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パナマ運河は日本とともに - JBIC 国際協力銀行

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パナマ運河は日本とともに - JBIC 国際協力銀行
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パナマ運河は日本とともに
国際協力銀行 財務部 次長
(ニューヨーク駐在員事務所 前首席駐在員)
那須 規子
アメリカ大陸の真ん中で、大西洋と太平洋をつなぐ
コロンビア共和国から独立を宣言するとその3日後に、
パ ナ マ 運 河 は、そ こを 通 過 で きる 船 の サ イズ を
新パナマ政府を承認し、7日後には、新パナマ政府と
Panamaxという名前で規定するほど、海運の世界で
の間で、パナマ運河地区の永久租借権にかかる条約を
は、スエズ運河と並び称せられる物流の要衝である。
締結し、翌04年5月にパナマ運河の建設を開始した。
スエズ運河が1869年に完成してから10年後にパナマ
運河建設にかかる検討が始まり、紆余曲折を経てスエ
ズ運河に遅れること45年、ようやく1914年に開通した。
パナマ運河建設に携わった日本人
その運河構築の歴史からも、通行できる船のサイズや
米国政府は、海軍将校を理事長としたパナマ地峡運
通行料の観点からも、スエズ運河とはいつも比較され
河理事会を発足させ、軍隊も動員して米国政府が直接
てきた。
運河建設に当たることとしたが、労働環境が過酷であ
貿易立国の日本にとって、両運河は「生命線」といっ
ても過言ではなく、2006年にパナマ運河の拡張計画が
ることから、技術者の確保がなかなか進まなかった。
一方、パナマ運河の工事にたった1人だけ日本人が
あおやまあきら
発表されたときには、そのプロジェクトの成功を願い、
携わっていた。青山士技師である。1903年に大学卒業
筆者が勤務する国際協力銀行(JBIC)もファイナンス
後すぐパナマ運河建設工事に志願して米国に渡り、有
というかたちでの貢献を通じての日本の支援を表明し
力な紹介状があったことはもちろんではあるが、人材
た。
難でもあったことも功を奏して、米国防省に末端測量
パナマ運河開通から100年を迎える今年は、拡張工
員として採用され、7年半パナマで建設工事に従事し
事の当初完工見込みであったが、工事中断などの問題
た。最初は熱帯のジャングルの中での測量作業を行っ
が発生したため、完工予定が遅れており、現在、2015
ていたが、その実力と勤勉な仕事ぶりが評価され、最
年12月完工見込みと発表されている。本稿では、パナ
後には設計技師となり、ダムや閘門といったアメリカ
マ運河建設の歴史と日本との関係をご紹介したい。
にとって国家機密とみなされる主要部分の設計にも携
わった。
パナマ運河の歴史
パナマ運河の建設は、スエズ運河の建設を手がけた
フランス人のFerdinand de Lessepsにより1880年に
着手された。当初、スエズ運河と同じ海面式の工事方
こうもんしき
式を採用したが、技術面の難しさから、閘門式に変更
を余儀なくされた。また、黄熱病やマラリアによって
労働者が倒れ、2万人を超える犠牲者が出た。
このようななか、工事費用を調達するため1888年に
債券が発行されたが、翌89年にプロジェクト会社が倒
産し、債券は紙くずとなり、本計画は放棄された。
その後、地政学的観点から中南米の地峡に運河を作
るべきであると考えた米国は、1903年11月にパナマが
2 2015.1
パナマ運河プロジェクトのために1888年に発行された債券
パナマ運河拡張 特集
残念ながら、反日感情の高まりとともに、運河の完
者にならなければならないという使命感をもちつつも、
工を待たずに帰国する決断をしたが、帰国後、内務省
ディシプリンの利いたファイナンスストラクチャーの
の技官となり、パナマ運河建設で得た土木技術を生か
構築も同時に重要であると考え、競争力のある条件を
おおこう づ ぶんすい
し荒川放水路と信濃川大河津分水という当時の2大国
求めるパナマ運河庁と融資に積極的なほかのレンダー
家プロジェクトに携わった。
の間の調整で非常に苦労をした。
余談だが、現在、荒川と隅田川を結ぶ5kmほどの
2008年夏、交渉が大詰めを迎え、パナマ運河庁か
小名木川という運河は、2つの水門で水位を上下させ
ら金融機関がTake or Leaveを迫られていた、まさに
て船を通すパナマ運河と同じ仕組みが施されており、
そのとき、リーマン・ショックに端を発した世界的信
お な ぎ がわ
「日本のパナマ運河」と呼ばれている。
運河拡張計画と融資交渉
船の大型化に応え、スエズ運河との競争に勝つため、
用収縮が起こった。それまで、億ドル単位で貸出を申
し出ていた外国の民間銀行はいっせいに融資を辞退
し、残されたのは国際機関4機関とJBICと邦銀3行
であった。ここでファイナンスがつかなければプロ
ジェクトが頓挫する――と関係者の間には緊張が走っ
1970年代以降第2パナマ運河構想や代替案の検討な
たが、パナマ運河という国際的な交通インフラの重要
どがなされてきたが、2006年10月、国民投票の結果、
性に鑑み、支援する意義が高いと判断され、各機関が
第3閘門の建設が承認された。総コスト52億5000万ド
リーマン・ショックから1カ月以内に融資を決定した。
ル、工期8年という一大プロジェクトである。
結果的に、日本勢(邦銀3行およびJBIC)は、総借
この歴史的なプロジェクトに融資をしたい ――この
入額23億ドルのうち、3分の1を超える8億ドルの融
思いは、世界中の金融機関の担当者の共通の思いで
資を決定し、パナマ運河庁に対し最大のレンダーグ
あったため、いつもならばファイナンスを頼まれる側
ループとなった。
にいる国際機関でさえ、こぞってファイナンスを申し
出た。民間銀行や各機関からのオファーを合計すると、
パナマ運河庁が必要な調達金額を優に超えるという状
況となった。
パナマシティでの調印式
融資契約の調印式は12月9日にパナマの首都、パナ
特にラテンアメリカのインフラプロジェクトを支え
マシティで行われた。トリホス大統領(当時)とアレ
てきたIDB(米州開発銀行)やCAF(アンデス開発公
マンパナマ運河庁長官(当時)が誇らしげに壇上でス
社)の参画意欲は非常に強く、重要な局面では契約交
ピーチを行い、国際機関4機関とJBICの調印者が案
渉を総裁自らが指揮するほどであった。また、世銀グ
件の成功を祈りつつ、調印のセレモニーを行った。
ループのIFC(国際金融公社)や、欧州のユーザーを
調印式に先立ち、パナマ運河の実査に行った。パナ
代表してEIB(欧州投資銀行)も融資の実現に向けて
マ運河には、船が岸壁から50cmしか空けずに、ぎり
非常によい条件の提示に積極的であった。
ぎりで通行して行く閘門という関所のような場所があ
日本勢を代表するJBICは、今後のパナマ運河での
り、そこに水をためて水面を上昇させることで、水面
日本のプレゼンスを考えるに、必ずや最大の融資提供
の高さに高低差のある運河の通航を可能にしている。
パナマ運河庁長官と国際協力銀行副総裁の調印作業の様子
パナマ運河拡張プロジェクト融資契約調印式
2015.1
3
episode
パナマ運河を貨物船が航行する模様
その閘門を見下ろすように展望台が作られており、
水位を調節する閘門の扉(以上写真は筆者提供)
送期間がパナマ運河経由の25日に比べて約20日多くか
そこのレストランで食事をしながら、貨物船などの通
かることになり、安価な資源の確保が必須の日本に
行を眺めることができるようになっている。パナマの
とっては大きな打撃となる。また、ここ数年上昇を続
いちばんの観光名所である。たまたま、その日は米国
けている通行料の値上げも看過できない問題である。
の軍艦が運河を通過するということで、テラスに出て
競合相手であるスエズ運河は、船舶サイズの大型化
丸腰の軍艦を眺めた。たとえ潜水艦であっても、パナ
と割安な通行料で海上貿易量のシェアを伸ばしている
マ運河を通るときには水面に浮きあがってこなければ
ことに加え、今年8月には、40億ドルを投じる拡張工
ならず、また、パナマ運河庁に所属している水先案内
事を発表しており、パナマ運河との貨物獲得競争が激
人が乗り込んでかじを取らなければ通行してはいけな
化している。
いことになっている。その前日には、初めてロシアの
パナマ運河の古くからのユーザーであり、今次拡張
軍艦がパナマ運河を通過したとのことで、あらためて
工事に当たっても最大の融資者たる日本は、このよう
運河の平和的利用の大切さを痛感した。
な状況の十分な理解をパナマ運河庁に求めるととも
に、拡張工事のタイムリーな完工と、国際的公共財と
これからのパナマ運河
しての適正な通行料の設定を切に願いたい。
現在、パナマ運河の拡張は、日本にとって特別な意
味をもつようになってきた。拡張工事着工当時には想
定されていなかった、米国東側沿岸からの液化天然ガ
ス(LNG)輸入を2017年に控えているからだ。拡張工
事の完工が遅れてパナマ運河を通航できない場合は、
アフリカ南端の喜望峰経由となるため、日本までの輸
建設中の第3運河
4 2015.1
*筆者略歴:1990年日本輸出入銀行入行、92 ~ 94年経済協力
開発機構(OECD)に出向、96~99年コーポレートファイナ
ンス(自動車、石油化学など)
、2002 ~ 05年資源ファイナン
スを担当、05~ 08年プロジェクトファイナンス(資源、IPP、
M&A)担当課長、08 ~10年中南米地域担当課長、10 ~14
年ニューヨーク首席駐在員、14年8月より現職。中南米諸国
への出張はこれまで70回以上。慶應義塾大学法学部卒。
拡張工事中のパナマ運河遠景(ともにパナマ運河庁HPより)
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