Comments
Description
Transcript
東日本大震災 被災地ボランティア報告
つ ゆ く さ 小樽雪あかりの路 今年も 2 月 3 日から「小樽雪あかりの路」が開催されます。 幻想的な蝋燭の光に照らされた様々な雪のオブジェが小樽の 町を彩ります。 2012 年度 年頭所感 院長 川村 健 年が明けました。皆様は、それぞれ、新たな気持ちで新年をお迎えのこ とと存じます。今年もよろしくお願いいたします。 昨年は、 「激動」に覆いつくされましたが、年が変わっても、今後長期 間、日本人として、これを受け止め、何かしらの務めを果たしていかな ければならないでしょう。 地域医療は、相変わらず向かい風の中です。 診療基盤を安定的に維持することは容易な時代ではありませんが、各部署、各個人がそれ ぞれの役割を理解し、力を発揮することで、これまでも多くの困難を乗り越えてきました。 小樽協会病院は地域に愛され、育てられ、必要とされる病院であり続けるという義務、信 念、理念を堅持します。持てる機能を更に向上させると共に、地域の医療機関との連携に より、持たざる部分を補うことによって、地域の方々が、域内で医療を完結出来ることが 理想です。少子化、高齢化、人口減少は小樽だけではなく、地方が抱える共通の課題です。 人が暮らし、働き、子育てをするのに医療は不可欠です。 小樽協会病院は今後もその責の一端を担ってまいります。 皆様のご健康、ご活躍をご祈念申し上げます。 小樽病院としての理念・基本方針について ―理念― *私たちの病院は患者様を笑顔でむかえ、笑顔でおくれる医療を提供します。 *患者様と向き合いながら、良質で心の通った優しい医療を目指します。 ―基本方針― *患者様の権利を尊重し、信頼される医療を提供します。 *誠実さと思いやりの心を持って安心できる医療を提供します。 *医療知識、技術の向上に努め、質の高い医療を提供します。 *地域医療機関との連携を図り、急性期病院としての役割を果たします。 協会としての経営理念・ビジョンについて 経営理念 「私どもは、医療、保健、福祉の従事者として力を合わせ、心のこもった医療、看護、介護の 実践に努める」 ビジョン ・連携(7 病院)と連帯(職員)を強め、地域住民が必要とする地域医療を提供する。 ・信頼される社会福祉の事業を展開するために、健全で安定した経営を目指す。 新年のご挨拶 事務部長 本房浩幸 新しい年を迎えました。この一年が、すばらしい一年であることを切 に願います。また、協会組織が「竜の雲を得る如し」の活動で発展して いくことを望みます。 医療界を取り巻く状況は永く激動の時代でありますが、社会保障・医 療の提供体制等、あらゆる面での医療制度改革が進む中で、今年は特に 重要な一年になると考えています。 今春の医療・介護の診療報酬同時改定では、入院医療の機能分化、外来医療の役割分担、 在宅医療の充実という医療提供体制のあり方に改善が求められています。当院も、地域 住民の皆様、地域医療機関の皆様から信頼される病院となるために、小樽協会病院の地 域での役割を今まで以上に考え、どの様な機能を提供することが地域医療への貢献とな るのか、しっかりとした対応をしていかなければなりません。 当然、職員一人一人の力が必要となります。小樽協会病院のあるべき姿を見失わず、目 標の達成に向けて努力して参りましょう。どうぞ宜しくお願い致します。 皆様のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。 新年のご挨拶 憧れの「デクノボー」 看護部長 坂本 みよ子 私の郷里の偉人、宮沢賢治は 1933 年に亡くなりましたが、彼の死後 弟によって手帳に書かれたこの詩が発見されました。 雨にも負けず 風にも負けず 雪にも 夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち 欲はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている 一日に 玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きし 分かり そして忘れず 野原の松の林の陰の小さな茅葺き小屋にいて 東に病気の子どもあれば 行って 看病してやり 西に疲れた母あれば 行って その稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行って 怖がらなくてもいいと言い 北に喧嘩や 訴訟があれば つまらないからやめろと言い 日照りの時は 涙を流し 寒さの夏は おろおろ歩き みんなにデクノボーと呼ばれ ほめられもせず 苦にもされず そういうものに わたしはなりたい 平成 23 年はこの詩が心にしみる一年となりました。2011 年 4 月 11 日には、ワシン トンのナショナル大聖堂において、東日本大震災で犠牲となった方々を悼む宗派を超えた 追悼式で復興への祈りが捧げられた後『雨ニモマケズ』が選ばれて英語で朗読されました。 私はこの詩に触れるたびに自身もこのような心のあり様で生きていけたらと思います。 大震災の後、自分ができることを見つけて実行している人々がいますが、私も出来るこ とは何かと自問自答しました。ゆるぎない信念と熱心な信仰心を基盤に、万物に愛を分け 与えた賢治のような偉人と、私のような凡夫を一緒に語るのは心苦しく思いますが、賢治 もなりたいと切望していた、そして私自身も憧れてきた「デクノボー」に近づこうと自戒 を込めて思いました。 しかし、実際は大変難しいことで、 寒いのも 暑いのも 苦手で、しょっちゅう風邪を引き 欲はなかなか減らず 時々怒り げらげらと品なく笑い 一日に 必要以上の食物を食べ あらゆることを 真っ先に自分を勘定に入れ よく見聞きせず 分かりもせず そして特技ではないかと疑われるほど忘れ この様な具合で反省しきりです。 目立ったことは出来なくともいつもの場所で「心のあり様について考えてみる」 「自分は 少しでも人のためになっているかなと考えてみる」、そういうことがおそらく大切なことな のでしょう。 2012 年は復興への“新しい年”になります。しばらくの間は日本全体が、そして医療 界も厳しい情勢が続くと思われますが、 「竜」は神獣・霊獣であり、大海原や天空を自在に 飛翔すると言われることから、夢多き未来への叡智が結実される大きな飛躍の年になるこ とを願わずにはいられません。皆様のご健勝をお祈りします。 本年度は、勤続 30 年の方が 2 名、20 年の方が 4 名 おり、12 月 17 日に当院講堂において表彰式が行わ れ、表彰状と記念品が渡されました。 勤続 30 年 ・看護師長 ・医療助手 勤続 20 年 ・看護師長 ・医事係長 ・画像診断科主任 ・臨床検査科主任 以上の方々です。 市川 佐藤 官子 明子 加藤 久和 佐久間 早苗 齋藤 良憲 新倉 貴司 連携室だより 第1号 東日本大震災 被災地ボランティア報告 地域医療福祉連携室 MSW 鴨崎裕介 平成 23 年 9 月 9 日(金)~11 日(日)まで私、MSW 鴨崎が宮城県 石巻市へ医療ソーシャルワーカーとして被災地支援を行って参りましたの で、ご報告させていただきます。 ●なぜ石巻へ…? 私が所属している MSW の全国組織である『公益社 団法人 日本医療社会福祉協会』では、東日本大震災 発生後の 4 月 2 日より、宮城県石巻市にある福祉避 ゆうがくかん 難所「遊楽館」を拠点とする災害支援活動を行ってお り、全国から有志の医療ソーシャルワーカーが毎日 3 ~5 名派遣されていました。以前より「機会があれば 行きたいなぁ」と思っていたもののなかなか踏ん切り がつかず…。そんな悶々とした時期に「人手が足りな い!!」との情報が入ったため今回思い切って参加す ることと致しました。 ●仙台空港での光景 新千歳空港から仙台空港まで 1 時間。仙台空港を出ると、震災から半年が経過していま したが、JR は高架上にそのまま止まっており、海に近い場所ではいまだに生々しい爪跡が 残されていました。空港の駐車場に停まっている車がおもちゃのように流されている TV での映像を何度も見ていたので、海までの距離が近いのだと思っていましたが、実際には 何百メートルも離れており、海からそれだけ離れていても勢いは衰えることなく津波が襲 ってきたことがわかり、津波の恐ろしさを改めて感じたことを覚えています。 石巻市の中心部はすでに瓦礫などの撤去が済んでおり、津波の被害にあわなかった地域 では大型店は通常営業し、国道に車が溢れるなど、津波の被害の有無が大きく運命を分け たことが印象的でした。 ●石巻市の概要 石巻市の人口は約 16 万人で、宮城県では 仙台市の次に大きな都市です(ちなみに小樽 の人口は約 13 万人)。今回の震災で一番被 害の大きかった宮城県全体の死者の 1/3 は石 巻市の方々であることから石巻市の被害の大 きさがわかります。 福祉避難所である遊楽館は石巻市が建造し たコンサートホールやプール、体育館のある 複合施設で、その体育館の部分を利用して福 祉避難所として使用されていました。 【写真】平成 23 年 6 月時点での体育館の様子 ●避難所の状況と支援内容 私が赴いた当時の避難者は 26 名。一 時期は 180 名ほどいたそうですが、9 月末で避難所が閉鎖されることが決定し ていたため、大半の方々はすでに退所さ れ、残りの 26 名も仮設住宅や施設など への退所が決まっていました。我々ボラ ンティアの主な業務は、避難者が退所後 も安心して暮らせるよう援助すること、 関係職種とのカンファレンス、退所サマ リーの作成、仮設住宅での支援活動など 多岐に渡っています。 遊楽館に到着後すぐに前任者より 70 代男性のケースの引継ぎが行われました。すでに仮設住宅への退所が決まっていましたが、 これまで行政との間で色々なトラブルがあったため、私が引き継いだ時点ですでに退所日 を行政から指定されていました。しかし、本人一人の力では準備が間に合わない可能性が あったため、退所後にすぐに安定した生活を送れるよう支援が必要でした。 仮設住宅にはある程度の家電、日用品は揃っていましたが、本人の強いこだわりがあり、 1 階部分が津波で被災した自宅へ使えそうなものを取りに行き、足りないものは大型スー パーに買い物に行く際に私が同行し、全てを本人の意向通りにはできませんが、できるだ け本人の自己決定を尊重し、援助することを心掛けました。声をかけなければ水分摂取や 服薬ができないため、適宜声かけをしながらある程度今後の生活が見えてきた時点で 3 日 間が経過してしまい、残念ながら最後まで見届けることができない中、次の方に引き継ぐ こととなりました。 ●最後に 参加した 3 日間はあっという間に過ぎてしまい、自分は何か役に立てたのかと無力感が ありましたが、これまでたくさんの医療ソーシャルワーカーがバトンをつなぎ、日常業務 で培っている連携力、判断力などを活用しここまでの成果が上がっていることは被災地か らは非常に大きく評価されており、私にとっても大きな励みとなりました。復興していく 過程ではやはり医療ソーシャルワーカーという職種が必要不可欠であることを改めて感じ ることができました。 昨年 9 月 30 日を持って遊楽館は閉鎖され、当協会は現在、仮設住宅に移った方々の個 別訪問や相談会・茶話会の開催を通して地域コミュニティ形成の支援を継続しています。 機会があれば再度参加したいと思っています。 (文責 医療ソーシャルワーカー 鴨崎) すっかり定着したイベントになりました院内クリスマスコンサート。 今年は産婦人科の内山響子先生が、まるで姉妹にしか見えないようなお 母様と親子でピアノの連弾を披露し、クラシックや JAZZ、最後はディ ズニーランドのエレクトリカルパレードを演奏いたしました。つづいて、 6階病棟によるハンドベル演奏。きよしこの夜など、いったいいつ練習 したのだろう?と思うほどみんなの息がぴったりとあった素晴らしい演奏を披露してくれ ました。ひとときの時間ですが、会場にいらした患者様やそのご家族様も、きっと癒され たと思います。 (また、会場の準備や飾りつけを行った行事委員、患者様の安全確保や移動 をお手伝いした職員のみなさん、お疲れさまでした。) 2011.12.19(月) グランドパークで大忘年会が開催されました。余興の部に名乗り出 たチームは近年最多の 5 チーム。一位を目指しての大バトルでした。今回は、やはり AKB 48だらけ?と思っていましたが、マルモリダンスに昭和時代とバラエティーに富んでお りました。余興の結果は・・・ 一位:まさかの研修医チーム!体を張った「大相撲ダイジェスト」 二位:六階のマルモリダンスからのフライングゲット。ムック、いい味出してました 三位:三階の昭和時代からの愛菜ちゃん役の近藤先生、動きキレまくりでした!! また、今年は突然、川村院長より「一番この忘年会をもりあげてくれた人に僕から特別 賞を出したい」との宣言が飛び出し、いったい誰なんだ?全員の注目の中、研修医の近藤 先生の名前が告げられ、会場は大盛り上がりでした。おめでとうございました!! 画像診断科の奥にある血管造影室(AG 室)が一月に新しくなります。 調べてみると稼動開始は 1996 年 11 月 5 日、今から 15 年前で一番 最初の検査は冠動脈造影で担当は柿木先生でした。15 年1ヶ月の総件 数は 7276 件、科別に見ると圧倒的に循環器が多く、次に内科(いま では血管造影は治療のために行われていますが、昔は肝臓の画像診断 に血管造影が行われていました)の検査が行われていました。件数的 には 1999 年に一度ピークを迎えましたが、まだまだ記録を更新し続 けています。今回、新しく導入される AG 装置では患者様の被ばくの 低減や管理が可能となり、できるだけ少ない線量できれいな画像を撮 影することができるようになります。また、天井には空の壁紙を使用 し、開放的な雰囲気を出しています。一月中頃より稼動予定ですので、 みなさま見学に来てください。 循環器内科 5620 内科 755 外科 572 整形外科 282 その他 47 合計 7276 1996.11から2011.12まで AG室検査数 600 500 400 300 200 全科件数 100 旧装置の撤去作業 天井は空!! CAG+PCI 新装置設置完了 12 月 22 日、ちょっとメタボなサンタさんがアシスタント サンタさんとトナカイさんを連れて院内保育所“たるっ子”に やってきました。中には泣き叫ぶ子供もいましたが、ほとんど は歓迎ムードでお出迎え。サンタさんは子供たちとお話をした あと、一人ひとりにプレゼントを手渡しました。最初はサンタ さんが怖くて近づけなかった子も最後にはプレゼントを手渡 しで受け取っていました。 「サンタさん、ありがとう」 「また来 年も来てくださいね」と祈る子供たちでした。 編集後記 久しぶりの「つゆくさ」の発行になりました。今回より、編集委員も増 小樽協会病院広報誌“つゆくさ”NO.38 員されて非常に頼もしい限りです。なかなか明るいニュースがありませ 発 んが、少しでも早くこの日本が立ち直るのを願わずにはいられません。 発行日:平成 24 年 1 月 何か自分にもできることを見つけながら、誰かの為に役に立つことを見 発行人:川村 健 つけて行きたいと思います。(今回はかなり真面目な編集後記でした) 編集人:渡辺 直輝 編集委員長 渡辺 行:小樽協会病院 編集委員会 2011 2010 2009 2008 2007 2006 2005 2004 2003 2002 2001 2000 1999 1998 1996 1997 0