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大江健三郎︵ 大江健三郎︵ 大江健三郎︵ 大江健三郎︵

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大江健三郎︵ 大江健三郎︵ 大江健三郎︵ 大江健三郎︵
大江健三郎
イン・レイト・スタイル
ウェブ立ち読み版
全小説解題
︵ほぼ︶
本
本 の コ ラ ム を ご 紹 介。 本 誌 で は、
5
頁の大ボリュームでお届けします!
まざまな
までの作品をめぐって出会い方も語り方もさ
こ の ウ ェ ブ 立 ち 読 み 版 で は、 初 期 か ら 後 期
ころ・難所・愛しどころを熱筆!
研 究 者 ⋮⋮ 多 様 な 人 々 が 大 江 ワ ー ル ド の 見 ど
神科医・劇作家・学生・記者・小説家・批評家・
るその創作に魅せられた漫画家・映画監督・精
本 刊 行 が 待 た れ る 大 江 健 三 郎。 半 世 紀 を 超 え
年 ぶ り の 連 載 小 説﹁ 晩 年 様 式 集 ﹂ の 単 行
15
41
60
執筆者一覧
吉野朔実
平野啓一郎
春日武彦
長崎訓子
石橋正孝
町田康
杉江松恋
大迫知信
吉原知世
倉数茂
佐川光晴
中村文則
滝口明祥
石井光太
入江悠
谷崎由依
近藤聡乃
山本直樹
奥泉光
松波太郎
いしいしんじ
小澤英実
中島京子
若島正
玉川重機
円堂都司昭
岡田利規
川田宇一郎
青木淳悟
藤谷治
墨谷渉
松江哲明
福永信
村田沙耶香
待田晋哉
高原英理
渡邉大輔
山本浩貴
田尻芳樹
川上弘美
安天
不意の啞
供も犬も身うごき一つしないでその遊
った﹂という日常性の恢復を﹁女の子
べりで灰色の鳥を銃で狙い、結局撃た
﹁きわめて若い雀斑のある男﹂が、川
というのも象徴的である。
かいふく
びをつづけた﹂という緊迫した静止状
群の中で
一作家として読むと、些か気が滅入
も、私は殊の外、
﹁不意の啞﹂が好きだ。
息をついた﹂という場面は、一連の緩
ず、﹁ 村 の 大 人 も 子 供 も、 み ん な 熱 い
に基いて整然としており、それが、作
筆致だが、その結構は、三一致の法則
の 遠 近、 濃 淡 の 処 理 は 非 常 に 巧 み で、
は必ずしも少ないわけではないが、そ
作品の長さに比して、登場人物の数
ある。その音の余韻は、以後の沈黙に
によって突発する後の悲劇の伏線でも
急の無音の凝縮点であり、同時に銃声
いや ま
品の迫力を弥増している。
は、前半の太陽の光と後半の夜の闇と
ま
写を俟って、緊張と弛緩とを動的にコ
性の到来は、直ちに﹁息をつめて﹂見
際立っている。しかも、訪問者と居住
う対照的な二人だが、その人物造形は
本人通訳と主人公の英雄的な父親とい
底知れぬ暗さとを、いつも強烈なコン
を覚えるような明るさと、制裁の時の
本書を思い返すと、私は、その眩暈
果を高められている。
いう大胆な単純化によって、劇的な効
まもる少年が﹁息せききって﹂村へと
両者の軋むような接点は、卑小な日
ントロールしている。
こうした息を呑むような緻密な展開
於いて途切れることがない。
事件は、とある村で、一昼夜の間に、
冒 頭、﹁ 外 国 兵 を の せ た 一 台 の ジ ー
一つの出来事を巡って起きる。
プが夜明けの霧のなかを走ってくる﹂
戻るという行動へと受け渡される。そ
︵小説家︶
トラストとして脳裡に蘇らせる。
﹂の喪失である
移動を可能にする﹁
者 と の 間 に 顕 在 化 す る 矛 盾 の 発 端 が、
1
と村へ入って来た道をひきかえして行
大江健三郎(ほぼ)全小説解題 ウェブ立ち読み版
れ は、﹁ ふ い に ジ ー プ が む き を か え る
という一文によって告げられる非日常
囲むような配置は、子供たちの心理描
占領軍の数人の外国兵を、村人が取り
ほとんど一気呵成に書かれたような
ってくるような天才の仕事。
態で待機する結末部分と鮮烈に呼応し
『死者の奢り・飼育』
新潮文庫
1959 年刊
合っている。
大江氏の傑出した初期短
平野啓一郎
1958
大江健三郎(ほぼ)全小説解題 ウェブ立ち読み版
2
われらの時代
あり、挿入行為自体は嫉妬の対象には
装して立ち向かう﹁男性的﹂な部分で
男にとって頼子の女性器は外国人に武
活を送っている大学院生の青年だ。靖
相手の娼婦・頼子と同居して無為な生
一方の主役である南靖男は、外国人
の主役である︿不幸な若者たち﹀であ
が結成したバンドが、物語のもう一方
靖男の弟である滋を含む三人の少年
途端にインポテンツの兆候を示すのだ。
彼 女 がそ れ を 自 由 にし よ う と す る と、
の視線がないときにはいきり立つのだが、
身体に対して不実な反応をする。頼子
己嫌 悪のゆえか、靖男の性器は頼子の
怖 の 念 を 抱 い て い る、 と い う 構 図 が、
対して性器が萎縮するレベルで深い畏
教育を叩き込まれた彼のほうが天皇に
鮮人の高が入っており、幼時から臣民
命 だ。︿ 不 幸 な 若 者 た ち ﹀ の 一 員 に 朝
未来永劫彼らはインポテンツとなる運
れば勃起がし放題、しかし失敗すれば
からである。無事に手榴弾を投げられ
ことにより、心おきなく勃起ができる
思いつく。そうやって現在を攪乱する
の乗用車の前に手榴弾を投げることを
ならない。彼が嫌悪するのは他人の視
る。彼らは巨大なトラックを手に入れ
る︶天皇の存在に気づいた彼らは、そ
線が頼子の膝の裏側やふくらはぎとい
てそれで旅をするという未来を夢想し、
戦後の日本人の置かれた状況を容易に
った﹁ふいうちをおそれ﹂る部分に向
この作戦の遂行にひずみを与える要素
﹃われらの時代﹄は勃起不全の男たち
けられることで、それらの個所こそが
現在を否定する。彼らは女性とのセッ
となっている。
人身御供として差し出さなければその
の庇護を受け、愛人である頼子の一部を
外国人を憎みながらも経済的にはそ
神的に高揚させる︵すなわち勃起させ
ことにつながるからだろう。人民を精
が望む未来を捨てて現在の状況を選ぶ
いる。生身の女とのセックスは、彼ら
を求める。登場人物たちの行動原理が
し、時には他人を深く傷つけても解放
ちは、性器を縛る意識から逃れようと
アンラツキー ・ ヤ ン グ メ ン
頼子の感情や精神と深くつながってい
クスに恐れにも似た忌避の念を持って
状 態 を 維 持 で き ない という 関 係 性 は、
自由に勃起することを阻まれた男た
ると彼は考えているのだ。
を主人公とする小説である。
『われらの時代』
新潮文庫
1963 年刊
連想させる。そうした欺瞞に対する自
杉江松恋
1959
過度に男根主義的であるのは作者のい
たずらで、彼らは女性が妊娠するとい
うことに滑稽なほどの恐怖心を抱いて
にしろ、行動の責任をとれるほどには
い る。 靖 男 に し ろ︿ 不 幸 な 若 者 た ち ﹀
成熟しきっていないのである。ゆえに
彼らがまくしたてる思想は薄っぺらく、
己憐憫の本音が表れる。敏感すぎる本
理論武装の衣を脱がせればその下に自
体の隠し方はなんとも包茎的だ。その
可笑しさと哀しさを男根という象徴に
よって描いたことで、ぐずぐずと理屈
をつけて勃起できない男たちから愛さ
れる小説となった。自身の勃起に悩む
男性読者とその勃起の奇妙さを嗤う女
失うことはないだろう。
︵書評家︶
性読者がいる限り、本作が存在意義を
大江健三郎(ほぼ)全小説解題 ウェブ立ち読み版
3
を言っているのかわからない。手ぶり
彼が失語症を患ってしまいました。何
4
イーヨーの言 葉は無 垢です。飾 りが
か筆記で何とか会話しましたが、いつ
す が 私 は 足 の 甲 か ら 足 首 にか け て で、
私は痛風でした。大江健三郎は親指で
こ の 前、久 し ぶ り に 彼 と 飲 ん だ 時、
に笑顔も消えました。
具が言 葉 だとしても、ただの道具では
歳の親しい飲み友達がいま
も皆を愉快にさせてた彼から言葉と共
私には
す。彼と一緒に飲むビールを、いつも
楽 し み に し て い た の で す が、あ る 時、
痛み止めを飲んで彼には隠して、ビー
ルを飲みました。酔うにつれ、彼に笑
顔が戻ってきて、そして、
﹁ビール﹂と
使ってきた言葉﹁ビール﹂
。古希を迎え
いう言葉を思い出したのです。幾度も
る彼がもう一度その言葉を取り戻した
産まれたての言葉として目の前のジョ
あの時、
﹁ビール﹂という言葉が無垢な
大江健三郎はイーヨーの事を﹁祝祭
ッキの中の琥珀の様に輝いていました。
の道化でありかつ祭司﹂と言います。
歳になるイーヨーの無垢な心はどこへ
︵漫画家︶
イーヨーが教えてくれた気がします。
言葉は持ち続けられて祝祭を連れてくる。
重ね形を変えても﹁むきだしの無垢﹂な
行くのか、大江健三郎は悩みますが、年を
20
70
ないとイーヨーの言葉達から知りました。
なくまっすぐで強い。感情を表現する道
大江健三郎(ほぼ)全小説解題 ウェブ立ち読み版
『新しい人よ眼ざめよ』
講談社文庫
1986 年刊
新しい人よ眼ざめよ
玉川重機
1983
静かな生活
映画で省かれたエピソードもあるが、
いるのは大江健三郎氏の原作を元にし
常軌を逸している。そう、僕が書いて
性を描くためとはいえ、周囲の人間が
彼を支えるマーちゃんとの美しい関係
首を吊る。脳に障害を持つイーヨーと、
け ﹂ と 指 示 し、 彼 女 を 犯 し た 挙 げ 句、
て﹁俺がなんとかするから、あっち行
は憧れの女性を絞殺した少年に向かっ
面に向かって性器を突き出し、三谷昇
に隠れ⋮⋮ていない渡辺哲は少女の顔
をするのは間違いないだろう。でも信
ない。そして、これからも悔しい想い
の時間、様々な辛い経験をしたに違い
れる。きっと彼女は小説で描かれる前
者も﹁なにくそ!﹂という気持ちにな
ゃんの主観で語られるので読んでる読
く明るい。社会は残酷だけど、マーち
印象は大きく違う。小説の方が清々し
ったのには驚かされた。しかし受ける
生活﹄だったが、ほとんどそのままだ
ろう、と予感しながら読んだ﹃静かな
さぞ伊丹流の改変がされているのだ
のにこそ反応する。僕らはつい深読み
に素直だ。自分が﹁面白い﹂と思うも
を思い出す。しかしイーヨーはあまり
じ合っていた、あのくすぐったい時間
に対し、学生時代﹁どう﹂見るかを論
難解な映画だ。僕はマーちゃんの解釈
ーカー﹄は深読みをしてしまいがちな
説家の家庭だなと思う。中でも﹃スト
こんなにも深く語られるのはさすが小
上がる。僕がかつて偏愛した物語だが、
ルコフスキーの﹃ストーカー﹄で盛り
娘 の 感 想 が 語 ら れ、﹁ 案 内 人 ﹂ で は タ
﹃ モ モ ﹄ や﹃ は て し な い 物 語 ﹄ の 父 と
悲 し み ﹂ で は ミ ヒ ャ エ ル・ エ ン デ の
確 か に 映 像 化 は 難 し そ う だ。﹁ 小 説 の
た伊丹十三監督の映画版のことである。
じられるイーヨーがいる。彼がマーち
出会いと原作のギャップに衝撃を受け
当時、数少ない日本映画界のヒットメ
ゃんとの生活を﹁静かな生活﹂と表現
たのだから。
ーカーの新作に、期待して劇場に向か
6
ものと聞こえる音に、まずは向き合う
ストーカー
ったのだが、困惑が残った。この戸惑
5
編の物語はそのことを教えてくれる。
をしがちだが、映画は映っているその
大江健三郎(ほぼ)全小説解題 ウェブ立ち読み版
について書くことは出来ない。最初の
し 得 る 限 り は、 大 丈 夫 と 思 え る の だ。
﹃静かな生活﹄はタイトルに反して激
『静かな生活』
講談社文芸文庫
1995 年刊
いを告白しなければ僕に大江健三郎氏
しくも恐ろしい描写が連続する。木陰
松江哲明
1990
大江健三郎(ほぼ)全小説解題 ウェブ立ち読み版
6
た。マーちゃんは頭が良く、素直な少
べきではないか、と教えられた気がし
女だから混み合う駅のフォームで、自
登場人物の姿を重ねたりもするが、彼
分を守るイーヨーに﹃ストーカー﹄の
るにすぎない。だからこそ僕らには眩
はまっすぐマーちゃんと向き合ってい
しく映る。
﹃静かな生活﹄は﹁当てる﹂演出をし
てはいけなかったのではないか、と思
添い、ささやくような語り口で撮って
う。徹底してマーちゃんの視点に寄り
欲しかった。だが、 年代の日本映画
︵映画監督︶
めて小説を読み、思った。
優しさと向き合って欲しかった、と改
が心底好きだっただけに、この小さな
は許されなかったのだろう。伊丹映画
の期待を背負っていた﹁伊丹映画﹂で
90
二百年の子供
上京したぼくをおいて死んだ。その数
実家においてきた犬﹁クッキー﹂が
れど、ならば真木さんも、伝承の中の
のイメージが挿入される箇所があるけ
う。作中、不意にベーコンの輪廻転生
じ名前﹁チャッピー﹂をつけたことが
えない。二匹のハムスターに続けて同
列にとらわれたままのような感覚が拭
どう じ
日前に実家とのビデオ通話でクッキー
あれから二年も経ち、未だにぼくは
一定のパターンが、判定者の脳内で生
に お け る 生 命 の あ り 方 と も 似 て い る。
を発見する点で、チューリングテスト
輪廻転生は、複数の世界に同一の魂
地の伝承がある。そしてなによりも本
をかけてくれる、家族や近所の人、土
偏在するベーコンを信じるための言葉
すればいいのか。真木さんの場合には、
法則ではない方法で接続するにはどう
り、経験であるはずだ。宇宙を、物理
死んでしまった。生命は条件というよ
あったけれど、どちらも皮膚が爛れて
クッキーが死んだことを疑えない。量
命という星座になる。あらゆる犬をベ
作自体が、真木さんを含めた三人の子
もしれない。
子論的に証明されずとも、最も近い同
ーコンと呼ぶことは、ベーコンと真木
供によって思い出され、書かれたもの
キーの死の姿そのものになった。
メ
一 宇 宙 は、少 な く と も 10^(10^118)
ートルを隔てて存在するというけれど、
さんの間の歴史を別の犬がベーコンと
であるとされている。宇宙の移動の軌
呼ばれることで引き継ぐ、つまり真木
さんがいなくなったあとでもベーコン
の、さらには童子の群れが、互いが互
跡を言葉によって再構成し、ベーコン
残っていないのか、それともぼくが宇
宙を信じ切れていないのか。本作の中
続けることを可能にする。
つまり宇宙と惑星の境目として、小説
い を 見 つ め る よ う に 動 く た め の 星 空、
が真木さんという星座を世界に発見し
7
ぼくはクッキーの死んだこの宇宙の系
で も、そ ん な 風 に 考 え た だ け で は、
で、願った人やものの所へいけるとい
大江健三郎(ほぼ)全小説解題 ウェブ立ち読み版
付けた犬﹁ベーコン﹂を見つけてしま
年や二〇六四年の世界にも、自分の名
う伝承を信じた真木さんは、一八六四
この宇宙には、もはや彼のいる宇宙が
て動かないそれがぼくにとってはクッ
﹁童 子﹂と し て 輪 廻 転 生 し て い る の か
『二百年の子供』
中公文庫
2006 年刊
を見せられると、ソファーに横たわっ
山本浩貴
2003
大江健三郎(ほぼ)全小説解題 ウェブ立ち読み版
8
船を浮かび上がらせる⋮⋮
は言葉の再定義を繰り返す装置=宇宙
膨大な距離をジグザグに移動するそ
に複数の宇宙をまたいで生きていくこ
の宇宙船は、量子コンピュータのよう
とを強いられるだろう。宇宙は膨張を
続け、星は星座を無視してあふれかえ
り、電波を発信したとしても、届くに
息絶えることも、道を迷って帰ってく
は三億年かかるかもしれない。途中で
ることもありうる。数千年前の自分の
おはようを聞く、ここにいますがあな
たはいますか? はい大丈夫ですあり
じて聞き取れるだけの形を残してくれ
がとう! その返事は今のぼくに辛う
ているだろうか、ひとまずこの星にい
る八十年間、ずっと返事を返し続ける
けれど、その間にぼくの言葉が、その
群れが、クッキーとぼくを自分に見出
せるような輪廻転生する宇宙に、信じ
てもらえるだろうか?
︵大学生︶
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