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心疾患合併妊娠 - 日本産科婦人科学会

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心疾患合併妊娠 - 日本産科婦人科学会
N―239
2005年9月
症例から学ぶ周産期医学
1)内科疾患合併妊娠
心疾患合併妊娠
座長:東北大学教授
岡村 州博
母子愛育会 愛育病院
産婦人科部長
安達 知子
コメンテーター:兵庫県立こども病院所長
大橋 正伸
はじめに
心疾患合併妊娠は良好な妊娠転帰をとることも多いが,他の合併症妊娠に比較して,直
接母体死亡にかかわりやすい.NYHA 心機能分類 class"以上,アイゼンメンジャー症
候群,肺高血圧症の合併,心不全や血栓症の既往,人工弁置換後のワーファリン使用者,
心筋症の患者などは,きわめてリスクが高い.一方,心機能は良好と評価されていた症例
でも,しばしば,妊娠・分娩の負荷で心機能が不良となることがある.本稿では,まず妊
娠中の生理的変化としての循環器系の負荷とリスクを生じやすい心疾患の病態と種類につ
いて述べ,代表的な心疾患合併妊娠のいくつかの自験例をあげて妊娠分娩経過とリスクに
ついて検証し,最後にガイドラインを交えながら,心疾患合併妊婦の管理について解説す
る.
妊娠の生理的変化に伴う循環器系の負荷
妊娠の生理的な変化は循環器系に負荷を生じるが,合併する心疾患の病態や種類によっ
て心機能に対するリスクが異なる.リスクは大きく 4 つに分けられる1).
1)循環血液量の増加
非妊時の140%まで循環血液量は増加するが,この心負荷が加わることにより,心不全,
心虚血の頻度が上昇する可能性がある.特に,流出路の制限のある疾患(僧帽弁狭窄症:
MS,大動脈狭窄症:AS)
や,虚血性心疾患,Marfan 症候群はリスクが高まる.
2)体血管抵抗の減少
体血圧の低下が生じるため,シャントのある症例では相対的に肺高血圧になりやすい.
そのため,左―右シャントの減少から肺血流量の低下による低酸素化を生じやすく,チア
ノーゼ性心疾患や肺高血圧症の心疾患では母児へのリスクが高まる.
Pregnancy Complicated with Heart Disease
Tomoko ADACHI
Department of Obstetrics and Gynecology, Aiiku Maternal and Child Health Center Aiiku
Hospital, Tokyo
Key words : Pregnancy・Heart disease・NYHA classitication・
Thromboembolism・Maternal mortality
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
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日産婦誌5
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3)凝固能亢進
妊娠中は凝固因子の増加や凝固抑制因子の低下,線溶系の抑制が起こることが知られて
いる2)3)が,このため,非妊時に比較して血栓塞栓症が増加しやすい.そのため,弁膜症
患者には血栓症が増加しやすく,一方,治療用量の抗凝固療法中の患者には血栓症と同時
に大出血しやすい状態にもなりやすい.特に,人工弁置換術後や心房細動を認める症例に
はリスクが高まる.
4)分娩時心拍出量の変動
分娩第#期から心拍出量は増加し,第$期終末には150%まで増加する.一方,分娩終
了後の大静脈系の圧迫解除に伴う静脈還流の増加,子宮収縮に伴う子宮血流から体循環へ
の血流のシフトや分娩時出血などは,心拍出量の増減をきたしやすい.MS は,静脈還流
の増加についていけず左房圧は高まるが左室に十分血液がたまらない状態となり,肺うっ
血を生じて心不全が進行する.また,AS も左室内"
大動脈圧較差が大きくなれば,代償
性の頻脈などが起こり,心負荷はますます増加する.このほか,血圧の変動が禁忌の,大
動脈縮窄症や大動脈炎症候群などに伴う高血圧性心疾患,大動脈瘤,マルファン症候群,
脳塞栓症の既往症例にはリスクが高まる4).
心疾患合併妊娠の内訳
1964年以前は,リウマチ熱の流行とともに心臓弁膜症の症例が多く,後天性心疾患が
過半数を占めたが,時代の変遷とともに,リウマチ熱の管理が進み弁膜症の減少とともに
後天性心疾患の頻度は低下し,相対的に先天性心疾患合併妊娠の頻度が増加している5)6).
また,先天性心疾患ばかりでなく,心筋症や不整脈などの症例が増加している7).
著者の所属していた東京女子医科大学では,1991∼1999年に先天性心疾患合併妊娠
の分娩を186例経験しており,心房中隔欠損症,心室中隔欠損症,Fallot 四徴症の 3 つ
が82.3%を占めた.
Fallot 四徴症
(TOF)
合併妊娠
TOF は生下時に先天性心疾患の10%を占める8).しかし,自然歴は不良であり,手術
を受けずに成長すると生存率は20歳で11%,30歳 6%,40歳 3%,40歳以上では1%に
満たなくなる9).その死因は,5 歳以下では肺炎や無酸素発作が,6 歳以上では脳膿瘍や
感染性心内膜炎が多くなる10)11).成人 TOF における合併症は,非妊時においても根治手
術未施行例と施行例の大きく 2 つに分けて考える必要がある.
根治手術未施行例では,チアノーゼ継続による長期低酸素血症があり,またそのため二
次的多血症が生じており,これによる臓器障害を認める.十分な酸素飽和度を得るために
は,非妊時で Hb 15∼17g"
dl ,Ht 45∼50%を目安とすることがよく,それ以上でも,
以下でも障害を生じやすい.また,低酸素からくるエネルギー産生系の変化や代謝系の変
化より,高尿酸血症(尿酸値≧8.0mg"
dl )
,腎機能障害(CCr<50ml "
min やタンパク尿)
,
中枢神経系合併症として脳膿瘍や脳梗塞,感染性心内膜炎などをきたして,死亡する可能
性が高い12).したがって,母体に対する予後も不良であるが,胎児に対しても流産率,
IUGR,胎児ジストレスや死亡を起こしやすく,周産期死亡は5%と高率である.
一方,根治手術施行では,比較的予後がよいといわれているが,遠隔期の合併症として,
不整脈,大動脈弁閉鎖不全(AR)
,右室負荷,左室負荷などが起こることが明らかにされ
13)
てきた .
根治手術例では母体死亡のリスクは少ないとされているが,妊娠中の心機能の悪化は時
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(表1) NYHA の心機能分類
(1979 年 14))
class Ⅰ
class Ⅱ
class Ⅲ
class Ⅳ
活動の制限のない心臓病患者.日常生活の身体的活動でも,疲労感,呼吸困難や動悸な
ど症状が認められない
身体的活動に軽度の制限がある.安静時は快適であるが,日常生活の身体的活動で症状
が認められる
身体的活動に著明な制限がある.安静時は快適であるが,軽度の日常生活の活動でも症
状が認められる
どのような身体的活動にも不快な症状を伴う.安静時にも症状があり,日常生活のどの
ような活動でも症状は増強する
に 認 め ら れ る.1988∼2000年
TOF 根 治 術 後(含.肺 動 脈 閉 鎖;
Rastelli 手 術 後 4 例)
47例,64分
娩について,NYHA 心機能分類(表
14)
1)
による心機能の変化を図 1 に
まとめた.すべての症例で,妊娠前
は NYHA 心機能分類は class"で
あった.多くの症例は,妊娠中も心
機能は良好に保たれたが,3 例,約
5%の症例に妊娠経過とともに不整
脈や AR 合併のための心機能の悪
化を認めた.しかし,強心利尿剤,
ACE 阻害剤,抗不整脈薬などの集
中的な治療とともに,最終的に産褥
期には全例心機能は class"へと回
復した.
(図 1 ) TOF 根 治 手 術 症 例 の 妊 娠 経 過 に 伴 う
NYHA 心機能分類13)
1988∼2000年 東 京 女 子 医 科 大 学
TOF 根治術後
(含.肺動脈閉鎖;Rastelli
手 術 後 4 例)
47例 64妊娠
(年齢 28.6±
4.5歳,術後 18.1±7.2年)
PSVT:発作性上室性頻拍
AR:大動脈弁閉鎖不全
弁置換後症例の妊娠転帰
表 2 に1973∼2004年の弁置換後29症例の妊娠転帰を示した15).僧帽弁置換(MVR)
後12例,大動脈弁置換(AVR)
後14例が中心であり,それぞれ生体弁,機械弁置換後の症
例がある.通常,機械弁置換後は抗凝固療法を行うが,症例により必ずしも使用されてい
なかった.分娩様式は産科適応により決定したため,正期産における帝王切開率は少なく,
帝王切開症例は全体の29症例中 6 例であった.合併症として,2 例に母体の大量出血を,
3 例に母体死亡を認め,母体死亡の 1 例は分娩 1 カ月以内に自宅で死亡しており,死因
はすべて血栓症であった.なお,3 例に胎内死亡を認めたが,このうちの 1 例,および
Cabrol の手術後で妊娠中期にワーファリンを使用していた症例の計 2 例に胎児頭蓋内出
血を認めた.なお,Cabrol 手術とは,人工弁付人工血管で大動脈弁と上行大動脈置換を
行い,さらに冠動脈の再建を人工血管で行うものである.本症例は31歳で,既往歴とし
て,大動脈弁輪拡張症とバルサルバ洞破裂をきたして Cabrol 手術を行った症例で,妊娠
6 ∼13週をへパリン,13週以降をワーファリンで治療していたが,妊娠28週 6 日でワー
ファリン服用中に胎児頭蓋内出血と診断された.その後へパリンに切り替えたが,頭蓋内
出血の増大はなく,妊娠32週 0 日,帝王切開にて1,720g の児を Apgar score 1 分後
7 点,5 分後10点で分娩した.通常,胎児頭蓋内出血の児の予後は不良であるが,本症
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(表2) 弁置換後 29 症例の妊娠転帰(文献15) より一部改変)
(東京女子医科大学 1973 ∼ 2004 年)
手術
例数
MVR
12
AVR
14
DVR
TVR
Cabrol
1
1
1
機械弁
生体弁
抗凝固剤
8
W3,W-H3,
(−)2
4
W1,(−)3
13
W3,W-H2,H1,
(−)7
1
(−)1
1(機) W1
1(生) (−)1
1(機) W-H1
分娩様式
N-V-F-C/S
5-1-1-1
1-2-0-1
9-1-1-2
1-0-0-0
0-1-0-0
0-0-0-1
0-0-0-1
大量出血
転帰
IUFD
母体死亡
(血栓症)
1
0
1
1 頭蓋内出血
1
1
2
0
1
1
(胎児頭蓋
内出血)
DVR:二弁置換,AVR + MVR,TVR:三尖弁置換,W:ワーファリン,H:ヘパリン,W-H:妊娠
中 switch,N:正常分娩,V:吸引分娩,F:鉗子分娩
例の児は現在 4 歳であるが,後遺障害はなく経過している16).
症例提示
1)Eisenmenger 症候群母体死亡例
症例は31歳未経妊,入院時主訴は呼吸困難,入院時診断は妊娠24週 4 日,PDA 手術
未施行,Eisenmenger 症候群,心不全であった.
既往歴として,PDA で手術未施行,妊娠前に肺高血圧を認め,NYHA 心機能分類は
class#.
現病歴:無月経を主訴に,妊娠 7 週で初診.家族と本人は妊娠継続を強く希望し,当
院胸部外科と相談のうえ,妊娠継続とした.
初診時より子宮内にエコーフリースペースを認め,18週頃まで切迫流産,絨毛膜下血
腫の診断で,入院・退院を繰り返していた.24週頃より軽度の感冒様症状を認め,症状
が軽快しないうちに,呼吸困難が出現し,妊娠24週 4 日に入院した.
入院時,心不全症状を呈しており,胸部外科と相談のうえ,酸素投与,ジギタリス,利
尿剤を使用した.児は IUGR で,胎盤の著明な腫大を認めた.しかし,翌日,DIC 様所
見(出血時間延長,血小板数低下,アンチトロンビン低下)
が出現し,胎盤早期"離を疑い,
抗 DIC 療法を開始し,CVP モニターの下,心不全に対する治療を継続した.心不全症状
は軽快せず,妊娠継続不可と判断し,ターミネーションを決定したが,全身状態不良のた
め,経腟分娩方針とした.同日ラミナリア桿挿入,引き続きメトロイリーゼ挿入して,24
週 6 日に420g の児を死産した.出血量は365g で,すぐに ICU へ入室した.
産褥期にも,抗 DIC 療法,心不全治療を継続したが,次第に肺高血圧は進行し,肺で
のガス交換は極めて不良で,全身の低酸素化をきたした.人工肺を使用したが,産褥11
日目に死亡した.
本症例は,妊娠前に肺高血圧は認めるものの左-右シャントであり,NYHA 心機能分類
は class#であった.しかし,妊娠中は体循環の血管抵抗の減少があり,さらに本症例は
上気道感染をきっかけとしてさらに肺高血圧が進行したため,Eisenmenger 化したも
のと考えられた.シャントは左右ほぼ等圧となって肺血流量の著明な低下をきたし,母体
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へ酸素投与を行っても酸素化はきわめて難しく母体の救命は不可能であった.肺高血圧症
のある症例では,非妊時心機能は比較的良好であっても,妊娠などによる心負荷をきっか
けに,はじめて症状が明らかとなることもある.Eisenmenger 症候群は母体死亡率30∼
70%,胎児死亡率約50%と報告されており,さらに出産後数日以内に死の転帰をとる17)∼19)
ことも少なくなく,肺高血圧症での妊娠,出産は避けるべきである.
2)肥大型心筋症(HCM)
妊娠例
症例は,31歳未経妊,家族歴で母に肥大型心筋症,母方伯父 2 人に肥大型心筋症と突
然死を認め,中学入学時の健康診断にて,心電図の異常から家族性肥大型心筋症と診断さ
れていた.
現病歴:中学時代は体育制限のみで日常生活は可能であった.
20歳頃より不整脈,25歳より動悸,労作時の息切れを自覚し,30歳で,妊娠前に心筋
症の精査をしようとしていた矢先に妊娠した.
妊娠 8 週時に精査にて,拡張型心筋症(d-HCM)
へ移行しているリスクの高い状態と診
断された.この時,妊娠に伴う母児のリスクについて,数回にわたり,医療スタッフ,家
族との話し合いがもたれ,ターミネーションを勧められたが,強い希望の下,妊娠継続と
なった.
妊娠21週 3 日で,安静でも冷感を伴う動悸を自覚し入院したが,しばしば PVC や長
期持続はしない心室性頻脈(いわゆる non-sus VT)
が出現した.NYHA 心機能分類は
class$と診断されたが,この時は CTR 50∼52%,SaO2 99∼97%と比較的心機能は
保たれていた.
妊娠23週頃より動悸はさらに増加し,心エコー上左室収縮力低下を認めたため,長期
妊娠継続は危険と判断され,児体重1,000g を越えた時点でのターミネーション方針とし
た.
妊娠29週 4 日選択的帝王切開術を Swan-Gans カテーテルモニター併用,硬膜外麻酔
下に行い,1,046g の児を Apgar score 1 分後 6 点,5 分後 8 点,出血量700g で分娩
した.
直後より ICU へ入室したが,CTR 57.6% CVP10,Chest X-p 上 肺血管陰影増
加と湿性ラ音を認めた.心不全と診断し,ドパミンと利尿剤を使用したが,産褥 1 日目
cardiac index(CI:≦2.2は心不全)
は1.87,
血圧は68"
40mmHg まで低下し,母体死亡
のリスクは増大した. この時, ドブタミンを追加したが, non-sus VT は頻発していた.
産褥 2 日目,心不全と不整脈管理目的で心臓内科へ転科した.転科前後より加療により
血圧は徐々に正常化し,心機能は CI 2.4と改善傾向を示した.
産褥45日,分娩直後はなかった左心室内血栓を認めたため,ワーファリゼーションを
開始し,産褥95日,左心室内血栓は消失したため,退院した.この時 NYHA 心機能分類
は class#まで改善した.
HCM の大部分は収縮関連タンパクの遺伝子異常が原因であり,常染色体優性遺伝を示
す.10種類以上のタンパクが原因となりうるため,臨床像や予後も多様である.したがっ
て高リスク症例の見極めが重要であり,心室性期外収縮,心房細動,心室頻拍の合併症は
重要なサインである.死因は突然死,心不全死,塞栓死のいずれかが大部分を占めるとさ
れ,突然死の予防と共に,心房細動に対する抗凝固療法が重要である.約10%は,徐々
に拡張型心筋症様の収縮不全をきたし,進行性で予後不良である.妊娠,出産の予後につ
いては自然経過が個体により大きく異なるため,一概に決められないが,全妊娠の約2%
で予後不良であること,拡張型心筋症ではきわめて高リスクとなる20)21).本症のように妊
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娠初期に class#の心機能であるならば,原則的に妊娠の継続は禁忌と考えるべきである.
また,早期ターミネーションにより妊娠期は乗り切っても,産褥期には心拍出量低下のた
めうっ血性心不全を生じ,さらに拡大した心腔内に血栓を生じたことにより,母体死亡の
可能性はかなり高率と考えられた.
3)弁置換妊婦の産褥期母体死亡例
症例は35歳,未経産で,入院時診断は,妊娠38週 4 日,AVR 後,妊娠高血圧症候群
であった.
既往症として,18歳でリウマチ熱,AR にて21歳で AVR(BJ 弁:機械弁)
を施行した.
手術後よりワーファリンを服用していたが,32歳.13週で自然流産した時より,ワーファ
リンを自己中止し,以後ジピリダモールのみで経過観察されていた.
現病歴>妊娠 7 週で初診した.循環器内科および家族と相談したうえで,ヘパリン使
用(1∼1.5万単位"
日皮下注射)
で妊娠継続とし,以後,心機能は問題なく,妊娠は順調に
経過した.
妊娠37週で尿タンパクが2+となり,38週 3 日 血圧137"
95mmHg,浮腫2+となっ
たため,妊娠高血圧症候群の診断で翌日入院した.
39週 1 日自然破水し,39週 2 日に羊水混濁は2+となったが,酸素投与下に破水後24
時間で,3,085g の児を Apgar score 1 分後 6 点,5 分後 8 点,出血量465g で鉗子分
娩した.ヘパリンは分娩時一時中止したものの,6 時間後より再開した.
産褥 6 日に Hb 6.0g"
dl と重症の貧血を認め,会陰切開部血腫形成のため血腫除去と
再縫合術を施行した.同日と翌日に計 5 単位の輸血を施行し,Hb 9.2g"
dl まで改善し
たが,輸血終了頃より動悸,発汗,息苦しさを訴え,症状は次第に増悪した.
産褥11日に肺野湿性ラ音を認め,酸素投与下に PO2 65.9mmHg と低下し,心不全と
診断された.産褥12日に心臓内科へ転科したが,翌日死亡した.剖検にて,死因は大動
脈弁の血栓形成(血栓弁形成)
のためと考えられた.
人工弁置換後の妊娠はできる限り避けるべきである.本症例は,妊娠中はヘパリン治療
で比較的順調に経過したが,時にヘパリンだけでは抗凝固療法が不十分となる.しかし,
ワーファリンはその使用により胎盤通過のために,妊娠初期は胎児の骨格系の異常をきた
す可能性があり22)23),また,分娩に近づくにつれて児の出血傾向のリスクが高まる22)24).
したがって,妊娠13週から35∼36週までをワーファリン治療として,その他をヘパリン
治療とするが,実は妊娠末期に至らなくてもワーファリンによる児の出血傾向の可能性は
あり注意を要する16).本症例は鉗子分娩後に産道に血腫を形成した.血腫形成により貧血
が高度に進行したため,輸血を行ったが,高度貧血→輸血時の血液性状は不安定であり,
抗凝固剤の至適投与の調節はむずかしく,このため血栓弁形成にいたったと考えられた.
抗凝固療法時の外科的処置に伴う出血傾向や一時的な抗凝固療法中止時における血栓形成
のリスクには緻密な観察,確実な止血手技と抗凝固療法のコントロールが必要である.
心疾患合併妊婦の管理
妊娠中の管理としては,初期には,母体の心疾患,心機能,不整脈や肺高血圧の有無,
使用薬剤などを慎重に評価する.循環器系の負荷の高まる妊娠中期には,十分な安静のほ
か,定期的に心機能を評価し,必要であれば,降圧剤,抗不整脈剤,利尿剤投与を行う.
近年,増加している先天性心疾患合併母体には,通常より児に心奇形を認めることが多く,
また,チアノーゼ性心疾患の母体では,IUGR となりやすいため,胎児エコーの評価は重
要である.妊娠後期では,分娩様式およびターミネーションの時期決定が重要となり,出
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(表3) 心疾患合併妊婦の管理 ガイドライン抜粋(文献 25)より)
* NYHA 分類 class Ⅰの妊娠管理は,感染性心内膜炎の危険性を除いて,健康人の妊娠分
娩管理と同じである.
*すべての心疾患妊婦は分娩開始から抗生物質の予防的投与が必要.
*正期産では心機能分類に関係なく,帝王切開は産科的適応に限る.ただし,心機能の悪
化などから緊急の分娩が求められる場合や大動脈解離の危険性のあるマルファン症候
群では帝王切開の適応となる.
* NYHA 心機能分類 class Ⅲ以上,肺高血圧症合併,医療機関未受診などリスクの高い
心疾患妊婦は,妊娠を中絶せざるを得ない場合がある.
*人工弁置換術後の妊娠中は可及的全期間で,胎盤通過性のないヘパリンの慎重使用が推
奨される.器官形成期と分娩周辺期以外はワーファリンを用いるとの意見もある.
*心疾患妊婦の分娩中は子宮収縮や怒責に伴う血行動態の変化,仰臥位による低血圧,分
娩出血によるショックに対応せねばならない.脈拍(心電図)
,血圧,中心静脈圧,経
皮 SO2 などをモニタ−する.
*少なくとも NYHA 心機能分類 class Ⅱ以上では麻酔分娩の適応である.持続硬膜外麻酔
が推奨され,出口鉗子もしくは吸引分娩が推奨される .
*完全房室ブロックなど徐脈型不整脈合併妊娠の植え込み型ペースメーカーの適応は非
妊時と同じでよい.
(表4) 母体死亡率に基づいた心疾患の重症度分類
疾患名
Group 1
ASD,VSD,PDA,肺動脈弁・三尖弁の疾患
TOF(修復後)
,生体弁による弁置換
MS(NYHA 心機能分類 class Ⅰ,Ⅱ)
Group 2
2A:MS(NYHA 心機能分類 class Ⅲ,Ⅳ),AS
大動脈縮窄症(弁に病変がない)
TOF(未修復)
,心筋梗塞の既往
Marfan 症候群(大動脈病変がない)
2B:MS(心房細動あり)
,人工弁置換
Group 3
肺高血圧症
大動脈縮窄症(弁に病変あり)
Marfan 症候群(大動脈病変あり)
死亡率(%)
0∼1
5 ∼ 15
25 ∼ 50
(ACOG, 1992)
血傾向がなければ経腟分娩時は硬膜外麻酔の併用の下,第二期短縮のため鉗子分娩を行う
ことが推奨される.なお,早期のターミネーションでは,帝王切開が選択されることが多
い.適切な輸液,血栓症や感染症の予防は言うまでもなく,産科的にも,妊娠高血圧症候
群や IUGR,分娩時大量出血,および産褥期まで通しての感染に対する管理は重要である.
産科,循環器科,新生児科との連携は言うまでもないが,さらに麻酔科医や ICU の体制
も整っている施設で管理すべきである.日本における成人先天性心疾患合併妊婦の管理ガ
イドラインの抜粋を表 3 に示した25).
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母体死亡率に基づいた心疾患の重症度分類
心疾患合併妊娠では,疾患により種々のリスクを伴いやすく,しばしば母体死亡を招く
ことより,本人および家族に対する情報の提供は重要であり,本人と家族の理解および協
力は必須である.妊娠に伴う心疾患の重症度分類を表 41)に示した.これらを情報提供の
参考にしていただきたい.
結
語
1.心疾患合併妊娠では,先天性心疾患合併の比率が増加している.
2.従来より管理の難しかった TOF 患者も,小児期の根治手術成績の向上により,修復
手術例の妊娠予後は概ね良好である.しかし,5%前後に妊娠中の NYHA 心機能分類
の悪化がみられ,特に AR や不整脈増加で心不全併発に注意が必要である.
3.NYHA 心機能分類 class"以下であっても,中等度以上の肺高血圧症合併例につい
ては母体死亡につながりやすく,妊娠は許可できない.
4.肥大型心筋症では母体の心不全を来しやすく,児への遺伝の問題もある.個々の症例
により一律にいえないが,拡張型に進行したものでは原則的に妊娠を許可しない.
5.人工弁置換後の抗凝固療法中は,原則的に妊娠を許可しないが,継続する場合には,
初期と後期はヘパリンへの変更が必要である.分娩時出血多量となった場合には,抗
凝固剤のコントロールはきわめて難しく,血栓症発症による弁の機能不全は母体死亡
につながりやすい.児障害も起こりうる.
6.十分な知識・情報の提供,本人と家族の理解,循環器科,NICU,麻酔科,心理士な
どとの連携の下,慎重な母児管理が必要である.
謝
辞
稿を終えるに当たり,資料作成に協力いただきました以下の研究者の方々に深謝いたします.
(敬称略)
梅崎
泉,小野恵里奈,川道弥生,松田義雄(東京女子医科大学母子総合医療センター)
,太田博明
(同,
産婦人科学教室)
,中澤 誠,篠原徳子,上塚芳郎
(同,心臓血圧研究所)
,黒島淳子
(至誠会第二病院)
,
坂井昌人,中林正雄(母子愛育会愛育病院産婦人科)
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