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神の真実があなたを聖別する!

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神の真実があなたを聖別する!
神の真実があなたを聖別する!
ヨハネによる福音 61
神の真実があなたを聖別する!
17:6-19
いわゆる「主の祈り」ではなく、ヨハネが伝える「主の」祈り、主が祈ら
れた祈りの第二段は、十二人の弟子たちのための祈りです。
初めの 19 行― 6~11 節は、この十二人が神様の大事な所有、貴重な魂
だということ。次の 12 行― 12~16 節は、この人たちが、「世」という不
信の世界と一線を画す存在となったこと―弟子たちは「世」という世界に
身を置きながら、そこの人ではなくなっている―そのことがはっきり語ら
れます。最後の 5 行―18,19 節は、その不信の世界の中へ、本当は別世界
に属する十二人が、使命を持って送り込まれていること。それはちょうど、
イエスご自身が父から使命を帯びて、送り込まれているのと同じ立場にいる
こと。この 18 節が印象的です。
昔京都の教会で、宿題を与えられてこの 17 章の「主の」祈りを、朝の聖書
研究で、礼拝前のクラスでしたが、発表させられたのを思い出します。30 年
前です。私は聖書学院に在学中で、ベックマン宣教師のお手伝いをさせて頂
いていました。予習にヨハネ福音書の英語の註解書を必死で読んで、1 頁読
むのに半日かかりました。私の修行時代です。
その時に、充分に分からないまま、私の心に響いたのは、16 節にある「イ
エスご自身が世に属さない、世とは別の次元の方だ」ということと、弟子た
ちもまた世に属さない。世にいながら世にとっては「よそ者」だという、孤
独な使命です。また弟子たちが「真理で聖別されている」という 17 節や 19
節の言葉が鮮烈に響きました。もっともこの言葉の趣旨を私は取り違えてい
ました。十二人は他の人の知り得ない「真理」を知った故に、世とは別の高
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い次元に立たされた、と理解したのです。いわば“崇高な孤独のエリート”
として、「真理」を知らない世に、「真理」を知る者として立っている!
―これは全くの誤解でした。「真理」という訳語にも原因がありますが…
…。日本語聖書の訳語「真理」は曲者です。
それで、この祈りの中では、「世」という不信の世界で、父がイエスに賜
わった魂、つまり十二人が、神様の目からは、他の人とは比べられない貴重
な価値を持っているのだ……と解釈しました。9 節でも、「私が祈るのは世
のためでなく、この特に大事な人たちのため、私を信じる魂のためだ」と言
われたと思い込みました。そうでは無いということが分かるまでには、10 年
以上もかかりました。
見方が変わった理由はいくつかありました。ヨハネ福音書の 3 章にある「神
は世を愛された」という言葉もそうです。神は大事なひとり子を与えてしま
う位に世を愛された(3:16)。「世」という言い方が、この祈りに出る(:
6)のと同じ言葉です。とすれば、愛に差をつけられたわけではない。「世」
もやはり天の父には、十二人と同じだけ大事だったのです。
こんな事が分かってきたのは、結婚して家族を持ったことも、勉強になっ
ていると思います。子供たちの中で主を信じる者、主の名によって浸された
者が、そうでない者より大事とか、可愛いということはない……全くない。
これは経験して分かります。「父」の経験をするということは、天の父とは
雲泥の差ですけれど、その影かミニチュアみたいな小規模な反映を経験する
わけですね。これは息子たちの妻についても同じです。信者の方が可愛いと
いうことはない。孫だって同じで、15 年後、20 年後を考えると、世に属さな
くなる者と、その決断がつかぬ者と同じように可愛いと思いますが、これは
まあ、経験してみないと分からないことです。残念ながら天皇(昭和天皇)
みたいな年までいるとは思えないので、理論倒れだと言われてもしようがな
いですが。
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まあ人生、夫になったり、親になったり、舅になったり、祖父になったり
することも無意味ではありません。ほんの少しは視野が広くなる。ところで
その信仰を持っている十二人の方が世よりも値打ちがあって、神さまの目に
余計かわいいという錯覚は、多分一部この「真理」という訳語の責任です。
“the truth”を「シンリ」と訳してしまったからです。では、この祈りをも
う一度味読して概観してみましょう。
1.十二人は天の父の所有なさる貴重な宝である。
:6-11.
この祈りの中で、「父よ、彼らは本来あなたのもの、それを私に賜わりま
した。だから私にとって大事な私のものは、本来あなたのもの」―という
言葉が一度ではなく、二度も繰り返されるのですが、これはシモンやヨハネ
やヤコブを神さまが、ご自分の大事な宝としてお守りになる。その一人ひと
りがどんなに大事か、噛みしめるようにイエスが確認しておられるところで
す。そして、それとは対照的に、まだイエスの意味が見えない人たち、「世」
という言葉で表現される不信の世界は、それでも神様の目には、十二人を通
して未来の可能性として、やはり同じだけ大事なものと断定されている……
その確信を言い表されたものです。
6.世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現
しました。―天の父の本当のお心を伝えました―彼らはあなたのもので
したが、あなたはわたしに与えてくださいました。彼らは、御言葉を守りま
した。―「守りました」は決して百点満点に実行した成果ではなく、イエ
スの言葉の一番中心点(イエス・キリストの福音―マルコ 1:1)、本来の趣
旨をしっかり受けとめた……という意味です。
7.わたしに与えてくださったものは―私に委ねられた言葉、内容は―
みな、あなたからのものであることを、今、彼らは知っています。 8.なぜな
ら、わたしはあなたから受けた言葉を彼らに伝え、彼らはそれを受け入れて、
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わたしがみもとから出て来たことを本当に知り、あなたがわたしをお遣わし
になったことを信じたからです。
このことが先の「あなたの言葉を守りました」の意味です。天の父は愛や
道徳をちょっと位りっぱにやれたとか、その点数とかは問題にしておられな
い。『私が送ったイエスの意味がわかったか』―そのことだけを見ておら
れると言われるのです。
9.彼らのためにお願いします。世のためではなく、わたしに与えてくださ
った人々のためにお願いします。彼らはあなたのものだからです。
なぜ、特に十二人のためにお祈りになるのか―それは、この十二人がイ
エスのお心を代表して、天の父の側に立って、地上に踏み留まるからです。
この責任と孤独な戦いは、十二人に対しては期待されますが、不信の世にそ
れを期待しても無理というものでしょう。この人たちのために特に祈ると言
われるのは、その重荷のためで、世と比べてより可愛いからではありません。
こう見ると、この後のお言葉がよくわかります。
10.わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。
わたしは彼らによって栄光を受けました。 11.わたしは、もはや世にはいま
せん。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わ
たしに与えてくださった御名によって―私に示して下さった神の本質、神
の愛にかけても――彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一
つとなるためです。
「一つ」one というのは、団結する意味ではなく、イエスが天の父の意志
をそのまま伝えて「父と一つ」であるのと同じに、十二人の弟子たちが、同
じ父の心を代表して立って欲しい……という意味です。
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2.十二人は世に住みながら、世の外の人として生きる。
:12-16.
全く別のものに価値を見たとき、世にいながら世の外の人となる。だから
こそ、天の特別の守りと支えが要るのです。十二人の弟子たちはこれまで、
イエスの体温が感じられる程の至近距離にいて、目と耳ではっきり確かめな
がら安心できたのですが、これからは事情が変わります。
12.わたしは彼らと一緒にいる間、あなたが与えてくださった御名によって
彼らを守りました。わたしが保護したので、滅びの子のほかは、だれも滅び
ませんでした。―「滅びの子」は、ヘブライ的な表現です。「滅びの」は
「滅んだ」子、結局かわいそうな最期を遂げることになった一人だけ、イス
カリオテのユダ一人だけは死んで去って行きました、という意味です。―聖
書が実現するためです。―詩篇の言葉がユダの行為を暗示していたこと(使
徒 1:16)を言われたものと思います。
13.しかし、今、わたしはみもとに参ります。世にいる間に、これらのこと
を語るのは、わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。
―結果として必ずそうなる。そうさせずにはおかない。
次の「御言葉を伝えました」(与えた)は、天の父のお心と、父がイエス
を送られた意味とを弟子たちに分からせたことです。「御子の中に父の全意
志が込められている」という中心メッセージが「御言葉」です。
14.わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたし
が世に属していないように、彼らも世に属していないからです。 15.わたし
がお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から―罪
と悪の根源、死に引きずり込む力、サタンから―守ってくださることです。
16.わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。
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世という存在は嫉妬深い生き物で、自分と異質の生き方を許しません。そ
ういう「世」を前にして、イエスと同じ所に立って、「父のお心はイエスが
言われた通りです」と断言できるのは、イエスを信じた人だけです。だから、
この人たちのため特別に、真剣にイエスは祈られるのです。
3.十二人は神の真実をこめられて、不信の世へ遣わされる。
:17-19.
17.真理によって、彼らを聖なる者としてください。―「聖別してくださ
い」と訳したのは「口語訳」。「新改訳」は同じ字を使って「聖め別ってく
ださい」とします。原文のは旧約聖書のモーセ以来の伝統的な言
い方で、ほかのものと区別してとり分ける、神聖な用途に指定することです。
いわば神の御用“専用”にとり分けるのが「聖別」です。旧約の言葉では「レ・
カデーシュ」vDeq;l.、新約の言葉で「ア・イアズィン」は、一つの目
的に指定してささげることを言います。イエスご自身は、ただ一つの目的の
ために、天の父から世へ送られたのですが、それと同じただ一つの目的で十
二人の弟子を、今度はイエスが親しく世に遣わす、と言われます。
17.真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理
です。 18.わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わ
しました。 19.彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真
理によってささげられた者となるためです。
最後の所は、新共同訳は「わたし自身をささげます」と変えています。口
語訳と新改訳は同じ訳語で通しています。世に使わされて行く十二人の立場
が、イエスご自身と同じ所に立つ。イエスと並行している。イエスの続きを
させられる―これは大変な使命です。
不信の世にひとり立って、イエスの弟子は告げなければなりません。『天
の父はあなたを何としても生かしたい。あなたが大事だ。ナザレのイエスの
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中に天の父のお心が見えるか。死者の中から復活して生きているイエス・キ
リストの命は、あなたのためにある。』―これを伝えるために、この一つ
の知らせの使者として、十二人は聖別されるのです。
神の言葉、天よりの一つのメッセージが、この訳文でいうと「真理」だと
いうのが 17 節、その「真理」で十二人を聖別して下さいと祈られたと読めま
す。英語なら the Truth で彼らを聖別して下さいとなりますが、ここはやは
り「真理」と訳すより、神様の「真実」がイエス様の意図だと思います。変
らぬ愛と真実の知らせが天よりのメッセージですから、「真理で聖別」する
のではなく、「真実で聖別」すると訳すべきです。
ギリシャの哲学者なら、万物の「真理」、存在と生命の奥義を the Truth
と言ったでしょうが……。ここは神のお心のすべてを明かすために来られた
イエスの祈りですから、それよりヘブライ語の「エメト」―神の真実、不
変の真実、愛の確かさで「聖別」する意味が生きています。その神の真実、
愛の力が人を捕えたら、イエスの弟子である十二人をイエスと同じ所へ置い
てしまうことが宣言されているのです。このことはまた、私たちにも大きな
意味を持ちます。宇宙の「真理」などとは関係なく。
≪ ま と め≫
私たちは最初、父のお心の中には愛の区別はなかった、という所から出発
しました。世に属する人も、十二人の主の弟子たちも、神様の眼から見た場
合には全く同じ価値を持つ大事な宝だったし、今もそうだ、という。これは
聖書の原点です。信者とそうでない「世」の人との間には、少なくとも天の
父の目には、価値の相違はありません。また本来の広い意味での「世」は、
肉なる者すべてを指します。
ただ、進んで主と同じ所に立つか、イエスと同じように遣わされた者とし
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ての位置に喜んで立つか、ということになると、父はすべての人を平等にそ
こに立たせるには忍びない。本当にイエスの意志を見た人だけ、イエスの血
できよめて頂いた人だけ、イエスのいのちを受けた人だけを、そこの、遣わ
された神の子と同じ位置に神様は置いて、さし当りその人たちで世を蔽う役
目をさせなさるのです。
ここはみんな大人ばかりですから、こんな疑問は起こらないでしょうが、
以前ある教会の青年たちの会で、こんな感想が出ました。あの聖餐式の時間
というのが非常に苦痛で、なにか疎外されているように感じる。ほかの人が
立って杯を受け、私は坐っている。すべての人を同じように遇する教会の中
に、こんな形の差別があっていいのだろうか、そんな感想でした。それで私
はその青年にこう言ってあげたのです。「あなたはむしろ、主の思いやりを
感謝して、兄弟たちがカバーしてくれることを喜ばなければならないのでは
ありませんか……。もしそう考えたら、あなたは安心して、自分の正味の準
備ができるまで坐っていられるのです。」
今朝は逆に、立ってパンと杯を受ける方たちにひと言……。私たちは決し
て特別な身分や資格で立つのではなく、世に遣わされて、主が遣わされたと
同じ所に立っているのです。私たちがここに立てるには、あれだけの祈り、
主の祈りが必要だったのです。「彼らを世から引き抜いて安全な温室へ植え
て下さいとは祈りません」と、主の祈りは私には聞こえます。「父よ、彼ら
を世の真っ只中に置いてやって下さい。ただ命を失わないよう、罪と死の力
から、悪しき者から守って下さい。」その祈りのお蔭で私たちは辛うじて、
ここに立っているのです。
(1987/09/27)
《研究者のための注》
1.表題「神の真実があなたを聖別する」の「真実」は、17:17 に二回出るで
すが、これは LXX 詩編 30:6 の(真実の神)のの意
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味に解しました。ヘブライ語本文では詩編 31:6 で
tm,a/ lae
です。同じ意味での「真
実の神」はイザヤ書 65:16、ヘブライ語本文は
と
tm,a/
は同じ語幹
!m;a'
!mea' yhel{aBe。!mea'
の形容詞形と抽象名詞形です。このヨハネによる福音の録音
シリーズでは、ヨハネの使っているを 1:14 以来、主として
tm,a/
の意に理
解しました。ヨハネ 1:14 については本シリーズの第 4 講、8:34 については第 34 講、
14:6 については第 50 講、特に「真実の霊」では 15:16 について第 56 講、16:3 は
第 57 講で、この角度から説明しています。ヨハネ以外でもパウロの第二テモテ書 2:
15でも真実のメッセージという意味で福音をさしているも
のと受け取りました。について一番参考になったのは Morris ヨハネ伝註解
293 頁の Additional Note.-D.Truth でした。
2.「聖別する」という訳語は聖書協会口語訳が使っており、17 節の一例、19 節の二例と
も同じ訳語を充てていますが、新共同訳は 17 節「聖なるものとする」、19 節「ささ
げる」と訳し換えました。フランシスコ会訳は 17 節が聖別する、19 節が「ささげる」、
新改訳は逆に 19 節の方を同じ漢字を使って「聖め別つ」、17 節が聖の一字で「聖め
る」としています。
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