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老子とハイデッガーの共通性

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老子とハイデッガーの共通性
老子とハイデッガーの共通性
宇宙の原理とは何か? それを老子は「道」と言っているのだが、ハイデッガーは根源的
自然の「臨在」と言っている。ハイデッガーは、極めて難解な、中国の老子の「道」の思
想の本質を、西洋で唯一理解した哲学者である。その両者の哲学に根本的な共通点があ
る。
その共通点を説明するには、ハイデッガーの根本的自然ならびに世界四元体論について説
明した上で、老子の世界存在論を詳しく説明しなければならない。
1、ハイデッガーの根本的自然ならびに世界四元体論
現実的なもの、それは岩石、植物や動物、河川流や天候や天体のことであるが、これらの
自然を成り立たせているものは宇宙の原理であり、それはハイデッガーの言う「根源的自
然」の働きによる。つまり、そのような現実の自然を支えているものは根源的自然であ
る。また、諸民族の命運、神々を支えているのも、現実の自然を支えている根源的自然と
同一のものである。さて、宇宙の原理とは何か? それを老子は「道」と言っているのだ
が、ハイデッガーは根源的自然の「臨在」と言っている。
問題は、ハイデッガーの言う「根源的自然」は何かということである。以下に、順次説明
しよう。
藤本武という新潟膏陵大学福祉心理学科教授の「ハイデッガーの自然哲学について」とい
う論文 がある。その論文から要点を抜粋して、説明に変えたい。その論文では、次のよ
うに述べている。すなわち、
『 伝統的自然観に影響されて、初期のハイデツガーは用具的自然観を展開していると思
える。南ドイツのシュヴァルツヴアルト 地方の自然に包まれて育った野生者の哲学者ハイ
デッガーがヨーロツパ哲学全体の超克を意図しながら、初期の段階では伝統的自然観を踏
襲しているところが、ハイデッガーの複雑な面であると言えるだろう。何故なら、伝統的
自然観を踏襲しな がらも、一方ではそれを超える自然観を隠し持っているからであ
る。』
『 1950年代初頭にな ると、ハ イ デツ ガーは、1930年代後半に展開した自然大地論を発
展させて、四元体論を構想している。』
『 自然とは常住 する も のを恩恵として授ける大地と天であ り、世界は天と大地、神的
なものと死すべきものという四者で構成される四元体であるという四元体論が展開されて
いる。四元体を形 成する四者は、それぞれ独立していながら、 多層体として一体である
とされる。 この四者が多層体として一体であるのは、自然の恩恵である。 この四者とい
うべきか、四次元というべきであるかの各々についてハ イ デツ ガー は以下のよ う に説
明している。大地とは、建てつ つ、支えるもの、養いつつ結実するものである海洋と岩
石、植物と動物である。天とは、太陽の運行、月の干満、星辰の輝き、一年の四季、一日
の光明と薄明、夜の聞と星光、天候の恵みと災い、と大気の流れと空の紺碧である。神的
な も のとは、神性を指し示め す使者たちのことである。神性の隠 された力の中で、 神
は自らの本質を現わ すのである。死すべきものとは、人間のことである。 人間は死ぬこ
とができる存在であることから、人間は死すべきものと呼ばれる。死ぬことは、 死を死
として受けとめることである。 人間のみが死ぬことができ る。動物は絶命するだけであ
る。死すべきものとは、人間存在としての存在の本質的な在り方である。』
『 存在は自然であり、自然の中に人間存在も含まれという視点が新たに展開されてい
る。』
『 この時点でハイデッガー は世界概念を自然概念に転換させている、と言える。 いま
だ秘隠されてはいるが、世界はそうした根源的自然に支えられている。』
『 しかしながら世界も元初的に根源的自然に帰属するものであることから、自然、根
源的自然は、すべて現実的なもののうちに、それは、岩石のうちに、植物や動物のうち
に、 河川流や天候や天体のうちに、臨在しており 、また、諸民族の命運のうちに、神々
のうちにも、臨在していることになり、四元体という自然観が構成される。』
『 このようにすべて現実的なものが自然存在であり、それらの現実的な存在者に臨在す
る自然を、 ハイ デッガーは根源的自然とする。 このようにして、根源的自然は根源的存
在として、すべてを、したが って人聞をも一統宰するものである、という洞察に到達す
る。』・・・と。
宇宙の原理とは何か? それを老子は「道」と言っているのだが、以上縷々ご紹介してき
たように、ハイデッガーは根源的自然の「臨在」と言っている。ハイデッガーは、極めて
難解な、中国の老子の「道」の思想の本質を、西洋で唯一理解した哲学者である。その両
者の哲学に根本的な共通点がある。
根源的自然とは、いまだ秘隠されてはいるが、すべての世界を成り立たせている「宇宙の
原理」によって、天と大地、神的なものと死すべきものという四元体に臨時する自然。天
(太陽の運行、月の干満、星辰の輝き、一年の四季、一日の光明と薄明、夜の聞と星光、
天候の恵みと災い、と大気の流れと空の紺碧)も自然、大地(海洋と岩石、植物と動物)
も自然、神的なものも自然、人間も自然だが、それら四つの自然は根源的なものであり、
本来同じものである。したがって、人間は、天を見て、大地を見て、神的なものを見て、
「宇宙との一体感」を感じなければならない。
2、老子の世界存在論
私は、「日中友好親善・・・世界のために」という論文で、「老子の世界性」について語
った。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/sekaika.pdf
ハイデッガーは、極めて難解な、中国の老子の「道」の思想の本質を、西洋で唯一理解し
た哲学者である。その両者の哲学に根本的な共通点がある。それほど老子の哲学は哲学的
である。上記の論文は、老子の哲学が奥深いものであり、世界性があるというその点に焦
点を当てたものである。上記の論文では、次のように述べている。すなわち、
『 老子の「道」は、宇宙の実在、万物生成の原理を指し示すものである。』
『 老子は、「宇宙のリズム」を感じながら宇宙の実在、万物生成の原理を思考したので
はないかと思われる。』
『 老子は「無為自然」(天地自然の働きに身を任せて生きていくその有り様)を説いた
霊性豊かな「自然の人」である。』
『 「宇宙との一体感」とは「自然と一体感」のことであるが、「無為自然」を説く老子
もまさに「宇宙との一体感」を感じることのできる「野生の思考」の人であったと思
う。』
『 「宇宙のリズム」こそ「宇宙の原理」を解く
だ。』・・・と。
冒頭に述べたように、 「宇宙の原理」、すなわち老子のいう「道」、それをハイデッガ
ーは根源的自然の「臨在」と言っているのだが、その共通点を理解するには、ハイデッガ
ーの根本的自然ならびに世界四元体論を意識した上で、「老子の万物生成論」を詳しく説
明しておかなければならない。
それでは、以下において、「老子の万物生成論」をできるだけ詳しく説明することとした
い。
老子という書物の多くの章は、「道」にしたがう人間の生き方、すなわち「無為自然」の
生き方を書いている。しかし、天、地、神のことも書いている章がある。それをこれから
紹介する。
(1)第1章
「 欲がない立場に立てば道の微妙で奥深いありさまが見てとれ、いつでも欲がある立場
に立てば万物が活動する結果のさまざまな現象が見えるだけ。この二つのもの・・・微妙
で奥深いありさまと、万物が活動しているありさまは、道という同じ根源から出てくるも
のである。」
欲がない立場とは、無の境地のことであり、悟りを得た名僧の立場である。欲がある立場
とは、私たち通常の人間のことである。私たちが見ている世界、すべての自然のありさま
というのは、見えているのだが、実は、その奥に見えない微妙で奥深いありさまがあっ
て、それら二つのありさまは、同じ原理によって生じている。それは、宇宙の原理であ
り、道であり、根源的自然である。老子は第1章でそういう意味のことを言っている。
(2)第4章
「 満々たる水のような静かなことよ、何か存在しているように見える。私は、それが誰
の子であるのかを知らない。天帝の祖先のようである。」
通常、第4章の言葉に、このような言葉があるが、原文は、「象帝之先」である。「帝」
は、天の最高の神である天帝のこと。「道」すなわち、宇宙の原理、根源的自然というも
のは、最高の神より先に存在する。すなわち、神の働きも「道」すなわち、宇宙の原理、
根源的自然の働きによって生じている。 老子は第4章でそういう意味のことを言ってい
る。
(3)第14章
『 目を凝らしても見えないもの、それを微という。耳を澄ましても聞こえないもの、そ
れを希という。撫でてさすっても捉えられないもの、それを夷という。この三者は突き詰
めることができない。だから混ぜ合わせて一にしておく。この一は、その上の方が明るい
わけではなく、その下の方が暗いわけでもない。はてしもなく広くて活動してやまず、名
づけようがなく、万物が万物として名づけられる以前の根源的な道に復帰する。」
根源的な道、すなわち根源的自然、宇宙の原理というものは、言い表わすことのできない
ものだが、無限で活動してやまず、その働きのおかげでこの世の万物が生じており、天と
か大地とか、風とか岩とか、太陽とか動植物とか、数知れない名前を持っている。「根源
的な道に復帰する」とは、根源的な道のありさまを言い表しており、万物のもとは根源的
な道であることを言っている。
(4)第25章
「 天は大なるもの、地は大なるもの。人は、地のあり方を手本とし、地は天のあり方を
手本とし、天は道のあり方を手本とする。人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、
道は自然に法る。」
老子は、(2)で述べたように神というものを十分意識している。 老子という書物の多
くの章は、「道」にしたがう人間の生き方、すなわち「無為自然」の生き方を書いてい
る。しかし、天、地、神のことも書いている章がある。それらを今まで説明してきたが、
この第25章は、天と地と人との関係を述べている。この人の中には当然王(最高の為政
者)も含まれる。人はすべからく「道」、すなわち根源的自然、宇宙の原理にしたがうの
が「無為自然」の生き方である。老子は第25章でそういう意味のことを言っている。
「人は地に法」るとは、たとえば地勢に従って耕作すること、「地」は日月や四季という
「天」に従って樹木などを生育させるし、「天」に秩序があるのは「道」に従うからだ。
私たち人間は、大地のよって生かされている。その大地は、「天」そして「道」に従って
いる。となれば、私たち人間は、結局、「道」、すなわち根源的自然、宇宙の原理という
ものによって生かされている。「無為自然」こそ私たち人間本来の生き方である。老子
は、結局、第25章でそういう意味のことを言っている。
(5)第42章
第42章には、有名な「老子の万物生成論」が展開されている。しかし、多くの解釈があ
り、的確な理解は難しい。皆さん方は、今まで述べてきた(1)から(4)までの説明を
参考にして、この(5)に掲げた老子の原文の解説を読んで、皆さん方の解釈をして欲し
い。
老子の原文は次のとおりで。
『 道生一、一生二、二生三、三生万物、万物負陰而抱陽、沖気以為和。」
① 道生一:存在一般「一」は具体的すれば「二」になるということで、「二」は天地を
指すと考えられる。
② 一生二:存在一般は具体化すれば「二」になるということで、「二」は天地を指すも
のと考えられる。
③ 二生三: 古代中国では、天には陽の気が、地には陰の気があって、相互に交流し活
動すると考えられていた。すなわち、天地があれば陰陽があるわけで、「三」は天地に引
用を加えたものである。
④ 三生万物:天地間の陰陽の気が混ざり合って万物を生むということ。
⑤ 万物負陰而抱陽:万物は陰の気と陽の気を内に抱き持っている。
⑥ 沖気以為和:陰陽の気が相互に作用し合うことによって調和を保っている。
その他、いくつかの章に私の気に入っている言葉があるので、ここに紹介しておく。
神無以霊将恐歇:神には霊力の強弱や休止などがあるのだから、あらたかな霊力だと遂に
は消失して神はならない。
天下万物生於有:世の中のものは形のあるものから生まれ、形のあるものは形のないもの
から生まれる。
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