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まずかきやりし "" - 寺田透氏の 『和泉式部』 が 「日本詩人選」 の 一冊
まずかきやりし 寺田透氏の﹃和泉式部﹄が﹁日本詩人選﹂の一冊として出たのは、今からちょうど五年前であ る c私は、寺田氏が折にふれて書かれる和泉式部についてのエッセイに、教えられるところが多 かったが、新たに出されたこの木には、寺田氏の式部に関するそれまでの思考がすべて投入され、 c 私は感動して、さっそくある雑誌に紹 一斑を見て全豹を測るよすがとする意味で、 文学研究として極所まで至りついているように思われた 人八の短文を書いた。限られたスペースであったため、 次の一首についての寺田氏の解釈にふれるにとどめた。 くろかみのみだれも知らず打ち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき この歌について、寺田氏は次のように述べているじ 和泉の代表作のひとつに数えられるこの歌は、何かの悲しみにくれて打ち臥す自分を慰め てくれた男を歌ったものではけしてない。 かの女の里山髪のみだれは、房事のはげしさがもた 2 3 2 まづかきやりし… らしたものであり、かの女は自失の状態で自分の髪の毛にくるまれて倒れているのだ。そし てそれがつねのことで男の方が早くわれに帰る。 そしてかの女の髪の毛を、かきやる、とい うのは単純に掻き撫でるのではありえないだろう。思いやる、吉一口いやるという熟語動詞にお けるのと同じように﹁やる﹂という動詞がついている以上、乱れてかの女の顔をかくしてい た髪の毛を、向うへ押しやるように掻きあげて、そうしてかの女の顔をのぞきこむようにし (やる)の動詞の機能を正確 た男が恋しいとこの歌は歌っているのであり、かの女が恋しているのは自分の肉体の征服者 ﹁かきやり﹂の﹁やり﹂ としての男なのだと断定してさしっかえない筈である。. このなかで、 私がとくに感心したのは、 c ただ、里山髪をかきゃったのが、ふたりの愛の交渉のどのような にとらえたうえでの、寺田氏のゆるぎない作品の解釈であった。その点だけでいえば、今も、私 の気持ちは少しも変っていない 時点であったかという点で、寺田氏と少しちがった読み方ができるのではないか、と思うように なった。それは、たまたま﹃和泉式部日記﹄を読んでいるとき、はじめて気づいたことである。 ﹃和泉式部日記﹄に、初冬の、ある時雨の夜、帥宮が式部のもとを訪れる箇所がある。奥はく らくておそろしいといって、 ふたりとも端ちかな所に臥している。女は、宮の﹁あはれなること ﹁あはれ のかぎり﹂をつくしたことばに、じっと聴き入っている。女の胸は宮への信頼感にみたされる。 f 月は陰 者常なく、時折思い出したように、 はらはらと落ちてくる時雨。自然の情景も、 2 3 3 なることのかぎり﹂をつくり出したような夜である び c 女のからだは幸福感にうち惚えた F c ﹁おしおど c宮 ﹁人の便なげにのみいふを、あ一やしきわざかな、ここにかくて c ﹁ねたるやうにて忠ひみだれでふしたる﹂女を、 光のなかで、涙をおとすばかりであった ο ﹁手枕の袖﹂は、王朝的ニュア γ スに富む歌語である ないかと、ふと思った。 ﹂の一詰は、 ふたりのもっとも昂揚した ﹁手枕の袖﹂の語を含む歌が、 ふたり ﹁かきやり-は、寺田氏のいわれるように、 女 の 顔 に み だ れ か か っ た 塁 さて、さきの﹁くろかみの﹂の歌の結句に見える﹁人﹂は、 日 記 の こ の 場 面 に お け る 帥 宮 で は の聞に、合わせて八首も交換されることによっても知られる。 も残ることになる。 そのことは、この歌をはじめとして、 愛の証として、宮と女とのそれぞれの心のなかに、ずっしりした重みをもって、その後いつまで c 女は、﹁よろづにわりなくおぼえて、御いらへすべき心地もせねば、物もきこえで﹂、ただ月の 時一雨にも露にもあ一てでねたる夜をあやしくぬるる手枕の袖 ろかさせたまひて﹂、次の歌をよみかけられる は、いとおしさに堪えぬ思いから、 あるよ﹂と、 こ り 可 憐 き わ ま り な い ひ と り の 女 を 独 占 し 得 て い る 、 今 の 刺 那 の 歓 喜 ド酔った る。宮は、女のこの様子を見て、 ﹁もののあはれ﹂を知る者同士の、元監な心のふれあいによる、愛のもっとも対揚した場面であ 瞬 2 3 4 まっかきやりし・ ﹁まづかきやりし人ぞ恋しき﹂は、歌を を向こうへおしゃって、その顔をのぞきこむようにすることをいう。そうすると、必然的に、見 ひらかれた交の目の前に、宮の顔が近づくことになる。 よみかける前に、このようにして自分をみつめた宮の面影を、 官り長去後も、生き生きとよみが えらせて、思慕を新たにする趣をいったものではないか。 そして一人ぞ恋しき﹂とある、このよ 01 私は今、このような想像をめぐらしているのである c (五一・六) うな恋情が、 ふた力の愛の、氷遠の形見としての﹃和泉式部日記﹄の造型を促すものとなったので はないか 2 8 5