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10-05 一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能

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10-05 一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能
一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能性と問題点(玉垣正一郎)
一人計算及び電子記録債権を利用した
多数当事者間決済の可能性と問題点
玉垣 正一郎 1
目次:
第 1 章 はじめに
第 1 節 問題の所在
1 現代における集中決済システムの必要性
2 ネッティングの意義
3
多数当事者間決済の問題点
4 多数当事者間決済を考える視点
第 2 節 本稿の構成
1 本稿の構成
2 用語について
第 2 章 民法を利用した多数当事者間決済とその限界
第 1 節 民法を利用した多数当事者間決済
第 2 節 第三者が決済に介入する方法
1 第三者による弁済(第三者弁済)
2 第三者による相殺
第 3 節 二当事者間の債権債務関係に還元した上での決済方法
1 債権譲渡を利用する方法
2 債務引受を利用する方法
第 4 節 第三者の保証を利用した決済方法
第 5 節 CCP の債務引受を利用した方法
第 6 節 小括
第 3 章 一人計算を利用した多数当事者間決済とその問題点
第 1 節 一人計算の概要
1 総論
2 一人計算の意義
1
名古屋大学法科大学院修了生(2010 年 3 月
既修コース修了)
66
名古屋ロー・レビュー 第 2 号(2010 年 9 月)
3 一人計算の当事者間における効力
4 一人計算の第三者との関係における効力
第 2 節 一人計算の問題点
1 決済の第三者効に関する問題点の整理
2 時期の問題
3 抗弁の問題
第 3 節 小括
1 一人計算の第三者効に関する問題点の整理
2 電子記録債権との関係について
第 4 章 電子記録債権を利用した多数当事者間決済とその問題点
第 1 節 電子記録債権制度の概要
第 2 節 電子記録債権と原因債権との関係
1 電子記録債権と原因債権との併存
2 電子記録債権と原因債権の抗弁との関係
3 小括
第 3 節 電子記録債権を利用した決済の可能性
第 4 節 一人計算と電子記録債権との接合可能性
1 電子記録債権法の目的
2 3 つの債権の関係
3 電子記録債権における金額の確定性
第 5 節 小括
1 立法目的の相違
2 3 つの債権との関係
3 金額の確定性
4 まとめ
第 5 章 多数当事者間決済の可能性
第 1 節 残された課題
第 2 節 時期の問題
1 問題の所在
2 検討
3 提言
第 3 節 抗弁の問題
1 問題の所在
2 検討
3 提言
第 4 節 結論
67
一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能性と問題点(玉垣正一郎)
第 1 章 はじめに
第 1 節 問題の所在
1
現代における集中決済システムの必要性
現代では,多数当事者間において頻繁に発生する同種の債権債務につき,集中的な決済
システムが必要とされている。例えば,企業グループ内の資金を一元管理して資金調達や
運用を効率的に行うためのキャッシュ・マネジメント・システム(CMS)
,電子マネーの発
行体が複数の場合における発行体同士の電子マネーの発行業務に係る債権債務関係の清算,
提携クレジットカード会社間のクレジット債権に係る債権債務関係の清算,定期券や乗車
券に係る提携鉄道事業間の鉄道運送に係る債権債務関係に清算において,集中決済システ
ムが採用されることが考えられる 23。
このような集中決済システムにおいては,三当事者以上の債権債務を清算するために,
清算参加者の他の全清算参加者に対する債権債務の差額を算出して,当該差額の授受によ
り決済を実施するマルチラテラル・ネッティング(multilateral netting)が行われている。
2
ネッティングの意義
ネッティングとは,当事者間の債権債務関係の清算のために,支払うべき額と受け取る
べき額の差額を算出し,当該差額のみを決済することをいい,資金や証券の授受件数・数
量を削減し,決済リスクさらには事務負担を削減する効果がある 4。二当事者間のネッティ
ングとしては,法的性質の異なる三種類のものがあり,それぞれ,ペイメント・ネッティ
,
ング 5,オブリゲーション・ネッティング 6(ノベーション・ネッティングとも呼ばれる)
第 1 節全体につき,藤池智則「集中決済システムにおけるマルチラテラル・ネッティングと一人計算」
ビジネス法務 2009 年 7 月号 98 頁(2009 年)参照。
3 平成 10 年(1998 年)に「金融機関等が行う特定金融取引の一括清算に関する法律」
〔一括清算ネッティ
ング法〕が施行されている。そして,現在行われている集中決済システムとしては,金融機関間における
資金決済,証券決済がある。なお,清算機関による集中決済システムの法的論点の整理としては,松尾琢
己「清算機関によるマルチラテラル・ネッティングに関する法的論点(上)
」NBL772 号 25 頁(2003 年)
,
同「清算機関によるマルチラテラル・ネッティングに関する法的論点(中)
」NBL777 号 53 頁(2004 年)
,
同「清算機関によるマルチラテラル・ネッティングに関する法的論点(下)
」NBL779 号 44 頁(2004 年)
参照。
4 松尾・前掲(注 3)
「清算機関によるマルチラテラル・ネッティングに関する法的論点(上)
」NBL772
号 26 頁(2003 年)
。
5 ペイメント・ネッティング(payment netting)とは,二当事者間に,同一履行期で,同一通貨の債権債
務が複数ある場合,履行期が到来して債務の履行を行う際に,債権債務を差し引き計算し,その差額を一
方が他方に支払う旨のあらかじめの取り決めである。神田秀樹「ネッティングの法的性質と倒産法をめぐ
る問題点」金法 1386 号 9 頁(1994 年)
,和仁亮裕=野本修「スワップ契約とネッティング」金法 1385 号
50~51 頁(1994 年)参照。
6 オブリゲーション・ネッティング(obligation netting)とは,二当事者間に,同一履行期で,同一通貨
の債権債務が複数生じるような場合,新たな債権が発生するたびに,履行期の到来を待たずに,差し引き
計算(既存の債権の額に新たに生じた債権の額を加える場合と,既存の債権の額から新たに生じた債務の
額を減ずる場合のいずれもが,ありうる)をする旨のあらかじめの取り決めである。神田・前掲(注 5)9
頁,和仁=野本・前掲(注 5)50 頁参照。
2
68
名古屋ロー・レビュー 第 2 号(2010 年 9 月)
一括清算ネッティング 7(クローズドアウト・ネッティングとも,単に,一括清算とも呼ば
れる)と呼ばれている 8。
他方,マルチラテラル・ネッティングとは,多数当事者間の債権債務の清算のための差
額決済であり,いわば清算参加者の相殺合意である。
3
多数当事者間決済の問題点
多数当事者間での相殺合意が行われたとしても,仮にその相殺合意の法的有効性が認め
られないとすれば,清算参加者に対する決済リスクは削減されず,すでに行われた集中決
算をいったん巻き戻して,倒産した清算参加者を除いて清算をする必要があるため,他の
清算参加者のポジションが大きく変わる可能性があり,思わぬ流動性リスク・信用リスク
を負担するおそれがある。しかも,それが資金決済システムや証券決済システムで生じる
と,システミックリスク 9を生じさせるおそれがある。したがって,集中決済システムの安
定を実現するためには,そのシステムが法的に有効であることが確保されていなければな
らない。
この点,民法 505 条は相殺適状の要件として債権債務の対立を要求しているものの,三
当事者以上の者による相殺合意は,契約自由の原則により,当事者間においては法的に有
効である。もっとも,この相殺合意について,差押債権者などの第三者に対抗できるかが
問題となる。近年問題となった最高裁判例(最判平成 7・7・18 判時 1570 号 60 頁
10)で
は,三当事者間(以下「三者間」ともいう)の合意に基づく相殺予約につき,差押債権者
に対抗できないとされた。
この最高裁判例を契機として,学説では三当事者間相殺の様々な理論的根拠が検討され
ることになったものの,当該事案限りでの検討にとどまっており,多数当事者間の決済に
つき,十分な理論的根拠が提供されたとは言えない状況にある。
4
多数当事者間決済を考える視点
多数当事者間決済の法的安定性を図るためには,何よりもまず,①その法的に明確な理
論的根拠が必要となる。また,②上述した清算参加者の決済リスクを回避するためには,
一括清算ネッティング(close-out netting)とは,二当事者間で,当事者のいずれか一方に,破産の申立
てまたは更生手続開始の申立てがなされた場合には,一定範囲の取引(通貨交換取引,スワップ取引)か
ら生ずる債権債務について,履行期が異なるものであってもまた通貨が異なるものであっても,一定の方
法によって現在価値に引き直し,さらに,一定の方法で,単一の通貨の債権債務に換算し,それらを差し
引き計算し,その差額を,一方が他方に対して負う債務,または,一方が他方に対して有する債権とする
旨の取り決めである。神田・前掲(注 5)9 頁,和仁=野本・前掲(注 5)51~52 頁参照。
8 二当事者間のネッティングに関する文献として,山田誠一「相殺の基本と応用―二当事者間のネッティ
ング―」法教 234 号 66 頁(2000 年)参照。
9 システミックリスクとは,貸付や投資の失敗により,一つの金融機関が破綻すると,それが多数の金融
機関によって構成されている手形交換所や内国為替制度等の決済システムを通じての他の銀行にも破綻が
広がるという決済不能の連鎖のリスクをいう(岩原紳作『電子決済と法』509 頁,538 頁注 14[有斐閣,2003
年]参照)。
10 この最高裁判例については,第 2 章の中で取り上げる。
7
69
一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能性と問題点(玉垣正一郎)
第三者に対する相殺合意の有効性を認める必要がある。ただし,公示のないままで相殺の
第三者効を認めることは,多数当事者間において差押えの及ばない財産を創出する結果と
なり,債権者平等の原則という観点からはなお問題が残る。仮にそのような財産を認める
にしても,決済の第三者効を認めるための公示が必要となる。
第 2 節 本稿の構成
1
本稿の構成
そこで,本稿では,上記①②の視点から,多数当事者間決済の可能性と問題点を指摘す
るとともに,そのあるべき姿について提言する。
最初に,民法が規律する債権の消滅制度を利用して,どのような多数当事者間の決済を
実現することができるか,また,それぞれの方法における問題点について論じる。その中
で最判平成 7・7・18 判時 1570 号 60 頁について言及する(第 2 章)
。
次に,民法(債権法)改正検討委員会案(委員長・鎌田薫早稲田大学教授。以下「検討
委員会案」とし提案は【】で引用する
11)が提案する「一人計算」は多数当事者間決済の
法理論的根拠として注目されるところ,その概要を説明するとともに,問題点について論
じる(第 3 章)
。
その後,同様に,多数当事者間決済としての利用可能性が指摘される電子記録債権につ
き,その可能性と問題点について論じる(第 4 章)
。
最後に,一人計算を利用した多数当事者間決済につき,提言を行う(第 5 章)
。
2
用語について
なお,
「決済」とは,当事者間の(金銭)債権・債務を清算することであり,決済機能と
は,このような当事者間の決済を媒介する機能を指すと考えられている
12。本稿において
は,決済という用語につき,金銭債権が通常の取引過程において消滅すること,という意
味で用いる。例えば,正常な代金支払,債権債務の差引計算が行われることである。
また,本稿で使用する「多数当事者間決済」という言葉は,
「マルチラテラル・ネッティ
ング」と同義であって,多数当事者間の債権債務の清算のための差額決済という意味で用
いる。
11
12
民法(債権法)改正検討委員会編『債権法改正の基本方針(別冊 NBL126 号)』
(商事法務,2009 年)。
岩原・前掲(注 9)517 頁注 6 に掲げられている文献参照。
70
名古屋ロー・レビュー 第 2 号(2010 年 9 月)
第 2 章 民法を利用した多数当事者間決済とその限界
第 1 節 民法を利用した多数当事者間決済
前述のとおり,決済とは,通常の取引過程において金銭債権・債務を清算することであ
る。決済の結果,債権の消滅という現象が生じる。民法が定める債権の消滅原因は,民法
第 3 編第 1 章第 5 節「債権の消滅」に規定される弁済・相殺・更改・免除・混同・供託・
代物弁済の 7 つに加え,消滅時効などがある。これらの債権権消滅原因は,①債権の本来
の消滅原因,②債権者が間接的にではあるが満足を得る消滅原因,③債権者の満足を伴わ
ない消滅原因に整理でき,①は弁済,②は弁済供託,代物弁済,相殺,更改,混同,③は
免除,消滅時効が該当する。また,多数当事者の債権関係や請求権競合において,甲債権
の消滅に伴い乙債権が消滅することがあるが,これは甲債権の消滅原因によって,②又は
③に分類される 13。
上述の債権消滅原因のうち,多数当事者間決済に利用することができるのは,弁済(と
りわけ第三者弁済),相殺(とりわけ第三者による相殺),債権譲渡,債務引受である。そ
して,これらの方法は,第三者がどのように決済に関与するかという点に着目すれば,以
下の第 1 から第 4 に区別することができると思われる 14。
第 1 は,第三者が決済に介入する場合であり,第三者による弁済,第三者による相殺が
考えられる。具体的には,A が B の C に対する乙債権につき,第三者弁済をする場合(図
1)
,あるいは,B の C に対する乙債権につき A が自己の B に対する甲債権をもって相殺す
る場合である(図 2)
。
図1
第三者 A による弁済。
A
B
C
乙債権
図2
A が乙債権と甲債権を相殺する。
A
甲債権
B
C
乙債権
13
14
以上につき,中田裕康『債権総論』276 頁(岩波書店,2008 年)参照。
これ以外にも,代理受領も三者間決済の一方法であるものの,本稿の対象外とする。
71
一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能性と問題点(玉垣正一郎)
第 2 に,二当事者間の債権債務関係に還元した上での決済方法が考えられる。例えば,A
が B に対して甲債権を有しており,B が C に対して乙債権を有している場合において,A
が甲債権を C に譲渡して C が両債権を相殺する方法(図 3),あるいは,A が乙債権につき
併存的債務引受ないし免責的債務引受をして,甲債権を自働債権,乙債権を受働債権とし
て相殺する方法である(図 4)
。
図3
A
A から C へ債権譲渡。
C が甲債権と乙債権が乙債権と
甲債権
甲債権を相殺する。
B
C
乙債権
図4
A が乙債権につき債務引受。
A
A が甲債権と乙債権と甲債権を
相殺する。
甲債権
B
C
乙債権
第 3 に,第三者の保証を利用した決済方法も考えられる。例えば,A が B に対して甲債
権を有しており,B が C に対して乙債権を有している場合において,A が B との間で乙債
権についての連帯保証契約を締結し,A が甲債権を自働債権とし乙債権の保証債務を受働債
権として相殺することによって,甲債権と乙債権を決済する方法である(図 5)
。
図5
A(乙債権の連帯保証人)
A が乙債権につき連帯保証契約を
締結。A が甲債権と連帯保証債務を
甲債権
連帯保証債権
もって相殺する結果,乙債権も消滅
する。
B
C
乙債権
72
名古屋ロー・レビュー 第 2 号(2010 年 9 月)
第 4 に,セントラル・カウンターパーティ(central counterparty)
(以下「CCP」とい
う)の債務引受を利用した方法がある。外国為替取引に伴う加盟銀行間の資金決済は,東
京銀行協会がCCPとなって行われている 15(図 6 16)。
図6
東京銀行協会(CCP)
CCP による債務引受
求償債務
支払指図に係る債務
被仕向銀行
仕向銀行
支払指図
問題は,上記の方法(前掲図 1~図 6)による決済につき,決済当事者以外の第三者 X(具
体的には相殺の目的となった債権についての差押債権者)に対抗することができるかどう
かである。
以下では,上記 4 つの場合に分けて論じることにする。
第 2 節 第三者が決済に介入する場合
1
第三者による弁済(第三者弁済)
第三者弁済が認められないのは,①債務の性質がこれを許さない場合(民法 474 条 1 項
但書前段)
,②当事者が反対の意思を表示した場合(民法 474 条 1 項但書後段)
,③利害関
係を有しない第三者が債務者に意思に反して弁済をする場合(民法 474 条 2 項)である。
逆に,これら以外の場合,第三者弁済が許容される。多数当事者間決済では金銭債権を問
題にしていることから①は該当せず,また,多数当事者間で決済が行われることに合意が
あることから,②と③にも当たらない。結局,第三者弁済の要件は障害とならない。この
ことは,検討委員会案においても異ならない 17。
15
なお,保証行責任方式の方法については,小沢芳己「新為替決済制度の創設と全銀システムの決済リス
ク対策」金法 1536 号 6 頁(1999 年)参照。
16 藤池・前掲(注 2)99 頁の図 1 参照。
17 検討委員会案は,民法 474 条 1 項を維持した上で,民法 474 条 2 項を変更し,弁済をするについて正当
な利益を有する者以外のものは,債務者の意思に反して弁済をすることができるが,弁済者が債務者に対
して求償権を取得しないという規律を設けることにしている(
【3.1.3.02】
(検討委員会案編・前掲[注 11]175
)
頁)
。
73
一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能性と問題点(玉垣正一郎)
しかしながら,民事執行法 145 条 1 項は,差押がなされた場合には第三債務者から債務
者への弁済ができないことを定める。その結果,例えば,B の債権者 X が B の C に対する
乙債権を差押えた場合,C は B に対する弁済を禁止される。この場合,A が B の C に対す
る乙債権につき第三者弁済をしたとしても,その債権消滅につき X に対抗できない。そう
でないと,第三者弁済が民事執行法 145 条 1 項の潜脱となってしまうからである。
以上のとおり,第三者弁済による方法は,決済の第三者効を認めることができない点に
おいて問題が残る。加えて,第三者弁済による方法には,現実の資金移動を必要とする点
で,大量に発生する債権債務の決済方法としてはなじまないという問題もある。
2
第三者による相殺
(1)
ここでは,三者間にまたがる債権債務について,①そもそも第三者が一方的意思表示
による相殺をすることができるのかという対内的効力が問題となる。このことは,二者間
による相殺契約の場合,三者間による相殺契約の場合も同じである。その上で,仮に相殺
の対内的効力が認められるとしても,②その相殺の効力を当事者以外の第三者(ここでは
差押債権者を想定する)に対抗することができるか,という相殺の第三者効の問題が問題
となる。以下では,AがBに対して甲債権を有しており,BがCに対して乙債権を有している
場合を想定する 18。
まず,相殺の対内的効力について検討する。三者間にまたがる債権債務について一方的
意思表示による相殺が認められるかにつき,判例
19は否定的であるが,学説では,第三者
弁済の許される範囲で無制限に相殺を認める説,自働債権の債務者が破産状態にある場合
のみ相殺を認めない説,相殺の意思表示をする者が法定代位弁済権者である場合にのみ相
殺を認める説など,一定の場合には相殺を認めている。
また,二当事者の間で三者間相殺をする場合の相殺の対内的効力については,判例
20は
前掲図 2 では最判平成 7・7・18 判時 1570 号 60 頁を念頭に A が相殺をする場合を代表例として挙げて
いるが,以下で紹介する判例では中間者 B による相殺が問題となったものもある(大判大 6・5・19 民録
23 輯 885 頁)
。当事者が三人いる場合の相殺についてのより詳細な整理として,中田・前掲(注 13)372
頁~373 頁がある。中田教授は,A が B に対して甲債権を有しており B が C に対して乙債権を有している
場合における①B による相殺,②A による相殺,③C による相殺の 3 つと,④ABC 三者が環状に債権を有
する場合における相殺に分けて検討している。
19 大判大 6・5・19 民録 23 輯 885 頁は,A が B に対して甲債権を有しており B が C に対して乙債権を有
している場合において,B が A からの甲債権履行請求に対し C に対する乙債権をもって相殺したとの抗弁
を排斥している。
大判昭 8・12・5 民集 12 巻 2818 頁は,B(銀行)が C に対して当座貸越契約に基づき金銭を貸与しそ
の担保として C 所有の上に根抵当権設定登記を受けていたところ,A が C から上記根抵当物件を買い受け
所有権移転登記を経由した後,A が,A の B に対する定期預金債権を自働債権とし,C の B に対する債務
を受働債権として相殺をし,B に対して根抵当権抹消登記請求をした事案において,A による相殺を認め
なかった。
以上の判例の整理につき,大西武士「判批(最判平成 7・7・18 判時 1570 号 60 頁)
」リマークス 15 号
9 頁(1997 年)参照。
20 大判昭 8・7・7 民集 12 巻 2011 頁は,A(D 会社の破産管財人)が,株式払込をしなかった B に対して,
失権手続により株式を競売して不足額(甲債権・受働債権)を請求したところ,B が,抗弁として,D 会
社の懇請により B・D 間で,B が取締役 C に対する乙債権(自働債権)とを相殺する契約を締結したと主
18
74
名古屋ロー・レビュー 第 2 号(2010 年 9 月)
否定的であるが,学説では,Cの意思に反しない限りAB間の契約による場合でも有効とす
る説
21が唱えられている。そして,通説は三者間契約による場合はその対内効を認めてよ
いとしており,最判平成 7・7・18 判時 1570 号 60 頁もこれを認める。
(2) 以上は,相殺の対内的効力であるが,問題は相殺の第三者効である。
これに関しては,最判平成 7・7・18 判時 1570 号 60 頁が参考になる。この事案
22は,
一般化すれば,AがBに対して甲債権を有しておりBがCに対して乙債権を有していた場合に
おいて,ABC間において,甲債権と乙債権を相殺する旨の合意をしていたところ,乙債権
張した事案である。判例は,相殺は当事者が互いに債務を負担する場合にのみ可能であって相殺契約をす
る場合でも第三者を債務者とする相殺は無効であるとした。ただし,この事案では,自働債権である乙債
権の当事者 BC の合意が明確に認められたわけではなく,B と D 社間の合意があったにとどまるケースで
ある。この判例の整理につき,大西・前掲(注 19)40 頁参照。
21 我妻栄『新訂債権総論』323 頁(岩波書店,1987 年)等,大西・前掲(注 19)40 頁に掲げられた文献
参照。
22 事案は以下のとおりである。
訴外 A 会社は,被告 Y 会社(被控訴人・上告人)の子会社であるが,訴外 B 会社に対して継続的に燃料
石油を販売しており,昭和 60 年 10 月 15 日から昭和 61 年 2 月 13 日までの給油代金債権として 128 万円
余の債権(甲債権)を有していた。また,B 会社は,Y 会社の下請会社として長距離輸送を継続して請け
負っており,昭和 61 年 2 月 21 日から同年 3 月 30 日までの間に Y 会社に対して作業代金債権として 241
万円余の債権(乙債権)を有していた。
A と B は,乙債権の発生前である昭和 61 年 2 月 12 日,B について信用悪化の事由が生じた場合には,
甲債権について B は直ちに期限の利益を失い,乙債権については期限の利益を放棄して相殺適状を生じさ
せ,A の意思表示によって相殺適状の時にまで遡って両債権について相殺の効力を生じさせるという相殺
予約の合意をした。
その後,昭和 61 年 3 月 20 日,B 振出の約束手形が不渡となったところ,同年 3 月 25 日,原告 X(国・
控訴人・被上告人)は,租税債権を徴収するため乙債権を差押え,取立権に基づき Y に対して支払を請求
した。これに対して,Y は,昭和 61 年 8 月 21 日に A が B に対して相殺の意思表示をし,乙債権は消滅し
たと主張した。
第 1 審(神戸地判昭和 63・9・29 判タ 699 号 221 頁)は,甲債権と乙債権を AB 間のみで相殺できる旨
の契約の有効性を,第三者による他人の債務の弁済が許されること(民法 474 条)を根拠として認め,続
いて,最大判昭和 45・6・24 民集 24 巻 6 号 587 頁を引用して「三当事者間にまたがる二つの債権を相殺
しようとする本件相殺予約の効力についても,前同様(筆者注・二当事者間の相殺予約の効力と同じ)
,差
押債権者に対抗することができるものというべきである。けだし,三当事者間にまたがる二つの債権の相
殺であっても,差押債権者が,当該被差押債権に相殺予約の効力が附着しているという債務者の有してい
た状態を引き継がなければならないという道理は,二当事者間の債権の相殺の場合と異なるところはない
からである」
「
(相殺予約の効力を差押債権者に対抗するためには,何らかの公示方法を講じるか,右契約
の締結・存在が公知性を有する場合でなければならないという原告の主張に対して)もともと債権につい
ては,その存在・内容を第三者に公示するための適切な公示方法はなく,その故に相殺予約の効力を否定
すべき理由はない。また,相殺予約の対外的効力を公知性の有無によって決することは,そのような既成
事実を作りあげた者と,作りあげられる者のみが保護される(特約の存在を社会に宣伝する力をもたない
者は保護されない)ことになり,妥当でな」いとして,相殺予約の対外的効力も認めた。X が控訴。
第 2 審(大阪高判平成 3・1・31 判時 1389 号 65 頁)は,まず AB 間のみによる相殺予約の Y に対する
効力(対内的効力)については,第 1 審と同様の根拠によりこれを認めたが,X に対する効力(対外的効
力)については,次のように判示し,第 1 審判決を取消して X の請求を認容した。
「右のごとく A,B,Y
の三者間に跨がる二つの債権は,互いに相対する関係になっておらず,A,B,Y 三者の合意で相殺予約を
する場合はともかくも,A と B の二者の合意のみで,A は A の B に対する債権で B の Y に対する債権を
相殺することができる旨の相殺予約をしてみても,右相殺予約には Y の意思表示が欠落しているから,右
三者間には右両債権が対当額で簡易,公平に決済できるとの信頼関係が形成されるものではない。そうす
ると,右二者間の相殺予約は,相殺の効力を差押債権者に対抗するための基盤を欠いていることになる。
また,右二者間の相殺予約に差押債権者に対抗できる効力を認めると,A と B の二者間の合意のみで B の
Y に対する債権を事実上差押ができない債権とすることができることになるが,これはあまりにも差押債
権者の利益を害することになる」
。
75
一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能性と問題点(玉垣正一郎)
がX(国)によって差し押さえられ,CがXから支払いを求められたところ,CがAによる相
殺の意思表示を援用したものである(図 7 参照)
。
図7
A
ABC 間相殺予約
A による相殺の意思表示を
援用した。
甲債権
乙債権
B
C(被告)
差押え
X(国・原告)
最高裁は,
「本件相殺予約の趣旨は必ずしも明確とはいえず,その法的性質を一義的に決
することには問題もなくはないが,右相殺予約に基づき A のした相殺が,実質的には,C
に対する債権譲渡といえることをも考慮すると,C は A が X の差押え後にした右相殺の意
思表示をもって X に対抗することができないとした原審の判断は,是認することができる」
として三当事者間相殺の第三者効を否定した。
学説
23は,上記最高裁判例の結論におおむね賛成である。それに反対する学説も,上記
最高裁は本件事案における「相殺予約」についてその効力を述べたにすぎず,判例として
の射程距離を三者間にまたがる債権に関する相殺予約一般にまで及ぼすべきではないとし
ている 24。
上記最高裁判例の事案において,XがBのCに対する乙債権を差押えた後に,Cが,BのC
に対する乙債権を受働債権とし,AのBに対する甲債権を自働債権とする相殺をもってXに
対抗できるとすれば,民事執行法 145 条 1 項の潜脱となり許されないだろう 25。
以上のとおり,第三者による相殺の方法は,第三者弁済と異なり,現実の資金移動は必
要としないものの,その相殺の効力を差押債権者に対抗できないという問題点は,第三者
相殺の場合と同様に残る。
学説の整理につき,中舎寛樹「判批(最判平成 7・7・18 判時 1570 号 60 頁)
」民商法雑誌 115 巻 6 号
197 頁(1997 年)参照。
24 荒木新五「判批(最判平成 7・7・18 判時 1570 号 60 頁)
」判タ 924 号 62 頁(1997 年),同「判批(最
判平成 7・7・18 判時 1570 号 60 頁)
」ジュリ 1112 号 139 頁(1997 年)
。
25 なお,検討委員会案は,第三者のする相殺について「第三者のする弁済の例により」認められるとする
一方で(【3.1.2.23】)
,かかる第三者相殺は差押えに対抗できないこともあわせて提案しており(【3.1.3.30
〈5〉】
)
,第三者のする相殺によって「差押えと相殺」の問題が潜脱されることを防止している(検討委員
会編・前掲[注 11]189 頁)
。
23
76
名古屋ロー・レビュー 第 2 号(2010 年 9 月)
第 3 節 二当事者間の債権債務関係に還元した上での決済方法
1
債権譲渡を利用する方法
(1) ここでは,前掲図 3(A が B に対して甲債権を有しており,B が C に対して乙債権を
有している場合において,A が甲債権を C に譲渡して C が両債権を相殺する場合)におい
て,C は相殺をもって,乙債権の差押債権者 X に対抗することができるかという具体例に
即して論じる。
まず,BがCに対し乙債権を有し,CがBに対して甲債権を有している場合において,Bの
債権者が乙債権を差押えたとき,Cが両債権の相殺をもって対抗することができるかという,
二当事者間の相殺と差押えの問題から考えることにする。この問題はいわゆる「差押えと
相殺」という論点であり,すでに確立した最高裁判例がある。最判昭和 45・6・24 民集 24
巻 6 号 587 頁は,自働債権及び受働債権の弁済期の前後を問わず,法定相殺をもって差押
債権者に対抗できるという無制限説を採用し,また,相殺予約の第三者効力を有効と認め
た。ここでは,民法 511 条の反対解釈として,差押え前に債務者に対して取得した反対債
権をもってするのであれば,第三債務者は,これを自働債権とする相殺によって無条件に
差押債権者に対抗できるという帰結が導かれている。ここでの問題点は,差押債権者に対
して相殺予約の効力を及ぼすことは,合意による公示のない非典型担保を創設するのでは
ないか,及び,契約の相対的効力に反するのではないかである
26。大隅意見の指摘する銀
行取引の特徴,すなわち,
「預金と貸付金との牽連性」と「特約の公知性」は,これらの問
題を解消する要素として捉えられる。ここでは,特約の公知性が特に注目される。銀行取
引における相殺予約も相殺の担保的機能を確保する手段として置かれており,このことが
取引界でもほぼ公知の事実となっているという大隅裁判官の意見は,相殺の第三者効力を
認めるためには,相殺予約の公示が必要となることを指摘するものである 27。
このように,相殺の第三者効を認めるためには,相殺予約の公示が必要であることが導
かれる。
(2) もっとも,ここで注意しなければならないのは,この昭和 45 年大法廷判決は,
「二当
事者間」の相殺予約をもって差押債権者に対抗できるかが問題となったケース(二当事者
+差押債権者)である。これに対し,本稿が問題としている場面は,
「三当事者間」の相殺
予約をもって差押債権者に対抗できるかという場面(三当事者+差押債権者)であって,
この場合に,債権譲渡を用いて「二当事者間」の債権債務関係に置き換える方法に着目し
ているのである。
債権譲渡の第三者対抗要件は,民法上は確定日付のある通知または承諾(民法 467 条 1
項)
,債権譲渡特例法においては債権譲渡登記である(同法 4 条 1 項)
。図 2 の具体例にお
いては,差押債権者 X が介入する前に,A が B に対する甲債権を C に譲渡して第三者対抗
26
27
岡本裕樹「いわゆる『相殺予約と差押え』を巡る一考察」名法 215 号 27 頁(2006 年)
。
中田・前掲(注 13)388 頁。
77
一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能性と問題点(玉垣正一郎)
要件を備えておく限りでは,差押債権者に対抗できる。
ただし,この債権譲渡を利用する方法は,個別の債権債務を消滅させる方法にすぎず,
多数当事者において包括的に決済をする方法としては利用しにくい。また,どの債権を誰
に譲渡しておくことにつき予め想定しておくことは困難である。仮に債権譲渡の方法を用
いたとしても,相殺をもって差押債権者に対抗するためには,相殺予約の公示性が必要と
なり,問題点が残る。
2
債務引受を利用する方法
A が B に対して甲債権を有しており,
B が C に対して乙債権を有している場合において,
A が乙債権につき併存的債務引受ないし免責的債務引受をして,甲債権を自働債権,乙債権
の保証債権を受働債権として相殺する方法である(前掲図 3 参照)
。
この場合,乙債権についての差押債権者 X が現れる前に債務引受が行われた場合には,A
は相殺をもって X に対抗できる一方で,差押債権者が現れた後に債務引受が行われた場合
には,A は相殺をもって X に対抗できない。民事執行法 145 条 1 項の潜脱となるからであ
る。この点では,第 1 の方法(第 2 節)と問題は共通している。また,どの債権につき債
務引受をするのかという選択の問題も残っている。個別的な債権債務の決済としては利用
可能であるものの,多数当事者決済の利用という点からは問題が残る。
第 4 節 第三者の保証を利用した決済方法
図 5 の具体例(AがBに対して甲債権を有しており,BがCに対して乙債権を有している場
合において,AがBとの間で乙債権についての連帯保証契約を締結し,Aが甲債権を自働債
権とし乙債権の保証債務を受働債権として相殺することによって,甲債権と乙債権を決済
する方法)に即して検討する。この場合,仮に乙債権につき差押債権者が現れた場合にお
いても,それ以前に乙債権につきAが保証をしていたならば,Aの上記相殺によって乙債権
の保証債務が消滅し結果的に乙債権が消滅することになるので,結果的に,差押債権者に
優先する結果となる 28。
以上のような構成につき,中舎寛樹教授は,債権の連鎖による相互保証という構成の可
能性をもって説明する。すなわち,①予めABC間で相互保証をしておくことで,ABC間に
債権関係とともに,これに併行して逆向きの債務の連鎖を発生させる,②そして仮にBに信
用不安が生じた場合には,AはBに対する債権につき期限の利益を到来させ,これを自働債
権として,BのCに対する乙債権についての連帯保証債務と相殺することが可能になると説
この方法は,最判平成 7・7・18 判時 1570 号 60 頁後の実務的対応としても注目されている(きままか
「三者間の相殺予約に基づく相殺[融資業務編]金法 1469 号 67 頁[1996 年]」)
。そこでは,B が銀行,C が
融資先,A が C の子会社という設定において,B が C に融資する際に,A の預金を見合いということで担
保に取ることは,最判平成 7・7・18 判時 1570 号 60 頁を考えると,仮に X(国)が A の B に対する預金
債権を差押えた場合には,B が相殺をもって X に対抗できないことになるので,B としては,A の預金を
見合い担保にとるのではなく,A に C の債務の保証人になってもらう方法が紹介されている。
28
78
名古屋ロー・レビュー 第 2 号(2010 年 9 月)
明する。ここでは,当事者の契約意思に忠実に従うならば,各当事者には,当事者それぞ
れが負担している債務について相互に協力し,保証し合うとの意思があるものとして,債
権の連鎖内の各当事者は,自己の債権を確保するために,自己のひとつ後ろの当事者から
連帯保証を取り付けている,という保証意思が根拠となっている 29。
この中舎教授の構成は,現行の民法制度を最大限利用して,差押債権者に対抗できるだ
けの多数当事者間決済制度を理論的に提供するものであり,注目される。また,予め,三
当事者間で相互の債権債務について保証を付けておくことで,ある程度実現可能であろう。
もっとも,この方法では,四当事者間以上となった場合の保証契約の付け方が複雑化する
という問題点が残る。中舎教授自身も,民法には多数当事者間決済を法的に理論づけるた
めの限界があることを指摘する。
多数当事者間決済を法理論として明確に説明するためには,当事者間の債権債務関係を
複雑化するのではなく,より単純化する方向が目指されるべきであろう。この点において
は,次に説明する CCP を利用した方法が注目される。
第 5 節 CCP の債務引受を利用した方法
外国為替円決済制度においては,①仕向銀行は被仕向銀行に対する支払指図の伝送によ
り被仕向銀行に対して債務を負担することになるが,CCPである東京銀行協会は,そのつ
ど,当該債務を免責的に引き受け,その求償関係として仕向銀行に対する債権を取得する
こととされ,②東京銀行協会が清算参加者に対して取得した債権及び引き受けた債務は,
一定時点に対当額で相殺されるものとされている 3031。
これは,参加銀行が他の参加銀行に対して取得する支払指図に係る債権債務すべてにつ
き,CCP への債権債務へと置き換えることで(債権債務は CCP と中心とした放射線状に広
がることになる)
,一度に決済を行うとするものである。
ただし,CCP による債務引受と求償権取得という法的構成においても,なお法的不安定
性が残っている。
第 1 に,債務引受と債権取得が別個のものとして行われるところ,債務引受に法的瑕疵
があった場合において債権取得が被る法的影響が判然とせず,第 2 に,その新しく取得さ
れる債権の発生原因の説明には疑義があり,無因の債権取得である印象を拭い去ることは
できない。また,第 3 に,確かに,従前債務者が従前債権者に対する債務を消滅させると
ともに集中決済機構が新しく債権を取得する合意とする法的構成により全体を 1 個の行為
として把握する際は,第 2 として指摘した疑義を解消することができるであろう。しかし,
中舎寛樹『多数当事者間相殺契約の効力』
「伊藤進先生古希論文集 担保制度の現代的展開」347 頁(2006
年)参照。
30 CCP を伴うマルチラテラル・ネッティングの法的構成を最初に示した立法は,1988 年に成立した金融
先物取引法である。そこでは,清算期間が清算参加者に代わって CCP がその債権を取得しまたはその債務
を引き受けるとされていた(同法 40 条 1 項)
。
31 全国銀行協会「銀行取引に係る債権法に関する研究会報告書」41 頁~42 頁(2007 年)
。
29
79
一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能性と問題点(玉垣正一郎)
その際には,集中決済機構が取得する債権について不履行がある場合において,理論上は,
更改そのものを解除することができるという考え方
32と類似する発想で問題処理がなされ
ることも,考えられないではない。この帰結は,想定されている集中決済の法的需要には
必ずしも親しまない 33。
第 6 節 小括
以上のとおり,民法を利用した多数当事者間決済制度として利用可能性が高いものは,
理論的明確性・法的簡便性の見地からして,第 4 の方法(CCP の債務引受を利用した方法)
である。もっとも,第 4 の方法にも,債務引受+求償権の取得という二つの法的概念を利
用している点に法的不安定性を残す。仮にこの問題をクリアできたとしても,決済の第三
者効を認めるための公示をどのように行うかにつき,なお問題点が残る。
このように,民法を利用した多数当事者間決済は,①法的に安定した理論的根拠を示す
にはなお不十分である。その上で,②決済の第三者効を認めるためには,相殺予約の公示
が必要となってくる。
第 3 章では,上記 2 つの問題点に対応しうるものとして,検討委員会案が提案する「一
人計算」について検討する。
32
33
大判昭和 3・3・10 新聞 2847 号 15 頁。
山野目章夫「決済という問題と債権法改正」金法 1874 号 66 頁(2009 年)
。
80
名古屋ロー・レビュー 第 2 号(2010 年 9 月)
第 3 章 一人計算を利用した多数当事者間決済とその問題点
第 1 節 一人計算の概要
1
総論
一人計算(いちにんけいさん)は,決済参加者間に成立する債権を必ず特定の一人の者
が当事者になる債権債務の関係に置き換えることの説明を可能とする新しい法律概念であ
34。この一人計算は,CCPを伴うマルチラテラル・ネッティングにおいて,法定相殺の
る
前提条件を整えるために,多数の清算参加者間に成立する債権が各清算参加者とCCPの二
当事者の債権債務に置き換えられることをより直接的に説明する概念として提案されてい
35。以下,一人計算の意義,一人計算の当事者間における効力,一人計算の第三者との
る
関係に分けて論じることにする。なお,枠内は検討委員会案が示す条文である。
2
一人計算の意義
【3.1.3.37】
(一人計算の意義)
(1) 当事者の 1 人が他の当事者に対し将来において負担することとなる債務(以下
【3.1.3.37】および【3.1.3.39】において「計算の目的となる債務」という。
)は,これに応
当する債務を債務者が計算の目的となる債務の債権者でない当事者(以下【3.1.3.37】から
【3.1.3.39】までにおいて「計算人」という。)に対し負担し,かつ,計算人が同様の債務
を計算の目的となる債務の債権者に対し負担することを債権者となる者及び債務者となる
者が予め約し,これを計算人となる者が承諾した場合において,計算の目的となる債務が
生じたときに,一人計算によって消滅するものとする。この場合において,計算の目的と
なる債務の債務者は,計算人に対し同債務に応当する債務を負担し,また,計算人は,同
様の債務を計算の目的となる債務の債権者に対し負担するものとする。
(2) 計算の目的となる債務の債権者及び計算人は,法人でなければならないものとする。
(3) (1)の契約は,登記をすることにより効力を生じるものとする。この場合において,計
算の目的となる債務に係る債権の処分で一人計算の登記に後れるものは,一人計算による
債務の消滅により効力を失うものとする。
(4)
計算人を同じくする数個の一人計算は,それらの当事者のいずれもが他のすべての当
事者との間で一人計算の契約をする場合には,当事者を一覧にして公示することを可能と
することを基本指針とし,この基本指針を踏まえて登記の細目的事項を別途検討する。
(5) (1)の契約においては,計算の目的となる債務の債務者が,債権者に対し対抗すること
ができた事由をもって,計算人に対抗することができない旨を約することができるものと
34
35
検討委員会編・前掲(注 11)193 頁。
藤池・前掲(注 2)100 頁。
81
一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能性と問題点(玉垣正一郎)
する。
(6) 当事者の一人が(3)の登記をした当時現に負担する債務を計算に組み入れることを債権
者と約し,これを計算人となる者が承諾した場合において,計算の目的とした債務は,一
人計算によって消滅するものとする。この場合において,計算の目的とした債務の債務者
は,計算人に対し同債務に応当する債務を負担し,また,計算人は,同様の債務を計算の
目的とした債務の債権者に対し負担するものとする。
一人計算とは
36,前述のとおり,集中決済網に参加する多数の参加者のうちの,ある二
人の間に生ずる一つの債権が,債権者である参加者の計算人に対する債権と,債務者であ
る参加者に対する計算人の債権の二つに置き換えられる契機を局部的に取り出し,そのよ
うな置き換えを説明可能とする概念である。複数の者が,必ずしも二人が相互に,という
仕方に限らず,多角的に債権債務の法律関係に立つことが想定される場合において,予め
なされている合意に基づき,個別の債権債務の法律関係を,債権者が集中決済機構に対し
検討委員会案の提案要旨は以下のとおりである(検討委員会編・前掲[注 11]194 頁~195 頁)
。
「複数の者が,必ずしも 2 人が相互に,という仕方に限らず,多角的に債権債務の法律関係に立つことが
想定される場合において,あらかじめなされている合意に基づき,個別の債権債務の法律関係を,債権者
が集中決済機構に対し取得する債権と,集中決済機構が債務者に対し取得する債権が併立する法律関係に
移行させることにより,適宜に差引計算などをして簡素な関係に成立することで簡易決済を図り,併せて
一部の者についてありうべき無資力の危険を関係者の間において分散を図ることを可能とする取引につい
て,法的に明確な基盤を賦与するとともに,計算に組み入れられる債権が,一人計算という債権消滅原因
により消滅することを明らかにしようとするものである。集中決済において意図されている法的処理を可
能とする法律構成は,ここで提案する一人計算のほかにもありうると考えられるが,一人計算により,法
的に明確な基盤が賦与され,併せて集中決済の関係者でない者によりなされる債権差押えなどに際し,事
態に適合的な法律関係の整序を行うこと(【3.1.3.39】
(一人計算の第三者との関係における効力)
)が可能
となる。
実際に行なわれる集中決済は,多数の清算参加者がおり,そして,多くの場合において,それら参加者
の全部または大部分を構成員とする団体が集中決済機構となる。
法律概念としての一人計算においては,集中決済機構に当たるものを一人の法人として想定し,それを
計算人とよぶことにする。そして,集中決済網に参加する多数の参加者のうちの,ある二人の間に生ずる
一つの債権が,債権者である参加者の計算人に対する債権と,債務者である参加者に対する計算人の債権
の二つに置き換えられる契機を局部的に取り出し,そのような置き換えを説明可能とする概念として用意
されるものが,一人計算にほかならない。
時系列に即してみるならば,一人計算の原則的な形態は,このような置き換えをすることを予め合意す
る一人計算の合意の段階を経て,実際に計算に組み入れられる債権が発生した場合に一人計算を実現する
という二つの段階から成り立つ。
すなわち,当事者が予め,その一人が将来において負担することとなる債務(
「計算の目的となる債務」
)
に応当する債務を計算人に対し負担し,かつ,計算人が同様の債務を計算の目的となる債務の債権者に対
し負担することを合意し,これを計算人となる者が承諾することが,一人計算の合意の段階である。これ
に引き続いて,実際に計算の目的となる債務が生じたときに,その債務それ自体は一人計算によって消滅
し,そして,計算の目的となる債務の債務者は,計算人に対し同債務に応当する債務を負担し,また,計
算人は,同様の債務を計算の目的となる債務の債権者に対し負担することになり,これにより一人計算が
実現する。
一人計算は,合意の段階で行なわれるもの自体は法律行為であり,また,実現の段階は一個の事件であ
るものと観念されるから,法律行為と事件が複合した私法概念である性質をもつ。それは,一個の法律事
象により同時に計算人の債権債務を発生させる半面において計算の目的となる債権を消滅させるものであ
る点において更改と類似し,また,計算人を主体とする債権債務について爾後に相殺が予定されるもので
から,相殺の前駆手段として働く」
。
36
82
名古屋ロー・レビュー 第 2 号(2010 年 9 月)
取得する債権と,集中決済機構が債務者に対し取得する債権が並立する法律関係に移行さ
せることにより,適宜に差引計算などをして簡素な関係に成立することで簡易決済を図り,
併せて一部の者についての無資力の危険を関係者の間において分散を図ることを可能とす
る取引について,法的に明確な基盤を賦与するとともに,計算に組み入れられる債権が,
一人計算という債権消滅原因により消滅することを明らかにしようとすることを狙いとす
る。
一人計算は「一人計算の合意」「一人計算の実現」という二段階から成立する。「一人計
算の合意」とは,当事者が予め,その一人が将来において負担することとなる債務(「計算
の目的となる債務」
)に応当する債務を計算人に対し負担し,かつ,計算人が同様の債務を
計算の目的となる債務の債権者に対し負担することを合意し,これを計算人となる者が承
諾することである。また,
「一人計算の実現」とは,これに引き続いて,実際に計算の目的
となる債務が生じたときに,その債務それ自体は一人計算によって消滅し,そして,計算
の目的となる債務の債務者は,計算人に対し同債務に応当する債務を負担し,また,計算
人は,同様の債務を計算の目的となる債務の債権者に対し負担することである。これによ
り,一人計算が実現する(図 8・図 9)
。
図 8 一人計算契約 37
計算人(CCP)
計算目的債務に対応
計算目的債務に対応
する債務の負担
する債務の負担
債権者
債務者
計算目的債務
37
藤池・前掲(注 2)100 頁図 2 参照。
83
一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能性と問題点(玉垣正一郎)
図9
一人計算による決済の仕組み 38
X1
X4
CCP
X2
X3
3
一人計算の当事者間における効力
【3.1.3.38】
(一人計算の当事者間における効力)
計算人が一人計算によって取得した債権が履行されないときにも,一人計算による債権の
消滅は影響されないものとする。
計算人が一人計算によって取得した債権について債務不履行があっても,一人計算によ
り生じた従前債権の消滅と計算人を当事者とする新しい債権債務関係の形成が影響される
ことがないようにするため,計算人が一人計算によって取得した債権が履行されないとき
にも,一人計算による計算目的債務の消滅は影響されないものとする旨提案している。
これにより,計算目的債務について,清算参加者間における決済完了性の確保が可能と
なる 39。
4
一人計算の第三者との関係における効力
【3.1.3.39】
(一人計算の第三者との関係における効力)
(1)
計算の目的となる債務は,その弁済が禁止されたときにも,一人計算によって消滅す
ることが妨げられないものとする。
38
39
内田貴『債権法の新時代「債権法改正の基本方針」の概要』132 頁(商事法務,2009 年)参照。
藤池・前掲(注 2)101 頁。
84
名古屋ロー・レビュー 第 2 号(2010 年 9 月)
(2)
計算の目的となる債務に係る債権の差押え又は仮差押えは,計算人が負担する債務に
係る債権を目的としてされたものとみなすものとする。この場合において計算人がする相
殺への【3.1.3.30】の適用においては,計算人を第三債務者とみなすものとする。
(3) 債権の差押え又は仮差押えが,計算人が負担する債務に係る債権について効力を生じた
ときは,執行裁判所は,最高裁判所規則で定めるところにより,その旨を計算人に通知す
るものとする。
計算目的債務について個別債権執行等があっても,一人計算が影響を受けることはない
ことを明らかにすると共に,事後の個別債権執行の法律関係を計算人との関係に移行させ
て整序することを提案している。
第 2 節 一人計算の問題点
前述のとおり,多数当事者間決済を考える視点としては,①法律による明確な制度的基
盤が担保されていること,②決済について第三者効が認められること,が重要となる。
一人計算は,多数当事者間決済についての法的に明確な基盤を賦与するものであり,①
の問題に対応しうるものであり,この点は十分に評価できる。
問題は,②である。
1
決済の第三者効に関する問題点の整理
ここで述べる決済の第三者効とは,多数当事者間決済の合意をした一当事者は,当該当
事者以外の第三者,具体的には差押債権者,に対してその合意を対抗することができるの
かというものである。
決済の第三者効,あるいは,相殺の第三者効と呼ばれる問題は,従来,決済あるいは相
殺を主張する者が,差押えとの関係で,いつまでに自働債権を取得していればよいか,と
いう,自働債権の取得時期の問題として捉えられてきた。その上で,判例は,前述のとお
り,いわゆる無制限説を採用し,相殺権者は,受働債権の差押時までに,自働債権を取得
していれば,その弁済期の前後を問わず,自働債権の弁済期到来後,相殺をもって,差押
債権者に対抗することができるとされてきた。
ところが,一人計算では,原因債権とは別個の債権が一人計算に供される。そのため,
一人計算の目的となる債務自体に抗弁権が附着していた場合に,計算人あるいは原因債権
の債務者は,その抗弁をもって,差押債権者に対抗できるかという問題がさらに生じる。
そこで,一人計算の第三者効を論じる場合には,この自働債権の取得時期の問題(以下
「時期の問題」と呼ぶ場合もある)
,及び,原因債権に附着する抗弁をもって対抗できるか
という問題(以下「抗弁の問題」と呼ぶ場合もある)を明確に区別して論じる必要がある。
なお,第 3 章以前で用いた,決済の第三者効という用語は,自働債権の取得時期の問題
85
一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能性と問題点(玉垣正一郎)
との関係で論じられてきたものである。
本稿では,決済の第三者効という用語は,これ以降,上記 2 つの問題を包含するものと
して用い,それとは区別した上で「時期の問題」及び「抗弁の問題」を分けて論じること
にする。
2
時期の問題
(1) 一人計算において,その結果生じるCCPの各清算参加者に対する債権に関する決済リ
スクが削減されるか否かは,当該債権を自動債権とし,各清算参加者のCCPに対する反対
債権を受働債権とする相殺が,当該反対債権への差押えまたは清算参加者の倒産という事
態に至っても可能か否かによる 40。
計算人が差押の対象となった債権を受働債権として相殺をする場合,【3.1.3.30】が適用
される(
【3.1.3.39】
)
。そして,
【3.1.3.30】の内容は以下のとおりである。
【3.1.3.30】
(弁済を禁止された債権を受働債権とする相殺等の禁止)
(1)
弁済を禁止された第三債務者は,債務者に対し有する債権による相殺をもって差押債
権者または仮差押債権者に対抗することができるものとする。
(2) (1)にかかわらず,弁済を禁止された第三債務者は,その後に取得した債権による相殺
をもって差押債権者または仮差押債権者に対抗できないものとする。
(3) (1)にかかわらず,弁済を禁止された第三債務者は,差押えまたは仮差押えの申立てが
あった後に債権を取得した場合であって,その取得の当時,それらの申立てがあったこと
を知っていたときには,その債権による相殺をもって差押債権者または仮差押債権者に対
抗することができないものとする。
(4)
差押えまたは仮差押えの申立てがあったこと,差押命令または仮差押命令が発せられ
たことその他債権の差押えまたは仮差押えの手続を開始させる事由に関する事実が生じた
ことをもって債権を相殺に適するようにする旨の当事者の意思表示により相殺をすること
ができる場合において,その債権をもってする相殺は,その債権の差押えまたは仮差押え
に係る債権の双方が当事者の特定の継続的取引によって生ずるものである限り,これをも
って差押債権者または仮差押債権者に対抗することができるものとする。債権の差押えま
たは仮差押えの手続を開始させる事由に関する事実が生じたことをもって相殺が効力を生
ずるものとする旨の当事者の意思表示も,同様とするものとする。
(5)
債権の取立てその他処分を禁止された者に対し債権を有する者で第三債務者でないも
のが,その後にその債権による相殺の意思表示をした場合において,第三債務者は,この
相殺をもって差押債権者または仮差押債権者に対抗することができないものとする。差押
えまたは仮差押えの申立てがあったことを知ってした相殺の意思表示も,同様とする。
40
藤池・前掲(注 2)101 頁。
86
名古屋ロー・レビュー 第 2 号(2010 年 9 月)
この点,中舎教授は,差押えと相殺の例外としての「特定の継続的取引」が一人計算に
も適用されるとすると,結果的に企業グループ間の決済はすべて差押えに優先できること
になり,差押えと相殺に関する規定の限定性は,事業者間取引においてはまったく意味が
【3.1.3.30(4)】
)
。
なく,逆に拡大する方向となる,と指摘する 41(
ただし,ここで指摘される「企業グループ間決済はすべて差押えに優先できる」という
ことは,計算人が,差押えの効力が発生した後に取得した債権をもって一人計算の実行を
し,それを差押債権者に対抗することができるということを意味するのではない。これが
民事執行法 145 条 1 項の潜脱に当たり許されないことは,一人計算の場合においても何ら
変わらない
42。ここでの問題点は,一人計算が「特定の継続的取引」にあたると評価でき
る限り,
(二当事者間において問題となった)差押えと相殺における無制限説と,同様の帰
結が導かれることである。
また,中舎教授は,
「特定の継続的取引」にあたると評価できる場合,一人計算が実現す
れば,結果的に,差押えの効力が及ばない排他的財産を企業グループ間で創出できること
になる,と指摘する。しかし,その意味は,いわゆる無制限説の限度でのみ可能となるも
のにすぎない点に注意が必要である。
(2) なお,最判平成 7・7・18 判時 1570 号 60 頁は,結論的に,三者間相殺予約の差押債
権者に対する対外的効力を否定し,学説でも,一部を除き,この判例の結論に賛成する者
が多かった。それにも関わらず,この一人計算が実現すれば,抗弁の問題は別として,時
期の問題をクリアできる。もっとも,そうであるからこそ,検討委員会案では登記を要求
しているといえる。
(3)
以上のとおり,時期の問題とは,要するに,一人計算が「特定の継続的取引」にあた
ると評価できる限り,
(二当事者間において問題となった)差押えと相殺における無制限説
と,同様の帰結が導かれることである。ここは各人の価値判断に属するものであり,考え
方がわかれうるが,本稿のように決済機能を重視する立場からは妥当なものとして評価で
きる。
もっとも,この点に関する私見は,第 5 章で改めて論じる。
3
抗弁の問題
中舎寛樹「弁済・債権回収」ジュリスト 1392 号 120 頁(2010 年)
。
また,
【3.1.3.39(3)
】を前提にすると,計算人が,この計算人の下に通知が来る前に,清算参加者の計
算人に対する債権は消滅しないということになってしまうことが懸念されている。ここでは,集中決済シ
ステムの構成員及び集中機構においては,緊密な連絡調整が常になされる仕組みが現に講じられており,
それを今後どのように維持,発展させていくかも各機構に委ねられている。そこで,執行裁判所から通知
が来る前に,すでに清算参加者の一人(第三債務者)が差押えの送達を受けていることをもって,その自
主的な内部ルールにおいて当然 CCP がそのことを知りうる状況になり,必要であればそういった差押えを
受けた清算参加者を排除することができるのであるから,実際上の不都合はないといえる。その結果,執
行裁判所がする通知は,いわば一連の経過の公的な確認というほどの性格を持たされることになる。以上
につき,藤池・前掲(注 2)102 頁,山田誠一ほか「
〈インタビュー〉債権時効,弁済,相殺,一人計算(下)
」
NBL913 号 68 頁~69 頁[藤池智則発言・山野目章夫発言](2009 年)
。
41
42
87
一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能性と問題点(玉垣正一郎)
一人計算により計算人が取得し,または計算人に対し取得することとなる債権は,従前
債務に「応当する」債務に係る債権である(
【3.1.3.37(1)前段】)から,従前債権に附着して
いた抗弁事由の主張・行使による制約を受けることが原則である。しかし,大量の債権を
迅速に集中決済する場面において,このような抗弁保持が常に妥当視されるものとは考え
にくい。そこで,一人計算の合意において,事由を特定し,または特定しないで全部の抗
弁について,その特約を排除することができるとし(【3.1.3.37(5)】
),ただ,従前の抗弁の
うち,従前債務の成立原因に公序良俗違反の無効事由が存する旨の主張が封じられること
はない 43。
また,犯罪収益を移転して事業活動に用いられるために抗弁排除の特約ないし広く一人
計算の制度が悪用されるような弊害に対しては,犯罪による収益の移転防止のための警察
規制が働くことに留意されるべきである 44。
ここでの問題点は,一人計算において置き換えられた債権は,原則として原因債権の抗
弁を引き継ぐものの,ただし,特約によって抗弁を切断できるという規律になっているこ
とである。決済の完結性,すなわち,弁済提供の効力が確定的に成立し,その効力が覆ら
されることのないこと
45を重視する立場からは,一人計算の結果,原因債権の抗弁はすべ
て切断されるという規律にすべきということになろう 46。
もっとも,この点に関する私見は,第 5 章で改めて論じる。
第 3 節 小括
1
一人計算の第三者効に関する問題点の整理
第 3 章の冒頭で述べたとおり,多数当事者間決済を考える上では,①法的安定性のある
理論的根拠が必要であり,かつ,②決済の第三者効が認められることが必要になる。
①については,一人計算は,前述のとおり簡潔かつ明確な法理論を提供する点において,
評価できる。
他方,②については,決済の第三者効という問題には,前述のとおり,受働債権の差押
えとの関係で自働債権をいつまでに取得する必要があるのかという「時期の問題」,及び,
原因債権に附着した抗弁をもって差押債権者に対抗できるかという「抗弁の問題」の 2 つ
が含まれることを指摘した。そして,
「時期の問題」に関しては,一人計算が「特定の継続
的取引」と評価できるならば,
(二当事者間において問題となった)差押えと相殺における
無制限説と同様の帰結が導かれることを指摘した。また,
「抗弁の問題」に関しては,一人
最判平成 9・11・11 民集 51 巻 10 号 4077 頁。
民法(債権法)改正検討委員会「詳解・債権法改正の基本方針Ⅲ――契約及び債権一般(2)
」109 頁,
124 頁~125 頁(商事法務,2009 年)
。
45 岩原・前掲(注 9)533 頁。
46 なお,中舎教授は,
「第三者との関係で特定の継続的取引に関する例外を認めれば,たとえ決済機関を合
名会社として無限責任を負わせることとしても,原因関係との切断はますます広範囲なものとなるので,
そのことの是非が問われることになろう。
」と述べている。前掲(注 41)126 頁参照。
43
44
88
名古屋ロー・レビュー 第 2 号(2010 年 9 月)
計算において置き換えられた債権は,原則として原因債権の抗弁を引き継ぎ,ただ,特約
によって抗弁を切断できるという規律になっているところ,決済機能を重視するならば,
一人計算の結果として置き換えられた債権は,原因債権の抗弁を引き継がない(無因性)
という規律にすべきことを指摘した。
2
電子記録債権との関係について
なお,近年成立した電子記録債権法は,多数当事者間決済にも利用できることが指摘さ
れている。そこで,第 4 章では,一人計算というスキームに電子記録債権という道具を組
み合わせて,多数当事者間決済を行うことにつき,その可能性と問題点について論じる。
89
一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能性と問題点(玉垣正一郎)
第 4 章 電子記録債権を利用した多数当事者間決済とその問題点
第 1 節 電子記録債権制度の概要
電子記録債権法(平成 19 年 6 月 20 日成立,平成 20 年 12 月 1 日施行)の国会への法案
提出理由では,
「金銭債権について,その取引の安全を確保することによって事業者の資金
調達の円滑化を図る観点から,電子記録債権が調整する記録原簿への電子債権をその発生,
譲渡等の要件とする電子記録債権について定めるとともに,電子記録債権にかかる電子記
録を行う電子債権記録機関の業務,監督等について必要な事項を定めることにより,電子
記録債権制度を創設する」ものとされている 47。
電子記録債権は,電子記録債権を発生させる原因となった法律関係に基づく債権とは別
個の金銭債権であって,当事者の意思表示に加えて,電子記録機関が作成する記録原簿に
記録をしなければ発生または譲渡の効力が生じない債権であり,指名債権・手形債権等既
存の債権と異なる類型の債権である。この点,報道等で「手形を電子化したもの」と解説
されることがあるが,電子記録債権は手形とは別のものである。その機能として手形を代
替し得る部分はあるが,手形を廃止して取って代わろうとするものではなく,また手形と
まったく同じ機能をもつという性質のものでもない。さらに,分割ができるという点など,
手形にない機能も備わっている 48。
電子記録債権にはこれ以外にも様々な規律があるものの,以下では,決済という観点か
ら重要となる点に絞って論じる。
第 2 節 電子記録債権と原因債権との関係
1
電子記録債権と原因債権との併存
電子記録債権を創出したからといって,原因債権が消滅するわけでない。一人計算の場
合には,一人計算の合意によって原因債権が消滅することが想定されているのに対し,電
子記録債権では,両債権が併存する。その結果,電子記録債権と原因債権たる指名債権と
の別異の譲渡も可能となる 49。
ただし,電子記録債権を発生させた場合に原因債権を存続させるのも消滅させるのも当
事者の意思に委ねられており 50,合意によって,原因債権を消滅させることもできる。
47
参議院ホームページ 電子記録債権法案の関連資料
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/gian/166/pdf/k031660851660.pdf
2010 年 9 月 30 日(最終アクセス日)
。
48 池田真朗「電子記録債権の展望と課題」電子記録債権法の理論と実務[別冊・金融商事判例]6 頁(2008
年)
。
49 池田真朗「債権譲渡法の新たな展開」民法の争点 211 頁(2007 年)
。
50 始関正光=坂本三郎「電子記録債権法の解説(3)
」NBL865 号 46 頁(2007 年)
。
90
名古屋ロー・レビュー 第 2 号(2010 年 9 月)
2
電子記録債権と原因債権の抗弁との関係
電子記録債権は,発生記録によって発生するが,発生の原因となった法律関係(原因関
係)とは別の債権であってその無効の影響を受けない,すなわち,無因性がある。ただし,
債務者保護のために原因債権との一定の牽連性は想定されており,原因債権と全く無関係
な債権ではない。
3
小括
以上のとおり,電子記録債権は,原因債権との併存可能性があり,また,原因債権に対
し完全な無因性があるわけではない。
このことから生じる問題点については,第 4 節で述べることにし,次節では,電子記録
債権を利用した決済の可能性について論じることにする。
第 3 節 電子記録債権を利用した決済の可能性
電子記録債権の大きなメリットは,権利レベルでの(権利のままでの)決済可能性を有
することである 51。
手形の場合は,手形債権同士での相殺は法律的に可能であるが(最判昭和 51・6・17 民
集 30 巻 6 号 592 頁)
,実際には手形を見せあって対当額での相殺などがなされることは実
務的には考えられず,すべて手形交換に出し現実に資金決済がなされている。他方,指名
債権の場合は,相殺による決済処理はもちろん可能である。ただし,最大の難点として,
どの債権とどの債権とがいつどのように相殺されたかを第三者に対して証明する手段が各
別に存在しないということであり,これが第三者からの差押え等に対して相殺を抗弁とす
る際にもそのつど問題になると指摘されていた。
電子記録債権では,相殺(実際には後述のように相殺契約が適当)によって,権利レベ
ルで(現実の資金移動なしに)そのまま消し込むことができ,かつ客観的にその証明デー
タが残るのである。つまり,電子記録債権同士の相殺の場合は,相殺による権利消滅があ
ったあとで,相殺を理由とする支払等記録(相殺の場合も支払等記録となる。24 条 1 号)
をすれば,その記録によって,その記録以前に両債権が相殺によって消滅した事実が客観
的に証明できる。したがって,相殺に関しては,電子記録債権は,手形はもちろんのこと
指名債権をも超えた利点を持つ。
もっとも,ここで推奨されるのは,相殺契約の手法を採ることである。その理由は以下
のとおりである。
民法上のいわゆる相殺自体は一方当事者の一方的な意思表示ででき,それは電子記録債
権でも同様と考えられるのであるが,
(対当額で消滅する自働債権と受働債権の両者とも電
子記録債権であるとして)相殺を理由として両方の債権につき支払等記録(つまり抹消記
51
この第 3 節全体につき,池田・前掲(注 48)10 頁~11 頁参照。
91
一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能性と問題点(玉垣正一郎)
録)をするについては,一方の債権者のみの単独の請求で 2 つの債権の記録を消せるわけ
ではない。支払等記録の請求は,①まず当該支払等記録についての電子記録債権が単独で
できるのだが(25 条 1 項 1 号)
,電子記録義務者というのは,2 条 8 項により,
「電子記録
をすることにより,電子記録上,直接に不利益を受ける者」をいうので,相殺によって消
える債権の債務者ということになる。したがって,たとえば自働債権甲の債権者 A が自分
の債権の記録は単独で消せる。しかし,それだけでは無意味であり,A が消したいのは,自
分の甲債権ではなく相手 B の自分に対する受働債権乙の方である以上,問題は A がどうや
って乙債権の記録を消せるか,ということである(乙債権の記録を明瞭に消さないと,後
は第三者の差押え等に対抗するためには実体法上相殺がいつあったかという主張立証を A
がしなければならないことになって,それではこれまでの問題状況と比べて何ら進歩がな
い)
。もちろん,受働債権乙の債権者 B は自分の債権を単独で消せるのだから,B が積極的
に乙債権の支払等記録をやってくれればよいのは当然である。そうしてくれない場合は,
②A としては,25 条 1 項 3 号イが,支払等記録の請求は電子記録債務者(20 条 1 項により,
「発生記録における債務者又は電子記録保証人」
)が,電子記録義務者やその相続人等の全
員の承諾を得た場合には電子記録債務者だけでもできる,としているので,結局乙債権の
債権者 B の承諾を得れば A が乙債権の支払記録等を請求できる。
そうすると,A が相殺によって甲乙電子記録債権の記録までを消すには,実質的に AB 両
者間での支払等記録の請求に関する合意が必要になる。そうすると,それは結局,AB 間で
「甲債権と乙債権とを相殺する」と相殺契約をして,それをもとに両債権の支払等記録を
するのと実質的には変わらないということになろう。したがって,当初から双方の合意で
相殺契約をし,双方の申請によって支払等記録をするのが最も良い(後述するようにこの
メリットはグループ企業間の持ち合いの債権の決済に最も有効であるが,そのような場合
には,相殺契約の合意も容易に得られると考えられる)
。
いずれにしても,このように相殺ないし相殺契約をして電子記録債権同士を支払記録等
で消し込むことは,資金移動なしにした相殺による簡易な決済について,記録原簿に明確
な記録が残ることになり,これまでの相殺による債権消滅が問題点として持っていた第三
者への証明という点で大いに利点があるといってよい
52。このメリットは,現在系列企業
間で行われている,いわゆるCMS(キャッシュ・マネジメント・システム)に非常に大き
な活用可能性がある 53。
第 4 節 一人計算と電子記録債権との接合可能性
第 3 節で述べたとおり,電子記録債権同士による決済は,記録原簿に明確な記録が残る
ことになり,これまでの相殺による債権消滅が問題点として持っていた第三者への証明と
池田真朗「一括決済方式の展開と電子記録債権法制への対応」法学研究(慶應義塾大学)80 巻 5 号 20
~21 頁(2007 年)
。
53 池田真朗「電子記録債権―中間試案の検討と若干の試論」金法 1781 号 12 頁(2006 年)
。
52
92
名古屋ロー・レビュー 第 2 号(2010 年 9 月)
いう点で大いに利点がある。
ここで思いつくのは,一人計算というスキームの中に電子記録債権という道具を用いる
方法,すなわち,電子記録債権を「一人計算の目的となる債務」として一人計算をするこ
とで,多数当事者間決済が可能となるのではないかということである。
この点につき以下で論じることにする。
1
電子記録債権法の目的
そもそも電子記録債権制度は,
「金銭債権について,その取引の安全を確保することによ
って事業者の資金調達の円滑化を図る」
(国会への法案提出理由)ことを一つの狙いとして
おり,事業者の資金調達手段として電子記録債権が譲渡されることを予定している。しか
しながら,一人計算においては,一人計算の目的となる債権債務はすべて CCP に対する債
権債務となり,最終的な決済に供されるだけであって,CCP による債権譲渡は予定されて
いない。
2
3 つの債権の関係
仮に電子記録債権を一人計算の目的となる債務に供した場合,理論的には①原因債権,
②電子記録債権,③一人計算の目的となる債務の 3 つが併存するように思えるが,②は一
人計算の成立によって③に置き換えられるため消滅する。その結果,仮に,電子記録債権
を発生させるときに原因債権の消滅を合意しないならば,①原因債権と,③一人計算の目
的となる債務が残る。そして,原因債権について弁済などの消滅があったものの,計算人
がこれを知らずに一人計算の実施を行うことも想定される。この場合に,一人計算という
決済が完了したといえるだろうか。たしかに,
「計算の目的となる債務の債務者が,債権者
に対し対抗することができた事由をもって,計算人に対抗できない」旨の約定を一人計算
に設けておけば(
【3.1.3.37(5)】
)
,決済の完了性が認められるように思える。しかしながら,
ここで「一人計算の目的となる債務」とは②電子記録債権であって①原因債権ではない。
この場合でも一人計算の完了は認められてよいと思われるが,仮に電子記録債権を用いて
一人計算が行われるとすれば,一人計算の規律の細目的事項として,原因債権の消滅との
関係を定めておくべきだろう。
3
電子記録債権における金額の確定性
企業グループ間において電子記録債権を利用したネッティングにつき,池田教授は以下
のとおり述べている 54。
「売掛債権は検収後の返品等があれば額が直ちには確定できない,と考えると,電子記
録債権は(金額を確定して記録しなければならないので)なかなか発生させることができ
ない。この点については,個々の電子記録債権の発生時に「原因債権に瑕疵がある場合に
54
池田・前掲(注 48)14 頁。
93
一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能性と問題点(玉垣正一郎)
は,支払停止ができる」という特記事項を入れるという案もあるようであるが,しかしこ
の案は債権者側に不利な条件として下請法上の問題を生じる可能性もあり,債権の信頼と
いう観点からも適切でない。私見ではそれよりも,速やかに額を確定させて電子記録債権
として流通・決済の用に供してしまい,不良品等の発生による減額については,別に債務
者側からのその分の反対債権を発生させることを契約書で合意しておくほうが良いのでは
ないかと提案している
55。ことにグループ企業間等,取引の継続に双方の信頼関係がある
場合にはその方のやり方のほうが便宜である(たとえば,減額分の反対債権も電子記録債
権として,後に発生する売掛債権とで本文に述べたように相殺すればいいのである)
」
。
池田教授の指摘はもっともであるが,個別的な債権債務について決済することを念頭に
置かれており,一人計算において利用可能であるとは考えていないと思われる。
第 5 節 小括
1
立法目的の相違
前述のとおり,電子記録債権は企業の円滑な資金調達手段として想定されており,CCP
による債権譲渡が予定されていない一人計算とは,大きく異なる。電子記録債権法の目的
と一人計算の目的が大きく異なっている以上,電子記録債権を一人計算に供するという発
想自体に合理性がないともいいうる。
2
3 つの債権との関係
また,一人計算においては,理論的には 3 つの債権(①原因債権,②電子記録債権,③
一人計算の目的となる債務)が存在するところ,仮に②電子記録債権を一人計算に供する
とすれば,①原因債権と③一人計算の目的となる債務との関係が問題となる。ところが,
検討委員会案はこの点について規律を設けていない。このこと自体,電子記録債権が一人
計算の目的となる債務に供されることが想定されていないことを物語るともいいうる。
3
金額の確定性
さらに,一番問題なのは,電子記録債権の発生につき金額の確定性が要求されることで
ある。電子記録債権は金額を確定して記録しなければならない(16 条 1 項 1 号「債務者が
一定の金額を支払う旨」
)
。これに対し,一人計算における「計算の目的となる債務」とは,
「当事者の一人が他の当事者に対し将来において負担することとなる債務」と規定されて
いる(
【3.1.3.37(1)】
)。つまり,一人計算では,将来の債権債務の発生を見越して,予め当
事者契約において発生する債権債務を,事前に,包括的にネッティングの対象となること
が予定されている。当事者間で将来いくらの債権債務が発生するかは未定である以上,予
め額を確定させなければならない電子記録債権をもって,一人計算の目的にすることは,
55
池田・前掲(注 52)20~21 頁。
94
名古屋ロー・レビュー 第 2 号(2010 年 9 月)
現実的には不可能なのではないかと思われる。
たしかに,電子記録債権においては,決済時点における証拠を残すという大きなメリッ
トが認められる。もっとも,決済時点の証拠化については,一人計算における細目的事項
として規律すれば足りるだろう。
4
まとめ
以上のとおり,電子記録債権を道具として一人計算が利用されるという構成は非常に難
しいと思われる。その一番の理由は,前述のとおり,電子記録債権はその発生に当たり金
額の確定性が要求されるところ,この金額の確定性が,当事者間で将来発生する債権債務
をネッティングの対象にする一人計算と根本的に調和しないからである。
95
一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能性と問題点(玉垣正一郎)
第 5 章 多数当事者間決済の可能性
第 1 節 残された課題
本稿では,民法を利用した多数当事者間決済の可能性とその問題点から始まって,一人
計算,電子記録債権を利用した多数当事者間決済について検討してきた。
一人計算の第三者効という問題には,受働債権の差押えとの関係で自働債権をいつまで
に取得する必要があるのかという「時期の問題」
,及び,原因債権に附着した抗弁をもって
差押債権者に対抗できるかという「抗弁の問題」の 2 つが含まれている。そして,
「時期の
問題」に関しては,一人計算が「特定の継続的取引」と評価できるならば,
(二当事者間に
おいて問題となった)差押えと相殺における無制限説と同様の帰結が導かれる。また,
「抗
弁の問題」に関しては,一人計算において置き換えられた債権は,原則として原因債権の
抗弁を引き継ぎ,ただ,特約によって抗弁を切断できるという規律になっているところ,
決済機能を重視するならば,一人計算の結果として置き換えられた債権は,原因債権の抗
弁を引き継がない(無因性)という規律にすべきである(第 3 章)
。
また,一人計算というスキームの中に電子記録債権という道具を用いる方法,すなわち,
電子記録債権を「一人計算の目的となる債務」として一人計算を行うことは,現実的には
困難である。これは,電子記録債権はその発生に当たり金額の確定性が要求されるところ,
この金額の確定性が,当事者間で将来発生する債権債務をネッティングの対象にする一人
計算と根本的に調和しない点に求められる(第 4 章)
。
そこで,本章では,第 3 章の最後に述べた「時期の問題」及び「抗弁の問題」について,
具体例を示しながら,私見を論じる。
第 2 節 時期の問題
1
問題の所在
A は,B に対して 200 万円の売掛代金債権,C に対して 500 万円の売掛代金債権を有し
また,B は,A に対して 100 万円の売掛代金債権,C に対して 50 万円の売掛代金債権を有
し,C は,A に対して 300 万円の売掛代金債権,B に対して 80 万円の売掛代金債権を有し
ているとする。この ABC が,一人計算の合意をしたとする。その上で,A に対して 400 万
円を有する X が,A の「C」に対する 500 万円の売掛代金債権のうち 400 万円相当分を差
押さえた場合を考える。
この場合の債権債務関係は,以下のとおりになる。
96
名古屋ロー・レビュー 第 2 号(2010 年 9 月)
A に対する債
B に対する債
C に対する債
計算人に対
計算人に対
権
権
権
する債務
する債権
200
500(差押の
400
700
280
150
550
380
A
対象)
B
100
C
300
50
80
図 11
B
280
150
計算人
400
380
700
550
A
C
差押え
400
X(差押債権者)
X は,A の計算人に対する 700 万円の債権のうち 400 万円の債権を差し押さえたことに
なる(
【3.1.3.39(2)前段】
)
。この場合,計算人は,計算人の A に対する債権のうち,いかな
る範囲の債権につき相殺をもって X に対抗することができるのかが,ここで扱う問題であ
る。
2
検討
(1) 弁済期がすべて到来している場合
ア
ここでは,計算人を第三債務者とみなして,いわゆる差押えと相殺に関する【3.1.3.30】
を適用する(
【3.1.3.39(2)後段】
)
。
97
一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能性と問題点(玉垣正一郎)
【3.1.3.30】によれば,弁済が禁止された債権でも相殺に供することができる旨を規定し
た上で,相殺できない場合として,①差押後に自働債権を取得した場合,②差押えの申立
て後に悪意で自働債権を取得した場合を掲げており,法定相殺に関して無制限説を採用す
ることを明らかにする。しかし,他方で,このことと差押えの処分禁止効を回避するため
に行われる相殺は別問題であるとして,自働債権の期限の利益喪失条項ないし相殺予約の
効力を原則として否定し,例外的に,双方の債権が「特定の継続的取引」による場合には
差押債権者に対して対抗できることとしている 56。
計算人は A に対して 400 万円の債権を有しているところ,この 400 万円の内訳は,A
イ
の B に対する 100 万の売掛代金債務,A の C に対する 300 万円の売掛代金債務から発生し
たものである。
この点,計算人の一人計算参加者に対する債権債務につき,すべて弁済期が到来してい
る場合ならば,計算人は,差押え後に自働債権を取得したものではない以上,A に対する
400 万円の債権全額をもって相殺に供することが可能となる。結果的に差押えが空振りに終
わる。
(2) 弁済期が未到来のケース
しかし,A の B に対する 100 万の売掛代金債務,A の C に対する 300 万円の売掛代金
ア
債務の双方の弁済期が未到来で,それに対応する計算人の A に対する 400 万円の債権の弁
済期も未到来である場合はどうか。
イ
これこそが差押えと相殺という問題である。ただし,これは,無制限説か制限説かと
いうよりも,ABC と計算人との間の約款の効力の問題となる。なぜなら,約款の存在なく
しては,相殺に担保としての機能を付与できないし,たとえ無制限説を採用するとしても,
約款の効力を否定するならば,差押債権者に対する取立てがなく,漫然と自働債権の弁済
期が到来した場合に相殺できるにすぎないからである。
ここでは【3.1.3.30(4)】が問題となる。同条項は,前述のとおり,「差押えまたは仮差押
えの申立てがあったこと,差押命令または仮差押命令が発せられたことその他債権の差押
えまたは仮差押えの手続を開始させる事由に関する事実が生じたことをもって債権を相殺
に適するようにする旨の当事者の意思表示により相殺をすることができる場合において,
その債権をもってする相殺は,その債権の差押えまたは仮差押えに係る債権の双方が当事
者の特定の継続的取引によって生ずるものである限り,これをもって差押債権者または仮
差押債権者に対抗することができるものとする。債権の差押えまたは仮差押えの手続を開
始させる事由に関する事実が生じたことをもって相殺が効力を生ずるものとする旨の当事
者の意思表示も,同様とするものとする。
」と規定している。
これによれば,かかる約款による相殺は,自働債権及び差押えに係る債権の双方が当事
者の特定の継続的取引によって生ずるものに限り,認められる。
ウ
56
そうすると,本来の第三債務者 C の A に対する 300 万円の売掛代金債権が「特定の継
中舎・前掲(注 41)124 頁。
98
名古屋ロー・レビュー 第 2 号(2010 年 9 月)
続的取引」から生じたものであれば,計算人はその 100 万円を自働債権として相殺に供す
ることが可能となる。具体的に考えると,本来の差押対象債権である C の A に対する 500
万円の売掛代金債権と,上記 C の A に対する 300 万円の債権は,AC 間という当事者の特
定の継続的取引から発生したものであると言えるならば,計算人は相殺を主張することが
可能となる。この特定の継続的取引の有無はそれ自体曖昧であり問題点を残すものの,こ
れに該当すると言える場合があり得よう。
問題は,B の A に対する 100 万円の売掛代金債権に対応する,計算人の A に対する 100
万円の債権につき,計算人が相殺を主張することができるかである。B の A に対する 100
万円の売掛代金債権と,A の C に対する 500 万円の売掛代金債権の双方が,当事者の特定
の継続的取引によって生ずるものと言えるかは,少し戸惑いを覚える。なぜなら,この場
合の当事者は ABC の 3 名であると考えられるところ,BC 間に取引関係があるという前提
は必ずしも必要ないからである。一人計算参加者が膨大な数に及ぶ場合において,そのう
ちの 1 名との間には取引関係がないことも不自然ではないと言えるのではないか。
3
提言
以上のとおり,
「特定の継続的取引」に該当するかどうかは,計算人の差押債務者に対す
る債権につき,弁済期が未到来となっている場合に初めて生じてくる問題である。逆にい
えば,仮に,一人計算に供される債権債務はすべて弁済期が到来したものとして扱うとい
う当事者間で取り決めておくのであれば,もはや,ある債権債務が「特定の継続的取引」
から生じたかを問うまでもなく,計算人は相殺をもって差押債権者に対抗できる。
この点,【3.1.3.37(4)】は,一人計算契約を締結するに当たり,計算の目的となる債務の
債務者が,債権者に対し対抗することができた事由をもって,計算人に対抗することがで
きない旨を定めることができるとしている。この事由には,自働債権の弁済期が未到来で
あることも含まれると考えられる。そうすると,上記合意をしておけば,
「特定の継続的取
引」の該当性判断に迷うことなく,計算人は相殺をすることが可能となる。
ただし,第 3 節で論じる私見を踏まえるならば,この合意をするのではなく,一人計算
参加者間の取引から生じる債権債務のうち登記対象となる債権は,すべて「特定の継続的
取引」に該当するという規律を定めた上で,計算人による決済機能を重視すべきであると
考える。
一人計算参加者間の取引から生じる債権債務のうち登記対象となる債権は,すべて「特
定の継続的取引」に該当するという規律を定めた上で,いわゆる無制限説と同等の結論に
なるようにすべきである。
第 3 節 抗弁の問題
99
一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能性と問題点(玉垣正一郎)
1
問題の所在
抗弁の問題とは,一人計算の目的となる債務自体に抗弁権が附着していた場合に,計算
人あるいは原因債権の債務者は,その抗弁をもって,差押債権者に対抗できるかという問
題である。
これは,差押債権者の出現の有無に関わらず生じてくる問題であるが,前述の具体例に
即して,差押債権者が存在するケースを前提に論じる。
A に対する債
B に対する債
C に対する債
計算人に対
計算人に対
権
権
権
する債務
する債権
200
500(差押の
400
700
280
150
550
380
A
対象)
B
100
C
300
50
80
図 12
B
280
150
計算人
400
380
700
550
A
C
差押え
異議の申し出を
することができ
400
X(差押債権者)
るか?
A に対して 400 万円を有する X が,A の「C」に対する 500 万円の売掛代金債権のうち
400 万円相当分を差押さえた,すなわち,A の計算人に対する 400 万円の債権を差し押さ
100
名古屋ロー・レビュー 第 2 号(2010 年 9 月)
えた場合において(
【3.1.3.39(2)前段】
)
,C は,売買目的物に瑕疵があるため,解除,ある
いは,損害賠償請求権による相殺という抗弁を主張できるとして,計算人に対して,一人
計算の実行の対象から外す旨の異議申し立てをすることができないかという問題である。
2
検討
(1) 異議の申し出を認めない考え方
1 つの考え方は,決済の安定性・完了性を重視して,上記解除や相殺の抗弁すらもはや主
張できないとして,上記異議の申し立てを認めない制度にしておくというものである。
この点,【3.1.3.37(5)】は,一人計算の契約においては,計算の目的となる債務の債務者
が,債権者に対し対抗することができた事由をもって,計算人に対抗することができない
旨を約することができる,と定めている。そこで,この約定を定めるという方法によって,
上記異議の申し立てを認めないという具体的方法が考えられる。この場合,売主買主間の
二当事者間の問題として,一人計算の枠外において,解決が図られる。
このような解決方法にも一定の合理性があると言い得るだろう。しかしながら,私見と
しては,それが一人計算参加者の合理的意思に合致するとは想定できない以上,疑問であ
る。
(2) 異議の申し出を認める考え方
他方,もう 1 つの考え方は,上記異議の申し出を認めて,その債権については一人計
ア
算から取り外して処理するというものである。
イ この点,神作裕之教授は,交互計算
57の対第三者効について検討を加えた論文 58を発
表している。そして,神作教授が同論文の中で紹介するドイツ商法 537 条は,抗弁の問題
を考える上で参考になるため,以下,その概要を指摘する。
ドイツ商法 357 条は,
「当事者の一方の債権者が,交互計算から生ずる自己の債務者の残
高に対する請求権を差押え,転付を受けたときは,当該差押え後の新たな行為により生じ
た債務項目は,当該債権者との関係では,これを計算に組み入れることができない。差押
え前にすでに発生していた第三債務者の権利または義務に基づきなされた行為は,これを
新たな行為とみなさない。
」と定めている。ドイツ民法は,交互計算に組み入れた個々の債
権の譲渡・質入・差押え等を認めないものの,対第三者効について上記の規定を置くこと
により,交互計算の担保的効力について制約しているのである。また,ドイツ商法 357 条
が適用されるのは,差押えについて転付命令が発せられた場合に限られる。転付命令が要
件とされているのは,差押え後の新たな取引に基づき交互計算に組み入れた債務をカウン
トしないという規範は,差押債権者が転付命令により当該期中の残高債権を自己の債権に
充てるために用いることを主張した場合にはじめて,第三債務者の利益を保護するために
一人計算制度は,商法 529 条の交互計算制度を検討していく中で誕生したものである。内田・前掲(注
38)133 頁参照。
58 神作裕之「交互計算の対第三者効についての覚書(上)
」法曹時報 62 巻 4 号 893 頁(2010 年)
,同「交
互計算の対第三者効についての覚書(下)
」法曹時報 62 巻 6 号 1429 頁(2010 年)
。
57
101
一人計算及び電子記録債権を利用した多数当事者間決済の可能性と問題点(玉垣正一郎)
必要となるからである。すなわち,差押え前になされた取引に関し,取消権や解除権など
法律上の権利の行使により巻き戻され,または損害賠償請求権が生じた場合には,当該債
権は「新たな取引」によるものではないとして,残高の計算にあたって考慮されるのであ
る。このようにして,交互計算契約の一方当事者である第三債務者の利益とのバランスを
図っているのである。
ウ
ドイツ商法 537 条を一人計算の場面で応用するとすれば,以下のとおりになろう。
すなわち,差押え前になされた取引に関し,取消権や解除権など法律上の権利の行使に
より巻き戻され,または損害賠償請求権が生じた場合には,かかる債務者(ここでは売掛
代金債権の債務者である買主)を保護すべく,一人計算の実行において考慮されるべきで
あるということである。
ただし,この考慮の仕方は,具体的な解除の有無や損害賠償請求権の額等が即時に決定
できるものではない以上,異議の申し出であった債権及びそれに関連する債務につき,通
常の一人計算の枠外に置き,別の問題として処理するということになろう。
(3) 私見
上記 2 つの考え方ののうち,私見としては,2 つ目の考え方に賛成する。その理由は,別
枠で処理するとする 2 つ目の考え方によれば,異議申し出のあった部分以外には何ら影響
を与えない以上,決済の安定性・完了性との抵触は生じないことにある。また,一人計算
の合意によって発生する債権債務につき,当事者間の合意で,無因とすることを規律する
【3.1.3.37(5)】は,この 2 つ目の考え方とも整合的であろう。
3
提言
一人計算の合意によって発生する債権債務と原因債権との関係は,当事者間の合意によ
って,有因性または無因性を選択できることを可能にすべきである。この意味で,当事者
自治に委ねる【3.1.3.37(5)】に賛成である。有因性を残すという選択がなされる場合,当事
者からの異議申し出があった際には,異議申し出に係る債権債務を一人計算の枠外に置き,
別途処理するという方法を採用すべきである。
第 4 節 結論
1
検討委員会案が提示する一人計算は,多数当事者間決済につき法理論的根拠を付与する
ものであり,基本的に評価できる。
2
一人計算参加者間の取引から生じる債権債務のうち登記対象となる債権は,すべて「特
定の継続的取引」に該当するという規律を定めた上で,いわゆる無制限説と同等の結論
になるようにすべきである。
102
名古屋ロー・レビュー 第 2 号(2010 年 9 月)
3
一人計算の合意によって発生する債権債務と原因債権との関係は,当事者間の合意によ
って,有因性または無因性を選択できることを可能にすべきである。この意味で,当事
者自治に委ねる【3.1.3.37(5)】に賛成である。有因性を残すという選択がなされる場合,
当事者からの異議申し出があった際には,異議申し出に係る債権債務を一人計算の枠外
に置き,別途処理するという方法を採用すべきである。
本稿では,民法・一人計算・電子記録債権の各々を利用した多数当事者間決済の可能性
と問題点について検討してきた。そして,一人計算を利用した多数当事者間決済は,その
法理論的根拠を付与するのであり,基本的に評価できる(上記枠内 1)
。ただし,一人計算
の具体的中身については,まだ十分検討されていない部分があるところ,本稿では,時期
の問題,抗弁の問題の 2 つに整理した上で,2 つの提言(上記枠内 2・3)を行った。
一人計算はまだ議論が始まった段階であり,その採用の可否・具体的中身については,
今後も十分に検討していく必要がある 59。
なお,このテーマ研究を行うに当たっては,財団法人末延財団より平成 21 年度法科大学院奨学生とし
て奨学金を受けることができた。
59
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