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B【近現代1 欧米諸国関係 20世紀初めからWW1(詳細)】
B【近現代 1 欧米諸国関係 20 世紀初め~第一次世界大戦 ヴェルサイユ体制・ロシア革命(詳細)】 アメリカ イギリス フランス ドイツ・オーストリア 1913 ウィルソン大統領 独占資本に対抗 →反トラスト強化 1906 労働党発足 1910 南アフリカ連邦 パン・ゲルマン主義 1905 統一社会党結成 (ジョレスら) 1908 オスマン・トルコで青年トルコ党の革命 オーストリア・ハンガリー帝国 ブルガリア独立 アジア パン・スラブ主義 1905 ベンガル分割令(インド) スワラージ,スワデーシ ボスニア・ヘルツェゴビナを併合 オスマン・トルコとの関わりでの動向 1911 伊土戦争 1912 第一次バルカン戦争・・・バルカン半島をトルコより奪う ↓バルカン同盟内部で獲得した領土の分け方で対立 1913 第二次バルカン戦争 ブルガリア敗退 ブカレスト条約締結 ↓ ブルガリア,トルコは三国同盟側に接近 1912 アルバニア独立 日露戦争→英仏対立の恐れ →1904 英仏協商 →日本の勝利→1907 英露協商 三国協商 スラブ勢力 ・ ロシア(ソ連) セルビアが激怒 …ロシアの力を背景に勢力拡大 ↑↓ オーストリアとの関係悪化 一触即発の危機 1908 青年トルコ党の革命 1910 日韓併合 1911 辛亥革命 →1912 中華民国 1914.6.25 オーストリア皇太子夫妻射殺・・・サライェヴォ事件 オーストリアはセルビアに宣戦布告 1882 三国同盟 ドイツ・オーストリア・イタリア 1916 ロイド・ジョージ内 閣 1914~18 第一次世界大戦 三国同盟側:4 ヶ国 ドイツ,オーストリア,ブルガリア,トルコ, 三国協商側:27 ヶ国 連合国…イギリス,フランス,ロシア,イタリア,日本,中国ら 毒ガス・戦車・機関銃の登場で戦争が長期化する → 国の工業力,輸送力などすべてを投入した「総力戦」の時代を迎える ≪西部戦線≫ ≪バルカン・西アジア≫ 1914 マルヌの会戦 1916 ヴェルダンの戦,ソンムの戦,ユトランド沖海戦 1917.3 ドイツ 無制限潜水艦作戦宣言 1917.4 アメリカが参戦を決定 →1918.1 ウィルソン大統領 「14 か条の平和原則」 →200 万人以上の兵士を送る 1918 半ば ドイツで兵士の反乱 皇帝が退位 ⇒11.11 臨時政府(エーベルト首班)が連合国と休戦協定 1914 1915 1915 1916 1917 1914 日本 アジアのドイツ領へ進撃 チンタオ攻略 南洋諸島占領 ≪東部戦線≫ 1914 タンネンベルクの戦い イタリアは協商国側で参戦 オスマン・トルコ=同盟側で参戦 イタリア→協商国側にうつりオーストリアに宣戦 フセイン・マクマホン協定(英→アラブ人) サイクス・ピコ協定(トルコ分割案) バルフォア宣言(英→ユダヤ人) 対ソ干渉戦争 1917.3 ペトログラードで二月革命 ロマノフ朝滅亡 ソヴィエトと臨時政府が立つ…二重権力状態 ↓この中の 11 月 ボルシェビキが蜂起 十月革命 臨時政府打倒→ソヴィエト政権(連立政権) 直後に議会選挙→しかし社会革命党が第一党 1918.1 レーニン 議会を武力で解散 ソビエト政権 =ボルシェビキの一党独裁→共産党と改称 1918.3 ドイツとブレスト・リトフスク条約で単独講和 1919~21 内戦と対ソ干渉戦争 ロ シ ア 革 命 1915 日本 対華 21 か条の要求 1917 中国 協商国側で参戦 石井・ランシング協定(日米) 対ソ干渉戦争 1918 シベリア出兵(日本) 1919.1 月 パリ講和会議 →ヴェルサイユ体制 ヨーロッパの新秩序となる ・アメリカのウィルソン大統領の 「14 か条の平和原則」…秘密外交の廃止,海洋の自由,経済障壁除去,軍縮,植民地問題の解決,国際平和機構設立などが原則となる ⇔ 英仏 対ドイツ報復的 ・クレマンソー(仏),ロイド・ジョージ(英),オルランド(伊),西園寺公望(日本)らが出席 ・ヴェルサイユ条約 ・・・ドイツとの講和条約 アルザス・ロレーヌ地方→フランスに返還, ポーランド回廊→ポーランド , 全海外領土を失う , 軍備制限 ラインラント非武装化 , 1320 億マルクの賠償金 ・サン・ジェルマン条約 …オーストリアとの講和条約 オーストリア・ハンガリー帝国解体 ハンガリー,チェコスロバキアの独立 南チロル,トリエステ→ イタリアへ ボスニア,ヘルツェゴビナ,モンテネグロ→セルビアと合体⇒セルブ・ クロアート・スロヴェーヌ王国成立 …29 クーデターで ユーゴスラヴィア成立 ・セーヴル条約…トルコとの講和条約 ヨーロッパ側の領土はコンスタンチノープルとその周辺を残 すのみ トラキアとイズミル(スミルナ)地→ギリシアが獲得 メソポタミア,パレスティナ→イギリスの委任統治 シリア→フランスの委任統治 ・トリアノン条約・・・:ハンガリーとの講和条約 ・ヌイイ条約:ブルガリアとの講和条約 国際平和機構として国際連盟 1920 結成 本部ジュネーヴ ・民族自決の流れ フィンランド,エストニア,ラトビア,リトアニア,ポーラ ンド,チェコ,ハンガリー,ユーゴスラビアの独立 アメリカの不参加(上院が孤立主義に拘泥) 全会一致の原則(英仏伊日) 軍事的制裁を欠く ソ連不参加(1934 加盟) 弱体 【近現代 1 欧米諸国関係 20 世紀初め~第一次世界大戦 ヴェルサイユ体制・ロシア革命(詳細)】 B アメリカ イギリス フランス ドイツ・オーストリア 1913 ウィルソン大統領 独占資本に対抗 →反トラスト強化 1906 労働党発足 1910 南アフリカ連邦 パン・ゲルマン主義 1905 統一社会党結成 (ジョレスら) 1908 オスマン・トルコで青年トルコ党の革命 オーストリア・ハンガリー帝国 【 スラブ勢力 ・ ロシア(ソ連) ブルガリア独立 パン・スラブ主義 1905 ベンガル分割令(インド) スワラージ,スワデーシ 】を併合 【 オスマン・トルコとの関わりでの動向 1911 伊土戦争 1912 第一次バルカン戦争・・・バルカン半島をトルコより奪う ↓バルカン同盟内部で獲得した領土の分け方で対立 1913 第二次バルカン戦争 ブルガリア敗退 ブカレスト条約締結 ↓ ブルガリア,トルコは三国同盟側に接近 1912 アルバニア独立 日露戦争→英仏対立の恐れ →1904【 】協商 →日本の勝利→1907 英露協商 三国協商 アジア 1914.6.25 オーストリア皇太子夫妻射殺・・・【 オーストリアはセルビアに宣戦布告 1908 青年トルコ党の革命 1910 日韓併合 1911 辛亥革命 →1912 中華民国 】が激怒 …ロシアの力を背景に勢力拡大 ↑↓ オーストリアとの関係悪化 一触即発の危機 】事件 1882 三国同盟 ドイツ・オーストリア・イタリア 1916 ロイド・ジョージ内 閣 1914~18 【 】世界大戦 三国同盟側:4 ヶ国 ドイツ,オーストリア,ブルガリア,トルコ, 三国協商側:27 ヶ国 連合国…イギリス,フランス,ロシア,イタリア,日本,中国ら 毒ガス・戦車・機関銃の登場で戦争が長期化する → 国の工業力,輸送力などすべてを投入した「【 】戦」の時代を迎える ≪西部戦線≫ ≪バルカン・西アジア≫ ≪東部戦線≫ 1914 タンネンベルクの戦い イタリアは協商国側で参戦 1914 マルヌの会戦 1916 ヴェルダンの戦,ソンムの戦,ユトランド沖海戦 1917.3 ドイツ 無制限潜水艦作戦宣言 1917.4 【 】が参戦を決定 →1918.1 【 】大統領 「14 か条の平和原則」 →200 万人以上の兵士を送る 1918 半ば ドイツで兵士の反乱 皇帝が退位 ⇒11.11 臨時政府 【 】 が連合国と休戦協定 1919.1 月 パリ講和会議 →【 1914 1915 1915 1916 1917 オスマン・トルコ=同盟側で参戦 イタリア→協商国側にうつりオーストリアに宣戦 【 】協定(英→アラブ人) サイクス・ピコ協定(トルコ分割案) バルフォア宣言(英→ユダヤ人) 対ソ干渉戦争 1917.3 ペトログラードで二月革命 ロマノフ朝滅亡 【 】と臨時政府が立つ…二重権力状態 ↓この中の 11 月 ボルシェビキが蜂起 【 】革命 臨時政府打倒→ソヴィエト政権(連立政権) 直後に議会選挙→しかし社会革命党が第一党 1918.1 レーニン 議会を武力で解散 ソビエト政権 =ボルシェビキの一党独裁→【 】党と改称 1918.3 ドイツと【 】条約で単独講和 1919~21 内戦と対ソ干渉戦争 1914 日本 アジアのドイツ領へ進撃 チンタオ攻略 南洋諸島占領 ロ シ ア 革 命 1915 日本 対華 21 か条の要求 1917 中国 協商国側で参戦 石井・ランシング協定(日米) 対ソ干渉戦争 1918【 】出兵(日本) 】体制 ヨーロッパの新秩序となる ・アメリカの【 】大統領の 「14 か条の平和原則」…【 】外交の廃止,海洋の自由,経済障壁除去,軍縮,植民地問題の解決,国際平和機構設立などが原則となる ⇔ 英仏 対ドイツ報復的 ・クレマンソー(仏),ロイド・ジョージ(英),オルランド(伊),西園寺公望(日本)らが出席 ・【 】条約 ・・・ドイツとの講和条約 アルザス・ロレーヌ地方→フランスに返還, ポーランド回廊→ポーランド , 全海外領土を失う , 軍備制限 ラインラント非武装化 , 1320 億マルクの賠償金 ・【 】条約 …オーストリアとの講和条約 オーストリア・ハンガリー帝国解体 ハンガリー,チェコスロバキアの独立 南チロル,トリエステ→【 】 ボスニア,ヘルツェゴビナ,モンテネグロ→セルビアと合体⇒セルブ・ クロアート・スロヴェーヌ王国成立 …29 クーデターで【 】成立 ・セーヴル条約…トルコとの講和条約 ヨーロッパ側の領土はコンスタンチノープルとその周辺を残 すのみ トラキアとイズミル(スミルナ)地→【 】が獲得 メソポタミア,パレスティナ→【 】委任統治 シリア→【 】委任統治 ・トリアノン条約・・・:ハンガリーとの講和条約 ・ヌイイ条約:ブルガリアとの講和条約 国際平和機構として【 1920 結成 本部【 ・民族自決の流れ フィンランド,エストニア,ラト ビア,リトアニア,ポーランド,チェコ,ハンガリー,ユーゴ スラビアの独立 アメリカの不参加(上院が孤立主義に拘泥) 全会一致の原則(英仏伊日) 軍事的制裁を欠く ソ連不参加(1934 加盟) 弱体 】 】 【近現代 1 欧米諸国関係 20 世紀初め~第一次世界大戦 ヴェルサイユ体制・ロシア革命(簡易)】 アメリカ イギリス フランス ドイツ・オーストリア 1913 ウィルソン大統 1906 労働党発足 領 1910 南アフリカ連邦 独占資本に対抗 →反トラスト強化 パン・ゲルマン主義 1905 統一社会党結成 (ジョレスら) ロシア(ソ連) 1908 オスマン・トルコで青年トルコ党の革命 オーストリア・ハンガリー帝国 【 【 オスマン・トルコとの関わりでの動向 1911 伊土戦争 1912 第一次バルカン戦争・・・バルカン半島をトルコより奪う ↓バルカン同盟内部で獲得した領土の分け方で対立 1913 第二次バルカン戦争 ブルガリア敗退 ブカレスト条約締結 ↓ ブルガリア,トルコは三国同盟側に接近 1912 アルバニア独立 日露戦争→英仏対立の恐れ →1904【 】協商 →日本の勝利→1907 英露協商 三国協商 1914.6.25 オーストリア皇太子夫妻射殺・・・【 オーストリアはセルビアに宣戦布告 パン・スラブ主義 1905 ベンガル分割令 ブルガリア独立 】を併合 日本 】が激怒 …ロシアの力を背景に勢力拡大 ↑↓ オーストリアとの関係悪化 一触即発の危機 1908 青年トルコ党 1910 日韓併合 1911 辛亥革命 →1912 中華民国 】事件 1882 三国同盟 ドイツ・オーストリア・イタリア 1916 ロイド・ジョージ内 閣 1914~18 【 】世界大戦 三国同盟側:4 ヶ国 ドイツ,オーストリア,ブルガリア,トルコ, 三国協商側:27 ヶ国 連合国…イギリス,フランス,ロシア,イタリア,日本,中国ら 毒ガス・戦車・機関銃の登場で戦争が長期化する → 国の工業力,輸送力などすべてを投入した「【 】戦」の時代を迎える ≪西部戦線≫ ≪バルカン・西アジア≫ 1914 マルヌの会戦 1916 ヴェルダンの戦,ソンムの戦,ユトランド沖海戦 1917.3 ドイツ 無制限潜水艦作戦宣言 1917.4 【 】が参戦を決定 →1918.1 【 】大統領 「14 か条の平和原則」 →200 万人以上の兵士を送る 1914 1915 1915 1916 オスマン・トルコ=同盟側で参戦 イタリア→協商国側にうつりオーストリアに宣戦 【 】協定(英→アラブ人) サイクス・ピコ協定(トルコ分割案) 1917 バルフォア宣言(英→ユダヤ人) 1918 半ば ドイツで兵士の反乱 皇帝が退位 ⇒11.11 臨時政府 が連合国と休戦協定 1919.1 月 パリ講和会議 →【 ・アメリカの【 ・【 1914 日本 チンタオ攻略 南洋諸島占領 ≪東部戦線≫ 1914 タンネンベルクの戦い イタリアは協商国側についた 対ソ干渉戦争 】体制 】大統領の 「14 か条の平和原則」⇔英仏 対ドイツ報復的 】条約・・・ドイツとの講和条約 ドイツは領土を割譲し,ばく大な【 】金を払うことが決められた アルザス・ロレーヌ地方→フランスに返還,ポーランド回廊→ポーランド , 全海外領土を失う , 軍備制限 ラインラント非武装化 , 1320 億マルクの賠償金 1917.3 ペトログラードで二月革命 ロマノフ朝滅亡 】と臨時政府…二重権力状態 ↓この中の 11 月 ボルシェビキが蜂起 【 】革命 臨時政府打倒→ソヴィエト政権(連立政権) 直後に議会選挙→しかし社会革命党が第一党 1918.1 レーニン 議会を武力で解散 ソビエト政権=ボルシェビキの一党独裁 →【 】党と改称 1919~21 内戦と対ソ干渉戦争 1919 第三インター=【 】創設 1918-21「戦時共産主義」・・・食糧徴発,工場の国有化 →内戦終了→1921-28 新経済政策【 】 1922 ソビエト社会主義共和国連邦(USSR) 1915 日本 対華 21 か条 【 ロ シ ア 革 命 1917 中国 協商国側に参戦 石井・ランシング協定 対ソ干渉戦争