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Instructions for use Title 言語と法 - HUSCAP

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Instructions for use Title 言語と法 - HUSCAP
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Issue Date
言語と法(Sprache und Recht)
グロースフェルト, ベルンハルト; 和田, 卓朗(訳)
北大法学論集, 35(6): 1-58
1985-03-29
DOI
Doc URL
http://hdl.handle.net/2115/16465
Right
Type
bulletin
Additional
Information
File
Information
35(6)_p1-58.pdf
Instructions for use
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
ω
(
げ町内 己ロ仏 月刊の伊丹
1民
℃
同町
vT)
田
卓
朗
訳
m百円四の吋。国内σE)
ベルンハルト・グロ!スフェルト(回
2 ロr
和
言語と法
序論
若干のアプローチ
認識手段としての言語
名前や言葉の神話
き一回垣間が創造したものとしての法
さまざまな法的表現の語源︹学︺
言語と思考
言語依存の原理
言語と評価
幾つかの事例
北法3
5(6 ・1)6
8
9
創造力としての言語
X l
X
V
l
l
l VIIVIV l
VI
I
IE
沼
比較法学のための理論
三δ.
法の通用力についての帰結
皿沼
H
問
門的
(2
﹀
ハ
3
H253C
同ロ田
である。
巳R Z E己o
r刊のEBB白色同)﹄を著して、ドイツ言語学(岳巾 m25白
zmF巾)とい
B
H
H
H
) は﹃ドイツ文法 (U2 n
門
(4)
一体、或る特定の言語、その構造や文法が、或る特定の法に影響を及ぼすものな
(2V
のなのだろうか。︹そうだとして、どの程度のものなのか。︺この間題は、アフリカやアジアにおいて、脱植民地化の後
訳註
のか、及ぼすとすれば如何なる影響なのか、を吟味してみる必要があろう。法の構造は、言語の構造の制約を受けるも
しかし、このテlマを更に追究し、
阿
C15m﹀。法的効果を生み出す薬剤である。
仮面である。言語は、また、人間が有する﹁最も効き目の強い薬剤﹂でもある(ラジャド・キップリング河口仏吉正
マスタ
(FC
HJZmH凶包ロ巾同凹)は、法律家であった。最近の例では、グライス(のZU乙 と い う 法 律 家 が 、 ﹃ 似 市 非 辞 典 (C
訳註 (1 ﹀ マ ス ク ︽
5)
・
ロ
君。同芯円Enr﹀﹄を書いている。﹁法律は、仮面を着けて登場してくる(ピ唱団ぎ毛田5 巾]阿古白 g
gw)﹂。言語という
﹀
う学聞の礎を築いた。﹃ドイツ語文体論(ロ22nZωEEロ目。﹄という本の著者であるル 1ト ヴ ィ ヒ ・ ラ イ ナ ー ス
ュ
。
言語と法は、 また学者の個性を通しても、相互に密接に結びついている。法学者であったヤlコプ・グリム己目。σ
が必要であり、法と言語とは一つに結びついている。言語は、法学者の唯一無二の道具定2
言うと︺諸君は、首を横に振られるであろう。なぜなら、諸君も当然御存知の通り、比較法には言語(外国語)の知識
比較法学が言語という要素を発見し︹それを重要視するようになっ︺たのは、比較的最近のことでしかない。 ︹こう
序
演
議
北法 3
5(6 ・2)690
ハ
6)
ツステム
に、自国語が法︹律︺用言語となって、英語を駆逐したとき、法体系にどのような変化が招来されたかを検討する際
訳註︿3
﹀
に、殊に頻繁に指掃されてきた。私の知る限りでは、法︹律︺用言語なり教会用言語のラテン語からドイツ語への転換
自)
E
U
5 印ゲ2m﹀が発表して
(Z25回
ロ
ロ
についての類似の研究は、我が国(ドイツ)にはない。言語と法というこのテ l マに関する体系的︿理論的)研究は、
(7)(
以前にはブォルストホブ(明02P丘町)が、そして特にノイマン 1ドュiスペルグ
いる o オランダとベルギーでこのテ l マと取り組んでいる学者としては、まず、ヴァン・デン・ベルクハ︿白ロ仏巾ロ
訳註 (4 ﹀
はない。
若干のアプローチ
てみよう。
︿
﹀
訳註
(5)
訳註
(6)
ε といわんよりは母︿Z55乙である、というカール・グラウス︿同国ユ穴FCCのコ
(7)
g
ルゲ︿ωZ町田ロの巾 Om
) の言葉も手懸りになる。これらの言葉が予感させる問題の脈絡を、筒短にではあるが、なぞっ
円巾
訳註
メントを、皮切りにしよう。﹁言葉のないところには、物は存在しない﹂、という︹ドイツの詩人︺シュテファン・ゲオ
言語は我々の思考の小間使︿宮品
E
M)
ポエジー
︿臼﹀
法にあっては、リズムや頭韻や脚韻や法的な詩句が如何に重要な意義を有していたか、という点に想いを致すならば、
ハロ)(刊
r出向。﹂の一つだとした。この表現
カントローグィチ(穴山口可。者 -nN) は、法律学を﹁一言葉の学問(君。ユ耳目白田
(却)
口
田
ロスコ l ・バウンド (
H
N
2
8巾可。己ロ向。が引き継いだ。この言葉は、一体、何を言おうとしているのだろうか。古
i
i
問題の核心に一歩迫ることになろう。詩と法との聞の結び付きは、常に、私を驚かせて止まない。まず、現在の︹法
北法 3
5(6 ・3)6
9
1
∞2my﹀とブレークマン(切Z 巾﹁白9山口)がいる。しかし、比較法学は、これらの業績を、大して参考にしてきたわけで
言語と法 (SpracheundRecht)
演
エlリク・ヴォルフ
(8)
(開ユ}内巧 O}
同)の﹃ドイツ文芸に現われた法について (︿OB
訳註
律︺条文の数字付けは、 ギリシア悲劇から来たものである。 そして、ャ l コ プ ・ グ リ ム の ﹃ 法 に お け る 詩 に つ い て
ハ弘)
(
︿ OロL2 可
02芯 FEHN2Z)﹄や、
ハ口)
︿お)
当2 2 門
凶
巾
印
刷
山
巾nrzzι2仲
田
口r20Fnzgm)﹄を経て、ヴォlルハウプタl(君。Erg-巾るの﹃詩人法律家(宮口
γ
}
(日)
同巾ユロユ回同巾ロ)﹄︹という作品︺まで、この系譜を辿ることができる。ヘルダリン (ZCE22る の ﹃ ヒ ュ ペ l リ オ ン
メルヒエ
ロ)﹄や、ロマン派ならびに古典主義のドイツ文芸全般が、フォン・サヴィニ!?。ロ∞2 目的ロ己に与えた影響
HFO
訳註︿9)
(
国
吉
一
巾
訳註(叩)
号 r品)﹂に見られるような││
ε 宮]白5 s
は大きい。御伽話(童話)と法との結び付き││例えば、﹁﹃テーブルよ、食事の用意﹄と﹃金貨をほきだすろば﹄と
訳註(日)
﹃こん棒よ、ふくろから﹄(吋広島rEpnw 仏
H
n
y 。。包巾凹巾]ロロ仏関口
それとも、それ以上の意味があるのだろうか。
も、また見逃せない。これらは全て偶然にすぎないのか 11J
戸
(叫同)
l ・フレンチ︿gdhmィgny) である。これはノルマン人から借用した言語で、中世のイングランド
外国法継受にとって法律専用言語が持つ意義を考えることで、また一つ別の角度からのアプローチをしてみよう。そ
の一つの例が、
の法律家たちが用いたものである。この専門言語も、 また、 ローマ法がイングランドでは大陸ほど大々的には継受され
なかったことの一因をなしている。すなわち、
﹁イングランド法は特異であり、外国法に対する免疫性を持っていた o非常に専門技術的なものだったからである。
なぜそんなに専門技術的だったかと言えば、 イングランドの法律家たちは、自分たちが用いる概念を言い表わすのに、
﹀
(凶﹀
科学者と同じように厳密に考えることを可能にする一つの言語を見つけ出していたからである﹂。
ω)︿
ここで、註釈学派︿の]。由凹白同
g。吋巾ロと﹀にあつては修辞学(列呂}
(初
m
n
も想い起こそう。これらは、言語によって仲介された内的(論理的)結合関係にほかならない。すなわち、
-巾)との聞には緊密な関係があった、という歴史的事情を
}
o
m
F
W
) と法律学、そして繰り返しになるが、法と詩(句。2
誘
北法 3
5(6 ・4)692
言語と法 (SpracheundRecht)
ポエジーポエジーミユF
(幻﹀
ス
ハお﹀
o目﹀と詩の子供である。:::詩と神話は、先史時代の人類が、彼らを取り巻く森
﹁修辞学も、また、神話(富山三r
羅万象 (dE︿内同町己ヨ)に与えた解答である﹂。
H巾)が、﹃法的想像力 HdmF呂田]HS品古田己 Oロ﹀﹄という本の
だから、ジェイムス・ B ・ホワイト (F52 ∞-巧Z
、
(
中で、法律専門用語が法律家の思想をどのように形造っていくのかを検討しているのは、何ら驚くに価しない。情報処
理の出現が、法にどのような作用を及ぼすか、ということもやがて間もなく問題になるにちがいない。以上の考察をほ
んの少々発展させれば、それはもう我が比較法学のテ1マである。すなわち、法律専門用語が法学者の思考を形造ると
いうのであれば、全く一般的に、我々の言語が我々の法を形造る、と言えるのであろうか。これが比較法学にどのよう
創造力としての言語
な理論的帰結を意味することになるかは、問題設定においても既に明らかであるう。
町山
0
慎重に、 このテーマにアプローチしたい。まさに文字通り、 ア ダ ム と エ ヴ ァ か ら 始 め る こ と に し よ う 。 御 承 知 の 通
り、天地創造の物語の中にこう書いてある。すなわち、
﹁それで人は、すべての家畜と、空の烏と、野のすべての獣とに名をつけた﹂
(お﹀
言語を通じて彼はそれらを認識し、世界と現実にコミヅトしていったのである。言語を介して、彼は力を獲得する。
訳註(ロ﹀
同様の記述は、神とヤコブやモ lゼとの関係についても見出されるlーー但し、この場合には、方向が逆になっている。
訳註(日)訳註
(U)
すなわち、神は、自らに名前を付けていないのである。神は把握し難く、支配し難い。これと同じ考え方は、オデユツ
セイア l の第九歌の中にもある。﹁おそろしい暴虐の輩﹂であるキュグローブスが、オデュッセウスに﹁お前の名前が
北法3
5(6 ・5)6
9
3
訳註(日)
(
T
v
y
g
mユロ)﹄(リヒアルト・ヴァ 1
何というか、今すぐ俺に言え﹂と問うたときに、彼は﹁誰でもない、というのが俺の名前だ。なぜだと言って、皆が俺
訳註(凶)テーマ
を、誰でもない、と呼ぶからだ﹂、と答えている。同じ主題は、﹃ロlエングリン
グナl百円吉正当高日るでも鳴り響いている。すなわち、
訳註(口
V
ことば訳註︿刊日﹀
﹁私がどこからやって来たか、またどんな名前でどんな人間であるか、決してお前は私に尋ねてはならぬ。知りたい
と思ってもいけない﹂。
これらに加えて、﹁初めに言があった﹂というヨハネによる福音書の冒頭のことばも挙げるならば、宗教的神話にあ
ハ幻)訳註ハ印)
オルド 1
つては言語はすべからく存在の秩序窃巾吉田OLロロロ巴の中において最も高い地位を占めている、ということを思い知る
であろう││かくして我々は、︹我々の上に及ぼす︺言語の力をなにがしか感じるのである。
例えば、またバンパラ(即日SEZ﹀という西アフリカの部族においては、言葉(巧CHZC と 事 物 ハ 巴 品 名 と が 一 緒
(お﹀
g母 宅23)となる、と考えられているという。すなわち、
に結びついて、現に存在するもの(印包
シンボル
シンボル
Z2﹀、名付けられて 932・
町
﹁その謂は、事物が現に存在するのは、それ以前に暗黙のうちに記号表示され守2 丘
巳nrg) によって呼び出され、存在す
ロ同)いるからであるということであり、それらは名前 (ZB
(N
白 与や記号・象徴
訳註(初)
ることになる、ということなのである。一方、事物それ自体(生まの事物)などというものは、知られていない。︹事
0
巳るを獲得するのである。聖書は事
物が存在するのは︺森羅万象 (CE4巾
2cB) の﹃種子(︹ωSDF02)﹄ないし源とでもいうべき人間の意識において以
外にはない、というわけである﹂
このような信仰(信念)に拠るならば、事物は﹁一言葉﹂を介して初めて存在
(止血同
岡田同
22H HMgHES
ω
(
(Eこ日││訳者﹀﹄と言われた。す
態をまさにそのように観ているのであって、︹世界︺創造行為は、﹁神は﹃光あれ
(剛山﹀
ると光があった﹂とか﹁神はまた言われた、﹃光の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ
ロ
演
講
北法 3
5(6 ・6) 6
9
4
(却﹀
SE5252BEEiEH25目白ゲ2巳田l
l
l訳者﹀﹄﹂などという言葉として行なわれた、としている。神は、 LE
(︹そう︺あれ、成れ、生まれ出でよ、 かくあるべし、 かくあれかし)食という言葉を発語する必要があった! ﹁造物主
︿担﹀
w
訳註︿幻﹀
の
霊
一
︿ωE
口 1巾円。巾品目同)﹂が五旬節の日に言語の奇跡という形で啓示されたのも、同じ意味合いを持っている。ゲーテ
(。。帽子るは﹃ファウスト (
35C﹄の中で、この経緯を文学的に表現している
ところでここで一息入れて、ヨ︿巾円七という表現は︹ラテン語の二2Egz という形では︺﹁言葉(話。ュどのこと
(n)
(HM02
どという表現に﹁︹創︺作者
であるが、 ドイツ語ではなによりもまず﹁動詞(吋位tmF巾伊丹田君。三﹀﹂を意味するものであることを、思い出そう。言葉
訳註
の持つ創造力は、ここにもまたいくらかは見て取れるのではないだろうか。﹁詩人
℃同巾叫)﹂という意味があることもまた、ここでの考察の枠内に入る。以上の事実は全て、言語学のもたらした認
70
口
門mM﹀
そ、小さな子供でも、前に一度も聞いたことのない文︿命題)を作ったり、理解したりすることができるのである。同
様に、我々は皆、無限に多くの文(命題﹀を作り、 また理解できる。
名前や言葉の神話
ハ
M)
そこに存在することになるのである。やはり聖書から見ていくことにしよう。すなわち、
訳註(川品)
多い。︹それには、特別の事情がある。︺すなわち、命名することによって人格(司2
mOロ)は現実化され、呼び出されて、
訳註︿明ω﹀
これまでの話からも分るように、︹言語の創造力という︺この現象と直面するのは、名前を用いる場合であることが
I
V
﹁わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ﹂。続いて、十字を切って祝福する場合の﹁父:::ハと子と
北法3
5(6 ・7)6
9
5
ω
(
識と実に見事に整合する。すなわち、言語に関する驚くべき事実、その決定的特徴とは、その創造力である。だからこ
言語と法 (SpracheundRecht)
演
議
︿お)訳註(お)
gg 号∞︿え巾2:::)﹂という決まった言い回しがあり、更に﹁ふたりまたは三人
聖霊):::の御名において Q B Z印
M内
訳註(幻)メル己エ
が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである﹂という︹イエスの︺言葉がある。
C
訳註ハ叫
名前が現実的存在(実存﹀(何 52N﹀を生み出す。名前、それは人格そのものである。
訳註(団副)
この脈絡で思い出されるのは、﹁がたがたの竹馬小僧(河口百℃己主 -Nnyg)﹂の御伽話(童話)であり(﹁ほんとうに、
ミサ
うまいぞ、 おれの名が、 ルンベルシュテイルツヘンハがたがたの竹馬小僧﹀ということを、だれも知らないのは!﹂﹀、
また
﹁主なる神が彼らの名前を呼び賜うたので、彼らが皆生まれ出でた﹂、
という民謡の一節である。
M
ハ5
﹁然るべき言葉を知り、然るべくそれを用いた者が、事物を手に入れ、これを支配することができた﹂、
という考え方が現われている。
リルケ(担}}日﹀は、その詩の中で同様のことを、﹁私は人間の言葉が恐ろしい﹂、と詩的に表現した。
言語の持つ創造力に関する示唆は、宗教の領域に多く見出される。例えば、洗礼の際に唱えられる言い回しゃ、聖餐式
訳註ハmuv
で︹聖餅や葡萄酒がキリストの血肉に︺化体するときの文句がそうである(この﹁これはわたしのからだである 92
巾
回
同n
W53F5)﹂と詑って、
﹀﹂というラテン語が、意味が理解されないままに﹁ホ iクスポ iクス(出O
O
H5
匂 g25
(幻)
訳註︿初﹀
正真正銘の呪文になった﹀。しかし、日常語の中にも、その例はある。﹁名状し難い不安吉田Bg]O由巾﹀ロぬえ﹀﹂(すな
frz
仏国片手
2 4 2岳gど と か ﹁ そ れ に
BEg-。田市宮印印凹巾)﹂(すなわち、手に余る、処理し切れない量)
わち、打ち克ち難い不安﹀とか、﹁言語を絶する量一 (
タプー
という表現があるではないか。︹更に︺﹁禁忌﹂、すなわち﹁それを言うな
北 法3
5(6 ・8)696
言語と法 (SpracheundRecht)
触れるな(触らぬ神に崇りなし﹀(ユF2Enzrzロ﹀﹂とか﹁言わぬが花(ロロゲ2ロ﹃
g
)﹂とか﹁トイ、トィ、トイ
g ロ自由ロ55 吋巾正巳田宮山口宮﹀﹂などとい
訳註(汎)
03
回高ユロ(概念﹀宗という言葉が、一万来、何を意味していたの
O-WHo-wEC﹂とか﹁鬼と言えば︹鬼が来る︺(噂をすれば影がさす)(者
(円
った言い方を挙げておけば、それだけでもうよかろう
ハ鵠﹀
訳註︿
MM﹀
か(﹁把握︹すること︺、掴むこと﹂)ということにも、注意を促しておきたい。言葉は今日でもなお、﹁呪文﹂になるの
である。
このような名前や言葉の神話は、現代の法律言語についてもなお指摘することができる。例えば、代理行為につい
仏
訳註(犯)
g Z回目g
)﹂という言い方がなされている(ドイツ民法第一六四条)。言挙げされた
岡
巾B
て、﹁他人ノ名ニ於テ (
5片
仏 0
2
22N2)﹂とか﹁国民の名におい
名前を介して、法は本人(被代理人﹀を支配することになる││すなわち、この者(本人)が、法川権利関係の中に実
gg
訳註ハ引制)訳註ハ犯)
在化(現在化)(巾江田窓口同)されるのである。﹁法律の名において Q 5 2 白
仏
w巾印)﹂︿ドイツ民事訴訟法第三一一条第一項)という表現も、同じものである。
︿o
て Q B ZH
白H
M
g2
認識手段としての言語
オルガlン
訳註(お)
これまで述べてきたことの裏には、今一つの含意が潜んでいる。すなわち、言語は叙述の一手段であるのみならず、
ハーモユ 1
認識の一つの装置でもある、という意見である。それは概念(把握﹀の組み合わせであって、これを用いることによっ
て、思考や世界の認識が可能となるのである。すなわち、
0
﹁言語はオルフェウスの唄にも比せられるものであり、怒議逆巻く思念や形象の海に、秩序と調和をもたらす。言語
(m
却)
なくして、それらが形をとることはない﹂
北法3
5(6 ・ 9)697
V
(川判)
0
﹁その際、諸国民の言語は、異なったカットのプリズムのような作用をする。話者は、それを通して、世界をそれぞ
れまちまちの姿として眺めることになる﹂
このことは、我々の日常的経験からも知られる。すなわち、我々はよく﹁自分の言葉で言え﹂と言ったり、聞いたり
訳註門幻)
するーーなぜなら、そうすることによって、それが自分の精神的財産になるからである。﹁教えることによって学ぶ
(
仏
。
口
巾
ロ
門
出
門
町
印
門
戸B5)﹂という命題にも、同様の考え方が反映している。以上のことから読み取れるように、我々は自
分たちを取り巻いている世界を、言語を通じて認識し、秩序付ける。聖書もまた、そう述べている。蓋し、神の最初の
訳註(お﹀
( H U﹀
発話行為が作り出したのが光であった(﹁光あれ(岳民FH﹀﹂)というのは、こう考えてくると、実に象徴的ではない
か。一言語が、世界を見ることを可能にするのである! 法概念についても、事情は同じである。それらは﹁心(精神)
ハ同悩﹀訳註︿鈎﹀
F
訳註
u 円
巾円。巾ロ白ゲ}巾同}戸市
- 円-m︿
が、自分が何を見ているかを理解することを可能にする唯一の心(精神﹀的装置守 自巾ロg
市﹁巾ロ門目当r白同仲仲田巾巾凹﹀﹂なのである。
自ELEgB宮
言語が創造したものとしての法
ハ“)
については、やがて述べる)。法概念や法観念は事物の世界に対応物を持つてはおらず、大抵の場合、言葉なしでは自己
岡山巾口宮)は、﹁言語による拘束を受ける公官同 nym巾
ZEg)﹂(これは、慣習法にはすぐには当て蔽まらない││この点
る(回同 2 0ロ
同Z-0050ご白ロmEmZE仲間]二宏司 24CD)﹂。なにはともあれ、実定的制定法(含由吉田正︿巾 m22NZ
︿
円
相
﹀
定︺法的な諸々の概念は存在しないからである。﹁法︹律︺が紡がれるのは、全て言語という紡績機の上でのことであ
(刊)
言語のこの創造力、認識能力は、法にとってはとりわけ重大な意味を有している。なぜなら、言語を離れては︹実
羽
演
講
北法3
5(6 ・1
0
)6
9
8
を呈示することができない。それらが存在するのは言語を通してであり、また言語の中にである。このことは、
﹀
真実を語る325去円巾吋巾︹というラテン語に由
訳註ハ4
)E(
遣い自体から知られる。蓋し、岡山内口宮(法﹀は=5Em2-vHcnZR仇される(語られる、判決される)ものであり、
ZMN2ZZ官己円﹁ハ判決、法の宣告﹀=やこ42E2ハ陪審員の評決
来する単語︺)や乙百円回全円片山。ロ(裁判 )2で明らかにされるものなのである。
言語と法との結び付きは、その他の言語的文学作品における以上に緊密なものである o なぜなら、言語は普通には思
念を表現するわけであるが、法は種々の概念(口 Oロ21乙を扱うからである。思念はさまざまな表現が可能であるが、
法概念は厳格な言語的限界を持っている。この見地から、今日、噺笑の的になっている﹁概念法一学(回品ユロι52
・
官己仏gN)﹂に対して、新たな光を当てて然るべきであろう。ドイツ古法の言語的形式主義、すなわち特定の言い回し
︿
江
川
﹀
を用いる義務にも、ここから新たにアプローチすることができる。︹特定の言い回しの使用という︺この条件を欠けば、
)0
﹁言葉のないところに法はない﹂という観念が、その背景にあったと考えられる。
いかなる約束も損われる(尤も、今日では正反対に理解されている。すなわち﹁表記の誤りは妨げにならない公主E
rgoロ回同門主。ロ。ロロ。2C﹂のである
この考え方は、例えば、支配権(HMgrcZ﹀は明示的にのみ、これを授与することができる、とするドイツ商法第
訳註(位)
四八条に、なおいささかなりともその痕跡をとどめている。言葉がなければ支配権なし、というわけである。﹁官吏関
同
ε は成立
∞2cEロmE仏SHW28同32FUZE凹)﹂という文言なしには、また、官吏
係への任用(召し出し)により(Z22
訳註︿必﹀
25芯吋)は存在せず(ドイツ連邦官吏法第六条第二項)、﹁誓う(回忌耳pg﹀﹂という言葉抜きで宣誓(目
訳註門川叫)訳註︿必)
訳註(灯)
訳註
(MW)
ツ手形法第一条第一号によれば、﹁手形(若宮古己)﹂という表現についても、同じことが言える。この言葉の力がもっ
とはっきり現われるのは、占有なき質権を禁ずるハドイツ民法第一二O 五条﹀かわりに、譲渡担保3FnrmEロm5
,
由 22m
北法3
5(6 ・1
1
)6
9
9
葉
∞
(しない(ドイツ刑事訴訟法第六六条のc第一項と第二項ならびにドイツ民事訴訟法第四八一条第一項と第二項﹀。ドイ
言語と法 (Spracheund Recht)
ロロロ巴を云々する場合である│1lこの法律行為はすでに正規のものと認められている。︹これらは所詮︺言葉の遊び
訳註(日明﹀
田
町
巾 cr22mロ
︹にすぎないもの︺なのだろうか。同様の事情は、ある譲渡行為釘2ユ
ロ
ロmEE巾)が︹ドイツ民法︺第
]
F
n
r巾 関白口。包印F
2
︼守白円﹁
回目U
九二九条や第九三O条や第九三一条など︹の要件︺を充足しているかどうかを検討するところにも認められる。︹これ
訳註(品開)
らは︺呪文なのであろうか。それよりは、むしろ﹁言語の厳格な正典化 (
︹
江
口
巾
︺ 回
同
吋
巾
ロm巾
ロロ巴﹂というべきものであろう。
タプー
だが私は、言語を離れては法は存在しない、とまで主張するつもりはない。言葉に出して表現されはしないけれども、
現に何らかの舵取り効果を持ち、 また持つ筈だとされている禁忌があちこちに見出されることが、その反証となろう。
︿ M叩 )
先の極端な立論は、慣習法の存在によってもまた崩れ去る。しばしばそれ(︹慣習︺法)は、 まっすぐ(あからさまに﹀
訳註(印﹀
口に出して言われるのではなく││言葉として定式化されず11i︹事実︺関係自体の中に現われているのである。しか
一つだけは確実である。すなわち、言葉によって運営される傾きの強い我々︹ヨーロッパ︺の文化においては、言
訳註(日)
さ ま ざ ま な 法 的 表 現 の 語 源 ︹ 学 ︺ ( 何q
EoFEO)
J
匂
=
L
.
﹂
︼
巾
肉
包
凹
と‘=w
E
訳註(凹臼ω ) ( U
﹀
(な﹃。円)=において、この二つの言葉の聞に存している語源的な結び付きをフォローしてみるのも、面白い。最初の示
阿
へ
恥
語
の
︺
y
w
=
w
﹂巾
}r
E や、︹ラテン
﹁法﹂と﹁言語﹂を意味する︹ヨーロッパ語の︺言葉、例えば︹ドイツ語の︺wwmmnzzと=ω官印口Z
V
I
I
本講演の︹考察の︺目的のためには、これで十分であろう。
語と法との聞には非常に緊密な結び付きがある、ということである。 一方が他方に︹相互に︺影響を及ぼすのである。
し
演
講
北法 3
5(6 ・1
2
) 700
言語と法 (SpracheundRecht)
2y
ピネ
1γ
冒
γ
唆としては、﹁法律(の22N)﹂を意味するこrHZという︹ラテン語︺の単語は、結び付き方次第では、wwrH-woロ工
すなわち﹁語嚢(君。﹃門)﹂のことをいうことにもなる、という事実がある。実際、両者に共通した語根は︹ギリシア語
(必)
の︺Lam-DQh
3
)工であり、これには﹁話す令官巾口宮口)﹂という意味もあるのである。︹ギリシア語の︺=-oぬ2
﹃
Cや qGEという言葉も同じような語根から派生したものであって、これにはll本講演の問題の脈絡では重要なこと
(品開)
だがli ﹁考え(の包白ロ互﹂という意味(こ戸晃子︿論理学、ロゴスの学)ごの場合がそうである﹀と﹁言葉︿ぎる﹂
訳註(臼﹀
という意味がある。こ︼巾凶Zすなわち﹁法律(の22N)﹂、し巾mZロ(訳する=すなわち﹁話す(42nyg﹀﹂、Lomg
訳註(目凶)訳註(町出)コシピネ
訳註︹間山﹀
∞
三 Ngm︿定款、規約、会則 )E│!
)E13
この2巾門N(法律)Zという組み合わせ
luv ヨ ン
℃Eny司﹀と考え(の包gr巾)とは、あるものから他のものへと︹いつの間にか︺移行(推移)していく関係に
。々。の)hfすなわち﹁考え/言葉(の包白島之さOHC﹂という三つの単語を横一一線に並べてみるなら、法律(の巾凹巾円N)と
言語
(とが見て取れる。=rz(文、命題
あるω
こ
訳註ハ閉山﹀
山)
(m
訳註︿四四﹀
ゃ、=同耐え巾(発話)Zとwwm2Z(法)ZないしZH包ごロ﹃(まともな、実直な、誠実な)ZとこZnyEny(法的な)=と
の﹁内的(論理的・言語的)親縁関係﹂も、 また、同じ方向を示して呉れる。
︹サリカ、 リブアリア、 アラマンの各部族法典やカ l ロリンガ l ・フランク時代のカピトヮラ lリ ア や 証 書 類 に 見 え
︿日)
内E
R ないし ご百円尚一出口工︺(語る HEg)、︹古高ドイツ語
wg田市-
訳註ハm
四)訳註
ω
(
﹀
色町)との間に内的(論理的・一言語的)な関係があることを典型的に示している。uwm2Z
(HN
北法 3
5(6 ・1
3
)7
0
1
る中世ラテン語の︺=自己Z由主とか︹古高ドイツ語でこg出E-丘四円=と表記される︺=富田rrsRRとかいう言葉は(﹁裁
︹
ゴ lト語の︺=5白川市ご阻止h︹古ザクセン語では=自由﹃同一宮口2.
判所(の2F口宮)﹂のことであるが)、︹ゲルマン祖語推定復元形の︺=︹35白zkh︹もしくは同じく江B担当白土(wwqhは
wwggzhJ 古英語では
英語のこ同町民同様、︹③︺と発音する)︺(話河内仏司)
は、法(同州27Cと発話
の︺コ自由E-22︹もしくはこ自由EZRJ(話す∞℃Enrg﹀に遡るものである。相互に類縁関係にあるこれらの言葉
古アイスランド語では
や
(法)=という言葉から=ュロ宮g(真直ぐにする、
(凹尚﹀
﹁建設する職人(85可5 5 S 宅OHrsg﹀﹂すなわち﹁創造
ww
裁判をする、判決を下す、審く )2・ 巾口Fnzg(立てる、建てる、
設立する、作成する、創設する﹀=という語葉を経て、
訳註︿間同)
)Eをも参照されたい)。このような語義は、今日、神がきっとそれをごユnzgごされる(立てられる、ち
訳註(山山﹀
者(ωnrsrH)﹂を意味する英語の =耳ユmZ(工人)=に至る系列を考えてみれば分るであろう(ドイツ語のご三円rg
(作用する
以上の
訳註(町田)
E という││畳語的な(円Ezrm-25111表現を挙げて、
ゃんとされる、裁かれる)であろう、 という言い方をする場合にも、なお名残りを留めている。最後に、=znr昨日目nrc
・
122nr︿立法者の、法創造者の、法を創造する﹀
輪舞を││一たんll締め括ることにしよう。
︹﹁法﹂と﹁言語﹂という二つの語葉が、ヨーロッパの言語においては︺共通の語源︹を持っているという事実︺は、歴
(日﹀訳註(山田﹀
史の流れの中で、言語の生成︹と構造︺(﹀5ZEEm)が諸々の規範の起源を条件付けてきた、ということから説明で
ヨミユニケ luvヨ ン 訳 註 ハ 臼 )
きょう。当然のことではあるが、実定法(法律)は言語を用いて作り出され、もしくはそれによって表現される考え︹で
あり、法は言語と意思疏通の社会的な一大体系(mga2m2巾FnEEFnF2ω七片山口 yaロロ仏関OBEE-w田氏。ロ回目uBgB﹀︺
であると理解されてきた。言語の玄義(秘密) への導入としては、以上の説明で十分であろう。かくして我々は、法に
とって言語が持つ意味を追究することになるわけである。
言語と思考
(
口
ぢ
∞czrZECは、﹃歴史教程QZECB仏2C2nE口宮巾)品と題する著書の中で、
Q件。σ
﹁あらゆる文化(文明﹀の頂点に、言語という精神的(文化的)奇跡が存在している﹂、と述べている。﹁言語の数だけ
ヤi コ プ ・ ブ ル ク ハ ル ト
四
演
講
北法3
5 (6 ・1
4
)7
0
2
言語と法 (SpracheundRecht)
たくさんの心︹情︺
。拍﹀
(E2NF︺﹀を、人は持っている﹂ともいう。言語が各国民(民族)の精神史(思想史)に及ぼし
ている反作用は﹁絶大である﹂︹とブルクハルトは言う︺。要するに、言語が思考に影響を及ぼす、ということがここで
示唆されている。すなわち、﹁一言語の中に、人間の精神︿思考力)の構造が敷設されているのである﹂。
訳註(四回)
法律家にとっては、︹これは︺何ら驚くような言明ではない。蓋し、直ちに彼は、聾唖者が︹不法行為︺責任の点で
口
}
ニ
デ
特権的取り扱いを受けるべきことを定めたドイツ民法第八二八条第二項第二法文や︹一九七五年の改正以前の︺ドイツ
訳註(町山)
︿
﹀
日
刑法旧規定第五五条を念頭に思い浮べるであろう。詩人にとっても、これは当たり前のことであった。シラ i
(貯﹀
ω
(
]巾同)は、﹃奉献の表(吋与己完︿。同庁︿白巾﹀﹄の中で、﹁おまえになりかわって詩作し思索する洗練された (
ぬ
巾
ゲ
ニ
門
目
巾
円
)
(町四﹀
語﹂という言い回しをしている。我々の日常的な経験の教えるところでも、﹁文体を改善することは、すなわち思想を
改善することである!﹂
︿
m叩 ﹀
言語と思想は一体をなしている。言語上の形式は、思想の性格それ自体である。我々は自己の経験から、言語が持つ
﹁精神的エネルギー﹂︹の存在やその何たるか︺を知っている。言語は、我々の思考を推進させる。例えば、或る詩や歌
の正確なテキストを思い出すことができないときには、とにかく唱え始めるか歌い始めるかしてみようーーするとたち
まちうまく行く。同様に、家族的なパーティーで即興詩をものするときなど、考えの進行が、どんな押韻を使えるかと
ω
2dz-MEロmpuHω 宮田口﹃叩﹀﹄
rs丘一ロロmCM混同仏
(
﹀r
いうことにどれほど依存しているか、諸君も覚えがあるであろう。言語の構造は、我々の思考に対して渦巻的吸引作用
問者町}円ロロぬ﹀とでもいうべき力を持っているのである。
(
ω
o
m
2P乙が﹃言語の起源に関する論考
これはまさにへルダI(国
で、またグィルヘルム・フォン・フンボルト(者ニ﹁巴
2 5ロ民ロ自ゲ。]門5 が﹃人間の言語の構造の多様性ならびにそ
れが人類の精神的ハ文化的﹀発展に及ぼした影響についてハcr日門戸広︿22Z&gZ広 島2ggzE芯73ω 官国各自
北法 3
5 (6 ・1
5
)7
0
3
モ三子
﹀
門凶
ω
(
(位)
Z5田口口︽ごF
H
mロ何回口問zag門会内ぬ巴目立∞巾肘ロHJZnEgm 2EgmnygmgnyrnFZ)﹄という著作で展開している
2 2 ゲ己仏g 仏巾。品白ロ仏2 。色白ロ・
訳註
言語哲学にほかならない。フォン・フンボルトは、言語は﹁思想を形造る装置
(町田﹀
) も同じように見ている。
白
己
回
目
ロ2
(印叩﹀
訳註 (
ω
)
訳註(引は)
m
m ﹀(山田﹀
訳註(初﹀
言語依存の原理(印宮REorg 同巳釦片山﹂﹃目安田官ENf ﹀
を暗示している。言語は、我々の思考を決まった軌道の中へと、操縦するのである。
医
先行する︹へルダーやヴィルヘルム・フォン・フンボルトや︺ エドワード・サピア(開仏当白同円四 ω 国 立 円 ) の 業 績 を 踏 ま
門的)
声、話、一言語)=一)
界像なのである﹂。﹁民の声は神の声合 O
r ︿O H L色)﹂という格言は、この脈絡(こ︿ O M (
凶吉宮-
巾)の世
な人間悟性(健全な悟性を備えた人間)が抱いている世界像は、実は、我々の母語(母国語)(官三件2m 可Zny
(白山﹀(同町﹀
ngzE2とを持っており、﹁形造られた世界像﹂なのである。﹁我々が自然な世界像と呼んでいるもの、すなわち健全
像、﹁言語共同体の中で形成されてきた世界観﹂を伝えてくれる。つまり、言語は﹁世界像としての性格(巧己手ニ午
三一言語の)中に﹁人間の精神(思考力)の構造が敷設されているのである﹂。言語は我々に、歴史的に生成してきた世界
ω
(々は、言語を通じて、歴史的に既に用意されていた正典的形式 Q25白
Fgoロ) の 中 に 組 み 込 ま れ て い る 。 そ の
我
ル
世界を受け容れる。すなわち、﹁我々の中で、言語が考えるのである﹂ o ヴアイスゲルパl(宅氏品2Zる や ソ シ ュ l
(白山)︿
は、﹁世界を見る観方自体の多様性である﹂。言語を習得することを通じて、我々は無意識のうちに、言語共同体の思考
て、それまで知られていなかったこと[真理(真実)(若田
r
z
x
)
] を発見する︹道具な︺のである﹂。言語の多様性
ZE)﹂である、と考えた。それは元来、真理(真実﹀を叙述する道具︹にすぎぬもの︺ではなく、﹁それを遥かに越え
演
議
北 法3
5(6 ・1
6
)7
0
4
(
η
)
えて、とりわけベンジャミン・リ i ・ウォ l フ(∞SYSEC
刊さroL) は、言語の構造が思考構造に対して有する意
)o彼は、あらゆる思考の言語的背景一を明らかにする。︹それぞれの︺言語は一種の論
川)訳註
(m
メカエズム
53mg2色gF2mmzgg
理学(ロゴスすなわち言葉と思考の学 1 1訳 き で あ り 、 関 係 付 け の 一 般 的 な 枠 組 ず
である。言語は、それによって、言語を使用する者の考えを形造る。人間の思考は、無意識の機構によって操縦されて
いる。︹以上のように、 ウォ i フは考えるわけである。︺
訳註(刊川)・ヘルゾ
1y
カテゴリー
﹁これらのモデル(宮5gるは知覚されていない繊細なシステム的モデルであって、他の︹言語の︺それとは異なっ
タイプ
ている。そこで文化的に決定されているのは、人間が自分︹の考えや感情︺を表現(伝達)する仕方や範曙だけではな
カテゴリー
(η
﹀
ぃ。自然を知覚し、︹一定の︺関係や現象の類型に着目し、ないしはそれを無視し、彼の思考を形成し、その意識を創
り上げる仕方や範曜もまた確定されているのである﹂。
﹀
ウォ l フは、すなわち、文法とある文化の一般的性格との聞の重要な結び付きを、言語依存の原理とでもいうべき意
味合いで捉えるわけである。
だが、この見解に反論がなかったわけではない。呈示された証拠(主として、北米インディアンの言語から︹のも
のりは有無を言わさねものではない、 という留保が屡々付けられる。批判者たちは、︹ウォ lフ の 説 の ︺ 基 礎 に あ る
ーーと彼らは言うーーー、言語の外に思考はない、という推定に対してもまた異を唱える。︹ウォ l フの︺擁護者たちも
また、説得的な実証も二、一二ないではないが、︹全体的︺脈絡は証明されたものというよりは、そう感じ取られたとい
訳註︿
MH
﹀
ハ沼﹀訳註︿布)
う程度のものである場合が多い、ということを認めている。今日、言われるところでは、言語の構造は、なるほど精神
の逃れられない牢獄ではないが(数学や簿記や﹁PAseAL﹂ と い っ た サ ブ 言 語 包 ロ 官 官 2 7 $ が現に存在してい
ること自体、そのことを証している)、しかしそれはやはり強い禍巻的吸引作用にも似たものを生むのであって、それ
北法3
5(6 ・1
7
)7
0
5
味を解明した(﹁ウォ i フの仮説﹂
言語と法 (SpracheundRecht)
演
に巻き込まれずにいられる者はほんの僅かしかいないので札的。今日の研究状況を要約するとすれば、
れた答案﹂ということになろう。すなわち、
グンポル
一つの﹁緩和さ
﹁全ての人聞の思考は、用いる言語システムやその意味論的合巾百回E-25 構 造 の 持 つ 表 現 可 能 性 と い う 所 与 の 条
(02EH) を取ることができる。 その限りで、 それはこれらに ﹃ 依 存 し て い
のである。 高次の抽象的思考は、 人 工 的 な 記 号 シ ス テ ム を 作 り 出 す こ と に よ っ て 通 常 言 語 ( の 守
νベ
ル
件に即応することによってのみ、 形
る
(
同
巾
]
白
門
戸
︿
﹀
﹄
(円円)
る
﹂
。
﹁
言
言語と評価
訳註︿
臼
mm)
(布)ハ河)
柏町
訳註︿明
H)
(明川)
∞EZH)﹂とか﹁純毛
公立忠君。]}叩)﹂とか
(非合理的)表現内容との双方を同時に決定する一つの社会心理的
zらとの双方に同時に働きかける。
ある。言語は、我々の感性︿のえ53 と意欲(君。
(刊同﹀
事象・現象予与
評価しもするからである。こうしてそれは、﹁世界の評価(巧岳σ22
ユ
g
m
)﹂とか﹁精神的(思想的)整流釘巴在官
の
a
n
z
w
Z
E
M
m﹀﹂とでも言うべき効果を持つことになる。個人は、言語が予め規定しているように︹世の中の生まの︺
M
g
M
g
m﹀を整序するだけでなく、同じようにそれらを日評価し感得するなS15辛口﹀ ので
g2}
EP50町民などとか﹁総会ハ︿o--22EEEロ巴﹂という言葉から既に窺われるように、言語は
﹁人民民主主義(︿。-
ではない。なぜなら、﹁全乳(︿。zEFZ﹂とか﹁良質のバター (
ぬ
己
門
巾
このように︹その時々の︺言語は、まず第一に思考を制約しているが(﹁言語の思考に対する影響︹力︺﹂﹀、それだけ
X
B
m
E
H
V
H白
ロ
ゲ
巾
﹀ から解放され得るが、 だからと言ってそれによって完全に言語に依存しなくなるわけではないのであ
議
北法3
5 (6 ・1
8
)7
0
6
言語と法くSpracheundRecht)
(問問)
な力である﹂。
つまり言語は、思考の形式的な構造のみならず、思想の︹実質的な︺内容に対しても、影響を及ぼすわけである。な
グアリ
51MY宮シ
ぜなら言語は、或る文化において何が重要(耳目印g
Eny) と考えられており、何がそうでないかを決定しているから
である。それは、語葉や能動・受動形や時称の持ち合わせやその変化の幅を通じて、これを操作する。すなわち、
﹁母語(母国語﹀の中に生まれ育った個人は、音声の構造物色各国戸m
mEEる だけではなく、それに付属する精神的
(思想的﹀内容をも同時に築き上げる﹂。
言語は決定的な精神的︿思想的)力である│lこのことは、言語と法とが緊密に結びついているために、法について
は特に当て俵まる。なるほど法は言語を使用する。しかし、言語︹の力︺は法︹の力︺よりも強く、法を形造る力とし
︽町山﹀
てこの中に作用を及ぼしているのである。こうして、﹁法用語の地理学(問2Z問看2GgmgZ5)﹂とか﹁法言語の地
(的叫)
一つは、ドイツ語
理学(月2ZZ官
mgmEZF巾)﹂などという言語学者にはお馴染みの概念に既に示されているような地理学との関
白口r
係が生じてくるわけである。
幾つかの事例
言語が法に及ぼす影響は、 ドイツ法とイングランド法についても観察できる。その重要な相違は、
にあっては 111
英語の場合と異なりll屈折(変化)一語 QFEF2芯巧合同四るを用いる、というところにある。すなわ
ち、先行する単語の語尾がしばしば後続する単語に応じて変化し、その語尾が文︿命題﹀の意味を決めるのである。他
方、英語では、意味は単語の位置︹関係︺によって確定さ九問。ドイツ語のもう一つの特徴は、過去分詞が文末、動詞
ゴ
ヒ
法35(6 ・19) 707
3
司
が従属節の末尾にくることである︹いわゆる﹁枠構造︿列島B222E5ど を 形 成 す る わ け で あ る li!
訳者︺。この特
訳註︿刊巾)
性から、文を予め計画しておくことが必要となる。ドイツ語作文は、予め︹文を︺構成しておく不断の練習であり、組
織トレーニングである。
ドイツ法がイングランド法よりガッチリと組み立てられており、後者は︹前者より︺﹁ルーズだ 02r 2)﹂ という
円
巾
Z
BErm-感想をドイツ人が抱くのも、 不思議ではない。それはおそらく、 イングランド法には=mo主主任︹八
訳者︺(信義誠実)亡とか Z25匂匂巳(禁反言)=とか w
kcm同(信託 )Eな ど の よ う な 、 ド イ ツ 人 に は ど ち ら か と 言 え
g﹀、専
ば腰昧と思われる概念がある、というところから来るものであろう。これらの概念は普通の言葉であって守口
テキスト
日本人の野田
(Z。仏印)︹良之教授)が﹃日本法概論 (円口同円。仏同Hnzoロ件。﹄印刷)白ロ巾印市戸田君﹀﹄
門山田﹀
門用語としては余り磨き上げられてはいないのである。他方、厳密に研ぎすました概念で法律を作ると、長い難しい
文章になってしまう。
このように考えてくると、
ヨーロッパ ︹語族に属する︺諸言語は、 日本語より造かに論理的な構造を持っている。日本語は、論理的議論より
という著書の最初の章で、 日本語について議論を展開しているのも、何ら驚くに価しない。彼の述べるところによれ
(司
にこう述べている。すなわち、
0
野田︹教授︺は、人間の思考はその考えを表現する言語の決定的影響を受ける、とする言語学説をはっきりと承認す
いうにすぎない﹀
訳註︿均﹀
﹁日本人の思考の内に論理学の入り込む余地はない﹂(但し、 ヨーロッパ的な意味での論理学について、そういえると
︿町田﹀
0
2
-巾﹀の言語とでもいうべきものであって、学問の言語ではないと言う。別の著述家たちは、だから、簡短・簡潔
は、情緒を表現するのに適している。事物聞の論理的関係を表現するのには、それは余り適してはいない。それは文芸
t
ま
演
議
北 法3
5(6 ・2
0
)7
0
8
言語と法 (SpracheundR
echt)
コミユ一日ケ1 シ ヨ シ コ ミ ユ ユ ケ
iuvgy
る。複数の人間が全く異なったところから出発して同一の結論に到達したことこそ、この学説の正しさを証明する強力
な徴患(間接証拠)の一つである。
更に今一つ、言語的条件の相違がある。それは、すなわち、言語による意思疏通と言語によらない意思疏通との割合
訳註︿卸﹀
は︹その言語文化ごとに︺違っていることが多い、という事情である。我々︹ヨーロッパならびにドイツ︺の文化は、
物事を口に出して言い表わす傾きを持っている││アメリカ合衆国では、更に強い。他の文化にあっては、事情は異な
コミユコケJシヨシ
る。例えば、日本では、語られるものと語られぬものとの割合は一対九程度であるとされており、語られた言葉は、人
間同士の意思疏通という氷山のほんの一角︿頂点﹀でしかないのである。すなわち、
0
﹁立場の表明は、言葉によってなされるところが少なければ少ないほど、 丁寧で礼儀に適っている (
Zと与5mZ色目
( M凹 )
nymH
﹀、と一般に考えられている﹂
似たような相違は、質問を直哉口にするか、腕曲に呈示するかという住方にも認められる。
比較法学のための理論
さて、以上述べきたったことは全て、言うまでもなく、法の比較に携る者にとっては、非常に重大な警告なのであ
る。蓋し、一言語によって、言語の形で存在している法という対象︹物︺が別の言語に移し変えられるというのは、如何
なる事態なのであろうか。言語の構造が思考の仕方と内容を決定し、それほどではないまでもそれに影響を及ぼすのだ
(釘)
とすれば、ある言語は、文化的に異なる思想のうち特定のものしか表現することができない、ということになりかねな
ぃ。だから、ある文化の中心的な表現を適確に翻訳するのは不可能だ、ということがよく言われる。これまでの所見か
北 法3
5(6 ・
21
)7
0
9
却
訳註︿胞)
訳註(町田﹀
らして、全面的に賛成はしないまでも、この意見には聞くべきところがある。蓋し、︹何はともあれ︺我々の言語の限
訳註(幻)
界は、往々にして我々の理解の限界で︹も︺あるのである。ある法思想を満足のいく形で別の言語に移し変えることは
できないとか、それを翻訳する場合、変更・変質を免れ得ないというのは、実際、その通りなのではなかろうか。更に、
継受された法規(見2
ZmzmmC は別の言語的文脈、独自の言語力学の中に置かれ、これが意味に影響を及ぼして、そ
訳註︿山叫﹀訳註ハ筒﹀
H
の新しい概念を思ってもいなかった方向に衝き動かしてゆくことがあるのだ、という事情もある。詩︹情︺(司 O 巾)と
凹
巾
は、﹁翻訳によって喪われてゆくもの﹂と定義されることがあるが、法を翻訳する場合にも、似たような事情があるこ
とを考えに入れておかなければならないだろう。
我々、ドイツ人(ヨーロッパ人)が、これまでこの問題にそれほど尖鋭な形で直面することがなかったのは、法の比
E とか
gg同叩回口町巾巾
L巾巾凹F51巾(
回目自主巾) (単純封土権、
w
EH
nyom四 ロ
,
白
円
昨
日
。
ロ
同門口巾白ロ門同町内己円
か
﹂己巾当
語の中に在る人類共通のもの、人類の文法という普遍的な深層構造によって抑制される。したがって、言語依存の原
(川町)
ある。言語は、他の要素と並ぶ一つの要素なのである。また、言葉が多様であることの影響は、全ての文化ならびに言
(鈎﹀ファクターファクター
法を全て説明して呉れるものでないことは、確かである。蓋し、生まの現実は、あらゆる形式的体系を夜駕するもので
なるほど我々は、言語の影響力の強さが具体的にはどの程度のものであるか、知りはしない。︹だが︺言語の構造が
の表現をどう翻訳するか、ということを考えてみればよかろう。
︿
四
回
﹀
︿︹貸借対照表の︺真実で公正な内容、貸借対照表が会社の財産状態を明瞭かつ適確に表示していること)=のような英語
(mm﹀
単純不動産権)
インド・ゲルマン語の場合でも、 難しい問題に出会うことはある。
較をする場合、 ほとんど例外なく、 インド・ゲルマン語系に属する言語だけを相手にしていたためである。しかし、状
況は、急速に変化した。 また、
(無体動産、債権、訴訟請求物﹀
訳註
=
白
同20
・R2(封︹土︺譲受人、公共不動産管理人)=とかこLOSE-(本拠地、住所)工とか
と
演
議
北法3
5 (6 ・2
2
)710
理は比較法学を難しいものにはするが、不可能にはしない。蓋し、﹁依存性ハ列色白Z15
片)﹂は﹁決定論
訳註(凹む
(町出)
ハ
ワ225EU
うのであれば、将来、言語と法との関係を集中的に研究することが必要であろう。比較法学は、法言語学
関口町三内)を避けて通ることはできないのである。
H
N
R
E認め︼苫ロぬ﹀についての帰結
法 の 通 用 力(
(佃町)(削円)
(HN2rE5・
((uro
白井芯によれば、この深層構造
l人
プロト
(Z呉ロ口2ZFBUZ﹀ーのo含)﹂とでも呼ぶことのできる、遺伝子によって伝達される法的諸観念が存
在しているだろう、と考える。そして、そこから具体的な実定法の︹複数の︺体系が発達してきた、とみるわけである。
の中の自然法
がすぐに出て来るであろう。︹イギリス人の︺ベロット(
HV22口)は、この方向で考察を進める。彼は、﹁DNA- コl ド
訳註ハ∞∞)
っていることを考えるならば、︹一言語について言えるのと︺同じことが法について当て緩まるのではないか、という疑問
チョムスキーのこのテーゼには、個々の点で、異論が出されている。また、他方、言語と法とが非常に近い関係に立
してくるわけである。
︿加国)
OE-rE岡
nrgmggg白
EC が発達
類の文法(匂H
田
口
目
的ZBBRとである。 そこから、人類の諸言語の表層文法︿。宮正E
は全ての人聞に生まれつき備わっており、プログラミングされて組み込まれているのである。それは、いわば﹁原
に、本講演の出発点に帰ることにもなるような問題が出てくる。チョムスキー
ところで、全人類の文法という統一的な深層構造を射程に収めた結果、今や比較法学の範囲を蓬かに越えるが、同時
粗
要するに、
北法35(6 ・23)711
55とではなく、越え難い障壁を作るものでは決してないのである。しかし、責任ある態度で比較法学をやろうとい
言語と法 (SpracheundRecht)
﹁全ての実定法体系は、恐らく人類全てに共通な唯一の法の深層構造の表層にすぎない。︹その︺知識と習熟は、全て
(m
間﹀
?OB 列2ZFLEBX ロロ田宮﹃02ロ)﹂というゲ lテの命題が、突如として新たな
訳註
(
H
N
2
Z団関え喜一﹀や﹁法的本能 (HN2ZmE2EE)﹂に新たな光を投げかけるものであ
の人聞に遺伝的に伝えられる。この深層構造が、我々に一連の基本的義務を課するのであ的﹂。
この主張は、自然法や法感情
る o ﹁われわれと共に生まれた法
照明を受けることになる。
本講演では、この説をこれ以上詳しく検討することはできない。とにかく、言語の基本的構造が遺伝的に決定されて
しまっているとすれば、法もまた部分的にではあるかも知れないが、遺伝的に決められていることになろう。言語の法
に対する影響からいって、そういうことになる。言語によって伝達される法の遺伝的構造とでもいうべきものがある、
リズム
と考えられる。そしてそれが、言語の表層構造の違いから生ずる法体系聞の相違を緩和するわけである。
(町田﹀
この脈絡で重要な事実がもう一つあり、それを争う者はいないだろう。すなわち、韻律や比例に対する我々の感覚は
リズム
天性のものだ、ということである。そうでないとすれば、黄金分割の比率がどこでも美しいと感じられるのは、どう
説明したらよいのだろうか。韻律や比例に対するこのような感覚は、頭韻や脚韻などという形で、文化的に定着するま
でになっている。
以上の洞察は、法の通用力の根拠についても、 なにがしかを教えて呉れる。法の言語は、我々の中にある我々自身の
だ例が﹁ハ 1 メルンの鼠取り(ロ2 同耐え同角川口町位ロm25口出即日巾]ロ)﹂︹グリム兄弟(回ユ仏巾円。152 ﹀ の﹃ドイツ伝説
太鼓の響きが兵を行進させるように、法言語の構造や韻律や響きが、我々を動かす(その古典的な痛ましい結果を生ん
J
リ ズ
ム
板とでも称すべきものに訴えかける o ﹁送信機﹂は、﹁受信機﹂の波長の範囲内で送信する。音楽の律動に体を動かし、
リズム
ものであるなにか、我々の﹁精神的波長﹂に合ったなにかを鳴動せしめる。言語は、我々の中に組み込まれている共鳴
演
講
北法 3
5 (6 ・
2
4
)712
言語と法 (SpracheundRecht)
m
g
)
(U2mzmgr
g
集 (02 門閉Z
﹄には、﹁ハlメルンの子供たち (U5EZ2NC出国自己ロ)﹂という題名で収録されているll
口 ω
白
訳 註 ︿ m刊 ﹀ メ ル
訳註︿刷出﹀
EZ
関口。岳 と や
訳者︺であり、好ましい結果を生んだ明るい方の古典的な例がグリム童話の﹁歌う骨
訳註(間出)訳註︿
V
門川町)
i文化的感受性を利用する。すなわち、我々が法を遵守するのは同
m
m﹀
5005とである)。それらが法文の実効力を高めるのであり、その点ではそれら
﹁ねずの木の話(︿ OロPEEREE巾
モ ヲ Iリ ツ ジ ユ 訳 註 ( 山 田
は呪術と一脈相通じている。言語は、我々の遺伝的
調の感情からであり、倫理的義務、そう、そして喜びと感じられる内的(精神的﹀衝動からなのである。法は我々の内
訳註︿町田﹀
訳註(日間﹀
に鳴り響いており、我々自身のものである。すなわち、それは当為(﹁Jすべきである﹂)30--g﹀ の 秩 序 か ら 意 欲
g﹀の秩序となるのである。
(﹁ーしたい﹂)︿巧己
こう考えてくると、なぜ昔の法が詩の形式を用いたのかが、︹おそらく︺よりよく理解できるであろう。主として口
凹
ハ
M
m
v
回目
ハ 同 開 ﹀ 訳 註 ハm
出
﹀
g
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Z32rrH o 更 に 、 強 制 的 通 用 可 能
頭で伝承されてきた法は、そもそも﹁言語に対して、 より神経質である(由旬岡田n
﹂
﹀
﹀の確信や、
性(ロロ円 ny2Nロ
ロ
∞
日gcmtnyzx)が弱ければ弱い程、法の力は法(裁判﹀共同体の成員(河2 Z 団関
それ自身の駆動力の強さに依存するところが大きい。ところで詩という形式は、これを生み出すものである。これはす
べからく、聖歌・讃美歌でよく知られている事実である。これらの歌は、実は、信仰告白をするというのがその第一の
北法3
5 (6 ・2
5
)7
1
3
目的ではない│lむしろ信仰を心の奥底に植え付けて、我々を信仰へと導びくものなのである。我々の言語感覚に合わ
ない法は││今日、往々にしてそうであるように│l、無縁(異質﹀のもの、我々の頭越しに襲いかかってきた﹁規範
メンタリティーハ附)
の洪水 (ZOH53hEC﹂ と 感 じ ら れ る 。 言 語 に 対 す る 細 や か な 配 慮 を 欠 い て は 、 実 定 法 ( 制 定 法 律)22 吉田正2
河
内n
Z
) が法的心情(心性﹀(岡山2 Z晶25ロロロ巴に働きかけることは、ついにないのである。
2﹀サザン・メソディスト大学 3 2テミロ宮270会2 C E︿巾円立ちロ l ・
本稿は、テキサス州(吋22) ダラス市(ロ巳ス
*
苦
者
議
クール
2nEC︼三回[自宅)のマシュ
Zd︿ヨロ在るならびにピ lタ1 ・ウィンシップ (-uZ24司gmrG)
l ・フインキィン(冨E
冨E5芯円﹀で︹オ
の両教授との長時間に亘る対話から、多くの示唆を受けたものである。なお、本稿は、私が、ミュンスタ l ︿
) の学生たちを相手にして行なった講演をもとにしたものである o講演という形式は、そ
gロ山口問g
ランダの︺グロニンゲン︿の
吋
巾
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z
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色町
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N は、より精確に、一八一九年から一八三七年にかけて刊行された四巻本の著述である
回
同
町
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NOE口問忌宮、 ω
H
R
- に公表された後、更に改訂されて、切巾E E止 のZEのまま残しておいた︹なお、本論文は、 F2mZロ
、drEmESE-ω-H色 白 に 収 録
rzw 富田円宮ロロ仏 OEBRZL2 河2ZZ m
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FEm-- 。・∞ - V
向。官(司田口一巳与2 5 H
されている││訳者以。
仲間
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基本的なものとして、出ニrp ド
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一八一九年︹単行本 3 ・ H印O H
ロ
吋
ことを記している││訳者︺。
(2)
(3﹀一九四三年。
(4﹀一九八二年。
訳註(1﹀ 単 行 本3 ・
5 3 では、この文の後に、次の文章が追加・挿入されている一
﹁言語は、強調し、美化し、覆い隠す。言語のそのような性格は、本論考でも、あちこちで見ていくことになろう﹂。
単行本
ω
(
・回目。では、との後に、次の文章が続く一
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P04EL4司2E- ︿2Emmロ
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四 C
(2)
これは、単行本 2 ・
5乙で挿入された句である。その後に、更に、次の文が追加されている一
﹁或る法制度が別の或る言語に翻訳されると、どんな︹副次的︺効果があるのだろうか﹂。
ロ図。ZEBMMU自 に よ っ て 引 用 す る 。 百H
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(5) ベンサム(∞gFm自﹀の告一一回替市。出m
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ロ50F53句∞50司
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) では、回OZEBu 切Dorc
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M叶も参照せよ︹なお、単行本 3 ・
問。18窓口∞司g
FEn-。曲、∞M が、直接、引用されている1 1訳者︺。
訳註
ωDnSHE-HrmFω
(6﹀宮22Emrpω050HJDEEMm ﹀ω
(3)
河内
nzzcroZ25 ︿
H338叶だけでも参照されたい。
訳註
北法3
5(6 • 2
6
) 714
「講話.q~!lf.判明E14 。ム ν t!' ~:j立>v~t! 4長 c 語itv~ 連~{jム~-\Q均点。将司必心'韮K~') >v':f:,,' 1弐ム:=--"~縦 4~-{4-咲 Q\lnIT補E144
心~必の f
(ト) F
orsthoff,Rechtund Sprache,1
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.
(∞) Neumann-Duesberg,Sprache imRecht,1
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. Zweigert,EinigeUberlegungen zuRechtund Sprache, i
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Schmidt,Karlsruhe 1
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(∞) VandenBerghjBroekman,RechtenTaal,Deventer 1
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) Pound,SomeThoughts AboutComparativeLaw,FSRabel,Bd. 1,1
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FreiherrvonKunsberg,Rechtsverse,NeueHeidelberger Jahrbucher,N.F
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8 ∞も見られたい。︹更に単行本 2 ・HEMJM-MO﹀か
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ら、法史学に関係するものとして、 FrH切り2 月2 z z p同阿ハロロm
p 図。ユ山口巴ω∞一﹀牛三円出口}♂冨佐官。-同DZE212ロ
E03 ﹀とg H由叶少∞-ミを追加しておくl │訳者︺
gEZFm2FCN。田地司ω 同
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一九五三年。︹単行本 35ωFFMM)は、更に、一美術との関係を論ずる FFWMハ
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r。円、切二LEロ︽凶同N2EECro﹃]め間ロロm
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uロ凶戸市円cmEユ色町OBCLO﹃ロDU(包∞。)
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タイトル
ロロ門目町D
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ω 各自己N巳EPω 吉伸仲間ωユ巴∞o
ロm
w ∞-EN の参照を求めている。なお、問。﹃円﹁2 論 文 の 標 題 の 中 で ︹ ︺ で
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司
一
括 っ た 字 句 は 原 文 に は な い が 、 恐 ら く 誤 り で は な い か│l訳者︺
印回目・
(げ)同520HWEE- 巧同片品也君E
z eア同りgmggZ2mnY2Nロのczroczrtm
ミw町ω のBE- ∞FOEO-仏sg-ω ・∞叶︹法史学に関わるものなの
宮町ロ-NS によって、追加しておく︺・
で、敢えて単行本 2 ・ H
訳 註(9﹀
訳 註 ( 叩 ﹀ 岡 田 宮 谷 ル lトヴィヒ・デ lネ ケ 監 修 、 高 橋 健 二 訳 ﹃ グ リ ム 童 話 全 集 ﹄ 第 一 巻 ( 小 学 館 、 一 九 七 六 年 ) 二 九 二l 三O
﹁テーブルよ、食事の用意﹂というのは、職人仕事を修めれば食うに困らない、ということである。﹁金貨をはきだすろば﹂
九頁。
レガ
l リア
)llろ ば は 、 水 車 小 屋 ( 製 粉 所 ﹀ に つ き も の で あ っ た ー ー を 所 有 す れ ば 、 金 持 ち に な る 、 と い う こ と
は、水車小屋(製粉所
を象徴的に表現している。勤勉も独占ーーかつて水車小屋(製粉所)の所有は国王留保権に数えられていて、特権的営業であっ
たーーも、しかし、暴力や無法には太刀打ちできない。そこで、力でこれを抑えつける必要が出て来るわけである。それが、﹁こ
ん 棒 ょ 、 ふ く ろ か ら ﹂ で あ る 。 以 上 、 グ ロ l スフェルト教授の談話から、説明を補足しておく。
QDrロ窓口丹g ﹀とホームズ (O-ZR ぎg F口一回o-206
判事の名を挙げられた。前者に
訳註(日﹀ドイツないしドイツ法以外においても、詩と法ないし法学との密接な結び付きは見られる。それを一がす例として、教授
ついては、今更、多言を要すまい。後者は、当時のアメリカで最も著名な詩人の一人を父に持ち、文学的教養あふれる雰囲気の
は、講演の中で、ジョン・ミルトン
北 法3
5 (6 ・2
8
)7
1
6
言語と法 (SpracheundRecht)
中で人となった。
(m
。
ロ F P・53wm- 由にメイトランド(宮巳己3 3 の考察が転載されている。
︿路﹀巧75w 吋宮戸。聞と HgmmEEDP 切 件
D
(川口﹀。
2FUSFmE丘一﹃出同町名コ己何回目・ ω
]
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g。円、ロ芯}cm-rELHロ
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ユω司
叫)の同D
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2zpnrr巳同ロロ島 F242ιgp 司ω 同CBSOHWHrE5∞
色晶、巴ロ2
HaH -M叶)は、更に、
(幻﹀のZ虫
。
、 ω ω・︹単行本
・
・
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H同凶∞∞ω、ω ﹀ロ戸ω
関与 -2 ωzrm
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EHN2zu 巧2ZH58ロ∞ニ-552
503NS を引いている ili訳者︺
巾m
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向 足
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︿勾﹀︼M
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丘
町
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口
円
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(幻)前註(叩同﹀を見よ。
しい助け手が見つからなかった﹂までが、第二章第二O節とされるll訳者︺。
︿出)創世記第二章第二O節︹日本聖書協会版、一九五五年改訳守旧約聖書﹄では、﹁::・(本文所引箇所)・:・が、人にはふさわ
・
(
広町﹀では、本註は、本訳文では訳註(ロ)を付した箇所に移されており、更に、﹁しかし、これについては、﹃御名があがω
めら
(お)創世記第二二章第三O節︹一九五五年改訳の邦語聖書では第二九節│l訳者︺、出エジプト記第三章第一四節。︹単行本
祈り(同第九節﹀もまた参照の事﹂、という句が追加されるーーー訳者︺
・5S では、この後に、次の文が挿入される一
(
?iω
マ人たちの間でも、最高位の神の名は、謎(秘密)とされていた﹂(典拠は、。2宮司LU--nZFMM
但阻止
D?
れますように﹄という主の祈りハ︿旦2 5 2円﹀(マタイによる福音書第六章第九l一三節に基づくカトリック祈祷文)の最初の
﹁それ故、
訳註(ロ)単行本
自己Pωω 。
)
。
豊富と訳されている︺。
訳註ハ日)ホメ l ロス(呉茂一一訳﹀﹃オデュッセイア 1﹄上巻企右波文庫、一九七一年)二五五│二八八頁︹第九歌ではなく、第九
訳註(U﹀前掲書一一六一一貝には、﹁増上慢で錠を蔑するこの者(どもととある。
訳註(日)前掲書二七六頁では、﹁それからわしにお前の名前を教えろ、さっそく今な﹂、となっている。
だれもしない
訳註(凶)前掲者二七六i 二七七頁(四O 六頁の訳註も参照)では、﹁駄礼毛志内と私はいうので、駄礼毛志内と母親も父親とし
北法35 (6 ・2
9
)717
演
講
ても、そのほか仲間の人たち皆が、私のことを呼んでおります﹂、と訳されている。
て訳すとすれば、
訳註(口)単行本 3 ・
53 では、この筒所は、ヴァ lグナ lの台本通りに分かち書きにされている o もし、それに格別こだわっ
﹁決してお前は私に尋ねてはならぬ、
知りたいと思ってもいけない、
またどんな名前でどんな人間であるか、を﹂︹ワアグナア(高木卓訳)﹃ロオエングリイン・トリスタンとイゾルデ﹄(岩波文
私がどこからやって来たか、
庫、一九五三、一九八四年﹀二五、二六頁参照︺
N 誌 (ω-N-grC でも、分かち書きこそしないが、各句の冒頭は大文字で印刷されてい
といった具合になろうか。尤も、 H
ロg g gロ
む を 付 け て 、 ヴ オ ル フ ラ ム ・ フ ォ ン ・ エ ッ シ ェ ン パ ハ ハ 巧o
る。なお、単行本 2 ・53 はここに脚註(間口・ ω
HwmnZ525 の﹃パルチグ 7 1ル︿322ε ﹄ 第 二 部 第 ご ハ 巻 第 入 二 五 詩 館 一 入 行 自 一
私が誰であるかを決して問うてはなりません。
﹁私の頼みをお開きください。
これが守られればあなたのもとに留まることができます
自白岡
向日
?Br020件当grrEnrrEw口当ニ・
2RSBR 司R-nrm
問。之島町
FnrzrozrgZ) ﹂
m
O
を重ねて引いて、参考に供している。本訳註におけるヴオルフラムよりの引用は、グオルフラム・フォン・エッシェンパハハ加倉井
ととぽ
Eo当22ロ
nr24﹃D同完工自己件。ロ叶2ggoEEι52trgo
ユgFH呂田参照。
四 pmmgロ
同︼
一九八一年﹀︺‘ ω・企-
一九七二、
粛之・伊東泰治・馬場勝弥・小栗友一共訳﹀﹃パルチヴァ l ル﹄(郁文堂二九七四二九八三年)四二九頁下段によるものである。
E
口
、
訳註(問﹀ヨハネによる福音量百第一章第一節一﹁初めに言があった。言は神と共にあった。一ず一口は神であった﹂。
(叩山)り
g
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m♂ ωgnzczzuλrcm ︹エルンスト・カヅシ Iラl (岡三郎・岡富美子訳)﹃一言語と神話﹄(国文社、
(幻﹀円u
北法3
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言語と法 (Spracheund R
echt)
訳註ハ mm﹀ 単 行 本 3 ・ 5 3 に よ る 挿 入 。
︼
( 羽 ) デ ィ l タl ラ イ ン (UZZユ丘ロ)︹但し、単行本︿ω-H印寸間口・ω叶﹀ではり-22guHWωE﹄ZH}ω2ロ岡山DE同wogrωEW
開Egg-ロえユEEErg者σ-E52ロ-Fr532FO含司巧2同町注目2roロ巧ロro-BmECE22宮内・宮E30HH由∞ゲ ω・sw
冨gωnrcロ門日
同νω2mS2wω・品となっている。何れかが校正ミスなのであろう︺0岡山口岳宮町ωnrcFUZ同市町何回ωgoco口s
i
t
-
広忠 mnrm口当ニzzm'dE2円岳民同宮Em同2A︿H86SMSとなってい
uN︹但し、単行本では、:::ω Z
口 533子。ιミヨ2
MN誌
(ω・日目ErるではdEZH回一ロヨとなっているが、単行本3・53に従って、本訳文のように訂正する。
る︺によって引用する。
訳註(初﹀
(却﹀創世記第一章第三節。
(ぬ﹀創世記第一章第六節。
いてきたような音が天から起こってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった(第二節)。)また、舌のようなもの
︿泊﹀使徒行伝第二章第三節と第四節︹﹁(五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集っていると(第一節﹀、突然、激しい風が吹
が、炎のように分れて現われ、ひとりびとりの上にとどまった(第三節)。すると、一向は聖霊に満たされ、御霊が語らせるま
︹悲劇︺第一部、書斎︹一二二四l 一二三七行一﹁こう書いてある。﹃初めに言葉ありきQE﹀民自偶者日ι2モミ同一)0﹄/
まに、いろいろの他国の言葉で諮り出した(第四節﹀﹂ ll訳者︺。
(mM)
ここで、もうおれはつかえる。どうしたらこれが切り抜けられるか。/おれは言葉ハ者。円。というものをそれほど重く見るこ
ぬ。/これはどうだ。﹃初めに思いありきQE﹀口問。口問看R P 7出おお)。﹄/筆があまり軽くすべらぬよう、/第一行に念を入
とはできぬ。/おれに精神の光がみちているなら(笥gロEMg自の巳mH02nr円2rErsrZ﹀、/別の訳語を採らねばなら
れることだ。/いっさいのものを創り、うごかすのは、﹃思い35ロ)﹄だろうか。/これはこう置くべきだ。﹃初めにカありき
QB﹀えg回当日︽同庁内、俗、一﹀。﹄/だが、こう書いているうちにもう、/これではまだ物足らぬとささやく声がする。/あ
a
J。﹄﹂(手塚富雄訳、中公文庫、一九七四年)ここでフアウストは、ヨハネ伝福音書 (NP品 uHEArsF
て霊のたすけだ(冨町E民合同の22一)。とっさに考えが浮かんで、/おれは確信をもって書く。﹃初めに行為ありき(HS
出向巾
]25団内ロロロ︻山口BHOEDロめ包)の冒頭の句、人﹄凶ゼ丸3H出品ヒむな吋。的幡宮田VHEns-022 ︿2rcs=の訳盛岡を求めて岬吟し
﹀ロ﹃自問当日含め吋
Td
ている。=﹄弘﹃。円相ZHrcEZを=巧 C同同工と訳し、=ωEロ=と訳し=同E﹃仲立と訳し、そして終に﹁霊(の丘団同﹀﹂(﹁理性﹂、﹁神の
北 法3
5(6 ・3
1
)719
演
講
H
a
Hりロ・品N)では、
霊﹂、﹁言霊﹂、2m目、pm11件己的)に導かれて、ww寸間同工という決定訳に至るのである。つまり、こな﹃3wS号己gzには、それだ
2と同様、ラテン語の工吉野ω=
け多様な意味合いが含まれている、とフアウストなりゲlテは考えているわけである。因みに、単行本3 ・
正に今引いた箇所が、ちゃんと分かち書きされた形で、註に掲げられている││訳者︺。
訳註(幻)グロlスフェルト教授も、講演の際に、同趣旨の補足説明を加えられた。
4叶合(官DFm仲間明)=に遡る。この語は、﹁作る(ヨ件。)﹂・﹁製作する(官cpno﹀﹂と
に由来する語であり、更にギリシア認のzgへ
訳註(詑)ドイツ語のこ司日持=は、英語の=宮ぬ同町、(中世英語ではwbcmghh﹀、仏語のubo伊丹︹O︺
B 仏宮 E P N
﹀口町fzm41円。吋﹁54N︹チョムスキー(川本茂雄訳)﹃言葉と精神﹄(河出書一一房新社、
いう意味の動詞 hREe--忠 )Zから派生した名詞で、﹁作者(ヨ島内同)﹂・﹁工作者ハ耳OHr2﹀﹂を意味している。
(出 )(UFOB凹﹃アピロmE問。
一九七六、一九八O年)︺・向警に対するスキナlgrzscの書評が関与25CHWFE四E m O 8 0 8 3 訟 に あ る 。 ま た
J
ど占ロP285nroBω昨子一zo司 円OHr巴叶。︹ジョン・ライアンズ(長谷川欣佑訳﹀﹃チョムスキー﹄(新潮社、一九七二年)、
(長谷川欣佑・馬場彰訳)(岩波書庖、一九八五年)︺で、概括的説明がなされている。
訳註
単行本
・5U﹀は、ここで改行していない。
(三章第一節︹本節には、まず、﹁ヤコプょ、あなたを創造された主はこう言われるoイスラエルよ、あなたを
イザヤ書第ω
四
(M)
訳註(幻)単行本 2 ・5Sでは、この文は、削除されている。
(M)
訳者︺。
造られた主はいまこう一言われる、﹃恐れるな、わたしはあなたをあがなった﹂とあって、それから本文引用箇所に接続する1 1
。
(お)マタイによる福音書第一八章第二O節
訳註(お)単行本
・5Sでは、ここに次のような註ハ司ロ・品目)が付せられている・
訳註(お)単行本 3 ・58では、改行なし。
凶
ザエルス
ω
(rzpER﹃O﹃自己p m aω0・この経緯を我々に描き出してくれるものに、ゼルダ(N乙含)の﹃全てのものに名
﹁
のRELロ
﹃全てのものに名前がある、
前がある(肘︿235rgωZωョ。)﹄という詩がある。その冒頭の詩句に臼く・
神様が付けて下さった︹名前が︺、
北法3
5 (6 ・3
2
)720
言語と法 (SpracheundRecht)
そして両親が付けてくれた︹名前が︺
可
。
。
orEω EO
( 開2
︿
m
Cロ
ロ
可
ι
Z
wロSFFSσ
間m
可
凶ロιmzo口同DEErM rFω 宮55m) ﹄。
︹そして︺詩はこんな風に終わる一
﹃全てのものに名前がある、
そして死が付けてくれた門名前が︺
海が付けてくれた門名前が︺、
ormmω ロmgo
(何︿宮山、
D口
mzggEヨ﹃山、任命的o
m
言
内
山 m-ZロgESSrzιgF) ﹄。
白r によるへブライ語からの翻訳) 町
20宅
内
円m
口
¥
し
﹃
ロ
円Dぐ︼ごのめ同凶作円。江口DC同任司問。}on22・
(マルシア・フォーク忌RnE 明
B
ω口
︿申込巴母、 ω‘ω回目から引用﹂。
訳註(幻﹀州内田宮町印・前訳註(叩﹀所掲邦訳四四六l 四五二具。
はないか。
訳註(お)前掲書四五O頁。但し、問題のこびとの名前の発音は、﹁ルンベルシュテイルツヒエン﹂といった方が原音に近いので
nrHnrFN・﹀=2・切叩25guω ・8 ・
(
お)ZEmnrm- 吋EEZZE232片
岡
巾m
訳註(却)マタイによる福音書第二六章第二六節一﹁一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子
η
GU
たちに与えて言われた、﹃取って食べよ、これはわたしのからだである﹄﹂、マルコによる福音書第一四章第二二節・﹁一同が食事を紛
しているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、﹃取れ、これはわたしのからだであると、
gヨ
またルカによる福音書第二二章第一九節一﹁またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えていわれた、ワ﹂れは、あなた(
h
同 d
E4 出
がたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさいと。聖ヒエロユム(目。円
ro口巾白神円O
︹編︺訳ヴルガタ聖書の以上の三つの聖句の中に、 z
H5
匂 525=と い う 文 句 が あ り 、 こ れ が 聖 餐 式 の 典 礼 文 と な っ た 北
演
議
のである。
所掲)・ ωeN品︹但し、=出orE司or52の語は、zEH官
同 BZ色。Emesz=という
(8)
宮msropBロ・ωHugw∞
呪いの文句に由来する、という説もあるようである。utop切門戸戸同wqgo-oF
-soll訳者︺・
間
(幻)Z2EEロ-U5mroHmハ上記註
訳註︹如叫﹀単行本(ω-HEC﹀では、これが﹁言語を絶する惨状(Egg-DEω 巴 gL)﹂に入れ換えられたほか、この後に次の文が
﹁逆に、具体的に詳論していく場合には、=口前日ロnr(すなわち )Zとか旬、558壬門天とりわけ)=という言葉でもって始める﹂。
挿入される一
た相手の好運、成功を祈って口にする表現。魔除けの呪文であろうが、言挙げをすることによって事が壊れるのを恐れて、﹁頑
訳註(但﹀拳で木(机、時一一など﹀を三回たたき、もしくはそのような仕草をし、古くは更に三回つばきを吐き、大事を目前に控え
張れ﹂とか﹁うまく行きますように﹂などと言う代りに、それ自体としては無意味な文句をロにするのだとも考えられる。
・5Cでは、この前に次のような文が挿入される(したがって、﹁例えば﹂の句は、ここでは省かれること
品﹀H4内川区Bmロロ・0ロ2F2mW20・
(m
ω
(
訳註(匁﹀単行本
﹁例えば、﹃氏名権(ZE5口mznrc﹄は古典的な人格様である(ドイツ民法第一一一条﹀﹂。
になる﹀一
ω
﹃ 独 逸 民 法 ∞ 現 代 外 国 法 典 叢 書 ﹄(有斐閣、復刊版一九五五年﹀(旧版は一九三七l 三八年に公刊された)六三具の柚木馨
訳によって当該法文を引いておくと、
mHN切の切(一八九六年制定公布、一九OO年施行ど﹁他人ガ氏名使用権者ニ対シテ其ノ権利ヲ争ヒ、又ハ権限ナクシテ同一
0
ノ氏名ヲ使用スルコトニ因リテ権利者ノ利益ヲ害スルトキハ、権利者ハ其ノ他人-一対シテ侵害ノ除去ヲ請求スルコトヲ得。尚引
続キ侵害ノ虞アルトキハ、不作為ノ訴ヲ起スコトヲ得﹂
訳註︿拘)聞HE切の回一﹁叫代理人ガ其ノ権限内ニ於テ︿仲間口Zωsgrm ︿官同町205ロ)為シタル意思表示ハ、本人ノ利益及不利
︿え可2805為スモノナルコトガ事情-一因リ明カナルトヲ、間フコトナシ。
益ニ於テ直接本人ニ対シテ其ノ効力ヲ生ズ。本人ノ名ヲ明示シテ意思表示ヲ為シタルト、本人ノ名ニ於テハ52ωgg 弘2
仰他人ノ名ニ於テ(5roSLOBZωgg)為スノ意思明カナラザルトキハ、自己ノ名目一於テ(52凹22225ロ)為スノ意思
ナキコトハ之ヲ顧慮スルコトナシ。
北 法3
5 (6 ・3
4
) 722
言語と法 (SpracheundRecht)
ω
ω第一項ノ規定ハ、他人ニ対シテ為スベキ意思表示ヲ其ノ代理人-一対シテ為シタル場合ニ、之ヲ準用ス﹂。以上の引用は、前訳
註所掲詮百二五一一良の柏木訳による。
( M抗 ) 叩 ω
H
H ﹀rmHN旬。(一八七七年制定、一八七九年施行、今日の版は一九五O年に公布されたもの)一﹁ 判決は国民の
名においてCEZωggpm ︿o-rゆるこれをなす﹂(第二、第三、第四項略)。﹃独逸民事訴訟法叩現代外国法典叢書官帥﹄(有
訳註
り、一九三三年の改正法までが考慮されている。その四五五│四五六頁に載っている旧三一
τ然には、新一一一一一条第一項に対応
斐閣、復刊版一九五五年)(斎藤常三郎・中田淳一訳)は一九三九年から一九四二年にかけて公刊されたものを纏めたものであ
された新法文の邦訳ハ石川明訳、本条は一 O 一一一一良)があり、本訳誌もこれによった。
する言い回しは見出されない。なお、同六七五頁の補遺(中田淳一訳﹀参照。﹃法務資料﹄四四O号(一九八二年)として公刊
﹁=旬。丘公bgg百百三(フランス﹀や=5mg-oNO ︿EDDogngqa(オランダ)という︹実質的には株式会社をさすが、文字
訳註(お)単行本 3 ・55では、この後に、次の文が続くい
通りには﹃無名会社﹄と訳される︺表現の存在にも、注意を喚起しておきたい﹂。
M
∞-AO
ことによって学ぶ(Long岳会田己55どという命題にも、同様の考え方が反映している﹂)がこの前に挿入されるため、﹁一言語
訳註(怯山)単行本(ω-HmH)では、註ハ紛)対応引用文に続く文章(﹁このことは、我々の日常的経験からも知られる。:::﹃教える
は概念(把握﹀の組み合わせであって、:・:﹂という風に書き変えられることになった。
(泊)シエリ12F巾}}弓)﹃縛めを解かれたプロメテウス(︼M352Z5c=rgE﹀﹄第四幕。Z258ロ'U5mZ円問、E。
﹀一Z2M525目ロロ2r2Pωω。"ω-AFN
によって引用。
たがって、﹁以上のことから読みとれるように、:::﹂という文が段落の頭に来ることになる。
ω
(訳註ハ幻﹀前訳註に述べた通り、本段落のここまでの文章は、単行本 2 ・5H)では、訳註ハお﹀対応本文の前に移されている。し
(HH﹀創世記第一章第三節。
(m
訳註 却)単行本(ω・忌N)では、この前に、
町5﹀は、﹃言語の限界が(それも私に理解できる言語に岡山つての話でしかない﹀私の世界
﹁ヴィトゲンシュタイン(者宮町g丘
の限界である﹄とさえ考えている﹂、
ゴ
七
法 35(6 ・35) 723
演
議
という文が書き足されている o それに応じて、これに続く本﹃又にも、
、、、、
﹁いずれにせよ、法概念についても事情は同じである﹂、
,2R5'FESE
Y
E
という具合に変更が加えられている。なお、引用されたヴィトゲンシュタインの言葉は、巧笠宮口切符宮、、H
司T
︼
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、
吋22S5-oW
﹁5
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N である。
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悶C
司印
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、ω君、古一因。ロω
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(必)のDrzpZ巳5 P 宮g g 仏
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C口(EZmyFSLBRr飢え V・
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(げて
}宮古)では、。DEPZ25P云ωPELFmd︿・:となっているが、単行本 2 ・5MMりロ・日印)に従って、著者名と書名を掲
(M
叩)単行本(∞-gN﹀では、更に、以下の文章が書き加えられている一
おくll訳者︺・
訳註
5m 者巳ιZEと で あ る 。 ゴ ッ ト フ リ lト・ベン (ODEユ 主 回 る
﹁かくして言語は﹃形式化された世界のイメージ(聞広2 ロ
﹃ひとりぼっち o お前と言葉だけ。そしてそれこそ正に本当にひとりぼっち﹄﹂。
が ﹁ 言 葉 ( 巧2 Zどという詩で暗示しようとしたのは、おそらくこのことであったろう。すなわち、
5u 司ロ・印斗)による追加である一
︹以下は、単行本 3 ・
訳註(山間)講演の際に補充された。単行本 3 ・広 N)でも補われている。
,F
ω 垣 zhHwmyroロ
L
O口同国叶少∞¥HZ
(川町)当23522可
M
U
ω
﹁引用文に続いて日く一
﹃論理や歴史、倫理や哲学、通商や科学はそれぞれ自分の糸を提供するかも知れないが、それらは法︹律︺という工場に入る
(8)
a
﹃
r
前に、紡績機を通って来る必要がある
口々 gL VEDω 告と、 gB5222Lm己
P
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口 D間
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可FEopZ即応
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cロ
件
。
﹃ Forr江
)
﹄
﹂
︺
ω色町子宮崎司君PrE 同町ccmrForcs 子。﹃ E E門官ωωro20F3m口
)Z252ロlucmmroHm(上記註
所掲γ ? 日吋
(川制
訳註(れ叫)笑語の=︼日♂仏5 5ロ(裁判)とは、言う迄もなく、 z﹄
ロ
ユ ω︻虫色。(法の宣告﹀とというラテン語に由来する言葉であ
る。この原義を明示するためであろう、単行本 2 ・H
aS では uLRULE-cロこの代りに工宮己主5 5 (裁判)=というラテン
語が用いられ、その後に()で括って、
のO
﹁
W
W
E
E
n
ω 円。(判決する)z-乙ロL2(裁判官、審判人Y-ZFEEZE(裁判所、法廷)=と同様、 L 5 去
Z から
HO(法を語る)
の派生語﹂
北法 3
5 (6 ・3
6
) 724
言語と法 (SpracheundR
echt)
という説明が付加されている。
因みに、中世ドイツにおいては、裁判所が準拠すべき実体法規範という考え方は稀薄であって、=Z円宮ハ法)=という言葉
したがうならば、﹁法﹂は一一一一口葉を通じて認識されるというよりは、まさにそれによって創造されることになるわけである。以上
は、実は、﹁裁判︹所︺﹂・﹁裁判手続﹂・﹁裁判手続規則﹂・﹁判決﹂を意味するものであった、という有力な学説がある。この説に
予定)所収︺参照。
Zロ明、明ω
については、何回ユ関22円ゲ乙fuh2Zえ5ιEMKhU55E巾F12rnrgoZE出回開ゆロσ522DLg出。ロ︿OHs
日E380口口出25司mYHE-ω喝のgudmgS吋N︹カ l ル・クレッシェルハ石川武編訳)﹃ゲルマン法の虚像と実像﹄(創文社、近刊
5cmMH出ι2gnZロ司ユ d巳HonzuH
∞
∞
∞
目
(必﹀︿OロNω-ZHMmmpd弓何回。ロロロιd吋凹官ロロ田ι何回明25目2
0
﹃独逸商法山現代外国法典叢書帥﹄(有斐閣、復刊版一九五六年﹀(出版は
訳註(必)叩お出。回(一八九七年制定公布)一﹁I ・支配権ハ営業主又ハ其ノ法定代理人ニ限り、且明白ナル表示-一一依リテノミ之
ヲ与フルコトヲ得。
E・共同ニ数人ユ与ブルコトヲ得ハ共同支配権)﹂
である。
一九三八│一九四一年︺の﹁商法総則﹂の部一一四頁の烏賀陽然良訳による。なお、同誌 3 ・ωロ喜朗﹀でも単行本 3 ・56
でも明白旬。切が引かれているが、同条は支配権の登記に関する規定であるから、誤りである。この点は、講演者に確認済み
ω
訳註(川町﹀閣内山﹀ZN切切の︿一九七七年公布﹀い﹁ 任命は、辞令(開525ロmZ円EEO﹀を交付することによって行なわれる。
て 官 吏 関 係 の 設 定 ( 切 品 Z E E問 L2MW2222Pさ口広田巾切)に際しては、﹃官吏関係への任用(召し出し)により(CE2
辞令(CHEEr)には、以下の文言が記載されていなければならない。すなわち、
位S
回2
巳gmELE切25gロZFFC﹄という文言に加えて、﹃生涯に一旦り公正ForogNZ﹀﹄とか﹃試用のためハEhHMHOa
ro)﹄とか﹃任命撤回を留保して公正当三223﹄とかもしくは任用(召し出し)(回2cpロ巴の存続期闘を明示した上で
岳
町-ggmZ)を
﹃︹その}定︺期間守口町N岳)﹄などという付加文一言によって、当該官吏関係の種類(LPO﹀三円凶作印刷wgBZロ2
二.ある官吏関係を他の官吏関係に変更するに際しては、第一号に準じて、その(後者の)種類を指定する文一百︹の記載を要す
指定しなければならない。
る
︺
。
北 法3
5 (6 ・3
7
)725
演
講
gzc に際しては、官職名︹を記載しなければならないと。
三.官織の補任(全mぐ2r-rg間四百巾由﹀
ニュアンス
575刊宮内同ZHWEBω
}
E
r
m
) や単行本 ・忌むの対応本文は、﹁官吏関係への受容により (SHOHCZ同
なお、同誌
・
(
ω
(
丹
市
ロ2HEFE印ω
)﹂となっているが、こ
れは法律条文に従って本訳文のように訂正した。言語的にもこ悶ええEm(任 用 、 召 し 出
Z 口問52
円∞
22巾門戸ロ巴は、裁判官
し﹀=という言葉は、神のお召し(召命)とか、悪魔や霊を呪文で呼び出す、といった呪力的語感を強く持っている。この訂正
についても、講演者の諒解は得ている。
H
H﹀叩mmngHVO(一九七五年公布)一﹁①宗教的誓約を伴う宣誓(ロ2 百品目広
訳註(
が、証人に対し、﹃あなたは、全知・全能の神に、あなたが最善の知識に従って、完き真実を述べ、何事も隠さないことを誓う
円
円凹円
M切 切
ωぽ ω島君 Cgr2 の02ps ﹀ロ自由。rtmgE己 ﹀ 己 主ω
仏gwE田ω-ognrZ回仲何回巧 m
DLFゆ耳目出。垣島吾作即仲町?
ハ
m
oロ
Hmnrzog
包四件、出口仏国山口宮田 2
ロ)﹄と述べ、かっ、証人が、これに対し、﹃わたくしは、そう誓いまずから、どうか神の
悶 E Z
御加護がありますように QFzr司α32・ 吉 司mr:ロピのO円同日正問。﹀﹄と述べる方法で行う。
GTEE-ruo自 国2225m﹀は、裁判官が、証人に対し、﹃あなたは、あなたが最善
②宗教的誓約を伴わない宣誓(ワ2 目L
rzmZ目 当 2mg 仏ぽ REm
町ZPEEω25口
の知識に従って、完き真実を述べ、何事も隠さないことを誓う色町 2r宅
司Y
F2仲間四ω出向グ ELEロ
YZ40 }2umgzroz)﹄と述べ、かっ、証人が、これに対し、﹃わたくしは、そう誓います Qnr
tω
zr司昨日 2﹀﹄と述べる方法で行う。
の誓約を宣誓︿白色)に付加することができる。
に25乙 ﹀ を 用 い た い 旨 申 し 出 た と き は 、 そ
@証人が、宗教又は信仰団体の構成員として、その団体の誓約方式(回2225聞
agω 屯。)。
U2ω 与言。H
O
D
L
O
) は、宣誓を行うに際し(宮山合同何日常乙o-25巴、右手を上げるものとする﹂。
④宣誓者 (
以上は、法務大臣官房一司法法制調査部編﹃ドイツ刑事訴訟法典(一九八O年七月一日現在の正文)﹄ハ法曹会、一九八一年)ニ
O 頁の米沢慶治氏の訳文であるが、第一項と第二項中の裁判官が口にするべき文言は、﹁あなたは::完き真実を述べ、何事も
隠さなかったことを誓う﹂と訳した方がよいと思う。証言の後で、宣誓がなされるわけである
N
M
U
C
H ﹁①宗教的誓約を伴う宣誓(ロ2 目L E仲H
O
-同志m
訳註(必)叩品∞H
O吋 切2225m﹀は、裁判官が﹃あなたは、全知・全
nr453ロZFの02PBEErEg
とzuzzg)﹄という導入文言を伴う宣誓文詞(目FEDHB﹀
能の神に誓う︿ω m
開 cE
。
目
ω0744212nzkるが、それに続けて、﹃わたくしは、そう誓いまずから、どうか神の御
を 述 べ 関 か せ 、 且 つ 宣 誓 義 務 者 包2
北法3
5 (6 ・3
8
)726
言語と法 (SpracheundRecht)
ωrgr の C芹7
0
R
α
)﹄との文言︿誓式)(目含回﹃25巾︼﹀を述べる方法で行う。
nymnr君。
加護がありますように Q
司
2
2
m
o
d
g
∞
B
r
m
c
s
o
m
n
r
dえい耳目どという
②宗教的誓約を伴わない宣誓(ロ旬開三c
2
2
2
5
巴
は
、
裁
判
官
が
﹃
あ
な
た
は誓う 3
巾
導入文言を伴う宣誓文詞(巴pmロC円ヨ)を述べ聞かせ、旦つ宣誓義務者 22ωnr当日市内k
z
m巾﹀が、それに続けて、﹃わたく
しは、そう誓います Q忌 Er当U22ど と の 文 言 ( 誓 式)
(pfmhDEMO-) を述べる方法で行う。
22ωnr5=1-rr昨日間与が、宗教又は信仰団体の構成員として、その団体の誓約方式 322mED聞広2自己﹀を
③宣誓義務者
用いたい旨申し出たときは、その誓約を宣誓(巴仏)に付加することができる。
⑤複数の者が同時に宣誓をするときには、誓式は、各宣誓義務者がこれを読む﹂
0
gι ろは、宣誓を行うに際し(﹁忠弘巾司自伝田E25m)、右手を上げるものとする。
④宣誓者︿ORω 各当e
以上は、文一言の同一一性・類似性やその相違を示すため、前訳註所掲米沢慶治訳のドイツ刑事訴訟法第六六条の cの法文を土台
った訳文である。同訳註所掲﹃現代外国法典叢書帥﹄六O 八頁に載っている旧条文は、新条文の第一項、第四項、第五項に対応
として、訳註︿鎚)所掲石川明訳﹁ドイツ民事訴訟法典ハ一九八一年三月一日現在の正文)﹂一四三i 一四四頁を参照しながら作
するものであって、新条文第二項、第三項に現われているような個人の信仰に対する細かい配慮は、まだそこには認められな
トヲ得ハロミ巴ι Eロ
ロ Enror53rm52
∞222ロロ四四乙0目白神巾同唱2合口)﹂というもので、現行のものとはなお具っており、
い。同書六八O頁の補遣に掲げられた第四八一条第二項(中田淳一訳)もまた﹁宣誓ハ、宗教的誓句ヲ省略シテモ、之ヲ為スコ
現行第二一項に対応する法文もまだない。
H
,
r 乙 宮 、 ZZL2d?
同君の(一九三三年制定公布、一九三四年施行Y ﹁為替手形ユハ次ノ事項ヲ記載スルモノトス一
He
一.証券ノ文言中ニ且其証券ノ作成-一周フル語ヲ以テ為ス手形ナル記載︿円山町内図。同市町rE口問白}師垣内口
訳註(日叩﹀﹀円
U
U
戸山口口仏タロロ品目当 片山口仏ミ ω司
0
Z
H
U
H
)山
円
山
口rpZLOHm-町田口出問。2
m
w
U
三.支払ヲ為スベキ者(支払人﹀ノ名称山
二.一定ノ金額ヲ支払フベキ旨ノ単純ナル委託
四.満期ノ表示一
五.支払地ノ表示
六.支払ヲ受クベキ者亦ハ之ヲ受クベキ者ヲ指図スル者ノ名称
北法 3
5(6 ・3
9
) 727
演
講
七.仮出ノ日及地ノ表示
入.振出人ノ署名﹂。
ーJ
戸t
i
、
U
以上は﹃独逸商法W 現代外国法典叢香川何﹄(有斐閣、復刊版一九五六年)(旧版は一九三九│一九四三年﹀の﹁手形法・小切
H自
N 国の∞一﹁川 W
質権ノ設定ニハ、所有者ガ物ヲ債権者一一引渡シ且双方ガ質権ハ債権者一一属スベキコトヲ合意スル
手法﹂の部一 O l一一頁の大森忠夫訳によった。なお、本条は、日本の手形法第一条に対応する条文である。
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問。ニ依リ
OFFEユ宮円。EmmEL﹀コトヲ要ス。債権者ガ物ヲ現一一占有スルトキハ、質権ノ成立-一付合意(何回口おgm) ヲ為スヲ以テ
訳註(円引)印
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足ル。
ω﹄(有斐閣、一九三九l 一九四二年、復刊版一九五五年﹀
ω所有者ノ間接占有ニ在ル物ノ引渡ハ、所有者ガ間接占有ヲ質権者ニ譲渡シ且質権ノ設定ヲ占有者ニ通知スルハωロ
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テ、之ニ代フルコトヲ得﹂。引用は、﹃独逸民法団現代外国法典叢書
三七三頁の於保不二雄訳による。
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訳註(何回)闇由 ND∞の∞一﹁動産所有権ノ譲渡ハ、所有者ガ物ヲ取得者一一引渡シ且双方ガ所有権ノ移転-一付合意スル (
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22問 ω片足)-一依リテ、之ヲ為スo取得者ガ現-一物ヲ占有スル場合ニ於テハ所有権移転ノ合意 QEmgm﹀ノミヲ以テ足ル﹂ 0
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明器︼切の回一﹁第三者ガ現ニ物ヲ占有スル場合ニ於テハ、所有者ガ取得者ニ物ノ引渡請求権ヲ譲渡スルヲ以テ、物ノ引渡一一代
約スル(巴ロ河2Z22E-z-m255Eユ吉正)ヲ以テ、物ノ引渡-一代フルコトヲ得﹂。
以上の引用は、前訳註所掲書一 OOl一
O 三頁の於保訳による。
フルコトヲ得﹂。
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訳註︿幼)単行本ハω-HmC では、ここでこの段落が終わる o次の段落は、冒頭の一文の前半を除く殆んど全部が、単行本
回出品問・)で新たに書き加えられたものである一
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﹁それよりは、むしろ﹃言語の厳格な正典化(︹。5453momg
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2 という言葉がもともと持っていた意味(後述一六人頁︹本訳
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これに属する。そのことは,│ーもとより意識されていたわけではあるまいがllzFnrg間
利の取引 )Zという言葉自体から知られる。也、問。nZ(法、権利﹀
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の長期にまたがっているが、各法曲円相互間には系譜関係が存在することが確認されており、その出発点を形成する開品目Z宮
, E 2 E は、皇帝マヨリア l ヌスハ迄と2-g﹀の命を受けて或るロ
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者として定住した西ゴ lト族に向けて発した告示︿色町nZB﹀と考えられている。部族法典の第二のグループは、戸内阿国白山看守
ユozgと FS﹀FSZロ
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性 を 主 張 し 得 た 時 期 ( 七 回 二 年 も し く は 七 二 五 年 頃 ) に 、 フ ラ ン グ 族 の 影 響 下 に あ っ た 修 道 院 会 l ダI アルタイヒ zupg}a
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Zロゲ32) において作成された、いわば﹁文芸的﹂な作品である。そして、第三の範晴をなすザクセ
zrr とライヒェナウ M
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rめ る の 帝 国 会 議 の 際 に 、 カ ー ル 大 帝
ン、テュ 1リンゲン、フリ lゼン各部族の法典は、八O 二年か入O 三年、ア l へン︿﹀ω
9EimL2FOB56 の下で集中的に発せられただけの、歴史的には
?17的法伝統の影響力の下で成立しているのである。ヵピトゥラ lリアも、また、キリスト教的秩序の確立を明確に
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ハmH}L203回るが記録させたものである。すなわち、部族法典はいずれも、直接のものであれ教会やフランク王権を介して
であれ、
意識したカール大帝とその息子のル lトヴィヒ敬度帝
極めて特殊な性格の法源史料であった。証書類も、それを作成し保存したのは教会・修道院であり、また中世初期には、それ
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は、すなわち王権ないし国家を意味したという事情を考慮する必要があろう。以上については、同ハミ}同g
HNRZ回開巾出口FK75H92 ロ印SLmzzrroF 出mgrc円
ωωHh-wm可?JRh を参照されたい。
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F 与∞与包会・巧なmg仏である。﹁法 (HN2Z﹀﹂と﹁話すこと (zpp 苦円。円Z P E問
gと と の 観 念 的 結 び 付 き に つ い て 、 以
で 指 摘 し て お い た ﹁ 法 令R Zど の 形 式 的 ・ 手 続 的 性 格 を も 併 わ せ て 考 慮 に 入 れ て お
いて然るべきであろう。なお、人為的構成物たるゲルマン祖語やゴ lト語はさて措いて、古高ドイツ語はまさにこのカ 1 ロリン
下の本文における議論と並んで、訳註
円
一
切
り2 R Z 列2 E
rzrsHWω ・3
ガ i ・フランク期(中世初期)に成立したものであるから︿mEF 同E2nZ一
)、本文
品2口
における﹁遡る﹂という表現は、必ずしも妥当なものとはいえないかもしれない。古ザグセン語、古アイスランド語について
北法 3
5 (6 ・4
3
)7
3
1
演
講
も、事情は似ているo後者など、時期は更に下る 1 1訳者︺。
訳註(臼﹀訳註(日﹀で既に指摘しておいた通り、単行本 3 ・広町)では、本翻訳における前段落の最後の文と木段落の以上の文章
︹
主 gcggnh﹀も、同様の事情を告
﹁
ゴ lト語の﹃法律学的専門用語﹄であるzEBZロE(ゲルマン︹祖語推定復元形︺ではZ
忌アル、、ヌス
53 ・
が一緒になって独立の段落を形成する。そして、新たに霊園き加えられた次のような文章で、この段落が終わる 2 ・
げ知らせてくれる。すなわち、この言葉は、﹃考える(2228)﹄・﹃主張する(zrg玄gどから﹃審く今回口ZE)﹄へと、そ
の意味を発展させてきたものなのである(例えば、英語の-LooszuH﹃有罪判決を宣告する(22zzg﹀﹄・﹃最後の審判C5・
︹者︺の書物(目白島広島22 ﹀2OHMS同)﹄H﹃国の土地台帳(HNo-nrωmEロLZnV)﹄に見るように)﹂。
宮古切の2Eる﹄や岨LSEm-LanhH﹃最後の審判の日︿、口問ι2 吉田mzgの2xzm)﹄やこりoggE可図。DrhhHH﹃至高の権威
﹁更に、︹法ないし法律を意味するギリシア語である︺=ロ052(忘E円)=が発展してドイツ語のこZωヨα(
名前)=という単
訳註(伺)HN誌 (ω・ωH2rHm)では、この文に入る前に、
語になったのだが、ここからもまた同じような関係を読み取ることができる。l ーまた、この︹﹃名前(EES︹忘宮崎︺w
zωヨ。)﹄という︺言葉と言語の創造力という観念とは、切り離し難く結び付いている﹂、
﹁これは、wh2Z(法)=という言葉についても言える。そのことは、この言葉からこ江口Zg(真直ぐにする、裁判をする、
という文章が挿入されており、その後は、
という具合に続いていた。これをグロ lスフェルト教授は、講演に先立って、コ忘Eqaに論及する際に念頭に置いていたプラ
判決を下す、審く)z::﹂
トンの文章の真実性について疑問があることを脱稿後に知ったという理由から、本訳文のように訂正することを指示された。だ
が、議論はここで、法と言語との結び付きから法における言語の創造力へと移ってゆく。事実、単行本(ω-Hm寸)では、ここに、
﹁︹ギリシア語の︺こ忌B2?弘、。司)=(﹃法律(の226﹄)という言葉も、また、陸自すべき脈絡を暗示している。それは
ハ侃﹀
=忠自己ロ(忘BEVhQ制割り振る(NEEg)﹄)に属するもので、whorsg(手に取る﹀=とかZ22各自自(知覚する、審問・
聴聞する﹀=とか=︿2ロロロご(理性)=︹というドイツ語︺も、またここから出て来ている。こZDHB(規 範)Zという︹ドイツ︺
語は、︹ギリシア語の︺uhZ22々志一史的)工(﹃認識(何件32ECbや︹ラテン語の︺コmEEω=(﹃事情に通じている(知って
ω
(
﹀(刊川)
普 }g﹀﹄)︹というラテン語︺と繋がりを持っている。ラテン語の
いる)(rEL-m﹀﹄)、更にはこロ222E(﹃物語る(2N
北法3
5 (6 ・4
4
) 732
言語と法 (Spracheund Recht)
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=﹃2=(﹃神の提︿muErrmHμ2E)﹂)と=日同22(﹃罪業(ωELGb、ギリシア語ドlリア方言の=芸削ヨ一
(mH)
)Z︹古典ア
ミ erms-)=︺ならびにラテン語のこ同日Fhh(﹃話す(右足。Zロ﹀﹄)は、インド uゲ ル マ ン 語 の = ょ E =
ッティカ方言の=3
(﹃話す(四百円。口yoロ﹀﹄)にまで遡ることができる。同じような響きは、こ︽同日rm-oロ(白骨告書)工(﹃法︿悶RZ)﹄、﹃法廷22C2ナ
る。これらと=E22=(﹃話す(ω官 2Zロ﹀﹄)というラテン語との間には、結び付きがあると思われる﹂、
(mMV
円r円﹀﹂﹀とかuuLP。Qt4VR(﹃人倫(良俗﹀35m)﹄、﹃法(権利﹀(岡山2rcbというギリシア語からも、聴き取ることができ
という殆んどが新たに書き下された独立の段落が置かれ、更に段落を改めて、
﹁言語の創造力の神話の残響は、コ問。口宮(法)2という言葉にも認められる。それは、この言葉からこ己nzg(真直ぐにす
る、裁判なする、判決を下す、審く)Rhi--﹂
という書き出しで、本訳註対応本文に接続するようになっているo次に、単行本における追加分に対する原註を訳出しておく一
-D
間
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(槌﹀ロEgw 回L
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︹的)りZLgw同・白・。﹂∞-hHの見出し語、、Z2BzwE・匂HBFmFr出子出o-Lo-Z﹃回58、ω・ωO∞¥由・
明
山)のmO円問。mw戸町民巳ロ-27EUgHZnrom 国山口晶君ロユ2rcn}M・M-HZ-wHω・﹀ロ 2・w出ωロロO︿2H叩叶N、ω yHC由N︹ラテン語の︺=zm(裁判手続によって正当と認められた持ち分、権利、判決、法﹀工は、おそらく、古代インド語のコ3ft
(m
(n)
rmロmRZmu 回ι・戸ω自由、H1ZHH品も見ょ。
22問、の巳Eι2みE Uの
︿日=白色(平安ないし治癒)ミ)と親縁関係にある言業であるoocpppP0・uωNSの見出し語L ロ22・別に、︿-HF中
、ユンスタ!大学でインド"ゲルマン語学の講座を主宰する同僚のクラウス・へプラl((UFE国grr﹃)教授は、以上の
所見を妥当なものとされた一
﹁ラテン語のL5.、古ラテン語のいccへは、遡ると¥ト官官、︹と単行本∞-Hami-uょにはあるが、UEg祖国内-4Jω
坦坦には﹀O唱。えと書かれており、こちらが正しいようにも思われる︺となる。これは、古代インド語(聖典﹃ヴェーダ﹄
に用いられている言語に限る﹀のい品目司SRという言い回しの中の匂Shに由来する言葉であって、その凡その意味は(確
パック・グラウン ν
r
突な翻訳は不可能だが)﹁平安︿治癒)と加護(祝福)(出275ι印。mg)﹂である。以上の事実は、法の宗教的背景と伝
統に忠実なそのありょうを示唆するものである﹂。
北 法3
5(6 ・4
5
) 733
演
講
Wロ
Oロ同¥宮内H-rf虫色。ロロ回目同巾 bd自己omZ5今一回目印ロ開coz-5・出UHOFHOL250F品・
証言をもっと挙げるならば、同 同
﹃
ミw∞-UNZ-h﹁言葉には、元来、﹃法律としての力を持つ宗教的決まり文句﹄としての意味が
﹀丘一-wN・22zznFHι225
巳 ω O円nor-03﹂oF25ωロロEHM∞あったにちがいない(円h B♀白仏酌丘町三22hv て2mEP守口HE]OHO--m-22﹄
山
コ
'
図。町ESFFえOFEmnroω BgMロロ島ω 江口ωtr(凶作mHr・ωNgqH)wgEnrE58・∞-Mωuy由々roF円相関CHN聞広島同02可自己 GE
m-mnZ切さんま2Znrι2﹀-tzunrop回仏・∞回国OFPF2mHU8・∞-N
2 も、遡ると=図。ιzgzとなるが、これはadzιEハ仏陀﹀=と同様、﹁光﹂を意味する古代インド
国・司ユω}♂ pmw・。-uH・切︽円相∞・ω印由¥ω 甲山・
w
(η)
なお、ここで追補した註(冗)との関係で、今一つ、グロ lスフェルト教授の談話から紹介しておきたい。すなわち、ドイツ
語の=。与三(命令﹀
-誌が語根となっているという。
﹃
(臼﹀、H,roOHO円品開ロ間}MmrUR昨日0ロ日以ご切L-HOWOH問。円払HUN∞wω・ω自由・
訳註(日)括弧内は、講演に際して、グロ lスフェルト教授が挿入されたもの。単行本にも記載されていない貴重な知見である。
﹁=ωnrcR巾(参審員、審判人、判決提案者)=という言葉も、また、し与え向。ロ(作り出す、-調達する﹀=とか=2ωロERg
訳註(臼)単行本(ω・忌与では、この文の後に、次の文が追加挿入されている一
なお、典拠として、ロロ島市P 阿広・ア何qgo-cmwp見出し語こωnrc同町A3・ 2叩﹀と=EYm問問。ロaaqEω)が挙げられてい
(作り出す)=︹という言葉︺に遡るのである﹂。
ゆ令。
︼
(臼)りcpU2CHω司HZ口町仏mHZ025ロ・﹀円nrzhE円如何円﹁仲間,ロロ仏∞ONU-司rw]DmOHr-m町田︿H80﹀印ω・
訳註(臼﹀単行本3・53では、この文は、﹁これらの語源は、:::﹂と書き始められている。
モデル
﹁言語の規則(の22NO﹀は、子供が体験する最初の抽象的規則(の22NO)である。言語が、秩序︹付け︺の決定的範型とな
訳註(臼)単行本(ω-H品由)では、この前に、次の文章が挿入される一
る。︹かくして︺法と法律(の224概念の言語的特徴︹付け︺が生ずるわけである(言語的特徴を帯びた法律概念品gnZ0・
司叶昨仲間同2C225ω﹃品同仲間同﹀﹂。
訳註(川町﹀単行本3・MmU﹀で挿入された分である。
北法 3
5 (6 ・4
6
)734
言語と法 (SpracheundRecht)
(臼)(のω
ロ N祖国
g
m
- ﹀ w巴∞
N‘ω-M
一
ミ
・
二世紀﹀を引用している。その文は、﹁クウィントゥス・エウミウス︹ロ l マの詩人、紀元前二三九年│同一六九年︺は、自分
︼
(間山)﹀ωOω・Mgz・ω・ブルグハルト(凶ロ門司rEECは、ロ17の文筆家のアウルス・ゲルリウス(﹀三500}Em)(紀元後
﹃円四国
FωrRσ田20e口ormpACC内日目白﹄ロ仙の22m20ω22Fω江口。ω門町立﹀﹂(のωロP20、∞-AF去に
はギロシア語とオスキア語とラテン語を話すことのできる(話すことを知っている)三つの心を持っている、と語った(ρEロ・
よって引用﹀というものである︹引用ラテン文の最後の語は、﹄N誌 (ω-AH]町長ω﹀では=ωn-Z仲立となっているが、これは誤
2回開口BEω・::2E口O
植・校正漏れである。その点は、講演者に確認済みである︺。
C)では、この引用文は省略され
邑 onrg関 白20PH2︹B-スネル(新井靖一訳)﹃精神の発見﹄(創文社、一九七四年﹀︺w品・﹀出向}・巴説、
︹叫叫﹀ω5-戸、EOMWH
∞-NH∞︹本節の最後の段落の初めの方で同じ文が引用されているためであろう、単行本(ω・ロ
ている。これに伴い、本註に相当する註(均)は、少し前の﹁言語が思考に影響を及ぼす﹂というところに付けられている。但
し、スネルの著書の引用頁は、刊本の版は同一であるにもかかわらず、∞-MO印となっているil訳者︺・
訳註ハ前)叩∞N∞切の∞一ω
﹁ 満七歳ニ達セザル者ハ、他人-一加ヘタル損害ニ付責ヲ負ハズ。
ω七歳以上十八歳未満ノ者ハ、加害行為ノ当時責任ヲ弁識スルニ必要ナル判断力ヲ有セザりシトキハ、他人一一加ヘタル損害﹄一付支
ω
、
!
〆
r
t
ι
、
ヲ負ハズ。聾唖者-一付又同ジ﹂o引用は、﹃独逸民法E現代外国法典叢書 ﹄(有斐閣、旧版一九三八1 一九四O年、復刊版一九
五五年)七九一一貝の柚木馨訳によった。
の弁別に従って行動することができないときは、これを罰しない。
訳註(町)mggc回(旧規定﹀一﹁①嬉唖者は、精神的発育が遅れ、そのために行為が許されないものであることを弁別し又はこ
②行為が許されないものであることを弁別し又はこの弁別に従って行動する能力が、行為の当時、前項の事由によって著しく低
六七年)三一一良の臼井滋夫訳によって引用する。
減していたときは、未遂犯の処罰に関する規定に従って、その刑を軽減することができる﹂o以上、﹃法務資料﹄三九七号(一九
。
グエルス
n
r
o
(閉山)国・︿Oロ同-ozFcrREO印}]同出位EFnvyo ぐ2rH己mc口問ι2COLHEroDr25ω官 ωnrnpSHH山・︿Cロ同-昨日2・∞位B己ぎ2gzロLH凶門戸え0・回L-Mwm-﹀口町一・53wω・ωSも参照の幕。︹なお、本文で引用されているのは、、ロず己Z︿D岳、邸内︿ロロ
ωnrM}}25L ozroの中の、ミロニ020E(半可通﹀=と題された第八七番の詩句・=巧色巴ロ︿巾門田丘門間mE口開門E巴口2
北法3
5(6 ・4
7
)735
演
議
)Zである。︺
J
この論著は、ズュ l ス ミ ル ヒ
品。
思索する洗練された言語を用いれば、おまえでも詩句の一つぐらいはひねり出すことができるから、それでもう詩人になった気
ヴエルス
︽
日
ロ EroロOKV円
ιιgrwmrcrω 仲
。
円 N
m
o
r己L20ロ∞官270u¥O-oE円台。﹁ハロnZZEロ
E 白色ロ(おまえになりかわって詩作し
でいやがる
(7)
円H
r5swω ・
)nmLDNC、戸ω唱 EL ド5222LロhrrnBL 者三巴ロmmC BZBEZ三宮口の日仏OHOwzq司 O
8Pω
∞
同
所 掲γ
ω・
由
・
(日山
,Z
o
Fcロハ上記註
(印) m
0
ωEE]円﹁)の言語神授説(一七六六年)に刺激されてベルリン・アカデミー(院長マウベルテウス宮E宮HZ5) が募集
﹀ 一 七 七 二 年 ︹J - G・ヘルダ l (木村直司訳)﹃言語起源論﹄(大修館書底、一九七二年﹀
叶
2 ・HHPH- ∞ω
) が出版年次を一九七
した懸賞論文に応募して、一七七一年一月に提出され、最優秀作としてアカデミー賞を授与されたものである。その言語の理性
ω
( (﹄・司
二年としているのは、誤植であろう111訳者︺。
起源説は、当時の啓蒙主義的思潮に呼応したものでもあったわけである。なお、単行本
(日)一八三六年。
F ι 2同
Z
r
H巾)も、既に一八O 八年に、有名な﹃ドイツ国民に告ぐ (mzgg ︽
訳註(回﹀フィヒテ (
]DEロロの♀己5r目n
切
口
ZEC出﹀﹄の第四議﹁ドイツ人と他のゲルマン民族との主なる相違﹂の中で、同様の言語哲学を展開していた。すなわち、﹁言語
が人聞に作らるるよりも人聞が言語に作らるることが迄かに多いのである(君。FB岳吋︽rzgω 円宮口︿Dロι2ω 官官宮問。﹃干
仏え当官分PLOロロ︽宕 ω Z Zロ仏gzgω 73)﹂。また、﹁即ち彼等が国語を作るのではなく、国語が彼等を作るのであ
ロ
唱
円
釦
口
oω 官RFor-L2 巴。﹀﹂とも言われている。 HJnZ2 巧Rr司令ヨ旨EZO]
る (gE532nr円包め佳作 ω勺包円rPEERロE
口口百円rF 回2
図。﹃ヨω
m
γ 回ι ヨケ切。ユ5 5己
、 ω・2pωNO ︹大津康訳、佐藤通次改訳﹃改訂ドイツ国民に告ぐ﹄(岩波文
庫、一九二八年、改版一九四O年)八O、八七頁。但し、第一一引用文中の﹁国一語﹂の語は、本来、﹁言語﹂と訳すべきものであ
l メ Q20r 史子宮内﹀(一五七五年l 一六二四年)、更には遠くプラトンの﹃クラテ
︺
ロ
ろう︺・つまり、これが当時のドイツの一般的雰囲気であったわけである o そして、そのような思想史的背景があって、歴史法学
同
hFEN)(一六四六年l 一七二ハ年)やベ
派が法と言語とを類比的に捉えたわけである。因みに、このような言語観は、ライブニッツ(の O正2Z 当日正ヨ︹?r・
5
H
︺ウォ Iフの仮説﹂は、ドイツでは必ずしも新機軸を打
ュロス﹄にまでその系譜を、辿ることができるかもしれない。また、ヘルダーやフンボルト的な言語観は、それ以後のドイツ言語
学の伝統を形成することになる。その限りで、後述される﹁︹サピア
北 法3
5 (6 • 4
8
) 736
言語と法 (SpracheundRecht)
ち出したものではなかったのである。ポルツィヒ、トヮリ lァ、ヴアイスゲルバ I (福本喜之助、寺川央編訳)﹃現代ドイツ意
味理論の源流﹄(大修館書広、一九七五年)など参照。
門
(8)
u
(
臼)Z2BED-05田宮片岡(上記註
所 掲)
"
ω 2
・
・
.
H︿︹ 図。-ERr- の円。ロNg 2Froロ
MNonrFω ・
(
臼 ) 4 司自己"∞官宮rogLOZω グ巴ω少 ω
∞ω一﹁・:
ロS22m窓口弘広島B
山
内
・:言語が我々になりかわって︿我々のために)考える﹂ 111
以上は単行本 3 ・口同司ロ∞S による追加︺・
N
=問。 ι25rω-zrgcmゆロgozsgm仲宗祖国内同・
r白ロ ω 司gnrp 凶ιyCHC H
mm2σop ︿Oロ仏O口剛山同出問問。ロ LRι22口
(臼)巧2
門
ロ
NUO芯 m官民ErEC2SFZ口問仏氏名。{件、印-﹀丘一w
M由自N・
ュ2 切ω5、)とセシュエ(﹀]宮町円 ωRr岳ωヨ﹀が
D
C
H切内凶作︼Sm5∞宮山口。向Ehg}P5同町︹これはパイイハ(
U
E
ωEωEHP U
(
臼
﹀
gZコ の cp}) の編んだ第二講義序説が、山内貴美夫
は、一九二八年に別の書感から出ていたものである。なお、ゴデル(玄・M
編んだもので、小林英夫訳﹃一般言語学講義﹄(岩波書応、一九四O年、改版一九七二年)として邦訳されている。この邦訳書
の思想をめぐる複雑な問題の解説は、丸山圭三郎﹃ソシュ lルの思想﹄(岩波書庖、一九八一年)、向﹃ソシュ 1 ルを読む﹄(岩
訳﹃一般言語学序説﹄︿勤草書一房、一九七一年)として翻訳公刊されている。ソシュlルの﹃一般言語学講義﹄の成立事情やそ
波書庖、一九八三年)に与えられているli訳者︺・
(m
(8)
ll訳者︺・
(ω)Z25E 05mr2開ハ上記註
8 ︹単行本 ・ロ日明白・ 2) では、 ω・2 となっている︺・
所 掲γω ・
・
ロ 5
(
mro門間"EOw 8 ︹単行本ハω・口NHり
ロ
・ω
2) では、 ω・4
1
N となっている︺・
(
同
町)22EE 0
・
∞
・
ロ
ロ
目
。
問﹀ 2258
5
ω
r
a
w
E
O
は、﹁既にオッカムハ。。rEB﹀がそう述べている。
、∞・ロ︹単行本 3 ・33 の設門司口・由N
)
M
g
ω円三白町内丹市ア巧ニ﹃乙ヨ︿。口。口rrgfEhm,ユ巾明¥同門司門司nrBRu 関}白血臼F 2︽同日吋FgF向ぽ"切門戸ゲ冨位出向}
・口
N) では、ここから新しい段落に入る。追加された文章と註は、次のようなものである一
Mho
﹂というものである。これに対応して、この部分の本文の引用符もはずされている
これについては
M∞
也
ゲ ω、自由、
訳註︿印﹀単行本
ω
( rzmorz)﹄といった標語ゃ、﹃あらゆる類の異なった考えを排除し﹄、﹃イングソス(開口問ω
O
N
) に惇る思
﹁﹃言語統制
官
官
ニ
ュ
ー
・
ス
ピ 1タ
ω
(
想を文字通り
考 え ら れ な い も の と す る ﹄ た め の ﹃ 新 言 語 (Zg
与gnZ)﹄なるオ Iウエルハ022Z﹀のおそろしい形象を思い
(川町)
・
ロ
新 言 語 の 諸 原 理vruZ2
5色"ω-NN白司、宮司門広三120同Z23g
句 r(
浮べてみたまえ。門﹃イングソス︿開ZSN)﹄とは、ォーウェルの国家を支配している世界観の名である。ピ
・
ス
ピ lタ
ユ
ユ1
J
ロ
円F Z・ J
ハ回)のgaoO25-fHUE-Z叩
豆
、 ヘ
・
ヘ
北法 3
5(6 ・4
9
)737
演
講
嗣
川文庫、一九七二年﹀三九三頁以下︺・
には、﹁相対性原理﹂という意味もある。そこで、もしサピ
。・巴印o
u
ω ・∞句、W505002BEEr(小文典)=︹新庄哲夫訳﹃一九八四年﹄(早
whOE--芯宮司HEN--n
NozrsιR2-25LωnrSF NSE詳F
訳註ハ町山)ここで﹁依存の原理﹂と訳した
いわば比喰的にではあろうが重ねあわせて考えていたのだとすれば、﹁言語的相対性原理﹂とでも訳した方がよいことになる。そ
ア日ウォ l アの仮説と物理学上の相対性理論とを、内容的もしくは各々の学問領域における両者の革命的な歴史的意義の点で、
(4425門 戸 国 巴mgga)
rg氏自gpm-3・
の﹁不確定性原理 (Cロ
の可能性を問い質したところ、グロlスフェルト教授は、これを否定された。しかし、物理学ないし数学との類縁性は、やはり
意識されているのである。但し、それは、ハイゼンベルク
勺ユロ N︼℃とであった。
訳註(九)単行本 2 ・ H
叶印)における追加。この挿入によって、訳註(侃)末尾で指摘しておいた学説史的脈絡が、明確に表現さ
れることになった。
γ5Hmurng品者三片山口哲三
B ・L-ウォ lプ 他 ( 池 上 嘉 彦 訳 ) ﹃ 文 化 人 類 学 と 言 語
Ilz
一頁に、﹁科学としての言語学の地位﹂として抄訳が載っている
、mga50同戸宙開CEM22ωω 巳0
(伺)ω3F g
50 ︹
E ・サピァ、
学﹄(弘文堂一、一九七O 年)一
E 3ι
ω をこロピロ同区間宮、 PF20 白
EFEDE--々、回目Hro-3EU N 誌(∞・品 H2zm) では、=。ロ]昨日。=の後に唱
吋
﹄
︹
が釘たれていたが、単行本
・HapruC に従って、これを削除した││訳者︺・
ω
(
L口開口E
Z
ω ︹前註所掲編訳書四七│六三頁ならびにB ・L-ウォ i フ (J・B ・キャロル編)(池上
山 ) 当roHFω2828LH
(m
嘉彦訳)﹃言語・思考・現実ウォ1フ言語論選集﹄(弘文堂、一九七八年﹀一 O 三lt一 一 九 頁 に ﹁ 科 学 と 言 語 学 ﹂ と し て 邦 訳 が あ
5
5
ι
QAHZnZω) では、﹃ロ凹E 官 g
門UR55・ 自吉正m
る
︺ uZHgroH?FgmE官、同,rgmzg仏列2ロミ(出gm・
p 玄gm 巴印由︹本註所掲邦訳書は、その抄
ω
n、単行本 3 H吋叫明ロ-US に従って削除した11│訳
h
n の後に打たれていた・は
訳。なお、同誌
m
) でご叶 705g
・品円台Z
開
・
円、宮山口となっているが、当該論
ω
(
FD5
ミ二出品一
仏2fFgmEmo ∞
口
内H
者
︺w∞- M
間 QN 誌
文集には、そのような標脇の論文は載っていない。単行本 2 ・
明
白
・
によって、訂正しておく。この点は、次註につい
ても同様である。なお、本論文の邦訳は、﹁言語と論理﹂として、前註所掲編訳書の六五l 八一頁ならびに本註所掲邦訳書の一
mrpwNU∞-呂田・︹なお、﹁ウォiフの仮説﹂は、我が国では一般に﹁ザピア日ウォ l フの仮
二一目1 一三七頁に掲載されているv
説﹂と呼び慣らわされているようであるll訳者︺
北法3
5(6 ・5
0
)738
言語と法 (SpracheundR
echt)
訳註
(η)
単行本(ω・口ω)で挿入された言葉。言語によって異なった論理学が存在すること、その複数の論理学の相互に等価な
ることを、前面に押し出した表現である。
=内回目。口一の宮若ω﹁叫四gD百523hO53∞百件。自目宮ERthはいずれも複数であるから、=同ロF5ロ::-zとなるはずである。
訳註(河)原文は、同誌ハω・品RnZるでも単行本︹ω・口ω﹀でもしロFTea-zとなっているが、指示されている=U52gEZ内 J
(引)考古門?戸田口mgm白血ロ門日T)mFEC"ピミ・︹但し、単行本(∞-H吋ω)では、この箇所が引かれるのは﹁彼は、あらゆる思
は二五二頁からのものとされている笥ロ由30︺
考の言語的背景を明らかにする﹂という文(訳註(花)を付した文の前の文)に対する註(間口・申出)においてであって、本引用文
思 -g(数える)RJZ2N位rr口︿物語る﹀aJZEと(オランダ語。﹃話(ω百円向島町﹀﹄﹀tw=EO
﹁=PE(数 )Eという言葉をこN
訳註ハ日)単行本GeH記)では、ここに次のような註qpHON)が付せられている一
これについては、吋ωロωrp吋roω口EVZHOD同﹀円円。口三百四ドω口開口国間内叩旬、同crpoH甲∞N-
(英語。﹃物語(開﹃NロES巴﹄)土地=g芯己(英語。﹃数える(N町Eg)﹄、﹃話す(Emg)﹄)ミと比較されたい﹂0
(η)
訳註(刊日)スイス連邦工科大学(ETH)のヴィルト教授が一九七0年代に発表した、豊富なデータ形構成の機能と洗練されたプ
ログラム制禦構造を持つコンピューター・プログラミング言語。﹁その簡潔に整理された概念設計と高い実行効率に裏づけされ
た実用性によって、プログラミング言語の歴史に一時代を厨し、プログラミングヰ一国語とプログラミング手法の両者に︹後者は、
円
︼
OrgF旬。ricg ω222uoumC)UNUhZSFHh出向Emmw
1 ・チャンダl他ハ坂井利之監訳﹀﹃コンピュータ用語辞典ハ第二版﹀﹄ハ講
吋﹀∞の﹀ FI
吋コンパイラ(nog-L2)の作成により︺飛躍的発展を促すことになった。そして司﹀∞の﹀円以後に設計開発された
数多くの言語に多大の影響を与えている﹂ハアンソニ
談社、一九八二年﹀五九O l五九一一良﹀、と評される。
叶r
oc ZSιの三ZB︹前註(印)所掲編訳書八三
一 O頁に、へンル﹁言語と思想と文化﹂として収録されている。なお、
l一
邑N
邑 Oロロ﹃件宮巧﹃228白石
( 冗 ) 目ωrsgw﹀ω385
凹
巴印∞‘ω-HU4司巴SEP、吋}忘れZFn吋O口同cmuS∞ω参照。︹単行本ハω・口印明PHCCでは、
片
同誌包・品ZnZCでukrgmr 2 の後に打たれていた・は、同邦訳書索引にしたがって削除した︺w﹀ロロ﹀同ゲO♂ 冨 n
r
・
-
﹁Z252ロ目。ロ2Z﹁拘w
ω 司gnZEHN2zwω・叶Cは、もっと思い切った見解を取る。専門用語も、その例である。ギlスラ
l(22一足﹀は、ωZErO3叶452utE丘一ロ含円当5gEE門官官2EnZ0・pgr﹃ロス¥
ζ ・5巴の書-評匂﹀NMONS-
北法 3
5 (6 ・51
) 739
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てゆく。/そうしているうちに道理が非理になり、いい法律が悪法になる。/後世に生まれたものは災難だ。/われわれの生ま
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025m2ZG﹂││﹁既得権(君。Z242ZZ 列27Zどではないーーに言及させている。グロ l スフェルトはそれをむし
ろ、ゲーテ"メフィストの批判の対象であった永遠の病気のように遺伝してゆく法律や制度の意味に用いて、それに新たな意味
一対一・六一八。
を付与していこうというわけである。
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訳註 (出
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三八五頁。
訳註(川目﹀相内同窓 N∞'訳註︿叩﹀所掲邦訳二回二
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m﹀ 単 行 本 2 ・53 では、この文からまた新しい段落に入る。
訳註(
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訳註(悦﹀講演者による補足。単行本 3 ・
ユ258Hr 巾Zm吉岡市 O﹃ 戸ω垣 間 早 玄Oω
rroEH∞包︹単行本
(巾出)国防mZZHOE-H25
円 Fωg
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三年の出版としているのは誤りである︺ ∞-Hg参照。回日nrZL同(上記註(臼﹀所掲﹀um・8∞は、詩(司02一るについて、
﹁彼女が彼に或る玄妙なる言語を語るとき、彼は、それが以前もっと良いあり方で自分のものだったに違いない、という思いを
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﹀単行本(∞-g印)では、この後に次の文が追加される一
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5巴では削除された。
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(mm)
訳註(町四)この言葉は、単行本 2
の2ELE-nr円(上記註(ロ﹀所掲γω ・ も同旨︹単行本 3 5 印明ロ円
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む 単 行 本 2 5 日)では、この前に ・
﹁それ(詩という形式﹀は、言葉を精神的な力として花聞かせる﹂
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r巾♂可白民向。ロZE、∞同日が引かれている。更に、国巳
N) において、ロ己n
という文が挿入され、そこに付せられた註(司ロ・ Z
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︹後記︺ベルンハルト・グロ l スフェルト氏は、現在ドイツ連邦共和国ハ西ドイツ﹀ヴエストファ 1 レ ン 州 ミ ュ ン ス タ ! 大 学 教
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授。外国私法・経済法ならびに国際私法・経済法研究所(同日吾己主吋 EmzzunrgEEE25同
∞円宮町門己2Z) を主宰されるほかに、団体法研究所(同日号E E円。222ロ
mnEZ者22) の所長の一人でもあられる。
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l白に公表されたものであるが、野田良之教授(﹀口問。一c訳)の同ロゴD
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本講演は、原註にも記されているように、元来、ミュンスターにおいて、グロニンゲン(オランダ)から来た学生たちを相手に
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君、思誌などに依拠しつつ、日本語の論理性や日本文化の言語的特性に関説したところがあるため、所
して行なわれたもので、既に﹄E223N巴ZD四回国宮、
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論の妥当性をテストしたい、というグ戸 l スフェルト教授のたっての御希望もあって、昭和五九三九八四)年九月一一一日(金﹀、
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言語と法 (Spracheund Recht)
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その後、大幅に手を加えた上で、∞ぬ吋出EL
北海道大学法学部において催された法学会の席上、あらためて講演して戴いた次第である(当日の模様については、討論の内容も
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含めて、本誌前号一四O頁以下にある訳者の筆になる法学会記事を参照され度い
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gNOFS問所収の本文に拠っている。但し、講演会の席上、教授御自
本翻訳は、基本的に、当日の講演のテキストであったT ユ丘
当日は省略された部分は、そのまま訳出し、特に断わることもしなかった。単行本との異同は、気のついた限りでではあるが、や
身が指示された訂正ならびに補足説明は、能う限り、これを生かし、その旨を訳註で明記することにした。他方、時間の制約から
はり訳註に示すことにする。但し、こちらの方は、本文だけに限り、主として参考文献の補充に由来する原註の異同は、一切、こ
本文中の(﹀は、意味を明確にするための繰り返し的説明であり、一方、同じく︹︺は、補充的説明である。したがって、
れを無視したl │尤も、単なる文献註にとどまらない内容的な註については、必ずしも、この限りではない。
後者内の語句は、当該︹︺を含む本文と一続きの文として、そのまま読み下して戴ければ、倖である。原文にある()と筆者
イタリック
が付したハ)との区別は、原則として、断わることをしていない。また、原註と訳註を別々に纏めることはせず、両者を一括
れで一貫している訳ではないし、単行本の方では、註は別段、本文では正立活字になっているので、本翻訳では、全て通常の活字
して、対応する本文の流れに従って、順にこれを配列した。もう一つ、原文では、人名は斜字体で印刷されているが、必ずしもそ
なお、訳文作成に際しては、特に、本学部助教授小川浩三氏の御力添えを賜った。また本翻訳をこのような形で公表するについ
で印刷してもらうことにする。
ては、グロ l スフェルト教授ならびに同教授の来日を企画し主導された一橋大学法学部教授久保欣哉先生の覚大な御許可と多大の
て、心から感謝申し上げ度い(昭和五九年一 O月下旬)。
御尽力、そして本学法学部の五十嵐清教授の御世話を恭けなくした。末筆ながら、その旨をここに記して、以上の諸先生に対し
追 加 三 一 l 一二二頁の註(お)のうち、訳者による補足説明の部分の末尾に、更に以下の文章を追加する一
セプzr
ウアギンタ
﹁なお、﹃霊守EU3F4EEm)﹄に導かれた翻訳というイメージについては、聖アウグスティヌス(﹀口問5ZEm) が、ヒエロニ
ムス訳に対する七十人訳の優位性を弁証して述べたところを参照せよ。すなわち、
﹃聖書をへブライ諮から他の言語に訳した者が正確であれば、七O人の翻訳者に一致するし、もし一致しないようであれば、預
北法3
5(6 ・5
7
)745
演
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言の深さは後者のうちにあると信ずべきである。預言者が語ったとき、預言者のうちにいた同一の霊が、七O人の者たちがそれ
に、他方を語ることもできた。どちらも同一の霊が諮ったからである。また、言葉は同じでなくとも、よく理解でさる者には明
を訳したとき、彼らのうちにもいたからである。その霊は、神からの権威によって、あたかも預言者が両方を語ったかのよう
のは、神の霊が翻訳者を通しては語ろうとせず、預言者を通して語ろうとしたのである。だが、七十人訳にはあってへプライ認
らかになるように、同じことを異なった仕方で諮ることもできた。また、あるものを省き、あるものをつけ加えることもでき
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
た。それは、そのようにしても、この仕事には、翻訳者が人間の言葉に対して負っている奴隷的忠誠ではなく、むしろ翻訳者の
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
精神を満たし導いている神のカが働いていることが明らかになるためである。:・:でフライ語の写本にあって七十人訳にないも
とを示そうとしたのである・・・﹂(﹃アウグスティヌス著作集 M
﹁神の国﹂伺﹄(大島春子・岡野昌雄訳、教文館、一九八O
写本にないものは、その霊が預言者を通してよりも翻訳者を通して語ることを欲し、そのようにして両者ともに預言者であるこ
年﹀三五六│七頁、傍点和田)。
テキスト
真の翻訳は、創造である。但し、それは、一言葉もしくは文章自体の創造力による。似たようなことは、 オ リ ゲ ネ ス (02閣σロ
2﹀に
始まるといわれる︹聖書の︺﹃霊的﹄解釈についても、指摘できよう﹂。
北法 3
5(6 ・5
8
)746
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