...

鉄製遺物の科学的保存処理に関する脱塩処理法の

by user

on
Category: Documents
38

views

Report

Comments

Transcript

鉄製遺物の科学的保存処理に関する脱塩処理法の
大江:鉄製遺物の科学的保存処理に関する脱塩処理法の研究
鉄製遺物の科学的保存処理に関する脱塩処理法の研究
〜水酸化リチウム水溶液とアルコール溶液の併用法の有効性〜
大 江 克 己*
Research of alkaline solution method related to conservation process for iron artifacts
−The efficiency of combination method for lithium hydroxide aqueous solution and alcohol solution−
Katsuki OE
要 旨
本稿では、水酸化リチウムアルコール溶液法の改良を目的とし、水酸化リチウム水溶液法と水酸化リチウムア
ルコール溶液法の併用法(LiOH 併用法)を検討するため、Cl −溶出効果の比較実験・脱アルカリ処理の検討及
び脱塩処理後の再発実験を行った。
Cl −溶出効果の比較実験より、LiOH 併用法は、水溶液を用いる高い Cl −溶出効果を残しつつ、溶媒をアルコー
ル置換させることが可能であることがわかった。また、脱アルカリ処理においても純水を使用しないため、腐食
の再発の危険性を回避することが可能である。
脱塩処理後の再発実験の結果、セスキカーボネート水溶液法より重量増加量が低いことがわかった。要因と
して、脱塩処理中や脱アルカリ処理中の純水の使用頻度の差と考えられる。より詳細な検討が必要であるが、
脱塩処理中及び脱アルカリ処理中に純水の使用を抑えることにより、脱塩処理後の腐食の発生を軽減させるこ
とができる可能性を示唆するものと推測する。
キーワード:脱塩処理、腐食、保存科学
Ⅰ. 緒 言
鉄製遺物は金属製遺物の中で出土数に占める割合が多く、そのほとんどは腐食生成物に覆われ
た状態で出土する。発掘調査直後の鉄製遺物は脆弱であり、生成する腐食生成物は周辺環境の変
化に敏感であるため、そのまま放置すると急速に劣化が進行する。そのため、科学的保存処理を
施す必要があり、現在では主な科学的保存処理方法として脱塩処理と樹脂含浸が行われている。
鉄製遺物の脱塩処理は1980年頃から始められるようになり、湿式法を始めとし種々の方法が考
案された。日本国内では主にアルカリ溶液法が使用されており、表面の色調や質感の変化が少な
く、低コストで簡易的に使用できる利点を持つためによる。しかし、脱塩処理は科学的保存処理
平成24年9月24日受理 *文学研究科文化財史料学専攻博士前期課程修了・聴講生
− 29 −
奈良大学大学院研究年報 第 18 号(2013 年)
の課題点の1つとして提起されており、主な課題としては下記の4つの点が指摘されている。
1. 腐食促進因子である塩化物イオンを完全に除去することができない
2. 脱塩処理、脱アルカリ処理後、腐食の再発生の可能性がある
3. 有機質が付着している遺物に対しては不向きである
4. 脱塩処理の終了点が明確に定義されていない
この中でも特に大きな課題としては、腐食の再発生による劣化の促進であり、保存処理後に及
ぶ遺物の崩壊と密接な関係を持つためである1)。アルカリ溶液法の中でも、水酸化リチウムを使
用したアルコール溶液法を用いれば腐食の再発生の懸念を大幅に軽減することができるが、鉄製
遺物中の塩化物はアルコール類には溶けにくく、塩化物イオン(以下、Cl−)の溶出量としては
低く効果的ではないのが現状である2)。
鉄製遺物の脱塩処理法は、新法の出現まで現行の方法が継続して使用されることが想定され
る。しかし、これらの問題点は軽視することは難しく、早急な対応が必要であることは言うまで
もない。また、アルカリ溶液法の様に一定の効果を持ち、簡易的に使用できる軽減策が望まれる
ことも事実である。この様な視点に立脚する時、現行の脱塩処理法を土台とした改良法であるな
らば、従来の工程と遜色なく使用可能であると考える。
本研究では、上記の脱塩処理後の腐食の再発生の問題に対し、軽減策を抗ずることを目的とす
る。その中での取り組みとして、本稿では腐食の再発生の懸念の低い、水酸化リチウムアルコー
ル溶液法の改良を目的とした、水酸化リチウム水溶液法と水酸化リチウムアルコール溶液法の併
用法(以下、LiOH併用法)の検討を行う。
Ⅱ. 水酸化リチウム水溶液法と水酸化リチウムアルコール溶液法の併用法について
水酸化リチウム(以下、LiOH)は、リチウムイオン(Li+)及び水酸化物イオン(OH−)から
なるイオン結晶の固体である。性質としては、強塩基性であり他のアルカリ金属の水酸化物より
も溶解度が低く、潮解性ではないため塩基強度は低い。純水とアルコール類に可溶なため脱塩処
理では、LiOHにイソプロピルアルコール、メチルアルコール、エチルアルコールを混合し使用
される(以下、LiOHアルコール溶液法)。また、奈良大学保存科学研究室では、純水に混合さ
せて使用している(以下、LiOH水溶液法)。
LiOH水溶液法は、水酸化ナトリウム水溶液法(以下、NaOH水溶液法)と同様の溶出機構の
脱塩処理法であり、同程度のCl−溶出効果を示すと考えられる3)。そのため、LiOHアルコール溶
液法の欠点とされているCl−溶出効果の低さを補いつつ長所を残す方法として、水溶液法とアル
コール溶液法を併用させることが可能であれば、腐食の再発生の懸念を軽減でき、尚且つ、水溶
液法と同程度のCl−を溶出させることが可能であると推測する。
LiOHの性質として、純水、アルコールの両方に可溶であるため、溶媒を変化させることで双
方の効果を発揮することが可能である。また、異なる溶質を混合させ脱塩処理を行う場合、脱塩
処理の終了後、脱アルカリ処理が必要となるが、水溶液、アルコール溶液共に同じ溶質を用いる
− 30 −
大江:鉄製遺物の科学的保存処理に関する脱塩処理法の研究
ため、溶媒を変化させ溶液交換を行うのみで水溶液からアルコール溶液に移行できる利点が考え
られる。
脱塩処理方法の工程として、初めにLiOH水溶液法による脱塩処理を行い、その後、溶液を転
換させLiOHアルコール溶液法による脱塩処理を行うことが可能であるならば、脱塩処理中にお
いても鉄製遺物中の水分がアルコール置換され、脱塩処理中、脱塩処理後の腐食の再発生を抑え
ることが可能であると考える。しかし、鉄製遺物の状態によっては、急激な溶媒変化に伴う含有
水分の拡散により、クラック等の発生が想定される。そのため、LiOHのアルコールと純水の双
方に対して可溶な性質と、メチルアルコールの純水に対して可溶な性質を活かし、溶媒を純水と
メチルアルコールの混合液(以下、LiOH混合液)とし、脱塩処理を行う工程を挟む。これによ
り、鉄製遺物中に含まれる水分を徐々にアルコール置換させる効果をもたらすと同時に、水分の
拡散による影響を軽減できると考えられる。脱塩処理全体の工程としては図1の通りとなり、溶
液交換に伴いアルコール置換を行いながら進行する。
実験に関しては、上記の事項が可能であるかについてLiOH併用法のCl−溶出効果の比較実験・
脱アルカリ処理の検討及び脱塩処理後の再発実験により検討を行った。
Ⅲ. 水酸化リチウム併用法のCl−溶出効果の比較実験と脱アルカリ処理の検討
Cl −溶出効果の比較実験及び脱アルカリ処理の検討を行うため、LiOH併用法、LiOH水溶液
法、LiOHアルコール溶液法、NaOH水溶液法の4種類の脱塩処理法を用いて実験を行った4)。比
較実験となるため、法量、重量、内部空隙状況、内部塩化物量がほぼ一定の実験試料が適当であ
ると考えられる。そのため、鉄粉圧縮体(写真1)を使用し、試料内部の空隙状況についても同
時に調査を行った。
1. 実験試料について
鉄粉圧縮体の作成にあたっては、鉄粉 5)(10.0g)を作製機に入れ60秒間加圧成形し、その
後、塩化ナトリウム(0.1g)、鉄粉(10.0g)を覆うような形で入れ180秒間加圧成形した。こ
れにより重量20.1g、直径20.0mm、高さ13.3〜13.5mmの円柱状の鉄粉圧縮体が得られる。腐食に
費やした期間は88日間であり、温度40℃、湿度90%雰囲気下と温度15℃、湿度20%雰囲気下を6
時間おきに変化させ腐食させた。
腐食後に関しては、腐食前と比較すると2.3〜2.6gの重量増加が見られ、増加率としては11.5〜
13.3%であった。腐食後に分析用として作成した3個の鉄粉圧縮体を使用し、生成した腐食生成物
の観察とX線回折分析(以下、XRD分析)を行った6)。
図2にXRD分析スペクトルを示す。XRD分析を行った結果、Magnetite(Fe₃O₄)、Hematite
(Fe₂O₃)、Goethite(α-FeOOH)のピークが検出された。色調としては黒色、黄褐色の腐食
生成物が確認できる。このことから黒色の腐食生成物はMagnetite(Fe₃O₄)であることがわか
る。また、黄褐色の腐食生成物は塩化ナトリウムの介在からAkaganeite(β-FeOOH)が生成さ
れたと考えられるが、β-FeOOHは経時変化によりGoethite(α-FeOOH)に変化することが知ら
− 31 −
奈良大学大学院研究年報 第 18 号(2013 年)
れている(松井ほか 1998)。そのため、経時変化によりα-FeOOHのピークが確認されたもの
と考えられる。
2. 鉄粉圧縮体内部の空隙状態の推定
腐食前に各鉄粉圧縮体内部の空隙状況を把握するため、内部空隙率の算出を行った。鉄粉圧縮
体については、速度論的研究が行われており、その中で空隙率についても算出方法を示している
(河越ほか 1998)。今回の実験でも鉄粉圧縮体を使用するため、先行研究と同様の算出方法を
用いて算出した。下記に計算式を示す。
式1……空隙率=
{試料体積−(試料中の鉄重量÷鉄密度)/試料体積}
×100
鉄密度は純鉄の密度(7.86g/cm3)を使用した。上記の式(式1)によって計算したところ、
今回作成した全ての鉄粉圧縮体の空隙率は39〜40%であった。これにより、空隙体積は試料によ
らずほぼ一定であることがわかる。しかし、空隙サイズの分布は不明であるため、鉄粉圧縮体
を純水に浸漬させ電子天秤で重量増加量を測定し、空隙サイズの測定を行った。空隙サイズの測
定、算出に関しても実験が行われており(河越ほか 2001)、同様の測定方法を用いた。図2に
水中での重量変化を示す。
図3より、重量は鉄粉圧縮体を水中に浸漬させてから60秒間の間に急激に増加し、その後、緩
やかな増加を示す事がわかる。このことから、試料内部に大空隙と微細空隙が存在することが窺
える。そのため、大空隙、微細空隙の算出においては、60秒経過時の重量増加量を使用し、下記
の計算式を用いて大空隙、微細空隙の算出を行った。下記にその式を示す。
式2……大空隙の空隙体積=重量増加量/水の密度
式3……微細空隙の空隙体積=全空隙体積−大空隙の空隙体積
水の密度は1.00g/cm3を用いて計算した。計算(式2、式3)の結果、グラフ中の鉄粉圧縮体A
の大空隙は74.69%、微細空隙は25.31%であり、グラフ中の鉄粉圧縮体Bの大空隙は76.07%、微細
空隙は23.93%であった。
空隙状態を推定するために使用した鉄粉圧縮体は、今回作成した試料の中で重量、塩化物量、
高さの標準偏差を総合的に判断し、最も幅が大きいものを選び測定した。そのため、実際の実験
に使用する試料は、今回測定した2つの鉄粉圧縮体ほどの空隙サイズの差はなく、ほぼ一定の空
隙を持ったものであると考えられる。
3. Cl−溶出効果の比較実験
脱塩処理実験には4つの脱塩処理法を使用した(表1)。各溶液共に3個の鉄粉圧縮体を使用
し408時間(17日間)の脱塩処理を行った。溶液交換は24時間経過時に行い、濃度0.5%、溶液量
200ml(質量の約20倍)で統一した。定期的に溶液を採取し、溶液中のCl−濃度をイオンクロマト
− 32 −
大江:鉄製遺物の科学的保存処理に関する脱塩処理法の研究
使用方法
LiOH併用法
LiOH水溶液法
LiOHアルコール溶液法
NaOH水溶液法
実験試料数
3個
3個
3個
3個
溶質
LiOH
LiOH
LiOH
NaOH
溶媒
溶液交換
H2O
24時間経過時
H2O : CH3OH
C2H5OH : CH3OH : (CH3)2CHOH
24時間経過時
72時間
24時間経過時
168時間
H2O
C2H5OH : CH3OH : (CH3)2CHOH
H2O
24時間経過時
24時間経過時
24時間経過時
浸漬時間
168時間
408時間
408時間
408時間
408時間
表1. 比較実験の使用脱塩処理法
グラフ分析(以下、IC分析)にて調査した後7)、各溶液の平均値を求めた。LiOH併用法につい
ては、LiOH水溶液を168時間、LiOH混合液を72時間、LiOHアルコール溶液を168時間とし、溶液
の移行を行った。なお、LiOH混合液の純水とメチルアルコールの混合比率については、脆弱遺
物の脱水に使用される濃度を参考とし(松井 2009)、等量混合(比率1:1)とした。また、
浸漬時間についても含有水分の拡散を緩和することから、LiOH水溶液やLiOHアルコール溶液の
半分程度の浸漬時間とした。
4. 結果と考察
図4にLiOH併用法、LiOH水溶液法、LiOHアルコール溶液法のCl−濃度の推移グラフを示し、
図5にLiOH併用法とNaOH水溶液法のCl−濃度の推移グラフを示す。
図4より、全体の傾向として、浸漬直後から72時間の間のCl−濃度が高く、時間の経過と共に
緩やかに降下していくことがわかる。水溶液を用いているLiOH併用法、LiOH水溶液法の値が高
く、LiOHアルコール溶液法は他と比較すると低かった。
LiOH併用法とLiOH水溶液法のCl−濃度の推移については近似することがわかる。鉄製遺物中
の塩化物は、水溶液に可溶な性質を持つものが多いと報告されていることから(秋山 1983)、
水溶液を用いる2つの方法が高い値を示したものと考えられ、ほぼ同等のCl−溶出効果を示すこ
とが推測される。
LiOH混合液のCl−濃度の推移(192時間〜264時間の値)については、徐々にLiOHアルコール
溶液に近い濃度となることがわかる。これは、試料中の水分が徐々にアルコール置換されるため
と考えられる。
図5より、LiOH併用法とNaOH水溶液法についても、Cl −濃度の推移は近似することがわか
る。上記の図4と合わせて考察すると、LiOH併用法、LiOH水溶液法、NaOH水溶液法の3種類
の方法については、ほぼ同等のCl−溶出効果を示すことが推測できる。
以上の結果から、LiOH併用法として始めに水溶液を用い、徐々にアルコール溶液へと移行さ
せ、最終的にアルコール溶液となる場合においても、水溶液法の高いCl−溶出効果を発揮させつ
つアルコール置換を行うことが可能であることが判明した。
5. 脱アルカリ処理の検討
脱塩処理終了後、各溶液共に脱アルカリ処理を行った。LiOH水溶液法、NaOH水溶液法につい
ては、純水中に浸漬させpH値が7.0前後となるまで行った後、24時間の加熱乾燥を行った。LiOH
併用法、LiOHアルコール溶液法については、メチルアルコールを用い表面洗浄後8)、48時間の
− 33 −
奈良大学大学院研究年報 第 18 号(2013 年)
自然乾燥を行った後、24時間の加熱乾燥を行った。
加熱乾燥完了後、各溶液共に表面観察を行ったところ、色調の変化やクラックの発生は見られ
なかった。LiOH併用法についても同様であり、この結果から、脱塩処理の初期に水溶液を用い
た後、アルコール溶液に置換した場合においても、アルコール溶液と同様の脱アルカリ処理を行
うことが可能であることがわかった。
先行研究(秋山 1983、沢田 1987)において指摘されている様に、脱アルカリ処理は腐食の
再発の危険性を孕む場合がある。しかし、LiOH併用法については、水溶液を用いる脱塩処理方
法と同等のCl−溶出効果を発揮させつつ、脱アルカリ処理による腐食の再発の危険性を回避する
ことが可能となる。
Ⅳ. 脱塩処理後の再発実験
脱塩処理後の再発実験については、LiOH併用法、セスキカーボネート水溶液法の2種類の方
法を用いて実験を行った9)。実験試料については、脱塩処理の溶出効果についても重要である
が、クラック等の腐食の発生状況についても同様に重要である。そのため、腐食の生成過程が出
土遺物に近似する試料として腐食鉄板(写真2)を用い実験を行った。
1. 実験試料について
腐食鉄板については、鉄板10)を3%塩化ナトリウム(以下、NaCl)水溶液中に720時間(30日
間)浸漬させ作成した。試料作成後、XRD分析を行い腐食生成物の調査を行った6)。
図6に腐食鉄板のXRD分析スペクトルを示す。XRD分析を行った結果、Magnetite(Fe₃O₄)、
Akaganeite(β-FeOOH)のピークが検出されていることがわかる。また、Lawrencite
(FeCl₂)も検出されている可能性がある。表面観察から主に黒色、黄色の腐食生成物が多く見
られ、鉄板表面に至っては層状剥離が確認できる。腐食条件としてNaCl水溶液中で腐食させた
ため、周囲の環境には多くの水分とCl−が存在する。そのため、黒色の腐食生成物はMagnetite
(Fe₃O₄)であり、黄色の腐食生成物はAkaganeite(β-FeOOH)であることが分かる。
2. 再発実験に伴う脱塩処理
再発実験に伴う脱塩処理については上記に記した2つの脱塩処理法を用い(表2)、溶液中の
Cl 濃度の比較についても同時に検討を行った。各溶液共に3個の鉄板を使用し504時間(21日
−
間)の脱塩処理を行った。また、濃度0.5%、溶液量100mlで統一した。
使用方法
実験試料数
溶質
溶媒
溶液交換
H2O
72時間経過時、120時間経過時
264時間経過時
432時間経過時
72時間経過時、120時間経過時
264時間経過時
LiOH併用法
3個
LiOH
H2O : CH3OH
C2H5OH : CH3OH : (CH3)2CHOH
セキスカーボネート水溶液法
3個
NaHCO3 : Na2CO3
H2O
432時間経過時
表2 再発実験の伴う使用脱塩処理
− 34 −
浸漬時間
192時間
168時間 504時間
144時間
504時間
大江:鉄製遺物の科学的保存処理に関する脱塩処理法の研究
LiOH併用法については、LiOH水溶液を192時間、LiOH混合液を168時間、LiOHアルコール溶
液を144時間とし、溶液の移行を行った。溶液交換については実験開始時よりLiOH水溶液を72時
間経過時、120時間経過時の2回行い、LiOH混合液は264時間経過時に1回、LiOHアルコール溶
液についても432時間経過時に1回行った。また、セスキカーボネート水溶液法についても同様
の経過時間に溶液交換を行った。
LiOH併用法については、LiOH混合液の浸漬時間が比較実験時と異なる。これは、混合液の浸
漬時間を延ばした場合の知見を得るためであり、図3や図4と比較検討を行うためによる。
定期的に溶液を採取し、溶液中のCl−濃度をIC分析にて調査した後7)、各溶液の平均値を求め
た。その後、腐食の再発生の推移を調査するため、脱アルカリ処理の後、24時間の加熱乾燥を行
い、デシケーター内で冷却させた後に、空気中に暴露し重量変化を観察した。
3. 結果と考察
図7、図8に腐食鉄板のCl−溶出量の推移グラフを示し、図9に空気中に暴露した時の重量変
化の推移グラフを示す。
図7、図8より、腐食鉄板の結果では、ほぼ同等のCl−溶出量を検出することがわかる。この
結果より、鉄粉圧縮体同様、腐食鉄板においても同等のCl−溶出効果を発揮することがわかる。
LiOH混合液のCl−濃度の推移については図3、図4とは異なり、ほぼ一定の値を示している。
そのため、推移の明確な知見を得ることはできなかった。
LiOH併用法においては、192時間後からLiOH混合液、432時間後からLiOHアルコール溶液を用
いているが、同じ時間帯のCl−濃度をセスキカーボネート水溶液法と比較しても、ほぼ同等の値
を示している。これは、ある程度水溶液に浸漬させた後、徐々にアルコール溶液に置換しても、
Cl−溶出効果は低下しないことを示していると捉えることができる。すなわち、水溶液の利点で
ある高いCl−溶出効果を残しつつ、徐々にアルコール置換させることが可能であることを示して
いる。
図9より、セスキカーボネート水溶液法を用いた腐食鉄板は観察開始直後より、若干ではある
が重量増加するのに対し、LiOH併用法を用いた腐食鉄板についてはほとんど重量増加を示さな
いことがわかる。264時間経過後、双方共に大きく重量増加を示すが、セスキカーボネート水溶
液法を用いた腐食鉄板については、より大きな重量増加を示した。観察期間として312時間(13
日間)となるが、重量増加量について差が認められる。
この要因については、脱塩処理中における水分の影響によるものと推測する。双方に用いた腐
食鉄板は同様の条件下において腐食させ、溶出したCl−濃度についてもほぼ同様である。そのた
め、脱塩処理後の腐食鉄板内部に残存するCl−量については、大きな差はないと考えられる。こ
の点を踏まえると、双方の溶液の差となる要素は脱塩処理時における純水の使用時間であり、脱
塩処理中や脱アルカリ処理中の純水の使用頻度の差と推測する。
より詳細な検討が今後必要であるが、この結果は、脱塩処理中及び脱アルカリ処理中に純水の
使用を抑えることにより、脱塩処理後の腐食の発生を軽減させることができる可能性を示唆する
ものと推測する。
− 35 −
奈良大学大学院研究年報 第 18 号(2013 年)
Ⅴ. 実験のまとめ
鉄粉圧縮体を用い、LiOH併用法、LiOH水溶液法、LiOHアルコール溶液法、NaOH水溶液法の
Cl 濃度の推移の検討を行った結果、水溶液を用いるLiOH水溶液法やNaOH水溶液法と同等の溶
−
出効果を発揮することがわかった。また、腐食鉄板を用い、LiOH併用法とセスキカーボネート
水溶液法のCl−濃度の推移の検討を行った結果についても同様であり、水溶液を用いる高いCl−溶
出効果を残しつつ、徐々にアルコール置換させることが可能であることが判明した。
脱アルカリ処理についても検討の結果、脱塩処理の初期に水溶液を用いた後、アルコール溶液
に置換した場合においても、アルコール溶液と同様の脱アルカリ処理を行うことが可能であり、
脱アルカリ処理による腐食の再発の危険性を回避することが可能である。
脱塩処理後の再発実験の結果、LiOH併用法はセスキカーボネート水溶液法より重量増加量が
低かった。この点については、純水の使用時間が要因として考えられ、脱塩処理中や脱アルカリ
処理中の純水の使用頻度の差と考えられる。より詳細な検討が今後必要であるが、この結果は、
脱塩処理中及び脱アルカリ処理中に純水の使用を抑えることにより、脱塩処理後の腐食の発生を
軽減させることができる可能性を示唆するものと推測する。
Ⅵ. 結 言
本稿では、LiOHアルコール溶液法の改良を目的としたLiOH併用法の検討を行った。今回の実
験により、脱塩処理として機能することがわかり、脱アルカリ処理についてもLiOHアルコール
溶液法と同様の方法で行うことが可能であるあることが判明した。
LiOH併用法の実用について、有効性を見い出すことができるが種々の問題が残る。今回の実
験では知見が得られなかった、LiOH混合液の詳細なCl−濃度の推移や、溶液移行の明確な期間、
また、脱塩処理を行う前後の腐食生成物の変化の調査や、有効拡散係数を用いる比較検討も同時
に必要であると考えられる。さらには、どのような状況を持って腐食の再発と評価するかについ
ての定義が必要であり、これらの諸問題については今後の検討課題としたい。
脱塩処理法については種々の課題が提起されており、その改善に向けての研究が必要不可欠で
ある。今後についても、脱塩処理を廻る諸問題の解決に向け本研究を継続したいと考える。
註
1) “3”については、脱塩処理前にパラロイドB72等の合成樹脂を塗布することにより対応する事例がある
(石川 1994、尾崎・尼子 2010など)。また、“4”については各機関により異なると思われるが、脱
塩処理終了の目安として、脱塩溶液中のCl−濃度が2〜10ppm以内とする記述がある(松井 2009)。
2) 脱塩処理法の溶出機構としては以下の溶出機構に基づく。
FeOCl + OH− → FeO(OH)+ Cl−
LiOHアルコール溶液法については、塩化鉄Ⅲ(FeCl3)への溶解性が高くCl−溶出量を増加させる。し
かし、塩化酸化鉄(FeOCl)を多く含む遺物の場合は効果が低い(沢田 2008)。また、鉄製遺物中の
− 36 −
大江:鉄製遺物の科学的保存処理に関する脱塩処理法の研究
塩化物は、水溶液に可溶な性質を持つものが多いと報告されていることから(秋山 1983)、NaOH水
溶液法やセスキカーボネート水溶液法などと比較すると、LiOHアルコール溶液法のCl−溶出量は低いと
判断されている。
3) 先行研究(松井 2001)より、NaOH水溶液法ではOH−による陰イオン交換により脱塩が行われている
と推測されている。
4) 脱塩溶液の作成にあたり、濃度計算については全て重量比にて行った。溶媒の作成について、LiOH混
合液は容積比を用いて作成し、純水とメチルアルコールを等量混合した(比率 1:1)。また、LiOH
アルコール溶液についても容積比を用いて作成し、メチルアルコールとイソプロピルアルコールを等量
混合させ(比率 1:1)、そこにLiOHを加え、2倍量のエチルアルコールを混合した。
5) 次の鉄粉を使用し試料を作成した。(DOWA エレクトロニクス製 DOWA-NC(NC)還元鉄粉)
6) 使用したXRD分析機と測定条件は次の通りである。
{
{
RINT2000 UltimaⅢ(リガク製)粉末X線回折分析
ターゲット:Cu 使用電流:40mA 使用電圧:40kV 測定時間:2dig / 1min(2θ)
X線照射方法 : 多層膜並行ビーム法
7) 使用したIC分析機と測定条件は次の通りである。
DIONEX ICS-90 AS40(日本ダイオネクス株式会社製)
分離カラム:IonPac AS4A-SC 4mm ガードカラム:IonPac AG4A-SC 4mm
溶離液:1.8mM 炭酸ナトリウム 1.7mM 炭酸水素ナトリウム 溶離液流量:1.5mL / min
試料注入量:5mL(オートサンプラー、5mLバイアル使用) 試料導入量:25μL
サプレッサ:電気透析形ASRS 4mm アニオンオートサプレッサ リサイクルモード
8) LiOH併用法及びLiOHアルコール溶液法の脱アルカリ処理については、メチルアルコール中に浸漬させ
試料表面を軽くブラッシングした。この工程を数回繰り返し行った後、空気中にしばらく放置し炭酸塩
鉱物(Li2CO3)が生成しないことを確認した後、乾燥させた。
9) 脱塩溶液の作成にあたり、濃度計算については全て重量比にて行った。セスキカーボネート水溶液の溶
質については、炭酸水素ナトリウムと炭酸ナトリウムを等mol比にて混合させ作成した。LiOH併用法の
溶媒の作成については註4と同様である。
10) 次の鉄板を使用し腐食鉄板を作成した。(ケニス製 No.126-202)
謝 辞
本稿は、2009年12月に奈良大学文学部文化財学科に提出した卒業論文を骨格としている。
本稿の作成にあたり奈良大学文学部文化財学科 西山要一教授には、終始懇親なるご指導を賜
りました。ここに深く感謝の意を表します。また、鉄粉圧縮体の作成については、西山要一教授
を通し、財団法人元興寺文化財研究所 川本耕三氏、山田哲也氏の両氏に製作のご指導を賜りま
した。ここに、深く感謝の意を表します。
実験補助においては下記の諸氏から多大なご協力がありました。ここに感謝の意を表します。
合澤哲郎、石川友里、板垣泰之、伊藤洸、井上富美子、植村明男、鈴井宣雄、須山貴史、
中尾真梨子、福山博章、山本若菜 (五十音順、失礼ながら敬称略とさせて頂きます。)
− 37 −
奈良大学大学院研究年報 第 18 号(2013 年)
図1 LiOH併用法の脱塩処理工程図
…Magnetite(Fe3O4)
…Hematite(Fe2O3)
…Goethite(α-FeOOH)
…Iron(Fe)
図2 鉄粉圧縮体のXRD分析スペクトル
− 38 −
大江:鉄製遺物の科学的保存処理に関する脱塩処理法の研究
図3 重量増加の推移
図4 LiOH併用法・LiOH水溶液法・LiOHアルコール溶液法のCl−濃度の推移
− 39 −
奈良大学大学院研究年報 第 18 号(2013 年)
図5 LiOH併用法とNaOH水溶液法のCl−溶出量の推移
…Magnetite(Fe3O4)
…Akaganeite(β-FeOOH)
…Rokuhnite(FeCl 2・2H2O)
…Lawrencite(FeCl 2)
図6 腐食鉄板のXRD分析スペクトル
− 40 −
大江:鉄製遺物の科学的保存処理に関する脱塩処理法の研究
図7 LiOH併用法のCl−溶出量の推移
図8 セスキカーボネート水溶液法のCl−溶出量の推移グラフ
− 41 −
奈良大学大学院研究年報 第 18 号(2013 年)
図9 脱塩処理後の重量増加の推移
写真1 鉄粉圧縮体
写真2 腐食鉄板
写真3 実験試料浸漬風景
− 42 −
大江:鉄製遺物の科学的保存処理に関する脱塩処理法の研究
<参考文献>
R.T.Foley(1971):「鉄の腐食における塩素イオンの役割」『防食技術』第20巻 第5号 腐食防食協会
増澤 文武(1973):「鉄器の保存処理の研究-錆びた鉄粉圧縮体へのアクリル樹脂の減圧含浸」『保存科学室
紀要2』 財団法人 元興寺仏教民俗資料研究所
増澤 文武、西山 要一(1974):「アクリル樹脂含浸処理をした出土金属製品の経時変化」『保存科学室紀
要3』 財団法人 元興寺仏教民俗資料研究所
増澤 文武、松田 隆嗣(1974):「出土金属品の保存処理法」『保存科学室紀要3』 財団法人 元興寺仏教
民俗資料研究所
三沢 俊平、橋本 功二、下平 三郎(1974):「鉄錆の生成機構と耐候性さび層」『防食技術』第23巻 第
1号 腐食防食協会
沢田 正昭、秋山 隆保(1978):「考古遺物の保存法-現場における脆弱遺物の処理法を中心に-」『考古学と
自然科学』第11号 日本文化財科学会 尾上 英雄、榊 孝、崎山 和孝(1979):「高温濃厚苛性ソーダ溶液中における鉄の腐食」『日本金属学会
誌』第43巻 社団法人 日本金属学会
島 誠、矢吹 英雄(1979):「古代鉄器の“さび”について」『古文化財の科学』第24号 古文化財科学研
究会
増澤 文武(1979):「出土鉄製品の腐食と保存処理」『材料』第28巻 第307号 日本材料科学協会
沢田 正昭、秋山 隆保(1980):「遺跡、遺物の保存科学(7)」『奈良国立文化財研究所年報』 奈良国
立文化財研究所
井上 勝也(1980):『さびの科学』 三省堂
秋山 隆保(1983):「出土鉄器脱塩処理法の研究」『文化財論業』同朋舎
西山 要一(1983):「出土鉄器の保存−現状と課題−」『古文化財の科学』第28号 古文化財科学研究会
太田健一郎(1984):「濃厚アルカリ溶液中での鉄の腐食」『防食技術』第33巻 腐食防食協会
大久保勝夫(1986):「全面腐食と局部腐食」『材料』第35巻 第399号 日本材料科学協会
沢田 正昭、秋山 隆保、江本 義理(1987):「水中遺物の保存に関する研究-Ⅱ アルカリ溶液による鉄器
脱塩処理法の検討」『古文化財の自然科学的研究』同朋舎
青木 繁夫、平尾 良光、門倉 武夫、犬竹 和(1990):「新設脱塩装置について」『保存科学』第29号 東京国立文化財研究所
金子 克美(1992):「古代鉄試料錆の状態分析」『歴史民俗博物館研究報告』第38集 国立歴史民俗博物館
今津 節生、肥塚 隆保(1994):「高温高圧脱酸素水による金属遺物の脱塩と安定化」『日本文化財科学
会』第11回大会研究発表要旨集 日本文化財科学会
石川 恵美(1994):「第2章 理科学的保存処理の概要 第4節 保存処理工程の経過と方法」『団子塚九号墳
出土遺物保存処理報告書−平成3・4・5年度国庫補助事業−』静岡県袋井市教育委員会
西片 篤、高橋 岳彦、候 保栄、水流 徹(1994):「乾湿繰り返し環境における炭素鋼の腐食速度のモニ
タリングとその腐食機構」『材料と環境』第43号 腐食防食協会
河越 幹男、吉原 忍、安木 龍也、川本 耕三(1998):「アルカリ水溶液による圧縮成型含塩鉄器からの
脱塩に関する速度論的研究」『考古学と自然科学』第36号 日本文化財科学会
松井 敏也、村上 隆、高田 潤(1998):「日本から出土した鉄製遺物の腐食生成物の形状と腐食促進陰イ
オン(Cl−、SO₄²−)との関係」『考古学と自然科学』第37号 日本文化財科学会
松井 敏也、村上 隆、高田 潤(1998):「出土鍛造鉄製品の腐食に関する塩素および硫黄の影響」
『文化財保存修復学会誌』第42号 文化財保存修復学会
河越 幹男、山口 清美、澤田 英夫、川本 耕三(2001):「圧縮成型含塩鉄器からの脱塩処理に及ぼす含
− 43 −
奈良大学大学院研究年報 第 18 号(2013 年)
フッ素・オリゴーマの添加効果」『考古学と自然科学』第43号 日本文化財科学会
松井 敏也、手塚 均、及川 規、松田 泰典(2001):「出土鉄製文化財の保存処理における腐食状態の解
明」『東北芸術工科大学 紀要』 No. 8
大塚 俊明(2003):「鉄の不動態皮膜と鉄さびの差異」『金属』第73巻 第8号 臨時増刊号アグネ技術セ
ンター
鈴木 茂、松原英一郎(2003):「鉄の酸化物、オキシ水酸化物および水酸化物の構造と形成」『金属』第73
巻 第8号 臨時増刊号 アグネ技術センター
沢田 正昭(2008):「第8章 金属製遺物の腐食事例と保存処理」『最新・腐食事例解析と腐食診断法』 株式会社テクノシステム
松井 敏也(2009):『出土鉄製品の保存と対応』 同成社
尾崎 誠、尼子奈美枝(2010):「第1章 保存処理 茶すり山古墳出土金属製品の保存処理」『兵庫県文化
財調査報告 第383冊 史跡 茶すり山古墳 自然科学編 一般国道483号北近畿豊岡自動車道春日和田山道路
Ⅱ建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書−Ⅶ』兵庫県教育委員会
− 44 −
Fly UP