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文学研究のための書物学 11
成蹊大学近世文学講義 文学研究のための書物学 11 はしぐち こ う の すけ 橋口 侯之介 第11回 江戸の読書 書物の考え方と読者層の拡大 書物と文学 ひとつの考えかた 「作者は本を書かない。テキストを書くのである。他の者たちが印刷物に変貌させる」とは フランスのアナール学派の歴史学者ロジェ・シャルチエのことば。 作者はテキストを書くのであって(いわば原稿を書く) 、本をつくるのは出版社、編集者、印 刷工、製本工の仕事。すると、必ずしも作者の考えどおりにつくられるとは限らないし、読 書の受け入れ方が異なることもある。 「テキストは字句が不変であっても、それを解釈の対象となるように提示する装置が変わる と、まったく新しい意味と身分を付与されるものである」(シャルチエ『書物と秩序』長谷川輝 夫他訳、平成八年、筑摩学芸文庫)ともいう。 現代では、作者と出版社の共同作業でつくられるが、古典作品などは、本によってまったく 異なる相貌をとる。時代によって読者の読み方も変化してくる。 従来の研究が、原書物から離れてテキストとしてだけ読んで論じることへの警鐘となった。 アナール学派とは、文化人類学と歴史学を融合させ、たんなる政治史や事件史、人物史でな く、 社会とその中にいる人間の観点から総合的に歴史を語る 20 世紀後半からのフランス歴史 学の方法。社会史ともいう。たんなる個別の狭い研究にとらわれず、現代の視点から大胆に 全体を見る方法論ともいえる。日本文学研究にも必要な視点ではないか。 アナールの仕事として、マルク・ブロック『王の奇跡-王権の超自然的性格に関する研究』 、アリ エス『 〈子供〉の誕生』 、ルイ・アンリ『歴史人口学』 、ラデュリ『気候の歴史』 、シャルチエ『読 書と読者』など。 日本でも民俗学と歴史学を融合させたといえば、網野善彦の実績などもある。 『無縁・苦界・楽』では「えんがちょ」というこどもの遊びから、中世の「縁」が切れるこ と(=無縁の社会)の存在を指摘。有縁の社会とは武士団や荘園村落などの日常支配体制で、 無縁とは、脱俗した宗教者、その下層の藝能民、農業以外の職業人など歴史舞台の表には出 ないが、社会の周縁で重要な役割をはたした層にことで、それを強調した歴史。 中世の文学や藝能が、こうした無縁の人びとの手で創造され、伝承されてきたことを思えば 非常に重要な考えである。 書物の総合研究の必要性 文学でも、作品論だけでなく、社会全体からみた論議が必要ではないか。そのためには、印 刷され、翻刻された原文をテキストにして、それだけで語るのでなく、書かれた背景から、 1 本になる過程、以後の出版状況、読者の受け取り方まで幅広く見るべきではないか。 書物も、いつどこで出版されたかで終わってしまうのでなく、それがどのように読者を獲得 したのか(あるいはしなかったのか)という視点をもっと入れて、総合的にみるべきである。 今後、 こうした学問間の連携がますます必要。 とくに日本文学からの若い人材に期待したい。 揺れ動くテキスト 「グリム童話」と「桃太郎」から 初版本を最良のテキストとすべきだろうか? それとも最終版? 「グリム童話」は7版まである。ふつう今読まれるのは、この第7版。残酷性がなくなる。 「ヘンゼルとグレーテル」 。飢饉で食べ物も得られないとき、母親が父親に子供を森に捨てる ようにいう。仕方なく子供を森に放置した。森にお菓子でできた家があったが、実は魔女の 家で、グレーテルが食べられそうになったのをヘンゼルが助け、逆に魔女をパン釜に閉じ込 めてしまう。 そこの宝物を持って家に帰ると母親は死んでいて、 父親と三人幸せにくらした、 という話。 母というのは継母(4版以降で7版ではまた「おかみさん」に戻る) 、話によって父親も死ん でしまうなど、7版では残酷性が薄められ、かなりの文が書き足されている。 はじめは素朴な民間伝承だったものが、版を重ねるたびに改変されている。最近は、各版を 読み返しその違いを論じることが多い。 ただ、口承文芸(それまでは文学に価しないといわれてきた)を整理しながら書物化したこ とで新たなロマン派の文学に仲間入りさせた功績はある。 「桃太郎」は民間の昔話として各地にさまざまなバリエーションあり。 書物には、御伽草子から赤本、馬琴の『童蒙話赤本事始』などに入った。 桃が川の上流から流れてきて割ったら子供が出てきたモチーフは、むしろ近代の主流で(巌 谷小波の『日本昔噺』から) 、桃を食べて若返ったおじいさんとおばあさんから生まれた子が 桃太郎、というほうが近世は多かった。これが決定版のようになって今日も語られるのは、 文部省教育に利用された近代の書物のせいである。 結局、文学研究には、どの版もみておく必要がある。現代の小説でもそれはいえないか? 読者の変遷 近世と近代 同じ本であっても、時代時代の読者によって読まれ方が異なることがある。 『徒然草』は中世の間に読者を獲得しただろうか。否、ほとんど読まれていない。それが近 世初期に古活字版で版本になり、以降、江戸時代を通じて何十種類の本(その注釈本を入れ ればもっと多い)が出て、人気のあった古典文学だった。近世人の感性にあったのだと思う。 とくに、近世には、年代を追うごとに読者層が広がり、その嗜好も変わってくる。 多くの仮名草子も江戸時代中期にはもう売られていない。浮世草子も、西鶴すら読まれなく なる。曲亭馬琴・山東京伝・十返舎一九など多くの人気作家が出て、中には 1 万部を超える (回し読みしたり、貸本屋が発達していたので読者数はその十倍以上)ものも出たが、多くはそれ っきりで長くは読まれなかった。 仮名垣魯文のように明治初期まで人気のあった戯作者はいたが、やがてそれも否定され、明 治中期になると、むしろ江戸文学は捨てられようとしていた。 2 夏目漱石(東北大学)や森鷗外(東大で 8300 点)の蔵書が保存されているが、それぞれの専 門とする洋書を別にして、和本を例にとると、漢文学が彼らの素養として受け入れられてい る。漢字の辞書がきちんと揃えられている。漢詩は杜甫などの唐代の古典的詩集が多い。漱 石は俳諧好きなので芭蕉などの俳諧書が多く、文学は源氏や万葉の古典が主体で、上田秋成 の『雨月物語』が数少ない近世文学。近世の随筆が少々といったところ。鷗外はこれに医学 書などが入る。 二人の蔵書に共通しているのは、西鶴や浮世草子から江戸後期の戯作文学書がまったく入っ ていない。そこに読書傾向が変化した明治期の文化人の読み方が見えてくる。 庶民教育の浸透 読者層拡大の原動力 寺子屋の役割 幕府は、村でも町でも中間の役人層(庄屋や名主)を通して、つねに文書でのやりとりを求 めた。通達や記録の保存、提出などすべて文字でおこなうこと。そのための基盤として読み 書きを奨励したが、自らは初等教育を何もしなかった(大学レベルの昌平坂学問所のみ) 。 そのため、初等教育は純粋に民間で自主的に始まった。それが寺子屋。江戸中期以降各地に 浪人や医者、書家などが自宅を手習い所として始めるようになり、都市部だけでなく農村部 でも増大した。19世紀初頭には江戸に千箇所以上あったという記録がある。 寺子屋は七歳くらいから十二、三歳まで朝から午後まで(今の小学校と同じ) 、主として読み 書き、算用(そろばん)が教えられた。ただし、師匠が前にいて生徒たちがいっせい聞いた り書いたりする今の学校をイメージしてはいけない。個性を重視し、一人ひとりにあったレ ベルで個人教育をした。 そこで使われた教科書を往来物といい、多くの本屋から各種出版されていた。御家流(おいえり ゅう)という書法で、独特のくずし字であり、それで文書を書き、大衆本を読むことができた。 その結果、当時の識字率は、武士 100%、町民・農民などおよそ50%に達したという。 享保以後、日本の人口はおよそ 3000 万人なので、少なくとも 1500 万人以上の読書人口があ ったことになる。読者層の拡大は書物の世界を変え、文学の質も変えていく。 (2009 年 7 月 9 日) 参考文献: アナールの書物関係書 リュシアン・フェーブル他『書物の出現』関根素子、長谷川輝夫他訳、昭和六十年、筑摩書房 ロジェ・シャルチエ『読書と読者』長谷川輝夫他訳、平成六年、みすず書房 ロジェ・シャルチエ『『読書の文化史』福井憲彦訳、平成四年、新曜社 ロベール・マンドルー『民衆本の世界』二宮宏之他訳、昭和六十三年、人文書院 日本の新しい歴史学 網野義彦『東と西の語る日本史』講談社学術文庫 同『増補無縁・苦界・楽』平凡社ライブラリー 伊藤正俊『寺社勢力の中世』ちくま新書 清水融『歴史人口学で見た日本』文春新書 赤坂憲雄『王と天皇』ちくま学芸文庫 3