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揺らぎと相互作用

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揺らぎと相互作用
科学技術と社会シリーズ No.4
揺らぎと相互作用
−科学は人と社会に どこまで迫れるか−
市川惇信
2012 年 1 月
はじめに この覚書では,科学の方法を人(脚注1)と社会に適用するときに生じる
次の問について考えたことを書き留める. (1)自然科学で成功した科学の方法を人とその社会の事象に適用するとき,
必ずしも成功しないのはなぜか? (2)科学の方法が人と社会について成功するためにどんな視点が必要か. (3)その視点からの視野は人と社会のどれだけの部分を覆うのか? この覚書では (3)にいう部分を「人と社会の科学」という.現在の人文社
会科学の領域すべてではない. 1999 年にブタペストでユネスコと国際科学会議(ICSU)の共催で開かれ
た世界科学会議は,
「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」を発した.
この宣言は前文において,科学を「物理学,地球科学,生物学,生物医学あ
るいは工学などの自然科学,そして社会科学,人文科学(文部科学省訳,
2010)」と区分している. この区分では,物理学から工学に亘る諸分野を自然科学として束ねて,
人文社会科学をこれに加えていない.ここに科学者の自然科学と人文社会科
学に対する認識の違いを見る.この覚書では,この違いを超えて自然科学の
方法を人と社会に適用することを考え,この意味で科学の知識を統合しよう
とする. 西欧において,自然科学と人文科学との乖離を採り上げた最初は,C.P.
スノーによるリード講演「二つの文化と科学革命」である.これが印刷公表
されたときは,西欧の思想界から大きな反響を呼び,4 年後の改訂版におい
ては寄せられた意見に対するスノーのコメントの方が本文より長くなった
ほどである(スノー,1964). スノーは,自然科学と人文科学との乖離を学問の間の乖離とせず,自然
脚注1 この覚書にいう「人」は生物種「ヒト」ではなく,社会を創り社会により創られる人
をいう(次頁参照). 科学者と人文科学者の間の文化の相違,その相違に基づくコミュニケーショ
ンの不足,それを生み出した教育制度の問題として記述している. 私はこれに異論がある.自然科学の対象である自然と,人文科学の対象
である人とその文化(脚注2)の間には,知識を得る上で違いがあると考え
る.その違いは何か,その違いを乗り超える方法は何か,を考えたい. 自然科学との乖離は社会科学にもある.欧州アカデミー連合元会長の
P.J.B.ドレンスの「科学の一体性(Unity of Science)」の会議における「社
会科学:その真実性と有用性」と題する講演(ドレンス,2006)には,人と
社会に関する諸分野を統合することの難しさが滲み出ている. ドレンスは,まず「科学の一体性」を「多様性のある自立的領域の集まり」
と捉える.18 世紀末から 19 世紀の物理学に代表される「一体としての科学」
..
からの科学の拡大である.このことは,彼が Social Sciences と複数形で表
現したことにも現れている. ドレンスはそれに引き続いて,「それぞれの分野は,異なる内容,論点お
よび方法をもつものの,共通の目標,興味および関心事をもっている.その
.......................
うち最も重要なことは,客観性と独立した根拠をもつテスト可能な真理を追
........
究 す る こ と に あ る ( 傍 点 市 川 )」 と し て い る . こ れ は Oxford English Dictionary がいう近代科学の必要条件「真理を発見するための信頼に値す
る方法を含む学問領域」と合致するもので,社会科学にもこの条件を満たす
方法が存在するという彼の思いを表している. 次いで,ドレンスはそれまでの物理学と生物学に加えて,19 世紀末に心
理学,社会学,経済学,政策科学など,人の認識,情動,個人間の相互作用,
社会システムの構造と動き,文化,法律,経済,政策などの分野が第 3 の極
として科学に加わったとする. .......
ドレンスはこれら第 3 極を他の極と区別する視点は社会が創る人間にあ
脚注2 この覚書では「文化」を「ある社会に共通する人の行動様式のうち,遺伝型を介さ
ないで継承される行動様式の集まり」をさす. - ii - るとした上で,社会科学における方法が多様であること,科学者以外の人々
がこの領域に参画していること,社会政策と緊密に関係することなど社会科
学の特徴を採り上げている. 最後にドレンスは,政界や産業界の意思決定者が社会科学の成果に関心を
持たない理由として:
(1)無視,
(2)成果の不整合性などの混乱,
(3)反科
学運動,(4)不都合な真実,(5)信頼性の低さ,(6)失望,そして(7)欺
瞞,を掲げ,社会科学者がこの克服に努力すべきとしている. このドレンスの訴えの背後にある悩みは,社会科学に「真理を発見する
ための信頼に価する方法」が存在すると思ったところにあると私は考える. 自然科学と人文社会科学の溝に自然科学から橋を架けようとする試みの
代表的なものにE.O.ウィルソンの共躍(consiliense)がある(ウィルソン,
1998).ここで共躍とは,事実から帰納して得られる仮説が異なる分野の間
で一致することをいう.ウィルソンは,彼の背景である進化生物学を跳躍台
として,人と社会の事象を生物進化の視点から説明しようとする. 鍵となる考え方は,人の精神活動は遺伝的に構築された脳の所産である.
文化は人の集合体の精神活動である.よって遺伝子は文化の大きな部分を占
めるとする.これに基づいて,遺伝子は文化の進展を方向付ける,文化は進
展の方向を選択し遺伝子の変異を選択する,選択された遺伝子は集団の文化
を変化させる,変化した文化は遺伝子の選択につながるとする.これを簡潔
にいえば,遺伝子と文化の共進化である. この努力は間違ってはいない.しかし大きく欠けるところがある.人と
社会でいう人は,生物種ヒトの個体ではない.ドレンスがいうように,社会
が創る人であって,他の生物種と異なる特別な言語のクラスをもつ人とその
集まりである.人と社会はこの言語により自然を超えた存在となっている.
これを考えない限り共躍できる範囲は生物種ヒトとその個体に留まる. 自然科学は,世界科学会議が一つに束ねたように,対象と学問分野に問
わず一体と認識され発展している.ここでいう一体とは,自然科学に統合さ
- iii - れている異なる分野の研究者が,共通の基盤の上に立って同じ世界観と科学
の方法を共有していることを意味する.その結果として,得られた研究成果
の間に整合性があり,知識は分野を超えて移転可能であり,移転はしばしば
新たな発展を生む.分野の間で暗黙のうちに協同研究をしているといえる.
これに対して,自然科学と人文社会科学との間には世界観と科学の方法
を共有しているという一体感は存在しない.さらに言えば,人文社会科学の
中の諸分野の間にも,世界観と科学の方法の共有を見いだすのは難しい.こ
のことは,人文社会科学の諸分野の間にある対象の違いが,自然科学におけ
るそれとは質的に異なることを示している. この違いを世界観と知識を得る基盤の違いとして明らかにして,その違
いを乗り超える途を考える必要がある.このためには,人の言語が人の社会
にもたらして自然を超えた存在としていることを考えなければならない. 念のためにいえば,この覚書が目指すのは「文理融合」ではない.広辞
苑によれば「融合」は「溶けて一つになること」を意味する.知識は対象の
構造を何らかの意味で反映する.自然と人の社会との間には構造の違いがあ
る.それを融合することは文理いずれにとっても自己破壊である. この覚書は次のように構成されている. 「1.自然の整合性とモデルの反証可能性」では,科学における「新たな真
理を発見するための信頼に値する方法」を示し,それを支える対象世界の性
質とその方法の制約を明らかにして,これが自然科学と人と社会の科学を分
けるものであること,そしてそれを克服する可能性を考察している. 「2.人と社会に科学の方法で接近する」では,人と社会における真理を求
めようとするとき,1章に述べた対象世界の性質を確保し,科学の方法を使
う上での制約を満足する方法を探索している. 「3.人と社会に普遍を求める」では,人と社会の文化の多様性の背後にあ
る普遍性を探索する.シンボル言語,システム化,神の存在の 3 つの普遍性
を抽出し,これらの普遍的な事象を記述するモデルが満たすべき条件を明ら
- iv - かにしている. 「4.「揺らぎと相互作用」がシステムを創る」では,普遍に存在するシス
テムが自律的に生まれたことを受けて,「揺らぎと選択」が3章に示した条
件を満たし,かつそのクラスの一つである「揺らぎと相互作用」が,自然か
ら人の社会に亘るシステムを自律的に創出することを示す. 「5.選択圧の基盤:因果関係の認識」では,揺らぎと相互作用において,
ヒトと人に共通する選択圧の基盤として因果関係の認識を挙げ,それが生物
進化の過程で獲得されたことを示す. 「6.シンボル言語の起源と心像の発生」では,「揺らぎと相互作用」によ
りシンボル言語の誕生が説明できることを示し,それが心像(イメージ)を
創り出し,それが知識の発生にまでつながることを示す. 「7.心像としての神の誕生とその変容」では,因果関係の追求が因果関係
の未知の原因を担う神を生み出し,それが多様な宗教になる変容を考察し,
科学の方法を支える整合的世界観が生まれる経緯を明らかにしている. 「8.進化:揺らぎと相互選択の性質」では,揺らぎと相互作用のシステム
がもつ性質を,その機能表現から導くと共に,システムとしての特性を明ら
かにするために,システムに構造を導入して,それがもつ代表的な性質を明
らかにしている. 「9.現代文明社会に現れる進化の性質」では,「揺らぎと相互作用」がも
つ性質が現代文明社会に多く見られることを示し,「揺らぎと相互作用」が
人と社会のモデルとして適切なことを検証している. 「おわりに」では,「はじめに」の冒頭の問いに答える形でこの覚書の内容
を要約している. 2012 年 1 月 - v - 目 次 はじめに --- i 目 次 -- vi 1.自然の整合性とモデルの反証可能性 --- 1 科学の方法/科学の方法を支えるもの/ 整合的世界:科学の方法の成立基盤/ 対象世界の整合性は人の営みの基盤である/自然の整合性/ 整合的でない事象の整合化/反証可能性/まとめ 2.人と社会に科学の方法で接近する --- 14 人と社会の事象は整合的でない/ シンボル言語が人と社会の整合的を失わせる/ 人と社会の事象の整合化/目的論の排除:反証可能性/ 変化する状態の間の相互作用/まとめ 3.人と社会に普遍を求める –多様性の背後にある普遍性- --- 22 シンボル言語/システム化/神の存在/ 普遍を説明するモデル/ 4.「揺らぎと相互作用」がシステムを創る --- 28 システムは普遍に存在する/すべては揺らぎから生まれた/ 「揺らぎと選択」が選択の場を構成する/ 生物の進化を拡張する/進化は自律的に始まった 5.選択圧の基盤:因果関係の認識 --- 40 因果関係/因果ネットワークの 4 つのレベル/ 進化が作り込む因果関係の認識/因果関係を意識するとき 6.シンボル言語の起源と心像の発生 --- 50 シンボル言語の誕生/シンボルへの変成とシンボル操作 - vi - シンボル言語が創る心像/心像としての知識 7.心像としての神の誕生と変容 --- 62 脳にある神の座/心像としての神の発生/ 科学は普遍を,神は個別を観る/宗教への変容/ 文明の基軸への変容 : 都市神の発生/ 古代ギリシャ : 原因からの神の排除/ ヤハウエ信仰:整合的世界観への最初の揺らぎ/ 整合的世界観への選択圧/キリスト教による一神教の放散/ 普遍的正義は仮構である:神の再登場 8.進化:揺らぎと相互作用 の性質 --- 82 進化の機能表現から直ちに導かれる性質/ システム構造を導入して導かれる性質/ 数値実験とその結果/ 9.現代文明社会に現れる進化の性質 --- 91 システム創発と自己組織化/ スケールフリー・システムがもたらすこと/ 社会の活動の共進化/ おわりに --- 107 「はじめに」での問いに答えて 参考文献 --- 109 - vii - 1.自然の整合性とモデルの反証可能性 -自然科学を成り立たせるもの— 自然科学は前身の自然哲学時代のニュートンのプリンキピアからでも三
百年余り,近代科学になった 18 世紀末からはわずか二百年余りという短い
期間に,膨大な知識を整合的な体系として生み出した. 自然科学が用いる方法は,自然の整合性とモデルの反証可能性により支
えられている.自然が整合性をもつとは「自然にあるすべての因果関係が,
同じ原因に対して同じ結果が対応するという「前向け因果性」をもつ」こと
をいう.モデルの反証可能性とは,自然の事象の性質を言葉に書き出したモ
デルを自然と付き合わせて,間違いを見つけることができることをいう. 科学者一人ひとりは必ずしもこのことを意識してはいない.科学の方法
を使う科学者は,無意識のうちに自然の整合性を前提に反証可能なモデルを
作り,整合的な知識体系の構築に貢献している. このことから「科学の方法」から考察を始める. 科学の方法 この覚書では,科学の意味を,Oxford English Dictionary (OED,v 4.0) がいう近代科学の意味「4.a.明示的に示される真理あるいは一般法則の下
........
で組織的に分類された観察される事実の集まりであって,新たな真理を発見
....................
するための信頼に値する方法を含む学問領域(傍点市川)」とする. 近代科学を,それ以前の知識の総体を意味する科学から区別するのは,
4.a.後半の傍点部分である.ある学問分野がその分野で使う「新たな真理
を発見するための信頼に値する方法」をその根拠と共に提示できれば,その
学問分野は近代科学である.現在,科学を標榜する学問領域はそれぞれに「科
学の方法」をもつに相違ない.しかし,誤解を恐れずにいえば「新たな真理
を発見するための信頼に値する方法」といえる「科学の方法」は,「モデル
形成とその検証のループを回す」方法であり,それに限られる. 真理とは,対象とする事象に関わる法則を言葉に書き出したものをいう
(市川,2008).書き出された真理が「信頼に値する」ためには,誰かが「こ
- 1 - れは真理である」として提示しただけではすまない.提示した人がどんなに
知識が豊富で立派な学者であっても,天啓神託を受けて閃いたとしても,真
理を書くとする書物を根拠にしても,誰かの言葉やどこかに書かれたことを
真理として認めるならば,すべての哲学者の言葉,宗教の教義,そして主義
主張は真理になる. 信頼に値するためには,その知識が偽でないことが検証されなければな
らない.検証の手続きが明らかであって,一定の手順を踏めば誰でも実行で
き,あるいは自ら実行しなくてもその手順を理解し納得できなければならな
い.この要件を満たす知識を「客観的知識」という. 客観的知識を求める方法は,得られる知識が偽でないことを検証する手
続きをその方法の中に含む必要がある.その最小の形式は図に示す「モデル
形成とその検証のループを回す」方法である.この方法を「科学の方法」と
いう.ループであるからどこから始めてもよいがモデルから始める.ここで
モデルとは,真理と考えるところを言葉(脚注1)に書き出したもので,仮
説または理論とも言う. (1)対象とする事象について,知られている事実とモデルを参考に,事象
の性質を説明する新たなモデルを作る. (2)モデルからの演繹的な推論によって,対象とする事象がもつ新たな性
質を予測し,それを検
証する実験または観測
を行う.実験観測はモ
デルが関わるどんな事
象について,誰が,何
時,どこで,どのよう
に行ってもよい. (3)モデルからの予測結
脚注1 ここでいう「言葉」は自然言語に限らない.演繹的推論に紛れがない数学
や計算機プログラムなど,科学に使われる言語すべてを指す. - 2 - 果と実験観測結果とが整合するとき「モデルは偽でない」とする.整合 しないとき,実験観測結果に誤りがない限り「モデルは偽である」とし
て,その実験観測結果をモデルに対する反例とする. (4)モデルが偽であるときには,反例と整合するモデルを新たに作る.こ
れが次のループの(1)に対応する. この科学の方法のループが人,時間,場所を越えて回った典型を,一般
相対性理論の検証に見る.アインシュタインが 1915 年に発表した一般相対
性理論は,質量の存在が空間を曲げることを予測した.1919 年の皆既日食
においてアーサー・エディントン率いる英国の観測隊が,恒星からの光が太
陽の近傍を通るときに曲げられて恒星の位置が移動して見えることを観測
して,一般相対性理論が実証された. 図1の実験観測結果に代えて,他のモデルからの演繹的な推論結果を用
いるとする.これが図1と異なるのは,他のモデルは実験観測結果ではない
..
ので,両方のモデルからの推論結果が整合しないとき,両方のモデルのいず
........
れかまたは両方が偽である可能性がある.したがって,この場合にもモデル
の再形成が必要になる.この例は,アインシュタインがニュートン力学とマ
ックスウェルの電磁方程式との間に光の速度について矛盾があることに気
付いて作った特殊相対性理論にある. 科学の方法は,科学の歴史の中で科学者達が意識することなく作り出し,
現在では自然科学者達に認知されている(ファインマン,1965). K.ポパ
ーはこの方法を「進化的方法」(ポパー,1972)と呼んだ.この呼び名は,
変異したモデルが実験観測結果との整合性という選択圧の下で選択される
という意味で成り立ちを示しているが,この覚書では「科学の方法」という. 科学の方法では,モデルからの推論結果と実験観測結果との間,あるい
はこれまでのモデルの間に整合性がなければ,モデルを修正して整合性を保
......
とうとする.これは整合的な知識体系を作り上げる途である.科学の方法を
................
使うことは整合的な知識体系を作ることに他ならない. 科学の方法に対しても異論がある.その代表的なものにT.クーンのパ
ラダイム論がある(クーン,1971).実験観測は人間がモデルを検証しようと
- 3 - して計画し実行することから,虚心坦懐に自然に向かうのではなくモデルに
基づいて対象を理解しようとする.モデルはその時代における支配的なパラ
ダイム(標準的認識体系)により作られる.科学の方法はパラダイムを反証
するものではなく,パラダイムは別のパラダイムによってのみ置き換えられ
る.天体の運行に関するプトレマイオスの天動説が観測結果を説明できてい
るうちに,コペルニクスの地動説が支配的になったのはこれによるとする. これについては別の考え方ができる.科学は,パラダイムなどにより考え
方が拘束されて袋小路に入ることを嫌う.深い洞察に基づくモデルの簡潔さ
と美しさ,それからの今後の広い展開可能性を好む.コペルニクスの時代は
知るよしもないが,現在では実験観測結果との整合性が同等な場合には,こ
の好みがモデルを選択する.
科学の方法では,
「モデルが真である」とは言えない.言えるのは「モデ
ルは検証した限り偽ではない」である.ある検証が示すモデルが偽でない範
囲は,検証の方法に依存する.このことは,検証という手続がもつ論理的な
性質であり免れる途はない(脚注2). 科学の方法:経験知の社会化 科学の方法の上側のループを「実証のループ」,下側のループを「反 証のループ」といい,実証と反証を併せて検証という.私は学生のときに,
実証のループはルネ・デカルトの「方法序説」(デカルト,1637)に由来し,
反例を含めて新たなモデルを形成する下側のループは,F.ベーコンの経験哲
学(ベーコン,1620)に由来する.デカルトは少ない数のモデルにより世界の
すべてを記述できると考えており,それを彼の手で実現できると信じていた,
と教えられた.聖書とその解釈学としてのスコラ学からの脱却である. 聖書とスコラ学に束縛されていない素朴な目で眺めると(市川,2008)別 の姿が見える. 脚注2 これはすべての検証について真である.犯罪を調査して何もなくても「犯
罪がない」とは言えない.「犯罪があると言えない」と言えるだけである. - 4 - 一言でいえば,この方法は経験知を得るために誰でも何時でも行ってい
ることを社会化したものである.人は誰でも自分が関わる事柄のモデルを頭
の中にもち,そのモデルを使って将来を予測して行動している.たとえば,
「佐藤さんは信頼できる人である」というモデルに基づいて,佐藤さんの行
動を予測している.予測通りであればモデルを今後も使い続ける.予測が違
えばモデルを修正して今後に備える.このループを「経験知を得るループ」
といおう.人は誰でもこのループをいつも回している. 「経験知を得るループ」と「モデル形成とその検証のループ」との違いは,
ループを回すことにあるのではない.回し方の違いにある.ループを自分に
閉じているか,関心をもつ誰にでも開いているかの違いである. すなわち,科学の方法とは「経験知を得るループ」を科学者社会に開い
て,自分が考える真理を他人に確かめて貰おうとする自然な行為である.科
学の方法を,科学者達がそれと意識せずに作り出せた所以はここにある. 科学者は特別なことをしているわけではない.誰もがいつもしているこ
とを,科学者社会にまで広げて行っているだけである.望むならば誰でも科
学者になれる所以である. 整合的世界:科学の方法の成立条件 科学の方法でモデルが偽とされるのは,モデルからの推論結果と実験観
測結果との間,およびモデルの間が整合しないときである.このことは,科
学の方法が適用できる対象が整合的な世界であることを必要条件とする.対
象世界に整合性がなく,同じ原因に対して異なる結果が対応するときには,
モデルからの推論結果と実験観測結果との間およびモデルの間に整合性が
なくても,それは対象世界に整合性がないことの現れかもしれず「モデルが
.................
偽である」とはいえない.すなわち,科学の方法を使うことは,対象世界に
..............
整合性があるという前提に立つことである. これに関わることを最初に指摘したのは,1788 年に「自然の法則は地球
が太陽系の一員である限り過去現在を通じて不変である」という斉一説を唱
えた地質学者 J.ハットンである.彼は地質学者として観察できた地球に限
定しているが,物理法則の不変性は,現在では何らかの対称性をもつ実験観
- 5 - 測にまで広げられている.エミー・ネーターの定理により,対称性の存在は
保存則が存在すること,すなわち物理法則が不変であることと等価であるか
らである(レーダーマン,2004). ここで,物理法則と因果関係との関連を付言しておく必要があろう.物
理法則は物理量の集合の間の関係を抽出して規定したものであり,因果関係
における原因と結果との対応は規定されてはいない.因果関係は物理法則を
解釈することにより定まる. 例えば,ニュートン力学の f = mα(力=質量 x 加速度)という法則は,
自然界においては,力の集合の要素,質量の集合の要素および加速度の集合
の要素の間にはこの関係があることを記述している.そこには原因と結果の
規定はない.この法則から,質量mの質点にかかる力 f を原因と見なし,そ
れにより生じる加速度αを結果と見なすとき,原因と結果の間には α= f/m
という因果関係があると分かる.これに代えて,加速度を原因と見なせば,
f = mα から加速または減速に必要な力が結果として分かる. 念のためにいえば,ある物理現象について原因と見なす物理量を与えた
とき結果とみなす物理量が現れるとは限らない.例えば,化学反応速度定数
kは反応温度 T の指数関数で定まる k = k0e—ΔH/RT という法則がある.こ
こで,k0 は標準温度における反応速度定数,ΔH は活性化エネルギーそし
てRは気体定数である.このとき,反応速度定数k1を原因として与えれば,
それを与える反応温度T1が物理的に実現するわけはない.法則から,k1
を実現するためには反応温度T1が必要であることが分かるだけである. このように,物理法則に存在する物理現象がもつ関係を,原因と結果の
組み合わせとして解釈したものが物理法則から得られる因果関係である.し
たがって,物理法則が整合性をもつとは,法則を表す数式に含まれるn個の
変数のうちn−1 個が有り得る任意の値に定まったとき,残りの 1 個が唯一
に定まるような法則であることを意味する. 対象世界が整合的であることは,科学の方法が成立する十分条件でもあ
る.整合的世界では,ある因果関係の結果が他の因果関係の原因となってつ
ながる因果関係の連鎖には分岐がないので,因果関係の連鎖も前向け因果性
- 6 - をもつ.前向け因果性があるとき,論理式「AならばB」の対偶として「not
Bならば notA」が成立する.これにより「モデルが真ならば,それからの
推論による予測と実験観測結果とは整合する」という論理式の対偶として,
「モデルからの推論結果と実験観測結果とが整合しないならば,モデルは真
でない(偽である)」が得られ,
「モデル形成とその検証のループを回す」科
学の方法が成立する. ...
なお,整合性における「すべての因果関係」は重要である.対象世界に
前向け因果性がない因果関係が一つでもあれば,それを連鎖の中に含む因果
関係がすべて前向け因果性を失う.言い換えれば,対象世界の中の整合性の
ない部分世界は,整合性をもつ部分世界から隔離されている必要がある.こ のことは,科学の対象が整合性をもつ世界に限られることにほかならない. 対象世界の整合性は人の営みの基盤である 対象世界の整合性が必要であることは,科学の方法に限らず,人の営み
の基盤として普遍的である.知識を根拠に対象世界に働きかけて望む結果を
得ようとするとき,その知識の対象世界は整合性をもつ必要がある.整合性
がなければ,働きかけという原因に対して得られる結果がさまざまに異なり,
その知識は知識としての意味をもたない. 経験知という知識のクラスを考えれば,経験知を得るときと経験知を使
うときとで,因果関係が必要な程度に同じでなければ経験知は意味をもたな
い.対象世界は実効的に整合性をもたなければならない. 知識を使わずに試行錯誤により目的を達成しようとするときも,同様に
対象の整合性が必要である.試行のたびに因果関係の結果が異なっては,試
行錯誤は収束しない.対象世界の整合性は人の営みすべての基盤である. 自然の整合性 自然科学が自然について整合的な知識の集積に成功してきたことは,自
然が整合性をもつことを窺わせる.これを支える観測結果がある.アフリカ
西部にある 20 数億年前に起きたと推定される天然ウランの崩壊の結果が,
今日知られている法則から計算される値と一致することが分かり,自然法則
が数十億年に亘って不変であることが確認された(レーダーマン,2004).
- 7 - 自然は時間を経ても同じ原因に対して同じ結果を与えている.ハットンの斉
一説は破れていない. 「自然は整合的世界である」を仮説と見れば,自然科学が今日まで破綻
することなく整合的な知識体系を作ってきたことから,これまでのところ偽
でないといえる.この仮説は自然科学の成立基盤であり,自然科学の中で作
られる仮説よりも根底的であるので,これを自然科学の「大仮説」と呼ぼう. これに関連して,1957 年にプリンストン大学の大学院学生 H.エヴェレッ
トが量子論からの必然として導出し,最近では S.ホーキングが展開してい
る多宇宙(multi-verse)認識 (ホーキング,2010)があるが,他の宇宙はわ
れわれの観測にかからないので考慮の外に置く. われわれは整合的な自然像が破綻するまで,言い換えれば科学の方法が
破綻するまで,自然は整合性をもつものとする. といっても,自然にも見かけの上で整合性のない事象が存在する.自然
科学は,これに対して新たな概念を導入して整合性を保持してきた. 整合的でない事象の整合化 (確率測度の導入) 自然は「大仮説」が成立し整合性をもつ存在であるが,見かけの上で整
合性をもたない事象が現れる.自然は多くの事象が相互作用する複雑系であ
ることから,ある時点でのきわめて微小な変動が拡大して大きな違いになる
事象がある.コイン投げ,サイコロ投げ,ルーレットはその例である. コインを投げるという一見して同じ原因に対して,
「表」,あるいは「裏」
という異なる結果が対応する.このままでは同じ原因に対して異なる結果が
対応し整合性がない.これに対して,科学は「確率測度」という概念を導入し
て整合性を保持した.すなわち,コインを投げるという 1 つの原因に対して
..
(表が出る確率が 1/2,裏が出る確率が 1/2)という値の組が 1 つ対応する,
と考える.確率測度はコルモゴロフにより導入された.サイコロを投げると
..
いう原因に対しては,(1/6,1/6,1/6, 1/6, 1/6, 1/6)という確率測度が1つ
対応する. サイコロを例にとって,確率測度の公理を示しておく. - 8 - (1)すべての事象のいずれかが起きるという事象の確率は1である.サイ
コロでは 1 から 6 までのどれかの目が出る確率は 1 である. (2)ある事象が起きる確率は,0 と 1 の間にある. サイコロではどの目が
出る確率も 1/6 で,0 以上 1 以下である. (3)同時に起きることのない排反事象のいずれかが起きる確率は,それぞ
れの事象が起きる確率の和である. サイコロでは,1 または 2 の目が出
る確率は 1/6+1/6 = 1/3 である. これら(1),(2),(3)の公理を満たす量を確率測度という.確率測度を導入
することにより確率演算が可能になり,同じ原因に対して結果である確率測
度が一つ対応し,因果関係の整合性が保持される. これにより,確率事象を科学の対象の中に留めることができる. (状態の導入) われわれの目に触れる因果関係は,加速器実験などの特別な場合を除い
て,単一の因果関係ではない.多くの因果関係が結合した因果関係システム
となっている.このとき,このシステムに外から入る原因を「入力」,システ
ムが外に出す結果を「出力」といい,その間の関係を「入出力関係」という. 入出力関係は因果関係システムが総体としてもつ因果関係である.この
とき,システム内部にある因果関係の原因を操作できるとは限らないので,
同じ入力に対して異なる結果を得ることがあ
...
る.この場合に,ある量を導入して同じ入力に
対して同じ出力が対応するようにする.このあ
る量を「状態」という. 簡単な例を示す.図2に示す空気タンクから
の空気の放出を考える.外部は大気圧 P0 で一定であるとする.バルブVを
v1 だけ開いたときに流れ出す空気の流量 F は,空気タンクの中の空気の圧
力P1 により異なる.バルブをv1 だけ開くという入力に対して出力である
流量 F は唯一でなく,この入出力関係は整合的でない. このとき,入力であるバルブVの開き方に加えて,タンクの中の空気の
圧力P1 を考えて,バルブを v1 だけ開くとき,タンク内の空気の圧力が p1
- 9 - であれば,流れ出る空気の流量がfであると考えれば,バルブを v1 だけ開
くという入力に対して出力である空気の流量 F は唯一に定まる.すなわち,
入力と出力の対である 2 項組(バルブVの開き方,空気の流量 F)に代えて
3 項組(バルブVの開き方,タンクの中の空気の圧力 P1,空気の流量F)を
考えれば,入力に対して出力は唯一に定まる.このときのP1 がこのシステ
ムの状態である. P1 は,初期状態である最初の圧力と流出した空気の総量により定まる量
であるから空気タンク内部の因果関係にしたがっているが,外からは操作で
きないので空気タンク操作の上では入力とはできない. 空気の圧力P1 が大気圧P0 より高いときには,バルブを v1 だけ開いた
後では空気の流出につれて圧力P1(状態)の値は次第に下がり,それに伴
って流量Fも減少する.流量 F はタンク内の圧力P1 に対応して時々刻々と
唯一に定まって空気の流量の時間的変化を示す流出曲線となる.流出曲線は
最初のタンクの空気の圧力に対応して唯一である.このように状態が変数で
あるとき「状態変数」という. タンク内の圧力P1 が大気圧P0 より低いときには,流量 F はマイナス,
すなわち大気からタンクへの吸い込みがおきるが,同様の経緯により流入曲
線は唯一に定まる.吹き出しと吸い込みとは見かけは相反する事象であるが,
それが状態P1 の値によって矛盾なく定まる.矛盾する因果関係が状態の導
入により整合的な因果関係として成立する. 状態を導入することは,同じ入力に対して異なる出力が対応する前向け
因果性をもたない入出力関係について,異なる出力ごとに異なる入出力関係
があると考えて,ある状況で実現している入出力関係を状態の値が代表して
いる,と見ることができる.状
態が変数であることは,実現し
ている入出力関係が変化してい
ることを意味する. 状態の数が複数の場合がある.
たとえば,2 つの空気タンクがバルブ v2 を介して連結している図3を考え
- 10 - る.バルブVを v1 だけ開いたとき,空気の圧力 p1で定まる流量fで空気
が流出するが,それにより圧力P1 が下がると,P1 とP2 の圧力差により
v2 を介して空気が流れてP1 の圧力の低下が補われる.これにより流量 F
の低下がタンク1つの場合と異なる.したがって,P2 も状態となり,「バ
ルブVをv1だけ開く」という入力に対して,
「P1 およびP2」の二つが状
態になり,出力である流量 F が唯一に定まる.そして,2つの状態P1 とP
2 の間には相互作用がある. 状態は入出力関係を整合的にするために必要な数だけ導入できる.状態
の数がnのとき,それをn次のシステムという.図2は1次のシステムであ
り,図3は2次のシステムである. 状態がもつ意味が直感的に見えない場合がある.水を加熱して暖める状
況を考える.入力としてある熱量を加えたとき,それに対応する出力である
水の温度は,水量と熱を加える前の温度を状態とすれば,加えた熱量に対し
て唯一に定まる,としたいがそれでは済まない状況がある.最初の水温が0
ºC以下のときには,加熱の途中で氷を溶かす潜熱が必要となり,加熱して
も温度が上がらない状況がある.これを整合化するための状態として導入さ
れたのが「エントロピー」という状態量である. 状態という概念は熱力学で最初に導入されたが,現在では整合的でない
因果関係を整合的にするために広く用いられる.状態の導入は物理的な現象
に限らない.入出力関係が整合的でないすべてのシステムについて考えるこ
とができる.状態がもつ意味を考えにくい場合に,仮想的な量として入出力
関係の整合化を図ることもしばしばある. 反証可能性 科学の方法では,モデルが反証不能のとき,すなわち反証する方法が論
理的に存在しないとき,モデルが偽であるかどうか分からない.加えてモデ
ルからの推論結果と整合する実験観測結果は新たなモデルを要求しないの
で,科学の知識を支えはするが知識の増加には寄与しない. これに較べて,モデルの反例となる実験観測結果は,モデルが偽である
ことを示すだけでなく,新たなモデルを要求して科学の進歩に貢献する.こ
- 11 - れらのことから,ポパーは「モデルは反証可能でなければならない」とした. (神の意思の排除) このことは,検証できない神の意思が関わるモデルを作ってはならない
ことを要請する.これが今日に続く科学革命を駆動している. 「神が存在しない」ことは証明できないので,神の存在は検証されてい
るという人がいる.
「存在しない」ことを証明できないのは神だけではない.
われわれの観測範囲が時間空間共に有限であるから,すべてのことについて
「存在しない」ことは証明できない.犯罪における「不在証明」は,一つの
物体が同時に2カ所に存在できないという原理を使って,他の場所に「存在
している」ことを証明することにより,犯罪現場に「存在しない」ことを証
明している. (目的論の排除) 反証可能であるためには,モデルを「○○のために,XXとなる」という
目的を原因として事象を説明する目的論を使えない.テレビの動物番組など
で,動物のオスがメスを巡って争うことを「自分の子孫を残そうとして・・・」
と,争う目的で説明することがある.しかし,動物のオスが「子孫を残そう
として」争っていることは検証できない.本能的欲求にしたがってメスと交
尾するために争っているのかもしれない. 交尾への本能的欲求もまた,子孫を残すために存在していることは検証
できない.交尾争いに勝ったオスの遺伝子は次世代により多く残るので,世
代交替が進めば争ってでもメスと交尾しようとする形質を与える遺伝子群
が卓越してオス同士が争うようになった,とも考えられる.動物の子育ても
同様である.親が子孫繁栄のために子育てに努力していることは検証できな
い.子育てに努力する親の子供は生き残る確率が高いので,子育てに努力す
るという形質が世代を経て卓越してきたとも考えられる. 目的を原因とするのは,モデルを作る人間の思いをモデルに投影してい
ることである.このモデルは,目的が検証できないこととあわせて,客観的
モデルではない.モデル作成者の思いがこもった主観的モデルであり,宗教
の教義と異なるところはない.さらに言えば,事象は人間が思うようにある
- 12 - という思い上がったモデルでもある. 目的論に基づくモデルは,ほかにも科学のモデルに適さない性質をもつ.
科学の探究に終わりはない.あるレベルでの目的が検証できたとしても,次
にその目的を作り出す上位の目的を追求する.これが繰り返されて遂には超
越者の意思に至って検証不能になる. さらに,
「目的」を原因とする因果関係の結果である「手段」は一般に複
数ある.これによりモデルの整合性が保証されない. 目的論を排除することは,モデルが客観的であるための必要条件である. まとめ 自然科学が整合的な知識を集積できる必要条件は, (1)対象世界が整合性をもち矛盾を含まない世界であること, (2)モデルを反証可能とするために,神と目的論を排除すること, の二つである. (1)を支えるのは,自然は整合性をもち矛盾を含まない存在であるという
大仮説が偽でないことである.その意味で,自然科学は対象とする自然の性
質に整合した,あるいは自然が整合性をもつことを前提に,科学の方法を作
り上げたといえる. (2)は対象の性質ではなく,科学者のモデルの作り方の問題である.神の
排除については,科学革命という意識変革がすでに為されている.目的論の
排除については,自然科学においては意識変革が済んでいるが,人と社会を
対象とするときには必ずしもそうではないようである. - 13 - 2.人と社会に科学の方法で接近する 人と社会の事象は整合的でない 人と社会の事象そのままでは科学の方法を適用できない.人と社会を眺
めればすぐ分かるように整合性がないからである.人が異なれば,同じ状況
(原因)において異なる行動(結果)を採る.同じ株式市況の下で,A氏はあ
る企業の株を売り,B氏はその企業の株を買う.その整合性のなさが株式市
場を成立させている.かつて,株の売買を出力する同じソフトウエアが多く
の証券会社に導入され,株の値動きが大変に荒れたことがある. 経済行動だけではない.多くの事柄について,同じ状況の下で人により
異なる行動を採る.すべての人が「同じ原因に対して同じ結果が対応する」
という整合的な因果関係は見られない.生物種の個体として限界的な事象で
ある生き残りの判断においてさえ,Aさんは生き残りBさんは自殺する. 人の間で異なるだけではない.同じ人であっても同じ状況で同じ行動を
採るとは限らない.時期が違えば同じ状況で違う行動を採る.さらには,頭
の中に矛盾する幾つかの意識が共存してどれを採るかを悩むことが多い.
他方において,他の動物種の行動は動物行動学が整合的な知識を積み上
げられるほどに整合的である.このことは,人と他の生物種の間に個体がも
つ入出力関係の在り方に違いがあることを示す.
シンボル言語が人と社会の整合性を失わせる 人を他の生物種から分けるものは言語であるとされる.しかし,他の生
物種にも言語をもつものが多い.求愛やテリトリーを主張する言語を,鳥を
始め多くの生物種がもっている.それにも拘わらず,これらの生物種の行動
は整合的であり,人と社会が整合的でないのは人の言語が他の生物種の言語
とこの点で異なる性質をもつからに相違ない. 人の言語と他の生物種の言語とが異なるところは論理学者 C.S.パースの
言語の区分(内田,1968)に明らかである.ここでは「言語とは,記号とそれ
が参照する事象とを対応させる記号体系」と定義されている. 記号と参照事象との対応には 3 つのレベルがある.第一のレベルは,記
- 14 - 号と参照事象との間に形の類似があるアイコンである.キリスト正教では神
の形をかたどったイコンを用い,近年では計算機と人との界面に多い. 第二のレベルは,記号と参照事象との間に相関があるインデクスである.
ここでの相関は,量的な相関に限らず質的な相関を含む.パブロフがイヌに
餌を与える前にベルを鳴らすことを繰り返すうちに,イヌは餌とベルの音と
の相関を認識してベルの音だけで唾液が出るようになったという. 第三のレベルは,記号と参照事象との対応が約束で定まるシンボルであ
る.イヌという記号は実在する犬と形の類似性も相関もない.イヌと犬を結
びつけているのは約束である.人の言語はこの第三のレベルにある. シンボル言語は,参照する事象との間に形の類似も相関も必要でないの
で,シンボルの集まりをまたシンボルで参照する約束を階層的に作れる.辞
書はその約束の集りの例である.さらに,類似も相関も必要ないので実在し
ないことを参照できる.リンゴという記号は実在するリンゴを参照すると共
に,絵に書いたリンゴ,さらにはリンゴという概念を参照できる. シンボル言語の記号体系を制約するものは約束だけであり,言語が作る
世界には実在世界がもつ整合性は反映されない.
「この矛はどんな盾でも突
き破れる」と「この盾はどんな矛でも突き破れない」は,両方とも正しい記
号列である.どちらが実在を参照しているかは,その矛でその盾を突いて実
在からの検証を受けて始めて定まる. シンボル言語が作る言語世界は整合性のない世界である.人はシンボル
言語を用いて思考し,それに基づいて行動する.これにより社会は整合的で
なく矛盾を含む存在となる.人は,社会での矛盾の発生を抑止し,さらには
発生した矛盾を解消するために,法令や契約などの約束を定めて社会の統合
を維持している.この約束も言語で書かれている.法令については,条文の
集まりの整合性を保つ仕事を立法府と行政府とにある法制局が行っている
が,法令がない事項,あってもその解釈の違いにより,さらには法令を無視
することにより人の行動の間に矛盾が生まれ,社会は整合性を失う. 科学の方法は整合性のない世界では成立しない.ここに人と社会を対象
に科学の方法を適用する上での難しさがある. - 15 - (情報システム) ヒトの身体という物理的法則に従う整合的な存在の上に,シンボル言語
という整合性のない存在が載っているのは人だけではない.人と同様の整合
性の乖離をもつ人工システムがある.情報システムのハードウエアである計
算機と通信機器は,ヒトの身体と同様に,物理法則を基盤に構築されている.
そこに整合性がなければハードウエアは動かない. ハードウエアの上に構築されるソフトウエアはシンボル言語で書かれて
いる.シンボル言語が作る世界は整合性がなく実在からの制約がない.プロ
グラムとして正しければ機能する.これによりウイルスをはじめ悪意ある多
くのソフトウエアが仕組まれるようになり,社会に大きな損失を与えている. 人と社会の事象の整合化 人と社会を整合化する途を考える.整合性が失われるのは,法則が時間
的に変化するとき,確率事象であるとき,およびシステムに外からは操作で
きない内部の因果関係が存在するときである. 自然については,物理法則は過去数十億年に亘って不変であることが確
認され,確率事象については確率測度を導入し,内部因果関係の存在に対し
ては状態を導入して整合性を保持してきた.人と社会についてはどうすれば
よいか. (時間的変化への追従) 物理法則は過去数十億年に亘って変化しないことが確認されているが,
人と社会の事象についての見かけの法則は速い速度で変化する.これに対処
する一つの方法として,過去のデータから時間的変化を表すモデルを作り,
将来を予測する時系列分析という方法が考えられる.しかし,これは事象を
整合化してはいない.時間的変化だけを変化と考えて予測するモデルであり,
因果関係の変化を表してはいない.このモデルは過去との連続性が前提にあ
り,将来も過去と同様に変化すると考える素朴なモデルであり,経済バブル
のような過去と断絶した変化を表現できないという限界がある. (確率測度の導入) 人と社会の事象に確率測度を導入して整合化を図る上で 2 つの問題があ
- 16 - る.一つはデータ量が少なく母集団が不均質なことであり,もう一つは因果
関係を観測するために対象に加える入力が対象がもつ因果関係を変えるこ
とである. データ量の問題は,確率測度が無限回の試行が漸近する量である確率を
基数とすることから生まれる.サイコロを例に採れば,無限回投げたときに
それぞれの目が出る割合が投げた回数の 1/6 に漸近することが確率測度の
基盤となっている.このことは,有限回の試行で効率よく統計量を推定しよ
うとするベイズ統計でも事情は同じである.その背後に無限回の試行が漸近
すると考える基数がある. 人と社会の事象に確率測度を導入するとき,自然界における量子,原子,
分子などの数に較べて人口はきわめて少ない.加えて,人々の性質は均一で
はなく一人ひとり異なっており母集団が均質でない.人と社会の事象への確
率測度の導入には母集団の大きさとデータの不均質性の問題がつきまとう. 少数のデータしか採れないという問題は,自然科学においても農事試験
とか医療における治験のような分野にある.それに対処する各種の統計的な
方法が考案されている.平均や分散のような統計量を少数のデータから必要
とする信頼限界で推定する方法があり,異なる母集団の間の統計量の違いに
意味があるかどうかを調べる検定の方法がある.さらには,目的とする信頼
限界をもつ推定や検定を少数のデータから効果的に行うための実験計画法
が開発されている.これらは人と社会の事象についても使われている. もう一つの対象への入力が対象のもつ因果関係を変える問題は,自然科
学にも量子における状態の不確定性として存在する.しかし,量子状態はマ
クロな場面にはほとんど現れないので,この問題が実効的な法則に現れるこ
とは稀である. これに対して,人と社会の事象にはこの問題がつきまとう.たとえば,
世論調査のような観測においては,設問が実質的に回答者の意見を誘導ある
いは拘束する.設問で掲げた事由のうち,答える人が自分の考えに最も近い
理由を選ぶ以外にない.この問題は,人と社会の事象では対象を刺激する観
測は許されないと考えて観察に徹する以外に逃れられない. - 17 - (状態概念の導入) 状態の導入による整合化を人と社会の事象について行うとき,そのまま
では,人の行動の整合性を保つに必要な状態の数が膨大になる.状態の数を
見積る.人の脳に発現する遺伝子の数は 1 万 4 千程度であり,それがもたら
す脳の構造の違い方は組み合わせの数として膨大になる.人は外界からの入
力を脳により処理し行動として外界に出力するとすれば,脳の状態の数が入
出力関係の状態の数になる.脳の物理的状態は脳細胞の状態とシナプス結合
の強度であり,その数は膨大である.脳細胞は千億個,それを結合するシナ
14
プスの数はその数千倍とされているので,状態変数の数は 10 に達する. 加えて,外界からの刺激と脳の意識的無意識的な活動によりシナプス強
度と各細胞の状態は数ミリ秒の単位で変化する.これらの超大規模で急速に
変化する状態を測定することは,当分の間は不可能である. 仮にすべての状態変数の値が測定できるとして次の障害がある.脳神経
回路は大規模な複雑系である.複雑系はある時点での状態の微小な変化がそ
の後に大きく拡大して予測を不可能とする.加えて突発的な事象が起きる.
すなわち,脳の状態を把握できるとしても,それを用いて整合性を維持でき
る時間はたかだか1秒以下となる.これでは整合性が保持されている時間内
に脳の入出力関係を同定できない. この障害も克服できたとして,第三の倫理的問題が立ちふさがる.ある
人の脳の状態が把握され,それを用いて脳の入出力関係が分るとする.この
ことは,その人の脳の働きが解明され頭の中が透明になることを意味する.
被験者として応募する奇特な人を別にして大多数の人はこれを拒否するで
あろう.大多数の人が拒否すれば現代社会においては法令がそれを許さない. (状態縮約) 状態の数は縮約できる.以上に述べたことを自然科学で言えば,ある事
象の性質を知るには,その事象に関与するすべての量子の状態を知らなけれ
ばならないというに等しい.適切な状態の縮約を行えば,取り扱い可能な少
ない数の状態で必要十分な精度で因果関係を整合的にできる. 自然科学ではニュートン力学,気体の状態方程式,オームの法則など,
- 18 - 実効的な法則といわれるものがこれであり,多数の量子の状態を少ない数の
状態に縮約して法則を書き出している.この状態の縮約を人と社会について
行うことを考える. 脳の入出力関係が,個々のシナプス強度を状態として,その変化に対応
して変わってはいない.変わっているとすれば,人の意識は支離滅裂になる.
人の意識が思考の速さの程度にゆっくりと変化することは,大数の法則に代
わる何らかの情報統合の仕組みがあることを示している. 脳神経細胞は,他の脳神経細胞からの入力に対してある種の統計量を計
算している.一つの脳神経細胞には数千から1万のシナプス入力があるが,
その脳神経細胞に活動電位が生じるのはシナプスからの入力の総和が閾値
を超えたときである.これは,シナプス強度を重みとしてシナプス前細胞の
活動電位の重み付き平均値が閾値を超えることを意味する.個々のシナプス
前細胞とシナプスの変化に反応してはいない.ここに状態を数千から数万の
分の1に減らせる縮約がある. 脳の神経細胞において,外界との入出力関係を処理する細胞はごく一部
であり,大部分は身体の生理的状態を適正に制御するために使われている. 生理的状態を制御する部分はシンボル言語が関与しないので整合的である.
外界との入出力関係に関わる脳神経細胞のうち,外界との特定の入出力を処
理する細胞の数はそのごく一部である.これは特定の処理を行う脳の部位を
脳科学的測定で同定できることから明らかである. その特定部位の脳神経細胞の状態の全てを知る必要はない.その機能部
位は脳神経細胞を要素とするシステムであるから,システムの出力を与える
マクロな状態が分かればよい.加えて,脳はこれらの機能部位が要素として
結合し,各部位の活動の間の相互作用により,入出力関係の処理が行われる.
これは変化する状態の間に相互作用があるシステムとして定式化できる. 脳神経細胞における活動電位の発生の機構,外界との入出力関係を定め
る細胞の割合,脳神経回路のシステム階層を考慮すれば,特定の入出力関係
に関わる状態変数はそれほど大きな数ではない. このことは別の面からも支持される.社会では,あの人は信頼できる/
- 19 - 信頼できない,金に淡泊である/ガリガリ亡者である,など数少ない評価軸
を用いて,それに基づいてその人の行動を予測している.これで大きくは誤
らない.これは上に述べた状態縮約を実効的に使っていることを意味する.
これと同様の状態縮約を科学で用いればよい.8 章に示すように,1 個の状
態を用いるだけでも社会事象をかなりの程度に説明することができる. 目的論の排除:反証可能性 科学の知識であるモデルは反証可能でなければならない.反証できない
モデルは偽であることを検証できず客観的知識にならない.これに対して,
人と社会の事象についてモデルを立てるときには目的論を使いたくなる. これは,人は自らを省みて人の行動は目的をもつと信じるからであろう.
しかし,たとえば経済行動においてもすべての人が利益最大を追求してはい
ない.生きるに十分でよいとする社会があり,GNH (国民総幸福量) を掲げ
る社会もある.最大利益の追求は生きるための必要条件ではなく行動様式の
一つである. この覚書では,人と社会の事象に整合性を見出す途を探って,人と社会
に科学の方法を適用することを考えている.整合性を見出せるとき,人と社
会の事象についても目的論を排除してモデルを作ることができる. 人の行動は他の人との相互作用の下で決まる,とするモデルがその例で
...
ある.希望する学校に合格するために受験勉強するのではなく,定員以上の
..
人が同じ学校への入学を目指すので競争になり受験勉強をするというモデ
ルである.競争の有無とそのレベルは検証可能である. 相互作用モデルは,宇宙に存在する事象についての普遍的なモデルでも
あることから,人と社会に科学の方法を適用するときの手掛かりの一つとな
る.それを示すには若干の準備を必要とするので 4 章以降に示す. 変化する状態の間の相互作用 人の集まりが見せる社会現象については,人と人とが相互作用する,す
なわち一人ひとりの入出力関係を代表する状態が相互作用する,と考えれば
モデル化できる.経済行為でいえば,金に淡泊な状態1の人からガリガリ亡
- 20 - 者の状態 100 の人にいたる異なる状態が相互作用するシステムとして経済
行為をモデル化すればよい.このモデルは,人による入出力関係の違いを状
態で表して整合化を図っているので,検証に耐えるモデルとなる. このモデルをさらにシステム化して,ある事象を表すこの形のモデルが
他の事象を表すこの形のモデルと相互作用するとして,社会全体の動きをモ
デル化することができる.この形のモデルは,変化する状態が相互作用する
モデルとして,自然科学でしばしば使われる馴染み深いモデルである. 人の入出力関係を代表する状態を導入して人の行動を表すモデル化する
ことで,自然現象から社会現象に亘る領域を切れ目なく覆うことができる. まとめ 縮約した状態を導入して取り扱えるのは,人と社会の深層にある事象で
あって,何らかの普遍な原理が存在する領域である.流行のような,表層に
あって変化が早い事象については,その変化に追随する表層的モデルを作る
以外にない.その知識が集積して深層にある普遍的な原理を見出せれば普遍
的なモデルを作ることができる.これは自然科学の発展と同じ構造である. 気象の数値予報モデルでは寄せては返す一つ一つの波の高さという表層
的現象は予想できない.それに代えてマクロな気象状況を予測する.同様に,
人と社会について作るモデルは個別の人と社会の挙動を予測することはで
きない.代わって人と社会が普遍にもつマクロな性質を予測する. ニュートン力学では日食月食などを正確に予測できるのに対して,気象
モデルでは一つ一つの波の高さを予測できないのは,多数の要素が相互作用
するシステムは複雑系になり,将来を予測できない複雑な動きをするためで
ある(ロレンツ,1997). 普遍的な法則を抽出して実効的なモデルを作るには,千差万別な多様性
をもつ人と社会の事象の背後に,基本的な法則が支配する普遍的な原理があ
る領域を探る必要がある. この領域を次の章で探索する. - 21 - 3.人と社会に普遍を求める —多様性の背後にある普遍性— ヒトの文化は他の動物種の文化と著しく異なる.加えて,社会により,
地域により,その中の組織集団によっても異なる.これらの文化の多様性そ
のままでは,2章に述べた方法による接近は難しい.多様性の背後にある普
遍を見出す必要がある. この探索はなかなか難しい.普遍性を生物種ヒトの身体生理に求めれば
自然の整合性に依存できて容易であるが,これは「はじめに」で述べたよう
にウィルソンが 「共躍」で行ったことであり,ヒトとその集まりについて
の普遍性であって,シンボル言語をもつ人の社会にある普遍性ではない. シンボル言語 人の言語は多様である.大分類の言語族を見てもインド・ヨーロッパ言語
族をはじめとして三十以上あり,言語の数は 7 千以上に上るとされる. これに対して他の生物種の言語は限られている.イヌ語は翻訳器バウリ
ンガルを作れるほどに万国共通である.ニワトリはどこでもコケコッコウと
鳴く.日本語でコケコッコウ,英語で cock-a-doodle-doo というのはニワト
リ語の違いではない.擬音の違いである. 人の言語の多様性は,それがシンボル言語であることに起因する.記号
と参照対象の間に相似とか相関を求めれば,関係の数が限られているので言
語の数は限定される.それに対して記号と参照対象との対応が約束であれば,
異なる約束の仕方の数だけ異なる言語を作れる.その数は組み合わせの数で
あり無限といえる.人の言語が多種多様で社会,地域,集団により異なる原
因がここにある. この多様性の下で人の言語に見出せる普遍性は,人の言語がすべてシン
ボル言語であることにある.現在までのところ,幼児語を除いてシンボル言
語でない言語をもつ社会は見つかっていない.さらにシンボル言語をもつ他
の生物種も見つかっていない.霊長類の幼児を訓練して,シンボルと参照す
- 22 - る対象との関係を認識させることに成功した例はあるが,このときのシンボ
ルと参照する対象との間の約束は人が与えたもので,霊長類の集団が自律的
に作り出したものではない.すべての人と社会がもつ言語がシンボル言語で
あるという普遍性は,ヒトとそれ以外の生物種を分けている. 人の社会のすべてがシンボル言語をもつ経緯は幾つかあり得る. (1)(単一起源)現生人類がアフリカを旅立つ以前においてシンボル言語を
使い始めており,世界に放散したのちもシンボル言語を維持してきた. (2)(自然選択)シンボル言語でない言語をもつ社会が存在したが,その社
会はヒトの進化の過程でシンボル言語をもつ集団に負けて姿を消した. (3)
(並立発生)すべての社会において多発的にシンボル言語が生まれた. いずれの考え方を採るにしても,シンボル言語が他の言語に対して,優
れてヒトの生き残りに役だったことを示す.このシンボル言語を人はどのよ
うに作り出したのか考えなければならない. システム化 人の営みは個別ではなくシステムを構成する. シンボル言語はシンボルの並びをシンボルで表現するというシンボル操
作により,階層的に構成されるシステムである. 道具を作る技術もシステム化している.考古学は技術のシステム化が旧
石器時代後期に始まることを教える.旧石器時代前期では,破砕という単一
技術で作る石の破片の中から道具として役立つ破片を選んでいたが,旧石器
時代後期には石器を作るために破砕,成形および研磨という技術を組み合わ
せていた. 穴を開けた貝にひもを通すという技術の組み合わせで作られる装身具が
アフリカに現れたのは 13 万年以前という(オッペンハイマー.2003).槍や
弓矢などの狩猟用具や武器も技術を組み合わせて作っていた. ハードな道具だけではない.タブーなどの約束ごとで集団を統合するソ
フトな技術も多くのタブーを組み合わせて構成していた. - 23 - ハードとソフトにかかわらず,技術はすべて自律的にシステム化してい
る.これが多様なシステム化の背後にある普遍性である.これが人と他の生
物を分けることは,他の生物がもつ技術とを比較すれば明らかである. 霊長類には,小枝から葉を取り払って棒を作り蟻塚からアリを引き出す
道具を作る種がある.カレドニアカラスは,葉の向きを考慮して葉の一部を
切り取りカミキリムシの幼虫をおびき出す道具を作る.しかし,これらの動
物は技術を個別のままにとどめ,技術を組み合わせることはない. 技術を組み合わせることは,ある技術で作ったものを他の技術で作った
ものと組み合わせて人工システムを作ることにつながる.今日では,ロケッ
トのように主要部品だけで 20 万以上からなる人工物が作られ,数十万の条
文からなる法体系により社会を統合する法システムがある. これらのことは同時に,部分の組み合わせが人と組織の活動の組み合わ
せにつながり社会をシステム化する. システム化における普遍は,システム化すること自体にある.そしてシ
ステム化はヒトとヒト以外の生物を分けている. 神概念の存在 すべての人の社会に普遍なものに神の存在がある.神の在り方は様々で
.....
ある.神の数だけを見ても,日本のようにヤオヨロズ(八百万)の社会があ
れば,イースター島の住民社会のように,各人が自前の神をもち人口の数と
神の数が等しい社会がある.そして神が唯一である一神教の社会がある. 神の役割もまた様々である.日本社会のように神のご利益を期待して祈
る社会があれば,イースター島の住民のように自前の神の強さを紛争の解決
に使う社会もある(ヘイエルダール,1985).そして唯一神が人々に一律に行
動規範を課す社会もある. 科学が自然科学的な世界観を与える以前において,神は人々に世界観を
与えていた.自然科学的な世界観が生まれてからも,それが覆わない世界は
依然として神が支配する世界である.神の性格と教えの違いにより世界観が
- 24 - 異なり,それが社会の構成員の意識と行動様式を社会により異なるものとす
る.この違いが社会の間で紛争を生むことは「文明の衝突(ハンチントン,
1996)」が指摘するところである.日本社会とキリスト教社会の行動様式の
違いは,これにより説明できる(市川 2007). 神の存在についての普遍性は,神の態様がこれほど多様であるにしろ,
すべての社会が神をもつことにある.社会全体として神を否定した共産主義
社会では,共産党政権さらには書記長のいうところが絶対的真理となり神に
代わった.旧ソ連の体制崩壊後に直ちにロシア正教が復活したことは,人と
社会が神なしではいられないことを示している. 神の存在がヒトとそれ以外の生物を分けるかどうかの確証はない.神は
基本的に意識の中にだけ存在して考古学的な記録を残さず,現在においても
明示的に観測する方法がないからである.神を信じていた証拠とされるネア
ンデルタール人が死者を葬った周辺に花を飾った痕跡は,神を信じていたの
か,死霊を信じていたのか,あるいは供養をしていたのか定かでない. 人の脳の側頭葉のある部位を磁気刺激すると神を感じるという (ラマチ
ャンドラン,1998).また,京都大学霊長類研究所の研究者はヒトとチンパ
ンジーの脳の成長に共通点を見いだしたという.とすれば脳の構造と機能が
ヒトに似ている霊長類について,脳の対応する部位を磁気刺激して人が神を
感じるときに似た反応が脳に生まれるかどうかを調べれば,霊長類が神の意
識をもつかどうかを判定できるかもしれない.まだ研究はないようである. 神がすべての社会になぜ存在するのか.言語と同様に,単一起源,自然
選択,および並立発生のいずれの立場に立つにしても,神の存在が人の生き
残りに有効であったことを推測させる.神はどのようにして生まれ,人の生
き残りにどんな効果をもつのか. 普遍を説明するモデル (誕生のモデル化) 以上に見出されたシンボル言語,システム化,そして神の存在という人
- 25 - の社会に共通する普遍は,自然が作り出したものではなく,ヒトが人に至る
過程で創り出した事象であり,現在の人と社会の活動の基盤となっている事
象である.この事象のモデルを作ることは,これらの事象の誕生をモデル化
することを要求する. 事象の誕生をモデル化することは難しい.まずモデルを作る基盤となる
データが欠けている.考古学資料は物的なものに限られる.シンボル言語と
神の存在のいずれも,物的な資料を間接的にしか残さない. モデルの検証にも困難がある.誕生は 1 回限りで繰り返しがないので観
測では検証できない.モデルが示す誕生の過程を実験するほかない.実験に
よる検証には多くの困難が伴う.現在の実験環境が誕生したときと異なる可
能性があり,モデルが偽でないとしても誕生に成功するとは限らない.対象
が複雑系であって,微小な違いが拡大して誕生に至る場合には,実験条件の
設定ができるとは限らない. (モデルが満たすべき条件) モデルを検証できないとき,モデルを作る過程を信頼できるものとする
ほかない.このときモデルを好き勝手に作っては信頼されない.モデルが満
たすべき条件を設定して,モデルの正しさの根拠を明らかにする必要がある. 条件の第一は,モデルが,事象の誕生から今日に至る時間的な広がりを
覆い,かつ社会の違いを超えてすべての社会を覆うことが必要である.文化
の多様性と普遍性はいずれも生物種ヒトが作り出したので,これらを一つの
モデルで表現する必要がある.対象ごとに,場所ごとに,そして時期ごとに
異なるモデルを作ってはご都合主義に陥り信頼性を欠く. 第二は,科学のモデルとして正統なことである.検証可能であることは
科学のモデルの必要条件である.そのために目的論を排除する必要がある.
より豊かな生活を求めて,あるいは知的好奇心を満たすために,などの目的
を掲げるモデルは科学のモデルとして正統でない. 第三に,普遍に存在することを説明するモデルが,同時に多様性が生れ
- 26 - ることを説明できる必要がある.さもないと,発生のモデルと発展のモデル
とを別途に作ることになりご都合主義に陥る. 以上の条件を満たし,これまでの知見を基礎にして信頼できるモデルを
作るには,これらの幾つかの普遍性の背後にある原理を求める必要がある.
自然科学の方法の人と社会への適用を図るためには,この原理は自然から人
と社会までを覆うものであって欲しい.シンボル言語,システム化,そして
神の発生のうち,シンボル言語と神の発生は人の社会に限られる.これに対
して,システム化は自然から人と社会までを普遍に覆う事象である. 以上のことから,システムの誕生は自然科学と人と社会の学問の統合を
図る上で,思考実験のよいフィールドになる. - 27 - 4.「揺らぎと相互作用」がシステムを創る システムは普遍に存在する (システムとは) 「システム(system)」という言葉は,ギリシャ語 systema (syn:一緒に+
histemi:置く)に由来する.対象が部分から構成されると認識するとき,対
象に付ける言葉である.日本古来の言葉では,太陽系とか電力系統に見るよ
うに,「系」または「系統」という. システムの部分を「要素」といい,要素の性質と要素の結びつき方を併
せて「システム構造」という.要素をさらにシステムと認識することを繰り返
すと,システムは下位に向けて階層構造になる.システムをより大きなシス
テムの要素と認識することを繰り返すと,システムは上位に向けて階層構造
になる. 考察の対象としてシステム階層のある範囲を切り出すとき,切り出した
最上位のシステムを「最大システム」と呼び,最大システムを要素として含
むより大きいシステムを「環境」と呼ぶ. 環境のシステム構造は考えない
で,環境からの最大システムへの入力と最大システムからの環境への出力の
間の入出力関係を考える. 切り出した最下位の要素を「最小機能要素」と
..
..
呼ぶ.システム構造を考えないで,それがもつ機能だけを考えるからである. (システム特性の創発とシステムの創発) システムを対象とする研究には二つの主要なテーマがある.一つは,シ
ステム構造とシステムの性質の関係を知ることである.システムには要素に
...
ない性質が発現する.これを「創発特性」という.しきい論理素子を要素と
する大規模なシステムである脳が,要素にない記憶・学習などの性質をもつ
こと,4 種の塩基が二重螺旋構造をとる DNA が修復と複製の能力をもつこと
は創発特性の例である. このテーマは2つに分かれる.一つはシステム構造からシステムの創発
特性を知ることで「システム科学」と呼ばれる.他の一つはこの逆に望まし
- 28 - いシステムの性質を定めたとき,それを創発するシステム構造を与えること
で「システム工学」と呼ばれる. もう一つの主要な研究テーマはシステムが自律的に形成される過程を明
らかにすることである.システムの自律的な形成を「システム創発」という. 物理的なシステムは,素粒子を最小機能要素として,クォークを要素と
する陽子と中性子からなる原子核,その周りを電子が存在する原子,原子が
結合した分子,・・・と宇宙全体に至るまで普遍に存在する.神が宇宙を作
ったことを信じなければ,物理的なシステムが宇宙に普遍に存在することは,
これらが宇宙の中で創発したことを意味する. ヒトも自然の一部であるので人工のシステムも自然が作ったと言えるが,
人が作る人工システムをわきに置いて,自然にあるシステムの創発を考える.
人工システムにも創発としか考えられない面があることは後に示す. (物質世界) 前述のように,物質世界はすべてシステム構造の中にある.現在のとこ
ろの最小機能要素は素粒子である.素粒子には力を媒介するボーズ統計にし
たがう素粒子「ボソン」4種と,物質を構成するフェルミ統計にしたがう「フ
ェルミオン」10 種がある.これらを最小機能要素として,陽子,中性子,
原子核,原子,分子・・・から物質世界全体に亘る壮大なシステム階層を作
り上げ,宇宙を構成している. この物理像は,暗黒物質,暗黒エネルギーの存在が視野に入ってきたの
で,近い将来に大きく変わることになろう.すでに天の川銀河の形には暗黒
物質の存在を考えると説明できる特徴があるとの説がある(ブリッツ,2012). そうなっても,物質世界がシステムを構成していることに変わりはない. (生物世界) 地球には精緻なシステムである生物の個体があり,生物の個体が要素と
なって構成される生態系がある. - 29 - 生物は分子から構成され物理法則の下にある.その意味で物質世界に含
まれるが,生物に許される状態の範囲は物質世界よりも非常に狭い.生物が
死ぬことは,物質世界で見れば生物を構成する元素が物理法則の下での宇宙
への回帰であるが,生物の個体にとっては消滅という決定的な事象である. 加えて,生物は最初に DNA か RNA かあるいはタンパク質かが誕生してか
ら進化を続けて,生物の個体という精緻なシステム階層と,個体が集まり相
互作用する生態系というシステム階層を作り上げている. 進化はわれわれの眼前に起きている事象であり,システム創発が観測で
きる事象である.システム創発の考察において重要な手掛かりとなる. (人の社会) 生物としてのヒトは数多くの生物種の一つに過ぎないが,人の文化を見
ると他の生物種から隔絶した存在である. ヒトは集まって集団というシステムを創り,人の集団は次第に組織化し
て複雑精緻な社会となった.言語というシステムを生み出し,それを用いて
交信し記録し,そして約束ごとを作って社会を維持統合している. 言語を通じて人は複雑精緻な社会システムを作り上げた.これは人工シ
ステムであるが,そうとは言いきれないところがある.システムを創ろうと
する意図がなく,巧まずしてシステムを創っていることが多い.言語は複雑
なシステムであるが,誰もシステムにしようと思って作ってはいない. 社会を多種多様なシステム複合体にしてきた過程に,人の意図が及ばな
いところがある.市場経済システムはその例で,今日では作った人の社会が
制御できない存在である.EU やG20 の首脳が議論しても制御できていない.
市場経済だけではない.インターネットも軍備も同じである.社会はイ
ンターネットに振り回され,軍備拡張競争に為すところなく狂奔している. これらは市場経済システム,インターネット,そして軍備などの諸活動
が示す創発特性である.そこにシステムが創発を考える手掛かりがあると同
時に,システム創発の過程を明らかにすることが,人と社会の性質を理解し
- 30 - 今後を考える上で重要であることを示している. すべては揺らぎから生まれた 自然科学の成功は,宇宙の現在があるためには,原初の宇宙に「揺らぎ」
が存在しなければならないことを教える.もし原初の宇宙が均一であったな
らば今も均一のままである. 科学の方法は対象が整合性をもつとき,すなわち,すべての因果関係が
「同じ原因に対しては同じ結果が対応する」という性質をもつときに成立す
る.自然科学が整合的な知識を集積できてきたという事実は,「自然は整合
性をもつ」という自然科学の大仮説が偽でないことを実証している. 自然が整合性をもつとき,ある時点で全空間が均一であるならば次の時
点でも均一である.宇宙が現在のように在り星々があることは,原初の宇宙
に空間的な揺らぎが存在していたことの現れである. このことは,宇宙での初期の状態において確認されている.相転移によ
り宇宙が誕生した直後,統一された力の下にあった最初期の宇宙は,10−36
秒後に重力とそれ以外の力が分離し,それにより急速な拡大(インフレーシ
ョン)を起こした.現在の宇宙に星々がある上で重要なことは,インフレー
ション後の宇宙に10-5 ℃ 程度の温度の揺らぎが存在したことにある.その
...
揺らぎから出発した変化の集積が宇宙空間の位置により異なる結果もたら
し,星々が生まれる端緒となった.星の中で鉄までの原子が生まれ,超新星
の爆発によりそれ以上の原子番号の原子が生まれた. インフレーション後の宇宙に10-5 ℃ 程度の温度の揺らぎが存在した理
由は,現在の科学の知識からすれば量子の状態の揺らぎにある.量子状態は
分布をもち,その分布は壊れやすく,他の量子と衝突するとある状態に縮退
する.縮退した状態の揺らぎが宇宙の空間的な揺らぎとなった. 地球の立場で見れば,46 億年前に太陽系にあった微惑星が衝突合体して
生まれた地球には,微惑星の集まりに由来する物質と温度の大きな揺らぎが
あり,その後の多様性の種となった. - 31 - 冷却の進行と共に約 2 億年後には液体の水が集積して海が生まれ,海に
より冷やされてできた岩盤としてプレートが形成され,マグマに熔解してい
た気体が放出されて大気が形成されて,海,陸域,大気という地球システムの
原形が形成された. 海が形成されて間もなくその中に生物が誕生し,その急速な増殖は原初
の生命体の材料を枯渇させた.進化によって炭酸同化能力をもつ生物が生ま
れ,大気中の二酸化炭素を分解してその中の炭素を材料に使って,大気中の
二酸化炭素濃度を減少させ,酸素濃度を高めて温和な地球環境を形成した.
大気中の酸素はオゾン層を形成して紫外線を遮って生物の陸上への進出を
可能にした.大気中の高い酸素濃度は鉱物の組成に大きな影響を与えて今日
の鉱物群が生まれたという(ヘイゼン,2010). 最初の生命体が発生して以後に起きた生物の進化は,多階層のシステム
を創発した.ヒトの個体はタンパク質,細胞,組織,器官,そして個体とい
う精緻なシステム階層である.加えて,生物の個体が要素となって生態系と
いう精緻なシステムを創発している. 「揺らぎと選択」が選択の場を構成する 宇宙が,地球が,そして生物が今日の姿であるためには「揺らぎ」に対
する「選択」が必要である.選択がなければランダムな揺らぎのまま,ある
いは減衰消滅して均一になり,いまの姿にならなかった可能性が高い. とすれば,揺らぎを増幅して今日の姿に導く選択の存在が必要となる.
宇宙には外からの選択は存在しない.選択があるとすれば,それは揺らぎで
生まれたものの間の相互作用によるものしかない.その相互作用が揺らぎを
維持し増大させた. システム理論は,そのような選択を実現する相互作用は正のフィードバ
ック結合であることを教える.発信器に見るように,出力を入力がより大き
くなるように入力に戻すことである.これを「揺らぎと選択」の過程で実現
するのは,
「揺らぎと選択で生まれたものが相互作用して選択に加わる機構」
- 32 - である.これを短縮して「揺らぎと相互作用」といおう. 揺らぎと相互作用は,次に示すように生物の進化で実現されている.宇
宙の始まりから辿ってシステム創発のために必然と考えられるこの機能が,
生物進化の機構として実在する,という自然の摂理に驚かされる. 生物の進化が生物の個体というシステムと生態系というシステムを創発
したことは実証済みである.生物の進化をこの観点から見る必要がある. 生物の進化を拡張する 進化という概念はダーウィン以前からあったが,変異と自然選択という
検証可能な形で捉えたのはダーウィンの進化論であるので,これを出発点に
する.ダーウィンの本(ダーウィン,1859)は,「On the Origin of Species by means of Natural Selection or the Preservation of favoured Races in the Struggle for Life」という題名に見るように,新たな生物種の起源を
説明することを意図していた.新たな生物種の誕生の多くは,生物種の個体
のシステム構造を複雑にすることであり,それを通じて生態系に新たな要素
を付け加えることから,システム創発の一部である. 生物の進化は,現在では生物の分子構造の変化の過程として明らかにさ
れつつある.しかし,生物の分子構造の変化に限定すれば,生物の進化に留
まる.生物以外のシステム創発のモデルとするために,分子構造を離れて生
物の進化が実現している機能に着目する.ダーウィンの言葉を借りれば,
「変
異と自然選択」に戻って,それが実現している機能を見る. 変異は遺伝型の分子構造に偶然の変化が起き,それが表現型にまで発生
できるときに起きる.これが 1968 年に木村資生が発表した分子進化の中立
説(木村,1968)であり,検証を経て現在では定説となっている. 遺伝型の分子構造の変化はランダムに起きる揺らぎである.変化した遺
伝型が表現型に発生ができることは,揺らぎに対する一種の選択であるが,
表現型の形質の変異という視点で見れば,分子構造の揺らぎと表現型になれ
るという選択を一括して,形質の揺らぎと見ることができる.
- 33 - 現在では,分子構造のランダムな揺らぎに加えて人為的な遺伝子の改変
がある.この改変は進化の方向に影響を与えるが進化それ自体を止めるもの
ではない.よって遺伝型の揺らぎがランダムであることは,生物進化の必要
条件ではない.揺らぎがランダムであることは,その後の選択肢の幅を広げ
て,広範な環境の変化に対して適応できることに役だっているだけである.
自然選択という呼び名は,ダーウィンが育種に見られる人為選択にあた
る選択が自然に存在するとして名付けた.ダーウィンは種の起源から人為選
択を排除したが,自然選択は生態系の中に起きる生物の個体の間の競争,協
力,共生,被食/捕食などの相互作用である.ヒトも生物種の一つで生態系
のメンバーであるから,人為選択も生態系の中にある相互作用の一つであり
選択から除外する必要はない.
自然選択では,生態系の中での生物種の個体の相互作用に加えて,その
生態系が棲む場所の自然環境も選択に加わる.自然環境の相違により生態系
が異なることから分かる.しかし,自然環境の異なる地域にそれぞれに適応
した生態系が生まれることは,自然環境が進化の必要条件ではなく,進化の
環境を与えていること示している.
以上をまとめて,進化が起きる必要条件としての自然選択は,個体の間
の相互作用だけと考えてよい.
生物の進化を見れば「揺らぎと選択」により生まれた新たな生物種の個
体が,生態系に加わって相互作用に参加し選択に加わっている.このことは,
「揺らぎと選択」の結果が選択の場に加わり「揺らぎと選択」に戻るフィー
ドバックループを構成している.このフィードバックが生物種の多様性につ
いて正のフィードバックを構成することは次のように確認できる. 変異の頻度は生物種の数に比例するので「揺らぎと選択」により生物種
が増えると変異の性質と頻度が増加する.相互作用の数は生物種の数の組合
せの数として増加するから,変異した生物種の個体が生態系の要素に加わる
とき選択がより多様になる.選択が多様になることは選択が偏らないこと,
- 34 - すなわち生き残る生物種が多様になることにつながる. 以上の考察の結論として,生物の進化は「揺らぎと選択」で生まれたも
のが相互作用に参加する機構,すなわち「揺らぎと相互作用」を機能として
実現する機構の一つと考えてよい. これは生物以外に拡張できる.拡張にあたって,進化を「揺らぎと相互
作用」として一般化するために用語を変える.生物の「形質」に変えて「状
態」と呼ぶ.すでに述べたように,状態を導入して入出力関係の整合化に役
立てる含みがある.「変異」に変えて「状態変化」という. 生物では変異は複製の際に起きるので「複製子」という表現をするが,
「揺らぎと相互作用」における状態の変化は複製のときに限らないので「複
製」に変えて「変成」といおう. 「変成」は複製,状態変化および消滅を併せた変化をいう.変成するも
のがシステムであるとき「変成体」といい,その最小機能要素を「変成子」
といおう.変成体および変成子の間には相互作用という結合があるので変成
体および変成子の集まりはシステムである.これを「進化システム」という. 以上に定義した言葉を用いて,生物以外に拡張した進化は次の機能をも
つ過程として定義できる.これを「進化の機能表現」といおう. 機能(1)(揺らぎ:変成体および変成子の存在)変成の機会をもつ「変成体」
が存在する.変成体がシステムであるときその最小機能要素を変成子と
いう.なお,変成子または変成体の正味の複製率は1以上とする. 機能(2)(選択:変成体の間の相互作用)変成体および変成子の間には,変
成の頻度に関わる相互作用が存在する. ここで,機能(1)の後半の「正味の複製率が1以上である」という要件
は,自然消滅する変成体は進化システムに存在していないことを受けている. 変成体に対する他の変成体からの相互作用の強さの総和を「選択圧」と
いう.選択圧が変成体の複製の頻度を上げるとき促進的,下げるとき抑制的
- 35 - という.抑制的な選択圧は「淘汰圧」ともいう.淘汰圧の下で変成して淘汰
圧の影響を緩和することを,その淘汰圧に「適応する」という. 念のためにいえば,変成体Aが他の変成体Bを選択することは,Aが能
動的に選択してBの複製に関わることを意味しない.生物における捕食/被
食関係に見るように,被食される生物は能動的に捕食生物を選択してはいな
いが,その存在が捕食生物の複製に促進的に貢献している. 念のために言えば,進化の機能表現は目的論には立っていない.システ
ムが創発される過程を記述しており,最初に存在する変成体の存在も,その
後の相互作用に基づく選択も検証可能である. なお,「揺らぎと相互作用」は「進化の機能表現」と等価である.「進
化」と「揺らぎと相互作用」は区別せずに用いる. 進化は自律的に始まった システムは進化により創発された.とすれば,進化はどうして生まれた
かを言わない限り言い換えに過ぎない.進化は他の事象に依存することなく
自律的に始まった.現在の生物から進化の機能を取り除けばわかる. 生物学は,生物を 4 つの機能をもつ存在として定義している.(1)膜によ
り他から区別される細胞から成る,
(2)新陳代謝によりエントロピーの増加
を防ぎ自己を維持する,
(3)何らかの方法で自己を複製する,
(4)形質を変
異させる進化の機能をもつ. これらの機能のうち(1)から(3)までをもち,(4)の進化の機能をもた
ないものを(生物-進化)と呼ぼう.46 億年に及ぶ地球の歴史において多く
の種類の(生物-進化)が生まれたに相違ない.しかし,これらはすべて絶
滅した. 進化の機能をもつ(生物)でさえ 6 回に及ぶ大絶滅を経験し,それから
進化により形質を変異して回復した歴史をもつ.最初の例としては,すでに
述べたように,原初の生体材料を使い果たしたとき進化により炭酸同化作用
を獲得して生き延びた.進化がなければこの時点で絶滅している.最近の例
- 36 - では,6550 万年前の巨大隕石落下による環境の激変が恐竜の絶滅を生み,
小型哺乳類が生き延び進化して,今日のヒトを含む哺乳類がある. この環境変動は(生物-進化)にとっても同様にあった.進化の機能をも
たない(生物-進化)は,環境の変化に適応できずに絶滅した.加えて,進
化の機能をもつ生物との生存競争に敗れて絶滅した可能性もある. 地球の歴史において多くの種類の(生物-進化)が生まれたが,そのうち
遺伝型が揺らいで形質が変わる機能をもった生物が生き残り今日に至った.
DNA 型の生物が卓越した理由には,それが宇宙線による破壊に対して頑健な
構造をもち不変性が高いこともあるが,不変性を保持する能力と変異により
異なる形質を生み出す能力とをバランスよく併せもっていたことが大きい.
このバランスも進化により到達したものである. すなわち,進化は,揺らぎで生まれた揺らぎの機能をもつものが生き残
ったという意味で,他の事象に依存することなく自律的に始まった. 進化の起源は進化にある. 「伝統ある荘重な行事」の誕生 進化が事象の始まりを記述できることを表す私が体験した事例を示す.
あるお寺の{伝統ある荘重な行事}の誕生を目の当たりにしたことである.
ここで{}が付いている理由は以下にある. 1973 年大晦日,NHKの「ゆく年くる年」が始まろうとするとき,そう遠
くないところから除夜の鐘の音が聞こえてきた.池上本門寺の鐘だという.
日蓮聖人が入滅した地に立つ日蓮宗の寺と聞いていた.由緒ある寺のテレビ
中継ではない本物の大晦日を体験しようと家族 4 人揃って出かけた. 境内に入ると鐘楼の前に何人かの人が集まっている.聞けば鐘を撞かせ
てくれるという.絶好の機会と幾つか撞かせて貰って本堂に向かった. 本堂の前に小さな赤い炎が見えた.参会者がもってきたお守り札などを
立番をしている人に渡すと,炎の中に入れてくれる.「お焚き上げ」という
そうである.本堂にお参りして帰宅した. - 37 - 除夜の鐘を撞くのが面白くて,翌年の大晦日にも出かけた.鐘楼の人だ
かりは少し増え,お焚き上げの炎は少し大きくなっていた.それから毎年大
晦日に出かけるようになった.年ごとに鐘を撞く人は増え,いつからか先着
順に番号札を貰うようになった.お焚き上げも次第に大きくなった. ある年に僧侶が一人お焚き上げの傍らで読経を始めた.翌年には僧侶の
数は2人になった.2人いると交替で息継ぎができて読経が途切れなくなる.
パトカーが出て整理に当たり,お焚き上げの回りには綱が張られ,それを参
会者が二重三重に取り巻くようになった. 1978 年末と記憶する.決定的なことが起きた.お焚き上げが始まる直前
...
に,僧侶の一団がうちわ太鼓を打ち鳴らしながら本堂から下駄音高く現れた.
その中には色彩豊かな法衣を着た大僧正と覚しき僧も混じっている.一団は
...
お焚き上げの場所を取り囲み,お焚き上げの開始に先立ってうちわ太鼓と鉦
で荘重に読経を始めた.重々しい雰囲気の中でお焚き上げが点火され,参会
者の持参したお守り札などを僧侶が読経しながら恭しく火に投じた. それ以後は細部を除いて大きな変化はない.様式の大綱はここに確立し
た.印象的だったのは,その翌年の大晦日に私の傍にいた参会者の一人が,
「昔からの伝統ある行事は荘重なものですな」と語ったことである.私にと
ってはこの「昔からの」は近々数年のことであった.記憶にあやふやな点はあ
るが,1981 年には郊外に転居して池上本門寺に行かなくなったので,すべ
ては 1973 年から 1980 年の間に起きた.始めの 2,3 年は様式化の気配はな
かったので,様式化は 5,6 年の間に起きた. 揺らぎは,一人の僧侶がお焚き上げの傍らで読経を始めたことにある.
指示されたのか,本人の思いつきかは知らない.いずれにせよ一人の僧侶が
....
...
ささやかに始めた「揺らぎ」と,それがお寺における行事に共通するしきた
.
りと多数の参会者の期待という「選択」とが相俟って,短時日のうちに「伝
統ある荘重な行事」としてお焚き上げの儀式が誕生し定着した. この覚書では引き続いて,進化,すなわち「揺らぎと相互作用」,の視点
- 38 - からシンボル言語の誕生,神の誕生,そして現代文明社会がもつ性質を明ら
かにする. - 39 - 5.選択圧の基盤:因果関係の認識 人の社会の行動様式に見られる諸現象は揺らぎと選択の下で誕生し進化
する.揺らぎは事象ごとに異なるとしても,選択はヒトと人に共通であるこ
とが期待される. 生物の進化のすべての選択圧には,それが成立する基盤として「個体の生
き残り」がある.生物種ヒトもこの基盤の下にある.これを,社会を作って
生き延びている人に移せば「個体の社会的な生き残り」である.しかし,ヒト
については「個体の生き残り」,人については「個体の社会的な生き残り」と
分れたままでは知識の統合は望めない.「個体の社会的な生き残り」を考える
には社会の性質を知る必要があり,これまでの人文社会科学と変わるところ
はない.知識の統合にはヒトと人の両方に共通する選択圧の基盤が必要にな
る.それは生物の「個体の生き残り」から進化したことが望ましい. 因果関係 これを解決する糸口になったのは,中井久夫神戸大学名誉教授の退官講義
の本(中井,1998)の中の言葉「人間は因果律(脚注3)を求める動物で,
自分にも他人にも因果律を要求する」は,ヒトと人に共通する選択圧の基盤
として適切と考えられる. 免疫学の研究者から精神疾患の臨床医に転じた中井教授は,分裂病(現在
名:統合失調症)の発症から回復までの症状の経過を明らかにしてその各段
階に対応する治療法を開発された,この分野の泰斗である. すべての病気の症状は,身体的・精神的を問わず,正常な人がもつ機能の
一部が何らかの理由により他の機能とのバランスを失して突出あるいは減
退した結果として現れる.中井教授の言葉は,因果関係を求める行為は正常
な人の行為の一つであり,統合失調症はそれが過剰に存在する症状であると
脚注3 広辞苑によれば「因果律」は哲学用語で,「一切のものは原因があって生
じ,原因がなくては何ものも生じないという原理」とあるので,この覚書では,
中井教授の言葉の引用を除いて,原因と結果の対を表す「因果関係」を用いる. - 40 - いう述懐であろう. すべての生物種は,生物としての進化の結果として現在の生き方に到達し
ている.それぞれの生物種がそれに至るまでには,進化の選択圧を生み出し
た基盤がある.ヒトと人が今日の生き方に至った契機を見れば,因果関係の
認識がヒトの文化と文明の要素が生まれる選択圧の基盤として機能してき
たと考えられる. まず,因果関係の認識が生き残りと同等であるほどに生き残りに必須であ
り普遍的であることを示す. 因果ネットワークの4つのレベル 因果関係という視点で周囲を眺めて気づくことは,それが宇宙に普遍的
に存在することである.因果律を信じる背景がここにある. われわれを取り巻く因果関係は 4 つのレベル,(1)自然に存在する物理
法則が作る因果ネットワーク,
(2)生体内の因果ネットワーク,
(3)人工物
が作り出す因果ネットワーク,および(4)社会における約束ごとが作る因
果ネットワーク,がある. 物理法則は素粒子レベルの物理法則を最小機能要素として,きわめて階
層の多いシステムを形成している.その部分システムをわれわれは実効的物
理法則あるいは自然の因果関係と呼んでいる.この部分システムが結合して
因果ネットワークを作っている.このレベルの因果ネットワークは最も基盤
的で普遍性が高く,宇宙に起きるすべての事象はこの自然の因果ネットワー
クに支配されている.自然の因果ネットワークはヒトが先史時代から自然現
象として認識してきたもので,因果関係の認識として最も歴史が長い. われわれ自身を含む生物の個体に存在する因果ネットワークは,代謝,
免疫,エネルギー,筋肉,神経などの各種ネットワークが結合して構成され
る.この因果ネットワークは自然の因果ネットワークの一部ではあるが,原
因と結果の許される範囲が生物体として許される範囲でありきわめて狭い
ので,自然の因果ネットワークから切り出しておく必要がある. - 41 - 人工物は相互に結合して人工システムを形成している.人工システムは
自然の因果関係を要素として組み合わせて,目的とする因果関係をもつよう
に構成したシステムである.人工システムへの人の働きかけを原因とし,人
が期待する結果を人に返す因果ネットワークを実現している.自然の因果関
係の人工物への利用は,今日では科学が自然の因果関係のネットワークの一
部を解明して,それを構成要素として複雑多様な人工システムを作るに至っ
ている. 人工システムは相互に接続されて人工的な因果ネットワークは複雑巨大
化し,人はそれなしには生き延びられなくなった.このレベルの因果ネット
ワークは自然の因果ネットワークに次ぐ高い普遍性をもっており,人の能力
の及ぶ範囲が大気圏・海中・地下・他の星・宇宙へと広がるにつれて,それ
が覆う範囲が拡大を続けている. 人は約束ごとを社会に作り込んで社会を統合し維持している.法・規則,
倫理,契約,そして慣習という多様な約束ごとの因果ネットワークがこれで
ある.「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する」
という刑法第 199 条は「人を殺す」という原因に対して「死刑又は無期若し
くは五年以上の懲役」という結果を定めた社会的因果関係の一例である. この因果ネットワークは社会の統治機構の権限が及ぶ範囲を支配してお
り,この意味で普遍性が最も低いが,近年その一部を世界で共通にしようと
する努力が払われている.この因果ネットワークは,人の行動を拘束して社
会を維持し人の生命,財産および権利を守っている.社会の複雑化の進展に
伴って,今日ではきわめて複雑巨大となっている. 自然の因果ネットワーク,生体内因果ネットワーク,人工の因果ネットワ
ークそして社会的因果ネットワークは相互に接続され,思考の範囲を超えた
複雑巨大な因果ネットワークを作り出した.人の行動を含めて多くの事象は
この複雑巨大な因果ネットワークに支配されている.例えば,「駅で切符を
買って電車に乗り目的の駅に着く」という日常の些細な行為の実効的因果関
- 42 - 係をもたらしている自然,生物,人工そして社会的因果関係をすべて書き出
すことは至難であり,多くの分野の専門家が連携協力する必要がある.しか
しそれを行う必要はない.それを意識しなくても,すべての因果関係が正常
に機能する限り人は平穏に生き延びられるからである. 以上に述べた複雑かつ多様な巨大な因果ネットワークのすべてを理解し
ようとするならば,中井教授がいわれるように統合失調症になることも十分
にあり得る. これらの因果関係を認識して,原因の生起から結果を予測して行動するこ
とは,ヒトの生き残りと人の社会的生き残りに直接関係することから,これ
ら因果関係の認識は選択圧の基盤として考えてよい. 進化が作り込む因果関係の認識 進化の視点で考えるとき,ヒトに先立つ他の生物種の因果関係の認識の出
発点は物理法則そのままである. ゾウリムシは単細胞真核生物の繊毛虫で草履の形をしており,どこの水
たまりにもいる馴染み深い生物である.草履といったが扁平ではなく紡錘形
の体長 0.1〜0.2mmくらいの小さな虫である.単細胞であるが各種の器官
をもっている.表面には 3500 本ほどの繊毛があり,それを動かして遊泳し
細菌や酵母などを捕食する. 目がないゾウリムシはどのようにして餌を捕えるのか.ゾウリムシを含ん
だ水をプレパラートに置き,顕微鏡で見ながらプレパラートの一端に砂糖水
を垂らすとゾウリムシはその方向に泳ぎだすことが見える.これは 0.1〜0.2
mmの体長で検出される砂糖の濃度差が,繊毛の動きを駆動して砂糖の濃く
なる方向に泳がせる機構をもつためとされている. これは物理法則の連鎖であるが,生き残るための因果関係の認識という定
義にしたがえば,因果関係を認識していることである.これが因果関係認識
の原初型である.砂糖の濃度差を検出し砂糖が濃い方向に泳ぐ機構をもつ.
- 43 - 物理法則をそのように使うゾウリムシが生き残る上で有利であり,進化の過
程で卓越してきた.因果関係の認識の原初型はすべてこのようであったと考
えてよい. 意識することなく物理法則を利用する因果関係の認識は,ヒトにも残って
いる.熱いものに触れたとき人は素早く手を引っ込める.このとき「熱いか
らやけどする.だから手を引っ込めよう」とは誰も意識しない.「熱さを感
じる→回避する」という行動を採らせる機構は意識を介することなく神経系
に組み込まれている.このことが生き残りに有利であるため,進化の過程で
卓越してきた. こう考えれば,植物の向日性も因果関係の利用と見ることができる.太陽
光を多く受けることは光合成の上で有利であることが,進化により成長機構
に組み込まれて向日性の植物が卓越してきた. 神経系をもつ原始的な生物の例としてアメフラシがある.体長 15cm前
後の殻が退化した二枚貝で,ナメクジ様でさまざまな形態を取る.神経細胞
体の直径が 200〜1000μm と哺乳類の 10 倍の大きさで,神経回路が単純であ
り,その機構のすべてが解明されているので,神経機構を探るモデル生物と
して用いられる.殻の下に鰓と紫汁腺があり,刺激されると紫汁腺から紫色
の粘液を出して身を隠す.「刺激→危険」という因果関係がすでに神経系に
組み込まれている. 神経系がより高度に発達した生物種には,より高度な因果関係を認識して
将来を予測して行動する種が多く見られる.公園の池のコイは人影を見ると
集まってくる.「人がいる→餌が貰える」という因果関係を利用している.
人影と木陰との区別は付くようで,木陰があっても集まらない. 野生動物の多くは危害を与える生物から身を避ける.これらの因果関係の
認識はそれをもつ生物種が生き残る機会を大きくするので今日に生き続け
ている.このことはまた,餌とする対象生物と餌にされる対象生物とを識別
するという識別能力の進化を駆動する選択圧となっている. - 44 - 高等な生物はより高度な因果関係を使う.ブラジルに棲むイヌのうち群を
作らず単独行動で小動物を補食するイヌは,飛び立った小鳥の着地点を予測
して先回りする. 南米に棲むフサオマキザルは殻の固い椰子の実を石の上に置き,上から石
を落として殻を割るが,置石としては中央が凹んで椰子の実が飛び出さない
石を選ぶ.よい置石は共有財産として共同で使う. 因果関係を介して将来を予測して行動するこれらの生物たちの例は,人の
因果関係の利用と類似しているように見えるが,そこには大きな違いがある.
幾つかの論文を眺め,霊長類を研究している生物学者にも伺ったが,ある個
体が獲得した因果関係を他の個体に移転することは,行動を模倣することに
委されている.このことは親子の間でも同様で子は親の行動を模倣して継承
する.これに対して人は個体の間で言語を用いて因果関係の知識を移転する.
以上に例を示した生物種が言語をもたないわけではない.言語は記号とそ
れが参照する対象との対応を表す記号体系であるので,細胞や植物において
も分子言語を放出して交信するものがある.群を作る動物には,捕食動物が
近づいてきたとき 3 音節くらいの文を用いて警告する種もある.にもかかわ
らず,彼らは個体が新たに獲得した因果関係を言語で移転せず,ヒトは言語
で移転する.ここにこれらの生物種とヒトとを分ける境界がある. このように見れば,因果関係の認識は他の生物種からヒトへ連続する能力
であり,人の知識の始まりである一方で,因果関係を言語で伝承し継承する
ことが,ヒトと他の生物種を分けている. 因果関係を意識するとき 自然は無数の因果関係が連結して作るネットワークシステムであり,自
然を認識することはこの因果ネットワークを認識することである.自然だけ
ではない.人の社会には人工システムと社会的な約束という人工の因果関係
のネットワークがある.人はいつも自然,生体内,人工物および社会的な約
束という因果関係の壮大かつ複雑なネットワークの中に生きており,支配さ
- 45 - れており,そして生かされている.人が日常行っているすべてのことの背景
には因果関係がある.朝起きてから夜に寝入るまで人の行為は何かの事象の
結果であるか,望む結果を生む因果関係の原因となる行為である. にもかかわらず,人はこれらの因果関係をいつも意識してはいない.む
しろ意識することは稀である.これほど普遍に存在する因果関係が意識され
ないレベルには幾つかの階層がある. レベルの第一は物理的過程としての因果関係の利用である.ゾウリムシ
の捕食行動に見られる神経系に依存しない物理的な因果関係の利用が人の
身体の各所に存在している.これらの因果関係は神経系に捉えられることが
ないので意識されない.自然免疫はその一つの例である.体内に異物が侵入
したとき,それを生物的・物理的過程により排除しあるいはその結果を減殺
する自然免疫の働きは,とげが刺さったときそれが自然に出てくること,あ
るいはそれが組織で包まれて痛く感じなくなることに見られる.通常この因
果関係を意識することはない.この因果関係が期待したように機能しない場
合,例えば刺さったとげがなかなか出てこず痛みが長く続く場合に,はじめ
て「どうしたかな?」と意識に上ってくる. レベルの第二として適応免疫系がある.適応免疫は対象が体内由来か外
部からきた異物かを判定する機構を用意して,細胞の捕食の対象を外来の異
物に向けている.適応免疫系は,キラーT細胞やヘルパーT細胞など主とし
てリンパ球が関わる免疫系であり,神経系に直接連結していないので意識に
は上らない.この場合も,免疫系が異物を防御しきれなかった場合,あるい
は免疫系の活性を高めるために体温が上がる場合には,神経系で検知され
「身体がだるい,熱っぽい」などと意識に上ってくる. レベルの第三として,神経系が関わっても呼吸系,循環系,消化系など
を調節する自律神経系の活動は言語化されないので意識されない.自律神経
系は意識により制御されない不随意系とされるが,呼吸器系だけは,呼吸を
一時的に止めるなど限られた範囲で意識による制御ができるのは興味深い.
- 46 - これには,ヒトがある時期に水棲であったことの名残であるという説もある
(モーガン,1998).自律神経系で制御される活動も,異常が起きたときに
は意識される.何らかの事情により自律神経系の活動が高まったときには意
識に上り「呼吸が荒くなった」,「心臓の鼓動が早い」などと認識される. レベルの第四として,随意神経系で制御される活動も習熟すると意識さ
れなくなる.音楽家の演奏,スポーツ選手の運動,プロの棋士の着手の思考
などはよく知られる例である.普通の人でも,水泳,自転車や自動車の運転,
タイピングなどはある程度習熟するとその行為が意識に上らず潜在意識の
うちに実行される. 脳神経科学的な知見として,同じ脳神経活動が繰り返されるとき,対応
する脳の部位の活動レベルが低下することが知られている.脳神経細胞の接
続点であるシナプスは,シナプス前の細胞が興奮しそしてシナプス後の細胞
が興奮することが繰り返されると,シナプス後の細胞の興奮の閾値が下がっ
て興奮しやすくなる.これはシナプス強化として知られており,これが意識
的な神経細胞の興奮の経路をバイパスして短絡経路を作る“習熟”であり,
意識的な行動を潜在意識的な行動に変換している.音楽家の演奏,スポーツ
選手の演技では,それを意識すると行動がぎこちなくなる.優勝がかかった
ときに意識すると身体が硬くなる,さらには試験の時に頭の働きが鈍くなる,
といわれる現象である. このように意識されない因果関係といえども予期した結果が実現しない
ときには意識に上る.棋士も思いもよらない奇手妙手を打つとき,あるいは
打たれたときには,次のあり得る手からの流れを辿る長考に入る.もちろん
素人のように一手一手を考えるのではなく,碁石の配置のパタンからパタン
へと飛んでいるにしても. 研究者の思考も同様である.問題を考え続けている間は「ああでもない,
こうでもない」といろいろ考えるが有効な解決策が出ない.意識が問題から
離れたとき,例えば散歩中,寝付き・寝起き,入浴中,トイレの中などで有
- 47 - 効な解決策を思いつくことはよく知られている. ここに人がスランプに陥る理由がある.スポーツ選手が何らかの原因に
より予期した動きができなかったとき,これが意識に上りそれについて考え
ることが始まる.スポーツ選手の運動は意識すると動きがぎこちなくなる.
これによりますます予期した動きができなくなる.この負のスパイラルが回
ってスランプに陥る.これはスポーツなどの身体的行動に限らず,思考につ
いても起きる.研究者が陥るスランプがこれである. 予想した結果が実現しないときにその原因を考え因果関係を追求するこ
とは,人工システムが作る人工的因果関係や社会的約束による因果関係に接
している日常生活でも起きる.電源スイッチを入れても電気が来ないとき,
ブレーカーを見に行く,近所を見回して停電かどうかを確かめる.予定した
入金が銀行の口座に入らないとき,予定しない出費が口座から出たときにそ
の理由を確認に行く,などはその例である. 人はなぜ,普段は因果関係を意識することなく,因果関係が期待通りで
なく異常と思われるときに因果関係を意識するのか.前述の例から明らかで
ある.これらの異常が人の生物的あるいは社会的生き残りに支障を与えるか
らである.人は生き残りに支障があるときにのみ因果関係を追求する,とい
うのは一つの経験則として成り立つ. 中井教授の言葉は,通常の人については若干の条件を付け加えて次のよ
うに修正する必要がある.「人間は因果律を求める動物で,生き残りに支障
があると思われるときには,自分にも他人にも因果律を要求する」.ただし,
精神疾患をもつ人にはこの条件がかからず,いつも因果関係を追求すること
もあり得るので,中井教授の考えが間違いではない. 人の社会は,文明を構築して食糧生産に余剰が生まれ,食糧生産に直接
関わらない人を養えるようになって以来,因果関係を専門に考える集団を養
うようになった.19 世紀初頭に始まった科学者集団がこれである.科学者
達に物事の因果関係を明らかにすることを委任して,物事がなぜ現在のよう
- 48 - に在るか,および将来はいかに在るかを考える仕事をさせている. 20 世紀に入って,科学は技術と結合してより効果的に人工システムを作
れるようになった.同時に,そこに起きる異常については科学者や技術者に
しか分からなくなった.これを解消するには,彼らが何をしているかを知る
必要がある.その第一歩は科学者と技術者が扱う因果関係は一般にいわれる
因果関係と異なり,厳しい制約の下にあることを知ることにある. 以上の考察により,ヒトから人の文化に亘る普遍的な選択圧の基盤が明
らかになったとする.この普遍的な基盤の上に「揺らぎと相互作用」である
進化システムが構成されて実効的な選択圧が発現する. - 49 - 6.シンボル言語の起源と心像の発生 シンボル言語の誕生 宇宙から人の営みに至るすべてを覆うシステムを作り出す過程は「揺ら
ぎと相互作用」であることから,人の社会に普遍な残りの二つ「シンボル言
語の誕生」と「神の存在」が同じ「揺らぎと相互作用」により説明できるか
どうかを考える. シンボル言語は,次のように揺らぎと相互作用のシステムである. 機能(1):シンボル言語における語は変成子であり文は変成体である.同じ
社会の人々の間を言語が移転するという複製と言語が世代を超えて継承
されるという複製があり,そして変成体が新たに生まれ変遷しそして消
滅するので変成の機会をもつ. 機能(2):語および文のそれぞれの間には,使い勝手のよい語と文体が使い
勝手の悪い語と文体を駆逐して社会に選ばれるという変成に関わる相互
作用がある. シンボル言語の現在が,揺らぎと相互作用のシステムであることは,そ
れが同じ過程で誕生したことを想像させる. 人の言語の起源を考えることは学問でないとされた時期がある.パリ言語
学会は 1866 年に言語の起源に関する論文を受理しないとし,1872 年にはロ
ンドン言語学会もこれに追随した. 学問ではないとされた理由として二つ考えられる.一つは人の言語の起源
についての仮説を検証できる資料がないことである.二つ目に,言語の効用
は人の広範な活動に亘るため,ある効用が言語発生の引き金を引いた,とす
る目的論による仮説が際限なく考えられる.雄が雌に浮気の言い訳をするた
めに生まれたという仮説を読んだこともある.目的論は検証できない.パリ
言語学会が「一切受け付けない」と怒り出し,ロンドン言語学会がこれに追
随したのも理解できる. - 50 - (文法の成立) 学問として認知されたのはチョムスキーの生成文法以来である.そのため
か,現在の言語学では生成文法の起源を言葉の起源と見なすことが多い(池
内,2010).しかし,文法は語の並びの規則であるから文法より先に語があ
るはずである.生成文法は語の並びの規則である文法の起源の考察であり,
シンボルの起源を語ってはいない. チョムスキーの生成文法は,人の脳にすべての個別文法になり得る生得的
な普遍文法が存在するというもので,これは文法の誕生を普遍文法の誕生に
言い換えたに過ぎない.脳に主語,動詞,目的語に対応する神経部位がある
としても,それは現在のヒトの脳を観測すれば当然のことであって,普遍文
法がどうして生まれたかを語ってはいない. 生成文法のドグマを離れて,言語の成立について進化の視点からの研究に,
T.ディーコンの性選択と社会契約を選択圧とする研究(ディーコン,1997)
....
と,岡ノ谷の性選択の下での小鳥のさえずりの文法の進化の研究 (岡ノ谷,
2003) がある.ここでは私にとって説得力がある岡ノ谷の研究成果を記す. 欧米で小鳥のさえずり研究の標準モデルとなっているキンカチョウを避
けて,日本古来のジュウシマツを選んで観察した結果,そのさえずりがきわ
めて複雑なことを岡ノ谷は知った.さらに,そこからマルコフ過程分析で文
法を抽出し,そのさえずりが複雑な文法をもつことを知った. ジュウシマツのメスに,複雑さの異なるオスのさえずりを聞かせると,メ
スはより複雑なさえずりをするオスを選択することを確認した.これが性選
択である.複雑なさえずりができるオスは子供を作る機会が多く,世代を重
ねると複雑なさえずりをするオスが卓越する.岡ノ谷は,複雑なさえずりを
生む脳神経構造を,さえずりの制御に関わる脳の部位の神経核を部分的に破
壊することを繰り返して,同定することに成功した. この研究が優れている点は,文法の成立を他の生物種がもつ能力からの
進化として,普遍文法というドグマを乗り超えたところにある. - 51 - シンボルへの変成とシンボル操作 シンボル言語は,進化の機能表現を満たす進化システムである.進化の
過程は,進化した後にも原初形の一部を残していることが多い.とすれば,
シンボルの原初形を探索することはシンボル言語の誕生とその後の進化を
考える手掛かりになる. 原初のシンボルを探す上で重要なことは,C.S.パースの区分による言語
の 3 レベル,アイコン,インデクスおよびシンボルにおいて,それぞれ,形
が似ていればよい,相関があればよい,約束があればよい,にとどまらない
ことである.いずれの場合でも,受け取った記号から参照する対象を想起で
きなければならない.パソコンの上にある「W」という文字に似たアイコン
を見てワードプロセッサーを想起でき,「イヌ」という言葉を聞いて実在す
る犬が想起できなければならない.この記号から参照対象を想起する過程を
言語の「解釈過程」という. アイコンとインデクスでは記号と参照対象との関係が解釈過程を含んで
いるが,シンボル言語はそうではない.この意味で,シンボル言語における
参照は,(シンボル,参照対象)の 2 項組ではなく,(シンボル,解釈過程,
参照対象)の 3 項組となる. 解釈過程から観ると,インデクスとシンボルとの違いは明確ではない.イ
ヌに向けての「お手」や「お座り」という言葉はシンボルに見えるが,それ
は「オテ」という音節が「前足の一つを前に出すという動作」と相関してい
るインデクス,「オスワリ」という音節が「前足を突っ張り,後ろ足を曲げ
るという動作」と相関しているインデクスと見ることもできる.繰り返しの
訓練が必要なことが,イヌにとっては相関であることを示している. ヒトのシンボル言語における「お金が欲しい」というシンボルの並びは,
「お金」についてだけ使われるものではない.
「お金」は「家」,「名誉」,・・・
などに変化して「○○が欲しい」と拡大される.このようにシンボルの並び
の一部が拡大されることを「汎化」と呼ぶ.さらに,
「欲しい」も,
「ある」,
- 52 - 「好きだ」,と汎化される.あわせて「○○がXX」という構造に展開され
る.これを構造の「転移」と呼ぶ. シンボル操作とは,解釈過程において汎化と転移が階層的に繰り返される
記号体系の全体を操作できることをいう.この中には単純に汎化や転移がで
・ ・
・ ・
きない例外が多く含まれる.
「だらしがない」という並びを「だらしがある」
とする汎化は許されない. (シンボルの原初形) シンボル言語での原初のシンボルを探すには,他の語からのシンボル操
作で作られたのではない語を探せばよい.それは存在する.「アルク」,「タ
ベル」,
「ネル」,
「ワカル」などの言葉を他の語で言い換えるとかえって難し
くなる.広辞苑には「あるく」を「一歩一歩踏みしめて進む.歩行する.」
とある.元より難しくなっている. これらの語は,シンボル操作を介することなく,人の状態と直接対応し
ている語と考えられる.この対応を決めたものは約束ではない.約束するの
に必要な言語はまだ存在していない.ここに解釈過程から見るときのインデ
クスとシンボルの両面を見ることができる. パブロフのイヌにおけるベルの音は,イヌにとっては参照対象である餌と
相関をもつインデクスである.この相関は,パブロフと彼のイヌとが作る限
定された世界にパブロフが作り出した疑似的な相関である.これはパブロフ
のイヌに限らない.飼育している家畜に餌を与える前に声をかけ続ければ,
殆どの家畜が声だけで餌を期待して集まってくる.池のコイは,餌を与える
前に手を叩けば,手を叩く音だけで集まってくる.これらに見るように,相
関とのその連鎖の認識はヒト以外の多くの生物がもつ能力である. パブロフがイヌを客体化して「なぜベルの音で唾液を出すのか」と考える
と,ベルの音が餌を貰うことと相関するインデクスであると認識する.これ
をパブロフと彼のイヌとが作る社会における約束と見れば,ベルの音はその
社会でのシンボルと見ることができる.パブロフはベルの音というシンボル
- 53 - でイヌに「餌をやるよ」と話しかけている. 客体化してイヌを見ればインデクスであるが,その社会に入ればシンボル
である.そこに差異を求めれば,イヌにとっては自分の意思を超えて存在す
る相関であり,パブロフにとっては自分の意思で決めた約束であることにあ
る.このことは家畜に声をかけてから餌をやることでも同じである.かける
声がインデクスかシンボルかの違いは,自分が約束の外にあって習得する相
関か,自分が参加して作りだす約束であるかの違いである. 相関を表すインデクスがシンボルに変わるとき,相関の性質がシンボル操
作の誕生に大きな意味をもつ.パブロフのイヌでいえば,ベルの音と餌を貰
うことが相関であるとは,ベルの音が原因になって餌が貰えるという結果が
...
あることを意味する.すなわち,「ベルの音がするならば餌が貰える」とい
う条件文を認識することと等価である.これはパブロフが作り出した偽相関
であって実在する実相関ではない.しかしイヌにとっては因果関係の認識で
あり,それは生き残りに直結している.相関は条件文の文法を内包している. イヌは相関の連鎖を認識できる.声をかけてからベルを鳴らせば,イヌは
...
...
「声をかけられるならばベルの音がする,ならば餌が貰える」という因果関
...
係の連鎖を少ない回数で習得する.これは「声をかけられるならば餌が貰え
...
る」と短絡して,ならばの前の部分が汎化される.同様に「声をかけられる
...
...
ならばベルの音がする」とならばの後ろの部分も汎化して,併せれば転移で
ある.これでシンボル操作の中の重要な操作が完成した.後はこれを階層的
に繰り返すだけである. 残るところは,人の社会でパブロフのイヌ的なヒトがこの構造を模倣して
使うことであり,さらにそれを通じてパブロフのように約束を作る側に回る
ことでシンボル言語が成立する.これによるシンボル言語の語と文法の拡大
は,その後の進化に待つことになる.5章の「選択圧の基盤:因果関係の認
識」がこの進化を牽引して,シンボル言語を多階層にする. - 54 - (記憶要素を偽相関で結合する) 以上の考察は,シンボル言語の処理は脳のどこかに局在することなく分
散して行われることに導く. 私にとって「半田付け」というシンボルは,社会的に共通な約束である「半
田で金属を接着する作業」だけを意味しない.この言葉を聞くと,小学生の
・ ・ ・
夏休みにラジオを作ろうとして,縁側でパンツ 1 枚になってあぐらをかいて
・ ・
半田付けをしていたとき,半田ごてから熔けた半田が内腿に滴り落ちて,身
動きできずに熱さを我慢した思いが浮かぶ. 集積回路の発明者 J.キルビーと交わした話を思い出す.彼が半導体の製
造企業からテキサス・インスツルメントに工程管理技術者として移った際に,
組立工程に大量の半田付け不良が発生しているのを見て,半田付け工程を無
くそうとして集積回路を思いついた,という話であった.それからの演繹と
して,科学技術にブレークスルーを起こすには異なる分野の知識の接触が必
要であることに思いが至る. 異なる文脈で「半田付け」を聞いたら,さらに違う思いも浮かぶであろう.
このことは「半田付け」に限らない.すべてのシンボルについて起きる.私だ
けではない.小説,詩歌,戯曲,映画など多くの文芸作品において,シンボ
ルを提示してそれから過去への追憶や未来への夢想を誘導することは,標準
的な表現手法の一つである.このことは,シンボルからの連想がヒトに普遍
的であることを示す.とくにシンボルが引き起こす脳活動に喜びや悲しみな
ど意識で制御できない情動が含まれることは先に述べた相関認識に繋がる. 一瞬の間に起きる多様なこれらの思いを処理する脳機能が脳の言語野に
局在するとは考えにくい.進化はそんな無駄をしない.分散している脳機能
を連結させて処理すると考える方が理にかなっている.シンボルは,それが
参照する事柄,それに関する記憶,それからの連想,それから抽出された因
果関係など,そのシンボルが参照する事項に関わる脳機能を動員して処理す
る過程を呼び出すキーと考えられる. - 55 - ウエルニッケ野とブローカ野など言語野といわれる部位の損傷が言語障
害を引き起こすのは,言語処理がそこに局在するからではなく,言語処理の
上で信号が通過する密度が脳の他の領域よりも大きいところと考える必要
がある.このことは,脳活性部位を可視化しての観察が言語課題により異な
る多くの異なる部位を活性化することを説明する.また言語野の周辺の広い
領域への電気刺激が多くの異なる感覚を生み出すことでも裏付けられる. 幼児が出生に関わらず任意の母国語を習得するという事実は,言語の獲
得と言語処理の進化とが,文法などシンボル言語の個別の記号体系に依存せ
ず,上に述べたシンボル言語がもつ普遍的かつ永続的な性質が駆動して起き
ることを示している. 幼児の言語獲得が極めて急速であることは,相関を介してのシンボルの獲
得がシンボル操作を生み出すこと,すなわち,シンボルの獲得とシンボル操
作の獲得とが等価であることで説明する.このときシンボル獲得とシンボル
操作は互いに促進的な選択圧を構成し,正のフィードバックループを構成し
て進化が加速度的に進む. (記憶要素の相関としての認識) このことは人が外界を認識する上でも重要な役割を果たす.大学にいた頃,
研究室のセミナーで機械知能を研究していた博士課程学生の赤間 清君が発
表の一部で大要次のように言った. いまボールが転がって衝立の一方の端から向こう側に隠れて見えなくな
り,他方の端から転がり出たとする.これを見た人は,苦もなく「衝立の向
こうに入ったボールが転がりでた」と状況を認識するが,機械にはそれがで
きない.「一方の端でボールが消滅し他方の端で新たなボールが生まれた」
を含めて,この状況を説明するあらゆる可能な認識を構成して,その中で最
も可能性の高い認識を選ぶ.これが,機械知能がヒトにおよばない本質的な
理由ではないか.彼は当時すでに優秀な研究者で,現在は北海道大学大学院
情報科学研究科の教授として精力的に研究を展開している. - 56 - このとき私は,これは機械知能に限らずヒトの知能にとっても本質的で
あると考えた.二つのことが頭に浮かんだ.一つは,状況は無限にありヒト
の脳といえどもすべてを記憶しているはずがない.ヒトは遭遇する状況を記
憶から呼び出すのではなく,状況に遭遇するたびに認識を作り出すのではな
いか. 衝立とボールの例でいえば,衝立は視界を遮る,ボールは転がるなどが
記憶要素にあり,それを呼び出して認識を組み立てるから,記憶要素が結合
した「同じボールが転がりでた」というシステム認識が作られる.ボールが
自然に消える,ボールが自然に生まれるという記憶要素は存在しないので,
「一方の端でボールが消滅し他方の端で新たなボールが生まれた」というシ
ステム認識は作られない.このときの記憶要素を結合するものはシンボル言
語で表現された因果関係である. もう一つは,この組み立てが成功する上で,記憶にある要素からシステ
ムを組み立てる脳内での認識過程が,実在する認識対象が作り出される過程
と実効的に同型であれば効果的である.この世にシステムが形成される過程
は,脳内でシステム認識が形成される過程と同じではないか.もし同型とす
れば,それはこの世にシステムが普遍的に存在することにつながる. 私はいまでも脳の中の意識の形成と宇宙におけるシステム形成は,過程
として同型であると考えており,それがこの覚書を書くことを駆動している. シンボル言語が作る心像 これにより,私が心像(イメージ)と呼ぶ人の意識の形成過程が見えて
くる.それは,同時にシンボル言語がもつ整合性のなさが実在世界に現れて,
人と社会の整合性を失わせる過程も説明する. (実像と心像) 人を囲む環境は階層的な因果関係のネットワークであるので,これを認
識した因果関係も階層的なネットワークとなる.環境からの情報と自己の体
- 57 - 内で生まれる情報とを,因果ネットワークを介して統合して脳内に作られる
自己と環境の像を「実像」と呼ぼう. 実像は実在ではない.その人が認識した実在を変換して創り上げた像で
....
....
ある.平安時代の人々にとって,ものの怪は実像であった.ものの怪が悪さ
をするときには,それを避けるために定められた行動を採り,あるいは陰陽
....
師に頼んでものの怪を遠ざけて貰っていた.科学が発達した時代に棲むわれ
われも,この実像を笑うことはできない.われわれがもつ知識体系という実
像の中で対象を認識している.人は自分がもつ実像のシステムの中でしか対
象世界を認識できない. 実像は,すべての生物の個体が認識のレベルに応じてもっている.ゾウリ
ムシは身体に感じる砂糖の濃度の差という認識を介して「濃度が高い方向に
餌がある」という実像を作り出している. これに対して,人はシンボル言語で記述された因果ネットワークを実像と
してもつことから,このネットワークをシンボル操作して実像と異なる像を
もつことができる.スポーツ選手や音楽演奏家が思い描く「イメージ」がこ
れである.これはスポーツ選手や音楽演奏家に限らず,誰でもが意識の中で
いつも思い浮かべている.こうして作られた像を「心像」と呼ぼう. 心像は心の中の因果ネットワークに実在と異なる原因を入力し,あるいは
認識した因果ネットワークの一部を修飾することにより行われる.加えて,
他の人がもつ心像を自分に移転することもできる. 心像がそのままに表出される例は幼児に見られる.幼児は,時として体験
したかのように確信をもって架空のことを語る.これは心像に実像からの抑
制がかからないままに表出されるものである. これらの事例から明らかなように,心像が作る世界には矛盾があり整合的
でない.整合的でない心像は,スポーツ選手や音楽演奏家がイメージ・トレ
ーニングで用いるように,実像に影響を及ぼす.望ましい演技や演奏を思い
描くことにより,実像が制約する身体的行動を解放して望ましい演技や演奏
- 58 - を実現している.これは,脳内神経活動で心像を思い浮かべる回路と身体的
行動を制御する部分に強い連携があり,繰り返し心像を思い浮かべることが,
身体制御の回路に対応する活動を引き起こすことを利用している. 人は実在に対応して生き残る途を生み出すための実像と,意識の中のシン
ボル操作により作り出す心像の二つの像を並行してもつ.このうち心像が生
み出す行為は実在と切り離されており,実在世界からの制約を受けない. 実在世界での因果関係には,すでに述べたように,自然,人工,生物,そ
して社会的な因果関係ネットワークがある.これらの実像としての因果関係
は,心像が作り出す行為を実在世界の制約と整合させる上で守らなければな
らない.例えば,殺人を心像にもつことは自由であるが,行為として実行す
ることを,法はその行為に対する罰を規定して禁じている.さらに行為が言
葉による表出であっても,それが実効をもち他人に損害を与える場合には,
名誉毀損の例に見られるように制約している. 心像が生み出す行為を実像の制約と整合させるには,心像が作り出す行為
に対して,行為を行う前に実像に基づく意識が介入できる必要がある.これ
については B.リベットの神経科学的な実験結果(リベット,2005)がある.
結果だけを要酌すれば: (1)ヒトが刺激を知覚するとき,知覚に 0.5 秒先だって対応する神経細胞の
興奮がある.言い換えれば,刺激に対応して神経細胞が活動してそれが
意識されるまで 0.5 秒を要する. (2)このことは自発的な行動においても同様であり,たとえば,手首を曲げ
ようと意識するとき,それに先立つ 0.5-1 秒前に対応する神経は活動を
始めている.行動を予定しているときには 1 秒前,予定しないで思いつ
くときは 0.5 秒前である. (3)現実の行為に先立つ 0.5 秒前に対応する脳神経の活動が始まるが,行為
に先立つ 0.2 秒前に意識が介入して行為を抑制しあるいは増強する制御
ができる. - 59 - リベットのこの結果は,心像の世界で行為予定が作り出され,それが因果
関係に基づく実像と照合されて適切な行為が選択されることを意味してお
り,心像が生み出す行為と実在世界との整合性を維持する機能である. 心像は,実像と行動規範からの制約がかからない限り,シンボル操作で
創り出されるあり得ない世界でもある.例えば,心像においてアンドロメダ
銀河に行くことも,地獄に行くことも自由である.もちろんそこには実在お
よび実像との矛盾が存在する. 近代精神の一つである自由の下で,人々は行動規範で規制されない限り,
あるいは規制されていてもそれを破ることにより,行動は自由となった.実
在世界の中に,心像が生み出す行為が発現する.結果として,実在する人と
社会は整合的でない世界となり,自然科学における科学の方法が成立しない
世界となった.自然科学と人文社会科学との乖離がこうして生まれた. 整合的でない心像は,豊かな文芸世界に見るように人の精神活動の豊か
さの源泉でもある.厳しい戒律の下で,実像と心像との一致を恒に強制され
る社会である修道院や寺社には,整合でない世界という意味での面白さと豊
かさはない.あるのは,厳しい戒律があるにも拘わらず生まれる心像と実像
との乖離が生む苦悩を超越できる喜びである. 心像としての知識 リベットがいう,心像が生み出す意識に実像からの制約がかかって意識を
外界と整合させる,ことから2つの思いが浮かぶ.一つは,人の知識とは,
人が胎児になって以来の経験の集積としての心像であることである.もう一
つは,この心像としての知識が身体内部からと外界からの情報によって揺れ
動いていることである. 揺れ動いている知識のそれぞれは脳の中にあり,その間に相互作用があ
る.相互作用の中でどの知識が選択され表出されるかは,外界に出したとき
の外界からの反応の予測に基づく制約である.リベットがいう実像からの制
約はその一つである. - 60 - 知識を創出する研究者として,知識の蓄積に貢献する視点で外界に出せ
るものは,それまでにない新たな知識である.ここまでは自然科学も人文社
会科学も区別はない.区別が生まれるのは,自然科学では脳に存在する揺れ
動く知識の相互作用について,たとえそれがモデル依存実在であるにしても,
人の意思と言説が及ばない自然という判定基準があることであり,人と社会
には人の意思と言説を離れた判定基準が存在しないことである. これは人と社会がもつ性質であるから,それが真理である,とラテン語
の真理(veritas,ありのまま)に逃げ込むとすれば,人文社会科学におい
て実在に代えて他の研究者が表出した言説が用いる理由が理解できる. 他の研究者の言説はこの意味で自然科学におけるデータに相当する.し
かし,このデータは自分が表出しようとする言説と,検証の有無の視点で見
れば変わるところはない.科学の方法で述べた 2 つのモデルの比較に相当す
る.そして判定の基準がない.人文社会科学おいて,研究者あるいは学派が
自前の世界観と方法をもち他に譲ることがない所以である. 自然科学が人から離れた実在からの検証に合格する知識をもって真理と
する判定基準からすれば,人と社会に関わる科学にはこの意味の真理はない. このように見れば,宇宙から人の活動までを覆うシステムの創発が人と
社会についての唯一の普遍であり,それを作り出す「揺らぎと相互作用」が
唯一の真理であるかもしれない. - 61 - 7.心像としての神の誕生と変容 — 整合的世界観にいたる過程 - 神の誕生にシンボル言語の誕生と同様に接近することは難しい.現在の
宗教の状況が「揺らぎと相互作用」の下にあると言えず,むしろ揺らぎと相
互作用が少ない人の営みの代表であるからである.しかし,シンボル言語の
誕生において役立った選択圧の基盤としての因果関係の認識は,ここにおい
ても意味をもつと考えられる.まず脳神経科学的な事実から取りかかる. 脳にある神の座 V.S.ラマチャンドランはカリフォルニア大学サンディエゴ校の脳神経
科学教室を全米有数に育てた立役者である.彼はその著書(ラマチャンドラ
ン,1998)で,神の存在について興味ある脳神経科学的な事実を示している. 彼は,カナダの心理学者 M.パーシンガーがTMS(経頭蓋磁気刺激装置)
で自分の脳の側頭葉を刺激したときに神を感じたという話を聞いた.彼は,
....
彼の患者の中に左側頭葉に発するてんかん発作が強い霊的な体験をもたら
す人がおり,彼らが発作のないときも宗教的あるいは道徳的な問題にとりつ
かれる場合があることを動機として,このことの探求を始めた. ....
これらの患者は側頭葉での局所的てんかんにより神と交信するなど感動
的な体験をする.それが繰り返されると感情のあり方が永続的に変化して
「側頭葉人格」を生み出す.ラマチャンドランはこの宗教的体験を説明する
仮説を立て,患者の協力を得て研究を進めた. この研究の結論は,人間の脳には宗教的な体験に関わる回路があって,
....
一部のてんかん患者ではこの回路が過剰に活性化することであった.このこ
とはよく知られる神の降臨を説明する.モーセやムハンマドさらには日本の
卑弥呼や現在の恐山の巫女の行動はこの範疇にある. すべてのヒトの脳に宗教的な体験をする部位があることは,神概念が進
化で生まれたことを示唆している. - 62 - 心像としての神の発生 (最初の揺らぎ) 神の誕生に向けての最初の揺らぎは,中井教授の言葉「人間は因果律を
求める動物で,自分にも他人にも因果律を要求する」から推定できる.因果
関係の結果が自分に影響をもつとき人はその原因を追及する.そして原因が
..
..
分からないとき原因を担う何かを想定する.この何かが神の原初形である. これは,原因が未知の因果関係の原因を求めて,実像にシンボル操作を
加えて原因となる神を心像にもつことである.すなわち,神の原初形は心像
として意識の中に芽生えた. 神の意識がすべてのヒトに存在し,それに関わる脳神経回路がヒトの脳
に存在することは,この揺らぎを選択して進化させ神に関わる神経回路を脳
にもつことが,ヒトの生き残りに有利な状況が存在したことを意味する. この解決にも中井教授の言うところがヒントになる.この本は,大脳側
....
頭葉の局所的てんかんには触れていない.しかし,統合失調症の患者が棲む
世界の様相を症状の進展と回復の経過と共に示している. 要約すれば,統合失調により心の自由度が非常に小さくなり,自分の内
部や外界に発生する刺激にふりまわされる状態になるという.「すべては偶
然とは思えない」,「身体を少しでも動かすか,身体から何かを落とすと,
世界がガラス器のように壊れる」という患者がいる.心の自由度がゼロにな
れば自分の内部も外界も自由に動ける世界ではなくなって,自分がすべての
事象の原因であると思えても不思議ではないという.そして,これらの患者
は症状が進展している間は乱数を考えられないという. 統合失調症になり,因果関係の未知の原因を担う神と他の脳の部位との
統合が失調すると,偶然とか突発的などの不確定的な事象を考えられなくな
る.神がそれらの原因を担って,自分がすべての事象の原因となるとする意
識狭窄を緩めて心の自由度を拡げる,という機能が失われるからであろう. - 63 - 神が因果関係の未知の原因を担うことが,人の生き残りに有利になる状
況があることは,私の個人的体験からも理解できる. 私は特定の宗教を信じてはいない.それにもかかわらず神に祈ったこと
がある.第2次大戦中に米空軍の激しい爆撃に曝されたとき,および1961
年に米国西海岸から船で帰国したときアリューシャン沖で台風に遭遇し,船
の傾斜計が振り切れるほどに船が傾き,冷蔵庫などが転倒する状況に出会っ
たときである. この状況をもたらした因果関係のマクロな原因は分かっている.米空軍
の爆撃であり台風である.焼夷弾が自分の近くに落ちる,自分が乗っている
船が転覆する,という不確定な結果を支配する神への祈りであったろう.マ
クロな原因が分かっていても,自分の身に現実に何が起きるかは不確定であ
る.不確定な結果を支配する原因である神に,自分が期待する結果が起きる
ことを頼みたくなる. 自分の力が及ばないことに遭遇したときの心の不安は,神に祈ることに
より解放され,意識狭窄とパニックから逃れて冷静な判断ができるようにな
る.これは生き延びることに貢献する.この状況で神は現実的な効用をもつ. (二分心) J.ジェインズは,イリアスをはじめとするギリシャの叙事詩を分析して,
この時代のミケーネの英雄達は心の中にある神の声にしたがって行動して
いたという.この神の声を発する心をジェインズは「二分心」と呼んでいる
(ジェインズ,1973).ジェインズは,神の声を聞きそれにしたがって行動
することがBC2500年頃まであったとする.二分心が崩壊して神の声が聞こ
えなくなったのは,バビロニアのハムラビ王からアッシリアのトゥクルティ
ー王に支配権が移って強権が確立した頃であり,神の声が消えた後は占いと
か神託という形で今日にまで続いているという. これについては,ジェインズが分析した旧約聖書における二分心の消滅 を追跡して,ジェインズは他の重要な因子の存在を無視しているという否定 - 64 - 的な結果を得たことがある(市川,2009). ここでは,ジェインズの言うところを,ギリシャの叙事詩の時代には神
が個人神であったことを示す資料として受けとめる. (アクアク) 個人神が因果関係の未知の原因を担うことが現代においても日常生活に
表れている社会が,考古学者トール・ヘイエルダールのイースター島の調査
記録(ヘイエルダール,1958)にある ヘイエルダールは,古代におけるイースター島への移住は南太平洋をア
ジア側からではなく,南米側から行われたという仮説を実証するために,太
古の形式の船を仕立てチリからイースター島への漂流に成功した人である. イースター島の調査記録の中に,イースター島住民の一人ひとりが一般
名アクアクという個人神をもち,アクアクの能力の高さが個人の間の紛争を
解決している記述がある.Aの主張とBの主張とが対立したとき,アクアク
の能力が高い人の主張が通る.アクアクの能力は例えば次のようにして判定
される.次にあの木陰から出てくる人は男か女か,Aのアクアクは男といい
Bのアクアクは女といったとき,彼らは木陰から人が出てくるのを待つ.も
し男が出てくればAの主張が通る. ..
これはかけではない.アクアクの能力の違いである.個人神アクアクは
その場における因果関係の原因であり結果を支配している.AとBのどちら
のアクアクがその場を支配しているかがこれで定まる. 興味あることに,アクアクの力は紛争の事案ごとに比較されその力に恒
久的な序列が付けられることはない.独裁者を生まないための知恵であろう. 科学は普遍を,神は個別を観る 18世紀末以来の自然科学は,自然にある因果関係を解明し様々な事象の
原因とそれから結果へのつながりを明らかにしてきた.神が因果関係の未知
の原因を担うという見方からすれば,これは神の領域への自然科学の侵食で
ある.神の領域は科学の進展と共に次第に狭くなるのだろうか.それにして
- 65 - は,初詣はますます盛んであり受験時期には合格祈願の絵馬のかけ場に神社
が苦労するほどである. 中井の統合失調症,私の体験,ジェインズの二分心,そしてイースター
島のアクアクを通じて,現代における科学と神の任務分担が読み取れる. 自然科学は,不確定な事象を対象とするために,それを確率事象として
確率測度を導入する.若い頃,私にとっては値段の高いカメラをなけなしの
金をはたいて買い込んだとき 2,3日で故障したことがある.修理のためメ
ーカーに持ち込むと,「こんな故障は何千台かに1台です」といわれて,「私
にとっては,1台買って1台故障だ」と思ったことがある. 科学はメーカーに何千台かに1台という低い故障確率を保証する.神は,
私が何千台かに1台の故障カメラを買うか買わないかを定めてくれる.こう
見れば科学と神の役割は見事に相補的である. 一人ひとりの人を,科学は
無限にいる人の一人と見なすが,神は一人ひとりに向き合って不確定な事柄
の面倒を見る. ここに人と社会に関する学問が貢献する途が存在する.科学と名乗って,
人と社会について普遍な事象を追う人文社会科学と,個別の人と向き合って
その人が関わる事象を対象とする学問,仮に人文社会学と呼ぶ,とを区別す
る必要がある.人文社会学が抽象的事柄に終始していると,個別の人に向き
合う領域にまで自然科学が侵入する.精神疾患の臨床医である私の娘から,
最近は患者の個人的および社会的背景にまで立ち入って患者に向き合うと
治療効果が高まる,という話を聞くとその感を強くする. 宗教への変容 神の心像は一人ひとりの脳に生まれる.神の心像は前述の私の経験に見
..
る様に極限的状況にあっては何であってもよい.他の人がもつ神の像,とく
に祈る効果があるとされる神の像に祈ることは効果的と考えられよう.古代
においては,現在に較べて因果関係の未知の原因は充ち満ちていた.未知の
原因を担って結果を支配する神の存在は,極限的状況を経験しない人々にも
- 66 - 有用であった.これにより社会の人々に共通する神の像が形成される.これ
が宗教である. ここにおいて,偶然にせよ祈る効果を現出させた人,あるいは説得力の
ある論理の下で特定の神の像を語る人の言葉は,社会の多数に浸透するであ
ろう.創始者が創りだす創始宗教の誕生である. 社会の多くの人々が同じ神の心像をもつとき,神の居場所を脳から外に
出して自然の山や森をあて,あるいは神殿を造って,そこで神に接して心の
自由度を回復して平安を得たり,望む事態の実現を祈ることもまた自然な行
為である.これにより神は今日の姿となる. 社会の人々の多数が同じ神の心像をもつ宗教の形を取るとき,神が,一
人ひとりに向き合う役割に加えて,人々に世界観を与えその下での生き方を
教えるようになる.とくに創始宗教においては説得力のある論理を作るため
にそれが著しい.神が教える世界観とその下での生き方にしたがうとき,神
がそれを「よし」とすると思うのは自然なことである.こうして神は今日の
役割を担うことになる. 多神と一神を問わず神話のほとんどに天地創造が含まれており,それが
世界観の基盤を作っている.この世界観は社会の人々に一体感をもたせて,
その社会の生き残りに貢献する.神が与える行動規範は社会の内紛を抑制し
社会の生き残りに貢献する.社会が生存の危機に瀕したとき,ヤハウエ信仰
(ユダヤ教)の民に見るように,神はその名の下で人々を結集させ,難局を
克服し生き延びる機会を大きくする. E.B.タイラーは,森羅万象に精霊が存在してそれが成長して神となった
アニミズムが宗教の起源であるとした.ここでの仮説に基づけば精霊は因果
関係の原因を担う.原始社会ではほとんどすべての因果関係の原因は未知で
あった.ヒトが認識できるすべての事象について,それをもたらす原因が必
要になる.そのために森羅万象について精霊が必要であったろう. - 67 - (説得力ある神の像の発生と伝播) 説得力のある論理の下に特定の神の像を語る人の言葉が宗教となった例
がある.古くかつ影響するところが大きかった宗教は,アフガニスタンの北
部に生まれたザラスシュトラ(脚注4)が称えたゾロアスター教である. ゾロアスター教の世界観は善悪2神の対立という二元論にある.善神ア
フラ・マズダ(脚注5)は宇宙の創造神であり生命と英知を担うものとされ,
悪神アンラ・マンユ(脚注6)は破壊,死,虚偽を背負うものとされた.人
は生前それぞれの考え方にしたがってアフラ・マズダかアンラ・マンユと共
に過ごし,死んではそれぞれの下にある世界にいる.数億年の後に人々はす
べて復活してアフラ・マズダの下に集まり,一致団結してアンラ・マンユを
倒して,それ以後は永遠に善と光明の時代を過ごすとする. 究極における善神の勝利を教義としているので,ここに一神教の原初形
を見る人もいる. ゾロアスター教は長きに亘ってペルシャの国教であり続け,その後のユ
ダヤ教とその系譜にあるキリスト教とイスラム教に影響を与えた.さらに,
大乗仏教にも結びつくところがあり,この意味で現在の世界宗教に与えた影
響は大きい. ゾロアスター教自体はイスラム教により迫害されて衰退した. 文明の基軸への変容:都市神の発生 神の心像が,社会の人々の多数に共通する宗教になると神の像は社会と 共に変容する.社会と共進化するといってもよい.社会の態様はそれが置か
れている社会の行動様式,その地域の自然環境と地政的環境によって異なる.
脚注4 ザラスシュトラの年代は,研究者による諸説があり BC13 世紀から BC7 世紀
に亘る.ザラスシュトラは,読み方によりゾロアスターからツァラトゥストラ
(ニーチェ)に至る変化をする. 脚注5 東芝のマツダランプ,広島工業製の自動車マツダにその名があることから
ゾロアスター教は日本にも入っていたとする説がある. 脚注6 読み方により,アフリ・マン,アーリマン ともいわれる. - 68 - その結果として,社会がもつ宗教は多様になる.その中で広く見られる変容
は文明の基軸(脚注7)への移行である. 氷間期が終わり小氷河期に入った 1 万 2 千年前頃から,採集できる食糧
は減少し,加えて人口増の圧力があり農耕が始まった.農耕は多くの人が連
携協力して,播種から収穫にいたる仕事を季節の推移に併せて進行させる必
要がある.この事態に対応するには,長老によるタブー解釈あるいはシャー
.
マンによる神託などの属人的で安定しない統治は不十分であり,安定した何
.
かに支えられた統治が必要になった. (シュメル文明) このことは,世界最古の文明とされるシュメル文明に現れている(小林,
2006).シュメル文明における個人神は「主人」と呼ばれ,個人だけでなく
都市とその地区がそれぞれ主人神をもっていた.社会の階層構造が神の社会
に投影された状況をラガシュ市の BC2500-2335 年頃の状況に見れば: ラガシュ市の主人:ニンギルス神 ギルス地区の主人:ニンギルス神/ラガシュ地区:パウ神, シララ地区:ナンシュ神/キヌニル地区:ドゥムジアブズ女神 グアッパ地区:ニンマルキ神 ラガシュ王グデアの主人:ニンギシュジダ神とニンアズ神 このときのシュメルにおける最高神は神々の王であるエンリル神であっ
たが,最高神は都市国家の消長により交代していた. 神に階層があることは,人が自分の主人より上位の神に祈願し神託を受
けるときには,主人の紹介を要することに見える.これは王といえども例外
ではなく,ラガシュ王グデアがニンギルス神に祈願し神託を受けるときにニ
ンギシュジダ神の紹介を受けていた彫刻が残っている. ..
.
脚注7 この覚書での「文明」は「不特定多数を何かにより統合する文化」をいう.この何
.
かを文明の「基軸」という. - 69 - なお,シュメル文明における神の役割の主要なものに,チグリス・ユウフ
ラテス両河の増水とそれによる洪水について,神託を発してその時期と程度
を教えることにあった.因果関係の未知の原因を担う典型的な例である. このシュメル文明における個人神,都市神,そして最高神という階層は,
古代エジプト文明,古代ギリシャ文明に引き継がれる. (エジプト文明) エジプト文明においては,ファラオの軍事力が国家統一を実現していた
ので,都市神は都市の守護神に留まっていた.テーベの守護神であったアメ
ン神がテーベの勢力が強まりエジプトの首都となって最高神となったよう
に,その都市がエジプトの首都になると最高神となることがあった. アメン神の神官が絶大な権力をもつに至ってファラオの権限を侵し始め,
...
これを嫌った第18王朝のアメンヘテプIII世は神官の押さえ込みを図ったが,
...
.
成功しなかった.その子アメンヘテプIV世は,政権掌握と同時にイクエンア
..
テンと改名して,アテン神のみを神とする一神教への宗教改革を断行して首
都をアマルナに移した.これは世界初の一神教化とされる.その後継ファラ
....
オであるツタンカーメンのときには,アメン神の神官の巻き返しが成功して,
イクエンアテンの事跡は徹底的に消去されている. フロイトは,出エジプトでイスラエルの民を率いたモーセはイクエンア
テンの側近の一人であり,シナイ山頂でヤハウエとの契約を結んでヤハウエ
信仰を一神教化したという説を称えているが(フロイト,1939),出エジプ
トは史実としての記録がないので疑問視されている. 古代ギリシャ:未知の原因から神を排除 古代ギリシャ文明には,それ以前の周辺の諸文明であるエジプト,メソポ
タミヤ,インダスの影響がある.そのうちメソポタミヤ文明は,その後期が
古代ギリシャ文明と時代的に重なり,加えてギリシャのアジア側の植民地が
この文明と濃厚に接触しているので強い影響があったと思われる. 古代ギリシャとこれら先行する文明は多神教社会であり,神々の中に階層
- 70 - と序列があることで類似している.そして古代ギリシャの諸都市は都市神を
もっていた.これらはシュメル文明に見る神々の在り方と同じである. にもかかわらず,これら周辺の諸文明と古代ギリシャの文明との間には因
果関係の認識で大きな違いがあった.それは天地創造である.ギリシャ神話
においては,神が天地を創造することなく,最初に混沌にあった自然それ自
身が作り出す過程により天地が生まれたとする.人が未知の因果関係の原因
を神に求めることを止めた最初である. 天地創造を自然がそれ自身で作り出す過程としたとき,天地創造を説明す
るために,ギリシャは知を愛する行為(philo-sophia)として哲学を始める
こととなった.ここでの「哲学」は,哲学者が語る諸説という日本の哲学で
はなく,元々の意味の「愛知」を指す. 古代ギリシャの自然哲学に現れる多くの説については(ファリントン,
1939)を参照されたい.ここで指摘したいことは,これらの諸説が今日の科
学の知識にそのままは繋がらないことである.理由の一つは,科学の知識は
科学の活動の結果であり,古代ギリシャの自然哲学の説を継承していない.
もう一つに,自然哲学と科学の間に明確な断絶がある.ギリシャの自然哲学
は哲学であり,その説はそれ自身が矛盾を含まない限り説として成り立ち,
他から検証を受けることはなかった.これに対して,自然科学では自然と付
き合わせて検証された知識,および検証された知識から演繹的に導かれるこ
とが科学の知識の要件である. このことは古代ギリシャの自然哲学の価値が低いことを意味しない.そこ
には因果関係の未知の原因から神を排除したという根源的な貢献がある. ファリントンは,この考え方が生まれた理由が,ギリシャ人が技術におけ
る因果関係を自然現象に延長したことにあるとしている.技術では人が能動
的に自然に働きかけ期待する結果を得ている.その人為的な因果関係をその
まま自然における諸現象に延長したと見る.ギリシャに見られる建築,工芸
- 71 - などに見られる高度な技術を見れば,人為の延長として自然の事象を認識し
たとすることには説得力がある. しかし,この考え方では同じく高度な技術をもっていたメソポタミヤ文明 に自然哲学が生まれなかったことを説明できない.なぜメソポタミヤには生
まれないで古代ギリシャでは生まれたのか,理由を知りたくなる. (自然風土) その理由を自然風土の違いに求める.古代ギリシャの自然風土は現在と
大きくは変わらないとする.地図に見るようにギリシャは中部ヨーロッパの
南端に有り,一方を地中海に他方をその一部であるエーゲ海に接する半島で
ある.日本の自然風土がそれを囲む海からの影響を強く受けているように,
ギリシャの風土には地中海の性質が強く影響しているに相違ない. 地中海は,その名のように三大陸に囲まれ,大洋とは非常に狭いジブラル
タル海峡によって繋がっている巨大な池といえる海である.われわれが地中
海沿岸を訪れて海を見るとき,日本の周辺の海との大きな違いはそれが明澄
平穏なことである.海は透明で青く穏やかで空の青とコントラストを作って
おり,文字通り絵に描いたような海と空である.日本の周辺の海のように
猛々しく荒れている海ではない. 日本周辺の海が航海の障壁であったのに対して,地中海は交易路であり,
同時に多数の軍隊を繰り込み他国を侵略し,あるいは少数で海賊を働き陸地
にある都市を襲う道である.地中海でのイスラムによる海賊行為は 19 世紀
まで続いたという(塩野,2008,2009). 私がイタリアおよびトルコを訪れた際に瞥見した事実を傍証として,和辻
哲郎が 1920 年代後半に調査した結果(和辻,1979)を引用する.地中海が明澄
なことは,流入する河川が少なく土砂および富栄養塩の流入が少ないことか
ら懸濁物が少なく,かつプランクトンをはじめとする生物相が貧弱なことに
ある.とくに地中海のうちでもギリシャ半島が面するエーゲ海は,西を山に
よりふさがれ南はクレタ島によって南の海から遮断された狭い海域である.
- 72 - この海の特性が影響するギリシャ半島は,空気は乾き澄み渡り雨量は少なく
晴天の日が多く,すべてが明澄に見える世界である. 気候は単調でなく四季の変化は顕著である.6 月から 9 月にかけての夏は 雨が少なく暑い季節である.これにより夏には草が枯れ泉も涸れる.結果と
して日本に見られる夏草の繁茂はない.9 月から秋が始まり驟雨が来て草が
緑になり始める.といっても日本の冬よりは暖かく春に近い.11 月末から 3
月までの冬は南風が湿気をもたらし雨期となる. この気候は,樹木の繁茂が少なく乾燥に強い松,柳,糸杉が散見される植
物相をもたらした.顕著なことは冬草の繁茂である.これはギリシャの大半
を牧場と化し,牧畜が食糧生産の大きな部分を占めるものとする.そこには
日本に見られる夏草採りや暴風への備えのような自然との格闘はない.自然
は,それを受け入れて適度に介護することにより従順に人間に服従する. 和辻に依るところはここまでにして,これらの自然風土の影響を考える.
従順で人の行為に従う自然は,人の営みに自然がもたらす外乱が少なく,人
の行為とその結果という因果関係の信頼性が高いことを意味する.その環境
の下で望ましい結果を得ようとするとき,事象の因果関係に考えがおよぶこ
とは必然である.ここに自然哲学の思考が生まれる契機があった. そこでは自然による妨害がないため神の意思に気を遣う必要はない.ギリ
シャにおける神託の殆どは戦争の開始と帰結に関するものであり,日本に見
るように自然の平穏や豊作を祈願するものは殆ど記録されていない.戦争の
結果は,敵の存在により確定的でないので神託に頼ったのであろう.日本に
おいて農耕の結果が確定的でないので神に祈願したことと同じである. メソポタミヤ文明がチグリス・ユーフラテス両河の予測できない洪水に悩
まされ,それを神の意思とせざるを得なかったこととは異なる自然風土がギ
リシャに存在した.これがメソポタミヤ文明と古代ギリシャ文明の自然認識
に大きな違いを生んだと考えられる. - 73 - このように,事象の因果関係に考察が及び,それが技術という自然に対す
る能動的働きかけの延長と見るならば,自然に対して能動的に働きかけ,そ
の結果を見て因果関係を推定すること,今日の自然科学でいえば実験にあた
るものが古代ギリシャに生まれても不思議はない. エンペドクレスは,眼に見えない空気が物体であることを示すために水時
計を転用した.この水時計は,中空の長い筒の一端に小さな穴を開け,この
筒に水を入れて立て,小さな穴から水がしたたり落ちて水面が下がる速度で
時間を計るものであった.この水時計の先端の穴を指でふさぎ他端を水に浸
けたところ水は中空の筒に侵入しない.また,中空の筒に水を満たしてから
先端の穴を指でふさぎ空中で他端を下にしても水は落ちてこない.この事実
から,エンペドクレスは空間が空虚ではなく何かの物体で満たされているこ
とを確かめたという. とすれば次の疑問が湧く,古代ギリシャが実験を含めた自然哲学を生んだ
にもかかわらず,今日の意味での科学を生まなかったのはなぜか.ここに人
の行動様式に対する社会風土の影響があると考える. (社会風土) ファリントンは,古代ギリシャが今日の意味での科学を生まなかった理由
は,古代ギリシャでは技術が奴隷の仕事であったために低級な業務とされ,
哲学はその発展と共に高貴な貴族の仕事となり,貴族の意識が技術から離れ
たことにあったとする. これも一つの見解であろう.しかし,私は,より根源的な理由に社会風土
があると考える.それは古代ギリシャ社会の宗教が前述のように多神教に留
まり,都市により都市神が異なっていたことである.すべての多神教の神話
には神々の間の争いが存在する.ギリシャ神話もその例外ではない.これは
人の社会における争いが神の社会に転写されたものである. 古代ギリシャの都市の間にはペロポネス戦争に見るように戦争があり,古
代ギリシャは,メソポタミヤ文明と同じく,統合された文明国家ではなかっ
- 74 - た.都市が異なると哲学者の意見が異なることは当然のことであり,その間
の矛盾が追求されることはなかった. 自然哲学の中心はイオニア,エレア,シシリア,アテネと移動し,それぞ
れに学派を形成して,相互に議論し検証しあうことはなかった. 以上をまとめれば,古代ギリシャ社会が自然哲学の言説を生みだした理由
は,自然に見られる因果関係が安定で信頼をおける自然風土にあり,それが
整合的世界観に繋がることがなかった理由は,多神教の都市国家群に留まり,
すべての因果関係の原因を一身に担う唯一神をもつ文明国家ではなかった
ことにあると考えられる. とすれば,整合的世界観の源泉は一神教を基軸として統合され都市国家
群に分裂していない国家に求めることとなる.それはカナンの地に成立した
ヤハウエ信仰をもつ文明にわれわれを導く. ヤハウエ信仰:整合的世界観への揺らぎ カナンの地とは現在のイスラエルの地を指す.ここで,イスラエルという
名称を使わないのは,それが「神は(エル)戦い給う(イスラ)」という言
葉に由来し,ヤハウエ信仰の 12 部族連合が成立した後に自らの部族連合に
付けた名称であるからである.またイスラエルの 12 部族は後になってユダ
ヤと呼ばれた.これはその後の大国による侵略の中で生き残った部族ユダが
全体の名称になったためである.ここではイスラエルとユダヤ以前を考える
ので原名を用いる. カナンの地の当時の自然風土と地政学的状況を聖書研究者による考察(山
我,2003)から要約する.カナンの地勢を見れば,西は地中海に開かれ,東
北にヘルモン山地・ギレアド山地などが連なる中央山岳地帯を背負う.東南
がシリア・アラビヤ沙漠に接しているため,ギリシャよりもやや沙漠的性格
があるとはいえ,地中海気候の土地である.地中海からの湿潤した空気は山
地に当たって季節的に雨を降らせるので,牧草や果樹が繁茂する豊かな土地
で,旧約聖書の表現を借りれば「乳と蜜の流れる地」である.考古学の呼び
- 75 - 名で見れば,東はメソポタミヤから西はエジプトにいたる肥沃な三日月地帯
の東西を繋ぐ回廊に当たる. 長さ約 240km,巾約 120km という狭隘ではあるが豊饒な地に BC3300-2200
には平野部に多数の都市国家が存在した遺跡が認められ,BC1800−1600 には
文化的および経済的に活況を呈していた.天の神エル,豊穣神バアルやアシ
ュタルトなどがいる多神教であった.BC1500 年頃からエジプトの支配下に
入った. カナンの地とヤハウエ信仰の 12 部族が辿った歴史は,ヤハウエ信仰の部
族が信じている歴史書としての旧約聖書に語られている.これは信じられ伝
承された歴史であって,史実としての歴史ではないが,ヤハウエ信仰の部族
の歴史を辿る上では貴重な資料である. 加えて聖書研究者による伝承と史実とを突き合わせた数多くの研究があ
る(山我,2003).ここでは,伝承と史実とを突き合わせた結果(市川,2009)
を,社会風土の形成の視点,とくに整合的世界観の形成に関わる視点から抽
出し要約する. BC1500 頃には,イスラエルの祖先である 12 部族がカナンの後背の地で遊
牧生活を営んでおり族長時代といわれている.BC1200 頃この地に同時多発
的に新たな居住地が発生した形跡が遺跡として残っており,BC1150 頃に部
族連合としてのイスラエルが成立したと考えられる. 12 部族連合が成立したのち,彼らは海岸部の平野に侵攻し原カナン人を
駆逐して 12 部族に配分したとされる.この民族移動の原因としては,部族
の人口が増えたこともあるが,世界的に起きた一時的な寒冷化が狩猟採集生
活を困難にさせたことも排除できないであろう. このとき,12 部族連合が結束して原カナン人との戦争を遂行するには,
各部族がそれぞれの部族神を捨てて唯一神信仰に転換せざるを得なかった.
このために選ばれたのがヤハウエである.したがって,ヤハウエ信仰を乱す
ことは 12 部族連合であるイスラエルの崩壊を招くとして厳に禁じたことが,
- 76 - ヤハウエとイスラエルの民との契約という形になったと考えられる. イスラエルの海岸平野部への侵攻は旧約聖書が語るように短期間で成功
したのではなく,原カナン人の兵力装備とイスラエルのそれとを比較すれば
数十年を要する困難な闘いであったと推測されている. 現在の聖書神学においても,旧約聖書のモーセ 5 書について: ・ ヤハウエ信仰は,モーセとイスラエル集団が接触した部族から受け取っ
た初めての強力な神概念であり,イスラエル共同体はこの信仰により結
束の強化を図ったものであろう.なお,接触した部族は平野部の南に位
置するカディシュにいたメリバト・カディシュであるとする説がある. ・ シナイ契約(律法授与)は単なる神降臨の一つであり,ヤハウエ信仰と
結合して作りだされたものであろう. ....
としている.ここでの,神降臨とは左側頭葉の局所的てんかんにより生じる
烈しい神感覚であったろう. イスラエルの繁栄は,BC11 世紀から BC10 世紀に亘る百数十年の統一王政
時代に過ぎなかった.この間の王としてダビデ(BC1003−965),ソロモン
(BC965−926)が有名である. その後のイスラエルが歩んだのは,王国の分裂,
周辺の強大国による侵略という苦難の歴史であった. BC926 年のソロモンの死後に王国は南北に分裂し,北王国がイスラエルに
南王国がユダになった.このユダがその後の「ユダヤ」という名の起源であ
る.その後に周辺の強大国からの侵入が始まった.BC734 にはイスラエル・
アラム連合軍がユダに侵入した.BC722 にアッシリアがサマリアを征服し,
北王国はここにおいて滅亡した.このとき南王国はアッシリアに抵抗して命
脈を保った. BC696-642 にはユダ王国に異教が蔓延し,ヤハウエ信仰の徹底を図る申命
運動が始まった.BC586-585 にはバビロニア王ネプカドネサルがエルサレム
に侵攻してユダ王国を滅亡させ,上層階級の多数をバビロンに連れ去った.
有名な「バビロンの捕囚」である.捕囚地で預言者エゼキエルが活動し,こ
- 77 - の苦難はイスラエルの民がヤハウエとの契約を破ったことが原因である,と
して申命記・祭司文書が成立した.BC539 にペルシャ王キュロスがバビロン
を征服し,翌 538 年にキュロスの命令で捕囚民はユダに帰還し,神殿再建が
始まった. これらの苦難の歴史は,イスラエルという土地の地政的位置に由来した.
海岸平野部のきわめて狭い土地は,エジプト,メソポタミヤ,シリアさらに
アラビアという強大国が作るオリエント世界における回廊の位置にあった.
地中海を越えての西には,ギリシャとその後継であるマケドニアが存在した.
回廊としての位置は,イスラエルにとって通商交易路としての繁栄をもたら
すと同時に,大国の間の紛争に巻き込まれる原因でもあった. ヤハウエ信仰の根源は,イスラエルの民がこれらの苦難を地政的位置によ
るとはせず,イスラエルの民がヤハウエとの契約を破ったことを懲罰するヤ
ハウエの意思として認識したことにある.未知の原因を担う神の役割そのま
まである.その結果として,これらの歴史を神の意思に基づくとして記述す
ることが必要となった. これに沿って,旧約聖書は BC515 のハガイ,ゼカリア書成立,BC350 にモ
ーセ 5 書(創世記,出エジプト記,レビ記,民数記,申命記)の成立という
形で進み,BCC274-240 にはエステル記,ヨナ書,コヘレトの言葉,歴代誌
が成立している. 史実としての歴史は,これ以後エジプト,シリア,ペルシャによるユダ支
配の交代があり,支配国の介入とユダでの内戦により支配者の大祭司職の交
代が頻発した.この状況は BC37 にヘロデがローマの支持でエルサレムを征
服しユダヤ王として支配するまで続き,それ以後キリスト教の時代となった. このように書き直された歴史と史実としての歴史を突き合わした具体的
内容は聖書神学,例えば(山我,2003)を参照されたい.ここでは,整合的
世界観に関わる旧約聖書の整備を眺めておく. - 78 - 整合的世界観への選択圧 創世記は,ヤハウエの全能を示すための国生み神話,日本神話でいえば
「オノゴロジマ」ト「ミトノマグアイ」に当たる神話と考えられる. カナン侵攻とヤハウエ信仰の確立は,
(1)支配者をモーセ一人にして指揮
権限を与える,
(2)12 部族の一致団結に向けて部族神を放棄し一神にする,
そして(3)ヤハウエがイスラエルの民にカナンの地を与える,としてカナ
ンの地への侵攻を正統化するためになされたと考えられる.このことは,神
をヤハウエ一神としそれ以外の神を信じないことが最高の律法(契約)であ
り,それを破ることを最大の罪としたことと符合する. その後にイスラエルの民に起きるすべてのことは,ヤハウエの意思によ
るとして旧約聖書の歴史は作られた.例えば,王朝時代における北王朝での
王権の簒奪は,王権を奪われる側がヤハウエとの契約を破って異教を信仰し
たことに対するヤハウエの意思とすること,北王朝がアッシリアにより滅ぼ
されたこともヤハウエの意思の下での必然としたこともこの延長にある. 史実では,北王朝を征服したアッシリアは征服地の民を移住四散させ,そ
の地に他の征服地の民を混合配置するという政策を採り,これが北王朝を滅
亡させた.これに対して,南王朝を征服したバビロニアは,征服地の民をそ
のまま集団として取り扱い,バビロンの捕囚に見るように,ある程度の自由
を与える政策を採ったことが南王朝の存続を可能にしたと考えられる. 「イスラエルの民に起きるすべてのことがヤハウエの意思に基づく」とす
ることは,中井教授がいう「すべてのことは自分が原因であると思い込む統
合失調症の患者」を連想させる.うち続く苦難の中でユダヤの指導者グルー
プが一切のことの原因はヤハウエにあるとして,心の平安を得る心理状態に
あり続けたのかも知れない. 心理状態はさておき,イスラエルの民がカナンの地という回廊にあったと
いう地政的環境がもたらした一神教への選択圧であったことは否めない. - 79 - キリスト教による一神教の放散 ヤハウエ信仰はそれを引き継いだキリスト教の教会の強力な政治力に依
って,パックスロマーナの下で西欧全域に放散した.キリスト教は,ユダヤ
教より緩い戒律の下で,多くの使徒が教祖となり多くの分派に分かれた.そ
の間の権力闘争において,いま正統とされているキリスト教以外は追放され
グノーシス派と一括されている.グノーシス派の聖典は死海聖書やユダの福
音書として今日に残っているほか,アフリカにおいて信仰が継続している. 正統なキリスト教は,ローマ皇帝コンスタンチヌスによりローマの国教と
され,パックスロマーナの下で西欧に展開した.これが唯一神による普遍的
教義として今日の西欧諸国の精神的基盤となっている.7 世紀にいたって,
ユダヤ教への回帰としてイスラム教が生まれ,兄弟憎悪の下でハンチントン
のいう文明の衝突を起こしている. ここで,ヤハウエ信仰の副産物に注意を払っておく.旧約聖書に読むヤハ
ウエの言葉は,契約の箱の設定,神への貢物の規定,野営屯所の設営の指示
に見るように詳細を究めている.ヤハウエの言葉は預言者の言葉として繰り
返され,その言葉を忠実に執行した様子がもう一度記述される. これが新約聖書ヨハネの福音書の冒頭の 3 節; 1:1 初めに言(コトバ)があった.言は神と共にあった.言は神であった.
1:2 この言は初めに神と共にあった. 1:3 万物は言によって成った.成ったもので言によらずになったものは何一
つなかった. にある言語への万全の信頼につながったものと推論される.このことは,西
欧社会における契約書が詳細を究めることに通じており,また,科学のモデ
ルから目的論を排除することにつながったと考えられる. キリスト教のパクスロマーナに乗った西欧全域への展開が,現在の西欧キ
リスト教社会における整合的世界観の根源である.これが自然科学を生むと
共に,言語への信頼と併せて人の社会の整合性への過信を生み,今日の自然
- 80 - 科学と人文社会科学の乖離につながっている. 普遍的正義は仮構である:神の再登場 キリスト教は,その教義である普遍主義,戒律の適度な緩やかさ,およ
び教義に関わる学問としての神学を奨励したことから,宗教改革を経て啓蒙
思想を敷衍させ,米国の独立とフランス革命を経て,自由な社会を実現し,
科学を誕生させ発展させた(市川,2008). 科学は未知の因果関係を解明してその原因を明らかにしつつあり,その
意味で神の役割を交替しつつある.他方において,善悪の基準を定めて整合
的でない人と社会を統合する原理を求める上で,人が作る哲学は神の役割を
代替できていない(サンデル,2009). 自由な社会には,シンボル言語世界の整合性のなさが現出する.とくに
市場経済を介しての経済的欲望の自由な表出は,共産主義がかつて資本主義
の末路と呼んだ状況に社会を近づけつつある. この過程で明確になったことは,シンボル言語の整合性のなさが現れる
人の社会には,実質的にも学問としても整合的な普遍な善は存在しないこと
である.普遍的整合的な善は人工的に作り込む以外にない. これは宗教が果たすべき役割である.現代はこの神の役割の再登場を必
要とする.この意味で人類は特定の宗教の教義を超えた普遍宗教を必要とす
る時代に入りつつある.これに対応しようとする公共宗教とその考え方(津
城,2005),(藤本,2009)は考察の価値があるのかもしれない. 私自身は,すべての宗教に共通している「黄金律」,それも「自分がし
て欲しいことを他人に行え」という能動型でなく,「自分がされて嫌なこと
を他人にしない」という抑制型の黄金律を中心とする宗教がこの役割を果た
すと考える(市川,2007). - 81 - 8.進化:揺らぎと相互作用の性質 進化:揺らぎと相互作用というモデルは,3章に示したモデルがもつべ
き条件を満足しており,システムの創発,シンボル言語および神の誕生と変
容という基盤的な事象の誕生を説明するだけでなく,現代文明社会に見る代
表的な事象の性質を説明する.それを示すために,進化:揺らぎと相互作用
というモデルがもつ性質を明らかにする. 進化の機能表現から直ちに導かれる性質 進化がもつ性質の一部は,進化の機能表現から直ちに導かれる. 性質1(システムの創発と自己組織化):進化はシステムを創発し自己組
織化する. (説明)変成体は機能(1)により状態が変化するので,状態が異なる変成体が
生れる.これらの異なる変成体の間には機能(2)により,相互作用が存在す
る.すなわち,進化は変成体を要素とし変成体の間の相互作用を要素の間の
関係とするシステムを創発する.このシステムは機能(1)および(2)が維持さ
れる限り頑健で,進化を続ける進化システムである. 性質2(共進化):ある変成体Aと別の変成体B との間に互いに他の複製
の頻度を上げる相互作用があるとき,この相互作用は,互いに他の複製の頻
、 、
度を上げる変化をした変成体AとBを選択するので,両方の複製の頻度が増
加する.これを「AとB が共進化する」という. 性質3(進化の袋小路):特定の相互作用の場に過度に適応した変成体は,
相互作用の場が大きく変化したとき,それへの適応が遅れて劣勢になる.こ
れを進化の袋小路に入るという. 性質4(ダーウィン・ディレンマ)
:進化システムの中にある変成体は,競
争的拡大を自制できない.これを「ダーウィン・ディレンマ」という. (説明)進化システムの中で複製の頻度が低い変成体は劣勢になる.拡大競争
を続けると他の制約に抵触してシステム全体が危うくなると気づいた変成
体が,危険を回避するために自制して複製の頻度を下げると,進化システム
- 82 - の中で劣勢になる.結果として進化システムの中には活発に複製する変成体
が卓越して,システムはますます危うくなる. 生物学者のG.ハーデンはこれを「コモンズ(共有地)の悲劇」と呼んで経
済学の分野での論議を巻き起こした(Hardin,1968).ここでは概念を拡張して
ダーウィン・ディレンマと呼ぶ. 性質5(予見不可能な進化の方向): 進化は変成体の揺らぎとそれによる
相互作用の場の揺らぎの下で起きる行方の定まらない変化である.この点で,
進化と特定の目標に向けた変化である進歩とは異なる. 性質6(抑制を受けない変成体の暴走):抑制的な相互作用を受けない変成
体は,指数関数状あるいはそれ以上に急速に数を増加させる. (説明)複製体の正味の複製率は 1 以上であるので,指数関数状に数が増加す
る.促進的な相互作用を受ける複製体はそれ以上の速度で増加する. システム構造を導入して導かれる性質 進化の機能表現にはシステム構造が入っていないので,これから導ける
性質はシステムの創発特性を含まない.創発特性を知るには進化システムに
構造を入れる必要がある. 構造を入れる上で注意が必要である.規定された機能を実現する構造に
は規定以外の機能が付随するからである.厚い本は昼寝の枕にもなる. 進化の機能表現を実現する最小の構造として,von Neumann が導入したセ
ル・オートマタ(以下「CA」)(Codd,1968)を修飾して用いる.CAを選定
する理由は次の特徴にある. ・ 進化システムの機能表現をそのまま構造としてもつ最小の機構である. ・ 進化システムの状態の変化を視認しやすい. ・ 変成体および変成子の状態を視認しやすい. ・ 相互作用を自由に選べることから数値実験に適している. なお,ノイマンはCAがプログラム型計算機と同等な能力をもつことを,
万能チューリングマシンの能力をもつCAを構成することで証明している
- 83 - が,ここに導入するCAはノイマンのものを修飾しており,かつ進化の機能
表現を構造化することに特化しているので,万能チューリングマシンの能力
をもたない. この意味で,ここで導入するCAは,進化システムがもつ創発特性を抽
出するためのもので,特定の進化システムの性質を数値的に求めるものでは
ない.この意味で定性的モデルである.以下は,
(市川,1999,2002,2009)を
要約しているので,詳細はこれらを参照されたい. (セル・オートマトンの構成) 2次元CAモデルを次のように構成する. (1)図4に示す 2 次元の正方の格子を考え,こ
れをCAとする.一辺の格子の数をCAの大きさ
という.なお,CAに縁がないようにCAの辺を
対向する辺につなげる. (2)セル(変成子)の状態:CAの格子の目を
「セル」という.セルを変成子に対応させ,状態
をもたせる.状態の表現として計算機での取り扱
いに適したゼロを含む正の整数の組とする.整数は 1 つに限らない.導入す
る状態の数に応じて必要な数の整数の組を設定する.以下の数値実験では状
態を表す整数が 1 つの場合を例として示す.すべてのセルの状態の集まりを
「CAの状態」という. (3)セル(変成子)の相互作用:セル(赤いセル)の状態は,そのセルと
その近傍にあるセル(灰色のセル)の状態に依存して変化する.これが変成子
の間の相互作用を表現する.時刻 t における赤いセルの状態が x(t)である
とき,次の時刻におけるこのセルの状態 x(t+1)はそのセルと近傍のセルの
状態を変数とする「推移規則」で定まる.推移規則は数値実験で設定したい
相互作用が実現するよう定める. これから示す数値実験の例では,推移規則を次のように定める. - 84 - 状態変化:近傍のセルの状態の合計が定められた値に等しいとき,セルの
状態xの値は 1 だけ増加する.これは漸進的変成に相当する.変成子の
状態ゼロはそのセルに変成子がないこと,ゼロから正の整数に変化する
ことはその変成子の生成を,正の値からゼロになることはその変成子の
消滅を,それぞれ意味する. 複 製:そのセルおよび近傍のセルの状態の総和が状態変化の条件を満たさ
ず,かつセルの状態の値のある倍数f以下であるとき,状態の値xは変
わらない.これが変成子の複製を表す. 消 滅:近傍のセルの状態の総和が,状態の変化および複製の条件を満たさ
ないとき,セルの状態は次の時刻でゼロになり変成子は消滅する. このCAモデルのソフトを(市川,2002)に CD-ROM で添付してあるので,
興味がある読者はこれを入手して実験して頂きたい. 数値実験とその結果 ここに示す数値実験では,実験の目的からとくに実験条件を変える場合
を除いて,CAを次のように定めている: CAの大きさ=41, 状態変化の条件:周辺のセルの状態の合計が 1, 3,または 5, 複製の条件:倍数 f = 5, 表示の簡単のために,実験条件を次のように書く. {CAの大きさ/CAの初期状態/状態変化の条件/複製の条件} 例えば,上に示した実験条件で,CAの初期状態が状態 1 のセルが 1 個の場
合には,実験条件を次のように表す. {41/(1)/1,3,5 / 5} なお,CAの初期状態が,セル全体の X%のセルの状態が1でランダムに
配置されているときには,それを RX と表す. 以下に示されるCAの性質は頑健で,実験条件の広い範囲に亘って観察
される(市川,1999).進化システムが頑健なことに対応している. - 85 - 状態1の変成子が1個存在するCAの状態から推移させた経過を図 5 に
示す.これから幾つかの性質が読み取れる. 性質1(再掲,システムの創発と自己組織化):進化はシステム階層を創
発する. CAの挙動から関連する幾つかの性質が見られるので,次に示す. 性質1a(変成体の創発):進化は変成
子が連結された幾つかの種の変成体を創
発する. (説明)「種」とは変成体の構造,すな
わち変成子の連結,が等しい変成体の 集まりをいう.変成体は何段階かの推移
を経て作られる.図6に図5の推移で創
発した最大の種が作られる経緯を示す.
セルの中の数字は変成子が変成体に連結
した時刻を示す. 性質1b(自立種と依存種の創発):創
発した変成体には,自立種と依存種がある. (説明)自立種とは単独で変成を続けられる変成体の種をいう.依存種とは
近傍に特定の種があるに限って変成を続けられる変成体の種をいう. 図7(次頁)は,図5の推移で生まれた自立種の例である.セルの中の
- 86 - 数字は状態の値を示す.自立種であることは,これらの変成体を単独の初期
状態として推移させるとき,変成体が維持されることで判定できる.依存種
は,それを単独の初期状態として推移させ
ると崩壊する. 自立種と依存種の依存関係の一例を図
8に示す.ここで,A,Dは自立種,B,
Cは依存種である.B,Cは,A,Dと図
に示す相対的な位置関係にあるときに複
製できる.この場合,A,B,C,Dのい
ずれかを部分的に破壊すると全体が崩壊
する. 性質1c(システム階層の創発):変成体
は変成子の連結で作られるシステムであり,さ
らに自立種と依存種の依存関係で作る上位の
システムが形成されるので,図5のt=10以降に
見る様にシステム階層を創発する. 性質7:
(進化システムは複雑系である)
:進化
システムの推移は複雑系である. (説明)ここで複雑系とは,構造が複雑という
意味ではなく,以下の性質が示すように,挙動
が複雑で予測が困難なシス
テムをいう. 性 質 7 a (大きな変化が断
続的に起きる)
:進化の過程
において,セルの状態に断
続的大きな変化が起きる. (説明)変成子の状態の最
- 87 - 大値には,図9に示すように,断続的に大きな変化が起きるので予測が難し
い.生物において,進化は漸進的に起きるとするダーウィンの説と断続的に
起きるとするS・J・グールドの断続平衡説が論争したことがあった.進化
の推移には,漸進的変化と断続的進化の両方が観察されることから,両方共
に進化に普遍な性質であることが分かる. 性質7b(微小な変化の拡大):揺らぎと相互作用の系に微小な変動が起き
たとき,時間が隔たった後において大きな相違に拡大する. (説明)図 10 は,時刻 5 においてセル a が 3 であるか(上),ゼロであるか(下)
のわずかな違いがあるとき,10 時刻ではCAの状態はあまり大きくは違っ
ていないものの,100 時刻の状態では全く異なる状態となっている.生態系
においても,ある時点での特定の種が絶滅したときなどに観察されており,
また人間社会の歴史においても見られ,歴史に法則を見いだすことを難しく
している.複雑系であることは進化の普遍的な性質の一つである. - 88 - 性質8(世界が大きいほど種の数は多い)
:創り出される種の数は棲む世界
が大きいほど多い (説明)図 11 はCAモデルの
大きさと創り出される種の数
の関係を示す.この数値実験で
は状態変化と相互作用の条件
を一定に保ち,CAモデルの大
きさだけを変えている.CAモ
デルが大きいほど作り出され
る種の数は多い. 生態系においては,生息す
る領域が広いほど生物種が多
いことが観察され,広い森が道路等により分断されると生息する種の数が激
減することはよく知られている. 性質9:進化はスケールフリー・システムを創り出す. (説明)スケールフリーとは,ネットワークにおける要素の結合の数の分布
についてバラバシが提唱したものである(バラバシ,2002).彼はインターネ
ットにおけるファイルの間の引用関係が,それまでのネットワーク解析で用
いられてきたランダムな分布ではなく,引用数が多い少数のファイルから,
引用数が少ない多数のファイルに亘る分布が冪乗分布にしたがうことを見
出し,それをスケールフリーと呼んだ. これが進化に普遍な性質であることを示す.変成体を構成する変成子の
数の対数を横軸に,その変成体の数の対数を縦軸にとって描いたグラフが図
12(a),(b)である. (a)では推移規則(状態変化の機会と相互作用)を一定にして,初期状態
とCAの大きさを変えている.推移規則が等しい場合には,初期状態とCA
の大きさにかかわらず等しい冪指数をもつ冪乗分布にしたがう. - 89 - (b)では初期状態とCAの大
きさを一定にして,推移規則を
変化させている.相互作用が大
きいときには冪指数が大きいこ
とを示している. スケールフリー・システムに
なることは,揺らぎと相互作用
に普遍な性質である. 以上に示した進化システム
の性質はすべてではなく,典型
的な幾つかである.これらの性
質は次の章に示すように現代文
明社会に顕著に現れている. - 90 - 9.現代文明社会に現れる進化の性質 システム創発と自己組織化 社会のおける進化の性質1,1a,1b,1c(システム創発と自己組織化)は現代
社会に顕著に現れている.これは国際関係から社会統治,民間活動,そして
個人の営みに至る広範な活動に現れている.ここでは見えやすい個人を視点
として眺めて(市川,2010)を要約する.
(個人の行為の社会化)
人の社会が文明化して分業が始まって以来,進化の性質であるシステム
の創発と自己組織化(性質1.1a,1b,1c)は急速に進行し,現在ではますます
著しくなっている.
かつて人間が生き残ることは,一人ひとりの問題で,例えば食糧の確保
は人それぞれの営みであった.現代ではそうではない.現代文明は一人ひと
りが生き延びる努力を必要としない社会を,システム創発と自己組織化によ
り実現した.とくに日本は,一人ひとりが食糧と水と住居の確保において,
夢のような理想郷を実現した.第二次大戦末期および敗戦後の食糧難,住宅
難および社会不安の時期を過ごした私はこのことを痛感する.
これまで個人の領域に属していた生き延びるための行為が,個人を離れ
て社会の機能となることを「個人の行為の社会化」といおう.生き延びるた
めの行為はどんな状況においても必要であるが,それが個人の行為であると
きと社会化されたときとでは個人にかかる負荷の性質が著しく異なる.
個人にあるときには,生き延びるための行為も,優先性は高いものの,
個人が行う多くの行為の中の一つである.勉強すること,遊ぶこと,子供を
産み育てることなどの多くの仕事に時間と労力をどう配分するかは個人の
選択に任される.第二次大戦後に青春を過ごした私の経験からいえば,腹を
空かせて勉強してもよいし,勉強を休んで沢山の食糧を手に入れてもよい.
それらの競合する行為を調整することは個人の選択の問題であった.
- 91 - これに対して,生き延びる行為が社会の機能となると,それを担う組織
の「業務」になる.それが確実に行われないと,多くの人の生命が脅かされ
るので,その組織は業務を確実に行う必要がある.そのために必要な諸規則
を定め,それを守ることがその組織のメンバーの「義務」となる.すなわち,
個人の行為であれば個人の選択の問題であることが,社会化すればそれを担
う個人の業務となり義務を伴う.
個人の行為の社会化は生き残る行為に限らない.システムの創発と自己
組織化は急速に進展して,出産,育児,教育,生業,健康,老人介護など人
間の活動のすべての側面が社会化され組織化されるに至った.その結果とし
て,かつては共同体であった社会はいまや殆どすべての面で機能体と化して
いる.機能体は,最小のコストで最大の達成を目指す.人は,機能体の最小
機能要素として,最小のコストで機能を最大に発揮することとなった.
社会の機能体化はいまに始まったことではない.食糧の余剰と共に始ま
った文明化は同時に社会の機能体化であった.社会を維持する機能が政治・
行政組織として機能体化され,社会の安全を確保する機能は,国内において
は治安維持組織,外国に向けては軍隊などの特別な組織が担うこととなった.
現在の機能体化はこのような特別な任務に限らない.一般市民の毎日の
生活が機能体の要素機能の性格をもつに至った.機能体となった社会の中で,
人々は自分が属している組織と自分にかかる選択圧の下で仕事をする毎日
を過ごし,自由を放棄して社会的義務を果たすことが任務となった.自由を
獲得した社会が実現した進化システムが,人々の自由を拘束している.
このことは,人々から共同体である地域社会の活動に参画する機会を奪
って無縁社会を生み人々を孤立させている.さらに共同体の最小機能要素で
ある家庭から父と母を奪って,家庭内での子供のしつけや老人介護を難しく
している.その結果,子供のしつけや老人介護の社会化がさらに進み,それ
を業務として担う人々はますます忙しくなる,というデス・スパイラルに陥
っている.
- 92 - 機能体の中で選択圧の下で任務達成の義務を背負う業務では,強いスト
レスを受ける.個人の行為の社会化の進展に伴って,社会におけるストレス
の総量は増え続けている.自殺者が増える所以である.精神科医の話による
と,かつては精神障害をもつ患者とそうでない人の境界は明瞭であった.最
近は厚生労働省の精神障害判定基準で見ても,境界がぼけてきて精神障害の
程度の分布が広がっているという.
ストレスに耐えられない人たちの中には,義務を回避し機能体社会から
離脱する人がでる.これがニート,フリーターあるいは青テントなどの社会
からのドロップアウトにつながる.この行動を教育の問題として教育基本法
の改正が議論されたが,ピントはずれである.この問題は,個人に属してい
た仕事を社会化した結果として生まれたもので,教育問題に閉じて解決でき
る問題ではない.
一方において,義務と責任を伴う仕事の達成に快感を伴うこともある.
第二次大戦後に食糧の確保と安全の維持という問題を個人から社会へ移し,
この意味での理想郷を日本に実現したのは,戦時中の惨禍を生き残り戦後の
社会再建に邁進した世代であり,現在80 歳以上の人々である.これらの人々
には,歳を取っても生き生きと前向きに取り組んでいる人が多い.
生き残りが危険に曝されている,という意味でストレスの強さは今日の
比ではなかった.もちろんこの人々の中にも精神疾患を患った人がいたが,
その割合は今日より比率として少なく,かつ精神科医の言葉によれば明確な
患者であったという.自分の努力が日本社会の再建に直結する実感がもて,
自分の能力の全能性を維持でき,自分の行為の結果が見えれば,ストレスが
強くても耐えられ達成感をもてる.
社会の機能体化が進展し,細分化された自分の仕事と社会でのその意味
との因果関係が見えなくなると,ストレスが拡散して耐え難いものになり,
精神障害の態様も多様になり拡散する.
人の営みのほとんどすべてが社会に取り込まれた結果として,人は社会
- 93 - にある多くの活動に依存する依存種(進化の性質1b)となった.この意味で,
今日の社会はきわめて脆弱である.文明の進化のレベルからいえば,一次産
業である農耕は肥料や高度な農機具がなくなっても,効率は低いとしても生
産を続けられ,自立性が最も高い.第二次大戦末期と終戦後の食糧危機を経
験した世代は農耕の自立性の高さに救われた.二次産業,三次産業と近年の
産業になるほど産業相互および他の活動への依存度を高めている.
食糧,エネルギーそして水はヒトの生き残りに必須である.これを確保
している社会と国家は,最悪の場合でも自立して生きられる.フランスなど
の農業国が国際交渉において強い立場に立てる理由はここにある.日本社会
も,社会とその中の一人ひとりの自立性が高い社会に復帰する必要がある.
(個人の能力の専門化と単能化)
個人の選択の下にあった行為が社会の組織の仕事になると,その組織は
顧客の選択を選択圧として受ける.組織は最小のコストで最大のサービスを
提供して,顧客の選択を確保して生き延びようとする.それはサービスを担
う組織と人の専門化を要請する.
組織は進化するから自己組織化して内部構造をもつ.それは内部組織で
働く人に担当する業務を効率的に処理できる専門家であることを要求する.
専門に徹底するときそれは単能化する.大量生産工程がそこで働く作業員を
単能化したように,社会の知識化が進んだ現在では知識人も単能化する.法
務,財務,会計,研究開発,設計,生産,販売,流通などに専門化し単能化
する.
専門化と単能化は社会の現状に適応して進む.現状に適応して獲得した
単能的な専門能力は,進化の性質3(進化の袋小路)に落ち込み,その後の
社会の変化に適応できなくなる.進化する社会には性質7aにより大きな変
化が断続的に起きる.すなわち,社会は個人に専門化と単能化を強いると同
時に,それに適応した単能的専門家を袋小路に追い込み劣勢な種として絶滅
させる.そしてこの頻度は次第に高くなる.求職と求人のミスマッチングは
- 94 - これに由来する.
これに対応する方策は,一人ひとりが大きな変化に対応できるよう全能
的な潜在能力をもつように育成することである.この方策を採るためには,
人々に,すべての能力の基礎となる事柄を繰り返し継続的にかつ徹底して教
育する必要がある.
これに対して日本の教育は,高等学校教育から文科と理科を区別し,大
学学部に狭い専門の学科をおき,大学院教育は研究中心で進化樹の枝先に入
った知識を付けている.この意味で日本の教育は性質4(ダーウィン・ディ
レンマ)の下にある.今日の枝先の要請に応えて就職できる能力を付けるこ
とが,進化樹の主幹から外れた人々の養成につながっている.
すべてのレベルの教育において,進化樹の主幹にある基礎的な知識を広
範かつ深く教育し,その能力を確認して課程を終了させるべきである.この
ことは博士課程教育においても然りである.
(老人介護と少子化)
社会の組織化と機能体化がもたらす負の面は老人介護にもある.かつて
老人介護は家族の中の問題として解決されていた.それが社会の業務になっ
たために起きているのが現在の老人介護問題である.
家族による介護から介護士による介護になり,それに必要な経費をまか
なうために介護保険が導入された.介護のレベルを社会的に揃えるために基
準が制定された.介護保険からの介護士への支払額と介護労働の重さとがバ
ランスしていないので,介護士は少ない報酬の下で過重な労働を強いられて
希望者が少なく,インドネシアやフィリッピンから介護士を導入している.
社会化された結果として,老人の能力に等級を付け,等級に見合った介
護レベルを設定している.しかし,老人の能力は多様であり生活する環境に
依存して変化する.それを一律な等級にはめ込むこと自体に大きな無理があ
る.一人ひとりの老人の能力をよく知るものは彼および彼女らの家族である.
家族の中で老人介護がなされているときには,老人一人ひとりの違いにあわ
- 95 - せて,家族による介護の内容のレベルも方法も違っていた.
介護を社会共通のレベルに揃えるとすれば制度化が必要である.しかし,
一人ひとりの違いに合わせて,家族の中で介護したほうが老人にとって幸福
であろう.現場での経験に基づいて介護を研究している大井玄は,家庭の中
で介護され家族と適切な交流をもっている老人では,認知症の発症が抑制さ
れ幸福な生涯を送れる,と述べている(大井,2004, 2008).
老人介護問題には,生き残る行為を社会化することのマイナスの面が鮮
明に現れている.社会化の必要性は,労働年齢に当たる人々が家庭から切り
離され老人を介護できなくなったことから来ている.厚生労働省が2009 年1
月30 日に発表した市区町村別の合計特殊出生率の順位(厚労,2009)は,
この意味で興味深い.上位30 位まですべて島嶼または山村である.下位20
位までは大都市の
山手地区である.表
1に上位5地域と下
位5地域を抜粋した.
この表における「状
況」は私が調べたも
ので現報告に記載
はない.
このデータがも
つ意味の分析は今
後に待たれるが,一見して読み取れることは,島嶼や山村においては生業が
一次産業であり,社会の組織化があまり進行しておらず,生き残るための行
為を個人が行っている割合が高い.また,このような地区では老人は家庭に
あって長年の経験を生かし,ところを得て生き生きと生活している.このよ
うな地区では出生率が高い.
一方,生き残るための行為の社会化が進み,社会のシステム化が進み組
- 96 - 織化されて,個人の能力が解体され専門化と単能化が進んでいる大都市部で
は出生率が低い.
老人介護問題と少子化問題は,個人の行為の社会化がもたらしたもので
ある.個人の介護負担や育児負担を減らすために,養護ホームや育児施設を
増やすことは社会化を促進しデススパイラルを進行させる.対策を進めるに
当たって,この視点で十分に分析する必要がある.
スケールフリー・システムがもたらすこと
(価格を支配する大規模流通業者)
進化システムには,性質9(スケールフリー・システム)が発現する.
スケールフリー・システムには,バラバシが「ハブ」と呼ぶ他の多数の要素
と結合する要素が発生する.これがもたらすマイナスの面として,クリント
ン大統領時代に労働長官であったR・ライシュが指摘する2つの問題(ライ
シュ,2008)を考える.
一つは,ものの価格を支配する大規模流通業者の問題である.日本でも,
原油の国際価格が高騰して,ガソリンの卸売価格が値上がりし,それに対応
して小売価格を上げたとき,消費者の買い控えが起きて値上げの一部が撤回
されたことがある.消費者の行動が消費物価に影響を与えた始まりであった.
これまでは大手石油精製企業が価格決定権を持っていた.国際価格で原
油を購入し,精製のコストを積み上げ,適正と認められる利益を上乗せして
卸売価格を決め,それが小売価格に反映されてきた.これに対して,消費者
の購買行動により小売価格を下げざるを得なくなったことは,価格決定権の
一部が消費者である一般市民に移ったことを意味する.
これはガソリンの価格に留まらない.大衆消費財のすべてに及んでいる.
家電製品において量販店の価格交渉力が強くなり,家電製品のメーカーは卸
売価格設定の交渉で弱い立場になった.量販店が強い立場に立てる理由は値
段が高いと消費者が買わないことに尽きる.消費者は量販店を覗き歩き,イ
ンターネットで価格の比較情報を探索して安いものを探す.消費者の選択
- 97 - がものの価格を決めている.
食糧など生活必需品ではこのことがとくに著しい.食糧品を扱うスーパ
ーマーケットは,小売価格を上げれば消費者を他に奪われることから,仕入
れ価格を下げることに懸命になる.そして多数の最終需要者を抱える強み
を背景に生産者に圧力をかける.
消費者一人ひとりの力は弱く生産者と価格交渉をする力はないが,それ
が大規模流通業者というハブを介して多数が結集されると,強い価格決定力
をもつ.近年,長年にわたって消費者物価が上昇しないのはこのことによる.
これを需要と供給の不整合にあるとして,需要を拡大させて景気を浮揚させ
ようとする経済政策は,その基礎である経済学が過去の経済環境の下で袋小
路に陥っている.
これが何をもたらしているかは明らかである.消費者一人ひとりにとっ
て値段は安いほどよい.消費者は値段が安いものを探し求める.生産者と消
費者の間に立つ大規模流通業者は実質的に付託された権力を行使して,仕入
れ価格をできるだけ下げようとする.
価格決定権を奪われた生産者はできるだけコストを削減して,同業者と
の競争の下で安く卸せるように努める.この競争に敗れた生産者は市場から
の退出を余儀なくされる.生産者はコストを最大限に下げる方法の一つとし
て,労働者の賃金を切り下げ人件費を削減する.労働組合がこれに抵抗すれ
ば,安い賃金の非定期労働者を導入するか,賃金の安い国や地域に生産拠点
を移す.
それだけではない.原材料コストを切り下げるために,それが環境破壊
を起こし,安全に不安があることを知りながら安い原材料を使い,自らも環
境負荷の軽減や安全にかかるコストも最大限に圧縮する.これは,性質4(ダ
ーウィン・ディレンマ)が招くモラルの崩壊である.
消費者一人ひとりが安いものを求めることが,非人道的な労働搾取に,
求人数の低下に,安全を欠いた社会環境に,そして自然環境破壊につながっ
- 98 - て,消費者の生活に跳ね返ってそれを破壊している.これもダーウィン・デ
ィレンマの一つの形である.
この問題を本質的に解決するには,生産者と消費者を直結してハブを無
くし,適正な価格で取引される市場を作る以外にない.欧州にみられるフェ
ア・トレードはこの意味で健全な行動である.日本社会も消費者は安さを追
い求めるばかりでなく,適正な価格を支払って,健全かつ安全な社会の実現
に向けて行動しないと,結局は自分に跳ね返ってくることを自覚すべきであ
ろう.
(ファンドの猖獗)
R.ライシュが指摘する二つ目の問題はファンドの猖獗である.そこに
は資本市場における主役の交代という資本構造の変化がある.
伝統的な資本主義体制では,資本を提供するのは資本家であり,企業の
大株主は資本家たちであった.ここにファンドが登場してきた.年金積立金
を基盤とする年金ファンドやヘッジファンドに見られるように,ファンドの
基金はファンドに金を預託する市民という投資家のお金である.それがファ
ンドというハブに集積され資本市場に参入してきた.
ファンドという資本は資本家がもつ資本と大きく異なる.資本家がもつ
資本では,資本の運用は資本家の自己裁量にある.これに対してファンドの
運用においては,資本は投資家のお金であり,ファンド・マネージャーには
投資家の代理人として運用を付託されている.ファンド・マネージャーは高
利回りの運用を続けない限り,投資家はそのファンドから離れる.ファンド・
マネージャーにとって,ファンドの運用における裁量は高利回り以外にない.
一人ひとりであれば資本市場を動かせない少額の投資家の力がファンド
というハブに集積されると,ファンド・マネージャーが資本市場を動かし得
ることになる.そしてその運用の原則は高利回り以外にない.
かつて,多くの資本家が教育とか文化的事業に金を寄付し社会に還元し
ていた.ファンド・マネージャーにそんな贅沢は許されない.それによりフ
- 99 - ァンドの利回りが下がれば投資家が離れる.ファンド・マネージャーにでき
ることはより高い利回りを追求することだけである.
資本家の資本に対してファンドの資本が相対的に小さいうちは資本の構
造は変わらない.しかし,ファンドからの資本が総資本の半分に達しようと
する今日では,資本市場における意思決定はファンドへ投資する市民からの
付託を受けたファンド・マネージャーに委ねられる.
米国においては,大規模流通業者やファンドが,立法府でのロビー活動
を通じて,自らに有利な法律を制定させている.ライシュは,これを民主主
義を崩壊させるスーパーキャピタリズムと呼んでいる.2008 年のリーマ
ン・ショックに見られるファンド・マネージャーの一見強欲な行動は,以上
の意味で他に選択の余地のない行動であり,「なすべきことはすべてやった」
という投資会社のCEOの議会での証言は上述の意味で嘘ではない.ダーウ
ィン・ディレンマに呪縛された人間の悲痛な叫びである.
日本においては立法府の立法能力が低く,行政府が法案を作成している
ので米国ほどスーパーキャピタリズムの問題は目立たない.しかし,日本に
おいては法案が議会における政争の具に化して制定施行に時間がかかり,フ
ァンド・マネージャーの判断で迅速に動くファンドの動きに追随できない.
もしファンドに狙い撃ちされれば,その影響は深刻かつ破局的であろう.
この場合も本質的な解決はハブを無くすことにある.少額の投資家も高
利回りだけでなく,適正な利率での投資を図ることが健全で安定した社会を
維持することに繋がることを自覚して行動すべきであろう.
(新たな代理人選出)
価格決定権が生産者から市民の購買を背景にした大規模流通業者の手に
移ったこと,資本市場での権力が資本家から市民の付託を受けたファンド・
マネージャーに移ったこと,いずれも少数の人間が握ってきた権力が一般市
民という多数の人々に移ったことであるので,権力の分散といえる.
この権力の分散は社会に何をもたらすのか.ファンドを例にとる.ファ
- 100 - ンドは高利回りを実現するために経営者に圧力をかけ,短期的に高利益を挙
げない経営者を罷免する.経営者は罷免されないないために,短期利益を上
げることを経営方策としそれに狂奔する.これも健全な社会の構成員として
の企業として見れば,モラルの崩壊である.
一般市民が罪悪感をもたないで行う当然の選択が社会のモラル崩壊につ
ながっている.一般市民にとって,限られた収入の中で値段の安いものを追
求するのは当然のことである.なけなしのお金をできるだけ利回りがよいフ
ァンドに投資するのも当然のことである.それが労働者の雇用の機会を減ら
し,賃金を引き下げ,格差を生み,環境を破壊し,社会のモラルを崩壊させ
ているといわれて,何ができるのかという気持ちであろう.
健全な社会を維持する責任がある政治行政の担当者にしても同じである.
規制をかけて高い値段を維持する,市民からの資本投入を禁止して経営者に
コストの高い資金に甘んじさせる,という昔の体制に戻すことは許されない.
そんなことをすれば政治家は選挙に落ちるし,公務員叩きはさらに激しくな
ろう.現代文明において,社会のモラルは進化システムの性質の一つとして
崩壊する.
それを可視化するものが金融危機である.2008 年度後半にはサブプライ
ム問題に端を発する金融危機が世界経済を直撃し,日米欧のみならず新興国
の経済にも大きな打撃を与えた.サブプライム問題は,今回の経済危機の発
端ではあるが,原因ではない.
原因は抑制がない変成体となった金融システムにある.すなわち,進化
の性質4(ダーウィン・ディレンマ)と性質9(スケールフリー・システム)
が重畳して発現したものである.
金融経済と実体経済には大きな違いがある.現在では金融経済における
財のほとんどが信用であることから,信用の上限は人間の心理状態しかなく,
それは状況により青天井になるのに対して,物的な財には物理的な上限が存
在する.
- 101 - 金融経済の財は情報システムと親和性があり,かつ生産,蓄積および流
通に上限がない.キーボードの0を一つ多く叩けば取り扱う財の量は10 倍
になり,それは光に近い速度で世界を飛び回る.
これに対して物的な財は,原料調達,生産,蓄積,流通のいずれにおい
ても量的な制約がある.10 倍にするには,原料の量を10倍に,生産工程に
10 倍の能力を,貯蔵に10 倍の空間を,流通に10 倍の輸送能力をそれぞれ
必要とする.これらは自然な上限を形成する.
金融の財が物的な財と連結していたときには,物的な財の上限が金融の
財の無制限な増加に対して歯止めとなっていた.それが,金融の財が株券・
債券,証拠金取引に至ると歯止めもなくなった.表2に示す経済バブルの歴
史に,近年その頻度が急速に高くなり,影響が世界に広がっていることが見
える.
現在,信用を財とする資産総計は,実体資産の4 倍に達しているという.
投資家J・ソロスの米国議会における証言では,ファンドの資産が1/3か
ら1/4になる,としている.彼の証言の根拠は不明であるが信用資産と実
体資産の比に見合っているのは興味深い.日本の日経平均株価も,1980 年
代後半の土地投機バブル中
の3万数千円から2011年11
月では9千円前後になって4
分の1 になっている.これ
は,ダーウィン・ディレン
マの下で暴走した信用資産
の実体資産への調整局面と
見ることもできる.
膨張した信用資産が実体
経済に向かうと,2008 年の
- 102 - 原油先物価格の高騰や食糧価格の高騰に見る経済の混乱と,それに伴う生産
と生活の支障をもたらす.
今回の金融危機が,ダーウィン・ディレンマの下で起きたことは,米国
の連邦準備理事会の前議長であるアラン・グリーンスパンがバブルを予見し
ながら金利を上げられなかったこと,およびすでに述べた投資会社のCEO
が採った行動に見られる.両者ともに破綻を予見しながら,しかし暴走の途
から脱することができなかったことは,ダーウィン・ディレンマそのもので
あり,これまで築き上げてきた社会の仕組みを崩壊させた.
進化の過程では過程で優勢な種と劣勢な種が生まれ,性質9(スケール
フリー・システム)により冪乗則に従う分布をもつようになる.これを社会
についてみれば,少数の巨大な種と多数の中小の種という構造になり,それ
は格差の発生を意味する.社会化の進展につれて格差は拡大する.図12(a,b)
に示すように,冪乗則の勾配は相互作用が強いほど大きい.OECDが2006 年
に発表した1980 年代と2000 年を比較したデータ(OECD, 2006)から抜
粋した表3を見れば,フランスとデン
マークを除くすべての国で,所得の
ジニ係数が上昇しており格差が増大
している.日本については,この後
に小泉内閣の「改革」による「自由化」
の進展があり相互作用が強くなって
いるため,現在ではジニ係数はさら
に大きくなっていよう.
(地球環境問題)
地球環境問題の典型とされる地球温暖化については,現在でもその原因
について異論がある.それに立ち入ることは本旨ではないので,ここでは,
人為的に放出される温室効果気体が温暖化を招いていることを仮説として,
考察の対象として取りあげる.
- 103 - 物的経済活動には前述のように上限が存在するが,まさにその上限の一
つに突き当たるという形で起きるダーウィン・ディレンマが地球環境問題で
ある.すでに多くのことが語られているので内容は省略する.人間の活動が
化石燃料という資源環境に適応して袋小路に入った上で,自然の限界に突き
当たっている.IPCCが科学的知見を総動員して,現在の地球環境変化は人
為的であると報告し,R・ゴアが彼のキャンペーンを評価されてノーベル賞
を受賞し,そして問題の本質が社会にかなり認識されているにもかかわらず,
COPが為すところないことに現れているように,温室効果気体の排出削減
に関する国際的合意は得られない.
日本社会はとくにこの点が著しく,鳩山元首相が格好良く25%削減を謳
ったが,多くの企業の反対によって政府は削減の数値目標すら決められない.
先行しているといわれるEUにおいても,イタリアや新規参加国のほとんど
はEUとしての削減計画に反対であり合意は難しいとされている.ダーウィ
ン・ディレンマそのものである.
すべての地球環境問題がダーウィン・ディレンマの下にあるのではない.
ダーウィン・ディレンマの視点から見るとき,地球環境問題は二つの型に分
けられる.一つは,人間の活動により自然から収奪する資源の量や環境に排
出する廃棄物の量が,自然がもつ限界に抵触する型である.化石燃料の枯渇
や二酸化炭素の排出がその典型である.これを「容量型環境問題」と呼ぼう.
他の一つは,人間の活動が排出する微量の排出物が自然の中での精妙な
バランスを崩して人類にマイナスとして跳ね返る型である.かつての公害問
題である大気や水の汚染,オゾン層を破壊するクロロフルオロカーボンの放
出,内分泌撹乱化学物質(環境ホルモン)の放出がその例である.これを「汚
染型環境問題」と名付ける.
汚染型環境問題にはダーウィン・ディレンマは存在しない.微量物質の
排出を抑制し,あるいはそれに換えて自然のバランスを崩さない物質を用い
れば済む.日本において大気・水汚染が克服され,モントリオール・プロト
- 104 - コルによる国際的合意の下で,クロロフルオロカーボンの排出の抑制に成功
したのはこのためである.
これに対して,容量型環境問題は上述のようにダーウィンディレンマの
下にある.この二つの型は,それへの対策を立てる上で峻別すべきである.
社会の活動の共進化
社会の活動が進化の性質1,1a,1b,1cによりシステム化され組織化される一
方において,社会の活動は性質2により共進化が進んで,この意味で統合さ
れつつある.
科学と技術の間には,科学が新たな法則を発見して技術に影響を与え,
技術が実現する道具が科学に新たな手段を与え,さらに技術が経験的に獲得
した知識が科学のテーマとなるという相互作用があり,共進化して科学技術
となっている.今日では元の科学と技術の活動に分離できないほど一体であ
ることは,iPS細胞にも見られるところである.
科学技術の成果は知的所有権という財として経済に影響を与え,経済は
科学技術に資金を与えるという相互作用により,科学技術と経済は共進化し
ている.
科学技術/経済の共進化体は,携帯電話やインターネットに見るように,
社会の行動様式に大きなインパクトを与え,社会の行動様式が科学技術/経
済共進化体を牽引するという相互作用があり,科学技術/経済/行動様式は
共進化体となっている.
よく知られているように社会統治と科学技術/経済/行動様式の間には
相互作用が有り,共進化体を構成している.そして安全保障と科学技術/経
済共進化体の間にも軍事研究や軍事産業に見るように相互作用があり共進
化体を構成している.
以上をまとめれば,文明の活動要素である科学/技術/経済/社会統治
/安全保障は,いまや一体となって共進化しつつある.共進化は,システム
- 105 - 化して組織体となった社会の諸活動を結びつける関係としてますます強固
になりつつある.
進化が進める社会のシステム化と組織化は,共同体社会にあった諸活動
をシステムの要素に分解すると同時に,それらの分解された要素を共進化が
機能体社会のシステムへと再統合していることが分かる.
分解が行き過ぎて,抑制を失った要素が暴走すると経済危機に見るよう
に危機を招く.これを抑止するものは共進化である.しかし,共進化が行き
過ぎると,社会活動と地下資源の共進化に見るように,人類社会の将来を危
うくする.
社会活動のシステム化による要素への分解と,共進化によるシステムへ
の再統合という動きをバランスよく制御するためには,それらの活動すべて
に通じた,それを担う人材が要求される.
現在の日本社会における教育課程の細分化は,文明の諸活動の要素への
分解だけに対応しており,統合を担う人材を養成していない.このことが,
現在の日本における自分の目前だけを見て社会全体を見ないバラバラな政
治と,それを創り出す社会の人々の行動を生み出していると考えられる.
分解と統合のバランスを取る困難な任務を担える,広くかつ深い教養を
もつ人材の養成へと教育の方向を転換すべきときがきている.
- 106 - おわりに 「はじめに」での問いに答えて 「はじめに」で提起した問題へのこの覚書での答えを要約しておく. (1)自然科学で成功した科学の方法を人とその社会の事象に適用するとき,
必ずしも成功しないのはなぜか? 自然科学が知識を整合的に蓄積することに成功した理由は「科学の方法」
にあり,この方法は対象が整合的であることを必要条件とする.人と社会は
整合性のないシンボル言語を獲得し,社会の自由化の進展と共に,それが社
会に表出することとなった.その結果として社会が整合性を失い,自然科学
の方法が成立する要件を満たさなくなった.人と社会については,そのまま
では自然科学の方法が成立しない. (2)科学の方法が人と社会について成功するためにどんな視点が必要か. 人と社会の事象を整合化する見方を導入すること,および人と社会にお
ける事象のモデルを作るにあたって目的論を排除して反証可能性を保持す
ることである.整合化にあたっては,事象の内部にある操作できない因果関
係を状態で代表させて入出力関係を整合的にする方法を人と社会に導入し,
状態の数を縮約できれば,「揺らぎと相互作用」のシステムとして実効的に
人の社会を整合化できる. (3)その視点からの視野は人と社会のどれだけの部分を覆うのか? 見かけの上で複雑多様な人間社会の諸事象の背後にある普遍的な事象,
たとえば,すべての社会がシンボル言語をもつ,人の営みは自律的にシステ
ムを構成する,すべての社会が神の概念を持つことは,すべての社会に普遍
的にあるという意味で,「揺らぎと相互作用」のモデルで事象の誕生から今
日までを記述できる.また,現代文明社会に共通に見られる社会現象を,
「揺
らぎと相互作用」のモデルの特性として,定性的に説明し,予測し,そして
対応する方策を考えることができる. - 107 - 謝 辞 東京大学名誉教授和田昭允先生ならびに生理学研究所特任教授永山国昭
先生には,この覚書に記された考え方を支持して下さり,力強いご支援を頂
いた.このご支援により私は書き続けられた.心からお礼を申し上げる. 独立行政法人科学技術政策研究所の加藤寛治氏からは,この覚書の予稿を
ウエブに掲載した最初の時期において,幾つかの貴重なコメントを頂いた. 神戸大学名誉教授中井久夫先生からは以前のバージョンについて先生のご
専門から貴重なご意見を頂いた.精神疾患の臨床医である生田憲正博士・洋
子夫妻からは,因果関係の認識および心像の形成について教示を受けた.こ
れらのご意見ご教示に対し厚くお礼を申し上げる. つゆねこ企画の露猫綾乃氏は前のバージョンを読んで丁寧に朱を入れて
下さった.ご尽力に対し心からお礼を申し上げたい. 志満宣子氏からは,素稿をウエブに逐次掲載中から関心を持って頂き,お
励ましを頂いた.心から感謝の意を表したい. - 108 - 参考文献 やむを得ないものを除いて,できるだけ日本語または日本語訳のある書籍を挙げ
ております.したがって原著の発表年次と翻訳の発表年次とにずれがありますので,
引用には原著の年次を,参考文献名には翻訳の年次を記載しています. 辞書・事典 (OED,v4.0):Oxford English Dictionary, Second Edition, Version 4.0,(CD-ROM) 広辞苑:広辞苑第 6 版,岩波書店,2008 アルファベット順
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