...

明治学院大学機関リポジトリ http://repository.meijigakuin.ac.jp/

by user

on
Category: Documents
2

views

Report

Comments

Transcript

明治学院大学機関リポジトリ http://repository.meijigakuin.ac.jp/
明治学院大学機関リポジトリ
http://repository.meijigakuin.ac.jp/
Title
Author(s)
Citation
Issue Date
URL
フォークナーからティム・オブライエンへ:カタルシ
スなき敗北の系譜
松本, 一裕; MATSUMOTO, Kazuhiro
明治学院大学英米文学・英語学論叢 = Meiji Gakuin
University, the journal of English & American
literature and linguistics(128): 25-40
2013-02
http://hdl.handle.net/10723/1344
Rights
Meiji Gakuin University Institutional Repository
http://repository.meijigakuin.ac.jp/
フォークナーからティム・オブライエンへ
カタルシスなき敗北の系譜
松
序
本
一
裕
通低する 「敗北」
ウイリアム・フォークナーとヴェトナム戦争作家が結び付けられ特別に論じ
られることは皆無と言っていいだろう。 たしかに, フォークナーは合衆国がヴェ
トナムに本格的に介入する以前の 1962 年に世を去っているので, 彼自身がヴェ
トナム戦争に関心を抱いたという事実は当然ない。 ヴェトナム戦争をテーマと
している作家の側にも, 私の知るかぎり, 創作技法の領域でのフォークナーか
らの影響や彼への関心についてはともかく, ヴェトナム戦争とフォークナーと
の関連を言明する者は見あたらない(1)。 だが考えてみれば, フォークナーは南
北戦争の敗北にこだわった作家であり, ヴェトナム戦争を扱う作家にとっても
戦争の敗北をどのように引き受けるかは作品の重要なテーマである。 とすれば
敗北に対する意識という点で, 南北戦争とヴェトナム戦争とは通低しているは
ずで, フォークナーとヴェトナム戦争作家の関係を無視するわけにはいかない。
しかし, フォークナーとヴェトナム戦争の関連性が両者それぞれの研究者に
よって論議されたことがないのは(2) , 何故なのだろうか。 ヴェトナム戦争が
「合衆国史上初の対外戦における敗戦」 と評されることにその原因が見え隠れ
している。 つまり, 合衆国にとってその名称 (the Civil War) が示すように
南北戦争はあくまで内乱であり, 敗北が問題になるとしても, それはあくまで
25
フォークナーからティム・オブライエンへ
合衆国 (北軍) の敵であった南部連合に係わることでしかない, ということに
なるからだ。 勝利者側による 「内乱」 という位置づけが, 「独立戦争」 という
南部側の立場を無効にするだけではなく, 自国の喪失に等しい南部側の敗北意
識を隠蔽してきたからだろう。 だからヴェトナム戦争が合衆国にとって最初の
敗戦ということになり, 両戦争間の関連性も見えにくくなっているのである。
合衆国によって隠蔽されてきたのは南北戦争における 「敗北」 経験だけでは
ない。 フォークナーが作品の中でその 「敗北」 の淵源とした奴隷制に関わる汚
辱も, 奴隷解放を大義として戦った合衆国北部には係わりのないこととされて
きたのではなかったか(3)。 この点, ヴェトナム戦争におけるアメリカ兵の残虐
行為などに関わる忌まわしさを合衆国が引き受けようとしない傾向と呼応して
いる。
例えば, ヴェトナム戦争文学の代表的な作家ティム・オブライエンは彼の自
伝的な第一作
僕が戦場で死んだら
(1973) でこのことを象徴的に語ってい
る。 戦場からの帰還が最終的に完了するのは, 兵士たちが本国の土を踏んだと
きではなく, 戦場での彼らの体験と精神的な重荷を母国が引き取ってくれたと
きであろうが, そのような帰還はヴェトナムからの帰還兵たちに訪れはしない
ことを彼は示唆している。
ス チ ュ ワ ー デ ス
母国に帰還する兵士たちを乗せたチャーター機内で
客室乗務員が客室
にやってきて……目に見えない殺菌スプレーを噴霧し, 蚊を殺し未知の病
気をやっつけて, 彼女らとアメリカをアジアの悪から保護し, われわれ帰
還兵を永遠に浄化しようとする。 (If I Die 203)(4)
母国に受け入れられるために, 帰還兵は殺菌消毒を必要としている。 すなわち,
彼らの戦場での忌まわしい経験は, 毒気を抜かれて人畜無害なものになり果て
る必要があるというわけだ。
26
フォークナーからティム・オブライエンへ
兵士が母国へ帰還したのちに毒気を抜かれることを拒否して, 「本当の戦争
の話」 を語ろうとしても, 聴き手は殺菌消毒したステレオタイプのセンチメン
タルなレベルでしか受け取ろうとしない。 例えば, オブライエンの代表作
当の戦争の話をしよう
本
(原題は The Things They Carried, 1990) で語り手
が, 地雷を踏んで亡くなった戦友のこと, さらにはその戦友の死を悲しみ水牛
の子供を射殺するラット・カイリーのことを 「真に」 伝えるために, 聴衆を前
に虚実取り混ぜて語ったおりの経験を述べている。
ときどきこの話を私がすると, あとになって誰かがやってきて, その話
好きですと言う。 そう言うのはきまって女だ。 ……彼女はこう説明する。
原則として私は戦争の話というのは嫌いです。 人間がどうして血糊にまみ
れてのたうちたがるのか私には理解できません。 でも私はあなたの今の話
が好きです。 可哀そうな赤ん坊の水牛, それが彼女を悲しませたのだ。 あ
るときには彼女の目には涙さえ浮かんでいる。 あなたのやるべきことは,
と彼女は言うだろう, そういう思い出をすっかり忘れてしまうことです。
そして新しい話を語ることです。 ……
私はラット・カイリーの顔と彼の悲しみを思い浮かべ, そしてこう思う
だろう, この糞たれ女, と。
何故なら彼女は何も聞いていなかったからだ。 (The Things 80)
その一方で,
本当の戦争の話をしよう
にフォークナーの
の語り手ティムと異なり, たしか
アブサロム, アブサロム!
(1936) の語り手クエンティ
ンは, 故郷の南部の過去の出来事の謎を彼と一体となって推測してくれる北米
カナダ出身のシュリーヴという聴き手を得た。 しかしシュリーヴは最終的に,
クエンティンの語りをつうじて伝えられ, また自らも語ることで把握した, 南
部の忌まわしい経験を担うことを拒否するのである。 彼は 「君たち南部人は……」
27
フォークナーからティム・オブライエンへ
という言葉づかいでクエンティンとの間に距離を置き, 「なぜ君は南部を憎ん
でいるの?」 と相手を突き放す。 結局クエンティンは冬の東部の暗闇の中で,
「憎んでなんかいない!
憎んでなんかいるものか!……」 とひとり心で喘ぐ
ことになるのである (Absalom 3013)。
フォークナーとオブライエンのそれぞれの代表作の語り手はともに, それぞ
れが担い込んでしまったものを他の者と共有できないままに佇んでいる。 彼ら
が担い込んでしまったのは, 実は戦争における単なる敗北意識ではない。 それ
はさらにその奥に潜む人間の尊厳に関わる 「敗北」 を孕んでおり, 彼らの作品
創作の企図の核にはそのような 「敗北」 にたいする深い意識が存在していて,
その意識が彼らの創作態度を左右している。 以下この点につき, この二人の作
家それぞれの最高傑作のひとつ
の話をしよう
1
アブサロム, アブサロム!
と
本当の戦争
を主に取り上げて論じることにする。
フォークナーにおける敗北の昇華の欠如と叙事詩的世界の不成立
フォークナーとヴェトナム戦争の関連性に注目した者はおそらく皆無ではな
かろうかと先に疑問を呈したが, 実は現代カリブ海文学を代表する詩人・小説
家のエドゥアール・グリッサンが貴重な例外で, 彼は叙事詩的形式の源泉が敗
北であることを指摘して, 南北戦争とヴェトナム戦争の結びつきに言及してい
る。 「叙事文学とは, ある共同体の運命, 何よりもそのアイデンティティを強
固にすることを求める。 そうした叙事文学は, 共同体が戦いに完璧に勝利した
場合よりも, その勝利がずっと不確かである場合や曖昧である場合や……共同
体が敗北した場合に自然に生まれる」 とする彼は, 「南北戦争の勝者として,
ながらく勝利の恩恵に浴してきた合衆国北部は, この戦争の叙事詩をうたう必
要など微塵も感じなかった。 それは敗者のものだった」 と言明する。 彼はその
傍証として合衆国におけるそれまでの映画製作に触れ, 「 合衆国は
28
この国が
フォークナーからティム・オブライエンへ
勝ち取った戦い (独立戦争, メキシコ戦争, 二つの世界戦争) には比較的無関
心であるにもかかわらず, アラモの戦いから, リトルビッグホーンの戦い, パー
ルハーバー, ヴェトナム戦争に至る圧倒的な敗北を強迫観念のように叙事詩へ
昇華させようと力を注いできた」 (グリッサン 32) と指摘する。 その上で彼は
友人に紹介されたジョナサン・シェイ著
ヴェトナム戦争と 「 彼のいわゆる
ヴェトナムのアキレス
(5)
に言及し,
叙事詩的なものとの明らかな結びつき」
(33) を強調することで, この戦争と南部にとって敗北に終った南北戦争の繋
がりを示唆している。
しかし最終的にグリッサンは 「敗北を未来の勝利・征服に昇華させるのを可
能とする, あの〈普遍の根拠
」 を再確認するそれらの叙事文学とフォークナー
作品とを区別して (35), フォークナー作品の独自性を強調する。 フォークナー
は作品をつうじて 「特殊な敗北を同じ特殊な勝利へと昇華させるに足る尊厳と
能力をもった共同体としての南部の正統性」 (37) をいかに回復するかを問う
ているのだが, 白人による汚辱にまみれた土地支配と奴隷所有という事実, さ
らにはその事実の向こうに隠蔽された近親相姦と人種混交という 「呪い」 や
「劫罰」 の存在を示唆して, そのような正統性の可能性に疑問を呈している。
つまり彼の作品世界には叙事詩的昇華が欠如しており, 作品群は閉じられるこ
となくその叙事詩的欠落をこそ語りつづけていることになる。 結局ヨクナパトー
ファ・サガの物語世界とは, グリッサンのその独創的な作家論 フォークナー,
ミシシッピ
の邦訳者が解説で指摘しているように, 共同体の正統性の回復の
不可能性, すなわち 「叙事詩的世界の不可能性の謂」 (412) なのである, と結
論づけられる。
たしかにフォークナーは,
ブサロム, アブサロム! ,
響きと怒り
行けモーセ
(1929),
八月の光
(1932),
ア
(1942) などの主要作品を含むヨク
ナパトーファ・サガにおいて, 南部共同体の破局を明らかにしながらも, 南部
という 「不可解で不可能な状況」 あるいは 「解決策のない矛盾の場所」 (39)
29
フォークナーからティム・オブライエンへ
を手放さず, 南部の物語を語り続けた。 彼は叙事詩的企図の不可能であること
を示唆しながらも, その不可能性を最終的に結論として提出せずに, その不可
能性を担いながら叙事詩的表現を紡ぎつづけたと言うことができるだろう。
アブサロム, アブサロム!
結末でのクエンティンの姿がそのような作者の
表面的には矛盾した態度を象徴的に物語っている。 グリッサンは, 敗北の昇華
という叙事詩的企図の不可能性は 「始まらないこの〈時間〉とは何か, 生
を想定しないこの〈死〉とは何か」 という問いを孕んでいる (149) と指摘し
ているが, クエンティンの結末での喘ぎはそのような問いを担っている。 「憎
んでなんかいない!」 とひとり心中で繰り返しながら, 近親相姦も交えた人種
混交の汚辱とその汚辱のゆえの南部共同体における正統性の欠如を引受けて語
ろうとして語れないまま喘いでいる彼は, 南部の汚辱を暴きだした語りの堆積
を担いながら, 未来へと語り継ぐことができないという状態, つまりその再構
築が望めないという共同体の死, それと連動するアイデンティティの崩壊とい
う自らの死, すなわち叙事詩的世界の不可能性に耐えているのである。
2
オブライエンにおける敗北への帰還
グリッサンは, 敗北の勝利への昇華の欠如において, 既存の叙事詩的世界の
不可能性を示唆して止まないフォークナーの独自性を指摘することで, 最終的
に彼の作品がヴェトナム戦争をテーマとする作品をふくむ他の叙事文学と異なっ
ていることを強調した。 だが, 彼がフォークナーの独自性として特筆した点こ
そ, ヴェトナム戦争作家ティム・オブライエンの独自な点でもある。 オブライ
エンは自伝的な作品
ア賞を受賞した
として名高い
僕が戦場で死んだら
カチアートを追跡して
を皮切りに, 特に, ピューリッツ
(1979), ヴェトナム戦争作品の傑作
本当の戦争の話をしよう , さらにはヴェトナム戦争の体験を
奥深いレベルで追跡した 失踪 (原題は In the Lake of the Woods, 1994) と,
30
フォークナーからティム・オブライエンへ
単に戦争の敗北だけではなく, アメリカ社会の敗北, アメリカ神話の敗北, そ
して何にもまして自己の人間としての敗北を引き受けようとしてきた(6)。
例えば,
カチアートを追跡して
で主人公のバーリンは監視塔で任務につ
きながら, 逃亡したカチアートをヴェトナムからパリまで追いかけるという,
逃亡と追跡の両義性を孕む夢想を展開するが, その夢想の中で結局はカチアー
トの追跡を断念して二人でパリで幸せな生活を営むことを画策し本格的にさら
に 「夢に歩み入る」 ことを主張する難民女性のワンに対して, 「たとえ想像の
中でも義務を逃れることはできない」 (286) と言い放ち, 抱え込んでいる戦場
での忌まわしい経験を置き去りにする結末を拒否するのである。 また
失踪
の主人公ジョン・ウェイドは, ヴェトナムでの村民虐殺への関与や妻キャシー
との関係を含む彼の経歴や生活にまつわる関係者による克明で膨大な証言にも
かかわらず, 妻失踪の謎を残したまま, 自らも迷路のような湖水のかなたへと,
さまざまな汚辱と謎を担ったまま失踪してしまう。 結末章で語り手は傍注を設
け次のように述懐する。
心では, もうここで筆を擱いて, 安らかな祈りをささげ結末とした方が
いいと分かっている。 ただ, 真実がそうさせてはくれない。 なぜなら, ハッ
ピーエンドであろうとなかろうと, 結末などないからだ。 確定されたもの
は何もなく, 解決されたものも何もない。 事実はいかにも危なっかしく,
行方不明の事物の虚空の中へ散らばっていき, 結末などないという結末が
やってくる。 ついに謎がわれわれを覆う。 われわれは誰なのだろう?
れわれはどこへ向かっているのだろう?
わ
曖昧な結末に不満を抱いたり,
苛々したりする人もいるかもしれない。 ……こぎれいな話ではない。 人間
の心がそういうものだから仕方ない。 ……われわれの行方は定かではない。
あらゆる秘密によって暗闇へと導かれるが, 暗闇の向こう側には, ただ
「かもしれない」 (maybe) の領域が広がるばかりなのだ。 (傍点は原文,
31
フォークナーからティム・オブライエンへ
In the Lake 301)
このようなカタルシスの欠如 (参照 Ciocia 6), 閉じることを拒否する 「結
末のない結末」, すなわち既存の叙事文学的形式の否定は, 連作短編集とも言
える
本当の戦争の話をしよう
の語り手が 「本当の戦争の話というのはいつ
までたってもきちんと終わりそうにないものだ。 そのときも終わらないし, そ
のあとでも終わらない」 (The Things 72) と宣言するように, 「本当の戦争の
話」 の条件でもある。 その語り手は 「本当の戦争の話」 に意味があるとしても,
「それは布を織りあげている糸のようなものだ。 より深い意味をほぐすことな
くその意味だけを引き抜くことはできない。 そしてつまるところ, 本当の戦争
の話を聞かされたあとに, 何かもっともらしいことを口にするなんて不可能で
ある。 へえ〉とか〈ふうん〉とか, それくらいしか言えない」 (74) とも述懐
する。 彼はさらに兵士たちの戦場における 「精神的な感触 (the spiritual texture)」 に触れ, 兵士にとって 「戦争は決して晴れることのない深く不気味な
灰色の霧のごときものである」 と述べた上で, 「そこには明確なものは何ひと
つとしてないのだ。 何もかもがぐるぐると渦を巻いて見える。 旧来の規則はも
うその効力を失っている。 旧来の真理はもはや真理ではない。 誤ったものの中
に正しきものがどくどくと注ぎこまれている。 カオスの中に秩序が混ざりこん
でいる。 憎しみの中に愛が, 愛の中に醜さが, アナーキーの中に法が, 野蛮の
中に文明が, 霧が君をすっぽりと呑み込んでしまう。 自分が何処にいるのか,
何故そこにいるのか, 君にはわからない。 ただひとつはっきりとしているのは,
どうにもならない曖昧さ (overwhelming ambiguity) だけだ」 (78) と指摘
する。
本国に帰っても元兵士たちは 「曖昧さ」 から逃れることはできない。 むしろ
故郷に独り帰還してから, 彼らはさまざまな出来事や思いや感情やイメージの
糸に織りあげられ, ほぐしだすと切りのない意味を孕んだ記憶と直接に対面せ
32
フォークナーからティム・オブライエンへ
ざるをえなくなる。 すなわち, 語り手の 「グッド・フォーム」 の章での表現を
借りれば, 「顔を持たぬ責任と, 顔を持たぬ悲しみ」 (172) という不明瞭な敗
北感に対面せざるをえなくなるのだが, 戦争の体験を直接語ってもそれらの顔
は明確にならなかった。 それらを明確にするには 「実際の出来事の真実性
(happening-truth) よりもさらに真実を孕んだ物語の真実性 (story-truth)」
(171) が必要だった。 元兵士が 「お父さん, ホントのことを言ってよ。 お父さ
んは人を殺したことがあるの?」 と娘に訊かれ, 「まさか, 人を殺したことな
んてあるものか」 と言っても 「ああ殺したよ」 と言っても, どちらも正直な答
グ ッ ド ・ フ ォ ー ム
えになるような (172), 何らかの適切な表現形式が必要であった。
戦争の体験談につきものの英雄譚も, その逆の暴露話も道徳的立場からの告
発も, 客観的回想も主観的告白も, もちろんそのようなグッド・フォームでは
ありえない。 合衆国建国以来さまざまな経験を意味づけてきたピューリタンの
マニフェスト・デスティニー
発想に基づく解釈枠や認識枠 (その代表が 「明白なる神意」 と呼ばれるアメリ
カの膨張神話である) をおしつけても, ヴェトナム帰還兵の 「顔を持たぬ責任
と, 顔を持たぬ悲しみ」 は少しも明らかにならないし, 彼らの心の重荷を軽減
することはできないだろう。 では結局何が要請されているのだろうか?
ティム・オブライエンは
カチァートを追って
で主人公バーリンのよき相
談相手のドク・ペレットに 「何を記憶するかは何を見るかで決まるし, 何を見
るかは何を記憶しているかで決まる。 これは一つの循環なんだ。 破らなければ
いけない循環なんだ」 (Going After 184) と言わせているが, このような 「循
環」 (a cycle) を切断することが要請されている。 ヴェトナム体験の 「曖昧さ」
が示唆しているのは, 既成の解釈枠・認識枠がもはや 「視力」 を与えてはくれ
ない, すなわち 「渦を巻いて見える」 ものが安定した記憶秩序に収まるどころ
か, 「明確な顔の欠如した」 悪夢として帰還兵たちにとりついているのである。
記憶と認識の閉ざされた 「循環」 にどこかで亀裂が生じていることは間違いな
い。 その亀裂を安易に修復するのではなく, むしろその亀裂を引受けることに
33
フォークナーからティム・オブライエンへ
よって, 彼らの記憶を社会へ, さらには彼ら自身へと 「帰還」 させる新たな解
釈枠・認識枠としての表現形式が要請されているのである。
3
新たな叙事表現の挫折と継続
このあらたな解釈枠・認識枠としての表現形式の要請は, フォークナーの
アブサロム, アブサロム!
と無縁ではない。 ローザ・コールドフィールド
は, サトペンへの個人的恨みのレベルを超えて, 南部白人の罪意識と黒人の痛
みの認識をともにアメリカ人の意識として引き受け, 「真実よりもっと真実と
言える」 (Absalom 115) 「あったかもしれない」 (might-have-been) (109) 話
をクエンティンに対して語ろうとしたのである。 その究極は, ヘンリー・サト
ペンがチャールズボンを殺害したという知らせを受けた彼女がサトペン邸宅に
駆けつけ, 黒人の召使のクライティに制止され, 黒と白の 「二つの相矛盾する
抽象的な対立物として」 (111) 互いに肉体が触れ合い, そしてにらみ合ってい
る場面である。 ローザは, 一瞬のうちにクライティが黒人奴隷にサトペンが生
ませた娘であることを理解するが, 「ひとたび肉と肉が触れあえば, その瞬間,
身分の違いとか肌の違いとかいう, 卵の殻のような脆い掟はすべて崩れ落ちて」
しまうことになる。 だからこそ, 「それじゃ, あなたもなの?
それじゃ, あ
なたも姉妹なの, 姉妹なの?」 (11112) とローザは思わず叫んでしまう。 藤
平育子はこの場面の重要性について, 「混血の身体に主張されるアメリカ奴隷
制度の悪, ローザもそのような悪の歴史から免れない。 混血のクライティはロー
ザの姉妹であり, ローザの〈家族〉であり, 二人はアメリカの〈家族〉だとい
う認識に辿りついた」 (藤平 379) と指摘している。
自ら認識するに至った 「悪の歴史」 およびそれを担っての 「アメリカの家族」
のヴィジョン, それらを伝えようとしてローザが引き起こした語りの波紋は,
クエンティンと彼の父によって他のさまざまな語りと結合され, さらにはその
34
フォークナーからティム・オブライエンへ
二人の語りに取り込まれながら, 終にはクエンティンを通じて北米カナダ人の
シュリーヴに達する。 ここに, アメリカ南部という一地域に限定されながら,
さまざまな語り手によるさまざまな推測を含んだ語りを通じて次第に輪郭を与
えられてきた, 人間存在に関わる汚辱と敗北の 「顔を持たぬ責任と, 顔を持た
ぬ悲しみ」 が, ついに合衆国も含めた北米の叙事文学的表現の世界へと引き取
られる可能性が開けたのである。
だがシュリーヴは 「君たち南部人は……」 と距離を置き, 「なぜ君は南部を
憎んでいるの?」 とクエンティンを突き放し, アメリカ南部を源泉とする語り
の束を引き取ることを拒否する。 すなわち彼は, ローザとクライティが 「アメ
リカの〈家族」 であり, 南部の汚辱と敗北が自らとも係わりがあるという発
想を拒否して, 新たな叙事的表現の可能性を担うはずであった語りを閉じてし
まう。 彼は自らが生息する叙事的世界の 「循環」 を破ることでその世界には収
まりきれない 「亀裂」 を引受ける, そのような可能性に背を向けてしまったの
である。 単に拒否しているだけではなく, 自らの秩序を保証してくれる既存の
叙事的世界を守るために, 「亀裂」 を南部のみに押し付けようとしている。 そ
の結果, クエンティンは汚辱と敗北を示唆する語りの束, すなわち 「亀裂」 を
押しつけられたまま, その語りの束を引き取るさらなる語りを紡ぎだせないま
まひとり佇んでいる。 ティム・オブライエンの語り手が, 娘に戦争で人を殺し
たことがあったのと訊かれて 「まさか, 人を殺したことなんてあるものか」 と
言っても 「ああ殺したよ」 と言っても, どちらも正直な答えになるような, 何
グ ッ ド ・ フ ォ ー ム
らかの適切な表現形式を必要としているように, クエンティンも, 「南部を憎
んでなんかいない」 といっても 「憎んでいる」 といっても正直な答えになるよ
うな適切な表現形式, すなわち奴隷制度に関わる汚辱や敗北を南部に閉じ込め
るのではなく, より広い世界に係わりがある事柄として引き取ることが可能な
表現形式を必要としている。 彼はそのような表現形式を求めながらも得られな
いまま, マサチューセッツの冬の夜にひとり喘いでいる。
35
フォークナーからティム・オブライエンへ
マイ・オウン・ストーリー
4
如何にして担うか, または 「私 自 身 の 話」
創作上担うべき課題という観点からして, ティム・オブライエンはクエンティ
ンの 「喘ぎ」 を引き継いで, 既存の叙事表現の認識枠に亀裂を生じさせた 「顔
を持たぬ責任と, 顔を持たぬ悲しみ」 に輪郭を与え, 社会全体として引き取る
ことのできる表現形式を生みだそうとしていると言える。 「覚書」 の章で語り
手オブライエンは
本当の戦争の話をしよう
を構成する重要な短編のひとつ
「勇敢であること」 を書くに至った経緯を説明しているが, そこにこの小説の
中心をなす戦略が仕掛けてある。 「 勇敢であること
は 1975 年にノーマン・
バウカーに勧められて書いた。 その三年後にバウカーは, アイオワ州中部にあ
る生まれ故郷の町の YMC のロッカールームで首を吊って自殺した」 (The
Things 149) とこの章は語りだされる。 バウカーは汚物の中に沈んでゆく友
のカイオワを見殺しにした記憶に悩んでいたのだが, 彼は 「勇敢であること」
を読んで, 「カイオワはどこにいるんだ?
糞はみんなどこに行っちゃったん
だ?」 という手紙を遺して自殺した。 バウカーの死後十年後あらためて書き直
したのが,
本当の戦争の話をしよう
所収の 「勇敢であること」 である。 オ
ブライエンはここまで語って, 突如 「ノーマン・バウカーはいかなる意味にお
いても, カイオワの死について責任がなかったということを私は明確にしてお
きたい」 と宣言し, 「物語のその部分は私自身の話である」 (154) と告白する。
この 「私自身の話」 (my own [story]) という表現は曖昧である (Bates 251)。
カイオワの死に関する部分は 「バウカーではなく私自身の話である」 という意
味なのか, それとも 「私の作り話である」 という意味なのか。 われわれは 「私
自身の話」 という事実を示す方向と, 「作り話」 という虚構を示す方向とのあ
いだで途方に暮れる。 この困惑に誘い込むことこそ, オブライエンの戦略なの
である。
36
フォークナーからティム・オブライエンへ
作者ティム・オブライエンは公演でもしばしば聴衆を相手に, この戦略を見
事に駆使して見せる。 彼は同書所収 「レイニー河で」 で語られているのと同じ
エピソードを聴衆に語る。 すなわち招集を受けたが, もともとヴェトナム戦争
には懐疑的だったので, 悩んだ末カナダに逃亡しようとした。 その経緯を詳細
に語り, その結末に触れて, 結局 「それから私は兵士としてヴェトナムに行っ
た。 そしてまた故郷に戻ってきた。 私は生き延びることができた。 でもそれは
ハッピーエンディングではなかった。 私は卑怯者だった。 私は戦争に行ったの
だ」 (The Things 58) と告白する。 会場の聴衆は 「戦争に行くこと」 と 「卑
怯者になること」 とを結びつけることができないまま途方に暮れる。 そこで,
「今お話したことにつき, 言っておかなければならないことが二つあります」
と彼は止めを刺す。 「つまり, 今の話はすべて作り話であります。 と同時に,
そのすべてはまったく真実であります」。 そのような現場を目撃したドナルド・
リングナルダの表現を借りれば, 聴衆は 「作り話」 と 「まったく真実」 を共存
させることができないまま, 「了解枠の新たな混乱」 (a new confusion of understanding) (Ringnalda 103) のうちに会場を後にするのである。
「レイニー河で」 の語り手ティムが, そして講演会でオブライエン自身が
「私は卑怯者だった。 私は戦争に行ったのだ」 と最後につぶやくとき, 自己の
敗北だけではなく, 「戦争に行くこと」 と 「卑怯者になること」 とを結びつけ
ることができない認識・解釈枠としてのアメリカの神話の敗北, その神話を手
放そうとしない国家の敗北, その神話の強化に寄与する既存の叙事表現形式の
敗北, さらにはその既存の表現形式の世界に安住しようとする読者や聴衆の敗
北が明らかにされている。 しかも彼はその敗北を 「私の作り話」 と 「私自身に
ついての話」 の二重の意味を孕む 「私自身の話」 として自ら引き受け, さらに
はその二重性をつうじての読者や聴衆の混乱として彼らにその敗北を引き取ら
せようともしている。 彼らが, 語り手ティムをつうじて作者ティム・オブライ
エンが明らかにした 「敗北」 を, ヴェトナム帰還兵の問題として既存の認識の
37
フォークナーからティム・オブライエンへ
「循環」 に埋没させてしまうのか, それとも 「私自身の話」 として新たな叙事
的表現の世界へと引き受けていくのか, 彼らに任されることになる。 そしてこ
こにヴェトナムの記憶が単に記録として残されるような公的記憶, あるいは社
会問題として個人の外部に疎外されるような記憶ではなく, 「私自身の話」 と
して担われる可能性が開けているのである。 さらにそれは,
ブサロム!
アブサロム, ア
の結末でクエンティンが担おうとして喘いでいるアメリカ南部を
源とする語りの束が, シュリーヴの場合のように南部だけに押し付けられるの
ではなく, 「私自身の話」 として南部の外の世界へと引き取られる可能性, す
なわち 「始まらない時間」 が始まり 「生を想定しない死」 に息吹が戻る可能性
が開けることに等しいのではないだろうか。 以上のようにフォークナーとオブ
ライエンの代表作について考えるとき, カタルシスなき敗北を引受けて創作の
世界を切り拓いていった作家の一系譜が浮んでくる。
注
(1)
例えば, ティム・オブライエンが, 個人の人格形成に対する地域・家族・文化
の影響力についてフォークナーの影響を受けたと言明している (参照 Herzog
65) が, ヴェトナム戦争とフォークナーの関係については, 彼の発言は見られな
い 。 最 近 出 版 さ れ た ば か り の Patric A. Smith, ed. Conversation with Tim
O’Brien. Jackson : UP of Mississippi, 2012. にあたっても, フォークナーにお
ける南北戦争とヴェトナム戦争を関連させるような発言はない。 なお, ヴェトナ
ム戦争文学研究においては, アメリカ文学における戦争文学の系譜にフォークナー
の Soldiers’ Pay (1926) を位置づけることは常識であるので, その意味でフォー
クナーとヴェトナム戦争の関係が間接的に示唆されているとは言える (参照
Myers 179)。
(2)
例えば, Beidler や Myers や Bates などのヴェトナム戦争文学の代表的な研
究書をひもといても, Herzog や Mark A. Heberle. A Trauma Artist : Tim
O’Brien and the Fiction of Vietnam. Iowa City : U of Iowa P, 2001. や, さら
には最近の Ciocia などのオブライエンに関するモノグラフにあたっても, フォー
クナーとヴェトナム文学との関連性への言及は見あたらない。
38
フォークナーからティム・オブライエンへ
(3)
北部合衆国の, 自らは奴隷制および南北戦争敗北とは無関係であり, 政治的に
も道徳にも汚れてはいないとする道徳的自負心にいち早く疑問を呈したのは, エ
ドマンド・ウイルソンである。 Edmund Wilson, Patriotic Gore : Studies in the
Literature of the American Civil War. 1962. New York : Norton, 1994. の
“Introduction” 参照。
(4)
Tim O’Brien と William Faulkner の作品の引用におけるタイトルは, タイ
トルの冒頭のみ表記する。
(5)
Jonathan Shay. Achilles in Vietnam : Combat Trauma and the Undoing of
Character. New York : Scribner, 1994.
(6)
ティム・オブライエンの 「敗北」 の問題については, 拙論 「敗北への帰還」 を
参照。 また, 本論の
本当の戦争の話をしよう
に関する記述と内容には, この
論文と重複する部分がある。
Works Cited
Bates, Milton J. The Wars We Took to Vietnam : Cultural Conflict and Storytelling.
Berkeley : U of California P, 1996.
Beidler, Philip D. Re-Writing America : Vietnam Authors in Their Generation. Athens : U of Georgia P, 1991.
Ciocia, Stefania. Vietnam and Beyond : Tim O’Brien and the Power of Storytelling.
Liverpool : Liverpool UP, 2012.
Faulkner, William. Absalom, Absalom!. 1936. The Corrected Text. New York : Random House, 1986. 藤平育子訳
アブサロム, アブサロム!
岩波文庫, 2011.
Herzog, Tobey C. Tim O’Brien. New York : Twayne, 1997.
Myers, Thomas. Walking Point : American Narratives of Vietnam. New York : Oxford UP, 1988.
O’Brien, Tim. Going After Cacciato. 1978. New York : Delta, 1989. 生井英考訳
チアートを追跡して
カ
文春文庫, 1997 年。
. If I Die in a Combat Zone : Box Me Up and Ship Me Home. 1973. New
York : Dell, 1987. 中野圭二訳
僕が戦争で死んだら
白水 U ブックス, 1994.
. In the Lake of Woods. 1994. New York : Penguin Books, 1995. 坂口緑訳
失踪
学研, 1997.
. The Things They Carried. Boston : Houghton Mifflin Harcourt, 1990.
村上春樹訳
本当の戦争の話をしよう
文春文庫, 1998.
Ringnalda, Donald. Fighting and Writing the Vietnam War. Jackson : UP of
39
フォークナーからティム・オブライエンへ
Mississippi, 1994.
Weinstein, Philip. Becoming Faulkner : The Art and Life of William Faulkner. New
York : Oxford UP, 2010.
グリッサン, エドゥアール
フォークナー, ミシシッピ , 中村隆之訳, インスクリ
プト, 2012. Edouard Glissant. Faulkner, Mississippi. Editions Stock, 1996.
藤平育子
フォークナーのアメリカ幻想
「アブサロム, アブサロム!」 の真実
研究社, 2008.
松本一裕 「敗北への帰還
憶の問題」
ティム・オブライエンの
記憶のポリティックス
兵士たちの荷物
における記
アメリカ文学における忘却と想起
昇他編, 南雲堂フェニックス, 2001.
40
松本
Fly UP