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高良斎の略年譜 高 良 斎(1799∼1846年)について 長 井 長 義(1845

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高良斎の略年譜 高 良 斎(1799∼1846年)について 長 井 長 義(1845
高 良 斎(1799∼1846年)について
高良斎の略年譜
長 井 長 義(1845∼1929年)について
長井長義の略年譜
1799年(寛政十一年) 阿波国助任村(現在の徳島市常三島町)の生まれ
1845年(弘化二年) 阿波国名東郡常三島村(現在の徳島市中常三島町)の生まれ
1823年(文政六年) シーボルトに入門
1866年(慶応二年) 長崎留学、精得館でマンスフェルト・ボードウィンから医学を学ぶ
1826年(文政九年) シーボルトの江戸参府に同行、大坂で『薬品応手録』を出版
写真家上野彦馬のもとで住み込み化学実験・写真術を学ぶ
1827年(文政十年) 鳴滝塾三代塾頭になるのはこの頃か?
第1回欧州派遣留学生選出、ドイツに渡る
1869年(明治二年) 大学東校で学び、
1829年(文政十二年) 「シーボルト事件」で捕縛、シーボルトより「蘭文免許状」を受ける
ホフマン教授のもとで化学を学ぶ
1873年(明治六年) ベルリン大学入学、
1831年(天保二年) 徳島に戻り結婚、医療活動を始める
1881年(明治十四年) ベルリン大学でドクトル・デア・フィロゾフィーの学位
1834年(天保五年) 大坂に引っ越す
1884年(明治十七年) ドイツより帰国、東京帝国大学教授就任、
1836年(天保七年) 私塾照淵堂開塾
理学部化学科・医学部薬化学専任
1837年(天保八年) 『驅梅要法』出版
1885年(明治十八年) 麻黄より「エフェドリン」の抽出に成功
1845年(弘化二年) 「当時流行町請医師名集大鑑」で「小結」
1846年(弘化三年) 脳出血で死去(48歳)
海外に紹介した情報
「高良斎図」
(高慶二氏所蔵)
『シーボルトの
みたニッポン』
国内に紹介した情報
1887年(明治二十年) アンダーナッハでテレーゼと結婚
1922年(大正十一年) アインシュタイン来日に夫婦で対応
1929年(昭和四年) 舌癌・急性肺炎で死去(85歳)
研究業績
徳島大学薬学部
『長井長義ベルリン通信』
薬事行政への貢献
①
『日本疾病志』
で日本の四季の諸病を紹介
①
『驅梅要法』
で梅毒の症状と治療法を紹介
①バニラ豆からワニリンを分離し合成
②
『薬品応手録』で国産薬剤とその使途・
コーヒーの効能などを紹介
②
『眼科必読』でシーボルトの臨床講義と
良斎の治療体験を紹介
②
「エフェドリン」
抽出、
気管支喘息治療薬へ
①我が国の薬事行政の基礎を確立
(薬律改正と売薬法の成立など)
③化粧品「オイデルミン」作成 … など
②医薬分業に奔走
③
「シーボルト書簡」への返答として日本
人の出生率や医者の数・産物を紹介
③私塾照淵堂で多くの弟子にシーボルトか
ら学んだ医学や蘭学を紹介
④小松島村(現在の小松島市)で虹彩切開
による仮瞳孔術という手術を行う
③官立薬学専門学校の創立
(明治薬学専門学校・富山薬学専門学校
熊本薬学専門学校 … など)
日独交流
①独逸学協会学校校長
④徳島高等工業学校応用化学科に製薬科
学部を創設(現在の徳島大学薬学部)
②日独協会理事長 … など
⑤徳島で始めて西洋医学を行ったとされる
女子教育
①日本女子大学校創設に尽力、
「香雪化学館」
で女子教育、丹下ウメなどを輩出
②雙葉会を創設、校長としてドイツ語を教
える、テレーゼは手芸・洋裁・料理など
を教える
高良斎「日本疾病志」(草稿本)
(シーボルト記念館所蔵)
高良斎『驅梅要方』(刊本)
(シーボルト記念館所蔵)
「シーボルト書簡」(高良斎あて)
(シーボルト記念館所蔵)
長井がドイツから輸入した「蒸留缶」
・
「濾過器」(大日本住友製薬所蔵)
高良斎「薬品応手録」(写本)
(シーボルト記念館所蔵)
■徳島にゆかりのある4⼈の洋(蘭)学者の「知」の外交・交流
「シイボルト国外追放達書」
(長崎歴史文化博物館所蔵)
「紙本墨書シーボルト筆蘭文免許状」
(シーボルト記念館所蔵)
当時のパッケージと添付書類
「香雪化学館」で指導する長井長義
長井長義の書簡(大日本住友製薬展示)
徳島にゆかりのある4⼈の洋
(蘭)
学者の
「知」
の外交・交流■
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