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英語発音訓練指導における音声分析 ソフトウェア利用の
英語発音訓練指導における音声分析 ソフトウェア利用の可能性について ―母音 /æ/ を中心に i 大 塚 貞 子 1. はじめに 英語発音の習得においては、口の形や舌の位置などの調音を学ぶだけでな く、サウンド・スペクトログラフを利用して分析的に学習することにより、 Native Speaker の発音により近づけることができる。学習者にとっては、英 語母音の発音に必要な舌の高低・前後の位置、唇の開き加減などの微妙な調 整は印象や勘に頼らざるをえない。耳で聞いただけではその違いもはっきり とは識別できず、どの程度の調整が必要であるか具体的にわからない。然る に音声を録音し、コンピュータに音声ファイルとして取り込み、測定分析す ると、この微妙な差異がスペクトログラム上のフォルマントの周波数の違い として現れる。このような音響の性質を理解して、本学の学生は自分の発音 の分析結果と Native Speaker のスペクトログラムとを比較して矯正し、より natural な発音を習得できるようになるii。 本稿では /æ/ の音を中心に学生の発音を調べてみた。日本語には母音が 「ア」「イ」「ウ」「エ」「オ」の 5 種類しかなく、「ア」という音は 1 つしかな いが、英語には「ア」近い音がいくつもある。母音発音表示に使われる図 1 の International PhoneticAlphabet(IPA)で、英語母音発音記号とその発 音の際の口の開き方と舌の位置を見てみると、例えば、animal の a にあた る音は音素記号 /æ/ で表し、舌の位置はやや Front に近く、口の開き加減 は Open-mid と Open の間である。father の下線部分の音は /a/ と言う音 で、/æ/ よりも舌の位置は Central に近く、口の開き加減はより Open の ―131― 図 1 International Phonetic Alphabet(1989)より 位置である。was は /ʌ/ で、舌の位置は Back であり、口の開き方は /æ/ よ りやや閉じた Open-mid である。この僅かな口の開き方、舌の位置などの 差異をはっきりと習得して使い分けることが困難であることは想像に難くな い。 このように、日本人学習者にとって英語母音習得が困難であることの理由 として、Gimson(2008: 100)はギリシャ語、ヒンディー語などと共に日本 語には 5 つの母音しかないこと、一方どのような数え方をしようとも、英語 母音は世界でも特殊で複雑なシステムの言語の一つであることをあげて、特 に次のような音素の 4 つのグループ内では混同しやすいと述べている。 Difficulty is most predictable in those areas where vowels are closer within the vowel space; thus confusions are very likely within any of the following groups: /iː, ɪ/, /e, æ, ʌ/, /ɒ, ɑː, ɔː/, /uː, ʊ/iii. ―132― この /æ/ の音を学生達はどのように発音しているのだろうか?國廣(1980: 27–28)は日英母音の比較で /æ/ の音を次の様に説明している。「hand, lamp 等の母音だが、これも日本人の苦手とする音の 1 つである。」また、発音指 導として、「C[ɛ]と C[a]を会得した後にその中間より幾分 C[ɛ]寄りの 舌の位置を覚え込むのが最も確実な方法である。」としている。このよう に /æ/ の音はしばしば[a]と[ɛ]の中間の音と説明されているが、前述 の Gimson(2008: 100)の挙げたグループ内での混同、すなわち、/e/ の音 や /ʌ/ の音と似たように発音しがちなのだろうか。この /ʌ/ の音の発音につい て、國廣(1980: 28)は「イギリス英語の方から言うと....、舌の位置はほ ぼアに等しい。だから教室での筆者は、安心して日本語のアを使え、ただ し[ʌ]ではアよりも口を大きく開くこと、と指導している。ただこの場合は [æ]との混同が(アメリカ英語をターゲットとする場合以上に)生じやすい /much[mʌʧ], ban[bæn]/bun[bʌn]などの組み合わせ ので、match[mæʧ] による両者区別の練習が欠かせない。」とも述べている。 実際に学生の /æ/ の発音は調音位置の近い /ʌ/ や /e/ と混同していないか、 特に日本語の[ア]と非常に近い /ʌ/ と混同していないか、などの点に注目 してサウンド・スペクトログラムを比較調査した。また Native Speaker の発 音とかなり違っている場合は、どのように違っているのか、それをどのよう に指導することができるかを考察した。 2. 資料について 本学英語文学文化専攻の英語音声学Ⅰの学生の音声を録音しiv、英国と米 国の女性の Native Speaker の教師 2 人の発音と比較した。発音分析に使った 英語の文章は、教科書巻末に示された母音チェック用のセンテンスのうち、 今回の /æ/ の音の調査として次の 2 つのつながったセンテンスを用いて、発 音を収録した。 (1) Many animals inhabit Africa. ―133― (2) Africa has camels, giraffes, parrots, and bats. (1)の 3 カ所(animals, inhabit, Africa)、(2)の 6 カ所(Africa, has, camels, giraffes, parrots, bats)の下線部が /æ/ の音である。 この同じ文章を読んだ英米の Native Speaker と学生の発音の比較と共に、 文献にある英米のフォルマント周波数のデータも参考にして比較検討の材料 にした。 3. 使用したソフトについて 分析には「杉スピーチアナライザー(Sugi Speech Analyzer)」を用いたv。 図 2 に見られるように最上段に「音声波形」、上段に Transcriptionvi を記入 し、中段に広帯域サウンド・スペクトログラム、下段にフォルマント軌跡 を、最下段にスペクトルと包絡線を表示したものを使用した。 図 2 米国出身の Native Speaker の Many animals inhabit Africa の発音分析 ―134― 4. /æ/ を中心にした発音の仕方とそのサウンド・スペクトログラム (1) /æ/ の発音の調音法 /æ/ は前に述べた International Phonetic Alphabet(1983)の図で分かるよ うに、一般に「低」前舌母音と分類され、唇は丸めないが、多少緊張させて 発音する。Ladefoged(1993: 12–13)は図 3 のような口の中の図に、母音の 微妙な舌の位置の違いを 7 本のカーブで示している。この図に点線の矢印で 指し示したように /æ/ は 4 のカーブに該当するが、Ladefoged(1993: 12–13) が述べているように、1 から 7 までのカーブを徐々に加減せずにいきなり 4 のカーブの調音位置を自覚的に調整することは難しい。 In summary, vowels can be described in terms of three factors:(1) the height of the body of the tongue;(2)the front-back position of the tongue; and(3)the degree of lip rounding. It is very difficult to 図 3 A Course in Phoneticsより(矢印部分は筆者加筆) ―135― become aware of the position of the tongue in vowels, but you can get some impression of tongue height by observing the position of your jaw while saying just the vowels in the four words, heed, hid, head, had. Gimson(2008: 113)はもう少し詳しく、口は /e/ を発音するときよりやや 開け、舌の前の部分は、ただ口を開けたときよりは僅かに中程を上げ、舌の 端が後ろの上の臼歯にほんの微かに接触するようにして、唇は自然に開く、 と言うように説明している。この描写で比較として口の開き具合はわかるも のの、舌の位置を動かし、「正しい」発音かどうかを自分で判断するのは難 しい。発音する一人一人の口の中が覗けるならば良いが、そうでなければこ のような抽象的な記述はいずれも、具体的に学生に指導するための十分な手 がかりとはいえない。英語母音 /æ/ の発音指導に、サウンド・スペクトログ ラフを活用して、どのように具体的で視覚的な指導ができるか、その可能性 を検証した。 (2) 調音とフォルマントとの関係 平坂(2009: 108)は調音とサウンド・スペクトログラフのスペクトルの関 係を次の様に説明する。「母音の音質の差異が生じる要因は、舌の最高点の 高さと位置に起因する声道の形状に依って生み出される共鳴特性の差異に依 るものと言うことができる。」つまり、一人一人の声道(Vocal Tract)の違 いによって生じるサウンド・スペクトログラムは様々に変わる。このよう な母音のスペクトログラムには、同じような周期性を持った波形による倍 音構造が表れる。この様々な倍音は濃い横縞となり、それをフォルマント (formant)という。それぞれ低い周波数から、第 1 フォルマント(F1)、第 2 フォルマント(F2)、第 3 フォルマント(F3)、第 4 フォルマント(F4)vii と呼 ばれている。この様々な倍音を、杉スピーチアナライザーによる分析の図 2 の中段にあるサウンド・スペクトログラムで見てみると、濃い横縞はグラフ の縦軸の 8 KHz ぐらいまでの間にところどころ見られる。 ―136― Ladefoged(1993: 192–193)は、このそれぞれの数値を測定して、次の様 な説明とともに図 4 のようにアメリカ英語母音の周波数値の位置を示してい る。 It is possible to analyze sounds so that we can measure the actual frequencies of the formants. We can then represent them graphically as in Figure 8.5. This figure gives the average of a number of authorities values of the frequencies of the first three formants in eight American English vowels. 図 4 Ladefoged(1993: 193)のアメリカ英語の母音周波数 ―137― Ladefoged(2004)によると、口の中の舌の位置が高ければ第 1 フォルマン トは低いフォルマント周波数になり、舌の位置が低ければ高いフォルマント 周波数として表れる。すなわちフォルマントと舌の位置は高低が逆になって いる。また、発音の際に舌が口の前寄りの場合は第 2 フォルマントの周波数 が高くなり、後寄りの場合には低くなるという。/æ/ と言う母音は唇の丸め などの影響がないので、主に第 1 と第 2 フォルマントによって、その性質を 調べることができる。 Ogden(2009: 62–63)は母音の音響として、サウンド・スペクトログラム に表れるフォルマントのうち、第 1 フォルマント(F1)と第 2 フォルマント (F2)との関係を、同じく次の様に説明している。 There is a relatively simple correspondence between tongue height, frontness and backness, and the relative position of F1 and F2. The first formant relates to the vowel height. Close vowels have a low F1, and open vowels have a high F1. The second formant relates to frontness and backness. Front vowels have a high F2, but back vowels have a low F2. このフォルマントの説明を IPA の図 1 の調音位置に F1 と F2 のフォルマン トの周波数の high と low を合わせて書き込んでみると、図 5 の様にな る。 従って、学生の /æ/ の音の F1 の周波数の値が Native Speaker の発音より高 ければ /a/ に近い発音をしていることになり、低ければ、/ɛ/ に近い発音をし ていることになる。同様に F2 の周波数の値が Native Speaker の発音より高 ければ /ɛ/ に近い発音をしていることになり、低ければ /a/ に近い発音をして いることになる。更に F2 がかなり低く、F1 もやや低い場合は /ʌ/ に近い発 音をしていると考えられる。 ―138― 図 5 IPA にフォルマント周波数値との関係を書き込んだもの(筆者によ る加筆) また、Yavaş(2011: 103)は簡単な原則として F2 の値から F1 の値を引いた 値と F1 の関係を次の図の様に示している。 A vowel is more front when the difference between F2 frequency and F1 frequency is greater than the same difference for another vowel. F2 と F1 の周波数値の差が他の母音より大きいとき、その母音はより舌の 位置が前にあるとして、図 6 を示している。これは前述の IPA の図に似てい る形であることが見て取れる。 このことから学生のサウンド・スペクトログラムの読み取りには、Native Speaker のサウンド・スペクトログラムと比べて、濃い横縞の F1 と F2 が離 れていれば、その音は natural な発音より、舌を前の位置に置いていると 言うことを相対的に見ることができる。以上のような F1 と F2 の周波数値や ―139― 図 6 YavaŞ(2011: 103)の図 その相対的な位置関係を見ることで、調音の説明に合わせて発音している学 生の口の中のレントゲン写真を見なくても、舌の位置が読み取れることにな り、それを基に口の開き方、舌の位置を調整することが可能になる。 (3) フォルマント周波数の数値 調音とフォルマント周波数の関係を見るための目安として、/æ/ の音の F1 と F2 のデータを文献から参考にした。表 1 のように英米の女性の発音の F1 と F2 の値の目安として Gimson(2008)と Peterson and Barney(1952)の 表 1 文献にある /æ/ の F1 と F2 の比較表 F1(Hz) F2(Hz) インフォーマント情報 Gimson(2008): 英(RP)、女性 8 名の平均値 YavaȘ(2011)Peterson and Barney s(1952)data. より:米、女 性(人数不明)の値 ―140― 1011 1759 860 2050 データを手がかりとした。 このフォルマントの周波数の数値は、前述のように個人個人の声道の違 いや、発音されたときの環境等で様々に異なる。従って固定された数値で はなく、幅のある相対的な目安である。今回の調査で必要な女性の発音と しては、F1 の値はイギリス英語の場合は 1000 Hz のあたり、アメリカ英語 は 800 Hz くらいとなる。F2 はイギリス英語の場合は 1700∼1800 Hz くらい、 アメリカ英語では 2000 Hz くらいを中心とした前後に幅のある数値を比較の 目安とした。 5. データの分析 杉スピーチアナライザーのサウンド・スペクトログラムとフォルマント軌 跡を比較し、スペクトルと包絡線を使って F1 と F2 を調べた。/æ/ と言う音 は発音の際に維持時間(duration)が比較的長いのでviii、そのフォルマント 軌跡の F1 と F2 の線が最も安定している場所、つまり、ある程度の間隔で同 じ値が続いている場所で、/æ/ の音のフォルマント周波数値を調べることが できる。純音でなく、文章や単語などの発音の一部を調査する場合、一つの 音素の発音はその音の前後の音の調音位置に近づくにつれて、口の中の舌や 口の形の位置がそれに移るために徐々に形が変わり、同時にサウンド・スペ クトログラムも変わる。このような「わたり」(フォルマント遷移)のない 部分でグラフ上の場所を指定して、フォルマントの周波数値を調べた。具体 的には発音を聞きながら、サウンド・スペクトログラムの母音 /æ/ の前後の 子音や母音に移り変わる中間地点で、僅かずつカーソルを動かして、フォル マント軌跡を見ながら F1 と F2 の同じ値が続く部分を探した。 対 象 と し た 2 つ の セ ン テ ン ス(Many animals inhabit Africa. Africa has camels, giraffes, parrots, and bats.)には、/æ/ の音が、合計 9 回使われている ので、それぞれの値を比較して、Native Speaker と学生の発音の分散の具合 を調べた。英国(B)と米国(A)の Native Speaker の発音の違いを先に調 ―141― 図 7 BNS: Many animals inhabit Africa. のスペクトログラムとフォルマント軌跡 図 8 BNS: Africa has camels, giraffes, parrots and bats. のスペクトログラムとフォルマ ント軌跡 べてみた。特に F1 と F2 の違いが見やすい様にフォルマント軌跡の /æ/ の音 の部分を縦の楕円で囲んだ。 (1) Native Speaker(NS)のスペクトログラム (a) イギリス英語の場合 イギリス出身の Native Speaker の発音の場合は、図 7 と図 8 を見てわかる ように下段のグラフの点線で示されたフォルマント軌跡の、下から 1 番目と 2 番目の点線で示された F1 と F2 の線が、どの場合もかなり近いことが特徴 である。 (b) アメリカ英語の場合 図 9 と図 10 を見ると、アメリカ出身の Native Speaker の発音はイギリス出 身の F1 と F2 のフォルマント軌跡の開き加減よりやや広いことが分かる。 ―142― 図 9 ANS: Many animals inhabit Africa. のスペクトログラムとフォルマント軌跡 図 10 ANS: Africa has camels, giraffes, parrots and bats. のスペクトログラムとフォ ルマント軌跡 表 2 英 国 Native Speaker(BNS) と 米 国 Native Speaker(ANS) の F1 と F2 の 値 (Hz) F1 BNS ANS F2 BNS ANS animals 925 689 animals 1528 1765 inhabit 968 732 inhabit 1507 1679 Africa-1 969 732 Africa-1 1615 1765 Africa-2 969 775 Africa-2 1615 1765 has 839 710 has 1615 1787 camels 990 667 camels 1528 1744 giraffes 925 775 giraffes 1507 1679 parrots 925 710 parrots 1615 1722 bats 882 795 bats 1442 1722 ―143― サウンド・スペクトログラムでは F1 と F2 はその周波数が近いので上記の 図からでは F1 と F2 の間隔のはっきりとした違いが分からないが、フォルマ ント軌跡の /æ/ の音の部分に楕円で記した場所の周波数を見ると、両方とも 参考とした文献での値と大きく違わないことがわかる。すなわち 2000 Hz 以 下で、イギリス英語は F1 周波数値が高く、F2 は低いのでこの間隔は狭く、 アメリカ英語は F1 の値が低く、F2 が高いので間隔は開いている。しかし両 図 11 Native Speaker の F1 値比較 図 12 Native Speaker の F2 値比較 ―144― 者とも F1 と F2 の差は一定している。スペクトルと包絡線を使って切り取っ た部分の二人の Native Speaker の F1 と F2 の周波数値を表 2 に示し、見やす いようにその値を図 11 と図 12 のグラフで比較してみる ix。折れ線グラフで 見ると英米どちらの Native Speaker もそのフォルマント周波数の値が大きく 変わらずに発音していることがわかる。 (2) 学生のサウンド・スペクトログラム 学生のサウンド・スペクトログラムを分析して気づいた点としては、 Native Speaker の発音と違って、一つ一つの単語が区切れている、すなわち Connected Speech になっていないと言う点があるx。音声波形を見るとより 明らかであるが、サウンド・スペクトログラムの黒い縞模様の強弱からもこ の傾向は見て取れる。センテンスの発音としては自然ではないが、一つ一つ の単語としては区切りがはっきりしていて、その部分の音の特定が容易で あった。 学生一人一人の発音を /æ/ の音に注目して耳で聞いて、それぞれ A、B、C の 3 つのグループに分けた。A のグループは、比較的 Native Speaker の発音 の /æ/ の音に聞こえて、この 2 つのセンテンスの他の場所でも同様に発音し ているように聞こえるもの、B のグループは、時々 /æ/ の音で発音している がそれ以外は /ʌ/ の音に近い発音をしていると思われるもの、C グループは、 ほとんどが /ʌ/ の音で発音しているように聞こえるものに分類した。 前述の Native Speaker の場合と同様に、サウンド・スペクトログラムの上 でマウスを動かして、安定した部分のスペクトラムを指定し、F1 と F2 を求 めた。その結果の数値は巻末の Appendix に示してある。それを図 13 のよう に折れ線グラフにしたものを、Native Speaker の場合と比較して見ると、か なり F1 と F2 の数値の高低が激しい学生がいることがわかる。 全体としてみても、Native Speaker の発音より周波数値の大きな開きが見 られ、その時々で舌の高低・前後の位置が定まっていない傾向にあると仮定 される。個々の学生の発音を見て、どのように指導するかを考察してみる。 ―145― 図 13 学生の F1 値比較 図 14 学生の F2 数値の比較 (3) 学生のサウンド・スペクトログラムを見ての指導への手がかり (a) グループ A の学生の発音のサウンド・スペクトログラムの例 学生⑥はすべての音で /æ/ のように発音しているように聞こえ、図 15 と 図 16 のサウンド・スペクトログラムを見ても、フォルマント軌跡を見ても 安定している。F1 と F2 の間隔も Native Speaker の場合と同である。F1 と F2 ―146― 図 15 学生⑥のセンテンス 1 のスペクトログラムとフォルマント軌跡 図 16 学生⑥のセンテンス 2 のスペクトログラムとフォルマント軌跡 の周波数の値を見ると、F1 は常に 1000 ∼ 1100 Hz の間に収まっており、F2 は 1700 ∼ 1800 Hz にある。これは前述の表 2 の Gimson の挙げた数値とも一 致する。この学生にはほとんどアドバイスは必要ないといえる。 学生④は図 17 と図 18 のフォルマント軌跡で見ると、Africa と giraffes の発 音がやや /ʌ/ の音に近い発音をしてはいるものの、それ以外は安定した音に 聞こえ、実際それぞれの F1 と F2 も一定である。この学生には、サウンド・ スペクトログラムを見ながらいつも同じような発音をするように練習する こと、この二つの単語、Africa と giraffes の発音に気をつける様に指導する。 F1 の値を見てみると全体的に 700∼800 Hz の間であるが、この 2 つの単語だ けは 950 Hz になっている。F1 をもう少し低い値にするために、舌の位置を やや高めにすること、またこの 2 つの単語では F2 の値が低いので、後舌母 音である /ʌ/ の音に近い音となっていることを指摘して、舌の位置を意識し てもう少し前寄りに発音することが必要であるとアドバイスする。 ―147― 図 17 学生④のセンテンス 1 のスペクトログラムとフォルマント軌跡 図 18 学生④のセンテンス 2 のスペクトログラムとフォルマント軌跡 (b) グループ B の学生の発音のサウンド・スペクトログラムの例 学生⑤の発音はいくつかの単語では /æ/ のように聞こえ、他では /ʌ/ のよ うに聞こえる。実際に図 19 と図 20 のサウンド・スペクトログラムを見て も、フォルマント軌跡は安定していない。F1 周波数値は最初のセンテンス では 900 Hz 台でばらつきはないが、2 番目のセンテンスになると図 18 のグ ラフで見ても分かるように色々な値になっている。F2 は全体的に 1100∼ 1700 Hz と動きがある上に、最初の Africa では 1184 Hz と低いが、parrots で は 3036 Hz と高い値を示している。この学生の場合は、F1 は良いので舌の 高低はそのままで、舌の前後の位置に気をつけて発音するように指導する。 また、違う部分はサウンド・スペクトログラムをみて、自分の発音を矯正し つつ練習し、いつも同じように発音できるようにアドバイスする。 学生⑦の発音は全体的には /æ/ のように聞こえる部分も多い。図 22 の フォルマント軌跡を見ても、has のように F1 と F2 がかなり開いていて、/ ε / ―148― 図 19 学生⑤のセンテンス 1 のスペクトログラムとフォルマント軌跡 図 20 学生⑤のセンテンス 2 のスペクトログラムとフォルマント軌跡 図 21 学生⑦のセンテンス 1 のスペクトログラムとフォルマント軌跡 図 22 学生⑦のセンテンス 2 のスペクトログラムとフォルマント軌跡 ―149― に近い発音をしている。しかし、Africa、has、camels、parrots の F2 の周波 数値はやや高めであり、/æ/ の音を発音する場合より舌が前に来すぎている ことを示している。アメリカ英語を意識して、学習したことを実践している ようであるが、F2 が高めな単語では、舌をもう少し中程にして発音するよ うに注意が必要である。グラフからも分かるように、同じ文章の中でも /æ/ の音をその時々によって口の中を色々に動かして、安定した音を出していな いことも指導する必要がある。 (c) グループ C の学生の発音のサウンド・スペクトログラムの例 学生①の場合は全体的に /ʌ/ の音の様に聞こえる。図 23 と図 24 のフォル マント軌跡を見てみると、最初の animals は良いがその後の音は F1 が高く F2 も高い音がある。周波数値で見てみると F1 が高く、前舌母音 /a/ のよう に発音していることが分かる。また、最初のセンテンスの最後にある Africa の語頭の F1 の周波数値は 11076 Hz であるのに対し、センテンス 2 の最初に ある Africa の語頭の F1 の音は 1765 Hz のように開きがあり、F2 は更に大き く違っている。二人の Native Speaker の場合はこの両方の語の周波数値はほ とんど一致していることを考えると、同じ語の /æ/ の発音が非常に不安定で あることは調音法を見なおさせる必要もある。この学生には、F1 が 700∼ 1700 Hz と幅広く、F2 も 1550∼3300 Hz まで変化しているので、調音指導と 共に、一定した発音をすることと、一つの音の中でも舌の位置を変えている ので、音が定まらない傾向にあるのでこの点も注意したい。しかし、camels では /æ/ の音の様に聞こえ、周波数値もそのことを示しているがこれは多く の学生に共通している特徴である。この単語だけ /æ/ の音の様に発音すると いうことは、「キャメル」という日本語が影響しているように推測される。 学生③の発音は、/ʌ/ で発音している所と /æ/ と発音しているところが 半々位であるが、その違いが大きい。図 25 と図 26 のサウンド・スペクトロ グラムを見るとフォルマント軌跡の F1 と F2 の距離は、狭いものと広いも のがあり、/æ/ と /ʌ/ の音の周波数値を示している。F1 の周波数値は 600∼ ―150― 図 23 学生①のセンテンス 1 のスペクトログラムとフォルマント軌跡 図 24 学生①のセンテンス 2 のスペクトログラムとフォルマント軌跡 図 25 学生③のセンテンス 1 のスペクトログラムとフォルマント軌跡 図 26 学生③のセンテンス 2 のスペクトログラムとフォルマント軌跡 ―151― 1000 Hz、F2 も 1600∼2700 Hz とそれぞれ幅広い範囲に亘っており、統一さ れていない。①の学生と同様に、センテンス 1 の最後にある Africa の語頭の F2 の周波数値は 1550 Hz であるのに対し、センテンス 2 の最初にある Africa の語頭の F2 の音は 2239 Hz と大きく違っている。この学生の発音は非常に ゆっくりで語と語の間隔もはっきりとしたポーズがあり、学習した母音の発 音を工夫している段階で、まだ身についていないと思われる。調音指導と共 に良い発音の部分を示して周波数値を見ながら練習するようにアドバイスす る必要がある。 6. おわりにーサウンド・スペクトログラムによる指導 英語母音の発音を教室で指導するとき、口の中の舌の前後の位置や高低の 位置をどのようにすれば良いのか、また口の開き加減はどの位開いたら良い かを、図などを使って説明し、学生はそれに倣って発音する。しかしその 過程において学生自身も教師もその音が調音位置に合ったものなのかどう かの判断を「耳」で聞いた印象や勘に頼らざるを得ない。CALL 教室でコン ピュータを使ってサウンド・スペクトログラフによる発音分析をすると、こ のような指導の根拠を視覚的且つ分析的に学生に説明することができる。学 生もまた自分の音の調音位置が正しいかどうかをそのスペクトログラムを見 て、具体的に知ることができる。 今回の調査では、学生の母音 /æ/ の発音を調べてみて、多くの学生が /æ/ の音を一貫して同じように発音をしていないと言うことがフォルマン トの周波数値によって分かった。大部分の学生は口の中で舌の位置をそ の都度変化させて、/æ/ の音としての自分の発音を探りながら発音してい るかのようであった。実際、Native Speaker の発音の様に安定した発音を している学生は一人のみであった。耳で聞いても大部分の学生は 2 つの センテンスのなかの単語を、ある単語では /æ/ のように、別の単語では / ʌ/ のように発音しており、サウンド・スペクトログラムの周波数値もこの 傾向を示している。/ʌ/ に関しては先に述べたように、日本語の「ア」に ―152― 近いので、学生は、2 つの文章のところどころでこの音で対応してしま う傾向にある。意識して丁寧にセンテンスを読んでも、このように多様 な発音をしていると言うことは、無意識に発音しているときは、日本語 の「ア」に近い音で代用していることが予想される。今回の調査で、学生 の /æ/ の発音矯正には、サウンド・スペクトログラフを使った指導が有効で あることが分かった。 学生の発音は、耳では /ʌ/ の音か、又は /a/ の音か区別がつきにくい場合が あるが、フォルマント周波数値により F2 の値を調べて、数値が大きいとき は舌の位置をもう少し後ろにして、小さいときは前よりにするように指導す ることができる。/ɛ/ に近い音を出している学生には、舌が少し高く前より であることの注意と共に、サウンド・スペクトログラムを見ながらその微妙 な違いを加減して学習させる。 このように natural な発音を身につけるには、Native Speaker の発音と比 較しながら、「正しい」発音を習得して、それをいつも発音できるように定 着(Consolidation)させる練習をする必要がある。本学の学生は、英語の発 音矯正が学習できる Tell me More と ATR CALL Brix と言う二つの市販の英 語教材ソフトを用いて、聞取りや発音の練習させている。前者は主にセンテ ンス・リズムの発音練習に重点が置かれていて、後者は個々の「音」や文の 聞取りと発音の練習ができる。両方ともコンピュータによって、学習者の学 習履歴と共に発音の評価が棒グラフやパーセントでフィードバックされる。 同時に各自の発音を音声波形やサウンド・スペクトログラムで見ることがで きるが、この読み方については、ある程度の指導が必要である。100%が出 るまで何回も試行錯誤して練習することはできるが、またそうしている学生 は多いが、授業中にこのサウンド・スペクトログラムの読み方をまとめて簡 略化して説明することで、学習効果は一層上がるものと考える。 注 i 本論文の執筆に際しては、本学人文学科英語文学文化専攻の非常勤講師の ―153― Debra Jones 先生と Sandra Lucore 先生にご協力いただいた。忙しい授業の合間 に Native Speaker として録音に協力していただいたことに、心から感謝申し上 げる。 ii 大塚貞子・小野祥子「英語発音訓練指導における音声分析ソフトウェア利用の 可能性について」2010 年 9 月『東京女子大学紀要「論集」第 61 巻(1 号)』参照。 iii Gimson の用いている発音記号は British English に基づいているので、本稿で 用いている教科書の General American の IPA 記号では表されていないものもあ る。例えば Gimson(2008: 120)では、/ɒ/ と /ɑ/ の区別はなくなっている。 iv 小野祥子先生とそのクラスの学生の協力を得て、授業で使った教科書巻末の母 音発音チェック用センテンスの発音音声を回収して用いた。この英語音声学 の授業では子音・母音の発音及びリズムやイントネーションに関する理論を学 び、実践的に Tell me More、ATR CALL BRIX 等の e-Learning 教材を使って練 習している。 v 杉スピーチアナライザーを分析に用いた理由の一つはその使い易さにある。 SIL のフリーソフト Speech Analyzer は教育用の機能が多いため重く、操作時 間がかかること、フォルマント軌跡がサウンド・スペクトログラムと重なって 見えにくいこと等である。また杉スピーチアナライザーでは、フォルマント軌 跡で特定の場所をカーソルで指定するとスペクトルと包絡線にそのグラフが出 て、右端に 3 つのフォルマントの周波数値を出す機能があり、今回はそれを使 用した。 vi Transcription の部分は見やすいように、発音記号よりもセンテンスそのものを 記した。 vii 人間の音声ではその周波数の帯域からして、F1、F2、F3、F4 までが調査の対 象となる。 viii Yavaʂ(2011: 107)は単母音では /æ/ は /o/ についで発音持続時間が長いという データを示している。 ix 英語発音の地域的な多様性として Ogden(2009: 62–63)は /æ/ の調音的特徴と して The symbol[æ]stands for three different qualities: most open is Australia, close stand frontest in RP and most central in American English. と述べている。 この点について本稿では英語の地域的な発音の多様性については、調査の目的 としないが、英米の Native Speaker との比較としてのみ用いた。 x 今回の調査では母音に注意して発音させたことにより、このような不自然な発 音をする学生が散見されたが、本来英語の Stress を元にした Connected Speech ができていないとも考えられる。この点については本学の紀要に発表した拙著 「コンピュータによる英語文リズムの習得―音を視覚的にとらえて―」(2003) 東京女子大学紀要「論集」第 53 巻 2 号 p. 123–p. 145. を参照していただきたい。 ―154― Appendix 学生(S1–S10)の F1 と F2 の周波数値(Hz) F1 S1 S2 S3 S4 S5 S6 S7 S8 S9 S10 animals 775 1184 1356 796 925 1873 1012 925 1055 732 inhabit 904 1141 732 667 990 1162 882 818 861 947 Africa-1 1076 1119 1033 947 904 1141 968 882 1033 1012 Africa-2 1765 904 1119 947 796 1162 990 926 968 947 925 689 667 796 796 1098 602 839 710 473 camels 1571 1033 675 796 904 1119 839 861 947 882 giraffes 796 753 904 818 904 1184 1012 839 796 925 parrots 990 839 839 732 1098 1141 990 775 882 969 bats 968 968 775 796 925 1076 904 775 861 904 F2 S1 S2 S3 S4 S5 S6 S7 S8 S9 S10 animals 1744 1765 2799 1615 1787 2928 2024 1931 1485 2002 inhabit 1550 1571 1981 1956 1571 1873 2002 1722 1184 1614 Africa-1 1787 1507 1550 1399 1636 1873 1614 2088 2562 1981 Africa-2 3359 1550 2239 1464 1184 1765 2627 1894 1313 1765 has 1808 1722 2131 1851 1507 1808 2347 1787 1485 2067 camels 3639 1722 1808 1442 1679 1938 2670 1787 1313 2002 giraffes 1808 1636 1744 1399 1593 1765 1808 1507 1399 1248 parrots 1679 1738 1873 1528 3036 1830 2260 2174 1399 1658 bats 1765 1442 1873 1658 1421 1851 1808 2002 1464 2024 has 参考文献 新井隆行・菅原勉監訳(2004)『音声の音響分析』レイ・D・ケント/チャールズ・ リード著(The Acoustic Analysis of Speech by Ray D. 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