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都市と農村の交流を通じた新しい農業経営の展開(PDF

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都市と農村の交流を通じた新しい農業経営の展開(PDF
農林水産政策研究所 レビュー No.2
本日の共通テーマは,「都市と農村の交流を
通じた新しい農業経営の展開」ということで
すが,今回の報告者は3人とも果樹の農業者
であり,果樹の話が多いかと思いますが,
「都市と農村の交流」を通じた果樹生産にお
ける新しい農業経営をみていきたいと思って
おります。
早速,報告に移らせていただきます。最初
の報告は,岩手県岩手郡滝沢村の上野カナエ
さんです。滝沢村の紹介をしますと,2000
年の国勢調査で人口5万人を超えた盛岡市の
ベッドタウンという地域で,通常の村からイ
メージするところとは違っていますが,岩手
山の山麓の風光明媚なところです。上野さん,
報告をお願いします。
○上野 私にきょう与えられたテーマは,
「都市と農村の交流を通じた新しい農業経営
の展開」ということでございます。5,6 年
前に我が家の農業経営を見直しました。それ
までは,養豚と田んぼと,それからリンゴ園
と3つの柱で経営して 30 年近く専業でやっ
てまいりましたけれども,私たちの農業経営
の総締めをするということ,後継者のことと
かいろいろありまして,リンゴ専業になりま
した。
1995 年には,経営の見直しを図るという
こと,家族構成の変化や後継者のこと,老後
の私たちの生き方ということ,そういうこと
でリンゴ専業になったわけなんです。以下,
リンゴ経営事業の順序を追って説明していき
たいと思います。
1996 年に事業に取りかかりまして,1700
本のワイ化のリンゴを植えました。総面積が
2.5 ヘクタールでした。1997 年,次の年,リ
ンゴを育てる途中でしたが,岩手山のふもと
に,ものすごく見晴らしのいいリンゴ園が,
思ったよりもすばらしくでき上がりました。
私は,30 年以上専業で養豚をやったり,田
んぼに入ったりとか,いろいろ経営の安定の
ためにやってきたんですけれども,その中で,
自分自身が感動できるリンゴ園ができあがっ
てきたんです。また,周りの友達から,すご
くすばらしい,いいリンゴ園ができたねと言
われたところから,ああ,そうだ,私がこれ
を1人で抱きしめているのではなく,いろん
平成12年度
駐村研究員会議報告記録
都市と農村の交流を通じた
新しい農業経営の展開
平成 12 年度駐村研究員会議は,平成 13 年
2 月 2 日に「都市と農村の交流を通じた新し
い農業経営の展開」を共通テーマとして開催
された。今回の会議の報告者は以下の通りで
ある(敬称略)
。
(1)上野 カナエ(岩手県岩手郡滝沢村)
(2)湯本 隆人(長野県下高郡山ノ内町)
(3)梶川 耕治(広島県世羅郡世羅町)
座長として会議の進行は,堀越孝良部長
(経済政策部・当時)と松久勉研究員(農業構
造部・当時)が担当した。3 人の報告後,討論,
各駐村研究員からの情勢報告が行われた。会
議には関係機関等所外からも多数の出席を頂
いた。以下は,同会議の報告の記録であり,
紙幅の都合から,3 氏の報告を,企画連絡室
研究交流科の責任において編集・整理したも
のである。なお,以下の報告を含め,当日の
模様は「平成 12 年度駐村研究員会議議事録」
( http://www.primaff.affrc.go.jp/annai
/soshiki/kiren/koryuka/Index.htm)として公
開しているので関心のある方は参照されたい。
○司会(野部)本日の会議は,座長の司会の
もとに進めさせていただきます。座長は,経
済政策部の堀越部長,そして,農業構造部の
松久主任研究官でございます。それでは,以
下の進行を2人の座長の方にお任せしたいと
思います。よろしくお願いいたします。
○座長(松久) 午前中の司会を務めさせて
いただく農業構造部主任研究官の松久でござ
います。どうぞよろしくお願いいたします。
では,本日の会議を始めたいと思います。
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農林水産政策研究所 レビュー No.2
な人に出入りしてもらおうと考え,観光リン
ゴ園という発想が出来上がりました。
それで,3年目に家の中で話し合いをして
(労働力は私と夫の2人です),いろんなお客
様を入れて,遊びを入れた農業経営,いろん
な人の出入りできるリンゴ園にしたいという
目標を1つ定めました。それまで豚と田んぼ
とをやっていたものですから,小屋とか周り
の建物がいっぱいあったんですけれども,そ
この古い建物を利用して,1998 年,休憩所
をつくりました。名前は「御廬里庵(ごろり
あん)」――ごろりと横になって休む場所と
いうこと――で,古い小屋を改造してそうい
う場所をつくりました。うちに遊びに来た人
が本当にうちの人のように,自分のうちのよ
うにゆっくり休んでもらいたいという感覚で
始めました。
私は 30 年近く農業だけでやって,結婚す
る前も 15 歳で社会に出ましたので,私の足
りない分を少し勉強したいなという思いがあ
りました。そこで,リンゴ専業になった3年
の間に,私は通信教育で高校の勉強をやり直
しました。そこでは,高齢化社会と,それか
ら環境問題等を強調して教えてくださいまし
た。その影響で,自分のリンゴ園もノーマラ
イゼーションのことを考えて,車いすの人と
か,そういう人も出入りできるようなリンゴ
園だったらいいなと思うようになりまして,
トイレを車いすで入れるようにしました。
そんなことで,リンゴ園の整備を3年間,
私の学習をしながら手入れをしているうち
に,リンゴがなり始めましたので,リンゴ園
にオーナー制を取り入れました。私は,自分
の今まで農業でよかったなという気持ちと,
リンゴ園を始めた思いを,1人1人話をして,
うちを本当に納得してもらうというか,いい
なと言ってくれる人とオーナー契約を結ぼう
と思いました。
最初の年には 76 名の方にオーナーさんに
なってもらいました。その年には,近くの保
育園の子供たちを招待して,私のつくったリ
ンゴの話をしたり,それから,リンゴ狩りを
させたりして,保育園との交流を始めました。
最初の年のオーナーさんには,秋にオーナー
祭ということで皆さんに来ていただいて,う
ちの周りで手打ちそばをやっているおばあち
ゃんを呼んで,手打ちそばをごちそうしたり,
にぎやかに1年の苦労を語り合いました。こ
うして最初の1年目の交流が終わったわけで
す。
1999 年に,2年目ですけれども,リンゴ
園の中に車いすで入れるようにということで
一部舗装をいたしました。というのは,前の
年にうちにリンゴ狩りで来たお客さんの中
で,足の悪いおじいさんをリンゴ園の中に連
れていこうとしたら,いや,私は足が悪いか
ら入れないからここにいると言って畑に行き
ませんでした。そのときに,うちの人が車だ
ったらリンゴ畑まで入れるからと,リンゴ畑
の中をずっと車で見せて歩いたんですが,そ
の人はすごく喜んでくれました。こうした経
験から,リンゴ園に1人でも行けるような小
道をつくったわけです。
2年目のオーナーさんは,営業の成果で,
ちょうど倍の 140 人ぐらいになりました。人
がいっぱい集まってくると,やっぱりいろい
ろ問題も起きてまいります。先程の舗装の話
もそうです。私がやれる範囲でお客さんを入
れるということで,何とか2年目は終わりま
した。それで,ちょうど去年のことですけれ
ども,リンゴ園の中に直売所を開店しました。
直売所は,実は豚小屋を改修したものです。
私たちは 30 年ぐらい豚を飼ってきたんです
けれども,30 年の農業専業のいろんな苦労
とか,思いを全部込めている豚小屋でしたの
で,どうしても壊せませんでした。そこで,
大工さんにどうにかならないだろうかと相談
しましたら,すごく素敵な設計をしてくださ
いまして,ここが豚小屋だったかと思うよう
な素敵な直売所をつくっていただきました。
直売所には,リンゴの倉庫やリンゴの枝で染
物ができる体験工房を併設いたしました。そ
んな形で,ここ 4,5 年,ソフト面よりも,
むしろハード面を整備するために頑張ってま
いりました。
その中で,いろんな人との交流を体験いた
しました。とりわけ印象深かったのが,家族
で遊びに来た四,五歳ぐらいのお子さんとの
交流でした。彼は,トンボが飛んできて頭の
上にとまったら怖いと泣いたんですね。私は,
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農林水産政策研究所 レビュー No.2
信じられない光景だったんです。トンボが怖
いというのは,何とも異様な光景で...。自然
に触れてない子供がいっぱいふえているなと
いう気がいたしました。それで,私はそのお
子さんにリンゴ園を一緒に案内して,トンボ
とか,その辺の草とかを触らせたりして,帰
りにはトンボはかわいいというところまで,
一緒に歩きながら,教えました。そうしたら,
一緒に来たおばあちゃんがとっても喜んでく
ださいました。リンゴ園でリンゴを収穫して
持って帰るというだけではない,自分でも想
像しなかった展開にどんどんなってきている
なと感じました。
うちのリンゴ園のオーナーになってくれた
方からは(まだうちに1回も来てもらってい
ない方もあるんですけれども),いつか上野
リンゴ園に行きたいという夢とか,そういう
思いだけでもすごく楽しいんだよというお手
紙をいただいております。今後は,日本全国
に私のリンゴ園のオーナーを広げていきたい
なと思っております。私の夢としては,都道
府県に1人以上のオーナーを見つけたいなと
思っております。
それから,これからの希望として,やっぱ
り私たちの老後も含めて,私もいつか体が不
自由になるかもしれないけれども,そのとき
に最後まで私自身がリンゴ畑の中に埋もれて
いたいという思いがあります。この点からも,
バリアフリーのリンゴ園をこれからも位置づ
けていきたいと,自分自身のためにも思って
おります。
この前,横浜の女性フォーラムに参加して,
いろんな研修をしてきたんですけれども,そ
こで話し合われた主なことは,とにかくこれ
からは心の時代だと言うことでした。形より
もとにかく人と人とのつながりとか,心が一
番大事じゃないかと,何を語るにも,とにか
く余り先を急がなくてもいいから,優しさを
大切にしていけばいいんじゃないかというこ
とが話題になりました。私も,私のリンゴ園
の中で訪問してくださった人との触れ合い
を,優しく,長く,ゆっくり続けていきたい
なという思いでおります。
地域のコミュニケーションの場として,こ
れからも身近な人たちの触れ合いと,それか
ら,うちに来てくれたことのない人たちのい
つか訪れてくれることを希望しながら,ちっ
ちゃなリンゴ園ですけれども,私は,農業に
関しての思いを,私のうちから発信していき
たいなということで今の仕事を頑張っていこ
うと思っております。
まとまりのない報告になりましたけれど
も,リンゴ園の私の体験交流を,都市の人た
ちともこれからも手をつないでやっていきた
い,農業のよさをいろんなところに広めてい
きたいなという思いでございます。
ありがとうございました。
(拍手)
○座長 どうもありがとうございました。上
野さんから,養豚,米,リンゴの複合経営か
らリンゴの専作経営に変換し,それと同時に
リンゴのオーナー制を導入して,都市住民な
どとの交流を進めてきたこと,さらに交流の
中身を拡大し活動の多様化を図ってきたこと
が紹介されました。
続きまして,2番目の報告,湯本さんの報
告に移らせていただきたいと思います。 湯
本さんは長野県山ノ内町からきていただきま
したが,山ノ内町はスキーで有名な志賀高原
の一部の地域が含まれおり,温泉場もある町
です。湯本さんもリンゴを中心とした経営を
されています。よろしくお願いします。
○湯本 湯本です。先ほどの上野さんのやっ
ている農業のハートとは通ずるものがあるん
ですが,長野県のはやり言葉の,しなやかな
販売方法とか,そういうのには敬意を表する
ところであります。
私は,ことし 52 になります。私たちの組
織は「自由個性集団・あくと」といいます。
「あくと」というのは,私たちの方言で「踵
(かかと)
」という意味です。それから先ほど,
私,自分の年齢を申し上げたのは,ほぼ私が
かかわってきた歴史ともかかわるからです。
私が農業を始めて 27 年目になります。
さて「あくと」ですが,何でこういう仲間
ができたかといえば,ちょうど今頃やります
リンゴの共同剪定がきっかけです。共同剪定
というのは,若手の登竜門というか,腕を磨
くところで,それなりの時間当たりの剪定代
をいただくんですが,剪定をしているという
ことは,1本の木に取りかかるというのは黙
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農林水産政策研究所 レビュー No.2
ってやることはないわけであります。必ずお
しゃべりをして,あの娘がどこに嫁に行った
とか,あの女の子がいい子とか,あそこの嫁
さんは意地が悪いとか,そういうようなこと
を話しながらやります。当然,夕方になれば
寒いものですから酒が入るわけです。酒が入
った後は,りんごを幾らで売ったかとか,農
薬をどの店で買って,どのくらい安いかとか,
段ボールがどうだ等の話になっていきます。
最初は,そういう若手の情報交換の場だっ
たわけで,これをきっかけとして私たちは,
段ボール屋との交渉に入りました。また,農
薬屋を呼びつけて,ある程度,共同購入して
いくわけですが,業者が請求書のあて名書き
がないから困るといいだしました。そこで名
前をつけようということにり,1975 年1月
31 日に「あくと」の発足となったわけです。
そのころは,昭和 50 年ですから,時代背
景とすれば「複合汚染」というのが連載され
たころです。翌年の剪定になると共同販売を
してみようという話になりました。早速心当
たりの消費者団体を回るんですが,なかなか
受け入れてもらえない。そこで,自分たちの
リンゴの特色を全面に出すことにしました。
通常ではリンゴは,ちょっと早取りするんで
すよ。早取りして人工着色してから売る。し
かし我々のは完熟してから売る,それを自分
でトラックで運んでやりますよと,そういう
切り口でいったわけです。
すると,口コミというのは恐ろしいもので,
当時安全性が求められるような時代背景があ
りまして,支持を受けることになりました。
口は口を呼んで,関東から関西へ,関西か
ら九州へみたいな,割とブームに乗って広が
りました。
そうすると,さっき言った「複合汚染」と
いうので,無農薬にしてくれということをい
きなり無体なことを言われました。我々も単
純ですから,やってみましょうということに
なったんですが,畑は惨たんたるものになり
ました。葉っぱは落とすわ,虫は出るわ,こ
れがあんたたちが望んだリンゴだよ,買って
くれと言ったら,突き返されました。
そこで,私たちはどういうリンゴが自分で
つくりたいかというイメージをしたときに,
おのずからかけなければならない消毒の適期
というのがわかってきました。試行錯誤の結
果,今はかなり安定して,消毒約6回で,ま
あまあのものがとれております。
ところで,集団でやるというのは,しょっ
ちゅう話し合いをしなければならないという
ことです。最初のころは区民会館とか公民館
とか,いろいろなところを使って来たんです
が,やっぱり会議の場所が必要ということに
なり,集会所をつくりました。集会所をベー
スとして,農薬はどれがいいか等の,リンゴ
づくりの考え方の土台のトレーニングをつみ
ました。
その間にもいろいろな災害にあっておりま
す。それが,一番ひどかったのは,1982 年
の8月2日の台風 10 号の時でした。これに
はまいりました。ちょうどその直前に夏の交
流会というのをやっておりまして,そこで消
費者が来て触っていたリンゴが全部落ちてい
たわけです。そのときに考えついたのは,
「あくと債券」という債券です。それは,3
年据え置きの債券でして1万円コース,3万
円コース,5万円コースというので総額
1200 万円ぐらい借りることができました。
後で返済は完璧にやるわけですが,そうい
うしのぎ方をしていく中で,今の私たちは,
「あくと債」は余り出したくない,自力でや
っていった方がいいなと思っております。た
だ保障としては「あくと債」も重要であった
と思っております。
それから,リンゴというのは,当然,さっ
き言ったように,品物にならないものが出ま
す。その対策として,加工施設を持ったらど
うかということで,本来なら補助金をもらっ
てやればよかったんですが,ひもつきになる
のが嫌だということと,ちょっとした内部留
保があったもので,自前で工場兼事務所を建
てました。
ジュースというのは割と便利なもので,台
風で落ちたときには台風ジュースという形で
出すと,ある程度の反応があります。ある意
味では共済的というか,全くゼロではないわ
けです。そのうちにジュースでも問題が出て
きて,そんなに多く生産できなくなっていく
んですが,リンゴゼリーなるものを委託して
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つくって,それでやってきました。
私たちの場合,先ほど紹介にありましたが,
志賀高原というスキー場が近くにあります。
交流会の開催のための宿屋というものは,か
なりいっぱいあるわけです。そこで,分宿し
て宿屋に泊めるという方法で,春,夏,秋,
冬の 4 回交流会をもっております。春は値段
の決定みたいなものをつきあっている団体の
代表者(大小合わせて 33 カ所ぐらいです)に来
てもらって,ことしこれだけの量を引き取っ
てくれというようなことをやっております。
夏は,バスで仕立てて来る交流会といって,
キャンプファイヤーなんかもやっておりま
す。あるときには,1週間に3回やりました。
3回もキャンプファイヤーをやると,ちょっ
と最後に飽きますが。
それから,秋は援農という形でおこなって
おります。最初は分宿してもらって,最後の
日はホテルに行って合同になります。それか
ら,スキー交流会も途中から始まりまして,
これが冬の交流会ということになります。
消費者団体の関係ではありますが,最初は,
生協とつき合っていました。ところが生協
というのは,価格の点で非常に私たちのとこ
ろをいじめてきました。そうすると,やっぱ
りもうちょっと近いのは共同購入会かなとい
うところで,そこに対するアンテナをかなり
張りめぐらせていくようになりました。小さ
くても,量は少なくてもそれを1つ1つ拾っ
ていけばかなりになるんじゃないかというこ
とで。
現状を言いますと,関東はほとんどは共同
購入会型です。関西の方は,共同購入会が法
人化していて,株式会社なり生協になってい
くものですから,そうすると,向こうの論理
が,かなり品ぞろえとか,そういう昔我々が
痛い経験をしたところをロジックを使ってや
っていきますが,そこは今,そこそこの妥協
をしながらやっております。
私たちが始めたころは,若くて熱気があり
ましたから,何かを変えていきたいとか,何
か本物をやっていきたいということであっ
て,それを受け入れた相手の主婦も若かった
ものですから,年がだんだんたってきますと
子供が独立します。そうすると,今まで 10
キロ買っていたのが7キロ,7キロ買ってい
たのが 3.5 キロと,非常に昔ほど箱買いが少
なくなってきました。それと,コンビニが冷
蔵庫がわりという考え方がありまして,それ
も影響しているかと思っております。
来る前に調べてみたんですが,我々の「あ
くと」の去年の販売実績は,私たちケースあ
たり7キロ換算なんですが,大体2万 5000
ケースで 17 トンぐらいです。巨峰が 3000 ケ
ースで 1.2 トン,昨年度の総売上が 7700 万,
いっときは1億を超したときもありました
が,このごろはちょっと苦戦しております。
それから,今,我々がつくっているリンゴ
の品種で,需要と供給がアンバランスなリン
ゴがあるわけですが,ちょうど合っているの
はいいんですが,供給が多い方は,それは例
えば具体的にはつがるとふじなんですが,そ
れをほかの品種に変えるとか,具体的にはあ
じぴかという品種に変えていくとか,あるい
は桃に切り換えていくだとか,そういうのは
話し合いのもとに何となくやらねばならぬか
なというところです。
後継者は,まだだれも決まっておりません。
ただ,我が家のことを言えば,百姓は嫌いで
はない,しかし今は好きなことをしたいとい
うところです。ただし消費者がうちに来たり
して,親が楽しげにやっている後ろ姿を見て
いるのか,非常に好意的であります。人に聞
いてみても,百姓はいつかやるだろうという
形で,長男で百姓をやった者は外の世界を見
ていないものですから,非常に幅が狭い,そ
ういう指摘があったりするものですから,ち
ょっとやっぱり外の世界を吸ってこいという
雰囲気が我が仲間たちにはありまして,多様
な価値観で最後に百姓をやってくれればいい
なと思っております。
以上,体系立ったしゃべりはできませんで
したが,私たちの 27 年目の,成り立ちから
今までの話でした。以上です。
(拍手)
○座長 どうもありがとうございました。
湯本さんの報告は,「あくと」の創立当時
から今日までの推移,並びに最近の動向とい
うかたちでまとめられていました。続きまし
て,最後の報告,広島県世羅町の梶川さん,
世羅幸水農園の方からの報告をお願いしま
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す。よろしくお願いします。
○梶川 広島県世羅郡世羅町から来ました梶
川でございます。どうぞよろしくお願いしま
す。
私たちの農園は,昭和 38 年4月1日に農
事組合法人世羅幸水農園として発足しており
ます。当初は,26 戸でしたが,現在は 21 戸
で共同経営として組織としてやっておりま
す。面積は,全体で 121.5 ヘクタールござい
ます。作目はナシを栽培しております。当初
は,幸水とか長十郎でやっておりましたが,
昭和 50 年ごろから豊水に切りかえておりま
す。全体の栽培面積は 78.5 ヘクタールほど
あったんですが,今現在は改植中でもござい
ますし,基盤整備をやっておりますので,約
70 ヘクタールぐらいの栽培をやっておりま
す。
生産目標としては,かなり高いところをね
らっておるんですが,最近自然災害が多いと
いうことで,なかなか生産量が上がっており
ません。現在 1200 トン余りを生産しており
ます。内訳として,市場出荷が約 760 トン,
直売が約 500 トンです。ここで市場の状況な
んですが,最近特に市場価格が低迷をしてお
ります。
したがって,今地場の方に力を入れておる
ところでございます。立地条件としては,広
島県の中央部に当たりまして,世羅台地を形
成しております。これは,瀬戸内海と,それ
から日本海とのちょうど分水嶺になりますの
で,台地になっておるところでございます。
瀬戸内海の方へは 40 キロぐらい行けばあれ
ですが,日本海はかなり行くんですが,急に
瀬戸内海の方から登りまして台地を形成して
おるということで,気温差が非常に大きいと
いう地点でもございます。
アクセスですが,私たちの地域は広島県の
中心地でありますし,最近は広島空港等も近
くにできまして,北には中国自動車道,それ
から南側に山陽自動車道というように通って
おります。各種道路が整備中でございますが,
現在でも県内の中小都市からは 30 分から 40
分ぐらいで来ていただけるような位置にござ
います。
農園の特色といたしましては,家族的共同
経営でやっておる関係で生産法人という点に
あります。特に果樹をつくっておる関係上,
やはり永続的経営と安定を図るように努めて
います。どうも昔の農業というのは,とにか
く体を粉にして働く農業が多かったわけでご
ざいますが,我々の場合,人間優先というこ
とを当初の先輩の組合員の方々が打ち出して
いただきまして,それを守っております。健
康管理を農園でやっておりますし,やはり労
働適正化ということで,労働に見合った栽培
方法,あるいは面積なりを検討しております。
同時に福利厚生面の充実に取り組んでおり
ます。社会保険とか,農林年金とか,そうい
ったものには全部加入をしております。特に
後継者育成には力を入れてやっておるところ
でございます。収量は目標に対して少ないわ
けですが,余り気にせず,安全で安心な果実
をつくるための生産体制を整えることに重き
をおいて取り組んでおります。こうして今,
38 年ぐらいになるんですが,昭和 40 年代か
らやはりナシを栽培してみて,どうしても市
場に出せないものが多く出てきます。これの
販売をどうするかということで,直売をその
当時から始めておりました。直売所を開いて
口コミでお客さんをふやしてきました。現在
では,農園に買いに来てくれるお客さんが
10 万人ぐらいおりますけれども,これらの
もとは,昭和 40 年ぐらいにあったわけです。
その当時,まだ観光農業というのがなかな
かない時でしたが,われわれは 49 年ごろに
始めております。それは,ナシの方でなしに,
周辺に春から人を呼んでナシに結びつけると
いう考えで,やっておったわけです。また,
35 年ぐらいたちますと,やはり木も古くな
り,そういった生産の落ちる木も出てきます。
また,圃場整備も必要になってきます。そう
いったことから経営改善 10 カ年計画を平成
8年から9年にかけて開始しております。
第 1 は,基盤整備です。それは,1区画の
圃場を3ヘクタール規模にしようということ
で現在やっております。今までは,基盤整備
をしても,やはり生産する圃場だということ
で,なかなか景観とか,そういったものは余
り考慮せずに開発してきておりましたけれど
も,やはり景観と圃場が公園化的なものにな
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るように整備していきたいなということで,
現在取り組んでおります。
第 2 は,生産の安定と改植です。新しい品
種の導入等も入れて,構成の改善を図ろうと
しております。
第 3 は複合経営への切り換えです。ナシ栽
培だけで今 38 年来ておりますが,これでは,
労力の分散もできませんし,年1回の収入で
1年間の経費を賄うということになります
と,気象災害等も見ましたときに非常に不安
定な要素が多いということで,複合経営に切
りかえてはということで,10 カ年計画の中
で検討しております。
こうした複合経営への切り換えの中で一番
の柱となっているのが,直売交流施設「ビル
ネラーデン」です。平成 10 年に建築し,今
2年間行ってきておるところでございます。
複合経営への取り組みの基本は,消費者
(都市)の方の「観る」「遊ぶ」「体験,作る」
「買う」「食べる」という5つ項目に対して,
農園側の生産者の方はそれに対してどういう
ような改善をしていけばいいかということで
考えております。
直売所の内容ですが,ナシを主体に販売し
ておるわけです。そうすると 8 ∼ 10 月の 3
カ月に限定されてしまいます。それでは,い
けないということで,野菜あるいは米,花,
お茶というような加工品,乳製品とか,そう
いったものもこの直売所でやっております。
これは,周辺地域の農家の方々に出店してい
ただいており,ある程度契約してやっており
ます。
本来なら,こういった交流施設は町なりあ
るいは農協なりが中心になってやっていただ
ければいいんですが,それを待っていたんで
はなかなかできないということで,我々が率
先して始めたものです。こういうことがきっ
かけになりまして,農業公園とか県民公園と
かいうものの計画も動いておるようです。
直売交流施設「ビルネラーデン」ですが,
これは販売を開始して今2年目になります。
ここでは,ナシの直売の他,受託(付近の農
家,地域の農家の方のものを売る)をやって
おりまして,これが1年間で 1000 万円ほど伸
びております。本年からは,先ほど言いまし
たように,ナシの直売の他,イチゴのハウス
栽培をしてイチゴの販売を始めております。
こうした取り組みを通じて,お客様を 1 年通
じて呼んでいこうとしているところでござい
ます。
11 年度の事業では,ブドウのハウスを 2.7
アール,イチゴを8アールほど建設しました。
また約1ヘクタールほど土地がまだほかのも
のを栽培しておりませんので,そこに本年は
大麦をまきまして,今麦を育成しておるとこ
ろでございます。春には,これが青々として
景観もよくなるんじゃないかなと思っており
ます。
都市との交流ということですが,今までは
町なり商工会なり,農業団体もですが,イベ
ントを我々の地域で開いて,都市の人に来て
いただいて帰っていただくというのをやって
おったわけです。しかし,どうもこれは余り
効果が上がらないといいますか,どうも都市
の人をお客様扱いにする。また,都市の人も
そういった気分で来られるということで後に
つながらないという問題があるんではなかろ
うかということで,広島県では新しいイベン
トを行っております。それは,広島市の繁華
街のど真ん中に「夢プラザ」という拠点を設
置し,各町村の産物を直売し,情報提供し,
宣伝をしております。
広島県の全体の報告をしなかったんです
が,広島県は,日本の縮図みたいなところで,
本当に温暖なところから厳しい山間地まであ
るわけでございまして,海のものもあり,山
のものもある。この「夢プラザ」では,今の
時期は広島はカキが本場でございまして,海
のものが出店されております。我々は,夏が
主体になるわけです。広島県ではどの地帯も
自分らの旬の時期があるわけなんですが,そ
ういう時期を集めますと,年間通じてこの販
売ができる。この年間通じて果物が提供でき
るという点に「夢プラザ」の運営の有利さが
あるわけでございます。それによって,また
我々のところを紹介しながらやっております
が,非常に盛況です。この「夢プラザ」を中
心に交流の情報提供をしておるところでござ
います。
最近非常に困っているのは,もぎ取り観光
79
農林水産政策研究所 レビュー No.2
が非常にお客様が少なくなっていることで
す。「何々狩り」という時期は過ぎたかなと
いうふうに今思っておるところでございま
す。ミカン狩りも早くからやりましたけれど
も,今は本当に少なくなっておりますし,リ
ンゴも少なくなっております。
そうしますと,やはり交流施設をつくって,
体験していただくような施設とか,ゆっくり
買い物をしていただくというような,あるい
は体験していただくというような施設が必要
なのかなというように痛感して,今 10 カ年
計画では直売交流施設をつくったわけでござ
います。これも,1億 2000 万円ぐらいかか
っておりますけれども,そのうち 2000 万円
ぐらい冷蔵庫,氷温冷蔵庫,長期貯蔵ができ
るような施設で,ナシの販売も5月ぐらいま
ではやっていきたいということで貯蔵してお
るところでございます。
ナシも,ハウスもあるわけなんですが,や
はり自然でつくってそういったものをお客様
にアピールしていこうということで,今貯蔵
しておるところでございます。その方がハウ
ス施設よりは生産コストも安くつくし,いつ
でもお客様が欲しいときに供給ができるとい
うこともございますので,大分お歳暮とか,
そういったものにもかなりやりました。
最近では加工もやっておるところです。リ
ンゴのジャムとか,ナシのジャムとか,ナシ
とリンゴと一緒にしたジャムとか,そういっ
たジャムづくりを今して,本年から何とか物
にならないかなというようにやっておりま
す。
農園だけでは品数がどうしても不足します
ので,周辺の農家に野菜とか乳製品とか,そ
ういったものもお願いしておるところです。
世羅郡は3町ありますから,地域が我々の町
村だけでなしに,隣の町村も巻き込んだ郡単
位で物を考えていっておるところでございま
す。
また,宣伝してリピーターの確保に努めて
おります。それは,広島県に限らず,岡山あ
るいは愛媛,それから,島根,鳥取,山口と
いうように周辺の県にも宣伝に出ておりま
す。四国からは,橋がかかりまして,岡山も
山陽高速で近くなりましたし,愛媛も橋がか
かって,また近くなりましたので,山陰と四
国を結ぶ中間点ということで,またこれもお
客様がふえるんじゃないかなというように思
っております。
我々のナシ生産1本で単作でやってきたも
のが,やはり以前からこういった複合経営を
やらなくては今後いけないんではないかなと
いうことで,2年前にそういった取り組みを
始めたところでございます。
以上でございます。(拍手)
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