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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
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コペルニクスの紀念
キング, E. S.
天界 = The heavens (1923), 3(30): 164-167
1923-05-25
http://hdl.handle.net/2433/159881
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
164
第三十號
︵第三懇︶
ハーずド大學敏授E・S・キング
大正翫丁二年六月號
コ。ヘルニクスの紀念
界
︵ 一︶
彼れが其の畢生の研究に献けた三十六年間の仕事は逡に召・菊Φく。一豊。格子区切9新調旨O鉱.巴§︵天艦運行論︶Lεいふ書物霊なつ
時間が充分に與へられたから。
院の僧職に任ぜられたが、彼れはそれを大へんに喜んだ、何εなれば、そこで、本職は至って閑散で好きな天文の研究をする
柑は一四九七年三月九日で、曲れが天位観測εし残した記録の最初であった。彼れは童謡に肺って、フラウエンブルグの一寺
接するに及んで、彼れの星に封ずる愛着心は蘇った。其の地で、彼れはアルデバラン星の月による掩蔽を観測したが、其の日
てるる。二十三歳の時、彼はイタリアへ行って、宗教ミ讐學εに興味を壁え、その爾方の學位を得たが、しかし一天文學者に
に入偏したが、そこでは重継ε天文學ミを好んだ。今、此の古い大學の圖書館の美し.い中庭に彼れの名を紀念する銅像が立っ
コペルニスクはヴイスツラ河眸のトルソ霊いふポーランド町に生れた。長じて伯父なる↓傅侶ω養子ざなり、クラカゥ大學
動かされるものではない。
得る費用の寄附金が募集されてるる。其の趣旨は實に立派である。しかしコペルニクスの名は確かなもので,入の殿轡昏睡に
肇を建てやう¶、﹂計書してみる。土地購入の資金は既に出來て、最近は、この紀念天文壼を面恥するため、機械や書物や雑誌を
あるため、ニコラス,コペルニクスに謝しての﹁我が自由凋立論の喜びを二心の時代に向って紀念せんため﹂に、↓つの天文
ふ又本年五月二十四日は彼の死後三百八十年目に當る。︶
彼れの誕生の第四百年目は、ポーランドが禾だ外画の勢力の下にある扁八七三年に㍊はれた。しかし、今は彼証人は自由で
日九二三年二月十九日は、かの、十六世紀に天文學の革命的研究をしたコペルニクスの誕生第四百五十年目である。︵編者日
天
164
︵二︶
た。今こ、で、あらまし、コペルニクスが専心した天文説を述べやう。背しから、地球が、眼に見える宇宙の中心である噛し思
はれてるた。之れはトレミーの論である。トレミーは、勿論,地が丸いもので,何物にもブラ下ってみるものでなく、そして
動かない霊考へてるた。誰でも足で踏んでみる此の地球の安定を知ってみるものは、此の考へを疑はなかった。そして、星々
たま、、二十四痔間に一回韓するのだε考へた。日や遊星な,ごは叉別々の球に乗つかってみるのだが、此等の球は透明燧であ
が侮日出浸をするあの日週蓮行を説明するために、星は皆、天にある大きな球穀に附着したもので、その球は縛ての星を乗せ
クコル
るため、恒星はやはり見えてみる。遊星が黒闇不規則な響動をするやうに見えるのは、それぐの遊星の蓮動の中心が叉更に
エビいイ
地球のまはりを巡るためで、丁度、遊星はクランクの腕の先に置かれてあるやうなものである。かうして謁かれる軌道を回輻
が出職た。其の後、観測が上手になって、何か不都合なこεが見つかるミ、野々は夏によけいな囲韓圓の歎を辞し、從って天
圓ミ呼ぶ。問蓮ひであるけれ,ご,此の説は重り正曜でない観測によって知られてみる遊星の蓮動を可なり巧みに論明するこ﹁こ
はだんぐ複雑になって來た。ミルトンは
中心の上に中心を増し、
天の上に天が重なる:・:・⋮
圓の上に圓を加へ
ミ、主命の考へを歌ってみる。かうして、天の構造は非常に避難したものご考へられるやうになった。スペインの王様アルフ
パトロン
オンゾ第十世は、第+三世紀頃の天文學の保護者であるが,或る日、﹁自分が若し天地創造の時の相談を受けたのなら,も少し
實にコペルニクスの偉大なる効績であった。
簡輩な構造を注文するのであったのに﹂隔こ言つ九唱こいふ。かうした場合、遊星間の眞の關係を簡箪に解いてしまったこ¶こは、
尤も、大昔、ピタゴラスや其他二三の恐々が、太陽を宇宙の中心−こ見る考への優れるこεを暗示したけれ7ご、しかし、誰も
之れを謹明し得なかった。軍なる室想−こ山鼠εには大きな違ひがある。コペルニクスは此の謹明に成功した。彼れは書物の中
に、始め如何にしてトレミー読に不満足を感ずるやうになったか、そして、火星の光輝の大罪な攣化がトレミー論では如何に
不可解なものになるか一こいふやうなこざを、思ひきって卒直に書いてゐム。郎ち、彼れ曰く
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つても、宇宙の各部分の蓮動についての考案は、此の世界の最微の貼までも研究してみる哲墨者.たちに、もはや喜ばれない﹂
﹁たざへ、如何ほ曹立派な、又、最も好く縮てのものの法則を撰へたかの大建築家が、我々のために作ってくれたものであ
そこで彼れは昔の哲學者の所論を研究して、遽に彼れは、地球自身が動いてみるのかも知れないこいふ暗示を獲聴したミ言っ
云々。
てるる。但し此の考へを照れの説の中に嚢記したかは、︼寸不明である。或ひは、遵ふに、之れは自分の設でありながら、飴
εにかく、彼れの購裏には、遊星の運動が丁度一ク年の長さに相等するのは、蓮動の相樹性による外観だけの問題ではない
り遽慮した口振りなのか、叉は、他人の批評を避けるつもりで、わざε、左様言ったのかも知れない。
かεいふ考へが、チラッミ、ひらめいた時があったに違ひない。地球の年週運動−こいふものが、今までは、却って、他の遊星
たちのせいだεばかり思はれてるたのだ一1あだかも、汽車の停車揚なさで、自分等の列車が動くのか、或は隣りのレールの
ヘ へ
上の別の車が動くのか、綱別に困難する時のやうに。iIこんな獲見ω瞬間における彼れコペルニクスの感情は,こんなであっ
臨來るだけ多くの石器を集め、遊星淫行表を改善し、公軍な考への人には点れも了解をさせるための論理を編んでみた。しか
ただらう!書家の弛めの好い識題ではないか!
若い人々は、ぐ﹂かく尊宿を急ぎたがるものであるが,コペルニクスは左様ではなかった。彼れは、静かに其の法理を味はひ
いほさ盗心に主張された。コペルニクスは、公表後に種々の困厄が起るかもしれないε考へた。彼れは喧嘩好きでなく、論畢
し、朋友仲間には之れを嚢表して、議論な♂をしたのは勿論である。−しころが、終には、﹁公表せよ﹂,こいふ窪めが堪え切れな
を好まなかつ#。たゴ、彼れεしては、事を静かにしておいても、﹁遽には眞理が勝つ﹂、こ深く信じてみた。しかし、εうノ、
書物が出來て、ロマ法王に献本する一こいふこミになり、出版費用は親密な一僧侶が彿ってしまった。
今の吾々−こして見れば、すでに長い以前から聞きなれてみる此の考へは決して珍らしいものではない。しかし、コペルニク
スも始めは、総ての星が一日に天の軌道をドまはのするε考へるべきか、或は、一寸、考へるミ大きいらしくも見える此の小
さい地球が其の軸のまはりを一回韓するざした方が自然であるかを考へた。しかし彼れσ行き方は有力であった。﹁地球が回輕
するならば、室氣は後方に置き去りにされる牝め、大風が吹く筈ではないか﹂勢いふ古くからの反封論に封しては、彼れは﹁吾
︵三︶
16・7
︵四︶
吾が道を歩行する時着物が置き去りにならないやうに、地球も塞氣を持つたま、で行くのだ﹂ミ答へた。今吾人は詳しくこう
した朝地を記すこざは不可能であるし、叉、後に起って來た多くの反封説を列嘱するこεも追駆ない。彼れは地球が軸のまは
りを自求する結果、寒夜が生じ、星々の鵬浸が起るのだεいふこミを示し、侮、太陽が地球のまはりをまはるのでなく,地球
が太陽のまはりをまはるのだεいふ謹嫁を墾・けた彼れの研究により、地球は曾てのものの中心であるミいふ高慢な地位から移
されて、他の遊星たちミ同列になってしまったσ
吾人は、コペルニクスの業績を思ふ一こき、それが望遠鏡の用ゐられる時代以前の出來事であるこ・こを記憶せねばならない。
彼れは未來を遠く見てみたのである。﹁水星や金星が太陽のまはりをまは食こいふのが、全く彼れの説の通りだミすれば、それ
な機械を嚢明させるだらう,其の時に其んなものが見えろのだ﹂ぐと冒つた。此の豫言ば、一六一か年、ガリレオが新嚢明の望
等の星は恰も月のやうに盈虚があるべきではないか﹂ミいふ批詐に答へて、コペルニクスは神は、﹁將來眼力を進歩させるやう
遠鏡で金星の三日月形を始めて見た之ミで、ちゃんε心界せられた。
コペルニクスは、﹁眞理は人を自由にする﹂−こいふ信念を持ってるたσ﹁時さへ繧てば、眞理が勝つのだ。﹂コペルニクス説は此
の信仰によって勝利を得た。此のポーランドの一檜侶の影響を吾々は如何に述べて好いか?・。それは、﹁入は自己のみを馨り見
過ぎないで、廣く宇宙を見渡すべきである﹂,こ教へてるる。彼れの研究は遊星の實際の構造が、以前から考へられてるた人間
細工的なものよりも.すつ・こ簡軍なものであるこεを示した。其の結果、テイヒヨの精密な観測をうながし、ケプレルの遊星
蓮行法則の嚢見を勧起し、遽にニゥトンが宇宙引力法則によってあらゆるものを統一調和するまでに及ぼした.、
敏授 タ 一 ナ
今日、彼れの生面に、紀念−こして天文皇を建設しやうマ﹂いふ思ひ付きば好い考へである。吾人は切に其の成功を望む。︵終︶
諸獲見にして倦まざる勢働ビ著しいオ能虐の賜物に非ざるは稀であるO
FのR。A夢S.アーツ、キリソプ
ー
科學的登見亡に紳の聖旨亡目的亡の開示であろ。
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