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奥多摩町公式タブロイド

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奥多摩町公式タブロイド
奥多摩町公式タブロイド
Green life stories.
Job_
Climber
Yasushi Yamanoi & Taeko
Name_
Green life
stories.
18人の 奥多摩物語
紛 れもなく “ 東 京 ” でありながら、
誰もが 知 る “ 東 京 ” の 姿は、この 町にはない 。
移ろう時 の 美しさを折々に奏でる、
B L U EとG R E E N からなる肥 沃な自然 。
都 市 生 活がもたらす暮らしやすさとは引き換えに、
この 町だからこそ叶えられるライフスタイルがある。
奥 多 摩 の 明 媚な自然に抱かれながら、
自分らしい 生き方を追 求する 1 8 人の 町 民を訪 ねた。
部屋の中からでも奥多摩湖の美しい表情が
登頂して降りてきた時、ああ幸せだったなと思え
眺められる、山野井泰史・妙子夫妻の住居。二
れば、別に賞賛されなくても全然いい。年に 1 、2
人はヒマラヤやアンデス、ヨセミテやグリーンラ
回、下手をすると命を懸けて遊びにいくわけだけ
ンドなど、地球上の名だたる山々、岩壁を次々と
ど、そこに誰かとの競争が生まれるのもいやだ
踏破してきた世界的なクライマー。年に数度のこ
し、他人の情報によって惑わされたくない。だから
うしたチャレンジに備えるべく、最適な環境を探し
僕は昔から、他のクライマーとあまり交わろうとは
求めてこの場を選んだ。夫の泰史さんはいう。
しなかった。奥多摩にはいい山がたくさんあるけ
「二人で、
どこか静かな所に暮らそうと考えてい
ど、
クライマーがたくさん住んでいるというわけで
た時、すぐに奥多摩が思い浮かんだ。奥多摩な
もないし、クライマーのコミュニティがさかんとい
ら、走れるな、岩に登れるなという感じで。のんび
うことでもない。それが僕にとっては心地いい」
り暮らしたいということではなく、トレーニングの
これまで、不 可 能だと言われてきたルートを
0
拠点っていうイメージでしたね」
数々、登ってきた山野井夫妻。たとえばネパール
泰史さんのこだわりは登山時に酸素ボンベを
と中国にまたがる標高 7952mのギャチュンカン
しになって、驚くほど判断が冴え、的確に動ける
入りだとか。世界の登山史にその名を刻むほど
使用しないこと、基本は組織だった登山隊ではな
では大規模な雪崩に遭遇し、極寒の岩壁で夫
時がある。そういう瞬間はもちろん心地がいいん
の女性クライマーでありながら、今は過酷なクラ
イミングから少し距離を置いた状態だ。
く単独で挑むこと、
そして、名前や高度だけで登る
婦がはぐれるという危 機をも乗り越え、生 還し
だけど、周りは乾燥した砂とか岩、氷の世界で
山を選ばないこと。難度の高い山に挑戦するの
た。そんな挑戦の前に心身を静かに整え、帰還
しょ。やっぱり暮らすのは別の場 所だよなって
は、持てる技術と知識を駆使し、限界ギリギリの
後は生きる意味を噛みしめる場所、それが奥多
( 笑)
。僕も妙子も動物や昆虫を見るのが好き
て癒されるという繰り返し。でも最近は遠くに行
美しいタクティクス
(登山のプロセス)
で前人未到
摩なのだ。
で、色々な生き物と一緒に生きてるなって感じ
きたくないというか、できれば家にいたいかな。畑
を耕すのも、作物の栽培も私一人でやっている
「昔はしょっちゅう出かけていて、ここに帰ってき
の軌跡を描くため。他のクライマーとの競争など
「海外に出かける時、でかいザックで奥多摩駅か
が、奥多摩にはある。自転車に乗ったり、走ったり
には全く興味がなく、スポンサーのために登山を
ら出発するでしょう。電車の中では、生きてまた
している時、偶然、ニホンカモシカに出会うこと
ので、あまり時間がない。もともと農作業ができ
することもない。そんなクライマーとしての志向
帰ってこられるかなと二人で考えている。それで
だってあるし、
クワガタにカブトムシ、シジュウカラ
るところを求めて奥多摩に来たので満足してる
も、奥多摩にフィットしていると泰史さんはいう。
クライミングを終えて帰国し、奥多摩駅でバスを
とかヤマガラとか、たくさんの生き物が住んでる
し、
まあ、少しでも都会に出ると疲れますしね」
「一人で本を読んでいて、突然、ひらめいたよう
待っている時、ああ、生きてるなって思うわけです
からね。人がなかなか登れないような沢を進んで
暖かい日差しや緑の匂い、頬をなでる風や
に登りたい山が決まったりね。友人同士、クライ
(笑)。その瞬間はやっぱり幸せですよね」
いくと、誰も知らないような立派な滝に出くわした
岩肌の確かな感触、そして、生命力あふれる生
き物たちの気 配 。こうした日常のすべてが、二
マー同士で会話とか相談をして、登る場所を決
極限の体験をして帰ってきては、奥多摩でト
り、なかなかいい稜線とか谷筋を見つけたり。山
めるっていうのが好きじゃないんです。一人で選
レーニングをしながら次の挑戦に備えるというサイ
との一体感、野生動物の一員に戻れたような感
人の心を満たしていく。目下、次の目標を選定
んで、一人で考えていけば、本当に自分がその
クル。気分や体調に応じて、走る場所や登る岩を
覚を得られる場所がいくらもある。つくづく、日本
している最中だと語る泰史さん。その様子をつ
山に登りたいかどうかが明確になる。まあ人生そ
選んでいるという泰史さん。日々、奥多摩で山道
の山は豊かだなって思いますよ」
かず離れず見つめながら、そっと寄り添う妙子
う長くはないし、心の底から自分のやりたいことを
や川に接し、静かな時間に満足しているという。
妻の妙子さんはここ数年、近場の山登りには
さん。この夫 婦の静かな時 間が、今日も幸せ
やっておかないともったいないじゃないですか。
「ヒマラヤとかアンデスを登ると、もう本能むき出
行くものの、家の前にある畑での作業がお気に
に流れていく。
01
Yasushi Yamanoi & Taeko
Green life stories.
Job_
Kayak Instructor
かつては東 京 の 老 舗 文 具メーカーでグラ
Name_
だった。
「自然の中に住みたいということより、純粋にカ
ん。日頃 の 運 動 不 足を解 消しようという目的
ヤックがやりたいからここに住んで、スクールを
で、何気なく始めたのがリバーカヤックだった。
始めた。だから私、奥 多 摩に住んでいるのに
「仕 事を始めて 3 年目くらいまでは楽しかった
山登りなんて年一回くらい(笑)。カヤックって
んですけど、景 気が悪くなるにしたがって、少
流れに乗るとか、体 の 使い方とか、色々な要
しづつ 仕 事に夢がなくなっていったというか。
素が複合的に合わさっているので飽きることな
そんな時、カヤックを始めたんですけど、たい
んてないし、練習することがたくさんあって終わ
して運 動 神 経がいいわけでもないのに初日か
りがない。始めてからもう25 年くらい経つんで
らいきなりうまく乗 れてしまったんです。その
すけど、技術的にまだまだ伸びしろがあるんで
時、水面から見た景色も忘れられなくて」
すよね。私にとってカヤックはエアコンみたい
当初は川へ行くペースも年 1 、2 回だったも
なものでもあって、夏は暑いから川で漕ぎ、冬
のの、数年後にまたカヤック熱が再燃。カヤッ
は日向で体を動かしたいから漕ぐ、という感じ
クスクールの仕事を手伝うようにもなり、いつ
で(笑)。自分で乗るのも楽しいし、人に教える
の 間にか、週 末は川へ、というサイクルが当
のはまた別の面白みもありますしね」
Job_
に加え、今 年はさらに環 境の良い白丸 湖に新
めちゃ楽しい。そういうことを知ってしまった
たなベースを設 置。店 舗 兼 住 居から、川へは
ものだから台 風の後、天 気が良い日に、なん
歩いて数秒という完璧な立地だ。
で会 社で机の前に座っていなければならない
「カヤックをハブにして知り合いが増えるのっ
のかって思うようになってしまった。会 社を辞
てすごく楽しい。だから白丸のベースも色々な
める時 、少し勇 気は必 要でしたけど、我 慢し
人が 気 楽にブラっと漕ぎにきて、人がつなが
てオフィスワークに縛られるのはイヤだという
るような場にしていきたいんです。これだけ急
気 持ちが強かったですからね。カヤックはもう
峻な山と、楽しく漕げる川がセットになってい
人に教えられるくらいになっていたし、そこそ
る奥多摩ってとても特殊で、貴重。もちろん、
こ貯 金も貯まっていたんで、なんとかなるだ
地 元 の 人にもカヤックの 面 白さをもっと広め
ろうって」。
ていきたい」
こうして 7 年 務めた会 社を離れ、しばらくは
最も好きな時 節は桜が 散った一 週 間 後と
カヤックスクールで働き続けた後藤さん。ほど
か。ほんの 2 日間程度、木々の葉が黄緑色に
なく独 立を決 意し、拠 点となる場 所を探し始
輝くのだという。そんな季節を経た後には、い
める。目をつけたのは絶 好 の 環 境がありなが
よいよ盛 夏 到 来。水 面からの 美しい眺めが、
ら、当 時まだ、スクール の 少なかった奥 多 摩
今から楽しみだ。
03
Job_
English teacher
Name_
David Boylan
英国出身のボイランさんが初めて日本を訪
かな? と思ったけど、みんなと獅 子 舞をやっ
れたのは、今から13 年 前のこと。漫 画やアニ
たらもっとフィッティングできるかなと思って。
メに端を発し、サムライ、歴史まで。ジャパニー
獅 子 舞はつらいです。暑いし苦しいし重いし、
ズカルチャーに傾 倒していたボイランさんは、
首も痛い。でも、とても楽しい」
31 歳 の 時、ワーキングホリデーを利 用して 1
ボイランさんが参 加する小 留 浦 地 区の「山
年 間 大 阪に滞 在。帰 国 後も、度々 休 暇で日
袛 神 社 獅 子 舞」のほか、奥 多 摩 町 内 13 地 域
本を訪 れていた頃 に、奥 多 摩 出 身 の 奥 様、
で 行われる獅 子 舞は、450 年 以 上も前から
三 枝さんと出 会った。遠 距 離 恋 愛の末、2 人
伝承されてきたものだと言われる。しかし近年
は結婚。英国で新生活をスタートしたが、日本
では、少 子 高 齢 化による後 継 者 不 足 の 問 題
にいる年 老いた祖 父 母と愛 犬のことを想った
が深 刻 化。この状 況にはボイランさんも警 鐘
末、夫婦で奥多摩へ U ターン。現在は、義祖
を鳴らす。
母、義 父 母、姪 2 人を含む義 弟 家 族と、ボイ
「みんな一 緒に集まって、ビジネスでもないの
ラン夫 妻からなる 4 世 帯 9 人 の 大 家 族が 1 つ
に頑張っていい祭りにする。オールドティーム、
屋 根 の 下で暮らしている。子どもがいないボ
ヤングティーム、いろんなジェネレーションが
イラン夫妻にとって、4 歳と 2 歳の姪は、娘同
一緒に協力する。そういうコミュニティスピリッ
然 の 存 在。家 族 全 員で 協 力して家 事、育 児
トは、イギリスにはないもの。とても面 白いで
をこなし、言葉通り支え合って生活している。
「イギリスでは、大 人になったら家 族が一 緒に
す。祭りは、地 域 の 心。プライドがある。なく
なってしまったらもったいない」
住むことはありません。家では 1 人になること
人 懐こく、真 面目で誠 実な人 柄もあって今
がないからたまに大 変だけど(笑)、でも毎日
ではすっかり地域に溶け込むボイランさん。生
とても面白いです」
粋の地 元 人に負けず劣らず、この町を愛する
英 会 話 講 師であるボイランさんは、ほぼ 毎
気 持ちが強いのは、豊かな自然による影 響も
日のように福 生 や 立 川へと通 勤している。そ
大きいという。
の忙しい日々の合間を縫い、奥様の三枝さん
「ここは東 京だけど、ほんとに東 京じゃないみ
が「私よりよっぽど地 域 貢 献している」という
たい。秋はきれいな色、冬は雪、春は新しい
ほど、地元のコミュニティにも参加。剣道クラ
緑。朝 起きて山を見 て毎日いいなって思う。
ブと野 球チームに所 属し、町 内 のスポーツイ
天気が悪くても霧があったり、毎日だいぶ違う
ベントではボランティアスタッフとして活動。3
から。奥多摩は、きれいでいいところです」
年前からは、奥多摩の郷土芸能である、夏祭
四季折々、美しい山の風景を撮っては、英
りの獅子舞にも参加するようになった。
「町を出た若い人も、夏の獅子舞になると帰っ
てくる。それはどうしてかな? って。難しそう
Megumi Goto / David Boylan
国の家 族へメールを送る日々。日本の郷 土と
自然、人々をこよなく愛する彼にとって、この
町は理想的なホームタウンになっている。
Job_
Musician
小関さん。ある時、腰を痛めたことをきっかけに、
Name_
Name_
Riku Ozeki
なり山中心の生活にシフトしたわけだ。
「海は波のように動的なサイクルがあって、山
肉体改善の必要性に目覚めていく。彼が強い
には静かで落ち着いたサイクルがある。そのど
興 味を覚えたのは、筋 肉や骨を整え、精 神の
ちらも好きだし、今でも波がありそうだったら海
解放さえも得られるピラティスエクササイズ。の
へ出かけるといった感じにバランスを取ってい
めりこむように勉強を進めるようになった。
ます。山にいると雨が降って、水が濾過されて、
「東京のスタジオでピラティスを勉強するうち、
ここにしかいない魚がいて、というのが分かる。
腰がどんどん良くなっていった。ピラティスは
もっと下流にいけばどんどん生物の種類が変
インナーマッスルを鍛えるので怪 我をしにくく
わっていって、海へとつながっていくプロセス
なるし、心も整っていくのを感じた。でも一 週
を感じることができる。今まで冬はあまり好き
間 経つと、また元の状 態に戻ってしまうような
じゃなかったんですけど、冬の寒い日、神聖な
感じもあって。じゃあ、自然と一 体になれるよ
山でダイヤモンドダストを見たりして、冬が大
うな場 所でこのヘルシーな状 態を持 続できな
好きになった。季 節の味わい方が広がったの
いか、それに、自分自身だけでなく色々な人を
も、奥多摩に住んだからこそですよね」
健 康にしたいと考え、奥 多 摩でスタジオを始
かつては、都 会のせわしないリズムに体 調
めることにしたんです」
を崩すことも少なくなかったという小 関さん。
それまでは千葉やカリフォルニア、ハワイと
今では山 の 中でゆっくりと変 化していく四 季
いった場所で波乗りをしながら転々と生活して
を感じながら、心身ともに充実した毎日を送っ
いた小関さん。海を中心とした生活から、いき
ている。
06
Syotaro Funakoshi
12 年ほど前までは東 京の都 心を拠 点にし、
機能し、観光客も多く立ち寄る人気店である。
バリバリのプロミュージシャンとして活躍。奥多
「地元に喜ばれるような店や場にして、自分を
摩の鍾乳洞で音楽イベントを企画したことから、
認めてくれる、応援してくれるような環境も作り
舩越さんは移住を決意した。
たかった。原動力は奥多摩の土地や人への感
「都会とは違うインスピレーションとか、技術を
謝の気持ちですね。それとやっぱり、奥多摩に
伸ばすといった目的もあったし、今後、この地域
はなかったビジネスで成 功できるんだっていう
にエンターテインメントの要素を注入し、それが
ことを実証したかった。僕らの世代がスターター
可能だという感触もあった。せかせかしてなくて、
になって、それを見た人が様々なビジネスを展
自分のスタンスも見つめ直せる。こんな理想的
開するため、ここに移住してきてくれれば面白
な場所が東京にあったんだという印象でしたね」
い。自然もあれば、競 合も少ない。ここは、東
ところが移 住して早々、恩 義のある人から、
京 都 民に未 来を見せる場 所になり得ると、僕
奥多摩駅の上に開店する蕎麦屋のしきりを依
は思っているんです」
頼された舩越さん。小さい頃、飲食店の手伝い
長 年、封 印していたという音 楽も昨 年、本
をやっていたこともあり、この依頼を引き受ける
格的に再開。これからは音楽制作や演奏を軸
ことに。持ち前のセンスでこのミッションを見事
に、様々な情報発信やイベント開催も実行し、
こなした数 年 後には、自身の 店「蕎 麦 太 郎カ
奥多摩の新しいイメージづくりに寄与したいと
フェ」の設立を決定。料理人として存分に腕を
意 気 込む。舩 越さんが 次にどんな手を打ち、
振るってきた。今では蕎麦やカレー、喫茶など
皆を楽しませてくれるのか。周囲の期待は密か
を楽しめるほか、ライブやイベント会場としても
に高まっている。
07
Pilates Instructor
もともとプロサーファーを目指していたという
これまで拠 点としていた沢 井 駅 近くの店 舗
「たとえば 台 風などで 川が 増 水 するとめちゃ
04
05
Megumi Goto
フィックデザイナーとして働 いていた後 藤さ
たり前になっていった。
Green life stories.
Job_
Artyarn artist
Name_
色とりどりに染めた羊毛を、様々なテクニッ
Ruru Mori
「海外のサイトでアートヤーンを知って、とても
クを組み合わせて自由に紡ぐ「アートヤーン」。
興 味を惹かれて。テクスチャが面白かったり、
アートヤーン作家の森るるさんは、海外発祥の
モコモコと不揃いだったり、もともと変わった毛
アートヤーンにいち早く注目して日本に広めた
糸がすごく好きだったから。そこから見よう見ま
パイオニア的存在だ。そんなるるさんが、都心
ねで始めたのが最初」
から奥多摩へ移住して 12 年が経つ。
アートヤーンを始めてまだ間もないうちから、
「渋 谷までバスで 10 分の目黒 育ち。子どもの
海外のイベントコンテストで入賞を果たすなど
頃から田舎に憧れていて。犬を飼いたくてのび
みるみると才能を開花させたるるさん。ビビッド
のびと暮らせる環境を探していたら奥多摩に辿
でカラフルな色使いが特長の作品には、奥多
り着きました。主人の仕事のこともあったので、
摩の豊かな自然からインスパイアされ、イメー
最初は武蔵五日市とか飯能あたりで考えてい
ジを膨らませて作ったものも多いという。
たんですけど、緑が一番深かったのと、駅から
「奥多摩の自然からは間違いなく影響を受けて
歩ける距離ということでここにしようかって」
ますよ。ふきのとうが土から出てくるイメージの
引っ越し後まもなく、本 格 的に紡ぎを始め
作品とか。こっちで暮らすまでふきのとうなんて
た。羊を飼って羊 毛を刈り、天 然の草 木で染
見たことがなかったですし。雨だれの作品もそ
めた毛糸を紡ぐ、奥多摩にある草木染め工房
う。緑が深いから雨が降っても美しいなって」
「山 染 紡」。縁あってその工 房に所 属すること
現在、広い庭のある工房を奥多摩町内で探
になり、ますます染めと紡ぎの世界に没頭。そ
しているという。山の空気に包まれながら糸を
してある時、面白い毛糸の存在を知った。
紡ぐ、青空教室を開催したいと計画中だ。
Riku Ozeki / Syotaro Funakoshi / Ruru Mori
Green life stories.
Green life stories.
08
Wood dealer
Job_
の土に蓄えられ、ゆっくりと流れながら栄 養を
砂率の低い場所。ダムには自然と土砂が堆積
蓄えつつ、ふもとの里へ降りていく。樹 木は、
し、この堆砂率が高くなりすぎると機能が弱ま
暖をとる目的 や 炊 事など、熱エネルギーを生
り、水の供給が難しくなって、水質にも悪影響
みだすための 薪となり、豊かな山 菜はもちろ
を及ぼす。つまり堆 砂 率が低いということは、
ん、人 間や他の動 物たちにとって重 要な糧と
周辺の山林がよく整備され、土砂の流出が少
なる。奥 多 摩に暮らすということは、そんな潤
ないという証 明 でもあるんです 。ところが 近
いの 森に抱かれながら日々を過ごすというこ
年、雨が降ると小河内ダムの水が 2 ~ 3日濁っ
と。そして、自然の大きなサイクルを間近にし、
ていることも多く、周囲の山林が荒れてきてい
そのありがたみを体 感する毎日。幸 福 感と充
ることが分かった」
足感は人々のメンタルを整え、生きるうえで本
その理由は思うように進まない森林管理活
当に大 切なものはなにかということを、あらた
動だ 。日本 の 森 林 はその 約 4 割 程 度が 人 工
めて気づかせてくれる。
わけがなく、極 端に言えば 、高 度 の 高い場 所
てもいる。東 京 農 業 大 学 地 域 環 境 科 学 部 の
にある自然林の下方に人の手で作られた人工
宮林茂幸教授はこう説明する。
林がある、という構 成だ。人 工 林は定 期 的に
「 森林のセラピー作用には、植物から放出され
手を入れなければ 健 康をキープできない。つ
るテルペンという物 質が深く関わっている。こ
まり手入れが不足気味になってきているのだ。
のテル ペンがカラダをリフレッシュさせてくれ
「 人々が木 材でできた物を使わなくなったり、
たり、菌を殺してくれたりもするんです。たとえ
あるいは輸 入 木 材を多 用することで、日本 の
ば 、昔の人は杉の葉を日本 酒の桶に入れ、雑
林 業はどんどん落ち込んでいく。それにより、
菌を浄 化した。杉 の 葉を使ってご 遺 体をでき
人 工 林の手 入れが不 十 分となっていき、森が
るだけ長く保存するといったことなど、古くから
荒れていくわけです。でもこのままの状態が続
植 物による殺 菌 作 用は知られていたんです。
けば 、東 京 全 域を支える奥 多 摩 の 水 源 滋 養
森の中にはこうした力を持つ成分が数十種類
機能はどんどん低下し、広範囲の人々に悪影
Job_
Woodworker
Name_
響を及ぼします。森林が荒れれば土砂災害の
古 里 駅 近くの 工 房で一 心 不 乱に、無 垢 の
い込むと、人 間が栄 養を蓄えるのに不 可 欠な
リスクも高まりますから、問 題は大きいと言え
木 材にカンナを滑らす羽 尾さん。奥 多 摩で最
「自分 の 思いがどこまで本 気なのかを確かめ
アミラーゼの値が平均化されていく。また、スト
るでしょう」
も好きな場所はと問うと、
「この工房」
と即座に
るっていう意味もあり、思い切って会社を辞め
レスを感じると増えるコルチゾールというホル
この状 況に歯 止めを掛けるにはどうすれば
答えが返ってくるほど、現 在の環 境 、ライフス
た。机の上で数 字と格 闘するだけの仕 事って
タイルに満足しているとか。
いうのもピンときてなかったんですよね。物を
良いのか、宮林教授はこう説明する。
興味があるからとにかくやってみようということ
曜なんていらないほどここにずっと居たいんで
だけ。今でも木 工って難しいなと思ってますけ
した効 果は 1 ~ 2 週 間 、持 続するというデータ
くでしょう。できれば 多 摩 産 材と呼ばれる、東
す( 笑 )。分 厚い木 材から少しづつ 、塊を削り
ど、同 時に、この上ない幸せも感じてます。僕
もあります」
京の木を使った物がいい。たとえば割り箸だっ
出していくっていうのが木工の魅力。木には種
にとってストレスは人と会うことによって生まれ
自然から得られる無 形 の 収 穫はまだまだあ
て国 産 材のものをどんどん使えば、間 伐が進
類がたくさんあって、匂いも重さも、削った感じ
ていて、そこから解き放たれて、静かな場 所で
る。お年 寄りは霜の具 合から天 候の流れを読
み、森林を健康にしていく。割り箸は他に使い
が 違うっていうのも面 白くてたまらない。裏 山
黙々と好きなことに打ち込めている。木ででき
み、作 付けの 計 画を練る。あるいは草 花 の 様
ようのない木材から作ることも可能で、環境破
でとれた木を使って物を作り、それを求めてい
た机や椅子って驚くほど長く使える物じゃない
子から冬の寒さを予 想し、自宅で必 要な薪や
壊とは無 縁 。むしろ、たくさん使われた方が森
る人に届けるっていう流れは、分かりやすくて
ですか。そういう道 具を作れる仕 事ってやっぱ
炭( 現 在は灯 油 )の量を計 算する。山を歩き、
や人のためになるんです。小 規 模でもいいの
いいじゃないですか 。ビジネスって昔 はすべ
り楽しいし、自然の中で暮らしているとアイデ
土を感じることで、人々は自らの生活を支えて
で木 材を使ったビジネスをあらたに起こす、と
て、
そういうスタイルだったわけですしね」 アも生まれやすい」
きたのだ。
いったことももちろん有効ですよね」
奥 多 摩 に 魅 せられたの は 、大 学 時 代 、カ
現 在 の 工 房ももちろん雰 囲 気ある木 造 の
「 奥 多 摩 の 山 並 みは、日本 でも有 数 の 急 傾
山を知り、その 恵 みを適 切にいただくこと
ヌーをするため、御岳渓谷にやってきたのがは
建物。一日中、工房にいても、壁ごしに雨音や
斜 。このような場 所では林 業においても特 殊
で、森の健 康は保たれる。こうした当たり前の
じまり。その時の驚きを今でも鮮明に覚えてい
そよぐ風 、季 節 の 変わり目を告げる鳥や虫の
るという。
声が 聞こえてきて楽しい、と嬉しそうに話す。
実家に戻らなくてはならなくなったのだ。未練を
し…。木をただ売るのではなく、奥多摩の現状
染 み始めた頃 、再 び 奥 多 摩 への 道が 拓かれ
やストーリーも知ってもらいたい。暮らしや働く
た。「東京・森と市庭」の設立にあたって地元の
場所に商品を取り入れていただくことで、木々
人々に通じた人材が求められており、菅原さん
を身 近に感じてもらいたいのはもちろんです
に白羽の矢が立てられたのだ。悩んだ結果、も
が、奥多摩の森そのものを都心に持っていくよ
う一度奥多摩へ戻ることを決めた。それから3
うな価値観に近いかもしれないですね」
年。「今の仕事は天職です」と菅原さんは笑う。
菅原さんと奥多摩との出会いは10 年前に遡
「 10 年 間 奥 多 摩を見てきて、奥 多 摩の良さを
る。環境問題に興味を持ち、法政大学人間環
たくさん知っている僕が、心から魅力的だと感じ
境学部に入学。座学だけでなく現場に出て実践
ることをお客さんには丸ごと伝えることができ
したいという思いから、奥多摩を拠点にする環境
る。森がある暮らし、森の中での仕事が本当に
系サークルに入会したのがきっかけだった。
豊かなことなので、変な押しつけや無理強いを
ていました。山でとった薪を燃料にしたり、四季
営 業 職だが、林 業に携わる以 上 、森を管 理
を通じて山菜を採ったり、山岳信仰が残ってい
する能力を身につけたいと「奥多摩山しごとの
たり。シンプルだけどとても豊かな山の暮らし
会」という団体に所属して休日は伐採技術を学
というものを学ばせてもらった」
ぶ。
また、奥様と2 人で「 waen(わえん)」という
卒業を控え、一度は企業勤めをしようと内定
ブランドを立ち上げ、製材所の端材などを用い
を得たものの、
「自分で道を切り拓く生き方を
たカッティングボードの制作・販売も手掛ける。
したい」
という思いが募り、奥多摩で事業を興
公私ともに「木」漬けの生活に、今は幸せを噛
すことを決 意 。知 人の紹 介で家 賃 5 千 円の元
みしめている。
作るセンスがあったわけじゃないんですけど、
今 後の目標 、目指す未 来についてはこんな答
えが返ってきた。
用され、育まれ、地 域の優れた文 化となって、
「 奥 多 摩では年々、鳥 獣による樹 木の被 害が
くて、将来はここで生活できないかと考え始め
「自分としては、
これからも、ひっそりと木を触り
生かされてもいる。そう、山は知恵を育む場所
深 刻 化しています。でも、山を歩く人が増える
るようになった。もともと何かを作ることが好き
ながら静かに生活していきたい(笑)。でも、奥
でもあって、山や森に分け入るということは、そ
だけで森には人 間の匂いが満ちていき、鹿や
だったんで、木工はいいかもしれないと」
多 摩がもっと活 性 化するといいなとは思って
んな知恵を授かる行為ともいえますね」
猪から樹 木を守ることにもなる。つまり、人が
大学卒業後は一旦、一流電機メーカーに就
いるんです。そんなに大きな産 業はなくても、
奥 多 摩 に 大 学 の 演 習 林を保 有 する関 係
森との 関 係をより深めていけば 、森は徐々に
職するも、同 時に家 具を作る学 校にも通い始
僕のように小さな商いをする人が少しづつ増
で、この 森を長 年 、見 つめ続けてきた宮 林 教
健康になっていく。この地に暮らす人、遊びに
めた羽 尾さん。奥 多 摩の自然の中で暮らすこ
えて、血 の 通う生きた町であり続けてほしい。
授。その眼差しの先にあるのは、この潤いの森
くる人がもっともっと増えて、森と賢くつきあう
とを夢 見ながら、木 工の腕を磨いていった。そ
楽しいお店がいっぱいあるとか、子どもがたく
に訪れている変 化のきざし。東 京 都 全 体の水
ことのできる人たちが増えることで、奥 多 摩の
して5 年ほどオフィスワークを経験した後、いよ
さん遊んでいるとか、多くの人がここで生 活し
源地としても重要な役割を担う奥多摩の山々
森や川は、豊さを取り戻していくんです」
いよ木工を仕事にすべく、工房を借り、作業機
てみたいって思えるような町 。そういう場 所で
械を導 入 。生 活を大きく方 向 転 換すべく挑 戦
暮らし続けることが僕の理想なんです」
が、助けを求めているというのだ。
は、営業部長として都心と森を繋ぐ役割を担う。
を始めた。
増えれば 、それが森 林の保 全につながってい
りにもうやられちゃって。その印象があまりに強
らない問題が浮上。家庭の事情により、急きょ
持って売ることのできる仕事が心から楽しい」
すことができる。そして一度、森に入れば、こう
れば、やっぱり気づくことは多いのだ。
が徐々に手応えを感じ始めた矢先、のっぴきな
式会社東京・森と市庭(いちば)」だ。菅原さん
話を聞いてまわるということを4 年間ずっとやっ
体 、ここで作 業していますね。でも、本 当は日
ても奥多摩は貴重だし、その財産は各所で応
販売までを一貫して手掛けることを目指す「株
相手や自分にもする必要がない。ずっと関わっ
使うようになり、地域産、国産の木材の需要が
「あの時は春先で、水の甘い匂いとか、森の香
ウェディング、
シェア別荘をスタートした。ところ
てきた奥多摩で育った木を、心を込めて自信を
り、人間が本来持つ能力を森の中では取り戻
ことを、都市部の生活では忘れがちになってし
多摩の資源を生かした新事業としてアウトドア
資源として捉え、森の管理、木材の生産加工、
主な活動で、それがすごく面白くて。1 人 1 人に
「日曜日以 外は朝 9 時 頃から夜 8 時 頃まで大
まう。山の空気を吸い、樹木の輝きを肌で感じ
起業。
「地域プロダクション」
をコンセプトに、奥
会社がある。奥多摩の森林を
「東京の森」
という
「地元の人に会ってヒアリングをするというのが
「 私たちが 木 材でできた家 具 や 調 度をもっと
になる。こうした技 術 、知 恵を継 承する場とし
町。そんな状況を改善すべく、林業に取り組む
残しつつも奥多摩を離れ、神奈川県小田原市
や、脈数の低下なども指摘されています。つま
な技術が必要だし、暮らしぶりも特徴的なもの
ながら事業計画を練った。そして、23 歳の時に
Yoshiro Haneo
も飛 び 交っていると言われ、そんな空 気を吸
モンが 森 の 中では減 少していくといった効 果
学生寮に移り住み、観光施設でアルバイトをし
者 不 足などで林 業の衰 退 化が著しい奥 多 摩
へ帰郷。不動産会社に勤務し、新生活にも馴
林 。奥 多 摩ももちろんすべてが自然 林である
「 潤い」の効果については、科学的に証明され
面積の 94%が森林という環境ながら、後継
るために必要なこと。そこに住むの人々の暮ら
森の木々は、
人間との触れあいを求めている
「 奥多摩の小河内ダムは日本でも図抜けて堆
Kazutoshi Sugawara
「東京にも森があるということ。
その森を維持す
BLUE + GREEN Knowledge
恵みの水は落葉や落枝などでつくられる森
Name_
Kazutoshi Sugawara / Yoshiro Haneo
09
Green life stories.
10
Green life stories.
11
Job_
1
Cook Helper
Rika Suzuki
Job_
Name_
Name_
Job_
Hunter
Yoshiteru Sakamura
Name_
今じゃ、山に入った瞬間、
色々な生き物の気配を感じるようになった
東 京の奥 地とも言うべき奥 多 摩の峰 谷は、
昨年、建設の仕事を辞め、猟に集中する生
背後に 2000m 級の山々をしたがえる文字通
活を始めた坂 村さん。時には我 慢 比べのよう
り、山岳集落。坂村さんはこの山中で生まれ、
に何時間も地べたで息を潜め、時には巨大な
幼い時から猟をして生 計をたてる父 親を間 近
猪に急 襲されることだってある。でも、山での
に見てきた。
「物心ついた時から家に銃があって、肉は店で
買うものじゃなく、山で獲ってくるのが当たり前
Job_
Hotelkeeper
Fumio Nakai
Name_
「なにかに追われるような思いをしなくていいし、日々のちょっとしたこ
「食べることは生きること。その大切さを子供たちには伝えていきた
「実はサラリーマンをやっていた間、自分の中ではずっとクエスチョン
とに盛り上がれるのも楽しいよね。奥多摩で暮らすようになって、も
い」。生まれは鹿児島。奥多摩に嫁ぎ、40 歳の時から定年を迎える
マークがついてた。本当は自然の中で暮らし、働きたいんだと」。都会
のを大切にする気持ちっていうのも強くなった気がする」。氷川の「蕎
まで、奥多摩病院で管理栄養士として働いていた大串さん。その後
暮らしをしながらも、母親の実家が山里だった影響で、田舎へのぼん
麦太郎カフェ」でのんびり働きながら、パートナー、犬 1 匹、にわとり
も小中学校で食育をしたり、薬膳料理教室を開いたりと、食に関す
やりとした憧れを抱き続けてきた中井さん。奥多摩ビジターセンターで
数羽とともに暮らす鈴木さん。もともと都内で会社勤めだったが、あ
る活動を精力的に続けている。2011 年には町の支援事業に応募し
ボランティア活動をしていたことも手伝って、14 年ほど前、移住を決
る時から陶芸にハマり、その趣味に集中できる住処を探し始めたの
て「奥 多 摩・食の文 化 祭」を企 画。第 一 回は「心に残るお弁当」、
意した。小さい子供がいたにもかかわらず、仕事をいきなり辞め、ある
が移住のきっかけだった。
「いざとなれば東京の中心まで勤めに出ら
第二回は「我が家の味・想い出の味」など、テーマに合わせて町民
意味、退路を断ったかたちだった。
「空き家らしき場所を見つけては、
れるようにって考えると、やっぱり奥多摩かなって。休みの日は海沢
からレシピを募集。持ち寄られた料理をレシピ集としてまとめて発行し
ここ借りれませんかと聞いて回るところから始めて。そうしている内に
の滝を散歩したり、縁側でのんびりしたり。今は陶芸をお休みしてい
ている。
「奥多摩にはこんな食文化があるんだよ、家庭の食ってすご
地元の知り合いができ、偶然、臨時で林道整備の仕事を紹介しても
るんだけど、もともと” 食” に興味があって、最近、楽しいのはパンと
い。そういうことを伝えられたら。料理って食べたら終わりじゃないで
らえることになったんです」。その仕事先では、貸家を紹介してくれる
発酵食づくり」。奥多摩に住んで 12 年目。ここでの生活にもすっかり
すか。とくに家庭料理なんて、記録に残さなければなくなってしまう」。
人とも出会え、首尾よく家族で移住に成功。その後も人の紹介で観
馴染み、自由なライフスタイルをエンジョイしている。
「おとなりさんに、
畑を耕し、自家栽培の野菜を使い、丁寧に調理をして食べる。昔な
光事業を広く手掛ける「奥多摩総合開発」に就職することができた。
あと10g 砂 糖がないんですって言うと、ポンと1kgくれちゃったり
がらのその尊い暮らしを次世代にも繋げていきたい、そう考えている。
今は、昨年オープンした「はとのす荘」の副支配人として働きながら、
(笑)。そういう家族みたいな近所付き合いとかも私は気に入ってる。
「奥多摩は四季がはっきりしてるでしょ。だから、四季に合った食べ物
家族 4 人で奥多摩暮らしを満喫する。
「もともとのんき。だから何を
よそものにオープンな土地で、新しく移住してくる人が増えればもっと
を大事にしてますよね。たとえば、芋ガラ、干し柿、味噌や七味。年
やっても生活はしていけるとどこかで確信してた。だから移住に関して
楽しくなるはず。これからやってみたいのは農家民泊。仕事とのバラ
配の方は今でも普通に作っています。休耕地がいっぱいあるので若
深く悩んだということもありませんでしたね。今も満足ですけど、この
ンスをもっと考えながら、やりたいことを少しづつ進めていきたい」
いお母さんにもぜひやってみてほしいですね」
先いつかは自給自足を実践してみたいって密かに考えているんです」
14
15
16
時 間は自分にとってかけがえのないものであ
り、奥多摩の山は愛すべき場所だと、優しそう
に笑う。
だったね。生活するには猟が必要で、楽しいと
「今じゃ、山に入った瞬間、色々な生き物の気
か、可哀想という感情は子どもの頃からなかっ
配を感じるようになった。今日は必ずどこからか
たんだ」
獣が出てくるなっていうインスピレーションも沸
そんな坂村さんが本気で猟に取り組もうと考
いてきて、そんな時は必ず獲物に出くわす。特
えたのは 20 歳前の頃。実家のわさび畑が獣に
に真冬が好きですね。キンキンに冷えた山は音
荒らされ、生活が脅かされたからだ。仕方なく畑
がない世 界。そういう状 況で、何かを感じとろ
をあきらめ、建設の仕事に就くこととなったが、
うとして五感を研ぎ澄ませる。目には見えない
体が空く日には猟に出るという日々。奥多摩に
けど、遠くから何かににらまれている感 覚とか
住む人々の生活を守るため、長年、猟に従事し、
ね。そういう時間がやっぱり好きだね」
今では猟友会奥多摩支部の会長を務める。
猟 友 会 会 長として、目下の悩みはハンター
「猪は畑を荒らし、鹿は森林を破壊する。雲取
Nutritionist
Kumiko Okushi
13
の人手不足。行政も猟師の育成を後押しする
山なんて数十年前はお花畑のようだったけど、
ものの、本 気で有 害 鳥 獣 捕 獲に取り組もうと
今じゃあ、ほとんど鹿に食べ尽くされちゃってね。
いう人は思うように増えていない。獣害の実態
住む人間も減る一方だから、鹿は増え続ける。
がまだまだ広く知られていないことも奥多摩の
このままでは山が荒れ果て、土砂災害なんかも
大きな問題だ。
どんどん増え、いつかは奥多摩湖だって埋まっ
「野 生 動 物は増え、猟 友 会のメンバーは高 齢
てしまうかもしれない。だから誰かが獣を駆除し
化していく。だから狩猟の意味を理解して、興
ないといけないし、今やれることは精一杯やって
味を持った人が奥多摩に少しづつ移り住んで
おかないと、とんでもないことになっていく」
きてくれればなって思う。自分たちの後を誰が
深 刻 化する奥 多 摩の獣 害だが、とりわけ問
継いでいくかは、大きな問 題なんです。20 ~
題となっているのは鹿だ。鹿が草木を食べ尽く
30 年 後には奥 多 摩が獣だらけになってしまう
せば山の土が剥きだしになっていき、土砂災害
かもしれないんだから」
のリスクが 高まる。また、どんどん増え続ける
魚が苦手で、釣りはやらないという生粋の山
猿や猪も里に降りては畑の作 物を荒らしてい
男。住民の静かな暮らしを守るため、坂村さん
く。地 元 猟 友 会の地 道な活 動なしでは、山 里
は今日も山に分け入っていく。
の安全は確保できないのだ。
Yoshiteru Sakamura
Job_
Landlady
Kozue Arasawa
Job_
Owner of Brew pub
Hikaru Suzuki
Name_
Name_
Job_
Office worker
Fujio Harashima
Name_
創業 100 年以上になる、1 日 3 組限定の小さな宿「荒澤屋」。ここ
奥多摩駅から徒歩 30 秒。築 70 年の古民家を改修した話題のお
JR 古里駅からほど近くに建つ、山々を見晴らす日当たりのいい家。
で、福島県いわき市出身の梢さんが若女将として働くようになって 6
店「 Beer Cafe VERTERE 」がある。クラフトビールが飲める店と
その庭先に、白く美しいミニチュアホースがいる。
「性格は、犬と猫の
年が経つ。2 歳違いの 3 児を産み育てながら、三代目のご主人、先
して昨年 7 月にオープンし、今年 3 月から奥多摩初の自家製ビールの
中間のような感じ。怒られたらしゅんとするし、こっちの言ってることは
代である義父母とともに、仕事にも全力投球する忙しい日々だ。
「仕
醸造・販売もスタート。代表の鈴木さんは、八王子市出身。奥多摩
大体理解しているけど、融通がきかないところもある」。生まれも育ち
事を頑張れるのは家族、周囲のおかげ。田舎育ちなので最初は気
へは、子どもの頃にキャンプで訪れていたが、以後、ほとんど馴染み
も奥多摩という原島さんが、馬を飼ったのは今から6 年前。きっかけ
は、趣味の競馬。ある時、百円で買った馬券が数十万円に化けた。
づかなかったけど、この町は子育てに最適。要はみんな知り合いだか
はなかったという。
「ビールのお店を出そうと思って代々木とかで物件
らなんでしょうね。周りの人が見守ってくれる安心感がある。これだけ
を探してたんですけど家賃とかいろいろ難しくて。知り合いに誘われ
突如手にした大金をただ浪費するのはもったいないと、ずっと憧れて
の自然に触れられる環境も今や貴重ですし、子ども達も純朴という
て最初は軽い気持ちで奥多摩に来てみたんですけど、ビールを飲ん
いた馬との生活をスタートすることに。そして、当時 4 歳だった北海道
か、すれてない」。2012 年には旅館 1 階の調理場を改修し、居食屋
だら、これは最高だねって。極端に言えば、ここでなら大抵のビール
育ちの白馬、アンジェリーナを迎えた。犬のようにリードを付け、近所
「炉ばた 赤べこ」をオープン。川魚や山菜、わさびなど地場の食材を
はすごく美味しく感じるんじゃないかって(笑)」。お店は、ビール職人
をぐるりと一周するのが日課だ。
「草をはんだり、散歩はゆっくり1 時間
くらい。ただ、クワの実やビワ、柿が実る時期になるともっと長くなる。
使って、板前であるご主人が腕を振るう季節料理と、唎酒師の資格
としての経験とノウハウを持ち、高校・大学時代の友人である辻野
も持つ梢さんが厳選した約 30 種もの日本酒が自慢だ。
「味もサービ
さんとの共同経営。ビール作りに欠かせないホップは、町内にある福
実がなる場所をよく覚えていて、その時期になると必ずそこを通りた
スも品揃えも一流のものを提供したい。町外のお客様はもちろん、
祉施設の協力を得ながら自家栽培している。
「収穫期の 9 月、10 月
がるんです。落ちてる実を食べ尽くすまでてこでも動かない」。おやつ
のニンジンを用意して、アンジェリーナが立ち寄ることを心待ちにする
地元の方がご褒美的に利用できるお店になれたら」。最近は子育て
には採れたてのホップで醸造したビールを提供できる予定。いずれ
と仕事という2 足の草鞋にくわえ、町の活性化を目指す地域活動に
は、麦芽や原材料のすべてを奥多摩産にしていけたら」。町営若者
高齢者がいるなど、近所ではアイドル的な存在。山間に広がる四季
も積極的に参加する。
「奥多摩全体の観光地力をあげたいんです。
住宅に入居し、今は自身も奥多摩の住人。この町に新しい風を吹き
の美しさと地域の人々との交流を、より濃密に実感できるアンジェリー
働く母として、他所者としての視点から今後も意見し続けていきたい」
込む存在として、周囲の期待は高まるばかりだ。
ナとの散歩が、原島さんにとってかけがえのない時間だ。
Rika Suzuki / Kumiko Okushi / Fumio Nakai / Kozue Arasawa / Hikaru Suzuki / Fujio Harashima
Green life stories.
Green life stories.
Editor & Writer & Photographer
Yukiko Soda [miguel.]
03
Writer
Hiroshi Utsunomiya [miguel.]
16
10
Art director
Atsushi Kodani
08
04
09
Illustrator
Toshiyuki Hirano
発行:奥多摩町役場
※このフリーマガジンは、奥多摩町の
「元気なまちづくり推進事業」の支援により制作されています
13
編集 & 制作:株式会社ミゲル
〒198-0101 東京都西多摩郡奥多摩町大丹波 640
[email protected]
奥多摩の森や川、
豊かな自然に
アプローチするための
愛用品とともに。
07
http://www.miguel-web.info
17
BLUE+GREEN JOURNAL 02 号は、2016 年秋、配布予定!
※奥多摩町内の各観光施設、JR 青梅線駅構内、
都内協力店などで配布予定です。
05
15
06
18
03 パドル
後藤さんにとって、まさに奥多摩の自然、
11
04 獅子頭
ボイランさんが演じる女獅子の頭。奥多
05 ピラティスマシン
自作したというこのマシンで身体への意
08 カッティングボード
Job_
Craftsman of fishing rod
Shunta Miyazaki
Job_
07 アイリッシュホイッスル
山やベランダで吹くとエコー効果で響い
川とつながるために不可欠なツール。視
摩 の自然 のなかで伝 承されてきたお囃
識を正常化。レッスン後は奥多摩の空気
音 世 界を構 築する舩 越さん。奥 多 摩の
て心地良いというお気に入りの笛。山登
子の音に合わせて踊ると気持ちがいい。
がさらに美味しく感じる。
自然に刺激を受け、曲を作ることも。
りに携行することも。
後 藤 めぐ み:山 梨 県 忍 野 村 生まれ。埼 玉 県 長 瀞 町で
ディビッド・ボイラン:1972 年イギリス生まれ。ロンド
小関陸史:1982 年東京生まれ。サーフィンで腰痛を経
舩越章太郎:1 9 6 5 年 、東 京 都 東 久 留 米 市 生まれ。ピ
森るる:東 京 都目黒 区 出身 。アートヤーン作 家 。1 2 年
カヤックスクールの手 伝いを経た後 、97 年 、青 梅で自
ンで長 年グラフィックデザイナーとして活 動 。3 1 歳の
験したことでピラティスと出会う。2014 年に奥多摩・日
アニストだった父 親 の 影 響もあり、音 楽に目覚 める。
前、夫とともに奥多摩に移住。草木染工房「山染紡」所
身のスクール「 g rav i t y 」を設 立 。今 年は白丸 湖の目
時にワーキングホリデーを利用し来日。奥多摩出身の
原でスタジオ「 RainbowHouse 」をオープン。一般ゲ
1 8 歳で高 校 卒 業 後 、すぐにプロミュージシャンとして
属を経て、アートヤーンに出会う。ヴォーグ学園東京校
前にクラブハウスを移し、新 展 開の予 定 。多 摩 川川下
三枝さんと結 婚し、2009 年に奥 多摩に移住 。4 世 帯
ストのほか、日本を代表するトップアスリートのケアなど
活 動を開 始 。移 住 以 降は蕎 麦 打ちにも才を奮い 、現
にて講 習を受け持つほか、ワークショップやイベントに
り事業者組合会長。 http://gravity-jp.com
の大家族。英会話学校講師。
も行う。http://rikuozeki.com
在、
「 蕎 麦 太 郎カフェ」オーナー。
も参加。 happyspinning.com
https://www.facebook.com/sobatarocafe
09 カンナ
10 猟銃
奥多摩や西多摩地域の元製材所などか
約 1 0 年 前 、鎌 倉の名 門「 菊 一 」で入 手
ら端材を購入し、加工してWEB サイトで
したカンナ。美しい木材に新たな命を吹
体の一部となっている猟銃。巨大な猪の急
販売。木目の魅力を生かすように加工。
き込むための必需品だ。
襲をこの銃で間一髪、切り抜けたことも。
菅原和利:1987 年生まれ、神奈川県小田原市出身。法
羽尾芳郎:1 978 年 、神 奈 川県 藤 沢 市 生まれ。職 業 訓
坂村義照:1956 年、奥多摩・峰谷で猟師の家に生まれ
政大学人間環境学部在学時から奥多摩で地域興しに参
練校で技術を学んだ後、2007 年、青梅で「家具屋 椿
銃がなければ山には登れないというほど、
11 シリコンのヘラ
鍋やボールからキレイに食材をすくえる、
三本グワ
13 地下足袋
山を望みながら畑仕事をする時間がとても
畑仕事や山、川へ行く際、欠かせない。
燕市産のシリコンヘラ。大地の恵みを無
幸せという大串さん。石が多い奥多摩で
ソールにスパイクが付いてるため、少々
駄なくいただくためのスグレモノ。
は、普通のクワではなく三本グワが最適。
の悪路ならこれ一足で、歩けてしまう。
鈴 木 里 華:東 京で生まれ育ちながら、カナダ留 学 、沖
大串久美子:鹿児島県出身。学校給食センタ-や企業
中井史生:1969 年、東京都文京区に生まれ、神奈川
育つ。長年従事していた建設業を辞め、昨年からは猟に
縄での 陶 芸 修 行など、各 地で 生 活した経 験を持 つ 。
で管理栄養士として働いた後、結婚と同時に奥多摩へ。
県 相 模 原 市 で 育 つ 。母 の 実 家 で あ る 津 久 井 で の 経
加。卒業と同時に奥多摩へ移住し、23 歳で起業。現在
堂 」をスタート。2014 年には奥 多 摩・丹三郎に拠 点を
専念。現在、東京都猟友会奥多摩支部会長として鳥獣害
現在、奥多摩・海沢の古民家に暮らしながら、奥多摩・
出産、子育てを経て、40歳から定年まで奥多摩病院に
験 が 影 響 し 、奥 多 摩 へ の 家 族 で の 移 住 を 決 意 。現
は、「株式会社東京・森と市庭」の営業部長を勤める。 移し、現 在 、理 想の作 業 場を構 築 中 。義 母 、妻 、3 人の
防止のため、猪、鹿などの有害鳥獣捕獲に尽力。後継者
氷 川にある「 蕎 麦 太 郎カフェ」で働く毎日。趣 味は旅や
勤務。食育にまつわる企画を多数開催。
「奥多摩・食の文
在、棚沢のホテル「はとのす荘」で副支配人を務めな
http://mori2ichiba.tokyo.jp
http://www.waen.tokyo
子と作業場前にある母屋に暮らす。
の育成にも力を注ぐ。
料 理 。目下 、パンづくりに夢 中 。
化祭」実行責任者。西多摩地区地域活動栄養士会会員。
がら、海沢に居を構え、家族 4 人で暮らす。
http://www.tsubakidou.com
14 ウィンドブレーカー
18
06 ギター
自ら考 案したチューニングで、個 性 的な
認性重視で赤色を愛用。
http://www.evernew.co.jp/outdoor/yamanoi
17
14
15 グロウラー
16 ホーク
17 バンブーロッド
18 カヤック
山ガールファッションに触 発されて買っ
密閉でき炭酸飲料にも適した水筒。ビー
ミニチュアホースの小屋の掃除に使う。
一本一本丁寧に作られるロッドは、注文
大亮くんにとって初めての Myカヤック。
たもの。山 登りのみならず 、ほぼ 毎日着
ルをテイクアウトして奥多摩の自然の中で
日々の世話は大変だが、山の景色を見な
から納品まで 6ヶ月。自身ももちろん渓流
高価なため、一艇目は大人用の中古品を
ているというお気に入りの一枚。
飲むと最高。バテレオリジナルデザイン。
がら流す汗は気持ちがいいという。
釣りに親しみ、キャッチ&リリースが基本。
購入。数ある大会もこれで戦っている。
荒澤梢:1979 年、福島県いわき市生まれ。短大進学と
鈴 木 光:1988 年 生まれ、東 京 都 八 王 子 市出身。共 同
同 時に上 京 。アル バイトをしていた吉 祥 寺 の 料 亭で、
経営者の辻野木景さんとは高校・大学の同級生。資金
へも奥 多 摩から通 学し、卒 業 後は奥 多 摩 地 区を中 心
フィッシングを始め、道具を自作。35 歳の時に「宮崎ロッ
父 親の仕 事の都 合で奥 多 摩に移 住 。小 学 1 年 生の時
板前だったご主人と出会う。卒業後は新宿の百貨店に
作りのため 3 年 間 企 業 勤めをし、ビール 工 房で修 行し
に石 灰の採 掘 、販 売を行う奥 多 摩 工 業 株 式 会 社に入
ド・Prime Time 」を立ち上げ、バンブーロッドの製作・
にカヌーに出 会い、3 年 生で本 格 的に競 技を始める。
勤 務 。結 婚 後 、奥 多 摩へ移り
「荒澤屋」
「 炉ばた 赤べ
ていた辻 野さんと合 流 。2 01 5 年 7月に「 B e e r C a fe
社 。現 在は、同 社 生 産 部 業 務 課 長を勤める。家 族は、
販売を開始。小菅川と日原川の釣り場「 TOKYOトラウ
2015 年ジャパンカップ B 決 勝出場 。各 大 会の小 学 生
こ」の若女将に。10 歳、8 歳、6 歳の 3 児の母。
VERTERE 」をオープン。
父、妻、猫 2 匹、
ミニチュアホース1 頭。
トカントリー」にて無料の渓流フライ教室を開催。
部門にて優勝。
http://arasawaya.co.jp
http://akabeko.tokyo
http://verterebrew.com
原 島 不 二 男:奥 多 摩・古 里で生まれ育つ。高 校 、大 学
宮崎俊太:1957 年生まれ、東京都出身。20 歳でフライ
禰 寝 大 亮:2 0 03 年 生まれ、東 京 都 出身。5 歳の時に
http://www.miyazaki-rod.com
Junior high school student
Daisuke Neshime
Name_
Name_
清流・多摩川を眼下に望む、緑が生い茂った川のほとり。せせらぎ
この春、中学生になる大亮くんは、将来を嘱望されている若手カヤ
と小鳥のさえずりだけが響く森閑とした場所に、宮崎さんの住居兼工
ッカーだ。父親の仕事の都合で、一家で奥多摩へ引っ越したのが 7
房はある。フライフィッシングに用いる釣竿、バンブーロッドを作り続
年前。小学 1 年生の時に町が主宰する教室でカヌーと出会い、3 年
けて23 年。奥多摩に拠を移してからは7 年になる。「ここに来たのは
生になると御岳にある本格的なスクールに所属。今では各地の大会
ほんとに偶然。住んでいた家が立ち退きになるってことで、以前叔母
にも積極的に参加し、週に 3 ~ 5 回、多摩川で練習に励んでいる。
が暮らしていたこの家を見に来たら、
こんなのもありかなって。仕事も
「他のスポーツをすることもあるけど、
カヌーがやっぱり一番。水に触
広くできるし、川があるからお客さんが来た時に投げてもらうこともで
れあえるのが気持ちいいし、自然の中でやる方が楽しみが増す。あ
きるしね。不便だし冬は寒いけど、
まあ住めば都かな」。工房にしたの
と、
タイムが速くなったり、できた時の達成感も好きです」。特に力を
は、最も見晴らしのいい南向きの部屋。森の借景を描く大きな窓、
そ
入れているのが、スラロームという競技。激流に揉まれながらカヌー
の前に置かれた作業机で時折パイプをふかしながら製作に励む日々
を操り、設置されたゲートを通過してタイムを競う。恐怖心を抑えこ
だ。「気分転換で川に降りてみたり、神社に行って参拝することもある
み、
きれいなスラロームを描けた時が一番嬉しいという。「東京都代
けど、
ここの窓から景色を見てるだけで20 ~ 30 分はあっという間。ヤ
表になって、国体に出るのが将来的な目標。今の自分からはすごい
マセミ、
カワセミ、
シジュウカラ、
ヒヨドリ……色々来るよ。フライフィッ
遠いけど、オリンピックも行けたらいいなとは思います」。放課後、川
シングは羽を使うからね、鳥は身近な存在。見ていて飽きない」。シー
でカヌーを漕ぎ、帰宅後は夕食、風呂、
ストレッチを済ませて寝るとい
ズンになると週 2 、3 回は釣りに出る。フィールドは奥多摩の日原川
う規則正しい生活。ゲームやテレビで夜更かしすることもない。「小
か、山梨県の小菅川が主だ。「昔はよく遠出してたけど、今は毎日キャ
さい時はすっごく恐がりだったんですよ」と笑う母親の亜希子さんも、
ンプしているようなもの(笑)
。これはこれで悪くないかな」
今では心身共に目覚ましい息子の成長ぶりに目を細めている。
Shunta
KayokoMiyazaki
Nakamura
/ Daisuke
/ RitsuoNeshime
Masumura
Welcome
to
Okutama
town !!
もり
東京の森林へ移住定住のススメ
都下での生活と自然豊かな環境を両立する
奥多摩町では、移住・定住者を迎えるために、
さまざまな支援を行なっている。
若者定住応援補助金
奥多摩町で住宅を新築、増築、改築、購入された方に、補助金を交付。
事業費が 50 万円以上。事業費の 2 分の 1 以内、最大で 200 万円の補
助。事業を実施後、1 年以内のもの。補助等を受けることができる回数は
1 回のみ。
(中学生以
対象者:年齢 45 歳以下の夫婦又は50 歳以下の者で子ども
下の者)
がいる世帯、若しくは35 歳以下の単身者。
住宅資金借入の利子補給
奥 多 摩 町に定 住を目的とした住 宅を新 築 、増 築 、改 築 、購 入された方
に、資金借入に対する利子補給を実施。融資金額 500 万円以上で償
還 期 間が 10 年 以 上 。借 入 利 率の 2 分の 1 。年 額 30 万 円 以 内( 給 付 期
間 36か月)。
対象者:年齢 45 歳 以下の夫 婦又は 50 歳以下の者で子ども(中学生
以下の者)がいる世帯、若しくは35 歳以下の単身者。
子育て支援
[ 乳幼児 ] 保育園入園時に係る費用の一部を助成、町内保育園に通園
するお子さんの保育料を全額助成。医療費(保険適用分)
を全額助成。
[ 小・中学生 ] 入学時に係る費用の一部を助成。給食費、通学費、医療
費(保険適用分)、中学生制服等購入費を全額助成。多子家庭または
ひとり親家庭の学童保育の育成料の全額または一部助成。
[ 高校生 ] 進学時に係る費用の一部を助成。通学費(定期代)、医療費
(保険適用分)
を全額助成。通学の送迎にタクシー料金の一部またはガ
ソリン券を助成。
その他
いなか暮し支 援 住 宅 、空 家 バンク制 度 、安く家が借りられる町 営 若 者
住宅、多子家庭の助成制度など、ほかにも定住および子育てにまつわ
るさまざまな支援を行なっている。
住宅支援や子育て支援制度も充実しており、
ファミリー世帯にも暮らしやすい町だ。
お問い合わせ: 奥多摩町子育て支援・定住応援総合窓口(企画財政課内) Tel.0428 83 2360
http://www.town.okutama.tokyo.jp
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