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No. 966 O BRASIL
BOLETIM No. 966 (会報) ANO NOVO 発行 一般財団法人 日伯協会 (新年) 理事長 三 野 哲 治 TEL/FAX O BRAS IL 2015 神戸(078)230−2891 URL http://www.nippaku-k.or.jp E-mail [email protected] 平成27年1月31日 (季 刊) 〒650−0003 神戸市中央区山本通3丁目19−8 海外移住と文化の交流センター2階 編集 会報編集委員会 Flavio Veloso-Fotógrafo リオデジャネイロのコルコバードの丘から望む、グァナバラ湾の日の出 今号の主な記事 理事長新年ご挨拶 P. 2 移住地紹介 ご寄稿 P. 3 移住ミュージアムだより ブラジルへの行き方 P. 4 ブラジルトピックス P. 12 熊本尚美ショーロ・コンサート P. 5 書籍紹介、 リスボンからの手紙 P. 13 ブラジル経済 P. 15 コーヒーブレイク、編集後記 P. 16 日伯協会からのお知らせ ブラジル体験記 P. 6-7 P. 8 P. P. 9 10-11 印刷/菱三印刷株式会社 〒652-0803 神戸市兵庫区大開通2丁目2-11 TEL (078) 576-3961 新年明けまして おめでとうございます 一般財団法人日伯協会 理事長 三野 哲治 皆様には新たな感慨を持たれて新春をお迎えになられたことと存じます 昨年の回顧と今年への期待 昨年を振り返ってみますと、日本経済は4月の消費増税 の影響により消費が落ち込み、経済活動も伸び悩み、アベ ノミックスの成果が問われる状況にあります。原油価格の 低落を追い風に、総選挙で信任を得た安倍首相の成長戦 略への手腕に期待したいところです。 また、2014年度は神戸市とリオデジャネイロ市との姉妹 都市提携45周年にあたることから、秋の企画展では、 「麗 しき都市リオデジャネイロ」と題して、美しいリオの街や カーニバルの様子を写真と映像で紹介、ご好評をいただ きました。 さらに今年1月には、神戸市の出身で、リオに在住のフ ルート奏者・熊本尚美さんをお招きして、ブラジル音 楽 「ショーロ」の演奏会を神戸市との共催により当センター で催し、美しい音色を楽しんでいただきました。このように 企画展や演奏会、そしてこの会報「ブラジル」等を通じて 日本とブラジルとの交流の輪を拡げるべく、努めてまいり 一方で、日伯協会とかかわりの深いブラジルでは、6月に ました。 開催されたFI FAワールドカップでは、残念ながら日本 チームは予選リーグ敗退、地元ブラジルも準決勝で敗れま したが、ドイツチームの優勝で大いに盛り上がりをみせま した。しかしながら、大会以降ブラジル経済は停滞色を強 めつつあり、10月に再選されたジルマ・ルセフ大統領は厳 しい舵取りを迫られています。2年後にはオリンピック開催 を控えており、今年は明るさを取り戻してほしいものです。 この1年の日伯協会活動を 振り返って 2 No.966 今年の活動への抱負 日本とブラジルの間で国交が結ばれたのは、日清戦争 かねてより準備を進めてまいりました、新公益法人制度 講和の年1895年でしたので、今年は日伯修好120周年の に基づく、 「一般財団法人日伯協会」に昨年4月1日より移 節目の年となります。 行し、理事、評議員に新たなメンバーも加わっていただき、 同時に兵庫県とブラジル・パラナ州とが友好都市提携 新体制がスタートいたしました。 締結から数えて45年を迎えます。 そして、春季移住ミュージアム企画展ではワールドカップ したがって国、県レベルで種々の記念式典や行事が予 ブラジル大会を記念して、 「日本サッカーをW杯に導いた 定されることになりますが、日伯協会としても、この機会を ブラジルの日系選手たち」を、パネルに加えて地元チーム とらえて日本とブラジルとの友好関係促進に努める所存で からお借りした実物展示により紹介しました。期間中には、 あり、こうした催しへの参画、さらには協会独自のイベント 「日本サッカー史こぼれ話」のトークショーや抽選会など も企画していきたいと考えています。 も開催、大勢の来場者に楽しんでいただくことができま 皆様には、本年も当協会に対しさらなるご支援、ご協力 した。 をお願い申し上げ、年頭のご挨拶といたします。 日ブラジル外交関係樹立 120周年を迎えて 外務省中南米局長 髙 瀨 寧 新年にあたり、皆様のますますのご健勝をお祈り申 し上げます。 日本とブラジルは、1895年11月5日にパリで「日伯修 ブラジルでは、2015年1月1日から4年間の第二期ル 好通商航海条約」を調印し外交関係を結び、2015年は セーフ政権が始まりました。ルセーフ大統領はブラジ 外交関係樹立120周年の節目の年にあたります。 ルの諸問題を改善するために経済、政治、教育等の分 野で改革を進める旨表明しています。 両国は、戦前戦後を通じた移住の歴史に加え、経済 関係、経済協力、文化・芸術、スポーツを始めとする 日本におきましても、第三次安倍政権が発足したと 幅広い分野において交流を深め、長きにわたる友好関 ころです。アベノミクスによる日本経済の活性化が期 係を構築して参りました。 待されています。また、2015年は終戦70周年にあたる 重要な年でもあります。 特に、海外最大の約160万人の日系社会がブラジルに 存在し、また、米、パラグアイに次いで3番目に大きな このような中で,日ブラジル外交関係樹立120周年は、 在外ブラジル人社会が日本に存在することは,両国が 安倍総理が昨年中南米を訪問した際に表明した日本と 人的絆で結ばれたユニークな関係にあることを物語り 中南米との関係に関する三つの指導理念(共に発展し、 ます。昨年7月末から8月、現職の総理大臣として10年 共に主導し、共に啓発する)に沿って,日本とブラジ ぶりのブラジル訪問を行った安倍総理とルセーフ大統 ルの関係をさらに発展させる好機であると考えます。 領は、首脳会談後に発出した共同声明において、在ブ インフラの整備や医療・保健、ICT協力の推進等、両 ラジル日系社会と在日ブラジル人社会の存在により、 国が共に発展していく余地は大きいと考えます。また、 二国間関係において人的側面が特筆すべき特徴となっ 2015年は、国連安全保障理事会の改革や気候変動に関 ていることを想起しました。 する新しい枠組みの策定など、両国が共に国際社会を 主導していくべき多くの課題があります。そして、日 日本からは1908年に笠戸丸が神戸を出航して以来、 ブラジル外交関係樹立120周年の事業を通じて、日本が、 25万人に上る移住者の方々がブラジルに渡られました。 その魅力や日本ブランドを積極的に発信し、日系社会 移住者、そしてそのご家族の皆様は、ブラジルの地で との関係強化を含め、人と人との絆を強めていくこと 大変ご苦労されながらも、ご活躍になり、日系人は信 によって、共に啓発していくことが重要であると考え 頼できるという評価を獲得されました。この信頼こそ ます。 がブラジルにおける日本への信頼の礎となっています。 昨年の安倍総理のブラジル訪問、本年の日本ブラジ また、日本とブラジルはウジミナスの製鉄所やイシ ル外交関係樹立120周年,そして東京オリンピック・パ ブラスの造船所、さらにはカラジャス鉄鉱山の開発や ラリンピックを前にした来年のリオデジャネイロオリ セラードの農業開発と言った事業を共同で展開しまし ンピック・パラリンピックと、2014年から2016年にか た。ウジミナスの合弁製鉄事業は「ウジミナス学校」、 けて、日本とブラジルは、これまで以上に両国の関係 イシブラスの合弁造船事業は「イシブラス学校」と呼 に注目する時期を迎えています。 ばれたように、これらの共同事業はブラジルの産業の 発展とともに人材の育成に大きく貢献したのです。 日ブラジル外交関係樹立120周年を含め、未来志向の 日ブラジル関係の一層の強化・深化に向けて皆様方の ご支援とご協力、そして積極的なご参加をいただけれ 120周年はこのような日本とブラジルの幅広い友好の 関係を振り返る良い機会であると考えます。 ば幸甚です。 (本稿は筆者の個人的見解であり、外務省の見解を代表したものではありません。) 3 No.966 日本 ⇔ブラジルを 結ぶ航空ルート 地球の反対側へ、まる1日で到着 日本とブラジルを結ぶ3ルート 日本から見るとブラジルは地球の反対側にあるため、遠い国というイメージが強い。今から107年前、 ブラジルへ最初の移住者781人を乗 せて神戸を出港した移民船「笠戸丸」 は幾つかの港に寄港しながら52日間かけてサントス港に到着した。今は航空便を利用すれば経由空 港の乗継時間を含めて25∼30余時間で両国が結ばれる時代となり、決して遠くはない。 ブラジルへ出張や旅行に行く人から航空ルートの相談を受けることが、 しばしばある。最初に出発地や最終目的地を聞いたうえで、紛争 やテロなどの社会情勢、マイレ−ジ・プログラムなどを勘案して、ルートや航空会社を勧めることにしている。日本の23倍近い広大な国だけ に、北部の赤道直下にあるマナウスやベレーンに行く場合と、南部のクリチーバやポルトアレグレとでは、国内便で6∼8時間の都市間距離 があるので、ルート選択は一考を要する。 今、各国の航空会社が自社便やアライアンス (国際航空連合) の乗継便を強化して、運賃やサービスを競い合っており、利用者にとって は選択肢が増えているので、代表的な3つの航空ルートを紹介したい。 北米経由のルート(米国・カナダ) 成田空港に並ぶ国際線機 欧州ルート(欧州各国) ルフトハンザ航空次世代ジャンボ B747-8i機(羽田−サンパウロ便に就航) 米国を経由するルートは、一般的に飛行時 間が短い上に、米国内の経由都市と便数が 欧州各国の航空会社は、 日本と欧州間 中東ルート (アラブ首長国連邦・カタールなど) 人気の中東ルートのエミレーツ航空機 歴史的に新しい中東ルートは、アラ の直行便を成田だけでなく、関西、中部、 ブ首長国連邦 (UAE) ドバイのエミレー 圧倒的に多く、運賃も時期によっては安いの 羽田空港とも結んでいる。ルフトハンザドイ ツ航空 (EK) 、アブダビのエティハド航 で、利便性は高い。 しかし、米国を経由する際、 ツ航空 (LH) 、アリタリア航空 (AZ) 、 エール 空(EY)、カタール国ドーハが本拠の 入国することになるのでビザ (査証) かESTA フランス (AF) 、 オランダ航空 (KL) 、英国航 カタール航空(QR)の3社があり、日 (電子渡航認証システム) が必要で、携行荷 空 (BA) などが路線を持っている。 ドイツや 本・ブラジル間旅客数シェアでは、米 物の検査やセキュリティが厳しいので嫌う人 イタリアなど欧州系のブラジル人には、母 国・欧州ルートを上回っている。 もいる。 国に繋がる便もある欧州ルートは、 ビザの 米国3大航空会社のアメリカン (AA)、ユ ナイテッド (UA) 、デルタ (DL) が、成田・羽田 必要もなく人気がある。 特に、W杯ブラジル大会の公式航 空会社になっていたエミレーツ航空は 全日空は、昨年10月からブラジル最大手 成田・羽田・関西の3空港からドバイを ほか主要国際空港とニューヨーク、ロサンゼ TAM航空 (JJ) とロンドン経由のコードシェ 経由、サンパウロ、 リオデジャネイロに ルス、 ダラスなど多空港を直行便で結び、サ ア便の運航を開始、パリ、 フランクフルト経 毎日運航している。日本、ブラジル出 ンパウロ、 リオデジャネイロ便と接続している。 由にも拡大している。 発が深夜で利用しやすいが、中東・ブ 中でもアメリカン航空はマイアミ→マナウス、 TAM航空はチリのラン航空 (LA) と経営 ラジル間12,000㎞前後の距離をノン デルタ航空がアトランタ→ブラジリア (首都) 統合後、 スターアライアンスからワンワール ストップで飛ぶ14∼16時間のフライト を6∼8時間でブラジル北部、中西部を結ぶ ドに移籍したが、航空連合を超えて日本− は長い。 最短路線を運航している。エア・カナダ (AC) ロンドン/パリ/フランクフルト間は全日空、 は、 トロント→サンパウロ便がある。 ロンドン/パリ/フランクフルト−サンパウロ 現在、 ワンワールドの日本航空 (JAL) がア 間はTAM航空が運航し、全線相互にANA メリカン航空と、 スターアライアンスの全日空 とTAMの便名を付与した欧州ルートの共 (ANA) はユナイテッド航空と組んで、サンパ 同運航を実現している。 ウロなどへ2社がそれぞれの便名を付けた コードシェア便 (共同運航便) を運航している。 4 No.966 「日の丸」機の 乗り入れはあるか? 3ルートには、米国、欧州を経由した共同運航便の表示に、成田・羽田−サンパウロ間に日本航 空の「JL」、全日空の「NH」の便名を付けたフライトがあることがわかった。 ブラジルの日系人や日 系企業は、 オリンピックが開催される2016年までに、 「日の丸」機が直接ブラジルまで乗り入れるこ とを期待している。 (筆者:副理事長 多田義治) 神戸・リオデジャネイロ姉妹都市提携45周年記念 熊 本 尚 美 シ ョ ー ロ・コ ン サ ート ●主催:一般財団法人日伯協会 ●共催:神戸市 ●協賛:UCCホールディングス株式会社 その後、昨年の8月までリオデジャネイロ総領事を務めて おられた高瀬局長から挨拶があり、リオで熊本さんの演奏会 に行かれたこと、熊本さんの住居の近くに総領事館があるこ と等を披露されました。また、日伯修好120周年で記念行事 が続き関係強化の年になることも話されていました。 神戸・リオデジャネイロ姉妹都市提携45周年を記念して、 リオデジャネイロ在住のフルート奏者熊本尚美さんを招いて ショーロ・コンサートが開催されました。 10年前の「神戸ブラジル音楽フェスティバル」で、10年後 の再会を約束されていた熊本尚美さんも演奏会を心待ちにさ れていました。 当日は来賓として外務省中南米局長高瀬寧氏も東京から 参加され、会場は120名を超す超満員の観客で溢れました。 第2部では珍しく熊本さんのピアノ演奏があり、中島さんの ピアニカも披露されました。自作の曲「雨のリオ」、パラグア イとのサッカー曲「Um a Zero」他7曲が演奏されました。 コンサートでは日本を代表するピアニスト中島徹さんも共 最後は、熊本さんへ日伯協会三野理事長より、中島さんへ 演、ショーロ演奏とトークを2時間に渡って堪能しました。プ 神戸市市長室国際交流推進部 森本さんより花束の贈呈があ ログラムの第1部ではショーロのポピュラー曲「チコ・チコ・ り、万来の拍手の中で公演を終了しました。 ノ・フバー」、ブラジルのタンゴ曲「コルタ・ジャカ」他3曲が 演奏されました。 2015年は、日本とブラジルの 外交関係樹立120周年記念の年 に当たります。外務省は、記念 ロゴマークの認定と記念事業の 認定を進めており、当協会はこ の「熊本尚美ショーロコンサート」を認定事業として申請し、 新年早々に認定を得ることができました。しかも、認定番号 N0001という素晴らしい番号を取得しました。 第1部後のトークでは「リオデジャネイロの画像」をスク リーンに映し出し、コパカバーナ、ポン・ジ・アスーカル、キリ スト像等の風景と熊本さんのショーロ教室等細かに案内され ました。言葉のハンディがある中でブラジルの伝統音楽を教 え、指導されるには大変な努力があったと思われます。スク リーンでは伯国移住100周年の2008年には、リオのカーニバ ルで日本を現す山車が出たことも報告されました。 5 No.966 Relatório レポート 神戸・リオデジャネイロ姉妹都市提携45周年 記念事業 第 1 弾 2014年秋季移住ミュージアム企画展 “麗しき都市”リオデジャネイロ 第 2 弾 ブラジル経済セミナー 2014年10月24日㈮∼2015年1月25日㈰の3か月間に わたって開催しました。 期間中の入場者数は、1,697名と神戸市民を始め移 住ミュージアムを訪れた多くの皆様に楽しんでいただ きました。 アンドレ・コヘーア・ド・ラーゴ 駐日ブラジル大使 神戸市主催で2014年11月14日㈮ 13:30から海外移住 と文化の交流センター5階ホールにて約80名の参加者を 得て開催されました。 ■駐日ブラジル大使館 アンドレ・コヘーア・ド・ラーゴ大使 ■ブラジル銀行 シニアマネージャー稲村秀彦氏 「ブラジル市場について」 ■ジェトロ・アジア経済研究所 副主任研究員 二宮 康史 氏 「ブラジルの中小企業と日本企業の連携の可能性」 第 3 弾 熊本尚美 ショーロ・コンサート 日伯協会主催、神戸市共催で、2015年1月10日㈯ 14:00∼海外移住と文化の交流センター5階ホールにお いて開催しました。(関連記事5頁) 6 No.966 Notícias 日伯協会からのお知らせ 2015日伯協会新春フェスタ開催 今後のスケジュール 「日ブラジル外交関係樹立120周年」 事業認定N0002 移住ミュージアム企画委員会 1月10日昼間のコンサートに出演された、熊本尚美 さんと中島徹さんの協力を得て、18:00から2時間にわ たってディナーとショーロの夕べを、当協会新春フェ スタとして開催しました。 ■日時:3月4日㈬ 13:00∼ ■会場:海外移住と文化の交流センター2階 セミナールーム この委員会は、毎年1回移住ミュージアムのあり方 について、外部の有識者を交えて開催するものです。 第19回中南米音楽会(CD&トーク) 音で聴くタンゴ発展史 ∼アルゼンチンタンゴと日本のタンゴ名演集∼ ■日時:3月22日㈰ 13:00開場、14:00開演 ■会場:海外移住と文化の交流センター5階ホール ■詳細は後日ご案内 今回講演頂く西村秀人氏は、ラ テンアメリカの音楽文化を広く研 究対象とするが、特にアルゼンチ ン・タンゴの発展史が専門。 2013年にはモンテビデオ(ウル グアイ)、2014年には東京(セルバ ンテス文化センター)、横浜、名古 屋、大阪(豊中)で、タンゴ日本渡 来100周年にまつわる日本のタンゴ史についての講演会 をスペイン語と日本語で行った。 第18回中南米音楽会開催 1月25日海外移住と文化の交流センター5階ホールに おいて神戸中南米音楽協会・日伯協会の共催で第18回 中南米音楽会を約50名の参加者を得て開催しました。 演奏は、「バンダブラジル」と「神戸マリンバソサエ ポルトガル語講座開講 2月7日㈯∼3月14日㈯の毎土曜日に6週間にわたっ て開催します。 会話コースは、13:10∼14:30 文法講読コースは、15:00∼16:20 ティ」で、2時間に亘るブラジル音楽を中心とするラテン 会話は、定員一杯の15名、申込み締切りました 音楽で楽しんでいただきました。 文法講読は7名ですので、まだ申込は可能です。 2015年春季 移住ミュージアム企画展予定 次回の開催予定は、5月下旬からの予定です。テー マなど詳細は、決まり次第ホームページでご案内させ ていただきますので、ご期待ください。 7 No.966 で 大地 の ル ブラジ 験 体 農業 日伯 協 会 の 会 員である宮澤さんは昭和27年 生まれで、今年62歳。医療関連の仕事 をしていたが、農業をやりたくて、10年 前には兵庫県緑公社で1年間の研修を 受け、八ヶ岳農業実践大学では1か月 の農作業の指導を受けていた。 宮澤政裕 亜熱帯の植生、特にコーヒーに興味 を持ち、 ブラジルへの農業移住も考えて当協会へ相談に来ら れていた。 当然、 会話講座も受け言葉も習得中である。 そんな中、UCC社より当協会事務局に、 アリアンサの弓場 農場が体験入所者を引受けているとの情報があった。早速 宮澤さんに案内したところ是非行きたいと希望されたので、 当協会の紹介で2か月の農業体験をすることに成った。 弓場 農場からは気候の良い6月∼8月を勧められたが、 ワールド カップで湧き上がる時期を避けて10月となった。 長年の希望が叶い勇んで出発 9月29日㈪の夜、関空をエミレーツ航空で出発、 ドバイ経由 翌日午後6時過ぎサンパウロのガリューロスへ。空港には UCC社の松尾さんが出迎えてくれ、 リベルダージのニッケイ パラセまで案内してくれた。初めての海外であり不安だった が、着いた時はホッとした。 ホテルには日系人が多く、食事は ご飯と全く違和感がない。 翌日10月1日㈬の朝5時、 予約していたタクシーで弓場農場 へ出発。 バスもあるが長距離バス乗り場は危ないと聞いて、 タクシーにした。 運転手はマレシャル・ロンドン (州道300号線) を無茶苦茶 飛ばす、恐ろしかったが彼は馴れているようだった。600㎞先 のアリアンサへ朝のうちに着いてしまった。途中は低い丘陵 地帯と平原が続き日本と全く違った景色に興奮した。 「Yuba」の道路標識を見ながら、緑の畑と赤土の広大な 農場へ。到着した時は、 遂に来たと身が引き締まる思いだった。 翌日から早速仕事、 朝5時に起床。眠たいが農業体験に来 たのだし、 笠戸丸移民はもっと大変だったろうと思い動き出す。 馴れないブラジル、 早速電気カミソリを110Vで破損。6時の角 笛を合図に朝食。食事は女性の分担でご飯・味噌汁すべて 揃っていて全くの日本です。 その後で農作業開始。 私に与えられた仕事は、 草抜き。砂状の赤土なので簡単に 抜けるが、 広い土地で半端な量ではない。 11時に子供も交じっての昼食、 その後休息の昼寝。 午後も広い大地での草抜き、午後5時頃に農作業を終了 した。6時から夕食で食事の前に全員「黙祷」。食事には肉類 と野菜が出て美味しい。 その後は入浴し、疲れ果てて寝てし まった。 翌日からも同じことの繰り返し。仕事の内容は草抜き、 木の 伐採、建物の復旧作業、簡単な作業ばかりだ。朝は寒いくら いだが、 昼間はカンカン照りで暑い。 農場の人は親切で気楽に声を掛けてくれる。何人もの方 から、 「黒田公男さんはお元気」 と聞かれた。 農場にはテレビもあり、 夜は日本の番組を見て暇つぶし。 日曜日は休養日で近くのミランダへ行ったが、 雑貨を売って いる店も小規模で大平原の田舎町という感じである。 テアト ロ弓場には近隣の人が大勢集まり、 楽しそうにダンスをしてい た。純日本人の私は見るだけ、 輪の中に入るのは遠慮した。 毎日の農作業は相変わらず草抜き ・木の伐採が担当。 ブラ ジルは土地が広いので大規模で機械化した農業である。小 規模農家といえども日本の比では無く、考えていた農業では 追いつかない。 弓場農場へ入所 熱射病でダウン 8 No.966 農場の矢崎さんに挨拶をして、 担当者に内部を案内しても らう。食堂、宿舎、有名なテアトル弓場等の各施設は素朴な 手作りで質素だった。 日本式の風呂もあり5人が入れる。 弓場農場は共同体組織で寝る所と食事は無料で提供さ れ、 対価として労働が求められる。 長期間滞在してアルゼンチン、 ボリビア見物の足場として いる若者も多い。特にワールドカップの時は超満員だったとの こと。 入所して17日目、 急に熱が出て腹が痛み出した。熱い中で の農作業で熱射病になったようだ。農場の人は水を飲んで 寝ていれば直ぐに治ると言うので休養していたが、 3日経って も回復しない。 このままでは農場に迷惑を掛けると思い、 やむ なく帰国する事を決断した。20日松尾さんに迎えに来てもら いサンパウロへ。翌日の飛行機で日本へ戻った。 今回は全く観光出来なかったが、 ブラジル農業を身を持っ て体験することが出来た。 「昔の人は強かった」が正直な感 想です。酷暑の中で作業するので生真面目に働くのではなく、 適当に休みながらペースを守って働くことも大切だと知らされ た。 ブラジル人気質が良く理解できた。 お世話になったUCC の方々に応えるためにも、 貴重な経験を踏まえて、 もう一度ブ ラジル農業に挑戦したいと考えている現在です。 アリアンサ移住地 入植90年を超えた 共生の地 移住地 紹介 弓場農場 公益法人ユバ協同農場協会 協力し支え合って今年で80周年を迎える 労働と芸術の園 西宮出身である弓場勇氏が1934年創設した農場で、土 地に定着する農業を目指して、アリアンサの開拓地で、共 1924年、信濃海外協会により開設された移住地で、キリ スト教系の日本力行会が主体となって開拓した。 アリアンサは移住地の創設者永田稠が「和親・協力」の 鳴する仲間と協同生活して経営した。農場は「祈り、耕し、 意味で名付けた。ブラジル社会と日本文化の共生を目指す 芸術する」を理念に、来るものは拒まず、去る者は追わず には、教育・医療等の社会的機能を備えた集団地が必要 で運営されている。1955年の破産、1979年勇氏の事故死 と考え、単なる生産労働者だけでなく、社会的能力を備え を乗り越え、現在は55名の農場員が所属している。 た若手の力行会員も移住させた。 出稼ぎではなく、永住を目的とした中産階級知識層が多 く入植、農業未経験者もいた。文化の香りを持つ移住者で、 ピアノ・バイオリンを持ち込む者もあった。コーヒー農場の 働き手として移住した人達とは全く違った形の移住であり、 伯国在住の移民関係者からは、銀ブラ移民と揶揄され、 あの連中に何が出来ると悪口を言われた。 文化芸術ではバレエが有名で、1961年移住した小原明 子氏の指導で始められた。日系農民によるユニークなバレ エ団として、ブラジルだけでなく日本でも公演している。 今も文化的素養の高い人が多く、俳句・和歌の指導者も 生まれている。優れた教育者・研究者も多数輩出している。 日本力行会 創設 三先駆者モニュメン ト。アリアンサ創設者永 田稠をブラジル在住の輪 湖俊午郎、北原地価造が 支えた協同を表している。 小原久雄作 コーラスや室内弦楽も盛んで、クリスマスにはバレエも 含めた文化活動の発表会がある。スポーツも盛んで弓場 野球は有名、伯国球界の草分けでもある。 日本語環境が残っている農場へは、ブラジル日系人だ けでなく、日本よりも体験入所を希望する人が多い。 1897年プロテスタントの牧師である島貫兵太夫が設立 した苦学生支援組織。日本人の海外発展の重要性を訴え 苦学生・移住希望者に幾多の便宜を与え、アメリカを始め 世界各国へ約3万人の移住者を送り出している。現在も国 際協力事業を推進している。永田稠は2代目会長。 9 No.966 移住ミュージアムだより 公財 海外日系人協会 西山田ふらっとサロン一行 11月26日㈬、吹田市山田西にある 「西山田ふらっとサロ ン」の一行(39名)が来場された。同サロンは市民の誰もが 気軽に利用できる三世代交流の場を提供し、高齢者の引き こもり対策事業の実施拠点として 「だれでもふらっと来て、 自 由に聞いたり話したりできる、今までにない地域の“おしゃべ り広場” を目指して活動している団体」 です。 その「ふらっとサ ロン」 からブラジル移民を勉強するためやって来られた。 移住史の説明45分、 ミュージアム・特別展の見学に55分 の時間を要した。説明では、ハワイ移民、ペルー移民の話か ら、 ブラジル移民の歴史を詳しく解説し、移民初期の苦闘を 血と汗と涙で克服し 「農業の神様」 となっていった話をしたと ころ感動をされた。 中南米に在住している日本語学校教師の研修を行って いる海外日系人協会から、12月17日㈬(11:30∼13:00)、 5名が移住ミュージアムを訪れた。 ブラジルから3名、ペルー1名、ボリビア1名のメンバー である。同研修は12月1日から2015年2月6日までの2か月 余り実施され、日本語学校教師の育成プログラムを履修 するものである。 引率して来た藤田さんの話では、ミュージアム(2階)の Fゾーンに掲示されているコロンビア国のパネル写真は本 人から提供されたものとのことであった。藤田さんは16年 前に青年海外協力隊としてと3年間同国に滞在し、 「コロ ンビア移民70周年史」の編集も担当され、その時の写真 の一部だそうである。ペルー、ボリビアからの見学者には 両国の展示が少なく二人には物足りなかったと思われる。 また、1月末に同協会行事として、日系人の子供達37名 が来場した。 吹田市市民環境会議一行 12月12日㈮、吹田市市民環境会議のメンバー(13名)が 研修のため来場された。 今回、吹田市から2グループ続けて訪問があり、吹田市民の コミュ二ティ活動と環境問題に対する意識の高さが注目される。 4月からの来場大学・高校の紹介 【大 学】神戸市:神戸大学、兵庫県立大学、神戸学院大学、神戸市外国語大学、神戸山手大学、神戸親和女子大学、甲南大学 西宮市:関西学院大学、神戸女学院大学 京都市:京都外国語大学 東大阪市:大阪商業大学 名古屋市:名古屋学院大学 徳島市:四国大学 東京都:早稲田大学、目白大学 【高等学校】奈良市:東大寺学園高校 門真市:門真なみはや高校 「おとな旅・神戸」主催のプログラムに参加して 神戸から旅立ったブラジル移民の 歴史を学び、フェジョアーダを一緒に この企画はおとな旅・神戸の企画に関西ブラジル人コミュニティCBKが 協力して1月11日㈰開催された。 参加者は27名で海外移住と文化の交流センターに集合し、担当者の案内 で館内を見学、移住ミュージアムの説明では、熱心にメモを取る方も。昼食は ブラジルから来たコチア青年三世約30名とフェジョアーダを食べながら懇談、その後ゲームを楽しんで交流した。移民船の フィルム鑑賞もあったが、10代のコチア三世は祖父・祖母の苦労話には関心が無いようで、明るく屈託なかった。ネルソン 松原氏よりは「生きるためのサッカー」の話があり日本に来てからの苦労が紹介された。参加者の中には、知人の子弟が サッカー留学を希望しており興味を持って聞いておられた。最後はメリケンパークまで移住者が歩いた道をたどり解散した。 10 No.966 神戸移住センターから見た日本とブラジル 出版記念 パーティに 感謝して 一般財団法人日伯協会理事 黒田 公男 今年84才、最後になるだろう著作を2014年11月、世に出すこ とができました。12月15日、出版記念パーティーを 「海外移住と 文化の交流センター」 で開催いただき、約50名の著名な方々が 集まってくださいました。ここではユーモアを交えて、 また愉快な エピソードが飛び出して、本当に楽しい雰囲気でした。 私の堅苦しい話はそぐわないと思って、予定していた話は止 めにしましたので、 この紙面をお借りして復元させていただきます。 皆様へ感謝して 70才を過ぎた頃から、 自分の一生は何だったのかと考えるよう になり 「幸せだったのか、 そうでなかったのか」 と、最後に生涯を 振り返るだろうと思っていました。だから今はくよくよ考えることは ないと思って、 自分の年齢のことを忘れていました。 ところが2010年春、旭日双光章の勲章を受章、 その年の秋に 赤坂御苑の園遊会に招かれました。当日は朝から大雨で、傘をさ しての園遊会になりましたが、両陛下と一言二言お言葉を交わ す光栄に浴しました。そして今また、2つ目の幸せをいただき、関 係各位に心よりのお礼を申し上げさせていただきます。 勲章と出版パーティの2つの幸せをいただき、私の人生は本 当に素晴らしいものだったと感謝しています。 今回の本を書いて思うこと 日本では海外へ移民する人を棄民と言われたことがあります。 棄民とは国民を捨てると書きます。本当に役立たずの人達だっ たのでしょうか。日本人移民も最初は大変ご苦労されたが、時を 経て成果を上げたものです。移民の歴史を手繰ってみると、棄 民というのは的外れだったことが分かります。捨てる民と書くのは 「棄民」ではなく、 “ 貴い民” と書く 「貴民」 だったのです。発音は 全く同じですが意味は極端なほど違います。 ブラジル人は「日本人が来てくれたから今日のブラジルがあ る」 と日本人の勤勉さと努力の成果をほめ、 日本人を信用してい ます。BRICSと言われるように、近い将来にブラジルなど5か国 が先進国の仲間入りすると見られています。 ブラジルを押し上げ たのが日本の農業移民でした。 戦後は、 日本の大企業が進出して技術を広め、 日本政府の開 発援助が加わりました。日本国土の数倍もの不毛の土地を、世 界有数の農地に作り変えました。こんなことから日本はブラジル から絶大な信用を得たのです。ブラジル人は日本移住者を高く 評価すると同時に、 日本移民のルーツである日本国、 日本人を 信用しています。 ブラジルでは2014年にサッカーのW杯が開催され、16年はリ オでオリンピックです。その間に挟まれた2015年の今年は、 日本 とブラジルとが1895年に外交関係を樹立して120年にあたる記 念すべき年です。 ますます親交に拍車がかかるでしょう。 日本とブ ラジルが、 より一層に良い年でありますよう頑張りましょう。 ■黒田公男著 ブラジル移住三部作 2014.11 出版 1995 出版 1976.1 出版 黒田さんの出版記念パーティは12月15日、海外移住と交流センター 5階で行われ、50人を超える方が参加されました。移住史研究家とし ての功績、日伯協会への貢献、今回の出版と数多くの業績を称え、 三野理事長ほか多数の人々がお祝いの言葉を述べられました。本稿 では黒田さんよりのお礼と、 「神戸移住センターから見た日本とブラ ジル」で読者に伝えたかったことを披露していただきました。 11 No.966 Tópicos (Brasil) ニッケイ新聞他より トピックス 2期目のルセフ政権が発足 ジルマ・ルセフ大統領は1月1日ブラジリアで行われた就任式 で第36代ブラジル連邦共和国大統領に就任した。所信表明演説 では財政の大盤振る舞いを改め、財政規律を重視する立場を強 調した。また投資を増やし生産性を高めるべく構造改革に取組 み、ブラジルを新たに飛躍させると抱負を語った。 新閣僚39名、注目の財務相には大統領選で野党候補を支援し たジョアキン・レビ氏が就任した。猛烈な仕事師で財政規律を 唱える同氏の就任で、14年ぶり39億ドルの貿易赤字となった ブラジル経済の立て直しが期待されている。 リオ五輪のマスコット名 「ヴィニシウス」と「トム」に 昨年12月、2016年開催するリオ夏季五輪・パラリンピックの公式マスコット名が決まった。 ブラジルの動物の多様性を示す黄色のボディマスコットは「ヴィニシウス」、植物の多様 性を表す青い体に緑の葉のマスコットは「トム」と名付けられた。 ヴィニシウス&トムの名前はボサノバ界を代表する作詞家ヴィニシウス・デ・モラエスと 作曲家トム・ジョビンの名前から取られた。 二人はボサノバの名曲「イパネマの娘」を作った。 魁聖が日本国籍を取得(11月20日 官報告示) 大相撲の魁聖(27歳 3世)が日本国籍を取得した。本名リカルド・スガノから日本名「菅野リカルド」と なる。帰化には日本語能力が問われるため、日本語を書いた紙を壁に張って一生懸命勉強していた。国籍 取得により相撲協会に残る道が開け、外国人力士の育成が期待されている。 1月17日 ブラジルサンパウロで阪神大震災法要 ブラジル兵庫県人会(尾西貞夫会長)が阪神淡路大震災20年の法要を執り 行なった。法要は、午前10時からサンパウロ総領事、日系3団体代表と県人会 関係者、並びにクリチーバから兵庫県事務所の山下所長(井戸知事のメッ セージ代読)、兵庫県関係企業代表を含め、総勢約60名が出席のもと、厳か に行われた。 プロ野球ドラフトで 楽天が日系三世を4位指名 10月27日のドラフト会議で東北楽天がルシアノ・ フェルナンド選手を指名した。同選手はマット・グ ロッソ州出身の22歳。祖母が日本人で5歳の時両親と来 日しブラジル・タウンの太田市で育った、野球の名門 桐生第一高等学校より白鴎大へ入学。関甲新学生リー グで首位打者・本塁打王・打点王・ベストナインに輝 いた実績を持つ強肩強打の外野手。次回WBCでの伯国 代表を目標としている。 社会人ホンダ所属の仲尾次オスカル正樹選手も候補 に挙がっていたようで今後の活躍が期待されている。 12 No.966 女子相撲大会用優勝旗を 下本八郎氏が寄贈 ブラジル国内には無かった女子相撲大会用の優勝旗を、下本 元聖州議員が日本で製作し寄贈した。ブラジルでは相撲も盛ん で、同氏はブラジル相撲連盟総裁。 ブラジル人はマイアミがお好き ブラジル人は何だかんだと言っても米国が好きなようだ。特 にマイアミは特別な存在でホテル・飲食店等の観光施設は伯国 人旅行者で潤っている。従来はカナダ人が多かったが2013年 度はブラジル人が第1位で75万人。 ブラジル11都市から直行便があり、スペイン語・ポルトガ ル語を話す人が多く、言葉の壁も低という利点がある。 LIVROS 一粒の米もし死なずば 深沢正雪著/無明舎出版/1900円+税 本書はブラジル日本移民レジストロ地方入植百周年の2013年、ニッケイ新聞の編集長で ある著者が、同紙に連載した記事を纏めて出版したものである。定住の植民地を理想とし た青柳郁太郎の回顧で始まり、前史編・戦前編・大戦編・戦後編で構成されている。 サンパウロから200キロ、日本人移民によって開拓されたレジストロ地域。1913年リベイ ラ川の河畔に日本最初の植民地「桂」が開設され、 「レジストロ」 「セッテ・バーラス」の順 に拓かれ「イグアッペ植民地」と総称された。そこは食料不足の明治時代、日本への米の供 給を目指した移住地だった。南米に根を張った、気骨ある明治人達の活躍に迫る。 ●前史編:1897年日本は米輸入国となり、人口超過と食料保障は国家の課題であった。 1908年青柳名で「海外植民政策に関する意見書」が桂首相に提出され、ブラジルに「米作植民地」を作る方針が決められ た。米作が盛んだったイグアッペが選ばれる。ブラジル移民は桂太郎・渋沢栄一・高橋是清が参画した準国策として行われ た。日本の資本投資で建設され、定住を前提とした集団地が桂植民地である。 ●戦前編:桂植民地は30家族が入植したが、サトウキビ・米の好成績で分益農組織となった。この成功で集団自作農制度が 認識され平野・上塚植民地創設の素因となる。その後は基幹作物探しに苦労するが、セイロンより紅茶の種子を持ち込み 成功。 ●大戦編:1942年ヴァルガス大統領による国交断絶、資産凍結。レジストロは日本人の拓いた町だからと立ち退きは無く、日 本人との共存を望んだブラジル人の支援もあった。 ●戦後編:ブラジル紅茶として輸出され、地域経済を支えた。レジストロからミナスへ飛び出して成功したバナナ王もいる。リ ベイラ河畔で実践されて来た共栄共存が、大聖市圏を中心とした日系人の繁栄に繋がっている。 この100年の間に大きな役割を終えて、桂は消滅した。明治という時代が蒔いた稲は死んだがそのモミは全伯に散らばった。 国家としてブラジル移住を考えた人、地主として移住地建設を目指し試行錯誤した人の記録であり、笠戸丸以前の移民の歴史 を知ることができる書である。 桂植民地に残された廃屋 カ ルタ・リジュボエッタ イグアッペ植民地の図 現在のレジストロ市街 ∼リスボンからの手紙∼ 岐部 雅之(在ポルトガル日本国大使館・専門調査員) ポルトガルの祝祭日(Feriados) 冒頭、季節外れの話になり恐縮ですが、 カトリックの 国であるポルトガルでは、 クリスマス (12月25日)は 宗教祭日で、年内最後の休日となります。その日、 スー パーやレストランの多くは休業、新聞も休刊日となる など、いつものリスボンとは少し変わり、街はどことな く静かな雰囲気を醸し出します。また、新年は正月三 が日という習慣もなく、1日のみが祝日のため、原則と して1月2日からは通常の営業日です。 祝祭日は歴史的・宗教的な観点からいずれも重要なので すが、6月10日の「ポルトガルの日」 (正式名「ポルトガル・カ モンイス・ポルトガル・コミュニティーの日」で、16世紀の大 詩人カモンイスの命日に由来)は、国祭日として、外交団を 招いた盛大な儀式が行われます。一方、12月1日はスペイ ンとの同君連合が解消された日(1640年)で独立記念日 に指定されていたのですが、労働市場改革の一環として 2013年以降は時限的に平日に指定されています(このほ か、10月5日の共和国樹立記念日、移動祭日の聖体祭と万 ▲革命記念日 (4月25日) は、共和 国議会が一般開放されます。 ◀クリスマスのイルミネーション (ロシオ広場) 聖節の計4日が祝祭日の指定から外されています)。宗教祭 日は、バチカンとの条約に基づいて指定されるため、ポルト ガル独自には判断できず、2018年に再導入をするか否か の協議が行われる予定です。 祝祭日に関して興味深い点は、週末と重なった場合でも 振替休日がないということです。例えば、本年の革命記念日 (4月25日)は土曜日ですが、翌月曜日に振替えられること はありません。祝祭日の感覚が少し薄れてしまうのは、筆者 だけではないでしょう。 ※なお、内容は全て筆者自身の観点に基づく私見であり、大使館の意見を代表するも のではありません。 13 No.966 ブラジル経済 2015年は我慢の年に SMBC日興証券 武田泰典 今年はブラジル国民にとって我慢の年になりそうだ。ルセフ が続く見通しとなっている。 大統領の再選後に財務相に指名されたレビ氏は、財政再建を しかし、財政再建策に伴う一時的な痛みはブラジル経済再生 掲げて昨年11月に今年の基礎的財政収支目標をGDP比+1.2% に向けての必要不可欠な調整とも言える。増税や補助金の削減 にすると表明。その後、歳出削減や増税を相次いで打ち出して は一時的にインフレ加速や景気減速を招くが、消費の抑制を通 いる。 じて中期的にはインフレや対外収支の改善に寄与する。財政再 今年の最低賃金は前年比+8.8%と昨年(+6.8%)を上回る 建は投資家からの信頼回復や高金利の是正を通じて、やがて民 引き上げ率となったが、遺族年金や失業保険の給付要件厳格化 間投資の拡大につながる。暗くて長いトンネルの先に明るい未 を打ち出した。自動車向け付加価値税の減税措置も1月から撤 来が待っていることを期待したい。 廃され(排気量1リットル以下の車種で3%→7%)、消費者ロー 財政収支および基礎的財政収支 ンに対する金融取引税や輸入品に対する付加価値税も2月から 引き上げられる(それぞれ1.5%→3%、9.25%→11.75%)。ガソ リンやディーゼルの価格も燃料税の引き上げにより、2月から1 リットル当たりそれぞれ0.22レアル、0.15レアル引き上げられる 他、電気料金も干ばつに伴う水力発電所の稼働率低下や政府 からの補助金削減により、近々+20%程度引き上げられる見通 しである。また、住宅向け融資で7割以上のシェアを有する連邦 0.0 →8.5∼11%)、国立経済社会開発銀行も政府からの補助金削 ▲4.0 おり(11%→12.25%、1月末時点)、今年も高インフレと低成長 No.966 2.0 ▲2.0 5.5%)。昨年10月に再開された政策金利の引き上げも継続して 基礎的財政収支 (財政収支ー利払い費) 4.0 貯蓄金庫は1月19日から住宅ローン金利を引き上げ(8∼9.2% 減を受けて1月から企業向け長期貸出金利を引き上げた(5%→ 14 (過去12ヵ月累積額の対GDP比、%) ▲6.0 11/1 11/7 財政収支 ※データは14年11月まで 12/1 12/7 13/1 13/7 14/1 14/7(年/月) (出所:CEICおよびブラジル中央銀行よりSMBC日興証券作成) Coffee break コーヒーブレイク 読んで味わうブラジル食 第4話 デザートとバチーダ 高橋祐幸 ブラジル人は富める人も貧しい人も食事の後で、 「ああ美味し ばしたお菓子である。今では田舎のレストランか、庶民的で安価な かった 」とか「 有 難う」とか 夫 婦 、恋 人で 互 い に 頬っぺ たに レストランでしか出してくれないので、お目にかかることも少なく チュッと"挨拶を交わすのが習慣である。そのとき今食べた物 なったが、ブラジル人には懐かしいデザートである(家庭では奥様 の匂いや油っ気が相手に匂ったりしないように、SOBRE MESA 方の手作りが見かけられる)。 (デザート)を食べる。それはCAFEZINHO(濃いコーヒー)でも 高級レストランでは、色々なリキュールをデザート替わり出す所 いいし、リキュールでもいい(日本人が食後にお茶を飲むのに似て もある。冷たく冷やしたクァントロゥとかオルティランなど、それに いる)。SOBRE MESAは、その時の料理に応じて作られるので、 ブラジル独特のリコール デ カフェ(コーヒー リキュール)などが好 フルーツサラダ、アイスクリーム、チーズケーキなどさまざまである。 まれている。口中を爽やかにして食べ物の匂いを消してくれる効果 古くから今に伝わっている代表的なものに、FIO DE OVO(卵 の糸)がある。甘い味のついた卵の黄身を、素麺のように糸状に延 があるようだ。 食前、食後にはバチーダと言われるカクテルも飲まれる。フルー ツをミキサーにかけて、それにピンガとミルクを少量注いで、トロリ とした感じの飲物にしたものである。口当たりは良いがピンガ酒は かなりアルコール度が高いので、ご婦人方はホンノリと頬が赤く なって瞳もウットリ潤み魅惑的になる。いかにもブラジル人向けの 飲み物と言えるのではないだろうか。 ブラジルではいろんな種類の果物がスーパーの棚に溢れている。 従って家庭でも手軽にバチーダが飲まれている。 果物は、マンガ(マンゴー)、マモン(パパイア)、ゴヤーバ(グアバ)、 モランゴ(いちご)、アバカシ(パイナップル)、マラクジャ(パッショ ンフルーツ)、カジュー(カシュー)等種類も豊富である。 (長年にわたってサンパウロよりご投稿頂きました高橋祐幸さんは、昨年11月亡くなられました。心よりご冥福をお祈り申し上げます) Nota do Editor 編 集 後 記 日ブラジル外交関係樹立120周年記念の日本での事業第1号の認定を得た「熊本尚美ショーロ・コンサート」は大盛会で、遠 く名古屋からも参加されました。認定第2号の「新春フェスタ」には、熊本さんの弟子や友人の仏人フルーティストも共演し て盛り上げていただきました。かたや伯国では文化交流使櫻井亜木子さんの琵琶演奏公演が行われ、日ブラジル外交関係樹立 120周年はいよいよ幕開けです。 編集】編集委員会:池田光昭、鹿子嶋栄三、加茂周治、竹内康雄、辻信一、南部真知子、西田裕、三井敏明(50音順) 15 No.966