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カリフォルニアの水資源∼過去、現在、未来
平成 16 年度 国土文化研究所 第 1 回セミナー開催 「カリフォルニアの水資源∼過去、現在、未来∼」講演報告 国土文化研究所企画室 はじめに 平成 16 年度の第 1 回セミナーを開催しましたので、 概要を報告します。32 名の参加がございました。 講演概要 日 時:平成 16 年 6 月 25 日 15 時∼17 時 演 題:カリフォルニアの水資源 ∼過去、現在、未来∼ なかざわ か ず と 講 師:中 澤 弌仁先生 ( (財)土木研究センター顧問) 司 会:伊藤一正 (国土文化研究所企画室長) 所長挨拶 講演に先立ち、国 土文化研究所の吉岡 和徳所長が、講演会 について挨拶された。 中澤弌仁先生は旧建 設省土木研究所の所 長時代を含め河川、 写真1吉岡和徳所長 ダムの分野、水資源 の分野に長年携わら れ、河川分野の大先 輩であられること、ま た、財団法人建設技術 研究所の理事長として も当社と深い関連を持 っていただいて、水に 写真 2 中澤弌仁先生 関する技術的な多くの 問題に取り組まれ、その研究成果は、広く建設行 政に適用されていることが紹介されました。 1.アメリカの水資源開発の背景 アメリカの歴史は建国以来膨張の歴史であり、 それも経済的・宗教的情熱を根元として西部と南 部への領土拡張、権益拡大の歴史である。特に西 部への拡大はアメリカ建国の礎ともなる努力であ り、アメリカ開拓史の根幹をなすものであった。 しかしながら、せっかく手に入れた西部の広大 な土地の大部分は高温寡雨、水がなければ居住す ら不可能な不毛の地帯であったため、水の確保が 西部開発の最大の要因であった。したがって、1 9世紀半ばに西部各州が合衆国に変入されて以来、 西部の発展はまさに水資源開発の歴史そのもので あった。 このような背景のもと、アメリカ西部、特にカ リフォルニアを中心として開拓事業の進展と水資 源開発の方法、制度、水利権、水争い等を中心に 歴史を振り返り、今日のアメリカ社会への到達 の経緯を 1)西部開拓との関連で見た水の問題 2)開拓のための法制度と水利権 3)カリフォルニア州の水資源開発方法 4)環境による開発の制約 5)水開発から管理 の各事項により説明が進められた。 2.アメリカ開拓と水問題 18世紀末から19世紀初頭にかけ、北アメリ カ大陸北東部で独立を勝ち得た13植民地は、第 一に州の連合体である Union を形成し隣国との 境界を画定し国家経営の根幹となる法律、制度の 整備を進め、南部、西部への発展を開始していっ た。ヨーロッパから渡ってきた移民たちはアメリ カ大陸に自由を求め、新天地を開拓しようと、西 部の砂漠に新たな生活の根拠を築いていった。こ のような中、1848年1月にメキシコとの戦争 に勝利したアメリカはカリフォルニアを手に入れ る事となるが、時を同じくしてシェラネバダ山中 のアメリカン川の支流で金が発見され、瞬く間に 人々が集まり、いわゆるゴールドラッシュが始ま った。この当時、アメリカ東部からカリフォルニ アに至るにはパナマ地区を経由する船便しかなか ったが、それにもかかわらず1849年には4万 人もの人々が移動してきた。 金の採掘は掘り出した土石を水で洗い流して 金鉱石を抽出するという原始的な方法が用いら れ、土地の所有、採掘権の確保、水の確保が重要 な権利として確立し、ここに、初めて水利権の考 えが出来上がっていった。 その後10年ほどゴールドラッシュは続くが、 それも下火になったとき、集まった人々の多くは 転業し定住して農業に従事する事となった。しか し、農業で成功するためには、もともと砂漠地帯 に等しいカリフォルニアの地では水の権利取得 が必須で、すなはち、水の権利を得た者だけが生 き残り、農業による定住が達成できたのである。 この間のカリフォルニアにおける人口の増加と農 地面積の増加を見ると表−1のとおりで、人口は 1850年をすぎると1890年までの間の各1 0年で50%∼60%の増加を見ており、農地面 積も40∼50%の増加となっていることが分か る。 表−1 カリフォルニア州の人口・農地推移 金の採掘時に認められた「早いもの勝ち」の論理 により構成される優先専用水利権で水理秩序が構 成されるとともに、1850年にカリフォルニア が正式にアメリカの州となり法秩序の整備ととも に、慣習法に基づく沿岸水利権も導入され、いわ ゆる二重水利権制度となり、その後長い期間にわ たり混乱が生ずることとなってゆく。 3.水事情と開拓法の成立 19世紀後半から西部開拓の要に農業開発が位 置づけられ、そのためには計画的な水資源開発が 不可欠となった。そこで、連邦政府は開拓に必要 な農業用水を開発するための開拓法を成立させ、 連邦政府の中に開拓サービスの組織を設置し農業 用水を安価に供給する制度が創設された。このサ ービスは1907年に内務書内局の開拓局になり、 1903年以降10年間で開拓局が着工した灌漑 事業は58を数え、そのうちカリフォルニア、オ レゴン、ワシントン州で3分の1の事業が実施さ れた。 開拓法はアメリカ西部17州を対象としたもの であり、各州の公有地の払い下げで得た金額から 運営費などを除いた分を積み立てて「開拓基金」 とし、 17州の開拓のための水の貯留、 灌漑工事、 測量、建設、維持管理などを当てられる事となっ た。さらに、これらの経費は割賦払いで受益者に 返済させるという内容であった。 しかし、カリフォルニア州は既に独立州として の実力を備えていたこともあり、自前でサクラメ ント川、サンホアンキン川の水を利用して南部の 開発を行い農業発展の計画を保有していた。この ことが連邦政府とカリフォルニア州との水に関す る権限争いの根元となっていった。 4.ニューディールにおける西部の水資源開発 20 世紀にはいるとアメリカは農業国から世界 有数の工業国に変化し好景気に変わってゆくが、 1929 年の投機の加熱が原因による株の大暴落に 始まる大不況に陥り、その改革策として連邦政府 はニューディール政策を取り入れた。 ニューディール政策の中ではテネシー川流域開 発事業(TVA)が成立後、政策の一環としてカ リフォルニア中央平野開発事業すなわちCVPの 着工がある。CVPの目的はサクラメント川の治 水とともに水開発を行い、カリフォルニア州の中 央平野部における水野安定供給を目指したもので ある。これは、元々カリフォルニア州が独自に計 画していた案であるが、大恐慌後の経済的な打撃 が大きく州独自の予算確保が困難であったことか ら連邦政府が主導する形で事業が進められた。こ の後、カリフォルニア州においてはCVP事業に より整備された貯水池と州水計画(SWP)によ り整備される貯水池が混在し、両者の主導権争い が続くこととなる。 図−1カリフォルニア州の起伏図 表−2.カリフォルニア州水計画事業概要 図−2カリフォルニア州デルタ地形図 表−3セントラルバレー計画事業一覧 5.水資源開発への逆風と環境問題 水資源開発に関する連邦政府と州の関係は合衆 国憲法においてそれぞれの主権の範囲は規定され ているが、現実には、いずれの立場に立つかによ って、その範囲は微妙に異なり、それが紛争の原 因ともなっている。しかし、いずれの場合におい ても最大の紛争原因は資金であった。 しかし、これらの開発は結果的に農業への多大 な救済となり、その事が次第に農家過保護として 反発を受けるようになっていった。また、併せて 自然環境への関心が高まり、ダム建設の見直しと なって拡大していった。 1983年、CVP 事業により供給された農業用 水に含まれるセレニウムの毒性が原因で起きたと 推定されるサンホアンキン流域ケスターソン野生 生物保護区の水取りの奇形などが発見され、水質 汚染問題が大きな社会問題となった。また、水質 以外にも魚への影響があげられ、ダム築造により 鮭の遡上が妨げられたとして、サクラメント川、 トリニティ川などでの事例が報告されたりもした。 特にサンフランシスコ湾口デルタにおいて、動植 物の保全に関する重要な課題が現れてきた。 サクラメント・サンホアンキン川河口部に散乱 のために回遊する固有種の鮭の数は20世紀初頭 には85万匹であったものが、産卵区域の減少、 生態的に適切でない流量の変化、水質の悪化、水 温の上昇、取水スクリーンによる稚魚の損失など が重なり、その後の50年間で約40万匹にまで 減少した。さらに最近では減少が加速され、サク ラメント・サンホアンキン川両河川流路での産卵 鮭の数は28万匹までにも減少している。このた め1973年に制定された絶滅危惧種法に則り、 これらの河川での固有鮭は絶滅危惧種に指定され、 その回復が課題ともなっている。 6.水開発から管理へ カリフォルニアにおける水資源開発はゴールド ラッシュの時代から西部開拓の中心となる農業開 発をめざし、数多くの水資源開発施設の建設が進 められた。しかし、その一方でサンフランシスコ 湾口デルタにおける環境問題の発生が、さらなる 水開発に歯止めをかける潮流となった。 1976年の大統領選で J.カーターは事業の効 果に応じた見直しを掲げ、当選後19の事業を課 題事業としたヒットリストを公表し、現実に9事 業は事業継続を中止し、また新規事業の採択をゼ ロとした。これは、アメリカ国内でも大規模な議 論を呼んだ政策転換であるが、 大統領の真意は 「水 資源政策を総合的に改革する必要があり、現在あ る水資源を適切に保全する事により、費用のかか る新規事業の必要性は減少できる」とした点にあ った。 その後1980年代にはアメリカの水資源政策 は開発から管理へと大きく舵を切り、また、社会 の仕組みも変化し、社会制度の決定権が大統領や 議会から州、市、町へと移行し連邦政府の政治力 の低下が起こり州政府の実質的な独立の度合いが 高まり州政府が地域の政策決定権を保有するに至 っている。 かつて、ルーズベルトで開始されたニューディ ール政策に基づく西部開発の精神がカーターによ り終焉を迎えアメリカ人の自然環境に対する関心 を背景とした開発から管理への流れが明確となっ ていったものといえる。 このような経緯から CVP(カリフォルニア中央 平野開発事業)の見直しが進められ、水利用者と環 境保護団体などを含め水の利害関係者が一同に会 して1994年にデルタの新しい水質基準を定め、 都市と農業に確実に水を供給する事を合意した DELTA-ACCORD が発行された。その後。これ らを実行に移すために1995年に州と連邦政府 による新しいプログラム CALFED(カリフォル ニア州の水政策と連邦政府の生態系に関する理事 会)が発足し解決の努力が進められている。 現在、カリフォルニアでは環境上の問題を多く 残し水資源開発に大きな歯止めがかかり、その一 方で水不足が完全に解消されていないという困難 な状況にあるのも事実である。カリフォルニア州 は1994年に2020年の同州の水受給を予想 した結果では年平均で21∼41億 m3、渇水年 では36∼54億 m3 の不足が試算されている。 そのような背景のもと、CALFED では CVP のシ ャスタダムの嵩上げなど既存の貯水池の有効利用 を模索している。 これからのカリフォルニアの水資源は限られた 量をもっとも効率的に利用し、かつ、環境上も問 題が無いように管理することが求められ、そのた めに、水の利用効率を高め、過去の開発によって 損なわれた自然環境を回復するための施策を積極 的に進めてゆくことになる。このことは、現在の 日本がおかれている水資源開発と類似の傾向であ り、カリフォルニアの水資源開発と対策から日本 が学ぶべき事が数多くあることがわかる。 (記 伊藤一正)