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所 信 「今、吾唯足るを知る」

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所 信 「今、吾唯足るを知る」
所
信
社団法人水戸青年会議所
第59代
稲毛
理事長
一樹
「今、吾唯足るを知る」
3月11日に発生した東日本大震災から時の経過と共に、一見まちは平静を取り戻した
かと思われるが、未だそれぞれに会社の復旧作業や今後の経営方針を探っていることだ
と思う。時期尚早だと言われるかも知れないが、私は今皆様を、そしてこのJCという
組織を誇りに思っている。自分の事は二の次とし、世の為人の為に自らの時間と体を使
うことのできる人達の集まりであるからである。人は衣・食・住すべてが足りて初めて
他人を想い、そして行動を起こせるものと思っていた。しかしながら、JCでの活動を
通して日々修練を重ね、その中で紡ぎ合わせた友情を旗印に誰よりも早く行動を起こし
たのがJCだった。きっと我々の行動の規範とする心根(こころね)には祖先より引き
継いだ決して忘れることのない、高潔で美徳溢れる日本人としての精神性が脈々と流れ
ているのであろう。
「襤褸は着ても心は錦」
「武士は喰わねど高楊枝」
「立って半畳寝て一畳」日本に言い伝
わる武士の空意地を表する言葉である。100%ある衣・食・住の満足のものさしをど
こに設定するかで残りの部分を他に回すことが出来るのである。今後は節電や復興支援
の為の税金の投入等、我々日本国民全員が分かち合い、支えあい、そして助け合ってい
かなくてはならないわけである。だからこそ、今一度自分自身のライフスタイルを見直
し満足や幸せの価値観を改めて設定しなおさなくてはならないだろう。そして、それを
水戸に住む多くの方々と共有をしていかなくてはならないのである。一人の大きな一歩
よりも、万人の理解を得た方々と歩みだす小さな一歩こそが確実に社会システムを変革
し、国益に寄与する事のできる自立した強い地域の創造に繋がるのです。
<己の実力が不十分であることを知ることが、己の実力を充実させる>
活力ある強い地域を創出する為に不可欠なものは、その地域に住む市民である。今だか
らこそ一度立ち止まって皆さんと共に考えてみたい。我々JCメンバーも含めて水戸市
民は本当に一人ひとりがこのまちを愛し、まちの未来を考え、それぞれの出来る限りの
行動を起こしているのであろうか。今のままでは駄目だと思っていてもどうしていいの
か分らない。何かやらなければと思いながらも何をしていいのか分らない。そのような
人が多いだろう。しかしそれは、恥ずべき事ではない。まずは自分の足りない部分を理
解することが大切であり、いかに補完していく事こそを考えるべきである。人の成長と
は理解と共に言動が変わり、そして生き方そのものが変わっていくことだ。私達は自律
した水戸市民となりたい。
<住民監視・住民責任・住民自治で強い地域の創出>
政治が悪い・景気が悪い・・・何事も他人のせいにして日々を過ごしていても何も変化
は起きない。今こそ自らの地域の未来は自らの手で創り上げていくという強い意識を持
って行動をしなければならないのである。その為にも、各選挙において公開討論会を積
極的に開催することで、候補者がいかなる思想・哲学の基に地域を考え、どのようなビ
ジョンを指し示しているのかを十分に理解をした上で、自らの清き、そして尊い一票を
投じる投票行動を起こしていきたい。さらに公開討論会において政策本位で候補者を選
択し当選した人達が、きちんと選挙後も約束を守っているかを監視していくシステムの
構築が急務である。それは、住民の責任において選んだ首長や議員、いわゆる直接投票
で選ばれた二元代表制の地方自治がしっかりと機能しているのかを監視し続ける議員
評価システムの構築である。また、1年毎の予算の執行を確認する小サイクルや、改選
時までの公約達成度を数値化する大サイクルのマニフェスト検証大会の開催であり、こ
のマニフェストサイクルの構築こそが、本当の意味での住民自治による、国益に寄与す
ることの出来る自立した強い地域が創出されると強く確信している。
また近年行政は、市民の声を聞く様々な機会を設けているが、参加者はごく一部の人達
に限られていて本当の民意というものが届いていないのが現状ではないか。本来は職
業・性別・年齢等分け隔てなく意見を聞くことが大切なはずである。その解決策として、
我々の青年会議所運動から生まれた市民討議会の開催は有効な手段である。今ある地域
問題を課題に討議し意見を集約して市民の声として行政に発信していこうではないか。
<次代を担う人材育成>
今回の東日本大震災において、犯罪を起こすことなくそれぞれが譲り合い、そして支え
あう日本人の姿が海外マスコミにより賞賛を受けた。近年の数ある痛ましい事件にこの
国の行く末を危惧していた自分にとって、日本人として誇りを感じ得た瞬間であった。
だからこそ、我々JCは、日本人が古来より受け継いできたこの和の精神を、次代を担
う子供達に伝えていかなくてはならないのだ。人は決して自分一人では生きていけない。
それぞれの家庭、それぞれの住むまち、そして私たちが住む日本全体がお互いをおもい
やる気持ちが溢れる人材育成を進めていこう。
<第40回茨城ブロック会員大会の主管>
本年水戸JCは第40回茨城ブロック会員大会を主管します。第40回の記念大会を水
戸JCが主管する意味はなんであろうか。それは茨城のキャピタルLOMとしての、華
やかであり、そして粛々とした他LOMの範となる運営を求められているのである。茨
城ブロック協議会の設立時よりそれぞれの年に行われた運動の意義・目的、そして成果
を改めて理解することにより、今我々の進むべき方向は自然と見えてくるであろう。主
催者である茨城ブロック協議会と綿密な連携を図り、開催当日水戸に集いしJayce
eがそれぞれの地域に戻った時に更なる高みを求めて運動展開を行えるような大会の
構築が求められているのだ。
<強い組織を目指して>
強い組織とは、メンバー一人ひとりが高い思考力そして行動力をもった集団であり、自
らの意見を基に議論を交せる組織である。意見やアイデアというものはより多くの見
方・考えに揉まれたほうがより精度が高まり、お互いが意見を出し合う過程で情報の共
有化が図れる事にも繋がるのである。JC運動を行っていく上で、いくら頭で考えてい
ても、口に出さなければ何もしていない事と一緒である。是非とも臆することなく、委
員会・例会・各種事業に参加して積極的な発言を期待する。JCとは入会年度を関係無
しに、正会員であれば誰でも発言の権利が担保されている組織なのだ。
我々は間違いなく公益性をもって社会的責任を果たしている団体である。新公益法人制
度への移行期限が間近に迫る中、公益社団法人格への移行を本格的に進めるべきである。
そして皆様からお預かりする浄財を新会計基準に照らし合わせ、支出と公益根拠を再検
討し、適正な会計を行い真の公益法人として地域に貢献していきます。
<JCの使命>
冒頭にも記述したとおり、我々JCは、行動の規範とする心根(こころね)には祖先よ
り引き継いだ決して忘れることのない、高潔で美徳溢れる日本人としての精神性を持ち、
自分達の住むこの地域そして日本が明るい豊かな社会になることを目指して日々活動
をしているわけである。そして我々の運動をより多くの人達に説得力のあるものとして
発信をすることで、今現状ある諸問題やその解決策を共有することができるのである。
その為にも我々メンバーが元気を取り戻し、外部との連携を強めていかなくてはならな
い。
まずは我々が自発的に行動を起こそうではないか。自ら現場に足を運んで情報を得て行
動を起こそうではないか。失敗を恐れずに、信念を持って積極的に行動を起こす事こそ
が我々の使命であり、自らの成長に繋がるのであるし、それが地域の成長に繋がるので
ある。その地域に住む人々の民度以上の強い地域の創造はできないのである。
また、我々の崇高な運動をより広く伝播する為にも会員拡大は急務である。震災の起き
た今、JC活動をしている場合じゃないとの声も聞こえてくるのも確かである。しかし
ながらマイナス思考で物事を捉えることなく、多くの仲間で新たなる水戸を創出する為
にも、メンバー一人ひとりが拡大への意識を忘れることなく活動をしていこうではない
か。
<60周年に向けて>
今ここで2005年に発信した水戸未来ビジョンの中にある「LOHAS」というキー
ワードに注目してみたい。これは一人ひとりの気づきによって確立されるライフスタイ
ルの一つの形である。水戸未来ビジョンに掲げられている事は壮大な夢であるが、社会
情勢と照らし合わせ検証と改定を繰り返すことにより、具体的な形と成りえるのである。
我々は決して諦める事無くその夢の実現に向けて希望を持って歩み続けていかなけれ
ばならない。希望とは新たな勇気であり、強い意思なのです。
我々現役の運動は、1953年の設立以来諸先輩方が地域と共に歩むことで得られた地
域からの信頼と信用や、時々の社会情勢に合わせた運動の成果の上に成り立っているの
である。来年節目の60周年を迎えるにあたり、今の社会情勢を鑑みるならば、今回の
東日本大震災からの復興・国家再生を考えていく事が第一優先にくるであろう。今まで
大規模災害時の対応については議論をしてきたつもりであった。しかし実際に被災をし
てみると様々な部分で機能しない点も見えてきたのが現実である。それを是正する為に
も平時において確立しなければならない緊急時の連絡体制、JCとしての初動の取り方
を明確にマニュアルとして作成しなければならない。今後不幸にも、天災に襲われた際
に地域の方々の生命と財産を守り、一日でも早い経済の復興に寄与できる存在で我々は
ありたい。
<吾唯足るを知る>
京都の龍安寺の石庭に「吾唯足知」と彫られたつくばいがある。文字通りに読むと、
「私
は満ち足りていることだけを知っている」と読み取る人もいるかもしれないが本当の意
味は、「満足する事を知る人は不平不満がなく、心の豊かな人生が送れる」という意味
である。私たちは誰しも産まれもって、心の奥深くに崇高で美徳溢れる光が宿っていた
と思う。しかし人生経験を進める上でその光が薄れていってしまうのかもしれない。
人間の欲望には際限がない。
それを追い求め続けてもきりがない。
しかし、逆に自分が満足するものは何もないと諦めてはいけない。
今こそ物質的な充足感で幸せや不幸せを感じる社会ではなく、それぞれが足るを知り、
皆で幸せを享受できる社会を皆と共に構築していきたいとおもう。
<最後に>
ここまで、率直に私自身の信じる事、つまり所信を綴ってみた。達成する為には誰より
も努力し行動し続ける事を誓う。しかしながら、この1年ですぐに成果をあげられない
事もある。ただ、妥協をして安易な着地点を見出すような事はしない。我々青年の特権
であるがむしゃらに諦めない心を持ち続け、そして託すべき人間を見出し、共に成長し
あい、この先の水戸のまちの為に今の努力を積み重ねていきたい。
明日の為に今日の犠牲を払う。
それがJCの使命であり、最大の魅力なのだ。
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