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「健康ブーム」の社会心理史:戦後篇
津田, 真人
一橋論叢, 118(3): 503-521
1997-09-01
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://doi.org/10.15057/10714
Right
Hitotsubashi University Repository
(83)「健康ブーム」の社会心理史:戦後篇
一九五〇壬
津 田
真 人
︵”からだが資本です”!︶。ただその具体的な形態だけが、
存競争の資本としての﹁健康﹂がブームになってくる
またそれにちょうど前後して、成功の不可欠の手段、生
﹁成功ブーム﹂が勃興し[竹内、一九七八一二二四−八]、
だから戦後もまた、特に一九五〇年代になると再ぴ
形で正当化しなおされる過程にほかならなかった。
道徳的支えなしに裸の姿でいうそう純化し、新たに別の
シズムに昇牽した立身出世主義の生存競争が、天皇制の
一九五七一一九〇]とである。それは戦前の天皇制ファ
欲しがります。とでもいうべき﹁欲望自然主義﹂[神島、
までは”の裏返しとしての、”負けた以上は、とことん
﹁健康ブーム﹂の社会心理史 戦後篇
第四次﹁健康ブーム﹂
六〇年代前半
﹁大東亜戦争﹂の惨敗は、日本国民を物質的貧窮のど
ん底に突き落とすとともに、敗戦までの理不尽な統制を
解体し、かわりに戦勝国アメリカに象徴される物質文明
の進歩主義、科学技術の合理主義、それにデモクラシー
の平等主義を第一の理想とする、新たな生活へと解放し
た。だが、一見解放的な新しい理想のもとで実際に働い
ていたのは、近世中期以来のあの没落恐怖とそこからの
必死の逃走であり︵今目でも”ヒソピー世代・より上の
正当化イデ才ロギーの交代に応じて変容した。成功が今
や、勤勉や誠実でなく世渡りの”術”にようて、国家へ
503
中高年層にとって、原始生活とは﹁関東大震災﹂と﹁焼
け跡﹂の悪夢である︶、同時に”欲しがりません、勝つ
● ●
一橋論叢第118巻第3号平成9年(1997年)9月号(84)
の貢献でなく個人とその家族の享楽のために、天皇への
距離でなく金銭や名声において追求されたように[同一
一聖一丁六〇]、﹁健康ブーム﹂もまた、修養と鍛練でな
市の上層中産階級に限らぬ、大衆全体をターゲソトとす
るマスプロ←マスコミ←マスセールスのシステムを定着
させたことにある。
こうして戦後の合成薬ブームは、企業戦士の労働力の
︵1︶
維持形成の面からも、消費市場の活性化の面からも、高
く即効作用によって、人格的陶冶でなく肉体の耐用のた
度成長を準備し先導したのであり、この両面において、
同時に進行していった耐久消費財による﹁消費革命﹂よ
めに、神秘的霊験でなく合理的根拠において追求された。
のは、合成製剤による﹁大衆保健薬﹂の氾濫である。た
りも、いウそう直接的な効果をもったとさえいえるかも
その意味でこの時期の﹁健康ブーム﹂を最も象徴する
しかに戦前も、とりわけ第一次大戦勃発後、輸入薬品の
早くも一九六一年にはアメリカに次ぐ世界第二位の産業
〇%と、一貫してGNPを上回る驚異的な伸び率を示し、
しれない。合成薬の生産額は、朝鮮動舌以後、年平均三
る先駆的な消費革命とによウて、合成薬ブームとよべる
にのしあがっている。
途絶による合成薬の国産化と、﹁大戦景気﹂の好況によ
の被害が二〇%程度と軽かったこともあって、戦後の生
ものが見られないではなかった。また医薬晶産業は戦災
新や海外の技術導入による近代的な大量生産体制の確立、
的な新薬の合成ラッシュに加えて、それに伴なう技術革
〇]。だが一九五〇年前後以降の他にない特徴は、世界
四年に終息したのも束の間、五三年頃からは、小売店レ
者サービスをエスカレートさせ、厚生省の自粛要請で五
−二年頃には、メー力−自らが消費者向け懸賞付き愛用
また、合成薬剤の安売り競争を激化させた。すでに五一
大量生産による生産過剰と流通面における過当競争は
マスメディアを通じた広告宣伝の激化︵一九五一年には
産復興は比較的早かった[長谷川、一九八六一六七、七
民放ラジオ、五三年・には民間テレビが開始される︶、そ
高い﹁池袋乱売事件﹂の勃発に至っている[長谷川、一
︵3︶
震源地として全国に飛び火し、ついに五九年には、悪名
ベルでの薬の乱売が大阪平野町や東京神田の現金市場を
︵2︶
してメーカー主導型の大規模な販売活動の実現︵伝統的
な医薬品卸売業者の駆逐︶によって、戦前の、ことく大都
504
(85)「健康ブーム」の社会心理史:戦後篇
抗生物質も向精神薬も、一般庶民が街の薬局で自由に購
ビタ、ミン剤など、現在使われている合成薬でここに始ま
維持制度の成立まで乱売競争は続いた。
入できた事実を忘れてはならない。
九八六一九二⊥二]。その後もスーパーストアが有名メ
尤も一九六〇年代からは、合成薬成長の内実に変化が
らないものはないほどである。しかも七〇年前後までは、
見られることを銘記せねぱならない。第一に、それまで
の猛威を背景に、ペニシリン︵特にその自由販売が許可
な・かでも抗生物質は、結核の蔓延と敗戦直後の伝染病
ー力ーの医薬品をオトリ商品に採用したため、再販価格
は新薬の開発による薬種の拡大が主体であった合成薬の
、 、 、 、 、
な拡大に中心を移してゆく。第二により重要なことに、
生産増加が、六〇年以降は、それら薬種それぞれの量的
ーム﹂といわれる広告合戦を惹起することになる[深川、
よび宣伝の熾烈な競争を繰り広げ、﹁第一次薬晶広告ブ
された一九四八年以降は、四〇数社が入り乱れて生産お
、 、
六〇年までは庶民が自ら薬局で購買する﹁一般用医薬
一九九一一二二]︶、クロラムフェニコール︵これはカプ
﹁医療用医薬晶﹂が激増し、しかも五〇年代後半以降の
二月の国民皆保険化を背景に︶医師が病院等で処方する
S、カナマイシン︵一九五七年に目本人梅沢浜夫が発
はストレプトマイシン︵一九五一年から国産化︶、PA
セル剤の噛矢でもあった︶、テトラサイクリン、あるい
、 、 、
品﹂が過半を占めていたのに対し、これ以降は︵六一年
相次ぐ薬禍の発覚によって、﹁一般用医薬品﹂の需要も
見︶と次々に登場し、副腎皮質ホルモン剤ともども、そ
また向精神薬は、四八年に睡眠薬﹁アドルム﹂が、敗
科学主義という新たな信仰の対象になったことにある。
、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
それが江戸時代の呪術的・神秘的な家伝薬に匹敵する、
るのに大いに寄与した。まことに合成薬ブームの鍵は、
︵5︶
のめざましい速効性によって合成薬への信仰を根づかせ
、 、
次第に頭打ちになってゆく。医師と病院への依存がます
ます目立ってゆく六〇年代以降に対して、狭義に﹁大衆
保健薬﹂のブームを語りうるのは、それゆえ四〇年代末
からせいぜい六〇年代はじめにかけてと言うことができ
一4一。
この時期にあらわれた合成薬は、抗生物質、副腎皮質
戦の悪夢と生活苦、将来の不安にあえぐ老若男女に﹁平
よ・つ
ホルモン剤、血圧降下剤、避妊薬、向精神薬、肝臓薬、
505
一橋論叢 第118巻 第3号 平成9年(1997年)9月号 (86)
担うのはビタミン剤である。ビタミン・ブーム自体はす
だが何といっても、この時期の合成薬ブームの中核を
塩野義製薬が、抗生物質に次ぐ戦後新薬革命の旗手と騒
でにみたように、元禄期の﹁江戸煩い﹂から明治∫昭和
和の眠り﹂を提供して大流行し。たのに加え、五五年には
がれたクロルプロマジンの新薬﹁ウィンタミン﹂を発売、
ム﹂に最も馴染み深いものであるが、今回は敗戦後の国
初期の﹁脚気論争﹂に至るまで、日本人の﹁健康ブー
﹁ノイローゼ﹂の語を流行させた。さらに五七年には、
民の深刻な栄養不足において、食糧供給の遅れを栄養学
人気が殺到して、その新聞広告で適応症としてあげた
H・セリエの来日とともに﹁ストレス﹂の語もこれに付
少なくなかった︶、当時国家的に推進されていた﹁栄養
と工業技術によって速やかに補充すべく︵子供にだけは
さらに肝臓薬は、二日酔止めと疲労回復の薬として五
改善運動﹂︵五二年七月三一日に﹁栄養改善法﹂.として
け加わるが、この頃にはすでに、巷でのトランキライザ
三年三月に中外製薬が発売した﹁グロンサン﹂が大当た
成文化される︶と呼応して始まったものである。その点
食事を食べさせて、母親はビタミン剤を飲むという例は
りし、売り上げは五年間で一四一倍︵!︶、五〇年代末
では、第三次﹁健康ブーム﹂にみられた、国家による上
ー中毒が社会問題化するほどになっていた。
までに五度の値下げが敢行されるほどだった。五六年六
からの﹁健康ブーム﹂の側面がここには連続している。
ただ、国家が相対的に企業の背後に退き、忠君愛国にか
月からは早速テレビで積極的に宣伝を開始、七月には
﹁グロンサン音頭﹂﹁グロンサンの歌﹂も作ってレコード
わづて経済戦争を勝ち抜く企業戦士の育成が求められた
ビタミン剤の生産額は、この頃一貫して年率三〇%台
ク的総和に実際に還元した点で共通している。
てもつ価値でなく、合成可能な個々の有効成分のモザイ
の普及とも連動しており、栄養を食べ物自身が総体とし
︵7︶
点にちがいがある。それは同時に進められた﹁強化米﹂
として発表、五八年には宣伝費が対売上比二〇%をこえ
るに至っている。︵﹃中外製薬六〇年の歩み﹄三〇−二、
四四−五頁︶これを皮切りに、同じグルクロン酸系肝臓
薬が一時は六二種類も出回り、再ぴ蘇りつつあったホル
モン・ブームにも拍車をかげることになる[赤塚、一九
︵伍︶
八五 二 六 一 一 石 川 、 一 九 八 九 一 二 一 二 ] 。
506
(87)「健康ブーム」の社会心理史:戦後篇
という爆発的な成長をとげたが、それはさらに細かくみ
ると、二波のブームに分けることができる。すなわち第
他方ビタ、・・ン剤ブームは、健康食品の薬剤への接近の
道も切り開いた。五〇年、日清製粉が︵ハウザー食に便
載のヘキサビタミンにならって発売した、日本初の六種
リメント﹂の発想にならって[梅橋、一九八七一七七]、
は、早くもこの頃から入ってきていたアメリカの﹁サプ
乗して︶発売したカプセル入り小麦胚芽﹁リブロンE﹂
配合総合ビタ、・・ン剤﹁パンビタン﹂とそれに続く総合ビ
健康食晶がカプセル、ないし錠剤、エキスという薬剤的
一波は、五〇年二一月に、武田薬晶工業が米国薬局方記
タ、・、ン剤ブームであり、第二波は五四年三月に武田が発
品への大手企業進出の、恐らくは最初の事例でもあっ
な形態をとる先駆けをなすものであった︵同時に健康食
。ン﹂とそれに続くビタミンム誘導体によるビタミン剤ブ
た︶。五八年には、﹁ローヤルゼリー﹂がはじめてフラン
売した、今度はチオール型ビタミン凪製剤﹁アリナミ
ームである。
れるが[梅橋、一九八七一:ハ六]、これも錠剤、カプ
スから輸入され、不老長寿の薬としてマスコミでも騒が
ル剤が、錠剤にかわってはじめて登場し、注射の速効性
セル剤、アンプル剤などの形をとっていた。
五九年には、ビタミン剤︵と肝臓薬︶においてアンプ
への連想に訴えた宣伝によって、ブームの拡大に側面か
さを脱して、清涼飲料水ないし健康飲料のイメージに接
へと発展し、こうして当初の保健薬錠剤は次第に薬くさ
いことから、六一年には一〇〇㏄ビン入りのドリンク剤
プームをなす。だが注意すべきことに、ブームの広がり
年代から一般にも広く普及しはじめ、もう一つの大きな
藤仁郎が一九四二年から提唱する﹁青汁療法﹂は、五〇
たわけではない。たとえば、倉敷中央病院内科医長の遠
むろんこうした健康食品の合成工業化に反動がなかう
近してゆくことになる[尾崎・山田、一九六九一ニハ
とともに、たとえぱケール一品だけで青汁を作る風潮が
ら寄与している。さらにアンプル剤は二〇㏄しか入らな
四一石川、一九八九二二二]。この延長上に、六〇年
強まってくるのであり、ここにも合成薬ブームと同じ有
効成分還元主義の反映が見られる。同じ頃流行し始めた
代以降のドリンク剤ブームが開花することはいうまでも
ない。
507
一橋論叢第118巻第3号平成9年(1997年)9月号(88〕
アメリカ的青汁療法ともいうぺき﹁ハウザー式健康法﹂
もまた、それがアメリカ由来であること、当時世界的ベ
︵9︶
ァッシヨンヘも拡延されながら、六〇年代以降の﹁スポ
酔する自己目的としてだ。この筋肉美への自己陶酔はフ
ーツ・ブーム﹂に受け継がれてゆく。なおスポーツは、.
五〇年代はまだ、ゴルフなど一部の”社用スポーツ〃を
ストセラーだったG・ハウザーの著書﹃アメリカ式健康
法若く見え、長生きするには﹄が五一年に翻訳出版さ
除けば、全体として”見るスポーツ”にとどまづていた。
温泉にさまざまの娯楽施設をあわせて五五年一一月にオ
が、ここでもその頂点は、天然ガスで人工的に沸かした
また同じ頃、法的整備によって温泉ブームが復活する
れたこと︵五三年には続刊も︶、そして科学技術信仰を
用と結ぴついていたこと、を抜きに語ることはできない
象徴する第一の家庭電化製品ジューサー・、ミキサーの使
︵8︶
だろう。
ープンした﹁船橋ヘルスセンター﹂であった。この日本
︵10︶
独特の﹁風呂のデパート﹂[落合、一九八四二⋮八]
永く多様な生薬の配合に妙味を発揮してきた漢方薬で
さえ、青汁同様、煎じてさえ飲めぱ単品の薬草で充分と
は、農協の観光旅行の出発点をなしただけでなく、全国
一九七〇年代以降
六〇年代の高度成長において全面的に展開したあと、七
第四次﹁健康ブーム﹂の準備した産業社会システムは、
五 第五次﹁健康ブーム﹂
ター﹂は七七年五月にその二二年の幕を閉じる︶。
そこに発展的に解消してゆくだろう︵﹁船橋ヘルスセン
して六〇年代の﹁レジャーブーム﹂に先鞭をつけ、目ら
日本的レジャー施設に一つのパターンを形成する。そう
各地に同種のヘルスセンター建設ラツシュをもたらし、
の勝手な解釈が横行してくるのがこの時代である。のみ
ならず五四年には、小太郎漢方製薬会社が薬草からエキ
スを抽出し、微粒子状にするのに成功レている。ここで
もまた漢方薬をも製剤化しようとする企てに、合成薬ブ
ームの根深さを見てとることができる︵これが七〇年代
以降の漢方薬ブームの技術的基礎となる︶。
似たことは他の健康法にも見られる。肉体の鍛練の伝
統は、進駐米軍の影響下に、五五−七年頃のボディビ
ル・ブームとして再生する。だがもはや国家への奉公の
手段としてでなく、人工的に錬成した筋肉美に自他で陶
508
(89)「健康プーム」の社会心理史:戦後篇
○年代以降、脱産業社会システムヘと転回する。産業社
会の脱却として、かつ同時に産業社会の高度化として。
、 、 、 、 、
これら二つの両義的意味において脱産業社会システムが
成長してくるとき、その推進力として重要な役割を果た
すのが、第五次﹁健康ブーム﹂である。
でもある。なるほど、大量生産された商品はすでに飽和
一巡し、もはや生産が広告と流通を主導することはでき
、 、 、
ない。だがそのかわり、諸商晶を差別化する多様な記号
の付加価値にようて、情報が生産と流通を主導する、多
、 、 、
晶種少量生産という名の新たな大量生産の体制となる。
業社会システムは、
いいかえれぱ、マスブロ←マスコミ←マスセールスの産
産業社会が未曾有の経済的繁栄とひきかえに露呈したさ
まず一方で、産業社会の脱却としての脱産業社会は、
まざまの限界をのりこえ、量から質へ、物から心へ、生
このウルトラ産業社会が曇一同度の付加価値の源泉として
の脱産業社会システムヘと転回する。しかもその際、
ウルトラ
マスコミ
\ ■
マスプロ マスセールス
産から消費へ、仕事から余暇へと、新たなライフスタイ
ルを提起しようとする。その意味では、六〇年代末以降
勃興してくる各種の社会運動に体現された、ライフスタ
イルや生活の質そのものを間い直す日常生活批判の機運
全﹂、﹁ゆとり﹂、要するにここでもまた﹁健康﹂なのだ。
ぬ産業社会へのあの疑念、つまるところ﹁自然﹂、﹁安
その焦点をなすのは、相次ぐ薬害・薬禍による合成薬
すなわち、産業社会の脱却においても産業社会の高度
巧みに取り込み、自らの増殖の糧とするのは、ほかなら
︵第四次﹁健康ブーム﹂のホープ!︶への不信、環境汚
化においても、﹁健康﹂が一つの重要な鍵を握ウている
の、それは延長上にさえある。しかも注目すべきことに、
染や食品添加物・インスタント食晶・加工食品への不安、
のであり、それが第五次﹁健康ブーム﹂として具体的な
第五次﹁健康ブーム﹂は、まず産業社会の脱却を初発
である。
形をとることによって、脱産業社会化が進行してゆくの
効率優先の忙しく騒がしいモーレツ社会への喘ぎなど、
健康をめぐる間題群なのである。
他方同時に、脱産業社会は産業社会の大量生産体制を
前提とし、それをいっそう高度化するウルトラ産業社会
509
一橋論叢 第118巻 第3号平成9年(1997年)9月号(90)
の原動力としたから、第四次﹁健康ブーム﹂の科学技術
り合成薬化された漢方薬にすぎないこと、また健康食品
︵11︶
品の割合は、八O年には一五%にまで激減している。そ
が百花綾乱を迎え︵医薬晶総生産額に占める一般用医薬
にほかならない。これらは九一年九月の改訂﹁栄養改善
﹁機能性食品﹂、ひいては九〇年代の﹁特定保健用食品﹂
摘せねばならない。そのなれの果てが、八○年代後半の
も、次第に疑似薬剤的な合成工業製晶︵マンナン、EP
の結果、一般薬局・薬店も経営難から健康食品への依存
法﹂第二一条において、﹁強化食品﹂と並んで﹁特殊栄
信仰とは正反対に、むしろ反科学主義、あるいは自然回
度を高めていった︶、自然治癒力への関心の復活ととも
養食晶﹂を形成しているとおり、基本的には第四次﹁健
A,DHA、プロテイン、食物繊維等々︶に近づき、イ
に漢方薬や東洋医学がもてはやされる︵一九七六年九月
康ブーム﹂下の強化食品と同じ路線の蒸し返しである。
帰志向、土俗回帰志向として生成した。合成薬への不信
には、漢方エキス剤が健康保険適用薬として西洋医学の
同様に八一−二年には、またしてもビタミンブームが
ンスタント食品や外食産業とも交錯しつつあることを指
治療にも採用されるに至った︶。自然治癒力の概念は、
再燃している。アメリカでのサプリメント.ブームがそ
が高まるのとひきかえに、いわゆる健康食品や自然食品
かつて近世末の第二次﹁健康ブーム﹂では、観念化した
のまま飛び火した今回のブームは、たしかに第四次﹁健
ス回−ガン
漢方医学の行き詰まりを打破する蘭医学導入の標語で
康ブーム﹂とちがって、ビタミン剤でなく栄養補助食晶
破する、東洋医学復権の標語へと立場を逆転する。
りわけE︵若返り薬!︶を内容としていた。だがいずれ
の形態で、またピタミンB類でなくビタミンCおよびと
サ プ リ ’ ン ト
あったのが、今や工業化した西洋医学の行き詰まりを打
しかしこれら自然派健康法の復活は、単なる伝統回帰
もその原料は、天然物は。こく稀で合成晶であり、しかも
スローガン
ではなく、むしろ産業社会の高度化に連なり、第四次
その供給者はほとんど大手の医薬品メー力ーなのである。
七一毎日新聞社会部、一九八五二二八−九]
[鎌田、一九八五一四六−八一梅橋、一九八七一一〇
﹁健康ブーム﹂の逆方向というより順方向の延長上に花
開くものでもあづた。すなわち第五次﹁健康ブーム﹂で
は、漢方薬が古来の生薬でなくあくまで漢方製剤、つま
、 、 、 、
510
(91)「健康ブーム」の社会心理史:戦後篇
から、結果として恐ろしく多様な分野にわたる、恐ろし
健康”や”最高の健康”へと際限なく誘うこともできる
どんな財・サービスにもつけうるし、さらに〃よりよい
ブームなのだ。そして﹁健康﹂なる付加価値は、原理上
ーム﹂とは、何よりまず﹁健康﹂という記号そのものの
れ、記号として消費される対象となる。第五次﹁健康ブ
テーゼでもあった﹁健康﹂は、付加価値として記号化さ
次﹁健康ブーム﹂の独自性がある。産業社会へのアンチ
康﹂という付加価値のついた記号であるところに、第五
でなく合成薬の記号であり、﹁漢方﹂や﹁自然﹂や﹁健
そのうえでなお、健康食品も漢方薬も合成薬そのもの
たらす情報が不可欠の役割を果たしている[池田・佐藤、
実際、第五次﹁健康プーム﹂では、マスメディアのも
のモデルケースの,ことき趣きを呈するものであづた。
産業社会の高度化としての脱産業社会を先駆ける、一つ
できるかの与ことき光景となった。その光景はあたかも、
る生活領域で﹁健康な﹂商品と﹁不健康な﹂商品が類別
温泉成分入り粉末状入浴剤︶に至るまで、ありとあらゆ
ーム︶、睡眠︵七六年末の健康ふとん︶、入浴︵八三年の
ぶらさがり健康器、そして八○年代の一連のスポーツブ
タード等︶、運動︵七六年のルームランナー、七八年の
気ネックレス、七九隼の超音波美顔器、八○年代のレオ
粧品をはじめ、七五年の健康サンダル、七六−九年の磁
、 、 、
︵12︶
︵13︶
く多様な品目の健康商晶が乱れ飛ぴ、五度の﹁健康ブー
一九九五一二六八]。そもそも今回のブームの発端は、
、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
ム﹂を通じて最も大規模なブームが現出することになっ
七三年八月発行の渡辺正﹃にんにく健康法﹄︵光文社︶
︵M︶
の百万部突破︵年間ベストセラー五位︶であり、これを
た。
それはほとんど日常生活全般の健康商品化、あるいは
機に七四年二月﹃しいたけ健康法﹄︵光文社︶、同六月
ト、八○年以降のウーロン茶、八三年以降のミネラルウ
付加価値とする、七九年の豆乳、八○年のポカリスエッ
や医療にとどまらず欽料︵とりわけ”アルカリ飲料”を
ヒット、さらに七五年六月の﹃なっとう健康法﹄︵双葉
そして同=一月﹃紅茶キノコ健康法﹄︵地産出版︶の大
︵主婦の友社︶、同九月﹃海藻の健康法﹄︵アロー出版社︶、
﹃酢の健康法﹂︵サニー出版︶、同八月﹃アロエ健康法﹂
、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
日常生活批判の商品化とτもいうべき事態であり、食品
ォーター等︶、服飾美容︵七〇年代中盤からの自然派化
511
一橋論叢第118巻第3号平成9年(1997年)9月号(92)
社︶、同一〇月﹃酵素健康法﹄︵主婦と生活社︶、七八年
全。などのキャンペーンによるところが大きい。八○年
第一巻発売の雁屋哲﹃美味しんぽ﹂なども、これらの空
佐和子﹃複合汚染﹄︵年間ベストセラー二位︶、八五年に
籍の出版が相次ぐ。さらに七五年の話題作となウた有吉
なしには考えられない。
スなどの流行も、書籍やテレピ・キャンペーンの影響力
ているし、またジョギング、エアロビクス、ジャズダン
ら、ラジオそれにテレピ放送の普及を不可欠の前提とし
ーツ。が〃するスポーツ”に発展してきたものであるか
代のスポーツブームも、そもそも五〇年代の”見るスポ
気をつくるのに大きく貢献した。
﹃花粉健康法﹄︵実業之日本社︶等々と﹁O○健康法﹂書
これに並行して健康雑誌の創刊も相次ぎ、七四年一〇
しかもこれらマスメディア情報がマスプロを先導し、
がいがある。たしかに、大企業メー力ーがはじめて本格
その逆ではないところに前時代の﹁健康ブーム﹂とのち
月創刊の﹃壮快﹄を皮切りに、七六年の﹃健康家族﹄
的に健康産業に参入したことは、第五次﹁健康ブーム﹂
﹃月刊百万人の健康﹄﹃わたしの健康﹄、七七年の﹃月刊
壮年ライフ﹄、八三年四月の﹃安心﹄と、競ウて﹁O○
のもう一つの重要な特徴であり、これほど大規模の﹁健
が効いた!﹂式の記事を毎号満載した。﹁○○健康法﹂
康ブーム﹂が出現した一つの大きな要因もここにある
︵もともと健康食品も健康器具もヘルスクラブも、少数
であれ﹁○○が効いた﹂であれ、土俗的な天然の食物を
の篤志者が独自の信念をもって始めたものが多く、現在
単味で配する体裁となっており、合成薬への不信を、合
ることによって解消しようとするのだ︵尤も合成薬自身
でもなお中小団体が過半を占めている︶。しかしそれは、
成薬以前の素朴な食物に、しかし合成薬と似た形ですが
がすでに、呪術神秘的な薬信仰の科学主義的再生であっ
また漢方薬の流行も、七二年の日中国交回復とマスメ
角化戦略ないし資本の有効利用手段として、隣接業種の
のであって、低成長と構造不況を乗り切るための経営多
マスコミによる健康の付加価値化に刺激され追随したも
、 、
ディアによる中国鐵麻酔のセンセーショナルな紹介、あ
みならず、しぱしば全く無縁の他業種の大企業が、業界
た︶。
るいは”漢方薬は副作用がなく、自然のものだから安
512
(93)「健康ブーム」の社会心理史:戦後篇
気に急成長した[梅橋、一九八七二二]。七〇年代中
五年頃には全国三千社、二千晶目、五千億円市場へと一
た市場規模が、七五年頃から倍々ゲームを繰り返し、八
この結果、健康食品は六五年には二〇億円しかなかっ
脱産業社会化の波に乗る旗頭だったのだ。
と参入したのである。大企業にとって健康産業はまさに、
障壁が低く需要拡大の有望なこの業界に、後発的に続々
介、アール・ミンデルの﹃ビタミン・バイブル﹄翻訳刊
ナス.ポiリングのピタミンCによる制ガン効果説の紹
ビタ、ミンブームは、八一年二月のNHK番組によるライ
した﹁ヴァイタミン・シヨヅプ﹂は、小学館と西武流通
︵”︶
グループとの連携にもとづくものであった︵この時期の
腐矢となった、八二年一〇月に西武百貨店池袋店が開設
トではビタミンショップの開設ラッシュが生じた。その
なったし[同一八五]、これに並行して東京の各デバー
、 、 、 、
盤以降の年平均三〇%という︵奇しくも五〇年代の合成
行とその来日︵八三年四月︶によるところが大きい︶
八O年代に大きなブームとなった﹁アスレチックヘルス
らないことであった。また、七〇年代中盤から大衆化し、
慢性不況にあえぐこの時期、他の業界にはあまり見当た
専門のスーパーと童言うぺき﹁ナチュラルハウス﹂の誕
が、それ以外にも目を引くのは、七八年一月、健康食品
イ、西友、ダイエーなど大手を中心に積極的に参入した
[鎌田、一九八五一四二]。スーパーも、ジャスコ、ニチ
︵”︶
薬と同じぺースの︶猛烈な伸びは、日本経済が低成長と
クラブ﹂も、八二年には全国百か所、約五百億円の市場
生である。なおこれもまた、その親会社である葉子メー
力ーのコトブキによる、不況を乗り切るための経営多角
に膨れ上がり、しかも二。ケタ成長を遂げている。
同様にマスセールス︵デパート、スーパー︶もまた、
化戦略の一環であった。
。はじめて本格的に健康産業に参入した。デパートでは、
七〇年代後半に銀座松屋の自然食品コーナー﹁正直村﹂
一九八七一七三、八八]、とりわけ訪問販売によるもの
︵特に大都市以外の地域では︶無店舗流通であり[梅橋、
それでもなお、依然として健康食品の流通の七割は
が大当たりしたのを皮切りに、八○年代中盤には全国一
である。そうした業者は少なくとも百から二百社、市場
、マスコ、ミに先導され時にタイアップしつつ、この時期に
七〇の大型デバートのほとんどが健康食晶を扱うように
513
平成9年(1997年)9月号 (94〕
次第に拡大し深化し加速しながら、今日のブームにまで
期は、どんなに遅くみても元禄∫享保期であり、それが
第一に、健康願望が大衆的な規模で昂揚した最初の時
大企業の参入、他方での山師の敬層による危機感から、
展開してきたというのが大まかな趨勢であった。だとす
規模は三千億円と推定されている。このように一方での
在来の中小健康食晶産業メー力1も業界防衛のための組
れば社会心理史としてみるかぎり、日本の近代はまず一
︵H︶
織化に進み、八五年には﹁︵財︶日本健康食品協会﹂が
の参入、および政府の医療費削減方針の開始︵公的社会
だがここで注目すべきことは、健康食晶業界への大企業
そこまで射程を広げるのが必要最低条件であろう。
長期の過程であって、それゆえ近代の総体的な考察は、
文明によづて完成し、昭和五十年代以降変容しはじめる
洋文明のもとで定形化し、昭和三十年代以降、アメリカ
七〇〇年前後の元禄期に内発し、明治三十年代以降、西
医療の後退!︶を背景として、厚生省が従来までの健康
いたのではなく、大きく五度の山をもつ、周期的な波動
第二に、健康願望はその間いつも同じ強度で抱かれて
を示すものであった。しかも山と谷が生じるのは、この
とである。それはこの業界の障壁を低くし、ブームをい
っそう加速する結果となった。ここでもまた政府が、た
社会心理が、社会の客観的な変動に伴なう危機状況にお
しかもなおその試み自体には失敗しながら、新たに社会
いて、それを回避し克服する切実な試みとして勃興し、
だし大企業の背後から、﹁健康ブーム﹂を間接的に後押
﹁健康﹂の問題
をたどるうえで、いくつかの重要な視角を呈示している
﹁健康ブーム﹂の発生の歴史は、近代日本の社会心理史
っそう商品経済の浸透を拡大しながら第二次﹁健康ブー
﹁健康ブーム﹂を生み出し、第一次﹁健康ブーム﹂はい
してきたからだ。近世中期の商晶経済の浸透は、第一次
の客観的変動を招来するという、逆説的な歴史を繰り返
ように思われる。
以上に概観してきた、近世中期以降の五度にわたる
小結 社会心理史と
ししているのが見いだされよう。
食品への敵対的態度を改め、容認的な態度に変わったこ
年は薬事法違反の事件数が最大となった年でもあうた︶。
、 、
設立されて”健康食晶元年”といわれた︵ちなみにこの
第118巻第3号
一橋論叢
514
(95) 「健康ブーム」の社会心理史:戦後篇
ム﹂を誘発し、第二次﹁健康ブーム﹂は勤労する近代的
主体の形成を促して、明治維新以後の近代化を準備し、
その立身出世主義の行き詰まりから第三次﹁健康ブー
ム﹂が生じ、結果的に天皇制ファシズムと第二次大戦の
遂行を支え、その敗戦から第四次﹁健康ブーム﹂が生ま
れて高度成長を準傭し、その反省の中から第五次﹁健康
ブーム﹂が生まれて、脱産業社会への転回を推進してい
る。社会の客観的な歴史を被りつつ、しかもなおそれを
たえず新たに創出するこの弁証法的ダイナミズムにおい
て、﹁健康ブーム﹂は社会心理史の恰好の事例である。
第三に、﹁健康ブーム﹂の五度の発生は、それぞれ全
くモチーフを別にするそのつど新たなプームではなく、
むしろ薬依存傾向やピタミン信仰や若返り願望にみられ
るように、かなりの程度まで共通するモチーフを、その
つど新たな素材によ一て繰り返し追求する場合が少なく
なかった。すなわち、新しいもの・変わりゆくものの中
に古いもの・変わらぬものが貫徹し、古いもの・変わら
ぬものの中にたえず新しいもの・変わりゆくものが胚胎
するのであり、この新奇性と反復性の、あるいは流行と
民俗︵習俗︶の[多田、一九七八一七、二七、六〇一井
上、一九九五二〇−四]、あるいは出来事と長期持続
の、重層する弁証法を示す点でも、﹁健康ブーム﹂は社
会心理史の恰好の事例である。
に負の契機としてである。それ自体はいつも裏切られ、
とはいえ﹁健廉ブーム﹂が歴史に関与するのは、つね
頓挫するかぎりで新たな歴史を作り、だからこそ同じモ
チーフを繰り返し志向する。それは何よりもまず、公的
な社会医療の欠如という、そもそも健康願望を励起した
慢性的な客観的条件が、まさにその達成にとって本質的
な障害となってきたからであることを忘れてはならない。
本来社会の危機に淵源し、社会的にしか解決しえないも
のを、社会的に解決する回路を断たれるとき、ブームと
いう社会現象は盛んに生成しても、所詮それは個人的レ
ベルでの試行錯誤の巨大な集積体以上のものにはならな
いからだ。
だ、がもっと根深い問題は、﹁健康﹂の概念そのものに
ある。この一見哲学的なテーマに社会心毘史の立場から
接近すると、まず非常に興味深いのは、﹁健康ブーム﹂
の発生する五つの時期が、単にそのモチーフが互いに類
似するだけでなく、いずれも自殺者の増加が社会問題と
515
橋論叢第118巻第3号平成9年(1997年)9月号(96)
なる時期ときれいに一致することである[津田、一九九
七]。むろん自殺もまた社会の危機を表現している。そ
の意味では、自殺ブームと健康ブームは同一の社会状況
の二つの側面にすぎない。だがそれにしても、一方には
身体そのものを段損し抹殺する自殺願望と、他方には身
体の保養と強化を気遣う健康願望とが、同じ時代の空気
の中に共存しうるのはなぜか。その充全な考察は別稿に
譲るほかないが、少なくとも今ここで指摘しポるのは、
自殺願望においても健康願望においても、身体が現実の
身体そのものよりも、あるべき身体のイメージにおいて
観念され、そこにより大きなリアリティが感知されてい
、 、 、 、 、 、 、 、
ることだ。この観念としての身体の名において現実の身
、 、 、 、 、
体を現実に抹殺しようとすれぱ自殺が、この観念として
か卦体に向けて現実の身体を現実に改造しようとすれば
健康が、それぞれ生じるように見受けられる。
﹁健康ブーム﹂が繰り返し追求する﹁健康﹂は、往々
にしてこうした抽象化された観念にすぎない口︶旨o9
冨震一No亘−湯亡富永、一九七三]。だが観念として抽
象された﹁健康﹂は、はじめからどこにも存在しないか
ら、追求するほどますます執鋤に追求される強迫観念と
、 、 、 、
なり、﹁健康﹂は﹁健康主義﹂に転化して、他のイズム
ヘ ル シ ズ ム
一般と同様、嗜癖の対象にすぎないものになる。イズム
は自己目的化する。ただしヘルシズムの病理は、これま
で多くの論者が主張してきたように、自己目的化したも
のを他の町ものか︵幸福!︶のための手段に限定すれば
除去できる、というものではない。第三次および四次
﹁健康ブーム﹂で目己目的化された﹁健康﹂は、すでに
富国強兵の、あるいは企業戦士の、立派な手段であった。
手段は手段となるやいつでも、目的に転化しうる。目的
は自己目的化してさえ、いつでも手段に転化しうる。公
的な社会医療が完備しても、それが健康を幸福な生活の
手段や目的と位置づけるかぎり、﹁健康ブーム﹂が終想
することはないだろう。
けだし、生きる目的であれよりよく生きる手段であれ、
そのように生きる営みと別の水準に抽象された実体であ
る前に、健康とはまずもって生きるあり方、もしくは生
、 、 、
そのもののリズムにほかならないからだ。生のスタイル、
、 、 、 、 、 、
生かいか^∼か駄束として明白に自覚されるとき、健康
願望はようやく健康願望として、第一歩を踏み出しはじ
める。とすればライフスタイルの時代に開花した第五次
516
(97)「健康ブーム」の社会心理史:戦後篇
﹁健康ブーム﹂は、単に最大の﹁健康ブーム﹂であるの
みな ら ず 、 こ の 最 大 の 好 機 で も あ る の か も し れ な ㌧
︵1︶ 合成薬ブームは、大衆消費社会に固有に頻発する一連
のブーム現象の、典型的な代表例でもあった。そもそも昭
和三〇年頃は、﹁O○ブーム﹂という言い方自体がブーム
となる[原田、一九八一一二〇〇]、いわば﹁ブーム・ブ
ーム﹂[鶴見、一九七八二=一八−七五]の時代なのであ
︵2︶ 一九六〇年代の流通革命の旗手となる﹁スーパー・ダ
った。
イエー﹂も、前身は五一年六月に中内功が大阪市内に開い
た薬の現金問屋﹁サカエ薬品﹂であり、五四年頃には、全
国に先駆けて二−五割の安売りを行なう乱売薬店の一つで
あったことが想起されてよい。
︵3︶ 一九五九年七月、池袋西口で定価の三−五割で販売す
る小売店が出現、これに対抗した地元の小売店が共同店を
開設するなど激しい乱売競争が繰り広げられ、六〇年には
大きく報道され、国会でも取り上げられて、六〇年二月に
九割引商品も登場する始末であった。これはマスコミでも
て﹂との通知で警告を発したが、あまり実効牲はないまま、
は厚生省も﹁いわゆる乱売に伴なう医薬品等の監視につい
ようやく二一月になって両乱売店間で閉店契約が成立し、
事件は終息したのである[長谷川、一九八六一九二⊥二]。
︵4︶ 皮肉に、﹁大衆保健薬﹂という言葉が流布するのは、
その相対的比重がむしろ低下し始める一九六〇年代に入っ
しい医療用医薬品が、自らのみを固有の薬剤として差別化
てからのことである[石川、一九八九一一一九]。台頭著
するために、あえてこの語を用いだしたのかもしれない。
現にこの延長上で六七年、﹁医療用医薬品﹂と﹁一般用医
薬晶﹂という用語の区別が公式に採用されることになる。
︵5︶ この結果一九五五年頃から伝染病による死亡が激減し、
日本も成人病の時代へと突入してゆくことになる。まさこ
その前夜、五四年七月に国立東京第一病院で﹁人間ドッ
ク﹂がはじめて開設されていることは興味深い[尾崎・山
︵6︶ ホルモン・ブームの方もこの時代には、塩酸ヨヒンピ
田、一九六九一ニハ三]。ただし料金は六日間で一万二干
円と高かウたので、申込者は高額所得者ぱかりであっち
ンを主成分とする即効性の合成回春薬が、﹁ホルビン﹂﹁ナ
イトピン﹂﹁トーサンビン﹂﹁エレクチン﹂など痛快な命名
で数多く出回つており︵五二年四月の時点で、厚生省登録
が三〇社、製品は東京だけでも二〇種あ。たという︶[田
中、一九九三二=二五]、﹁精力増強のほうにはあらゆる新
薬が動員され、一種ごとにブームといわれた。日本語の読
ン語、ギリシャ語から取。たカタカナの、意昧を知ってい
める外国人は、電車に乗る.ことに、どっちを見ても、ラテ
ので、連想になやまされて困る、とい。た。﹂[鶴見、一九
れば口でいえない言葉ぱかりの妙な新薬.の広告が眼に入る
七八二⋮七]また、五〇年代初頭にはウシの脳下垂体を
整形科病院で膏部筋膜下に埋め込む療法、五三年にはヒト
517
橋論叢 第118巻 第3号 平成9年(1997年)9月号 (98)
の冷凍胎盤をカプセルに入れて腕や肩に埋め込む療法も、
一世を風廃した[田中、一九九三一二三五]。
︵7︶ ﹁アリナミン﹂の発売された五四年の一月には、最初
のピタミン臥強化白米﹁ピタライス﹂が、武田.三共.塩
の特許権を政府が有し、実施権を社団法人栄養食糧協会が
野義の三社によウて発売されている︵強化米は、その製法
有する国家的事業であることに注意︶。そして翌五五年か
らは、武田がDBTを用いた無臭安定型ピタ、、、ン臥による
改良強化米﹁ポリライス﹂を売り出し、強化米シェアの大
大し、六〇年代における強化米の全国的普及の足がかりを
半を占めるに至るとともに、懸案の農村地区へも市場を拡
つかんでゆく。
︵8︶ 瑞螂質で白く光り、モーターで動く最も身近な文明の
利器ジューサー・ミキサーは、一九五〇年前後から増加し
食卓の、さらにその中心に神棚の.ことき神聖性を担。て鎮
たDKスタイルの住居において、その真ん中に据えられた
座した、一家団樂の求心装置であった[多田、一九七八一
五四−五]。
︵9︶ ボディビルの名にヒントを得て、日興証券は同年、
〃マネービルの時代です。とのコピーで、証券投資による
利殖を勧める広告を出している[深川、一九九一一五七]。
肉体と貨幣・ひ9、一少か節本が相携えて自己目的化し独走
してゆく時代の雰囲気が、ここに暗示されていよう。
︵10︶ なお﹁船橋ヘルスセンター﹂の創設者は、第三次﹁健
康ブーム﹂に登場した明治末の行商売薬﹁生盛薬館﹂の創
始者・丹沢善利の次男にあたる二代目丹沢書利である。
ニ!〃の昭和版再生と言うこともできよう。
﹁船橋ヘルスセンター﹂のCMソング”長生きしたけり中
ち上っとおいで チヨチ目ンのパ⋮⋮”は、”オイツチ
︵11︶現に、医療用漢方製剤は次第に組成分量不足が指摘さ
れるようになり︵これはエキス化の大量生産による原料生
薬の乱獲のためだろう︶、八五年には厚生省が通達を出し
て、やっと指定成分の二種以上の測定値を、標準生薬煎液
の七〇%以上に定めたというのが実情である。他方、決し
て漢方薬の本質が蘇ウたわけではないことは、八O年のG
MP規制によって、多くの伝統的な生薬、たとえば﹁陀羅
[天野、一九九二一二一−三]ことからも伺える。
尼助﹂﹁高木清心丹﹂﹁太子山奇応丸﹂などが姿を消した
︵12︶ たとえぱビタミン・ブームの仕掛人たちは、ピタ、、、ン
澤、一九八四一一五−六]。所要量は病気にならないため
剤の所要量にとどまらず、保健量なるものを設定する[平
享受するための必要量というわけだ。﹃ビタ、、、ン.バイブ
の最低必要量だが、保健量はよりよい健康、最高の健康を
要量は二〇〇〇単位︶、凪で五〇〇㎎︵所要量一.三㎎︶、
ル﹄によれぱ保健量は、ビタミンAで二五〇〇〇単位︵所
助で三〇〇㎎︵所要量一・○㎎︶、Cで四g︵所要量五〇
︵13︶ だがこの時代のスポーツブームの特徴は、第一にそれ
㎎︶、Dで一〇〇〇単位︵所要量一〇〇単位︶である!
き込んだことにある。特にママさんバレーやゲートボール
までスポーツとは無縁だった中高年層や女性層を大幅に巻
518
(99) 「健康ブーム」の社会心理史:戦後篇
の流行、七〇年代末のジ目ギングブーム、八○年代初頭の
エアロピクスやジャズダンスの流行、など。また第二に、
プレィヤー以外の層をも巻き込んだことにある。つまりス
上に、スポーツの遊戯化、フアツシ目ン化である。要する
ポーツそのものの享受だけでなく、しぱしぱむしろそれ以
型はいうまでもなくテニス︵ゲームはしなくても、テニス
に記号としての﹁スポーツ﹂が進んだのであって、その典
ウェアやラケツトが売れ、ペンシ冒ンが繁盛する︶、スキ
︵14︶ ﹁アリナ、ミン﹂に代表されるビタミン剤合成薬の時代
ー︵七〇年代末からアフタースキーが重視される︶である。
が終わったとき、新しい時代の口火を﹁にんにく健康法﹂
が切ったのは興味深い。アリナミンの学名がアリチアミン、
すなわちニンニクの有効成分アリシンとチアミン︵ビタミ
ン町︶の結合体であることが示すように、アリナミンの源
︵帖︶ たとえぱ、ピタミンEにフランスベツドやポーラ化粧
はニンニクにあったからだ。
品を含む約二百社がひしめきあったのをはじめ、紀文や三
菱化成の豆乳、資生堂の小麦胚芽とプルーン︵逆にヤクル
トは化粧品に進出している︶、LPガスのトソプメー力−
岩谷産業のスツポンスープ、大日本インキ化学工業のスピ
ルリナ、電気絶縁材料のトツプメーカー日東電気工業の朝
鮮人参︵タンク内での初量産化︶、栗本鉄工所のハマグリ
エキス、グンゼの﹁紅コウジ酢﹂とコ只風紅麹みそ﹂、小
野田セメントのクロレラ、宇部興産のパイ才技術による無
臭ニンニク、TDKの磁気ネソクレス、三井不動産・資生
ジオ経営、製糖メー力ーの老舗・日新製糖の﹁ドゥ・スポ
堂.干代田生命・前田建設・グンゼらのエア回ビクススタ
ーツ.プラザ晴海﹂オープンなど、枚挙に暇がない。
︵16︶ 西武百貨店はこの頃、健康食品を三度の食事に並ぷ
ターに糸井重里を起用して、”じぶん、新発見””不思議、
”第四の食品”として位置づけ重視している。コピーライ
し、個性とその感性、ライフスタイルに焦点を当て姶める
大好き・”おいしい生活〃など一連のキヤンペーンを展開
のがこの時期に重なうているのも輿味深い。
︵17︶ ちなみにこれら健康食品メー力−の有カ企業﹁創健
社﹂は、ハウザー食品販売の関東販社として出発したもの
だったが[萩原、一九八五二二四二、もともとその社長
ブラスチツク加工会社を自営していた人物である[鎌田、
はあの大ブームを巻き起こした﹁フラフープ﹂を製造する
一九八五一二〇01二。
赤塚行雄、。一九八五 ﹃戦後欲望史一混乱の四、五〇年代篇﹄
文献︵戦前篇と一括して掲載︶
天野 宏、一九九二 ﹃薬文化往来﹄青蛙房。
講談社。
青木歳幸、一九九三 ﹁草葬の蘭学﹂﹃臼本の近世14・文化の
︸O目HO討=・︸一−o↓ooωOoユ與目αω09巴O壷ω9−口ωogS、ωo㍗
大衆化﹄中央公論社、二一九−六八頁所収。
U島o9戸δsき§零♀きミミs8︷§一蕃婁§、曼1
§§§§§ぎ§一く〇一﹂一.目O1①らPOO−甲き−
519
橋論叢 第118巻 第3号 平成9年(1997年)9月号 (1OO)
9亀s−9§鷺。田多井吉之介訳﹃健康という幻想﹄紀伊
國屋書店、一九六四年。
遠藤和子、一九九三 ﹃富山の薬売り−マーケティングの
先駆者たち﹄サイマル出版会。
深川英雄、一九九一 ﹃キャツチフレー.スの戦後史﹄岩波新
書。
布施昌一、一九七九 ﹃医師の歴史﹄中公新書。
萩原弘道、一九八五 ﹃栄養と食餐の系譜﹄サンロード出版。
原田勝正、一九八一 ﹃昭和世相史﹄小学館。
長谷川古、一九八六 ﹃産業の昭和社会史①医薬品﹄日本経
服部敏良、一九七八 ﹃江戸時代医学史研究﹂吉川弘文館。
済評論社。
、一九八五 ﹃日本史小百科20・医学﹄近藤出版社。
平澤正夫、一九八四 ﹃あぷない薬 薬にだまされないた
めに﹄一一二書一房。
一柳展也、一九九四 ﹃︿こっくりさん﹀とく千里眼V−日
本近代と心霊学﹄講談社。
池田光穂・佐藤純一、一九九五 ﹁健康プーム﹂、黒田浩一郎
編﹃現代医療の社会学﹄世界思想社、二六三−七八頁所収。
晶文社、一九七九年。
≡一島二㌧彗αトぎ茅、oき&§§1き§§−き§蕩︷3
↓ざ肉善§尤§茗♀きミミ金子嗣郎訳﹃脱病院化社会﹄
井村宏次、一九八四 ﹃霊術家たちの響宴﹄三交社。
石川弘義、一九八九 ﹃欲望の戦後史﹄廣済堂出版。
井上忠司、一九九五 ﹃風俗の文化心理﹄世界思想社。
1﹂、﹃講座人間と医療を考える・第一巻哲学と医療﹄
石渡隆司、一九九二 ﹁健全と健康の間−概念史的序論
弘文堂、二二八−六二頁所収。
門脇厚司、一九七八 ﹃現代の出世観﹄日本経済新聞社。
樺山紘一、一九七六 ﹁養生論の文化﹂、林屋辰三郎編﹃化政
文化の研究﹄岩波書店、四三五−六九頁所収。
鎌田 慧、一九八五 ﹃健康売ります ヘルス産業最前
線からの報告﹄朝日新聞社。
川村邦光、一九九〇 ﹃幻視する近代空間−迷信.病気.
神島二郎、一九五七 ﹃近代日本の精神構造﹄岩波書店。
今野信雄、一九八五 ﹃広告世相史ーコピーの原点を探る﹄
座敷牢、あるいは歴史の記憶﹄青弓社。
毎臼新闘社会部、一九八五 ﹃たぺもの革命﹄文化出版局。
中公新書。
南博、一九六五﹃社会心理史−昭和時代をめぐって﹄
宮田 登、一九七五 ﹃近世の流行神﹄評論社。
誠信書房。
根岸謙之助、一九八八 ﹃医の民俗﹄雄山閣。
沼田 勇、一九七八 ﹃病は食から﹄農山漁村文化協会。
岡崎寛蔵、一九七六 ﹃くすりの歴史﹄講談社。
落合 茂、一九八四 ﹃洗う風俗史﹄未来社。
尾崎秀樹・山田宗睦、一九六九 ﹃戦後生活文化史﹄弘文堂。
奥田修三、一九六〇 ﹁大和の売薬﹂、﹃日本産業史大系6.
近畿地方編﹄東京大学出版会、三一八−二四頁所収。
佐保田観治・佐藤幸治、一九六七 ﹃静坐のすすめ﹄創元社。
520
(1O1)「健康ブーム」の社会心理史1戦後篇
坂井誠一、一九六〇 ﹁越中富山の薬売り﹂、﹃日本産業史大
系5.中部地方編﹄東京大学出版会、三一六⊥二四頁所収。
下出積與、一九七五 ﹃道教と日本人﹄講談社。
多田道太郎、一九七八 ﹃風俗学 路上の田心考﹄筑摩書房。
竹内 洋、一九七八 ﹃日本人の出世観﹄学文社。
、一九八八 ﹃選抜社会−試験昇進をめぐる︿過
熱﹀とく冷却v1﹄リクルート出版。
田中 聡、一九九三 ﹃なぜ太鼓腹は嫌われるようになった
の・か?﹄河出書房新社。
立川昭二、一九八六 ﹃明治医事往来﹄新潮社。
、一九九六 ﹃健康法と癒しの社会史﹄青弓社。
、一九八八 ﹃見える死・見えない死﹄筑摩書房。
、一九九一 ﹃病いと健康のあいだ﹄新潮社。
富永茂樹、一九七三 ﹃健康論序説﹄エッソ・スタンダード
石油株式会社。
津田真人、一九九七 ﹁自殺と日本近代﹂﹃桐朋学園短期大学
部紀要﹄第一六号、印刷中。
鶴見俊輔、一九六八 ﹃日本の百年④明治の栄光﹄筑摩書房。
、一九七八 ﹃日本の百年⑩新しい開国﹄筑摩書房。
鶴見俊輔.久野 収、一九五六 ﹃現代日本の思想﹄岩波新
筒井清忠、一九九五 ﹃日本型﹁教養﹂の運命−歴史社会
書。
学的考察1﹄岩波書店。
梅橋由紀夫、一九八七 ﹃健康食晶業界の実態・改訂版﹄青
安丸良夫、一九七四 ﹃日本近代化と民衆思想﹄青木書店。
年書館。
吉岡 信、一九八九 ﹃近世日本薬業史研究﹄薬事日報社。
吉竹 博、一九八四 ﹃﹁おつかれさん﹂の研究﹄ダイヤモン
、一九九四 ﹃江戸の生薬屋﹄青蛙房。
No亘−・宍・し㊤oo︷=轟烹三閉昌彗﹂目竃;目oqζ①堅§=N凹巨昌一
ド社。
,⋮o戸Fg巴㌘皇吻s茎轟ミ邑§︸.尾崎浩訳﹁健康
論、一九八四年。
主義と人の能力を奪う医療化﹂﹃専門家時代の幻想﹄新評
︵一橋大学助手︶
521
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