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講義:2 日本の無形文化遺産インベントリーと人間国宝システムについて

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講義:2 日本の無形文化遺産インベントリーと人間国宝システムについて
財団法人ユネスコ・アジア文化センター
第 2 回無形文化遺産保護のための集団研修
講義:2
日本の無形文化遺産インベントリーと人間国宝システムについて
東京文化財研究所無形文化遺産部
部長
宮田
繁幸
2008 年 12 月 12 日
アウトライン
1.日本の無形文化遺産インベントリー
2.歴史的背景及び文化財保護法の成立・改正
3.3種のインベントリーとその内容
4.指定・選択・選定の手順
5.「人間国宝」システム
1)「人間国宝」認定候補の情報収集
2)その年の具体的な指定・認定候補の絞り込み
3)説明資料の作成・公開
4)人間国宝制度の課題
1.日本の無形文化遺産インベントリー
現在、日本の無形文化遺産に関しては、
「重要無形文化財等一覧」、
「重要無形民俗文
化財一覧」、「選定保存技術保持者等一覧」という3つのインベントリーがあり、政府
組織である文化庁が作成と管理を行っている。
2.歴史的背景及び文化財保護法の成立・改正
日本は、1950年、有形のみならず無形の文化財をも対象とした文化財保護法を
制定した。
当初、無形の文化財については「消滅の危機」に瀕した無形文化財の保護のみを規
定していたが、1954年の同法改正によって、我が国の伝統的な芸能や工芸技術の
うち芸術上または歴史上特に価値の高いものを重要無形文化財として指定し、これら
のわざの体現者をその保持者として認定する指定認定制度を創設した。このことによ
って、技術は技術として「指定」し、技術を保持する人物を「保持者」として「認定」
するという、
「指定」と「認定」の二重構造が設けられることになった。
「わざ」と「保
持者」を別々に認識する発想は、我が国の無形文化財保護制度の中でも最も個性ある
特徴の一つであるといえよう。
さらに、1975年の同法改正によって、新たに無形の民俗文化財の指定制度及び
文化財の保存技術の選定・認定制度が位置づけられた。無形の民俗文化財に関しては、
基盤的な生活文化の特色を示す典型的な風俗慣習や、芸能の変遷の過程を示す民俗芸
能などで特に重要なものを、重要無形民俗文化財に指定し、より積極的な伝承を図る
こととした。
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また、修理技術等の保存技術は、正確であることを求められる面が強く、芸術上の
価値を重視する無形文化財とは異なる視点でとらえることが必要であり、そのため、
文化財の保存のために欠くことのできない伝統的なわざで保存の措置を講ずる必要が
あるものを選定保存技術として選定することとし、積極的な伝承支援を行うこととし
た。
さらに、2004年の同法改正により、地域における生活や生産に関する用具、用
品等の製作技術として伝承されてきた民俗技術を文化財として保護するため、無形の
民俗文化財に民俗技術を追加し、現行の民俗文化財と同様の保護措置を講ずることと
した。
文化庁では、上記の無形の文化財について、文化財保護法に基づいて指定・認定等
を行い、そのインベントリーの作成と管理を行っている。
3.3種のインベントリーとその内容
インベントリー1
「重要無形文化財保持者等一覧」
無形文化財のうち特に重要なものを重要無形文化財に「指定」し、同時にこれらのわ
ざを高度に体現または体得しているものを「保持者」あるいは「保持団体」に認定し
ている。一般に、このインベントリーの中には、
「人間国宝」の通称で知られる人々も
含まれている。前述のように、彼らは「指定」された技術・技能の「保持者」として
認定され、死亡するとその「認定」は解除され、このインベントリーからその名は削
除される。また、保持者がいなくなった分野の「指定」も解除される。
※ インベントリー記載情報
各個認定
種別、指定名称、指定年月日、保持者氏名(本名、芸名・雅号)、保持者生年月日、
保持者認定年月日、保持者住所、備考(主要受賞歴等)
総合認定・保持団体認定
名称、指定要件、保持者及び代表者氏名(芸能分野)
・保持団体名称及び代表者氏名
(工芸技術)、所属機関または団体の名称と連絡先(芸能分野)・保持団体事務所所在
地(工芸技術)、指定年月日
※
文化財及び保持者数
各個認定
文化財数 81件
(芸能 37, 工芸技術 44)
保持者数 116 人
(芸能 57, 工芸技術 59)
総合認定・保持団体認定
文化財数 25 件
(芸能 11, 工芸技術 14)
団体数 25
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(芸能 11, 工芸技術 14)
インベントリー2
「重要無形民俗文化財一覧」
風俗慣習 (生産・生業、人生儀礼、娯楽・遊技、社会生活(民俗知識)、年中行事、祭
礼・信仰など) 、民俗芸能(神楽、田楽、風流、語り物・祝福芸、延年・おこない、
渡来芸・舞台芸など)、及び民俗技術のうち、我が国民の生活の推移を理解する上で特
に重要なもの
※
インベントリー記載情報
都道府県名、指定名称、所在地、保護団体名、指定年月日
※
文化財件数
257 件
風俗慣習
100 件
民俗芸能
150 件
民俗技術
7件
インベントリー3
「選定保存技術保持者等一覧」
文化財の保存のために欠くことのできない伝統的な技術または技能で、保存の措置を
講ずる必要があるもの
※ インベントリー記載情報
保持者認定
選定保存技術名称、選定年月日、保持者氏名(本名
雅号)、生年月日、認定年月日、
住所
保存団体認定
選定保存技術名称、選定年月日、保存団体名称、認定年月日、代表者の氏名、保存
団体事務所所在地
※
保持者認定
技術数 48 件
保持者数 53 人
保存団体認定
技術数 27 件
保存団体数 28 団体
4.指定・選択・選定の手順
1)事前調査
無形文化遺産の指定・選択・選定及び保持者・保持団体等の認定に当たっては、
事前の十分な調査がなされていることが前提となる。
無形文化財及び文化財保存技術については、その対象となる数が比較的限られ
ているため、この調査は主として文化庁の調査官自らが行う。その場合、関係学
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会での研究動向や対象分野に関する研究者の研究成果等の情報を十分把握するこ
とが重要である。
一方無形民俗文化財に関しては、対象となる文化財が全国に多く存在するため、
文化庁の調査官(無形民俗文化財に関係するのは 6 名)のみでは、十分な基礎的
調査を実施することは困難である。しかし国の指定以前に、多くの無形民俗文化
財が都道府県又は市町村の指定となっている場合がほとんどであり、ある程度の
基礎的価値付けに必要な調査は既に行われており、調査報告書や映像記録も存在
することが多い。したがって、国の調査はそういった既存の調査結果を前提に行
われる。
2)候補の選択
上記の事前調査に基づいて、以下のような手順で候補が選ばれる。
指定・選定の場合
事務局原案作成(文化庁伝統文化課)→文化庁内決裁(課長・部長・鑑査官・
次長・長官)→文部科学省内決済(次官・政務官・副大臣・大臣)
選択の場合
事務局原案作成(文化庁伝統文化課)→文化庁内決裁
3)最終決定
文部科学大臣(指定・選定)または文化庁長官(選択)は、当該候補のインベ
ントリー掲載の可否について、文化審議会へ諮問を行う。文化審議会はそれを文
化財分科会で検討するが、さらにその分野の専門研究者によって構成される専門
調査会へ審議を依頼する。専門調査会で慎重に審議された事項は、文化財分科会
及び文化審議会へ報告され、最終的にその結果が文部科学大臣又は文化庁長官へ
答申される。そしてその答申に基づいて、指定・選択等の事実が政府により公表
され、インベントリーに掲載される。
5.「人間国宝」システム
「人間国宝」という言葉は、正式な用語ではなくいわば俗称である。したがってそ
の公式な定義も存在しない。
しかし一般的には、重要無形文化財の各個認定の保持者に対しての「人間国宝」と
いう呼び方が定着している。よってここでは、重要無形文化財各個認定保持者の意で
以下使用することとする。
重要無形文化財として指定されるのは、芸能や工芸技術などの「無形のわざ」その
ものであるが、それだけでは観念的にその重要性を宣言する意味しか持たない。それ
を可視的に一般の人々に明らかにし、その伝承を確保するためには、指定された「わ
ざ」を高度に体得し体現できる保持者の存在が不可欠である。そこで日本では、新し
く重要無形文化財の指定を行う場合、同時に保持者を認定することが求められる。
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1) 「人間国宝」認定候補の情報収集
重要無形文化財保持者の認定にあたっては、重要無形文化財の指定対象と
なる各分野別に状況を把握し、候補表(参考資料)を作成する。この候補表
には、現在の保持者及び過去の保持者を筆頭に、次期候補者となるべき人、
世代的にそれに続く人を幅広く網羅しておくことが重要である。
次に、次期候補者となるべき人については、日常的にあらゆる情報を把握
しておくことが望まれる。たとえば、主要なものとしては次のようなものが
ある。
•
健康状態:健康的に不安な状態では保持者としての働きが期待できな
いため。
•
受賞歴:技芸・技能の到達度を示す 1 つの指標となる。
•
後継者の有無:積極的に自己の技芸を伝承させようとしているか否か。
•
斯界での位置:その候補を認定することにより、マイナスの影響がな
いか。
•
人格・識見:
これらの情報は、担当する調査官が日常的に収集することはもちろんであ
るが、時間の制約とマンパワーからみて、それだけでは十分とはいえない。
そこで、各界に詳しい学識経験者や評論家、あるいは各界団体関係者との情
報チャンネルを常に開居ておくことが重要となる。その際注意しなければな
らないのは、偏った情報収集にならないことと、候補者に関する秘密保持で
ある。特に秘密保持に関しては慎重な対応が求められる。もし特定の人物が
その年の具体的候補者として浮上しているとの情報が広まれば、露骨な売り
込みや誹謗中傷の生じる怖れ等、公正な手続きに支障が出ることも考えられ
る。また、作品の経済的価値が重視される工芸技術の分野では、事前の情報
入手による不正な利益を得ようとする動きなども生じかねない。
こうした事態が起これば、人間国宝制度そのものに対する国民の信頼が失わ
れることにもつながるため、慎重の上にも慎重を期する必要がある。
2) その年の具体的な指定・認定候補の絞り込み
次に必要となる作業は、各年の具体的な重要無形文化財の指定候補及び保
持者の認定候補を絞り込み、原案を作成することである。ここでまず問題に
なるのは、その年の認定枠として何名分があるかということをまず確定しな
ければならない。日本の人間国宝には年間 200 万円の特別助成金を支給する
ことが定められているため、はっきりとした予算上の定員枠が存在する。現
在 23,200 万円の特別助成金予算が計上されているので、定員枠は現在 116
人である。
したがって、助成金予算が増額されず、保持者全員が健在であれば新規の
指定・認定は行えないこととなる。しかし現実には、保持者は高齢者が多い
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ためほとんどの年で欠員が生じている。重要無形文化財の指定・認定は年 1
回行われるのが原則であるから、そのタイミングで何人欠員枠があるのかが
大きな問題となる。よって一定のタイムリミットを限り、その年の認定枠を
確定する作業が不可欠となる。
次にその認定枠を使って、どの分野の指定を優先するかを決定しなければ
ならない。指定すべき分野がかりに全て充足されている状態であるならば、
欠員が生じた分野の補充が最優先にされるべきであるが、現実には指定すべ
き分野であっても候補者の状況や予算の不足等で未指定の分野も多い。また
既に指定されている分野にも、流派的配慮などから保持者の追加認定の必要
な分野もある。これらを総合的に判断して、その年の認定枠を一番効果的に
使う指定・認定の案を作成することはかなり大変な仕事である。
仮に指定すべき分野が決まっても、その分野に認定すべき適当な候補者が
いるかどうかを判断する必要がある。制度の原則からいえば、指定すべき対
象は人ではなくわざであるから、指定すべき分野が決まれば、その分野の中
でその時点で最もふさわしい人を認定すれば良い、という考え方もある。つ
まり異なった分野での人間国宝間のレベルの差は問題とならない、という考
え方である。これは 1 つの正論であるが、実際には人間国宝にふさわしいと
国民一般が考えるレベルがあると思われ、それに明らかに達していない保持
者を認定することは、制度そのものへの信頼維持の観点から余り望ましくな
い。
これらの諸条件は、その年によって異なるので、その条件の中から最も多
くの人が納得できるような案を作成するように心がけねばならない。
3) 説明資料の作成・公開
上記のような段階を踏んで指定・認定候補が決定されると、次にはその指
定・認定の内容を説明刷る資料作成が行われる。これは直接的には文部科学
大臣の諮問機関である文化審議会文化財部会及びそこから調査依頼を受ける
専門調査会に提出され、専門的見地からその是非が検討されるものであるが、
最終的には報道機関を通じて広く国民に示されるものであり、その指定・認
定の妥当性を過不足なく説明するものであることが理想である。
その内容は、重要無形文化財の名称・重要無形文化財の概要(指定要件に
どういう点で合致するかについて記述)、保持者の氏名(本名、芸名・雅号)、
生年月日、年齢、住所、概要説明(認定基準に具体的にどのように合致して
いるかを記述)、略歴(受賞歴等)、及び過去の同分野における指定・認定情
報などである(参考資料)。
4)人間国宝制度の課題
以上のように毎年行われる作業により、人間国宝は生まれるが、モノが対
象の有形文化財と比べ、生きている人によって担われる重要無形文化財の保
護システムは、人が中心であるが故に問題点も抱えている。その一つは、高
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齢化によって十分に活動できなくなった保持者に対する対応の問題である。
文化財保護法では、保持者として不適当となった場合には認定解除が行える
との規定があるが、実際に運用された例はない。有形の文化財が壊れたり滅
失したりすれば、当然その指定は解除される。しかし、高齢になり十分体が
動かせなくなった保持者に対して、保持者としての活動が不十分だから解除
する、ということは人の情として簡単には踏み切れない実情が存在する。し
かし現状の予算上の定員の制約下では、十分活動できない保持者のために、
新しい保持者認定が行えないという弊害が指摘されている。
また現在では、重要無形文化財の対象は芸能と伝統的な工芸技術に限られ
ているが、その他の分野に拡大する必要も考えなくてはならない。とりわけ
ユネスコの無形文化遺産保護条約が実施段階に入った今、世界各国から様々
な無形文化遺産が今後代表リスト及び危機リストに登録されることが予想さ
れ、日本の人間国宝制度が対象とする範囲が果たして適当であるかどうかは、
今後議論されるべき問題である。
以上
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