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宗教から主体経験の科学へ - C

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宗教から主体経験の科学へ - C
宗教から主体経験の科学へ
村 川
治 彦
(関西大学人間健康学部教授)
大手書店に「精神世界」なるコーナーができ、ニューエージという言葉が流行りだした
1980 年代半ば、日本で宗教と科学の対話について二つの国際会議が開かれた。ひとつは湯
浅先生が中心となり 1984 年筑波で開催された日仏協力筑波国際シンポジウム「科学・技
術と精神世界」、そしてもうひとつがその翌 1985 年に京都で開催された第 9 回国際トラン
スパーソナル学会「伝統と科学の融和」である。当時学部で宗教学を専攻しながら日常的
な価値観に飽きたらない漠然とした思いを抱き「精神世界」の本を読み漁っていた私にと
って、この二つの国際会議は従来の学問の枠を越えた新たな可能性を予感させた。
二つの国際会議の両方に参加者として出席した欧米人が一人だけいた。それが、フラン
シスコ・ヴァレラである。チリ出身の神経科学者であったヴァレラは、筑波の会議で湯浅
先生の講演にもっとも好意的なコメントを寄せていたが、京都のトランスパーソナル会議
の発表でも、西谷啓治を引用して次のような言葉を残している。
「 西谷啓治がいったように、
超越(transcendence)ではなく、
「超降下」(trans-descent)」による発見……、ただここ
に在るという次元にまで降下すること……。瞑想の伝統は科学を包み込むことのできる器
であり、そこでは叡智と知識が壁をつくり合うのではなく、互いに浸透し合うことも可能
だ。しかし、そのためには、科学は基礎を構築するという試みを捨てなければならない。
そしておそらく精神的伝統のほうも、人工知能や脳の研究といった風変わりな科学研究が、
自分たちのほうに歩み寄ってきていることに目を開かねばならない。」
1986 年に学部を卒業した私は、このヴァレラの「trans-descent」という言葉に触発さ
れ、トランスパーソナル心理学を学ぶため米国留学を決めた(詳しい経緯は「一隅を照ら
す光を集める」に書いた)。しかし、自我を越える全人教育を標榜するトランスパーソナル
心理学研究所(ITP)では、26 歳以上の人生経験を積んだ人が対象であり、大学出たてで
英語もろくにできない私は、入学面接で「もう少し人生経験を積んでからいらっしゃい」
と言われ不合格になってしまった。失意のまま私は、1960 年代から 70 年代にかけて対抗
村 川
治 彦(むらかわ・はるひこ)
[専門分野]身体教育学
[略歴]1963 年大阪府生まれ。東京大学文学部卒。California Institute of Integral Studies の修士課程
(East-West Psychology)修了、同博士課程(Integral Studies)修了(Ph.D.)。現在、関西大学人間健康学
部教授。人体科学会常任理事、日本トランスパーソナル心理学/精神医学会前会長。論文:
「経験を記述するた
めの言語と論理―身体論からみた質的研究」(看護研究:医学書院)、「一隅を照らす光を集める:オウム事件
以後の一人称の「からだ」の探求に人間性心理学はどう貢献できるか」(人間性心理学研究)など。
文化のメッカとして有名だったエサレン研究所に行き、そこで数ヶ月滞在しながらゲシュ
タルト療法やグロフのホロトロピックブリージングを体験した。そして、エサレンの自然
と人に触れ、自分自身がそれまでいかに自分の「からだ」の経験(感情や感覚)に触れず
にきたかに気づくことになった。
「自我を越えるよりもまず身体に目覚めよ」というのが強
烈な異文化体験の教訓であった。
その後 California Institute of Integral Studies(CIIS)に入学しボディワークや気功を
学んだ私は、そこで己事究明という東洋の伝統的学びのあり方に目を向けるようになり、
「Self-Knowledge as the Basis for East-West Psychology: the constructivism view and
Merleau-Ponty’s phenomenology of the Body」という修士論文にまとめた。修士課程を終
えいったん帰国した後 1994 年末に博士課程に進学するため再度渡米した私は、Somatics
研究の第一人者 Don Hanlon Johnson を指導教官に選んだ。その Johnson が初めて会っ
た私に開口一番言ったのが、
「湯浅泰雄の著書は知っているな」だった。彼が学部長を務め
ていた CIIS の Somatics 学部の紹介ホームページには、教育理念を表す言葉として湯浅先
生の「The Body」からの一文が引用されていた。 心身二元論、主客二元論中心の 西洋社会
で一人称の「からだ」を探求するソマティクスはマイナーのマイナーであり、何よりもそ
うした体験的探求を位置づける哲学的基盤に欠けていた。湯浅先生の著書は、彼らが手探
りで行ってきた探求の意義を明確な言葉で、しかも何千年の伝統の裏付けをもって語って
くれる貴重なバイブルだったのだ。
博士課程で「気功体験の現象学」をテーマに選んだ私は、桜美林大学にいらした湯浅先
生に手紙と論文の proposal を送り審査委員の一人になって頂くことをお願いした。そして
思いもかけず、米国の自宅に先生が直接お電話をくださった。幸運なことに、先生はちょ
うど桜美林大学を定年になられるとのことで、時間もできるから審査委員をお引き受けく
ださると仰ってくださった。私にとっても望外の喜びであったが、誰よりも Johnson が
喜んだ。1998 年のことである。
その後先生には手紙やFAXで何度もご指導、ご助言を頂いた。博士論文は体験と言語
の問題に直面してしばらく停滞したが何とか書き上げ、2002 年 10 月に先生は論文の公聴
会のためにわざわざサンフランシスコまでおいでくださった。先生と過ごさせて頂いたこ
の 1 週間は私にとって本当に掛け替えのない時間であったが、先生は公聴会以外にも CIIS
で講演を行ったり、Institute of Noetic Science の Marilyn Schlitz 会長と会食をしてくだ
さるなど東西交流の機会にもなった。その時に先生がぽつりと言われた「日本は、西欧と
中国の橋渡しをする役割があるんだ」という言葉がとても心に残っている。
先生が亡くなられた 2005 年に愛媛大学で行われた人体科学会の大会で私は「気功研究
における一人称のアプローチ:人体科学と一人称の科学の接点」という発表を行った。欧
米で瞑想研究が拡がるきっかけとなったのは、ヴァレラが切り開いた「一人称のアプロー
チ」と客観主義科学の対話であるが、湯浅先生の提示された「人間の生き方から出発して
世界をとらえる新しい方法」としての「主体経験の科学」は、それらを含みながら人格的
成熟というより深い示唆をもつ。しかし先生が亡くなられて 10 年、先生が示してくださ
った探求の方向に何ら具体的な道筋を立てられないまま歳月を過ごしてしまったことに愕
然としながら、ここにいる。
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