
厚 生 次 官 通 牒 )が 発 せ ら れ た 。
實 ヲ學 ゲ シ ム ル ヤ ウ常 二關 係 機 關 ノ指 導 監 督 並 二關 係 方 面 ト ノ聯 絡 二﹂ 努 力 す る よ う に と 述 べ て い る 。 ま た 、 医 療 保
同 通 牒 に お い て は 、 医 療 保 護 法 の ﹁實 施 二當 リ テ ハ眞 二署 療 ヲ要 ス ル者 ヲ シ テ本 法 ノ保 護 二浴 セ シ メ以 テ自 立 向 上 ノ
月 九 日 、 ﹁醤 療 保 護 法 ノ施 行 二関 スル 件 ﹂ (
昭 和 一六 年 八 月 九 日
最 後 に 医 療 保 護 法 の実 施 に つい て 簡 単 に述 べ る こ と に す る 。 医 療 保 護 法 の実 施 に 当 り 、 一九 四 一 (昭 和 一六 ) 年 八
④
う こと であ る。
で あ る が 、 同 法 に よ って わ が 国 の 医 療 救 護 事 業 が 大 き く 発 展 す る き っか け と な った こ と も 紛 れ も な い 事 実 であ る と い
以 上 の こ と か ら い え る こ と は 、 医 療 保 護 法 は 、 ﹁戦 争 政 策 の 円 滑 な 遂 行 ﹂ と い う 目 的 を前 面 に 掲 げ て制 定 さ れ た の
れ が 病 院 系 社 会 事 業 が 発 達 す る き っか け と な った 。
厚 生 大 臣 ノ定 ム ル事 業 ﹂ と さ れ て い る 。 こ のよ う に 医 療 社 会 事 業 と し て の サ ー ビ スが 盛 り 込 ま れ て い た の で あ る 。 こ
帯 事 業 と は 、 ﹁長 期 患 者 ノ慰 安 事 業 ﹂、 ﹁榮 養 品 支 給 事 業 ﹂、 ﹁巡 同 看 護 事 業 ﹂、 ﹁産 婆 又 ハ看 護 婦 ノ 養 成 事 業 ﹂、 ﹁其 ノ 他
そ し て 、 附 帯 事 業 の種 類 に つい て は 、 医 療 保 護 法 施 行 令 第 二 条 に 規 定 さ れ て い る 。 同 条 に よ れ ば 、 医 療 保 護 法 の附
ル ト キ ハ施 設 ヲ 経 営 ス ル事 業 者 二封 シ附 帯 事 業 ヲ行 フ コト ヲ命 ズ ル コト ヲ得 ﹂ と 規 定 し て い る 。
条 で は 、 ﹁事 業 者 ハ施 設 二於 ケ ル 醤 療 又 ハ助 産 二関 シ 必 要 ナ ル附 帯 事 業 ヲ 行 フ コト ヲ得 ﹂。 ﹁主 務 大 臣 必 要 アリ ト 認 ム
72
日本 社 会保 障 法 の形 成 過 程
73
年
、
四五 〇
人
四二 四
に つい て は 、 ﹁其 ノ 特 質 二鑑 ミ特 二敏 活 急 速 二慮 理 ス ル ノ 要 ア ル ヲ 以 テ其 ノ 受
ナ キ 様 ﹂ に 注 意 す る よ う に と述 べ て い る。 さ ら に 、 医 療 保 護 を 受 け る 際 の手 続
市 町 村 に つい て は 、 ﹁機 宜 ノ方 途 ヲ 講 ズ ル等 本 法 二依 ル保 護 二漏 ル ルガ 如 キ 者
レ﹂ て は な ら な い と も 述 べ て い る 。 そ し て、 財 政 が 逼 迫 し 事 業 の実 施 が 困 難 な
(
表九) 医療保護 ・助産実施状況 (
人) 護 の ﹁實 施 二當 リ テ ハ濫 療 二渉 ル ガ 如 キ ハ固 ヨリ 之 ヲ 慎 ム ベ キ モ 粗 診 粗 療 二流
一 九 四二 年
、
二 〇 七 一 六一
数
一 九 四三 年
、
二一 七
四三 七
一 九四四 年
療 手 績 二付 テ ハ特 二簡 易 迅 速 二取 扱 ヒ得 ル様 ﹂ に 措 置 を 講 じ る よ う に と 述 べ て
、
一 九 三 五 八六
一 九 四五 年
いる 。 こ のほ か にも 医 療 保 護 法 の施 行 に当 って の事 細 か な 指 示 が な さ れ て い る 。
を みる と表九 のよう な状 況 であ る。 また 、医 療保 護 に要す る経費 も年 間 三〇〇
し か し 、 こ の よ う な 指 示 に も 拘 ら ず 、 実 際 の 医療 保 護 お よ び 助 産 の実 施 状 況
︹
出典︺池 田敬正著 ﹃日本社会福祉史﹄
一九 八七年、法律文化社
︹
備考 ︺人数 は、実人員。
万 円 程 度 し か な か った 。 無 医 村 問 題 のよ う な 医 療 機 関 の地 域 的 偏 在 の問 題 な ど も 解 決 さ れ な い ま ま 残 さ れ て い た 。 こ
の よ う な 実 施 状 況 で は 、 と て も 医 療 保 護 法 を わ が 国 の医 療 救 護 の中 心 的 法 律 と は 呼 べ な い のが 現 実 で あ る 。 制 度 だ け
は そ れ な り の見 栄 え のも の に 仕 上 げ た が 、 そ の運 用 に つい ては 、 ま だ ま だ 問 題 が あ り 効 果 的 な 医 療 救 護 を 行 え な か っ
た 。 こ の 問 題 の解 決 は 、 第 二 次 世 界 大 戦 敗 戦 後 の連 合 国 に よ る わ が 国 の占 領 管 理 期 に 持 ち 越 さ れ る こ と に な る の で あ
る。
注
(1 ) 吉 田 久 一 ﹃前 掲 書 (日本 社 会 事 業 の歴 史 )
﹄ 二〇 七- 二〇 八 頁。
(2 ) 同事 業 は、 当 初 、 一九 三 四 (昭 和 九 ) 年 で 終 了 す る 予 定 で あ った 。 し か し 、 関 係 各 方 面 の要 請 によ り 国費 お よ び 道 府 県 費
に よ って 医療 保 護 法 に吸 収 さ れ る 一九 四 一 (昭 和 一六 )年 ま で延 長 さ れ る こ と に な った の であ った 。 こ の医療 救 護 事 業 は 、
一九 三 八 (昭 和 = 二) 年 に ﹁国 民 健康 保 険 法 ﹂ が 制 定 さ れ る ま で は 、 ﹁救 護 法 ﹂ に基 づ く 医療 救 護 を 受 け る前 の低 額 所得 者
74
に 対す る 国 民 健 康 保 険 の臨 時 応 急 的代 替 物 で も あ った 。
(3 ) 一九 三 四 (昭 和 九 )年 で打 ち 切 ら れ た 。
(4 ) 厚 生 省 二十年 史 編 集 委 員 会 ﹃厚生 省 二十 年 史﹄ 一九 六〇 年 、 厚生 問題 研 究 会 、 二 二 六頁 。
(5) 厚 生 省 社 会 局 ﹁医 療 保 護 法 に就 い て﹂ 一九 四 一年 三 月 、 社 会 保 障 研 究 所 編 ﹃日本 社 会 保 障 前 史 資 料
医療 (下 )) 一九 八 一年 、 至 誠 堂 、 九 一九 頁 。
(6 ) 中 央 肚 會 事 業 協 會 ﹃前 掲 書 ﹄ (昭 和 = 二年 版 ) 二九 一頁 。
(7 ) ﹃同書 ﹄ 二九 一- 二九 二 頁 所収 。
(8 ) ﹃同書 ﹄ 二 九 三- 二九 四 頁 所収 。
第 二巻 ﹄ (1保 険 ・
法律 第 六 〇 号 ) の議 会 に お け る 審議 のな か で医 事 薬 事 制 度 の改 善 方策 が 取 り 上 げ
(9 ) 全 国 社 会 福 祉 協 議 会 ﹃前 掲 書 ﹄ 二七 二頁 参 照 。
(10 ) ﹃同 書 ﹄ 二 七 二 頁。
(11 ) 国民 健 康 保 険 法 (昭 和 = 二年 四 月 一日
ら れ た 。 そ れ を 受 け て 一九 三 八 (
昭 和 = 二)年 七 月 一日、 勅 令 第 四 七 三 号 に基 づ き 設 置 さ れ た 。
一九 四 二 (昭和 一七 )年 には 、 ﹁強 制 設 立 ﹂ ・﹁強 制 加 入 ﹂ 方 式 に改 め られ た 。 し か し 、 第 二次 世 界 大 戦 の影 響 で医 療 の給
(12 ) 厚 生 省 社 会 局 ﹁前 掲 論 文 ﹂ 社 会 保 障 研 究 所 ﹃前 掲 書 ﹄ 九 一九 頁。
(13 )
付 も 十 分 に行 え な い ま ま 敗 戦 と な った 。 荒 木 誠 之 編 ﹃社 会 保 障 法 ﹄ 一九 八 八年 、 青 林 書 院 、 一〇 九 頁 。
(14 ) 厚 生 省 社 会 局 ﹁前 掲 論 文 ﹂ 社 会 保 障 研 究 所 ﹃前 掲 書 ﹄ 九 二〇 頁 。
(15 ) ﹁紀 元 二千 六 百年 全 国肚 會 事 業 大 会 ﹂ 財 團 法 人 中 央 肚 會 事 業 協 會 肚 會 事業 研 究 所 ﹃肚 會 事 業 ﹄ 第 二四 巻 = 号 、 一九 四〇
年、 財 團 法 人 中 央 肚 會 事 業 協 會 肚 會 事 業 研 究 所 、 一四頁 。
(16 ) ﹃第 七 十 六 回帝 国 議 会 議 事 速 記 録 ﹄。
(17) 丹 羽 昇 ﹁警 療 保 護 法 に関 聯 す る 諸問 題 ﹂ 財 團 法 人 中 央 肚 會 事 業 協 會 祀 會 事 業 研 究 所 ﹃肚 會 事 業 ﹄ 第 二五巻 第 一〇 号 、 }九
四 一年 、 財 團 法 人 中 央 杜 會 事 業 協 會 祉 會 事 業 研 究 所 、 六 二頁 。
(18 ) 厚 生 省 社 会 局 ﹁前 掲 論 文 ﹂ 社 会 保 障 研 究 所 ﹃前 掲 書﹄ 九 二〇 頁 。
(19 ) 高 橋 敏 雄 ﹁醤 療 保 護 法 に就 い て﹂ 財 團 法 人 中 央 肚 會 事 業 協 會 肚 會 事 業 研 究 所 ﹃肚 會 事 業 ﹄ 第 二五 巻 四号 、 一九 四 一年 、 財
團 法 人 中 央 肚 會 事 業 協 會 肚 會 事 業 研 究 所 、 一六 頁 。
(20 ) 厚 生 省 社 会 局 ﹁前 掲 論 文 ﹂ 社 会 保 障 研 究 所 ﹃前 掲 書 ﹄ 九 二 一頁 。
(21 ) 吉 田久 一 ﹃前 掲 書 (現 代 社 会事 業 史 研 究 )
﹄ 二三三頁。
⇒
(
①
戦 時 災害 保護 法
戦 時 災 害 保 護 法 の制 定
一九 四 一 (昭 和 一六 ) 年 一二 月 八 日 、 日本 は 、 太 平 洋 戦 争 に突 入 し た 。 厚 生 省 は 、 こ の戦 争 に お け る 本 土 空 襲 を 想
定 し 、 戦 災 者 の保 護 と 更 生 を 図 る た め ﹁
戦 時 災害 保護 法 案﹂ を作 成 した。
し か し 、 開 戦 時 の戦 勝 に酔 い し れ 判 断 を 誤 った た め か 同 年 一二月 一二 日 の 閣 議 に お い て は 、 法 案 の議 会 への提 出 が
ユ 見 合 わ さ れ た 。 け れ ど も 、 事 務 当 局 の説 得 に よ り 同 月 二 五 日 に は 、 閣 議 決 定 と な った 。
そ し て 、 戦 時 災 害 保 護 法 案 は 、 一九 四 二 (
昭 和 一七 ) 年 一月 一九 日、 第 七 九 回通 常 帝 国 議 会 二 九 四 一 (
昭 和 一六 )
戦 時 災 害 保 護 法 の内 容
法 律 第 七 一号 ) と し て 公 布 さ れ た 。 施 行 は 、 同 年 四 月 三〇 日 と 予 定 さ
ノ 際 二於 ケ ル 戦 闘 行 為 二因 ル災 害 及 之 二起 因 シ テ生 ズ ル災 害 ﹂ の こ と で あ る 。
戦 時 災 害 保 護 法 は 、 そ の第 二条 に お い て ﹁戦 時 災 害 ﹂ の定 義 を し て いる 。 同 条 に よ る と ﹁戦 時 災 害 ﹂ と は 、 ﹁戦 争
②
る こ と に な った 。
れ て いた 。 し か し、 同 年 四 月 一八 日、 米 軍 機 が 日 本 本 土 を 初 空 襲 し た た め 、 予 定 を 繰 り 上 げ て 四 月 一八 日 か ら 施 行 す
﹁戦 時 災 害 保 護 法 ﹂ (昭 和 一七 年 二 月 二 五 日
そ の後 、 議 会 で の審 議 を 経 て ﹁
戦 時 災 害 保 護 法 案 ﹂ は 、 可決 さ れ た 。 そ し て、 一九 四 二 (
昭 和 一七 ) 年 二 月 二 五 日 、
十 九 回 帝 国 議 会 議 事 速 記 録 ﹄)
。
を 受 け た 者 を 応 急 的 又 は 一定 の期 間 継 続 的 に 保 護 し 、 更 生 を 図 ろ う と す る も ので あ る ﹂ と 趣 旨 説 明 し て い る (﹃第 七
法 案 上 程 後 の 一月 二 三 日、 小 泉 親 彦 厚 生 大 臣 は 、 衆 議 院 に お い て ﹁戦 時 災 害 保 護 法 ﹂ は 、 ﹁戦 時 災 害 に よ って危 害
年 一二 月 二 四 日 召集 、 一二月 二 六 日開 院 式 、 一九 四 二 (昭 和 一七 )年 三 月 二 五 日 閉 会 ) へ上 程 さ れ た 。
日本 社会 保 障 法 の 形 成過 程
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同 法 は、 ﹁
戦 時 災 害 ﹂ を 受 け た 者 お よ び そ の家 族 ま た は 遺 族 で あ って 、 ﹁帝 国 臣 民﹂ で あ る 者 を 国 費 を 以 て保 護 し よ
う と す る も ので あ る (
第 一条 )。
と こ ろ で 、 戦 時 災 害 の 保 護 に は 、 ﹁補 償 主 義 ﹂ と ﹁救 済 主 義 ﹂ が あ る 。 わ が 国 の場 合 は 、 後 者 を と った 。 つま り 、
⇔
O
生 命 、 身 体 、 財 産 に危 害 を 蒙 った 者 に 対 す る 給 与 金 支 給
生活 困難 者 に対す る扶助
罹災 者 に対す る応急 救 助
①
収 容 施 設 の供 与
O の救 助 に は 、 つぎ のよ う な も の が あ った 。
る者 が広 く含 ま れた (
第 五条 )
。
O 罹 災 者 に対 す る 応 急 救 助 の対 象 者 に は 、 貧 富 の別 な く 、 戦 時 災 害 に罹 り 、 現 実 に応 急 救 助 を 必 要 と す る 状 態 に あ
であ る (
第 三条 )
。
働
こ の ﹁国 家 の思 い や り ﹂ と し て の保 護 は 、 つぎ のよ う に 三 種 類 に 大 別 す る こ と が で き る 。
であ る。
つま り 、 保 護 は 、 戦 災 罹 災 者 に 対 す る ﹁国 家 の思 い や り ﹂ であ り 、 ﹁国 家 補 償 ﹂ を 期 待 す べ き も の で は な か った の
を 期 待 す べ き も ので す ら な い﹂ と 述 べ て い る 。
ヨ 物 的 に 被 害 を 受 く る と あ り とす る も 、 國 家 か ら の損 害 補 償 を 要 求 す べ き 性 質 のも ので な い の み な ら ず 、 さ う し た 補 償
家 族 國 家 た る 我 が 國情 から 見 て 當 然 で あ り 、 國 民 的 責 務 であ ら ね ば な ら な い。 従 つて戦 時 災 害 に 因 り 、 國 民 が 、 人 的 、
こ れ に 関 し て 、 厚 生 行 政 に携 わ って いた 高 橋 敏 雄 は 、 ﹁戦 時 に 際 し て 、 國 民 一人 残 ら ず 、 之 が 防 衛 に當 る べ き は 、
戦 時 災 害 を 被 った 者 の う ち ﹁
保 護 を 要 す る 状 態 に あ る 者 ﹂ を 救 済 す る と い う 方 法 を と った ので あ る 。
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日本 社 会保 障 法 の形 成 過 程
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●
●
焚 出其 の他 に依 る食 品 の給与
被 服、 寝 具其 他生 活 必需 品 の給与 及貸 与
医 療 及助 産
学 用 品 の給与
埋葬
①∼ ⑥ の他 地方 長官 に於 て必要 と 認む るも の
こ の扶 助 の種 類 は 、 ﹁生 活 扶 助 ﹂、 ﹁療 養 扶 助 ﹂、 ﹁出 産 扶 助 ﹂、 ﹁生 業 扶 助 ﹂ で あ った (
第 一七 条 )
。 また 、扶 助 を受け
る生 活 援 護 で あ る (
第 一六 条 )。
によ る傷 擁 疾 病 が 治 癒 し た 後 で 体 に著 し い障 害 の残 る 者 お よ び そ の家 族 、 戦 時 災 害 に よ って 死 亡 し た 者 の家 族 に 対 す
⇔ の生 活 困 難 者 に 対 す る 扶 助 は 、 戦 時 災 害 に よ り 傷 疲 を 受 け 、 ま た は 疾 病 に か か った 者 お よ び そ の家 族 、 戦 時 災 害
を 遂 行 で き る よ う に し た の であ る 。
に従 事 さ せ ら れ た 者 、 お よ び 救 助 の実 施 に協 力 さ せ ら れ た 要 救 助 者 に 対 す る 扶 助 制 度 を 確 立 し 、 彼 ら が 不 安 な く 任 務
場 合 二於 テ ハ勅 令 ノ 定 ム ル 所 二依 リ 扶 助 金 ヲ給 ス﹂ と 規 定 さ れ て い た (
第 一二 条 )
。 こ れ は 、 徴 用 に よ り 救 助 の実 施
さ ら に 、 法 の規 定 に基 づ き ﹁救 助 ノ實 施 二從 事 又 ハ協 力 ス ル 者 ﹂ のた め ﹁傷 痩 ヲ 受 ケ 、 疾 病 二罹 リ 又 ハ死 亡 シタ ル
れ て いた 。 法 第 八 条 に は 、 そ の 規 定 が 設 け ら れ て い た 。
と こ ろ で 、 こ の 救 助 の実 施 に 関 し て、 ﹁帝 国 臣 民 ﹂ た る 要 救 助 者 が 協 力 す べ き こ と は 、 情 誼 上 当 然 で あ る と 考 え ら
ら れ る こ と も あ り う る た め 、 第 六 条 第 二 項 に お い て そ の道 を 開 い て いる の で あ る 。
こ れ ら の救 助 は 、 原 則 と し て ﹁現 物 給 与 ﹂ であ った 。 し か し 、 場 合 に よ って は 、 ﹁金 銭 給 付 ﹂ のほ う が 適 切 と考 え
であ る (
第 六 条 )。
oO●
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る者 が 死 亡 し た 場 合 に は 、 ﹁埋 葬 費 ﹂ が 支 給 さ れ た 。 埋 葬 を 行 な う 者 が な い 場 合 に は 、 地 方 長 官 が 埋 葬 を 行 な う こ と
にな って い た (
第 一九 条 )。
こ れ ら 、 戦 時 災 害 保 護 法 に基 づ く ﹁
扶 助 ﹂ は 、 国家 の ﹁特 別 保 護 制 度 ﹂ であ った 。 そ の た め 、 救 護 法 、 母 子 保 護 法 、
医 療 保 護 法 、 な ど の救 貧 立 法 よ り 内 容 的 に 優 れ て い た 。 ま た 、 適 用 に つい て も こ れ ら に優 先 し て適 用 さ れ た 。
業 務 の性 質 上 戦 時 災 害 に よ る 危 害 を 顧 み る こ と が で き な い業 務 に 従 事 す る 事 を 必 要 と す る 者 が 、 当 該 業 務 に
す る給与 金 (
第 ; 二条 )
戦 時 災害 に より住 宅 (
水 上 生 活 者 の居 住 の 用 に供 す る 舟 を 含 む ) ま た は 家 財 の滅 失 ま た は 殿 損 し た る 者 に対
は障 害給 与 金 (
第 二 二条 )
戦 時 災 害 に よ り 死 亡 し た 者 ま た は戦 時 災 害 に よ る 傷 病 の た め、 著 し く 身 体 障 害 を 胎 し た 者 に 対 す る 死 亡 ま た
◎ の生 命 、 身 体 、 財 産 に 危 害 を 蒙 った 者 に対 す る 給 与 金 支 給 は、 つぎ の三 つに 分 け ら れ る。
①
②
③
従 事 中 戦 時 災 害 に よ り傷 病 に 罹 り 、 ま た は 死 亡 し た 場 合 にお け る 給 与 金 (
第 二 四条 )
た と え ば 、 運 輸 、 通 信 、 ガ ス、 電 気 、 水 道 、 救 護 業 務 、 あ る い は 工 場 、 鉱 山 に お け る 停 止 す る こと が 不 可 能 な
こ の給 与 金 で あ る が 、 一般 人 に対 し て は 、 7障 害 給 与 金 ﹂、 ﹁遺 族 給 与 金 ﹂ の支 給 で あ った 。 そ れ が 、 ③ のよ う な 業
であ る。
務
に従 事 す る 者 に は 、 ﹁療 養 給 与 金 ﹂、 ﹁障 害 給 与 金 ﹂、 ﹁打
業 務 であ り 、 戦 時 災 害 が 起 こ る こ と が 十 分 予 測 でき 、 生 命 、 身 体 に 危 害 を 受 け る べ き 状 況 下 に あ って も 、 そ の職 場 に
とど ま り 業務 を 継続 す る ことが 公 共上 絶 対 に 必要 な業 務 1
切 給 与 金 ﹂、 ﹁遺 族 給 与 金 ﹂、 ﹁葬 祭 給 与 金 ﹂ が 支 給 さ れ る こ と が 予 定 さ れ て い た 。 これ は 、 これ ら の特 別 な 業 務 の重 要
性 を 考 慮 し 、 こ れ ら の業 務 に従 事 す る 者 に ﹁後 顧 の憂 ﹂ な く 業 務 に 専 念 し ても ら お う と い う 趣 旨 で 設 け ら れ た も の で
あ った 。
以 上 述 べ てき た ﹁保 護 ﹂ の実 施 に 関 し ては 、 O に つい て は 、 保 護 を 受 け る べ き 者 の 現 在 地 を 管 轄 す る 地 方 長 官 、 ⇔
お よ び ㊨ に つ い て は、 そ の住 所 地 を 管 轄 す る 地 方 長 官 が 、 そ れ ぞ れ 保 護 機 関 と さ れ た (
第 四条 )
。
方 面 委 員 、 婦 人 会 、 部 落 会 、 隣 組 な ど に つい て は 、 積 極 的 に 協 力 す べ き こ と が 当 然 と 考 え ら れ て い た 。
最 後 に 、 戦 時 災 害 保 護 法 に 関 し て も う ひと つ注 意 し て お か な け れ ば な ら な い こ と が あ る 。 そ れ は 、 同 法 に 基 づ く
﹁保 護 ﹂ を 受 け る 被 保 護 者 は 、 ﹁公 民 権 ﹂、 ﹁選 挙 権 ﹂、 ﹁被 選 挙 権 ﹂ を 剥 奪 さ れ る こ と は な か った と い う こ と (
第 二六
戦 時 災害 保護 法 の実施
一九 四 五 (昭 和 二〇 ) 年 八 月 一五 日 の 終 戦 の 日 を 迎 え る こ と に な った 。
し か し 、 戦 争 末 期 、 日 本 全 土 が 空 襲 の被 害 に さ ら さ れ 、 戦 時 災 害 保 護 法 は、 そ の法 的 な 機 能 が 弱 体 化 し た 。 そ し て、
を 招 い て い た 。 そ のた め 、 防 空 法 と 戦 時 災 害 保 護 法 によ る 二 元 行 政 の改 善 を 求 め る 者 か ら 具 体 的 改 善 策 が 提 案 さ れ た 。
た 、 そ れ は 、 人 的 資 源 の確 保 お よ び 回復 と い う 積 極 的 な 側 面 も 有 し て い た の で、 戦 時 災 害 保 護 法 と の間 で 行 政 的 混 乱
と く に 、 防 空 法 に 基 づ く 戦 時 災 害 保 護 は、 軍 部 ・民 間 と も 防 空 組 織 に お け る 救 護 と し て非 常 に 組 織 的 で あ った 。 ま
ら え 、 戦 時 災 害 保 護 行 政 は 、 ﹁防 空 法 ﹂ な ど に も 基 づ い て行 な わ れ て い た た め 、 戦 時 災 害 保 護 は 、 混 乱 を き た し て い た 。
戦 時 災 害 保 護 法 に基 づ く 保 護 は 、 戦 争 が 終 末 的 状 況 に 近 づ く に つれ て 被 保 護 人 員 お よ び 件 数 が 激 増 し た 。 そ れ に 加
③
の救 済 法 に基 づ く 保 護 と は 異 な る も ので あ る こ と を 明 確 にす る た め に 設 け ら れ た の で あ った 。
七 条 、 第 二 八 条 ) で あ る 。 こ れ ら の規 定 は 、 戦 時 災 害 保 護 法 に 基 づ く 保 護 が 、 ﹁国 家 の 特 別 保 護 制 度 ﹂ で あ り 、 一般
条 )、 ﹁給 与 金 品 ﹂ に 対 す る ﹁租 税 そ の他 の公 課 の賦 課 ﹂ お よ び ﹁給 与 金 品 の差 押 え ﹂ が 禁 止 さ れ た と い う こ と (
第二
日本社会保障法の形成過程
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注
(1 ) 厚 生 省 五十 年 史 編 集 委 員 会 ﹃前 掲 書﹄ 四七 九 頁 。
(2 ) ﹃同 書 ﹄ 四 八 〇 頁 。
(3 ) 高 橋 敏 雄 ﹁戦 時 災 害 保 護 法 に つい て﹂ 財 團 法 人 中 央 肚 會 事 業 協 會 肚 會 事 業 研 究 所 ﹃厚 生 問題 ﹄ 第 二六 巻 第 四号 、 一二 頁。
(4 ) 同右 。
(5 ) 東 部 軍 医 部 編 纂 ﹃防空 救 護 の指 針 ﹄ (一九 四 四 年 、 金 原 商 店 ) な ど は、 当 時 の防 空 組 織 によ る救 護 体 制 を知 る う え で 参 考
とな る。
(6 ) 戦 時 災 害 保 護 行 政 の改 善 提案 な ど に つい ては 、 角 銅 利 生 ﹁北 九 州空 襲 に 於 け る 救 助 事 務 の艦 験 ﹂ 財 團 法 人 中 央 肚 會 事 業 協
會 肚 會 事 業 研 究 所 ﹃厚生 問 題﹄ 第 二 八巻 第 九 号 、 一頁 ∼ 一七 頁な ど が 参考 と な る 。
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