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Cedrus libani
環境文化論 第3講 Oct.18, 2013 古代文明と環境文化② 福島大学共生システム理工学類 1.シュメール文明の興亡 2.古代エジプト文明の興亡 後藤 忍 1.シュメール文明の興亡 2.古代エジプト文明の興亡 シュメール文明の興亡 シュメール文明について 周辺民族とは言語系統が異なる シュメール人が、紀元前3100年頃 に、メソポタミア(現在のイラク)南 部に造った世界初の都市文明。 ティグリス川とユーフラテス川の間 に栄えた,初期のメソポタミア文明。 ウルのジッグラト(修復されたもの) (http://www.flickr.com/photos/beckydanaher/195175854/) シュメール人が文明を築いてから、 アッカドやバビロニアの支配を受け てシュメール人が姿を消し、さらに バビロニアがペルシャ帝国に併合 されるまで続いた。 かつては肥沃な土地であったが, 森林伐採や塩害などにより,砂漠 ニップルのジッグラトの遺構 化が進んだ。 (松本健ほか編著『四大文明 メソポタミア』より) メソポタミア地域の土地利用 (NASA World Windにより作成。) シュメール都市の分布と地理的特徴 両川のうち,特にティグリス川の 洪水は,大きな被害をもたらすこ とが度々あった。支流が山地から 直接流れ込むために水位が急増 し,1日で4m増水することも珍しく なかった。都市の遺跡の地層か らは洪水層が発見されている。 初期の集落遺跡とシュメール都市の分布 (出典:homepage3.nifty.com/ryuota/earth/history04.html ) http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cf/Sumer1.jpg シュメール文明の特徴(1) 農業と狩猟 灌漑を行い、大麦・小麦・ヒヨコマメ・ヒラマメ・雑穀・ナツメヤ シなどを栽培した。 鋤などの農機具を用いた。 ウシ・ヒツジ・ヤギ・ブタの飼育を行った。 主要な役畜として雄牛を、主要な輸送用動物としてロバを使 役した。 魚や家禽を狩った。 経済 森林資源と地下資源が乏しかったため、灌漑で量産した穀 物を輸出し、シリアや中央アジアから木材や石材、金属を輸 入していた。 穀物、陶磁器、織物などを輸出した。 シュメール文明の特徴(2) 技術 都市国家をつくり、ジッグラトと呼ばれる聖塔を建設した。 スズと銅を微妙な配分比率で混ぜ合わせて青銅をつくる、 合金技術を持っていた。 車輪が考案され,使われた。 ビールやワイン、パンがつくられていた。 文化 紀元前3500年頃、世界で最も早い文字とされる楔形文字が 発明された。 都市国家ウルでは、現在知られている最も古い法典である ウル・ナンム法典が定められた。 現存する最古の叙事詩と言われるギルガメシュ叙事詩がつ くられた。 60進法を用いていた。 シュメール文明の主な歴史 時代区分 西暦 主な出来事 ウバイド期 紀元前6千年紀~ 紀元前5千年紀 初期集落の形成、日干し煉瓦の使用 灌漑農耕と神殿建設を特徴とするウバイド文化 ウルク期 B.C.4000年頃~ B.C.3100年頃 都市化の開始 数字記録の出現 文字(絵文字)の発明 円筒印章の発達 ジェムディット・ナス ル期 B.C.3100年頃~ B.C.2900年頃 都市国家の形成 粘土板文字記録システムの成立 絵文字から楔形文字への移行、体系化と普及が進む 初期王朝時代 B.C.2900年頃~ B.C.2350年頃 地方の有力都市よる覇権争い B.C.2500年頃にウルが最有力都市となる ウルの衰退に伴い、ラガシュ、ウンマ、ウルクなどが覇権争い アッカド王朝時代 B.C.2350年頃~ B.C.2100年頃 B.C.2230年頃から王朝の勢力が衰え「混乱期」に入る アッカドのサルゴンがシュメール、アッカドの地を統一 グティ時代 B.C.22??年~ B.C.2112(?)年 東方からのグティ人による部分的支配と政治的混乱 ウル第三王朝時代 B.C.2112(?)年~ B.C.2004(?)年 王統の祖、ウル・ナンムがウルの王位に就く ウル・ナンムのジックラト、法典がつくられる エラム人・アムル人によってウル第三王朝が滅亡 →古バビロニア時代へ シュメール文明の楔形文字 シュメール語と変遷の例 空、神 大地 人間 Ⅰ:紀元前3000年頃発生した初期シュメールの絵文字。 Ⅱ:Ⅰの絵文字を90度回転したもの。 Ⅲ:紀元前2500年頃用いられた古代文字。粘土に刻印された最初の楔形。 Ⅳ:石や金属に刻まれた時代の古代文字。 Ⅴ/Ⅵ:紀元前2350~2000年頃に書かれた楔形文字。 Ⅶ:紀元前2000年紀の前半の楔形文字。粘土板の上に書かれたもの。 Ⅷ:楔形文字の最終形態。紀元前1000年紀にアッシリア人によって使われ たもの。 ウルのスタンダード(The Standard of Ur) ウルで発見された,ビチュメン(天 然アスファルト)にはめ込まれた貝 と石のモザイクで,紀元前2600年 頃のもの。 幅は約47cm、高さは約26cm。 用途は不明だが,楽器の音響箱と の説もある。 大きい2面は,それぞれ「戦争」と 「平和と繁栄」のパネルと呼ばれ, 当時の生活の様子が描写されて いる。 「戦争」のパネル (車輪を用いた戦車などが描かれている) 「平和と反映」のパネル (人々の暮らしや家畜などが描かれている) シュメール文明の建造物~ジッグラト(Ziggurat) シュメール文明で生まれ、メソポタミア文明でもさかんに築か れた、神にささげられる聖なる塔のこと。 日干し煉瓦や焼成煉瓦でつくられた。 絶えず襲ってきた洪水から身を守り、また神々を祀るために つくられたと考えられている。 ウルのジッグラト(発見当時) ウルのジッグラトの復元予想図 http://members3.jcom.home.ne.jp/dandy2/works/works_14_2_m.html バベルの塔とジッグラト いわゆる「バベルの塔」は,もともと「バビロン市に建立された ジッグラト」のことを意味する。時の流れとともに,ジッグラトの 存在が忘れ去られてしまい,旧約聖書に登場する意味合い (非現実的な計画)として使われるようになった。 旧約聖書には,「バベルの塔」がバビロンに建てられたものと は書かれておらず,建造場所はシンアルの平野とされている。 「バベル」とう語は,元来はアッカド語の都市名「バブ・イリ/イ ラニ(シュメール語ではカ・ディンギル)」つまり「神(々)の門」と いう意味であったが,ヘブライ語の「バラル(混乱)」と語呂が 類似していることから混同されたと考えられている。 「バベルの塔」すなわち「バビロンの ジッグラト」は,本格的な復元工事 は行われていない。それは,1913 年に発掘された当時,すでに廃墟 と化しており,決定的な復元図も作 成されていないことによる。 バビロンの廃墟 (出典:三笠宮崇仁監修『古代メソポタミアの神々』) シュメール人の信仰 シュメール人の宗教は、現代宗教の多くにとって、イン スピレーションの根拠・源であると考えられている。 地母神であるナンム、愛の女神であるイナンナまたは イシュタル、風神であるエンリル、雷神であるマルドゥ クなどを崇拝した。 太陽などの天体は崇拝の対象とならなかった。 神には,都市の守護神と位置づけられるものもあった。 シュメール人の「来世」は、悲惨な生活で永遠に過ご すための地獄へ降下することを含んでいた。 川の氾濫を神の罰とみなしていた(←→古代エジプト 文明との対比) シュメール文明での代表的な神 エンリル(Enlil) ニップルの守護神とされた イナンナ(Inanna) ウルクの守護神とされた 河に関する神 シュメールでは,水をつかさどる神 として,エンキが神格化された。 エンキ神は,二つの河が肩から湧 き出している姿で描かれている。 河は裁きの神として考えられ,神 明裁判が行われた。 参考:「ハンムラビ法典」第2条における条文 「もし人が(他の)人を呪術(の罪)で告発したが, 彼(の罪)を立証しなかったら,呪術(の罪)で告 発された人は川に行き,川に飛び込まなければ ならない。 もし川が彼を捉えたならば,彼を起訴した者は 彼の家(産)を取得することができる。 もしその人を川が無罪放免し,(彼が)無事生 還したならば,彼を呪術(の罪)で告発した者が 殺されなければならない。川に飛び込んだ者は, 彼を起訴した者の家(産)を取得することができ る。」 エンキ(Enki) シュメール文明を崩壊に導いたもの ① 環境破壊 ① -1 塩類集積 ② -2 作物の収穫量の減少 ③ -3 森林破壊と洪水 ② 気候変動 ③ 近隣の敵対集団 ④ 友好的な取引相手 ⑤ 環境問題への社会の対応 シュメール文明を崩壊に導いたもの①-1 塩類集積 チグリス川、ユーフラテス川は、水位が最高になるのが水 源地域の雪解け水を集める春であり、作物にとって一番 水が必要な8月から10月にかけては、水位が最低となっ たため、貯水と灌漑を積極的に行った。その結果、深刻な 塩類集積を引き起こした。 塩類集積の問題を解決するには長期間農地を休ませる 必要があったが、灌漑可能な限られた農地、増大する人 口、増える官僚や兵士への食糧供給、激化する都市国家 間の競争といった要因が、農業をさらに集約化していき、 長期間の休耕を不可能にした。 当時の記録には、「黒い耕地が白くなり」「平野は塩で埋 まった」との記述がある。 灌漑と塩害 高低差の少ない地域の 緩やかな川の流れは, 蒸発と沈泥(塩を含む) による塩害を引き起こし やすい。 塩類集積と塩害について 塩類集積(salinization)と塩害とは 耕作地の土壌表層に塩類が集積し、濃度障害により収穫 量が低下、もしくは収穫できなくなる現象。 集積する塩類は、塩化ナトリウム、硫酸ナトリウム、硫酸 カルシウム、硫酸マグネシウムなどである。 深刻化した場合、地表面の所々に白い塩類の結晶が視 認できるようになる。 塩類集積の主な要因 潅漑用水に微量に含まれる塩分が蓄積する。 本来土層に含まれている塩分が地下水位の増加に伴う 毛細管現象によって上昇し、土壌面で蒸発して塩類のみ 地表に集積する。 塩類集積の構造 灌漑用水に塩類が含まれる場合 地下水位の上昇による場合 出典:http://www.fao.org/docrep/R4082E/r4082e08.htm シュメール文明を崩壊に導いたもの①-2 作物の収穫量の低下 紀元前3500年ごろは、南部メソポタミアでは小麦と大麦が ほぼ同じ量生産されていたが、紀元前2500年までに小麦 の生産は全作物のわずか15%に低下した。 紀元前2100年までにウルでは小麦の生産を放棄した。全 域で見ても、この時点で小麦の生産は全作物生産の2% にまで低下した。 紀元前2000年までにイシンとラルサの両都市で小麦の生 産をやめた。 紀元前1700年までには、南部メソポタミア全域で小麦の 生産ができなくなるほどに土壌の塩類濃度が高くなった。 収穫量は、紀元前2400年から2100年までの間に42%下 落し、1700年までには65%も下落した。 植物の塩分耐性 出典:http://www.itc.nl/library/Papers_2005/msc/nrm/yadav.pdf シュメール文明を崩壊に導いたもの①-3 森林伐採 建物や舟をつくる資材として材木は需要があった。 銅と青銅の精錬や煉瓦の焼成にも大量の燃料 (主に木と木炭)を必要とした。 需要を満たすために伐採を進めた結果、もともと 森林の少ないシュメールでは枯渇が進んだ。 洪水の誘発 伐採された山の斜面が高くなったこと、流出水の 量が増えたこと、土砂などの沈殿物が増えたこと などの理由により、川の水位が上がり、洪水が多 くなった。 ギルガメシュ叙事詩 ギルガメシュ叙事詩について 紀元前3000年紀。作者不明。楔形文字で粘土板に刻まれた。 シュメール人の時代に断片が残され、後のアッカド人によってまとめられた粘 土板が現存する。現存する最古の文学作品。 シュメール人の実在の王、ギルガメシュを主人公とした友情と冒険の物語。 主な内容 女神と人間の王の子としてウルクの城に生まれたギルガメシュは暴君であっ た。神は野人エンキドゥを創って闘わせたが、のちに二人は親友となり、共に メソポタミアにはない杉を求めて旅に出る。 森には番人である怪物フンババがいたが、ギルガメシュとエンキドゥは二人で フンババを殺し、杉を切り倒して持ち帰る。 その後、エンキドゥが神の怒りにふれて衰弱死し、ギルガメシュは悲しみのあ まり不死を求めて旅に出る。途中で、かつて永遠の命を得たという老人ウトナ ピシュティムに会う。老人は、かつて人間を滅ぼすために神が大洪水を起こし、 自分の家族だけが方舟を造って助かった、という昔話を聞かせる。 →旧約聖書におけるノアの方舟伝説の元となった 老人から不死の薬草のありかを聞きだし、手に入れるが、蛇に食べられてしま う(これにより蛇は脱皮を繰り返すことによる永遠の命を得た)。ギルガメシュ は失意のままウルクに戻った。 ここで問題① ギルガメシュとエンキドゥがフンババを殺すの に使ったものは何だったでしょうか。 ギルガメシュ叙事詩に関する出土品 大洪水伝説の粘土板。ギルガメシュ 叙事詩の写本の一部。 (新アッシリア時代/紀元前650年) フンババを殺すギルガメシュとエンキドゥ。 (紀元前2000年紀初頭) シュメール文明を崩壊に導いたもの② 気候変動 メソポタミアの遺跡からは、紀元前3500年頃と紀元前 3000年頃の洪水層が発見されている。 花粉分析により、紀元前3000年頃にユーフラテス中・上流 域で気候が寒冷・湿潤化したことが明らかになってきてい る。ガマ属やカヤツリグサ科など、湿原に生育する植物の 花粉が、この時代以降急増してくる。 洪水や土砂の堆積を引き起こしたが、チグリス・ユーフラテ ス川上流にある山岳地帯の土壌の塩分濃度は高かった。 火山の噴火による気候変動 Brian M. Faganによれば、紀元前2200年ごろ、メソポタミ ア北部で大規模な噴火があったという。 火山灰は太陽光線をさえぎり、大気圏内の循環を弱め、メ ソポタミア地域は大きな農作物の被害を受けたとされる。 シュメール文明を崩壊に導いたもの③ 近隣の敵対集団 シュメールの都市国家間でも抗争は頻繁に起きていた。 紀元前2370年に、アッカド王朝を打ち立てた「アッカドの サルゴン」によって初めて外部から制圧された。 →この征服は、広範囲の塩類集積のために農産物の 収穫が初めて大打撃を被った時期と一致している。 アッカド帝国もグティ人の侵攻によって滅ぼされた。 紀元前2113年から2000年までの間に、ウル第三王朝に よる短い復活があった。しかし、西部ではエラム人、東部 ではアムル人によって滅ぼされた。 紀元前約1800年ごろ、北部メソポタミアを中心にバビロニ ア王国がこの地域を統一した。 シュメール文明を崩壊に導いたもの④ 友好的な取引相手 重要な建築資材である材 木と石はシュメールにはほ とんどなかったため、他の 地域からの輸入に頼って いた。 良質な木材はレバノンなど から輸入した(レバノン杉)。 金属鉱石もほとんど産出さ れなかった。 輸出するものとして、穀物、 陶磁器、織物などがあった が、穀物(小麦)の生産量 が減り続けたため、輸出す る小麦が不足した。 レバノン杉を舟で運ぶレリーフ (新アッシリア時代/紀元前860年頃) レバノン杉について レバノン杉とは 学名:Cedrus libani マツ科ヒマラヤスギ属の針葉樹。 名前に「スギ」が付いているが、 スギは同目ではあるもののスギ 科スギ属であり、近縁ではない。 レバノン、シリアなどの高地が 原産で、高さは40mほど。 良質の木材であり、古代エジプ トやメソポタミアのころから建材 や船材に利用されていた。 レバノンの国旗のデザインにも 用いられている。 シュメール文明を崩壊に導いたもの⑤ 環境問題への社会の対応 塩類集積による問題に対して、農地を長い期間 休ませることができずに、短期的な需要を優先し て耕作し続けた。 森の神を恐れずに木を伐採し続け、枯渇させてし まった。 シュメール文明の興亡から得られる教訓 人類の介入は生態系をむしばむ方向に作用 する。 農業方式が高度に人工的で、自然条件が非 常に厳しく、絶え間ない増産の圧力がかかっ ているような場合には、生態系のバランスは 容易に崩れていく。 生態系のバランスを取り戻したり、いったん始 まった悪化の過程を逆戻りさせることは難し い。 1.シュメール文明の興亡 2.古代エジプト文明の興亡 古代エジプト文明の興亡 エジプト文明について エジプトの歴史は次の3つの時 代に大別される。 1.古代王朝時代(多神教時代) 2.グレコ=ローマン時代、ビザ ンツ支配時代(キリスト教時代) 3.イスラム時代 古代エジプト文明 紀元前5000年頃から紀元前30 年頃までナイル川流域で繁栄し た文明のこと。 紀元前3000年前後に中央集権 的な統一国家となる。通常、紀 元前31年にプトレマイオス朝が 滅亡しローマ帝国の支配下に 入る前までの時代を指す。 ギザのピラミッド (http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/53/P yramids_of_Egypt1.jpg/) http://www13.plala.or.jp/c2c/Egypt/egyptMapBody.htm 古代エジプトの歴史 一般的に、古代エジプト史は、 年代順に「初期王朝時代」、 「古王国時代」、「中王国時代」、 「新王国時代」と区切って考え られることが多い。 国内が分裂したり外国の支配 を受けたりして混乱した中間 期が3回ほどある。 ピラミッドが盛んに建てられた のは古王国時代(紀元前27~ 22世紀)のこと。 王(ファラオ)の平均的な在位 期間は10年程度とされる。 (出典:http://www.ne.jp/asahi/y-sakai/fukui/sub56.html) 古代エジプト文明の特徴(1) 農業・経済 ナイル川の氾濫を利用した、小麦を主とする穀物生産を 持続的に行ってきた。 比較的安定した経済を維持しながら、これほど長く続いた 古代文明は他にはないとされる。 エジプト国内においては木材資源が乏しかったため、主と してレバノン杉を輸入して用いていた。 紀元前3000年頃にメソポタミアからワインとビールが伝 わりエジプトでも生産が始まった。 宗教 太陽神信仰が中心の多神教である。 死後の世界の信仰=霊魂不滅の考え方 「死者の書」「ミイラづくり」など クフ王の舟 クフ王の舟は,1954年および1987年 にギザの大ピラミッドの付近で発見さ れた2隻の船のこと。 紀元前2500年頃、古代エジプト・古 王国時代第4王朝のファラオであった クフのために造られたとされている。 全長42.6 m、全幅5.9 mの大きさで、 主に杉板で作られていた。 発見時には1,224の部品に分解され ており,釘などを一本も使わずに組み 立てる構造となっていた。 舟がつくられた目的は定かでないが, クフ王が来世で使用するために埋め られたのではないかとする説もある。 いずれにしても,当時,舟がいかに重 要であったかを示すものである。 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons /1/10/Barque_Solaire2.JPG 穀物のふるい分け・運搬(18王朝) ぶどう摘み(18王朝) パン職人、屠殺人、ビール職人の模型(中王国時代) 古代エジプト文明の特徴(2) 文字 象形文字である神聖文字(ヒエログリフ)が誕生した。 神殿やピラミッド内の壁面、またパピルス紙に記された。 ナポレオンの遠征時に発見されたロゼッタストーンをもと にシャンポリオン(仏,1790~1832)が解読した。 暦法 ナイル河の氾濫を正確に予測する必要から天文観測が 行われ、太陽暦が作られた。 1年は365日。ナイルの氾濫の定期性にもとづいていると 考えられる。 1日は24時間、1か月は30日で、30日×12か月+5日で 1年とした。 測地術 ナイルの氾濫後の土地復元のため測量と幾何学が発達 した。 数字表記は10進法でおこなった。 オベリスク オベリスク(obelisk)は、古代エジ プト(特に新王国時代)に多く製作 され、神殿などに立てられた記念 碑(モニュメント)の一種。 四角形の断面をもち、上方に向 かって徐々に細くなった、高く長い 直立の石柱のこと。ほとんどは花 崗岩の一枚岩で作られている。 オベリスクの呼称自体は後世のギ リシャ人たちがオベリスコ(串)から 名付けたものであり、元来は「テケ ン(保護・防御)」と呼ばれていた。 大きいものではその重量が数百ト ンにも及ぶ。 http://en.wikipedia.org/wiki/File:Louxor_obelisk _Paris_dsc00780.jpg ここで問題② オベリスクを花崗岩から切り出す際に,効率 よく作業するために行われたとされる工夫は 何でしょうか。 ナイル川周辺の土地利用 (NASA World Windにより作成。) デルタ地帯の降水量は100 ~200mm/年程度 源流域(標高2700m程度)の エチオピアやビクトリア湖(標 高1134m)の周辺では、降水 量が多い。 乾季には、ナイル川の流量 のうち、白ナイル川からのもの が7~9割を占めるとされる。 雨季には逆に、青ナイル川 の流量が多く、全体の8~9割 を占めるとされる。 エジプトの農業 ナイル川の水利用 自然の洪水を利用して、灌漑工事と注意深い計画により農業 の基盤に役立てる水管理システムを持っていた。 紀元前約5500年に定住社会が出現して以来、19世紀以降 に近代技術が用いられるまで、約7000年もの間持続した。 ナイル川上流の高地でもっとも雨が多いのは6月だが、約 3000km離れたエジプトで洪水になるのは9月頃であり、11月 までに終わる。この期間が秋作物の種を蒔くのに適していた。 塩害の状況 ナイル川の洪水により、肥沃な土壌が毎年供給され、蓄積し た塩類を洗い流した。そのため、長期の休耕が必要なかった。 塩害が起きなかったことは,メソポタミアとは反対に,大麦に 比べて塩害に弱い小麦の収穫が相対的に増加したことにも 表れている。 エジプトの農地の様子 ユーセフ運河の様子 気候変動による影響 ナイル川の水位変化による社会への影響 洪水時の水位は年によって変動したため、水位の低い年は 飢饉が発生したりして、特にファラオの時代には大きな影響 を及ぼした。 水位変化と社会への影響の例 紀元前3000年頃から,洪水時の水位の上昇は2~3割低下 した。 紀元前2250~1950年にかけて起こった著しい水位の低下は, エジプトの古王国時代の終焉につながったとされる。 逆に,中王国時代は洪水時の水位が特に高かった時代であ る(紀元前1840~1770年の間は,場所によっては現在の水 位より9m程高かった)。水位が高くなれば,一定の被害は出 るにしても,農業生産に最低限必要な水と土は確保すること ができた。 ナイロメーター ナイル川の水位を計測するため、ナイロメーターと呼ばれる 装置が各地につくられた。 ナイロメーターの数値によって、王は税金を決めたとされる。 エレファンティネ島のナイロメーター カイロのナイロメーター (http://hemlen.gooside.com/photo_gallery_120/panel-6.html) アスワンの位置づけ 概要 アスワンは、エジプト南部ルクソールから 約200kmのところにある、ヌビア地方の都 市で、人口は約20万人。 世界最少の平均降水量(ギネス認定, 1951年~1978年にかけて平均降水量 0.5mm)の都市として有名であるが、上流 域のナセル湖により水源は豊かである。 古代エジプトでのアスワン 古代エジプトの時代、ここから南のヌビア 地方との交易の拠点だった。ナイルの中 島エレファンティネ島がその中心で防衛拠 点としての役割も果たしていたという。 ナイル川の神であるハピ神や、ナイルを 司るとされるクヌム神、その娘アヌキス女 神などの信仰の中心であった。 ナイル川の水源はここであると考えられ (実際は違うが)、それに関わる豊穣の神 イシス神がフィラエ島に祀られた。 (http://h whitemary.web.fc2.com/.../aswan.html ) ハピ(Hapy)神について エジプト神話に登場するナイル川の神。古代 エジプトにおいて信仰された。 ハピは顎に髭をはやし、垂れた女性の胸を持 つ緑または青色の太った男の姿で表される。 女性の胸は豊饒性を表すと考えられている。 ハピはまた、ナイル川の北と南を表す2人の 神と考えられ、2人で上下エジプトの統一のシ ンボルに植物を結びつけるサムタウイの儀式 を行う姿で表されることもあった。 ハピの頭上にはパピルスあるいは睡蓮の葉 が描かれる。手には供物が高く積み上げられ た盆、もしくは水が流れ出る壷を持っているこ ともある。 豊穣の神としてオシリスと同一視、あるいはオ シリスの化身とみなされることもあった。 クヌム(Khnum)神について 古代エジプトから伝えられている創造神 の一人で、ナイル川を司る神ともされる。 牡羊の頭をした人物として表される。 アスワンのエレファンティネ (Elephantine)島の神で、ろくろ台の上 で人間を作り出したと考えられ、土器づ くりの神としても崇められた。 エスナにある「クヌム神殿」 イシス(Isis)神について 古代エジプトにおける豊穣と母性の神であり,グレコ・ ローマン時代に渡って崇拝された。 冥界の王となったオシリスの妹かつ妻であり,また天 空と太陽の神ホルスの母である。 ナイル川の洪水は,オシリスの死を悲しむイシスの涙 によって起こると考えられ,崇拝されることもあった。 イシスがホルスに授乳する様子などが、イエスの母・ マリアへの信仰の元になったといわれる。 フィラエ島にある「イシス神殿」 古代エジプト文明で起きた環境問題 一部地域での塩類集積 洪水時の水位よりも高い場所にある灌漑地域や、海面よ りも低い地域では、深刻な塩類集積が起こった。 森林伐採 薪、彫刻、家具に使う木はたくさんあったが、その目的の ために伐採された後に、家畜であるヤギに小さな木をす べて食べられて、森林が破壊された。 生物種の絶滅 野生動物に崇拝の念を抱いていたが、野生動物の狩猟 を止めることはなかった。 生息地の壊滅がもたらす影響から野生動物を救うことも なかった。 古代エジプト文明を崩壊に導いたもの ①環境破壊 ②気候変動 ③近隣の敵対集団 ④友好的な取引相手 ⑤環境問題への社会の対応 古代エジプト文明の興亡から 得られる教訓 自然の洪水を巧みに利用することで、長期に わたって持続する農業を行うことは可能である。 農業が持続的であれば、文明は存続しうる。 約7000年もの間持続してきた農業方式を最終 的に破壊したのは、1950年代に始まった現在 のアスワン・ハイ・ダムの建設であった。 →近代の効率的な技術が、必ずしも持続的で あるとは限らない。 (※参考:現在では,エジプトは世界で1,2を争う小麦輸入国となっている。) 参考文献 (第1講での紹介文献以外のもの) ドナルド・ヒューズ著、奥田暁子・あべのぞみ訳(2004)『世界 の環境の歴史』、明石書店 金子史朗(2000)『古代文明はなぜ滅んだか』、中央公論社 安田喜憲(1994)『森と文明』、日本放送出版協会 H・ウーリッヒ著、戸叶勝也訳(1998)『シュメール-人類最古 の文明の源流を辿る-』、アリアドネ企画 三笠宮崇仁監修,岡田明子・小林登志子著(2000)『古代メ ソポタミアの神々』,集英社 ジャン・ボッテロ/マリ=ジョゼフ・ステーヴ著,矢島文夫監修 (1994)『メソポタミア文明』,創元社 松本健・NHKスペシャル「四大文明」プロジェクト編著 (2000)『四大文明 メソポタミア』、NHK出版 吉村作治・後藤健・ NHKスペシャル「四大文明」プロジェクト 編著(2000)『四大文明 エジプト』、NHK出版 前回の講義の感想等(1) 回収数:95 講義全般について 環境文化を学ぶにあたり,最近の事例を持ってきて学習すると思っていたので,いきな り紀元前の話から始まったので驚きました。講義が進むに従い,この古い時代の事例 と現在における事例がどう絡んでくるのか,またあまり関係ないのか,非常に楽しみで ある。 もともとマヤ文明に興味があったため,非常に有意義な時間を過ごすことができました。 また,世界不思議発見でも扱われていないこともあったので,とても楽しい時間を過ご すことができました。 今日の授業で扱った「環境問題への対応の失敗」は,今の福島のことを言っているよう にも思えました。考えられる失敗のパターンがすべて当てはまっていました。先生の講 義に出席すると世間に目を向けられるようになります。 今回の講義から受け始めたが,自分が普段受けているような人間支援の授業と違って, とても新鮮味があっておもしろく感じた。 環境文化について 環境にもいろいろな種類のものがあるが,特に自然環境と文明というのは,大昔から 切っても切り離せないような関係にあるのだということが分かった。講義内容もおもしろ いなと思った。 今まで環境を歴史的・文化的観点から考えたことはなかったので,今日の内容は非常 に自分にとって新鮮だった。古くから天文学などを発展させ,それが現在まで残ってい ることにもとても感動した。現代のものも後世まで受け継がれていってほしい。 環境と文化がこれほどまでに密接な関係があるとは思わなかった。 前回の講義の感想等(2) 環境文化について 環境文化がどういうものなのか,何故学ぶのかなどが分かった。古代文明には元々興 味があったので面白かった。 環境が人の性格に影響を与える説は面白いと思ったし,納得した。 環境決定論と環境可能論の考え方は非常に興味深かったです。創造した生活様式と 環境が決定した生活様式の境界は分かりませんが,土地固有の文化があるのは環境 がそれを創造させたからだと僕は思いました。 環境問題は機械などが普及して近代化したことによって生じてきたと自分では思って いたため,最近の問題だと思っていたが,古代文明の崩壊まで時代を戻して関係性を 考慮しなければならないのは驚きました。 今まで地球上には様々な文明が栄え,そして衰退してきたが,その原因が環境と密接 に関わっているとは驚きだった。他の地域からの侵略などが主な原因であると自分は 今まで思っていた。廃棄物の増加,干ばつによる食糧不足,資源不足が大きな原因で 崩壊した文明が多いということで,「環境」というものがいかに重要か分かった。「環境」 に対する自分の考えが変わった。 文明崩壊の歴史を学ぶことは,今の文明を守るための知識となり得る。気候変動や環 境問題,戦争,貿易,全て現代にも起こりうる。また,既に起こっていることである。過 去に滅んだ文明を学ぶことが未来につながると分かった。楽しい授業であった。 イースター島の文明が崩壊した理由として環境破壊が挙げられると以前勉強したこと があったが,それはイースター島だけではなくマヤ文明やシュメール文明にも共通する ものであることがよく分かった。破壊行為は必ず我が身に降りかかってくるので,破壊 するのではなく保護することが大切であると改めて感じる講義でした。 前回の講義の感想等(3) マヤ文明について マヤ文明の天文学や建造物の水準の高さにはとても驚いた。だが,そんなに高度なこ とができるのに自分の環境破壊を考えることができなかったのかと少し残念だ。やはり, 人間が生活するには環境がとても大切だと感じた。 マヤの文化と技術の高さには心底驚いた上に,未だ完全には明かされてない謎に引 き込まれた。 マヤ文明は今の時代の人間から見ても驚くべき技術が発達したものであったが,崩壊 の一つに環境破壊というものがあった。彼らには環境を破壊しているという自覚がな かったからかもしれないが,少なくとも私たちには環境破壊の自覚があるので,マヤ文 明の二の舞にならないように自然という根本的に大切なものを保護しなければならな いと感じた。 マヤ文明が今解明されている段階でも,ものすごい文化や技術をもっていたということ が分かりました。しかし,膨らみすぎた文明というのは壊れてしまう可能性も大きくなる ということは,今の世界も気をつけなければならないことではないかと思いました。 特に興味をもったのはチチェン・イッツァの神殿である。VTRにもあったが,手をたたく とケツァールの鳴き声のようなものが返ってきたが,マヤ文明の人たちはどのようにケ ツァールの声を分析したのか,建設の際の緻密な計算を行う知識をもっていたのだろ うかなど,考えれば考えるほど様々な疑問が浮かんでくる非常に興味深いものだった。 マヤ文明の崩壊は16世紀のスペイン人の侵略にのみ原因があると思っていたが,そ れ以前に文明の弱体化が環境問題etc.により引き起こされてたという事実が興味深 かった。 高校の時からテレビなどを見てマヤ文明をインターネットで調べていました。階段の数 前回の講義の感想等(4) マヤ文明について 高校の時からテレビなどを見てマヤ文明をインターネットで調べていました。階段の数 が365段になることや,春分・秋分の日にヘビの神「ククルカン」が影となることなど,非 常に興味が湧き,プレゼンにもしたことを思い出しました。 質問等 ケツァールの動画をもっと見たいのですが,あれはYouTubeとかで見れるのでしょうか。 →講義で紹介した動画は,CSで放送している「ヒストリーチャンネル」という放送局の 番組です。YouTubeにもアップロードされているかもしれませんが,確認はしていま せん。 マヤ暦やノストラダムスの予言などは信じる方ですか? →「予言」の部分は信じていませんが,マヤ暦のように,天体観測をもとに人が創り出 した部分は信じていますし,尊重しています。また,本来関係のない,マヤ暦の考え 方とキリスト教的終末思想が結びついたという現象の,文化的解釈には興味があり ます。