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京阪電車 ・ 開 業 1 00 周年を迎えて

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京阪電車 ・ 開 業 1 00 周年を迎えて
京阪電車・開業100周年を迎えて
営環境下であがき苦しんでいる状
京阪グループ各社も大変厳しい経
と、明治
年の開業時には五条∼
がありますので、少し紹介します
た。現時点における最後の仕上げ
と大規模な投資も行ってきまし
況にあります。
天 満 橋 間 の 所 要 時 間 は10 0 分 で
りました大阪の中之島地区を東西
が、これまで鉄道の空白地帯であ
営環境の悪化以上の危機は、本当
を振り返ってみますと、今日の経
最終便として運転、所要時間 分、
には﹃日本初﹄の急行電車を夜間
分と順次短縮していき、大正
き な い か と 挑 戦、
る恐れのないほどの時間間隔をあ
年
月
日午前
時
年が経とうと
もちろんのこと、開業後も関係者
しています。開業前の準備段階は
の日からまもなく
喝采の中、一番列車が出発したあ
分。﹁ 万 歳!﹂ の 大 き な 声 と 拍 手
平成
た。
に貫く中之島線の建設でありまし
あったのを、少しでも早く到達で
に数多くありました。しかしなが
特別料金なしということで話題を
分、
ら、 そ れ ら の 危 機 は こ と ご と く、
呼びました。しかし、充分な信号
分、
先輩諸氏の知恵とたゆまざる努力
保安設備のない状態では、追突す
年
によって克服されてきた歴史があ
年 の 開 業 も、 実
ります。
例 え ば、 明 治
のご尽力により、中之島の風景が
ることができません。そこで大き
チフレーズに開業した中之島
﹁水の上の新都心へ﹂をキャッ
確実に変貌を遂げてきています。
な投資とはなりますが、
﹃日本初﹄
線。 こ の 言 葉 の 通 り、 中 之 島 が
ず、お客さまのご要望にお応えす
の﹁色灯三位式自動閉そく信号機﹂
けた深夜の最終便でしか運転でき
した守口変電所の変圧器の焼損に
を 導 入、 こ の 設 置 に よ り 昼 間 時 間
月
よって絶望的となり、技術陣の昼
はつまずきの中での出発でありま
が使われており、世の中にある電
夜兼行の修理の結果、何とか
史 が あ り、 鉄 道 技 術 に 関 し て も、
また、電鉄会社にはそれぞれの歴
で発生して、まさに満身創痍の状
線事故、更には電車線停電事故ま
には車両故障が発生、その後に脱
にお客さまの求めるものを感受性
営を行っていきたいと考えており
資本主義の父﹂、﹁実業界の父﹂と
わ が 社 京 阪 電 気 鉄 道 も、﹁ 日 本
講じて、業績の挽回・向上に努め
陥りましたが、様々な営業施策を
り、開業直後は極端な営業不振に
場させて、ロマンスシートでの旅
本初﹄の全鋼製ロマンスカーを登
現してきました。昭和 年には﹃日
延長線の開業、天満橋駅から萱島
う一つの役割をも担っていること
で な く、 文 化 を 創 出 す る と い う も
単なる輸送手段としての役割だけ
う こ と を 実 感 す る と き、 鉄 道 は、
を中之島線が担っているんだとい
す。そして、これらの人々の流れ
は、まさに水都の風景そのもので
ゆったりとした時間を楽しむ様子
り ま し た。 水 辺 に 人 々 が 集 ま り、
オフィス街でも見られるようにな
老夫婦など幅広い層の人々の姿が
曜・休日には家族連れやカップル、
少なかったところに人が集い、土
2 0 1 0﹂。 こ れ ま で 人 の 流 れ が
ス ﹂、 ビ ー チ バ レ ー、﹁ 水 都 大 阪
ま す。﹁OSAKA光 の ル ネ サ ン
水都大阪の象徴になりつつあり
気を使った設備はほとんど揃って
月
いるのではないかと思うほど多種
帯でも安全な急行運転を可能にし
それぞれに伝統があり特徴がある
豊かに受け止めまして、開発、実
ま す の で、 ど う ぞ よ ろ し く お 願 い
の楽しさをご提供した他、昭和
年にはテレビカーを登場させて人
第二次世界大戦期の阪神急行電
気を博しました。
の波と経営上の危機、それらは総
鉄との合併と分離を経て、高度成
そ の 間、 技 術 陣 が い く つ か の
駅に至る高架複々線、鴨東線開業
長期になりましてからは、淀屋橋
の10 0 年 に 一 度 と 言 わ れ る ほ ど
﹃日本初﹄を生み出してきた歴史
服されてまいりました。
力を挙げての奮闘努力によって克
と復旧、繰り返し襲ってくる不況
その後も、度重なる災害の発生
られたそうです。
年に創立され、今年の
2
の厳しい情勢になっており、わが
昨今の経済環境は、奇しくもそ
ました。
業10 0 周 年 を 迎 え る こ と が で き
月をもちましておかげさまで開
して明治
呼ばれた渋沢栄一を創立委員長と
サービス面におきましても、常
をさせていただくことになりまし
態での開業日となったこともあ
ました。
時
した。当初開業予定日とした
5
日に開業したものの、朝の
設備、コンピュータ、駅舎のエレ
19
3
多 様 で、 驚 い た 覚 え が あ り ま す。
日は、開業準備の試験中に発生
10
85
京 阪 電 車 の こ の10 0 年 の 歴 史
80
29
や防災設備など、実に様々な装置
20
90
というのが実感で、本当に興味深
9
いたします。
早 い も の で、 卒 業 し て か ら 早
年 近 く 経 ち ま し た。 電 気 を 動 力 と
す る 鉄 道 と い う こ と で、 電 気 系 学
科出身であれば何かの仕事があろ
うと考えて鉄道会社に就職しまし
た が、 鉄 道 に は 送 配 電 か ら 信 号 装
置、 無 線 電 話 や 電 話 交 換 機、 通 信
39
12
43
ベータ・エスカレータ、空調装置
関西支部長
上 田 成 之 助 ︵昭 年卒︶
京都市西京区京都大学桂
075-383-7014
www.rakuyukai.org
た。 支 部 会 員 の 皆 さ ま の ご 協 力 を
15
1
2
洛 友 会
いところです。
40
い た だ き な が ら、 開 か れ た 支 部 運
数年ぶりに洛友会のお手伝い
10
60
〒615-8510
47
4
43
京都大学電気系専攻内
4
4
平成22年 10 月 15 日
洛 友 会 会 報
(1)
第230 号
を再認識するのです。
け継いでいます。時流に流される
両網を分析すると背反性が明瞭
︵邦貨約
秘密漏洩やサイバー攻撃の経済
的 被 害 は$ 1 0 0 0
100 兆円︶に達し、安全保障に
名誉教授だより
本来、公開情報に適する。従って
も重大な影響があると発表、と外
で、旧網は守秘性が高く、新網は
める﹁今時の若者﹂に期待します。
守秘性も要求する公共用通信網に
紙記事で知った。︵※︶
今の世代よりも、技術の本質を求
迎 え た 昨 年 秋、 中 之 島 線 に 関 す る
これは、情報や通信網が専門と
IP 網を使うのは理に逆らう、と
年を
うれしいニュースが舞い込んでき
は言えない一人の年寄りの、IT
そして開業からちょうど
駅﹂と中
ま し た。﹁ 中 之 島 線 の
よる集中制御方式で、電話をダイ
昔の回線交換電話網は交換機に
意の妨害・攻撃など各種のトラブ
惑 メ ー ル、 情 報 の 漏 洩・ 詐 取、 悪
IN の発展と共にウィルス、迷
貨数百億円︶を要する、との米企
対策には少なくとも数億ドル︵邦
まの生活に密着した当社のグルー
事 業 は 成 り 立 ち ま せ ん し、 お 客 さ
沿 線 と い う 地 域 な し で は、 鉄 道
頭 に 浮 か び ま し た。 新 情 報 通 信
若 者 ﹂ な ら ぬ﹁ 今 時 の 通 信 ﹂ が
若 者 へ 一 文 の 依 頼 を 頂 き﹁ 今 時 の
が、 木 村 磐 根 先 生 か ら 洛 友 会 報 に
久しくご無沙汰していました
に応じた制御も可能である。
御方式は、網の状況を監視し必要
総合的に実現できる。また集中制
計から運用・改良に至る全技術が
質の国際標準を確保するよう、設
池上
交換機とトラフィックの関係など
文夫
年卒 京都大学名誉教授︶ は数学・物理学・通信工学など学
問に基づき定量評価され、通信品
が、実態は全く発表されない。
の重要機関への攻撃も報じられる
な 内 容 は 企 業 秘 密 と も 聞 く。 各 国
各種の対策があるようだが、詳細
企業などに対する妨害は重大で
で﹁もぐら叩き﹂の繰返しとなる。
講じても敵は更に新手を考えるの
契約の実現に最大の努力をすれば、
初 め て 知 っ た の が I N で あ っ た。
の責任と考えたからである。
く、 解 決 は 明 ら か に 技 術 と 技 術 者
と化したが、これは倫理問題でな
の 矛 盾 がI N を 性 善 説 の 無 法 社 会
を好まぬIN の自由・公平の哲学
素人の考察を進めた。法律の規制
IN への疑問は本物と感じ、更に
.INの基本的欠陥
プ 全 体 の 事 業 も 成 り 立 ち ま せ ん。
専門家も﹁この程度の被害は新
実現できなくとも損害賠償義務は
これらの記事に元気付けられて
業幹部の話題もあった。︵※︶
も具体化したようだ。IN の安全
﹁3000系車両﹂がそれぞれ別部
ヤルすると交換機は相手との直通
年程前であった。
門で﹁グッドデザイン賞﹂を受賞。
専用回線を接続し、公共網の通信
ルが次々に発生した。その対策を
が、今から
ま た、 時 を 同 じ く し て、 な に わ 橋
の守秘を第一義とした。伝送路や
今回の受賞は、
﹁中之島﹂という地
︵IN と略記︶の輝かし
internet
い 成 果 に 踊 る 人 々 と 裏 腹 に、I N
技術には付き物で、誰もが安くて
無いとの契約形式という。
りました。﹁3000系車両﹂は先
に 発 表 さ れ た 鉄 道 友 の 会 の﹁ ロ ー
レル賞﹂とのダブル受賞となりま
した。
はじめに
︵昭
域 を ど う 活 性 化 し て い く の か、 京
の理解を超える摩訶不思議な現象
便利と喜んで使っているからいい
自社の欠陥商品をリコールして
化庁長官賞﹄﹂を受賞することにな
阪 電 車 は ど う 臨 ん で い く の か、 と
︵I
に 世 界 は 殆 ど 目 を 塞 い で い ま す。 じた網を経て internet Protocol
今 時 の 通 信 で は﹁ ア プ リ︵ 応 用 ︶﹂ P ︶を用いるIP 網のIN が、世
ではないか﹂と呑気のようだ。世
大企業が危機に陥る例を多数見る
︶として
の 計 算 機 網︵ ARPANet
米国で生まれ、大学・研究所の閉
の生残りを意識した自律分散制御
IN は冷戦時代、交換局破壊時
な公式表明は何故か全く無い。
責任と強く警告すべきだが、そん
般ユーザに十分説明し被害は自己
に は 為 す 術 も 無 く﹁ こ れ が 単 な る
通信網の将来は心配だが年寄り
現 実 にI N は 安 全 性 も 品 質 も 保 証
し得るのかと強い疑問を感じたが、
︵最大の努力︶
﹂
たが、
﹁ Best Effort
型︵BE 型と略記︶契約の存在を
︵保証︶
﹂す
契 約 は﹁ Guarantee
る︵約束は守る︶ものと考えてい
型契約
Best Effort
いうテーマで対話したその姿勢を
界の計算機網として商用化され
の 中 I N へ の 疑 念 は 殆 ど 見 え ず、
IP 網のパケット交換系は、異
伝 送 し 伝 送 効 率 が 高 く、 各 種 デ ィ
見 失 う 風 潮 が 若 者 の﹁ 技 術 離 れ ﹂
.
まずは評価されたものだと思いま
の奔流に乗じて稼ぐ人々が注目さ
各国政府も将来の通信網には完全
開 業 10 0 周 年 を 迎 え た 今、 次
いかなければなりません。
ジタル情報形式に対する柔軟性に
今の社会で、BE 型の契約が存在
を助長していると思われます。
京の街は千年の昔から時流に流
しないBE型の典型らしい。
IP化を目標と考えている。
さ れ ず、 本 質 を 見 失 わ な い 伝 統 を
杞憂なら良いが﹂と思っていた。
我々庶民は少数の保証型︵G型︶
富み、交換機能は単純で安価など、
月、 オ バ マ 米 大 統 領 が
築 い て き ま し た。 京 都 大 学 は そ の
昨年
多くの優れた特長をもつ。
なる各種情報パケット群を時分割
3
流 れ を 汲 み、 洛 友 会 も そ の 心 を 受
5
な る10 0 年 に 向 け て 決 意 を 新 た
にする次第です。
本来、IN の本質的リスクは一
す が、 結 果 は こ れ か ら 導 き 出 し て
た。
.昔の通信と今時の通信
駅の交流施設﹁アートエリアB1﹂ 時流に流されず
に お け る 社 学・ 地 域 連 携 文 化 活 動
本質を見失わず
︱ INの摩訶不思議 ︱
6
れ、 背 後 に あ る﹁ 通 信 の 本 質 ﹂ を
が﹁ メ セ ナ ア ワ ー ド 20 0 9﹃ 文
2
大統領の発言以来、IN の報道
の素人の素朴な疑問を感じたの
bn
の将来に対する余計な心配です。
1
之島線開業に合わせて新造した
4
1
22
第230 号 (2)
洛 友 会 会 報
平成22年 10 月 15 日
IN の実用の姿の中にも不思議
べない摩訶不思議な技術である。
︶
を保証せず、更に安全性︵ Security
を含めた通信網のQ RS を保証し
契 約 の 経 験 は あ る が、B E 型 に は
ないことは、国の重要なインフラ
跋扈を産む元凶でもある。
合理的な従量料金制の採用には
Q RS の正確なコスト勘定が必須
研究から実用化への決断には広
汎綿密な検討が必須だが、非通信
の専門家には無理であった。
ベル研究所︵研究実用化の哲学の
こ の テ ー マ か ら 除 外 さ れ て い た。
に デ ー タ 通 信 の 研 究 を 禁 止 さ れ、
当 時 A T & T は 独 禁 法 でF C C
Q RS に対する責任の分担にも
で、論理無きINには難しい。
料金制であるが、本来は通信の情
不 思 議 が あ る。﹁ B E 型 ﹂ I N で
がある。例えばIN は今なお定額
.コストと料金制度
で物品の売買や交通機関の利用な
の資格を疑わせると考える。
報 量・ 速 度・ 距 離 に 依 存 す る コ ス
全 く 経 験 の 記 憶 も 無 い。 日 常 生 活
ど に 一 々 契 約 は し な い。 恐 ら く こ
れ ら は 売 り 手・ 買 い 手 の 間 に 十 分
トに基づく従量制が原則である。
他 方﹁B E 型 ﹂ 契 約 は、 契 約 者
G型﹂契約とでも呼べよう。
ど は 相 互 信 頼 に 基 づ く﹁ 無 意 識 の
法 理 論 に は 疎 い が、 日 常 の 売 買 な
的 特 性 は 記 述 で き な い で あ ろ う。
できなければ、現実世界でも普遍
テムの動作が物理学の論理で記述
な世界を創ったが、その通信シス
に論理学に基づくヴァーチュアル
ルータは機能単純、定額制の低料
光ファイバ網のコストは無視でき、
あった。回線交換網の置き土産の
コストは無視できる﹂との神話が
IN 商用の初期に﹁IN の伝送
のユーザの自己責任である。
妨害対策は元より、損害も﹁素人﹂
は端末諸装置・IN 利用料・各種
と、今更ながら非常に残念に思う。
は全く違う姿になったであろう
産みの親︶の協力があれば、IN
な﹁専門家﹂集団は殆ど無責任で
と共に発展してきたが、学問無き
これまで新技術は学問の裏付け
間に相当強い信頼関係がある時に
IN が、そのシステムの性質や特
り現在の混迷に導いた。その行先
IN はその後﹁アプリ﹂のみに走
にはINの破綻が垣間見える。
システムの改良・改革の動機付け
合理な責任分担構造である。
が無く、運営上極めて非効率・非
他 方、 通 信 会 社・I S P の 高 度
限 ら れ る だ ろ う。 し か しI N 契 約
性を普遍的に記述できない理由
例えば通信網を創るには、通信
係 は 無 い。 I N は 何 故﹁ B E 型 ﹂ は、この点によるとも考えられる。
を 用 い た の か? を 考 え た 結 果、 次
か。自律分散の名目で技術の進歩
に進歩が殆ど無いのはそのせい
するパケット交換網の基礎理論の
か。一つはIN の﹁BE ﹂を解消
技術はこれから何を為すべき
で GByte
の映像が飛び
YouTube
回 り、 日 本 で は 昨 年 来I S P︵ プ
年超。IN の本質
伝 送 路・ 交 換 機 の 所 要 特 性 な ど、
実用化以来
システムの仕様を決める。しかし、
研究。決して易しくはないが。せ
の目的・品質などの目標を設定し、
そ れ は、I N に は 通 信 の 特 性 や
を妨げる責任分担を採用した。
の解答に到達した。
品質を決定する基礎理論が無いか
ロバイダ︶は異常な大量情報発信
めて計算機シミュレーション? 人
基 礎 理 論 が 無 いI N は 自 分 で シ ス
類は今、超規模の実物で壮大な実
ら で、 そ の 原 因 は パ ケ ッ ト 交 換 に
験中。このデータを活用しない手
.摩訶不思議の総括
IN の摩訶不思議の原因は全て
は無い。
のユーザの規制を開始した。光の
基礎理論の欠如と非論理的構造
二つには全く新概念の最終網の
普 及 が 遅 い 欧 米 で も、今 年
で、この﹁学問無き技術﹂は技術
開発。各国の次︵新︶世代ネット
では何故IN が存在するのか?
それは昔からの電話網施設をその
iPhone の出現で通信企業は広帯
域網の投資が必要と騒ぎ︵※︶
、更
そ の よ う なI N が 何 故 生 ま れ た
者が取扱う範疇外とさえ感じる。
パケット交換は蓄積交換の一種
で、 送 信 点 か ら の パ ケ ッ ト 群 は 状
まま借用したからで、IN に最適
に広帯域情報の急増でグーグルの
足分を補う特別料金を支払えと求
や
iPad
況により様々な経路で受信点に到
﹁タダ乗り﹂を非難し、定額料の不
国 内I N の 通 信 量 は 半 導 体 集 積
ヶ月︶
若し、この年寄りの意見を訊ね
ワ ー クN G N ︵N W G N ︶ の 研 究
はまだ見通し不十分のようだ。
当時は大学・研究所の研究者が
の閉じた網が公
の か? ARPANet
開のIN に移る頃、技術者の判断
な網構成は設計できない。
再 現 す る。 そ の 過 程 で 符 号 誤 り や
倍/
める報道もある。
︵※︶
IN は自律分散の自由・公平に
守秘情報と公開情報を統一網で
IN は、これに対する将来の対策
扱うのは疑問があります。新・旧
保 証 で き る 対 象 が 無 く、 現 状 で は
通 信 の 実 経 験 が 不 足 の 関 係 者 は、
く 輻 輳 障 害 も 無 か っ た で あ ろ う。
られれば、次の答えでしょうか。
実に百万倍の﹁不公平﹂である。
運用し悪人は不在、通信量も少な
つまり﹁BE型﹂のINは設計・
と
も 拘 ら ず、 定 額 料 金 制 は kByte
改良・将来対策も論理的にできず、
% は迷惑メール
.もう一つの問題点
更にメールの
点しか取れない。独立な別網
両網は全く背反的で夫々は原理的
に
50
90
で、定額制こそは有害情報の跳梁
の良好な実験結果から実用
ARPA
可能と速断したと推測される。
無かったのであろう。
︶ や 信 頼 性︵ Reliability
︶ ざるを得ない。工学的技術とは呼
Quality
凡そ原始的なシステムとでも言わ
︵
基 礎 理 論 の 無 いI N が 通 信 品 質
を立てる理論の筋道すら無い。
数 年 で 通 信 量 は 千 倍 に 達 す る。
に近い速さで増え、このままでは
パ ケ ッ ト の 消 失 も 起 こ り 得 る が、 度のムーアの法則︵
パ ケ ッ ト 群 の 経 路 が 不 定 で、 受 信
18
﹁BE型﹂契約形式の選択以外には
特性などの基礎理論の欠如により
2
の 情 報 量 が 同 料 金、 隣 家 へ
GByte
と地球の裏側への通信も同料金で
終わりに
7
に誤りがあったと想像する。
達 し、 遅 延 時 間 を 補 正 し て 情 報 を
テムの合理的設計ができない。
20
あるらしい、ということである。
の映像の時代、嘗て
える streaming
の神話は消えつつある。
者間には日常的以上の深い信頼関
.責任の分担構造
な 信 頼 関 係 が あ る か ら で あ ろ う。 学問の上に作られた。情報学は主
6
帯域
金 で ペ イ で き た。 こ れ は kHz
帯域を超
の時代のお話。今は MHz
近代技術は数学・物理学の基礎
5
10
4
平成22年 10 月 15 日
洛 友 会 会 報
(3)
第230 号
その折の冷や汗とともに今でも思
や く 鉾 を 納 め て 下 さ っ た こ と を、
出して下さり、上之園先生がよう
︵越後よもやま話その壱︶啄木鳥
ります。
の神器ともいえるものになってお
撃 の 指 揮 を 執 り ま し た。 軍 師 の
た。一方、山本五十六は真珠湾攻
田信玄に啄木鳥戦法を進言しまし
ならば夫々百点満点が可能です。
公 開 網 は 現 在 の オ ー プ ンI P 網
会員寄稿
でも結構。守秘網は回線交換網︵光
DNAが、 ど こ か で 繋 が っ て い る
石と良寛の書
︵越後よもやま話その弐︶夏目漱
ものなのでしょうか?
︵キツツキ︶戦法と真珠湾攻撃
代当主の牧野忠
昌 氏 の お 話 に よ れ ば、﹁ 長 岡 藩 の
長岡藩牧野家
家老次座連綿の山本帯刀家は山本
夏目漱石は生来胃弱であったよ
卒業後は長岡高専に勤め、かた
い出します。
交 換 も 考 慮 ︶ か、 閉I P 網 を 使 い 卯本研の思い出と
越後よもやま話弐題
わら、博士の学位と技術士の称号
勘助の兄弟の家系である﹂という
うで、結局、それが命取りになり
ま す。 コ ス ト は 掛 る が、 も ぐ ら 叩
を取得することができました。小
ことです。系図は種々あるようで
ました。
卯本研の思い出
新潟県のPR二題です。
卯 本 重 郎 先 生 へ の 感 謝 の 念 と、
し、 今 世 紀 中 頃 の 革 新 的 方 式 の 完
年生ま
れると周りの状況が気にならなく
ました。卯本先生は思索に集中さ
り、﹁ タ レ ー ス 会 ﹂ と 応 募 い た し
卯 本 研OB会 の 名 称 の 公 募 が あ
間違いのないことなのでしょう。
直 臣 で あ る ほ う が 格 上 に な る ︶、
家で陪臣を務めるより、今川家の
う伝承があることなどから︵牧野
初、今川家への被官を望んだとい
︵勘助の勘と同じ︶、山本勘助が当
勘右衛門を名乗っていることや
たといいますし、その当主が代々
とから、終生、二人は親しく交流
に森成医師が漱石に付き添ったこ
﹁修善寺の大患﹂︵明治
まります。更に、いわゆる漱石の
に入院︵明治
師との出会いは、漱石がこの病院
勤務していました。漱石と森成医
区内幸町にあった長与胃腸病院に
身を卒業後、一時、東京都千代田
れ︶ですが、東北大学医学部の前
萩平の旧家の出身︵明治
瑞宝中綬章を受章されたことを
なり、その結果、躓いて転ばれた
山本といえば、現在の長岡市で
することになります。
るのが今世紀の仕事でしょう。
以上
素 人 の 年 寄 り が﹁ 今 時 の 若 者 ﹂
︻謝辞︼
日に、卯本重郎先生が
わせた方が良くはないか?﹂と会
の 当 主 は 捕 ら え ら れ て 斬 首 さ れ、 ﹁ 大 丈 夫 だ ろ う か? 子 供 さ ん に 逢
戊辰戦争の折、当時の山本帯刀家
話していたら、漱石が突然目を開
が、もう一人の医師とドイツ語で
月
年︶の折
幸 い、 音 を 採 用 し て 頂 き、﹁ 他 励
その後、長岡藩の罪を背負って家
月の卒業後まもなく
寿 ぐ祝賀会が京大会館で開催さ
り溝に落ちて怪我をされたりと大
は何といっても山本五十六氏で
漱 石 は こ の 折、 修 善 寺 で 本 当 に
寿 会 ﹂ と、 よ り 卯 本 研OB会 に ふ
名断絶の憂き目に遭いましたの
年
れましたので、何をさておいても
変危ない方なのです。これは、少
す。しかし、五十六氏が件の山本
死 に か け た よ う で す。 森 成 医 師
特別研究では電力回路網の進行
さわしい名前にして頂き現在に
昭和
と思い出席させて頂きました。研
年の頃に読んだ、最初の哲学者と
帯刀家の後裔であることを知る人
も足が遠のいていました。しかし
究室でご指導を頂いた我々は年齢
言われるタレースの逸話そのもの
は 長 岡 市 民 で も 少 な い よ う で す。
﹁学問有るIN﹂
を創り、
十九世紀か
相応に外貌が変わってしまってお
であると思いました。そこで、タ
今年
りますが、卯本先生の温顔は学生
レ ー ス 会 と 応 募 し た 次 第 で し た。
波 を テ ー マ に、 当 時 助 手 を し て お
至っています。
か も 知 れ ま せ ん。 五 十 六 氏 は 名 家
で、それもやむを得ないことなの
ます。
う、笑うに笑えない話が残ってい
言って、また目を閉じたなどとい
き、﹁ 私 は ま だ 死 に ま せ ん よ ﹂ と
こ の 他 励 寿 会 の 名 称 の こ と と、
で あ る 山 本 帯 刀 家 を 再 興 す べ く、
年に卯本先生が退官された
折に先生から頂きました﹁血液型
他家から養子に入った人です。
平成
とで質問があり、不勉強であった
相 関 図 ﹂、 そ し て、 こ の 度 賜 り ま
3
上之園親佐先生から架空地線のこ
私は立ち往生をしてしまいまし
種
森 成 医 師 は そ の 後 ま も な く︵ 明
した﹁印鑑ケース﹂は、私の
山本勘助は、川中島の合戦で武
た。そのとき卯本先生が助け船を
して頂きました。その審査の折に、
られた原武久先生と院生でおられ
10
た福森孝司さんに直接のご指導を
43
43
ら築き上げた通信工学に結びつけ
に未来を託す所以はここにありま
た く お 変 わ り な く、 と て も 喜 ば し
︵※︶印は岩噌弘三氏︵昭 年卒︶ 時代に印象付けられたお顔とまっ
す。
いことでした。
ご協力に深く感謝致します。
年︶したことに始
提 供 の フ ィ ナ ン シ ャ ル・ タ イ ム ズ
上越新幹線が開業して以来、関
成を待つことにしましょうか。
これを当面の世界統一方式と
年卒・東北支部︶
さな研究でしたがそれなりに山や
す が、 山 本 家 は、 牧 野 家 が 三 河・
︵昭
谷がありました。それにもかかわ
牛久保に在城当時、今川家から派
岡田
清
らずあきらめないで研究に取り組
き で は な く て、 本 質 的 な 安 全 確 保
めましたのは、卯本先生から賜り
遣された七家のうちの一家であっ
の 対 策 で す。 但 し、 閉I P 網 は 完
ました温かいご指導の御蔭と、心
46
紙 の 情 報 で す。 同 氏 に よ る 不 断 の
17
全な物理的隔離が必要です。
﹁学問ある技術﹂を目指すには基
から感謝いたしております。
森成麟造医師は上越市安塚区真
礎からの長い積み上げが必要です。 東圏が時間的に近くなり、京都に
17
3
4
46
6
28
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洛 友 会 会 報
平成22年 10 月 15 日
これまでに観光地として有名なエ
こ ろ を 紹 介 で き れ ば と 思 い ま す。
お返しに、ごめんなさいのお返し
ような意味ですが、ありがとうの
直訳すれば﹁心配ないよ﹂という
ないような気がします。
が豊富なこととかとは直接関係が
こんなメルボルンで日本と比べ
て 安 い の は 何 と い っ て も ゴ ル フ。
日本のようにサービス・手入れは
ましたが、この大きな国全体から
道端に並べられたレストランの
ま す。 み ん な お し ゃ べ り 好 き で、
いらないという感じで使われてい
かっているものは高いように思え
的に高いのですが、特に人手がか
ろに行き当たります。物価は全般
ゴ ル フ 三 昧 の 生 活 を 続 け な が ら、
る の が う れ し い。 も う し ば ら く
回れるコースが近くにたくさんあ
丁
アーズロックやグレートバリア
ドル程度で
みたらほんの一部分。そんな中で
オーストラリアを満喫しつつ、外
良くありませんが、
日 に 高 田 高 校 で 講 演、 同 日、 わ く
オーストラリアを語ろうとしてい
ます。聞いてみたら最低賃金はア
れの違いではないか、というとこ
ら 楼、 越 後 国 分 寺 を 見 て 再 び 森 成
テーブルや、夜はパブに集まって
年 ︶ 帰 郷 し、 上 越 市 本 町
目 に 医 院 を 開 き ま す が、 漱 石 と の
に、何か問題が起きても、心配は
医 院 に 泊 ま る、 な ど と い う こ と も
るのはいささか無謀な気もします
から日本を見つめていきたいと思
治
親 交 は 変 わ ら ず に 続 き ま し た。 漱
リーフなど旅行には何箇所か行き
考えを進めていくと、お金の流
石 が 夫 妻 で 森 成 医 院 に 泊 ま り、 翌
あ り ま し た。 漱 石 の 作 品 に 出 て く
ドル︵約1200
とバレーボールと格闘技が合わ
ます。中でもラグビーとサッカー
う雰囲気がありますが、それはこ
いサービスはただで当たり前とい
点 を 入 手 し て い ま す。 こ れ
の直前の同年春に念願の良寛の
がらに飛びまわっているのも不思
色のきれいなオーム類も熱帯さな
にしたような顔でみています。原
いて、人が打っていると、小馬鹿
すが、近郊の街にそれぞれのチー
心としたリーグ戦が行われていま
上がっています。メルボルンを中
フットボールは地域をあげて盛り
われていますが、一生懸命作り込
ることが絶対のように企業活動行
では、いい品質のものを安く届け
こでは常識ではありません。日本
の 良 寛 の 書 は、 秋 に は 帰 ら ぬ 人 と
の 位 が ︶ 高 い ﹂ の だ そ う で す。 こ
の国のようにイメージしていまし
のは、アジア人の多いこと。白人
でも、赴任してきてまず驚いた
活躍やスキャンダルの話題で飾ら
ています。新聞一面は毎日選手の
達も学校の体育や遊びでよくやっ
的にサポートしています。子ども
を 使 っ て よ い サ ー ビ ス を 受 け る。
りと対価を払う。それで得たお金
せん。良い品質のものにはしっか
安売りをしている店は見当たりま
す必要がありますね。ここには超
は誰のためなのか、よく考えなお
含め、いかにセカンドライフを楽
と、その記事内容は、悠々自適を
大学の同窓会報への寄稿となる
︵昭
門田
浩
現役をつづけること
います。
ルバイトでも
円 ︶、 そ れ も 失 業 保 険 つ き。 日 本
の は し と い っ た 動 物 達。 カ ン ガ
さったようなオーストラリアン
ではいくらだったでしょうか?
ルーはちょっと郊外のゴルフ場に
円とか、よ
の 具 現 者 と み て、 そ の 境 地 を 理 想
行くと普通にぴょんぴょん跳ねて
は、 森 成 医 師 の 斡 旋 に よ る も の な
んだ品質をただ同然で提供するの
な る 漱 石 へ の、 何 よ り の プ レ ゼ ン
たが、いろんな人種の人々で街は
れ、その話題で話がまた盛り上が
年卒・東京支部︶
トだったのではないでしょうか?
るわけです。
も外国人を含めたものになるわけ
ということで、国民性といって
%が移民で占められてい
高橋
代からは世界中から移民を受け入
昭彦
︵昭 年卒・中国支部︶ れる政策をとったこともあり、今
る オ ー ス ト ラ リ ア で す。 そ れ は、
り上がっている、そんな感じのす
停滞した感じとは裏腹になぜか盛
り、不思議でもあります。日本の
しているところは羨ましくもあ
とばかりに皆さん楽しそうに生活
ますが、そんなことはどこ吹く風
世の中には不景気風が吹いてい
気に大きな影響が出てくることは
フットボール並に盛り上がれば景
チ ー ム が あ り ま す が、 こ ち ら の
広 島 に は プ ロ 野 球 もJリ ー グ も
も大切なことですね。私の出身地
先述したスポーツの盛り上がり
らいのバブル復活が待たれます。
お金が回る日本、ちょうどいいく
を送っている。なぜだろうか。
夜にタクシーで帰宅する様な毎日
と女房に別れを告げ、たまには深
働いている。毎朝、行ってきます、
切ってしまう。いまだにあくせく
念だが、私は皆さんのご期待を裏
れているのではないだろうか。残
しんでいるか等の読み物を期待さ
オーストラリア第二の都市メル
58
るといいます。
20
たことは有名ですが、1980 年
に い れ ば 豪 に し た が え、 と ば か り
ボ ル ン に 赴 任 し て き て 早 二 年、 豪
ですが、とても明るくて活動的で
間違いありません。
では約
に な じ ん で き た の で、 気 が つ か な
どうも国土が広いとか、天然資源
義務教育化している高校教育課
す。口癖は No worries 。
46
くなる前にこの国のユニークなと
豪にいれば豪にしたがえ
溢れていました。元々、流刑地と
2
してイギリスからの移民が始まっ
書・
の で す。 漱 石 に よ れ ば、 良 寛 の 書
ムがあって、地域の人たちが熱狂
0
議な感じがします。
日本ではスマイル
年 の 秋 に 他 界 す る の で す が、 そ
ユニークなスポーツも数々あり
わっています。
は大笑いしながら語り合う姿で賑
オーストラリアでまず思いつく
15
と す る よ う に な り ま す。 彼 は 大 正
漱石は晩年、良寛を﹁則天去私﹂ の は、 カ ン ガ ル ー・ コ ア ラ・ か も
教えたのは、この森成医師です。
が、そこはご容赦ください。
2
る 越 後 の 粟 飴、 笹 飴 な ど を 漱 石 に
30
44
は﹁︵字が︶うまい、のではなく、︵字
5
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洛 友 会 会 報
(5)
第230 号
と し て のCF悪 化 は 言 う ま で も な
な い 愛 情 的 愚 行 な の だ ろ う。 結 果
を す る、 こ れ は 親 で な く て は で き
の に、 せ っ せ せ っ せ と 追 加 の 投 資
で あ る。 回 収 の 見 込 み が 不 透 明 な
庭経済の観点からいえば不良資産
程 を ま だ 終 え て い な い 息 子 は、 家
込みシステム﹂あるいは﹁組込み
のりが遠い世界である。皆様は﹁組
からの課題を抱え、なお解決の道
とはなにであろうか。それは古く
だに現役面をして働けるドメイン
こんな還暦すでに通過族がいま
るし、働かざるを得ないのである。
ある。ソフトウェアをいかにして
とが主流となった。ところが、で
手軽なソフトウェアで実現するこ
能をめざし、あれもこれもと一見
し、応用製品がより多機能、高知
現はずいぶんと楽になった。しか
用いるようになったおかげで、表
︵ 独 ︶ 情 報 処 理 推 進 機 構︵IPA︶
参 加 し な さ い ﹂ と い わ れ、 翌 年、
ソフトを強化する組織を作るから
2003 年に経産省から﹁組込み
浮 気 し た。 そ れ が 後 々 幸 い し て、
し て は 落 第 で、 ソ フ ト ウ ェ ア に
し か し、 マ イ コ ン 設 計 技 術 者 と
オープンエンドな戦場である。つ
回 る た び に ハ ー ド ル が 高 く な る。
化 し、 し か もPDCAサ イ ク ル が
それぞれの基準は時代と場所で変
こ れ ら は 果 て し な い 仕 事 で あ る。
改善、効率改善である。基本的に
フトウェア工学の適用による品質
れ る 始 末。 夫 婦 そ ろ っ て の 旅 行 な
三 者 面 談 な ど と、 休 日 も 担 ぎ だ さ
器に﹁組込まれた、あるいは内蔵
ではない、組込みである。電子機
じだろうか。綴じ込みや折り込み
りに工夫されているのだが、結局
いという設計書、それは、それな
﹁ 人 手 ﹂ で あ る。 何 を 実 現 し な さ
作 成 す る か。 こ れ が こ の 時 代 に、
政法人である。昨今の事業仕訳に
な っ た。 ち な み にIPAは 独 立 行
ものが創設され、そのメンバーと
リ ン グ セ ン タ ー︵SEC︶﹂ な る
の中に﹁ソフトウェアエンジニア
年
あったが、少し尾ひれがつく。今
と、 こ こ で 終 わ り そ う な 話 で
り仕事はなくならない。
まり我が脳味噌がついて行ける限
い。そればかりか、やれ部活応援、 ソフトウェア﹂という言葉をご存
ど夢のまた夢なのである。
技術者が意味を読み取り、彼の頭
月 末 にSECの 現 場 を 退 き、
された﹂ソフトウェアである。そ
の は 研 究 に 頭 脳 を 使 い、 常 に 好 奇
学の先生が意外に若々しいという
稚 園。 お 母 さ ん 方 も、 で あ る。 大
若 い。 先 生 も し か り、 保 育 園、 幼
級生の両親は少なくともひと世代
さ ら に 下 司 な 視 点 で は、 息 子 の 同
というより遺伝子を残し続けたい
資産の健全化という使命感は愚行
主 は 元 気 で 留 守 な の で あ る。 不 良
貧 乏 暇 な し、 そ し て な に よ り も 亭
噌の量を増やしその知能の拡大を
技術、のおかげで、飛躍的に脳味
動にもかかわらず高速動作させる
素子を詰め込んだうえに、電池駆
コン破片の上に、数千万個も演算
なわち数ミリ角にも満たないシリ
不 思 議 な 快 感 が 伴 う も の で あ る。 かったわけだが、半導体技術、す
と い う 本 能 に 従 う 行 動、 そ れ ゆ え
可能にした。電子機器産業の期待
性 能 で、 た い し た 仕 事 は で き な
昔はメモリも高価、マイコンは低
電子頭脳の﹁脳みそ﹂部分である。
器に内在するようになった、その
で電子計算機システムが様々な機
好である。いわば工場はフル稼働、 う、マイクロコンピュータの出現
分かりになるだろう。
にも影響しており事の重大さがお
る。さらに最近では社会インフラ
等など多様であり問題に輪をかけ
制 御、 家 電、 ゲ ー ム、 自 動 車 制 御
ン、そして応用分野は通信、工業
算機は様々なクセがあるマイコ
しかも組込みでは頼りにすべき計
悪 い こ と が 容 易 に 想 像 さ れ よ う。
である。また、作業効率は極めて
ラーが出ないわけがない。出るの
て表現する。これでヒューマンエ
電子メディア上のプログラムとし
の中で処理手順を設計し、それを
フトウェア開発全般の問題であ
この問題は﹁組込み﹂に限らずソ
まぁ不思議な御縁である。
た本学の先輩、松田晃一氏である。
SECの 所 長 は と 言 う と、 ま た ま
しいのだが、攻守ところをかえて
昨 今IPA、 と く にSECに は 厳
学の松山隆司先生である。先生は
委 員 会IPA分 科 会 の 委 員 長 は 本
う。余談であるが、独立行政評価
の憂き目にあっていたことだろ
を続けていれば今頃はリストラ
は当然さらされているが、半導体
がこなければしばらくここを根城
るかは少々疑問符がつくが、飽き
ム 技 術 協 会 ﹂、 名 が 体 を 表 し て い
の名前も﹁社団法人組込みシステ
思ったからである。その業界団体
の成果を業界の現場で試したいと
弊害を断ち切ること、それと
こ と の︵ き っ と あ る に 違 い な い ︶
もSECで 同 じ ポ ジ シ ョ ン に 居 た
まった。理由の一つは足かけ
別の業界団体に母屋を移してし
し か し、 副 次 的 効 果 は 意 外 と 良
心に満ちた脳活動をしているばか
の 星 か も し れ な い。 だ が し か し、
要 は 計 算 機 の プ ロ グ ラ ム で あ る。
脳 味 噌 の 実 態 は ソ フ ト ウ ェ ア、
スは1988 年、
年と売上世界
のぼる。日本電気の半導体ビジネ
半導体部門に配属された時にさか
は、はるか昔に日本電気に入社し、
このような世界に入るきっかけ
し、現場には専門家がいない。組
気が付けばソフトウェアが増殖
た。ただし、組込みは穴であった。
1970年代から取り組んでい
り、ソフトウェア工学の専門家が
年
り で な く、 環 境 と し て 常 に 学 生 と
何事にも落とし穴はある。
徊 す る の は い か が な も の か、 な ど
さすがに計算機の資源を直接操作
年
に不良資産の健全化と、組込みで
現役を続けることにしたい。
朝の新聞習慣
年卒︶
する原始的なプログラム言語を用
の記憶に残っているだろうか。こ
一となったことのあるのだが皆様
雑にしている。最近は安心、安全
込み固有の特性が問題をさらに複
ても、毎朝郵便受けに配達される
を読むようになりました。といっ
社会人になって、ようやく新聞
︵平
は 貧 乏 人 の や っ か み か。 お っ と 話
いることは非常に少なくなり、高
も加ってはいるが、なすべきはソ
髙木
志穂
が そ れ て し ま っ た が、 私 は ひ と 世
こ が マ イ コ ン と の 接 点 を 作 っ た。
う。 年 寄 り ば か り の 中 で 芝 生 を 徘
とついつい眉をひそめてしまうの
7
7
級言語と称するプログラム言語を
18
さ て、 皆 様 の ご 明 察 の と お り、
いう若年層と付き合うからだと思
3
代 遅 れ の 環 境 で、 元 気 に 働 い て い
89
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平成22年 10 月 15 日
/ iPod touchで読む電子
紙 の 新 聞 で は な く、iPhone
聞を広げる、という一連の作業が、
自分の部屋に戻って、それから新
された新聞を取りに下りて、また
で済ませていましたが、一時的で
取る、という学生時代と同じ方法
ニュースサイトで欲しい情報だけ
像 と し て ス ク ラ ッ プ で き る な ど、
になるものかと感動すら覚えまし 音楽大学に
た。 ま た、 気 に な っ た 記 事 は 画
﹁ ﹂と﹁経営学﹂を
導入する挑戦
版の新聞︵産経新聞 iPhone
ハードの良い所も幾分かは残され
のが楽しく続けられるようになり
も新聞を定期購読したあとだとイ
ま し た が、 今 の と こ ろ こ の﹃ 新
朝の忙しい時間帯に行うにはハー
がずらりと並んでいるだけで、ど
聞 を デ ジ タ ル で、 新 聞 ら し く 読
版 ︶ を 読 ん で い ま す。 皆 様 の 中 に
れが重要な情報かが全く分からな
める﹄サービスは産経新聞だけ
ているような気がします。
を取りに行くだけとはいえ身なり
いのです。結果押さえておくべき
で、他の新聞社では提供していな
ンターネットでの情報に物足り
朝 起 き た ら コ ー ヒ ー を 淹 れ、 出
はちゃんと整えた状態でないと恥
情報よりも自分の興味のある記事
いようです。個人的には、記事の
ドルが高かったのです。
来上がりを待つ間に産経新聞のア
ずかしい。けれどそこまで身支度
だけ読むようになり、その興味の
特徴から日経新聞の電子版も読
も、 ご 利 用 に な っ て い る 方 が お ら
プ リ ケ ー シ ョ ン を 起 動 し て、 用
できた状態なら、部屋に戻るより
ある記事も載っているのは途中ま
こ のiPhone版 の 電 子 新 聞
意した朝食をとりながらダウン
そのまま出勤してしまいたい。時
で、という事が続くと、やはり新
のおかげで毎朝新聞を読むという
ロ ー ド し た 紙 面 を 読 む、 と い う の
間も勿体無いし、出掛けにバッグ
な さ を 感 じ る よ う に な り ま し た。
が 私 の 習 慣 に な っ て い ま す。 ま ず
に放り込んでそのまま電車の中で
み た い と は 考 え て い る の で す が、
ニュースサイトを開いてもリード
一 面 の 見 出 し を ざ っ と 見 て、 次 に
聞の紙面で記事を読みたいとい
千円という新聞と変わらない
﹃同じマンションの住人にばっ
生 活 面、 経 済 面 の 記 事 を 読 ん だ あ
読むのはどうだろう?でも、混雑
う 欲 求 が 起 き て き ま す。 と は い
たり会うかもしれないから、新聞
た り で 朝 食 終 了。 家 を 出 て 電 車 に
した車内で新聞を広げるのは周り
︱創設される新学科
﹁音楽マネジメント学科﹂
について
年卒︶
が 非 常 に 楽 に な り ま し た。 今 で は
し て か ら、 新 聞 を 読 む と い う 行 為
頃 に 会 社 に 到 着。 こ の ス タ イ ル に
通りその日の紙面を読み終わった
に な っ た 記 事 か ら 順 番 に 読 み、 一
おおよそこのような考えが頭の
ざわざ読む気にはなれないし⋮。﹄
で、情報の鮮度が落ちた新聞をわ
ようか。いや、仕事で疲れた状態
てしまう。帰宅してから読んでみ
の人に迷惑がかかるし、気を遣っ
そんな時にiPod touch
した。
で、仕方が無いと半ば諦めていま
いするのは容易に想像がついたの
ても、またすぐ新聞紙を邪魔者扱
いない状態で新聞の購読を再開し
え、根本的な問題が何も解決して
す。無い物ねだりの日々はしばら
ンが出てくるのを待ちわびていま
新聞と同じようなアプリケーショ
で︵ た だ し 適 正 な 価 格 で ︶、 産 経
見です。いつか有料で構わないの
えないという点から今はまだ様子
touchで は 紙 面 ビ ュ ー ア が 使
値 段 とiPhone / iPod
実施内容迄つくる機会に恵まれ来
あって約
設 す べ く﹁ 設 置 準 備 室 長 ﹂ の 任 に
に﹁音楽マネジメント学科﹂を創
筆者は相愛大学音楽学部︵大阪︶
︵昭
iPod touch本 体 も、 こ
中を巡って、結局三ヶ月も経たな
く続きそうです。
安井
敏雄
のアプリケーションも手放せない
を譲り受けて、とりあえず真っ先
刊 デ ー タ の ダ ウ ン ロ ー ド も 無 料。
年。その基本構想から
にインストールしたのが産経新聞
なによりも部屋を出ることなく新
2
月に開講されることになっ
4
百二十二年を迎えるが創立以来音
さ れ る。 相 愛 大 学 は 創 立 さ れ て
どを教え学ぶところとイメージ
ピアノなどの器楽演奏や作曲な
音楽大学といえばバイオリンや
*﹁新学科の目指すもの﹂
くことにする。
た。この新学科の紹介をさせて頂
年
いうちに、二日に一回はまともに
聞が手に入り、片手で操作できて、
ただ最初からこんなに気軽に新
四千円も払って嫌な気分になるの
手に、毎日悪戦苦闘していました。 のも邪魔と感じるようになり、
﹃月
かさばらず、ゴミ出しをする必要
のiPhoneア プ リ で し た。 ア
なら新聞なんて必要ない。情報の
もない。新聞から、新聞紙である
態になってしまいました。そのう
当時は日経新聞を購読していた
入 手 は イ ン タ ー ネ ッ ト で 十 分。﹄
聞 を 読 ん で い た わ け で は な く、 ほ
の で す が、 朝 起 き て 新 聞 を 読 も う
と結論づけて、新聞の購読はわず
プリケーション自体も、毎日の朝
か と 思 っ て も、 ま ず 取 り に 行 く の
ち、回収日まで新聞を溜めておく
が 億 劫 で 挫 折 し て い ま し た。 面 倒
を除くとここまで読みやすく便利
というハード面のデメリット部分
そ の 後 は、 イ ン タ ー ネ ッ ト の
か半年で止めてしまいました。
せ ん が、 一 階 の 集 合 ポ ス ト に 配 達
くさがりだと思われるかもしれま
んの一年半前までは紙の新聞を相
目を通さず紙ゴミ行き、という状
41
れるのではないでしょうか。
乗 っ て か ら、 ま た 一 面 に 戻 っ て 気
IT
ツールになっています。
4
平成22年 10 月 15 日
洛 友 会 会 報
(7)
第230 号
楽教育を重視し初代音楽学部長に
新学科では学生は楽器演奏・合
シップを中心に学んでもらう。グ
にも関心があり法政大学に経営管
で あ っ た。 一方学生やベンチャー
学科の構想を発想させた私の原点
ことの難しさや、またクラシック
の波にあって、新学科を創設する
おっしゃる。だが﹁少子・高齢化﹂
音楽自身のマーケットが縮小して
ローバルな人材を育て、かつ大阪
理学の専門職大学院が設立された
いる中で学生募集にも苦労するだ
が世界に誇る上方文化を発信させ
﹂と
奏技術、作曲・編曲といった音楽
ようと欲張っている。
当初から客員教授として﹁
の基本を学び芸術への造詣を深め
つつコンピューターやインター
*﹁背景︱きっかけと動機﹂
ろう。既存の市場だけでなく﹁新
チャー精神でもありしっかり卒業
規ビジネス﹂を開拓するのはベン
﹁音楽﹂
ピ ュ ー タ ー・ サ イ エ ン ス で Ph.D る学科も見てきた。こうして
を取得、その後IBMやハイテク・ が好きで音楽に携わる職業につき
生の就職の実績をつくることが大
﹁経営学﹂が導入されて成功してい
たいと願う者に﹁ ﹂と﹁経営学﹂
私自身は電子工学を学びコン
マンガ・アニメまで学べ、音響学・
グローバル企業で日本や海外で技
イン、リーダーシップ論から事業
経営管理学ではキャリア・デザ
高校時代にオーケストラ部の創設
校の頃バイオリンを習い始め洛星
という分野は初めてである。小学
験 し て き た が﹁ 音 楽 ﹂ と﹁ 教 育 ﹂
企業人間それも英語の仕事の多
も合致した経緯から招聘された。
園の改革﹂で描かれていた構想に
と聞いて頂く機会がありすでに﹁学
教授の方々に自分の考えているこ
本学園の理事長や学長、学部長、
されば大変有難く思います。
進路やインターンシップなどに興
楽﹂とともに学んだ学生の将来の
様 に も﹁
要 創 出 ︶﹂ の 面 も 多 い。 読 者 の 皆
か﹁デマンド・クリエーション︵需
ク リ エ ー シ ョ ン︵ 市 場 創 出 ︶﹂ と
計 画 の 作 成、 プ ロ ジ ェ ク ト 管 理、
に係り京都大学で交響楽団のヴィ
かった私も早速なれない文科省へ
を導入し自立できる助けができた
財務諸表の読み方や著作権などを
オラ首席奏者やコンサート公演の
の申請書類つくりやカリキュラ
*最後にかえて
ご紹介のひとつ
日に吉本興業と本学音
らと極めて自然に発想した。
学ぶこととなる。これらを駆使し
ジェネラル・マネージャーを経験
ム、シラバスなど書き方を習いつ
楽 学 部 で﹁ 新 学 科 誕 生 劇
ソー
術やビジネス開発に携わりその後
てコンサート企画のプロデュー
し情熱を注いだ。その後楽器を手
年目
つ自分自身でかなり手も入れ作業
通信ベンチャーの経営幹部など経
サ ー や そ の ス タ ッ フ、DVDや 音
にすることもなくそろそろヴィオ
してきた。学園も新学科の
しく用意されたスタジオとホール
楽 出 版 の 企 画・ 制 作 員、 放 送 や イ
ラのレッスンをと思っていたらい
アイ
カンタービレ﹂の公演を
行った。これはコンサートがいか
の新校舎で学ぶ。
切 と 思 っ て い る。﹁ マ ー ケ ッ ト・
録音技術などのステージ技術も新
WEBデ ザ イ ン、CG、 ゲ ー ム・
用、 プ ロ グ ラ ミ ン グ も 基 本 か ら
ネット、携帯電話などの基本と応
山田耕筰氏を迎え多くの優秀な演
奏 家 を 輩 出 し て き た。 創 設 期 の
年 間、 小 澤 征 爾 を 育 て た 斉 藤 秀 雄
氏から育成指導・薫陶を受けた﹁相
愛オーケストラ﹂は伝統的に評価
も 高 い。 今 回 こ の 伝 統 あ る 音 楽 学
部に設置される新学科は演奏家の
育成を目的とするのでなく音楽を
﹂と﹁経
ビ ジ ネ ス と し て と ら え﹁ 音 楽 ﹂ を
愛し学ぶものが併せて﹁
ン タ ー ネ ッ ト 通 信 で の 番 組 企 画・
つの間にか家内と一緒に春と秋に
に創られるかを吉本新喜劇のお笑
するようになっていた。音楽の好
泊の音楽合宿とコンサートを主宰
﹂ と﹁ 経 営 学 ﹂ を﹁ 音
配信、アーティストの支援事業も
には相愛学園発祥の地、御堂筋本
い仕立にしたもので脚本から有名
ど の 企 画・ 制 作、 ホ ー ル の 運 営、 で、私自身多くの候補の方々と面
きな人たちの繋がりの大きさ、豊
4
営学﹂の専門スキルを習得するこ
とでその幅広いニーズに応えより
充実した職業の選択を与えようと
するものである。
イ ン タ ー ネ ッ ト に よ る﹁ 音 楽 配
信 ﹂ や﹁ 動 画 の 共 有 ﹂ に 代 表 さ れ
るように音楽を取り巻く環境もコ
含めた多様なビジネス分野で活躍
若手女流ヴァイオリニストのサロ
町に新学科の校舎を新築すること
談し教育に熱心な実務経験者も含
さを感じつつ感動をつくる喜びを
進などアーティストや聴衆が望む
より特色ある企画や上質の企画が
月
味・関心をもって頂きコメント下
IT
ンフォード大学の先生達と話して
賛意を表される。アメリカのスタ
してきている﹂と新学科の狙いに
﹁まさにタイムリー﹂﹁ニーズは熟
ある。音楽関係者の多くの方々は
挑戦はまだ緒に就いたばかりで
*﹁成功への挑戦﹂への意気込み
ようである。
ホームページ・ブロッグ・ツイッ
ジェスト版など本学科の紹介の
ないことを改めて認識した。ダイ
はクラシックも吉本さんも変わら
ようと考えたのだが舞台つくりで
評でした。新学科の認知度をあげ
方が演奏するという芝居で大変好
しい舞台となり最後に本学の教授
タレントの皆さん迄により素晴ら
10
も﹁本当に創るの?羨ましい﹂と
7
ンテンツビジネスの成長を中心に
﹂の革新とともに激しく変化
する者を輩出させたく思っている。
を決め工事も着手される力のいれ
め素晴らしい方々に来て頂けるこ
再び経験している。そしてこれら
長野県蓼科でプロとアマによる
とになった。学生には充実したメ
の活動を通じて演奏家や音大生が
求 め ら れ て き て い る。 と き に は そ
IT
ンコンサートを始め、また夏には
ンターとカウンセリング制度で入
何を望み、何に悩み、自立するの
名という教員の陣容
名の学生に専任
学から卒業・就職まできめ細かく
の規模や複雑さも増し国境を超え
た グ ロ ー バ ル な 企 画 も 多 く﹁
や﹁ 経 営 学 ﹂ の 知 識・ 手 法 の 更 な
る導入も待たれている。
IT
名、
一学年
﹂ 指導し基礎学力とともに豊富なゼ
に何が問題なのかなどいろいろ学
非常勤講師
ミ・研究プロジェクト、産業界と
ぶ機会にもなった。実はこれが新
地 域 と の 交 流、 各 種 文 化 事 業 の 推
のパートナー連携やインターン
15
IT
2
﹁
している。
また近年脚光を浴び始めた
﹁アートマネジメント﹂の分野で
はコンサートやイベント企画を始
9
IT
めDVDや 音 楽 出 版、 放 送 番 組 な
50
70
IT
第230 号 (8)
洛 友 会 会 報
平成22年 10 月 15 日
ターなど併せてご覧下さればと
粋 会 ﹂ が 開 催 さ れ ま し た。﹁ 洛 粋
年卒が当番学年
http://www.soai.jp/ 会﹂は、洛友会東京支部の昭和
年卒から 年卒の拡大クラス会で
す。今回は昭和
名の参加者があり、第
部の
と し て 準 備 を い た し ま し た。 当 日
は
年卒、
演題会では﹁日本のITについて﹂
と題して浜口友一氏︵昭和
NTTデ ー タ 株 式 会 社 取 締 役 相 談
役、前社長︶が情報サービス産業
について広い見地、体験から分か
りやすく講演されました。欧米と
の比較、日本の情報サービス産業
の現状分析、そのあるべき姿、
﹁か
部の懇親会では、講演者への
支部だより
年
月
日︵ 金 ︶ANA
中国支部総会報告
平成
回目となる平成
年度洛友
クラウンプラザホテル広島におい
て第
会中国支部総会が開催されまし
た。 総 会 に は 本 部 か ら 木 村 先 生、
名の会員のご参
教室から高橋先生をお迎えし、中
国地方各地から
加をいただき、盛大な総会となり
ました。
総会は、開会にあたり細田支部
長からご挨拶をいただき、引き続
いて支部事務局から支部会員異動
状況、支部活動状況を報告、会計
決算、予算案、支部役員の改選案
について説明・提案を行い、出席
者全員の了承を得て各案が承認さ
もあり、 名︵うち支部会員 名︶
終始和やかな談笑の中で大いに懇
支部総会は中原総務幹事の司会
と例年どおりの盛会となりました。
部会員の思い出話、近況報告等々、
親を深めながら会は進み、細田前
により、午後
時に松田支部長に
支部長のご発声で支部懇親会をお
①ここ数年の課題であった洛友
部長からは、
よる挨拶で始まりました。松田支
年卒︶記
ひらきとしました。
岩田
大司︵平
会を若い人達に広めるための活動
名もの参
名が新社会人で
月に開催し
と し て、 東 京 支 部 の 若 手 交 流 会・
歓迎会を
加があり、うち
次会もあり大いに盛り
回し
回とお約束
①本年度名簿を発行したが、プ
て、
続いて長尾会長より来賓挨拶とし
との報告がありました。
会となることを祈念する。
③洛友会が世代を超えた楽しい
へのサポートに使用していきたい。
と考えている。若手の会、趣味の会
万円程度を繰越とするのが健全だ
て、年 間 の 恒 常 的 支 出 額 の 1 4 0
②たまっている繰越金に関し
不足を反省している。
か開催できなかった点に関して力
した若手中心のイベントが
上がった。一方、年
あ っ た。
75
40
え る 力 ﹂ 等、 貴 重 な お 話 で し た。
第
質問や出席者の近況などの話題で
盛り上がり、時間の経過を忘れて
年卒が担当することを約し
語り合いました。最後に、次回は
昭和
て散会しました。
れました。その後、支部役員改選
東京支部総会報告
平成 年 月 日︵日︶
、学士会
び懇親会を開催しました。梅雨入
館にて東京支部の総会、講演会及
続いて木村先生から洛友会本部
3
思 い ま す。︵
を参照く
management/index.html
ださい。︶
なお筆者は本年四月から既存の
年卒︶記
でご承認いただいた松井新支部長
からご挨拶をいただき、新役員体
制による中国支部の船出となりま
10
り直前の爽やかな晴天ということ
から大学の近況について、それぞ
れお話しいただき、予定どおり全
総 会 終 了 後、 記 念 撮 影 を 行 い、
ての議事を終了しました。
松井新支部長のご発声により支部
松田支部長
68
1
2
28
恒例の懇親会を開始しました。支
16
5
42
71
4
2
22
1
42
22
44
來山
征士︵昭
42
26
37
2
43
57
の近況について、また、高橋先生
した。
13
﹁ 音 楽 学 科 ﹂ で 教 授 と し て﹁ ア ー
時か
回﹁ 洛
6
トマネジメント﹂を担当している。
会 議 室 を お 借 り し て、 第
3
22
生 徒 達 自 身 が 企 画・ 実 行 し た﹁ 自
日︵ 金 ︶
18
主公演コンサート﹂の終了時の写
月
16
長尾会長
真を添付しておきます。
同窓会だより
年
東京支部﹁洛粋会﹂
平成
7
ら、︵ 財 ︶ 日 本 宇 宙 フ ォ ー ラ ム の
22
平成22年 10 月 15 日
洛 友 会 会 報
(9)
第230 号
ライバシーということで抑えてい
旨報告され、承認されました。
た。
会東京支部総会は閉会となりまし
年度洛友
に交代となり、引き続いて井上新
以上をもって、平成
支部長より若手活動、新しい活動
ここで司会者が鎌田新総務幹事
に取り組みたい。学舎を同じくし
年
度決算報告および監査報告[第二
た仲間の親交を深めるということ
次に鎌田会計幹事より平成
号 議 案 ] が あ り、講演会参加増が
が第一の目的だと思うのでよろし
る方が多い。情報を開示するよう
主な支出増加要因となっているこ
くお願いしたいとの就任のご挨拶
説明がありました。この決算内容に
そ の 後、 平 成
がありました。
②本部総会が京都で
是非、協力してほしい。
年度となること等の
月の若手交流会は会
対し、塩見監事からは問題なしとの
年度予算計画[第五号議案]が
計 画[ 第 四 号 議 案 ]、 お よ び 平 成
月に開催
された。全支部代表より報告を受
と、および
紹介いただいた。北海道や東北支
監査報告が行われ、決算報告および
説明され、いずれも拍手をもって
承認されました。最後に、平成
名、喜寿
名︶への
年 度 に 米 寿・ 喜 寿 を 迎 え ら れ た
方々︵米寿
祝辞が述べられるとともに、会場
より拍手を持って祝意を表しまし
し た。 講 演 会 で は、 講 師 と し て
KOMATSU代 表 取 締 役 会 長
坂 根 正 弘 氏 を お 迎 え し、﹁∼ 強 き
%
をみがき、弱みを改革∼﹂と題し
て、コマツの概要、海外売上
以上のコマツから見た世界の動
ランドマネージメントについてプ
き、経営構造改革、企業価値とブ
以上で全ての議案が承認された
レ ゼ ン テ ー シ ョ ン を 頂 き ま し た。
は環境問題へ取り組みに対する見
解 を 求 め ら れ、﹁ 工 業 生 産 段 階 の
CO 2排出量ばかり議論になるが、
結 局 は 製 品 の 利 用 時 に もCO 2を
排出している。電気自動車は排出
量削減に結びつくといわれている
が、 発 電 時 のCO 2排 出 ま で 考 慮
すると国によって大きく違い、中
国ではハイブリット車よりも排出
2
量が大きくなる。企業がビジネス
に 結 び つ く 取 り 組 み に よ りCO
の削減も可能だが、京都議定書の
範囲では許されていない。ライフ
サイクル全体を考慮して正確な分
析に基づいた議論検討をすべき。﹂
時
分より恒例の懇親会
との持論を披露された。
午後
に移りました。
卒 か らH
井上新支部長の乾杯のご発声で
始まった懇親会は、S
卒まで、幅広い年齢層にわたる
多彩な参加者の交流の場となりま
した。料理を囲んで会員の方々の
を進行役として、趣味の会の各幹
営の見える化、②成長とコストの
つのス
談笑が広がる中、鎌田新総務幹事
回だけ。の
事から活動の紹介がされ、麻雀会
卒︶からは、平成卒
は土日開催も検討している、ゴル
の方からも参加希望があり今年度
中田様︵S
た。ご講演ではコマツのみならず
フ会幹事の大西様︵S
卒︶から
ブランドマネージメントではコ
は 第1 20 回 コ ン ペ 開 催 に 際 し 記
れ、会場を魅了しました。質疑で
在となることが重要と熱く語ら
パートナーとして選ばれ続ける存
マ ツ で な い と 困 る 度 合 い を 高 め、
日 本 の 強 み 弱 み に ま で 踏 み 込 み、
コ マ ツ をV字 回 復 に 導 か れ ま し
ロ ー ガ ン を 掲 げ 改 革 に 取 り 組 み、
④大手術は
分離、③強みを磨き、弱みを改革、
長に就任し、200 1 年より①経
後、 引 き 続 き 佐 藤 本 部 幹 事 よ り、
学科の中でも中∼低の人気と
するとともに、修士+博士一貫教
外活動﹁サマーキャンプ﹂を実施
女子企画﹂の実施や、夏休みの課
や、女子高生向けイベント﹁テク
なっている。オープンキャンパス
部
な状況であり、電気系学科は工学
離れ、工学離れ、電気離れが深刻
況の報告がありました。昨今理科
教育状況等、京大電気系教室の近
坂根氏はコマツが赤字の時代に社
コマツ 坂根会長
桂 キ ャ ン パ ス や 進 学・ 就 職 状 況、
た。
引き続き、講演会が開催されま
計 年 度 上H
22
け、にぎやかであった。東京支部
部では若年層の入会が減ってお
監査報告は無事承認となりました。
年 度 行 事・ 活 動
り、総会に数人しか参加できない
状況である。
③学生からも洛友会の入会金
サービスとして、OBの講演会など
4000 円を徴収している。その
年 に な る が、
を開催しており、定着しつつある。
④東京に住んで
週末には京都に帰っている。やは
り京都は捨てがたい。皆さんも機
年度の役員/
評議員/幹事[第三号議案]の提
引き続いて平成
案が行われ、拍手をもって承認さ
会を見つけて京都によってほしい。
などのお話がありました。
れました。平成
卒︶、
卒︶、
卒︶、
卒︶、
卒︶、
卒︶
8
育による﹁研究﹂に特化したエリー
5
5
ト教育を実施しているとの報告が
21
22
からは活性化に関する取り組みを
井上新支部長
年度の新役員は、
年度行事・活動報告[第一号議
続いて、中原総務幹事より平成
案]があり、秋の講演会では本日
支部長
井上英也︵S
名 の 盛 大 な 会 に な っ た こ と、
来賓の長尾先生を講師にお招きし
て
見学会では理研で説明いただいた
会計幹事
的場直人︵H
庶務幹事
杉田寛之︵H
名となりました。
続いて退任される松田前支部長
の
副支部長
塩見
正︵S
監事 小澤秀司︵S
総務幹事
鎌田照己︵H
方が京大出身者であり、特に情報
基盤センター姫野センター長が東
されました。また拡大クラス会で
より、幹事、役員の努力へ感謝し
たい。今後も会員のネットワーク
∼
年度の設立の
は、新たにS
た め の 活 動 が お こ な わ れ、 会 の 開
が広がっていくことを期待したい
20
21
催 は 本 年 度 に な っ て し ま っ た が、
4
22
22
ありました。
45
38
1
22
80
22
22 4
5
とのご挨拶がありました。
49
6
3
京支部会員であった等、の紹介が
04 04 03 46 45 44
21
無事﹁洛談会﹂として発足できた
45
続いて喜寿代表として近藤様︵S
て い る、 と の お 話 が あ り ま し た。
念ボールを差し上げることを考え
33
6
95
第230 号 (10)
洛 友 会 会 報
平成22年 10 月 15 日
卒 ︶、 最 年 長 の 武 田 様︵S
卒︶
年
月
日︵土︶午前
中部支部総会報告
平成
時から、名古屋駅前の名鉄グラン
ドホテルにおいて、平成
年度中
けるべく頑張りたいとの思いが語
部支部総会を開催しました。本部
懇親会「琵琶湖周航の歌」合唱
られ、大きな歓声があがりました。
卒 ︶ か ら は、 洛 友 会 を し ょ っ て ゆ
て 最 年 少 の 藤 本 様、 大 石 様︵H
か ら ス ピ ー チ を 頂 き ま し た。 そ し
21
そ の 後、 的 場 新 会 計 幹 事 の 音 頭 に
からは大澤靖治前副会長、教室か
名の参加を得て
らは高岡義寛教授にご出席いただ
分に散
議事は根石支部長の挨拶に始ま
の総会開催となりました。
き、支部からは
よ り、 恒 例 の﹁ 琵 琶 湖 周 航 の 歌 ﹂
時
を 合 唱 し、 最 後 に 塩 見 新 副 支 部 長
の中締めにより午後
会となりました。
年度事
年度支部会費納
り、その中で本部の平成
業計画案と平成
入状況が紹介されました。中部支
この後、全員での記念写真撮影 第 回関西支部
ゴルフ競技会報告
を行い、懇親会へと移行しました。
トし暫く歓談の後、
今年の新入会員
第
プレー状況
酒井副支部長の乾杯発声でスター
や初参加の会員諸氏に自己紹介・近
平成
年
日︵ 土 ︶ 武 庫 ノ 台
年 卒 ︶、 イ ン は 伊
名︵ う ち シ
年卒︶の始球式でプ
名︶が競技に汗を流されま
レ ー を 開 始 し、 合 計
藤 氏︵ 昭 和
福 川 氏︵ 昭 和
当 日 は 晴 天 に 恵 ま れ、 ア ウ ト は
ゴルフコースにて開催されました。
月
回関西支部ゴルフ競技会が
況報告をしていただいている内に
予定時間は過ぎてしまい、
最後に石
川進先輩のリードで
﹁逍遙の歌﹂を
合唱して散会となりました。
日︵土︶
なお、今年度の中部支部活動は
月
以下の通りです。
◆秋の例会
月頃
核融合科学研究所︵土岐︶見学
◆懇親囲碁大会
貞宝CC
総務幹事
松浦
昌則︵昭 年卒︶記
ニア
した。
結果は以下のとおりです。
優勝
西村
登努志︵S
年卒︶
年卒︶
︵シニアの部︶
位
平嶋
正芳︵S
位
松室
憲尚︵S
︵一般の部︶
始球式(福川氏)
20
31
総務幹事
鎌田
照己︵平 年卒︶記
◆懇親ゴルフ会
平成 年 月 日︵土︶
多くの会員諸氏のご参加をお待
部は全支部の中で会費納入率が最
ちしております。
低となっており、役員からの納入
依頼など何らかの対応が必要と痛
11
感しました。次いで、前年度事業・
決算報告、今年度事業・予算計画
審議が行われ、全会一致で承認さ
れました。
総会に引き続き、大澤前副会長
から現況報告、また高岡教授から
年度卒業生の進学就職
桂キャンパスと電気系組織の現
況、平成
状況等について説明がありまし
た。学生会員制度の状況について
も説明があり、学生に対する諸行
優勝
山本
博士︵S
位
神野
厚英︵S
位
大澤
靖治︵S
年卒︶
年卒︶
33 38 38
年卒︶
年卒︶
44 51 51
事の中で洛友会の意義や歴史など
を説明していることが紹介されま
した。こうした活動を継続するこ
とで、卒業後の洛友会活動参加お
19
19
よび会費納入率向上につながるも
15
30
2
5
34
4
22 93
9
6
のと大いに期待しております。
53
23
7
93
2
3
2
3
6
10
22
22
15
3
28
21
11
22
21
平成22年 10 月 15 日
洛 友 会 会 報
( 1 1 ) 第230 号
︵第
∼
回の優勝カップの取り
しております。次回は平成
年
10
日︵土︶を予定しております。
平成
年度 懇話会 開催のご案内
時
分∼
時
分
訃
報
昭 近江
昌二
・8・2
・7・2
・8・
・5・
月号に掲載の予定です。
かがでしょうか。積み残し分は
寄稿が今号から始まりました。い
洛友会会報への一般会員からの
は無くなったような気がします。
分の通勤時間も長いと感じること
方を知ったからです。今は、片道
を読み、漸く私にも役に立つ使い
ようになったのです。今号の記事
ました。それが今は毎日使われる
最近まで部屋の片隅で眠っており
が、その後は放置してしまい、つい
設定するところまではやりました
touch を 購 入 し、 メ ー ル を
小生、ある成り行きからiPod
編 集 後 記
謹んで哀悼の意を表します。
以上の方々がご逝去なさいました。
昭
小原
猛
昭 花木
充夫
昭 徳田
剛士
22 22 22 22
月
若い方も含めて、多数の皆様のご
記
日︵金 ︶
を支える技術﹂
39 28 24 24
切り戦優勝者︶
シニアの部
在校生︵学生会員︶と卒業生︵正会員︶の親睦をはかり、在校
生に先輩からのメッセージを伝えて激励するために、洛友会と電
月
年卒︶
今後のイノベーション﹂
初音ミク
氏︵ヤマハ・平3年卒︶
剣持
秀紀
時 分∼ 懇親会︵生協吉田食堂1F︶
社会人 3,
000円、学生 無料︶
︵会費
連絡先 電気電子工学科事務室
長谷川
智子
電
話 075㿌753㿌5273
FAX 075㿌753㿌5271
[email protected]
Eメール
16 12
参加をお待ちしております。
気系教室との共催で懇話会を毎年開催しています。今年度は左記
年
のように開催されますので、奮ってご参加下さるようご案内いた
平成
プログラム︵予定︶
時 分∼ ﹁地球温暖化論について﹂
先生︵京都大学名誉教授・昭
大引
得弘
時 分∼
﹁光デバイス研究開発の 年と
時
年卒︶
時 分∼ 開会挨拶
教授︶
︵電気電子工学科学科長
北野
正雄
30
連絡先
年卒︶
します。
日
時
30
関西電力株式会社
三浦
良隆︵S
年卒︶
[email protected]
050㿌7104㿌6014︵中居︶
中居
賢男︵H
連絡先
19
場
所 吉田キャンパス
電気総合館大講義室/
懇親会 生協吉田食堂︵旧教養部︶
11
氏︵富士フィルム・昭
早川
利郎
時 分∼ 休憩
︱
分∼
﹁歌声合成技術について
38
教室だより
研究室︶が参加し
月から行われてきた研究
日を
14
30
研究室対抗野球大会表彰式
チーム︵
て昨年
月
室対抗野球大会︵幹事は前年度準
優勝の小林研究室︶が
もって終了し、表彰式は略式とな
22
年卒︶
年卒︶
年
りましたが、優勝のエネルギー科
年洛友会より寄贈された優勝カッ
40
西村
登努志︵S
一般の部
大澤
靖治︵S
懇親会
プ レ イ 終 了 後、 三 浦 氏︵S
卒︶の司会により、表彰式兼懇親
表彰式では、入賞者に景品およ
プが授与されました。なお、準優
学研究科チームの代表者に、一昨
び 優 勝 カ ッ プ が 手 渡 さ れ た あ と、
勝は和田研究室、三位は川上研究
会が開催されました。
入賞報告と今後の抱負を述べて頂
年卒︶記
室でした。
玉置 直寛︵平
くとともに、関西洛友会ならびに
ゴルフ競技会の更なる発展を期待
するコメントを頂きました。
お知らせ
洛友会関西支部では同窓生の懇
回
30
92
親を深める機会として毎年
30 20
85
︵ 春・ 秋 ︶ に ゴ ル フ 競 技 会 を 開 催
65
1
14
14 55
22
30
15
22
16
19
51
30
14
16 16
00
4
22
18
5
38
44
9
28
シニア優勝、取り切り
戦優勝(西村氏)
一般3位、取り切り戦
優勝(大澤氏)
55
2
第230 号 (12)
洛 友 会 会 報
平成22年 10 月 15 日
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