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神さまがくださった素敵な愛

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神さまがくださった素敵な愛
神さまがくださった素敵な愛
金城学院みどり野会会長 大野木 英 子
ヨハネの手紙一 4章7~ 12節
愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、
神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。
神は愛だからです。神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、
わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示
されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わ
たしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛が
あります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わ
たしたちも互いに愛し合うべきです。いまだかって神をみた者はいません。わた
したちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神
の愛がわたしたちの内で全うされているのです。
『神の愛』という伝道週間のテーマをお聞きした時、私は2年ほど前のとて
もうれしかった出来事が浮かんできました。
それまでの私は、年齢的にも立場的にも、誰かのために祈り、支え、働くこ
とは当然と思っていましたし、すべての安らぎは神さまから与えられるものと
思っていました。しかし、神さまだけではなく、身近に誰かに見守られ、支え
られることが、こんなにも心を満たしてくれるものだということを若い人から
教えられました。
それは、ある日曜日の礼拝後のことです。ある方が「お元気ですか。お加減
の悪いところはないですか」と聞いてくださいました。突然のことで、きょと
んとした私に『彼女の夢の中に私が登場し、彼女と目を合わせた途端に、涙を
ポロッとこぼし泣きだした』とのこと。驚いた彼女は私の身に何かあったと思
い、安否を尋ねてくださったのです。娘と同じ年くらいの方が私のことを案じ
てくださったことを知り、本当に嬉しく思いました。今考えると、私が気付か
ないだけで、私の心の中には不穏な風があったのかもしれません。
私と彼女の関係はといえば、彼女が受洗をしたクリスマス礼拝の司式をした
のが私でした。クリスマス礼拝の司式者は洗礼式の時、洗礼盤を持って牧師の
補助をします。目の前で彼女の受洗を見届けることができました。お祈りでは
受洗をなさる方のそれまでの信仰への歩みを心に止め、言葉を考えます。私な
りに、彼女の信仰生活をそっと見守っていこうと思ったのは事実ですが、口に
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出したことはありませんでした。でも、神さまはそんな私の心を受け止めて
「素敵な愛」を、形として示してくださったと思えたのです。「そんなに頑張ら
なくいいんだよ。支えてくれる若い人が後に続いているよ」と教えられたよう
に思います。
そんなに頑張って生きてきたわけではありませんが、自分の道を振り返った
時、忘れてはならない私の人生を変えた「神様の大きな愛」がありました。私
の受洗は高三のクリスマス。その後の大学進学・就職・結婚・出産という歩み
の中で、信頼していた牧師の辞任に際し、教会のやり方に疑問を抱き、教会に
幻滅し、行かなくなりました。
後任の牧師は熱心に訪問してくださり、かたくなな私の心を溶かし、小さな
目標を立てながら教会へ戻る準備をする私の手助けをしてくださいました。私
の最後の目標は「娘が高校生になったら、一緒に大人の礼拝に出よう」という
ものでした。当時勤めていた学校は土曜日も授業があり、日曜出勤もありまし
た。毎週教会へ通うことは時間的にも肉体的にも難しい状況でした。そんな私
に、神さまは、娘の高校入学に先駆けて私の職場を変えるという意想外のプレ
ゼントを用意してくださいました。母校金城学院中学校への転職の話が降って
湧いたように起こりました。教会へ通う道が開かれたのです。神さまが拓いて
くださった道です。「神さまからのプレゼント」と思いました。
「神様のプレゼント」は私の人生を大きく転換させました。私は神さまが敷
いてくださったレールの上を歩いていく決意と同時に、これからは、どんな仕
事でも神様が与えてくださったものならすべて引き受けようと決心しました。
どんなに自分の力に余る仕事でも神様が与えてくださったものなら、きっと力
をくださると信じることができたからです。その思いは今でも変わりません。
私にとって「神さまが備えられた道」は「神さまの愛の表れ」と受け止めるこ
とができたからです。
聖書には、『愛の源は神であり、神はひとり子を世に遣わし、彼によってわ
たしたちを生きるようにした』とあります。このように、神さまの愛は行為・
しぐさを伴っています。『ひとり子イエス様を私たちの罪を贖うために供え物
としてくださった』ように、神さまからの愛は形としてわかるように示されて
います。さらに聖書では『神がこのように愛してくださっているのだから、互
いに愛し合いなさい』と述べています。神の愛が優先し、私たちが互いに愛し
合うならば、神は私たちの内にとどまってくださり、神の愛は全うされるとい
うのです。一方的にいただくだけではなく神の愛にお応えする行動が求められ
ています。その行動は「互いに愛し合う」という行動です。私たちは一人で生
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きているのではありません。多くの人から愛をいただいて生きていることに感
謝すれば、自ずと感謝は愛に変わっていきます。
「神の愛」を実感した時、「互いに愛し合う」ことが自然に形として表すこ
とのできる人間になっていくことでしょう。
2013年5月16日 春の伝道週間 朝の礼拝
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