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史跡湯築城跡保存管理計画(関係資料)(PDF:3960KB)

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史跡湯築城跡保存管理計画(関係資料)(PDF:3960KB)
湯築城跡関係資料
【写真(絵葉書)資料】 (二神 將氏より提供)
番号
資料名
説明
四阿の周辺に人が集う。内堀の側面は木製杭、し
1-1
1-2
もどり橋付近
がら等で留められている。後方には稲荷神社の鳥居
が見える。
現況写真 1-2 を掲載した。
2-1
2-2
右後方に衆楽館(明治 34 年建築)が見える。もど
衆楽館
り橋を人が渡っている。
現況写真 2-2 を掲載した。
)
右後方に衆楽館が見える。内堀の側面は玉石積に
3-1
3-2
衆楽館
より留められている。
着物姿の女性 3 人が園路を下っている。
現況写真 3-2 を掲載した。
4-1
4-2
右後方に風詠館(木造 2 階建、明治 34 年移築)が
風詠館
見える。花見客で賑わっている様子が窺える。
現況写真 4-2 を掲載した。
後方に松山城が見える。
上方の写真(5-1)では、外堀土塁に等間隔で樹木
(松)が植えられていることが窺える。中央の写真
(5-2)は、水禽舎の設置時期から、昭和初期のもの
と推測され、人家の数を比較すると、かなり以前の
写真と思われる。5-1 の園路沿いに植えられている
桜が 5-2 で満開になったものと推測される。
5-1
5-2
丘陵部より松山城を望む
5-3
中央の写真は直下には、後に動物園が開設される
区域(現復元区域)が見えており、満開の桜、水禽
舎、すべり台の周辺で、多くの人で賑わっている様
子が窺える。
時代の移り変わりとともに人家が増えていること
や、現在と比較して眺望が確保されていたことが分
かる。
現況写真 5-3 を掲載した。
丘陵部杉ノ壇付近より石手寺方面(東方向)を望
6
湯築城跡丘陵部より石手
む。現在は、樹木の繁茂により眺望が確保されてい
寺方面を望む
ないが、遠望のみならず眼下の現球戯場周辺も望む
ことができる。桜の下で花見をする人々や、広場で
たたずむ人々がいる。道後公園周辺には家屋が連担
しており、その奥には水田が広がる。
5 の写真で見えるすべり台の反対側から見た写
7
水禽舎
真。水禽舎は昭和 2 年 3 月から昭和 28 年 2 月まで設
置されていた。
5 及び 7 の写真の水禽舎の周囲を来園者が囲んで
8-1
8-2
おり、桜が満開になっている。
水禽舎
手前に見える内堀の側面は土羽となっている。
現況写真 8-2 を掲載した。なお、現況写真におけ
る内堀土塁は復元されたもの。
8 の写真とほぼ同じ箇所での撮影。内堀に菖蒲が
9-1
9-2
満開となっており、景勝地として雰囲気を持った写
内堀露岩箇所
真となっている。中央左に 2 人の男性が記念撮影を
している様子が窺える。内堀の側面は土羽となって
いる。
復元区域東側の内堀にて岩塊が露呈している丘陵
10
内堀露岩箇所
部法尻部分。
手前に見える内堀の飛び石は現在は確認できな
い。
11
内堀(菖蒲満開)
内堀に菖蒲が満開となっている。中央後方に何人
かの人がいる。内堀の側面は土羽となっている。
現復元区域の桜が満開となり、花見客で賑わって
12-1
12-2
伊豫道後公園南側ノ櫻
いる。右手前には、自転車に乗っている人、右後方
には外堀土塁に樹木がある。
現況写真 12-2 を掲載した。
13-1
伊豫道後公園東トラック
13-2
ノ櫻
14-1
14-2
現球戯場付近の桜が満開となり、花見客で賑わっ
ている。
現況写真 13-2 を掲載した。
昭和 23 年完成。現在は松山市立子規記念博物館が
新温泉
ある。
現況写真 14-2 を掲載した。
大正 15 年完成。13 の新温泉の東側に隣接してお
15-1
15-2
道後公会堂
り、現在は松山市立子規記念博物館がある。奥に新
温泉が見えている。
現況写真 15-2 を掲載した。
湯釜は温泉の湧出口に設置されるもので、道後公
園に設置されている湯釜は道後温泉本館が完成する
前の温泉場で使用されていたものである。天平年間
に造られたと伝えられている。正応元年(1288)に
16-1
16-2
湯釜薬師
は、河野通有の依頼により一遍上人が頂部に「南無
阿弥陀仏」と彫ったとされる。藁葺の屋根が設置さ
れており、向かって左には、湯釜薬師と彫られた標
柱が立っている。湯釜は、直径 166 ㎝、高さ 157cm
の円筒形をしており、花崗岩で造られている。
現況写真 16-2 を掲載した。
「大正十一年十一月廿四日/皇太子殿下御手植松」
17
皇太子殿下御手植松
の立札の傍らに松が植えられている。後方は桜が満
開で、ぼんぼりも建てられている。
松山出身の陸軍大将で日本騎兵の父と云われた、
秋山好古の銅像。昭和 11 年 1 月から昭和 18 年 3 月
18-1
18-2
秋山好古大将の銅像
まで設置されていた。
後方には丘陵部に咲く桜、銅像周辺には、人々が
たたずむ様子が窺える。
現況写真 18-2 を掲載した。
松山出身の海軍中将、秋山真之(好古の弟)の銅
像。昭和 6 年 8 月から昭和 18 年 3 月まで設置されて
19-1
19-2
いた。
秋山真之中将の銅像
周辺は桜が満開。銅像を見ている人や自転車に乗
っている人、桜の下で花見を楽しむ人々が映ってい
る。右手前には、風船を持った少女がいる。
現況写真 19-2 を掲載した。
【写真資料 1-1】もどり橋付近〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 1-2】現況
【写真資料 2-2】衆楽館(明治 34 年建築)
〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 2-2】現況
【写真資料 3-1】衆楽館(明治 34 年建築〔二神將氏所蔵〕
)
【写真資料 3-2】現況
【写真資料 4-1】風詠館(明治 34 年 3 月 この位置に移設)
〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 4-2】現況
【写真資料 5-1】丘陵部より松山城を望む〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 5-2】丘陵部より松山城を望む(桜満開、左下には水禽舎)〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 5-3】現況
【写真資料 6】湯築城跡丘陵部より石手寺方面を望む〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 7】水禽舎(昭和 2 年 3 月から昭和 28 年 2 月まで設置。後に道後動物園が開
設される区域。現在は復元区域)〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 8-1】水禽舎(現在は復元区域で手前は内堀)〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 8-2】現況
【写真資料 9-1】内堀露岩箇所(現復元区域)
〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 9-2】現況
【写真資料 10】内堀露岩箇所(現復元区域)
〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 11】内堀(菖蒲満開)〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 12-1】伊豫道後公園南側ノ櫻(現復元区域、右後方は外堀土塁)
〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 12-2】現況
【写真資料 13-1】伊豫道後公園東トラック内ノ櫻〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 13-2】伊豫道後公園東トラック内ノ櫻〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 14-1】新温泉(昭和 23 年完成 現在は、松山市立子規記念博物館が建設されている)
〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 14-2】現況
【写真資料 15-1】道後公会堂(大正 15 年建築 後方に見えるのが新温泉)
〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 15-2】現況
【写真資料 16-1】湯釜薬師(昭和 25 年 3 月 旧振鷺園より移設)
〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 16-2】現況
【写真資料 17】皇太子殿下御手植松〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 18-1】秋山好古大将の銅像
(昭和 11 年 1 月~昭和 18 年 3 月)
〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 18-2】現況
【写真資料 19】秋山真之中将の銅像(昭和 6 年 8 月~昭和 18 年 3 月)
〔二神將氏所蔵〕
【写真資料 19-2】現況
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