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月夜の我儘猫 畠山 拓 我儘猫について語ろう。 麻子がメールしてくる

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月夜の我儘猫 畠山 拓 我儘猫について語ろう。 麻子がメールしてくる
月夜の我儘猫
畠山
拓
我儘猫について語ろう。
麻子がメールしてくる。最近冷たくなった、と言うのだ。そんなことはない、
直前の誘いは、乗れない場合もある。
「仕方ないでしょう」と、言う。麻子の「ド
タキャン」土壇場での約束取り消しに、私は文句を言ったことはない。
「悲しい、
パパはひとりで飲む」と、脅しをかけることはある。
麻子を題材に取り込んだ作品を六十数編書いている。エッセイ風のもの、幻
想小説風のもの、怪談話風のもの、など構成や雰囲気に工夫を凝らす。人情物
語風なものもある。メタフィクションの技法を使ったものもある。親友の作家、
陽羅義光は私の作品を、丁寧に読んでくれる。本人が言うのだから、そうなの
だろう。
人情小説風のものが良いと言ってくれる。私は怪談風に仕上げたものが好き
だ。友人の作家、崎村裕の主宰する「構想」に二年間に書いた四十篇の中から、
六篇選びだし、
「夢三昧」
「夢三昧 2」として二回にわたって掲載していただいた。
数十篇書いているから、素材が似ている作りの作品が幾つかある。次は「神
話学入門」として、三篇纏めて発表しようと考えている。「孕む女神」「両性具
有パラダイス」「シーシュポスの休息」の三篇を考えている。
小説のタイトルがなかなか決まらず、何度か変えることが多い。最初にタイ
トルが決まり、変更しない場合もある。今回の「我儘猫」のタイトルは平凡だ
けれど、思いついた時、好きだなと感じた。
麻子は我儘猫だろうか。身近な家畜である猫と犬を比べれば、犬は忠誠心が
強く隷属的であり、猫は単独的で自立している。集団を作る犬の習性と、単独
行動の猫の習性の違いなのだ。個別の情の深さを言っても仕方が無い。人情に
仮託する事が間違いなのだ。
麻子の我儘猫ぶりを考えている。我儘猫の我儘を考えているが、直ぐには思
い浮かばない。
考えていたら、子供のころを思い出した。何歳のときか覚えていないが、床
屋に一人で行った。多分初めて一人で行ったのだろう。母親は何時も一緒なの
だが都合でひとり、行くことになった。小学校の中ほどだったろう。床屋で暫
く待った。次の番がきて、床屋の大きな椅子に座る心の準備が出来ている。
ふらりと入ってきた大人の客が、椅子に座った。床屋の主人は客を笑顔で迎
えている。私はがぜん腹が立った。憤然として、床屋から走り出た。
怒りの収まらない私を母が手をつなぎ、床屋まで引いて行った。客は予約客
で、事情を私が知らなかったのだ。
「我儘な子で・・・病気ばかりしているので・・・
つい甘やかして」と、母は何やら言い訳をしていた。母の言い訳が気に入らず、
私はさらに腹立ちの気持を募らせたものだ。
我儘猫という言葉と麻子と言う女を結びつける面白さに私は喜んでいただけ
かもしれない。我儘猫という、いかにも通俗的な語感が気に入ってしまったの
だから仕方が無い。
つい先日の待ち合わせの都合のメールの事だ。
「駅ビル 待っている 疲れる」
「今 山手に乗るところだった 戻るよ 馬鹿 !」
「仕方ないな 行きます」
「駅改札 着いた お茶飲んでいる」
「厭だ 遠い 手前の駅ビル!」
「仕事後疲れたでしょう 悪いが ここにしましょう」
「じゃ あつち でもごちゃごちゃしていやだ!」
「良かったら 七時 中華か 寿司にしよう」
「そこでいいが 迎えにはいけないな 時間はあわせる」
「タクシーで迎えに来て!」
勿論、感嘆符が付いているのは麻子のメールだ。ふたつの駅のどちらで待ち
合わせるか、散々メールを交わす。麻子も迷っているし、私もいらいらしてい
る。メールはまだあるが、煩雑なので紹介しない。
崎村氏の「構想」は年間二回の発行だ。
「麻子シリーズ」の中から三篇集めて
「異形のもの達」として出そうと思う。シリーズは六十篇近くなったから、中
から同じテーマや、構成のものを選ぶ。金魚と小鬼と生首が登場する三篇をま
とめて発表しようと思う。
最近は、麻子の可笑しいエピソードを綴った三篇、
「私の馬鹿女」
「人物診断」
「はしゃぎ虫飛んだ」を纏めて「酒とパンと女」とした。来年の分までできた
ことになる。何となく安心した。
「新宿駅南口の改札出ると、赤いポストがある。そこで待っていて。人が多い
から見逃さないでよ」と、メールが来る。
ポストは赤いと決まっている。
今更のように休日のターミナル駅の混雑に驚く様だ。
麻子の顔を見て、小さな異変に気がついた。ぽつりと吹き出物が出来ている。
普段から化粧をしないので、分かる。化粧をしていれば隠れるほどの小さいも
のだ。
「亜矢は潰せというの。太郎は医者に行けというの」
「潰さなくていい。医者にも行かなくていい」
麻子が食事したいと言っている、ホテルは知らない。以前に行ったというが
思い出せない。
杭を纏めて何本も立てたような高層ビルがある。「一寸用事があるの」
私は先にホテルに入ることにした。杭のひとつはオフイスビルになっている
ようだ。案内係に尋ね尋ねして、目的レストランの階にたどりつく。
黒い制服の若い女の案内係が、エレベーターの前に陣取っていて、微笑む。
「一寸待たせてもらえるかな」
「ご予約のお名前を」
「予約はしていない。此処に居たいだけだよ」
案内された椅子に座ると、ビル街が眺望できる。
結局、レストランで食事をしたのだが、麻子は私の待ち合わせをなじる。ど
うという事のない事に苛立つのだ。私がぼんやりしているからとも思えないが。
「いつも、私の誕生日の十日前にはプレゼントのお金くれている。昨日、もら
えると思っていた」
駄目だ、無い年もある、と返事してから、麻子の機嫌が悪い。
私も年だ。もう、五年が来てしまったのか、と「運転免許証」を眺めていて
思った。数年ごととは言っても、免許の書き換えは、面倒だ。面倒だがやらな
いわけにはいかない。
目黒警察に行った。暗い受付に立つと、案外感じのよい婦警が「違う」と、
行った。書き換えは世田谷警察署だという。三軒茶屋だという。そうだったか
も知れない。五年前の記憶が無い。
世田谷警察の前に立って、初めて記憶がよみがえる。なんやかやがあって、
それでも二時間はかりで、新しい免許証を手にする事が出来た。免許証の顔写
真は五年前のものと少しも違わないように思えた。気分が良くなる。
十二時を少し回ったところだ。麻子が昼食しているかもしれない。
喫茶店に入っているかもしれない。ふてくされた麻子は二三日、連絡もよこ
さない。今日は出勤しているのかも、分からない。ともかくも行ってみる事に
した。
喫茶店のカウンターに麻子はいた。笑顔を作ってはいなかったが、私より早
く私に気がついたらしかった。
「どうしたの」
免許交付の講習でもらった冊子の袋を示しながら、
「時間がちょうどだったか
ら顔を見に来たよ」と、笑った。
麻子は固い顔をして、不機嫌を隠さない。
私は我儘な人間が好きだ。私が我儘な人間であるからだ。同時に我儘な人間
は人並みに嫌いでもある。
麻子は男言葉を好む。携帯のメールなどに多い。
「まいった。仕事の納会で九時まで。そのあと忘年会。タクシーしかない。皆、
タクシーよ。まいった」
男言葉はどうでも良いが、我儘は何とかならないものか。
実は私は男言葉を話す女に特別な魅力を感じている。
喫茶店で麻子から渡された猫はアメリカンショートヘアーに似ている。グレ
ーの細々とした、短毛の猫である。他の種も混じっているらしくもある。私は
猫に詳しくないので、はっきりしない。
猫はゲージにも入っていない。剥き出しのまである。子猫なので、コートの
下に隠せば電車にも乗れる。大人しくて、鳴きもしない。目は好奇心にあふれ、
輝いている。
案の定、地下鉄では子猫の評判は様々だった。
「我儘な猫だ、幾ら可愛くてもあんまりだ」
「我儘なのは猫を持ち込んだ、男の方だ。飼い主として無責任だ」
「でも、可愛い猫を見られてわたしは幸せ」
「可愛いものは、可愛いね」
「我儘猫でも」
「我儘なのは、甘やかすからよ」
「飼い主が、しっかりすれば」
「あ、欠伸をした。小さな舌ね」
地下鉄で注目を浴びてしまった私はすっかり緊張して到着駅で降りた。脇の
下に冷や汗を感じている。
以前、マンション住まいで、子猫を飼っていた。子猫は生まれて一度も地面
を歩いた事が無かった。初めて、公園に抱えて行った。公園には用済みの古い
小型の蒸気機関車が置かれており、子供の遊具代わりになっていた。
子猫を地面に下ろそうとすると、震えて立てないほどだ。機関車の一部に乗
せたが、怖がる。抱きあげると、黒い鉄板に梅の花型の足跡がくっきりと浮か
び上がっていた。冷や汗の跡だった。
猫の足の裏は冷たいと、つげ義春の作品で知った。男が猫の足の足裏を目に
押し当てる場面があった。タイトルは忘れたが、好きな作品だった。
子猫は麻子が私にくれたものなのか、
「預かっていて」という事なのか解らな
い。猫は特別好きでもないが、可愛らしくもある。
暇なので、猫と遊びながら、余生を送るのも悪くはないだろう。
覚悟を決めて、帰路にコンビニにより、牛乳のパックを買った。
猫は子猫の所為か、始終動き回り、何にでもじゃれつく。ふざけまわる。私
が昼寝でソファーに横になっていると、私の薄い頭髪にじゃれつく。頭をひっ
かかれる事はないが、うるさくてたまらない。追い払うと、今度は私が脱ぎ捨
てた靴下を相手に床を転げまわっている。風車のように駆けまわる。
どうしたはずみか、靴下を見失い、きょとんとしている。可愛い、いじらし
い、馬鹿馬鹿しい。
煩いが、可愛い。小動物を飼育する人の気持ちが解った気がしている。動物
は、排泄するし、死ぬから嫌いなのだ。愛らしさは欠点を超えて、私の心をつ
かんだ。
女と似ている。私は女が居るから、動物は要らない。男も女も動物だ。
猫に名前を付けようとしたが、思い留まっている。
「麻子」と名付けるのが自
然な気もする。気持ちが分裂する不安もある。
子猫は対して広くも無い家の隅々まで、動き回り、潜り込み、ひっかき回す。
高い所で、眠ったりもする。他の猫と比べて、どういうものなのか、私にはわ
からない。
抱き上げると、喉を鳴らす。鈴の音に似ている。
最近、急に変化か起きた。抱きあげたとき気が付いたのだが、腹の側面の皮
が軟らかく伸びているようだ。やがて、はっきりしてきた。前足と後ろ足の間
に膜のように皮膚が伸びている。
猫ではなく、ムササビのだ。猫は苦しそうでも無いし、元気にしている。私
は猫の習性が解らないので放置しておくのだ。猫は年をとると化けるという。
私の猫は未だ若い。猫が化けてムササビになるのか。
私の猫は、今では月夜になると、マンションの窓から飛び出し、夜空を飛び
まわっている。
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