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日中友好親善

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日中友好親善
日中友好親善
世界のために
2015年10月
国土政策研究会
会長 岩井國臣
はじめに・・・老子に関する新たな研究活動
新中国建国後、考古事業は新しい段階に入り、空前の発展をとげ、世界から注目される大
きな成果をあげた。これらの成果は、中国共産党と人民政府が考古学を高度に重視し、国
が大規模な経済建設を行い、この20年来、改革・開放政策を実行したことと切り離せな
い。
現在、文献資料ではあいまいな点の多い夏、周、商の三代の歴史に対する考古学研究も際
立った進展を見せている。
最近の中国大陸では非常に多くの考古発掘がなされており、続々と報告書が刊行されてい
る。郭店楚簡『老子』といった思想書もあり、北京大学で所蔵されている。これを北京大
学竹簡という。中国古代の研究者にとって、まさに垂涎の内容である。 本巻に収録され
た《老子》は、馬王堆漢墓《老子》甲本・乙本及び郭店楚墓竹簡《老子》に次ぐ4番目の
出土簡帛《老子》版本として高く評価されているのである。
日本では、「中国出土文献研究会」というのがあり、熱心に老子の研究をやっている。こ
の研究会は、『郭店楚墓竹簡』の刊行によって郭店楚簡の全容が公開されたのを受け、1
998年(平成10年)秋に結成された。その後、「戦国 楚簡研究会」と改称し、さら
に、2010年に「中国出土文献研究会」として新たに発足した。現在のメンバーは、湯
浅邦弘(大阪大学教授)・福田哲之 (島根大学教授)・竹田健二(島根大学教授)・福
田一也(大阪教育大学非常勤講師)・草野友子(京都産業大学特約講師)・中村(金城)
未来(大阪大学助 教)、清水洋子(福山大学講師)の7名である。
活動は、国内での定期的な研究会合を主としているが、平成12∼15年度には、科学研究費
補助金の交付を受け、研究会の活動は大きな展開を遂げた。2004年(平成16年)3月に
は、国際シンポジウム「戦国楚簡と中国思想史研究」を 開催するなど、国際交流も活発
に行っている。さらに平成17∼20年度の基盤研究B「戦国楚簡の総合的研究」に続いて、
平成21∼25年度の基盤研究(B)「戦国楚簡 と先秦思想史の総合的研究」、および平成
26∼30年度の基盤研究(B)「中国新出土文献の思想史的研究」が、科学研究費補助金の
交付を受けており、国際学術交流を含む、研究会の飛躍的な発展が期待されている。北京
大学との繋がりも深いものがある。
中国・北京大学は、老子に関する新資料(竹簡)の公表を契機として、 2013年10月25日・
26日、国際学会を開催した。それに、湯浅邦弘、福田哲之、竹田健二が招待され、研究発
表を行った。その代表である湯浅邦弘は、その著「入門老荘思想」(ちくま新書、201
4年7月)の中で、「今後、老子を中心とする道家思想の研究が飛躍していくことは確実
である。」と言っている。
そして、湯浅邦弘は、その著「入門老荘思想」(ちくま新書、2014年7月)の中で、
フランスとドイツにおける老子研究の古さに触れた上で、ミヒャエル・エンデに与えた影
響の大きさについて、次のように述べている。すなわち、
『 ドイツ語訳の「荘子」が文学作品の重要なモチーフとなった例として、ミヒャエル・
エンデの「はてしない物語」がある。
人間の夢や希望によって支えられている空想の国ファンタジェンの危機を、夢見がちな劣
等生バスチアンが、物語の呼びかけに応じて救い、また、数々の苦難の末に現実の世界に
復帰し、自ら人間的成長を遂げるという壮大なファンタジーである。
夢の世界を失いつつある現代人に、現実に根ざした大きな夢、夢に支えられた豊かな現
実、の重要性をさわやかに呼びかける。物語は、夢(空想世界)と現実とが錯綜しながら
進行する。ドイツ語の原本でも、日本の翻訳書でも、現実の部分は赤い文字、夢の部分は
青い文字で印刷されている。物語の結末で、青(夢)と赤(現実)の境をさまようバスチ
アンの姿は、「荘子」斉物論
(さいぶつろんへん)の「胡蝶(こちょう)の夢」を連想
させる。
斉物論
(さいぶつろんへん)の論理によれば、「是」と「非」とは斉(ひと)しく、
「生」と「死」も斉(ひと)しく、さらに「夢」と「覚」も斉(ひと)しくなるのであ
る。人は、目覚めている時の認識が正しく、夢の中の出来事は所
いつわりにすぎないと
考える。しかし、すべてを相対化した荘周は、その果てに、自己の存在についても、確固
たる判断を避ける。自分は、本当に荘周なのか。この世のすべては夢ではないのか。こう
した境地に至るのである。
「はたしない物語」のバスチアンも、そうした境地を体験したと言えるであろう。そし
て、この作品の背景には、まさに「荘子」があった。エンデは、「私の絵本」という自著
の中で、自らの人生に大きな影響を与えた25章の著述を紹介し、その筆頭に「荘子」の
「胡蝶の夢」をあげているのである。もちろん、エンデが読んだのはドイツ語訳の「荘
子」であるが、そこには、長い東西文化交流の歴史とヨーロッパによる「シナ学」の伝統
があったのである。』・・・と。
私は、老子と荘子をまるめて老子と呼んでいるので、上の文章では荘子を老子と置き換え
てご理解いただきたい。老子の思想とは、厳密に言えば「老荘思想」のことである。湯浅
邦弘が解説しているように、老子の思想はエンデの思想と通底するものがある。
エンデは単なる童話作家ではない。彼の著作はいわゆる哲学書ではないが、彼は偉大な哲
学者でもあり、彼の思想、哲学は今なお世界に大きな影響を与え続けている。地域通貨だ
けではない。文化論や国家論もそうである。 エンデの「はてしない物語」は世界に愛さ
れ幅広い層に読まれ続けている。ということは、「荘子」の「胡蝶の夢」が文芸作品とし
て読まれていることを意味している。このような点からも、老子の研究が日本と中国で大
いに進むであろうことを期待したい。老子の研究が日本と中国で大いに進むということ
は、日中両国の友好親善に資するとともに、老子の世界化が進むということである。この
ことが、この論文のタイトルを「日中友好親善・・・世界のために」とした所以である。
なお、エンデについては、私の論考があるので、是非、じっくり読んでいただきたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/endenituite.pdf
日中友好親善・・・世界のために
はじめに
第1章 道教について・・・老子は世界最強の宗教である。
1、道教の教祖「老子」
2、北京・白雲観
3、泉州・関岳廟
4、武当山の武当道
5、道教の生命力
6、今後に期待するもの
7、おわりに
第2章 近代国家の責任と中国
はじめに
1、近代国家の定義について
2、ヨーロッパ列強の進出について
3、「近代的な国家」という概念について
4、中国という国について
5、中国に期待するもの
おわりに
第3章 老子の世界性
1、はじめに
2、淮南子(えなんじ)の思想史的意義
3、老子哲学の哲学としての一大特徴
はじめに
(1)老子と宮沢賢治
(2)宮沢賢治とニーチェ
(3)ニーチェとブラトン
(4)老子とプラトン
おわりに
第4章 老子の世界化・・・人類哲学としての老子
第5章 日中共同研究を!・・・国際社会において、日中が、近代国家とし
て大いなる貢献をするために! おわりに
第1章 道教について・・・老子は世界最強の宗教である
1、道教の教祖「老子」
日中両国の関係には古い歴史があり、日本の文化は、中国からの伝来文化に負うところが
極めて大きい。中国からの伝来文化は多彩を極めているが、その中で、私は、道教に重大
な関心を持っている。道教の教祖が「老子」であるからだ。
( http://japan.visitbeijing.com.cn/play/legends/n214781816.shtml より)
老子は、「宇宙の実在」を「道」と言っているが、時には、「天」と言ったり、「天地」
と言ったり「谷神(こくしん)」と言ったりしている。「 谷神(こくしん)は死せず。これ
を玄牝(げんぴん)と謂(い)う。玄牝の門、これを天地の根(こん)と謂う。緜緜(めんめん)と
して存(そん)する若(ごと)く、これを用いて勤(つ)きず。」と老子は言っている。そこで私
は、老子の勉強するには、玄牝の門から入っていくのが良いと考え、とりあえず玄牝の門
について書いた。老子はどうも、女が子供を産むということを終始念頭においていたよう
で、それに対する哲学的思考を重ね、宇宙の原理を悟ったらしいが、詳細については次の
ページをじっくりご覧戴きたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/rousi01.pdf
2、北京・白雲観
先程述べたように、私は道教について重大な関心を持っている。そこで道教の神について
は、以前、おおよそのことが知りたくて、手始めに少し書いた。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/doukyou01.pdf
しかし、道教についてより詳しい勉強をするには、窪徳忠の「道教の神々」(1996年
7月、講談社)が良いので、以下において、それに従って勉強していきたいと思う。
窪徳忠は、道教の神々について詳しい説明をしているのだが、まず冒頭で次のように言っ
ている。すなわち、
『 日中両国の関係には古い歴史があり、日本の文化は中国の影響を多く受けている。け
れどの、それを忘れて、戦後特に最近は、口ではアジアの一員などと言いながら、中国を
軽視する感が深い。(中略)古く中国の人びとのあいだに起こり、儒教や仏教やその他外
来宗教を容れながら今日に至っている道教という特殊な宗教を知るのが中国や中国人を知
るもっとも良い方法であるにもかかわらず、日本人はその実体をほとんど知らない。』
『 政府が道教を迷信と見る態度を改めた結果、各省や市に道教協会が続々と成立し、機
関誌を発行したり、台湾の中華民国道教会と交流するなど、活発な活動を行っている。道
観(道教の寺)や廟の増・改築も盛んである。したがって、祭の道観や廟は参詣人で大混
雑の有様である。(中略)道教の研究も盛んで、大陸では神々の伝記、道教史、教理から
道教音楽などの書物が盛んに出版されている。この点は、台湾も同様である。中でも圧巻
は、大陸での「中華道教大辞典」の上梓で、日本版の道教辞典など比較にならない優れた
内容である。』
『 道教は、すでに戦前から迷信だとしてインテリからいたく攻撃され、戦争中には仏教
の寺院に相当する「道観(どうかん)」の多くが軍隊や警官隊の駐屯場、学校、工場など
に転用されていた上に、中華人民共和国成立後は、道観の所有地も道士たちの自活できる
に足るごくわずかの土地だけを残して、大部分は一般に開放させられていた。しかも、仏
教の僧尼にあたる道士や女冠たちは布教を禁止され、自活が要求されていた。』
『 北京の白雲観(はくうんかん)は全真教という道教教団の本山格の道観であるが、そ
の由緒ある道観を政府が直営で保護、修復を始め、戦前の1957年に組織された中国道
教協会も再度活動しだした。文革中に兵舎とされてすっかり荒れはててしまった白雲観
が、兵舎としての使用は禁止され、修復された。(中略)道士の説明によると、百万元
(当時は一元約85円)かかった修理費はすべて国費で賄われた。』・・・と。
では、白雲観の現状をネットサーフィンによって紹介したい。
白雲観は、北京市の西便門外約1kmにある道観である。地下鉄の駅(木犀地駅)から徒歩
100m。この駅の近くには首都博物館や中国科学院などがある。
北京・白雲観の牌楼
( http://japanese.cri.cn/941/2012/09/21/145s198632.htm )
中国の「廟会」は日本の所謂「縁日」に当たる。中国の春節、つまり旧正月の期間を代表
する行事である。「廟会」では、軽食や買い物用の屋台などが並び、伝統舞踊や「雑技」
「獅子舞」など、さまざまな催しが行われる。
では、境内のさまざまな風景を紹介しよう。
さあここらで日本との繋がりの関係で、ぜひとも説明しておきたいことがある。一つは沖
縄の「石敢當(せっかんとう)」との繋がりであり、二つ目は「七福神」との繋がりであ
る。
私はかって妖怪の勉強をした時、その関連で沖縄の「石敢當」のことにも触れた。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/akuryou3.html 妖怪はおおむね夜中に走り回るのだが、時によりスピードがつき過ぎてT字路で曲がりき
れないことがあるらしい。そのためにT字路の正面の家に妖怪が突入することがあるよう
で、これを弾き返すために「石敢当」が家の塀に張り付けてある。このような魔除けの風
習は、どうも中国伝来のものらしく、白雲観に「大影壁(だいえいへき)」という大規模
な魔除けがある。
白雲観の大影壁
( http://bbs.big5.voc.com.cn/topic-1424268-1-1.html より)
窪徳忠はその著「道教の神々」(1996年7月、講談社)の中で次のように述べてい
る。すなわち、
『 私たちの乗ったバスが白雲観に近づくと、「万古長春」と墨書した紅殻色の「大影壁
(だいえいへき)が、以前と変わらない姿で牌楼前にたっているのが目に入った。影壁と
は、魔除けや悪風よけの目的で、家や廟の門前か入ったすぐ突き当たりのところに立て
る、衝立て様の壁である』・・・と。
次に、「七福神」との繋がりについて、少し説明をしておきたい。その内に機会を見て
「七福神」の詳しい説明をしたいと思っているが、ここではとりあえず、白雲観にその繋
がりを思わせるものがあるということだけ、説明しておきたい。白雲観に「八仙殿」とい
うのがある。ここに八人の仙人が祀られている。
白雲観の八仙殿
( http://bbs.big5.voc.com.cn/topic-1424268-1-1.html より)
白雲観に祀られている八人の有名な仙人・「八仙」は、李鉄拐(りてっかい)、漢鍾離
(かんしょうり)、呂洞賓(りょどうひん)、藍采和(らんさいわ)、韓湘子(かんしょ
うし)、何仙姑(かせんこ)、張果老(ちょうかろう)、曹国舅(そうこっきゅう)であ
るが、中国では、次のような絵がおなじみの絵となっている。
八仙絵図
船尾から右回りで何仙姑、韓湘子、藍采和、李鉄拐、呂洞賓、鐘離権、曹国舅、
船外に、張果老
日本の「七福神」は、この八仙絵図の影響を受けていると言われているが、実は、日本の
七福神にはインド系の神が3神といちばん多く、中国系と日本系がそれぞれ2神であるの
で、中国の八仙絵図がそのまま日本の七福神になっている訳ではない。
3、泉州・関岳廟
泉州市中心に位置し1000年の歴史を持つ関帝
で、正式名は通淮関岳
。現在
は関羽と岳飛を祀っているが、元々は関羽だけを祀っていた。民国三年(1914)
に岳飛が合祀されたため関帝
から関岳
に。関羽は「三国志」(西暦200年頃)の
英雄、岳飛は南宋代の悲劇の英雄で、どちらも武の神様になっているのだ。
本殿
( http://pub.ne.jp/kikunori/?cat_id=141581&page=3 より)
本殿の左側に関羽、右側に岳飛が祀られている!
( http://pub.ne.jp/kikunori/?cat_id=141581&page=3 より)
本殿に入ったすぐ左側に鐘楼、右側に太鼓がぶら下がっている。
( http://pub.ne.jp/kikunori/?cat_id=141581&page=3 より)
本殿の内陣
( http://pub.ne.jp/kikunori/?cat_id=141581&page=3 より)
この内陣の写真を良く見て下さい! 膝あてのクッションにひざまづこうとしている女性
がいますね。その前方に、線香をあげる香炉があり、さらにその前にお供え物をのせる机
がある。参拝者は、まず神に酒などの供え物を供え、線香を立てて拝んでから、頃合いを
見て「ポエ」を取り、願い事を口の中で念じながら、やや前方か右前方に「ポエ」を投げ
るような格好で地に落とす。「ポエ」とは貝殻に似せて、片面が平、もう固めんが膨らみ
を持った半月型の占具の一種で、二個で一組である。材料は、台湾や東南アジアでは木か
竹根だが、泉州のものは竹の幹製である。投げた結果、二個とも平面が上向きなら神の冷
笑を、ともに下を向けば怒っていることを、それぞれ示し、ともに願いのおもむきは拒否
された現れとする。一個の平面が上を、他の平面が下を向くとシンポエ(聖笞)と言っ
て、嘉納(かのう)のしるしとされている。
シンポエ(聖笞)
( http://4travel.jp/travelogue/10112842 より)
さて、関岳廟から北へ10キロほどいったところに「清源山の老君岩」がある。だから、
「清源山の老君岩」は関岳廟の別院だという感覚で、泉州にお出かけの節は、是非、両方
とも参拝したいものだ。
https://maps.google.co.jp/maps?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JPmac:official&hl=ja&q=%E8%80%81%E5%90%9B
%E5%B2%A9%20%E6%B3%89%E5%B7%9E&bav=on.2,or.r_cp.&bvm=bv.
53899372,d.dGI,pv.xjs.s.en_US.E_HR746bqA4.O&biw=1183&bih=606&dpr=1&u
m=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl
上のページをクリックすると、老君岩の場所が出て来る。地図を縮小すると泉州市の中心
市街地が出て来るが、その中心市街地の中山公園の少し南に関岳廟がある。
清源山・老君岩
清源山は国家重点風景名勝区に指定されている。
海抜495mの低い山だが、多くの奇岩・洞窟があり、古く唐の時代から知られる景勝地である。
この入り口に鎮座するのが ”老君岩”。現存する老君石彫坐像としては中国最大のもので、
高さ5,63m 幅8,01m 厚さ6,85m。
昔はここに道教の
があったそうだが 文化大革命で破壊されてしまい、今は坐像だけ。
( http://blogs.yahoo.co.jp/chuanyuanhao/17305756.html より)
4、武当山の武当道
窪徳忠はその著「道教の神々」(1996年7月、講談社)の中で、武当山の武当道につ
いて次のように述べている。すなわち、
『 武当道は、湖北省丹江口市の南にある武当山を本拠とする道教教団である。この山
は、玄天上帝(げんてんじょうてい)のいるところとして古くから有名な名山だった。武
当道の成立時期はよく判らないけれども、10世紀のごく始めには成立していたらしい。
元代にはかなりの数の道観が山中に建てられていたが、元末の争乱で壊され、武当道もし
たがって衰えた。明の成祖は、その歴史と由緒とを考えて、15世紀の初めに太祖夫妻の
霊を慰め、人民の幸運を祈ることを目的として、山中に道観を四宇も建てさせた。それか
らやや教団が復活したけれども、15世紀半ばからは管理する宦官に利用されて教団の権
威は衰えてしまった。ただ、雲南省方面の人びとの間では、かなり信仰を集めていたのだ
ろう。』・・・と。
武当山は、以上のように、昔から道士(道教の修行者)たちの修行の場となっていた歴史
的な道観であり、1994年には世界遺産にも登録された。この武当山は、漢方薬と拳法
の中心地でもあり、中国武術 である「武当拳」の発祥地としても知られている。
( http://japanese.cri.cn/782/2013/08/02/241s211221.htm より)
( http://japanese.cri.cn/782/2013/08/02/241s211221.htm より)
( http://japanese.cri.cn/782/2013/08/02/241s211221.htm より)
武当拳は、太極拳、形意拳、八卦掌などを指す。東洋哲学の重要概念である太極思想を取
り入れた拳法で、健康・長寿に良いとされているため、格闘技や護身術としてではなく健
康法として習っている者も多く、中国などでは市民が朝の公園などに集まって練習を行っ
ている。日本国内でも愛好者は多く、「太極拳のまち」を宣言した福島県喜多方市のよう
に、自治体単位で太極拳を推進している例もある。
中国市民の太極拳風景
( http://yositeru.com/40travel/10overseas/200209china/china_5.htm より)
さて、武当山については、次のホームページは素晴らしいので、是非、ご覧下さい!
http://www.ww-trip.com/world/china/hubei/hubei_taizipo/hubei_taizipo.htm
武当山にも、白雲観で説明した「大影壁(だいえいへき)」があるので、次にそれを紹介
しておきたい。
武当山の大影壁(だいえいへき)
( http://www.nanjing-tour.com/ryokoujouhou/taizibo/taizibo.html より)
5、道教の生命力
窪徳忠はその著「道教の神々」(1996年7月、講談社)の中で、道教の生命力という
か信仰心というものの根強さについて次のように述べている。すなわち、
『 山東省威海市の郊外には、もと竜王を祀った
があったが、文化大革命で竜王像は撤
去され、漁具の置き場にされた。ところが、漁師たちは、文革中にもかかわらず、大
日
の出漁前にその建物前で礼拝して大漁を願うのが常だったという。上海市南西部の松江県
では、以前にあった
が取り壊されて、別の場所にあった天后宮が移設された。もちろ
ん、内部は何の神も祀っていない。それでも村人たちは、あたかもそこに媽祖(まそ)像
が祀られているような形で参拝していたという。さらに驚くべきことは、山東省のある村
では、禁止された
神(そうしん)の祀りを、文革中に門を閉めて家族で秘かに行なって
いたと聞かされた。このような実状を知ったならば、政府も方針を変え、「宗教の自由」
のもとに、道教の信仰を認めざるを得なくなるのは、当然であろう。まさに、民衆の信仰
心の勝利であろう。』・・・と。
確かに、信仰心というものは逆境にあってもそう簡単に衰えるものではない。否むしろ、
逆に、逆境に会えば会うほど信仰心というものは、強くなるのではなかろうか。中国の道
教の場合、戦前戦後を通じて酷い逆境に会ったことがあるので、今後復興に向けて力強く
歩んでいくのではなかろうか。私は、そのように思い、道教の将来に大いなる期待を持っ
ている。
道教の修道院は、北京の白雲観ほかに、上海の白雲観や四川省西都の青城山などがある。
そこでは若い道士たちの養成が始まっている。女性道士もいるようだ。道教の研究は、北
京の「中国社会科学院世界宗教研究所」の道教研究室がもっとも盛んであるが、上海、四
川、江西などの社会科学院でも宗教研究に力を入れ始めたらしい。各地域の大学や研究機
関、道観、道教協会などと連携をとりながら精力的に道教の研究が始まっていると考えて
良さそうだ。
さてここで、「榕江(ろんじゃん)」近くの「摆贝(ばいべい)」という村の様子を知ら
せてくれるホームページを紹介しておきたい。歴史的に有名な道観とはまた別に、人びと
の日常生活と深く繋がって、日常の生活空間の中に道教が息づいていることを感じ取って
いただきたい。
http://blogs.yahoo.co.jp/nabesan88com/55016100.html
そのホームページの中で私の注目するのは、橋のたもとに祀られている道祖神のような石
像を祀った祠があることもさることながら、次の写真である。彼の説明文とともにここに
ピックアップしておこう。
鼓楼のある広場は川沿いにひろがる村の真ん中にあり、私の泊った旅館の向かいに侗族の
祖先神である「萨玛(さぁまぁ)」を祀る
がある。
村の中には吊脚楼や石造の建物も多いが、本来は平屋が多かったんじゃないかと感じた。
家の中にも道教の祭壇がある。
道観とは、道士のいる規模の大きい施設だが、
と呼ばれているものもあるし、祠と呼ば
れているものもある。その他いろいろの呼び名のものもあるが、私のイメージとしては、
道観は大規模、
は中規模、祠は小規模というイメージであるが、そういう大雑把な理解
で良いのかどうかはまったく自信がない。しかし、ここで私の言いたいことは、中国に
は、日常の生活空間の中に、ここで紹介したようなさまざまな「道教の祠」があるのでは
ないかということだ。
道教の神々には面白い神が多い。以前に、ネットサーフィンをしていて面白い祭をいくつ
か見つけたので、それを紹介した。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/doukyou01.pdf
その一つは、台湾の祭であるが、あとの二つは、中華人民共和国の祭りである。その内、
杭州市かどこか地方都市の郊外で行われている祭の詳細がYouTubeにアップされているの
で、それをもう一度ここに紹介しておきたい。
http://www.youtube.com/watch?v=9ALeMr9uVpk
神獣である龍や獅子の舞いは、長崎や神戸や横浜で中国人が行う道教の祭で見ることがで
きるので、多くの方が知っているかと思う。しかし、この祭りに出て来る不思議な人形を
被った見たこともない面白い「舞」が道教の神に奉納される。不思議な人形が両手を大き
く振ってゆっくり歩く、それだけのことだが、私が面白いと思うのはその歩き方である。
私は、人間の歩き方に特別の興味をもっていて、10種類ほどの歩き方をそれぞれ名前を
つけている。その中で、能に見られる「舞い舞い」というのがあるが、これは自然の
「気」に合わせて足を運ぶ、神と一体になった姿である。その際の重要なポイントは、
「間」の取り方である。その微妙な間をとった歩き方が上記のYouTubeに出て来る。
不思議な人形が両手を大きく振ってゆっくり歩く、その足の運び方にご注目願いたい。誠
に微妙な「間」がある。私達は今年もこのように無事祭ができる。これもあなた様のお蔭
である。これからもあなた様と一体になって生きていくので、引き続きこれからも私達を
慈しみお守りして下さい、と言っているようだ。
確かに、 道教の神々には面白い神が多い。たまたまネットサーフィンで見つけたものを
紹介したが、中華人民共和国には、私たちの知らない面白い道教の祭りが沢山あるのでは
なかろうか。今私の言いたいことはそのことであり、「民衆道教」の中華人民共和国での
広がりに思いを馳せている。
6、今後に期待するもの
今、中国では、全国的に儒教ブームが起っているようだ。2013年10月13日(日)の
NHKスペシャル「中国激動・・・<さまよえる>人民の心」という番組でそう言ってい
た。その放送の「あらすじ」は次の通りである。すなわち、
『 先に富める者から豊かになれ 鄧小平氏による改革開放の壮大な実験から始まり、急
速に経済成長を続けてきた中国。しかし今、貧富の格差が拡大するなど、 13億すべて
の民に「豊かさの約束」を唱え続けることが難しくなってきている。2回目は、経済的な
成功に代わる新たな 心のより所 を模索し始めた中国の 人々の内面に迫る。
今、人々の間で急速に求心力が高まっているのが、2500年の伝統を誇る中国生まれ
の 儒教 だ。「他人を思いやる」「利得にとらわれない」ことを重要視 する儒教にこ
そ、中国人の心の原点があるとして、儒教学校の設立や、儒教の教えを経営方針に掲げる
企業が続出。現代風にアレンジした新興グループまで登場 し、中国全土に儒教ブームが広
がろうとしている。
国も、かつては弾圧の対象でもあった儒教を認め、支援することで人々の心を掌握しよう
としている。孔子の故郷、山東省曲阜では国が主催する孔子生誕祭が盛大に行われるな
ど、仁徳の国を復活させるための取り組みも始まっている。
拝金主義の夢から覚め、「心の平安」を求める人々――。次なる時代へと向かおうとする
中国の姿を描く。』
私はこの番組を見て、「儒教と道教との繋がり」、言い換えれば「孔子と老子との繋が
り」について考えてみた。
白川静は、その著「白川静の世界Ⅲ・・思想・歴史」(立命館大学白川静記念東洋文字文
化研究所代表加治伸行、2010年9月、平凡社)のなかで次のように述べている。すな
わち、
『 「ノモス」とは、法律・習慣・制度の意味で、広く人為的なものを言う。白川におい
てはこの語は「イデア」(永遠の実在、真実在)と対照されてしばしば用いられ、いわば
世俗的といった広い意味において用いられているようである。(中略)このようなノモス
的世界における光輝に満ちた孔子の物語はその展開とともに、数多(あまた)の孔子につ
いての神話や説話を派生させて今日に至る。しかし、これに対して白川の提起する「孔
子」という物語は誠に対照的であり、斬新で、孔子の面目を一新せしめる。』
『 孔子の世系についての「史記」などにしるす物語は、すべて虚構である。孔子はおそ
らく、名もない巫女の子として、早く孤児となり、卑賤のうちに成長したのであろう。そ
してそのことが、人間についてはじめて深い凝視を寄せたこの偉大な哲人を生み出したの
であろう。』
『 孔子没後の弟子たちはノモス的世界に適応するノモス派と反ノモス派とに分かれ門戸
の見を争い(儒家八流)、主流を占めたのはノモス派であった。孟子や荀子はこの系譜に
連なり、孔子のイデアの後継者とは言い難いと白川は見る。それでは、孔子の思想のイデ
アの継承者はもはや現れなかったのか。白川はこの継承者こそ荘周(道家の荘子)である
というのである。(中略)白川は、孔子から顔回へ、顔回の思想の後継者から荘周が登場
したとするのである。』
『 すなわち、孔子においては、晩年の仁に処(お)る「巻懐」は「斯文」の探求・実践
における一つのあり方としての隠居であるが、荘周は「 巻懐の人」をノモス的世界に実体
化して、人の生き方の一つの型としての隠者の思想を説いた。両者は、ノモス的世界にお
いては、治者の思想を説く儒家と、それを否定する隠者の思想を説く道家として截然(せ
つぜん)と分たれる。だが、そこにはイデアにおいては通底するものがあるとするのであ
る。』・・・と。
以上のとおり、孔子は、幼少の時代は、シャーマンの世界で育ったのであり、神というも
のの存在は、疑う余地のないものであった。世の乱れを深刻に受け止めた若き孔子は、必
死の勉強をして、論語という倫理道徳の哲学書を生み出す。しかし、それは,彼の最終到
達点ではない。彼が理想とする最終到達点はその先にあった。幼少の時代に身体に浸み込
んだ神への畏敬の念が沸々と湧き出してきたのである。それが老子だ。そのことをいちば
ん判っている人物は道家の荘子である。老子は実在の人物ではないから、実在の人物とし
ては,孔子の後継者は荘子である。
荘子は、道家であり,道教の宗教哲学者である。それも孔子の後継者と言われるほど偉大
な哲学者である。
儒教も道教も大きく見れば変わりはなく,ノモスに焦点を当てれば儒教になり,イデアに
焦点を当てれば道教になる。したがって、今劇的に始まった儒教ブームは、今後の道教の
力強い復活を約束するように思われる。それが私の大いなる期待だ。
7、おわりに
私は、前に「老子」について書いた。まだまだ未熟だけれど、最新の認識を書いたもの
だ。私はそれ以前にシヴァ教が世界最強の宗教だと書いたことがあるが、そういう認識は
訂正しなければなるまい。「老子」についての最新の認識は次の通りである。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/rousi01.pdf
今ここでの文脈において、その要点をピックアップしておこう。
老子の言う「道」は、儒教の道とは違い、宇宙の実在のことである。すなわち、ひとつの
哲学であると言って良い。儒教で言う仁義礼智(じんぎれいち)は、人間社会の道徳では
あるけれど、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものではない。これに対し、老子の
「道」は、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものである。したがって、西洋哲学、
東洋哲学などすべての哲学と学問的に比較検討ができ、今後の新たな哲学を構築する要素
を持っている。老子の哲学は、西洋哲学、東洋哲学などすべての哲学と相性がいいと言っ
ても良いのである。
私が少し前に書いた「さまよえるニーチェの亡霊」という電子書籍がある。
http://honto.jp/ebook/pd_25249963.html
その中の第8章「ニーチェの哲学を超えた新しい哲学の方向性」で、私は、次のように述
べた。すなわち、
『 今、日本もそうだが、世界は「人間が生きる最高の価値観」を失ってニヒリズムに
陥っている。そのニヒリズムから脱却して私たち人間が生き生きと生きていくためには、
何をなすべきか? それを一言で言えば、ニーチェの考えを中心として、ハイデガーやホ
ワイトヘッドらの哲学のいいところ取りをして、ニーチェの哲学を超えた新しい哲学の方
向を見定めて、具体的な運動を展開することだ。そういった新しい哲学、すなわちニー
チェとハイデガーとホワイトヘッドの統一哲学が形而上学的に誕生するにはかなりの年月
がかかるかと思われる。現在の状況からして、それを待っているわけにはいかないという
のが私の認識であり、したがって、私は、せめてその方向性を見定めて、具体的な運度を
展開すべきだと申し上げている。』・・・と。
しかし、 老子を多少勉強して、今思うことは、西洋哲学だけでなく、東洋哲学やインディ
アンの哲学的思考(http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/intetuga.html)などすべてのも
のも視野に入れるべきだということで、その際、老子の哲学は特に注目されるべきではな
いかと思う次第である。
上述したように、道教の研究は、北京の「中国社会科学院世界宗教研究所」の道教研究室
がもっとも盛んであるが、上海、四川、江西などの社会科学院でも宗教研究に力を入れ始
めたらしい。各地域の大学や研究機関、道観、道教協会などと連携をとりながら精力的に
道教の研究が始まっていると考えて良さそうだ。当然、道教に関連する「宗教哲学」の研
究も力強く進むと思われるので、宗教哲学としてはシヴァ教の哲学を習合して、「哲学道
教」、つまり道教の宗教哲学が、多分、東洋哲学を代表するものになるだろう。
また、「民衆道教」、つまり道教の実践活動が、多分、「タオイズム」として世界に大き
な影響を与えるだろう。
このようなことを考えたとき、道教こそ世界最強の宗教になる可能性は十分にある。それ
が私の「今後に期待するもの」だ!
中国は、道教という世界最強の宗教を擁し、天命政治を実践する世界最強の国家である。
今後、世界は、新たな文明において、中華、すなわち中国を中心に動いていくものと思わ
れる。習近平を今皇帝と仰ぐ中華人民共和国は、自信を持って進んでもらいたい。キリス
ト教を恐れることはないし,民主政治に惑わされることはない。中国の歴史と伝統文化に
根ざした自らの世界平和路線を歩んでいけば良いのである。
第2章 近代国家の責任と中国・・・国際社会は何ができるか
はじめに
シ リアの場合、国際社会(国連又は有志連合)はシリアを近代的な国家に生まれ変わら
せることはできない。現在のところ、イスラム国の勢力を削ぐことしかできない。あと
は、政府勢力と反政府勢力とクルド人勢力の争いを見守るしかない。先進国が独自に政府
勢力なり、反政府勢力なり、クルド人勢力なりに軍事的又は 経済的支援をするというこ
とがあっても、 国連常任理事国(アメリカ、フランス、イギリス、ロシア、中国)のそれ
ぞれの思惑がそれぞれ違うので、 それら3勢力の紛争に直接介入することはあり得ない
のではないかと思われる。
近代的な国家とは、近代国家のみならず、非近代国家であっても発展途上にあり、今後、
近代化を図って、近代国家と同じように国際社会に対する十分な責任を果たしうる可能性
を秘めた国家をいう。発展途上国をそのような近代的な国家に生まれ変わらせることは近
代国家の責任である。この論文は、近代国家の責任について論じたものである。
しかし、その論考を進めるにあたって、近代国家の定義もはっきりしないし、近代的な国
家の概念もはっきりしない。したがって、まずはそれらをはっきりさせた上で、近代国家
の果たすべき責任を論じた。近代国家の果たすべき責任とは、具体的に言って何をどうす
れば良いのか? それを明らかにしながら、先進国が近代国家の責任をそれなりに果たし
ている状況を見ていくこととしたい。
しかし、近代国家の中で、どうも中国だけが異質である。 中国が軍事大国として膨大な予
算を軍事力拡大に使っている現状に脅威と感じ、対中政府開発援助は大幅に縮小すべきだ
という意見を持っている日本国民は少なくないが、中国は、日本から多額のODA(政府開
発援助)を受けながらも、1950年から対外援助を初めて、現在も結構多額の援助を行
なっている。中国は、 この「対外援助」を援助を開発途上国間の相互支援(南南協力)
と位置付け、OECDに加入していないのである。これでは中国が近代国家として責任を果
たしているとは言い難い。
しかし、中国には、近代国家として責任を果たすことのできる国際協力がODA以外にもあ
ると思えてならない。以下においては、その点についても説明したいと思う。
1、近代国家の定義について
近代国家とは、近代に成立した中央集権国家のことである。しかし、 近代の定義がはっ
きりしない。
通常、「近代」は、ヨーロッパ列強の進出によって旧来の社会体制が転換された後の時代
や、ヨーロッパ列強型の新国家が成立した後の時代と規定される。これに対して、「近
世」は、ヨーロッパ列強が進出する前の時代や、ヨーロッパ列強型の新国家が成立する前
の時代と規定される例が多い。
その他の地域の歴史の時代区分についても多くの場合、「近世」「近代」「現代」の区分
が用いられるが、進歩史観の一種である唯物史観の適用などが絡んで様々な説が提唱され
ており、時代区分が定まっていないことが大半である。唯物史観を適用する場合、「近
世」は封建主義時代、「近代」は資本主義時代と規定される例が多い。
また、「近代」という語は、「現在の政体や国際社会の時代(現代)の一つ前の時代」と
いう意味を伴う。このため、アジア史では、第二次世界大戦終結(1945年)を境にして
「近代」と「現代」に分けられている。一方、ヨーロッパ史では、第一次世界大戦終結
(1918年)を境にして「近代」と「現代」に分けられていた。しかし、近年では東欧革命
(1989年)を境にして「近代」と「現代」を分ける見方も増えている。
中国史では、新政府の成立に則って中華民国(辛亥革命から国共内戦まで)の成立期を
「近代」とする見方と、西欧列強の進出とそれに伴う社会変動に着目して、1840年のアヘ
ン戦争から国共内戦までを「近代」とする見方がある。
このように、「近代」の定義がはっきりしないが、この論文を書くに当たって、私なりに
その定義をはっきりしておかないと具合が悪いので、私なりの考えで、「近代」の定義を
しておこう。
アジア史では、近代と現代の境目が第二次世界大戦終結(1945年)とされているよう
であるし、2015年9月3日に北京で行われた「抗日戦争勝利記念」の軍事パレードで
習近平は「 抗日戦争勝利が現在の中華人民共和国を成立させた」というような認識を示
している。また、日本は、第二次世界大戦終結(1945年)を境に大きく生まれ変わっ
た。それらのことを勘案して、近代と現代の境目が第二次世界大戦終結(1945年)と
する。
また、冒頭に述べたように、 通常、「近代」は、ヨーロッパ列強の進出によって旧来の社
会体制が転換された後の時代や、ヨーロッパ列強型の新国家が成立した後の時代と規定さ
れる。これに対して、「近世」は、ヨーロッパ列強が進出する前の時代や、ヨーロッパ列
強型の新国家が成立する前の時代と規定される例が多い。
したがって、私としては、「 近代国家とは、ヨーロッパ列強の進出によって旧来の社会体
制が転換された時期以降、第二次大戦終結までに成立した国家であって、かつ、現在、内
線状態になく、国家権力に混乱がない国家」と定義することとする。
この定義からすると、 インドの独立は1947年(第二次世界大戦終結の2年後)であ
るから、インドは近代国家ではないということになるが、これには何となく釈然としない
ものが残る。したがって、近代的な国家という概念を設けなければならないだろう。しか
し、その前に、私は、近代国家の成立時期を、「 ヨーロッパ列強の進出によって旧来の社
会体制が転換された時期以降」としたので、「ヨーロッパ列強の進出」というものがどう
いうものであったのかを一つの歴史認識として勉強しておく必要がある。
2、ヨーロッパ列強の進出について
近代の前は近世であるが、近世とは、西洋史ではおおむね大航海時代あたり(15世紀∼
16世紀)から始まるとされている。増田義郎によれば、大航海時代の始まりは、15世
紀初頭におけるポルトガルのセウタ攻略とされているが、17世紀の半ばまで続く大航海
時代の覇者は何と言ってもスペイン帝国である。
スペイン帝国はその最盛期には南アメリカ、中央アメリカの大半、メキシコ、北アメリカ
の南部と西部、フィリピン、グアム、マリアナ諸島、北イタリアの一部、南イタリア、シ
チリア島、北アフリカの幾つかの都市、現代のフランスとドイツの一部、ベルギー、ルク
センブルク、オランダを領有していた。また、1580年にポルトガル王国のエンリケ1世が死
去しアヴィシュ王朝が断絶すると、以後スペイン王がポルトガル王を兼ねている。植民地
からもたらされた富によってスペインは16世紀から17世紀のヨーロッパにおける覇権国的
地位を得た。
一方、イギリスは、16世紀初め、国王ヘンリー8世は大砲を搭載した大型軍艦を何隻も
建造し、のちのイギリス海軍の基盤を築く。 そして、16世紀の終わり頃、アルマダ海戦
という海戦でスペインの無敵艦隊を撃破した。また北米にバージニア植民地を建設し、1
600年には東インド会社が設立されるなど、英国の対外発展の基礎が築かれた。
しかし、イギリスはスペインの無敵艦隊を撃破したことにより覇権国となったのではな
い。アマルダ海戦以降の覇権国はオランダである。オランダはオランダは日本語での特殊
な用語であり、オランダ語では、ネーデルラントという。ネーデルラント諸州は1602
年、オランダ東インド会社を設立してアジアに進出し、ポルトガルから香料貿易を奪取し
て、世界の海に覇権を称えた。このため貿易の富がアムステルダムに流入して、17世紀の
ネーデルランド共和国は黄金時代を迎えることとなる。オランダ海上帝国とも呼ばれる。
オランダ東インド会社は、アジアだけでなく南北アメリカにも植民地を築いた。しかし各
地の植民地でイギリス東インド会社と衝突し、ついには3次にわたる英蘭戦争となり、次
第にイギリスが優勢に立つことになったのである。 イギリスは世界進出に遅れをとり、香
料諸島には入れず、インドに貿易拠点を置くしかなかった。 ところが、これが幸いして綿
織物の生産地インドで勢力を伸ばし、同じくインドに拠点を置いたフランスと覇権争いを
繰り返す事になる。17世紀に主権国家を形成させたイギリスとフランスは、イギリスは
立憲王政、フランスは絶対王政の違いはあったが、いずれも重商主義経済政策をとって植
民地獲得に乗り出した。17世紀中頃からイギリス東インド会社とフランス東インド会社
は直接的に抗争を開始する。その後、七年戦争、英仏植民地戦争、産業革命を経てイギリ
スが世界の盟主の座を勝ち取る事になる。
第一次世界大戦による総力戦はアメリカの参戦によりかろうじて勝利したものの、イギリ
スは疲弊、世界の盟主の座を徐々にアメリカに明け渡していくが、第一次世界大戦の結果
として、イギリスは、フランスともども、それまでオスマン帝国の領土であった中東の支
配権を手に入れるのである。
中東で一人当たりのGDPが日本(世界第27位)より上位なのは、カタール(世界第3
位)、アラブ首長国連邦(世界第22位)、クウェート(世界第23位)、イスラエル
(世界第25位)の4カ国であるが、その代表として、カタールの勉強をしておこう。カ
タールの場合、その現状を理解するには、どうしてもイギリスとの関係を理解しておかな
ければならない。もともとこのアラブという地域は、長い間オスマン帝国(トルコ)の支
配下にあった。オスマン帝国とはどのような帝国であったのか? そのことと、そのオス
マン帝国のアラブにおける権益をイギリスがどのような経緯によって獲得したのか、その
ことを知らねばならない。それについては、次のような私の覚え書きがある。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/igirisuno.pdf
3、「近代的な国家」という概念について
上述したように、「近代国家」の定義からすると、 インドの独立は1947年(第二次
世界大戦終結の2年後)であるから、インドは近代国家ではないということになるが、こ
れには何となく釈然としないものが残る。したがって、近代的な国家という概念を設ける
こととして、以下にその説明をする。
カタールは、近代国家ではないが、その豊富なオイルマネーのお陰で、現在は希有な近代
的な国家になっている。 豊富なオイルマネーにより国民は所得税がかからない。さらに、
医療費、電気代、電話代が無料、大学を卒業すると一定の土地を無償で借りることがで
き、10年後には自分のものとなる。2004年、ドーハに科学技術パークを開き、世界中
から技術関連企業を呼んだ。
「近代的な国家」の概念には、「近代国家」の他に、豊富なオイルマネーのお陰で近代化
の進んでいる国も含める必要がある。具体的には、 カタールの他に、アラブ首長国連
邦、クウェート、イスラエル、バーレーン、サウジアラビア、オマーンである。
また、近代的な国家とは、非近代国家であっても国家として発展途上にあり、今後、近代
化を図って、近代国家と同じように国際社会に対する十分な責任を果たしうる可能性を秘
めた国家を含めなければならない。その典型がインドネシアである。インドネシアは、私
の考えによれば、近代国家ではないが、近代的な国家である。
インドネシアは、1949年12月のハーグ円卓会議で、オランダから無条件で独立承認
を得ることに成功し、オランダ統治時代のインドネシア資産を継承した。その後、中央集
権国家として、その近代化を図り、現在では、東南アジア諸国連合(ASEAN)の盟主と
され、アセアン本部もインドネシアの首都ジャカルタにある。そのため、2009年以
降、アメリカ、中国など50か国あまりのASEAN大使が、ASEAN本部のあるジャカルタに
常駐。日本も、2011年(平成23年)5月、ジャカルタに東南アジア諸国連合
(ASEAN)日本政府代表部を開設し、ASEAN大使を常駐させている。インドネシアは、
正に近代的な国家である。
そこで問題なのは、インドネシアのような近代的な国をどのように定義づければ良いのか
ということだ。インドネシアもまだ発展途上にあることは間違いないが、インドネシアの
ような近代的な国を発展途上国と定義することはできない。何故なら、現在、発展途上国
と開発途上国という言葉が同じような意味で使われていて、後発開発途上国(LDC:Least
Developed Country)も含まれるからである。 後発開発途上国は、 開発途上国の内特に開
発が遅れている国であり、最貧国とも呼ばれる。後発開発途上国は政治的に不安定な国ば
かりであり、あまりにも問題が多すぎてとても発展途上にあるとは言えない。発展途上国
という言葉のイメージとは随分かけ離れているが、発展途上国という言葉が開発途上国と
いう言葉と同じような意味で使われているので、発展途上国という言葉には、とても発展
途上にあるとは言えない国を含んでいることになる。したがって、とても発展途上にある
とは言えない国を除外した別の言葉を使う必要がある。何か良い言葉がないか? 専門家ならいざ知らず、一般的には何のことやらさっぱり判らないと思うが、インドネシ
アのように正に発展途上にある国を表す言葉として、私は、「ダック国」という言葉を思
いついた。ダックの対象国という意味であるが、ダックとは、アヒルのことではなくて、
DAC、つまり「Development Assistance Committee」のことである。OECDに設置された開
発援助委員会をDAC(ダック)という。その対象国とは近代化の可能性の極めて高い国で
あって、それらの国を積極手に支援するために、OECDに設置された開発援助委員会で
は、「DAC計画」というものを作っているのである。
ダック対象国は、具体的には、次のとおりである。
東アジアでは、インドネシア、中国、マレーシア、カンボジア、フィリピン、モンゴル、
タイ、ベトナム、ラオス。南アジアでは、インド、バングラデシュ、スリランカ、パキス
タン。中央アジア及びコーカサスでは、ウズベキスタン、タジキスタン、カザフスタン、
キルギス。中東では、エジプト、チュニジア、ヨルダン、アフリカでは、エチオピア、ザ
ンビア、ガーナ、セネガル、ケニア、タンザニア。中南米では、ニカラグア、ペルー、ボリ
ビア。
以上述べてきたように、「近代的な国家」という概念は、近代国家とともに、ダック対象
国を含む概念である。中国は、近代国家でありながらダック対象国になっている。これを
不思議に思われる方も多いかと思われるので、次に、そのことの説明をしておきたい。
4、中国という国について
中国は大国である。IMF報告によると、2014年のGDPは為替レート換算によると、米国17
兆4160億㌦である。これに対し、中 国は10兆3560億㌦である。まだ米国の方が大きい。
しかし、購買力平価(ppp)換算で見ると、中国のGDPは17兆6320億㌦となり、米国を超
え た。そして、5年後(2019年)には、米国22.2兆ドルに対し、中国26.9兆ドルと大きく上
回る(IMF, World Economic Outlook Database, October 2014)。
日本のGDPは2014年4兆7700億㌦、2019年5兆5433億㌦(pppGDPは5兆5280億㌦) であ
る。5年後、中国のGDPは日本 の5倍になる(注、日本のGDPは為替レート換算も購買力
平価換算も大差ない)。日本と中国を指してアジアの「2大経済大国」と言うことが語ら
れるが、日 本経済は中国の5分の1の大きさである。
しかし、中国は、このような経済大国でありながら、人口が多いために、国民一人当たり
のGDPが非常に小さい。世界ランキングは、おおむね80番目であり、アフリカの 赤道
ギニア、 セーシェル、 ガボン、 モーリシャスより下位にある。そして貧富の差は、アフリ
カのエチオピア、エジプト、ブルンジ、 マリ、 ニジェール、トーゴ、ギニアビサウ、ベニ
ン、カメルーン、タンザニア、マラウイ、ブルキナファソ、ギニア、チャド、セネガル、
シェラレオネ、ガボン、ジプチ、コートジボアール、コンゴ民主共和国、ウガンダ、マダ
ガスカル、ガーナ、コンゴ共和国 よりひどい状態にある。
ご承知のように中国の経済発展は誠に目覚ましいものがある。しかし、人口があまりにも
多すぎるので、貧困問題がなかなか思うように進まない。さらに、環境問題、感染症や食
糧の安全の問題もある。一方で、軍事力の拡大にも取り組まなければならない。 これが
中国の最大の悩みだ。
日本は、長い間、中国に対して政府開発援助(ODA:Official Development Assistance)を
行なってきた。政府開発援助は、経済協力だけでなく技術協力や人材派遣を含むが、過去
の実績を見ると、日本が2国間援助の累積総額でいちばん援助している国は中国であり、
2007年度末までに、円借款が約3兆3165億円、無償資金協力が約1510億円、技術協力が約
1638億円の資金援助を行っており、2007年度までに日本は中国に多国間援助と合わせて約
6兆円のODAを行っていることになる。このような日本のODAに対して、中国の要人はま
ことのありがたいと感謝の意を表している。中国の経済急速発展を理由に、日本政府は対
中ODAのうち有償資金協力のうち円借款に限り2008年の北京五輪を境に打ち切った。
その後、2010年12月18日、政府・与党内にて対中政府開発援助に厳しい声が上がっている
中、中国大使の丹羽宇一郎は中国への政府開発援助を増額するよう外務省本省に意見具申
していたことが判明した。その理由の1つとして、丹羽は「対中ODAを打ち切ると、中国
側の批判を受けることになる」と外務省に「警告」したとされる。政府・与党内における
対中政府開発援助についての厳しい声は、それ以前からもあったが、それは、中国は経済
大国であり、しかも世界有数の軍事大国であるから、対中政府開発援助はおかしいという
ものである。
特に、中国が軍事大国として膨大な予算を軍事力拡大に使っている現状に脅威と感じ、対
中政府開発援助は大幅に縮小すべきだという意見を持っている国民は少なくない。現在も
そうだ。しかし、そういう考えは間違っていると、私は思う。
日本の防衛予算は、GDPのおおむね1%でここのところずっと推移している。1976年の閣
議決定で、専守防衛論議とのからみで1%を超えないものとする基本方針が決定されてい
るが、現在もおおむねその方針が生きており、国防予算の拡大に歯止めがかかっている。
しかし、中国の場合は、軍事力拡大が国の最優先課題であり、中国ならではの論理で軍事
力拡大が行なわれている。
中国人が古くから持ち続けてきた民族的自負の思想がある。中国は、歴史的に、中華思想
を中心とした世界観の中で、君臨しきた。しかし、眠れる獅子といわれた清朝がもろくも
アヘン戦争で負けて以来、欧米列強からは半植民地化されてきた。遂には、かつて中国か
ら見れば中国の文化の外にある「東夷」だと思われた日本にも、1894年に勃発した日
清戦争に大敗を喫してから以降、日中戦争を通じて中国は苦杯をなめ続ける。日本は、太
平洋戦争によって、アメリカ軍に破れて日中戦争も終戦を迎えるのであるが、もしアメリ
カとの戦いがなければ、恐らく日中戦争は中国の大敗に終わっていたのではなかろうか。
このような体験から中国は「力がなければやられる」という軍事力による安全保障を重視
するようになったようだ。毛沢東が「政権は銃砲から生まれる」と述べたと言われている
が、軍事力を重視する信条が今日でも中国には残っている。経済建設に必要な平和や安定
は多くが軍事力によって保証されると見ている。しかも中国には歴史的な中華思想がある
から、自然にアメリカを意識して軍事力の拡大を図ることとなるのであろう。実際、中国
には 1980 年代の後半に、いわゆる「戦略的国境論」という論文が軍の機関誌・『解放軍
報』に出たことがある。「戦略国境」という概念が今も生きているように見受けられる。
具体的には、例えばアメリカの空母機動部隊がインド洋に進出すればそこにアメリカの支
配力が及び、それがアメリカの戦略国境の拡大になるという見方である。
このように、 中国の場合は、軍事力拡大が国の最優先課題であり、中国ならではの論理
で軍事力拡大が行なわれているのである。それをひと言で言えば、歴史的な中華思想に基
づいている。中華の国、中華人民共和国としては、経済対策など他の予算と関係なく、軍
事予算が使われざるを得ない事情にある。
上述したように、 中国の経済発展は誠に目覚ましいものがある。しかし、人口があまり
にも多すぎるので、貧困問題がなかなか思うように進まない。さらに、環境問題、感染症
や食糧の安全の問題もある。一方で、軍事力の拡大にも取り組まなければならない。 こ
れが中国の最大の悩みだ。したがって、円借款は除外するとしても、貧困問題、環境問
題、感染症や食糧の安全の問題については、引き続き対中政府開発援助を続けていかなけ
ればならない。対中政府開発援助に関連して、中国の国民からも感謝の気持ちが伝わって
きており、私は、日中友好親善のためにも対中政府開発援助の予算は削減してはならない
と思っている。
なお、中国は、日本から多額のODA(政府開発援助)を受けながらも、「南南協力」と
呼ばれる「対外援助」を行なっている。 すなわち、中国は1950年より対外援助を実施し
て、現在も結構多額の援助を行なっている。 2010∼2012年の3年間の累計は893億4,000
万元(約1兆608億円)である。中国は、 この「対外援助」を援助を開発途上国間の相互
支援(南南協力)と位置付け、先進国によるODAとは一貫して差別化している。
1964年に周恩来首相が発表した「対外援助8原則」に基づいて、2014年、中国商務部
は、「対外援助管理弁法」を公布した。今後、さらなる関連の法整備が進められる見込み
だと言われている。
「対外援助」の内容は、 中国商務年鑑(2014年版)によれば、①パッケージ型プロジェ
クト:124件、 ②物資援助:93件、 ③人材育成プロジェクト:155か国の18,660名を
養成、 ④その他:医療チーム要員を568名、技術専門家、教師およびボランティアを合
計6,890名派遣 となっている。
このほか、緊急人道援助を東南アジアや中東、アフリカの10余りの国で実施している。
また、対外援助白書(2014年版)によれば、援助分野は主に、農業、衛生、教育等の民
生分野と、運輸、エネルギー、通信等の基礎インフラ整備が対象とされている。また、被
援助国の援助によらない発展につながる研修プロジェクトも増大傾向にあるとされてい
る。
以上、中国の「対外援助」(南南協力)はあくまでOECDのダック計画とは別物である
が、今後、中国にはOECDの活動にも然るべき協力をして欲しい。それが私の願いだ。
5、中国に期待するもの
人は皆心身ともに健全であるべきである。国民が健康な身体を維持するためには、国の経
済発展が不可欠である。そのために国際的な枠組みとして経済援助ならびに人道支援のシ
ステムが出来上がっている。しかも、個人的に救済する組織も出来上がっている。
恵まれない人に食料を与え場合によれば治療を施す、そのための世界的な組織は赤十字で
ある。赤十字という組織は、先進国の人びとの寄付によって支えられているという側面も
あるので、私たちに馴染みの深い組織である。したがって、身体の面ではほぼ完ぺきなシ
ステムが出来上がっている。
一方、心の方は、それを救済する組織がまったくないと言っていい。
健全な心を取り戻しまたは育てるには、何と言っても宗教がいちばんだ。
難民の場合は、国家権力が関係するので、その解決はたいへん難しい。世界的な枠組みは
まったくない。したがって、ここでは、難民問題は除外する。また、現在、難民が発生し
ていなくても、政府に問題があって、将来、難民が発生する恐れがあるような国も、同様
な理由から、ここでは触れないことにする。すなわち、ここで問題にしたいのは、発展途
上国の場合だけである。もちろん、発展途上国であっても、国家権力行使の違いによっ
て、国民の経済生活はまちまちである。国家権力の行使とは、国家権力によって税金を徴
収することとその使い方(国家のサービス)の意味であって、 発展途上国であっても、
国によっていろいろだから、国民の生活もまちまちなのである。しかし、心の問題は、そ
ういったこととは関係なく存在する。
難民の場合とは違って、国家権力(税の徴収とその使い方)とは関係なく、地域コミュニ
ティーや家庭の中で虐めを受けている人がおおぜいいる。そのような人を助けるにはどう
すればいいか? それが問題だ。
まず第一に、虐めを行うケシカラン人の心を変えなければならない。そのためには、地域
コミュニティー全体に「祈り」の習慣があれば、健全な心を持った人の中から誰かが心の
ひん曲がった人に諭すだろう。宗教が必要な所以だ。
次に、虐めを受けた可哀想な人の心も変えなければならない。慰めたりしてもほとんど将
来の役に立たない。虐めを受けても平気な強い心を育てなければならないのだ。精神修
養、これも宗教の大事な仕事であると思う。
日本と中国は、役割分担を決め、お互いに連携して発展途上国の発展に貢献すべきだ。日
本のODA受け入れ国に対して、中国から道士の派遣をお願いする。
日本は経済援助大国である。
中国は、日本の経済援助を受ける国でありながら、独自の「対外支援」をやっているが、
発展途上国(DAC計画に基づくODAの対象国)に対してはまったく支援を行なっていな
い。 LDCs(後発開発途上国)や小島嶼国に重点が置かれている。
しかし、中国は世界最強の宗教「道教」を持っている。発展途上国(DAC計画に基づく
ODAの対象国)に対して、「道士」の派遣という人材派遣ができる。
「道士」は、 道教の宣教師 として働くだけでなく、老子哲学を勉強し、哲学者として発
展途上国のリーダー教育にも当たることができる。老子哲学の世界化と相まって、世界は
大きく平和に向かっていくに違いない。それが私の中国に対する期待だ。
おわりに
ジグムント・バウマンの「コミュニティ・・・安全と自由の戦場」(訳者奥井智之(奥
井友之)、2008年1月、筑摩書房)という本がある。サブタイトルの「安全と自由の
戦場」という意味は、「安全と自由という二律背反的なものがせめぎあっているところ」
という意味であるが、この本はコミュニティを考えるのに必読書かと思われるので、それ
を下敷きにしながら、以下に私独自のコミュニティ論の要点を説明したい。まず上記著書
の冒頭に人びとの描いているコミュニティのイメージを次のように述べている。すなわ
ち、
『コミュニティは「暖かい」場所であり、居心地がよく、快適な場所である。それは、
ひどい雨から身を守ってくれる屋根のようなものであり、凍えるほど寒い日に手を温めて
くれる暖炉のようなものである。外では、街路では、ありとあらゆる危険が待ち構えてい
る。外出に際して、油断は禁物である。こちらから話しかける人、向こうから話しかけて
くる人に用心しなければならず、片時も警戒を怠ることはできない。しかし、内では、コ
ミュニティでは、私たちはリラックスできる。ここは安全で、暗い街角で不気味に迫って
くるさまざまな危険とは無縁である(たしかにここでは「闇の曲がり角」はほとんど見い
だせない)。コミュニティにおいて、私たちはみな互いに良く理解しているし、耳にした
ことは信用でき、たいていは安全である。当惑したり、困惑したりといったことは、ほと
んどない。私たちは、互いに決して「よそ者」ではないのである。時にはケンカをするこ
ともある。しかしそれは友好的なケンカであって、みなで、自分たちの一体性をこれまで
もより高め、楽しいものにしようとしているだけである。その一方で、協力して自分たち
の生活を改善したいという願いを共有しながらも、どうするのが一番良いかについて、意
見が一致しないこともある。しかし決して互いの不幸を願うことはなく、他のメンバーす
べてが自分の幸福を願っていてくれると信じることができるのである。
さらに言えば、コミュニティでは、互いの善意を期待できる。つまずいたり倒れたりし
ても、他のメンバーが、立ち上がるのを手助けしてくれる。からかったり、無様だとあざ
けったり、相手の不幸を喜んだりする者は、だれもいない。もし間違いをしでかしたとし
ても、必要ならば、打ち明けて、説明し、謝罪し、悔悟することもできる。人びとは共感
を持って話を聞き、許してくれる。結果として、ずっと悪意を持ちつづける者などいない
のである。そして悲しいときには、いつも誰かが手を握ってくれる。』・・・と。
そして、バウマンはその後で、『「コミュニティ」は、今日では失われた楽園の異名で
はあるが、私たちはそこに戻りたいと心から望み、そこにいたる道を熱っぽく探し求めて
いるのである。』と言っている。すなわち彼は、コミュニティとは「想像のコミュニ
ティ」であっていわばユートピアみたいなものであり、「既存のコミュニティ」はそれと
はほど遠いと言っているのだ。
そうなのである。私の問題意識はまさにそこにあって、現実には難しくとも、そういう
理想のコミュニティに向かって努力することが肝要である。私は、バウマンが楽園の異名
といったり、ユートピアみたいなものといったり、「想像のコミュニティ」といったりし
ている地域コミュニティを、マイノリティを救済するNPOが存在するという大前提で、私
たちが現実に目指すべき理想のコミュニティと呼ぶことにする。私は、バウマンが言うよ
うに、地域コミュニティからはじき出されるマイノリティが出てこざるを得ないが、マイ
ノリティが助けを求めて逃げ込む避難所がどこかにあれば、その地域社会は健全で慈悲に
満ちていると思う。私たちはそういう理想的な地域社会を「地域コミュニティ」を中心に
創り上げていかなければならない。
理想的な地域コミュニティを作るために私たちは努力をしなければならないのである。私
が考える努力の方向は、三つある。ひとつは「地域通貨」である。二つ目はマイノリティ
を支援するNPOが地域コミュニティに多数あることであり、三つ目は、「エロスの神」が
地域コミュニティ存在することである。ここでは「エロスの神」について説明する。
竹田青嗣はその著「エロスの世界像」(1997年3月、講談社)の中で次のように
言っている。すなわち、
『そもそも「対象化する」とはどういうことか。人はまずそれを「意識すること」とか
「認識すること」といった言葉でイメージする。しかし実は「対象化する」とは、根本的
には、世界に対して主体がひとつのエロス的関係として向き合うことを意味している。く
り返して述べてきたように、純粋な「意識」や純粋な「認識」というものはありえない。
「意識」や「認識」はまず「感じる」ということを基礎としており、この「感じる」とは
「エロス原理」として理解されなくてはならない。まさしくこの「エロス原理」こそ世界
が「対象化」されるための条件なのである。「身体」は文字通り、まず「感じる」原理で
ある。メルロ=ポンティによれば「身体」とは「対象を存在させる原理」だが、これはつ
まり「身体」とは「価値評価」し、区分し、分節する根本的な原理、つまり「エロス原
理」であるということを意味している。』・・・と。
「エロス原理」とは「感じる原理」であり、身体はその原理にもとづいて存在してい
る。私はその「身体はその原理にもとづいて存在している」ことを「身体の統一性」と呼
びたい。竹田青嗣は上記著書の中で、メルロ=ポンティが「身体の統一性」について触れ
ている点を紹介しているが、どうもあいまいであるので、私なりのイメージをはっきりさ
せたいと思う。
私が思うに、「身体の統一性」とは三階建ての三つの脳(恐竜型脳と原始ほ乳類型脳と
新哺乳類型脳)の総体のことである。それによって働くのが身体、すなわち「身体の原
理」、「エロスの原理」である。私たちは身体を生きているが、それはとりもなおさず
「エロスの原理」によって生きていることに他ならない。主体がすべての対象と向き合う
とき、その対象が女性であれ男性であれ、自然であれ、神であれ、すべての場合、「エロ
スの原理」が作用する。「エロスの原理」が作用する神というものも存在する。神にもい
ろいろあって、もっとも偉大な神は、「エロスの原理」をつくり出している神、すなわち
それが「エロスの神」であるが、その神すら「エロスの原理」によって運動のエネルギー
を分節している。その分節によってさまざまな神がそれぞれ役割分担をするかたちで存在
するのである。
ところで、その偉大な神とは、具体的に、どのような宗教の神であるのか?
私の考えでは、そのもっとも偉大な神とは「道教の神」である。それは、老子哲学に支え
られた「道教」は世界最強の宗教であるからだ。すなわち、もっとも偉大な神とは道教の
神々の頂点に存在する「天」、つまり「宇宙の原理」を司る神ということである。そし
て、その偉大な神から、さまざまな神が分節して、道教という世界最強の宗教が出来上
がっているのである。
したがって、世界最強の宗教・道教の世界化を図る必要がある。そのためには、いずれ将
来は老子哲学の世界化を図らなければならないが、それを前提として、とりあえず発展途
上国僻地の地域コミュニティに道教の布教活動を始めなければならない。
中国は世界最強の宗教「道教」を持っている。発展途上国(DAC計画に基づくODAの対
象国)に対して、「道士」の派遣という人材派遣ができる。
「道士」は、 道教の宣教師 として働くだけでなく、老子哲学を勉強し、哲学者として発
展途上国のリーダー教育にも当たることができる。老子哲学の世界化と相まって、世界は
大きく平和に向かっていくに違いない。それが私の中国に対する期待だ。
なお、老子の哲学については、私の次の論文がある。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/rousitetu.pdf
さらに、道教については、私の次の論文がある。老子哲学に支えられた「道教」は世界最
強の宗教である。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/doukyouni.pdf
第3章 老子の世界性
1、はじめに
シヴァ教は、世界最古の宗教である。 現在、ヒンドゥー教を構成する二大宗派であるシ
ヴァ教とヴィシュヌ教は、南インドにおいてどちらも熱心な信仰の対象となっている。し
かし、普通の人が旅行などの機会において目にとめるのは、巨大なシヴァ教寺院の場合の
方が多いであろう。シヴァ教は本質的に自然教である。 私は、それに重大な関心を持ち
ながら、「シヴァ教について」という論考を書いた。その中で、「中央アジアの遊牧民族
が信仰する自然現象に関わる神々は、シヴァ教に習合され、シヴァ教はそれによって「宇
宙の生成原理」を表象する世界最強の宗教に進化していくのである。」とコメントした。
そして、私の論文「エロスを語ろう・・・プラトンを超えて!」の第3章で、「世界最強
の神シヴァの実態」を紹介した。
私はそのように今までシヴァ教が世界最強の宗教だと思ってきたが、どうも中国が道教の
研究を国家レベルでやっているようなので、今後、道教は「中国の天命政治」と深く結び
ついて、人びとの心の奥にしみ込んでいくように思われ、将来、道教は世界最強の宗教に
なる可能性がある。
日本の文化は歴史的に道教の影響を深く受けているので、道教が世界最強の宗教になれ
ば、今後、日本の文化ももっともっと国際的なものになっていくかもしれない。日本の文
化的な動きが中国との友好親善のおかげで良い方向に向かっていってもらいたいものだ。
私は「日中友好親善の願い」を持っており、私が中国の天命政治に深い関心を持つ所以で
もある。
老子の言う「道」は、儒教の道とは違い、宇宙の実在のことである。すなわち、ひとつの
哲学であると言って良い。儒教で言う仁義礼智(じんぎれいち)は、人間社会の道徳では
あるけれど、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものではない。これに対し、老子の
「道」は、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものである。したがって、西洋哲学、
東洋哲学などすべての哲学と学問的に比較検討ができ、今後の新たな哲学を構築する要素
を持っている。老子の哲学は、西洋哲学、東洋哲学などすべての哲学と相性がいいと言っ
ても良いのである。
老子を多少勉強して、今思うことは、西洋哲学だけでなく、シヴァ教などの東洋哲学およ
び平和の民・インディアンの哲学などすべてのものも視野に入れるべきだということで、
その際、老子の哲学は特に注目されるべきではないかと思う次第である。老子は凄い!
道教の研究は、北京の「中国社会科学院世界宗教研究所」の道教研究室がもっとも盛んで
あるが、上海、四川、江西などの社会科学院でも宗教研究に力を入れ始めたらしい。各地
域の大学や研究機関、道観、道教協会などと連携をとりながら精力的に道教の研究が始
まっていると考えて良さそうだ。当然、道教に関連する「宗教哲学」の研究も力強く進む
と思われるので、宗教哲学としてはシヴァ教の哲学を習合して、「哲学道教」、つまり道
教の宗教哲学が、多分、東洋哲学を代表するものになるだろう。
私が「日本精神と中村雄二郎のリズム論」という論文を書き、今後もさらに勉強を続けて
いきたいと思っているのは、もちろん日本のためを思ってのことである。しかし、ひょっ
としたらそのことが中国における道教に関連する「宗教哲学」の研究のお役に立てるかも
しれない。
中国は、道教という世界最強の宗教を擁し、天命政治を実践する世界最強の国家である。
哲学的にも中国が西欧ならびに日本を凌駕していけば、今後、世界は、新たな文明(平和
の文明)において、中華、すなわち中国を中心に動いていくであろう。習近平を今皇帝と
仰ぐ中華人民共和国は、自信を持って進んでもらいたい。キリスト教を恐れることはない
し,民主政治に惑わされることはない。中国の歴史と伝統文化に根ざした自らの世界平和
路線を歩んでいけば良いのである。
2、淮南子(えなんじ)の思想史的意義
中国の道教は多神教であり、日本の場合と違って、実に面白い神を多い。その道教を支え
る哲学は、老荘思想ということだが、その老荘思想は「淮南子」によって完成された。日
本は、仏教が神道と習合してきた歴史があるし、道祖神その他の土着の宗教が今なお息づ
いているし、まさに多神教の国である。私たちはどんな神に「祈り」を捧げることができ
る。中国にその起源を持つ庚申信仰も今なお盛んであるし、道教の媽祖廟や関帝廟にお詣
りする人も少なくない。「にゃんにゃん」の祠もあちこちに残っている。日本はまさに多
神教の国なのである。これは世界に誇っても良いことだと思う。しかし、日本人の宗教心
を世界の人びとにご理解いただくためには、日本人の宗教心に関する哲学的な説明が必要
である。
中村雄二郎のリズム論がその端(はし)りである。これを発展さして日本版「淮南子」ま
で辿り着かなければならないが、それには歴史的時間が必要だ。したがって、ここ数百年
の間、「哲学的宗教」としては、道教しかないのではないか? 私はそのように思う次第
である。
道教はもともと自然発生的に生まれた宗教であるが、それが老荘思想と結びついて、いつ
頃から道教という宗教団体ができたのか、浅学の私には判らない。しかし、老荘思想は、
「淮南子(えなんじ)」という書物によって、漢王朝(光武帝)の儒家思想に対抗する形
で確立されるので、その宗教団体の名称はともかく、 漢王朝(光武帝) の時代には現在
と同様の「哲学的宗教」が成立していたことは間違いないと思う。
「淮南子」によって、現在道教と呼ばれる宗教の哲学、それは「老荘思想」ということだ
が、それが確立された。私が日本版「淮南子」という言葉を使ったのは、日本においても
「淮南子」のような「完成された宗教哲学の書」が必要だと考えるからである。日本版
「淮南子」とは、日本における「完成された宗教哲学の書」という意味である。私の認識
としては、中村雄二郎のリズム論がその端(はし)りであって、これを発展さして日本版
「淮南子」まで辿り着かなければならないと思う次第である。
「淮南子」によって、現在道教と呼ばれる宗教の哲学、それは「老荘思想」ということだ
が、それが確立された。そのことについては、金谷治の「淮南子の思想」(1992年2
月、講談社)にいろいろ詳しく述べられているが、ここではその骨子のみを紹介しておき
たい。
「老子」と「荘子」という書物があったことはまず確かであるが、「荘子」についてはそ
の内容がどのようであったかとくに疑わしい。そして、「老子」の思想がまずあって、そ
れを受けて発展させたのが「荘子」だという昔からの説は、今の書物についていう限りで
は正しいが、淮南王(わいなんおう)のころの「荘子」もそうであったかどうか、これは
大いに疑問である。
「荘子」の古い中心部、それは本来「老子」とは、無関係にできたもので、「老子」より
新しいものとは、必ずしもいえない。淮南王( 淮南地方の王 で淮南子の編集責任者。多
くの食客がこの王の下に集まってきて淮南子が出来上がっていった。)のみた「荘子」
は、恐らくそうしたテクストであろう。
したがって、今日の「荘子」のテクストが淮南王の食客たちの手をへて出来上がったこと
は、ほぼ確かであるが、もしそうなら、さらに、「荘子」の中の老子的な文章はあるいは
ここで成立したものではないか、という想像もなりたつ。「老子」と「荘子」とを並べあ
げて重視し、「老荘」という言葉を使うのは、「淮南子」が初めてのことで、それ以前の
文献として確実なものには両者を近親的なものとして説いた例がなく、事実、漢初の思想
界をみても、そのことがなっとくできるからである。
漢の初め、宮廷を中心とした黄老(こうろう)の学とよぶ道家思想の栄えたのは、有名な
ことである。それが黄帝と老子を結びつけたよび名で、道家という名称よりも早く山東の
斉(せい)の地方から起こったものだということは、ほぼ確かであろう。
「老子」と「荘子」とは本来無関係にできあがり、それを信奉する人びとも別派をなして
いたらしいのを、恐らく初めて、その類似性に注目してそれを問題として取り上げたの
が、淮南の道家学者たちではなかったか。「老子」によって「荘子」を解釈し、また「荘
子」によって「老子」をひろめることがここで行なわれ、それにつれて今日の「荘子」の
内容となったものも多く作られた可能性がある。「淮南子」にみえるきわめて多くの老子
的あるいは荘子的な語句、そしてなによりも老荘的な統一の場は、こうした思想史的意義
を持つものである。
老荘的な統一の場、それが「淮南子」であった。それでは、日本版「淮南子」と私が呼ぶ
宗教哲学統一の場では、どのような思想が統一されるべきか、そのことに関連して、 金谷
治の「淮南子の思想」(1992年2月、講談社)の中の記述を、この際ここに紹介して
おきたい。
金谷治は、「淮南子の思想」の中で次のように述べている。すなわち、
『 道を完全に体得したもの、それこそが理想の人格、真人であった。』
『 道のことだけをいうのでは世俗とともに生活できない。しかしまた、現実のことばか
りをいうのでは、自然の変化に合一して遊び憩うことができない。つまり、形而上的な深
遠な道を説くのは、わずらわしい雑多な変化の多い現実にとらわれないで、超越的な心境
に遊べるようにという。そのための配慮からだ、というのが淮南子要略篇(老荘統一の
場)のことばである。
そもそも「老子」や「荘子」で道の問題が考えられたのも、おそらくは、現実的な関心
から出発したことである。現実の世界にはさまざまな対立的差別があり、また甚だしい無
常な変化がある。貧富の差、身分の高下はもとより、今日の勝者は明日の敗者で悲しみ喜
びの定まるところもない。
『 人間的な道義を守ってできるだけ努力して行くというのが、儒教の立場であった。し
かし、道家の人びとは、そうした人間的な努力の空しさをあまりにも深く知り過ぎた。で
はこの住みにくい世を生きて行くためには、どうすれば良いか。単純な刹那的な快楽主義
にならないためには、そうした現実の差別や変化のさまざまな姿を一貫して変わることの
ないもの、それを追求してそこに安住することが必要である。差別や変化を生み出すも
の、あるいは成り立たせるものとしての道は、こうして得られた。それが、宗教的な神を
求める方向に向かわなかったところに、われわれは著しい中国的な特色を認めなければな
らない。』
『 道の立場に立つことこそ、すべての思想的立場を包括することである。』・・・と。
宗教と哲学の問題は大変難しい。私は宗教哲学という言葉を使っているが、宗教哲学には
二つの側面がある。ひとつは、淮南子がそうであるように、先に哲学があって、のちほど
その哲学を教義とする宗教が誕生する場合、もう一つは、ヘーゲルのキリスト教哲学がそ
うであるように、宗教が先にあって、のちほどその宗教を哲学的に位置づける場合であ
る。そのどちらの立場が良いか私には判らないが、今ここでは、ヘーゲル哲学に倣って法
華経哲学を模索しているがお手上げ状態であることを告白しておこう。これからは、法華
経哲学の模索を諦めて、これからは特定の宗教とは無関係に、日本の宗教観のバックボー
ンになるような哲学に向けて、模索を始めたいと思う。日本版「淮南子」に向けての模索
ということだ。プラトンの「コーラ」や円仁の「摩多羅神」と中村雄二郎のリズム論との
関係が今私の念頭にある。その橋渡しをする基本的な哲学として、西田幾多郎の「無の哲
学」を思い浮かべている。ひょっとしたら、 西田幾多郎の「無の哲学」は老荘思想と繋
がるかもしれないと感じつつ・・・・。
3、老子哲学の哲学としての一大特徴
以上、淮南子の思想的特徴を述べたが、それは「老荘思想」の確立にあった。「淮南子」
によって、現在道教と呼ばれる宗教の哲学、それは「老荘思想」ということだが、それが
確立された。「老子」と「荘子」とを並べあげて重視し、「老荘」という言葉を使うの
は、「淮南子」が初めてのことである。道教が誕生するのは、淮南子のずっとあとのこと
であるが、ともかく淮南子の「老荘思想」が道教を支える思想となっていった。
道教はもともと自然発生的に生まれた宗教であるが、それが老荘思想と結びついて、いつ
頃から道教という宗教団体ができたのか、浅学の私には判らない。しかし、「老荘思想」
は、「淮南子(えなんじ)」という書物によって、漢王朝(光武帝)の儒家思想に対抗す
る形で確立されるので、その宗教団体の名称はともかく、 漢王朝(光武帝) の時代には
現在と同様の「哲学的宗教」が成立していたことは間違いない。その後、「太平道」や
「五斗米道」その他の宗教団体が出てくるが、それらの教祖はもちろん老子ではない。ど
うも老子が道教の教祖と言われ出したのは唐の時代かららしい。唐王朝の王室には、老子
(李氏)の子孫と自認する人が多く、道教は特別の保護を加えられ優遇されたことに起因
するらしいのである。したがって、少なくとも現在は、一般に老子が道教の教祖と言われ
ている。老子という人物が果たして実在の人物であったかどうか、疑問視されている向き
もないではないが、私は、多くの中国人の認識に従って、老子と実在の人物とし、道教の
教祖を老子とすることとしている。歴史的事実と違うが、いろんな説明上その方が便利な
のでそうしたい。あらかじめご承知おき願いたい。
中国には功過思想と呼ばれる考え方がある。それは大まかに言えば、天は人間の「行為」
を逐一監視していて、善い行いには賞を、悪い行いには罰をその「報 い」として与えると
いうものである。このような思想は古くから存在し、晋代に記された「抱朴子(ほうぼく
し)」という書物においてその基礎を完成させて以来、道教の倫理部門の中心となって、
長い間中国人の心理面に大きく影響を与えてきた。「抱朴子」という書物を著したのは、
東晋の葛洪(かつこう、283∼363)という人物である。彼は若いころから神仙思想
にも興味をもちはじめ、鄭隠に師事した。鄭隠の師である葛玄と葛洪の祖父は、いとこ同
士である。よって、洪が若くして神仙思想に興味をもったのも、その家庭環境の影響であ
ると考えられている。
書経や墨子にみられる功過思想は、主として「周王朝」や「墨子」などが行為者である民
衆を統制する目的で説いたものであり、民衆にとって「行為」の実践には義務的な意識が
常にあったということができるだろう。しかし個人主義の萌芽によって、民衆も自身の
「行為」に対して、はっきり とした目的を持つようになる。それがあらわれ始めるの
が、初期道教教団にみられる功過思想である。これらの教団が功過思想を説いたのには信
者を統制する目的があったのも事実であり、信者たちは罪の意識のため「行為」に対して
義務的な意識を持っていたであろうが、それと同時に彼らは長生という、 非常に個人的
な目的のために善い「行為」をしていた。そして「抱朴子」になると、その傾向はますま
す強まる。ここでの功過思想は道士の立場から説いたもの であり、彼らは延年或いは不
老不死という、専ら自分自身の利益追求のために善い「行為」を行った。後世の驚くべき
影響力を持った民衆的な道教思想はこのようにして生み出された。 よって無意識的にでは
あったにせよ、「抱朴子(ほうぼくし)」において功過思想を大きく変えることになった
葛洪(かっこう)の業績は、道教史上やはり非常に大きいと思う。
以上に述べたように、淮南子の「老荘思想」が道教を支える思想となってし、「抱朴子」
の功過思想も道教を支える思想となっている。そして、道教の教祖は老子ということに
なっている。この点がややこしいのであるが、「老子」という書物もあるので、私が「老
子哲学」というとき、淮南子の老荘思想、「抱朴子」の功過思想、「老子」という書物を
含んでおり、それらの包含する哲学のことである。このこともあらかじめご承知おき願い
たい。
老子哲学には、古今東西どのような哲学にもない一大特徴がある。医は仁術というが、そ
ういう医に関する哲学を含んでいる。私は、淮南子の詳しい説明の中で、次のように述べ
た。すなわち、
『 今回の勉強の最後に、「老子」の第五十五章を取り上げておきたい。「老子」( 蜂
屋邦夫注訳、2008年12月、岩波書店)によると、「老子」の第五十五章は次のよう
なものである。すなわち、
『 豊かに徳をそなえている人は、赤ん坊にたとえられる。赤ん坊は、蜂やさそり、まむ
し、蛇も刺したり咬んだりはせず、猛獣も襲いかからず、猛禽もつかみかからない。骨は
弱く筋は柔らかいのに、しっかりと拳(こぶし)を握っている。男女の交わりを知らない
のに、性器が立っているのは、精気が充実しているからである。一日中泣き叫んでも声が
がかれないのは、和気が充足しているからである。』・・・と。
つねに和の状態にあること、これが「道」にかなっている。宇宙の原理によってすべてが
動いている。だから、すべてのもののあり方は、「つねに和の状態」にあることであり、
その恒常性が大事なのである。人間は、本来は赤ん坊のごとく純粋無垢であるが、生まれ
たときから少しでも生活をよくしようという欲が出てくる。その体験によって、人間は本
来の姿から次第次第にかけ離れていく。そして河合隼雄のいうアイデンティティーが形成
されていく。自分の心もそうだし、自然に働きかける事によって、自然も変化していく。
私たちの心も自然も「つねに和の状態」にあるべきという恒常性の大事な事を老子は言っ
ているのである。それが「老子」第五十五章である。恒常性の哲学といっていいかもしれ
ない。
この恒常性の哲学は、私たち人間のあり方としての「無の哲学」になるし、自然との関係
でいえば「自然保護の哲学」になる。私は今「老子」第五十五章を何度も読み返しつつそ
う感じている。』・・・と。
また、私は、「中国伝来文化・三尸の思想」の詳しい説明をした中で、次のように述べ
た。すなわち、
『 槙佐知子が言うように(「今昔物語と医術と呪術」)、「不老不死を求める人は、庚
申信仰によってまず三尸を除き、こだわりを捨て、欲心を抱かず、精神を安らかにし、明
るい人柄となり、人々の喜ぶ行いをたくさん行うこと。その上で薬を服用すれば効果が現
れて仙人となる。」のである。その三尸の思想は、道教の教えつまり老子の教えであっ
て、宇宙の原理に基づいた・・・「長生きの方法」である。』・・・と。
そもそも人間とは何か?猿と根本的に違うのは何か?
高度な思考能力と高度な感性を持っているということだろう。それが故に科学技術を発達
させてきたし、神に祈りを捧げてきた。
したがって、これからの哲学、梅原猛のいう人類哲学ということであるが、それは、科学
技術のあり方及び宗教のあり方を指し示すものでなければならない。
人類哲学は宇宙の原理に基づいたものでなければならない。歴史的に存在した哲学の中で
真正面から宇宙の原理を説いたのは老子哲学だけである。そして、老子哲学には文化的側
面がある。 老子哲学には、古今東西どのような哲学にもない一大特徴がある。それが老
子哲学の文化的側面である。
医心方には淮南子からの引用がある。ということは、医心方には医術に関する記事がある
ということだ。人は心身が健全でなければならない。老子にはそのための方法がいくつか
書かれているが、淮南子にはもっと多くの記述があるということは、医心方を通じて老子
哲学の文化的側面の何たるかを知ることができる。古今東西、世界の哲学の中でそのよう
な哲学はない。
心の持ち用が身体の健康に大いに関係する。しかし、心の問題は、科学で全てが解るとい
うようなものではなく、哲学によって解ける部分も少なくない。
例えば、老子には、三尸の思想というのがあるが、これなどはその典型である。また、老
子は、人間誰も、赤子のように無為自然の状態にあれば、身体に気がみなぎって、元気で
いられるという。これも典型的な話であろう。
古代日本人は道教の医療倫理をそのまま移入し、日本的な考えに昇華してきた。 そうし
た中国の先進的な医療観が日本の代表的な医書 に多数引用されている。その代表的な古
代の医書が「医心方」である。
道教とは、中国の原始的な民間信仰から派生した「不老不死」や「不死長生」を目的とす
る「神仙思想」 で、複雑で雑然としている漢民族固有の宗教である。 そこには、誰でも
が願う現世の幸福観である「健康で長 寿の生き方」が求められている。従って、道教では
人間は心的な平安や不動の態度を求める「寡欲」、「安 寧」、「抑制」などが問われて
いる。それは医療倫理に も深く係る行為でもある。当時の中国人の医療倫理観 は、こう
した道教思想に基づいた考え方が基本にあるという。
道教では、「養生」の道は心身の調和に関係し、不老長生を目的としたので、心身の調和
融合を重視した。道教の養生思想は、老子哲学に繋がるものである。哲学であるが故に科
学では説明できない部分もあるが、宇宙の原理を思考しているので理にはかなっていると
ころが多い。淮南子の「良医は病無き之病を治す」は、「養生とは、まだ病とは言えない
内に病を治めるのが目的であり、精神を養うのが最上であり、身体を養うのはその次であ
る。」という意味であるが、道教の考え方である。そのとおりであろう。
「医心方」は、 孫思邈(そんしばく)の『千金方』、陳延之の『小品方』、
洪の「抱
朴子」などの道教に関係のある医書からも多数引用されている。 貝原益軒が著した有名な
「養生訓」は、『頤生輯要』が基になっているが、『頤生 輯要』に養生や長寿に関する
記事が多いところを見ると、道教に関係する医書からの引用が多いということであろう。
「医心方」も「養生訓」もその背景に「老子哲学」があると言って決して過言ではないだ
ろう。再度申し上げるが、 古今東西、世界の哲学の中で、養生や長寿に関する思想を持
つ哲学はない。
4、老子とプラトンとの繋がり
はじめに
そもそも人間とは何か? 猿と根本的に違うのは何か?
高度な思考能力と高度な感性を持っているということだろう。それが故に科学技術を発達
させてきたし、神に祈りを捧げてきた。
したがって、これからの哲学、それは梅原猛のいう人類哲学ということであるが、それ
は、科学技術のあり方及び宗教のあり方を指し示すものでなければならない。そして、そ
れらは人類哲学は宇宙の原理に基づいたものでなければならない。歴史的に存在した哲学
の中で真正面から宇宙の原理を説いたのは老子哲学だけである。したがって、老子哲学が
西洋にも通用するように、老子哲学を発展させなければならない。
老子哲学を発展させる、そのために、まずは、老子とブラトンとを繋げることである。西
欧の哲学は、すべてプラトンの哲学の脚注にしかすぎないと言われるほど、プラトンの哲
学は奥が深い。老子の哲学とプラトンの哲学にどこか共通点があるのかどうか? そこを
探ってみたいと思う。両者の習合を図るなどということは、私など学者でない者の手を付
けることではないけれど、もし老子の哲学とプラトンの哲学にどこか共通点があるが判れ
ば、老子哲学を発展させる可能性が出てくる。それが私の老子哲学に対する希望だ。
私は以下において、老子と宮沢賢治、宮沢賢治とニーチェ、ニーチェとプラトンの繋がり
を書き、そして最後の老子とプラトンとの繋がりについて書く。それらの繋がりを解く
は「宇宙のリズム」である。それを理解するためにはまず「天体のリズム」というものを
理解する必要があるが、それについては、私はすでに「日本精神と中村雄二郎」という論
文を書いていて、その中で次のように述べた。すなわち、
『 ドイツの有名はギタリストで指揮者でもあり作曲家でもあるベーレントという人がい
た。1990年9月に亡くなったので、はや20年が経った。ベーレントは昭和天皇の前
で演奏をしたこともある非常に立派な音楽家である。そのベーレントが「天空の音楽」と
いうことを言い、「世界は音」という名著を書いた(日本版1986年1月,大島かおり
訳、人文書院)。そのベーレントが、「天空の音楽」として、太陽系惑星から地球に降り
注ぐさまざまなリズム(波動)を音に変換して、そのカセットを上記「世界の音」(日本
版)の出版に併せて別途販売することにした。「リズム論」で独特の哲学を編み出した
中村雄二郎は、上記のベーレントが出している惑星の奏でる音楽を聞いた後で、室岡一
(日本医大教授、故人)氏が録音された胎児の聞く母親の胎内音を聞き、その両者が非常
によく似ている・・・と言うことを発見されたのである。』
『 私は、仲間と相談し,中国地方地域づくり交流会という組織を作り、いろんなこ
とをやったが、やはり根本的に地域づくりの哲学が必要ではないか、国づくりの哲
学が必要ではないか・・・ということで、修道大学の香川学長などとも相談し、
「哲学の道研究会」というものを作った。第一回は梅原猛さんをお呼びし、それか
ら三回目だったと思うが、当時の時めく哲学者、中村雄二郎さんをお呼びした。
「先生、21世紀はどんな時代になるんですか?」と、聞いたら、先生は「リズム
の時代になる」とおっしゃったが、講演会の最後に突然会場一杯に音を鳴らされ
た。それがベーレントの「天空の音楽」だったのである。私は確かにそれを聞い
た。胎児は母親の腹の中でへその緒と繋がっている。腹の中で胎児が聞く音、それ
が「天空の音楽」である。』・・・と。
その「天空の音楽」を少し概念を広げて、私は「天空のリズム」と呼んでいるのである。
天空に満ちているリズムのことである。実は、「細胞のリズム」というものもあるので
あって、「天空のリズム」と「細胞のリズム」の統一概念として、私は「宇宙のリズム」
という言葉を使っているのである。そのことについては、「宇宙のリズムについて」とい
う私の論考がある。その中で私は次のように説明している。すなわち、
『 「100匹目の猿」現象のような現象は科学的現象であるにも関わらず、未だ科学的
な説明が定着していない。そこで、私は「100匹目の猿」現象のような現象の科学的説
明を試みた。その詳細は、わたくしの電子書籍『「100匹目の猿」が100匹』をご覧
いただくとして、結論的には、「宇宙のリズム」の存在を考えないと説明がつかないとい
うことである。」
『 この宇宙に存在するすべてのものは波動である。この宇宙は波動に満ちている。この
宇宙は「波動の海」である。』
『 この宇宙に存在するすべてのものは波動である。この宇宙は波動に満ちている。この
宇宙は「波動の海」である。』
『 「宇宙のリズム」とは「天体のリズム」と「細胞のリズム」を合わせた統一概念 で
あるが、「天体のリズム」については、先ほど「 2、 チベットのラマ・リンポ
チェ・・・その認識と実際 」のところで詳しく説明した。ここでは、「細胞のリズム」
について説明することとしたい。』
『 脳ばかりでなく身体自体もそもそも波動(細胞のリズム)の固まりであるが、特に脳
には外からの刺激に よる波動も加わって、特別の働きをしているのである。宇宙にはいろ
んな波動があり、私たちの脳もその作用を受けている。だとすれば、脳の中では、内から
の波動 (細胞のリズム)と外からの波動(天空のリズム)が共振を起こすだろうという
ことは容易に想像できることだが、脳と直結している身体の特殊な部分(例えば母親の腹
の中の胎児)においても波動の共振が起りう ると私は考えている。もちろん、それが科学
的事実かどうかは,まだ分からない。しか し、それに関連してシェルドレイクの「形態形
成場」の仮説というものがある。それは誠に画期的な科学的仮説である。』
『 「細胞のリズム」というのは、夜空に輝く満天の星と同じような「脳の中に輝く満点
の星」なのである。』
『 場の量子論というのは、宇宙全体に適用される一般的かつ普遍的な理論体系だが、脳
の中のミクロの世界にも適用できる統一的な物理法則であり、脳に関する物理的な学問は
量子脳力学と呼ばれている。今まで縷々説明してきた私の説明では、私の説明不足もあっ
て、すんなり理解できなったかと思う。しかし、ともかく量子脳力学という学問があり、
量子脳力学では、生命というもの、記憶や意識というもの、そして心の実態というもの
が、物理的に理解されるようになってきているということだけはご理解いただけたのでは
ないかと思う。私のつたない説明をきっかけとして「脳と心の量子論」や「1リトルの宇
宙論」を読んでいただければ、私としては大変ありがたいと思う。』・・・と。
以上が「宇宙のリズム」についての私の説明であり、以下において、それをキーワードと
いうか鍵にして、老子とプラトンの繋がりを説明する。
(1)老子と宮沢賢治
私には、「中国との友好親善のために」という題の論文があるが、その中で、『 シヴァ
教は、自然を生きることを人生の目標としている。自然を生きるとは、ただ単に自然の中
に生きるのではなく、自分自身も自然の一部であることを自覚して、自然の原理、老子の
言い方で言えば、道、つまり宇宙の実在というか天の指し示すところに従い生きる、そう
いう生き方をいう。すなわち、シヴァ教の目標とする生き方は、正に老子の理想とする生
き方と同じである。したがって、私は、老子の哲学の源流にシヴァ教があると思う。』
・・・と述べたが、もし老子の哲学の源流にシヴァ教があるとすれば、老子は神との交歓
を重要視していたと考え得る。神との交歓、それはのちほど説明する「宇宙のリズム」の
力によるものなので、老子は、「宇宙のリズム」を感じながら宇宙の実在、万物生成の原
理を思考したのではないかと思われる。
老子の言う「道」は、儒教の道とは違い、宇宙の実在のことである。すなわち、ひとつの
哲学であると言って良い。儒教で言う仁義礼智(じんぎれいち)は、人間社会の道徳では
あるけれど、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものではない。これに対し、老子の
「道」は、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものである。
老子は「無為自然」(天地自然の働きに身を任せて生きていくその有り様)を説いた霊性
豊かな「自然の人」である。日本の思想家では宮沢賢治が霊性豊かな「自然の人」であっ
て、宮沢賢治は宇宙との一体感を直観することができた。その点で、宮沢賢治は老子と相
通ずるところがあると思う。老子とプラトンを繋げるには、宮沢賢治とニーチェを知るこ
とが不可欠のようだ。
では、まず宮沢賢治の話から始めよう。
「野生の思考」という概念がある。「野生の思考」については、私の論文『日本的精神と
中村雄二郎の「リズム論」』の 第2章第3節『「リズム論に基づく生活」について 』の
「2」において詳しく説明したが、その骨子は、
『 私は「新たな勉強」という論考の『 1、淮南子(えなんじ)の思想について』で、
「 金谷治の書いた「淮南子(えなんじ)の思想・・・老荘的世界」(1992年2月、
講談社)を読んで私がいちばん強く思うのは、老荘思想のような物凄い思想が何故あのよ
うな「辺境の地」に誕生したかということである。その理由は、「グノーシス」の力によ
る。』
『 「辺境の地」において「文明」と「野蛮」の統合が起こるが、その統合された思考が
「野生の思考」である。』
『 「野生の思考」とは「宮沢賢治の思考のようなもの」と理解する事にする。』
『 中沢新一はその著書「ミクロコスモス1」(2007年4月、四季社)において、
「宮沢賢治は理想の農場をつくり、そこを人間と動物、人間と自然のあいだに生み出され
るべき通底路をつくりたかったのだと思います。」と言っているが、そのような農場と
は、「宇宙との一体感を直感する」、そのことが可能な「場」としての農場だと私は思
う。宇宙との一体感とは、動物や自然との一体感のことである。』
『 論文「日本的精神と中村雄二郎のリズム論」の第2章第3節の「4」に、「野生の思
考」と関係のある思想や哲学をピックアップしておいたので、「野生の思考」について
は、それらも参考にしていただければありがたい。』・・・ということである。
さらに、「グノーシスについて」という私の論考では、その要点を次のように述べてい
る。すなわち、
『 「グノーシス」とは、歴史的に、「キリスト教から独立した別個の宗教・哲学体系の
「認識」を代表するもの」と言われているが、私は、中沢新一と同じように、より広い概
念でとらえたい。』
『 その典型的な事例は、伊勢神道に見られるようだ。』
『 辺境の地とは、中央の文化の及ばない遠隔の地をいうのではない。中央の文化の影響
を受けながらも、古来からのその地域独特の文化を有している地域のことである。日本の
中でいえば、その典型的な地域が東北である。東北の文化、それは、中沢新一いうところ
の「野生の文化」であるが、宮沢賢治などの感性豊かな人には「野生の感性」が息づいて
いるようだ。金谷治も東北の人で、そういう「野生の感性」があるのだろう、哲学者とし
て「辺境の地の持つ力」というものが自ずと判っていたようだ。』
『 金谷治の書いた「淮南子(えなんじ)の思想・・・老荘的世界」(1992年2月、
講談社)を読んで私がいちばん強く思うのは、老荘思想のような物凄い思想が何故あのよ
うな「辺境の地」に誕生したかということである。それは、私の思うに、グノーシスの力
による。金谷治は、そのことを知っていて、「淮南子(えなんじ)の思想・・・老荘的世
界」(1992年2月、講談社)では、その点に力点を置いて解説しているように思えて
ならない。』・・・と。
上で説明したように、「宇宙との一体感」とは「自然と一体感」のことであるが、そうい
う感性を持った日本の代表が宮沢賢治であるが、「無為自然」を説く老子もまさに「宇宙
との一体感」を感じることのできる「野生の思考」の人であったと思う。
では次に、宮沢賢治は「宇宙のリズム」を感じることができ、その点でニーチェと共通点
があることを説明する。老子とプラトンを繋げるには、宮沢賢治とニーチェを知ることが
不可欠のようだ。
(2)宮沢賢治とニーチェ
「哲学的宗教」である道教は世界最強の宗教である。私は、道教ならびに老子にエールを
送りながら、中村雄二郎のリズム論を発展させたいと思っており、新たな勉強を始めてい
る。その勉強のひとつとして、「宮沢賢治について」という論文を書いた。
宮沢賢治とニーチェは宇宙のリズムのリズムを感じることのできた人である。 そのこと
について、順次説明していこう。
中路正恒の著書「ニーチェから宮沢賢治」(1997年4月、創言社)の「永遠回帰の思
想」の「第三の考察:結論」では、「肯定はどのように学ばれるか」というテーマのも
と、「宇宙のリズム」に関して次のように述べられている。すなわち、
『 人は時として、循環する宇宙の生命そのもの、つまり「宇宙のリズム」を、聴きとる
ことができる。』
『 宇宙の生命、そして「宇宙のリズム」。微小においては、それは原子のリズムであ
り、クォークのリズムである。そして細胞のリズムや天体のリズ ム、等々・・・カールハ
インツ・シュトックハウゼンがそれを聴きとり、名付け、そしてその音楽が表現している
ような、さまざまな次元の、さまざまな リズムである。そしてそのリズムのすべてにおい
て、鋭角的な〈ひらめき〉が、音の生命でもあり宇宙の生命でもあるものとして、瞬間的
に輝き、またひしめく のである。』
『 そして、このように「宇宙のリズム」に参与し、そこにみずからを組み込むことは、
循環する宇宙とのあいだに、祝福を交わしあうことであり、循環を肯定することなのであ
る。このように、肯定にかかわる一切は、本質的に音楽的な出来事であり、また音楽の本
質は、本来このように肯定を表すことである のである。』・・・と。
この「宇宙のリズム」というのは、中路正恒の名付けた言葉であるが、ニーチェのいう
「啓示というリズム」のことである。 ニーチェは哲学者として責任感旺盛できわめて慎重
な性格だったということである。まじめすぎるほどまじめだったのである。そのまじめな
彼が、その自信を持って本音を書いたのが、晩年最後の著書「この人を見よ」である。し
たがって、ニーチェの哲学の心髄を理解するためには、 晩年最後の著書「この人を見よ」
がきわめて重要である。私はその内容を電子書籍「さまよえるニーチェの亡霊」で書いた
のだが、実は、最重要な部分「啓示というリズム」、これは中路正恒のいう「宇宙のリズ
ム」ということだが、その部分をうかつにも見落としていた。それをこの際、補充してお
きたい。
『 ニーチェは『この人を見よ』の中で、自分のインスピレーションの経験を記してい
る。』
『 インスピレーションとは(昔の人のいう)啓示(Offenbarung)である。』
『 啓示という事態は、リズム的な諸関係を(リズム的に)把握する直観(本能)
(Instinkt)である。』
以上述べたように、ニーチェには啓示の体験があった。しかし、ニーチェとしては、「神
の啓示」とは言えないので、何とか啓示の説明を科学的しようと当時の科学的知見をフル
稼働して宇宙の波動というものを考え出した。そして、その「宇宙の波動」の働きによっ
て、苦に満ちた現実の世俗の世界を肯定することができるとした。神に助けを求める必要
はない、キリスト教に助けを求める必要はない、あの世に行って安らぎを得るなどと妄想
する必要はない。現実の世俗の世界をイキイキと生きる道を歩いて行くべきだ。それが
ニーチェの基本的な思想である。そのことをニーチェをして悟らしめたのが、「啓示と言
うリズム」なのである。つまり、それが中路正恒のいう「宇宙のリズム」なのである。
ニーチェは「宇宙のリズム」を感じることができた。
中路正恒は、宮沢賢治はその「宇宙のリズム」を感じることのでき希有な人であるとい
う。次にその点につき中路正恒の結論部分のみここに紹介しておきたい。中路正恒の詳し
い説明については、彼の著書「ニーチェから宮沢賢治」(1997年4月、創言社)をご
覧いただきたい。現在、その内容をネットでも読むことができる。
中路正恒は、その著書「ニーチェから宮沢賢治」(1997年4月、創言社)で次のよう
に述べている。すなわち、
『 詩「原体剣舞 連」において最後に語られている願望は「雹雲と風とをまつれ」、であ
る。 それは先に引用した「鬼神をまねき」につづいて、次のような3行として語 られ
る。樹液(じゆえき)もふるふこの夜(よ)さひとよ 赤ひたたれを地にひるがへし 雹雲(ひようう
ん)と風とをまつれ 』
『 「打つも果てるもひとつのいのち」という思想は、単に前景であって、 本当の思想
は、或るひとつの〈宇宙のリズム〉を把握することの内にあるので ある。そして、この
捉えられた或るひとつの〈宇宙のリズム〉の中で、本質的 に多数であるいのちたちが、
同じ時の流れを経験するのである。それが喜びで あり、歓喜であり、そして救済であ
る、と賢治はわたしたちに語っているのである。』
『 承認と肯定において、宮沢賢治の思想は 、ニーチェの思想と非常によく似た場所に
あるのである。ニーチェもまた、生の本質的な多数性の、この承認と肯定によって、意志
は根源において一つであ る、というまやかし的な思想を語る哲学者と対決したのであ
る。』
『 その最も厳密な思索において、賢治は、その〈場〉を、天と地を結ぶリズムが生成す
るところに 認めていた。 原体剣舞連は、宮沢賢治によって、相互的交 流の〈場〉を形成
する〈宇宙のリズム〉の生成装置として、把握され、そして 詩として定着されたのであ
る。』
以上述べてきたように、「宇宙のリズム」というのは、ニーチェのいう「啓示というリズ
ム」であり、中路正恒の考えでは、 それは原子のリズムであり、クォークのリズムであ
る。そして細胞のリズムや天体のリズ ムなのである。
以上で、老子とニーチェが繋がったと思う。あとはニーチェとプラトンが繋がれば、老子
とプラトンが繋がるであろう。ということで、次にニーチェとプラトンの話を始めよう。
(3)ニーチェとブラトン ホワイトヘッドは「西洋哲学の伝統は、「プラトン」の哲学に対する一連の脚注からなっ
ている」と言ったが、まさにプラトン哲学は、西洋哲学の象徴である。ニーチェは、根本
的なところでプラトンに批判的で「神は死んだ」と言ったが、プラトンの全貌を完全に理
解できたのはニーチェである。根本的なところでニーチェとプラトンはその哲学を異にす
るけれど、共通点もある。ここではそれを説明したい。私は、「さまよえるニーチェの亡
霊」という電子書籍があるので、まずはそのなから、ニーチェとプラトンの共通点を探る
ために必要な記事をピックアップしておこう。その電子書籍では次のように述べている。
すなわち、
『 プラトンは、エロスの神について形而上学的思考を重ねた哲学者で有名であるが、彼
は、知識の源としての「バクティ」と官能的な「マニア」とを区別した。「バクティ」と
は、サンスクリット語で、「献身」「信愛」「信仰」「神への愛」「帰依」を意味する言
葉であり、「マニア」とは、マニアの語源はギリシャ語で「狂気」のことである。』
『 プラトンは、 官能的な「マニア」を、酩酊と陶酔のダンスを伴う「マニア」
と性愛に結びつくエロチックな「マニア」に分けて考えた。前者の 酩酊と陶酔のダンス
を伴う「マニア」は、ディオニュソスとより直接的なつながりを持つと見なした。 性愛に
結びつくエロチックな「マニア」は、プラトンの活躍するころのギリシャでは、その元型
をとどめていなかったのではないかと思われる。私の考えでは、シヴァ教に見られるよう
な 性愛に結びつくエロチックな「マニア」 は、ギリシャではアポロンの影響をうけて野
性味が削がれて、かなり理性的なものになっていたようだ。それが「エロスの神」であろ
う。「エロスの神」は、性愛の神でもあるが「愛」の神でもある。』
『 シヴァとディオニュソスは同じであるとして説明してきたが、厳密にいう
と、少し異なる部分がある。 酩酊と陶酔のダンスを伴う「マニア」に関してはまったく
同じ。しかし、 性愛に結びつくエロチックな「マニア」については、シヴァは元型その
まま、ディオニュソスはアポロンの影響を受けてかなりマイルドになっている。』
『 ニーチェの哲学は「命の哲学」だ。彼の多くの著作の裏に隠されているのは、人生を
生
きる上での最高の価値であって、それは「子どもは社会の宝」であるというこことだ。ま
だ早すぎるかもしれないが、この本「さまよえるニーチェの亡霊」を最後まで根気よく読
んでいただくために、ここらで結論を言っておきたい。
今申し上げたように、ニーチェの多くの著作の裏に隠されているのは、人生を生きる上
での最高の価値であって、それは「子どもは社会の宝」である。人は何のために生きてい
るのか? 私たちは「生きていくために生きている」のである。では、その生き方はどう
でなければならないのか? 「子どものために生きる」のである。子どもは自分の子ども
でなくてもよい。昔、乳母というものがあったし、自分のおばあちゃんに子どもの面倒を
見てもらうということも少なくなかった。母親というのは、昔から結構自分の仕事に忙し
く、子育てはおばあちゃんに任せていた。高貴な人は乳母にお願いしていたかもしれない
が、子育てはおばあちゃんの役割というのが少なくなかったのである。おばあちゃんが人
生の中で身に付けた感性とか人生訓とかいろいろなノウハウを孫に伝達してきたのであ
る。そのお蔭で人類はここまで発展してきたという「人類発展おばあちゃん説」という学
説があるが、今までおばあちゃんの存在はきわめて大きかったのである。
現在は、核家族であるので、それを望むべきもないが、もし田舎でも移住が可能であれ
ば、家族農業をやりながら、昔の大家族の生活をするのも非常に価値がある。しかし、そ
れが難しい場合も多かろうと思われるので、私は、都市を生きる人たちに「文化を生き
る」生き方も立派な生き方であると申し上げているのだ。子育てに生きるか文化に生きる
か二者択一であるが、いずれの場合であっても、エロスの神に「祈り」を捧げ、人生をイ
キイキと生きていってもらいたい。エロスの神に「祈り」を捧げるということは、まずは
自分自身が自分の階段を一歩一歩高みに向かって登っていけるように祈ることに他ならな
いが、それも結局は子どものためである。ニーチェは人類のためとか種の保存のためとい
う趣旨のことを時々言っているけれど、それは子どもが私たち人類の「命」を繋いでいる
ということなのである。まさに、子どもは人類の宝である。子どもの健やかに育つことを
祈らずにはおられない。』
『 ニーチェは、「生の哲学」を考えており、人間の生の何たるかについて形而上学的思
考を重ねた結果、アポロン的価値とディオニュソス的価値の統合を重視する。どちらに遍
してもいけないのだ。合理と非合理の二元論的認識を排して、その統一を図らなければな
らない。矛盾を乗り越えなければならないのである。ニーチェはディオニュソスの狂乱的
祭りを重視している。キリスト教はこれを排斥するので、そんな神は殺してしまえと言っ
ているのだ。』
『 アポロン的な神も含めて、さまざまな神を祀ること、それがニーチェの悲願だったと
思う。これをかなえることによって、ニーチェの魂は天国に旅立つことができる。ニー
チェの魂は浮かばれるのだ!』・・・と。
アポロン的な力とディオニュソス的な力の統一がパラドックス論理によってなされなけれ
ばならない。ニーチェはキリスト教的価値を否定したが、現実はキリスト教価値が蔓延し
ている。ニーチェは合理の人であるので、前者は合理。現実は「ましな人間」がキリスト
教的価値にしたがって生きている。したがって、後者は非合理である。そのような合理と
非合理については、パラドックス論理によって統一されなければならないが、それはハイ
デッガーやホワイトヘッドまで待たなければならない。
アポロン的なものとディオニソス的なもの、すなわち理性と本能、秩序と無秩序の統一を
ハイデッガーやホワイトヘッドが成し遂げた訳ではない。人間が人間らしく生きるために
は、本能を否定してはならず、それも大事にしなければならない。ニーチェはそのことを
十分意識していたが、ハイデッガーやホワイトヘッドはそのことを十分意識していなかっ
たようである。ハイデッガーやホワイトヘッドはニーチェが死んだと言ったキリストの神
を復活させることに専ら意を注いだのであろう。プラトンの重大関心事はエロスであり、
そのエロスに関する哲学では、アポロン的なものとディオニソス的なものは峻別されてい
て、その矛盾(パラドックス)は統一されていた。プラトンは、禅僧のような言い方、す
なわち両刀截断した言い方をディオティマをして言わしめている。アポロン的なものと
ディオニソス的なもの、すなわち理性と本能を峻別しているという点で、ニーチェとプラ
トンは共通点がある。
ニーチェはギリシャに憧れたのではない。東洋に憧れたのだ。そして、 酩酊と陶酔のダ
ンスを伴う「マニア」だけでなく、性愛に結びつくエロチックな「マニア」にも憧れを
持っていたと私は思う。その理由は、ニーチェの哲学は「命の哲学」であり、性愛を人類
のため種の保存のためと考えていたらしいからである。ニーチェの憧れていた東洋の宗教
の源流にシヴァの神がいるが、それはまさに「性愛の神」である。「性愛の神」、これは
プラトンのいう「コーラ」も同じようなものである。
つまり、ニーチェとプラトンは、「性愛の神」が念頭にあったという点で繋がっているの
である。
コーラは子宮(マトリックス)であると言われているが、日本の宿神もミシャグチも子宮
である。シヴァ教に見られるような 性愛に結びつくエロチックな「マニア」 は、ギリ
シャではアポロンの影響をうけて野性味が削がれて、かなり理性的なものになっていたよ
うだ。それが「エロスの神」である。「エロスの神」は、性愛の神でもあるが「愛」の神
でもある。「エロス」については私の論文があるので是非ご覧いただきたい。
その論文の第3章の中で、私は、「エロスとは偉大な神霊である。なぜなら、すべて神霊
的な者は神的な者と滅ぶべき者との中間にあるからです。 こういう神霊はもちろんその数
も多くまたその種類もさまざまであります。ところがエロスもまたその一つなのです。」
と書いたが、プラトンが言っている神霊は、まさに中沢新一のいうスピリットそのもので
ある。
さて、プラトンも宇宙のリズムを感じることができたかどうかを考えてみたい。すでに述
べたように、ニーチェは「宇宙のリズム」を感じることができたので、もしプラトンも
「宇宙のリズム」を感じることができたのであれば、その点でもニーチェとプラトン共通
していると言える。
私には、中沢新一のいう「スピリット(精霊)」についての論考があり、その中で、中沢
新一の考えを次のように紹介した。すなわち、
『 神の問題を、今日もっともあけすけなかたちで語るには、スピリットによるのがいち
ばんだ。』
『 太陽の神、月の神、水の神、海の表面近くの神、海中の 神、海底にいる神、火の
神、穀物の神、飛沫の神、溶けた鉄の神、汗の神、などなど、ほとんど森羅万象にこの神
は住んでいます。
そればかりではありません。真っ赤な鳥居の稲荷神社に行けば、狐の神が祀(まつ)ら
れていますし、蛇がご神体になっているという神社もたくさんあ ります。ようするにこの
タイプの神たちは、もとをたどれば精霊的な存在でもあったもので、それがしだいに洗練
されていま残っているような姿をとるように なったとはいえ、スピリットの世界との密接
なつながりを失っていないのです。』
『 スピリットは思考や意思の及ばない場所を、活動領域としている。』
『 スピリットは人間の思考や意志や欲望がいっぱいの「現実」の世界からは隔てられ、
閉 ざされた空間の中に潜んでいますが、完全に「現実」から遮断されたり、遠く離れてし
まったりしているのではなく、密閉空間を覆う薄い膜のようなものを通し て、出入りをく
りかえしているのです。そして、その膜のある場所でスピリットの力が「現実」の世界に
触れるとき、物質的な富や幸福の「増殖」がおこるわけ です。』・・・と。
以上が中沢新一の考えであるが、スピットはまさに霊的な存在である。プラトンが言って
いる神霊は、まさに中沢新一のいうスピリットそのものである。それをあえて科学的な言
い方でいえば、「宇宙のリズム」の働きということである。老子の「玄牝の門」もプラト
ンの「コーラ」も中沢新一の「スピリット」も、その力によって「増殖」が起こるのであ
り、それらはすべて「宇宙のリズム」の働きに他ならない。プラトンも「宇宙のリズム」
を感じることができたのである。
(4)老子とプラトン
以上説明したように、プラトンは「宇宙のリズム」の働きを重視した。そして、すでに述
べたように、 老子は、「宇宙のリズム」を感じながら宇宙の実在、万物生成の原理を思
考したのではないかと思われる。 したがって、老子とプラトンは「宇宙のリズム」とい
う点で同じような考えを持っていたと考えても良いだろう。
また、ご承知の方も少なくないと思うが、「プラトンの霊魂論」というのがある。老子も
「霊魂不滅」を考えていたらしいので、この点についても老子とプラトンには共通点があ
る。蜂屋邦夫訳注の「老子」を読むとどこにも霊魂のことは出てこないが、トルストイが
訳した「トルストイ版・老子」の第16章の訳の中に「肉体は滅びる(時がくれば死ぬ)
が、(魂は)決して滅びることはない。」というのが出てくる。全体の文脈から言って、
そう解釈した方がトルストイには判りやすいということであったということだが、私も、
老子が「宇宙のリズム」を感じることができたと考えているので、霊魂の存在を信じてい
たと思う。
さらに、老子は「玄牝の門」とプラトンは「コーラ」はほとんど同じものなのである。
私には「玄牝の門」についての論考があり、そのなかで、内田樹の説明を次のように紹介
した。すなわち、
『 老子の「玄牝(げんぴん)の門」とは、「谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地
根。緜緜若存、用之不勤。」に出てくるのだが、この文は「 谷神(こくしん)は死せず。こ
れを玄牝(げんぴん)と謂(い)う。玄牝の門、これを天地の根(こん)と謂う。緜緜(めんめん)
として存(そん)する若(ごと)く、これを用いて勤(つ)きず。」と読むが、その意味は「谷間
の神は奥深い所で滾々と泉を湧き起こしていて、永遠の生命で死に絶えることがない。そ
れを玄牝(げんぴん)---神秘な雌のはたらきとよぶ。神秘な雌が物を生み出すその陰門、そ
れこそ天地もそこから出てくる天地の根源とよぶのだ。はっきりしないおぼろげなところ
に何かが有るようで、そのはたらきは尽きることがない。」という意味である。』
『 「万物を生み出す谷間の神は、とめどなく生み出して死ぬ事は無い。これを内田樹は
「玄牝(げんぴん) – 神秘なる母性」と呼んでいる。この玄牝は天地万物を生み出す門であ
る。その存在はぼんやりとはっきりとしないようでありながら、その働きは尽きる事は無
いと解釈されているので、「玄牝(げんぴん)の門」は女性の穴のことを言っていると思
われる。』・・・と。
老子は、「宇宙の実在」を「道」と言っているが、時には、「天」と言ったり、「天地」
と言ったり「谷神(こくしん)」と言ったりしている。老子はどうも、女が子供を産むと
いうことを終始念頭においていたようで、それに対する哲学的思考を重ね、宇宙の原理を
悟ったらしい。
すなわち、老子は、「道、一を生じ、一、二を生じ、二、三を生ず。三、万物を生ず。万
物は陰(いん)を負い、陽(よう)を抱き、冲気、もって和(わ)と為す」と言っている
が、この文で、「道」は「宇宙の実在」、「一」は天地の始め、「二」は陰と陽、「三」
は冲気の意味である。冲気とは陰と陽とを組み合わせるものである。一、二、三というの
は、男子があり、女子がある、二になる、子供が産まれる、三になる、それからだんだん
大勢子供ができる。そういうことを老子は着目し、根源的な思索を重ねていったらしい。
一方、すでに説明したように、プラトン哲学にも「コーラ」という概念がある。プラトン
の「コーラ」と老子の「玄牝の門」はほとんど同じ概念であり、その点が老子とプラトン
の共通点であるといえる。もちろん、その後の思索の仕方が違うので、老子の哲学は東洋
的、プラトンの哲学は西洋的ということだが、その根本のところで共通点があるというこ
とは、今後、老子の哲学がプラトンの哲学を呑み込んでしまう可能性があるということ
だ。それが今後いちばん期待される「グノーシス」だ。
おわりに
老子哲学には、古今東西どのような哲学にもない一大特徴がある。医は仁術というが、そ
ういう医に関する哲学を含んでいる。「三尸の思想」は、道教の教えつまり老子の教えで
あって、宇宙の原理に基づいた「長生きの方法」である。
老子の言う「道」は、儒教の道とは違い、宇宙の実在のことである。すなわち、ひとつの
哲学であると言って良い。儒教で言う仁義礼智(じんぎれいち)は、人間社会の道徳では
あるけれど、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものではない。これに対し、老子の
「道」は、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものである。したがって、西洋哲学、
東洋哲学などすべての哲学と学問的に比較検討ができ、今後の新たな哲学を構築する要素
を持っている。老子の哲学は、西洋哲学、東洋哲学などすべての哲学と相性がいいと言っ
ても良いのである。
これからの哲学、それは梅原猛のいう人類哲学ということであるが、それは、科学技術の
あり方及び宗教のあり方を指し示すものでなければならない。そして、それらは人類哲学
は宇宙の原理に基づいたものでなければならない。歴史的に存在した哲学の中で真正面か
ら宇宙の原理を説いたのは老子哲学だけである。したがって、老子哲学が西洋にも通用す
るように、老子哲学を発展させなければならない。
老子哲学を発展させる、そのために、まずは、老子とブラトンとを繋げることである。西
欧の哲学は、すべてプラトンの哲学の脚注にしかすぎないと言われるほど、プラトンの哲
学は奥が深い。老子の哲学とプラトンの哲学にどこか共通点があるのかどうか? そこを
探ってみたいと思う。両者の習合を図るなどということは、私など学者でない者の手を付
けることではないけれど、もし老子の哲学とプラトンの哲学にどこか共通点があるが判れ
ば、老子哲学を発展させる可能性が出てくる。あとは中国及び日本の若手学者に挑戦して
いただいて、老子哲学を是非発展させて欲しい。新たな時代の平和哲学の誕生。それが私
の老子哲学に対する希望だ。そのために、私は、今回、老子とプラトンとの間に共通点が
あるのないのか、その点を勉強した。この論考の中には、浅学の私故に、間違ったことを
書いているかもしれないが、そこはお許しいただいて、是非、間違いをご指摘いただきた
い。
老子を多少勉強して、今思うことは、西洋哲学だけでなく、シヴァ教などの東洋哲学およ
び平和の民・インディアンの哲学などすべてのものも視野に入れるべきだが、その際、老
子の哲学が中心となる。それほど老子は凄いのだ。
道教の研究は、北京の「中国社会科学院世界宗教研究所」の道教研究室がもっとも盛んで
あるが、上海、四川、江西などの社会科学院でも宗教研究に力を入れ始めたらしい。各地
域の大学や研究機関、道観、道教協会などと連携をとりながら精力的に道教の研究が始
まっていると考えて良さそうだ。当然、道教に関連する「宗教哲学」の研究も力強く進む
と思われるので、宗教哲学としてはシヴァ教の哲学を習合して、「哲学道教」、つまり道
教の宗教哲学が、多分、東洋哲学を代表するものになり、やがて「グノーシス」の力に
よって、西洋哲学を呑み込んでしまうだろう。
私が「日本精神と中村雄二郎のリズム論」という論文を書き、今後もさらに勉強を続けて
いきたいと思っているのは、もちろん日本のためを思ってのことである。しかし、ひょっ
としたらそのことが中国における道教に関連する「宗教哲学」の研究のお役に立てるかも
しれない。
梅原猛の「人類哲学序説」(岩波新書)という本がある。この本は、哲学、とりわけ人類
哲学としては、見かけ倒れの内容の乏しい本だが、草木国土悉皆成仏という天台本覚思想
に着眼した洞察力はさすが梅原猛である。
梅原猛が指摘するように、21世紀のこれから向かうべき世界文明は、生きとし生けるも
のすべての命を大事にする文明でなければならない。そのためには、思想的に成熟した天
台本覚思想とその根拠である法華経に基づく人類哲学が必要であると梅原猛は言っている
のだ。法華経は、生きとし生けるものすべてが成仏できるという。天台本覚思想は、法華
経のそういう教えを引き継いだものである。人間以外の生きとし生けるものは、無心にた
だひたすら命を大事にして生きている。また、国土という命を持たないものも、宇宙の原
理に基づいて存在しているのであるから、もし人間も宇宙の原理にしたがって生きていく
のであれば、草木国土といえど、大事にしなければならないのは当然のことであろう。
問題は、宇宙の原理を人類哲学として明らかにしなければならないということであって、
今後どのように人類哲学を作り上げていくかということである。梅原猛は、法華経の哲学
こそ人類哲学だと言っているが、はたしてそうだろうか。人類哲学には文化的側面がなけ
ればならないと思われるが、法華経には老子哲学に見られるような文化的側面がない。草
木国土悉皆成仏を説く法華経は、霊性豊かなお経で大変奥が深いが、真正面から宇宙の原
理を説いたものではない。人類哲学は宇宙の原理に基づいたものでなければならない。歴
史的に存在した哲学の中で真正面から宇宙の原理を説いたのは老子哲学だけである。そし
て、老子哲学には文化的側面がある。 老子哲学には、古今東西どのような哲学にもない
一大特徴がある。それが老子哲学の文化的側面である。私には、老子哲学こそ人類哲学に
発展する可能性を持っていると思えてならない。
私は、今まで、ヘーゲル哲学に倣って法華経哲学を模索してきているが、「自然呪力」
の科学的説明が不十分で、ちょっとお手上げ状態である。今回、老子の哲学について、一
応、「宇宙のリズム」をキーワードにプラトンとの繋がりをつけることができたと思うの
で、「宇宙のリズム」に焦点を当てて、法華経哲学についての思索を深めることができな
いかと思ったりしている。「宇宙のリズム」という観点から法華経を見た時、法華経は老
子より優れている。そういう面では法華経の哲学を構築する意義は非常に大きい。私は、
すでに、「日本精神と中村雄二郎のリズム論」という論文を書き、今後もさらにリズム論
の勉強を続けていくつもりであるが、それも結局は「宇宙のリズム」に関する勉強という
ことかもしれない。今回の論文を書き終えた今、「宇宙のリズム」こそ「宇宙の原理」を
解く
だと思えてならない。
第4章 老子の世界化・・・人類哲学としての老子
老子の言う「道」は、儒教の道とは違い、宇宙の実在のことである。すなわち、ひとつの
哲学であると言って良い。儒教で言う仁義礼智(じんぎれいち)は、人間社会の道徳では
あるけれど、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものではない。これに対し、老子の
「道」は、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものである。したがって、西洋哲学、
東洋哲学などすべての哲学と学問的に比較検討ができ、今後の新たな哲学を構築する要素
を持っている。老子の哲学は、西洋哲学、東洋哲学などすべての哲学と相性がいいと言っ
ても良いのである。
実際に、トルストイとハイデッガーは、老子に傾倒していたようで、トルストイは189
2年に「老子」を全訳しているし、ハイデッガーは1949年に『老子道徳経』を翻訳し
た。ラカンも中国人女性から「老子」を教わったと言われているが、ここではトルストイ
とハイデッガーに焦点を絞って、「老子」に傾倒していた様子を紹介しておきたい。
まず、トルストイが全訳したという本であるが、
トルストイが日本人留学生・小西増太郎と出会
い、小西増太郎の助けを得て、書き上げたロシ
ア語の老子を日本語に訳した本を現在私たちは
買うことができる。(2012年11月、ドニ
エプル出版)
トルストイが 小西増太郎の助けを得て翻訳に当たったときの様子が、人生朝露というブ
ログに紹介さているので、次にそれを抜粋しておこう。
『 いよいよ、実際の訳稿の検討に入って、小西が「道の道とすべきは常の道にあらず」
と読み上げると、トルストイがすぐに待ったをかけた。「支那語の 『道』という言葉を
翻訳するのはよくない。英、仏、独訳とも、原語をそのまま用いている。支那読みは『タ
オ』であるから、これを露読の『ドロガ』もしくは 『プーチ』と訳さずに、原音を用いま
しょう。』といってタオとすることになった。次の句の「名の名とすべきは常の名にあら
ず。無名は天地の始めにして、有 名は万物の母なり」とある「名」は、「道」とは大いに
その趣旨を異にするからというので「名、または無名は『イームヤ』という露語にすべき
だ」と断を下し た。この一節の結句の「玄の又玄、衆妙の門」にいたって、トルストイは
深い感動を示し、「この
は実に雄大だ。老子の学説の幽遠なところは悉くここから発
するのだ」と言った。次章の「天下、皆、美の美たることを知らば、これ悪のみ。皆、善
の善たることを知らば、これ不善のみ。」に対しては「この章も痛快だ が、首章には及ば
ない。しかし言明の仕方は老子独特で、実にいい。真似ができぬ。」と感心した。』
(『トルストイ小西増太郎共訳老子解説』より)
次に、ハイデッガーである。
関本洋司のブログによると、 ハイデガーが興味を示したのは、特に第15章の以下の部
分に興味を示したと言う。
<濁りを静め、澄みきるように誰れができようか。動かないところから生き生き成長させ
るところまで、誰れができようか。>
そのことに関しては、翻訳に協力してくれた中国人の学者・シャオに宛てた手紙が関本洋
司のブログに示されている。それは次のようなものである。
親愛なるシャオ様
私は度々あなたを思い出します。またすぐにあなたとの会話を
再開できればうれしいです。
あなたが私に書いてくれた次の行を考えています。
<"Wer kann still sein und aus der
stille durch sie auf den Weg bringen
(bewegen)etwas so,dass es
zum ersheinen kommt?"
[Wer vermag es,stillend etwas
ins Sein zu bringen?
Des Himmels Tao. >
孰能濁以靜之徐清。孰能安以動之徐生。
濁りを静め、澄みきるように誰れができようか。
動かないところから生き生き成長させるところまで、誰れができようか。
道徳経(天の道)より
山小屋にて1947年8月9日 親愛なる情を持って あなたのマルティン・ハイデガーより
さあ、それではいよいよハイデッガーの哲学と老子の哲学との共通性について、少々長く
なるが、以下に説明することとしたい。 ハイデッガーは、極めて難解な、中国の老子の
「道」の思想の本質を、西洋で唯一理解した哲学者である。その両者の哲学に根本的な共
通点があれば、老子の哲学に世界化の可能性があるということだし、今後、老子の哲学を
踏まえて、ハイデッガーの哲学を中国や日本の思想をもとに練り上げていけば、梅原猛の
言う「人類哲学」が出来上がると思う。それほどハイデッガーの哲学は、世界的に見て重
要なのである。では、説明を始めよう。
現実的なもの、それは岩石、植物や動物、河川流や天候や天体のことであるが、これらの
自然を成り立たせているものは宇宙の原理であり、それはハイデッガーの言う「根源的自
然」の働きによる。つまり、そのような現実の自然を支えているものは根源的自然であ
る。また、諸民族の命運、神々を支えているのも、現実の自然を支えている根源的自然と
同一のものである。さて、宇宙の原理とは何か? それを老子は「道」と言っているのだ
が、ハイデッガーは根源的自然の「臨在」と言っている。
さあ、ここで、問題は、ハイデッガーの言う「根源的自然」は何かということである。以
下に、順次説明しよう。
藤本武という新潟膏陵大学福祉心理学科教授の「ハイデッガーの自然哲学について」とい
う論文 がある。その論文から要点を抜粋して、説明に変えたい。その論文では、次のよ
うに述べている。すなわち、
『 1927年に発表した主著「存在と時間」において、ハイデッガーは自然を「用具存
在」と規定する見方と人間を「実存」と解釈する見方とを対立させ、人間存在の在り方を
思惟の主たる対象とすることによって、自然を人間にとっての有用性の観点から論じて
いる。』
『 自然についての消極的な規定は近代哲学の伝統に由来するものである。(中略) 自
然を物質と見る自然観、自然を制作のための死せる資料とみる自然観はすでに 古代ギリ
シアの自然哲学者たちの思想の中に 萌芽していたものが、デカルト によって再評価され
たと言ってよいだろう。(中略) 伝統的自然観に影響されて、初期のハイデツガーは用具
的自然観を展開していると思える。南ドイツのシュヴァルツヴアルト 地方の自然に包まれ
て育った野生者の哲学者ハイデッガーがヨーロツパ哲学全体の超克を意図しながら、初期
の段階では伝統的自然観を踏襲しているところが、ハイデッガーの複雑な面であると言え
るだろう。何故なら、伝統的自然観を踏襲しな がらも、一方ではそれを超える自然観を
隠し持っているからである。ただ、人によっては、 ハイデツガーは基礎的存在論以来そ
の思想を基本的に変更させ ていないと解釈する例も多いが、この論文ではその説は採用し
ない。』
『 「存在と時間」において、ハイ デッガーは「世界内存在」という概念を述べる際、
世界が自然から解釈されるのではなく 、世界から自然を実存論的に解釈しなければなら
ないとしたことにより、世界概念が自然的概念であることを認識し、ハイデッガーにとり
自然に関するより重要な概念が、 自然を実存論的に解した用具性ではなく 、世界概念で
あることを示している。』
『 ハ イ デッガーにとり世界とはすべての存在者が存在者として立ち現わ れてくる存在
の場所であるとされる。すべての存在者とは自然全体を指すものであり、世界とは自然が
立ち現われてくる存在の場所とされている。この時点では世界と自然は同ーではないが、
両者の密接な関わりも示唆され ている。』
『 現象学者フツサー ルとその弟子ハ イ デッガ一両者による世界概念についての有名な
論争がなされたのは 周知の通りである。 ハイデ ツガーは、 フ ッサールの世界のように
存在を世界という対象的存在に限定し、すべての存在を主観的分析によって解明される所
産とすれば、その主観的対象をもたず、そのかぎりでは志向的体験とは呼び得ない「 不
安」という体験などが、フッサールの定義では、世界をカバーで きず、世界として存在の
場所を開明 する人間の現存在の原事実が開示される場所として現存在の存在構造に属す
るべきであると論じた。 』
『 その後すぐに発表された「根拠の本質について 」という著作の中で、 「 ひとがもし
使用物つま り道具の存在者的 関連を世界と同一視し、世界内存在を使用物との交渉とし
て解釈するとしたら、世界内存在としての超越を「現存在の根本構造」という意味で理解
することは、むろん見込みがないと述べ ている。世界を道具として見るのは環境世界を分
析する解釈の一つであって、世界を全体として見る場合、ま た、世界を主観的目的に照ら
して見る場合、この世界に対する解釈は従属的な意義をもつものでしかない、としてい
る。つまり 「存在と時間 」における世界解釈は限定されたものであったことを述べてい
る。(中略) ここで、ハ イ デツ ガーは f存在と時間』で示した世界とは全く異なった存
在構造をもつ世界の可能性をすでに暗示している。』
『 1930年代になると、ハイデツガーは基礎的存在論における自然観を、当然のこととし
て 制作のために技術知の担い手である人間を世界の中心に据える人間中心主義と顕在的
に潜在的に連動したものとみなし、ギリシャ時代に端を発する存在を現前性であるとし、
自然を被制作性とする自然観と考えるようになる。「この故郷の 大地というのは、地質学
から 宇宙物理学に至る自然科学の対象分野としての、我々の惑星上の、土地と水と動植
物、空気をもった一定の画定された領域を意味するのではない。それはそもそも近代的な
意味における「自然」とはちがのである。なぜならまさにその語のもつ原初的命名力にお
ける 自然、ナトゥーラ<natura>、ピュシスの形而上学的意味からしてすでに、本質的に
有の解釈が含まれているのである。ギリシャ人によって解明され言葉とされた根源的自然
は、後に異質な二つの力によって脱自然化されたのであった。ひとつはキリスト教であっ
た。すなわちキリ ス ト教によ って自然はまず「
創られたもの」におとしめられ、そして
同時に超一自然( 思寵の日 ) との関係にも たら されたのであった。次に近代自然科学
によってであった。それは自然を、世界交通や産業化、あるいは特別な意味における機械
技術という数学的秩序の勢力圏に解消してしまったとその著『ヘルダーリンの賛歌、「ゲ
ルマーニエンj と「ライン」の中で、ハイ デッガーは述べている。 これは1934/35年の冬
学期にフライブルク大学で講議されたものである。ハイデツガーがこのように考えるよう
になったのは、古典ギリシアの思想 の研究、 特に、アナクシマンドロス、ヘラクレイト
ス やパルメ ニデスなどのソクラテス以前の自然哲学者たちの「 ピュシス論」 についての
研究によってである。』
『 ソクラテス以前の自然哲学者たちの自然観による「ピュシス J のよ り古い用法は、在
りとし在るものを意味し、「ピュシス」はいわゆる自然 だけではな く 、人間も国家 も
神々をも 含めた森羅万象の真の在り方を指していて、また同時にそうした自然万物の在り
方をしている存在者全体をも意味していた。つまり、ソク ラテス以前の自然哲学者たちは
自然 (
ピュシス )によって 存在全てを思惟していたのである。ソク ラテス 以前の自然哲
学者たちは、あらゆる存在するものを自然 ピュシス )と呼び、 自然 ピュシス)が
「ピュエス タ イ=発生す る、生成する、発現するという 意味の動詞に由来すると考え、
自然とは「生成するもの」と見ていた。「生成する も の」 は生命でもあることより、自
然 (ピュシス )は「生命をもつもの」とされた。そこでソクラテス以前の自然哲学者たち
は「自然 ( ピュシス )をおの ずから発生し生成する生命あるもの」と規定した。そこ
で、ハイ デッガーはその著『ニー チェ』 の中で、「ピュシスとはギリシャ人にとって存
在者そのも のと存在者の全体を名指 す最初の本質的な名称です。ギリ シャ人にとって存
在者とは、おのずから無為にして萌えあがり現れ来たり、そしておのれ へと還帰し消え
去ってゆくものであり、萌えあがり現れきたっておのれへと還帰してゆきながら場を占め
ている も のなのです。
」と自然への理解を深めてる。』
『 それ故に、その時点でハイデッガーは、 自然 ( ピュシ ス )から「隠れた真理」を読
みとらねばならないものとしている。』
『 万象の根拠がこの広義の自然であると仮定すれば、人間の根拠は、植物や 動物の根
拠と同様であるだけでな く 、実は同 ーのものだということになるだろう。万象の 根拠で
ある有としての自然は詩作的に思索さ れねばならないと、ハイデッガーは主張している。
(中略)「 ピュ シスの本質と概念につ いて」 に示された自然観は「芸術作品の起源」
に展開された大地自然論の基本構造の延長線にあるものである。』
『 1950年代初頭にな ると、ハ イ デツ ガーは、1930年代後半に展開した自然大地論を発
展させて、四元体論を構想している。』
『 自然とは常住 する も のを恩恵として授ける大地と天であ り、世界は天と大地、神的
なものと死すべきものという四者で構成される四元体であるという四元体論が展開されて
いる。四元体を形 成する四者は、それぞれ独立していながら、 多層体として一体である
とされる。 この四者が多層体として一体であるのは、自然の恩恵である。 この四者とい
うべきか、四次元というべきであるかの各々についてハ イ デツ ガー は以下のよ う に説明
している。大地とは、建てつ つ、支えるもの、養いつつ結実するものである海洋と岩石、
植物と動物である。天とは、太陽の運行、月の干満、星辰の輝き、一年の四季、一日の光
明と薄明、夜の聞と星光、天候の恵みと災い、と大気の流れと空の紺碧である。神的な
も のとは、神性を指し示め す使者たちのことである。神性の隠 された力の中で、 神は自
らの本質を現わ すのである。死すべきものとは、人間のことである。 人間は死ぬことが
できる存在であることから、人間は死すべきものと呼ばれる。死ぬことは、 死を死とし
て受けとめることである。 人間のみが死ぬことができ る。動物は絶命するだけである。
死すべきものとは、人間存在としての存在の本質的な在り方である。』
『 この四方位が一つになることを四元体とハイデツガーは名づけている。世界は四元体と
して見られ、そこは死すべき人間の住まう次元または方位であるという ことから、四元
体とは空間を取り囲む四つの場または四つの自然、とみることもでき る。初期の『存在と
時間』においては真に現象として論 ずるに値するものは現存在としての人間のみであっ
た。そこでは事物である自然は道具としてのみ解釈されていたが、この時期になる と、ハ
イデツガーは人聞から眼を転じて、人 間が出会う自然的事物がむしろ真の現象である、と
いう思想へと深化させている。』
『 ハイデッガーは、ニーチェに 強烈な影響を受け、人間中心主義を脱却して、 世界を
世界から、事物を事物から見ることを、この四元体論は表現していると言える。』
『 天は大地の上に住む人間の上にある。 神々は人間の近みに、人間と共に存る。この
視点をハイデッガーはヘラクレイ トスの「ピュシスJ 研究から、主張する。 ここからも
明 らかなように、神々とは「聖な る もの」と言 える。ハイデツガーは「ものの近みに住
む」 視点で「聖なるものの近みに住む」ことを提唱している。その神々を、つまり聖な
るもの を、ギリ シャ精神、ローマ精神、ケルト 精神、 そしてゲルマン精神は、森に見た
り、 大地に見たりして、そのいづれも 聖なる ものを自然のことと見倣してきた。 この
延長線上にハイ デッガーは立ち返えっていると言える。』
『 存在は自然であり、自然の中に人間存在も含まれという視点が新たに展開されてい
る。』
『 この時点でハイデッガー は世界概念を自然概念に転換させている、と言える。ハイ
デッガーによれば、根源的な意味での自然は、環境世界の領界内では隠されていて見いだ
されるものでもなければ、また一般に自然がもともと我々と用具的にかかわり合う も の
として捉えられているところでは見えてこないとする。 そのような有意義性の概念では見
えて来ないが、自然は元初的に現存在が情態的に気分づけられたものとして存在者のただ
なかに実存しているというまさしくそのことによって現存在のうちにすでに現れ出ている
ものとされる。ハイデッガーは、 いまだ秘隠されてはいるが、世界はそうした根源的自
然に支えられているとする。』
『 ハイデツガー によって、存在の明る み ( Lichtung des Seins )、あるいは、明け透
し ( Lichtung )と されるLichtung は、元来森や林の中に発生する「空き地」を指してい
て、そこだけが暗い覆われた森の中で天空から光が射し込む「明るみ」を意味している。
この「空き地」の周囲には深く閉ざされた広大な森が拡がっている。 「 明るみ」へと開
示されている空き地自体も森に基本的に帰属しているのだが、それではこの存在の明るみ
をその只中に開示して自己自身は秘隠している森そのものを、ハイデツ ガーはどう 理解
しているのだろうか。森とは、それ自体は人の手によって 伐採されて、あるいは雷雨や侵
蝕作用や森自身、つまり自然の力によって、発生した「明るみ」とは本質的に異なるもの
であり、「明 るみ」としての世界の根底にあって、それを根底から支えている根源的自然
を意味するとされている。この根源的自然である森をハイデッガーは大地と呼び、故郷を
喪失して漂っている現存在の失われた故郷として提示する。この大地が人間の故郷であ
り、救済であることが、ハイデツ ガ一晩年の思索の主題となる。』
『 この主題とは大地と世界(森と森の明るみ)との抗争と統ーである。 自然大地論の
項で既述したように、大地の大地性は根源的に秘隠性、覆蔵性であり 、世界の世界性は
根源的に開放性であり、非覆蔵性である。 大地と世界は常に存在史的に抗争と統一を繰
り返している。 しかしながら世界も元初的に根源的自然に帰属するものであることか
ら、自然、根源的自然は、すべて現実的なもののうちに、それは、岩石のうちに、植物や
動物のうちに、 河川流や天候や天体のうちに、臨在しており 、また、諸民族の命運のう
ちに、神々のうちにも、臨在していることになり、四元体という自然観が構成される。』
『 このようにすべて現実的なものが自然存在であり、それらの現実的な存在者に臨在す
る自然を、 ハイ デッガーは根源的自然とする。 このようにして、根源的自然は根源的存
在として、すべてを、したが って人聞をも一統宰するものである、という洞察に到達す
る。』・・・と。
宇宙の原理とは何か? それを老子は「道」と言っているのだが、以上縷々ご紹介してき
たように、ハイデッガーは根源的自然の「臨在」と言っている。ハイデッガーは、極めて
難解な、中国の老子の「道」の思想の本質を、西洋で唯一理解した哲学者である。その両
者の哲学に根本的な共通点があるということなので、老子の哲学に世界化の可能性がある
と言って差し支えない。
第5章 日中共同研究を!・・・国際社会において、日中が、近代国家とし
て大いなる貢献をするために! 老子の言う「道」は、儒教の道とは違い、宇宙の実在のことである。すなわち、ひとつの
哲学であると言って良い。儒教で言う仁義礼智(じんぎれいち)は、人間社会の道徳では
あるけれど、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものではない。これに対し、老子の
「道」は、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものである。したがって、西洋哲学、
東洋哲学などすべての哲学と学問的に比較検討ができ、今後の新たな哲学を構築する要素
を持っている。老子の哲学は、西洋哲学、東洋哲学などすべての哲学と相性がいいと言っ
ても良いのである。
これからの哲学、それは 梅原猛のいう人類哲学 ということであるが、それは、科学技術
のあり方及び宗教のあり方を指し示すものでなければならない。そして、それらは人類哲
学は宇宙の原理に基づいたものでなければならない。歴史的に存在した哲学の中で真正面
から宇宙の原理を説いたのは老子哲学だけである。したがって、老子哲学が西洋にも通用
するように、老子哲学を発展させなければならない。
梅原猛が指摘するように、21世紀のこれから向かうべき世界文明は、生きとし生けるも
のすべての命を大事にする文明でなければならない。そのためには、思想的に成熟した天
台本覚思想とその根拠である法華経に基づく人類哲学が必要であると梅原猛は言っている
のだ。法華経は、生きとし生けるものすべてが成仏できるという。
天台本覚思想 は、法華経のそういう教えを引き継いだものである。人間以外の生きとし
生けるものは、無心にただひたすら命を大事にして生きている。また、国土という命を持
たないものも、宇宙の原理に基づいて存在しているのであるから、もし人間も宇宙の原理
にしたがって生きていくのであれば、草木国土といえど、大事にしなければならないのは
当然のことであろう。
老子哲学には、古今東西どのような哲学にもない一大特徴がある。それが老子哲学の文化
的側面である。私には、老子哲学こそ人類哲学に発展する可能性を持っていると思えてな
らない。
その人類哲学が不十分ながらもその姿を現すまでには、相当の年月を要するが、とりあえ
ずは、そのような戦略を持った上で、とりあえずできる貢献をしていけば良い。そのとり
あえずできる貢献とは、発展途上国の理想的な地域コミュニティを作るためにとりあえず
できることをやるという貢献だが、そのようなとりあえずの貢献ですら日中の連携なくし
てはなし得ない。ましてや人類哲学となると絶対に日中の連携なくしてはなし得ない。し
かし、始めるべきである。
中国・北京大学は、老子に関する新資料(竹簡)の公表を契機として、 2013年10月25日・
26日、国際学会が開催した。
日本では、「中国出土文献研究会」というのがあり、熱心に老子の研究をやっている。北
京大学との繋がりも深いものがある。
今後、老子の新たな研究は、ドイツをはじめとして国際的にも進んでいくと思われるが、
やはり中心となるのは中国と日本であろう。
老子の哲学を人類哲学に発展させるためには、三つの課題がある。一つは、本覚思想 を
老子の哲学に入れ込むこと、二つ目は、ハイデッガーの哲学との繋がりをつけること、三
つ目は、中国古来のすべての思想との関係を明らかにして、それらを老子の哲学として習
合することである。
一つ目は日本しかなし得ない研究だし、三つ目は中国しかなし得ない研究だ。二つ目は日
本でも中国でもやれる研究であろう。
すなわち、人類哲学のために必要な日中共同研究においては、日本は、「老子と日本古来
の思想(本覚思想)」および「老子とハイデッガー」を研究テーマとし、中国は、「老子
と中国古来の思想」および「老子とハイデッガー」を研究テーマとするのが良い。その上
で、日中共同で、「老子とハイデッガー」で議論を重ね、老子を発展させ、何とか人類哲
学を作り上げていきたいものだ。。
おわりに
第2章で述べたように、人は皆心身ともに健全であるべきである。国民が健康な身体を維
持するためには、国の経済発展が不可欠である。そのために国際的な枠組みとして経済援
助ならびに人道支援のシステムが出来上がっている。しかも、個人的に救済する組織も出
来上がっている。
一方、心の方は、それを救済する組織がまったくないと言っていい。健全な心を取り戻し
または育てるには、何と言っても宗教がいちばんだ。
地域コミュニティーや家庭の中で虐めを受けている人がおおぜいいる。そのような人を助
けるにはどうすればいいか? それが問題だ。
その解決方法について、私の「ネパールの陰」と題した論考がある。そこでは以下のよう
に述べた。
カトマンズは、「女神と生きる天空の都市」である。しかし、そのような女神の力の及ば
ない山間僻地があるのも事実である。したがって、そういう僻地では、児童婚が行なわれ
ていて、神の力が無いに等しい。 児童婚はネパールの僻地ではよく見られる悪しき伝統的
な慣習である。ネワール人社会であるカガティ村はこうした慣習が見られることでよく知
られている。しかし、児童婚は世界的な問題であって、国連でも問題視し始めた。
児童婚は、世界各地でいまだに残っている悪しき慣習である。年齢が10歳から15歳ぐ
らいのうら若き少女たちが結婚とはどんなものなのかもわからないまま、土地の風習に
従って結婚させられていく現状を変えなければならない。それが国連の意識である。
児童婚の問題は大変難しい問題で、これを根本的に解決することは国連でもできないかも
しれない。ではどうすれば良いか?
発展途上国の都市にも立派な寺院がある。しかし、山間僻地には都市に祀られている神の
力が及ばない。もちろん、山間僻地にもその土地の神様はいる。しかし、立派な僧侶がい
るわけではない。それが一番の問題なのである。
ある宗教団体の本部から派遣された僧侶がまずやるべき仕事は、布教活動を始めることだ
ろうが、いずれそのうちに、寺院を創建しなければならない。
貧困地域においては、ある程度の力はあるにしても、その力だけで寺院を創建することは
難しいだろう。どうしても団体本部からの支援が必要だが、寺院が創建されれば、さまざ
まな宗教活動が行えるようになる。定期的な宗教儀式が行われるようになるし、若い僧侶
を育てる学校もできるだろうし、虐げられた女性の駆け込み寺もできるだろう。その他
に、私がもっとも期待するのは、その地域に宮沢賢治のような慈悲深い人が出てくること
だ。その可能性は十分ある。
宮沢賢治のような人とは熱心な祈りの人であって、慈悲深い人である。そのような人が出
てくれば、貧困地域における児童婚ならびに女の子に対する虐めは少しずつ減っていくの
ではないか。祈りの地域、それが理想のコミュニティーである。理想のコミュニティーで
は、女の子に対する虐めだけでなく、あらゆる虐めがない。そういう理想のコミュニ
ティーを作るには、どうしても寺院が必要で、寺院はできるだけ多くの信者を獲得しなけ
ればならない。
「ネパールの陰」という論考で私の言いたかったことの要旨は以上のとおりであるが、そ
のような悲劇を無くすために、日本と中国ができることがある。そのことについては、第
3章で述べたが、その要点は以下のとおりである。
日本と中国は、役割分担を決め、お互いに連携して発展途上国の発展に貢献すべきだ。日
本のODA受け入れ国に対して、中国から道士の派遣をお願いする。
日本は経済援助大国である。したがって、日本は発展途上国に対して経済協力をすること
ができる。
中国は、独自の「対外支援」をやっているが、発展途上国(DAC計画に基づくODAの対
象国)に対してはまったく支援を行なっていない。 LDCs(後発開発途上国)や小島嶼国
に重点が置かれている。中国は、あまりにも人口が多すぎて、 未だに日本の経済援助を受
ける国である。しばらくは、発展途上国に対する経済支援はできないだろう。
しかし、中国は世界最強の宗教「道教」を持っている。発展途上国(DAC計画に基づく
ODAの対象国)に対して、「道士」の派遣という人材派遣ができる。
「道士」は、 道教の宣教師 として働くだけでなく、老子哲学を勉強し、哲学者として発
展途上国のリーダー教育にも当たることができる。老子哲学の世界化と相まって、世界は
大きく平和に向かっていくに違いない。それが私の中国に対する期待だ。
第5章で述べたように、老子哲学には、古今東西どのような哲学にもない一大特徴があ
る。それが老子哲学の文化的側面である。私には、老子哲学こそ人類哲学に発展する可能
性を持っていると思えてならない。
その人類哲学が不十分ながらもその姿を現すまでには、相当の年月を要するが、とりあえ
ずは、そのような戦略を持った上で、とりあえずできる貢献をしていけば良い。そのとり
あえずできる貢献とは、発展途上国の理想的な地域コミュニティを作るためにとりあえず
できることをやるという貢献だが、そのようなとりあえずの貢献ですら日中の連携なくし
てはなし得ない。
人類哲学のために必要な日中共同研究の進展を心から期待し、かつ、日中が共同して発展
途上国のために近代国家としての責任を果たしていくことを期待して、筆を置きたいと思
う。その二つのことが日中友好親善を確固たるものにすると信じながら・・・。
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