Comments
Description
Transcript
490号(第21回発達保障研究集会2014レポート集)
(1) 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 No.490号 2013年 発行所 全国障害者問題研究会 〒169 東京都新宿区西早稲田2−15−10 −0051 西早稲田関口ビル4F 発達保障研究センター主催 ﹃ 自閉症の理解と発達保障 セミナー 滋賀 ﹄ に学ぶ 2月 日 ︵土︶ in ﹃自閉症の理解と発達保 障﹄ ︵全障研出版部︶の内容を 子︵滋賀大学︶ 理解と生活づくり﹂白石恵理 ③﹁青年・成人期の自閉症の 広︵東京・特別支援学校︶ 値の気づきと発達を支援する に活動して楽しい〟という価 い。だからこそ〝他者と一緒 ないでいいというわけではな うのを心にとめて実践してい ことが大切﹂ということが印 きたいです。自閉症の人たち ④﹁自閉症のある子どもたち ﹁実践を見直す視点をも と一緒に新しい価値を創造す 象に残っています。私もこれ ら っ た ﹂﹁ 支 援 を 考 え 直 す る│そんな感じでしょうか。 から〝だからこそ大切〟とい きっかけになった﹂など自ら とても勉強になりました。 の発達保障の課題﹂白石正久 の実践に引き寄せた感想がた ︵龍谷大学︶ 近畿圏を中心に、北海道か くさん寄せられました。 ﹁自閉症は想像性が弱いか * ターみゅう相談支援専門員・ ︵滋賀・障がい児者相談セン れました。 ら沖縄まで全国各地から参加 2014年の全国大会開催 らといって、そこに働きかけ 月の第1 著者を講師とするセミナーで を予定する滋賀。県下の保育 ともに学ぼうと、 所・幼稚園、小中学校や療育 第3回自閉症の理解と発達保障 セミナー 岐阜 坂本彩︶ 第2回セミナーが滋賀県・龍 かけ、多様な参加者がありま した。 全 障 研 入 会 希 望 、﹃ み ん な のねがい﹄﹃障害者問題研究﹄ ぐる課題と教育実践﹂妹尾豊 ②﹁障害児学校の自閉症をめ 2014年2月 日 ︵土 ︶ 岐阜市・じゅうろくプラザ ①﹁通常学級の自閉症をめぐる課題と教育実践﹂ ②﹁青年・成人期自閉症者の発達保障﹂ 白石恵理子︵滋賀大学︶ ③﹁自閉症児者の﹃問題行動﹄と内面理解﹂ ①﹁自閉症研究のこれまでと 別府哲︵岐阜大学︶ 参加受付 これからを考える﹂黒田吉孝 夏以降を予定 問い合わせ 発達保障研究センター ︵滋賀大学︶ ︵TEL︶080・4332・2601 ●4つの講座 い機会にもなりました。 研を知ってもらうかけがえな 奥住秀之︵東京学芸大学︶ の購読希望があるなど、全障 in 15 施設、作業所などへはたらき 谷大学瀬田キャンパスで行わ 10 回東京セミナーに引き続き、 がありました。 龍谷大瀬田キャンパスに 350名の参加者 23 月号 TEL(03) : 5285−2601 FAX(03) : 5285−2603 http://www.nginet.or.jp/ 編集発行人 薗部英夫 定価200円 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 (2) 東海ブロック研究集会 なごや 日、 日、東海ブロッ もあり、おいしいビール飲み 放題でもりあがりました。 日は4つの分科会に分か れて交流しました。 東北みんなのねがいセミナー 青森に全国の新しい風を 運んでください で、 お互いの関係の帳尻が 合ってくることがあります。 困った行動を﹁短所﹂と一方 的に見るのではなく、ゆっく り接してあげればいいのかな 学校教育の本質的な改善につ どもたちのためにも、学校が の在り方です。これからの子 セミナー後半の協議では、 みはちがっていいんだと、 いても話題になりました。私 と感じました。 3月2日∼3日、全国大会 い発達の可能性を信じること ﹁できる、できない﹂だけでな したが、一人ひとり発達の進 プレ企画第8弾として青森市 が一番思っていることも学校 ●講演に共感できた で開催された﹁東北みんなの ができました。 また、長所と短所は表裏の ねがいセミナー﹂︵東北ブロッ 関係であり、苦手を補い、得 月 ク集会︶は、記録的な暴風雪 乳幼児期の分科会では の悪天候にも関わらず100 うな学校、学級﹂で、ワクワ のステップアップセミナ│で クドキドキする毎日を送って 元気をもらった保育士さん あっても最後はなんとなく本 発達 演﹁どうして?教えて 人の良さ︵長所︶と見ること ①﹁どうして?教えて 障害の理解と子育て・実践の 障害の理解﹂奥住秀之 ヒント﹂にはとても共感でき ほしいと思っています。 子ども中心で変わってほしい 青年・成人期の分科会ケア ました。とてもわかりやすく ●青森大会を成功させよう 意を伸ばすことが大切だとわ ホームの実践報告では、職員 て、私の心にすーっと入り込 名の参加者が集まりました。 奥住さんには発達障害の基 が障害者のことを理解し実践 んできました。 が、レポートを書きあげ発表 本から実践に役立つポイント として継続していくことが大 ②﹁障害程度区分の認定取り まで幅広い内容をお願いした 切で、職員が集まらないきび で開催する全国大会の成功に のです。奥住さんが紹介して のですが聞き手の思いにぴっ しい現実のなかで、重度重複 理由で不登校になってしまっ むけて話し合いました。この いた言葉﹁明日来たくなるよ たりの内容でした。梅尾さん 障害のホームでは日中活動の たのか。孫の姿を思い浮かべ 夏、青森の地に全国のみなさ かりました。本人との関わり は4だった区分判定を1に引 職員が応援に入ると、日中活 ながら一つひとつ疑問に思っ んの新しい風︵ねがい︶を運 合いを思い出すと、いろいろ き下げられたなかで、自ら点 動に穴が空くという矛盾が出 てきたパズルがつながり、孫 んでください。お待ちしてい 発達 字で訴状をつくり裁判をたた されました。そして、201 もがんばってきたんだなあと 期待していた奥住さんの講 かってきた姿をどうどうと 5年のグループホーム一元化 思うことができました。 することができ、全障研の役 語 っ て い た だ き ま し た 。﹁ お で報酬単価が引き下げられな 割をあらためて感じました。 かしいと思ったら、きちんと いように運動していく重要性 年生の孫︵ 歳︶もこういう 日︵日︶に弘前市 名が集まり、8月 ︵青森支部 藤井百合子︶ ます。 日︵土︶、 中心に 2日目は東北各支部事務局を 夜は交流会でもりあがり、 告訴していかなければならな このごろ﹁発達とはなんだ 10 ろうか﹂とずっと考えていま 30 そうか、通常学級へ通う4 い﹂という強い意志に参加者 が提起されました。 ︵愛知支部 佐藤さと子︶ みんなが感動しました。 消しを求めた訴訟を終えて今 日は講演を行いました。 参加者は123人でした。 キャンパスで開催しました。 ク集会を日本福祉大学名古屋 24 思うこと﹂梅尾朱美 11 2月 梅尾さんの強い意志に感動 in 24 23 夜の交流会は飛び入り参加 11 10 23 (3) 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 自由研究 第5分科会 障がい者の高等部卒業後の教育年限延長に関する意識の調査研究 城支部研究プロジェクトチーム 1 研究の課題・目的 ・ 方法 健常の青年たちの多くが大学に進学する時代にあっ て、18 歳以降の進学例が少ない特別支援学校(特に知 的障がい)の現状について、保護者はどのように考え ているのか。それを知るために、保護者へのアンケー ト調査を実施し、教育年限延長へのニーズを明らかに した。 ①対象:県内特別支援学校 A・B、2 校の保護者 ②期間:A 校 2012 年 9 月、B 校同年 11 月 ③方法:全保護者にアンケートを配布し回収 2 調査項目 「現在の学年」、 「現在の教育について」 (特別支援学 校の課題、学校教育・社会制度全般の課題)、「専攻科 があることを知っているか」、「学びの作業所について 知っているか」、 「高等部卒業後の進学について」 (進学 は必要か、必要と答えた理由・どこに行かせたいか、 必要なしと答えた理由)、「自由記述」 3 調査結果及び考察 (1)回収率 在籍する児童生徒の保護者 578 人、回収数 399.回 収率 69% (2)現在の教育について 1)特別支援学校の課題と思うもの 特別支援学校の課題では、5 割を超えた項目はな かったが、課題とされたのは「基本的な生活習慣」 41%で、次いで「子どもの発達に合わせて時間とゆと りが必要」33%だった。 2)学校教育・社会制度全般の課題 学校教育・社会制度全般の課題で、5 割を越え最も 要望の多かったのは「卒業以後も生活習慣を養ったり 学べる場が欲しい」で 71%、次いで「福祉的な就労の 場(作業所など)を充実させるべき」が 64%だった。 (3)専攻科があることを知っているか 「①盲・聾特別支援学校には、あることは知ってい る」12%(46 人)、「②知的障害を主とする特別支援学 校にも、あることを知っている」20%(80 人)で、盲・ 聾の専攻科も知的の専攻科も「③知らなかった」のは 71%(284 人)だった。 (4)学びの作業所について知っているか 「知っている」16%(62 人)、「知らなかった」83% (330 人)だった。 (5)高等部卒業後の進学について 1)高等部卒業後の進学は必要か 「はい」74%(297 人)、「いいえ」22%(88 人) 2)「はい」(進学は必要)と答えた理由 一番多かったのが「子どもの発達がゆっくりである から、学びの期間も延長すべき」52%(153 人)、次い で「高等部卒業後の進路先の選択肢が少ないから」 34%(100 人)だった。 3)高等部卒業後にどこに行かせたいか ここでの回答には、あえて制度化されていない「学 びの作業所」との用語を選択肢として入れてみた。一 番多かったのは「特別支援学校専攻科」49%(145 人) 、 次いで「学びの作業所」29%(86 人)で、86 人の内、 「学びの作業所」を「知らない」を選択していた人が 69 人いた。これは、「学びの作業所」への保護者のな んらかの期待の表れではなかろうか。 4)進学はなぜ必要ないのか 多かったのは「職場に早く適応させたいから」43% (38 人)と「進学先での教育内容が不明だから」42% (37 人)だった。 4 まとめ このような結果から、以下のことが分かった。 ① 城県内には知的障害を対象とする専攻科がないこ ともあり、大半の保護者が、制度として専攻科を設 置できることを知らなかった。 ②多くの保護者が「高等部卒業後の進学」が必要と考 えていた。その理由は「子どもの発達がゆっくりで あるから、学びの期間も延長すべき」と「高等部卒 業後の進路先の選択肢が少ないから」だった。 ③高等部卒業後の進学は必要ないという保護者は、 「職場に早く適応させたいから」と「進学先での教育 内容が不明だから」という理由を挙げた。 ④保護者が、 「学びの作業所」に期待を持っていること が推測された。 ⑤以上から保護者の多くが、高等部以後の教育年限の 延長を望んでいるが、具体化について適切な情報を 持ち合わせていないことが分かった。 5 おわりに 今後、当事者の意向をくみ上げ、各地の情報提供を し、交流の機会を設定したい。当事者インタビューや 韓国の専攻科見学もしたい。本研究に当たり、関係特 別支援学校長、教職員並びに保護者の皆さんに感謝致 します。 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 (4) 自由研究 第5分科会 オレの人生 ─小・中学校、高等部をふりかえる─ 児 玉 真 人( 城支部) (作成協力者:寺門宏倫・船橋秀彦・児玉正文) 1 報告について 本報告は、ダウン症青年の自分史、特に学齢期に焦 点を当てた報告です。障がい当事者が学校教育をどの ように受けとめてきたかを報告します。 障害者権利条約でインクルーシブ教育が提起され、 日本の教育のあり方が問われている今日、意義ある報 告だといます。 (4)中学校の思い出 N 中学校へあるいてかよった、3 分。友だちはいた。 普通クラスの友だち。桜南出(地域が同じ)でまつ ぼっくり保育園の友だち。 1)好きな勉強とにがてな勉強? 社会で歴史・戦国時代が好き。にがては、体育で剣 道。音楽の発声練習が嫌い。数学と国語。 2)楽しかったこととつらかったこと 2 質問と回答 (1)オレのしょうかい オレはダウン症で生まれた。1985 年 6 月に生まれ た。まつぼっくり保育園に通った。つくば市立 N 小学 楽しかったのは、体育祭での騎馬戦、クラス対抗リ レー。みんなで参加する競技。夕方バス停の前で先輩 と遊んだ。友だちがいっぱいいた。 つらかったのは、クラスの連中から「またきた」と 校、N 中学校に通った。学級は障害児学級だった。高 いじめられた。演劇クラブがなかった。 校は土浦養護学校へ行った。 3)障害児学級でよかったこといやだったこと (父親コメント:小中は普通か養護学校か本人に判断 させた。 城県で障害児学級が成立するには一定数の よかったことは、マロニエ学級に仲間がいた。新し い友だちがいた。いやだったことは、いやなやつがい 障害児が通う必要があったが、N 小学校では不足して た。ゆうすけが守ってくれた。 いたため、教育委員会からは隣の小学校を進められた。 4)いじめについて しかし、校長先生と親とで協力し障害児学級を作っ いじめられたことが、あった。先輩や友だち(不良 た) グループ)がかばってくれた。授業中に先輩が応援し (2)今のオレ─就労と余暇活動(ビデオ) てくれた。仕返ししてやろうと思う。 (3)小学校の思い出 (5)養護学校高等部について あるいてかよった。N 小学校まで 10 分。保育園か 養護学校へは父親が決めた。自森(自由の森学園) らの友だちがいた。普通クラスの友だち。 に行きたかった。中学校とは、授業が全然違う。ト (父親コメント:小 1 入学時は朝行くのがいやで親が レーニングから始まって、作業がある。作業が最高 無理やり連れて行った。しかし、ある日突然近所の上 だった。木工がおもしろかった。 級生と一緒に通うようになった) (父親コメント:離れた高等養護学校も見たが、地元 1)好きな勉強とにがてな勉強? の T 養護学校に、本人同意のもと決定した。弟たちが 好きなのは社会だけ。戦国時代が好き。信長、上杉 自森に行くようになって、後で行きたいと考えるよう 謙信、大塩平八郎、武田信玄、戦いがあるから好き。 になったと思う) あと演劇クラブで、発声練習したり、大道具作りをし 1)勉強について た。広報委員会で新聞を作った。 体育がきつい。たいそうがやだ、きつい。算数は計 算が×。国語は漢字など小 1 からにがて。 2)楽しかったこととつらかったこと 楽しかった思い出は、校外学習でバスで東京の国会 好きな勉強は、社会で、下高津の貝塚に行った。作 業の木工、家庭の料理が好き。苦手な勉強は、体育で 「来るのが遅い」と言われること。 作業学習は役立ってる。調理で、自立した生活、 ケーキ作り、味 造り。みんなを集めて何かするとき 議事堂、科学博物館に行った。筑波山の宿泊学習で、 に役立つ。やってみたい勉強は、社会の歴史で、戦国 青少年の家に泊まった。運動会で、騎馬戦で勝った。 時代。バンドのクラブ活動、演劇。大学には、行きた つらかったのは、陸上記録会で走るのがきつい。 いと思わなかった。 3)障害児学級でよかったこといやだったこと 良かったことは、中山ようこ先生。友だちがいた。 ※あとがき いやだったことはない。もっと友だちがいたほうがよ 質問は船橋と寺門で考え、父親(児玉正文さん)が回答を い。いじめられたことはなかった。 補った。 (5) 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 自由研究 第5分科会 高等部卒業後教育年限延長した者のその後の状況について ─ K 特別支援学校進路調査をもとに─ 小 林 正 尚・小 畑 耕 作(和歌山支部) 1 はじめに 学した。その後は、毎年、「特別支援学校聖母の家学 『7・5・3』と呼ばれ、中等教育、高期中等教育、高 園」に進学が続いている。特別な者の進路先から、全 等教育終了後、就職した者の三年後の離職率の割合で ての生徒の進路先の選択肢になった。2003 年度に大 ある。養護学校高等部卒業後、一般企業就職者は、ほ 阪府堺市・ 「やしま学園高等専修学校高等部」に専攻科 ぼ毎年約 25%前後である。総務省の調査(2003.5)に が設置され、毎年、和歌山から通学できる専攻科とし よると、三年後の離職の割合は約 4 割である。 て進学している。2009 年度に、福祉型専攻科(自立訓 各特別支援学校では、就職者のアフター・ケアをし て実態調査をしているものの就職率は公表されるもの 練事業「シャイン」)が設置され、進学率が高くなり、 25%の進学率になっている。 の離職については明らかにされにくい。兵庫県立出石 特別支援学校進路担当の安達氏による報告(障害者問 3 専攻科を卒業した者のその後の状況 題研究 2008.8)によると、近年、離職の原因は心因性 ※別紙参照…… 2 様相による離職が増え、その後、引きこもるケースが 専攻科を卒業した者 46 名(専攻科を中退した者 1 少なくないと報告されている。岩手・私立三愛学舎特 人が在宅)で、専攻科卒業後に福祉的就労の就労継続 別支援学校澤谷氏による報告では、設置以前は、心因 B 型、就労継続 A 型、就労移行、一般企業で働いてい 様相でドロップアウトした者があったが高等部専攻科 るが現在のところ誰一人、在宅になっている者はいな の設置後、専攻科を卒業した者に心因様相を聞かなく、 い。 転職した者もいるが積極的に働いている報告があっ た。そこで、他校の専攻科へ進学するケースが多い K 特別支援学校高等部卒業後の進路及び専攻科卒業後の 状況調査を実施した。 4 おわりに 近年、高等部専攻科進学のほかに、進学への学費多 くかかるということで、福祉型専攻科(障害者自立支 援法の自立訓練事業)への進路も増えている。また、 2 高等部卒業後の進学 専攻科を卒業した後、福祉型専攻科に進む、すなわち ※別紙参照…… 1 教育年限を 4 年間の延長である。このように障害があ 専攻科の進路は、1989 年度に和歌山ろう学校高等 るからこそ、 「大人へ社会」の移行をゆっくりたっぷり 部専攻科に知的・難聴の重複障害の生徒が初めて進学、 時間をかけることが大切だと思われる。高等部卒業後 1993 度に同じく和歌山ろう学校高等部専攻科に進学。 にじっくり自分づくりをすることが、その後の人生を 1997 年度に三重・ 「特別支援学校聖母の家学園高等部」 豊かにいきるための心の土台が育まれているように思 に専攻科が設置され、そこに寄宿舎利用で専攻科に進 える。 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 (6) 自由研究 第5分科会 滋賀・京都での知的障害者の大学校(高等教育)の取り組み(Ⅱ) 藤 本 文 朗(京都支部)・木 村 政 秀(滋賀支部) 養護学校義務制が始まった当初に養護学校で学んだ 京都では、2009 年 7 月より藤本が有志を募って取 知的障害者の多くが 40 歳を越えるようになった。し り組み始め、2012 年までに 10 回の学習を行った。そ かし、生涯学習として卒業後に学ぶ機会は、他の障害 の内容は、料理教室、美術、立命館大学平和ミュージ 者に比べても限られ、高等教育に触れる機会もほとん アムでの平和学習、京都市動物園での野生動物の学習 どない。その中で「知的障害者にも高等教育」を試み などである。滋賀の「青年学級大学講座」は、青年学 るという理念にもとづき、ささやかな実践を滋賀と京 級という母集団をもっているのに対し、京都での取り 都で行っている。そして、成人期知的障害者の学習意 組みでは、会場や学生集めなどで多くの困難に直面し 欲の高さを確認しつつある。 た。現職教師の支援も難しい状況であった。幸い、大 * 滋賀では、滋賀大学教育学部附属支援学校の卒業生 学研究者、医師、町長、アーティスト、保護者の協力 で大学校の内容は豊かなものとなった。 * を対象にした「青年学級大学講座」という学習の場を つくっている。卒業生の多くは同窓会組織である青年 全講義を出席した学生の一人である K くんはこの 学級に参加している。保護者の会が主催し、年間を通 大学校が生活の最大の楽しみである。K くんは障害児 じてボーリングやバス旅行などの月 1 回の余暇活動 学校を卒業した後、20 年近く勤務した会社でリスト を行っている。現職の教員も支援して約 25 年間継続 ラにあう。ハローワークのすすめで 3ヵ月かけてヘル してきた。この青年学級を楽しみにしている卒業生も パー2 級の資格をとることができた。この期間中、予 多い。しかし、年々会員数が増え、会員のニーズも多 習復習で、夜には 2 時まで学習することもあった。ま 様化している。2009 年 5 月、本校の学校長経験者でも た、藤本 1 年間にわたり、FAX による日記の個別指導 ある藤本は青年学級の発展した形として「青年学級大 を受け、日記の長さが 50 字から 400 字に増え、感情、 学講座」を提唱した。 「知的障害を持つ人々にこそ高等 自己主張ができるまでになった。今では、大学校の案 教育が必要である。人類の深い叡知や先端的知識につ 内は K くんの責任で出されるにいたっている。 * い て 学 ぶ権利がある」との提言である(小西他、 2010)。藤本氏の提言に賛同した本校教員が、通常の 青年学級の活動に付随するかたちで 2009 年度より 「青年学級大学講座」を試行した。 「青年学級大学講座」は本校卒業生(40 歳代中心) 成人期知的障害者のための学習の場の整備は、近年、 オープンカレッジなどで全国的に行われるようになっ て き て い る( オ ー プ ン カ レ ッ ジ 東 京 運 営 委 員 会 、 2010)。滋賀・京都での取り組みは運営上の課題も多 の希望者を対象としている。毎回 10∼15 名の参加希 く、前途多難ではあるが、今後も取り組み続けていき 望者がある。通常の青年学級の活動終了後、同会場に たいと考えている。 て約 1 時間の講座を実施し、2012 年 11 月まで 14 回 の講座を行った。内容については、先行実践を参考に 【文 献】 しつつ、受講者への聞き取りやアンケートを元に、 小西由紀・秋元幸茂・藤本文朗・真鍋宗平・木村政秀(2010) フットサル、憲法学習、音楽、書道、調理実習など様々 滋賀大学教育学部附属教育実践総合センター紀要,Vol.18 な内容をテーマにした。依頼した講師はそれぞれの分 木村政秀(2011)生涯学習からみた成人期知的障害者の「学 野の専門家である。また、ほとんどは特別支援教育に び」の保障と支援の実際─滋賀大学教育学部附属特別支援 関わりのある方であり、受講生の元担任である講師も いる。講義の発話分析により、全員が顔なじみのメン バーであることが安心感をもたらし、学習意欲を促進 していることが推測される(木村、2011)。 * 学校卒業生を対象とした「青年学級大学講座」の実践から (2011 年度滋賀大学大学院教育学研究科修士論文) オープンカレッジ東京運営委員会(東京学芸大学教育実践支 援センター菅野研究室)(2010)東京都社会福祉協議会 (7) 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 自由研究 第4分科会 実践における「勘とコツ」について ─ものの見方考え方を整える─ 安 田 訓 明(愛知支部) 0 はじめに 実践者は、スキルを習得したとき、 「勘」が働いたと か「コツ」をつかんだとか、よく言います。今までう まくいっていなかったことが、うまくできたとき、な ぜできたかをたずねられ、説明ができないと「勘」と は偶然に働いたとき、それはいろいろな場面でいろい ろな試行をしていたことが「勘」をひらめかせるよう な必然として働いたということです。 ですから「勘」も偶然を契機にして必然が生起した ということになります。 「コツ」をつかんだと言ってしまいます。言われた方 は、 「勘とコツ」かぁと、すっきりしないままになりま す。 弁証法の論理で説明できるのではないかと思いまし たので、以下弁証法での説明の試みを述べます。 また、ものは「あらかじめ存在するから知覚される」 3 日生連愛知支部例会の様子から 9 月例会で、タニシで子どもたちと偶然盛り上がっ たという話がありました。タニシで盛り上がったのは、 確かにたまたまの偶然であるかもしれない。しかし、 教師は、子どもが主体的に活動し、認識を広げ、深め のか「あらかじめ知覚されるから存在する」のか !? ていく力を発揮し、子どもたち自身が発達の主人公に ということにも触れてみたいと思います。 なるように実践をする構えで子どもと過ごしている。 だから、私たちの実践は、偶然をきっかけにして、そ 1 「コツ」について 筆者は、バルーンアート用の風船を口でふくらませ れまでの関わり取り組みが必然的に行われたのではな いかと思いました。 ることができますので、研究会などで、風船を皆さん に渡してふくらませてもらうようにしています。 ある学会で報告するレポートを推敲していて、 「風 4 まとめ:「ものの見方考え方」を整えよう 山部恵造は共著である『フランス百科全書と技術学』 船がふくらむときって偶然だよなっ。」「でも吹くとき (けやき出版)の 61 ページにおいて、技術学について と風船の引っ張り具合とのタイミングがあうからふく 「『なぜかは分からないが、こうすればうまくいく』と らむのだから必然だようなっ。」「ということは、 コ いう、客観的な『規則』を発見し、それを集積する学 ツ って 偶然 と 必然 で成り立っているんだよ 問です。」と述べています。そして、73 ページでは技 なっ。」とふっと浮かびました。必然的に身に付けてき 術学について「事実に立脚して、弁証法的論理で考察 たものは、日常生活の中や練習によって、「吹く力」・ する」と述べています。 「息を吹き込む力」・「息を吹き込みと風船を引っ張っ 教育や保育、社会福祉などの実践も技術学のように て緩めるタイミングや力加減」等々です。そして、た 「『なぜかは分からないが、こうすればうまくいく』と またま風船がふくらませたというとき、前述したよう いう、客観的な『規則』を発見し、それを集積」して な力やタイミング、力加減等々を身に付けてきていた いく際に、実践過程の事実に立脚して弁証法的論理で から、風船をふくらませるようになるコツは、偶然を 考察することで、 「勘とコツ」と言われるものも「実 契機にして必然が生起したのです。 践」の「理論化」の重要な構成要素になっていくので このように「コツ」は「偶然と必然との対立物の統 はないかと思います。 一・相互浸透」という弁証法として成り立っているも のだと考えると、正体不明のわけのわからないもので はなさそうだと思えてきたのですが…。 5 気になったこと 体罰・自殺事件がありました。体罰ような単純化さ れた力の行使をする教師には「勘とコツ」を形成し発 2 「勘」について 「勘」が働いて子どもにあった教材・教具を作製す ることができたという話を聞きます。たまたま「勘」 揮できているのだろうか。 「勘とコツ」というものは、とても人間的なものだ と思っているので、気になります。 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 (8) 自由研究 第4分科会 特別支援教育における学力をどう考えるか 二 上 光 子(神奈川支部) 1 実践の基軸 (1)憲法・教育基本法及び障害者権利条約の精神 1971 年に教員になった私の出発点は「教育は、人格 の完成をめざし、平和で民主的な国家及び社会の形成 者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の 育成を期して行われなければならない」 (基本法 1 条) にあった。この精神は、国際的に発展させられ障害者 権利条約の中でも人類普遍の精神として結実したと私 は解釈し、 以後「The full development of human potential and sense of dignity and self-worth, and the strengthening of respect for human rights, fundamental freedoms and human diversity」 (条約 24 条)を育成する、が基軸となった。 (2)障害のある人の学力とはどういうものか 障害のある人自身が社会の形成者としての必要な資 質を備えるための学力をつけていくことが専門家とし ての教員の役割と考え、私は実践し、実践発表をして きた。でも、必要とされている学力とはどういうもの なのだろうか。この点でも障害者権利条約 24 条の次 の文が基軸になった。 「The development by persons with disabilities of their personality, talents and creativity, as well as their mental and physical abilities, to their fullest potential」この文には、精神的 、 身体的な能力はもち ろん、人格、いろいろな才能、創造性を最大限発達さ せると明記されている。私は、この文の意味を繰り返 し問いながら実践をしてきた。 2 実践を振り返る 教え子たちの大半は成人になった。彼らの生活にお いて、小学校教育はどのくらい意味を持つものになっ たのだろうか。多少なりとも生活の基礎を築けたと感 じられたことがあったので、いくつか例を紹介して学 力について考えてみたいと思う。 (1)書く力の獲得は、交流する力の獲得 年賀状を毎年やりとりしている中の一人の由布子さ ん(40 代)。律儀に暑中見舞いも欠かさずくれる。彼 女は、私が 1 年生普通学級 36 人を担任した時の教え 子でダウン症候群というハンディーがある。私は退職 後彼女を訪ねた。そしたら、彼女は、今まで出会った 先生すべてに葉書を出しているとのことで、私のよう に訪ねる人もいるとのこと。1 年生のあの時、ひらが な、カタカナを習得したからこそ、その力を使って交 流する人を自ら作っているのだ。私には、他にもその ような教え子が何人かいる。私からは、退職後始めた 絵手紙や俳句を入れた葉書を出している。彼らは、私 の大事な手紙友達である。 (2)書く力の獲得は、自己表現する力の獲得 自閉症というハンディーがある徹さん(40 代)。出 会いは障害児学級 3 年生の時。しばしば教室を抜け出 して換気扇の前か水道場に。教室に戻そうとすると自 分の頭をたたいて大パニック。何とか自分の気持ちを 言葉で伝えられる力をつけられないものか。文字を教 えた。日記を書かせた。 三十数年後、お母さんから「徹が初めて自分から、 おかあさんといっしょにかいものにいきましたと書い た」と弾む声の電話を受け、びっくり。すぐに訪ねた ら、3 年生の時以来ずっと日記を続けているとのこと。 広告の裏に書かれた絵入りの日記(ヘリコプターの絵 がすばらしい。1 回見たきりでこんなに正確に描ける) には、自分の頭をたたいている絵もあった。 「日記を書 くようになってから徹と話ができるようになり、頭を たたくことが無くなってきたんです。今描いたこの頭 をたたく絵は、それは何年も前のことを思い出しての こと。それを今話してくれるんです。今になってやっ と何故あの時頭をたたいたのか、徹のあの時の気持ち が分かりました。徹の日記に私は教えられました」、お 母さんはそう話された。 (3)生活の力の獲得は、主体的な生活を生み出す 「三十数年間日記を続けている子がいてね」と、買 い物で偶然会った純也さん(30 代)のお母さんに話し たら、 「うちの純也だって先生に教えてもらって以来 ずっと小遣い帳をつけていますよ。今では、貯金通帳 も自分で作ってきてお金の出し入れや買い物も自分で できますよ。先生のおかげです」と言われ、ここでも 嬉しいびっくり。 純也さんは、ちょっとしたことに興味を持ち教室か ら飛び出した。反面興味がないと断固拒否。でも、ウ サギを教室で飼い出したら落ち着いた。ウサギの絵 カードで算数の授業をした。考えることは嫌いじゃな いし生活に結びつけると力を発揮したので、文章題を 考えさせることと結びつけて、実際に近所の店で買い 物をする生活科をした。小遣い帳もその時に付け始め たのである。 実際の生活と結びついていたから継続でき次の力へ と発展させることができた。算数や生活科での学びの 内容が学力として生きていると感じた。 (9) 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 自由研究 第4分科会 通常学校における特別支援教育コーディネーターを 中心とした支援教育を考える 岡 田 泰 子(神奈川支部) 1 はじめに 1 回目の訪問時には対象児のこれまでの様子が記さ 特別支援教育コーディネーター(以下、コーディ れたプリントをもとに観察し、かかわる先生方数人と ネーター)は、現在ではほぼすべての公立学校に配置 ケース会議を持ちました。今後の支援計画をたて 3 回 されたと文部科学省は発表しています(2012 年)。各 目(最終時)には保護者・本人・担任の話し合いのも 学校に配置されたコーディネーターの立場や活動につ とに次年度は通常学級で学習することが決まりまし いての研究も始められています。コーディネーターの た。<校内委員会推進役> 役割は校内分掌、教職経験年数、コーディネーター独 ・K 小学校(大規模校、コーディネーターは経験豊富 自の調整力などによって違いが出てきます。そこで私 な通常学級担任) がかかわってきた公立小学校でのコーディネーターを 1回目の訪問時、コーディネーターが忙しいために 中心にした支援の取り組みと今後の方向ついて発表し 事前説明は教頭先生から簡単に受け放課後のケース会 ます。 議でコーディネーターと担任で話し合うことができま した。次回には管理職の参加をお願いしましたが 2・3 2 支援教育への取り組み 回とも参加されませんでした。3 回目にコーディネー (1)校内におけるコーディネーターの立場 ターの受け持つ時間数軽減を管理職に話したところ次 私は A 市では 25 校中 13 校,B 町では 3 校中 3 校 年度は考えたいとのことでした。<学習支援、保護者 に巡回相談員としてかかわってきました。A 市 13 校 相談> のコーディネーターは特別支援級担任 5 名、養護教諭 ・T 小学校(大規模校、コーディネーターは経験豊富 4 名、専科教諭 1 名、教務主任 1 名、通常級の担任 2 な専科教諭) 名。B 町では 3 校とも養護教諭という分掌の方々で、 支援教育に管理職をはじめ学校全体で取り組む体制 学校により立場が異なっています。立場の違いにより が数年前からできている学校です。今回の訪問では対 支援の取り組みは当然違いがあるもののどこの学校で 象児ばかりでなく担任代理の先生への精神的フォロー も支援の取り組みは進んできています。その様子につ もできていました。また、支援の役割分担もされてお いて発表します。 り、きめ細かな支援がなされていました。<チーム支 (2)各学校の取り組み 援> ・H 小学校(小規模校、コーディネーターは経験年数 4 年の養護教諭) 3 おわりに 1 回目(6 月)訪問ではコーディネーターの説明を 実践しながら互いに学びあうことの大切さを痛感し 受け対象児の教室で観察し、午後担任とコーディネー ています。H 校のようにまだ支援教育の取り組みが浅 ターと 3 人のみのケース会議であったので、次回は管 いところも外部の者がかかわったことで校内における 理職の参加を求めました。コーディネーターはまだ経 共通理解が進んできました。一人で抱え、一人で悩む 験が浅く自分の考えを管理職に言えないようなので私 のではなく、言葉に出すことで悩みを課題へと高める のほうから説明しました。2・3 回目は参加者が増え支 ことができます。また、コーディネーターの立場や経 援策を練ることができました。<連絡調整> 験内容などによる支援範囲の違いをチーム支援に変え ・O 小学校(小規模校、コーディネーターは経験豊富 ていくことで情報の収集や共有を図り互いに元気をも な養護教諭) らいながら支援教育が進むと考えます。 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 (10) 自由研究 第3分科会 重症心身障害児の発達評価についての検討 南 有 紀・児 島 弘 子・森 由 紀(和歌山支部) 1 研究の目的 けの評価ではなく、内面の育ちに迫ることが必要であ 重症児の実態把握は、身体・健康面が重要であるた る。・子どもの表情や小さな動きを意味づけて子ども めに、また、その障害像が厳しいため、どうしてもそ に返していくことを積み重ねていくことで、子ども自 れが軸になる。しかし、教育はからだを含む子どもを 身が自分の表出に意味を持たせるようになる。意味づ まるごととらえ育てることが仕事であり、発達を支え けて返すことは子どもへの信頼と、信頼に基づく評価 ることも大きな仕事である。そのためには認知発達、 が含まれる。 人格発達など発達的視点からの実態把握が必要であ る。 一方で重症児の発達把握は,客観的なアセスメント の手立てがまだ確立していないため、実践者の経験の 重症児の発達を考える場合にも、これまでの実践交 流の積み上げに照らして、以上が重要であると確認し た。 ②参考となる発達の指標を探る。 積み上げによる感覚にゆだねられがちである。校内に 田中、細渕、白石らの文献から、発達の指標を作成 は重症児の生徒数は限られており、当然関わる職員数 した。 (乳児期前半・乳児期後半・幼児期前半・幼児期 も限られてくる。また、訪問教育ではごく限られた職 後半) 員が関わる場合が多く、実態把握を初め、実践を一人 ③授業で見られた子どものエピソードを指標に沿って の担任が手探りで進め手いることが少なくない。 重症児に関わる教師は,それぞれが経験を積み、子 どもの微細な表情の変化や身体からの発信を読み取っ 検討する。それによって授業作りを見直すことも進 める。 ④発達の指標に沿ってエピソードを並べ、重症児の発 て、意味づけて子どもに返すという取り組みを丁寧に 達をつかむ手がかりとなるような指標を作成する。 おこなっている。しかし、それを同僚に伝えたい、と ⑤教育の現場で子どもの実態把握や教育計画作成に活 思っても,自分の主観にすぎないのではないか、子ど ものがんばりを他の職員にわかってもらうにはどのよ 用していく。 *現在は②∼③を進めているところである。 うに伝えればいいのか、という迷いを常に持っている。 子どもたちのがんばりをできるだけわかりやすく他の 職員に伝えていくために,客観的な指標がほしいと, 切に思う。 3 研究を進めるに当たって この研究では、机上の論議にならないよう、常に授 業での子どもの様子を伝え合いながら進めている。そ 私たちのサークルでは、これまで、それぞれが関わ の中で、どのように子どもの様子をお互いが共有する る子どもたちのがんばりを報告しあい、授業実践を交 か、子どものがんばりをどのように言語化するかが大 流しあってきた。その中で、子どものコミュニケー きな課題になってきた。そこで、日々の授業記録につ ションや内面の育ちが見えるような子どもの育ちの姿 いて、以下のように見直しをはかった。 や、子どもの内面の育ちを信頼してその力を引き出そ ・あったこと、様子だけを書き留めるのではなく、実 うとする授業づくりが報告された。その中で、出し合 践者がそれをどのように意味づけたのかを記録す われた子どもの様子を蓄積し、発達評価の指標を作っ ていけるのではないかと考え、この研究を進めること になった。 る。(様式の工夫 視点の整理) ・子どもの表出が,特定の大人との関係で出てくるも のなのか、色々な人とのかかわりでも見られるもの なのか、確かめる。(記録の共有) 2 研究の手立て ①人間発達について学ぶ。 4 今後の課題 参考文献から、認知面、社会性など、子どもの内面 エピソードを指標に照らして発達を把握して授業に の育ちをつかむ手がかりに鳴るような発達研究につい 返し、子どもの育ちを確認しながら④以降に進めてい て学習した。発達を考える上で基礎となる・タテの発 きたい。 達とヨコの発達がある。・ 「できる」ことの積み上げだ (11) 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 自由研究 第3分科会 養護学校高等部の発達障害(LD,ADHD,高機能自閉症)生徒の 発達・教育問題と「9,10 歳の節」との関係 今 井 文 子・伊 吹 良 太・加 藤 直 樹・黒 田 吉 孝(滋賀支部) 1 問題提起 「9,10 歳の節」を聾教育からの実践的問題として、 の粘土が蛇のように長くなると重さはどうなるか?」 の質問に「重さは変わる。」という答えであった。その 言葉に視点を当てた問題提起がなされてきた。現在、 後 11 月に同じ問題を実施した。財布探しⅡの項目を 発達障害生徒理解の視点としても、注目されるように 通過し、同じ粘土課題においても「同じ重さ」である なってきている。特徴的な点は、従来の学力への視点 と答えた。この頃は、能力的にも人格的にも自分への の他に、人格的な側面にも関心が向けられていること 評価に変化がみられはじめた。学校を欠席、遅刻をす である。 ることがなくなった。自らスポーツ部への朝練に参加 A 養護学校を例にあげれば、中、高等部生のほぼ 1 する姿もみられるようになった。発達障害を持つ生徒 割の生徒が知的な遅れのない発達障害である。このよ にとって自尊心をどのように高めるかは大きな課題で うな生徒の実態は通常小学校在籍の頃より学力の遅れ あり、そのことが学力や発達に大きく関わるのではな と自尊感情の低下から不登校や強迫神経症などの二次 いかと思われた。 障害をもつケースが多く、それぞれのケースにおいて どのような躓きや困難さが見られるのかを明らかにす ることが必要である。本報告では、 「9,10 歳の節」へ 注目することが、学力や自己と関わる問題、ならびに、 二次障害についての理解と問題解決につながるのでは ないかという仮説のもとに検討を行う。 3 自分を見つめる支援としての作文指導 1 年生の「心の授業」では、卒業後の進路の決め方 を中心に社会人としての生活やマナー、身だしなみ、 人付き合いなどの学習に取り組んだ。その時の作文が、 「まず、初めに勉強したのは進路の決め方で(以下略)。 履歴書の書き方や面接の受け方の勉強をしました。面 2 高等部発達障害生徒の特徴 接の受け方は…。そして社会人になってからの生活 今回、具体的なケースとして報告する高等部生徒の (中略)勉強しました。」と学習内容の文章が羅列され 場合も境界線から平均の下レベルであるが知的な遅れ ている。そして、結びでは、「だらだらと書きました の域には入らない。しかしながら、9、10 歳の節を越 が、まとめると卒業後の進路を決めるには(以下略)」 えることに課題を持つことが明らかである。資料 1 と繰り返し同じことが、長い一文で綴られていた。学 (当日配布)は、養護学校高等部の一番高いクラスの生 習したことをEなりにまとめて書き上げた気持ちが表 徒の実態であり、それぞれ発達障害の診断を受けた生 れている。一方、卒業文集では、 「入学した当初は「こ 徒が在籍する。不登校などの不適応を起こすことで障 れから俺は変わるぞ 害学級などへの在籍後、養護学校高等部に入学、転学 略)昔の自分に戻ってしまった。「どうにでもなれ」と に至っている。その学習集団に 9、10 歳の節の焦点を 始めてみたスポーツが意外と面白く、学校に行く楽し 」と意気込んでいたものの、 (中 当て、発達障害の生徒への理解を深めるために以下の みが出来た。それから徐々に学校生活が充実し始め、 実践を行った。数学授業のなかで「財布探し」と「量 (中略)仲間ができた(以下略)。何をやっても楽し の保存問題」との関わりについて興味深い結果が見ら かった。」と体験に基づいた内容をEの言葉で綴られ、 れた。事例 E(資料 2:当日配布)は、年度当初、昨 感情が込められている。比較しても表現の幅が広がっ 年度から続いた精神的な落ち込みがみられ、数日欠席 たことが分かる。 が続くこともあった。担任団での話し合いのなか改善 9、10 歳の視点を実践の中に入れたことで、E の学 に向けての取り組みを始めた。生活の中での丁寧な関 習に向かう姿勢や自己客観的視、自分から他者との関 わりをベースに自尊心を高めるために得意のスポーツ 係を構築しようとする変化を捉えることが可能になっ への参加を働きかけた。 「心の授業」で障害の認識を高 た。 め、自分と向き合うことなどを目標に上げ、系統的な 学習内容の検討も実施した。 その学習の一端として取り組んだ 4 月当初(2011 年)の財布探しⅠは不通過であった。同時進行でおこ なわれた数学授業においては、「50 グラムのかたまり 本研究では、生徒理解の客観的指標を得るために、 本報告の事例研究の他に、因子分析・因子得点による、 方法の検討もおこなった。これについては、当日、可 能であれば、報告したいと考えている。 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 (12) 自由研究 第3分科会 発達と美術を考える ─アバウトな意味づけの力─ 板 井 理(大阪支部) 1 発達と美術を考える集い 今年の 9 月 15・16 日、大阪で「第 3 回発達と美術 を考える集い」が開催されます。 この集会の出発は 2005 年、全障研の「美術」分科 ありません。そこでは、寝返りやハイハイなどの全身 運動や色々な物を感じわける力の形成が「造形基礎能 力」として重視されます。 描き始めの絵は「トントン」とか「空がすり」です。 会を補強する意図で開始されました。当時の「美術」 そこから「往復運動」とか「ぐるぐる丸」といった「運 分科会が点滅状況だったからです。「美術」分科会は 動感覚による表現」に移行します。 2008 年から「障害のある人と造形表現活動」分科会に そこから次の「意味づけ期」が始まります。丸を「お 改編されました。このことはとても意義あることでし 母さん」や「アンパン」に見立てるのです。そして、 た。 そこに目鼻や手足を付ける「頭足人」になり、子ども 特有の表現がスタートします。 2 造形表現活動とは 造形表現活動は、人格の中核である労働能力に直接 かかわる活動ですし、言葉を育てるという面も持って でも、大事なことはそうした順次性を知ることだけ ではなく、その時々に子どもなりに懸命の努力がなさ れていることを知ることです。 います(言語獲得期の 4 つの基礎成分、手の働き・素 材・道具・仲間を思い起こしてください)。 キャリア教育等との関係で、労働を厳しく辛いもの として描き出すことが進められている中で、労働の楽 しさや喜びを満喫できる造形表現活動の大事さが一層 重視されるべきでしょう。 5 意味づけ期の再吟味 丸を「お母さん」と意味づける子どもは、極めて主 体的かつ能動的な心の働きを持ちます。 それは、 「俺がそう思うから○○なんだ」というわが ままとも思える主体的なイメージです。それゆえ、自 我の形成が不可欠となります。 3 過去の研究報告との関わりで 私はこれまでに 2 度この「発達保障研究集会」で報 告をしてきました。その中で、自閉症児の描画活動に ついても論述してきたのですが、今回はその点を重点 に報告したいと思います。 2001 年の報告では、 「図形処理能力の高さと主体形 成の弱さによる、表現の空洞化現象」を指摘しました。 イメージは「夢見る力」です。それは未来を作りだ し歴史の主体者になることです。自分の思いを他の人 に伝え、伝わることで自信を深めます。 積み木を「電車」や「飛行機」に見立てるには、車 輪や翼が無くても「まあいいか」と折り合いをつける ことが必要です。この「アバウトな意味づけ」が自閉 症児には難しいのです。 でも、2008 年の報告では、「図形処理能力の高さがど うして生活表現に結びつかないのか」と問題をとらえ 直しました。 その変化の背景には、 「彼らは視覚的な情報を視覚 的なレベルでのみで処理してしまうのではないでしょ 6 意味づけ期と自閉症児の課題 自閉症児の中には、実物を見て描くことに困難を抱 える子は少なくありません。それをイメージの弱さだ けでとらえていいのでしょうか。 うか。だから、それを自分自身の『実感』や『体験』 私自身、この現象を「3 次元のものを 2 次元するこ として蓄積しにくいのです。 『主体形成の弱さ』はその との難しさ」ととらえていました。でも、3 次元のも ことに起因するものだと思います。」(拙著『子どもの のを 2 次元にとらえ直すには、きっと「アバウトな意 発達と描画』、2007 年)という認識の変化がありまし 味づけ」の力が必要なのです。 た。 そのことの困難さこそが、自閉症児の問題の核心で す。そして、そのことゆえに、彼らは自分自身の経験 4 子どもの絵の発達過程 ここで改めて、造形表現活動の発達を描画に焦点を 当てて考えてみたいと思います。 子どもは絵を描く力を持って生まれてくるわけでは を「実感」を持って受け止めたり、「体験」として蓄積 したりすることの困難さにつながり、強いて言えば、 主体形成の弱さそのものにつながっていると考えるべ きなのだと考えます。 (13) 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 自由研究 第2分科会 構成員の生活世界 ─現代社会を生きる当事者のアクチュアリティ─ 高 口 僚 太 朗( 皆さんこんにちは。高口と申します。私は現在、筑 波大学大学院で学んでいます。専門は、科学理論と呼 ばれるもので、日々、精進しています。 城支部) つと分析できます。 議論を先取りすれば、おそらく私たちは、障がいの ある当事者が「普通に生きたい」と願うとき、私たち 私は今回、3つのことについてお話させて頂きます。 が生きる生活世界における「普通さ」を想起します。 この時点で私たちは、私たちの生きるある規範化され 1 構成員とは誰か たスタンダードな社会というものを、当事者に対し、 第一に、 「構成員」とは誰のことかという問いに対す 無意識的のうちに比較軸として呈示していることにな る回答です。私のいう構成員とは、 (ⅰ)ある何らかの ります。そうした、いわば、ある規範化されたスタン 疾病を持っている当事者、その際、今回は障がい者認 ダードな社会で、当事者がうまく適合していくことを、 定を受けている当事者に限定し、次に、(ⅱ)その家 私たちはしばしば「普通」を意味転換してしまいがち 族、そして、 (ⅲ)専門家を指しています。この三者を です。 構成員と称したのは、これら三者は、現代社会を生き 先述のように、本報告は、 (ⅰ)当事者が生活世界を ているという点で共通しており、また現代社会も、こ 生きることのアクチュアリティに立脚していますの れら構成員が存在してはじめて機能する部分があるか で、彼らが「普通」を思う際、これを最大限尊重する らです。ただ、現代社会とはあまりに暴力的表現であ 意味で、便宜的に<普通>と表記します。当然ながら るため、本報告では、アルフレッド・シュッツ[Schutz 当事者は、<普通>に生活することを望み、そして実 Alfred]にならい「生活世界」と表現することにしま 際、<普通>に生活していると感じていると思います。 す。 しかしそれは、声にならないかもそれません。ですが、 シュッツによれば「生活世界(= Lebenswelt)」と 立岩真也にならえば、それは障がいのある当事者たち は、 「われわれ各人が生活上の営みをそこで遂行し、ま が自身を<普通>であると肯定し自己認識することそ た各人がそこで自分の相対的位置を見出して、ものご れ自体が、彼らが長い月日のなかで獲得してきた当事 とや人々に対処していかなければならない、そうした 者の生の技法なのだと言えます。 世界」であるとしています。そうすると、構成員は、 要は、当事者ではない私たちが「普通」とする際、 一見すると共通する社会を生きているようでも、実は ここにはあるスタンダードな規範化された社会におけ まったく異なる社会を生きていることになります。 る環境適合性を指しているのに対し、当事者のそれは、 そこで、本報告では、 (ⅰ)当事者が生活世界を生き いうなれば、疾病との付き合い方や、しかしそれでも ることのアクチュアリティ(≒現在性)に立脚し、彼 生きていかなければならない社会における自身のあり らを取り巻く(ⅱ)家族や(ⅲ)専門家の存在が、彼 方をめぐる、独自の解釈枠組みなのだと導き出されま らにどのように認識され作用しうるのかを明らかにし す。 てゆきたいと思います。 3 動き出す社会 2 「普通に生きる」に孕む重層性 では、私たちは、一体、何をどう歩み寄れるのか。 第二に、たとえば、石川左門親子の例を紹介したい。 左門氏は、息子・正一氏との共著である『めぐり う べき誰かのために』からもわかるように、障がいを持 私たちの課題をここでは一緒に考えていきたいと思っ ています。 * つ子の親です。報告者が左門氏とお話させて頂いたこ 多くの人々との出合いのなかで、私は様々な経験を とが、今回の報告に影響していることは言うまでもあ してきました。小児科で出会った子どもたちはその一 りません。 例で、 「さすがに彼ら彼女らから頂いた笑顔は持ち逃 左門氏との会話の中で印象的だったのは、 「普通に げできんなぁ」と思いましたので、今回は壮大な恩返 生きる」ことへの眼差しに対してでした。実はこれは、 しのつもりでお話させて頂きます。皆さん、当日はど 障がい者と共に生きるうえで、非常に重要な意味を持 うぞよろしくお願い致します。 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 (14) 自由研究 第2分科会 「性」に関するアンケートから見えること 小 森 淳 子(岐阜支部) このアンケートは、昨年の東海ブロック研究集会で 「愛と性の分科会」を運営するにあたって、討論の方向 性を模索するためにとったものである。そのため、内 容はおおまかであり、配布方法も回収方法も限られて いてアットランダムとは言えず、この問題に積極的な 関心を寄せている当事者やその家族からの回答が多い と思われる。アンケートとしては不十分だが、書きに くいことを心を開いて書いて下さったものを何か形に して残したいと思い、自分なりにまとめてみることに した。 まず、障害別に見てみると、このアンケートを書い て下さった人の総数は 65 名で、身体障害が 1 名、知 的障害が 45 名、発達障害が 7 名、無回答が 11 名で あった。そのうち 1 名は身体障害と知的障害の重複で あり、身体障害のみと明記されたものはゼロであった。 身体障害のある人たちは、その障害の特徴ゆえに性は まだまだ関係のないこととされ関心がそれほどないの か、それとも仲間同士の交流の中で解決されているの かわからないが、身体障害のある人たちの声を聴けな かったことは大変残念である。 * 性に関して「今まで困ったこと」「将来不安なこと」 を障害別に見て行くと、知的障害のある人たちについ ては「性に関してどうやって教えて行けば理解できる かわからない」という悩み・不安が多く、発達障害の ある人たちについては「性のことの中でも、人との関 わりにおいて生じるトラブルが心配」という悩み・不 安が多かった。障害の違いによって、性を学習する方 法も専門的に研究されていく必要があるのではないか と思われる。 年齢別に見ると、小学部では「今まで困ったこと」 の中に性器いじりなどもあるが、男女の違いが分から ず男子が女子のトイレに入ってしまうとか、外で裸に なってしまうといった日常生活での悩みが多い。今後、 身体の変化や性そのものをどうやって教えて行けばい いかという漠然とした不安、女子では生理が始まった らどうなるかという不安を保護者は持っているようで ある。 中学部・高等部では、男子は性器いじり、夢精の処 理、自慰行為、異性に対する強い感情など思春期特有 の悩みが多くなり、将来異性への想いや性との向き合 い方をどうすればいいか、性に関わる問題行動を起こ さないかという不安が多かった。女子は生理時の処理 がうまくできないことが今の悩みであり、性被害に遭 わないか、何かのはずみで妊娠してしまわないかとい う現実的な不安を保護者は感じている。 青年期では、思春期の悩みに加え、マスターペー ションが最後までできない、実際性の発達がどこまで できているのか親として把握できてない、好きな異性 がいてもその感情をどうしていったらいいかわかって いないという悩みが多く、大人としての「性」を獲得 させてあげたいができていないといった親の想いが感 じられた。将来の不安については、男子は性犯罪に関 わらないか、女子は性被害に遭わないかが多かった。 * ここで、私が注目したことは、どの年齢においても 「将来好きな人ができて、結婚などに至ったらどう いった支援が必要か」といったことを書かれている保 護者の方がいて、障害のある子どもの性を否定せず ハッピーなものにしたいという想いが感じられる回答 が少なくなかったことであった。障害者の性がタブー 視されてきた時代を思うと、若い世代の親たちの柔軟 性や頼もしさを感じた。 * 次に、性に関して困った時誰に相談するかという項 目では、先輩ママやママ友が 23、学校の先生 10、医 者 9、パートナー9、専門家 8 …であった。圧倒的に先 輩ママやママ友が多く、知識がある人を求めるという より、ピアな仲間を求めている感じがした。 また、回答数は少ないが、特に記しておきたいのは、 青年期の障害のある人本人が書いてくれた回答であ る。それらを見ると、彼らは性を精神的なものの延長 としてとらえているような気がする。表現するのはな かなか難しいが、自分を深く見つめようとしているこ とがわかる。彼らの想いにゆっくりと耳を傾けて行き たいと思う。 * 最後に、性に関しての願いという項目だが、 「学校の 先生たちも性についてしっかり学んで、豊かな性教育 をしてほしい」という願いのほかに、 「同年代の同性の 人の継続的な関わりがほしい」「性に関してサポー ターのような人がいたらいい」「自慰行為まで教えて くれるような機会がほしい」 「一緒に学びあえる同性の 仲間がほしい」という言意見もあり、性を学んでいく ための様々な人間関係を求めている保護者が多いこと がわかった。性教育の前提に、豊かでいろんな人との 関わりがあり、 「人間が好き、人間が愛おしい」という 感情を自然に持てることが、どんな障害の子たちにも 性を伝えられる学びにつながるのではないだろうか。 (15) 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 自由研究 第2分科会 特別支援学校「学校設置基準」策定のための予備的検討 ─既存法令における「学校設置基準」の内容および制定の経過を中心に─ 越 野 和 之(奈良支部) 以上の問題意識を出発点として、本稿ではまず、既 1 問題の所在 学校教育法に規定される諸学校のうち、いわゆる 存法令中の「学校設置基準」の内容を概観するととも 「学校設置基準」が制定されていないのは、特別支援学 に、その制定の経過とそこに込められた政策的な意図 校のみであり、この法的規制の不在が、特別支援学校 を確認することを通して、求められる特別支援学校設 の過密化・過大規模化や教室不足、長時間通学等を法 置基準に盛り込むべき内容とその正当化根拠を鍛えて 令によって規制し、特別支援学校の適正配置・適正規 いく一助にしたい。以下の柱にそって、既存「学校設 模化をすすめることを阻害している。このような認識 置基準」の概要と来歴を検討する予定である。 が、障害のある子どもたちに行き届いた教育を届けて いくために必要な学校を新増設し、そこに必要な教育 2 小・中学校設置基準の概要 条件を整えていくことを求める父母・教職員の間に広 (1)設置基準の法令上の位置 がり、特別支援学校の学校設置基準制定を求める運動 がすすめられつつある(『みんなのねがい』2012 年 12 (2)小・中学校設置基準の概観 月号「特集:これじゃあ足りない学校・教室・教員」 の諸論考などを参照)。筆者自身もかねてより、特別支 援学校についてのみ学校設置基準が未制定なのは、制 3 各種学校設置基準制定の経過 度整備のサボタージュだと理解し、特別支援学校の条 ・高等学校設置基準(1948 年)*2003 年全面改定 件整備のためには、まずは学校設置基準の制定が必要 ・幼稚園設置基準(1956 年) だと考え、そのように主張しても来た。 ・小学校設置基準(2002 年) しかし、既存の学校設置基準の内容を一 すれば即 ・中学校設置基準(2002 年) 座に了解されるように、義務教育段階にあたる小学校 および中学校の現行設置基準は比較的簡略なもので、 これと同様のものを制定すれば、それでただちに特別 4 小・中学校設置基準制定の背景 支援学校の教室不足や長時間通学が違法化されたり、 「…私立学校を含め多様な学校の設置を促進する観点 学校ないし校舎等の新増設が飛躍的に進むというよう から、設置基準を小学校等を設置するのに必要な最低 には考えにくい。 の基準として明確化するとともに、地域の実態に応じ もちろん、通常の学校の場合には例外なく整備され た適切な対応が可能となるよう、弾力的、大綱的に規 ている学校の設置基準が、障害のある子どものための 定することを基本方針として…」 学校の場合のみ未整備であるというのは、それ自体が (「小学校設置基準及び中学校設置基準の制定等につ 障害のある子どもに対する差別的な取扱いであるとも いて」13 文科初第一一五七号文部科学事務次官通知) 考えられ、設置基準の制定を求めること自体は大切な 課題である。しかし、では、その制定が求められる特 別支援学校の「設置基準」には、どのような内容が盛 5 「学校設置基準」以外の学校の諸条件に関する法令 り込まれる必要があり、それはどのような論理によっ て正当化されるのか、という点をつっこんで検討しな ければ、設置基準制定運動は早々に頓挫しかねない。 6 まとめ 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 (16) 自由研究 第2分科会 障害児家族の貧困問題と学校教育の課題に関する共同研究 ─「障害児と貧困」科研調査の報告─ 河 合 隆 平(石川支部)・丸 山 啓 史(京都支部)・田 中 智 子(京都支部) 窪 田 知 子(滋賀支部)・越 野 和 之(奈良支部) 1 「障害児の貧困」への問題認識と 共同研究のなりたち 近年、「貧困・格差」が社会問題化するなかで「子ど もの貧困」が急速に深刻化している。経済的貧困や生 活資源の欠乏が発達期にある子どもにもたらす不利 は、基本的な生活基盤のみならず、教育、医療、福祉 等のさまざまな局面に及び、それが年齢と共に累積さ れ、進学や就職等を大きく制限する。その結果、発達 期の貧困が長期的に固定化することで、貧困の世代間 連鎖を生み出すことが指摘されている。 そうした貧困に陥りやすい条件にある特定のグルー プとして、障害児家族が挙げられる。本人の家族への 経済的依存が青年・成人期以降も継続されることで、 障害児家族は一般世帯と比較しても経済的収入が低位 に置かれやすい。障害児と貧困をめぐっては、貧困に より、障害児本人の成長・発達が阻害され、障害が固 定化し、さらなる困難や重症化をもたらすばかりでは なく、そうした状態を回避するために生じる家族のケ アや経済的負担が、さらに家族の生活を縮小させると いう悪循環が存在する。しかし、障害児家庭の生活・ 養育困難について「貧困」という視点から把握する研 究はほとんどなされていない。 こうした問題状況を念頭において、我々は 2012 年 度から 3 年間にわたって科学研究費助成金(基盤研究 (C))を受け、「障害児家族の生活・養育困難と学校教 育の課題に関する実証的研究」 (研究代表者:越野)と いうテーマでの共同研究を開始した。本共同研究は、 研究推進委員会メンバーを中心として、そこに関西方 面をフィールドとする若手研究者が加わって組織され た「障害児と貧困研究会」に端を発している。 2 研究の目的と計画 本共同研究は、障害児家族における生活および養 育・教育上の諸困難の実態を実証的に把握することを 通じて、現代社会における「貧困」が特別支援教育に おいていかなる形で顕在化しており、それらを解決す るための学校教育の課題について検証することを目的 として、以下の三つの研究課題を設定した。 ①障害児家族の生活・養育上の困難の実態と構造を明 らかにする ②学校教育を主軸に、生活・養育困難を抱える障害児 へのライフサイクルを通じた支援課題を明らかにす る ③障害児家族に生活・養育困難をもたらしやすい教 育・福祉の制度構造や価値観がどのように形成され てきたのかを明らかにする 具体的には、3 年間で以下の 4 つの研究作業を計画 した。 ①障害児の生活・養育困難および「障害児の貧困」認 識に関する実態調査 ②各種手当て・福祉制度の成立過程にみる障害児家族 への問題認識の歴史的検討 ③地方における障害児家族の生活・養育困難に関する 実態調査 ④学校の貧困対策と障害児問題に関する海外動向の調 査 3 本年度の研究活動 本年度は、主に「障害児の貧困」認識に関する実態 調査に取り組み、特別支援学校(知的障害)教員への インタビューを通して、障害のある子どもたちの学校 教育の現場で、家庭環境の厳しさや教育活動の困難さ がいかなる形で顕在化しているのかを検討した。その 調査結果の一部は、日本特別ニーズ教育学会第 18 回 研究大会(2012.10)で「障害児の生活・養育困難およ び「障害児の貧困」認識に関する実態調査─教員への インタビュー調査の中間報告─」として中間報告を 行った。 このほか、日本教育学会第 71 回大会(2012.8)でラ ウンドテーブル「障害児家族の貧困問題と学校教育の 課題」を企画し、児童養護問題や教育社会学などの多 様な視点から、障害のある場合の子どもと家族の貧困 を明らかにする視点を検討した。また、障害児家族の 生活困難・貧困問題の研究に先佃をつけた藤原里佐氏 (北星学園大学短期大学部)を迎えての研究会(2012. 12)を開催し、障害児家族における生活困難や不利の 複合的な実態とその生成過程を通して、子どもと家族 への支援の課題について議論を深めた。 4 今後に向けて 現代の「貧困」という視点に立脚して、障害児家族 の生活・養育困難の実態とその固有の現れを実証的に 把握することは、障害のある場合の社会的排除の様相 と教育におけるインクルージョンの課題を明らかにす ることにもつながる。 本研究は、障害児の貧困が、家族内に包摂されて見 えにくいという問題性に着目しており、障害児の貧困 を「可視化」するために、その実態と固有性を明らか にするだけではなく、障害児家族に生活・養育困難を もたらしやすい制度構造や価値観、貧困の緩和・離脱 に対して学校教育が果たす役割について、欧米の動向 や歴史的視点をふまえて、総合的に検証しようとする ものである。次年度は地方調査を中心に、隣接領域と の交流も含め積極的な研究活動を継続していきたい。 (17) 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 自由研究 第1分科会 雄太君への指導 ─自閉症児の言葉の育ちを考える─ 塚 田 直 也(東京支部) 1 雄太君の姿 雄太君(仮名、以下、幼児仮名)は 5 歳の男の子で、 知的障害を伴う自閉症という診断を受けている。今年 度 9 月に実施した PEP-3(自閉症・発達障害児教育診 断検査)では、発達年齢が 3 歳 6ヵ月であった。 活発な子で、私がかぶっている手ぬぐいを奪い取っ て逃げたり、私を追い掛けて校庭を走り回ったりする ことが好きである。 身体を動かすことが好きな一方で、話し言葉でのや りとりは難しい。朝や帰りの挨拶、名前呼びなど、決 まった言葉を答えることはできるが、「昨日は何遊び をした?」 「誰とやったの?」などの問い掛けには、 「あー 」と声を上げたり、頭を激しく振ったりする姿 が見られる。 2 絵日記の指導 私は、雄太君が相手の言葉を聞き、その言葉の意味 や自分が何を答えるかを、相手と一緒に考える中で、 自分から思いや考えを言葉で伝えられるようになって ほしいと思った。 そこで、4 月中旬から毎日、絵日記を一緒に書くこ とにした。絵日記といっても、前日、私と一緒にした 遊びの写真を雄太君に見せながら、「何をしたか?」、 「誰としたか?」「どこでしたか?」などの簡単な問い 掛けするという取組である。 雄太君は、自分の写っている写真をじっと見つめ、 興味をもっているようだった。私が、「何をしたの?」 と聞くと、写真を見ながら「てぬぐいした」 「じてん しゃ」などと単語を答える。私は、その言葉をさらに 広げ、 「塚田先生の手ぬぐいを取ったね。雄太君が逃げ たね」 「自転車に乗ったね。坂道を走ったね」などと返 すようにした。 絵日記を始めた当初は、笑顔で私の質問に答えてい た雄太君だが、6 月中旬になると、無表情で、 「機械的」 に答える姿が多くなってきた。7 月上旬になると、私 の問い掛けに答えず、床に寝転んだり、その場を立ち 去ったりするようにもなった。 3 楽しいやりとり 私は、雄太君が絵日記を楽しんでいないように感じ た。それ以上に、絵日記の中身が雄太君にとって楽し い生活の事実ではないのではないか、と考えるように なった。もっと、生活の中で、雄太君と楽しいやりと りをし、その中で雄太君が考える場面をつくりだして いこうと思った。 4 「間違い」の言い合い 雄太君は、数字やひらがながよく分かっており、正 確な順番にこだわるところがあった。そこで、私が、 「1、2 …… 10 」「あ、い……か 」などとわざと間 違え、 「なんでやねん 」と突っ込みを入れるという遊 びを 6 月頃から始めた(この遊びは、その後、発展し ながら 3 月まで続く)。 これは、大ヒット 雄太君だけでなく、同じクラ スの隼君、浩太君も混ざり、一緒に「間違い」を指摘 し合う遊びへと発展する。その中で、雄太君は、 「えー とね、1、2 …… 100 」 「つぎは、か、き、10 」な どと自分で「間違い」を考え、友だちに伝える姿が見 られ始めた。 5 絵本読みでのやりとり 雄太君の家庭は、季節行事や絵本読みなど、生活の 中での文化を大切にしている。その影響もあり、雄太 君は絵本が大好きであった。 私は、10 月頃より絵本読みをすることにした。その 際、絵本の中身を十分に吟味し、そのときの雄太君の 心情が反映されるような内容のものを選ぶようにし た。『もちもちの木』 『花咲き山』 『三匹のやぎのがらが らどん』など、主人公が心の 藤を乗り越えたり、大 きな「敵」を打ち破ったりするものにした。 『もちもちの木』では、雄太君は、主人公の豆太が 大好きになった。特に、夜中、じさまのために山道を 駆け下るシーンを繰り返し読むように、私に言う。さ らに、私と散歩をしているときに、坂を見て、 「まめた みたいにはしる」、大きな木を見て「みて もちもち のきみたいだ やーいき、みーおとせー 」などと 自分から言ったり、私に伝えたりする姿が見られるよ うになってきた。 6 「考える」ことで言葉は育つ 雄太君への指導は、何か系統性や計画性があったわ けではない。その都度、雄太君の姿から考えてきた結 果である。雄太君が好きなことに心底共感しながら、 その都度、雄太君の思い、そのときの状況などを問い 掛けるようにしてきた。そのことが雄太君に考えるこ とを促し、結果的に言葉も育ってきたのだろうと考え られる。 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 (18) 自由研究 第1分科会 東京の知的障害教育高等部の現状と課題 妹 尾 豊 広(東京支部) 1 はじめに 東京の知的障害児教育は、2000 年に入ってから大 外にも 24 校の普通科があります。この中で、高等部 のみの普通科は 8 校、小から中学部を併設している普 きく変わってきました。特に、高等部を中心とする教 通科は 16 校です。 育が大きく変わりました。それは、税金の払える障害 ②東京の特別支援学校高等部の企業就業率と進路指導 者育成を目指すことを大きな目的に、その目的のため ③就業技術科の状況∼M学園の様子を中心に∼ の学校づくり、システムづくりが推進されています。 ④就業技術科の課題 このことに関しては、多くの批判と疑問の声が上がっ (2)特別支援学校高等部普通科の問題点と課題 ています。 ①教育課程の類型化 このレポートでは、東京の知的障害高等部教育の中 教育課程の類型化とは、教育課程を大きく三つに分 で、上から強制されてくる「キャリア教育」という枠 けます。そして、それぞれ企業就労目的、福祉作業所 組みとの対峙の問題点を整理していきたいと思いま 就労目的、生活実習所就労目的といった就労目的別に す。 教育課程を変えることです。就労を目的としたコース 制と言ってもよいでしょう(一部には、就労目的では 2 新自由主義的な教育理念と特別支援教育 なくて、発達段階を考慮した課題別の教育課程類型化 ∼キャリア教育を切り口に もあります)。2012 年現在、高等部普通科 24 校の中 ①労働力の調整弁としての障害児学校卒業生を考える で、15 校が何らかの教育課程の類型化を行っていま ②ニート対策として始まったキャリア教育 す。 ③税金の払える障害者育成。人格形成から人材育成へ ④政策の土台にある新自由主義的な教育観 このような教育課程の類型化は、現場からの要望・ 意見から進められてきたわけではありません。上から の管理的な手法で進められてきたのです。成績主義と 3 東京の知的障害教育高等部の現状 人事考課制度、特別支援学校の校長を初めとした管理 (1)就業技術科という新しい 職は大変です。そもそもの教育条件を整備せず、今あ 特別支援教育高等部の教育 る条件の中でやりくりする中で学校の特色を出すこと ①コース制と類型化の教育課程 を求められているのです。また、教育庁も、教育課程 就労目的に特化した学校づくり東京では、2009 年 の均一性を保つという理由の元に、各学校の教育内容 まで養護学校高等部に都市園芸科と産業技術科の二つ の細かい点までに指示し指導してきているのです。 の課を持つ養護学校がありました(青鳥養護学校都市 ②生徒増と三つの生徒の層 園芸科と南大沢学園産業技術科)。しかし、2004 年、 特別支援学校高等部普通科の生徒の実態を見てみま それまでの都市園芸科と産業技術科の歴史を総括する す。生徒の層は、大きく三つの層に分かれると考えら ことなく、全都を学区域にした就業技術科の特別支援 れます。特別支援学校中学部から来る重度の生徒の層、 学校を作ります。それが、永福学園でした。この永福 地域の障害児学級や一部通常学級から来る中度の生徒 学園型特別支援学校は、企業就労 100%を目的にした たち。そして、通常学級から来る知的障害のない発達 学校です。今では、3 校に増え、2015 年には、5 校に 障害の生徒たち。この発達障害の生徒たちは、手帳を なろうとしています(永福学園、青峰学園、南大沢学 取得していないことが多いです。三つの層にそれぞれ 園、志村学園、水元学園)。また、これとは別に、既存 応じた教育内容を保障していくことが必要になりま の普通科の高等部特別支援学校 10 校に職業学科(全 す。 都を学区域とするなど内容的には、就業技術科の特別 (3)東京の特別支援学校高等部の 支援学校と同じ)を 2∼3 学級作ると東京都の特別支 企業就業率と進路指導 援教育第三次計画では構想しています。現在の東京の ①東京の特別支援学校高等部の企業就業率 知的障害特別支援学校高等部には、この就業技術科以 ②東京の知的障害の特別支援学校の進路指導 (19) 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 自由研究 第1分科会 二年間の歩み ─出会いを意味づけしながら─ 荒 瀬 耕 輔(京都支部) 一学期は天気予報士というキャラで天気や府県の漢 1 はじめに この道に入ったのは丁度 3 年前。サッカー漬けの生 字を、二学期は漢字人間を再び使って動作を表す漢字 活を送り障害児教育のことを全く知らない私は大学の を学習しました。また言葉を「音」だけでなく「文字」 専攻科でたくさんのことを学び、そこで出会った憧れ として意識し始めた子どもたちに「文字と音とイメー の与謝の海養護学校(支援学校)に赴任します。そこ ジとを結ぶ」 「言葉(文字)を言い換えて楽しむこと」を から 2 年、今回与謝の海の教師生活で出会った子ども ねらいとして群読や英語の授業づくりを進めました。 や先生に学んだこと、人間として成長させてもらった (2)二年目の実践から ことを教科の授業づくりや教職員集団づくりの視点か 一年目の経験が強く、 「楽しい授業をつくりたい」と いう思いや発想が先行しました。積み上げを意識し正 ら報告します。 直焦りもありました。知らない内に一緒に授業をつく 2 一年目∼「授業づくり」って楽しい る先生や子どもの気持ちを見ずに授業を進めていまし (1)「国語」の実践①∼中学部として初めて英語 た。自分の目線だけで実践していることに気づけたの 自分を表現することや人との関わりを楽しむことを は、一緒に授業をつくってきた先生の厳しい指摘やそ ねらいとして取り組みました。英語の歌や英会話、英 の先生の授業に対する思いを聞けたこと、そして正直 語カードや英語ゲーム等、初めての英語の授業に子ど な子どもたちの姿があったからです。一緒に授業をつ もたちは目が点でしたが、段々期待に胸を膨らませ英 くる先生や子どもの姿に学びながら「集団で授業をつ 語を楽むようになりました。 くる」という根本に立ち返り実践を見直しました。 (2)「国語」の実践②∼漢字人間登場 具体的なイメージがもてるよう、指導者が全身白 4 青年教職員集団づくり スーツで無言の「漢字人間」という教材になり身体の 今年度十数年ぶりに再結成した組合の青年部で私た 部位(耳 ・ 頭 ・ 腹等)を学びました。子どもたちは漢 ちは実践と活動を両立させることを意思統一し、発達 字人間の正解のダンスをみると「よっしゃ∼」とガッ 理論や授業づくり、私たちの労働の課題を学んできま ツポーズをしていました。そして日常生活でも漢字へ した。「おかしいことはおかしいという」。時には若さ の興味を広げていきました。 ゆえの言動に対しベテランの先生に厳しい指摘や助言 (3)「生活」の実践∼ホックホクのちくわづくり をもらい、同世代同士で意見を交わしながら、青年教 宮津の特産物であるちくわをつくることを軸に地域 職員集団として歩んできました。実践面や人間として 学習の視点から学習を進めました。ちくわづくりのイ 不十分さや弱さを持ちつつ、そのことを個々人が自分 メージを高めるために学校近くのお店にちくわの作り の課題として自覚する、また互いに作用しあいながら 方を教わりにも行きました。地域と子どもたちの生活 集団として高めあっていく、そして日々与謝の海の大 を結ぶ中で考えを巡らせたり発見したりする子どもた 切にしてきたことを学びとり継承していく、そんな自 ちの姿がありました。 覚的集団でありたいと思います。 (4)一年目の実践から 指導者集団で子どもたちが「楽しい 」 「もっと勉強 5 おわりに(まとめ) 」と思える様な授業をつくることを目指して 2 年間を総括すると改めて「関係を切り結ぶこと」 実践を進めました。教材を決める時には、生活年齢か の大切さを感じています。学校は人格が出会い、ぶつ らくる「ホンモノ」や「かっこいいもの」への憧れを かり合う場です。二年間の授業づくりや教職員集団づ 重視しました。また「できる」 「わかる」ことにプラス くりを通してそのぶつかりを自分の課題として捉えて し、子どもたちが新しい世界に触れること、そこで発 いくことが必要だと学びました。何も感じなければそ 見や疑問など自分の生活に照らしながら思考すること の出会いは過ぎ去っていきます。そうではなくて子ど を大切にしました。 もや一緒に仕事をする仲間との出会いを自分の中で意 したい 味あるものと捉えそこから自分の課題を学びとり、そ 3 二年目∼授業への思いと課題への気づき してそれぞれの思いを切り結びながら実践を創りあげ (1)「国語」実践③∼漢字人間を引き継いで ていく姿勢を貫いていきたいと思います。 1974年2月25日第3種郵便物認可(毎月1回25日発行)2013年4月25日 全障研しんぶん4月号 (20) 第21回発達保障研究集会(京都) 日時 2013 年 3 月 23 日(土)13 時∼ 24 日(日)正午まで 妹尾豊広(東京) :東京の知的障害教育高等部の現 状と課題 会場 コープイン京都 塚田直也(東京) :雄太君への指導─自閉症児の言 ■全体会(3 月 23 日 13:00∼14:30) 〈第 2 分科会〉 会場= 204-205 発達研究は発達保障実践にどう寄与するか 河合隆平(石川)他:障害児家族の貧困問題と学 葉の育ちを考える 会場= 202 報告=木下孝司(神戸大学) 校教育の課題に関する共同研究 越野和之(奈良):特別支援学校「学校設置基準」 ■課題研究(15:00∼18:30) (1)保育と療育をつなぐ 会場= 201 報告①=池添鉄平(京都・たかつかさ保育園)保 育園の実践から連携を考える 報告②=市原真理(京都・児童発達支援事業所 「ひろば」)療育・保育の連携の実践と課題 報告③=藤林清仁(名古屋経営短期大学)保育と 療育をつなぎ、子どもを丸ごと捉える視点とは 策定のための予備的検討 小森淳子(岐阜):「性」に関するアンケートから 見えること 高口僚太朗( 城) :構成員の生活世界─現代社会 を生きる当事者のアクチュアリティー 〈第 3 分科会〉 会場= 202 板井 理(大阪) :発達と美術を考える─アバウト な意味づけの力 今井文子(滋賀)他:養護学校高等部の発達障害 (LD, ADHD, 高機能自閉症)生徒の発達・教育 (2)障害児教育の教育目標─評価論を構築する 会場= 202 報告①=古澤直子(東京・障害児学校)東京都の 教育目標管理をめぐる学校現場の動向 報告②=岡田徹也(滋賀・障害児学校)障害児学 校における教育課程編成と教育実践 報告③=三木裕和(鳥取大学)教育目標─評価論 の構築にむけて:重症児教育を中心に 問題と「9, 10 歳の節」との関係 南 有紀(和歌山)他:重症心身障害児の発達評 価についての検討 〈第 4 分科会〉 会場=和室(206) 岡田泰子(神奈川) :通常学校における特別支援教 育コーディネーターを中心とした支援教育を考 える 二上光子(神奈川) :特別支援教育における学力を どう考えるか (3)成人期の「学び」 会場= 204-205 報告①=奥田茂樹(京都・生活支援センターろむ) 自立訓練(生活訓練)事業の実践から 報告②=草羽俊之(広島・障害児学校)自立を学 びあう生涯学習講座の実践から 報告③=峰島 厚(立命館大学)「働くこと」と 「学ぶこと」 安田訓明(愛知) :実践における「勘とコツ」につ いて 〈第 5 分科会〉 会場= 203 藤本文朗(京都)他:滋賀・京都での知的障害者 の大学校(高等教育)の取り組み(Ⅱ) 小林正尚(和歌山)他:高等部卒業後教育年限延 長した者のその後の状況について─ K 特別支 援学校進路調査をもとに 児玉真人( 城) :オレの人生─小・中学校、高等 ■自由研究(3 月 24 日 9:10∼12:00) 部をふりかえる 〈第 1 分科会〉 会場= 201 城支部研究プロジェクトチーム:障がい者の高 荒瀬耕輔(京都) :二年間の歩み─出会いを意味づ 等部卒業後の教育年限延長に関する意識の調査 けしながら 研究