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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ

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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
身体運動における運動記譜法の応用 <2> ―ラバン記譜法以前の運動
記譜法の史的沿革とラバン記譜法の出現と発展―
Author(s)
堀野, 三郎
Citation
長崎大学教育学部教科教育学研究報告, 25, pp.45-54; 1995
Issue Date
1995-06
URL
http://hdl.handle.net/10069/30277
Right
This document is downloaded at: 2017-03-31T23:28:12Z
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
Bulletin of Faculty of Education,Nagasaki University:Curriculum and Teaching1995,No.25,45−54
身体運動における運動記譜法の応用〈2>
一ラバソ記譜法以前の運動記譜法の史的沿革とラバン記譜法の出現と発展一
堀 野 三 郎
(平成7年3月15日受理)
Applications of Dance and Movement Notation in Physical Movement〈2>
一〇n the Historica10utline of Dance and Movement Notation
ご
Methods before the Appearance of Labanotation,and the
Appearance and Development of Labanotation一
Saburo HORINO
(Recieved March15,1995)
1 はじめに
運動記譜法とは,人間に可能なあらゆる身体運動を記譜する方法である。今日我々は,
ラバソ記譜法を用いて運動を記譜することにより,運動を記録保続し,客観的に分析し,
保存することが出来る。
しかし,ラバン記譜法の出現以前には,r運動記譜法は,音楽における楽譜のように,
何故今まで広範に使用されなかったか」が論議対象となることがある。本論は,前半では,
この課題を中心として,ラバン記譜法の出現以前の運動記譜法の沿革について歴史的・原
理的に探求・考察する。後半では,ラバン記譜法の出現とその発展について,ラバンの運
動記譜法研究とその後継者達による発展状況を中心として,文献的・実践的経緯を把握し,
報告する。
なお,本論は既に口頭発表した小論r体育運動における運動記譜法の応用」(その3)
一舞踊と運動記譜法一(日本体育学会第13回大会・慶応義塾大学 体育史会場発表資料,
1961)およびr体育運動における運動記譜法の応用」(その4.)一ラバソ記譜法の出現と
その発展一(日本体育学会第14回大会・同志社大学 体育史会場発表資料,1962)の標題
に関連する要旨を抽出し転載報告したものである。
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長崎大学教育学部教科教育学研究報告 第25号
五 ラバン記譜法以前の運動記譜法の歴史
1運動譜の起源
ある学説によれば,古代エジプト人が舞踊記録のために象形文字を用いたことや,古
代ローマ人が挨拶の仕方を記すのにある種の記録法を用いたのが運動譜の起源と考えら
れている。
2 15世紀 略字・踊跡時代1現存する最古の運動記録書
ルネサンス以前のフラソスでは,舞踊記録のための色々な試みがなされていたが,そ
の一つの方法としては,舞踊ステップの名称の略字を用いた。
〈例>r−reverencia,P−passo,(io一(iouble,re一一repesaなど
また,社交ダンスと類似したrあしどり(踊跡)」に音楽タクトを記入した。オスカー
・ビーは,これをrテクトウニック法」と称した。
現存する最古の運動記録書は,スペイソのセルベラ市の記録保存所にある二つの写本
で,15世紀後半の日付を持っている。
3 16世紀 最初の譜形式による運動記録法
1588年,トワノー・アルボーThoinot Arbeau(1519−1596)は,rオルケソグラフィー
Orchesographie」を発表した。これは当時の社交ダンスを詳細に研究したもので,15
−16世紀の舞踊知識を得るのに貴重な手がかりとなっている。楽譜と対応させ,絵を伴
った譜を水平に表記した。ただし,長い舞踊用語の解説を必要とした。
4 17−18世紀 バレエの五つのポジショソの記号・記譜化
チャールスL.ボーシャンCharles L.Beauchamops(1636−1705)は「五つのポジシ
ョン」を創案し,舞踊譜の研究に貢献した。
ラウル・フェーレRaoulFeuillet(1675−1730)はr振付法Choreographie」(1699年)
とr舞踊記譜技術としての振付法Chegraphie,ou1’Artde Decrire la Danse」(1701年)
を発表した。この方法で17世紀のパリ・オペラ座で多くの舞踊を記譜した。バレエの五
つのポジションを整理し,後記のく譜例一1>のような記号とし,各ステップと共に踊
跡描写として記譜した。これは18世紀末までのヨーロッパにおけるバレエ的な要求を満
たした。しかし,やや詳細な動きの記譜のためにも大変な複雑さが伴った。
5 19世紀 おもにバレエ専門家を対象に音譜と併用
1852年,アーサー・サン・レオンArthur Saint Leon(1821−1870)はrステノコレ
オグラフィーLa Stenochoreogr&phie」を発表した。これはフェーレ・システムを基に,
より細かい動きの変化も表せるように改良し,バレエ音楽譜と対応して記譜したもので,
用器画と写生図と線譜と組み合わせたピソ状記号を用いており,バレエに関してはある
程度再現可能である。
1887年,アルベルト・ツォルンAlbertZomはr舞踊芸術の原理GrammatikderTan−
zkunst」を発表した.これは,A.サン・レオンのシステムに基づき,これを発展した
もので,当時のヨーロッパにおける舞踊専門学校の教科書として用いられた。また,ッ
ォルソは,フォークダソスや舞踏室での舞踊の多くの譜例を公にした。
しかし,このシステムには,次のような欠点が含まれていた。
①常に観客の立場から書かれたため,それを読む踊り手達は,左右を逆にしなけれ
ばならないこと。
堀 野:身体運動における運動記譜法の応用<2〉
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②第三次元を記録できないこと(運動記述よりもむしろ位置記述に力点があった)。
③タイミソグを示すのに,音楽タクトやカウントを過度に使用しなければならない
こと(不便かつ不経済なこと)。
1891年,ウラジミール・ステパノフVladimir Stepanoff(1866−1896)はr身体渾動の
アルファベットAlphabet des Mouvements du Corps Humain」を発表した。これはバレ
エが完全に運動記譜法(舞譜記譜法)によって書かれた最初のシステムであり,楽譜形式
の線譜とその上にフロアー・パターンとを併用したもの(後記の〈譜例一丑>を参照)で,
これはモスクワのボリショイ劇場附属帝室バレエ学校のバレエ教師だったステパノフが,
彼の方式を同校の生徒達(カルサビナなど)に教え,後に,サソクト・ペテルスブルクの
マリンスキー劇場附属帝室バレエ学校でも教えられた。
また,マリウス・プティパの多くの作品が記譜され,特にニコラス・セルゲーエフ
NicholasSergueeff(1876−1951)は,このシステムでr眠れる森の美女」やr白鳥の湖」
など21のロシヤ・バレエ作品を記譜し,サドラーズ・ウェールズ・バレエ団などの西欧地
域で上演紹介した。従って,彼は当時のロシヤ以外で,誰よりも多くのロシヤ古典バレエ
を保存することが出来た。
その他,ワスラフ・ニジンスキーVaslavNijinski(1890−1950)が,ステパノフ・シス
テムを基に彼独自の記譜システムを発表し,自作のr牧神の午後」などを記譜(これは現
在ブリティッシュ博物館に保存)したことや,セルゲイ・ディアギレフSerge Diagileff
(1872−1929)やミハエル・フォーキンMichel Fokine(1880−1942)などのバレエ・リ
ュスの人々によって,舞踊譜図書館の設立が試みられたことも注目に価する。
○[考 察]…以上のように,ラバン記譜法の出現以前の史的沿革を総括すると,次の通
りである。
(1)主に舞踊記録の手段として各種の試みがなされた。
従って,未だあらゆる身体運動を記譜する視野および能力を有しなかったこと。
(2)既成の舞踊の型に対して略号や略画を付したり(後記のく譜例一:H>を参照),楽
譜や踊跡描写を併用したり,時には説明文を加えたものも多かった。
従って,既成の動きの型を知らない人(専門外の人)にとっては理解できず,新しい
動きの出現に対して,絶えず新用語の設定が必要となり,理念的・方法論的な欠陥が
見いだされること。
(3)表記形式は,楽譜と対応して,左から右へと運動経過を水平表記したものが多かっ
た。
この水平表記法と関連して,後述のラバソ・システムで見られるような,立体的表
記とか,各身体部位の明確な時間性や相互関連性の表記にも乏しく,直観的な把握が
困難なものが多いこと。
(4)多くの欠点を含みながらも,前代のシステムは次代のシステムヘの多くの示唆を与
え,より高度な発展を促す基礎となったこと など。
(5)以上のような特徴的な経緯を踏まえて,本論前半の課題であるrラバン記譜法の出
現以前には,運動記譜法は,音楽における楽譜のように,何故今まで広範に使用され
なかったか」について考察する。
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長崎大学教育学部教科教育学研究報告 第25号
①運動自体が複雑であること。
運動は,時間性と空間性と力性の三つの側面を持っている。即ち,身体各部位の
三面的な表記法と各部位間の同時進行的な関連性の表記法が必要とされること。
また,音楽の楽譜の場合は,雑音も含めたあらゆる音を表記するのではなく,一
般的には,絶対音的な範囲での記譜がなされるが,運動には雑音的なあらゆる動き
の表記が必要であり,それに対応する全空間の立体的記譜法が,従来は出現しなか
ったこと。
②歴史的な経緯では,中世ヨーロッパのキリスト教会による肉体運動の軽視。
③舞踊史的な経緯では,単純な型の運動の存在が複雑で多面的な運動記譜法の研究
を必要とせず,反って,その発展を阻害したこと。
即ち,当時は,宮廷舞踊における単純な水平移動(踊跡)描写やバレエ・テクニ
ックの固執・伝承で事足りたこと。
④写真・映画フィルム・ビデオテープ・コンピュータグラフィクスなどの光学的・
科学的な記録手段の発達により,記譜法は不要であると誤解したことなど。
(特に,運動の的確な再現手段としては運動譜による以外に現時点では方法を有し
ていないこと。それは,音楽演奏者と楽譜との関係と同様である。)
皿 ラバン記譜法の出現
1 ラバンの研究意図
ルドルフ・フォン・ラバンRudolf von Laban(1879−1958)は,現代の舞踊は,身
体のあらゆる運動表現を通して語るものであり,その形式と技術は無限であって,従来
の固定的な既成の動きの型では表現し得ない。そこで,この無限の動きの可能性に対し
て,美学的で動力学的な法則を見いだすこと,即ち,r運動文字Bewegmgsschrift」を
規定し,それを流動的・立体的に綴る研究こそ舞踊の本質的解明であり,舞踊譜の確立
によって,舞踊自体の創作法を見いだそうとした。
2 ラバソの研究活動
ラバンは,劇場芸術ばかりでなく,街頭や商店などでも見られる日常生活行動のあら
ゆる局面に関心を向けた。
運動記譜法の研究は,25歳でとりかかり,17世紀のボーシャソやフェーレの記譜法な
どを参考に,約25年間にわたる研究で,空問におけるr運動形式Choreutics」とr運
動性格Eukinetics」の問題を,自分で考案した空間分析の器具rイコザエダー
Icosaheder;icosahedoron」などを用いて研究した。
①1926年,rコレオグラフィーChoreographie」を発表し,同年ベルリンでrラバソ
コレオグラフィー研究所」を主宰した。
②1928年,r舞踊記譜法DieMethodedesKinetographie」を発表し,今日の運動文
字(DasAlphabet des Klinetographie;Bewengsschurift)による革新的なシステム
を考案確立し,rドイッ・タンッ・シュリフト協会」を設立した。これは後,今日
のエッセソベルデソにある「キネトグラフィッセ・インストィトゥート」に発展し
た。
③1947年,「エフォートEffort」をF.C.ローレソスFredericCharlesLawrenceと
堀 野:身体運動における運動記譜法の応用<2>
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協力して発表した。これはイギリス労働者の作業運動調査の研究結果であり,ラバ
ソ記譜法における力学的,心理学的表現を深め,他方で詳細な運動要因分析や新し
い運動法則の開発を可能にした。
④1948年,r現代教育舞踊ModemEducationa1Dance」を発表した。これはリザ・
ウルマンLisa Ullmannらの協力により,エフォートの科学的概念の導入と実用を
意図したもので,教育界へ新しい動きの科学をもたらした。
⑤1956年,r舞踊と運動記譜法の原理PrinciplesofDanceandMovementNotation」
を発表し,具体的な初歩例を紹介した。
W ラバン記譜法の発展
1 実践的発展
①ラバンは,1936年,舞踊会議のフェスティバル・ショーのために,ドイッで,ア
ルブレヒト・クヌストAlbrechtKnustと協力して,1,000人の演技者に,舞踊譜に
よる脚本を書き,60の都市の60の地元団体へ送り,1,000人の演技者が,主なモテ
ィーフのみならず,全てのやや精巧な振付けを演ずるのに,最初の練習で,二時間
続きの間,非常に僅かな失敗と中絶のみで一緒に舞踊することが出来た。
②クルト・ヨースKurtJooss(1901一)は,モダン・バレエ作品の再現に初めて成
功を納めた。
1938年に,自作のr緑のテーブルThe Green Table」を採譜して以来,新しい踊り
手の加入の際に参照し,また,不明な点についての踊り手間の議論に要する時間を
節約した。
③作品全体を舞踊譜により参照し再現された最初の機会は,バレエrビリー・ザ・
キッドBillythe:Kid」を1949に再現しようとした際,少数の人々しか思い出せなか
った。この作品は,1943年に採譜されていたので,この練習担当のッァハリー・ゾ
ルフZachary Solv(1923一)は,アン・ハッチソソソAm Hutchinsonに要請した。
彼女は1943年以来この舞踊譜を見ていなかったが,彼女は何等の手数をかけずに,
必要な箇所を再現することが出来た。
④運動記譜法が,その記能性を目ざましく世人に発揮した一例としては,コール・
ポータ門原作,バソヤ・ホルムHanya}Iolm振付けのミュージカルrキス・ミー
・ケイトKissMeKate」の中の舞踊場面rカンカンCanCan」にA.ハッチンソン
による採譜がなされていたが,ロソドソでの再演の際,ハッチンソンの指導による
舞踊譜の参照によって,初演のブロードウエイの舞台と寸分違わない姿でロンドン
の劇場に再現された。
ハソヤ・ホルムは,舞踊の忠実な再構成と,作業時間および作業労力の節約・簡
素化を体験して,r舞踊譜により,あらゆる詳細なことを思い出そうとする必要か
ら解放されたので,増大した舞踊団に生じたいくつかの変更に自分の時間を集中で
きた」と語っている。
⑤ジェローム・ロビンスJeromeRobbins(1918一)は,ニューヨーク・シティー
・バレエ団で自作のrファンファーレFanfare」を上演した際に舞踊譜の価値を認
識した。更に,彼が,フォード50年記念テレビ・ショーでrチャールストン・バレ
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長崎大学教育学部教科教育学研究報告 第25号
エThe Charleston Ballet」を再演するのに舞踊譜を使用してホルムと同様な感想を
述べている。
⑥ はじめに,フィルムを通じて作品の再現を試みた人達に,ジョージ・バラソシソ
GeogeBalanchine(1904一)やレオニード・マシーンLeonideMassineがいる。そ
の経験の結果,彼らは何れも記録の唯一手段として,フィルムを使用することを断
念した。
バラソシンの採譜作品には,rハ調交響曲Symphony in C」やrオルフェウス
Orheus」や「ブーレー・ファンタスクBourree Funtasque」な.どがある。
⑦モダソダソスの分野では,マーサ・グラームMathaGraham(1893一),ドリス
・ハンフリーDoris Funphrey,チャールズ・ワイドマンCharles Weidman
(1901一),ホセ・リモソJose Limon(1908一)などの諸作品の採譜がある。
⑧イギリスにおいては,リザ・ウルマンやシガード・リーダーSigurdLeeder
(1902一)らは,舞踊教育以外にも,演劇的教育分野へのこの記譜法の応用・普及
にも着手しつつある。
⑨エフォートを中心とした概念は,舞台上の芸術作品内で扱われたり,職業学校や
技術講習会や工場での職能訓練などで扱われる以外に,精神療法的な調査や処方領
域にまでこのシステムの応用を拡大した。
⑩各地の舞踊研究所や大学の舞踊科(例:ジュリアード音楽院舞踊科)などにおい
て正課となっている。
⑪ 民俗芸能の採譜保存によって,貴重な研究資料となっ1ている。
2 法的発展
各国の法律事情によって異なるが,パン・アメリカソ条約加盟諸国においては,ラバ
ソ記譜法による採譜登録によって,初めて著作権が発効する。
その加盟国の一つであるアメリカでは,1952年からラバン記譜法を公的記譜法として,
国会図書館が登録を受理し,著作権が認められるようになった。
その第1号は,前記のミュージカルrキス・ミー・ケイト」の舞踊場面rカソカン」
だった。
その数年前,ユージン・ローリンEugene Loring(1918一)カミ,彼のシステムによる
舞踊譜を登録し,著作権の発効を要請したが受理されなかった。
3 研究機関
世界的に最も普及力を持った研究機関として下記の三つの研究機関があり,それらは
相互に緊密な連絡提携により,ラバソ記譜法の国際的視野・情報に基づく普及が世界各
地で発展されつつある。
①ニューヨークの「ダンス・ノーテーション・ビューローDanceNatationBureau」
(前主任はアン・ハッチンソン,1961年よりルッシー・ベナブルLucy Venable)
②ロンドンのrダソス、・アンド・ムーヴメソト・ノーテーション・ソサイティー
Dance and Movement Notation Society」(ハリー・ヘイソソ)
③エッセンのrキネトグラフィッセ・インスティトゥートKinetographischeln−
stitut」(アルブレヒト・クヌスト)
(4)日本においては,1958年(昭和33年)9月1日,r日本身体運動譜センターJapan
堀野:身体運動における運動記譜法の応用<2>
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Dance and Movement Notation Centre」が設立され,同センターにより,ラバン
・システムをrラバン記譜法」と称するよう規定された。
4 ラバソ記譜法の実践的方法に関する文献
①1954年,アン・ハッチソソソAmHutchinson(1918一)は,rラバノテーショ
ソLabanotation」を発表した。これはロヅクフェラー財団の援助金を得て出版さ
れた。(1970年再販)
なお,彼女を中心として1940年に前記のダンス・ノーテーション・ビューローが
設立された。
②1956年,アルブレヒト・クヌストAlbrechtKnustは,rラバン記譜法概説一その
範例一AbrissderKinetographieLaban−Beispiele」を発表した。これは第二次大戦
のためアメリカとの情報交換を停止していた間に生じたキネトグラフィー・ラバソ
とラバノテーションとのいくつかの派生的な記号の相違についても詳細に対照明示
している。
③1956年,ラバソは,既述のように,r舞踊と運動記譜法の原理Principlesof
Dance and Movement Notation」を発表し,その具体的な初歩例を紹介した。
④1966年,バレリー・プレストソ=ダンロヅプValeriePreston−Dunlopは,rラバ
ン記譜法読本一シリーズA:冊子1−3−Readers in Klinetography Laban−Se憩ies
A:Book1−3一」を発表した。完全記譜法に関して,冊子1はsteppingを中心に,
冊子2はtumingを中心に,冊子3はjumpingが中心に練習教則が構成されている。
⑤ 1967年,バレリー・プレストン=ダンロヅプValerie Preston−DunloPは,rラ
バソ記譜法読本一シリーズB:運動主題記譜法・冊子1−4− Readers in
:KinetographyLaban−Series B:Book1−4;MorifWritingfor Dance一」を発表し
た。運動主題記譜法(MotifWritingforDance)に関して,冊子1は基礎的記号の
用法を中心に,冊子2は発展的記号の用法を中心に,冊子3は相手を伴った動き記
号の用法を中心に,冊子4はエフォート・グラフの用法を中心に練習教則が構成さ
れている。(1970年再販)
⑥1969年,バレリー・プレストン=ダンロヅプは,r実践的ラバン記譜法Practica1
:Kinetography Laban」を発表した。これはラバン記譜法における完全記譜法(三
線譜を中心とした譜表内に詳細な動きを完全に記譜する方法)と運動主題記譜法(必
要とする運動主題の概要を紙上に記譜する方法)との二種の記譜法に関して,導入
的・総括的に紹介した入門書である。
⑦1983年,アソ・ハッチンソソ・ゲストAmHutchinsonGuestは,rあなたの動
き一運動とダンス研究への新たな探求一YourMove−ANewApproachtotheStudy
ofMovementandDance一」を発表した。これは運動主題記譜法に関する発展的な
課題や用法について紹介している。
5 ラバソ記譜法以外の運動記譜法
既報の小論r身体運動における運動記譜法の応用」<1>の<1はじめに>に中でも
触れたが,現存しているラバソ・システム以外で特に有名なものとしては,ロンドンを
中心に楽譜形式のバレエ関係記譜法(1955年よりイギリスのロイヤル・バレエ団および
同附属バレエ学校で採用」や近年では医療関係記譜法として活用されているベネッシュ
52
長崎大学教育学部教科教育学研究報告 第25号
・システムBenesh System(後記の〈譜例一V>を参照)や,パリを中心に垂直譜表を
用いて上から下へと読むローリン・システム:Loring System(後記のく譜例一】V>を参
照)などがあるが,現時点では,何れも研究途上であったり,特定の舞踊形式のためだ
けのシステムであったりして,ラバン記譜法(後記のく譜例一V[>を参照)におけるよ
うな世界的普遍性を持つに至っていないと思われる。
○[考察]
以上を総括すれば,運動記譜法は,ラバン記譜法の出現によって,動きの記録・分析・
再現の三側面に関する的確で立体的な実践的応用が可能になったといえる。
ラバン記譜法出現後の歴史は,既報の小論r身体運動における運動記譜法の応用」〈1>
の〈]V運動記譜法(ラバン記譜法)の特性>で既述のように,運動記譜法の特性として概
括できる。以下参考資料として同論の該当箇所を全面転載する。
V 運動記譜法(ラバン記譜法)の特性……既報の小論よりの転載(参考資料)
ラバン記譜法による運動譜は,舞踊や演劇や体育の分野ぱかりでなく,医学的運動療法
や心理学的療法などの科学分野から工業技術的生産面に至るまで,身体運動の記譜(記録
・保存・再現)を必要とする全ての分野に共通に使用できる。
1 運動の正確かつ完全な保存と再現ができること。
(1)運動および運動作品の独自性を常に表現できる。
特に他の手段と比較して
○運動の流れにおいて,各部位からなる時間性と空間性との関連について詳細に理解
できる。
○伝えたい運動目的以外の不要な表現を省略できる。
○紙面上に,立体的記録(三次元的表現)ができる。
○運動の心理学的要因について,視覚的に直裁に理解できる。
(2)運動作者と運動者との分離も可能となり,両者の適材適所による共存ができる。
即ち,よきアイディアとよき技術の結合により,他の記録・再現手段による以上に
内容を高度化することができる。
(3)現代の諸分野への応用の外に,伝統的な運動文化への民俗学的研究やその他の科学
的研究のための運動資料を正確に提供できる。
(4)作業状態の簡素化が図れる。
時間・労力の節約ができる。即ち,未知の運動を地方や家庭で自分の自由な時間に
理解し,記憶による不明確を除き,運動の推敲に時間や労力を集中できる。
2 運動の客観化ができること。
運動分析ができ,運動力学や運動美学における科学的な一手段とすることができる。
(1)自分の運動およびその作品で
○自作自演から生ずる独断性を防止できる。
○作品の全体構造を把握できる。
○作品歴の正確な回顧や反省ができるなど。
堀 野:身体運動における運動記譜法の応用〈2>
53
(2)他人の運動およびその作品で
分析,比較研究,反省などの一手段とすることができる。
(3)集団運動における自己の役割を総体的に確認できる(全体と自分との関係の理解が
容易である)。
3、
動作品の著作権を主張できること。
4 普遍性・普及性が大きいこと。
(1)世界共通の運動文字として,しかも各分野に共通の運動文字として,運動文化を世
界的に普遍できる。
(2)紙と筆記用具があれば記譜ができ,他の動的映像の運動記録法に比して,システム
自体容易かつ安価であり,従って普及手段として優れている。
[主要参考文献]
1)Hutchinson,Am(1954)Labanotation.Macdonald&Evans LTD。
2)Laban,Rudolf(1956)Principles of Dnace and Movement Notation.Macdonald&Evans LTD.
3)Preston=Dmlop,Valerie(1966)ReadersinK量netographyLaban−SeriesA:Book1−3一,Macdona1
&Evans LTD.
4)Preston=Dtmlop,Valerie(1967)Readers in Kinetography Laban−Series B:Book l−4;Motif
Writingfor Dance一.Macdona1&Evans LTD.
5)Preston=Dunlop,Valerie(1969)Practical Kinetography Laban.Macdonald&Evans LTD.
6)Hutchinson Guest,Ann(1983)Your Move−A NewApproach to the Study of Movement and Dnace一.
Gordon and Breach Science Publishers
7)堀野三郎(1961)体育運動に於ける運動記譜法の応用(その3)一日本体育学会第13回大会発表資料
8)堀野三郎(1962)体育運動に於ける運動記譜法の応用(その4)一日本体育学会第14回大会資料
54 長崎大学教育学部教科教育学研究報告 第25号
◎[運動記譜法に関する各システムの譜例]
<譜例一1> <譜例一II>
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