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2 - HUSCAP
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ブルターニユにおける新税(十分の一税、二十分の一税
)の創設と変容 : 《régie》と《abonnement》
吉田, 弘夫
北海道大學文學部紀要 = The annual reports on cultural
science, 13(2): 125-183
1965-03-27
DOI
Doc URL
http://hdl.handle.net/2115/33293
Right
Type
bulletin
Additional
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13(2)_P125-183.pdf
Instructions for use
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
口
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プ ル タl ニュにおける新税(十分の一税、二十分の一税)の
創設と変容liAH86
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プ ル タ i ニユにおける新税(十分の一、二十分の一税) の創設と変容
カ
ミ
夫
分野は、就中、政治 H法制史学の観点からなされたのであり、この場合封建制は主として﹁レ l ン制 (HhF542
)﹂
司2
が要請される。従って、封建制の起源が問題とされ、中世国家における封建制の研究が深められることになる。この
他方、封建的残浮の克服という現実的課題は封建制に関する多義的理解を生ずる結果となり、封建制概念の明確化
が強調されることになる。
における﹁封建的土地所有しの歴史的内容を解明することに努力がそそがれた。ここで、絶対王政はその封建的性格
的諸権利の廃棄を基本課題とする市民革命が攻撃対象とじた絶対王政の基礎構造、 つまり、 アンシアン H レ ジ ー ム 期
移行を画する市民革命の問題が主要な研究課題となった。この研究は主として社会 H経済史学の側からなされ、封建
以上当然のことである。そこからして、 西欧諸国における封建制廃棄の過程、すなわち、封建社会から近代社会への
まい。それは、戦後わが国の社会が解決をせまられた課題として、その残存せる前近代的要素の廃棄を背負っていた
戦後わが国学界における最大の関心事は、三一口でいって封建制理解にかかわる問題にあったといって過言ではある
し
北大文学部紀要
-127
t
ま
ブ ル タ lニュにおける新税
として理解された。この観点からすれば、絶対王政は、
﹁
レ l ン制﹂をもって国家秩序を保たざるを得ない公権力の
分散状態を克服したものとされ、その近代的性格が強調された。
以上の如き研究状況からして、 われわれが絶対王政を問題とする場合、 さらに、中世から近代への移行を問題とす
Q
る場合、 これら二つの絶対主義像の不離に、 したがってまた社会 H経済史的発展と政治法制史的発展の祖師に直面す
ることになるのである。
これら二つの見解の不離を媒介統一する一つの試みとして﹁身分制﹂の問題がとりあげられた
-128-
この観点からする媒介統一の試論が、成瀬治氏によって提示されている。成瀬氏はまず、絶対主義の現実は決して
﹁動態的﹂政治過程のよってくるところとして、絶対王政下における﹁身分制﹂原理お
﹁静態的﹂に把握されるべきではなく、きびしい緊張をはらむ﹁動態的﹂政治過程であったという認識を出発点とさ
れる。そしてこの緊張関係、
よびこれを支える﹁家産的﹂観念の存在を想定される。例えば、 フランス絶対王政においですら、身分制議会の存続
(恒三回目︼門S
En-mgM)、高等法院(司同ユ仲間足早るを核とする中世的国法観念の存続が王権の一元的支配を制約してい
る場合、また、官職売買守合同口広仏20EBるおよびその世襲化が、絶対王政の基礎構造における﹁寄生地主制日
半封建的土地所有﹂の形成という形でおこなわれる領主制の再編成と密接に関連している場合、 そこには﹁身分制﹂
原理およびそのイデオロギーとしての﹁家産的﹂観念が前提されている。さらに、 A近代的自然権思想の形成に対し
シユテンデ的な﹁旧き権利﹂の観念が大きな寄与をなした V とされる場合。成瀬氏が市民革命以前の社会におけ
本稿は﹁身分制し研究の一環として、絶対主義国家における﹁身分制﹂的要素の吾評価を意図するものであるが、
る﹁身分﹂の歴史的役割についての検討を提唱されるゆえんである。
て
特に財政史的観点からアプローチしてみたい。なぜならば、絶対王政期の国家財政における家産的性格は、国王に属
Vv
。BSE5円 を考慮すれば明らかなところであり、他方、王国租税における﹁身
山
口mVないしは、入門H55ι
する A号B戸
分的﹂特権の制約についても一般に指摘されるところであるからである。そして﹁身分的﹂特権の制約による租税収
入の停滞は、生産関係の変化による王領地収入の漸減、国家経費の膨張とあいまって絶対王政の財政危機を惹起し、
この財政危機が少なくともフランス革命の直接契機となっているのである。この点で絶対主義財政における﹁身分的﹂
﹁家産的﹂要素の検討は意味あることと思われる。
市民革命後のブルジョワ国家における、権力と所有、統治権 H徴税権と財産権の分離にもとづく近代的租税の成立、
十分の
-129-
いわゆる租税国家 3Z53g三) 確立の問題が、絶対王政期にいかなる形であらわれてくるか。 本稿は、
税(岳凶即日巾)二十分の一税守山口程一昨日2) という絶対王政期における直接税の改革に焦点をあてて、この間題を考えて
みたい。これらの新税は後に検討するごとく、極めて近代的・合理的性格を持ってあらわれる。新税が近代的・合理
的色彩をおびて出現せざるを得なかった理由は何か。またこれらの新税が本来意図された性格をいかに変容するか。
ブルタ l ニュが身分制議会
新税の変質にあたって﹁身分制﹂的原理がいかなるかかわりあいを持っか。かかる諸点の検討を通じて、絶対主義時
(切円由同国ぬロ巾)について取り上げた理由は、
代における﹁身分制﹂的要素の再評価という課題に一例を供したいと思う。
ニユ
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) の存在という地方的特権を有するいわゆるベイ日デタ守品目円舎三回)だからであって、
また、新税創設の問題を特にブルタ l
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目
以
吋 04
北大文学部紀要
おける新税の変容の問題がより集約的にあらわれていると思われるからである。
財政一一元化のより進んだべイ Hデレクション(匂若田円色町内昨日 Cロろにおける場合以上に、 ﹁身分制﹂的要素との関連に
王
国
ブルタ l ュュにおける新税
司
王
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カピタシホ γ
グ ア γ 一アイエ 1 ム
で決定する課税額を丸のみにし、それを各納税者にふりあてる
ときだけ王政府と折衝した。それもア γタシダ γの強圧によっ
仕事だけを行い、臨時的な人頭税や二十分の一税が課される
の逮捕状 Z28
て王命の拒否されることはなかった。頑強な抵抗者には王署名
(l)
成瀬治﹁絶対主義とは何か﹂(﹁歴史教育﹂ 8 ノ9)
(2) 成瀬治﹁﹂初期自由主義と﹁身分制国家﹂││ーヴュルテムベ
ルグ憲法の成立をめぐって││L(﹁北海道大学文学部紀要﹂ 8)
ス革命と一元的国家観﹂(日本政治学会年報一九六三年﹁政治
れ、裁判もされずに投獄されるからである︾松平斉光﹁フラン
己目口山口
rE がまっていて誰でも即座に逮捕さ
九三頁。
(3) 本稿において検討される十分の一税 (EH550) は 教 会 十
思想における抵抗と統合﹂)五頁。
王権による一元的支配の進展を否定することはできないが、一
ねばならない。
分の一税(己目。)とは全く別個のもので め
φ ることに留意され
絶対王政の一元的支配を強調する立場からすれば、ベイ日
(4)
はなるまい。本稿は新税の創設と変容の問題に限って、絶対王
元的支配を強調するあまり、王権がこうむった制約を軽視して
品タ・プログワ y yオ
境の地方には地方等族会なるものがあって税の協賛を行って
政の所謂一元的支配の実態にふれてみたい。
デタの意味について極度に過少評価がなされる。例えば、︽辺
きたものであるが、これも、氷久課税がきまってからは中央政府
一、ブルタ!ニユにおける王国財政と州財政
ベ イ Hデ タ に お け る 王 国 財 政 の 進 展 、 お よ び そ れ に 対 し て 州 財 政 が い か な る 意 味 を 持 ち 得 た か と い う 観 点 か ら 、 十
C となったものである。したがって、ベイ
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分 の 一 税 、 二 十 分 の 一 税 の 創 設 と 、 そ の 州 に お け る 実 現 形 態 を 問 題 と す る の で 、 ま ず 、 ブ ル タl ニ ュ に お け る 王 国 財
王国併合後も継続して維持され、王国租税
ブ ル タl ニ ュ で お こ な わ れ る 租 税 な ど の 徴 課 は 基 本 的 に は ブ ル タi ニ ュ 公 領 時 代 に 設 定 さ れ た い わ ゆ る
政と州財政の構成について一応の検討をすることが適当と思われる。
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一部会︿出窓訟
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かったベゆえにブルタ i エュに存在ぜ
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ノレタシ詩 γとの対比において、
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して要求され、
侍方、新税の髭設、櫛用金合同ドグ出片倉田﹀
が当該地方の
﹂とはできなし
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に額約を加えかっ郎知数制度自体を緩めて
ブルタ;ニュにおける財政側制度を大別すれば、主国財政がの金権をもって
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の同意を必要とする部分とにわけられ、訴えて、ブルタ l ユュ謡有の州財政が存在したので
主一匿露政
全権をおナる部分。
収入。
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その他
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に船舶の出入に関し創設されたものとして、 A骨cxp害
時
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間
のみ表出に一万す。
これらに統一
以上、主として略総括請負によって撤収されたもの
る
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さら
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たが、日間方式で徴叙され、税目など静細不問問のものがあ
含 器 部0
5 ℃認さロHgmwMMVおよび入門町三神仏巾仏OFMmgmvvが合加される。 表出の金額はこれらの総計である。徴収は総
をもたらしたものではない。王
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不拐で
でおって、表聞に治される知くである。その
総括請負によらず直接徴収︿同尚北川刊な怠25﹀
る収入。
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言
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税収をあげたものは、 タバコの
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MVが あ る が 、 こ れ ら は ブ ル タ i 止における局地的性格のものであり、
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総括請負
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ニ〉そ
の 他
タ
ホ〉直接徴収によるもの
(各種商品流通税,その他〉
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澱 粉
1
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紙・厚
紙
商品検定料
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タ
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(
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) 州三部会の同意を要する部分
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0 直接徴税
720, OOO~如0, 00。
-133-
請負制
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皮 革
mgC 家具販売額に対する八九士山gwg 吉正
1
,
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,
7
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8
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この項目には多くの商品流通税がある。すなわち、皮革、食肉、澱粉、 カル夕、紙・厚紙に関する商品流通税およ
(
1
)
円
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2仏
び商品検定料(自由25 凹 (2
北大文学部紀要
表
ブルタ l ニュにおける新税
円 V、 都
所有権の移転に関して、またなんらかの特許状、譲渡、特権の授与に際して徴収される八骨cFFB 巴 円 台2
市の AcnRCFVからの国王収納分、および裁判・罰金に関する収入。これらが直接徴収されたものである。
(
同
戸
口
心
己gzmnF 白H ) の監督下に作成された久留三百五
5 出口gnB5 仏
2
印
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(]戸吋吋∞)
によるもの
以上、徴収に関して国王が全権を有する財政部分について列挙したが、各税目の収益を表凶に示した。この数字は
ネッケル
である。なお、この統計には以上列挙したものの他に、総括請負によるものとして、州三部会に属する税収に対する
Tog-)C5--45) が、直接徴収によるものとして、施療院(町名目SE) および都市に属する諸権利に対する
の性格は対物税
v
白V
に相当するものである。その課税対象は平民保有地
l ニュ慣
(HgczgZ江町内)
QB唱。件同品目]) であって、 王国の他地方すなわちラングドク (戸山口∞己目仏。ロ)など南部諸
m山 片 品 目 ニ 白 )
(同国ニ-
(FZ) を単位として課税された。しかし、平民保有地のすべてに課税されたのではなくブルタ
-134-
付加税
州三部会の定期的同意を要する部分
入
門O
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m巾。正日ロ巳BV
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﹁
戸
﹂
地方における対物タイユ
あり、
これを八回PV として納税することが認められた。
(Z戸丘町田)、レンヌ (
同
州
巾
ロ
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) の市民、ナント大学の役員企名目当芯﹀造幣職人の獲得せる場合は課税対象となら
習法によって、貴族・僧族が獲得して四O年を経過し、彼らが直接経営を行なっている平民保有地の場合、 およびナ
ント
、
なかった。さらに都市は AHC白血
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したがって、 AHOEm町V
内 の納税義務者はもっぱら農民であった。
で
付加税 A ∞
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(
2
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これは、公領時代におけるもっとも基本的な租税であり、 王国併合後王国租税となった代表的なものである。
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の同意が必.擦と
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六六閉山年である。その
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国王裁判官
の錬稽の支持、
に関する
には十六世紀中
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居濯患で
のは比較的おそく
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さらに
六九七年に
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られ、 ついで、
の
と同時に、その同意は形式的なものとなった
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課税・教義の
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である。
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プルタ;ニ品の場合、
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プルタ!ニ品における新税
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の財務行政によって確保され
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﹁国王直轄財産﹂、﹁海関税﹂、﹁専売・独占﹂などの収入と比較して、 いわゆる一般租税収入、就中、直接税の
税収の少ないこと。直接税の税収の固定、特権身分の存在が指摘されねばならぬこと。
ブルタlニュにおける王国財政の特徴についてほぼ以上の如くいうことができる。これらのうち、特に、 王権によ
一定の財源・徴税管理を行なったが、この財務行政を通じて獲得
って州になされた譲渡の意味、直接税に関する問題が以下の章において検討される。
)
5
4山口口正問﹀
州財政(向山田円出口円品目
入
門
]
。
ロ mgzxv
。
ロ mEErvの名称をとるとともに継続的なものとなる。
二三四年以降、 A仏
北大文学部紀要
王権と州の入門 HC
ロmEEFVをめぐる交渉に際して、国王は州の同意に先立ってブルタ l ニュ今特権尊重について誓一目
であるが、
が登場する。当初これは臨時の御用金公己)包含 RRgE5tB) として必要時に州三部会との聞で交渉されたもの
ともに、 その重要性は失なわれ、すでに十六世紀中に州に対して新たな財源が探索される。かくして入門ゲロ mEZ5v
めて不十分なものであり、かっその金額が固定していたために、国家財政における諸経費の増大、貨幣価値の変動と
時
。
己
目m
王国財政の項で述べた如く、 八
ooEEmH-RVにせよ、 A-BH)含 EE--EVにせよ、王権にとってその税収は極
これは、租税ではないが、 王国財政がブルタlニュ三部会において確保する財源の一つである。
(
イ
)
王国財政の財源たる部分。
される財源は、 王国財政のためのものと、州固有の諸経費にあてられるものに分けられる。
州三部会は王国財政とは別個の財政機構を有し、
E
(
1
)
ヴ1
・
ノ一
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l
プルタ l ニュにおける新税
(H}
約八
gロR2Vを行なった。州三部会は、 さらに、
次期の会期において ALOロ何時三巴 dvを承認する前に、 前会期以降
一六七一年以後は事前に違反事項の検討はなされず、開会後ただ
新たな財政的要求を避けるために ALOロmgzxv を速や か に承認す
国モ側に﹁契約﹂内容に関する違反 (
gロ可告白耳目。ロ由) の有無を検討した。しか L、 金額がほぼ一定化したこと、
イ十四世治世における王権の強化、あるいは
るのがよいという州三部会側の政策などによって
ちに ALODmgzrvの承認が行なわれた。したがって A g
己EHVは形式的にのみ存在をつづけることになる。
ALCロぬEZXVは
、 かように川から国庫への献納金であって租税ではない。したがって、州は州財政の範囲内でそ
Q
の財源を見出すものであるが、このための特別な税目、 いわば目的税は設定されておらず、 州の一般財源から支出さ
れた
ヨ
によっで国庫に収納された。したがって王国租税でありながら州財政機構によって実現されたという点で、これか一州
財政の項に含めた。ちなみに、 王国租税たる以下の新税が、 王国財政機構によっては実現されず、州財政機構を通じ
﹁予納制﹂の対象となった新税の名称、
および﹁直接徴税﹂(み包巾) による期間と﹁予
てなされたことの理由をさぐることによって、。へイリデタ存在の意味を検討するのが本稿の主要課題である。
ブルタ 1 ニュに導入され、
1
3
8-
自
入門目。ロぬEZRVも金額は一六三六年以後ほとんど固定し、約百万リlヴルである。
予納王国租税(山口否。おき可出口凶出tosh
出
)
昨日
﹂の税目のすべてが、各々その存在
ノ
レ
のほとんど大部分の期間、王国財政機構によって課税・徴税がなされず、州財務行政の管理下に﹁予納制﹂(与S553C
その本来の性格からするならば、王国財政の項に加えられるべきものであるが、
。 g 5 C で中のって、
z
これは十七世紀末のカピタション (21E 0ロ)以来、新税として創設される王国租税 CSHU
(
ロ
)
1734-1748
二十分のー税
第二・二十分のー税
1756-1786
第三・二十分のー税
1783-1786
州内では
一七二五年に五十分の一
1741-1748
︹坤)
1719-1733
(
g
n
r己)ため、
1734-1736
納制﹂による期間を整理すれば、表貯のとおりである。
1701-1718
の変更されたものとして、
な お 新 税 に は 表 に 記 載 の も の の 他 に 、 十 分 の 一 税 ♀EDB
﹀
巾
zpB巾)が創設されるが、ブルタ l ニュにおいては州三部会がこれを買戻した
税(ロ古門戸口g
一一一一一一│直接徴税期間│予納期間
徴税されていない。
ブルターニュにおける新税予納期間
カピタション (
門
出
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叫
日
仲
間
片
山
。
ロ
)
2
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これは一六九五年一月八日の王令
]
司
。
可
田
巾
) によって創設された。 カピタションは
本来タイユにおける免税特権の排除を意図し、全
階層の人間に課税する頭割税であった。 つまり、
全人聞を納税義務者として二十二の社会的階層に
分け、最高二千リ l ヴルから最低一リ lヴルの段
。
H
H
d
r 仏叩ロ]回目印V)
(A刊日
一六九八年に廃止されたカピタション
階に分けて課税する
しかし、
一七O 一年に復活された時に、 それは配賦税
AFB旬
。
門
門
日
開
同
臥
同
)
間
同
片
山
昨
日 OロVv に変質する。 そして
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4
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回
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円
。 45Qum
、パリでは
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-139-
1757-1786
1750-1756
第一・二十分のー税
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7日一 1
7
1
7
一税
の
十分
1696-1697
カピタショシ
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北大文学部紀要
(
2
)
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カ1
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のっとってそれを行なったために
持既存の
ブルタ izι における新税
固定し
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1734 1788
ブルタ!
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ュにおいては、
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1701-1716
ただし、 ブルタ i
それ
1695-16ヲ7
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ミロ 445V、
部門}-HMO
は百額十万リ;ヴルをこえるこ
ンに付加され
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十分の
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二十分の一税は十分の
のも、
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、
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らわれた。この革新的性格とベイ Hデタにおける実現形態の検討を本稿の中心課題として次章以下で取扱うので、こ
﹂では名称をあげるにとどめる。
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州の財源たる部分。
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一六四三年、州三部会は自己の財源を拡充するために、起債を行ないA05ぬ巾。丘町E
目
見V に付加税を設けることとなり、これがA
05mm日
立gE-E-BV
務を負わせたが、これは事実上AgamoEE回
の最初とされている。
一六五九年まで、この税は経常的性格を持たず、徴収金額も必要に応じて定められるものであったが、次第に経常
的なものとなり一六六一年以降は金額も通常四十二万八千リーグルとなる。
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) によってなされるが、徴税令書 (
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)
徴税は王のAogm目。丘一口弘BVと同時に、同一の徴税名簿 (
は別個に議会より発せられた。
議会は納税義務者への税の賦課に対しなんらの権限も持たず、この税に関する訴訟に対して裁判権も有しない。こ
叶
2 -ghoEmg)L 、﹁農
E-55V の按分によってなされているため
れはACEm由 民 可g E吉田一日V の各納税義務者への賦課額がAga巾C
に、州、が独自に賦課額などを左右しえないことにあると思われる。
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なお、同時に徴収されたものに ﹁
AgmEgV 税務官職税(骨。吉田仲gnrh回国Eno百
dmEH-出口回目)広三円。ロ仏四回目出BU r g B勺品口町)!一および
村 小 教 区 カ ピ タ シ ョ ン 税 務 官 職 税 ( 白 骨 巳m235ロ
町
田
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門gmmzr ロ
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北大文学部紀要
-141-
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ブルタ l二における新税
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これは州財政における経常収入の最古のものであり、 か つ 最 後 ま で 重 要 な も の で あ っ た 。 そ の 種 類 も 多 く 以 下 の 通
りである。
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人間吋出ロ門日仏26 V
同
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FE弘同V であって、すべて
これは一五九三一年に創設された。当初は、州に入るブドウ酒を課税対象とする人仏gユ
門
の 消 費 者 に 転 嫁 さ れ る 性 質 の も の で あ っ た が 、 貴 族 の イ ニ シ ア チ ヴ に よ っ て 一 六O 四 年 以 降 そ の 性 格 を 変 じ 、 居 酒 屋
Q
(金額は各々一ポ (言うあたり)
で販売される場合の小売税となる。したがって一時に多量のブドウ酒を購入し貯蔵しうる者は担税者とならなくなる。
人司丘町円山内︿。H
V
(UCS
宮
2) などの官僚の給与の支払いにある。
これは目的税の性格を有しており、税収の使用目的が州三部会の行なう各種年金(宮口回目。ロ印﹀ 高 等 法 院 、 会 計 検 査
耳目門同何回
((UEHHH
-142-
税率は一六九七年以後次のとおりである。
一
ス l九ドニエ
①州外ブドウ酒、五ス l四ドニエ。
③ビ I ル、十ドニエ。
産地司教区外小売、三ス l 六ドニエ。
産地司教区内小売、
⑨州産ブドウ酒。
イ
ロ
④火酒なび蒸溜酒、二十五ス 10
院
{
ロ
)
税率は一六六八年以降(一パリク 手足同日(右目)あたり)
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凹)
によってなさ
一七五九年│一七七二年の期間州に譲渡され、年額九十
財務総監
加の諾否を行ない、 入 札 見 積 書 公
2Em印目。ロ印)の提出を要求
(
円
。
ロR22H 札口hE-P町民口出口口出回)は入札参加者に対し、参
が、入札に対する王権の介入は著るしい。 例えば
徴税請負に関する入札は州三部会の行なうものであった
れた。
ないしは請負人組合
山
内BLEF405)
,これら飲料税の徴収は飲料税請負人Q2白
万リ lヴルの収益をもたらした。
これは王国財政の項で述べたものである。前述せる如く、
AOB-xr2z--EV
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し、入札に競合する請負人組合の設立にも参与したらしい。
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また、入札の場においても、アンタンダンなどの国王官僚 (
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仏HHHCC
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十
が介在している。これら王権の入札に関
日目町田即日吋2
付加税
五十
する一連の行動は常により高額な落札を得ることにあつに切}
2, 000, OOO~4 , 625 , 000
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項
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北大文学部紀要
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②①
州、│州
産外
酒酒
十
守
ブルタ l ニュにおける新税
飲料消費税の税収は極めて多額であり、 またその請負額は変化が大きい。表凶にはその最高額と最低額を記した。
いずれにせよ、飲料税は州財政の基幹部分であった。
州財政を構成する既述の各財源については一括して表性に示す。
以上、ブルタ l ニュにおける王国財政および州財政を概観したが、 王権による一元的支配が財政の面においてもい
ドメ
1
ヌモノポールト
ν1 ト
われる場合、いかなる問題がブルタlニュ財政に含まれているかについて考えるならば、王国財政の項で指摘した如
く﹁国王直轄財産﹂、﹁専売・独占﹂、﹁海関税﹂など収入に比しいわゆる一般租税収入の少ないことが第一にあげら
C己間関巾
V) の 有 す る 欠 陥 に よ る も の で あ る 。 つ ま り 、 タ イ ユ は そ の 性 格 と し て 配 賦 税 OB]U2rH品
目
)
出
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片
山
れねばならぬ。特に絶対王政期には間接税に対して直接税の税収が少ない。これは伝統的直接税タイユ (ブルタl
ュでは企
tcロ)であって、これは国家がその年の課税総額を予め決定し、その金額を最終的には各納義務者へと配賦公金日片山与
するものである。したがって、国庫へ収納される課税総額は納税義務者の担税力とは、少なくとも原理的には、無関
係に﹁洛意的﹂に決定される性質のものであった。
タイユの課税には原理的にかかる怒意的性格が内包されていたが、絶対王政期を通じて王権の窓意性を制約する要
因として常に慣習法的観念が作用しており、他方これがまた、タイユ税収の固定性を生じることになる。担税力とは無
関係に税額が決定され、かっそれが固定するというタイユの欠陥は、租税が経済的変化に対応し得ないことを意味する
qzz ﹀)を考慮する時、直接税の制度的欠陥による税収の停滞
ものであり、特に一七三0年代以降の経済的成長
は極めて問題となる。またタイユの重大な欠陥としては身分的免税特権を許容しているという事実があげられる。ァ
ンシアン日レジーム期に間接税が重視された主要な理由は直接税における免税特権の存在にあるのであ恰したがっ
E
一144-
ベ d-
直接税の改革が問題となる。タイユに対する新税の創設である。この場合、新税はその性格として経済的成長
て、絶対王政が国家諸経費の増大によって財政危機をこうむる場合、解決策として、 まず、
'i
H担税力の増加に対応し、これを把握しうるものでなければならぬだろうし、また、個人に対しても、地方に対して
も特権を排除しすべての人聞を納税義務者として統一的に把握しうるものでなければならぬだろう。つまり財政にお
ける王権の一元的支配の貫徹、 王国財政機構日官僚制の全面的確立が意図されねばならぬ。ではブルタlニュにおい
て、王国財政による地方的特権の排除の方向が明確になっているだろうか。すでに検討してきたいくつかの事実はむ
しろ、次の如き事実を示している。
EロEV
間王権による州財政強化の政策が認められること。州財政が収支均衡を悪化させた場合、王権にとって財政状態
が比較的良い場合、州に対して前述した如き譲渡がなされた、つまり、﹁国王直轄財産﹂の諸権利、企B
u含 E
の譲渡およびカピタションの一部割戻しなどである。また、 王権が州の飲料消費税の増収を積極的にはかつている事
実もあげられる。かかる州財政強化策が王権の財政危機への対処といかに関連するか。すでに述べてきたところから
われわれは王権が州財政から入門ゲロ m
Ezrvを 要 求 し て い る 事 実 を 見 て き た し 、 ま た 王 権 が 売 官 制 に よ っ て 税 務 官
職など州の財政的特権に不都合な官職を創設することによって州にそれを買一戻させている事実もあげた、 これらの場
合、州の財政にその能力のあることがのぞまれたのである。また、 王権による一元的支配が拡大の過程をたどること
によって国家経費のなかに公共的費目も大きな位置を占めてくる。そして、ブルタ l ニュにおいては、かかる公共事
業の一部が州財政の負担とされるという事実がある。しかし、王権が財政危機への対処を、州財政への依存の方向に
ではなく、 主国財政機構貫徹の方向になぜ求めなかったか。この点に関する問題の重要な側面を次の事実が示してい
北大文学部紀要
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も有しない V H念仏uHM-M
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て予納制がとられた。
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町
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て は 、 特 権 的 個 人 及 び 団 体 │ │ 親 玉 、 都 市 、 州 な ど 111に対し
納 の 形 で 税 を 支 払 うV ものである。 ζ ・ロロ42R
HS忍泣きさ
悶W
﹁予納制
場合、王権が自己の官僚機構を通じて徴税を行なうものである。
﹁予納制(与 Dロ
ロ058同)﹂に対する意味のものであって、この
Q256﹂および
れらが王国全般に関して行なわれているといえどもなんの効力
(口。ロ吋切出 O己n
宮町田)によって認一証されないならば、たとえそ
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(9) これらは、レピヨソによれば、州三部会及び都市に属する税
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ωstmz'
御 用 金 で あ ろ う と 推 測 さ れ て い る 。 一 七 七 八 年 の こ のA
ρ5 に計上されている金額は、州一一一部会税収に対する付加税に
o
関 す る も の は 百 七 十 一 万 三 千 三 百 三 十 三 リ lヴ ル 、 都 市 の 税 収
に 関 す る 付 加 税 に つ い て は 二 十 七 万 五 千 十 八 リ Iヴ ル で あ る
HF
九
九
唱 HU-UMU
hb九
九wHV-UMM
(叩﹀
一ピプ Qqo)H二百ポ QDZ) で あ っ た 。 し か し 、 実 際 に は
(日)これら容量単位については、一ポ Q2)H 約二リットル、
ι1bH門
戸
wM
一ピプは二百二十ポに相当する。請負制の場合には、前者が採
用され、容量の換算からも利益が得られたのである。
aM
吋・ロ・(-)
(ロ)従って、この点に関しては、パジエスの如く、ブル一次JI--
AFイ ユ は 、 若 干 の 地 方 、 就 中 、 ブ ル タ l ニユにおいて
ユにおいてタイユは存在しない(註山)という表現があるとと
もに、
同
H
JR
ふ ,
o
z
m問。と称せられるV ともいわれるのである。明,円・ 0
。
同
月
一
山
口 。h・
誌 .]yu
∞四
Y向
v門
u
4
ヴルになったことがあるが、通常は三十五万リ Iヴルであった。
は、財務総監テレ l の 時 代 ( 一 七 七 二 年 ) に 年 額 五 十 五 万 リ l
)L
(幻)Agg25BOEVは 一 七 三 二 年 以 後 課 税 さ れ 、 そ の 予 納 額
(勾
(リ同
・
剛
山
小-tEDPHU
・ほ
(β)kr
口印)、親任状
C
)AnDロ可回HV の 内 容 及 び そ の 精 神 を 、 一 七 一 七 年 の Ag
・
ロ
忠
一
円
FEZV ︽
片
岡
田 HV第二五項から例示すれば、 A いかなる王令 (
g
(85B岡
、 国 王 顧 問 会 議 決 定 守 口b
田
弘 Dロω)
山
片
zg
北大文学部紀要
-147-
であって入農奴(問。
5 号 自 己 ロ50立。﹀が真の所有権なく用益
ブルタ l ニュにおける新税
入
山
口
同
一
切mxrB52V は 一 七 二 六 年 以 後 設 定 さ れ る が 、 そ の 予
権 を 獲 得 し た 場 合 に 適 用 さ れ るV も の で あ る が (
ζ ・ 玄25p
時に四十一万六千六りlヴル、平時には通常二十万三一千リlヴ
︽
]
問
問p
nymロ片岡田mpSBBロロ同問。を用益する小教区にのみ課され
国
n
Aロ企V
唱
a
g
も
パ
最 高 額 は 四 十 一 万 六 千 六 リ lヴ ル で あ る 。 一 七 五 七 年 以 後 、 戦
約 額 は 変 動 が 激 し く 、 最 低 額 が 六 万 五 千 七 百 九 十 四 り lヴル、
ルとなる。
るV も の で あ る O K H・河台︼ニc
p。
、
・ 2FU]ysov 030 その
・
ロ
税 収 は 、 一 七O 二 年 以 降 、 約 七 千 三 百 三 十 八 リ l ヴ ル 、 一 七 七
Z 色。官同の 実 態 は 入 国 主 に 属 す る 含o
E
m
m
w 弘知ロ
u
l
h
田・)、ここでいう入骨 DFZ円ロ師同問。 E L OロG戸
同 w
-SH
よ HMy
七年からであり、税収は六万リーグル以上であって、一七五九
A
B
]
u
h
X
L
o
m
m
m丘中nggV が 徴 税 を 開 始 さ れ た の は 一 七 五
LSPA-
a
o。
年 以 降 六 万 五 千 十 五 リ lヴ ル 、 一 七 七 八 年 以 後 は 六 万 四 千 リ l
山
しかし、前述の註(日)の場合と同様に、実際には一パリクは百
(お)一パ pp(rR円五口白)H二百ポ(℃ DZ)、 約 二 百 リ ッ ト ル 。
日
(
幻)NPRW yaMA
二年以後は約一万二百七十四リlヴルである。
ヴルとなる。 H
aai吋
山
内
区
切 u
E
R
W
}
ω 司-u企l
M
W日
己負日)の乱費と、その会計の日常的乱脈が、州三部会をして新
(辺)主権の増大する財政的要求に加えて、州の財務官(片岡小切 OE
一位 -w]V-S吋ロ・(日)
二十ポに相当した。 Lg
ミ -wHV
(mD)LS
・aM吋
た な 財 源 を 創 設 す る や む な き に 至 ら し め た VLSAψHV-S
(却)入政府は州三部会以上に州財源の増加に関心をもってい
数 字 は 年 額 で あ る 。 ブ ル タ l-一 ュ 三 部 会 は 通 常 隔 年 じ 開 催 さ
カピタジョ γ、 十 分 の 一 税 、 二 十 分 の 一 税 予 納 額 は 別 表 参
(mu)絶 対 王 政 に お け る 間 接 税 重 用 の 理 由 は 、 直 接 税 に 比 し て そ
照
。
(mA)
ら、実際の請負額は各々二倍額であらわれる。
れ、その際に入札が行なわれ、請負は二年間を対象としたか
(引
∞
A)LSHAW 同
︼
匂-ahSlaa
auu
たvheRU ℃-
(引出)但し、ルイ十四世の治世においては、巨額の徴税がなされ
吋
MB
九
件"
(
幻 )NF
-v-uu
円
た。その税収は、六十四万二千から百二十八万四千リーグルに
及ぶ。句史、-wHV・ UM唱
目
05 gnFPBHCEngE ]grgmgv、AM
LO
H
o
-凹
ロ︼つ--︿同何回口同日戸門知同比一[阻止 C口色白日対内W
白
日
開
同
印
日 VO
印
。ω己目ロ山口
(
万) A骨
SE
由 Vの 二 項 目 の 合 計 は 、 一 七 一 四 年 の 四 十 五 万 リ l ヴ ル を 頂
点 と し て 以 後 漸 減 し 、 一 七 四 一 年 以 降 は ご 一 十 一 万 六 千 リ lヴル
日
以
・
日
山 NU
-w
門
町 O芹己白ロ OE
︿何}田口 AERVHVと は 中 世 に 起 源 を 有 す る も の
ハU A ) A
ミ
となる。 守
i
-148-
の負担感を納税義務者に感知させることがないと同時に免税特
設 立 す る に 至 り 、 か く て 経 済 は 自 主 的 に 機 能 す るV 吋・出回ユロロm
させる。資本家的企業者は自己の企業を拡大し、新たな企業を
件
。
同
日
目
・
吋
Y
向。ι25γ-uuF33・
u
a
i
u
2HN・玄cgEFOg-Ag
cE5
巾2
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8RRg三Fgoロ間同岳山。
町 NNEE-nh悶N N n。
与
凹o
円
九
缶
詰 N由
-5¥同
詰h高句。怠尽き白 N芯 EENhnmM
権者にも負担させることができるからであった。森恒夫﹁フ一ブ
但し、既に見てきたようにプルタ l ユュにおいては、飲料消
ソス近代税制の成立過程け﹂(﹁金融経済﹂ハ山号)四五頁。
民。号
E
U ︿c--H︿
ω
(
参照。
(%)註
八 年 以 後 は 通 常 三 十 万 か ら 六 十 万 リ Iヴ ル 、 時 に は 八 十 万 り l
ば、主要道路経費(一七四六年以前は通常十万リ lヴ ル 二 七 四
(幻)州予算に計上されている公共事業、公共経費の例を挙げれ
(mM)
る
。
(FSHVO同
費税が小売税とされた為、貴族は間接税すら免れ得たのであ
税額決定の方式から租税を分類する場合、配賦税
配賦税が予め徴税総額を決定し、それを配分して行くのに反し
ヴルにのぼる)、貧民収容所経費朱
v
E
Z
E
h
v
) に分けられる。
門
目
白
同
小
︼
叫
白
江
戸 Oロ)と定率税(山田]
upισρ 戸D
(UA)
て、定率税は最初に税率が決定され、各納税義務者における課
O年 以 後 、 十 万 リ ー グ ル ) な ど が あ げ ら れ る 。 ﹀ -Hh
同v
rECP 局、.
UU0
・
の。フルタ i ニュにおける実施形態を検討する前に、
これら新
3
ミ権の要求に反対しようという政策があらわれてくる。 L
u
u
-
ってそれにあて常に州の財政状態を悪化させることによって王
己0 5 0口
伝
n-S(一七七
税標準に、その税率を適用することによって税額が決定される
FLu-u-S吋1∞・従って、かかる王権の増大する財政的要求に対
九
円
し、州は徴税の方式で要求額に応ずることをきらい、起債によ
(間以
ものである。宮・ロロ42四四ア色、・ 2FUHU
・-G
) A一フプルス (Fmrg口町田町)氏は、なによりもまず、フヲ γ
ソワ・ジミアン(司Eロ
n
c
u
ω 即日目白ロ仏)の用語を採用して、十八
TE2 ﹀が如何にフ一フ γ ス 絶 対 主 義 を 動 揺 さ せ た か を
世紀の
il 一七三三年から六三年までは緩慢に、六三年
llの 時 期 に は 、 騰 貴 は 利 潤 を 増 大
から七O年 ま で は 加 速 的 に
示した。騰貴
2EPEO)、二十分の一税守山口m忌日開﹀
二、十分の一税、二十分の一税の成立とその性格
十分の一税
北大文学部紀要
一1
4
9-
ブルタ l ニュにおける新税
税に関して王権の期待したものが何であったかを知るために、十分の一税および二十分の一税の性格を明らかにしな
ければならぬ。
Q
したがって、
一六
一七四八年の二十分の一税成立に至る過程を王令
十分の一税と二十分の一税は後述するところで示される如く同一の性格を有する租税であって、一一十分の一税は十
分の一税に端を発する租税原則の確定制度といえる
一七一 O年当時、絶対王政の財政危機がどの程度のものであったかを見ると、
一七一 O年の十分の一税
を中心として検討する。
︹
一
一
︺
十分の一税創設の背景として、
八九年から一六九九年までの十年間、経費総計が十五億八千万リ lヴルであったのに対し経常収入は七億九千五百万
リlヴル、 つづく一六九九年から一七O八年までの期間については、総支出が十四億六千二百万リ lヴルであったの
に対して、経常収入は一二億六百万リ lヴルであり、経常収入は総支出の二分の一から五分の一にすぎぬ深刻なもので
あった。かかる財政難の原因としては、ブルタ l ニュにおいても見られたように、直接税(タイュ、入問。5常 V) 税収
の停滞に示される税制・財政機構の不備が指摘されるとともに、軍事費、 一一公債費、宮廷費など諸経費の膨張があげら
れる。就中、十分の一税創設当時は一七O 一年からのスペイン継承戦争が継続中であり、軍事費の増大が著しく、戦
費の捻出が十分の一税創設の直接契機として王令に明示されている。
かかる財政危機に対し、王権は官職売却、公債発行、貨幣改鋳などの手段で対処したが、これらは当然根本的な解決
とはなり得、ず、まさしく、 A未来に重荷を負わせることによってのみ、現在の負担を軽減するV ものであった。した
1
5
0-
がって根本的な解決を行なうためには、少なくとも、税制の根本的な改革を志向せねばならぬ。ここから、直接税の
欠陥に対する改革が新税創設として企図されることになる。
h
n
民
間
片
山 Oロ
門22- ℃。ロ吋-田
王令の各条項の内容を列挙しつつ十分の一税の性格および王
-2rL戸己反日即日開門E
H
2
m
H
H
H
Mg
仏 zg∞仏口同。可m
ロ
品
。
E
H
H
F
L
Cロ
かような状況を背景とし、十分の一税に関する一七一 O年の王令 1 i ﹁一七一 O年十月十四日の、十分の一税徴収に
関するマルリ l王令﹂
(見呂)lが発布される。以下、
目
frzsE可ロ
田
円
P呂
親王領保有者
(回目︼守
スペイン継承戦争の継続による財政難のため、すべての財産の収益に対してその十分の一を徴収し、
権の意図を明らかにして行きたい。
︹前文︺
七一 O年一 O月一日より講和締結後三一カ月まで毎年徴収する。
︹第一一項︺すべての所有権者は、貴族であれ平民であれ、特権者であろうとなかろうと、
家屋は賃貸されている場合もされていない場合もその収益の十分の一を支払わねばならぬ。別荘は賃
gmU22)、王領地契約者 (gm向性田宮与を含めて、あらゆる財産の収益の十分の一を支払わねばならぬ。
︹第二項︺
あらゆる官職収入の十分の一についても同様である。
貸されている場合に限り十分の一税の対象となる。
︹第三項︺
あらゆる公債、給与、賞与、贈与などの十分の一についても同様である。
オフイグエコールコミユノテ
︹第四項︺
あらゆる年金も十分の一の徴収に服する。官僚、その他の個人、団体、共同体に属するあらゆる権
一般に収益を
︹第五項︺
山
田
口
凶V などの収益、
利、収入、給与についても同様である。都市の A025ぽV、 A5425凹唱え巳BOロ
生ずるその他あらゆる財産について同様である。
北大文学部紀要
一1
5
1-
財産、官職などの所有権者が年金、金利の支払義務を負うている場合、彼は年金受領者、債権者が抵
プルタ l zュにおける新税
︹第六項︺
当権を行使しうるその財産についてすでに収益の十分の一を納税したのであるから、年金受領者、債権者に支払う年
その収益の十分の一を支払う
同じ理由で、個人および団体が給与、年金その他を支出している場合、支給者は受領者に対して当該
金、金利の十分の一を支払いの際に差引いてよい。
︹第七項︺
印門
(
U
8
2
5 で決定された徴税名簿公色ぬる によって支払われること。
十分の一税は国王顧問会議 (
実業家
F
ι 耳目)、商人、その他金銭を運用する職業のものも、
(
m
gF
給与年金などの十分の一を支給時に差引いてよい。
︹第八項︺
﹂'戸﹂。
門
平等をもって
ES 確定するために、
(22hm目
所有権者は、
である ο
一152-
︹第九項︺
一
O月以降=一カ月分について徴税名簿送付後十五日以内に支払われ、翌年からは毎年一月、
O月の四期に支払われること。
一
七一 O年に関しては、
月、七月、
支払うべき財産の収益十分の一を、
借地農 Q25 F Z S仲間同おるその他の債務者は、所有権者、債権者が十分の一税の納税済を証明し
︹第十項︺
白
目
た場合にのみ、 地代債務の支払いを行なうこと。
︹第十一項︺
AH)同弘司OH
HgBR口﹁白ロ
r
v 、各州においては、アンタンダンおよび国王派遣官僚(RES-明白色耳目伝℃日江田﹀
王令の発布後十五日以内に、所有する財産に関して申告(訟口FE巴Cロるを行なわねばならぬ c提出先はパリに関して
は
十分の一税の収税は、 ペイ HJア レ ク シ ョ ン (
宮
山
、
田
仏
、
血
痕
ロ
昨
日 Cロ)においてはタイユ収税人公2222
期日内に申告を行なわなかった場合は税額を二倍に、虚偽の申告をなした場合は三倍にすること。
︹第十二項︺
四
ロ
H
1
m
(見山口町︿而己片目立 m b b
凶
己
M内﹀
a
を介して国庫 (
3hgHg可巳)に納
門︼何回窓口}町田)によって、 ペイ Hデ タ ( 宮3 R Pえるにおいては州の財務職(おロ巾4232 可恥由。江町吋目。三吉田山門町田仏
rE2mrFHVH2EB) によってなされ、会計総務
入される。
以上が一七一 O年 の 十 分 の 一 税 に 関 す る 王 令 の 概 要 で あ る 。 王 令 の 条 項 は し か し な が ら 厳 密 に 実 現 さ れ た と は い
えず、早くも一七一一年に僧族が入含ロ m
gzxv の 献 納 に よ っ て 免 税 特 権 を 確 保 し 、 王族、 ベ イ Hデタが予納制
一七二四年になされ
σ
oロ
553C を獲得するなど、期待された税収をあげることができず、 十分の一税は一七一七年八月の王令によ
(国
一七二五年の五十分の一税(門戸
Z ロ田口昨日 PBm)
って廃止される。
︹一一︺
一七一七年に十分の一税は廃止されたが、国家の財政的窮乏はこの間いささかも改善されず、
﹂の場合は、戦時ではな
た一七二五年の収支予想によれば、収入一億八千八百万リ lヴル、支出二億五百万リーグル、 したがって赤字千七百
万リーグルが見こまれている。かかる財政状態において十分の一税の復活が企図されたが、
﹂の徴収方式に適合しない収益
く平時であるという事情を考慮して、税率を下げ若干の変更を加え、 五十分の一税として再現される。
変更された点は、あらゆる土地生産物・不動産収益の五十分の一を現物で徴収し、
についてのみ貨幣で徴税を行なうという点にある。その他の点では Aこ の 新 税 は 十 分 の 一 税 の 正 確 な 再 現 に す ぎ な
いV 。現物徴収の方式は貨幣価値の変動による減収を考慮したものであるが、徴収方式の繁雑さは王国徴税機構によ
北大文学部紀要
一1
5
3-
ブ ル タ i ニュにおける新税
る徴税を困難にし、請負制べの依存、予納制・買一戻制の採用という欠陥を繰り返すことになる。
]γ 2
向1
。
ロ
) によれば、
(守向田吋口白
八一七一 O年一 O月一四日の王令が、貴族か平民
ZE42由主忘)をより強調するに至ってい
ただ、十分の一税の不成功を考慮した五十分の一税は普遍的課税の性格 (
るといわれる。すなわち、 マリオン
か、特権者か非特権者かについて言及するにとどまっているのに反して、一七二五年の王令は、聖職者か俗人か、貴
族 か 平 民 か 等 々 、 あ ら ゆ る 身 分 の 所 有 権 者 を い か な る 除 外 も な く 記 載 し て い る V という。かかる特権者排除の意図は
一七四九年のニ十分の一税
一七二八年一月一日以降廃止される。
僧族、高等法院をはじめとする特権者の抵抗を惹起し、 さ ら に 現 物 徴 収 と い う 徴 税 方 法 に お け る 根 本 的 欠 陥 も あ っ
て
、
︹一ニ︺
一七三六年一一一月一一一一日をもって
十分の一税はその後、 ポーランド継承戦争を機会に一七三二二年一一月一七日の王令によって翌一七三四年一月一日
以降復活し、同戦争の講和予備条約が一七三五年一 O月三日以来交渉されたため、
廃止される。さらに、 オーストリア継承戦争が一七四一年八月九日の王令によって徴税をコ一度復活させる。また十分
Ngr 宮口町ロ﹂誌の)が併設され、租税収入によって経費の膨張を処理し得な
の一税には一七四七年以降、付加税 (
かった王権がたよらざるを得なかった負債の償却にあてられる。
一七三三年および一七四一年の十分の一税はまったく一七一 O年 の 王 令 を 再 現 す る も の で あ っ て 内 容 に 変 化 は な
ぃ。ただ十分の一税の原則を実現するにあたって、主要な性格の一つである普遍的課税の性格が、三三年、 四一年に
おいてはかなり後退し、 また財政的窮地を脱するための単なる手段として、迅速な税収を求めるために、買一戻制・予
-154-
納制が多用された。
オーストリア継承戦争は一七四八年一 O月に終結する。したがって、十分の一税は廃止されねばならなかったが、
ポーランド、オーストリア二継承戦争は財政状態をさらに悪化させ、戦争終結当時一億八千万の未償却の負債が生じ
ており、緊急に解消する必要があった。この対策の一つとして財務総監マショ l(富田nrEF 円﹀E
C
E
i
m
) は十分の
一税に変えて、終戦後という事情を考慮し税率をおとした二十分の一税を創設した。税率の低下分は二十分の一税に引
きつがれた十分の一税の原則の厳密な適用・実施によって補うことが意図されん官したがって一七四九年の二十分の
L という政策が前面に押し出されることになる。
一税においては、﹁課税の平等﹂が強調され、納税義務者に対して﹁申告書﹂の提出を強制し、収益の正確な把握を行な
ぃ、確定された税額を確実に収納するために一予納制・買一民一制の拒否
二十分の一税は、一五四九年五月のマルリ l王令│!﹁一七四一年八月二九日の王令によって創設された十分の一税
(
開
門
回
目
同
門
吉
吋
HU
円
O
H ℃。︼勺門出口仲田口 ℃
Oロ E E也昨日白血仲田ゲロ宮門
円
。
即
日H
の廃止、国家の負債償却のための減債総金庫の設立、税収を当該金庫に納入するための二十分の一税徴収に関する、
一七四九年五月マルリ lにおいて発せられたる王令し
-R戸
F Kロ
片
山C
r
H
N匂戸C
D
H 見台二、品gz-回
BOEmzsgHF}55rEgro己目白目
目BgH E5222な忌ErL2 戸
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門
H
C
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Oロ b片
2
m
h 仏出口町]由佳仲間門戸山田日夕円円Cロ
OE 門︼巾明色合同片何回仏四円一回国門uzz-04臥目 PH4Em--PB巾℃。2 -巾官。(
岡
巾4
ロhp
ロ
冨2JEgo-∞仏向日回目見色・)││tによって創設されたが、その条項は税率を二十分の一に置き換えるならば、ほ
一七四一年八月二九日の玉令により創設された十分の一税は、
一七五O年一月一日以降廃止されるこ
とんど一七一 O年の諸条項の再現といえる。したがって、以下、一七一 O年の王令と相違する項目についてのみ取り
上げる。
︹第一項︺
北大文学部紀要
1
5
5-
ー
プルタ l ニュにおける新税
︹第三項︺
︹第二項︺
一七五O年一月一日以降、毎年、すべての財産の収益に対して二十分の一税を徴収する。
一七四六年二一月の王令による十分の一税付加税 Qgr ℃。ロ吋口 45) は継続して徴収する。
一七一 O年の王令における第一項か
一七一 O年の王令が、 Aすべての所有権者、貴族
以下第六項と第七項を前後させるならば、その他は第四項から第十五項まで、
ら第十二項にその内容がそれぞれ相当する。
相違する点としては、山納税義務者を規定する第四項において、
人口由民同
EEmgVという規定を加えていること。
も平民も、特権者も非特権者もV と規定しているのに対し、 入すべての所有権者も用益権者吉田正E 正2ろ も 、 特 権
者も非特権者も ::;Vとして、
第五項において、各財産の収益から二十分の一税を徴収する場合、諸経費を差引いた純益 QBLロ
xsc :ふμt
ム
マ
ハ
象となると規定していること。以上、納税義務者および課税標準の決定について若干の明確化がある他は、 ほとんど
︹第十七項︺
︹第十六項︺
当該金庫の財源管理は同金庫担当の財務官が行ない。その収支は会計検査院の監査の対象となる。
二十分の一税、および十分の一税付加税の税収は減債総金庫に収納されること。
rzgg仲間)を設置すること。
25巾 窓 口 合 丘 町 仏 巾 回5
パリに減債総金庫 (
国2
一七一 O年の諸条項と一致する。
︹第十八項︺
当該金庫の財源は国家の新旧の債務の償却に使用される。
グヤ γプ ル テ
・コ
γト
︹第十九項︺
債務の償却は当該金庫によって、翌一七五O年七月一日以降開始される。
-d
︹第二十項︺
以上が一七四九年の二十分の一税に関するマルリ i壬令の概要である。
-1
5
6
。
v
乙
(
2
)
一七一 O年玉令の前文においては、新税創設の
次に、以上の諸条項から、十分の一税として出現し二十分の一税において確立する一系列の租税の性格を検討する。
まず、二十分の一税において確立するということの意味であるが、
理由としてイスパニア継承戦争の継続中であることをあげ、 かつ廃止の時期を講和締結よりコ一カ月後とその期日を明
仲間
仲
V2B28V としての性格を欠いていた。事
一七四八年の二十分の一税には、 その背景として、 オーストリア
確にしている。したがって、十分の一税は本来臨時的なもので企51
実、十分の一税は再三廃止されたのである。他方、
継承戦争の終結という事実があって、十分の一税の場合とそのありかたを異にしている。
仏8
5Em 回B
Z)﹂に関する
二十分の一税創設の意図は第ヤ六項││第二十項の﹁減債総金庫(ロ丘町田開な忌Er 2
目B
-157-
一連の規定に示されている。すなわち、 これは王権が戦争終結後も財政の収支均衡を期待できず、就中、負債償却の
ための財源を確保せねばならなかったことを意味している。そしてこの場合、償却開始の期日は明記されているが、
終止期日は不明であり、負債の解消がもしなされたとするならば、その場合、二十分の一税が廃止されるのかどうか
も条文ではまったく不明である。むしろ、条文が入新旧の負債V と将来の負債をも対象に含めているところからすれ
ば、二十分の一税の永続的運命が予定されているといえよう。ここで一七一 O年の十分の一税を端緒とする一系列の
租税は、二十分の一税に至って臨時的財源としての規定を陵昧にすることによって経常的財源となったということが
できる。
では、二十分の一税において確立する一系列の租税が、新税としていかなる革新的意味を持ち、またその性格はい
かなる結果を予想させるものであったか。以下、前述の諸条項からその検討を行ないたい。
普遍的租税A
0532巳4mg巳V としての性格。第一項(第四項)ll一七一 O年王令の項目と共に括弧内に一
北大文学部紀要
[
1
)
プルタ l ニュにおける新税
七四九年王令の項目を示す││。
E
これは、旧来の直接税(タイュ、企。 唱V)が許容している免税特権を排除し、何人といえども納税義務者として統
(5ch252るという規定があげられているが、
﹂れは僧族を対象とするものである。僧族は自己の占有する財
一的に把握することを意味しており、徴税権の前での平等を意図している。特に一七四九年の王令においては用益権
者
産について、自己は所有権者ではなく用益権者であり、所有権は神のためのものであるという論理で十分の一税を
AEロmgzrv に代替し、十分の一税の完全実施を妨げてきたのである。
かように普遍的租税として特権の排除をその性格として有していたために、十分の一税、二十分の一税は特権者の
吋印
﹂れら新税の革新的意味を認めることは
この性格は課税客体を網羅的に記述することによって示されているが、財政史・法制史家は通常課税
2r-g出向。ロ仏印(不動産収入)
525 仏
48ロ門ゲコロ仏戸戸田片岡山巾2LE85528(商工業収入)
EMELg宮E-05(動産収入)
525L巾田口問)
問X
H28ロ 仏 町 田 ロ 宮 門m220hpg(官職収入)
従来の直接税タイユがもっぱら土地を指向していたことを考えるならば、
-158-
激しい抵抗を受け、特にマショーの如く二十分の一税の厳密な実現を企図する場合には、当然強い反動をこうむるこ
とになる。
て
収益全般に関する租税八日目唱。円札口臥E-E 吋-252ロ
5Vとしての性格。第二│八項(第五l 十一項)
お
客体を次の如く分類整理している。
王
令 (
2
)
④ ③⑧ ①
容易である。
ここから、これは今日のフランス税法における分類所得税 QB匂含aEE可 也 に 相 当 す る も の で あ る と い う 評 価 も
生まれてくるが、またこれが納税義務者の収入をその収入の源泉に重点をおいて見るという点で、つまり、課税客体
﹂れが
フランス革命期における収益税の先駆的存在である
たる収入を人的にではなく物的にとらえているという点で所得税(百七含∞己 F243己 で は な く 、 収 益 税 ( 百 七 合
であるという見解もある。しかし、
5
r
225)
区
ス
田口吋}巾印吋
アンシアンリレジーム期の租税はほとんど
0'
ということはできよう。
臥
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g
Z
H V としての性格。
j
J
Z
に常に対応しうるものであるかという点に難点がある。一方﹁定率税﹂はまず税率が決定されるものであるから、予
め徴税総額を確定し得ないが、担税力の変化には対応しうる性格を持つものであり、担税力への考慮を欠いた。いわ
ば怒意的な課税という配賦税の欠陥を排除している点で課税の明確化を示すものである。十分の一税、二十分の一税
一七一 O年の王令の第十一項および一七四九年の王令の
﹁定率税﹂がその本来の性格を実現することができるためには、税率を適用する対象、 つまり、納税義務者
はその名称の一不す通り﹁定率税﹂である。
、、、、
AVR-
中h4μ
H レジーム期の税制において画期的意味を持つ、罰則をともなったいわゆる
における課税標準の確定を行なわねばならぬ。したがって、
第十四項が規定する如く、 アンシアン
北大文学部紀要
一159-
q
o 定率税AOBHV合
弘
H 吉江戸昨日。ロ)﹂の性格を持つものであった。配賦税においては、最初に徴税総額が決定され、
教~
H小 教 区 住 民 の 推 定 資 力 に 応 じ て 按 分 さ れ る 。 こ の 方 式 は 、 王 権 に と っ て 年 度 内
徴ご詳
税2
税
E
テ
ミQ
の税収を予め知ることができるという利点があるが、納税義務者の担税力に応じた課税であるか、また担税力の変化
へ配賦され、最終的には納税義務者
そ
れ
が記
プルタ i一ュにおける新税
Q
したがって、十分の一税、二十
﹁強制申告(忌己白血昨日。5rRh2どが必要とされる。 同時に申告納税制の宿命ともいえる所得・収益の隠匿を防止
するために、提出された申告の厳密な﹁査定合今回目片山門55﹀﹂がなされねばならぬ
アンシア
つまり、十分の
分の一税が﹁定率税﹂として実現されるためには﹁申告﹂および﹁査定﹂が前提されねばならぬ。ここに、
ン H レジーム期における王国財政機構 H官僚機構が﹁申告﹂および﹁査定﹂を十全に行ない得たか、
一税、二十分の一税に内包される草新的性格を実現し得る能力を有していたか否かが間われねばならぬ理由がある。
以上、二十分の一税として確立する一系列の租税の性格について見てきた。
これら新税創設に関する王権の意図は疑いなく財政危機への対処、すなわち絶対王政の自己保存に他ならなかった
けれども、絶対王政は、前述してきた如く、自己を保存するために王国租税の合理化をはからねばならなかった。こ
こで税制に極めて近代的性格が与えられることになる。
では、 そ れ 自 体 と し て 極 め て 近 代 的 性 格 を お び た 新 税 が 絶 対 王 政 の 体 制 内 に お い て そ の 近 代 的 性 格 を 実 現 し 得 た
か、実現過程においていかなる変容をこうむるか、 その場合に絶対王政にとって身分制的要素がいかなる意味を持つ
かを検討する。
NwhS誼ミ芝、 bH凡色苫絵師せ宮、診透明白
。-E97
白 2P毛・
2
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SFu 目
下 UN・
る 。 こ の 契 約 の 一 方 の 当 事 者 をAB 岡田E
開 gV と称する。日り H
・
・
受取った金額を償却することによって当該王領地を回復でき
に王領地の一部を無期限で用益させる。しかし、王は何時でも
(4﹀ 戦 時 な い し 絶 対 的 に 金 銭 の 入 用 な 場 合 、 王 は 税 金 と 引 換 え
そして、 この問題を特にペイ Hデタたるブルタ l ニュについて追求してみる。
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( l )﹀
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3)LS.n 叫-w ℃日U-N品目t吋・
-160ー
(5)
課税対象が列挙されている。この項に関して例示すれば、
A窓口F Y F E u -円四日♂自問SFHyusmgwg同
mgw 爪注目四回w
吋町三申円四回初回D戸ロロ少時O
C
HロgロO
H 同三円四回出回目ロ
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V
Oロg
z g o丹江,ira-VLSRW]VMS.
( 6 ) 従って、別荘 (
B85仏
085宮間ロω﹀は純粋に娯楽的な
日
即
ものの場合に限って免税となるがそれにしても何故別荘が免税
と な る か は 、 リ オ シ ュ も い う 如 く ︿ 極 め て 奇 妙 な 変 則 守 口OB
,
同
NhvHE口
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V弘、口。曲目Z
問
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﹀V である。 H
H
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同
吋OBV、入吋225 宮E50口広口HV に つ い て は 、 野
(7)AO口
年金受領者、債権者の年金、金利から十分の一を差し引
。
田 良 之 、 前 掲 書 、 三 五O 頁
(8)
く場合、所有権者は当該財産に関して十分の一税支払済証書
ZZ目立gno) を 提 示 せ ね ば な ら な い 。 第 七 項 に つ い て も 同 様 で
(は)戸向・民間ユope- ミ
.
H
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・対日0ロ
( β )﹀
rp 。、.円九FUMYUM)ζ ・呂田氏ope-QH・泊予 50・
(川内
(
日)
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A
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v・日吋 0・
叩)財務総監マショーの意図は、入よりエネルギッシュな、就
(V
こ主であり、従って、収益の組織的な訂正と、当時まで国王行
中、より怒意的ならざる徴税によって税の減収を補おうとする
政の弱さに課せられた凡ての弊害(免税、買一一戻、予納、恩恵的
ことであった
v
k
r・初日0口70w。、・円柏戸℃HU・山山Miu・
待遇)の完全な廃止によって、課税の不完全性を正そうとする
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匂- M
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九
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(mU)LS
(幻) A王令は課税期間については黙したままであった。
( 加 ) ﹁ 減 債 総 金 庫 ﹂ に つ い て は 、 戸 冨RZpe 門戸沼・ミa
これは就中新税が戦争の前夜にではなく、戦後に設定されたこ
巳)になったことを、明僚に告
とによって、永続的 Q 2F
匂Z
げることであるV ﹀-ED口
roue-hpw 2 ・A 二十分の一税は
司
新 た な 事 態 を 含 ん で い る 。 第 一 に 、 通・
常の如く宣戦布告後にで
ある。﹀-初日O口
﹃0・。、・円h
u・
H-wRYM念l
( 9 ) 第十項の意図するところは、税は原則として、所有権者及
、
、
び諸権利の名義人によって支払われるべきものであるが、徴税
、、、、、、、、、
を確実にするために、借地農ないしその他の債務者に、彼らの
債権者が税の支払済を証明した場合にのみ、彼らの債務を果た
は な く 、 講 和 の 布 告 後 に あ ら わ れ た と い う 事 実 で あ る 。V ζ -
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すように命じたものである。同町九九u
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(日)句史、よ H
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(印)HEA- 唱
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・
北大文学部紀要
-161-
プ ル タ l ニュにおける新税
四誌、6
対2
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(幻)﹀-MNFonrp。
ZRHCP 名・円九円
、
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九FLu-yuulac-u 玄-
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玄・︿仲間ロ omwむ
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w。、・江戸
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声︿仲間口ope-SFU
uu・
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(MA)A
これは若干の-一ュアンスの違いこそあれ、今日の分類所
分は、地租
ロ
ゲ
ロ
・
((UO
口
定 F E 5口問。ロ丘町也、対人的動産税 ((UCE
(お)フランス革命期の租税改革による収益税において、その区
zmW2Eor--Z同町﹀営業税(司同窓口円四)及び戸窓税
己O
ロ官同印。ロロo
ロ含円
己岡山ず口氏。ロ弘 2MMOH ωaho
g
) である。
((UO
間
仲
革 命 期 の 収 益 税 に つ い て は 、 森 恒 夫 、 ﹁ フ ラ γ スにおける近代
税制の成立過程け、は﹂(﹁金融経済﹂)ハ刷、の号)
F
mロ
g
v 色、・門戸可・ 3 ・
(mU)冨・︿
税についても事態は同様である。これを誕生させたのは公正の
(
珂) A十 分 の 一 税 に つ い て も 、 凡 て の 或 い は 殆 ん ど す べ て の 租
・
vhp
巾
観念ではない。十分の一税の起源は単なる財政的関心である。
と2‘云恒三♂毛・ GH MM-ug・0-7
咽
・不 動 産 ( 土 地 、 家 屋
︽十分の一税、二十分の一税は、それぞれ
得税である
即ち、長い破滅的戦争による出費の故に、たえず赤字である国
HM
(丸﹀ここで、十分の一税、二十分の一税の近代性をいう場合、
特に、技術的側面から考えている。例えば、アダム・スミスの
h-
庫 に 新 た な 財 源 を 創 談 し よ う と い う 欲 求 で あ るv
bRu 也、・円九
nhr円
E-2 と 称 す る 区 分
地代)収入、官職収入、個人における債権からの収入、商業か
らの収入に対する四つの、今日我々が
Z- ヨ間59e- H
を含んでいるV
w官
・
百
四
・
九
円
更 に 、 リ オ シ ュ は イ ギ リ ス の 所 得 税 OROBOSH﹀と比較し、
るかを検討することによって、租税を四む歴史的環境の前近代
新税が、如何なる経過でその近代的性格を発揮し得ぬものとな
らぬが、本稿は、内容的に極めて近代的なものを包含している
合には、﹁集中された封建地代﹂という観点から分析せねばな
が見出されよう。勿論絶対主義租税の近代性如何を云々する場
てらして見るならば、これら新税において近代的・合理的性格
-w
租税四原則(﹁公平﹂﹁明確﹂﹁便宜﹂﹁徴税費最小﹂の原則)に
-H
門
誌
同
芯
ロ
ゲ
刊
"
。b・
不動産収入に E850SH の ωr
ロE己 目 ﹀ を 、 動 産 収 入 に は
をそれぞれに対置している。﹀
ω口門戸市仏己目。。・官職収入には ω口
ZLZF 肘、商工業収入には ω?
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日
品 0・
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に対人的性格ではなく対物的性格であることにおいて収益税で
(幻)入二十分の一一税は決して所得税ではない。それは、理論的
あるVζ ・宮加門戸ope- 町民同 4 U・ロゲロ・(む
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6
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の一税の
その挫折、まマに
る
。
るが、対象とする期間同を一七
の一変容
校蜘閥的側面から波代燃惨な強調している。
の一税の実施と
七五六年に
における窟折女ブルタ!乙ュに拐して
ルタ i ニ ュ に お け る 十 分 の 一 税 、
的実態を考究しようとしているので、終に、ここでは、租税の
一一、
十分の一税、
七四九年の二十分の
たとい
王権傑には
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w ふれ吋
?し争力 1
r
ミ〆:
玉頭租税の本
十分の⋮税についてのみであって
なぜな
着目し、
については
目
七間関九年の
れているからマ
一税の
課税、徴税の
1
6
3
ょうと意慣したのは
の方式が
同としてこの秘税を承認するととになるのでこの
五年の
よう、としていたということについて
ーにしおいては
七
O年のふ i分の一税より、
︹
3}
つまり直接設税︿吋S2) である。
で施行される。その実施は、州の対政機構に依存佼
に新税のすべての問題点が集約的
る
侍
とれらの新税の察刻を王権が厳密に
ともかく一七
罰
と が
全部とその挫折の
七
一 O年から
⋮七一 O年の十分の⋮税。
続ど
ンタンダン制﹀ によって行なわれ
制二税
守
どγ を
援厳
薬密
ずに
︹
一
一
︺
て分
げているために不明な部分が多い。
意
、
第一次十分の
予~ (
7
)
して、 爵王官僚機構
iJ~
来
がら、
L 十
される租税に対し子総需を受け入れる
王
権
ブルタ l ュュにおける新税
まず、前述Lた如くこれら新税の必須の要件である﹁申告﹂と﹁査定しの問題であるが、申告は実施され事実申告
に基づく徴税名簿が作成されているが、その作業は困難をきわめ、かなり多数の納税義務者(特に貴族)が申告者を
一七一一年二月の財務総監への書簡において、
提出しなかったと推定され、特に高等法院官僚の非協力がアンタンダンにとって最大の障害であった o 例えば、
目白山巾コ肖品田町内凶
第一長官閣下および検事長
Q 5・
gC 閣下および私によって、評定官諸氏(冨自由回目23﹀に対して、彼らの
ラン (
m,巾円門田口門日仏巾ぐEmHHH口問ロ) ││当時のアンタンダンーーーは、
入︿高等法院の﹀第一長官 Q
収入の十分の一を確定するための申告書を提出するようにとの勧告がなされたが、
いまだにだれもこれを満足させませんでした V と 記 し て い る 。 ま た 査 定 に お い て
メールユ
γ 品グア y
の収益を十分の一税の対象とするように訓令を発していることをみれば王権の期待するところは明らかであるが、ブ
次に、各種収益全般を把握するという十分の一税の性格についていえば、財務総監がアンタンダンに対し、すべて
告の未完部分を補なったが、結局各納税義務者への課税は入おおよその見当V でなされた。
では小教区の名士層がアンタンダンを補佐し、申告書未提出者名と収入の一覧表を作成している。このようにして申
ノタ 1プ ル
ンタンダンを中心とする事務局守口22mhロ骨包含門出弘吉区)において行なわれ、都市では市長、市吏員が、農村
(6)
かかる不完全な申告・査定を基礎として、徴税名簿の作成が行なわれ、課税がなされたのであるが、この作業はア
も、アンタンダンは十分な人員を有しなかったために、申告・査定は極めて不完全なものであった。
255な忌EC 閣下を除いて、
フ
ず冨とるの都市の徴税名簿は商人たちの全面的な苦情にもとづき、われわれの命
ネ ゴ ジ アγ
ルタ l ニュにおいては、 フエランから財務総監への一七一二年四月六日の書簡によって示されている如く、 入ナント
(ZEZる お よ び サ ン リ マ ロ
(いる。つまりブルタlニュでは商工業収入の十分の一税は徴収されなかった。
て
令によって、執行を停止V しω
一1
6
4ー
ニ己
普遍的租税として、特権身分に対する課税に進歩が見られたかどうかという点についてであるが、
﹂の点も詳細は
不明である。これには史料の欠如と同時に、徴税名簿、が貴族と第三身分を同一の名簿で課税しているために貴族の課
25EZ
税額を分離し、それをカピタションの課税額と比較することが閤難なためであ討レビョン
己主は
カピタシヨン以上の税収をあげたことを推測しているが包カピタシヨンとの比較においてこの推測は妥当するとして
も、貴族に対する徴税は極めて困難であった。この点について、一七一二年八月一 O 日のアンタンダンの書簡は、ヘフ
十分のー税税収
(年額〉
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守
ルタlニュについて私の念頭にあるのは、若干の司教区の貴族たちが昨年一月一日まで五期分の課税について収益の
)と述べている。
十分の一を支払おうとしないことであるW
-1
6
5
人極めて正確に十分の一税を支払ったのはやはり住民のうちでも
っとも貧困な階層であったV のである。
一七一 O年の十分の一税は直接徴税の方式はとったが、
(9ーグル)
(リーグル)
│全ブラ γ ス
(年額) I
ブりレターニュ
以上、
定率税の要件である﹁申告﹂・﹁査定﹂の不完全さをはじめとし
て、本来の性格とはほど遠い結果となってい(問。ブルタl-一ュに
一七二五年の五十分の一税
おける税収およびフランス全体における収税額は表附である。
︹
一
一
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(
5
)
表
これは州三部会が買戻したため、ブルタlニュでは徴収されて
luV4IL--uv
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北大文学部紀要
局
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1726
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220,
1725
000
200,
ブルタ I ニュにおける新税
買戻しを行なった事情については、高等法院の反対が激しく、 王権は王令の登録を行
なうために勅命状 Q2R白骨吉田回目。ロ﹀ を発せざるを得九十かったこと、 および王権にと
宇
品
って最大の脅威は高等法院と州三部会の反王権的立場における提携にあったから、議会
に対しては危険なことはすべて避けるという譲歩策とったことなどがあげられるが、
た、五十分の一税自体の性格からくる徴収の困難から、王権が﹁請負﹂、﹁予納﹂、﹁買戻﹂
の方式を全面的に採用していたことにもよるものである。
一七三三年の十分の一税
州三部会による五十分の一税買一庚額は表附である。
︹一ニ︺
(リーグル)
p
Q
AhoBBU丘 Oロ笠宮口BEEEVが実現したことである。このコミッシ一一一ンの管理のもと
予納制はブルタIニュから収納さるべき金額を王権が州コ一部会に提示することによって開始されるものであるか
山定率税としての性格に関して。
で予納された十分の一税がいかなる形で実現されたか。
きた常設の行政機関である
この十分の一税の徴収が開始される一七三四年はブルタ l ニニにと勺て画期的な年で 足る ο それは議会が要求して
をのぞんでおり、 王権側においても軍一事費の迅速な入手のために予納制が便利なものであった
一七三三年の十分の一税は一七一 O年の場合とことなり、予納制によって実施されている。今回は議会側も予納制
五十分のー税買戻額
ら、予納制の採用がまずもって定率税としての十分の一税の性格をそこなうものであったことは疑いない。なぜなら
-166-
額
戻
度
年
(
5
)
表
ば、予め定められた徴税総額が司教区から小教区の単位へと配分され、結局各納税義務者の税額決定を拘束するから
である。この徴税総額の配分の過程について見るならば、
①各司教区への配分。これは州三部会が行なうものであるが、配分の際に、予め納税義務者の数、課税物件の価値
一司教区内の各小教区が従来の直接税
(AFE唱V、カピタシ一ニン)において負担
などについて調査を行なうことなく、無原則的に配分がなされたといわれている。
⑧各小教区への配分。これは、
した額を基礎とし、その按分によって決定された。したがって、 ここでも十分の一税の革新的意味は失なわれている
③各納税義務者への配分。ここにおいて多少定率税としての痕跡が残されているといえる。それは入。。BS555
昨何同
5 BEEBVの各司教区における下部機構八回口吋85内全日合同日EVが毎年徴税名簿を作成し、担当地域における地
c まず、
t ﹁申告﹂の方式は前面から消えて
価の変動などの資料を集めて課税しようとしていることである。しかし、ここでJ
い加。さらに、税額の決定において、集められた資料が正当に反映されたかどうかははなはだうたがわしい
。nhE5V
税額の決定に関する各個人の財産の評価は入国ロ82M 念
日 が管轄区域内、の貴族名士層の協力を得て行なった
ものである。この作業の意図およびその因難さは入貴族の名士層に宛てた回状V に一万されているが、それによれば、
①財産の評価については、対象の地域について精通する者と協議する以外によい方法はない、とその意図を明らかに
したのち、⑤協力者が密告者とみなされぬための配慮を記している。
口52M円岳日合同昨日V の資料と、
かかる貴族の名士層の影響のもとで財産の評価が行なわれ、名士層からの情報、 A切
一七一 O年以来の徴税名簿とを対照することによって税額を決定している。かように、納税義務者の担税力の測定へ
の努力が示されているが、予め徴税額の大枠が定っていること、 および課税作業の繁雑さが従来の徴税名簿により多
北大文学部紀要
-167-
プルタ l ニュにおける新税
収益全般に関する租税としての性格。
く依存させたことなどによって、定率税として担税力の正確なかっ動態的な把握を行なうことは困難であった。
q
h
H
十分の一税は課税の対象を各種収益全般におよぼすものであったが、この点についてみると、
﹂れは当然である。
① 予 納 制 実 施 の た め 税 源 が 州 外 に あ る も の は 対 象 か ら は ず さ れ る 。 例 え ば 、 国 債 の 収 益 が こ れ に あ た る o 利子の支
払いの際に十分の一が差引かれるから、
Q
Q
②徴税の対象としては、 不動産十分の一税がすべてであること。不動産十分の一税の徴税額は約百六十万リーグル
であり、予納額百五十万リーグルおよび徴税費はこの範曙の十分の一税から供給される
その他官職収入、年金収入に関して約九万リーグルの徴収がなされるが、これは不測の事態にそなえられる
③州で行なう公債、商工業収入の十分の一税は免ぜられる。
以上、収益全般に対する課税としての性格もゆがめられている。
削普遍的租税としての性格に関して。
免税特権の排除の問題であるが、前述したように、ブルタlニュにおける十分の一税の徴税名簿は貴族と第三身分
を区分していないため、州全体についてこの問題を検討することはできないが、 レンヌとサン H マロの二都市のみ両
﹂の二例に限っていうならば、
一万一千八百リーグル。
者は別個の徴税名簿によって課税されているので、
貴族のカピタション納税額、
①レンヌの場合。
(a)
(b) 同十分の一税納税額、四万八千五百四十四リlヴル。
-1
6
8
カピタション納税額、一万八千二百十二リ lヴル。
⑨サン H マロの場合。
(a)
(b) 十分の一税納税額、五万リ lヴル。
レンヌで四倍強、 サン U マロでコ一倍弱と、 これが貴族の収益の十分の一をどれだけ正確に反映していたかは別とし
﹁申告
L
の
﹂の点に関してほぼ次のようにいう
て、かなりの成果をあげていることは事実である。そして、 このことが貴族のこの系統の租税に対する極度の嫌悪の
原因であり、前述の財産評価に貴族を参与させる理由ともなっている。
以上、一七三三年の王令による十分の一税実施の実態についてふれてきたが、
ことができる c
①予納制の採用によって定率税としての性格は大半失なわれ、配賦税への変質が見られること。
⑨納税義務者への税額決定にあたって、多少とも財産評価を行ない、担税力の測定に努力しているが、
原則をすてており、貴族の影響をこうむりやすい方式をとっているという点で、課税の-公正・明確の原則を欠く結果
となっていること。
③予納制によって課税・徴税に関する財務行政を州に委ねた結果、十分の一税が州の政策によってゆがめられるこ
とになった。すなわち、刊商工業十分の一税の免除、同一州発行の公債収益への課税免除がこれである。
総じて、州の十分の一税に関する財務行政には便宜主義的なところが見られること。
④貴族に対する課税の問題では、カピタションとの比較に限っていえば、進展が推測されること。
一七三一六年に廃止された十分の一税は二七四一年に再度復活する。この場合も予納制がとられ、実施過程における
問題点はすべて一七三三年の十分の一税の場合と同様といえる。ただ、予納額が三十万リ lヴル増加し、百八十万り l
北大文学部紀要
-169-
ブルタ l ェュにおける新税
ヴルとなったために、従来免除されてきた商工業収益の十分の一がはじゐて徴収され、ここから約四万リーグルの税収
が加えられることになる cその他は二七三四年の徴税名簿に一部めされた税額を按分することによって新予納額を得た。
主要ペイ=デタの十分のー税予納額
7
4
1
(リーヴノレ〉
l
阪 リ ー グ ノ レ ) I1
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0
一七一二三(徴収開始は一七三四)年、 および一七四一年の主要ぺイ Hデタにおける予納額は表同一である o
一七四九年の二十分の一税
※プノレターエュでは 1
7
4
6
年以後,付加税 1
8
0
.
0
0
0リーヴノレが
︹四︺
一七四九年の二十分の一税においてであった。二
王権がこの系列の新税を厳密に実施しようとしたの
、
ι
-170-
十
十分の一税の創設が平時になされたものであり、緊急
の戦費調達の必要がないだけに、強力な政策をとりえ
たものと思われる。また、二十分の一税の創設が全国
﹂れは
徴収される
。
※
,
18
0
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0
0
A
r
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o
i
s
的に、当初は激しい抵抗を受けなかったが
Bourgogne
Languedoc
十分の一税が十分の一税と同様な方式で実施されるも
のと予想されたためである。
財務総監マショーは一七四九年の王令を実施するに
に示される新税の原則を厳密かつ全国一様に実現しょげ
ふのたって、 ベイ日デタに対して予納制を拒否し、王令
うとした。
表
このためには、就中、定率税としての性格を保証する﹁申告﹂と﹁査定﹂が十分に行なれねばならぬ心事実一七回
九年の二十分の一税実施の過程は﹁申告﹂と﹁査定﹂の過程であったといって過言ではない。そこでまず、 この問題
から検討する。
山﹁申告・査定﹂の問題。
強制申告の実施にあたって予想される事態としては、二十分の一税が厳密に実施されることが判明した場合、州の
一七五O年分は一七四九年の十分の一税の名簿によって徴収され
反対が激化し、 したがってまた申告書の提出が迅速に行なわれぬという懸念があった。
事実、申告は一七五O年の徴税には間に合わず、
ることが最初から予定されていた。このことはまた、税率が二十分の一となっても、十分の一税と同等の金額を要求
しても過度ではないと王権が考えていたことを示している。王権は新税の正確な適用によって、十分の一税の税収を
はるかに上回る二百五十万リ lヴルの税収を予想してさえいたのである。表酬に直接徴税による二十分の一税の税収
メールサ
γ47イ ク
を示しているが、十分の一税の予納額にほぼ匹敵していることを見るならば、予納制がいかにブルタ l ニュにとって
有利であったが明らかであろう。
一七五一年の徴税名簿作成のための申告書の提出は、各都市、小教区毎に、市長、小教区総代からシュブデレゲ
一七五O年 三 月 一 日 か
八月十五日まで延期され加。申告書の提出に関して成果のあがらない理由は、貴族の
E
b
m忌るを通じてアンタンダンへ提出されるものであった。申告の提出期間は当初、
守口ず︻
ら一カ月であったが、 のち、
(
H
K
R
H
R
E
) はアンタンダン宛の書簡において、 Aシ
抵抗もあるが、 それを克服すべき国王官僚機構(アシタンダン││シュブデレゲ制) の虚弱さが大きな原因となって
いる。二十分の一税監督官♀可巾22 円E 4 Z恒524 ロ ー ラ ン
北大文学部紀要
-171-
ブルタ l ェュにおける新税
ユブデレゲの若干の者は、その不活動と、悪例と、悪意によって、貴下の目をよぎる者のうち、もっとも危険で、も
っとも無能な輩となっているV と述べている。ア γタンダンは市長、小教区総代を把握するどころか、自己の属僚た
るシュブデレゲの熱意さへ期待できぬ状況にあった。
この結果、申告書の提出状況は極めて悪く、一七五O年末の州三部会開会時に受理していた数は八千通にすぎず、
ほぼ提出が完了したと判断された三万九千通が受理されたのは、一七五一年末である。しかも申告書の内容は極めて
一七五一年、 五二年ともに、徴税名簿は十分の一税徴税名簿および一七五O年の徴税名簿を基礎とし
不完全であり、特に貴族の提出した申告において土地面積の記入されているものはごくまれであった。
したがって、
一七五二年の州三部会で紛争を呼ぶことになる。州三部会は一七五三年の徴税に関しては提出された申
て作成せねばならなかった。ところが、一七一 O年、一七一二三年、一七四九年と多数の名簿を使用した結果、二重記入、
誤記が生じ
告を基礎として税額を決定することを要求し、一七五二年十一月二日の国王顧問会議の決定守口合含。。ロ白色)は
この要求に対して譲歩する。申告納税という二十分の一税本来の性格にののとった行為が王権にとって譲歩となった
一七五二年の約百七十六万リ lヴルに対し、 五三年には約百三
ということは、申告がいかに不完全であったかを示すものである。不動産十分の一税に関して、申告を基礎とした一
七五三年度の課税額と前年度のそれとを比較すれば、
十四万リ lヴルと四十二万リーグル、約二十四軒の減少を示している。
この結果アンタンダンは不備な申告書の提出者に再提出を求めることになるが、 この場合に申告書の総数約三十九
万通のうち、訂正を要したものは約半数であり、 厳密に申告書を選別したとすれば使用に耐えうる Jbのは六千通にす
ぎなかったとされてわる。
一1
7
2-
かようにして、
一応意図する徴税名簿が完成するのは一七五四年一月であり、二十分の一税が徴税を開始した一七
五O年一月一日から四年後のことである。しかも二十分の一税監督官?ーランはこの名簿を八準備的な未完成のもの
であり、 ほとんど全面的変更の要あるもの V、 と不満の意を表明している。
したがって、これ以後、 王権の期待した税収二百三十万ないし四十万を実現するためには、査定の継続・強化によ
って徴税名簿の改良をはかることが意識されるようになる。
この査定の作業は、二十分の一税に関する財務行政のためにアンタンダンのもとに設置された要員、すなわち、
1750
1
,
6
2
7,1
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2
(リーヴノレ〉
175 1
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1
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0
一173-
ロ 4E恒志自由) によって行なわ
名 の 監 督 官 ♀-522芯 己 門]Z45mH550) および、約五十名の検査官公。E5-25 仏
れる。査定の対象はもっぱら不動産収益に関してである。検査官は査定の場合現地におもむき、土地の売買に関する
不動産二十分のー税課税額
証室宍賃貸契約書などの証拠書類の提出を求め、 この種書類のない場合、直接経営を行なう土地所有者の土地に関し
徴税名簿にあらわれる
ては賃貸された場合の小作料を推定することによって査定の資料とした。
査定が効果をもたらしたかどうかについては、
課税額の変化によって推測する他はないが、不動産二十分の一税に関し
てこの変化を示したのが表附である。
一七五三年は申告書のみを根拠にした課税額である。 査定の成
一七五O│五二年の課税額は十分の一税の徴税名簿を基礎としたもの
であり
果が問われねばならぬのは一七五四│五六年の課税額に関してである。
課税額ののびは明らかであるが、一七五Ol五二年のそれと比較した場
北大文学部紀要
税 額
課
度
年
[
8
)
表
プルタ i ニュにおける新税
L
ム
口
、 あるいは、 王権がブルタ l ニュに関して期待した税収を考慮する場合、決定的成果をあげたとはとうてい結論づ
けることできない。
このように査定において決定的な成果をあげ得なかった理由としては、ここでも国王官僚機構の能力が問題となる。
すなわち、二十分の一税に関する財務行政を担当したアンタンダン配下の﹁監督官│ l検査官﹂の機構は検査官が必
一七五三年の王令
オ ル ド ナ γλ
ずしも専門的能力を有していないこともあって、自己の能力において査定の作業を遂行することができず、都市、小教
区役員の協力を求めねばならなかった。これら役員が積極的に協力しなかったであろうことは、
が
、 A検査官を補佐し、必要な情報を与えなかった場合には五十リ lヴルの罰金を課するV ことを命じていることか
-174-
らも容易に推測される。また前述した如く、二十分の一税監督・検査官に対して、同様にブンタン、タン機構の一環た
るシュブデレゲ、が協力的であるどころか敵意を示した。かようにブンタンダン行政機構においてシュブデレゲが機能
性を欠いている事実に関しては、ブルタ l ニュにおいてもシュブデレゲが売官の対象であったことと関連するのでは
あるまいか。
以上、二十分の一税が定率税として実現するためには課税標準の正確な測定が必要であり﹁申告・査定﹂の問題も
﹂の点にかかっていたのであるが、 この作業は十分な成果、をもたらさなかった。その理由は、納税義務者特に貴族の
抵抗にもよるが、 また、国王官僚機構がこれを行ないうる能力に欠けていたことも考慮せねばならぬ。その結果、課
税額は王権の期待したものはもちろん、十分の一税徴税名簿を基礎とした税額すら改善することはできなかった。
収益全般に関する租税としての性格 ο
さらに、二十分の一税のその他の原則についてはどうであったか。
(
2
)
この点では依然不動産収益に関するものが圧倒的部分を占めている(表附参照)
これに対して、年金・官職収入に関しては支給時に差引くという徴収上の便宜から、 正確に徴税されているがその
総額はわずか六万八千リ lヴルから九万リーグルにすぎない。
商工業二十分の一税についてはその課税対象の決定、 お よ び 課 税 標 準 の 確 定 つ ま り 収 益 の 確 認 が 困 難 で あ る た め に
この税種に対して改善の努力はなされなかった。すなわち、直接徴税(弘∞円四) の期聞を通じて、十分の一税当時の税
額約三万八千リ!ヴルにほぼ固定し、 まったく進歩が見られない。
不動産二十分の一税が総課税額の圧倒的部分を占めることは、当該時点における農業人口ないし土地所有人口と商
進
展
て
で
あ
る
カ
ミ
レビヨ γは こ の 問 題 に つ い て 決 定 的 な 数 字 を 示 し て い な い た め に 、 そ
サγ 日 マ ロ の み な ら ず 、 全 司 教 区 に お い て 、 貴 族 と
税に関する貴族と第三身分の負担割合は十分の一税の場合と変化がなかったといわれる。したがって少なくとも十分
の一税以後めだった進展はなかった。 一七五四年以後、 レンヌ
一七五五年
コ一二、三三%
一七五六年
一ニ一、九一一%
第三身分は別個の徴税名簿で課税されることになる。そこで一七五四!五六年の三年間における、 不動産二十分の一
三コ寸二七万
税課税総額に対して、貴族の税額の占める割合は次のとおりである。
一七五四年
北大文学部紀要
-175-
工業人口を対比するならば当然の結果であり、 そ れ 自 体 不 都 合 な こ と で は な い が 、 商 工 業 二 十 分 の 一 税 の 税 額 が な ん
イ
コ
ら改善されぬまま固定的傾向を示していることが問題なのである。
対
す
る
課
税
の
普遍的課税としての性格
族
の実態は不明である。しかし、二十分の一税実施の当初は、 レンヌとサン日マロに限っていえば、 不動産二十分の
貴 l
3
)
ブルタ l ニュにおける新税
この三年間に限っていえば、貴族の負担額はほぼ固定的であり、若干低下の傾向が見うけられる。
徴税額について。
以上、二十分の一税の課税に関する諸問題を見てきた。課税の問題における技術的困難および王国財政機構 H官僚
制の欠陥は、課税額の実現、すなわち徴税の場合においてさらに顕著な結果をのこしている。表問はブルタ l ニュに
おける一七五七年一月一日現在の直接徴税制公身ぽ)による徴税の実態を一万す ο金額は各年度分のもちこされた滞納
5
0,1
9
0
175 1
1
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1755
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1756
,
2
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1
7
1
1
額である。表酬によって、二十分の一税の直接徴税期間における税収と比較するならば、事態の深刻さを認めること
(リーヴノレ〉
は容易であろう。
を排し、直接
1
7
5
7
年 1月現在三十分のー税未納額
王権は税収の増加のために、新税に革新的性格をもりこる、
。
σSEEB
原則を厳密に実施するために予納制官
徴税制(広包巾﹀をとり財政における王権の一元化をはかったが、二
十分の一税の実現を推進した財務総監マショ l の失脚が示すように
﹂の試みは挫折し、 アンシアン H レジーム期を通じて実現されない。
この失敗の原因としては、特権者の抵抗を認めねばならぬことはも
1750
の
ちろんであるが、同時に、絶対王政の官僚機構がこれら革新的性格
ロ
を有する新税を実現、維持する能力に欠けていることもまた指摘さ
れねばならない。このように見てくれば、絶対王政の国家財政にお
,
5
7
5,
5
5
5
2
計
メミ
納 額
未
度
年
そ
いて、 ベイリデタあるいは予納制が有する意味はもはや明らかであ
(
9
)
表
-176-
(
4
¥
直接徴税
税
税
税
、
、 の
J
刀
王
権
~il.
(リーヴノレ〕
収
る
。
十
一七五六年に七年戦争が勃発すると、
ロ
r
n
V
は直接徴税をすてて予納制をとるに至る。緊
同
急に戦費を要する場合、直接徴税の失敗は決
ρ
c
定的であった。
(
"
)
、
巾
一七三四年の
巳4
0
︹
凶
予納制の採用は、要するに、
口
十分の一税におる徴税方式への復帰を意味す
吋
伺
間
るものであるが、これが王国財政一元化への
国
民
努力の挫折に続くものであるだけに、 王権に
A
対するぺイ Hデ タ の 存 在 意 義 は 軽 視 で き な
m
V
ぃ。予納制の採用は王権の州財政・行政能力
炉
吋
への依存を示すものである。ブルタ l ニュは
巳
ー
戸
円
。
ロ
宮
門2
国有の財政を有し、また﹁ A UCBBU印
A
﹁アンタンダンl iシュブレゲ制﹂には匹敵
日
0
)
(
ハU
254。ロ門町一口-ZVL によって、少なくとも
する行政機構を保持していた。 A(UOB白山田氏。ロ
北大文学部紀要
表
B
o、
付 加 税
(リーヴノレ〉
1750
,
16
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,
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1
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1752
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,
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,
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5
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2
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予納期間
第一
2
0
分の l税
第二
2
0
分の 1税
第二
2
0
分の l税
※々
(
予
年
額
納
額
)は各
1757-71
12
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,
2
0
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.
0
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0
0
1772-79
,
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13
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0
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1780-82
13
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,
13
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,
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1
,
3
9
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0
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(1=リーヴノレ, s=スー, d=ドニエ〕
0分の l税の予納は 1
7
5
6
年より。
※第三2
一1
7
7-
8
8
6,6
6
61
.
d
.
3
s,4
2
7
9,0
0
0
ブルタ l ニュにおける新税
古件臥円自注目回目BV の 創 設 が 認 可 さ れ た 一 七 三 四 年 に 十 分 の 一 税 が 予 納 さ れ た こ と も こ の 点 で 極 め て 特 徴 的 で あ る 。
予納制によって二十分の一税の管理を州に委ねることは、単に徴税事務が州によって担当されることを意味するも
こ の よ う に 予 納 制 は 二 十 分 の 一 税 の 性 格 を そ こ な う も の で あ る こ と は 明 白 で あ っ た が 、 しかし、 な に よ
QB匂 合 骨 百 円γ
アンシアン H レ ジ ー ム 期 の 直 接 税 の 欠 陥 で あ る 税 収 停 滞 の 原 因 が こ こ で も あ ら わ れ る こ と に な る 。 以 後 王 権 が 二
のではなく、予納制の性質上、二十分の一税の基本的性格である定率税を配賦税に変質するものであった。したがっ
て
川
)0
十分の一税により多くの税収をのぞむ場合、第二、第一一一の二十分の一税を重ねねばならぬことになる
2
1句。印-立。ロ
(二十分の一税の税収について
門}戸
s
﹀
HUH-nF唱
え﹀・同日 onrpc
﹄
守
・
円
九 h ]・
V
・
・
・
更に、プェランは財務総監に、入高等法院の多数の司法官が
日以
(4)LS札-w - U吋M(5 KFHnr
・口問了。叫
吋Mあるという。 -NPRW]M-U
4[
ロ
v
o・
同
]
⑦
︿h
巾田釦ロロ目。回目円。]巾曲。同℃同日比 OHmwno
口
口
ぬ
門
口
問
ロ HHOm仏
目
回
内
出
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AのOBB古田芯ロ日三RBEEBV によって作成された AFS
十分の一税を予約する場合の資料として、一七回一年に
りも王権にとっては要求した税額を獲得することについて危険がなかったのである。
は表側参照)
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州三部会の特権身分は、十分の一税を予納することによ
って貴族の財政的特権の侵害を承認するよりも、その廃止が近
い将来に約束されている束の間の租税の直接徴税をこうむるこ
との方を明らかに好んだのである V K F
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ついて、あなたがブリアツタ(切ユF釦口)氏へ再び書簡を送る
昨年一月一日まで五期分の十分の一税を支払っていないことに
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(3) 一七一 O年の十分の一税に関しては、徴税名簿の総額は分
労をとられることが必要と存じますV と書き送っている。プリ
かるが、徴税名簿の原本、得られた申告書は失われているため
実態は不明なところが多い。一七一 O年のものに関しては、
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アッタは滋昨吋のレ γ ヌ策等法院第一回間借闘である。
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は、にのフェランの護衛について次のい掛く澗訟を加えている。
ムレ γ 買 の 高 等 法 錠 は 、 他 の 隊 等 法 院 が ま っ 先 に お 己 の 申 血 口 を
絞税額から平均してお十綴としたものである。金額は﹀
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捻出した如く、州会俸に絡を示していないことは疑いない。間同
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まは、雨前世小にそった者といまだそうせずにいる者との名簿会災
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ということバかできる。
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から一一二八年ま目下旬、一七問問一傘十分の一一税に関しては一七隠一年
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図 は 、 ヅ ル タ l 品且におけるこ十分の一税の徴的棋に関して特別加
へ の 書 簡 士 七 五O 匁一()月一一⋮一日付﹀によれば、入閣主の窓
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区分されねばならぬのに混乱しており、一つの綴り(門田区間円)
拠書類を伴っていないからであり、また、司教区、小教区毎に
な か っ た ら し い が 、 し か しA シ ュ プ デ レ ゲ は 、 官 職 購 入 者 で あ
プルタ I ニ ュ に お い て シ ュ プ デ レ ゲ 官 職 購 入 者 は そ れ ほ ど 多 く
国・明,H小一三--mw。、・3H4FHU七-∞M-
タの司教区の各主邑にシュプデレゲの世襲官職を創設したV
(宮Mas--}同Eom)の徴税区srロ巳0
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) 各 主 邑 及 び ベ イ Hデ
(AU)入一七O 四 年 四 月 の 王 令 に よ っ て 、 王 権 は タ イ ユ 課 税 地 方
五O 年 の 二 十 分 の 一 税 の 徴 税 名 簿 番 号 を 記 載 し て い な い か ら で
ると否とに拘らず、一般に、官職守口rg)としてシュプデレ
申告書は八殆んど九て不完全である。その理由は、それらが一証
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あり、旧名簿において課税された所有権者について記載してい
ゲ に 譲 渡 さ れ て い る 名 誉 と 特 権 を 要 求 し た V H E札w
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不動産二十分の一税が圧倒的部分を占め、商工業二十分の一が
り財務総監宛の書簡(一七五二年日付なし)
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少額の税収しかもたらさなかったという事実は、全国的にも同
附 不 動 産 二 十 分 の 一 税 。 約 千 二 百 五 十 二 刀 リ lワル。
見れば、以下の如くである。
様 で あ っ た 。 例 え ば 一 七 六O年 の ベ イ Hデレクショ γの税収を
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ダ γ管区の γ ュ プ デ レ ゲ 網 と 同 等 の 緊 密 さ を 有 す る 大 行 政 機 構
及び第一に寧隊宿営税(ロ
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同官職・動産二十分の一税。約四十四万リーグル。
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州商工業二十分の一税。約七十一万リーグル。
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これらの性格の実現には王国財政の一元化が前提されていなければならず、 また、この実現過程こそが二元化を
が配賦税として税収を停滞させていたからである。ここで新税には普遍的租税、定率税の性格がもりこまれる。しか
個人においては免税特権、 ベイ HJ
アタには予納制など │ l、 旧来の租税
よって制約をこうむっていたからであり 111
めにこれら新税には近代的、合理的性格が与えられねばならなかった。なぜならば、 旧来の直接税が身分制的要因に
十分の一税、二十分の一税は絶対王政の財政危機に対する打開策としてあらわれたものである。危機に対処するた
す
かった。その結果、王権は自己の官僚機構よりもベイに依存することになる。これが予納制の意味である。そして予
納制の採用と同時に新税の定率税としての性格は失なわれ配賦税に変質し、旧来の直接税と同様担税力の変化に対応
しえず、税額の決定に多少とも怒意性を残したものとなる。
-182-
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促進するはずのものであった。だが、国王官僚機構はこれら新税の革新的性格を実現し得る能力を有するものではな
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かように、絶対王政にとってベイ日デタは王権の一元的支配を制約するものであったと同時に絶対王政はベイ Hデ
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うし、また不平や訴えなしに、費用をかけずにこれを得られま
(本稿は昭和三十八年度文部省科学研究費による研究の一部である)
タを排除しうる内容を有するものではなかったのである。
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旦主
A陛 下 は のoSEES
よって、ア γ タ ン ダ γに よ る 以 上 に 多 く の 金 額 を 得 ら れ ま し ょ
ブ ン タ ン ダ γーーの書簡によれば、
(1) 一七四九年一 O 月一一一一日付のグィアルム(︿芯円宮内田)lll
.
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北大文学部紀要
一1
8
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Fly UP