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Title Laryngales et schwa indogermanicum

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Title Laryngales et schwa indogermanicum
Title
Author(s)
Citation
Issue Date
Laryngales et schwa indogermanicum
神山, 孝夫
待兼山論叢. 文化動態論篇. 43 P.91-P.125
2009-12-25
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/11094/6173
DOI
Rights
Osaka University
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呂I1I
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比較言語学にかかわる者ならば誰でも心得ているように,
義』で名高いソシュール
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旧宮
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一般言語学講
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)は早熟かっ極めて
先端的な印欧語比較言語学者であった印欧祖語において鼻音と流音が母音
と子音の中間的な位置を占めることが見えてきた途端,学生の彼はこれらと
同じように振舞う一連の仮想的音韻を印欧祖語に想定して,印欧祖語母音組
織の解明へ大きな一歩を踏み出した.メラー(H町田血nMoll
町 1
8
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2
3
)の
採用した呼称により,これらの音韻はやや不正確に「ラリンガノレ 1)Jあるい
は「喉音」と呼びならわされている.他方,印欧祖語には,フィック (
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岡田叫町田姐icumあ
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1
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)の命名により「印欧語のシュワー J(
るいはむしろ schwai
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聞 X
甲田um;以下では「シュワー J
) と呼ばれる弱い
母音が存在した
2
)
今日では,ソシューノレが最初に考えたとおりに,印欧祖
語の初源的な段階から存在したラリンガノレが,ある種の音声環境ではシュワ
ーに転じる,すなわちこれらは同じ音韻に起因するとみなすのが通例である.
だが,ラリンガノレの音価には摩擦音等の喋音が予想されるため,音声学の常
識からして喋普が母普化するなどとは到底考えられない.そのため,かつて
はラリンガルとシュワーが別個の音韻であるとする議論も行われたが,いず
れの試みも失敗に終わり,今日ではこれを唱える者は皆無と言っていい小
文の目的は,従来の研究を踏まえつつ,印欧祖語の音節が保存されたという
作業仮説から出発することによりラリンガルとシュワーがまったく別個の
普韻単位であったという結論を導くことにある
これはソシュールの当初の
92
想定とは異なるが,無論,彼の超時代的な業績の価値をいささかも短めるも
のではない.
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0
6
)において,印欧祖語の母音組織とアップラワ
この結論は枠山 (
ト(
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副 t
)あるいは母音交替現象がどのような初源的状態から,どのような
経緯を経て誕生したのかを従来と異なる視点から検討した際に得た一種の
副産物である.いきおい,これらと重複する内容が多々あるかと思う.この
点についてはご寛恕をお願いしつつも,同学諸兄に参考にしていただければ
幸甚である
印欧語比較言語学の標題
1
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8
6年 2月 2日,カノレカッタ(コノレカタ)において自身が設立したアジア
研究会(Asi
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y勺の創立 3周年記念講演の中で,かのジョウンズ (
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註
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)はサンスクリットとギリシア,ラテンから英独仏露
等に至るヨーロッパの諸言語,ならびにアヴェスタ仰との聞に存在する深い
構造的類似性を指摘し,鋭い直感によってインドからヨーロッパにまたがる
四mmon田町田)に
これら多くの言語(すなわち印欧諸語)が「共通の祖先J(
さかのぼるという驚くべき想定を提示した
この記念碑的講演は同会機関誌
『アジア研究~ (
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叩ぬ田)第 1巻(17
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8
)に掲載されたが,同誌がロ
ンドンの E1
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y社より販売され,独訳 (
1
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)と仏訳 (
1
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)も刊行されたこ
とから,ジョウンズの想定は瞬く聞にヨーロッパ全域に広がり,シュレーゲ
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),ボップ σ四 国 Bopp1
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),ラスク
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侭掴圃且Rask1
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8
7
1
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3
2
),グリム
σb白 出m 1785-1863)等の後継者を次々
醐
と獲得した.こうして勃興した新たな学問である印欧語比較言語学は,周知
9世紀に爆発的な発遣を遂げた.
のようにドイツを中心として 1
ここでいう「比較」とは諸言語のデータをただ比ベることではない.共通
の祖先にさかのぼるという想定に基づきつつ印欧諸語のデータを様々な側
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面から比較検討し,そこに見られる差異がどのような経緯から誕生したのか
を解き明かすことこそが印欧語比較言語学の課題であると言ってよい
しか
しながら,これを成し遂げるには,その出発点である共通の祖先,あるいは
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戸田)の姿が捉えられている必要がある.この
「印欧祖語」加。拍ような当然の認識から,シュライヒャー (
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)が呆敢
にも印欧祖語再建への最初の一歩を踏み出したことは大いに評価されねば
ならない.そして,彼が手探りのまま開始した印欧祖語の音韻組織の再建に
おいて,彼が最初に提示した子音組織はかなり精度の高いものであったと言
いうる勾
初源的母音組織の模索
だが,印欧祖語の母音組織とその不可解な振舞いは難攻不落の敵であり,
この点についてはシュライヒャーが解明できた点は恐らくない.だが,そも
そもその失敗の原因を作ったのはグリムと,闇雲に彼に追従したドイツ人研
究者たちの彼への過信であった.
グリムはゲノレマン語の歴史的研究に真価を発揮したが,その一方では明確
な根拠のないままに『
九
句が印欧祖語の本来的な母音であるとみなし
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)
.サンスクリットと同じくゴート語が短母音組織吋
(白幽血 1
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町を示すことを主な根拠にして,多くのヨーロッパ諸語に見られる H と 句
を後代の発達であると断言した(白加盟 1
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)
. ベンブアイ(Th∞d
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)が控えめな訂正を試みたことを僅かな例外として .50年以
上もこのグリムの説は絶対的な権威として君臨していたのである
このような前提から出発せざるをえないとすれば,印欧祖語の母音組織の
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解明は無理であった.こうしてシュライヒャー同様,ポット (
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)やシェーラー(Wi1h
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)
. クノレツィワス (
9
1
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8
6
)等に母音組織の真髄に迫ることは叶わなかった.
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4ト1
しかし,ついにグリムの権威に敢然と立ち向かう猛者が現れた.後に青年
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坊と称されるグループに属したオストホッ 7
文法学派 (
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)とプノレークマン侭a
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3年から
Bmgma
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),そしてクルツィウスと彼らに教えを受けたソシュー
ノレである.
えい
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6年,オストホッフが今日で言う「盈階梯J(
制I
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)と「ぜロ階梯」
(
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eあるいは低減階梯副ucedg
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)の別に気づくと,同年,友人プノレ
ークマンはこれを応用して有名な鼻音ソナントの概念に到達しの,さらに同
年,印欧祖語の母音として新たに九I(~*e) と *a2 (=句)を想定するに至った.
ソナントの概念自体が旧世代に受け入れられなかったというのが通説であ
るが,グリムの権威に対する不敬とも受け取られたことであろう.彼らは師
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)をはじめと
であるクルツィウスやシュミット σ
するドイツ比較言語学界の重鎮から総スカンを食らい,生意気な若造という
ような意味合いから「青年文法学派」と姉撤されてしばし冷や飯を食う羽目
に陥る(風間 1978.参照).
ソシュール
ソシューノレは 1
4歳で印欧祖語の語根構造に関する論文 (
1
8
7
2
)を物すなど,
少年期から印欧語研究を志し,プルータマンの論文が出る以前に鼻音ソナン
トの概念に気づいたという.一旦は地元のジュネーグ大学に進学したものの,
7
6
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8
7
8,1
8
7
9
1
8
8
0
)とベルリン (
1
8
7
8
1
8
7
9
)に印欧語
すぐにライプツィヒ(18
比較言語学修行に赴く.そして前者で教えを受けたオストホップとブルータ
マンの新説を瞬く聞に凌駕してしまった.
当時,印欧語比較言語学の中心はドイツであり,フランスでこれを把握し
ていたのは恐らくポップの弟子プレアル仰 i
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ったと恩われる.ところが 1
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7
7年そのフランスで上記の 2人よりもさらに
進んだ研究が発表される
ライプツイヒ大学に学び始めたばかりのソシュー
ルが,結成問もないパリ言語学会において「印欧語の様々な aの区別に関す
る試論」と題する斬新な研究発表を行い,それは翌年同学会の機関誌(岬Z
)
第 3巻に掲載されたのである.
この論文では,印欧祖語の母音は H と句であって,一定の条件の下にこ
れらとゼロが交替することが示され,さらには長母音句(句)及び句と交替
する祖語の%なる仮想的単位が想定された.後者の交替についてはすでに
ベンファイも気づいてた(18
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.
) この要素の母音としての現れはフィ
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)以来「印欧語のシュワー」と呼ばれることなり,音声記号
が整理されるに従い,徐々に匂による表記が一般化する.
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1歳にしてソシューノレは有名な『印欧語における初源的母音
組織についての覚え書~ (扉の記載は
1
8
7
9年)を世に問う.
*
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,
)Iゼ
同書において,まず彼は「試論」で自身が到達した「句(句,)I句 (
ロ」の交替という視点からソナントの振舞いを整理し,従来これらとは別個
,u ,
y
( w)もソナントの一種として扱うことが可能であると
に扱われてきた i
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) 当時ソナントは流音と鼻音のみを指したため,彼はこの
確認する(p.6
ような広義のソナントを《凹C箇 c
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白妙という別な用語で呼んだ
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)
. これは母音部の一部として働くソナント的な音という意味で用いられ
(
p.
ており,小生はこれに「ソナント的な付加音」という訳語を与えている
今
日では単にソナントと呼び替えて差し支えない
そして印欧祖語に r(
1
)
,m
,,
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,u の他に未知の「ソナント的な付加音j で
ある h と・9が存在したと仮定し,初源的な母音組織について次のような想
定を提示した.
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)
音素"はあらゆる語根の基本的な母音である.これは単独で語根の母
fソナント
音部を形成する場合もあるし,あるいはまたこれにソナント (
的な付加音」と呼ぶ (
p
.8
)
) が続く場合もある目
ある不明の条件のもとに.,は h と交替する より知られた条件ではこ
の母音は消失する.
"が消失すると,語根にソナント的な付加音が含まれない場合,語根
は母普部を失う
これが含まれている場合には,ソナント的な付加音は
単独で,いわば音節核を担うことになり,語根の母音部となる.
音素 A及び 9はソナント的な付加音である.これらが単独で生じるの
は語根が低減階梯を取る場合のみである.語根が正常階梯の場合,これ
l+
A
,a
l+ Qという結合から長膏のA, gが生
らの前には必ず"があり.a
じる
他の場合と同様に A及び 9の前では"・ h の交替が行われる
この想定に基づく初源的な母音交替は下表に示される(幾分簡略化した).
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97
今日までに成し遂げられた修正を加え,表記法を今日のものに置き換える
と下表が得られる(上のソシュールの表に倣いアステリスクを略す).上表
の網掛け部分と L を考慮していない点 ηに不備があるものの,最初の試みか
らソシューノレがいかに核心に迫っていたかが窺われよう
印欧祖語における語根母音
d
0
1
ドイツ比較冒語学界の反応
しかし,ソシューノレ説はドイツ比較言語学界に受け入れられなかった 屈
辱感の中で彼は十代半ばから情熱を傾けたアップラウト研究を断念し, 1
8
8
0
年 2月これと無関係の論文「サンスクロットにおける絶対属格の用法J(
D
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l'目印刷 d
uI!副首f.
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1
u田 S血 血i
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)によってライプツイヒ大学から学位を得
るとともにドイツと比較言語学の表舞台を去る
その後パリでの十年を経て
ジュネーヴに帰り,有名な 3度の「講義」を残して喉頭癌で世を去る.
実際には「ソナント的な付加音」を除く部分でソシューノレ説は徐々に受け
入れられ,印欧祖語の母音組織と母音交替現象についての学界の理解は徐々
に進展する
だが,ソシューノレの功績にはほとんど触れられず,無視,ある
いは見当違いのソシュール批判が続く.ブルータマンはこの時期シュミット
との論争に熱中して,目立った反応をしていないが,オストホップはかなり
0
0
也o
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1
.・氾正;1
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8
1
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:3
4
2
),ヒュップシュ
強引にその説を否定し去り (
マン(H
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1
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0
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)の 『印欧祖語の母音組織j(
1
8
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5
)やベ
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ヒテノレ
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曲 i
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11
8
5
5
1
9
2
4
)の『シュライヒャー以降の印欧語音論の
主要問題~ (
1
8
9
2
)はソシューノレ説が謬見であるとの誤った印象を植え付けた.
コリッツ但町n血 n Co血阻 1
8
5
5
1
9
3
5
)がソシューノレ説に対し適切かっ穏便な
反応をしているのはむしろ珍しい (
1
8
8
の
.
メラ一
真撃にソシューノレ説を検討し,その改善を試みたのはメラーのただ 1人で
ある.デンマーク最南部に生まれ,ドイツ領北フリジア諸島に育った彼はラ
イプツイヒでクルツィウスに師事し,キーノレを経てコベンハーゲン大学教授
となる.メラーはソシューノレの『覚え書』が出版されると,他書の書評にお
いて早速その新説に言及し例O
l
l
e
r1
8
7
9:1
5
0
f
f
.
),ソシューノレの破滅に修正を
加える.
ソシューノレの想定で仮定された未知の「ソナント的な付加音」は%と匂
の 2つだけであり
*eAが亘と亘の二様の反映を持つ点は奇妙であった.
﹀﹀
AOV
EO--0
.
,
.句〉句
0
事0.
*eA>*
e
,
*
a
A>*"
場
事
g>
。
毒
そこでメラーはさらにもう 1つの普韻『を想定することを提案する.
・
・
*eE> 6
*OE>*
o
事
*eA>*
邑
*oA> 0
*A>事2
事句〉句
・
*09>・
6
E> 9
・
g>
句
このように 3つの未知の音韻を想定することは今日でも支持されている
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1
g
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血
ただし,その表記法は様々であった.今日ではベーザーセン(H
1
8
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1
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3
)が 用 い た 方 法 (
1
9
3
8
)から・Hh *H
2, 旬3 あ る い は コ イ パ ー
σranClS叩
sBemardusJ
:
田 o
busK
u
i
p
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r1
9
0
7
2
0
0
3
)が用いた方法 (
1
9
4
2
:1
6
3
)を
h
3 が用いられることが多い.
簡略化した*h"事h2,*
9
9
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隅面白伊盟国叩血
瑚 叩r
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向
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固め
Cuny P
E
h,
ソシュールはこれらをソナントの一種と考えたために,問題の音韻が音節
核の一部を成さない
r
.
九、+母音」というつながりを考慮しなかった.だ
1
8
7
9
)はこのような位置にある
が,これらを純然たる子音と考えたメラー (
句
,*
A
,匂をも考慮する必要性を認識した吟実際,ソナント的であれ子音的
であれ,事A,匂が逆行同化によって先行母音の質を変化させるなら,これら
が母音に先行する場合にも後続母音に順行同化を及ぼさなかったとは言い
切れない.この点にソシューノレの穴をみつけたメラーは新たに以下の推移を
想定した.
*Ee>・e
*Ae>*
a
。・
*Qe>
例えばLa
to
叩 l
田“ane
y
e
"
,Gk
.'
6
(Jl田‘加。句田"の語頭のような eと交替し
ない oを,かつてソシュール (
1
8
7
9
:7
1ff.)は匂の反映とみなした.これによ
り,ソシュールは上掲の表において本来九(~匂)を記すべき下段右端に匂
(>句)を記す誤りを犯したが,上記のメラーの補正によって,このような句
が 、e(あるいは匂0
) に由来するとみなされることになり,ソシューノレ説は
より正確となった.
セム語と印欧語との近親関係、を疑うメラーは,翌 1880年に発表した論文
oの発生I但X山田:d
i
e田t
s
旬:
h
u
n
g
d
田 0,
p
.4
9
2
f
f
.
)脚註において *
E
,*
A
の付節 r
とセム語の喉音 (
g
o
t
t
u
r
a
1
e
)との類似性を指摘する
1
0
).その後,印欧語とセム
語の近親関係について研究した後,恐らく 1
9
1
1年から L
a
r
y
n
g
a
1
eの呼称を用
い出す.
100
キュエー
後に「ラリンガノレ説」と呼ばれるようになるソシュール=メラーの想定に
追随する者が現れたのは l世代を経てからのことである.
キュニー(A1
b
e
r
tLo叫s M
町i
eCuny 1
8
6
9
1
9
4
7
)はソシューノレの弟子メイエ
( 血 凶eM
e
i
l
l
e
t1
8
6
6
1
9
3
6
)に指導を受けて印欧語比較言語学を修めたが,セ
ム語ゃいわゆるハム語にまで視野を広げた目メラーの『セム語と印欧語』
(
1
9
0
6
),ターン(KZ)誌 42巻の論文 (
1
9
0
9
)
,W印欧語・セム語比較語葉集~ (
1
9
0
9
(未見))に興味を抱いたキュニーは,ボルドー大学の『古代研究』誌に連
1
9
0
9
b
,1
91O).さらに『印欧語・セム語比較
続してこれらの書評を掲載する (
辞典~ (
1
9
1
1
)に接する聞に,メラーによるソシュールの「ソナント的な付加
音」の補正(18
7
9
)を発掘したキュニーはそのほぼすべてを追認することにな
った (
1
9
1
2
)
.
彼等の主たる相違点は表記法と音声実現の点だけである.メラーがラリン
ガ
ノ
レ *E,*A,匂を純然たる子音と見たのに対し,キュニーは音声的に大らか
であって,匂 h +Q2'+句を子音にも母音にも臨機応変に姿を変える単位と考え
る.
ヒッタイトとクリウォヴイツチ
キュニーが繰り返し賛意を表明したものの,ソシューノレとメラーの説は賛
同者を増やすことはなかった結局,ソシュールの想定が日の目を見ること
になったのは,ヒッタイト語にラリンガノレの痕跡が報告されてからである
止o
y
)遺跡から膨大な粘土板文書が発掘され, 1
9
1
4年
ボアズキヨイ但oga
B
e
d
直.chσn
曲 i
c
h
)Hro
zny1
8
7
9
1
9
5
2
)はヒッタイト語粘土板文書
フロズニ-(
研究の要請を受けてトルコに入るそして,わずか 1年の聞に解説に成功し,
ヒッタイト語が印欧語であるとの見解に到達した.その成果が徐々に専門家
に広まるにつれて印欧語比較言語学は大きな方針転換を迫られることにな
Laryn伊国 e
ts
c
h
'
隅面白伊盟国叩血
1
0
1
った.
ソシューノレの名声を取り戻したのはメイエ門下のクリウォヴィッチ(1,田y
k田 y
l
o
w
i
ロ 1
8
9
5
1
9
7
8
)による「印欧語の aとヒッタイト語の1!J(
19
2
7
)なる
衝撃的な論文であった.彼はここでヒッタイト語の bがソシューノレの弘に
相当すると指摘したのである
彼は 1935年に『印欧語研究』という 1書にそれまでの成果をまとめてい
る 同書 28頁以下に記された総括に従えば,音論に関わる領域において彼
がなした提言は下記の 6点である
1
)短母音+子音的な.(~書)より長母音が生じる:句 1>15,句2>,
ae
宮
3>O;
宮
。 1>O,0宮
,
>
邑(
η,。官,>邑;
2
)母音聞の習は無音化し,長母音あるいは 2重母音が生じる;
3
)子音聞のョはギリシア語以外で無音化する,
4
)子音と母音の聞の習は無音化する;ただし,無声閉鎖音+曹はインド・
イラン語において無声帯気音となるのk 抽 血-v
s
.G
k
.町 町o
c“
s
t
o
o
d
"
(
p.
p
.
) <句切);無声閉鎖音十島は有声閉鎖音となる (
S
k
r
.p
i
b
a
t
i<
事p
i
P告副首e也担bウ,母音的な a は第 2のシュワーを伴うみに起因する,
5
)母音ではじまる語はかつて語頭に習を持っていた目書 IC>e
,
書2c>a,
宮
,e
>0;子音の前に位置した語頭の曹はギリシア語とアルメニア語で前置母
k
. bdo
向 (bd町 τ) '
'
1
0
0也
.. <
音を生み,その他の語派では無音化する (G
匂l
d
o
n
t
-,
Ar四脚凹<*如何叫, c
f
.S
k
r
.抽 (
d
a
n
t
)<*
i
.
d
o
n
t
-,
La
t
.d
e
n
s
(帥ト)<匂向t
);
6
)れはヒッタイト語にーとして残る♂仇阻む“a
g
a
i
n
s
,
ti
n世 田t
">H
i
t
t
目
l
J
a
n
t
i
,
c
f
.L
a
t
.a
n
t
e
)
;aの響きを隣接母音に与えつつもヒッタイト語に残らなかっ
た告の変種を割とする.
キュニーの場合と同じく,ソシューノレの説とメラーによる補正が取り込ま
れているが,クリワォグィッチは主に母音的な旬の扱い,ならびに匂2 と
E
五
位
bとの関係の 2点において独創的な見解を提示している.
iρg
パンヴ:t:'=ストとクヴレール
m
i
1
eB阻 羽 田s
t
e1
9
0
2
1
9
7
6
)はメイエに才能を見込まれて
パンヴエニスト(E
1
9
3
5
)によっ
イラン語学に専心したが. ~印欧語における名詞形成の起源~ (
て印欧祖語最古の状態解明にも挑んだ
同年 9月に出たばかりだったクリウォヴィッチの『研究』は参照されてい
ないために,事望4 を考慮しないなどわずかな異同が見られ,また印欧祖語の
1
7
0
)によって語根の
語根がすべて「子音+匂+子音」であるとする仮定(p.
分析方法が具なるが.148頁以下に記された匂についての見解はクリワォゲ
イツチのそれとほとんど変わらない.唯一相違するのは匂の音声実現につ
いてであって,クリウォグィッチがメラーやパリ時代のソシューノレのように
tp
o
i
n
tdevue
,Q
純粋な子音を想定しているのに対し,パンヴェニストは A加u
回目立駒市回IDl
meunes
o
n
a
n
加,
a
v
e
cf
o
r
m
ev
o
c
a
l
i
q
u
eoucon
回n
a
n
t
i
q
u
er
あらゆ
る点、から見て. 0はソナントと同様に振舞い,母音にもなれば子音にもなる J
(
p.149)と述べて,キュニーと同様にこれが母音と子音にまたがる音と考え
ている.
t
e
rC
ouvr
琶町)も同時
また, リューフェン(ノレーヴァン)のクヴレーノレ(Wa¥
期に精鰍な研究を残している
彼の結論も大筋ではクリウォヴィッチ (
1
9
3
5
)
のそれと変わらないが,子音匂と母普句との関係についてはキュニーに,
ヒッタイト語草と申告の関係についてはクリウォグィッチ (
1
9
2
7
)に近い.
クリウォヴィッチ,パンヴェニスト,クグレール以降,ラリンガノレ説は印
欧語研究者に急速に認知されるようになった.ただし,ベーザーセンの反応
に見られるとおり学界の反応はなお頑なであった.彼は 1900年にはラリン
ガノレ設定に反対したが. 1909年にはソシューノレの%を、として認めた
(
1
7
7
ff.).ヒッタイト語の印欧語への帰属が認知されると.~ラテン語の第 5 曲
用~ (
1
9
2
6
)48頁註において,ソシューノレが 1
8
9
1年にパリ言語学会で発表し
た見解,すなわち弘が先行閉鎖音の気音として現れるケースを追認する.
Laryn伊国 e
ts
c
h
'
隅面白伊盟国叩血
103
クリウォヴィッチ (
1
9
2
η によってソシューノレの九とヒッタイト語の』が
1
9
2
8
:1
56f.),クリウォヴィッチ (
1
9
3
5
),パ
結び付けられるとこれに注目し (
1
9
3
5
),クグレーノレ (
1
9
3
5
;1
9
3
7
)が公にされるに及んで,自著
ンヴェニスト (
『ヒッタイト語と印欧諸語~ (
1
9
3
8
)においてようやく世の趨勢に従った.だ
が,彼は結局 2種のラリンガノレのみを認めた.すべての・。を匂との交替に
よって導こうとしたために,。色のラリンガノレとも言える匂(~匂,)の想定
を不要と考えたのであった.これは彼の師メラーが 1880年の段階で一時的
に表明していた見解に等しい.また,ソシューノレも 1
8
7
8年の「試論」の段
階ではそのように考えていたように見える
スタートヴァントとマルテイネ
同じ頃,ラリンガノレ説は合衆国に遣する.古典語専攻だったスタートヴァ
ント但d
g
a
rHowardS
t
u
r
t
e
v
姐 t1
8
7
5
1
9
5
2
)は,ヒッタイト語が印欧語であると
9
3
0年まで彼はラリン
判明するや方向を転じてアナトリア語学に専心した 1
ガノレ説に否定的であったが,クリウォヴィッチ (
1
9
2
7
)以降翻意し,この説の
a
p
i
r1
8
8
4
1
9
3
9
)がメラーを支持した
熱心な支持者に転じた.サピア但dwardS
ことも影響している
彼はその後,ラリンガルの痕跡を次々と研究し, 1942
年に至って成果を『インド・ヒッタイト語のラリンガル』にまとめた
同書
にはソシュール以来の,そしてサピアと自身の見解が整理され,当時まで知
られていたヒッタイト語の資料が網羅されているが,結局彼の採った視点は,
すでに時代遅れであった第 2のシュワーを認める点を含め,大筋においてク
リウォヴィッチと変わらないただし,クリウォヴィッチが匂を匂eの具現
と見たのに対し,スタートグァントがこれを九H(~ ヘョ)と見る点は異なり,
*Hの膏声実現に関してはサピアの説が全面的に採用されている.
戦後合衆国にあったマルテイネ(加価 Mar
血e
t1
9
0
8
1
9
9
9
)も盛んにラリ
ンガル説を擁護した.彼が特に主張したのは円唇性の問題と,従来「拡張子」
1
0
1
(
曲1
明 細 血t
)という特殊な接尾辞とされてきた *
w
-と *
k
ーをラリンガノレの
残津と見る視点であった (
1
9
5
5
;1
9
5
6
;1
9
8
6
)・O
.
g
.LatgnoV
i
“1h
a
v
eknown"<
*
g
n
o
-(
<*gn
e
H
,
)+*-副(<噌,o
i
);Gk
.&
i
1
i
1
D
K
α“
1h
a
v
eg
i
v
1
回"<噂0
0
(
<事白H,)+
*
a
(
<旬。:).
その後,オスロの第 B回国際言語学者会議 (
1
9
5
7
)でラリンガル説が扱われ,
翌々年テキサス・オースティンにおいて開催された Evid
回 目 白r
1
a
r
y
n
g
e
a
l
sと
題する会議とその会議録を通じてラリンガル説は急速に浸透する.今日では
様々な概説書あるいは教科書等においてラリンガル説がほぼ無批判に採用
されるに至っている
ラリンガル=ソナント説
ラリンガノレなる音韻が印欧祖語に存在したことはもはや疑いない.だが,
ラリンガノレとシュワーとの関係については前世紀中葉から研究が頓挫して
いると言える.
この問題に対するアプローチは 2種あった.その一方はラリンガルとシュ
ワーを同一音素の異なる具現とみなす立場である(rラリンガル=ソナント
説」と略称) ラリンガノレの生みの親ソシューノレははじめこれと同様の立場
を採っていたが,ラリンガノレが母音と子音の 2面性を持っているとの考えを
明示したのはキュニーであった (
1
9
1
2
)
. その後,このような理解が半ば一般
化し,パングェニストをはじめとして,以降のほとんどの研究者が暗にこの
立場を支持している
ラリンガノレニソナント説に従った説明法は一見有効に恩われるが,以下に
記すようにラリンガルの音価に喋音が想定されることを考慮すると,喋音た
るラリンガノレが母普化するというのは所詮無理な発想である
ソシュールが
言うように,ラリンガノレは確かにソナントに類する働きをするようにも見え
るが,ソナントのように自鳴音あるいは半母音でない以上,それが音節核を
Laryn伊国 e
ts
c
h
'
隅面白伊盟国叩血
105
担い,さらに母音に転じるプロセスを想定することは到底受け入れられない.
この点への配慮からか,現在ではラリンガノレがソナントの一種であると明
言することはあまりない
r
e
dM
a
'
戸
:
h
o
伽
例 え ば マ イ ル ホ ー フ ァ 一 例 血f
1
9
2
6
),レイマン何回企e
dP
h
i
l
i
p
pLehmann1
9
1
6
2
0
0
7
),マイヤー・プリュッ
ガ -(Mi
chaelM
田町ーB国底的等は匂が印欧祖語の音韻ではなく,ラリンガノレ
の痕跡とみなすこれはある意味正しいが,匂が出現するメカニズム解明を
放棄している.
ラリンガルの音価推定
ラリンガノレ=ソナント説が誤りであるからには,ラリンガノレの音価を推定
し,どのような経緯から母音匂が生じるのかを検討しなければならない.
1
8
7
9
)はラリンガノレをシュワーと同一視したが,メラー
最初ソシュール (
(
1
8
7
9
)はこれを奥の子音と考えて後にラリンガノレの名を与え,後にソシュー
1
8
9
1
)
.この立場は「ラリンガル=子音説」と呼べる.
ノ
レ
も hの類を想定した (
子音によって隣接母音の質が影響を受け,これが消失する際に先行母音が代
償延長されて長母音が生み出されたと想定することも充分に可能である.
8
7
9年に句,事九、を子音と看破
だが,これらの音価推定は容易でない. 1
したメラーは,セム語との比較を基に翌年から音価推定に挑む.だが,彼の
見解は二転三転し,想定するラリンガノレの数も 3,2,3,5と揺れた
出
スウィート(H四ySw
1
8
4
5
1
9
1
2
)は 九 を g
l
o
同1
r
,
o
r
v
o
i
∞dg
1
0陶 l
出Hす
なわち口蓋垂顛動普[吋と考えた目そしてやE はこれに硬口蓋化を,匂(彼は
oと記す)は唇音化を加えたものとみなす (
1
8
8
0~ 1
9
1
3
:1
4
6
の だが
*Aが
中立的で *E と 匂 が そ の E種とみなした点,根拠なく顛動膏を予想した点,
気音としても現れる%を有声音であると断じた点などは明らかに不適当で
ある.
だが,世紀が替わってヒッタイトのデータが加味されてからは,クリワォ
106
ヴィッチが整理するように
*Aと *g が隣接母音にそれぞれa, oの音色を与
え,町はいわば無色のラリンガノレであること
*Aが痕跡に気音を残すこと
(
e
.
g
.S
k
r
.S也 忌 〈 匂 由2ー+内包:H,-“S回 d
'
ヲ
. *9 が先行無声音を有声化すること
(
S
k
r
.p
i
b
a
t
i“
he世泊ks"<宇p
i
p
H
,-.,.世),そしてこれらがヒッタイト語に bとし
て痕跡を残す場合と残さない場合があることなどから,ラリンガノレの音価推
定も徐々に進展した実際メラーが最終的に到達した見解(19
1
7
)は,後にク
ヴレールとサピアが得た結果とかなり似ている(併記 IPAは神山).
σ
五
位 b
) Moller
1
1
)
'
E
=司
王1
A[1]
市
'
A
=*H
2
+
事
,
1
t
*Q=*
ロ
喧胆]
f
!
.[
1
'
]
y[~]
C
o
u
v
r
e
u
r12)
S
a
p
i
r13)
,
η
[
,
[
1
]
i
}
.
[
町
‘[~]
x[X-X-h]
:[
1
'
]
y[y-..-勾
ω
上ではヒッタイト語のl!0! の処理により想定されるラリンガルの数が
異なる
これを重視しないクヴレールは初期のメラーと同じく 3つ,サピア
3
5
)に従って喧2 にのみHitt.l!を生み出す変種を想
はクリウォヴィッチ(19
定して計 4つを立てる:e
.
g
.1
五位』皿t
i
,S
k
r
.回
世
, Gk.a
v
r
i
, Lat田 恒 (*H,
e
n
t
官団内四回比柳a, S
k
r
.ap
,
aGk.田0,
L
a
t
.ab・
(H,
叩
ー
“o
f
f
'
)
. Hi
t
t
.l!が生じる
場合は無声音,これが生じない場合は有声音が想定されている.
声の有無を捨象すれば,諸家の見解は下記の点で大まかな一致を見せる.
声門音
令E~ 司王I
*A=*H
2
匂=率直3
口蓋垂あるいは咽頭摩擦音
しかし,率直2 と *H
,の差異は難問であり,前者が先行閉鎖音に気音を付け
加え,後者がこれを有声化することを手懸かりにして,事H,を無声普. *H
3
を有声普とする案が暫時有力であった.
L
a
r
y
n
伊
国e
ts
c
h
'
隅面白伊盟国叩血
だが,これらが隣接母音に与える音色が異なる点は説明に鰐する
107
この点
を解決したのはマルテイネ (
1
9
5
3
)である.事H,と*H,が対応の無芦音と有声
音であったなら,隣接する母音に与える音色がそれぞれ aとoのように異な
るはずがない.彼はLat. gno
v
'
i
“1h
a
v
eknown"<*gno-(
<*gn
eH
) +*-阻(<
3
*-H
i
)やLa
t証
V
o
, OCSz
i
珂“1l
i
v
e
"<旬、iH
v
2e
r+-o(<*-eH,)等における -
すなわち *-w
ーに市民の調音的な特徴が残されていると考えた.だとすれば
*H
,は [
w
]の要素を併せ持つ音,すなわち旦昼盆音だと考えられるだろう
印欧祖語において円唇化が弁別的特徴であった可能性はいわゆる伊凪Jl'lU
S
からも伺える.彼はこうして事H,
が *H
,に円唇化を加えた音に等しいという
考えに到達した.
調音点が口蓋垂にせよ咽頭にせよ,恒2に隣接する母音が後苦闘母音 [
0
]の
響きを得ることは容易に予想され,他方これに円唇化を加えた・H,は隣接母
音に対応の円唇母音[ロ],あるいは円唇性が強まれば [
0
]や [
0
]の響きを与え
の o色がともによく説
るはずであるから,この想定により明2の a色,ずH,
明される.
以上を加味すると,ラリンガノレの音価は概して下記のように推定される.
令E~ 司王I
声門音
, 口蓋垂/咽頭摩擦音
*Q=・
H, 円唇口蓋垂/咽頭摩擦音
*A=事H
,
クリウォゲイツチ(1935)は国紙草色却として現れる変種を持つのは句1
a
s
t
a
i
,S
k
r
.田血i
,Gk
.b
目白v,La
t
.0
8(
<*0阻 <*
0
8
t
)等を
のみとしたが,回tt.Q
*H
s
t
-"
b
o
n
e
"の反映とする彼自身が 1927年に表明した見解がむしろ正解で
3c
ある可能性もあり叫また四位血舟町市皿e
"を S
k
r
.血a
t
i“
h
em
e
a
s
u
r
e
s
"
,La
t
由星紅白吋血e
叫町e
"
,Gk.凶τ
u
;‘
'
w
i
s
d
o
皿
.
"
, OCS 田批a“血曲S回想"等と同じく
*meH1-に由来すると見れば, *H1と 唱 に も E
置は.Il抽)として現れる変種を
想定しなければならない
108
メラーやサピアが考えたように,事H,と事H,
は Hi
tt.草色草)を示す場合に無
声音,さもなき場合には有声音として実現したとみなすのが妥当であろう
だが, 1つの音価に[h]が推定される*H,については同様の予想が難しい.無
声の向と有声の[且]を弁別する言語が存在するとは考えにくいからである
例えば¥1[
h
]
と h[
町を持つサンスクリットがその例外にも見えるが,前者は
絶対語末に,後者はそれ以外の位置に現れるため,これらは同じ音素の異な
る具現と見られる.だとすれば,前後の母音に特定の音色を与えず,また後
代に無声摩擦音の反映を残さない声門音司王1の候補には声門閉鎖音問しか
考えられない.
*E=*H1
.A=.H
2
+
M
仲 HW
且
、
,
H
以上からすれば,ラリンガルの音価は下記のように推定される.
無声声門摩擦音凹
声門閉鎖音[?]
+
無声口蓋垂摩擦音[姐/無声咽頭摩擦音問
]1 有声咽頭摩擦音[~]
有声口蓋垂摩擦音 [
.
.
*
ロ
+ 円唇無声口蓋垂摩擦音 [
x
可/円唇無声咽頭摩擦音 [
h
可
Q= 同
円唇有声口蓋垂摩擦音[B'寸/円唇有声咽頭摩擦音[~
.
.
.
.=
ラリンガル=子音脱の行き詰まり
E
五社』ぬ島)との関係について新たな発見があればその想定すべき数は半減
することになるかもしれないが,上で推定したラリンガルの調音点,及びそ
れらが喋音であるという点に関してはほとんど疑問の余地はない.だが,こ
れを前提として,ラリンガノレが占めた位置に母音匂が現れる音声学的なプ
ロセスを検討した研究者は少なく,今日に至るまで信頼に足る見解は提出さ
れていない.
キュニー以降,このプロセス解明を半ば放棄したラリンガル=ソナント説
Laryn伊国 e
ts
c
h
'
隅面白伊盟国叩血
109
が横行する中で果敢にもクリウォヴィッチはシュワー匂が第 2の シ ュ ワ e を伴う匂eすなわち・H,に起因すると唱えた
(
1
9
3
5
)
.
クリウォヴィッチは独自の語の構成分析からラリンガノレの釜亙に正常階
梯の母音句を予想し,その弱化から匂,(すなわち句fJより母音匂を導く.
このような複雑な経緯を想定した主たる理由は S
k
r
.s
也i
担
.
Q"stood"ω 同 等 に
おける tに続く気音 h と母音 1の説明にあり,彼は匂eの*脅から気音が, ,か
k
r
.iが得られると説く.だが,コイパー (
1
9
4
2・1
8
3
f
.
)も指摘するように
らS
s
t
h
i
祖h
ではこの説明が有効だとしても,キpeH
t
"から同様の過程を経
2"甲 田 恒c
て形成されるうH,
舟rーから p
i
樋“白血ぜ'を導くことができない.この種の批
判に屈してか,後年クリワォヴィッチは自身の匂, >匂説を廃してしまう
(
1
9
5
6
:1
6
7
f
f
.
)
.
スタートヴァント (
1
9
4
1
b
,1
9
4
2
)は母音匂の付加を考えずに,ラリンガノレ
の董に第 2のシュワーを持つ九Hすなわち*,Hから匂が得られるとした.
だが,第 2のシュワーは後代に各語派で独自に加えられた挿入母音と考え
られるため,印欧祖語の音韻とは認められない そのため,これに依拠した
クリウォヴィッチの説もスタートヴァントの説も誤りであると判断される
掴 B
urrow1
9
0
9
1
9
8
6
)は匂の起源を形態論に求める提案を行
パロウ σbom
闘 の .L
い,曲i
地は*
s
t
H
ri
a
t
.s
t
a
t
u
sや Gk
. 1ftα曲 Eは均出r
a
t
o
sのそれぞれ
反映と見て,斜字体の~ aを各語派において独自に加えられた挿入母音とみ
1
9
5
0,1
9
5
5,1
9
7
9
)
. だが,これに同意することは難しい.
なす (
E常階楊とぜロ階楊の出現
従来ラリンガル=子音説ではシュワーの発生を説明できなかった.だが,
以下に略述する私案によれば,印欧祖語の母音組織が誕生する過程全体を視
野に納めることことにより,ラリンガル二子音説を採りつつもシュワーと他
の母音の発生を統一的に導くことができる.詳しくは神山 ο006)を参照され
110
たい.
まず着目すべきは印欧祖語の語根の形状である.サンスクリットの語根が
常に 1音節であることはすでに古代インドの文法家によって知られていた.
これを土台にして,ポップは印欧語の語根が同じ性質を示すと指摘している
(
B
opp1
8
2
0
:8
f
f
.
) その後,シュライヒャー (
1
8
6
1
:287f.),メイエ (
1
9
3
7
'
:1
7
3
f
f
.
)
が検討し,またパンヴェニスト (
1
9
3
5
:1
7
0
f
.
)は独自の分析法を提示するが,
今日では印欧祖語の語根が本来 Ce(
R
)Cあるいは C(
R
)
e
CC
:C: conson副
R
:
r
e
s
o
n
岨t
)という簡素な構造を取ることが広く知られている
印欧祖語の文法発達を手短かっ説得的に記すことは難しいが,小生は上記
のような簡素な構造をした語根部分が本来的な「語」であり,伝達の必要か
らこれに数や格,あるいは時制,相,人称のような様々な文法的な情報を加
える要素が付け加わることによって,複音節の語が生み出されたと考えてい
る.例えば「主人,支配する」を原義とする事問gを例に取ると,これに出所
g
e
sという 2音節の形態が誕生した途端,印欧祖語
を表す*一回が付着した*re
の音声面に大きな変化が生じると予想される.複数音節が 1語を成すことを
音声・韻律的に表示する一般的手段,すなわちアクセントが誕生すると期待
されるのである
概してアクセントとは複数音節のうちの 1つを際立たせて(卓立),それ
らの膏節が韻律的に 1つの単位を構成していることを明示する手段であり,
一般にその卓立の手段に強さを用いるストレスアクセント
ピッチアクセントの別がある
ι 高さを用いる
印欧祖語に複音節語が誕生した当時,仮に前
者が用いられたとみなせば,強勢を失った本来の音節核句が司。]に弱化し,
E
.mountainが ['m皿皿恒n]さらには['血凪皿同]となるように,この可。]も周囲
の音声環境によっては脱落してしまうことが期待される.本来の母音
を
lE常階梯」とこれを失う「ゼロ階梯」の差異はこのような極めて
保持する f
一般的な音発達から誕生したと考えられる.
Laryn伊国 e
ts
c
h
'
隅面白伊盟国叩血
1
1
1
音節保存の傾向と。階梯の出現
無アクセント母音の脱落によりゼロ階梯が容易に得られるが,あらゆる語
の無アクセント母音が全部脱落してしまったら,発音困難の形態が多々出現
してしまう
そのため,無アクセント母音の・[
0
]への弱化はあまねく行われ
たにしても,後の *
[
0
]の扱いは問題の形態素の音声環境によって様々であっ
たと考えねばならない.そこで様々な音声環境における母音の振舞いを統一
的に扱うべく,下記のような作業仮説を設定する:
初期の印欧祖語には本来の形態素の音節を保存する傾向があった.
このような「音節保存の傾向」があったとすれば,無アクセント音節に生
じた *
[
0
]が完全に縮減して脱落するのは,問題の音節にソナント,すなわち
自鳴音 r
,l
,
m
, nや半母音 y(
i
)
,
w(
u
)が含まれていた場合のみとなる.ソナン
トに隣接した弱母音が極度の弱化の結果として脱落したとしても,隣接ソナ
ントが音節核の役割を受け継ぐことができ,結呆的に旧来の音節が保存され
るからである.
だが,問題の無アクセント母音が喋音(閉鎖音と摩擦音)に挟まれている
場合,その音節核は完全に弱化して脱落するわけにはいかない.例えば宇ped
「足」に上記の t田を加えたう叫ー闘が語尾部分にアクセントを持ったとす
ると,語根母普は弱化して匂吋白〉叩[
o
]
d
白となる.ここで事[
0
]が脱落した
ら,可d田という極めて発普が困難な結合が生じ,また膏節保存に抵触する.
そのためこのような場合に第 l音節の母音は旬。]の状態を維持しなければ
ならない叫.
このように,音節保存の傾向に従えば,無アクセント音節一般に生じた *
[
0
]
は,喋音のみに隣接する位置においては維持されることが期待されるが,マ
ノレテイネ (
1
9
8
6
:1
3
9;2
0
0
3
:1
5
9
)の着想に倣い,最初は本来の母音句の異音
に過ぎなかった・[
0
]が,喋音(ラリンガノレを除く)に挟まれた位置で徐々に
1
1
2
第 2の母音音素としての地位を獲得し,新たな母音音素句となったと考え
たい.思うに,これこそが積年の難問たる o階梯(別名「変色JA凶 nung)
の起源である.
上からすれば%と句の交替はアクセントを含めた音声環境のみで説明
されるが,この交替は形態論拡充のプロセスにおいて巧みに利用されたと考
えられる.その結果句は動調の完了形 (
e
.
g
.G
k
. M何ー曲)“1l
e
a
v
c
"→
(
1
.
t
)
初田(ーの“1h
a
v
e1
e
f
t
'
ヲや名調形 (
e
.
g
. Gk
.1
.
.
e
y
(
ーω) “
s
p
回k"→ )
.
o
y
o
。
(
ー
“
S
戸
田
,h
'
'
)に一般的に用いられるに至った
印欧祖語の最初期には母音が%
(R
)CIC(R)eCの制限上,弁別的な音節(あ
の 1つしかなく,また音節構造 Ce
るいは潜在的な語)の数が不足気味の状態であったから,新たな母音句が
出現すると,これが早速形態的な区別のために利用されたのは無理からぬこ
とだと考える.
ラリンガルの合ーと消失 l
aと 長 母 音 の 出 現
母音あるいは音節核となる音韻が増加すれば,弁別的な音節の数も増加す
る.すると,子音組織には余裕が生まれると予想される.この時代の印欧祖
語の場合,母音が増えるに従い,その子音組織の中でもっとも調音が似通っ
ており,したがってもっとも弁別的潜在能力が低いと思われる音韻,すなわ
ちラリンガル明 10*H2• *H
3の差異が失われることは想像に難くない.隣接母
音にその響きを付け加えてから合一する推移を経るならば,これらを含む形
態相互の区別は相変わらず保持されたままであり,音韻対立の観点、からすれ
ばこれはまったく無理のない推移である.
声門音は口腔内の調音器官とは無関係に調音される.そのため声門音が予
想される申H1が隣接母音の音色に何らかの影響を与えることはないが,口蓋
垂音あるいは咽頭音が予想される率直2の場合には,舌が大きく後退するため
隣接母音は後舌性を帯びやすい.円唇化した同様の音である *H
,の場合には
Laryn伊国 e
ts
c
h
'
隅面白伊盟国叩血
113
隣接母音に後舌性と円唇性が加わる.そのため,合ーしたラリンガノレを *Hと
記せば,下記のような推移が想定されるが,これはラリンガノレ説においても
はや常識の部類に入り,その信憲性を疑う根拠は見当たらない.
'a'
aaJm
﹀﹀﹀
歯車
e
ee
***
23
H1H
H
『
王
,0
司
王:
2
C
『王3
C
> ・Ho
*Ha
> *Ho
>
次に,合ーしたラリンガノレ司王が消失(あるいは非音韻化)する過程が予
想される.一般に音韻の完全な消滅は頻繁なことではないが,代償延長を伴
う音脱落はかなり頻繁に見られる
さらに,それまで印欧祖語に長母音は存
在しなかったから. *eH>時等の推移は音韻対立を一切阻害しない.また,
本来すべての語根は子音にはじまったから,事He
,*H
,
a *Hoから・H が失われ
ても,同様に音韻対立は維持されたままである
したがって,下記の推移は
極めて無理のないものであり,実際現代のラリンガル説でもすでに常識に属
している.
匂H
> 句
*He
> 匂
*aH
事o
H
> 句
句Ia
> 句
>
町
王o
>
*o
句
以上の過程により印欧祖語は新たな母音%と長母音句,旬句を得た.こ
れは印欧祖語の普韻史上画期的な出来事であるが,長母音が二次的な派生語
を明示するためにその後利用されるに至った反面, *.は文法的にはまったく
利用されなかった.当時の印欧祖語がすでに複雑な形態論を確立し,形態論
を拡充する過程を終えようとしていた段階にあったからかもしれない.
ただし,ヒッタイト語に・H の一部が残されているという夕日ウォゲイツ
チ以来の見解に従うならば,以上の推移が印欧祖語が統ーを保っていた時代
にすべて完了していたとは言えないことになる.すなわち,ラリンガノレの合
一過程とそれに伴う%と長母音の出現過程が印欧祖語時代に完了していた
1
1
1
ことは疑いないと恩われるが,それに続くラリンガノレの消失(非音韻化)過
程,すなわち匂H>句等,および*FI
e>均等が完了したのは印欧祖語の統ー
が崩壊した後であるとみなさざるを得ない
%の出現
無アクセント音節に生じた *
[
0
]は,ソナントに隣接する場合には脱落し,
ラリンガノレ以外の喋音にはさまれた場合には%に転じた
すると,その後
吋0
]を保持したのはラリンガノレを含む音節だけである.この最後に残った
可。]はラリンガノレが消失すると同時にそれ自体が弁別的機能を負うと期待さ
れよう.こうして得られる新たな母音音素が匂であると考えられる.
旬。]がラリンガノレに先行した場合には,以下のような推移が推定される.
,
*
[
o
]
H
*
[
o
]
H
2
,
> 事[o]H
> 匂
*
[
o
]
H
*eHt
. *eH2 • *
eH
[
o
]
H
"*
[
o
]
H
[
o
]
H
,となり,これらは
2,*
3は強勢を失うと *
*
[
o
]
Hに合ーした後,句Eの消失に伴い新たな母音音素匂を生じた.これに
より時(<句H,),句(<*eH
2),句(<句H,)と匂との交替に妥当な説明が与え
られる.
(,
,
a0
)を持つ
とはいえ,こうして得られた匂がギリシア語で 3つの反映ε
ことは不思議であるだが Gk
.τ抱 卵1“
1p
u
t
'
" 日目o
c
ω.
p
,c
f
.La
t
.f
a
由 時 可 町 盈μ1
・
1低 血d"の
四c
)I町 田oc(
p.
p
.,
c
f
.La
t
.s
t
a
加の;8
儲回開‘τ
g
i
v
e
"I8 6
c(
p.
p
.,
c
f
.La
t
.
",
白 血8
)等において匂の反映が異なるのは長母普からの類推によっていると
みなすのがすでに定説である
また,・ [o]H"・[
o
]
H
吋o]H
,>吋 o]Hでは 3つの音連続の対立が失われてし
2,
まうため妥当性に欠ける想定のようにも見える.だが,ギリシア語の 3つの
反映が上のように二次的であるならば, *[o]H"*[o]H
*
[
o
]
H
,の対立を保持し
2,
Laryn伊国 e
ts
c
h
'
隅面白伊盟国叩血
115
た印欧語はない.だとすれば,これらが何れかの段階で合ーしたとみなすこ
とに無理はなく,その合ーはラリンガノレ消失期に行われたと考えるのが妥当
であろう.
他方・ [o]H>匂の推移には音韻対立の観点からは何等無理はない.この段
階では可。]が生じるのは *[o]Hに限られており,また司王を含む他の連続
事
eH
,*
a
H
, .oHとの区別は母音部分によって行われるからである.
]がラリンガノレに続いている場合には以下の推移が想定される.
同様に,吋0
,
・
H,
[
o
]
*H[
o
]
[
0
]
事H2
> 事H
[
o
]
> 匂
これが母音として現れるのはギリシア語とアノレメニア語のみであり,他言
d 吋0
語に母音の痕跡はない.例えば司王,e
田
t
"から派生したLa
t
.d
e
n
s(
g
田
畑山), Gk
.出 向 (
g
'
回
od
伽由。, S
k
r
.血回,Arm.a
t
a
皿(<匂却叫)吋"0由"を
参照.
このようなギリシア語の前置母音(p
r
o
曲 師CVO'
問
,1
)には鳥肌 0 の 3種があ
り,かつて・H"・
H
2
'司
王3
との関連が疑われてきた.だが,すでにクロウォゲ
イツチ (
1
9
7
7
:1
8
4
)やリンデマン (
1
9
8
2
)等によってこの関連は否定されてい
る.すなわち,ギリシア語の 3種の前置母音は改新の結果であって,単一の
匂に遡ると考えられる.また,アノレメニア語における同種の現象についても
[
0
],*H
,
[
o
]>咽[
0
]に由来する句
同様の扱いが可能だとすれば 1
の,司王,[
0
]・
,H2
は両言語においてのみ保持され,その他の言語では一律に脱落したとみなさ
れることになる.
従来,ギリシア語とアノレメニア語が示す前置母音は,これらの言語で行わ
れた改新によるとみなされてきた
そのため例えば上記の語の祖形は
*H
,
d
四
.
t
->・畑tーと再建されてきたが,本稿で明らかになった旬発生の経緯
o
]
d
e
r
r
ι 〉匂d田 t に訂正されねばならない.
により,それは率直, [
1
1
6
結語
従来の研究においてはラリンガルとシュワーとの関係は微妙であり,両者
はあたかも岡ーの音韻であるかのような印象を与えてきた.だが,音声学的
常識から言って,喋音と母音とが同じ音韻単位に起因するとは到底考えられ
ない. この不備に気づいた少数の研究者はそれぞれ異なる視点からラリンガ
ノレに隣接する位置に挿入母音を仮定したが,その根拠は薄弱であった
本稿で採用したような, 「音節保存」を作業仮説として音声実現と相対年
代を重んじる方法を採れば,喋音たるラリンガノレに隣接する位置にシュワー
が発生するメカニズムが無理なく説明され,両者が別個の音韻であったこと,
すなわち「印欧語のシュワー」が「ラリンガノレ」に由来するという通説が誤
りであることが明らかとなる
脅兄のご叱正を歓迎する
付表 1 :母音組織の生成プロセス
事
基
①
②
③
④
=
=
=
=
-事,
=胃>
=
=
- 事P
=胃>
事
[
0
]
・
ゼロ /+R
'o/+T
[
0
]
(その他)=辛
*
[
0
]/+H=辛
e
aOEe--a-O
*$$*占号車
なし
-守曲事*曲事事事
あり
同 世 戸 町 民 H叫
eH
HHeee
アクセント
。-
(
・
: R:Yナント :T・喋音 ;H:ラりンガル)
①無アクセント母音の弱化・最古の印欧祖語に存在した母普膏素は句の
[
0
] に弱化させた;
みであった;無アクセント音節は一律にこの母音を *
[
0
] はソナントに隣接している場合に完全に縮減し,
②ゼロ階梯の誕生:*
代わってソナントが音節核(成節ソナント) となった;
Laryn伊国 e
ts
c
h
'
隅面白伊盟国叩血
117
③ o階梯の誕生・喚音(ラリンガノレを除く)にはさまれた吋 0
] は音節保存
の必要性から保持され,第 2の 母 音 音 素 句 と な っ た ; そ の 後 , 本 来 の 音
声環境とは無関係に句と句の交替が屈折・派生にも利用されるように
なる,
@ラリンガノレ消失の余波
情,e,明~e, *H
8
,・。が生じ,母音音
3c より句, *
H
,*eH
索、が誕生した;匂:Hh 匂:
2
3より長母音句,苛,句が誕生した;
]は 母 音 音 素 句 と な っ
ラリンガノレに隣接する位置に保持されていた吋0
た.
付表 2:アップラウトの生成
本来のアクセント
あり
1
2
3
0
3
b
*
e
*
e
*
e*
a・6
。
*
e*
a*
なし
ゼロ
.
。
*
0
*
0
本来の音声
環境
R IR
TT
H
H
関連する
母音組織の
生成プロセス
②
③
④
3
bによって生じる語頭の匂はギリシア語とアノレメニア語以外で無音化
した.
駐
U Moller(1911:吋文字通りの喉頭昔ではなく,漠然と口腔後部の音を指す
日本語では「ラリンガール」や「ラリンジーアノレ」ではなく 「ラりンガノレ」が
定着した.
2
) F
i
c
k(
1
8
7
9;1
8
8
町.へプライ需の弱母音を表す(.)の名称(制御語、司に由来する.
日本語では「シュワ I と称されることもあるが,音声学で広〈用いられる「シ
ュワー」が好ましい また,現代へプライ語の発音では「シェワー」となる
3
) 学術施設ではなく,講演会開催と会話刊行のみを行ったため「研究会J (ある
いは学会)と称するべきであり,従来の訳語「アジア協会」は不適当である.
S
i
r1
加 r
y百 四 個 C
o
1
e
b
r
o
o
k
e1
7
6
5
1
8
3
7
)が 1
8
2
3年にロンドン
コールプノレック (
i
a
t
i
cS
田 i
e
t
y;現Ro戸1As
i
a
t
i
c
に設立した学術施設「王立アジア協会 J(lt町冨]As
S聞 町 o
f曲 師 B
r
i
回 n阻 dl
n
:
1
阻 d
)と混同してはならない.
h
eo
l
dP
,四回"は「古代ベルシア語J(01dP
e
r
祖国}ではない.実際,グ
4)彼の“t
118
ローテフェント(曲四gF
r
i
同r
i
c
hGro'旬f
e
n
d
)キローリンソン (
S
i
rH田 ryC
r
冒wicke
Ra
w
l
i
n
s四)によって古代ベルシア語の解読が開始されるのはその半世紀も後で
ある.他方,アグェスタに闘してはハイド
σ
五個師
H戸時とアンクテイルニデ
皿 H戸 田 也eAn
胆副-Du
pemm)I
こよって,当時すでにヨーロツ
ュベロン (Abraha
パへの紹介がはじまっていたそのため,ジョウンズの“血eoldP
闘 1
阻"とはア
ヴェスタの言語に相違ない.
6
) 無声帯気音を印欧祖語の音韻とみなさなかったことは特に明敏であった
し
かし,彼の死後に 2点が修正された
①アスコロ{白百z
i
a
d
i
oI
s
a
i
aAs
c
o
l
i1829-1如 7)により口蓋昔包u
胤u
a
l
s
)が 2系列
であることが示された. 3系列を想定する説の是非については山末 (1971)を参
照されたい
②印欧祖語の流音は Rだけであって,これが後に 2つに分裂したとする見解
が 19世紀末まで支阻的であったが,フォルトワナートフ(<I>H.rrH皿@明叩OB:四
φOP'l}'B四'
B1
8
4
8
1
9
1
4
)の貢献によって印欧祖語に 2つの流音 RとLが存在した
と判明した
6
) 無アクセント音節の母音が弱化の結果失われると,その隣にある鼻音が音節
主音となるという発想音節主音となった鼻音ソナントはギリシア語とイン
ド・イラン語で母音 aとして現れる.この発想はすでにRask(
1
8
1
8
:5
2
)にも見
えるー
7
) 当時は印欧祖語の流音は本来的に Rだけであったと考えられた註 5参照
8
) 後述のように彼は・H,を認めない
9
) ソシュールも 1
8
9
1年パリ言語学会での講演において,先行する閉鎖音の気音
として残ると考えられる点から,これがある種の h昔であったとの見解を示し
ている.
1
0
) 同所 493頁脚註においてメラーは前年に受け入れた Yシュールの e
の想定を
否定する.後にベーザーセンはこれと同様の立場を採るが,メラーはもとの見
解に戻る
1
1
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) 例えば w
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119
あり,また後代に発達した接頭辞の存在により新たな形成とみなしうる
1
6
) 例えば千種 (
2
畑 1:
42
f.)を参照されたい.
略簡
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印欧祖語の口蓋閉鎖音JW神戸外大論叢~22:112
(文学研究科教授)
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