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第 8 話: 私のクリスマス・カウントダウン (2010 年 11 月執筆)
第 8 話: 私のクリスマス・カウントダウン (2010 年 11 月執筆) 「もうしばらく忘れていようよ…。」と、いくら言ったところで、毎年必ず訪れるクリスマス。おもちゃ業界では年間の売り上げ中 60~70 パーセントを占めるとさえ言われるクリスマス。だから楽しみではある一方、ちょっぴり恐いクリスマス。 8 月半ば: クリッペの人形たちがたくさん入荷する。マリア、ヨーゼフ、厩(うまや)の餌箱に寝かされた乳飲み子キリスト、その赤ちゃんを凍えさせ ないよう息を吹きかけて暖めたと言われるロバと牡牛、大天使ガブリエル、羊飼い、羊、東方の三賢人、椰子の木、象、ラクダ…。 一部を店内の引き出しに、大半は事務室わきの小さな倉庫の棚に整理してストック。 「いよいよ今年も…」と思いながらそんな作業をしていると、過去のクリッぺ販売にまつわるいろいろなできごとがよみがえってくる。 「実は…」と、少し気恥ずかしそうに切り出した女性。 「クリッペを飾ろうとして気づいたんだけど、どうもキリストを失くしてしまったみたい…。 餌箱なしで赤ちゃんだけ買い足すことはできないかしら?」あろうことか、《キリストを紛失》してしまったと、堂々と告白した彼女の正 直さが好き。思い出すたびにすがすがしい気分になる。 キリストを完売した年もあった。 最後のひとつはショーウィンドーに飾ってあったのを取り出して売らねばならなかった。買い手の男性は私に、陳列品だからいくらか値引き できないかと問う。「いくら商品とはいえ、キリストを平気で値切るとはどういう了見だ!」と、クリスチャンでない私でさえ唖然として二 の句がつげなかった。その後どう対応したのか、さっぱり覚えていない。 「マリアは可愛いけど、ヨーゼフが老けていていやだわ。こっちの人形の方がハンサムね。私はこれをヨーゼフにしようかしら。」 そう言って、ある女性がマリアの婿選び。お目どまりの人形はよりにもよって※ヘロデ王だった。 ※マタイの福音書によると、ヘロデは救世主の誕生を恐れ、ベトレヘムの 2 歳以下の男児を全て殺すよう命令を下した 「念のために申し上げますが、これはヘロデです。」 「あっそう?でも私、こだわらないからいいの。」そう言って、自分なりの聖家族を構成すると、彼女は満足そのもので店を去っていった。 何にせよマニュアル通りでないと気のすまない人が増えている。販売の仕事をしてきて、日頃つくづくそう感じている。 そんな中で、自分の目を信じて自分で選んだあの人は、とても新鮮だった。《ヘロデを改心させ、ヨーゼフに変身させた大人物》として、毎 年私たちの楽しい語り草だ。 9 月: クリッペの整理が終わったら、とりあえずもうしばらく、クリスマスのことは考えずにいようと思う。 ところが、9 月になるかならないかのうちに、こんどはアドヴェントカレンダーの入荷。もっともこちらはすぐには店頭に出ないで、昨年か らの在庫といっしょにしばらく倉庫入り。それで今度こそ、クリスマスのことは一旦忘れるつもりでいたら…。 月末、スーパーマーケットのお菓子売り場でニコラウスのチョコレートを見つけてしまった。 むしろ、ニコラウスのチョコレートに《見つかってしまった》というのが実感だ。※聖ニコラウスの日は 12 月 6 日。 ※『子どもの守護聖人ニコラウスに扮した者が、この日従者のループレヒトをともなって、子どもたちの学習成果などを評価。褒美にお菓子を与えるが、出来が悪い子は ループレヒトが棒で打ってお仕置き』という古い行事に発し、12 月 6 日『ニコラウスから』と称して小さなプレゼントと聖ニコラウスをかたどったチョコレートを子ど もに贈る習慣がある。 いくらなんでも早すぎるお目見えだと思うのは私だけではない。同じスーパーで、イースターの売れ残りウサギチョコが無造作に積上げら れて半額になっていたのが、ついこの間だったような気がする。その姿が哀れでもあり、もちろんお得感もあって、私は大きめのウサギチョ コを一つ買ったものの、食べそびれて賞味期限を過ぎたまま置きっぱなしだ。 食べ損ねたのには理由がある。実は前々から、このメーカーのウサギチョコが知人のP君に似ていると感じていた私は、金紙を丁寧にはが して再利用、P君人形を作りたいと思っていた。それは、『私がP君に片思いをしていて、せめて彼の人形を作って持っていたいから』など では決してなくて、仲間内でのウケを狙っているだけ。だから誰にも内緒の企てだったのに、ここでニコラウスに見つかってしまっては、な んだか自分の実行力の無さと怠慢を咎められているようだ。P君人形、せめて 12 月 6 日までに作らないとお仕置きがあるかしら? 10 月: 国際見本市の会場があるフランクフルトだから、各種の見本市を機会に毎年一回、店を訪れてくれる外国からのお客さんもいる。 特に 10 月上旬のブックフェアの出展者や訪問者の方々は、私たちの商品を好いてくれるようだ。街が賑わい、店にも普段とは違う雰囲気が 感じられる。一年中で私の一番好きなこの一週間、クリスマスをすっかり忘れて過ごす。そして、このブックフェアが終わる頃、私たちはア ドヴェントカレンダーの販売を始める。 もはや現実から逃げてはいられない。 以前、クリスマスの繁忙期は 11 月になると容赦なく始まった 7 週間ぶっ通しで、目の回るような忙 しさが日に日に加速度をつけていったものだ。不景気と言われる時代になって、クリスマスのショッピングは出足がすっかり遅くなった。 それは、かつては当然のものと思っていた冬の賞与が『①無くなった、②あるのか無いのか分からない、③よしんばあっても、どの程度支 給されるのか不明』という消費者の事情によるものだろう。販売がどっと集中するのは、ニコラウス前後からの 20 日間ぐらい、というのが ここ数年の傾向だ。 11 月: 11 月の店内では、まだお客さんにプレゼント選びを楽しむ余裕がある。11 日の※聖マルティンの日の提灯(ちょうちん)と竿、12 月 6 日のニ コラウス、そしてクリスマスのプレゼントのほかに、言わば《愛すべきガラクタ類》がたくさん売れる時期でもある。こま、ビー玉、スーパ ーボール、スタンプ、ミニパズル、ミニゲーム、塗り絵、水に浸して皮膚に貼り付けるタトゥーなどなど…。これらの小さなプレゼントは、 アドヴェントカレンダーの中身となる。12 月 1 日からクリスマスイヴまで、毎朝ひとつずつ小袋を開けて楽しむもの。 ※兵士でありながら、当時まだ新しかったキリスト教の説く博愛に強く共感していたマルティンは、冬のある日、凍えて物乞いをしていた男に、戦績の褒美として着用し ていたマントを切り裂きその半分を与えた。 その夜、啓示的な夢を見て洗礼を決意し、剣を捨て、後に聖職者となる。やがて人々の強い信望を得て司教になることを望まれるが、マルティン自身は、むしろ隠者と して信仰に身を捧げることを選び農家に身を隠した。するとガチョウが鳴き騒いだため、結局見つかってしまった。このできごとがあった 11 月 11 日が、聖マルティンの 日。ドイツではガチョウの肉を食べる習慣があり、子どもたちは提灯(既製品または、幼稚園や学校で工作したもの)を持って行列行進し、大きなかがり火の焚かれた広 場に集まる。 同僚の息子J君はもうすぐ 13 歳。 「自分はもう、こんな他愛の無いアドヴェントカレンダーを喜ぶ年齢じゃあないんだけど…。」と、母親に切り出した。 「じゃあ、卒業ってことね。今年からは絵のカレンダーだけでいいのね。」と、母親が安堵と寂しさの混ざった気持ちで念を押すと、意外 な提案が返ってきたそうだ。 「せっかくの伝統をそうあっさり捨ててしまったのではあまりに残念。毎日 1 枚ずつ、1 ユーロ硬貨を入れてくれ るのってどう?」そんな話に皆で笑って間もないある日、《愛すべきガラクタ》いっぱいのかごをもってレジに見えたお客さんがあった。 会計の結果、《ガラクタ》の総計はなんと約 300 ユーロ。 「自分の子だけでなく、甥や姪にも毎年用意しているので 6 人分。」とのことだ。確 かに 1 日平均 2 ユーロでも、24 日間で一人分 50 ユーロ近くの出費。1 日 1 ユーロ希望のJ君が、急にけなげに思えてきた。いずれにせよ、 この愛すべきささやかな伝統は、「Made in China は嫌。」なんて言ってたのでは、とっくの昔にドイツの家庭から消えてしまっているはず。 今年の※第一アドヴェント日曜は 11 月 28 日。 それに先立つ水曜日、フランクフルトではクリスマスマーケットがオープンした。同時に街頭のイルミネーションが灯される。 ※クリスマス直前の 4 回の日曜日。この期間、アドヴェントクランツと呼ばれるモミの枝のリングにつけられた 4 個のろうそくに、日曜日ごとに火を灯していく。 12 月: 親が子に、子が親に、兄弟姉妹がお互いに、カップルがそれぞれのパートナーに、さらに祖父母はもちろん、叔父や叔母も含めて、家族の みんながみんなにプレゼントを探している。 「娘や息子の夫婦には、どうせ私の選んだものが気に入ったためしがないのよ…」とこぼすお母さんも、一年ぶりでクリスマスに顔を合わ す姪や甥を「何歳だったっけ?」と、首をかしげる独身族の叔父や叔母も、何か調達しなければならない。クリスマス一週間前ともなると、 みんなのストレスが悪しきエネルギーのガスのように充満して、店内のムード、一触即発という感じすらある。 来店から買い物を終えて店を出るまで、ずっと携帯で話し中の人が目立つ。夫婦で来店して意見が対立、結局なにも買わずに喧嘩しながら 去って行くケースもある。 もちろん私たちも疲れている。売れる年は体がこんばい、売れない年は気持ちが憔悴している。親身に丁寧に接客している場合では無くな って、動作や言葉遣いがオートメーション化してしまい、まるでマスプロ(大量生産)状態。 忙しいのに空しい仕事になってくるのも欲求不満の種となる。そして、売る側も買う側も、自分の感情をストレートに表す人たちの集まり なので、この時期、些細なことで切れたり泣き出したりということにもなりかねない。 ミスも起こる。購入した商品を、「他の買い物をして、後でとりにくるから」と、店内に置いていくお客さんが多い。こんな場合は通し番 号のついた整理券で管理をするのだが、それでも失敗することがある。ある時、一旦会計を済ませたお客さんがHABAのクローストイ・フ ィデリアを持って再びレジに。 「これもあとで取りにくるので。」という希望だったが、私達の連携プレイが悪く、誰かがこの商品を別のお客 さんの袋に入れてしまった。 その晩、 「後で買い足した品物が入っていなかったから、明日改めて取りに行く。」と、お客さんからお叱りのお電話。フィデリアはすでに 別の人の手に渡っていた。誰もがクリスマスの準備に奔走して忙しいこんな時に、誤って自分の袋に入れられた商品をわざわざ返しに来てく れるなんて、むしろ期待できない。フィデリアの在庫があっただけでも幸いと、私たちはかろうじて胸をなでおろした。 ところが数日後、迷子のフィデリアが帰ってきた。 「お支払いしていない品物が入っていました。」と、例のお客さんが正直に届けてくれた のだ。私はその良心が嬉しくてたまらず、「こんなお忙しいときに、しかもこちらのミスなのにわざわざご足労いただいて…。 なによりのクリスマスプレゼントを頂戴したような気持ちです。」と、感謝の意を告げた。 (もしかすると当たり前かもしれないこんな行為に、これほど感激するくらい、みんなが総ヒステリー状態になっているのだ。) すると先方は、 「商品が気に入ったので、実は購入したい。」とのこと。私は彼女の誠意に応えるため、売らずに差し上げたいと思った。そ う言ってから、店長の承諾を得るため足取り軽く事務所に消えたところまではよかったが、事情を説明しているうちに、《感極まっていた》 初めの勢いがどんどん衰えていってしまった。思えば、自分の所持品でもないものを気前良く「プレゼント!」と言い放ってしまったのは、 モラル上のスピード違反。これもクリスマスの教訓の一つとし、今更ながら、(残念だけど)ちょっぴり大人になるつもり。 12 月 24 日: クリスマスイヴのこの期に及んで、小さな子ども連れで来店するお客さんを見ると、私はそわそわしてしまう。 「どうかこんな大切な日に、子どもをおもちゃ屋なんかによこさないで!」と、叫びたいのが本心だ。 だって、この日の夕刻には、 《いつの間にかやってきたヴァイナハツマン(日本のサンタクロースにあたる。)が、乳飲み子キリストから子 どもたちに託されたプレゼントをツリーの下にこっそり置いていった》という演出のもと、プレゼントが開かれるのだから。 小売店の多くは、この日の午後早めに閉店し、25、26 日は祝日なので、商店は一般に休業だ。その間、みんながそれぞれの家族のもとでク リスマスを祝い、ドイツの街はどこもかしこも急にひっそりとしてしまう。 休日開けの街では、ニコラウスチョコその他のクリスマスのお菓子が値引きのワゴンに乗せられ、代わって大晦日の打ち上げ花火があちこ ちで売られているのが目に止まる。例年通りその頃の私といえば、「やっと当分忘れていられる。」と安堵しているかと思いきや、 「あぁ、もう行ってしまった…」と、早くもあのカウントダウンの日々を恋しく懐かしく、振り返っている のだろう。 第 8 話『私のクリスマス・カウントダウン』終わり