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存在否定された民衆の土地と生業を守る闘い ―コロンビア、ボリバル県

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存在否定された民衆の土地と生業を守る闘い ―コロンビア、ボリバル県
〈研究ノート〉
存在否定された民衆の土地と生業を守る闘い
―コロンビア、ボリバル県南部地域における鉱山民組織の事例
La lucha por la tierra y la vida de las comunidades invisibles: el caso de
los mineros artesanales en el sur de Bolívar, Colombia
上智大学 幡谷則子
Noriko Hataya(Sophia University)
Resumen:
Este trabajo trata el movimiento de resistencia de las comunidades invisibles
en torno a su lucha por la vida, enfocando el caso específico de organización
de los mineros artesanales en el sur de Bolívar, Colombia. El artículo analiza
su proceso de organización y sus estrategias de visibilización a través de
la mobilización masiva como son las ‘marchas campesinas’ o los ‘éxodos
campesinos’ junto con la creación de una red de solidaridad local-internacional
con las organizaciones de apoyo a los derechos humanos. Todo indica que estos
movimientos mineros que aquí estudiamos no solamente se resisten y luchan
contra los grupos armados que los hostigan para que abandonen sus tierras, sino
también contra los procesos de la política estatal que promueve la intervención
del capital global aun cuando brinda un marco legal de “protección” que se
supone está pensado para integrar a estas poblaciones a la economía nacional.
はじめに
過去半世紀にわたりコロンビアでは、国家から存在否定された民衆の生活圏が
武装組織の侵入を受けてきた。武装組織との中立的共生は難しく、民衆は特定の
武装組織への加担か強制移住かの選択肢を突きつけられる。その中で、リスクを
負いながらもその土地に留まる抵抗の運動によって自らを
「可視化」
してきた人々
もいる。紛争地のような極限の状況において、民衆が組織化し、社会運動を継続
するには、いくつかの条件が必要であった。その地ですでに共通の生活ニーズに
― 37 ―
存在否定された民衆の土地と生業を守る闘い―コロンビア、ボリバル県南部地域における鉱山民組織の事例
基づいた草の根組織が根付いていたこと、そして彼らが人権擁護団体や教会を通
じてローカル、ナショナル、国際的レベルでその他の市民社会組織と連帯し、そ
れらを通じた発信が国内外の世論を動かしたことなどである(Hataya 2009)
。
だが、不可視でインフォーマルな弱者集団による正義や権利を求める行動や経
済自立化をめざす活動は、国家が少なくとも法的な枠組みにおいて正当性を与え
ない限り、その存続は難しい。すなわち不可視の存在であった社会集団が国家に
よって認知され、そのインフォーマルな生業や営みが制度化されてゆく過程が必
要である。しかし、統合される国家の制度的枠組みが市場メカニズムに何らの規
制が加えられずにグローバルな市場に連動すると、弱者集団は新たに制度化され
た収奪と排除のリスクに晒される。
本稿ではコロンビアの紛争地ボリバル県南部地域(el sur de Bolívar、以下
SB 地域)の零細金鉱採掘村で国家からその存在を否定され、武装組織との共存
を強いられた結果弾圧を受け続けてきた民衆組織の事例を取り上げ、その組織過
程と運動戦略の展開を分析する。本事例は、グローバリゼーションが進行する国
際状況のもとで再び高揚してきた民衆運動の一つであると同時に、コロンビア固
有の政治動向を背景とし、鉱山村での民衆運動という特徴をもつ。本稿ではその
戦略展開にコロンビアの民衆運動における新しい局面が見いだされることを明ら
かにする。以下の考察は主に 2007 年 9 月、2008 年 11 月、2011 年 8 月に筆者
が実施した SB 地域でのフィールド調査に依拠するものである。
1.21 世紀のラテンアメリカおよびコロンビア農村部における民衆抵抗運動
1.1. グローバル化社会における民衆運動の新展開
ラテンアメリカ諸国の社会運動は、生産様式に立脚した社会階層間の闘争とし
て出発した。だが 1980 年代、民衆の生存戦略のための日常的ニーズの獲得を目
的とした互助活動が新しい社会運動の形態として出現する。担い手にも目的にも
多様化が進むようになった(幡谷 2007)
。
2000 年以降の社会運動研究は、民主化の定着期における社会正義と政治改革
を求める動きとして今日の社会運動を位置づけている(León 2003, Fernándes
2002)。社会運動の主体、目的、戦略は多様で、20 世紀末から今日にかけてネ
オリベラル政策や経済グローバル化がもたらした新しい社会経済不平等の状況に
対する、抵抗・要求運動の高揚とみなすことができる。その多くは短期的経済的
ニーズ獲得型運動から、公共政策の改革と社会正義の確立をめざし、グローバル
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市場メカニズムに立脚した開発とは異なるオルタナティブを提案する運動に脱皮
している。Archila(2011)は、21 世紀のラテンアメリカの社会運動がネオリ
ベラリズムと民主主義のあり方をめぐって発生しており、ローカルな社会運動が
全国、地球規模のネットワークによる広がりをみせている点が新しいと主張する。
また、国家は以前のような「敵対関係」にはなく、対立関係は存続しても、交渉
可能な相手として捉えられていると論じている。
1.2.ラテンアメリカにおける「新しい農民運動」
Teubal(2009)は「『新しい』農民運動」の代表例としてメキシコのサパティ
スタ人民解放軍(EZLN)、ブラジルの土地なし農民運動(MST)やエクアドル
のコタカチの先住民運動などをとりあげながら、グローバルな開発が進展する
21 世紀では、土地をめぐる闘いの性格が変わってきたことを指摘する。すなわち、
大地主に対して土地分配を求める農民運動から、グローバル開発モデルに対抗し、
より大きなパラダイム変化を求める運動となったのである。国家や政党から独立
した、より自治性と農民組織自体のイニシアティブが強いことも特徴の一つであ
る。先住民やアフロ系住民など、集合的アイデンティティを強調しつつ集合的土
地権利を求める運動も存在感を増してきた。
1.3.コロンビアの農民運動が置かれた特殊な文脈
コロンビアは、1960 ~ 80 年代の権威主義体制から民主化へというラテンア
メリカ諸国に一般的にみられた過程を踏まなかった国である。しかも安定的民主
体制にありながら、半世紀以上国内武装組織の存在による政治暴力の問題が解決
できないでいる。農村も都市もコミュニティは政治的パトロン・クライアント関
係によってイニシアティブを操作されやすく、反体制運動は左翼ゲリラ組織とい
う非合法形態を選択した。このような政治社会構造下にあって、コロンビアの社
会運動主体は国家からの監視と弾圧を受け、その活動は相対的に脆弱であった
(Cartier 1987, Archila 2002)。今日も左翼反政府武装組織が残存するために、
民衆活動家、特に農民組織リーダーは国家および軍からの厳しい抑圧を受け続け
ている。それは、左傾化を経験した他のラテンアメリカ諸国と比較して国家体制
のあり方が異なるためである。Archila(2011)は以下をコロンビアの現代民衆
運動がおかれた文脈の特殊性として指摘する。第一に、ラテンアメリカに広くみ
られる反米左派傾向に対し、コロンビアではウリベ政権(2002 ~ 2010 年)も
現サントス政権も親米右派政権であること、第二に、域内で例外的に暴力指数が
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存在否定された民衆の土地と生業を守る闘い―コロンビア、ボリバル県南部地域における鉱山民組織の事例
高く、労働運動、農民運動活動家の殺害が夥しいことである。60 年代の左翼ゲ
リラ組織の結成後、労働運動や農民運動のリーダーたちは、その活動の過激化と
左翼ゲリラとの連携を危惧した政府の弾圧に遭い、地下に潜伏し亡命を余儀なく
され、求心力の喪失をみた。90 年代にはいるとパラミリタリズムが拡大し、農
村部での社会運動家は生命の危険にさらされるようになった。左翼政党愛国連合
(Unión Patriótica: UP)の政治家が徹底的に弾圧され、
農民やコミュニティリー
ダーの殺害が続いた。この結果、国内強制移住民が増加し続け、累積でのべ 400
万人(総人口の約 1 割)にのぼっている。21 世紀にはいると、グローバルな市
場メカニズムに対するローカルな抵抗運動が国際的連携を強めることで高揚し、
集合行動は緩やかに拡大している。それでも社会運動組織のリーダー達に対する
迫害が払拭されたわけではない。
1.4.SB の鉱山村民運動の特徴と研究意義
本稿で扱う SB の民衆運動の主体は零細鉱山採掘民であるが、その組織は農民
と連帯関係にあり、グローバルな開発事業の脅威に対し、共同体がその土地と生
業を守るために抵抗運動を展開するという点で、21 世紀の新しい農民運動と共
通する。その上で SB の鉱山村民運動を分析する意義として、以下の 2 点を指摘
する。
まず、本事例は紛争が存続する社会において、極めて困難な条件をもちつつ展
開してきた民衆社会運動の一つである。人権侵害が日常化し基本的ニーズが欠如
する状況に対して、民衆が集合行動を起こすのは必然的ではあるが、その必然を
実行に移すこと自体に大きな生命のリスクがかかる。コロンビアの文脈でそれを
負ってまで運動が続いた理由に焦点を当てて行った研究は少ない 1。
次に、鉱山民の土地を守る運動に関するラテンアメリカ地域での分析傾向とそ
れに対する SB の特異性があげられる。鉱山地帯における農民運動はアンデス諸
国の事例研究が豊富である。しかし運動主体は開発予定地にある農村共同体で
あることが多く、大規模開発によって生じる土地買収や、開発による環境破壊
に対する抗議運動が主である。鉱物資源埋蔵農村部における社会運動研究には、
Bury(2005)や Bebbington et al.(2008)のペルーのカハマルカやエクアドル
のコタカチの事例研究があるが、運動主体が採掘者ではない。コロンビアでは
SB 以外にも、ウイラやチョコなどの零細鉱山採掘民が、多国籍企業による大型開
発に対して土地と生業を守るために行う抵抗運動がある。だがこれらについては
運動組織や支援 NGO の現状報告が大半で、体系的な研究は進展していない 2。零
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細鉱山民が生業を守ろうとする運動の本質と彼らと国家や多国籍企業との関係を
明らかにすることは、鉱山開発とローカルな人々の営みの間に発生する軋轢を理
解する手がかりとなるだろう。
2.SB 地域の地誌
2.1.ボリバル県―コロンビアの「顔」としての北と「不可視」の南
ボリバル県はコロンビアの北部カリブ海沿岸地域に位置し、県都カルタヘナは
スペイン植民地時代初期に建設された港湾・要塞都市である。同国第一の観光都
市であるだけでなく、外交、文化、貿易の中心地である。だがコロンビアの「顔」
として発展してきたカルタヘナを冠する北部とは対照的に、南部地域は国家から
顧みられず、多くの国民にとっても「不可視」であり続けた地域である。
ボリバル県は 38 の市(ムニシピオ)から成るが、SB はマガンゲ市より南の
16 市を指す(地図 1)。2005 年センサスに基づく推計ではカルタヘナ市のみで
も 109 万人を擁す全国第 5 位の大都市である。輸出向け関税フリーゾーンを配
した工業都市でもある。他方、SB 地域一帯は、大半が自給自足水準の農村共同
体と零細鉱山村であり、人口は全体で 17 万人に満たない。厳しい地勢条件とカ
リブ海沿岸からのアクセスの悪さによって村落間の移動は困難を極める。SB 地
域では耕作に適した平地の大半は不在地主によって所有される一方で、入植農民
の多くは小・零細規模の耕作地でメイズ、ユカイモなどの伝統的作物の自給生産
に携わっている。このほか漁業と林業が営まれてきたが、住民の経済活動に対す
る技術開発も生活全般に関する社会投資・公的扶助も行政からはほとんど提供さ
れてこなかった。2005 年現在 SB 地域では 7 割近くの人口に基本的ニーズが不
足している(Fonseca, Gutiérrez and Rudqvist 2005: 34)
。
2.2.SB 地域の入植
20 世紀に入り、ボリバル県北部はもとより、近隣諸県の幅広い地域から SB
への移住者が増え、農地フロンティアの開拓が進んだ。第一の移住の波は 1948
年に始まったラ・ビオレンシアの内乱によって強制移住をやむなくされた農民
たちであった。第二の波は 60 年代の農地改革政策に伴って発生し、北部カリブ
海沿岸地域や近隣諸県のみならず、ボヤカなどの中部地域からも土地なし農民が
流入していった。彼らは当初不在地主が保有していた未耕作地を開拓し定住を
試みたが、地主によって追放され 3、さらに奥地の未開墾地を求めて移動せざる
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存在否定された民衆の土地と生業を守る闘い―コロンビア、ボリバル県南部地域における鉱山民組織の事例
地図1:ボリバル県と SB
出典: Vargas Ramírez, Nicolás 作成。
注:SB は 網 掛 け 部 分。 番 号 は 1. Achí, 2. Altos del Rosario, 3. Arenal, 4. Barranco de
Loba, 5. Cantagallo, 6. El Peñón, 7. Montecristo, 8. Morales, 9. Regidor, 10. Rioviejo,
11. San Jacinto del Cauca, 12. San Martín de Loba, 13. San Pablo, 14. Santa Rosa del
Sur, 15. Sinmití, 16. Tiquisio の各市(ムニシピオ)を示す。
を得なかった。 農地改革政策の失敗により、小作農の土地所有の道は閉ざされ、
70 年代を通じて農地フロンティアの拡大が続いた。80 年代には金ブームによる
人口流入が起こり、2009 年時点でおよそ 400 の零細金鉱山で 3 万人が採掘業に
。
従事していたと推計されている(Viloria de la Hoz 2009: 66)
― 42 ―
2.3.金鉱をめぐる開発ポテンシャルと政府の意図
独立後コロンビアの鉱業を牽引したのは石油と石炭の生産であったが 4、同
国は南米で上位の金生産国であるほか、随一のプラチナの産出国であり、ニッ
ケル、フェロニッケルでは世界第一の生産を誇る(British Geological Survey
2009)。最近の金の生産量は、2006 年の 15 トンから 2010 年には 53 トンへと
飛躍的に拡大した(山内 2012: 79, 86)。しかし、石炭以外の鉱物資源開発には
目覚しい技術革新はなく、金鉱採掘はこれまで主に小規模・零細採掘業者が担っ
てきた。
1996 年時コロンビア全土で産出された金約 18 トンのうち 42% が SB で採掘
されていた。伝統的採掘様式による零細規模の鉱山採掘業が主であるチョコ県、
ナリーニョ県、SB 地域では、技術水準の低さによって金の抽出率は 6 割に留まっ
ている(Viloria de la Hoz 2009: 66-67)
。ベースメタルの採掘を含めると今後
の開発ポテンシャルは極めて高く、金鉱脈付近にはプラチナほかのレアメタルの
埋蔵も見込まれるため、多国籍企業にとって最も魅力的な地域となっている。
鉱物資源の国家による開発は、ミネルコールなどの国営企業が担ってきたが、
90 年代のネオリベラル経済政策によって、外資に開放された。サンペール政権
期(1994 ~ 98 年)に鉱業法改正法案が提出され、地下資源開発の規制緩和を
推進し、多国籍企業を含む民間企業へのコンセッションを積極的に与える方針が
打ち出された。外資誘致の障壁となったのは左翼ゲリラ組織と治安問題であった。
同様に、大規模鉱山開発を推進するために、SB 地域の零細鉱山採掘民を開発政
策の枠組みに取り込むか、または排除することが課題となった。
3.農・鉱山民の組織化―存在否定された民衆の可視化と生存戦略 3.1.金鉱採掘ブーム、非合法武装組織の侵入と鉱山民の組織化 5 従来 SB 地域の主たる経済活動は自給的農業と林業および河川での漁業に限ら
れていた。だが 1980 年代初頭、最初の金鉱脈が発見され、80 年代半ばには SB
地域に金鉱採掘ブームが訪れた。当時すでに、サン・ルーカス山系に拠点を置い
た左翼ゲリラ組織「民族解放軍」
(Ejército de Liberación Nacional: ELN)が
SB 全体に影響力をもっていた。県政府からは辺境の地であるという SB の立地
が ELN にとって軍事作戦と領土制圧の格好の場を提供し、サン・ルーカス山系
内の山道が軍事的運搬ルートとして機能した。ほどなく ELN と対抗するゲリラ
組織、「コロンビア革命軍」(Fuerzas Armadas Revolucionarias de Colombia:
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存在否定された民衆の土地と生業を守る闘い―コロンビア、ボリバル県南部地域における鉱山民組織の事例
FARC)や「解放民衆軍」(Ejército Popular de Liberación: EPL)も SB 地域
に領土拡大をめざして侵入した。
やがて、SB 地域では多くの鉱山採掘者が定住化をめざすようになった。金ブー
ム以降開拓農民人口も増加したにもかかわらず、地方政府の SB に対する認識は
相変わらず低かった。基本的サービス、特に初等教育や医療サービスの提供は皆
無であった。共同体の多くは、委員会や鉱山民協会(asociación de mineros)を結
成し、これらが中心となって村内の公共サービスを自助努力で賄うようになった。
定住化が一定の水準に達し、かつ非合法武装組織による暴力の脅威が続くに及
んで、SB 地域の住民は国家に対して、社会投資と人権擁護を求めて集合行動を
取り始めた。主たる動員形態は、「行進」
(marcha)と「大移動」
(éxodo)とい
う農民・鉱山民のデモ行進であった。これは自らを可視化させるための戦略であ
り、その存在を政府に認識させ、政府代表との交渉を要求することが目的であっ
た。最初の民衆動員は 1985 年、カルタヘナまでの「行進」で、6,000 ~ 8,000
人が参加した。県政府と協議の結果、社会投資アジェンダが農民共同体、県およ
び中央政府代表の間で調印されたが、その大半は共同体との協働に委ねられる内
容であった。これを機に SB 地域の農民は政府との交渉窓口となる作業委員会を
結成した。
政府が社会投資アジェンダを全く顧みないことから、民衆は再度 1988 年にカ
ルタヘナへの「行進」を企てた。しかしながら、政府はこれを反政府的行為とみ
なし、軍を発動して「行進」のカルタヘナへの進入を阻止した。その後、何度も
「行進」は行われたが、政府との交渉過程は遅々として進まなかった(表 1 参照)
。
3.2.鉱業法改革法案と零細鉱山採掘業者への弾圧
1994 年、鉱山エネルギー省は鉱業法の改革法案を国会に提出した。新鉱業法
(2001 年公布)の原型である。その内容は、民間資本の開発誘致を促進するも
ので、コンセッションや開発許可手続きを明確化した。他方で、公的許可を獲得
せずに採掘業を営んできた多くの零細鉱山開発業は違法とした。SB 地域内のほ
とんどの鉱山村はこの範疇に入った。違法採掘業の規定によって、政府は零細鉱
山開発業者を放逐しようとしたのであるが、この政府の意図に抵抗するため、鉱
山民は鉱山村単位で組織されていた協会を束ねる組織として「SB 地域における
農民・鉱山業者協会」ASOAGROMISBOL(Asociación Agromineros del sur
de Bolívar)を結成し、政府との交渉に臨んだ。政府は妥協案として、法的には
「違法採掘」を行ってきたとみなされる零細鉱山業者に、鉱山民協会あたり 100
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ヘクタールを上限として鉱区の合法化を開始した 6。しかし、合法化手続きが進
み、採掘権(título minero)と採掘許可(licencia)が譲渡されようとした矢先、
その一部が第三者パラシオス家の所有であるという訴えが起こり、採掘権と採掘
許可申請が無効にされた。これは ASOAGROMISBOL に加盟する鉱山採掘業
者を廃業に追い込むために仕組まれた虚偽の訴えであった。また、
この背後には、
パラシオス家と鉱山開発多国籍企業との鉱区売買取引があったことが判明した
(Sintraminercol 2005, Mining Watch Canadá y CENSAT-Agua Viva 2009,
Polanía 2003)。さらに同家の代表が取引相手の企業弁護士でありかつ鉱山エネ
ルギー大臣の鉱業法改正法案の草稿作成者でもあったことが露呈し、閣僚と多国
籍企業間の癒着が明らかとなった。この事件を契機に、SB 鉱山民の政府に対す
る不信は一層深まり、その後の新鉱業法の制度化をめぐり、政府との対立は激化
していった。
1990 年代後半、SB 地域における暴力はパラミリタリー組織「コロンビア自
衛 軍 連 合 」(Autodefensas Unidas de Colombia: AUC)7 の 侵 攻 と FARC と
ELN との交戦によって一層深刻化した 8。民衆にとって最も大きなインパク
トを与えたのは 1996 年と 1998 年に行われた「大移動」であった。1996 年、
ASOAGROMISBOL は労組や先住民組織などとともに、鉱業法改革に反対し、
サンパブロ市までの大規模「行進」を行った。中央政府は、多分野にわたる政
府の支援とサービス提供を公約した。世論の圧力もあり、1994 年に提出された
鉱業法改正法案の審議は一時中断された。だがその報復として、AUC は即座に
SB 地域の鉱山村共同体への抑圧を開始した。農民と鉱山村リーダーたちが選抜
され、残虐極まりない方法で殺害された。軍は、彼らが多国籍企業の参入に抵抗
する活動を組織していたことを根拠に弾圧した。ASOAGROMISBOL は様ざま
な規模の動員によって非暴力の抵抗運動を続けたが、AUC の手による人権侵害
行為が途絶えることはなかった 9。
1998 年 7 月末、今度はバランカベルメッハ市への「大移動」の動員がかけら
れた。終着点のバランカベルメッハ市で開催された集会は総勢 1 万人を超える
規模のものとなった。全国規模に達した動員は 100 日以上続き、ついに中央政
府は SB とマグダレーナ川中流域における公共投資計画の策定に合意した。SB
地域の経済自立化支援と公共サービスの提供、パラミリタリー組織による弾圧行
為の阻止と人権侵害の調査の実施が公約された。しかしこの公約は反故にされ、
大移動終了後すぐに軍・パラミリタリー組織による SB 地域の農村・鉱山村活動
家を標的とした襲撃が開始された。農民が帰村した 1 か月後には、63 名の民衆
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存在否定された民衆の土地と生業を守る闘い―コロンビア、ボリバル県南部地域における鉱山民組織の事例
活動家が殺害された(Polanía 2003)(表 1)
。
ASOAGROMISBOL は 1998 年 9 月、「大移動」と中央政府との合意書の締
結以後、対政府交渉において法的立場を強化するため、FEDEAGROMISBOL
(Federación de Agromineros del sur de Bolívar:SB 地域農民・鉱山民連合)
に再編成された。パラミリタリー組織による暴力行為はエスカレートし、
「大移
動」に参加した活動家が多数殺害された。1999 年、SB 地域の民衆は「抵抗の
民」であることを宣言したが、これに対し、AUC は経済封じ込め戦略によっ
て応じ、SB 各地に検問所を設置し、食糧と日用必需品の搬入制限を開始した。
FEDEAGROMISBOL の活動拠点であったサンタロサ・デル・スル市内では、
標的にされたリーダーが拉致・拷問の末、殺害された。迫害の理由は、あるとき
は左翼ゲリラ組織との関係であり、あるときは多国籍企業の参入に対する反対
行動であった。ELN や FARC がサン・ルーカス山系一帯で活動を続ける以上、
SB では、社会組織の活動家であることが判明すると左翼ゲリラ兵であるとの容
疑をかけられ迫害の対象となった。この間も FEDEAGROMISBOL の幹部は
AUC の監視網をぬって移動手段を確保し、支援者へのロビーイング活動や他の
民衆運動組織との連帯を通じて抵抗運動を続けた。
4.新鉱業法の適用をめぐる政府と鉱山民の対立
4.1.新鉱業法におけるネオリベラル鉱業開発政策
ウリベ前政権(2002 ~ 2010 年)は、鉱業部門の振興を 21 世紀のコロンビア
経済開発の重点課題とし、2019 年までにコロンビアを域内有数の鉱山業国に発
展させる方針を打ち出した。それには石炭と金鉱の生産高を倍増する必要があっ
た。そのために、埋蔵地域を結ぶ交通網の整備、治安回復、鉱業法改革による規
制緩和の 3 つがウリベ政権の課題となった(UPME 2005)
。
2001 年に新鉱業法(法律第 685 号)が公布された。前鉱業法(1969 年法律
第 20 号)との違いは、鉱物資源埋蔵が見込まれる土地に対するコンセッション
譲渡手続きが簡便化されたことと、国家の鉱山開発における直接関与の縮小で
あった。
規制緩和と民営化により、民間企業間の競争を振興し、多国籍企業の鉱業部門
への投資とプロジェクト誘致を図ることが目的であった。新鉱業法においては、
国家による直接投資領域が削減され、国家の役割は鉱物資源の埋蔵の調査と採掘
権譲渡の管理に向けられた。コロンビアには石油、石炭開発とならびその他の鉱
― 46 ―
物資源開発には鉱物開発公社があったが、石油公社以外は 2004 年に清算され、
鉱物資源に関して政府機関が直接採掘事業に携わる時代は終わった。
SB 地域の鉱山村では、先に述べたように採掘権も開発許可も得ずに伝統的技
術によって採掘事業が運営されてきた。このような鉱山採掘事業者を、政府はこ
れまで法制度上は違法業者(ilegal)として扱ってきたが、
新鉱業法では「伝統的」
(tradicional)または「工芸的」(artesanal)採掘業という表現に改めた。政府
が SB 地域に対して期待したのは「伝統的」零細鉱山村の「合法化」であり、そ
のための技術支援を政府が提供するというものであった。2006 年に導入された
「鉱区プログラム」は、小・零細規模ないし伝統的採掘業が集中する地域を 23
の鉱区として分類し、各鉱区の鉱山採掘業の実態を把握するとともに、同プログ
ラムに参入する鉱山業者は政府支援の対象とし、生産の質量の向上をめざすとい
うものである(UPME 2007)。鉱山採掘村では、技術水準の低さと資金不足か
ら環境汚染に対する予防措置が施されず、早急な技術的改善の必要性が認識され
ていた。政府のねらいは既存の小・零細規模の鉱山採掘業者を鉱区のもとに統合
し、管理統制すると同時に生産様式の近代化、環境保全対策への支援を行うこと
にあった。国家が小・零細鉱山採掘業者に対し技術助成を与えることは一定の進
歩であると評価できるが、この政策は多国籍企業による大規模採掘開発プロジェ
クトが提案された場合、彼らの土地使用権に対する保護を保証するものではない。
SB 地域の鉱山民は、閣僚と多国籍企業との癒着、多国籍企業誘致と軍備増強と
の関係などを熟知し、政府に対する不信感が強く、鉱区プログラムへの参入を拒
み続けた。
4.2.「特別留保地域」(ARE)と伝統的鉱山採掘業
SB 地域の鉱山民が取った選択は新鉱業法の第 31 条にある「特別留保地域」
独自の生産性向上プロジェ
(area de reservas especiales: ARE)10 の認定を受け、
クトを計画実行することだった。これは「伝統的、インフォーマルな採掘事業を
共同体が行ってきたことが証明される場合に与えられるコンセッション」
(新鉱
業法第 31 条)であり、
ARE 認定がある限り、当該共同体以外の第三者にコンセッ
ションが付与されることはない。しかし ARE 認定の条件に、認定されてのち、
2 年のうちに地質鉱山調査と戦略的鉱業プロジェクトに着手しなければならない
という規定がある。むろん調査や計画作成には政府が技術的指導と協力を提供す
ることが義務づけられている。2012 年までにコロンビア国内で ARE 認定を受
けている鉱区は 28 件で、うち金鉱は 15 件、そのうち 11 件が SB 地域にある。
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存在否定された民衆の土地と生業を守る闘い―コロンビア、ボリバル県南部地域における鉱山民組織の事例
ARE の申請は、国家とコミュニティとの間の妥協の産物であり、この制度化
プロセスに入ることが、唯一伝統的鉱山採掘業者が鉱山村に留まり生業を維持で
きる道であると考えられた。しかし SB 地域では ARE を囲む一帯はすでにアン
グロゴールド・アシャンティ社(AngloGold Ashanti)が取得したコンセッショ
ンの下にあり、ARE が認定の条件を果たさない場合、大規模開発プロジェクト
が進出する可能性は十分にある。
FEDEAGROMISBOL が活動する地域で複数の ARE が形成されたことは、
そこでの零細鉱山採掘業の続行が保証されたことを意味し、生業を守るための
抵抗運動の一定の成果だといえる。しかし ARE 認定の条件であった採掘技術
の近代化の実現において、資金と技術的支援をめぐる政府との交渉は、政府
が委託した業者の技術的問題と両者間の信頼性の欠如により頓挫した。他方、
FEDEAGROMISBOL が独自に米系企業と提携し開発プロジェクトを提案した
が、これは多国籍企業の進出に対して抵抗してきた鉱山民の方針に矛盾するとし
て政府の反感を買った。これらが両者間の交渉を決裂させた要因であった 11。
5.可視化戦略の変化-外部者を招き入れて行う発信へ
5.1.第一回「国際人道キャラバン」(2001 年)と対話交渉会議の開設
「大移動」による抵抗運動は民衆活動家への弾圧を助長したが、
他方、SB 農民・
鉱山民組織はコミュニティの人権擁護支援 NGO のセンブラール(Corporación
Sembrar)や PDPMM(マグダレーナ川中流域の開発と和平プログラム)、PBI
(Peace Brigades International)を始め、多くの人権擁護活動団体と遭遇する
好機を得た。集合行動の結果生まれた外部支援組織との連携が国際人権擁護団体
とのネットワーキングを可能にした。その成果が「国際人道キャラバン」
(2001
年 8 月 6 日~ 16 日)の実施であった。FEDEAGROMISBOL のリーダーを標
的とした迫害と殺害はその後も続いたが、国際人道キャラバンの実現が、SB 地
域に対し 1999 年以降続けられた経済封鎖の解除につながったといわれている。
可視化戦略の変化は単に規模の拡大ではない。これまでは民衆が「行進」や「大
移動」という方法で地域外に出向いて可視化を行ったが、キャラバンをはじめと
する人道支援行動は、外部者を彼らの地に招き入れ、その現状を共有することで
行われる可視化である。
「国際人道キャラバン」は 12 カ国から結集した 60 団体を含む総勢 100 人以
上の人権擁護活動家によって構成された。彼らは SB 地域内の民衆活動家と経済
― 48 ―
封鎖を受けている村民とともに、バランカベルメッハ市を起点にティキシオ市の
鉱山村をめざした。食糧や医薬品などの人道支援物資の搬入をしつつ、経済封
鎖を受けていた村落の状況視察を行った。
「国際人道支援」という正当性によっ
て政府組織に圧力をかけ、経済封鎖を突破しようと試みたのである。市政府 12、
軍、警察は各地で進行を妨害したが、キャラバンは 8 月 16 日、目的村に到達
し、経済封鎖網の中で抵抗を続けていた村民たちと集会をもった(Corporación
Sembrar 2011)。
国際キャラバンが奏功し、2002 年末までに徐々に経済封鎖は解除されて
いった。FEDEAGROMISBOL は、センブラールの支援を受けて、人権侵害
の被害者に関する情報をデータベース化している 13。1995 年から 2002 年の
間に 209 件の国際人権法違反による殺害が記録され、これらの証言をもとに、
FEDEAGROMISBOL は 2003 年、パリの国際世論裁判所に訴え、国家によ
る人権侵害があったとする判定を得た(Corporación Sembrar 2011, Polanía
2003, Loingsigh 2002)。
鉱業法が 2001 年に公布されると、翌年、鉱山開発世界第 4 位の多国籍企業、
アングロゴールド・アシャンティがコロンビアに進出した。同社の国内系列企業
であるケダダ社(Kedada S.A.)が、SB 地域において大規模(推定 1,361,000
ヘクタール)金鉱山開発事業の開始を目指して一連のコンセッションを申請して
いることが明らかになった。政府は多国籍企業の投資活動を推進するための治安
確保を目的として、SB 内のヌエバ・グラナダ基地の軍備を増強したが、これに
乗じて AUC は 2004 年に再び SB 内の鉱山地帯の制圧を試みた。
FEDEAGROMISBOL は人権侵害の告発を続ける一方、政府との対話交渉の
場を設けることを模索した。こうして 2005 年に政府機関との交渉窓口となる
「SB
地域対話交渉委員会」
(Comisión de Interlocución del SB)が組織された。同
委員会には FEDEAGROMISBOL 代表のほか、人権擁護 NGO 団体や国際連帯
組織などの外部団体の代表も加わった。支援団体は主に議事録や議案などの文書
作成を分担し、その他の法的、技術的支援も提供した。2005 年、同委員会は中央・
県政府代表および関連機関との協議のため、第一回の SB 地域円卓対話交渉会議
(Mesa Regional de Interlocución del SB、
以下「円卓地域交渉会議」
)をもった。
中央政府からは鉱山エネルギー省、環境省、内務省、農業省と人権問題を担当す
る副大統領府からの代表が召集された。
しかしながら SB 地域は 2006 年 3 月、再び全面戦争の状況に陥った。ヌエバ・
グラナダ基地の軍隊は、ELN との抗戦を理由に、近隣の農家や鉱山村を襲撃し
― 49 ―
存在否定された民衆の土地と生業を守る闘い―コロンビア、ボリバル県南部地域における鉱山民組織の事例
た。「疑わしき」とされた人々が無差別に殺戮された。9 月 19 日、軍はウリベ・
チャコン(当時の FEDEAGROMISBOL 代表)を殺害した。村民はこれを軍に
よる超法規殺人であると訴えたが、軍部はウリベ・チャコンが ELN の一員であ
り、抗戦中に落命したと主張した。このとき軍が与えたウリベ・チャコン粛清の
他の理由は、ケダダ社の操業計画阻止を目的とした民衆の挑発というものであっ
た 14。
SB 地域の農民・鉱山民共同体と中央政府行政官との円卓地域交渉会議は、こ
うした紆余曲折を経てなお継続されている。今日では同円卓会議の下に零細鉱山
採掘業における技術革新、社会的サービスとインフラ建設の要求、人権侵害につ
いての真相究明など個別のテーマで委員会が形成されている。
5.2.第二回国際人道キャラバン(2011 年)の意義
2011 年 8 月 3 日から 13 日まで、SB 地域において第二回国際人道キャラバン
が実施された。9 カ国から 18 名の外国人を含む総勢 60 名が参加した。10 年前
と異なり、経済封鎖を受け孤立していた共同体に対する人道的支援活動ではなく、
経済封鎖が解かれたのちの SB 社会の現状を視察しその内情を発信することが主
たる目的であった(Red de Hermandad y Solidaridad con Colombia 2011)15。
10 年を経て再び国際人道キャラバンへの参加が募集されたのは、同地域が依然
として抱える人権侵害と行政からの支援の不足という問題に加え、開発業者の侵
入による新しい脅威の出現を、国内外に広く発信するためであった。キャラバン
の視察内容とその報告は以下から構成された。
第一は、特定市町村におけるパラミリタリー組織の常駐と威嚇行為の継続で
あった。AUC は 2006 年に前ウリベ政権下での集団的武装放棄キャンペーンに
よって解体されたが、その後も「第三世代パラミリタリー組織」と称される武装
集団が各地で出現し、SB 地域も例外ではなかった。キャラバン巡回中も何度も
住民リーダーからパラミリタリーあるいは軍関係者からの脅迫に関する告発が
あった。第二はサン ・ ルーカス山系における違法鉱物採掘業者の侵入問題である。
同山系一帯の多くが森林保全地区であるが、環境保護規制を無視し重機を用いた
露天採掘を行う違法業者が後を絶たない。住民の証言によればパラミリタリー兵
が警備にあたっているという。第三は、SB 地域北部においてアングロゴールド・
アシャンティ社が金鉱探査を開始し、反対村民への脅迫が行われている点であっ
た。第四はアブラヤシプランテーション業者の強引な買収による土地収奪問題で
あった。反対する農民は強制移住に追い込まれたが、現在も告発を続けている。
― 50 ―
国際キャラバンへの参加規模は前回より縮小したが、外部者を招き入れる可視
化戦略は、内部運動家のリスクを軽減しつつ、彼らの証言とともに外部への発信
を可能にするという効用をもつ。
表 1:鉱業法の展開をめぐる FEDEAGROMISBOL の抵抗運動と政府の対応
年
1985
1987
1988
1989
1990
1994
FEDEAGROMISBOL の活動
ボリバル県都カルタヘナ市への行進
ボリバル県、サンパブロへの行進
ボリバル県、シミティへの行進
ボリバル県、モラレスへの行進
ボリバル県、ピニージョスへの行進
政府と武装組織の動き
鉱業法改正法案の提出
サンペール大統領合意書調印
(9 月 29 日)
、
1996 サンパブロへの大移動
大移動組織幹部への弾圧
バランカベルメッハ市への大移動、103 パストラーナ大統領合意書調印(10 月 4
1998 日間の占拠と集会。
日)
、大移動参加者 63 人殺害、SB 地域に
FEDEAGROMISBOL 結成。
対する経済封鎖開始
1999 「抵抗の共同体」宣言
2001 第一回国際人道キャラバン
新鉱業法公布 /SB に最初の 3ARE 承認
2002
軍・パラミリタリーによる経済封鎖解除
2003 パリの国際世論裁判所での証言
2005 SB 地域政府・民衆交渉委員会結成
FEDEAGROMISBOL 代表、ウリベ・チャ
2006
コン暗殺、鉱山エネルギー省、鉱区プロ
グラム導入
2008 SB 地域政府・民衆交渉委員会
2009 SB 地域政府・民衆交渉委員会
鉱山エネルギー省、伝統的鉱山採掘業者
2010 SB 地域政府・民衆交渉委員会
の合法化手続きの制度化
2011 第二回国際人道キャラバン
ノロシ市郊外共同体鉱山民殺害
2012 SB 地域政府・民衆交渉委員会再開
出典:Polanía(2003)および FEDEAGROMISBOL 幹部へのインタビューをもとに作成。
結びにかえて
FEDEAGROMISBOL が暴力の脅威と恐怖にもかかわらず、抵抗運動を続け
てきたのは、執拗な人権侵害に対して蓄積された憤りと、他に選択肢が残されて
いないという現実認識によるものであると考えられる。強制移住に甘んじること
は、ときにより安全な選択肢となり得る。しかし、強制移住者が大都市周辺部の貧
― 51 ―
存在否定された民衆の土地と生業を守る闘い―コロンビア、ボリバル県南部地域における鉱山民組織の事例
困地区に集積されてゆく状況を想起すれば、移住は必ずしも紛争地の住民には説得
力のある選択ではない 16。生業と生活圏を失うことは彼らが望む解決ではない。
ローカル・イニシアティブを維持し、環境にも配慮した持続的発展をめざす経
済プロジェクトを実施するには、技術支援と資金援助が必要となる。極限状態に
ありながら FEDEAGROMISBOL が社会運動として存続し得たのは、国内外の
支援を活用することができたからである。
生業の場に対する ARE という一定の法的保護を獲得した今後、どのよう
な展望があるのだろう。ARE は「一時的な留保」にすぎず、新鉱山法の基本
的ねらいは、あくまでも鉱物資源開発における多国籍企業の参入に対する規
制緩和にある。SB 地域の埋蔵鉱物資源がグローバルな資源争奪競争の対象の
一つであることは疑いもない。厳しい経済封鎖が解除された 2002 年以降も、
FEDEAGROMISBOL の幹部の殺害や村民への脅迫は続き、鉱山民が政府と開
発業者に抱く不信は払拭されていない。彼らは ARE の認定を得ることでかろう
じて第三者の大規模開発プロジェクトの参入を阻止できているが、ARE は現状
の生産活動の恒久的存続を保障するものではない。彼らがめざす「より環境に配
慮した鉱山採掘事業への技術革新」が実現されない限り、多国籍企業によって鉱
区を追われるリスクは高い。
一方、農民・鉱山民組織がとってきた運動戦略は、公共の場に出向く集合行動
から、外部者を現場に引き込む可視化戦略へと変化した。前者は規模の力で政府
の認識を高める効果はあったが、軍やパラミリタリー組織からの報復も促した。
人道的同伴活動やキャラバン巡回といった方法で外部団体を当事者地域に招き入
れることで、活動組織の安全が確保されると同時に、現場の情報の発信につなが
り、今日 SB 地域で起こるできごとが日常的にインターネットを通じて内外に知
らされている。国際世論の影響力が民衆の対政府交渉力の向上につながり、現在
まで「円卓地域交渉会議」を維持することができたのである。
付記
本稿は文部科学省科学研究費補助金による成果の一部である。投稿後に貴重なご指摘を賜った匿名
の査読者 2 名の方々にこの場を借りて厚く御礼申し上げる。本稿は査読結果に基づき加筆修正したも
のであるが、あり得るべき誤りの責はすべて筆者に帰するものである。
― 52 ―
注記
1
García(2006)は集合行動の発生要因、行為者、レパートリーの時系列分析を行ったが、特定地
域の事例を掘り下げてはいない。Hataya(2009)は草の根開発と和平を支援する NGO 活動について
社会運動存続の理由を議論した。だが、同国の紛争地の個別民衆組織の存続理由に関する学術的分析
は筆者の知る限りまだない。
2
例えば Prensa Rural のウェブサイト(http://prensarural.org/)や Mineros del Chocó のブロ
グ(http://minerosdelchoco.blogspot.jp/)には違法採掘業や多国籍企業の進出に対する抵抗運動の記
事が豊富である。
3
当時の農地改革法では不在地主は未耕作地としての接収対象となることを恐れたため、小作契約
の期限が迫ると農民の追い出しを行った。
4
コロンビアは南米最大の石炭生産・輸出国で、域内の 80% 近くを生産している。
5
本節は主にセンブラール事務所における筆者インタビューと Corporación Sembrar(2011)に基
づく。
6
ASOAGROMISBOL(当時)に加盟する零細鉱山民が開発し、合法化の対象となった鉱区はおよ
そ 4,400 ヘクタールに及んだ。
7
パラミリタリー組織の連合体で、
1997 年に結成された。2000 年時で戦闘員およそ 8000 人を擁し、
80 年代の左翼ゲリラの活動領域を凌駕する拡大をみせた。
8
1970 年代末には ELN がホセ・ソラーノ・スプルベダ戦線を、FARC が第 37 戦線基地を形成し
。AUC はのちに SB 部隊を配置する。
ていた(Fonseca, Gutiérrez, Rudqvist 2005: 35)
9
当時 AUC はマグダレーナ川流域に検問所を設置し、河川交通で移動する者を検問した。定めら
れた通行時間以外の移動は殺害の対象となった。
10
「特別留保地域」の訳は金属鉱業事業団(2002)を参考にした。
11
FEDEAGROMISBOL 幹部および鉱山エネルギー省担当者への筆者インタビューより。
12
市長もパラミリタリー組織と関連していることが多かった。
13
彼らの分析によれば、1997 年から 2007 年の 10 年間で、700 名以上がパラミリタリーもしくは
軍によって超法規的処刑の犠牲者となっている。
14
2008 年 12 月、FEDEAGROMISBOL 幹部への筆者インタビューより。
15
筆者は 8 月 5 日から合流し、9 日間行動を共にした。毎日滞在村の社会経済状況の視察と人権侵
害の調査を行い、住民との集会に参加した。
16
典型的な例は、首都ボゴタ郊外貧困地区における強制移住者の生活状況にみられる。その大半が
零細農業や牧畜、自給的漁業を生業としてきた人々だが、大都市での経済的自立化に至らず、一時的
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